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2017年9月の日記

大文字山へ
 お天気もよく、爽やかな秋晴! 久々に大文字山に行くことにしました。

 新しい靴で近隣を何回も歩きましたが、‘山’は初めて。ダメだったら途中で帰らざるを得ませんが、そんな心配よりも大文字山から晴れ渡った京都を俯瞰したいという気持ちが先行しました。

 バイクで5分あまりで鹿ヶ谷の登山道の入り口に着き、すぐに登り始めました。何年ぶりかの大文字ですが、以前たくさんあったナラ枯れで伐採された木々などはすっかりなくなり、ずいぶん手が入った印象です。

 道にはクヌギの実などが落ちていたので、一つ拾い、また一つ。栗もありましたが、イガが付いていたので止めました。
 野生の竜胆が咲いていないか探しましたが、姿は見えず。もしあっても、株ごと盗られてしまっているでしょうから、もう見られないでしょうねぇ。

 30分足らずで「大」の火床へ。大声で喋っている人がいてうるさかったので、弘法大師の祠にお参りして、すぐに「大」の天辺に行きました。

 青空の絶景を期待していたのですが、ちょっと霞んでいます。残念・・・。お茶を飲み、持参したチョコを食べました。

 帰りは、「大」の横棒の左から銀閣寺へ降りるメインルートを歩き、千人塚から「大」の字の下を通って、来た道に戻りました。

 また、クヌギの実をメインに拾い集め、ポケットはいっぱい。団栗を見ると拾う癖はまったく変わっていませんねぇ。

 途中でガサガサという音がしたので、大きな鳥が飛び立ったのかと思って見ると、鹿。大きくない3頭が、浅い谷の向こうの斜面を走り去っていきました。大文字に来ると、かなりの確率で鹿を見ます。

 登りの時はそれほどでもなかったのですが、下りは靴に違和感が出て、少し攣るような感じもしました。まぁ何とか歩いて、あっという間にバイクのところへ戻りました。家を出てから帰るまで、1時間余り。楽しい散策でした。


 帰って、またお墓探索。今日は江戸時代の御公家さんのお墓がメインです。1軒のお家だけで60基ほどのお墓があります。墓碑銘も読みづらくなってきていますし、そのお家が代替わりすると、お墓の所在がわからなくなってしまうでしょう。

 お墓のマップと過去帳のコピーをクリップボードに付け、筆記用具にカメラ、メガネ、小さなライトなどを持ってお墓へ。表を見たり裏へ回ったり、しゃがみこんだり写真を撮ったりしながら、一つ一つどの戒名のお墓がどこにあるかを特定して回りました。

 35基ほどは特定できたので、お墓の地図をスキャナーで読み込んで、お墓の位置に番号を振り、戒名を添えて、どのお墓がどこにあるかのマップを作成しました。

 さすがに御公家さんの家系で、ネットにも簡単な家系図があり、個人の情報も「伊勢守」だとか「桂宮諸大夫正三位」などという出てきます。調べ出すときりがないので、取りあえず今はマップ作り。もうしばらく掛かりそうです。


 秋晴のもと、大文字に行ったり、お墓でしゃがんだり座り込んだり。佳き日でした。

〜 大文字山から。手前右手に真如堂。京大や平安神宮、京都タワーなども見えます 〜
2017年9月30日(土)  No.5201

写真展
 チケットをいただいていたJPS(日本写真家協会)展へ行きました。

 JPSは、約1600名の会員を擁するプロ写真家の団体で、展覧会にはその会員の作品の他に、とても多くの公募作品が展示してありました。

 公募作品は、「写真が命!」「日夜、写真のことばかり考えている」と思えるような力作揃い。作品の前では、年輩のアマチュア・カメラマン達がいろいろと談義していました。
 今まで、自分の写真のことしか眼中にないような、‘目の血走った’アマチュア・カメラマンをたくさん見て来たので、作品は素晴らしいのですが、何となく素直には見られない気分でした。もちろん、そんな人はごくわずかなのですが・・・。

