〜 苦沙彌のつれづれ雑記 〜

2024年4月26日(金)
畑作業でリフレッシュ!
2024年4月25日(木)
探偵ごっこ?
2024年4月24日(水)
過食
2024年4月23日(火)
おばあちゃんのお通夜
2024年4月22日(月)
大往生
2024年4月21日(日)
納骨2座
2024年4月20日(土)
新緑が清々しい
2024年4月19日(金)
審査会
2024年4月18日(木)
黄砂に煙る
2024年4月17日(水)
沖縄戦跡 慰霊行脚
2024年4月16日(火)
初 沖縄
2024年4月15日(月)
沖縄出張の準備
2024年4月14日(日)
外作業で汗
2024年4月13日(土)
ゆったり外作業
2024年4月12日(金)
灯油ストーブを片付ける
2024年4月11日(木)
「御修法」結願
2024年4月10日(水)
晴れ渡る
2024年4月9日(火)
花散らし
2024年4月8日(月)
花まつり
2024年4月7日(日)
比叡山もあたたかい
2024年4月6日(土)
桜満開、人多し
2024年4月5日(金)
能登半島地震の募金寄託
2024年4月4日(木)
延暦寺御修法
2024年4月3日(水)
棹飛びの寺
2024年4月2日(火)
新年度懇親会
2024年4月1日(月)
新年度
2024年3月31日(日)
黄砂にめげず
2024年3月30日(土)
開花宣言
2024年3月29日(金)
年度末
2024年3月28日(木)
年度末目前
2024年3月27日(水)
春の観光シーズン
畑作業でリフレッシュ!
 今日も複雑な問題の資料調べ。いい加減、気分的に滅入ってきます。

 少し早めに退勤して、帰りにホームセンターに寄って、トマトやゴーヤなどの苗を買って帰りました。

 前回行った時とは比べものにならないほど、苗の数が増えていました。トマトだけでも15種類くらいあって、選ぶのが大変でしたが、黄色のイタリアン、赤くて甘いミディー、大玉などを買いました。一時はたくさんあった「桃太郎」はほとんどありませんでした。

 帰って、準備してあった畝に植えました。昨年はキュウリは連作障害でダメ。トマトも不調だったので、今年は大きく育ったくれるといいなぁ〜

 こういう作業をしているのが一番いいなぁ〜

  
〜 竹の秋 〜
2024年4月26日(金) 


探偵ごっこ?
 今日は久々に清々しい青空が見られました。「風薫る」季節がやってきました。新緑の間を抜けてくる風が気持ちいいです!

 そんな中、今日はほぼ一日を複雑な問題の調査や打ち合わせ、取りまとめに終始しました。内容は言えませんが、何だか探偵ごっこをしているかのようでした。

 早くこの問題を終わらせたいなぁ・・・。

  
〜 自坊のつつじ 〜
2024年4月25日(木) 


過食
 午前中は人権問題の研修のためのDVD鑑賞でした。都合によって、午後に視聴する人もいて、全員が研修することになっています。

 午後は、複雑な問題の打ち合わせの会。約3時間以上掛けて話し合いましたが、決め手に欠く結果しか出ず、疲れだけが残りました。困った、困った。

 自坊に帰って夕食を食べましたが、いったん食べ終わった後にインスタントラーメンが食べたくなって、一食分を食べてしまいました。ストレス太りになりそう・・・。

  
〜 雨の中の卯の花 〜
2024年4月24日(水) 


おばあちゃんのお通夜
 朝から昼食を挟んで1時半頃まで会議でした。その間に、住職辞令の交付式がありました。

 天台宗の住職の辞令は年に2回を受け取る行事がありますが、大きな寺などは個別あるいはタイミングによっては数ヵ寺まとめての授与となります。今日は、群馬と兵庫のお寺でした。

 連休の間は役員がみな帰ってしまうので、決済が出来ません。出張などもあって、明日の午前が全員揃うリミットなので、今日は決済のハンコを押す機会が多かったです。そうかぁ、みんなは長期休暇に入るんだ・・・。近い者はカレンダー通りです。

 勤務先から直接お通夜へ。このお家は、先月80歳のご子息の通夜葬儀をし、3日前にその忌明納骨の法事をしたばかり。同じお経が続いていたので、今日はガラッと違うお経を読みました。うまく行ったのですが、「最後に全員で南無阿弥陀仏をお唱えしましょう」と唱え始めた時に咳き込んでしまい、折角のお勤めが・・・。104歳で亡くなったおばあちゃんは、「まだまだですね」と言っているかも知れません。

  
〜 蓮の浮き葉 〜
2024年4月23日(火) 


