〜 苦沙彌のつれづれ雑記 〜

2024年3月18日(月)
長時間の面接
2024年3月17日(日)
直葬
2024年3月16日(土)
造影剤
2024年3月15日(金)
喉の痛み
2024年3月14日(木)
朝から夕方まで会議
2024年3月13日(水)
イカナゴの釘煮
2024年3月12日(火)
三脚がカクカク
2024年3月11日(月)
東日本大震災 物故者慰霊法要
2024年3月10日(日)
戒名で四苦八苦
2024年3月9日(土)
晴れ時々雪
2024年3月8日(金)
インタビュー動画撮り
2024年3月7日(木)
グループウェアの更新
2024年3月6日(水)
新住職の任命式
2024年3月5日(火)
霧と雪の比叡山
2024年3月4日(月)
ややこしい月曜日
2024年3月3日(日)
去る者は日々に疎し
2024年3月2日(土)
寒い日
2024年3月1日(金)
土筆!
2024年2月29日(木)
色見本
2024年2月28日(水)
友人の葬儀
2024年2月27日(火)
肩凝ったなぁ
2024年2月26日(月)
送別会
2024年2月25日(日)
種を蒔く
2024年2月24日(土)
友の死
2024年2月23日(金)
忙しかったぁ
2024年2月22日(木)
222
2024年2月21日(水)
講師探し
2024年2月20日(火)
寒くないなぁ
2024年2月19日(月)
歌集作り
2024年2月18日(日)
封入作業
2024年2月17日(土)
人生いろいろ
長時間の面接
 午前中、2時間半の面接。受ける方はもちろんくたびれたでしょうが、こちらもくたびれました。

 1時頃に昼食を食べ、少し会議をしてから動画のテスト版を完成させて、自坊に戻りました。どうも、花粉症のようです。咳と鼻が止まりません。

 風が強くて、花粉もいっぱい飛んでいる。体調も万全ではない、そんな時に冬タイヤから夏タイヤに交換しました。作業には慣れてきているので、40分ぐらいで終わりました。冬タイヤはまだ新品同然ですが、坂本に行かなくなったら履き替えることはなくなるでしょうね。まったく役に立つ機会がありませんでした。

 あとは法事の塔婆書き。なかなか進みません。

  
〜 十月桜と月 〜
2024年3月18日(月) 


直葬
 午前中の法事を終えて、2時過ぎに直葬のために火葬場へ行きました。

 亡くなったのは檀家の方には違いないのですが、借金まみれになって実家とも行き来がなくなり、檀家の家は次男が継いで、両親も看取られていました。ボクも亡くなった方やその家族とはまったく面識がなく、何故連絡をしてこられたのかわかりませんでした。

 話を聞くと、亡くなった方は友人の保証人になったり、事業に失敗したりして、息子や実家を継いだ次男などに数千万の返済を肩代わりしてもらったそうです。実家とも数十年没交渉。両親の葬儀にも来られませんでした。

 そういう方がどうして今回連絡をしてきたのか? 葬儀を引き受けた会社が「僧侶が取り仕切る低価格のお葬式」というキャッチフレーズのところで、菩提寺があるなら連絡した方がいいというアドバイスがあったのではないかと思います。

 お金がないので葬儀は出来ないということだったので、では炉前だけでも拝みましょうと、戒名も付けて、御布施はほんの気持ちでいいからと、火葬場での読経になりました。ご遺族とも初対面。場所柄、読経は5分程度。終わってから、ご遺族とお話をしました。

 80歳の奥さんは、「自分は網走の出身で、ツアコンで網走に来たご主人と知り合って、親の反対を押し切って結婚した。やさしい、誰にでも好かれるご主人だった」と泣きながら話してくださいました。

 ご子息と話をしたところ、亡父の御遺骨を実家のお墓に納めたいという希望でした。自坊に戻って、実家を継いだ次男にその旨を話しましたが、予想通り「とんでもない」という答えでした。そう言われても仕方がないことをして来られたのでしょう。忌明のお勤めを寺でして、納骨のことは長い目で考えて貰うことにしました。

 夕方、「僧侶が取り仕切る低価格のお葬式」の会社から、「丁寧に対応していただき有り難うございました」という電話が掛かってきました。葬儀社からそんな電話をもらうのは初めて。当たり前のことをやっただけだけどなぁ。