 プロの作品は、逆に「どうしてこれを出展されたのだろう」と不思議に思えるようなものもありましたが、いい意味で‘枯れていて’、嫌味がない気がしました。

 ボクが写真を撮る時のスタンスは、「いまの境内の様子を皆さんにお伝えしたい」というだけのもので、自分の作品を作ろうという思いはありません。境内の雰囲気を伝えるのが最優先です。最近は、ぜんぜん熱心に写真を撮っていませんが・・・。


 写真展に出かける時、門前の天皇陵の前に作業服姿の人たちが集まっていました。「剪定かな?」と思っていましたが、後から、2頭の鹿が御陵に迷い込み、大捕物が始まるところだったようです。

 鹿は御陵の奥に潜んでしまって夕方まで出て来なかったそうですが、係の人たちは6時に引き上げていったそうです。その後、鹿はどうなったのでしょう?

 猿は時々出てきますが、鹿は初めて。熊でも出てきたらえらいこっちゃ!

〜 JPS展の会場にて 〜
2017年9月29日(金)  No.5200

カラスの仕業
 朝起きてみると、庭の苔の上に和菓子のパッケージのビニールが落ちていました。中身は入っていません。お墓のお供え物をカラスが盗ってきて屋根の上でビニールを破り、中身を食べたのでしょう。

 この前の大雨の時には、あられのパッケージが2階の樋に詰まって水が溢れ、階下が雨漏りして、壁も傷みました。修理代も馬鹿にならない金額でした。生きるためとはいえ、憎きカラスです。

 ほとんどの方は、お墓に供えた物を、帰る時に持ち帰ってくださいます。でも、中にはそのまま置いて帰られる方もあります。今日もお墓へ行くと、お菓子や果物が散乱しているところがありました。

 供えた物をすぐに持ち帰ってしまうのに抵抗があるのは、よくわかります。昔はそんなことはしませんでしたし、供えたままで帰られるのは、ほとんどがご高齢の方。持ち帰るという最近できた‘マナー’はご存じないのでしょう。

 自坊は2方向がお墓に隣接しているので、カラスの食べ散らかし被害が顕著です。屋根の上で安心して悠々と食べるのでしょう。お正月の後は、お餅が樋に詰まることもあります。

 お盆やお彼岸、お正月の後は、要注意です。

〜 咲き始めた貴船菊。向こうには彼岸花 〜
2017年9月28日(木)  No.5199

お墓、発見!
 数年前、東京の方から手紙が来ました。真如堂に祖母の実家のお墓があるらしいけれど、調べて欲しいというものでした。

 その後すぐにわざわざお越しになりました。ご本人も一度一緒に来たことがあるということでしたが、結局お墓は見つからず。墓地の管理人に聞いてもわからず仕舞いでした。ただ、ご本人によると、「ひょっとしたら、黒谷かもしれない・・・」とのこと。

 引き続いて調べてみるとお約束をしたまま、お墓に行く度に探しつつ、今日になってしまいました。

 今日、思い立って、すべてのお墓を見て回ることにしました。

 手がかりは、おばあさんの実家の姓「黒田」。ただ、これは戸籍記載の錯誤で、本当は「里田」だと思うのこと。その後、おばあさんは「藤本」に養女に行かれていました。

 とにかく、「黒田」「里田」「藤本」のお墓を探しましたが、結局、該当するお墓はありませんでした。ここまでしてわからないのですから、仕方ありません。何か新しい情報がないか、東京の方に連絡を取ってみようと思います。

 そのお墓探しのついでに、ひょっとしたら自坊の檀家のお墓で、無縁状態のまま放ってあるお墓があるかも知れないと思って、それも探してみました。

 すると、自坊の過去帳に記載があるものの、今は絶家となっている御公家さんらしい家のお墓を見つけました。帰って過去帳を探ってみると、戒名がありました!

 過去帳に書いてあった実名をネット検索してみると、「医師。○○家20代」という記載がありました。ネット情報ですから、確実なことはわかりません。また、「21代」を標榜されている方も見つかりました。

 何の20代? なんでも、その家の初代は足利義詮の妻のお産に立ちあい、無事男子(後の義満)を出産させたとのこと。婦人科医の祖とされ、子孫は代々足利家の産事をつかさどったというのです。ビックリ!

