〜 苦沙彌のつれづれ雑記 〜

2024年11月23日(土)
10年ぶりの説明
2024年11月22日(金)
失念
2024年11月21日(木)
WiFiの不調
2024年11月20日(水)
やっと更新
2024年11月18日(月)
怒濤のような・・・
2024年11月17日(日)
新しい表札
2024年11月16日(土)
特別展示に模様替え
2024年11月15日(金)
お十夜結願法要
2024年11月14日(木)
お十夜結願前日
2024年11月13日(水)
任期満了
2024年11月12日(火)
最後の○○ばかり
2024年11月11日(月)
撤退準備
2024年11月10日(日)
今日もドタバタ
2024年11月9日(土)
クレジット払い
2024年11月8日(金)
ボイトレ
2024年11月7日(木)
撤収作業
2024年11月6日(水)
退任間近
2024年11月5日(火)
お十夜の開闢法要
2024年11月4日(月)
くたびれた3連休
2024年11月3日(日)
雑事に追われる
2024年11月2日(土)
雨漏り
2024年11月1日(金)
セッティングの変更
2024年10月31日(木)
十月尽
2024年10月30日(水)
部署の送別会
2024年10月29日(火)
アンプを繋ぐ
2024年10月28日(月)
スピーカーの蘇生
2024年10月27日(日)
東京・大正大学
2024年10月26日(土)
長野・上田へ
2024年10月25日(金)
今日も懇親会
2024年10月24日(木)
送別会
2024年10月23日(水)
期待外れ
10年ぶりの説明
 今朝もやっぱりWiFiが不安定。「また同じことの繰り返しか・・・」と落胆しましたが、思い切って中継器の場所を変えることにしました。
 最近トラブっているのは中継器を設置するためにコンセントを新設して貰った場所でしたが、以前、上手くいっていたところに戻すことにしました。結果は上々。結局、中継器と中継器の間に生えている木が電波を邪魔していたようです。これで安定して欲しいなぁ。

 その他は、特段の行事もなかったので、時々本堂や書院に行って、1回ずつ説明をしてみました。実に10年ぶりくらいでしょうか。声は出さない方がいいと医者から言われているので、声を張らず、マイクを使ったりもしました。

 本堂での説明では、安倍晴明に由来する「決定往生之印」の志納金額を言い間違えて、職員さんから注意される一幕もありました。書院では、いろいろな言葉がサッと出て来ず、「立板にとりもち」のような状態でした。

 他にもいろいろありましたが、何とか無事に終わりました。あと2週間はこんな状態でしょう。

  
〜 紅葉越しの三重塔 〜
2024年11月23日(土) 


失念
 昨日からのWiFiの不調を直すのにかなりの時間を要しました。おまけに、ボクの部屋に飛ばしていたWiFiの中継器が壊れてしまい、長〜いLANケーブルでどうにか接続できるようにしました。ネットがないと仕事が出来ません。

 夕方、大学の後輩の女性から、「境内に着いています」とLINEが来ました。「あっ! 忘れていた!」 今日は後輩3人と食事に行く約束をしていたのでした。境内に行ってみると、夕方を狙って写真撮影にくる外国人の中に2人を発見。本坊に招いて、着替えるのを待ってもらい、それから四条のお店で後輩の男性と合流し、楽しい時間を過ごしました。みんな歳取ったなぁ〜

 最近、グループでスケジュールを管理するアプリを使い始めました。いろいろな方向から予定が入ってくるのを管理しないとダメだと思っていた矢先の今日のの予定の失念でした。
 アプリは本坊・吉祥院・プライベートの予定が一目でわかるので便利ですが、入力していなければ何の役にも立ちません。坂本へ行っていた時はそこのスケジュール最優先でしたが、いまは入り乱れているので、こういうアプリが役立ちます。これからは上手に使わなきゃ。

  
〜 今月の予定 〜

2024年11月22日(金) 


WiFiの不調
 朝一番に耳鼻咽喉科。具合は改善せず、かえって悪化している様子にがっくり。ボイストレーニングの先生にも申し訳ないなぁ〜

 昼間は来客とかがありましたが、夕方近くになって、本堂の担当者からWiFiが不調で困っているという連絡がありました。なるほど、中継器がちゃんと働いていませんでした。

 それから延々と設定をし直す作業をしましたが、結局本堂が閉まるまでには解決せず。明日に持ち越しとなってしまいました。順調に行っていたのになぁ・・・。

 ちょっと疲労感が減ってきました。いろいろな疲れが凝り固まっているので、氷解するにはまだもうしばらく掛かりそうです。

  
〜 今日の紅葉(本堂裏) 〜
2024年11月21日(木) 


やっと更新
 朝からどんよりした一日でした。

 午前中は真如堂の会計士さんたちとの打ち合わせ。前職の残した大きな未処理案件があって、なかなか前途多難です。でも、坂本の勤務が終わって、やっと真如堂のことに取り組めるようになった気がしました。

 午後は事務仕事と更新が滞っていた「今日の散歩道」の写真を撮ったり文章を書いたり。「今日の散歩道」はこれまで骨折をして入院しても休んだことがないので、とにかく遅れても更新しました。

  
〜 紅葉はまだこんな感じです 〜
2024年11月20日(水) 