  
〜 満開の山茱萸 〜
2024年3月17日(日) 


造影剤
 朝8時半に医者に行って、心電図や造影剤を入れたCT、エコーの検査をテンポよくやってもらい、問診で結果も聞いて、10時過ぎには自坊に戻りました。

 最近、かかりつけ医の診察はどうもピントが外れていて、今日の検査も必要あるのかなぁ〜という思いです。外来もだんだん息子に代わっるみたいなので、潮時も近い気がします。

 自坊に帰ってしばらくしたら11時の法事の方が来られたので、少し早く法事をしました。お墓は大阪の霊園にあるようですが、先代の頃からのご縁で、毎年法事をして欲しいとお越しになります。帰り際も、「また来年!」と声を同じくしました。

 終わった頃から、頭痛が始まりました。どうも造影剤の副作用のようですが、3年前にやった時はなんともありませんでした。体調とか、加齢の関係かなぁ。午後からの半分は布団で寝ていました。

 天気もいいし、いろいろやることがあったのに、さっぱりです。
2024年3月16日(土) 


喉の痛み
 朝、真如堂の本堂で、月遅れの涅槃会をお勤めしてから出勤しようとしたら、訃報が入ってその対応をしました。

 千葉にお住まいの92才の方で、昨年からご子息に、いざという時にどうしたらいいかと相談を受けていました。さっそく、これまでに葬儀をお願いしたことのある千葉県のお寺にご依頼をして引き受けていただきましたが、火葬場が混んでいるのと、お彼岸の関係で、ご葬儀は1週間後となりました。京都では考えられないような日取りですが、仕方ありません。

 出勤して少し動画編集をして、午後からはボクの担当部署の実務者の会議。冒頭に挨拶と来年度の方針をお話しした後は、しばらく声を出さないようにしていました。なんとか声は出るのですが、喉に加え、耳の方まで痛くなって来ていたので安静です。最後にまた発言をしましたが、結局2時間半余掛かりました。
 北は福島、南は宮崎県からお越しいただき、オンライン参加も含めての会議で、全員にご発言いただけてよかったです。

 自坊に帰って、ひどくならないか様子をみていましたが、いまのところ悪化はしていません。風邪と花粉の合併症かなぁ〜

  
〜 咲き始めた諸葛菜 〜
2024年3月15日(金) 


朝から夕方まで会議
 今朝も氷が薄く張っていました。

 午前中は、昨日からの「全国知事会」のような会議の続き。ボクが説明する出番は昨日終わっているので、今日は気が楽です。風邪薬を飲んだこともあって、睡魔との戦いでした。

 大きな会議の時に支給される弁当を食べて、午後は能登半島地震の対策会議。現地の住職や現地視察に入った防災士などから状況を聞いて対策を考えましたが、道路事情や宿泊手段など困難な点があって、たくさんの人を現地に送ることはまだ出来ません。とりあえず、2階建てのプレハブを建てて、現場事務所や資材置き場に充てることになりました。

 終わって直ぐに、昨日・今日の会議の反省会。特に問題となるようなことはなかったので、短時間で終わりました。

 会議が続くなぁ〜

  
〜 夕方の正面参道 〜
2024年3月14日(木) 


イカナゴの釘煮
 午後から「全国知事会」のような会議で、新年度の運営などについて説明をしました。各都道府県のお寺を行政的にまとめていただいている方たちなので、実質的な会議です。

 ボクの部署は一番最初に説明が回ってきたので、1時間余、いろいろと説明しました。会議は明日のお昼まで続きます。

 自坊に帰っての夕食は、昨日いただいた「イカナゴの釘煮」! 阪神近辺では春の到来を告げるもので、毎年ニュースにもなります。今年は11日に漁が解禁されましたが、たった1日で終漁になりました。そのため、今年は特に高価で、鯛の3倍するなどとテレビでは言っていました。

 それを芦屋の檀家さんがすぐに買いに行ってご自宅で甘辛く煮て、昨日直接届けてくださいました。夕べはお通夜で遅くなったので、少しだけいただき、今日は晩酌をしながらいただきました。山椒をきかせる独特の味付けで、大変美味しくいただきました。春が来たなぁ〜