 真如堂にお墓のあるのは、おそらく2代分程度ですが、まわりには公家さんや医家のお墓も多いので、まんざら間違ってはいないでしょう。21代の方は京都で外科医をされていましたが、10数年前に亡くなっていますので、聞くことは出来ません。もうちょっと調べてみようと思います。

 宿題がどんどん増えていきます!

〜 水引草の花 〜
2017年9月27日(水)  No.5198

お墓の整理統合
 お彼岸の最終日。今日も一軒・・・また一軒という感じで墓参の方がお越しになりました。次の土日も、その後も、「お彼岸のお墓参り」とおっしゃって来られる方は絶えないでしょう。

 太陽が真東から上がって真西に沈み、昼と夜の長さが同じになる春分と秋分の日が彼岸(お中日)ということからすると、日を経るにつれて段々ずれていくのですが、難しいことはさておき、先ずは墓参が第一歩。必ずお越しになる方が来られなかったりすると、ちょっと心配になりますし、亡くなってまだ日が浅いのにお越しにならなかったりすると、「お参りしてあげて欲しいなぁ」と思います。


 今日は、先祖のお墓8基を1つにまとめるご相談がありました。少し前からお聞きしていて、こちらもいろいろと資料をひっくり返してご先祖のことを調べました。

 一番古いお墓は延宝7年(1679)に建てたもので、おそらくお武家さんでしょう。その後、10代以上を経ているはずですが、過去帳などからもすべては拾い切れず、当主がわかるのも3代程前までなので、結局はわからないことだらけです。でも、わかことはすべて資料として抽出し、古いお墓の写真も記録として留めました。

 今日はその最終段階で、石屋さんに来てもらって、「先祖累代之墓」を建てて、古いお墓を整理する具体的な相談です。

 今さらですが、お墓って高価ですねぇ。素人目では大して違わないように見える石の種類ですが、それだけで数十万違ってきます。

 寺で相談して、カンカン照りのお墓に行って、また戻って相談して、約1時間で話がまとまりました。急ぎの工事になるので、明日、早速、8基のお墓のお性根抜きをしなければ・・・。

 ボクも、ご先祖調べで過去帳をひっくり返したり、お墓の文字を判読するのに拓本を取ったりと苦労したので、これで一安心です。

〜 今日は金木犀 〜
2017年9月26日(火)  No.5197

金木犀の香り満つる
 8月末の山行を断念して以来、登山靴の慣らし履きをまったくしていませんでしたが、今朝、久々に少し歩いてみました。

 以前は左足が攣ったりしていましたが、今日は初めて右足に違和感を感じました。左の補正は上手くいったようです。帰ってから、また板きれなどを使って右を補正しましたが、こんなにしなければいけないなんて、基本的に合ってないのですね。高山に行けなくて、かえってよかったかも知れません。

 歩いていると、其処彼処から金木犀の香りが漂ってきました。金木犀でアレルギーになる人もおられますが、ボクはこの香りが好きです。深呼吸をしながら朝の雰囲気を楽しみました。

 今日はそれほどお参りもないだろうと思って、掃除機を掛けたりしていたら、次々と墓参の方がいらっしゃって大慌て。これはいけないと思って僧衣に着替えましたが、誰も来られないので、ガラス磨きを始めました。1時間ほどやりましたが、結局、その間に限って誰も来られないので、また作業着に戻りました。

 午後、遠方の方から「体調が悪いのでお墓参りに行けません。御塔婆を供えておいてもらえませんか?」と電話があったので、また僧位に着替えて墓前回向。「あー、ここもお参りには来られないなぁ・・・」と思ったお墓にも線香を手向けておきました。

 お墓は、色とりどりのお花が供えてあって、いつもよりずっと‘賑わって’いました。

〜 銀木犀/黒谷の大銀木犀 〜
2017年9月25日(月)  No.5196

忍び寄る認知症
 今日も墓参に来られた方の霊位を仏前で回向しました。結構たくさんの方が来られました。

 読経をした後、近況を伺ったり、おしゃべりをしたりして、バタバタした中にもゆったりした時間が流れました。

 そんな中、90近い男性がお越しになりました。準備しておいた塔婆を探してもありません。おかしいなぁ〜ともう一度塔婆を書こうとした時、つい4〜5日前にお越しになっていることを思い出しました。