怒濤のような・・・
 もみじも少し色付いてきました。真っ赤に紅葉している木もありますが、まだ色に冴えがありません。これから冷え込んでくれば、澄んだ色になってくるでしょう。見頃は1週間後以降かなぁ〜

 今日は親族の葬儀に一日かかりました。久しぶりに会う人もいて懐かしかったですが、みんなそれ相応に歳を取っておられました。自分もそうですね。

 天台宗の任期満了 + お十夜結願 + 葬儀が集中した怒濤のような5日間でした。腰が・・・。

  
〜 色付いたもみじ 〜
2024年11月18日(月) 


新しい表札
 今日は仕事の引き継ぎで坂本へ。いつもながらの、箸でつまめば全部が持ち上がるようなざる蕎麦を食べた後、新旧役員の顔合わせ、各部署での引き継ぎをしました。これでしばらくは坂本に来ることがなくなります。

 表札を新しいものに替えました。以前の表札は、吉祥院の住職になった時に自分で書いたものですが、何度も失敗してはカンナで削ったので、真ん中が少し凹んでいました。

 今度、真如堂の住職になり、天台宗の役職も辞めたのを機に、知り合いの女性に書いていただきました。木は、ボクと同じく真如堂で生まれ育った杉です。

 「純」の糸偏と「照」の字に伝教大師の筆跡を取り入れてくださったそうで、「内に秘めたエネルギーが溢れ出て、才気煥発な特徴の筆跡」なのだそうです。代々安泰で子孫繁栄するようにという気持ちで書いてくださったそうです。

 早速、玄関の柱に掲げました。以前のものよりも少し大きくて厚く、堂々とした表札になりました。

 さぁ、これでボクも新しい一歩を踏み出します!

  
〜 新しい表札 〜
2024年11月17日(日) 


特別展示に模様替え
 朝、一山総出で「お十夜法要」の片付け。みんな手慣れたもので、段取りよく本堂内を片付けて、外のテントへ。テントは雨で濡れているので、完全には撤収できませんでした。

 ボクは、今日から特別公開をする狩野山雪の『寒山拾得』などの展示作業に掛かりました。掛け軸掛けが見当たらないなどいろいろトラブルもあって、公開は9時を過ぎてしまいました。拝観の方には「先にお庭をご覧ください」と時間稼ぎをして、説明文も掲示して、ようやく展示にこぎ着けました。

 お粥炊き以後、連日のバタバタで腰が痛くって・・・。

 夕方、天台宗で一緒に役員を務めたメンバーが、今夜の12時で正式に任期が切れるのを前にお参りに来てくれました。その後、最後の懇親会へ。思えば、4年間いろいろなことがありましたが、誰ひとり欠けることなく任期を満了することができました。みんな安堵の笑顔でした。

 明日は日曜日ですが、次期役員の任命式があり、業務の引き継ぎに坂本に行きます。それが終われば、次に坂本に行くのはいつになるでしょう・・・1年くらいは行かないかも知れません。ちょっと寂しいなぁ。

 とにかく、腰をやすめて寝ようっと!

  
〜 本堂内の特別展示 〜
2024年11月16日(土) 


お十夜結願法要
 今日は「お十夜」の「結願法要」とご本尊の扉を閉める「御閉帳法要」。ご本尊のすぐ前まで上がってお参りいただく「本尊結縁」もあって、本堂はいろいろ模様替えや表示を替えなければなりません。9時前から「本尊結縁」の行列が出来はじめたので、大急ぎで作業を済ませました。

 スタートしてからも、人の動きを見ながら、いろいろ手直し。想定外の動きをされる方もあって、ドタバタでした。

 本坊の台所も、今日のお手伝い方などのお弁当を作る婦人会の人たちでごった返していました。その奥にボクの居室があるので、その方々の隙間をぬって出入りしました。

 2時から結願法要。その前に、「お練り」に参加する稚児や鞍馬山保育園の園児さんたちとの記念写真。なかなか収拾が付かず、写真屋さんは大わらわされていました。

 折悪しく小雨模様となったので、行列へ境内を練り歩くのではなく、本堂の周りを回るコースに変更。残念でした。

 法要はいろいろなトラブルはあったものの、とにかく終わりました。「南無阿弥陀仏」をソロで10回×3唱え、それに他の僧が続くという‘難所’も、何とか無事に終えることが出来ました。

 最後は5時からの御閉帳法要が一番の見せどころ。真如堂の御本尊の由緒やお十夜法要の謂われなどを独唱します。自分で唱えやすいようにした原稿を唱えましたが、もとより滑舌がよくないので2回ほどつっかえました。それに長い! 歴代の貫主はこれを一気に読んでいたのだなぁと感服しながら何とか読み、最後は「南無阿弥陀仏」を10回。ご本尊の扉を閉めて、これですべての法要を終えました。

 本堂を閉めてから、鉦の講の人たちの御慰労の会。練習を含めて12日間というのはさすがに大変だったと思います。心から御礼申し上げます。

 やれやれ、これで大きな課題を一つクリア出来ました。本当に皆さんのお陰です。

  
〜 本堂回廊を回った「お練り」 〜
2024年11月15日(金) 