 ところが、会議で一所懸命に喋ったのがいけなかったのか、夕食後に喉が痛くなってしまい、うがいをしたり薬を飲んだり。明日は黙って座っていればいいだろうと思いますが、これは困ったなぁ〜

  
〜 イカナゴの釘煮 〜

2024年3月13日(水) 


三脚がカクカク
 今日は午前中に1つ、午後から2つの会議がありました。その間に、動画編集をチョコチョコと進めました。

 動画は難しいですねぇ〜 奧が深い。センスのなさを痛感しますが、機材の善し悪しが大きく影響することも感じます。

 今日はポスターの画像を別録りしました。三脚のクビを動かして、ポスターを上から下までティルトダウンして撮りたかったのですが、三脚の動きがスムーズではなく、カクカクとしか動いてくれません。油を差したりいろいろしてもダメ。今日は断念しました。さて、どうするかなぁ〜

 明日・明後日は大きな会議があるので、続きは来週かなぁ〜

  
〜 自坊近くから見た比叡山と桜 Photo by Y.Y 〜
2024年3月12日(火) 


東日本大震災 物故者慰霊法要
 午前中は、金曜日に撮ったインタビュー動画の編集作業をしました。動画は結構ちゃんと撮れていたので修正の手間は少しで済みそうですが、別録りの動画や静止画をどうやって組み込むか、また新しい挑戦となりそうです。

 午後からは比叡山で東日本大震災の物故者慰霊法要。比叡山はところどころに雪が残っていて、やはり寒かったです。

 思い出すだけでも恐ろしい災害でした。原発のあの災害を忘れたかのように、国は原発復帰を進めています。こんなに地震の多い国なのに・・・。

  
〜 阿弥陀堂の位牌 〜

2024年3月11日(月) 


戒名で四苦八苦
 今日は月参りと法事2座。

 2時から納骨を予定されていた施主が待てども待てども来られません。親戚の方は1時前から来ておられるのに・・・。2時15分頃になって、「2時半頃になります」という電話がようやくあり、実際に着かれたのは40分頃。それからちょっと一服していただいて、開式したのは3時前でした。

 亡くなったのは2年前なのですが、献体をされていて、2月に御遺骨が帰って来られました。ひとり暮らしだったので、姪御さんがいろいろと手配されて今日を迎えました。ご親戚のほとんどは京都市から2時間余かかる丹波に在住で、ほとんどの方がそちらから来られました。

 お墓も4年前に整理され、今日は合祀墓に納骨させていただきました。すべて終わったのは、4時半を過ぎていました。

 それからは、御戒名を考える作業を始めました。故人にふさわしい字の候補をお願いしていたところ、ご家族で相談した結果出てきたのは、「競馬が好き」「忠臣蔵の大ファン」「巨人ファン」「立命館出身」というものでした。いずれも、どうやって戒名に反映させようかというものである上に、お名前も戒名には付けにくい文字。夜遅くまで掛かって、ある程度の考えにたどり着きました。

 先日は若くして亡くなった方が、「ガンダム」が大好きだったというので、それに因んだ戒名を仏教らしく工夫してお付けしたこともありました。

 戒名の付け方にはルールがありますが、それに則ることは大原則ですが、さらには故人のことが彷彿とするような戒名にしたいと考えています。

 あとはご遺族にお示しして、決定です。

  
〜 桜ん坊と椿の花 〜
2024年3月10日(日) 


晴れ時々雪
 寒い日でした。晴れているかと思ったら時雨れてきたり、それが雪になったりを、朝から夕方まで繰り返しました。

 法事の続きに墓前回向に行った時も、傘を持たずにお墓に向かった人が慌てて傘を取りに戻ったり、でも、実際に墓前回向をするときには晴れていたり。そんな繰り返しでした。

 午後からの納骨には、さいたま市から御遺骨を持って来られましたが、御遺骨がかなり重たくて、大変だったと思います。関西の骨壺は直径5寸ほどですが、関東は7寸が主流で、壺自体だけでもかなり重たいので、重量は相当のものになります。

