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 4時30分頃、起床。まだ暗い。とにかくよく寝た。5時に少し離れた山小屋前に集合という高校生たちはすでに起きて準備をしている様子だ。
 すぐに朝食。メニューは、刺激的な方が食欲も出るだろうと、トムヤンクン粥とみそ汁。これはまぁまぁだった。

 今日のコースはアップダウンが激しいとのことなので、右膝にサポーターをつける。去年の夏、南アルプス・白峰三山を縦走し、農鳥岳から降りるときに膝を痛めた。一気に降りるつもりができず、脂汗をかきながらテントの一夜を過ごした。そこからバスの通るところまでの3時間のなんと長いこと。帰ってからMRIを撮ると、半月板の損傷といわれた。また、「あなたの膝は出来がよくなく、ゆるい」と宣告されたが、今更どうしようもない。重ねて今年2月、大文字山に散歩に行った夜、今度は足首に激痛が走り、その夜はトイレへ行くのにも苦労した。今度は靱帯損傷といわれ、1ヶ月ほどサポーターをつけて過ごし、しばらくは正座できなかった。肉体的な衰えと、鍛錬不足が原因であることは疑いない。膝への負荷を少しでも軽くしたい、そのためにサポーターを装着したのだ。
 テントの中に広げた荷物をパッキングし直し、雨と結露で濡れたテントを畳んで、5時半に出発した。天気は薄曇りで、少し肌寒い。

太郎山途中から振り返って太郎平小屋を見る

 太郎平小屋を過ぎて、ゆるやかな登りを太郎山に向かう。「山」というより丘である。整備された木道を行くと、すぐに2373mの頂上に着いた。しばらくは高原のお散歩である。チングルマやチシマギキョウの群落があったりして、歩いていても楽しい。

平坦な道を行くときの方が、いろいろな思いや考えが頭をよぎる。腹を立ててみたり、笑ってみたり、口惜しがってみたり。頭を空にしようと思ってもなかなかできるものではない。座禅をするときもそうである。考えないようにするために、数をかぞえたりする。頭が空になったときほど爽快なものはない。座禅三昧、登山三昧、掃除三昧、みな爽快である。でも、登山をしているときは、さほど深く考えごとをするわけではない。浮かんでは消え浮かんでは消え、そのうち考えていること自体を忘れるようになって、仕舞いには体が疲れてきて、1日が終わるのだ。

 しばらくすると、這い松の間をゆく石コロだらけの道に変わり、いささか急な登りへと変わる。
 歩き出して約2時間、北ノ俣岳のすぐ手前の神岡新道との出会いが景色がいい。剣・薬師・黒部五郎・槍など、360度のパノラマである。
 カメラを取り出して、その光景を狭いフィルムに押し込めようとするが、とても叶わない。叶わないことがわかっているので、最近はあまりカメラを持参しなかった。また、1人で閑散期に歩いていると、誰もシャッターを押してくれるよう頼む人もいなくて、石の上に置いてセルフタイマーで撮ったりもするが、天を仰いだり、足と石コロが写っていたりして、うまくない。しかし、今回は山行記を書くつもりでもあったので、とりあえず期待せずに撮っておいた。
 北ノ俣岳(2661m)〜赤木岳(2622m)のゆったりした稜線を歩き、せっかく登った道を中俣乗越へと下る。向こうに黒部五郎岳とその手前のピークが見えるが、かなり急登である。「また登らなければいけないのに、どうして降りるような道をつけるんだ」と恨めしいが、これが山のおもしろさかも知れない。這い松をかき分けるようにして、五郎の手前のピークに登って、休憩する。9時40分、快晴。
 今日は朝から、50過ぎの夫婦や60才ぐらいの5人ほどのグループと抜きつ抜かれつである。このピークでは、5人ほどのグループと私が休憩し、夫婦は止まらずに先に進んだ。また干しバナナとミカンを食べ、ポカリを飲んで10分ほど休憩した。
 せっかく登って稼いだ高度をまたいったん降りて、いよいよ五郎への急登である。夫婦はその前の鞍部で休憩していた。

 石コロだらけのところにジグザグに道がついている。昔の鉄道でいうとリアス式というのだろうか、進行方向に向かって斜め左に登ったら今度は方向を変えて斜め右に登る。まっすぐ登るには急すぎるのだ。
 五郎の登りは、先ほどの夫婦とシーソーゲームである。これに単独行の白人青年が加わっていたが、彼は私の先をいいペースで登っていた。夫婦のうち、奥さんは少し遅れ、主人がそのうち私に先んじた。
 石コロのだらけの山肌で、遮る物はないからどこからでも登ろうと思えば登れるが、人1人が通れる幅だけ石が落ち着いていて道になっている。歩いている人の横を抜いていくということはできないので、横に避けている間に抜いてもらう。
 ちょっと立ち止まって休んでいる間に、結構な差がつく。しかし、少し歩けばあそこまで行けるのだと考えると、今後は逆に元気が出てくるのだ。

