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 4時前、若者の気配で目が覚めた。テントの外を見ると、彼は手慣れた様子で朝食の用意をしていた。私もそろそろ動き出そうかと、シュラフから出たが、肌寒かった。
 朝食に必要なものは寝る前にまとめておいたので、用意はスムーズだ。テントを少し開けて無精にも手だけを外に出し、コンロに火を付けてお湯を沸かした。メニューは、夕べの白飯を粥にしたもの、焼き肉の缶詰、みそ汁、夕べのミカンの缶詰の残りだ。普段は朝から焼き肉など食べようと思わないが、エネルギーをつけるのと、荷を軽くすることを優先した。

 今日のコースは成り行きで考えようと思っていたので、ゆっくり気楽に出発の準備をした。若者が私のテントの前を通って、1番に出発していった。「行ってらっしゃい!」と声をかけて、また準備を続けた。
 5時頃、準備が整った。隣人はまだ寝ている。黒部五郎の頂上まで戻るなら時間的余裕があるからだろう。私は、ザックを担いで小屋まで行き、用を足してから歩き出した。

 小屋裏の坂は急だった。「起き抜けに、この急登はないよ」と思いつつ、一歩一歩登る。後ろの方からは男女の声が聞こえてくるが、向こうもなかなか進んでいないようだ。

朝日を受けたチングルマの実。今回の山行でもっとも印象的だった

 すぐに視界が開け、這い松の間にチングルマが生えているところへ出る。チングルマの実に露が付き、朝日が当たってとても美しい。写真を撮りつつ、休憩をしている間に、後ろから聞こえていた声の主が来た。昨日、抜きつ抜かれつした夫婦だ。もう一人、中年の男性も来た。
 しばらくは緩やかな起伏を行く。
 黒部乗越で、三俣山荘を経て鷲羽岳へ至る道と三俣蓮華岳山頂への道に分かれ、三俣蓮華へ向かうと、山腹をトラバースして、また急登になる。谷には残雪も見え、朝の光が眩しい。どこから匂ってくるのだろう、時折、硫黄臭さを感じる。
 小屋を出てから約2時間で三俣蓮華の山頂に立つ。標高2841m、ここは富山、岐阜、長野の県境だ。改めて地図を見ると、昨日の北ノ俣、黒部五郎から、今日の三俣蓮華、双六と、ずっと私は県境の上を歩いているのだ。

 頂上にはすでにどこかの社会人山岳会のメンバーが5〜6人がいて、弁当を食べようとしていた。昨日から一緒の夫婦連れと私は、またもやほとんど一緒に到着した。
 夫妻に頼まれて、私はカメラのシャッターを押した。「じゃぁ、交代で」と、私もカメラを夫人に預け、槍をバックに撮ってもらうよう依頼した。シャッターを押すのに手間どっているほんの数秒の間に槍は雲に隠れてしまった。次に姿を現すまで待ちましょうと言ってくれたが、結局槍は姿を見せず、夫妻はここから私と違う道をたどることになった。今日はずっと見えなかった槍のてっぺんが、あの一瞬だけ見えたのだが…。幻の記念写真となった。
 私はまたもや干しバナナなどを食べて休憩し、双六岳の方へ向かった。山岳会のメンバーは、双六の頂上をパスして小屋に向かうと話していた。
 双六に向かう手前に、丸山という山があり、標高でいうと黒部五郎や三俣蓮華よりも高い。しかし、取り立てて特徴もなく、名峰連なるアルプスの中では目立たない。実力があっても、ある程度の華がないと埋もれてしまうのは人の世と同じである。

双六岳山頂はこの写真よりもっと広く見える。晴れていれば槍が見えたのだろう

 丸山から双六、そしてそのずっと先に槍穂高が見えている。目を転じると、裾野の巻き道を山岳会のメンバーが歩いている。私の後先に人は見えない。
 三俣蓮華から約1時間、尾根伝いの道が岩だらけの急な登りに変わり、それを登り切ったらそこが双六岳の頂上だった。
 山頂部分がこんなに広い山は見たことがない。黒部五郎のような岩だらけのゴツゴツした頂上を風格を持った頂上としたら、双六のそれはまったく拍子抜けするような頂上で、少しがっかりした。
 黒部五郎や三俣蓮華などが霞んで見える。「あんなところから歩いてきたんだなぁ」と感慨深い。人間の足も大したものである。
 頂上から小石の原っぱに向かって1本道が延びている。頂上も広いが、ここ原っぱはもっと広く、野球でもできそうである。
 何かを観測しているのか、真っ赤に日焼けした、性別不明の人がそのだだっ広いところに座っていた。「こんにちわ」と言ったが返事はなかった。
 双六の降りは急で、石がゴロゴロしていて歩きづらい。今は降りるからいいが、これを登れと言われれば嫌だ。
 向こうに小屋の屋根が見えてくるが、なかなか近づかない。かなり降りると、斜面にたくさんの花が咲いていて、とても美しい。
 双六頂上から1時間、ようやく小屋に着いた。