 帰られる時には、「御遺骨を納め、これで身軽になりました。京都に帰りたかいとずっと言っていた母も喜んでいます」と話しておられました。

 法事は2座だけで、今日は時間がゆっくり進んだ気がします。

  
〜 自坊前のレンゲの花 〜
2024年3月9日(土) 


インタビュー動画撮り
お昼から、三十三間堂の東隣の法住寺でインタビュー動画の撮影。住職は書画が得意で、ボクの担当部署の機関誌の表紙やポスターを描いて貰っています。

 亡き先代はボクよりも10歳年上でしたが、宗派を超えた僧侶の会で共に活動した仲間で、とても親しくさせていただいていました。

 そんな頃、現住職はまだ小中学生でしたが、本当に立派になられ、子供の頃から時間があれば絵を描いていたという絵の出来はすばらしく、字も書家の字。それが合わさった今度のポスターは、製作段階から事務所の中でも、印刷会社の中でもとても評判が高かったです。

 動画撮影はカメラの三脚を忘れてきて、机を借りてカメラを載せるという大ハプニングもありましたが、何とか無事に終えられました。彼はボソボソとした話し方でしたが、書画にも僧侶としてのはっきりした意志を感じることができました。

 色絵の朱印を描いておられる場面を別録りしましたが、その手慣れた様子には感動しました。写経を納めたり、護摩木を供えるなどした方にだけ朱印をお分けするというやり方も、本来の姿だと思います。彼の努力の甲斐あって、お参りされる方はますます増えているようでした。

 14年前に63歳で亡くなった先代は、今のお寺や住職のことをきっと心から喜んでおられるでしょう。

 よかった、よかった。

  
〜 インタビュー現場 / 朱印を描く姿 〜
2024年3月8日(金) 


グループウェアの更新
 勤務先のグループウェアを更新するための準備会議が行われました。グループウェアとは、会社内での情報共有やコミュニケーション活性化のために利用されるツールですが、現在使っているものが3月末で使用期限を迎えるに当たって、出退勤なども管理できるものに更新することになりました。

 どういうわけか、ボクはこれらの作業のまとめ役になっていて、実務担当者と打ち合わせをしながら準備をしてきました。今月27日には全職員対象に説明会を行って、4月1日から運用開始。職員のパソコンのリースアップに伴って、出退勤機能も6月から使うことになりました。

 正直なところ、ボクはこういうことの進化に付いていけてなく、またスマホも字が小さくて見にくいので、LINE程度しか使いません。詳しい職員を一本釣りして作業を進めてきましたが、不安だらけながら、ようやく移行出来そうです。きっと、最初は使えない人がいっぱい出てくるんじゃないかなぁ。

 あとは、ずっと原稿書きをしていました。

  
〜 防火用水池の鴨 〜
2024年3月7日(木) 


新住職の任命式
 今日は新住職の任命式で比叡山へ。天気も拝復してきて、琵琶湖が見えてきました。

 夕べから研修を受けていた人たちに、天台座主より新住職の辞令が渡されました。新住職の年齢もお寺の規模も環境も、みなまったく違いますが、多難な時代を乗り越えてお寺を維持発展させて欲しいと思います。

 お昼ご飯を食べて坂本に戻り、あとはデスクワーク。やらなければいけない仕事もありましたが、法事や彼岸の準備が切迫していたので、3時過ぎに早退し、自坊でそれに集中しました。

 やってもやっても、終わらないなぁ・・・。

  
〜 雲が晴れてきました 〜

2024年3月6日(水) 


霧と雪の比叡山
 夜、比叡山で新しく住職なる人の研修会があり、講師として参加しました。

 比叡山から降りてくる車の中には、屋根に雪を載せている車がありました。「下界」は本降りの雨で、それほど寒くはなかったですが、山を登るにつれて周りが白くなり始め、道路も少しシャーベット状になっていきました。おまけに深い霧で、視界はわずかでした。

 今日、研修を受ける人は7人だけ。36歳から90歳までの平均年齢56歳。女性がひとりおられました。

 ボクの話は少しにして、少ない人数なので、これからどういうお寺・僧侶を目指されるのかについて、それぞれお話いただくことにしました。

 皆さん、いろいろな経緯で僧侶になり、今日を迎えられたようです。90歳の方は、僧侶としてやって来られた奥さんが数年前に亡くなり、ご自分が引き継ぐことを決意されたようでした。36歳の尼僧さんは、先代の子供が3人にて、男子もいたものの、自分が継ぐことになったと。他にも、奥さんの実家がお寺で、跡継ぎがなくて自分が継ぐことになったとかで、‘順当に'継ぐという人はわずかでした。