 ようやく1時間半ほどかけて、下から見て頂上と思っていたところに着いた。頂上が下から直接見えず、頂上と思っていたところに着いたら、もう一つ向こうに本当の頂上があったということがよくある。今回もそうじゃないかと思っていたら、やはり本当の頂上まではあと10分くらいかかる。
 夫婦連れの主人、私、夫人と次々に到着した。ここは、今登ってきた道と頂上を経て尾根から小屋に至る道、そしてカールを通って五郎の小屋に至る道の三叉路になっている。
 夫人は相当疲れているようで、頂上には行かずに、主人が頂上まで往復してくるのを待つと言い、主人と押し問答しだした。主人は、頂上行きを固辞する夫人に「オレはそんな登山を教えたつもりはないぞ!」と怒りをぶつける。私はその場に一緒にいるのも気が引けたが、気まずさに堪えられず、「あと10分ですから…勿体ないですよ、ここまで来て」と夫人に話した。主人は、助太刀を得たばかりと益々勢いづき、結果として、3人は連れだって頂上を目指すことになった。私は足を前に出しつつ、余計なことを言ってしまったと、後悔した。
 頂上に着くと、白人青年がいた。我々の後から、5人ほどのグループがやってきて、大きな岩だらけで座るところもない頂上はにぎやかになった。
 杭から外れた「黒部五郎岳」という看板を持って、交代で記念写真を撮っていると、白人青年も撮って欲しいと言ってきた。グループの紅一点が、「どこの国から来たの? いくつなの?」と根ほり葉ほり聞いている。オバチャン特有の行動と思いつつ、彼に関するデーターが得られた。
 彼はアメリカ人で、「ジョン」という名前。28才で、今は富山に滞在している。また、オバチャンのグループも、どこかの山好きの集まりらしく、今年定年を迎えたというような話をしている。私も、薬師をバックに記念写真を撮ってもらった。
 頂上から、ジョンは尾根伝いに五郎の小屋に、夫婦はいったん戻って、大きくスプーンで抉り取られたようなカールを小屋に向かった。私は、いったん戻るのも面倒なので、尾根伝いの道を選んだ。コースタイム的には大して変わらなかった。
 ところが、この尾根伝いの道は大変だった。頂上から尾根まで、ゴツゴツした岩の道を相当降り、その後尾根伝いにいくつかのコブを超えて次第に降りていく。遠目には楽そうに見えたこのコースで、私はかなり疲れた。あとから地図を見て知ったが、カールの道が一般的だった。
 大きく白い石のゴロゴロするカールが下に見えて、先ほどの夫婦が歩いている。緑に覆われて、川もあるようで、歩く姿を見ていると、ハイキング気分のようだ。遠い昔にこの場所に氷河があり、それによって地形が削りとられてこの形になった…そう思うとロマンは大きくふくらむ。

黒部五郎のカール。右に走る稜線を私は歩いた。山の向こうに槍の穂先や穂高が見える。

 ところで、「黒部五郎岳」という名称だが、これは人の名前ではない。この、岩がゴロゴロしているのに因んで命名されたという、ウソのような本当の話なのだ。また、すぐ近くに「野口五郎岳」という歌手のような名前の山があるが、これも同じく、岩場をあらわす「ゴロー」からついたといわれる。山の名前のルーツを知るだけでも面白い。

 遠くに見える小屋の赤い屋根が少しも近づず、そのうち見えなくなった。やがて、尾根から外れ、小石が多く歩くづらいガレ場をケルンを頼りにくだっていった。雨が降ったときには川になることが疑いない小さな谷を不安げに降りていくと、ようやく小屋に着いた。コースタイムは2時間だが、もっと時間を要し、もう2時前にもなっていた。

 もう歩きたくない。小屋の前のベンチに腰を掛け、野菜ジュースを飲んだ。
 ベンチには10数人の人がいた。ほとんどはこの小屋に泊まる人だが、今からまだ3時間ほど歩く予定の人もいる。疲れているのか、ジュースをこぼしたのを契機に言い争いをする若い夫婦がいる。尾根伝いの道はコースタイム通りにはいかないと言っている人もいる(その通り!)。そのうち、小屋に入る人、次なる目的地向かって歩き出す人などが消え、ベンチは次第に静かになった。
 私はテントを張る手続きをして、ビールを買って、5分も離れていないテン場に向かった。