 小屋の前には10人ほどの人がいた。これから双六に登るというグループや、コースを聞くだけで山の中に住んでいるのかと思わせるような鉄人まで、カンカン照りのベンチで話している。
 小屋の前には、「ラーメン」「うどん」「おでん」と私の食欲をそそる看板があった。朝食を食べてからすでに6時間ほど経っている。ラーメンにするか、うどんにするか、少し考えてラーメンにした。なかなか美味く、汁まで飲み干した。正面には鷲羽岳が大きく望めた。
 「今日のコースは成り行きで」と考えていたが、そろそろ決断をしなければならない。ここから縦沢岳を通って西鎌尾根から槍ヶ岳へ登る。5〜6時間かかるから、安全策を採るなら、今日はここに幕営しなければならない。なんといっても、槍へ登ることは大きな魅力だ。しかし、槍まで行くと、明後日降りるときに台風に遭遇するかも知れない。

鷲羽岳と手前の双六小屋

 双六から弓折岳を経て笠ヶ岳に登り、新穂高へ降りるコースもある。
 笠ヶ岳は均整の取れた実に姿のいい山で、今回の山行中、ずっと魅せられていた。これも1泊しなければならないが、明後日降りるのにさほど時間はかからない。改めて笠ヶ岳に一から登るより、今ここで登ってしまえば楽である。
 もう一つの選択肢は、小池新道を通って新穂高に降りる、約4時間コースである。新穂高から高山行きのバスは4時過ぎが最終だから、間に合わなければ新穂高で幕営する。間に合えば、高山の友人と一献交わしてホテルに泊まる。
 山としての一番の魅力は槍、楽なのは新穂直行、捨てがたいのが笠である。迷いはあったが、新穂直行を選ぶのに時間はかからなかった。今回のは山行のキーワードは「無理をしない」ということ。笠に回っても無理にはならないが、頑張らないのもいいかなぁと思った。しかし、このまま降りてしまうのは勿体ないので、新穂かその手前で幕営しようと考え、土産にバンダナを買って小屋を出た。

 双六小屋から、弓折岳へ向かってまた登っていく。ハイマツの尾根道には、所々にトリカブトが群生している。左手には槍・穂高が見えるはずだが、ガスって何も見えない。陽射しはかなり強く、顔や首の後ろがやけて痛い。
 1時間ほど歩いて、弓折岳頂上の手前の鞍部から稜線を外れて鏡平小屋にくだる分岐点に着いた。トリカブトの紫が目に飛び込んでくる。

 鞍部でザックをおろしていると、軽装で、走るように降りてきた人が、私に道を尋ねた。あまりのスピードで、分岐を通り越しそうになっている。
 彼は私の隣に来て、天気の話などをした後、自分が今朝3時に新穂高を出て槍へ登り、西鎌尾根から双六を通ってここまでやってきたと話した。私は最初ピンとこなかった。新穂高から槍へ登るのには、6時間ほどかかる。槍から双六を経てここまで来るのに4時間ほど。新穂まで降りるのに3時間強。全部合わせると、標準タイムで14時間ほどである。私なら1日で歩くなど考えつかないし、考えついたとして実行しても途中で倒れる。「すごい!」という以外の何ものでもない。しかも、彼は槍の肩まで行って、頂上へは行かず、降りてきた。西尾根から双六を通って新穂へ降りるコースだけ通ったことがなかったので、それを通るために来たのだという。鉄人としか言いようがない。
 彼は、「じゃぁ!」と言ってまた駆け足で降りていった。もちろん、私が彼に追いつくことはなかった。今回はいろいろな鉄人に遭う。

 稜線から降っていく途中、次第に樹林帯に入り、その向こうに池に囲まれた鏡平小屋が見えてきた。女性好みの可愛い風景である。

晴れていればこんな景色が見られたのかなぁ
 降りてみると小さな小屋だが、小屋の前に行けに突き出すような格好で板張りの床があり、そこにテーブルなどが並べてあって、あたかも山中のオープンカフェのようである。結構賑わっているが、ほとんどは今日、新穂高から登ってきた人のようだ。軽装で、ここでお弁当を食べて帰るような人もいる。
 私は、ナベを取り出してお湯を沸かし、コーヒーを入れて、ビスケットを食べた。売店でジュースも買って飲んだ。何と、この売店にはかき氷まである。登山者の服装といい、売店の様子といい、だんだん里に近づいてきたんだなぁと実感した。
 小屋から少し離れた池の畔に板を張った場所があり、5人ほどの人が一方向を向いて座り込んでいた。水面に槍が映るという絶好のポイントだ。でも、槍はずっとガスっていて見えない。それでも、その人たちは賑やかに話しながら、見えれば儲けものというような態度で槍を見つめていた。