 90歳の方の、これからお寺を盛り立てていきたいという意気込みには感動しました。

 帰り道もすごい霧でした。乗り出すようにして前を確かめながら運転し、ようやく民家の灯りが見えるところまで降りてきた時にはほっとしました。はぁ、緊張したぁ。

 明日も、新住職の任命式で、また比叡山です。

  
〜 会場の窓から 〜
2024年3月5日(火) 


ややこしい月曜日
 今日はとある事件についての調査の会があるので、朝から打ち合わせなどをして、午後からの会に臨みました。

 建物の外には、記者やテレビカメラがたくさん来ていました。最近は、まずマスコミに公表するという手法が多いですね。これ以上は「口チャック」です。

 勤務を終えて、お通夜に行きました。式場は京都市と向日市の間くらい。坂本からなら、名神を使えば35分ぐらいで、自坊から行くよりも早いです。定刻の1時間20分ほど前、遺族よりも早く式場に一番乗りしました。

 かすれ気味ながら、声は出ました。声はまだまだ不安いっぱいですが、無事に終わってほっとしました。

  
〜 自席の窓から 〜
2024年3月4日(月) 


去る者は日々に疎し
 今朝も結氷していましたが、昨日よりもしっかり張っていました。気温はマイナス1度。しばらく外の作業などをしていると、手の指先などが痛くなってきました。

 今日は法事が1座だけ。11時の予定をして、1時間ほど前から暖房などを入れていたのですが、間際になっても誰も来られません。おかしいなぁと思って予定を再確認したら、1時の間違いでした。

 午前中に法事を終えて、午後からは庭仕事と思っていたのに、予定が狂ってしまいました。すぐに外へ出て、庭木の手入れなどを少ししました。

 法事の方は、お仏壇を小さくしたいということで、古い仏像と位牌を処分して欲しいと持って来られました。古いといっても、せいぜい大正の頃のものですが、当主が関係性のわかるのは2代前まで。他の方は名前もわかりませんでした。仏像はテープや紙を貼って補修を積み重ねてこられた痕跡がいっぱいありました。

 他のお家でも、祖父母の世代まではわかっても、その前はまったくわからないということがほとんどです。娘さんなどは親からお祖父さんお祖母さんやその前の世代の話を聞いていることが多いですが、息子はほとんど知りません。自分に当てはめても、そんな話をじっとは聞いていなかったのでしょう。
 「去る者日々に疎し」。意識して記録を残さない限り、家の歴史はどんどん失せていきます。

  
〜 見頃を迎えた玄海つつじ 〜

2024年3月3日(日) 


寒い日
 今朝は薄氷が張っていました。季節は少し逆戻り気味ですね。

 法事の前に「今日の散歩道」の写真を撮りに境内へ行きました。ピンクの馬酔木がよく咲いていて、山茱萸も開花が進んでいました。春に向かっての確実な歩みを感じました。

 11時から法事。参列されたのは98歳の方とその娘さんの2人。「本当に98歳?」と思うほどお元気でしたが、耳が遠いので、娘さんが耳元で大きな声を出して「通訳」されていました。補聴器は使っておられるのですが、時々「ピー」という音がしているだけで、ほとんど役に立っていないようでした。そういう人が多いので、何とかちゃんと聞こえる補聴器を開発して欲しいものです。

 午後は「メダカの学校」。今日は参加者が少なく、講師には大変申し訳ないことでした。

 
〜 ピンクの馬酔木 〜
2024年3月2日(土) 


土筆!
 今日、坂本の事務所は代休でお休み。法事などもないので、どこかへ出かけようかとチラッと思いましたが、休養して、細々としたことを片付けることにしました。

 自坊の周りの剪定をしたり、塔婆を書いたりをちょっとずつやって、結局、夜になりました。こういう日は、だいたい達成感がないものです。

 静岡の友人から、土筆が届きました! 有り難いことに、毎年、頂戴しています。

 クール便を開けて見ると、土筆がどっさり。「これだけ摘んだら、きっと腰が痛くなるだろうなぁ」とまず思いました。

 クール便のお陰で、土筆はシャキッとしていて、ハカマの掃除しやすかったです。土筆ご飯と卵とじにして、夕食にいただきました。外は寒いですが、心は春です!