 テント場では、すでにジョンがテントを張ろうとしていた。私は、とにかくテントを張って、昼食をとりながらビールを飲み、気持ちの良いうたた寝に入ろうとワクワクしていた。昼食はラーメン。梅干しは欠かさない。
 太陽は照りつけ、テントの中は暑かったが、すぐにうたた寝に入った。しばらくして、頭の先で、大きな石を地面に投げつけるような音がし出した。誰か隣に来たのだなと思いながら、またうたた寝しようとするが、今にも大きな石がテントを突き破ってくるのではないかという恐さに、目が覚めてしまった。そのうち、テントを広げながら独り言を言っているのが聞こえてくる。
 「ホントにもう、クチャクチャじゃないか…これは…」
 石の音だけの時は鬼が投げているかのようで恐かったが、独り言を聞くと安心できる。そっと外を見ると、ジョンもずっと寝ている。隣の住人はちょうど陰になって見えないが、テントを張り終えて、荷物の整理か何かをしているふうだ。そのうち、またうたた寝に入った。

 日が傾いてきて直接陽射しが当たらなくなると、一転して肌寒さを感じるようになる。時計を見ると4時半を回っていた。そろそろ夕食の準備。今夜のメニューは牛丼。デザートにミカンの缶詰。緑茶も飲みたい。もちろん。ビールは必需品。
 テントの外へ出て、テント近くの石に腰掛けながら、夕食の準備を始めた。隣人はまた何か独り言を言いながら、ザックの中身を出したり、カメラの手入れをしていた。三脚や交換レンズだけだけでも大変な量である。
 じっと見ていたわけではないのだが、目があった。「一晩 ヨロシク」と挨拶があったので、「こちらこそよろしく。カメラ、大変ですね」と返した。すると、隣人はよほど話し相手が欲しかったのだろう、すぐ私の横に腰掛けて、話を始めた。
 隣人は、昨晩、私が同じ太郎平小屋にテントを張ったのを知っていた(私は“隣人”がいるのを知らなかった)。同じコースを来たわけだが、そういえば彼が北ノ俣岳あたりで三脚を広げてウロウロしていたのを思い出した。
 黒部五郎岳の頂上から槍・穂高を狙っているのだが、今日はガスっていて撮ることができなかったので、明日もう一度戻って撮る予定だとか(「えっ、また、戻るの!」と思った)。その後は、槍へ登って燕岳の方へ降りる予定らしい(「いつまで山の中にいるんだろう。この人仕事は何をしているんだろう」と思った)。
「これからどうされるんです」 と尋ねられたので、
「明後日から台風の影響が出てくるというので、明日にでも降りようかと思っています」
「いやぁ、大丈夫でしょう。でも、明日はダメかなぁ。なかなか撮れないんですよね。天気予報聞かないと」
 話しかけてくるのも急なら、戻るのも急である。さっさと戻っていった。私は、夕食の準備に戻った。
 他に、学生風の若者1人、少し離れたところに中年の男性、かなり離れたところに男女がそれぞれテントを張っていた。私がゴソゴソし出すと、若者も食事の用意をし出した。
 今日の夕食は美味い。たっぷり寝たし、混んでいないからゆっくり出来る。夕焼けの赤い光に包まれた小屋の赤い屋根もメルヘンチックでいい。心身共に豊かになった気がする。
 トイレットペーパーの芯を抜いたもの持参しているが、これは上下両用である。ナベの後かたづけにもあまり水は使えないので、これで拭くだけの時もある。食べるのも早ければ、片づけるのも早い。それでも、あたりはだんだん薄暗くなってきた。
 ようやくジョンも起きて食事の準備を始めた。隣人の声は、テントの中から聞こえてきている。

 テントに戻って、腹までシュラフに入り、ラジオを聞きだした。天気予報を聞きたいのだが、ほとんど野球の番組ばかりだ。加えて、NHKにしても、名古屋、静岡、富山、長野といろいろな地方局の同じ番組が雑音の中に聞こえるから、この場所に相応しい天気予報を探すのに一苦労だ。そのうちにウトウトと寝入ってしまった。
 11時頃、ようやく天気予報が流れた。ラジオのスイッチは入ったままで、イヤホーンを耳に付けていたのだが、眠気の中で朦朧としてまったく聞いてはいなかった。それが天気予報の声で、ハッと我に返った。隣人のラジオの声も聞こえてきていた。台風はどうやら東海地方に上陸するようで、明後日は山は大荒れになるとのこと。
 「エーッ、そりゃぁないよ。槍へ行けないじゃない…」と、隣人は叫んだ。
 ずっと独り言を言っていた隣人が、この予報に反応することは確実だと思っていたが、案の定だった。しばらく何かつぶやいている様子だったが、私の意識はまた遠のいていった。

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ページ中の地図は『山と渓谷』より引用