お十夜結願前日
 今日は朝イチ、お粥を炊く作業。5時から始めて、5升×4、3升×2釜を炊き、バットで冷ましました。

 そのうち婦人会の方々が15人ほど来てくださって、お粥のパック詰めや鉦講の人たちの弁当作りなどに夕方までご奉仕くださいました。

 本堂の設えや衣の準備などには若い僧たちが来て、慣れた手順で、長時間にわたってやってくれました。

 ボクは職員を指揮したり、あちこちの細かい掲示などを作ったり。後で調べたら、17000歩ほど歩いていました。

 夕方、ちょっとゆっくりしていたら、お十夜にお参りになった他宗の団体が20数名お越しになり、急いで着替えて説明をしたり。お勤めが終わる7時過ぎまでは結局休みナシでした。

 今日の実働は11時間ほど。さすがにくたびれました。

  
〜 炊き上がったお粥 〜
2024年11月14日(木) 


任期満了
 午前中は「お十夜」の準備。一山の僧侶全員で、本堂前にテントを立てたりしました。
 早昼を食べて出勤。今日が最後の出勤です。

 1時に役員全員で天台座主猊下のところへ伺って、退任のご視察をしました。猊下はいろいろなお話が尽きないようでしたが、お疲れになってはいけないと、40分ほどで失礼しました。

 事務所に戻って賞状や書類などを受け取り、2時過ぎから「送り出し」。全職員の前で一言ずつ挨拶をし、担当部署からの花束をそれぞれ貰って、そのまま玄関へ行って、「送り出」されました。ボクはそのまま車に乗って真如堂に戻りましたが、仕事が残っているとまた戻っている人もいました。

 正式な任期は16日までですが、17日に次の担当者に引き継ぎに行くものの、出勤するのはこれで最後です。4年間、自分でもよく勤めたと思います。今日の日が来るのを指折り数えて待っていましたが、いざ来るとさみしいもので、建物の外まで自分の部署のスタッフが送りに来てくれた時には言葉になりませんでした。

 4年間、本当に有り難うございました。

 真如堂に戻ってからは、相変わらず大忙し。夜なべで看板の文字を書いたりしました。これからはこういう生活?が本格的に始まります。

  
〜 いただいた花束 〜
2024年11月13日(水) 


最後の○○ばかり
 内部の会議も今日が最後。午前中は「局議」、天台宗の参務(責任役員)の会議でした。特別な案件も少なく、それぞれが4年間の感想を述べて終わりました。

 午後からは、参務を4年務めた功績で特別な袈裟を着けることの許可状の交付式。吉祥院にある先々代が作った特別な袈裟がこれで着けられます。先々代は宗派の議会の議長などを務めた功績で特別な許可をもらい、袈裟を作ったのでしょう。

 その後は、課長さんたちとの最後の会議。これも特別な議題はありませんでしたが、次期の役員の挨拶回りの日程などについても報告がありました。

 次期役員さんたちは既に宿舎の準備を進めておられます。現役員は今月初めに部屋を明け渡し、今は空いているホテルを転々としています。

 次の役員の予定などを聞いて、他人事のようでもあり、少々さみしい思いもしました。
 会議が終わって真如堂に戻り、スーツに着替えて、京都の門跡寺が開いてくださった慰労の会に出かけました。八坂神社はほぼ外人ばかりでした。

  
〜 咲き始めた菊渓菊 〜
2024年11月12日(火) 


撤退準備
 午前中は職場のデスク回りの整理。引き出しの中はほとんど空になっていますが、デスク上で大きな場所を取っているノートPCに外付けの大型ディスプレイとその台、キーボードなどを取り外し、車に積み込みました。

 残すところは、わずかな周辺機器と最後まで残っているPC内のデータです。これは最後の出勤日である13日に消去します。

 午後からは、お世話になっている高校の先生の家に退任の挨拶に伺いました。話が長いということは想定済みでしたが、伺ってソファーに腰を下ろしてから、先生はずーーーーっと喋りぱなし。それも、禅が外国の誰にどのような影響を与えたかなどという難しい話ばかりで、ほとんど挨拶らしい話が出来ないまま来客のLINEで呼び戻されるまで、聞くことに徹していました。

 坂を汗を掻きながら急いで上がって勤務先へ。ボクの後任者の方が、個人的に会いたいと来てくださっていました。本来ならばボクではなく彼がやるべきこの4年間でしたが、諸般の事情で断られたので、ボクにお鉢が回ってきたようなものでした。ボクも信頼しきっている人なので、大いに期待しています。

 急いで真如堂の寺務所に帰り、寺務員さんと打ち合わせ。15日のお十夜結願法要を控えて、寺務員さんは混乱状態。ボクも任期末と重なって、勤務先にいなければならず、今日もギリギリで帰れました。

 何とかここ数日を乗り切らなきゃ!