 あとはとにかく降り一方である。灌木に囲まれた涸れ沢のゴロ石の道をひたすら降りる。膝には負担の大きい下りだが、今のところ調子はいい。
 登りは適当に休憩しやすいが、下りはそろそろ休もうかと思いつつ、調子に乗って休憩がおろそかになる。降りるに従って気温も上がってきて、灌木の陰があるとはいえ、暑い。
 水音がだんだん大きくなり、川が近い気配がする。川に出会ったら休もう、そう決めてしばらく行くと、幅2メートルほどの水量の多い流れに出会った。すでに5〜6人のグループが休憩しながら涼を取っていた。私も、今まで休憩を我慢してきた分と失った水分を取り戻すがごとく、たくさんの水を飲み、頭にかけた。しかし、頭の芯までクールダウンさせるには相当時間がかかりそうだ。10分ほど休んで、前にいたグループより先に出発した。単独行は、どうしても忙しくなりがちだ。

山々の流れを集める秩父沢

 双六小屋を出てから、2時間半。秩父沢に出た。
 沢では、崖崩れを防止する防災工事が行われていた。高さ50mはありそうな崖の崩れそうな箇所をあらかじめ崩して、補修の下準備をしているようだ。よく見ると、崖の上からロープで宙づりになっている作業員がいる。ひっきりなしにガラガラと石の転がる音がして、恐ろしい。登山途中でこんな落石に遭ったらひとたまりもない。しばらく眺めて、歩を進めた。
 ここからわさび沢を経て新穂高に向かう道の途中までは、地道の車道を歩くことになるようだ。
 登山をしていてつまらないことは、このような車道を歩くことと、頂上までロープウェイなどが着いていて、高いヒールを履いたような女性がブランド物を着飾っていることではないだろうか。そのつまらない道をテクテクと1時間歩いてわさび沢に着く。途中、笠ヶ岳の参道と交わって、この道を降りて来るという選択もあったなぁと、少し残念に思った。
 わさび沢の小屋に着いて、ビールを買って飲む。
 ここで幕営ということも考えたが、まだ3時なので勿体ない気がして、とにかく新穂高まで行くことに決め、あと1時間、同じような道を歩くことになるなら、ビールを呑んでも良かろうと考えたのだ。
 谷川の水を小屋の前の木製の樽に引き、勢いよく流れる水でビールやジュースが冷やされている。見るからに涼を呼ぶ光景だ。ビールの値段も里に近づくに従って下がってくる。
 小屋で時刻表を見ると、高山行きの最終バスは4時20分発だった。新穂高で幕営するか、さらに一気に高山まで行くか、新穂高に着いたとき次第。新穂高の町営温泉に入るのも、今回の山行の楽しみの一つ。その時間との兼ね合いもある。

 わさび沢から新穂高まで1時間、途中、向こう岸の防災工事の現場を眺めつつ歩く。途中から舗装された道に変わり、工事車両の誇りをかぶったりしながら、ますますつまらない時間となった。仕舞いにイライラしてきてしまう。
 新穂高の手前まで来ると携帯電話が通じるようになった。これからの日程を決めるポイントの一つに、高山でパン屋をやっている友人の都合も考慮に入れたい。電話をしたが、留守電になっているので、メッセージを入れておく。

 新穂高のテント場は、ロープウェイの駅のすぐ近くにあった。すでに3張ほどのテントがあり、その前で家族連れが火をおこしていた。ここはファミリー向けのテント場のようだ。せっかく山で閑散?と過ごしてきたのに、こんな騒がしそうなテント場でわざわざ1泊する必要はまったくない。新穂高での幕営という選択肢は消えた。

 新穂高のバスターミナルについたのは3時50分。すぐ横の町営温泉に行くと、「清掃中」の看板が掛かっていた。あと30分しかないのに早く清掃が終わらないかとヤキモキしていると、職員らしい人を見つけた。
 「清掃中ですか?」「4時までなのです」「………」「もう少し行くと、別の町営の温泉があるけど」「歩いていける距離ですか?」「車で10分ほどかなぁ」「高山行きのバスに乗りたいんです。次が最終ですからねぇ。無理ですね」「そうねぇ」 大きな楽しみが消滅した。
 幕営もしない、温泉もダメとなると、新穂高にいる理由はない。諦め切れないが、とりあえず高山に行こうと、バスを待った。
 ジャンボタクシーの運転手が、しきりに乗り合いで高山まで行かないかと誘ってきた。機嫌の悪い私は最初黙って首を横に振っていたが、それでもまだ後ろを着いてくるので、「いらないと言っているでしょう」と憮然と言った。