大往生
 お昼休みで休憩していた時、土曜日に忌明納骨をされた霊位のお母さんが亡くなったという報せがありました。大正10年生まれの数え104歳。これまで亡くなった檀家の方の中では長寿2位タイです。ちなみに、100歳以上18人のうち、男性は2人だけです。

 勤務を早退して、いったん自坊に戻って白木の位牌を書いてから、枕経に伺いました。お戒名は27年前にご主人が亡くなった頃に授与させていただいていました。

 昨日、親族揃っておばあちゃんの施設に見舞いに行かれたそうです。その時は変わった様子もなかったそうなのですが・・・。皆が来たこともわかっているかどうかという状態だったそうですが、ご自分の息子の納骨が済み、皆がやって来てくれたことを気配で感じられたのかも知れません。

 大正・昭和・平成・令和を生き抜いたおばあちゃんの大往生でした。

  
〜 「関山」の花びら 〜
2024年4月22日(月) 


納骨2座
 朝、自坊の門を開けに行く時、小雨の中で何やら嗅いだことのある匂いがしているのに気付きました。「何だろう・・・」と考えて直ぐ、頭上に松の木の花が咲いていることを思い出し、匂いの正体に合点がいきました。いい香りです。

 午前中は、伏見稲荷の近くの市営墓地で納骨。辺りの道は大型バスなどの影響もあって渋滞していました。雨の朝でも渋滞しているのですから、ハイシーズンになったら、近隣の人はさぞかし不自由な生活を強いられるだろうと思いました。ずいぶん離れたコインパーキングまで満車になっていました。

 そこから少し山の方へ入ったところに市営墓地があります。ボクも、以前、この墓地で慰霊法要をしたり、その手配を行ったことがあります。ずいぶん以前に、宗教連盟というところに勤務していたことがあるのですが、「市営墓地」という立場上、ここでの法要は特定の宗教に偏るわけにいかず、神道・仏教・キリスト教・教派神道などで回り持ちして貰っていました。仏教の当番になっても、その中でさらに天台・真言・浄土・禅という各宗派で回り持ちしてもらうため、いろいろな祭祀に立ち会えて、とても興味深かった覚えがあります。

 久々に行った霊園はずいぶん整備されていて、植栽なども大変きれいでした。故人はこの近くに住まれていたことがあって、ご遺族にとっても思い出の場所らしいです。
 ここに檀家の方が納骨されるのは初めてなので、手順がわかりませんでしたが、木魚や印金など考えられる道具をすべて持ち込んで、無事にお勤めすることが出来ました。

 午後は自坊で納骨。ご両親とも亡くなって、残されたのは娘2人。妹のほうが、新しく仏壇を買って両親などの位牌をお祀りしてくれることになりました。ご主人の理解のお陰です。お墓をどうするかは、また今後の話になります。

 夜まで雨は止まず、外作業などはまったく出来ませんでしたが、この雨が木々や野菜の苗などを育ててくれるでしょう。

  
〜 松の花 〜
2024年4月21日(日) 


新緑が清々しい
 境内が若緑に包まれ、今日はお天気もよくて、何とも清々しい季節がやってきました。花は咲き、芽は吹いて、万物が動き出した感がします。訪れる人もまばらなので、そんな空間を満喫できます。

 「今日の散歩道」の写真を撮りましたが、今の境内の様子を1割も伝えることが出来ないと、がっかりしました。やはり、五感を使って感じていただかないと、この素晴らしさは伝わりませんね。

 2時から法事と納骨。亡くなったのは80歳の男性ですが、お母さんがまだご存命です。もちろん、100歳は超えておられます。奥さんはご健在ですが、葬儀や法事のことはご子息が差配されていました。慣れていないこともあって、なかなかすんなりとは進みませんでした。奥さんもご主人任せだったのでしょう。

 今朝になって、大きな塔婆の追加を言ってこられました。あれだけ確認したのになぁ・・・。急いで書いて、ガスレンジで墨を乾かしました。夕方からは雨の予報ですが、乾ききっていない墨は流れてしまいます。ガスレンジの上で6尺塔婆を右に左に動かしている光景は、他のところではまず見られないでしょう。

 参列者が揃わなくて開始が遅れました。終わって親族などは帰られたものの、ご家族だけがしばらく残って何やらされていました。お参りいただいた親族の接待などをしなくていいのかなぁ・・・と、気がかりでした。

 雰囲気も、考え方も、故人に対する想いも、家ごとにかなり違います。どれが正しいということではありませんが、心から故人を偲んでおられるような法事は、こちらもお勤めしていて心が安らぎますね。