  
〜 朝の紅葉。まだ色が冴えません 〜
2024年11月11日(月) 


今日もドタバタ
 今日もいろいろな掲示物を手直ししたり、職員さんにペンキ塗りを指示してその出来具合をチェックしたり。「スグやる課」のボクは、僧衣と作業着を何度も着替えて、ドタバタ走り回っているうちに1日が終わりました。

 しばらく前にクレジット払いが受け付けられるようにしたのですが、いまだに誰も使おうとしませんでした。

 職員さんの中でもクレジットに前向きで勉強熱心な人を選んで、今日から実際に導入。まずはボクが絵葉書を、クレジットのタッチ決済とpaypay払いの2回買うということからスタートしました。タッチ決済は難しいことはなく、paypayは一手間要りますが、慣れれば問題はなさそうでした。

 難しいことではないことを経験して貰い、対応可能なクレジットのマークの入った掲示を出して、いざスタートです。

 ボクもバタバタしていたし、いちいち「どんな具合ですか?」とか聞くのもどうかと思ったので、受付を閉鎖してから、報告を受けました。受付は、拝観受付、朱印、質問に答えるなどをしなければいけないので、まずそれが大変。機械の操作自体は難しくはなかったということでした。

 次は、これを苦手意識のある他の職員さんにどう広げていくかです。まずは、拝観者が多くないウイークデイにやってもらって、「恐くない」と実感して貰うのが先決でしょう。対応出来な日は、クレジットの掲示を出さなければいいだけです。

 紅葉の繁忙期も間近。これからが大変です。

  
〜 石蕗の花 〜
2024年11月10日(日) 


クレジット払い
 今日は坂本はお休み。朝から、真如堂の雑用でバタバタと動き回りました。

 インバウンドの拝観者が増えたので、クレジット払いの機会を導入したのですが、職員さんが怖がって使いたがらず、機械は受付の中に入った状態で掲示も出さず。それはそれで理解できるのですが、いつまでもそういうわけにもいきません。

 今日からはpaypayも使えるようになりましたが、そのためのマニュアルも必要ということで、アルバイトで来てもらっていて、他のところでそういう経験のある人にマニュアルを作ってもらいました。

 でも、まだ誰も実際にやってみたことがなく、先の譲り合いで今日の日を終えました。明日からは本格導入します。

 今朝、お十夜の鉦のことが写真入りで地元紙に載りましたが、何の反応もなし。ちょっとさみしいなぁ。

  
〜 少し色付く楓 〜
2024年11月9日(土) 


ボイトレ
 午前中はボイストレーニング。力を入れずにお腹からの息で声を出すというのがどうやら肝だというのはわかるのですが、頭ではわかっても体がなかなか言うことを聞いてくれません。

 今日も、あくびをしたり、ストローでブクブクしたり・・・狙いは重々わかっているのですが、女性訓練員のご期待に添えず申し訳ないです。仕事とはいえ、根気よくやってくださって深謝です。

 午後から出勤。いま、スタッフ3人が高校生たちのスタディーツアーでタイへ行っているので、ボクの部署はガラガラ。残った女性たちは御菓子が好きなので、栗蒸し羊羹を買って行きました。昼食後直ぐだったのですが、今すぐに食べるということで、ボクもお付き合い。控えめな甘さが美味しかったです。

 任期切れまで8日となって、いろいろなものを片付け、仕事らしい仕事もないので、手持ち無沙汰です。時間が勿体ないので、真如堂の仕事をするために、3時頃には退庁しました。

 真如堂のほうはやることだらけ。任期が切れても暇になりそうにはありません。

  
〜 本堂前の回向柱 〜
2024年11月8日(金) 


撤収作業
 朝9時過ぎに延暦寺と最後の会議。4年間、いろいろなことを一緒にやってきましたが、ボクたちはこれで最後。彼らはこれから一生、延暦寺を支えていかなければいけないので大変です。

 午後からは辞令の授与式。授与式に出られなかった5人の方に辞令をお渡ししました。
 その他は片付けモード。要らない書類はほぼ処分して、デスクの中はほぼ空になりました。パソコンの中身もほぼ整理しましたが、もうしばらくは使うので、完全にはできません。持ち込んだディスプレイも、ギリギリまで置いておくつもりです。13日に総ざらえしようかなぁ。

 今夜も十夜鉦に随喜。ただじっとしていても勿体ないので、途中で抜けて仕事をしていました。細々としたことがあまりにも多いです。

  
〜 滋賀院裏の皇帝ダリア 〜
2024年11月7日(木) 


退任間近
 午前中は昨日の会議の続き。午後一、ズームで会議をして、それから退任前の記念写真を撮りました。

 まず全体で1枚撮り、その後各部署毎に1枚。慌ただしく撮られたけれど、どんな顔に写っているかなぁ・・・。

 デスク周りにある私物の撤去を始めていて、机の引き出しの中もかなりなくなりました。パソコの私的データなども、抜き取り始めました。大きなディスプレイなどは13日に持ち帰ります。

 さみしい気持ちはほとんどなく、やっとこれで解放されるなぁという感じです。

 4時前に早退して真如堂へ。少し打ち合わせをしてから、「お十夜」の鉦のお勤めに同席しました。

 まだ、いろいろ試行錯誤のところがあって、鉦が揃わなかったり、鉦を打つ撞木を調整したり。だんだんよくなります。

  
〜 色付いた千両 〜
2024年11月6日(水) 


お十夜の開闢法要
 今日・明日は、全国知事会のような会議で、全国30のブロック長にお集まりいただいて、いろいろな協議や説明、情報交換などをしました。

 それに先だって、午前中は「局議」という内部の会議。局議もあと1回を残すのみとなりました。今日の会議の打ち合わせはすべて終わっているので、それ以外の検討事項などを話し合いました。