 
〜 たくさんの土筆 〜
2024年3月1日(金) 


色見本
 午前中に会議があった後は、予定がありませんでした。

 明日は、先月の休日出勤を消化するために事務所が休みとなって3連休となるため、遠方の役員の多くは自坊に戻りました。

 ボクは新しく作ったポスターの色見本が来るのを待って、ゴーサインを出してから早退しました。

 今度のポスターは、絵と字を京都の僧侶が描いたものですが、製作段階からとても好評なので、出来上がりが楽しみです。

 自坊に戻ってからは、彼岸の塔婆書き。ぜんぜん進んでいません。間に合うかなぁ・・・いつもそんなことを言っています。

 
〜 木陰のお地蔵さん 〜
2024年2月29日(木) 


友人の葬儀
 今日は岡山での葬儀に参列しました。

 高校の1年後輩で、寮で一緒に暮らした仲間です。彼は宗派内の‘政治'に関心が深く、岡山の知事のような職を12年勤め、その後も国会議員のような役を10年ほど務めていて、「宗務総長」というトップの座も狙っていました。ボクとは真逆のタイプです。

 朝7時に坂本に行って、そこから役員3人で公用車に乗って岡山市内へ。時間調整をしながらゆっくり行ったので、3時間少し掛かりました。

 式場に着いたら、地元の僧以外は知った顔ばかり。故人と同級生の人たちにも数十年ぶりに会ったりしました。

 故人と同級生で、いまは天台宗の全国知事会長のような仕事をしている人が弔辞を読みました。読む前から、「言葉にならないかも」と行っていましたが、仲の良かった同級生の言葉は涙を誘っていました。

 旧知の友人たちと故人を悼み、出棺を見送って帰路に就きました。

 高速に乗る前に食事を食べ、今度は2時間半ほどで坂本に戻りました。今日はほぼ座りっぱなし。腰が痛いです。

 
〜 パーキングリアの足つぼマッサージ 〜
2024年2月28日(水) 


肩凝ったなぁ
 今日は雪がちらついたり、霰になったり、少し晴れ間が出たりの目まぐるしい空模様。寒かったぁ〜

 午前中は内部の会議を2つ。午後は調べ物と原稿書き。何だか肩が凝ってきたので、少し早退しました。

 夜は塔婆書きなどもせずに、早々に寝てしまいました。早く寝るのって、幸せやなぁ〜
 
〜 自坊前の水仙 〜
2024年2月27日(火) 


送別会
 今日は晴れたり時雨れたりの繰り返しでした。まだ冬の空気のほうが強いようで、結構冷え込みました。

 夜は、36年10ヶ月勤務した職員の送別会。職場の生き字引のような人でした。

 職員の有志と出入りの業者さんの有志も含めて、60数人の宴会となりました。いろいろな趣向が凝らされていて、最後は辞めた職員などからのビデオレターも上映されて、今日の準備に相当の時間を費やしたことが容易に想像できました。楽しい会でした。

 今夜は宿舎泊まり。寝袋で快適に眠れました。

 
〜 一部だけに日が差した琵琶湖 〜
2024年2月26日(月) 


種を蒔く
 夕べの夜中からの雨が、小雨ながら、夜まで止みませんでした。吐く息が白く見えましたが、最低温度は4度。あたたかいのに慣れてきたので、4度でも真冬のように感じました。

 雨の具合を見ながら、畑にほうれん草、水菜、レタスの種を蒔きました。靴底に土がくっ付いて大変でしたが、今日一日の雨が蒔いた種の発芽には好都合です。

 その他の時間は、ちょっと片付けをしたぐらいで、大半の時間は塔婆書きに費やしました。肩凝ったなぁ〜

 今日は丸々お休みでしたが、休んだ気はぜんぜんしませんでした。

 
〜 咲き始めた玄海つつじ 〜
2024年2月25日(日) 