  
〜 桜「関山」ともみじの新緑 〜
2024年4月20日(土) 


審査会
 今日は黄砂もほぼなくなったかのようで、琵琶湖対岸の三上山がややぼやけてはいますが、じっかりと見えました。天気は快晴! 新緑が綺麗でした。

 午前中は打ち合わせ。午後は重要な会議でした。

 午後の会議は僧侶の僧位についての会議。条件を満たし申請さえすれば昇級する場合と、自己申告された功績などをもとに審議をする場合があって、合計数百人が候補に上がっていました。前者の審査はすんなりと進みますが、昇級など要らないという人も、もちろんいます。後者は年齢や今の僧位になってからの経過年数、そしてどんな功績があったかを総合的に審査するので、かなり時間が掛かりました。

 各地方の組織の審査を経てから‘中央’に上がってくるので、不合格ということはあまりありませんが、それでも残念ながら昇級を認めないケースもあります。

 結局4時間ほど掛かって、すべての作業を終えました。知っている人が何人も審査に掛かっていましたが、正式に公表されるまでは口チャックです。

 ボクもこうやって審査されてきたんだなぁと思いました。

  
〜 今日は見えた三上山 〜
2024年4月19日(金) 


黄砂に煙る
 今日も普段通り出勤し、午前中は会議。午後もまた会議2つ。たまった用事をなかなか片付けられませんでした。

 窓の外は黄砂で霞み、琵琶湖の対岸が見えません。沖縄は激しい豪雨とか。15日も豪雨だったので、ちょうどその狭間に行ってくることが出来たわけです。行脚できてよかったです。

 日焼けがヒリヒリ、筋肉痛もあり、「行ってきたなぁ」と実感する1日でした。

  
〜 黄砂に煙る琵琶湖対岸の三上山 〜
2024年4月18日(木) 


沖縄戦跡 慰霊行脚
 沖縄2日目。今日が今回の出張の目的の戦争殉難者の慰霊の行脚です。国際通りの牧志駅近くに集合してバス2台に分乗し、まず護国神社にお参りしました。そこからまたバスで白梅の塔まで移動して、塔の前でお勤め。その後、山形の塔 〜 バグナー中将慰霊塔 〜 琉球慰霊碑 〜 ひめゆりの塔 〜 沖縄師範健児の塔 〜 摩摩文仁の丘・黎明の塔 〜 沖縄平和記念堂までの約8キロほどを慰霊行脚をしました。慰霊行脚は今年で20回目になるそうです。

 第二次世界大戦末期、「本土防衛」を目的に日本軍の基地や陣地が沖縄本島や離島に建設されました。日本軍の戦争準備には多くの県民が駆り出されました。そこへ米軍が上陸し、日本軍とアメリカ軍が沖縄本島を中心に激しい戦争をしました。この戦いで多くの兵士が戦死しましたが、一般の住民が戦闘に巻き込まれて貴い命を失いました。その数は約20万人と言われますが、一般住民の犠牲者数は、戦死した兵士の数を大きく上回ります。いまでも地中に埋もれたままの遺骨があったり、不発弾が発見されたりと、沖縄戦は終わりきってはいないようです。

 お天気もよく、汗がダラダラ出るような中、70人くらいの方が行脚されました(車移動の人もおられました)。歩いていても、あちこちに慰霊碑などがあったりして、かつては焦土となってたくさんの方が亡くなった地であることを物語っていました。ひょっとしたら、まだ土の中で眠っておられる方がおられるかも知れないと、心の中で拝み続けながら行脚しました。

 沖縄戦の最激戦地で、最大規模の戦闘があった摩摩文仁の丘からは、きれいな海が見えました。国立沖縄戦没者墓苑や各都道府県の慰霊碑もありました。そこから丘を下った県営平和祈念公園の一角にある平和記念堂で最後のお勤めをして、今回の慰霊行脚を終えました。

 お天気がよかったので、アスファルトの道ではきっと30度を超えていたでしょう。かなり日焼けして、だんだんヒリヒリしてきました。摩摩文仁の丘からの下り坂で足が攣って、しばらく堪えていましたが、なんとか回復して坂を下り、正装に着替えてお堂の中でのお勤めに望みましたが、足はガクガクでした。

 自分からはこういうことに参加することはあまりないので、今回はとてもいい体験をしました。

 自坊に戻ったのは10時半頃でした。それにしても、日焼けが痛い・・・。

  
〜 慰霊碑前での慰霊のお勤め / 沖縄平和祈念堂から見た摩文仁の丘 〜

2024年4月17日(水) 