 全国知事会のような会議では、ボクの部署に1時間ほどが割り当てられていたのですが、全体的に出来るだけ短くしようということで、要点だけを説明しました。併せて、この4年間のことを振り返り、今後、各地で活動の発展するようお願いしました。

 夕方まである会議を中座して、4時過ぎには本坊へ。5時からは「お十夜」の開闢法要が営まれます。十夜鉦は3日から練習されていたので、うまくいくでしょう。法要もさほど難しいものではありませんが、問題はボクの声が続くかどうかです。

 法要の最後に、お参りの方のほうを向いて、「南無阿弥陀仏」を正面・右・左と合計30回、大きな声でまずはソロで唱えなければなりません。ボイストレーニングで、体の力を抜くように指導されているので、まずは気持ち的に脱力。いよいよ本番となり、一度喉が引っ掛かりそうになりましたが、何とかクリア。無事に終えることができました。

 終わってから、鉦の講の方々と懇親会をして、今日の行事は終わり。

 今日中に原稿をWEB印刷に送らなければいけなかったので、それから夜なべ作業。今日はほんまに疲れたなぁ〜

  
〜 ほととぎずの花 〜
2024年11月5日(火) 


くたびれた3連休
 今日も朝からドタバタ。本堂の御簾の修善を5人掛かりでやりましたが、高所で大きいのに手こずり、お参りの方がお越しになっても、まだ終わりませんでした。

 続いて、拝観受付の掃除。いろいろな張り紙があってゴチャゴチャしていたのを全部剥がし、ガラス戸を外してセロテープ跡を掃除しました。この掃除には2人がかりで夕方まで掛かりました。

 ボクは外回りの看板などの更新作業。これもあちこちの看板などをすべて更新する予定です。まだまだ掛かります。

 夜は「お十夜」の鉦の練習の張り番。その間に、いろいろなところを整理しました。

 動き回ってくたびれた3連休でした。

  
〜 真っ赤になった花水木 〜
2024年11月4日(月) 


雑事に追われる
 夕べも今朝も星がきれいでした。空気が澄み切って来たのでしょうね。

 今日も一日中、雑事に追われました。坂本の勤務が休みの日でないと、昼間に動くことが出来ないので、どんどん雑事が溜まっていきます・・・というよりは、「ここをこうして、あそこをこうして」というように自分から作り出しているのですが・・・。

 何をやっていたら覚えていられないくらい、いろいろやって、夕方を迎えました。職員の人も、ボクのこういう多動さに慣れてきたのか、もう何も言われなくなりました。

 5日から「お十夜」が始まります。その本番を控えて、鉦の講の方々のが今夜から練習を始められました。これから15日までの毎晩、皆さんが集まって鉦を叩いて念仏を唱えられます。ボクも所用がない限り、立ち会います。

 中高生の拝観料を値下げすることを急遽決め、夜になって掲示などを手直しする作業に追われました。
 前職の時から、秋の特別拝観の拝観料は1000円になっていました。それも高いとは思うのですが、高校生も同料金で、中学生は900円でした。いくら何でもそれは高いと思い、夕べの懇親会で職員さんたちに言ってみましたが、ほとんど反応がありませんでした。

 他の社寺などの特別拝観料を調べてみましたが、そんな料金は他にはありません。夕方、執事に中高生にお寺や文化財に触れて貰うために拝観料を500円に値下げをすることを告げ、夜なべで掲示の作り直しをしました。職員さんは明朝ビックリするでしょう。

 そんなことをしているから仕事が増えるのですね。まぁ、これがボクのスタイルです。

  
〜 無患子(むくろじ)の黄葉 〜
2024年11月3日(日) 


雨漏り
 夕べから、断続的にやや強い雨が降っていました。

 雨が降ると心配なのは、本坊の雨漏り。特に、台所と大玄関の雨漏りは就任した時から聞いていて、瓦屋さんと大工さんに見てもらいましたが、はっきりした原因がわかりませんでした。

 大玄関の雨漏り箇所の下には、絵を描いた大きな衝立が置いてあり、雨が降る度に濡れない場所に移動していました。瓦屋さんがわからないというのでは打つ手がないので、せめて衝立の上に漏れた水が落ちないようにと、天井裏にブルーシートを張る計画で、ずいぶん前にシートも買ってありました。

 雨は午後からひどくなる予想だったので、「今日やるしかない」と決意して、ブルーシートや投光器を持って屋根裏に上がりました。昔の建物なので、大きな部材を越えて現場にたどり着き、雨漏り跡のある場所付近にブルーシートを張って、万が一漏っても、雨水が少し離れたところに落ちるように手当てしました。根本的な解決ではないですが、とりあえずこれでOK!