友の死
 今朝は季節が逆戻りしたように冷え込んでいました。京都の西の愛宕山は、頂上近くがうっすら白くなっていました。比叡山はどうだろうと見に行きましたが、こっちは白くなっていませんでした。

 朝、高校の1年後輩が急逝したという連絡が入りました。心不全だったようです。

 高校の寮で寝起きを共にし、最近ボクが坂本に通うようになってからは宗派の要職についていた彼とも月に2度ほどは会っていました。先週あった天台宗の議会では4日間毎日顔を合わせ、議論などもしました。宗派の運営については、ボクよりもずっと詳しかったです。

 先週会ったた時には、少し元気がないなぁと感じました。普段の彼はよく話し、動きもキビキビしていたのですが、先週は覇気もなく、「彼も歳を取ったのかなぁ」と思っていました。

 彼自身にとっても予期せぬ最期だったでしょう。何でもきっちりやる彼でしたから、死期がわかっていれば、いろいろなことを片付けてから最期を迎えたかったに違いありません。

 残念の一言です。

 
〜 朝の愛宕山 〜
2024年2月24日(土) 


忙しかったぁ
 今日は忙しかったぁ

 朝、月参りに行き、その後11時から法事。10時前からお越しになっていたようですが、揃ったのは11時過ぎ。途中で、1時からの法事の方が12時前にお越しになったようですが、お墓などを掃除しながら待っていただきました。

 双方のお参りの方が交錯しましたが、何とか1時には次の法事を始めることができました。参列者が28人と多かったので、いろいろ大変でした。

 大阪・堺でお通夜があるので、念のため3時半過ぎには自坊を出ました。京都市内が渋滞していて、高速に乗るまでに時間が掛かりましたが、高速は順調で5時過ぎには現地に到着。

 式場を下見しましたが、その場で「式場はどこですか?」と尋ねるほど奇妙な設えでした。最近は「何でもあり」なんだなぁと思いました。

 声は60%の出具合で、今日を何とか乗りきりました。

 
〜 もみじの芽 〜
2024年2月23日(金) 


222
 勤務先からの帰りに、ファミリーマートに立ち寄りました。今日は「222」で猫の日。それに因んだスイーツなどが出ているようなので、見に行きました。

 節分の恵方巻きにしろ、バレンタインにしろ、企業などが勝手にリンクづけてイベントにしているだけだと思っていて、「222」も同じなのですが、猫と聞くと・・・。

 猫をあしらったマカロン、まんじゅう、チーズケーキなど数点を買って、夕食後にいただきました。

 テレビでは猫に因んだ番組が幾つも流れていました。生後まもない仔猫にミルクをあげる映像などを見て、「さくらもあんなのだったなぁ〜」と、育てるのに苦労したことなどを思い出しました。

 「222」の今日はさくらを偲ぶ日になりました。

〜 買ってきたお菓子など 〜
2024年2月22日(木) 


講師探し
 午前中は原稿書き、午後は会議でした。

 午後の会議はボクの担当部署のものでしたが、いろいろ議論があって面白かったです。
 特に、秋に開く予定の公開講演会の講師を誰にするかでは、芸能人、スポーツ界、文化人などいろいろな人の名前があがりました。問題は集客力と謝礼。集客力のあるような人たちは、当然謝礼も高いです。どこで折り合いを付けるか・・・。
 とりあえずは多少コネのある人を当たってみるということになりました。

 今週は雨ばっかりで、写真が撮れません。お昼を食べに宿舎に行った時にスマホでパッシャ! あちこち梅の花盛りです。

〜 滋賀院の門と梅 〜
2024年2月21日(水) 


寒くないなぁ
 午前中は会議。午後はいろいろな調べ物をしていました。

 大津もここのところ気温が高く、先週は蕾だった梅が、一気に咲き出しています。このままではあっという間に散っていきそうで、勿体ないです。

 自坊に帰ってからは、昨日の続きの歌集作り。紙を折るのは肩が凝るので、やりたくはありませんが・・・。真ん中でホッチキス留めをして、今日はここまで。明日は端っこを断裁します。

〜 滋賀院前の梅 〜
2024年2月20日(火) 