初 沖縄
 今日と明日行われる沖縄戦跡慰霊行脚の法要などに参加するために、沖縄に出張しました。

 沖縄に行くのは初めて。何となく「蛇がいる」というイメージがあって、出来れば避けたいところでした。

 朝7時にいったん坂本に行って、そこから伊丹空港へ。2時間少しで那覇に着き、そこからレンタカーで沖縄そばのお店に行って並んでから食べ、その後、足の調子の悪い1人をホテルに残して、ボクと随行の職員と2人で首里城に行きました。

 首里城は、ご存知の通り、2019年10月に正殿など主要7棟が火災で焼失し、いまはその復興作業が進められている途中です。作業の様子の一部は透明板越しに見ることができましたが、513本の柱や梁で構成された正殿の骨組みは昨年12月までに組み上がっていました。一応、2026年の復元を目指しているそうですが、まだまだ大変そうでした。

 首里城は広い! それに暑い! 全部は回らずに撤退して、ホテルへの道すがら、「ブルーシール」というアイスクリーム専門店のアイスを食べました!

 その後、今日のメイン行事の法要に出仕しました。法要の後には、沖縄舞踊や民謡の奉納などもありました。

 8時頃にホテルに戻り、明日の具合の悪い人のことを考えて、ホテルから近い沖縄の歌と料理のお店に行き、ちょっと沖縄ムードを味わいました。もう少し時間がはやけれな、もっとドップリと沖縄に浸れたのですが。

 初めての沖縄の初日は、バタバタしているうちに終わりました。

  
〜 首里城の門 / 法要後の沖縄民謡の奉納 〜
2024年4月16日(火) 


沖縄出張の準備
 朝7時から、真如堂本堂での月例のお参りを済ませてから出勤。今朝は空いていたので、着いた時間は普段と変わりませんでした。

 先日来の報告書の精読と取りまとめ作業を続け、ちょっと一段落したので、担当の職員さんに渡して、点検を依頼しました。何人かの目で見たほうが間違いもないし、見落としも防げます。

 3時頃に早退して、自坊で明日からの沖縄出張の準備をしました。沖縄では法要を一座務め、慰霊行脚で8キロほど歩いて拝むそうです。一足早い夏の衣は先に送ってもらっているので、手持ちするのは自分の身の回りの荷物だけですが、雨でも決行ということなので、ずぶ濡れになる可能性もあります。毎日出勤に使うカバンにしようかと思ったのですが、ノートパソコンもあるし、ずぶ濡れになった時の着替えも必要なので、ボストンバッグにしました。充分隙間があるので、お土産も入ります。

 今日は大雨警報と土砂災害警戒情報が出ていた沖縄。初めて行くのですが、きっと蒸し暑いでしょうねぇ。

 さぁ、今夜は早く寝ようっと。

  
〜 夕方の真如堂正面参道 〜
2024年4月15日(月) 


外作業で汗
 今日の法事は11時半からだったので、それまでは存分に外作業。混み合って花が付きにくくなって来た花木の枝を大胆に剪定しました。切った木は粉砕機にかけて細かくし、紫陽花園に撒きました。

 うっかりノコギリの刃が指に当たって負傷。以前は生傷が絶えませんでしたが、最近では久々のことでした。紫陽花の枯れ枝が判別しやすくなってきたので剪定をしたり。鉢物の植え替えもしました。法事が終わってからも気が付いた作業を細々としました。

 睡眠の質や運動量を調べたくて、2月末に中国製のスマートウォッチを買いました。細かいことはほとんど見ていないのですが、睡眠は足りていることがわかりました。じゃぁ、会議中にどうしてあんなに眠たいのでしょう・・・。運動量は、坂本に行っているウイークデイと自坊にいる土日とでは、3割ほど後者が多いことがわかりました。もう少し使い方を勉強すれば、他にも有効なデーターが得られそうです。

 今日の最高気温は27度。お墓で回向していた頃が一番暑く感じました。

  
〜 一気に新緑 〜
2024年4月14日(日) 


ゆったり外作業
 今日は安定した空模様で、にわか雨の心配もなさそうなので、早朝に除草剤を撒布しました。あたたかくなるのと同時に、自坊の参道などにも草が生え、先日から気になっていました。今年初です。

 月参りと法事を終えて、午後からも別の場所に撒布しました。もみじの‘赤ちゃん’も数え切れないほど生えていて、枯らすのはちょっとかわいそうでした。

 この土日はそれぞれ法事が1座ずつで、自由になる時間もあって、外の作業も進みます。やっぱり、草木と向き合う作業は気持ちいいなぁ〜

  
〜 自坊の山芍薬 〜
2024年4月13日(土) 


灯油ストーブを片付ける
 今日は行事も会議もなく、予定は行事の打ち合わせと来客対応のみ。他の時間は先日来続けている報告書の精読と取りまとめ作業をずっとしていました。深く読めば読むほどいろいろな気付きがあるので、時間は掛かっていますがかなり有効です。

 自坊に帰って、灯油ストーブを片付けました。朝や夜にはまだ少し欲しいですし、お湯が沸くのがとても便利だったのですが、買い足した灯油がなくなったので、この冬はこれでオシマイです。灯油も高価になって、このシーズンはいくら灯油に費やしたことでしょう。

 金曜日。今日で今秋の勤務は終わり!