 ちょうど大工さんが別の用事で来られたので、台所の雨漏り箇所をもう一度点検してもらって、原因箇所をほぼ特定することが出来ました。紅葉シーズンが終わったら、工事に取り掛かってもらいます。大工さんには、他の修善箇所も見て貰いました。そんなところばっかりです。

 昼下がりの雨が強くなった頃、午前中は一つだった台所の雨漏り場所のバケツが4つに増えていました。

 夜は職員の懇親会。就任して2ヶ月経ち、紅葉シーズンがやってくる前に、一度職員さんたちとコミュニケーションをしておきたかったのです。職員さんや執事さんなど15人ほどで、街中華を食べて懇親を深めながら、意外なほど真剣にいろいろなことを話し合いました。いい時間でした。

  
〜 強い雨の降る時の溝 〜

2024年11月2日(土) 


セッティングの変更
 11月を迎え、午前中は、一山の僧侶総出で本堂の設えの変更。「引声阿弥陀経会」の荘厳から、「十日十夜別時念仏会(おじゅうや)」用のセッティングに変更しました。

 結構大変な作業で、3時間ほど掛かりました。また、「観経曼荼羅」を吊るし、今日から秋の特別公開を始めました。

 終わりかけた頃、本堂の一部分の照明やコンセントに電気が通じていないことが判明。あちこち調べたり、ブレーカーを上げ下げしたりしてみましたがダメ。結局、電気屋さんに連絡しました。

 昼までに出勤するつもりが、1時半頃にようやく出勤できました。大した仕事はないのですが、ズボラするわけにもいかず、デスク周りの整理をしたりして定時に帰りました。
 本降りの雨です。夜中も時々雨音で目が覚めました。

  
〜 引声塔の撤収作業 〜
2024年11月1日(金) 


十月尽
 朝から、勤務先の自分のデスク周りの整理を始めました。今日で10月も終わり。来月16日で任期満了ですが、13日には‘送り出し’があり、それまでも連休などがあって、実質的に出勤するのは7日ほどしかありません。

 大した私物はなく、大きいものはサブモニターですが、これは直前まで置いておきます。紙袋にササッと入れて、作業はほぼ終了しました。

 10時半頃、比叡山に向けて出発し、全国の檀信徒の研修会の閉会式に出席しました。参加者の皆さん、お疲れさまでした。

 担当部署の動きが悪く、いろいろなトラブルがありました。参加者に迷惑を掛けていなければいいのですが・・・。

 下山して、しばらく仕事をしました。

 今日が、次期宗務総長の選挙結果の確定日。無投票で決まり、次期総長が当選証書を受け取りに来られました。これから職員はその迎え入れ態勢に入ります。

 夕べの疲れが出てきたので、少し早めに退勤し、真如堂本坊に行きましたが、職員さんからいろいろ質問があり、それに答えたり、仕事の指示を出したりしました。ボクが現場にいれば一緒にやるのですが・・・。

 夜、本坊で寝泊まりするようになって初めて、湯船でお風呂に入りました。湯沸かしがちゃんと作動してくれ、いい湯でした。

  
〜 研修会の閉会式 〜
2024年10月31日(木) 


部署の送別会
 午前中、吉祥院の新住職に住職の辞令が交付されました。全国から集まった13人の新住職それぞれに天台座主様より辞令が手渡され、これで晴れて名実共に住職です。

 まだ駆け出し中の駆け出しですから、これからいろいろ大変なことも待ち受けていますし、また嬉しいこともたくさんあるでしょう。とにかく健康に気をつけて、人のために頑張って欲しいです。ボクもやれやれです。

 お昼休みに、4年間使ってきた宿舎の荷物を引き払いました。荷物といっても段ボール箱一つ。ものの10分で作業は終わりました。お昼を食べに帰った時に休憩するだけで、泊まったのは5回もないでしょうけれど、お世話になりました。

 午後からは比叡山で、全国から集まった檀家の方々の研修会の開会式に出席しました。ご遠方からよくご参加くださいました。1泊2日、比叡山を‘体感’してください。

 そのまま自分の車で自坊に戻り、ボクの部署の送別会の準備。今夜は本坊のボクの居住スペースで、スタッフを招いての送別会です。
 自分の送別会を自分のところでするのも変ですが、皆が真如堂に来たいと言ってくれたので、居室の応接ですることにしました。

 まずは注文してあったオードブルを取りに行ったのですが、先方の手違いでまだ出来てなく、後発のスタッフに取りに行って貰いました。
 「肉が食べたい」という女性スタッフの希望で、焼肉もすることになり、肉は塔頭の副住職でもあるスタッフの奥さんが買いに行ってくれました。玉ねぎなどはボクがスーパーで買ってきて切りました。準備は万端です。

 まず、皆にプチ・ライトアップした「涅槃の庭」を見て貰いました。それから総掛かりで宴会の準備をして、スパークリングワインで乾杯! 長い人では4年、短い人で2年、どうしようもないボクの部署で働いてくれました。感謝しかありません。

 皆の食欲は凄まじく、オードブルやサラダはあっという間になくなりました。肉はかなりの量があったので食べきれませんでしたが、塔頭の副住職が持って帰ってくれることになりました。

 一度リセットして、スイーツタイム。買ってきてくれたアイスクリームを食べながら、蘇生中のオーディオセットで‘JAZZ喫茶’タイム。仕事の後の宴会だったので、みんなで音楽を聞きながら‘まったりした’時間を過ごしました。

 皆から、送別の記念品を貰いました。一つはボクが希望した植木バサミ。その他に、仕立券付きの作務衣、ぐっすり眠れるというパジャマを貰いました。ずいぶん出費をさせてしまいました。重ね重ね感謝です。

 気が付けばもう12時前。大津から来たスタッフをタクシーに乗せて見送り、塔頭の副住職も帰り、後の片付けは明日にして、早々に床に就きました。

 有り難さが身に染みた送別会でした。

  
〜 今日の琵琶湖 〜
2024年10月30日(水) 


アンプを繋ぐ
 午前中も午後も会議。新幹線によく乗ったからか、腰も肩も首も凝っています。

 夜、蘇生中のスピーカーをアンプに繋ぎました。スピーカーのエッジは本当に柔らかくなりました。ブレーキオイルが役に立つことを見つけた人はすごいなぁ〜

 アンプは1975年に発売された「SANSUI」製で、たぶん1990年過ぎ頃に中古を買い求めましたが、会社は10年前に倒産しました。CDプレーヤーはDENNO製。昔「デンオン」と称していました。

 すべてを繋いでスイッチON! 鳴った、鳴った!