 バスターミナル付近に人は多いが、バスに乗る人はあまりいない。ほとんどが自家用車で来ているのだろう。
 バスの外のベンチでたばこを吸っていた運転手が、定刻通り運転席に着き、バスは発車した。まもなく、槍見温泉や川沿いにあるという町営の温泉の前を過ぎる。残念な気持がまた頭をもたげてくるが、もう仕方ない。
 バスは平湯温泉を経由して高山に向かう。ずいぶん遠回りをするが、近年開通した安房トンネルを抜けて上高地や松本に向かう人の足の関係もあるのだろう。こんなことならジャンボタクシーに乗ればよかったと思いつつ、あんな運転手の車はやっぱり嫌だと独りで意地を張っていた。
 平湯を過ぎたあたりで友人から電話が入った。明日、急に仕事で東京に行くことになったため、今その準備を従業員としているとのこと。いつ山から降りるかハッキリ連絡していなかったので仕方ない。今夜の宴会と、明日どこかを案内してもらおうという勝手な目論見は、見事に外れた。

トリカブトの花も今回の山行で心に残った一つ

 それならと、以前、高山に来た時に行った、大阪出身の主人がやっている居酒屋に行くことが次なる目標となった。
 山から降りたら、まずビールと食い物だ。上高地から松本に降りるときは、駅前のステーキ屋へ行くことを楽しみにしている。そういえば、以前、O-157が流行していた時、松本で馬刺をなかなか口にすることができなかった。
 普段あまり食べたいと思わないものでも、山に行った後には食べたくなる。妊娠した女性が酸っぱいものを食べたくなるというのはこういうことかと想像した。

 バスが高山市街に差し掛かろうとする頃、雨粒が車窓を濡らした。早くも降り出したんだなぁ…山にいる人はどうしているだろう…明日、荒れなければいいが…。
 高山は1年ぶりだ。夕方のためか、あまり人影は見られない。小さい街のこと、市街地に入ってから駅に着くまでに時間はかからない。
 駅に着くと友人が待ちかまえていた。
 「バスはとれない。もう満員だって。1時間前には予約をしないといけないらしいし…」と挨拶もそこそこに、私の帰りの足のことを言い出した。
 今夜は都合がつかないと聞いたとき、「それじゃぁ、仕方ないなぁ…帰るかなぁ…JRに乗れなかったら、名古屋までのバスもあるようだし…」と私が言ったものだから、彼は早速「足」の手配にかかってくれたのだ。
 「いや、今夜は高山に泊まって」と私が言い出すことが出来ないような勢いが先方にはあった。「そう、有り難う。じゃぁ、JRか…指定取れないよなぁ」と私も帰る算段にかからざるを得ないことになった。
 「指定なんか取れなくても、必ず座れるから」と、自由席特急券と乗車券を買って、今にも駅の外にまで及ぼうかという乗客の列の最後尾についた。間もなく、列車が到着するらしく、改札が始まった。
 「いやぁ、本当にゴメン。急に連絡して。じゃぁ、また!」と挨拶をして改札を入って、自由席の札の下の列にならんでいると、また彼がやってきた。
 私は彼が駅員を説得して入ってきたのだと錯覚して、「ど、どうやって入ってきたの?」と聞くと、「いや、入場券で」と至極当たり前の答えをした。彼は駅員でも説得しそうな感じなのだ。
 そして、売店では駅弁が売り切れていたが、ホーム内にはあるかも知れないと言って、探しに行った。結局、駅弁は品切れで、駅のどこにも売っていない。その代わりにと、かき餅とビールを買って、「はい!」と手渡してくれた。彼は本当に行き届いた、有り難い人物だ。私ならこんな芸当は決して出来ない。
 バスから降りて15分も経っていない。彼とゆっくり話すこともなしに、列車は高山を出た。
 車中、隣の乗客に臭気が及ぶことを心配しつつ、「あたたかい」ビールを呑みながら、雨の飛騨路をしばし眺めた。
 車内販売も売り切れ。私は最後の楽しみに、名古屋駅の新幹線ホームで、天ぷらとたまご入りの豪勢なきしめんを食べた。
 あれからちょうど2ヶ月が経つ。簡単なメモを見て、登山雑誌を参考にしながら、今これを書いている。
 振り返ってみると、結局、あわただしい山行だった。特に後半は、里へ降りてからのことが大半だが、望んでいたことがことごとく叶わなかった。
 それでも山は楽しく、美しい。また行きたいと思うのだ。
 独りになりたいと思うことも手伝って行く山。でも、行った先では、日常の「私」から解放された自由な出会いを求めている。決して、私は独りを好んでいるのではないのだ。
 山は、いつも私を原点に引き戻してくれる大切なフィールドなのだ。
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ページ中の地図は『山と渓谷』より引用