  
〜 出勤時に通る道。桜、琵琶湖、対岸に近江富士 〜
2024年4月12日(金) 


「御修法」結願
 今日も朝から比叡山。4日に始まった「御修法」の結願法要と、お預かりしていた「御衣」をお返しする儀式がありました。

 さすがに山の上は寒く、ようやく山桜が見頃となったくらいで、染井吉野はまだ咲いていません。
 とにかく待ち時間が多く、トイレに行きたくなると困るので、朝から水分は控えて備えました。

 今年は寒さがましだったとはいえ、根本中堂の中は外よりもまだ冷えます。その中で、ご高齢の方々が1週間にわたり朝昼晩の3回のお勤めをされるのは本当に大変なことです。ご苦労さまでした。

 午後しばらくデスクワークをしてから早退きし、午後に届いた蓮根の植え付けをしました。

 注文してから20日ほど経ってやっと届いた蓮根は、思ったよりも小さかったです。生育が悪くて申し訳ないという文章が添えてあり、それを挽回するために5月中旬に肥料を与えてくださいと小袋入りの肥料が付いていました。

 今までと違う花が咲く予定の蓮根。大きく育ってくれますように。

  
〜 「御衣」の入った唐櫃の行列 〜
2024年4月11日(木) 


晴れ渡る
 今日はスカッと晴れ、桜や青空のなんと綺麗なことでしょう! どこにもお花見に行かなくても、職場の自席から覗くだけで、桜も琵琶湖も見えます。昨日の春の嵐でも桜は散りきらずにいてくれました。

 そんなところで、午前中は昨日からの続きで、報告書の精読。取りまとめ作業に入りました。人の人生を左右しかねないことなので、慎重にも慎重を重ねて作業をしました。

 午後からは8人ほどでオンライン会議。コロナの‘おかげ’で、こういうことが一気に進みました。オンラインとはいえ、会議時間中は拘束するので、その手当の支給という制度改正も進みました。

 夕方から比叡山。4日から行われている行事が明日で終わるのに先だっての夕食会。まだ法要期間中なので、食事はお代わり自由のざる蕎麦と揚げたての天ぷら。なんと、ざる蕎麦を3枚食べてしまい、お腹いっぱいです。

 7時過ぎには自坊に戻りましたが、今日は塔婆書きなどは止めて、早々に寝ました。早く寝すぎて、2時頃には目が覚めてしまいました。

  
〜 満開を過ぎた桜と晴れ渡った空 〜
2024年4月10日(水) 


花散らし
 今日はちょっとした春の嵐。風も強く、桜はかなり散りました。

 午前中は会議。案件が多くて、2時間ほど掛かりました。ちゃんと説明を聞いてない人が質問したりしたのですが、それがなければもうちょっと早く終わっていたかも・・・。

 午後はずっと、報告書をマーカーで印を付けたりしながら精読しました。その会議の場にもいたのですが、改めて読み直すといろいろな発見があり、自分もちゃんと聞いていなかったことを痛感しました。気付きがあってよかった!

  
〜 自席の窓からの景色 / 穴太積みと積もった桜の花びら 〜
2024年4月9日(火) 


花まつり
 真如堂の本堂で、お釈迦さまの降誕を祝う「花まつり」の法要を行いました。花まつり以降は「帽子」と呼ばれる「襟巻き」のようなものを着用しないことになっていますが、今朝もそれに合うあたたかさでした。

 今日は「花まつり」に因んで、坂本の勤務先は休庁。宗祖のご命日など、年に何回かそういう日があります。ウイークデイのお休みって、うれしいなぁ〜。

 久しぶりに銀行の通帳の記帳にバイクで出掛けたら、だんだん雨が本降りになってきました。出かける時もちょっとは降っていたのですが、午後から本降りというので油断していました。濡れても寒くはない雨でした。

 午後からはユニクロにも行きました。再来週、沖縄に行くので、夏用のアンダーウェアを買いました。それ以外は、取り立ててほしいものはナシ。

 後は塔婆を書いたりして夕方を迎えると、また雨が本降りになって来ました。石畳が花びらのドット模様になっていました。

 のんびり出来た休日でした。

  
〜 お釈迦さまをまつった「花御堂」 〜
2024年4月8日(月) 