 すべての機械やパーツが劣化している中、音が出るということ自体が素晴らしい! よくぞ耐えしのいでくれたものです。

 まだ、レコード・プレーヤーとFMチューナーを繋がなければなりません。プレーヤーのカートリッジが不安ですが、これはダメなら買い換えられます。

 自作の真空管アンプと大型スピーカー1対もあります。これからはガンガン鳴らして、活躍して貰いましょう!

 夜長を楽しむにはいいけれど、そんなことばかりしていられませんねぇ。

  
〜 とりあえず試聴 〜
2024年10月29日(火) 


スピーカーの蘇生
 今日は疲れがたまっていて、急ぎの仕事もなかったので、11時半頃に早退。昼食を食べて、本坊に行って部屋の片付け。ゆっくり出来ない性分はどうしようないです。

 先日がっかりしたスピーカーの蘇生を図りました。スピーカーの固くなったエッジにブレーキオイルを塗って軟化させて動きやすくするという荒療治。半信半疑でしたが、ダメ元でやってみました。

 掃除を終え、夕食を済ませて夜も更けてきた頃に音出し。「おお!」。確実に音が変わりました! 音の輪郭がはっきりしてメリハリが出てきました。ネットでは2日ほどしてから効果が現れるとか、やっても意味がないとか、いろいろな書き込みがありましたが、ボクの場合ははっきりと効果がありました。

 今は畳の上に置いていますが、固い物の上に載せれば低温ももっと締まってくるでしょう。これで同じく古物同然となったアンプなどに繋いでみる楽しみが出てきました。

 もう一度オーディオや音楽を楽しむ時が来るなんて思ってもいなかったなぁ〜 これだけは降って湧いたような出来事のよかった点です。

  
〜 スピーカー、現役復帰か?  〜

2024年10月28日(月) 


東京・大正大学
 夕べはお腹が苦しくなることもなく、朝までよく眠れました。後から聞いた話では、そのラーメン店では「小」が一般的なラーメンの量なのだとか。大盛り並のラーメンを食べてしまったということですね。

 10時に出発なので、朝はゆっくり。少し散歩をしましたが何もなく、すぐにホテルにも戻りました。

 タクシーで今日の会場の大正大学まで行き、開会まで特別な用事もないので、ブラブラ。大正大学は、浄土宗、天台宗、真言宗豊山派、真言宗智山派、時宗の四宗五派で運営する仏教系の私学で、天台宗のことを専門的に学べるのは此処と坂本の叡山学院しかありません。大きい大学ではないので、ザッと見通せる感じのキャンパスでした。

 今日はここを会場として、東京ブロックの催しが行われ、講演や分科会が開かれます。講演は舞の海さんで、先に東京が決まっていたのを、京都が真似た形になりました。講演の会場が広すぎてちょっとガラガラという感じで、舞の海さんの‘ノリ’も京都のほうがよかったです。

 ボクは開会式で来賓の挨拶をしたら、それでお役御免。あとは分科会に出たり、会場で販売されていたフェアトレードのケニアのフェルト細工を買ったりして過ごしました。

 終わった後、東京ブロック主催の慰労会に招かれて、中華料理店へ。この出張は胃にも過酷でした。

 中途退席をして東京駅へ向かいましたが、山手線が止まっていたため、新幹線を1時間遅らせる乗変をしましたが、その途端に動き出し、結局東京駅で1時間待つことになりました。職場も、早くEXカードを導入しないといけませんが、何度言っても改善されません。

 真如堂に着いたのは11時40分頃。2日間、本当にくたびれました。

 これで出張の予定はすべて終了しました。4年間の任期中の前半は、コロナのために出張はありませんでしたが、後半はあちこち行って見聞を広めることが出来ました。もともとは出不精でしたが、長時間移動も案外苦にならず、いろいろなお寺を見られたことがとてもよかったです。

 もっとも、荷物を持ったり、すべての手配をしてくれる係が随行してくれたので、安心で楽チンでした。たったひとりなら、もっと気疲れしていたでしょう。感謝、感謝です。

 任期は11月16日。それまでに一つ一つ終わっていきます。

  
〜 大正大学のキャンパス 〜
2024年10月27日(日) 


長野・上田へ
 朝6時半にタクシーを呼んで京都駅へ。今日は長野県上田市で行われるイベントへ出張です。

 新幹線を乗り継いで上田に向かいましたが、車窓から見る軽井沢は広い駐車場がたくさんあり、乗客もドッと降りました。若い人向けのお店もいっぱいあるのでしょうね。

 上田駅は真田の六文銭の幟などがたくさん立っていました。今日伺うお寺はその真田氏が本拠地とした地域にある、行基菩薩が開基という実相院。どっしりした本堂、崖の上に建つ観音堂などが田園風景の中に遠くからも見えました。