 ご本人に申し上げるべきかどうか迷いましたが、お墓に行けば、先日供えた自分の名前の塔婆も立っているのでわかるはずと思い、「先日、お越しになりましたねぇ」と申し上げました。ご本人は、「そうだったかなぁ。そんなことはないと思うけどなぁ」と納得のいかない様子。その時、ずいぶん長い時間‘武勇伝’を聞かせていただいたので、その内容を少しお伝えしました。それでもキョトンとされています。もう一度、塔婆を書いて欲しいと仰るので、お書きしましたが・・・。

 ボクも、そう遠くない先に、こんなふうになるでしょうねぇ。


 先日、竜胆の小鉢を買ってきました。紫が欲しかったのですが、花が傷んでいたので、仕方なくピンクにしました。

 子供の頃、大文字山の火床の藪の中に、すくっと立つ紫色の竜胆を見つけた記憶が鮮明に残っています。凜とした花でした・・・りんどうですから。

 いま、園芸店で売っている鉢植えの竜胆は背が低いものばかり。もっとスラッと伸びたのが欲しいですが、山野草などを売っているところなどでないと手に入りません。来年は苗を買って育てようかなぁ〜 そんなことばかりしていると、また植木鉢だらけになってしまいます。

〜 ちょっと不満足なピンクの竜胆 〜
2017年9月24日(日)  No.5195

お彼岸の中日
 彼岸のお中日。他の塔頭は、彼岸の法要を勤めるところが多いのですが、自坊では大きな法要はせずに、今日・明日はお参りになったそれぞれの家ごとに御回向をします。以前はそれぞれの墓前で回向していたのですが、墓地の中を走り回らなければならず、マンパワー的に無理なので、ボクが住職になった時から切り替えました。

 お参りになった方に「上がっていただいて御回向いたします」と言っても、仏間まで上がる方は半分以下。靴を脱いで上がるのが面倒と思っておられる方もあれば、急いでいるという方もあります。

 ですから、ずっと読経し続けるというのではなく、玄関で応対して上がられた場合は読経するという感じ。ちょうどいいペースでした。


 門灯のアクリルカバーが割れたので、昨日の夕方、器具を取り替えました。蛍光灯からLEDに替えたら器具も小さくなって、今までの配線では不具合が生じたので、器具自体の加工も必要でした。

 いろいろ工夫をしましたが、自分的には70点ぐらいの出来具合。‘30点’分が気になって仕方がありません。夕べ暗くなってからも2回ほど見に行きましたし、今日も合間を縫って見に行きました。見てもどうしようもないのですが・・・あまりに気になるようだったら、やり直しです。

 まぁ、特段の不具合があるわけではないので、こんなもんでいいかなぁ。

〜 取り替えた門灯 〜
2017年9月23日(土)  No.5194

ピアノの‘素性’
 5月にピアノの処分を考え出しましたが、急ぐわけでもないので、そのまま進展していませんでした。

 昨日、ピアノに詳しい檀家のさんの方が現物を見に来てくださり、まだ使えると仰ってくださったので、もう少しピアノのことを調べることにしてみました。

 先ずは、ピアノの型番でネット検索したホームページの翻訳。東欧のホームページかと思っていましたが、ベトナムでした。「Renner V200は、主に米国市場向けに製作されたドイツのルイス・レンナー(Louis Renner)によって生産されています」と書いてあり、中古が13万円ほどで販売されていました(後で、この説明は間違っていることがわかりました)。

 次に、世界で最も名声の高いピアノのアクションとハンマーヘッドの生産会社「Renner」の日本代理店に、「Renner V200」について教えて欲しいというメールを送りました。すると、「弊社で製造したピアノではありませんので詳細は分かりませんが、以前、喜多楽器店様で販売されていた国産のピアノではないでしょうか」という回答がありました。これが大きなヒントになりました。

 検索を重ねると、「Renner」は「関西のピアノメーカーであるマイシュナーピアノ製作所が喜多楽器店の依頼でレンナーハンマーを使用したものにつけられたブランド」という記述が見つかりました。