歌集作り
 今日は自坊に帰って、「メダカの学校」の歌集作りを昨日に引き続いて行いました。

 「メダカの学校」は1時半から写経、2時20分頃から皆で歌を歌って気分を変えてから法話や講演に移ります。歌は、誰でもが歌いやすいように、唱歌や童謡、懐かしい曲などが中心で、歌入りのCDを掛けて一緒に歌います。

 歌集は今までで4〜5冊目くらいで、使うCDの歌手も芹洋子さんなど複数。今度は由紀さおりさんです。合わせるのが難しいかなぁ〜

 CDに付いている歌集は文字が小さいので、両面拡大コピーして、冊子に仕立てます。結構大変な作業だったので、今日は途中までしかできませんでした。

 来月のメダカでご披露したら、きっと皆さん喜んでくださるでしょう。普段歌うのは2曲ぐらいですが、リクエストが続出かも・・・。

〜 慈眼堂の梅と花頭窓 〜
2024年2月19日(月) 


封入作業
 今日は特別な予定がなかったので、数日前までは久しぶりに大文字山に行こうと考えていましたが、昨日の疲れが抜けないので断念しました。

 今日は、朝から夕方まで、お彼岸の案内の発送作業に集中しました。封入物にパターンがいくつかあって作業が複雑なのですが、パソコンのデータベースソフトで発送先を切り分けてあるので、1パターンずつ作業しました。

 一番気を使ったのは、同じものが2枚くっついて入らないようにすることです。A4の紙が1枚余分に入ったら3グラムほど重くなるのですが、たとえば100グラム以内という料金枠の中であったとしても、お正月には投函するものすべてに上乗せ料金を求められました。
 宅配便のメール便のようなものを使って大量に出すと、料金は郵便局の半額程度になります。でも、結局は宅配便が郵便局に委託する形になるみたいで、郵便局のイジメとも思えるような厳しいチェックがあります。その段階でA4が1枚多く入ってしまったようなものが引っかかり、全部に高い料金が課せられました。郵便局はそういうミスが何通あったのかは教えてくれません。

 ということで、封入作業は慎重に行いました。今回はメダカで行うミニライブのチラシが特にくっ付きやすく、ちゃんと1枚だけかを確かめながら封入しました。

 お彼岸までまだまだ日があるので、のんびりと作業をし、明日集荷して貰うところまで終わりました。あとは運を天に任せるしかありません。これからはもっと厳しく、もっと高価になっていくでしょうね。

〜 山茱萸の蕾 〜
2024年2月18日(日) 


人生いろいろ
 今日は納骨の法要が3座、来客もあって、大忙しの1日でした。

 1座目を終え、墓所への納骨は副住職に任せ、ボクは来客の対応。信濃の某寺の住職の一行を隣寺の黒谷・西雲院へお連れし、玄関先で引き合わせてすぐ戻りました。今日しか来られないということでこの時間になりました。引き返して昼食をパパッと食べて、次の納骨。

 3年前にお母さんが亡くなり、昨年末にお兄さんが亡くなったのですが、遺された娘さんはお金がなく、二人とも葬式をせずに火葬しただけ。親戚にも知らせなかったそうです。今日の御布施は千円、墓地の納骨の費用も交渉して「寸志」にして貰い、やっと今日にこぎ着けました。

 当初は娘さん独りの参列の予定だったのが、親戚なども来てくださって8人になりました。両霊とも、亡くなってから回向をして貰うのは初めて。位牌などもお金がなくて作れませんでしたが、親戚の皆さんにも初めてお参りしていただけて、やっとお別れが出来ました。

 最後は、昨年秋に形だけの葬儀をされたままになっていた方の納骨。独居で認知症が進んだ状態だったところへ新興宗教に丸裸にされ、亡くなった時には家も財産も何も残っていなかったそうです。母娘が疎遠で、かろうじて葬儀をやっただけになっていたのを、こちらから連絡して百箇日で納骨となりました。参列は娘さんひとりだけでした。

 何の事情もなく納骨できたのは最初の1座だけ。あとの2座はいろいろ話を伺って、今後のことなども相談するなどに、読経よりも長い時間が掛かりました。さすがにくたびれました。

 何だか、いろいろな人生、最期を見たような気がしました。

〜 胡蝶侘助の蕾 〜

2024年2月17日(土) 


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