比叡山もあたたかい
 延暦寺御修法のお中日で比叡山へ。御修法の様子を、天皇の勅使が確認されるのだそうです。こちらもそれに随行して根本中堂に入出堂しました。

 今日の比叡山はぜんぜん寒くなく、長袖のアンダーシャツを着ていったら暑いくらいでした。桜はほんのわずかに咲き始めたばかり。京都市内より2週間ほど遅れている感じでした。

 自坊に戻って、お昼からは外回りのいろいろな雑務。こういうのが性に合うなぁ〜

  
〜 御修法の勅使の行列 / 自坊の濡れ縁から 〜
2024年4月7日(日) 


桜満開、人多し
 8時過ぎに境内の様子を見たら、結構たくさんの人がカメラを持ってウロウロしていて、桜の撮影スポットには小さな人だかりが出来ていました。

 時間が経つにつれて人が多くなるのは必至なので、光がまだ充分ではありませんでしたが、「今日の散歩道」の写真を撮りました。

 せっかくお天気がいいので、「今日の散歩道」の更新作業は後回しにして、いただいた鉢植えの紫陽花の定植作業をしました。11月の任期満了が過ぎれば、こういう作業も思いっきり出来ます。紫陽花には、あまり手入れもせずに‘気の毒な’状態でした。

 午後からは「メダカの学校」。今日の講師は鳥居本先生で、本来は服飾史がご専門なのですが、精進料理やお守り、京都観光の著書等を次々に出され、去年の11月には『紫式部と清少納言が語る平安女子のくらし』という本を出されました。ここしばらく、鳥居本先生には新刊が出る度にそれに関連したお話をしていただいていて、今日のメダカも本のタイトルそのままの演題でした。

 平安時代の女性は、なんと大変な生活をされていたのだろうというのが第一印象で、出てくる名前の関係を理解するだけでも大変でした。大河ドラマ「光る君へ」の衣装などの解説も興味深かったです・・・見てはいないのですが。

 すべてが終わってから「今日の散歩道」の更新。夜まで掛かりました。

  
〜 利休梅 〜
2024年4月6日(土) 


能登半島地震の募金寄託
 担当する仕事の一環として、全国の天台宗寺院を通じて行ってきた能登半島地震の募金が、5千6百万円を超えました。4千万円は按分して石川・新潟・富山・福井の各県庁にそれぞれ寄託済みですが、残りのお金もそろそろ寄託する計画です。その寄託先のことで、朝からバタバタ・・・ボクは口で言うだけですが。

 その間、ボクは寺院関係の「事件」の調査の取りまとめ。まだしばらくは掛かりそうです。

 デスクワークをしてパッと顔を上げると、満開の桜が目に飛び込んできます。桜の向こうには琵琶湖が見えます。なんと素晴らしいロケーションの中で仕事をしているのでしょう。職員は、朝出勤したときは窓際に寄って「ワァー!」と眺めていますが、その時だけです。
 開き切ってしまうと何だか凡庸な気がします。染井吉野は特にそう思います。

 少し早めに帰りましたが、また南禅寺の前で渋滞しているようなので、少し大廻りをして帰りました。

 朝はまだ暖房を入れているのですが、灯油がほぼなくなってしまいました。1缶買うと残るので、ガソリンスタンドに行って10リットルだけ買ってきました。お湯がどんどん沸く灯油ストーブは重宝しますが、そろそろ終わりです。

  
〜 坂本の自席から見た窓の風景 〜
2024年4月5日(金) 


延暦寺御修法
 今日から7日間、延暦寺で最も重要な法要とされる「御修法(みしほ)大法」が始まりました。

 ボクたちは出仕するのではなく、天皇陛下の衣装「御衣」を納めた唐櫃を根本中堂に奉安するために、天皇使を先頭とした行列を組んで大書院から根本中堂に向かいました。

 根本中堂の中はほぼ真っ暗。小僧さんの差し出す手燭の明かりを頼りに中陣に座り、御導師の祈願文の読誦が終わった頃に、また天皇師を先頭に退堂しました。

 これからの7日間、天台座主を大阿闍梨に、五箇室門跡の門主らの高僧17人が、「玉体安穏」、「天下泰平」、「万民豊楽」「国土安穏」などが祈願されます。

 比叡山ではこの御修法中に雪が降ることがあるそうで、これが済むまでは冬タイヤのままにしておくそうです。桜はまだ咲いてなく、梅が盛り。根本中堂の中は、やはり冷え込んでいました。