 スタッフとして来ていた旧友に30年ぶりくらいで再会。記念写真も撮りました。他に、数十年ぶりという人にも再会しました。地方出張はこういうサプライズがあるので嬉しいです。

 20分ほどの挨拶をさせていただき、その後は若い研究者による伝教大師のお話。檀家の方々が多いようなので、難しいかなぁと思いましたが、皆さん一所懸命に聞いておられました。

 また上田駅に戻り、新幹線で東京へ。山手線を反対回りに乗り間違えて、乗り直し。池袋のホテルへチェックインして、近くの居酒屋で夕食。随行の人がラーメンを食べたがっていたので、ボクも一緒に食べました。かなり量が多かったので、夜中にお腹が痛くならないかなぁ・・・。

 今日は車中でよく寝ました。最近、行事が多くてくたびれ気味です。
2024年10月26日(土) 


今日も懇親会
 午前中は比叡山で、住職を30年、50年お勤めになった方の表彰式。副住職から計算するので、30年はボクも貰いました。でも、50年というのは長くて、さぞかしいろいろなことがあっただろうと思います。ご苦労さまでした。

 昼食会があった後、場所を変えて、延暦寺執行部との会議。いろいろな議題について話し合いましたが、おそらくこれが最後でしょう。

 坂本に降りてしばらく休憩。その後、浜大津の中華料理店で延暦寺執行部との懇親会。送別会かな? 自分の車で行って、お酒を飲まずに、そのまま帰りました。

 今日は飲みませんでしたが、2日連続は疲れるなぁ。

  
〜 眉刷毛万年青 〜
2024年10月25日(金) 


送別会
 朝、インフルエンザの職場接種。早過ぎないのかなぁ。ちょっと痛かったです。

 夜は職場全体の送別会が、60人くらいの参加で開かれました。

 退任する7人が一言ずつ挨拶して、宴会のスタート。最初ちょっとだけ箸を付けたものの、次々とお酌に来てくれるので食べてる時間がなく、目の前はお皿だらけになりました。

 4年間、濃いお付き合いをした人もいますし、喋るのは今日が初めてという人もいました。みんなよく仕事をしてくれたと感謝しています。右も左もわからないボクを、よく我慢してここまで保たせてくれたと思います。

 次々と聞かれたのは「しょうぐうさんブログ」のこと。ボクは趣味のように毎日更新してきましたが、後任はやらないでしょうからどうするのか? 当然そのことも考えていたので、「これから展開がありますから」とあと2週間余で何かが変わることを予告しておきました。
 辞めたら、真如堂のSNSを頑張らないといけません。

 2次会は、ボクの部署だけで恒例のスイーツ。みんなよく食べて飲むなぁ〜。ボクは先日ケーキとおはぎを食べて懲りたので、シフォンケーキとエスプレッソにしておきました。

 閉店までいて、今日は解散。次は部署だけの送別会です。

  
〜 滋賀院の秋明菊 〜
2024年10月24日(木) 


期待外れ
 朝まで小雨が残っていましたが、その後は一気に天気が回復し、最高気温は30.2度。10月も下旬だというのに・・・。少し歩いただけでも暑かったです。

 週末に上田で短い講演、東京で来賓挨拶をするので、今日は原稿書き。ほとんど出来上がっていたのに修正を加え、一応完成しました。後は新幹線の中で最終校正です。

 夕方、昨日久々に聞いて刺激を受けたコンポを引っ越しすることにしました。16年前に吉祥院の住職になった時も、コンポは新住職一家が住む別棟に置いたままで、スイッチを入れることもありませんでした。

 アンプ、プレーヤー、CDプレーヤーなど、すべて思い入れのあるもので、自作の大きなスピーカーや真空管アンプもあります。今日は自作スピーカー以外を軽トラックに載せて移動しました。

 昨日のコンポとは比べものにならない大きさのスピーカーから、どんな音が出てくるのかスイッチを入れるまで期待で胸を膨らませていましたが、とことんガッカリしました。昨日のミニコンポに繋いだので、音の問題はスピーカーが原因です。輪郭のはっきりせず、低音などもまったく出ていませんでした。

 調べてみたら、スピーカーは48年前に発売が開始されたもの。1台53000円でした。当時人気のあった機種で、欲しかったですが買えませんでした。30年程前、知り合いから有償で譲り受けた時は、とてもうれしかったのを覚えています。きっといい音が出るに違いないと思っていたのに・・・。

 調べてみたら、中古が結構売っていましたが、その価格たるやペアで数千円。なんと・・・。捨てるのにお金を掛けるぐらいなら、ただでもいいから引き取って貰おうという値段です。

 当たり前ですが、スピーカーは劣化するのですね。動くエッジの部分が硬化して、特に低音などが出にくくなるようで、それを修理する業者や自分でやってみる方法もネットには載っていまいした。そうだったのかぁ、50年前のものだから、仕方ないですね。とりあえず、時間がある時にエッジの再生にチャレンジしてみます。

 今日は‘JAZZ喫茶’を楽しむことが出来ず残念。気が付けば、いつもよりずいぶん遅い時間になっていました。

  
〜 職場のデスクから見た琵琶湖 〜
2024年10月23日(水) 


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