 トイレに行きたくなると困るので、朝から水分を控えて臨みました。

  
〜 根本中堂へ向かう行列 〜
2024年4月4日(木) 


棹飛びの寺
 急に近江八幡の伊崎寺というお寺に行くことになりました。

 午後1時に伺う予定だったので、11時半に出て途中でお昼を食べようということになり、美味しいと評判らしい小さなうどん屋さんに立ち寄りました。満席で、先に食券を買って店員さんに渡し、しばらく待った後にようやく食べることが出来ました。割と細い麺で、コシがあって美味しかったです。

 寺の駐車場に車を止め、雨の山道を900メートル歩いて、ようやくお寺にたどり着きました。

 このお寺は「伊崎の棹飛び」という、毎年8月1日に行われる、水面から6〜7メートルの高さに突き出した棹の突端から琵琶湖へと飛び降りる行事で知られています。

 ボクがこの寺に行くのは50年近くぶりです。高校を卒業した頃、同級生が高校の時に下宿していた寺の住職がこの寺の住職を兼務していた時に、訪れたことがありました。その頃は誰も常住してなく、寺で昼寝をしたり、棹から飛び込んだりしました。もっとも、カナヅチのボクは、棹の真ん中まで行っただけで、引き返しましたが。

 今は住職が常住して整備もキッチリされているので、寺は見違えるようにきれいになっていました。琵琶湖に突き出した棹を見に行きましたが、記憶の中にある棹よりも細かったです。

 1時間半ほどご住職と話をして、また山道を歩いて車のところに戻り、せっかくだからと「たねや」に寄ってバウムクーヘンを買って帰りました。

 今日の仕事はこれでオシマイ!

  
〜 棹飛びの棹 / 棹飛びの風景(Photo by しがトコ) 〜
2024年4月3日(水) 


新年度懇親会
 朝10時から延暦寺の根本中堂行われた法要に出仕。現在行っている根本中堂の大改修に対して寄付をした全国のお寺の名前や金額を記した芳名簿を奉納する法要でした。

 さすがに比叡山はまだ梅の季節で、桜は咲いていません。根本中堂の中は、外よりもずっと寒かったです。

 夜は、3月31日付けで退職した人の慰労会と新年度の決起集会的な懇親会。次々とお酒を注ぎに来てくれるので、食べている時間がほとんどありませんでした。

 2次会はボクの部署のメンバーだけで行きました。女性の意見で、ピザやスイーツが食べられるお店に行き、「まだそんなに食べられるの?」というほど注文して完食しました。

 今夜は坂本の宿舎泊まり。また、寝袋で寝ました。

  
〜 根本中堂のご本尊前での法要 〜
2024年4月2日(火) 


新年度
 今日から新年度。朝一番に異動辞令を手渡すなどの式がありましたが、新しく新入職員はナシ。初任給が安いから、勤めようという人がなかなかいません。

 午前中は原稿書きをして、午後から会議2つと打ち合わせ。割とのんびりした日でした。

 帰りにホームセンターに寄って、蓮鉢に入れる土を買って帰り、段々薄暗くなる中、土作り。もうすぐ新しい蓮根が届くので、しばらく土を馴染ませておきます。

 また、胡瓜の苗も植えました。胡瓜は連作障害で、去年はぜんぜんダメだったので、今年はいろいろと対策をしました。毎日胡瓜が採れるとうれしいのですが・・・。

  
〜 三重塔と枝垂れ桜 〜

2024年4月1日(月) 


黄砂にめげず
 午前中の葬儀は無事に勤めることが出来ました。花粉と黄砂のWンチで喉が不快だったのですが、ちゃんと声が出ました。

 先に予定が入っていた法事を副住職に任せ、ひとりで葬儀を勤めたため、もし声が出なかったら大変でした。やれやれです。

 東山にある火葬場までの道のりは、思ったよりも渋滞していなくて、これもよかったです。ただ、そこから自坊に戻る道は、南禅寺の交差点で詰まっていたため、迂回しました。1週間程前から渋滞するようになりました。仕方ありません。

 午後は気になっていた外作業。坂本の勤務が休みになる日しか出来ないので、雨の降らない土日は貴重です。蓮鉢を置く場所を整備したりしました。黄砂を少しでも吸い込まないようにマスクをしながら力仕事をしたので、結構苦しかったです。

 ちょっと蓮を増やしすぎたかなぁ・・・。

  
〜 この他にも4鉢ある蓮 〜
2024年3月31日(日) 


開花宣言
 春らしい晴天の日となりました。でも、山々は黄砂で霞んでいて、手放しに今日の天気を満喫するわけにはいきません。

 今日は何も予定のない日になるはずでした。ところが、急にご高齢の檀家の方から「今から伺います」と電話がありました。蓮の土を作る作業などをしていたので、僧衣に着替えると間なしにその方はお越しになりました。

 その方が寺に来られるのは20年ぶりくらい。80歳代くらいでしょうか、足の具合がよくなく、生活保護で生活しているという手紙がたまに来ていました。

 お墓の相談かと思いきや、今住んでいるアパートの更新期限が6月に来るけれど、親戚には保証人になるのを断られていて、心配で夜も寝られないということでした。つまり、20年ぶりくらいでお越しになった目的は、はっきりとは言われませんでしたが保証人になって欲しいということでした。
 それに応じるわけにはいかないので、役所の専用窓口に行って相談するように伝えました。

 自分が死んだ後、そのお骨は福祉の方でまとめてどこかへ納められると聞いていると仰ったので、それはちゃんと真如堂に納めると伝えました。お墓は親族がお守りされています。

 久しぶりにお越しになったのでお墓で御回向をし、差し出された御布施はそのままお返ししました。

 お昼を食べて、作業を再開。陶芸をしていた時の粘土を蓮に使うことにして、土作りをしました。

 何もなかったはずの今日、夕方はお通夜の予定が入りました。考えに考えた御戒名は、ご遺族には大変喜んでいただけました。

 70年以上に渡って保育園を経営され、子供に愛情を注ぎ続けられた慈愛に満ちた女性でした。

 ん〜、喉がいがらっぽい。

  
〜 真如堂の染井吉野、今日開花宣言 〜
2024年3月30日(土) 


年度末
 朝まで雨が降っていましたが、パッとあがって、11時頃からは一気に晴天に向かいました。気温もグングンあがって、暑いぐらいでした。

 今日も次の会議に向けての準備をしました。

 今日で令和5年度が実質上終わります。「会計閉鎖をします」などというアナウンスが流れていましたが、ボクには直接関係ありません。

 午後3時頃、今年度をもって退職する人の辞令交付と、全職員による「送り出し」がありました。

 11年間勤めた39才の彼は、今後は自分の寺に帰って寺の仕事に当たります。まだ独身なので、結婚することが最優先だと言っていました。

 新規採用の募集をしていますが、誰も応募してくる人がないそうで、人手薄状態が続きます。ボクから言わせると、宗派の事務所なんかに勤めて、狭い世界で官僚組織ズレしないほうがいいと思います。そんなこと言ってちゃいけないのですが・・・。

 夕方、自坊の枝垂れ桜を見に行ったら、結構咲き始めていました。しばらく好天が続くので、一気に満開になりそうです。

  
〜 夕方の枝垂れ桜 〜
2024年3月29日(金) 


年度末目前
 今日は会議も特別な予定もなく、デスクに頭をぶつけそうなくらい眠くなる瞬間がありました。昨日の会議の記録と、次回の会議に向けての準備をするうちに眠気が飛び、ようやく仕事をしている感じがしてきました。

 今年度も、今日・明日で終わり。今年度は、コロナの影響も少なくなって、ほぼ通常通りの事業が出来たかな? 勤め始めたときがコロナの渦中だったので、「通常」がどんな感じかは知らないのですが。

 2時で早退し、ホームセンターを覗いてから帰りました。

 夕方から雨。明日の朝には上がってくれそうな感じ。ボクにとっては、理想的な雨の降り方です。

  
〜 染井吉野の蕾 / もみじの蕾と新芽 〜
2024年3月28日(木) 


春の観光シーズン
 朝9時半から葬儀。1日葬で繰り上げの初七日もないので、葬儀をして火葬場でのお勤めをして終わりでした。

 式場から火葬場へ向かう道はかなり渋滞していました。二条城の前には入場するための行列が100メートルほども出来ていました。五条阪へ向かう五条通りは大型バスがズラッと並んでいました。ウイークデイでこんなのですから、土日は大変なことになるでしょう・・・桜も咲いていないのに。

 コンビニで昼食を買って、宿舎であたためて食べました。

 その後、新しく導入するグループウエアの説明会。わかったようなわからなかったような・・・。スマホのアプリも入れようとしましたが、アンドロイドのバージョンが低いという表示が出ました。ボクのスマホは5年半下がり。OSはもうバージョンアップしてくれないので、アプリは使えませんでした。

 スマホはLINEぐらいしか使わないので、機種替えは面倒ですし、アプリが必要なのはこの秋の任期切れまでなので、当分はこのままです。

  
〜 アーモンドの花 〜
2024年3月27日(水) 


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