 さらに「マイシュナーピアノ製作所」で調べてみると、その前身は「アカシアピアノ製作所」。アカシアピアノは、兵庫県伊丹市に第二次世界大戦前から1951年頃まで存在し、「ACACIAN」ブランドのピアノを製造していました。伊丹空港周辺に広大な敷地の工場を持っていたようですが、突然解散し、元従業員がマイシュナーピアノ製作所(MEISHER)を興して引き継ぎました。1955年頃までは月産十数台の生産が維持されたものの、2度続けて重加算税を支払う羽目に陥り、1965年頃には存続できなくなったそうです。国産と思えないような信念のある本格的な音で、「あの時代に発売したのだから、造った方の飛び抜けっぷりが目に浮かびます」とのことです。
 マイシュナーの代表者は、その後、個人的に調律師として活躍し、全国ピアノ技術者協会会長、後に社団法人日本ピアノ調律師協会設立に尽力してその初代会長となられたそうです。

 このマイシュナーピアノの代表と交友があったという神戸の現役の調律師さんのホームページを見つけたので、質問してみました。
 すると、「『レンナー』というピアノがあったこと、それにまつわる話があったことも覚えています。しかし、内容までは覚えていません。ヤマハ特約店の楽器店主が『レンナーはドイツの有名な部品屋で、ピアノメーカーではないから、‘レンナーピアノ’と名前をつけても大丈夫なんや』と言っていたのを聞いたことがあります」と答えてくださいました。

 結論から言うと、兵庫県伊丹市にあったマイシュナーピアノ製作所が、ドイツのレンナー社のハンマーを使って作った喜多楽器店のショップ・ブランドのピアノ、それが「Renner V200」だということです。製作年代ははっきりしませんが、以前に査定を依頼した業者によると、1958年頃製造されたもののようです。

 今、国産のピアノというとヤマハかカワイということになりますが、日本にはこれまでに約270のピアノのブランドがあったそうです。「Renner」もその一つですが、おそらく現存しているものはごく稀でしょう。これも何かの縁、そう考えると、廃棄するには忍びなく、何とか使ってくださる方を見つけたいと思います。今の安いピアノよりは、ずっといい音がしているそうですので。

 これで、ピアノの由来については、ほぼ一件落着!

〜 満開の彼岸花 〜
2017年9月22日(金)  No.5193

恒例の大般若
 午前中は、墓参の方が引っ切りなし。明日頃からお天気が崩れてくるという予報だったからでしょうか? でも、いつの間にか予報から雨マークは消えていました。

 午後は、東山のお寺で恒例の大般若。

 「1時半からか2時からか、どっちだったかなぁ?」と思いながら1時半過ぎに着き、先に着いていた3人の若い僧に「何時から?」と聞いてみました。若い僧たちは、ちょうどその話をしていたところだったとか。皆はっきりとは知らないようなので、思い切ってお寺の若い僧に「本当は何時からですか?」と聞いてみたところ、「1時半からです」という答えが返ってきました。今まで何十年と来ていますが、初めて知りました。わぁー、ビックリ!

 朝のうちはちょうどよい気候だと思っていましたが、お昼頃は大般若には暑いぐらいとなり、少し汗ばみました。

 青空の広がる、秋らしいいい日和でした。

〜 東山のお寺の裏庭 〜
2017年9月21日(木)  No.5192

歯の治療再開
 一昨日、歯のカブセが取れました。歯に何か挟まったようなので、指で触っていたら、ポロッと取れてしまいました。

 今朝一番に予約に割り込ませて貰う形で診察を受けましたが、虫歯にもなっていないのでということで、そのまままたかぶせて貰いました。ただ、他の治療をしなければいけないところが見つかってしまい、またしばらく通うことになってしまいました。あ〜。

 今日は彼岸の入りで、墓参の人も多目。でも、昨日ほどではありませんでした。

 合間を縫って、遠方の方々のお墓に塔婆と線香を上げて、回向して回りました。これで、何となく‘正式に’お彼岸になった気分です。

〜 目立ってきたレンゲの芽 〜
2017年9月20日(水)  No.5191

白い彼岸花
 今日もいいお天気でした。最高気温は30度近くまで上がりましたが、割とカラッとしていたので、過ごしやすかったです。

 彼岸の入りを明日に控えたウイークデイなのに、午前中は墓参の方が引っ切りなし。「まだ早いのですが・・・」と大抵の方が仰いますが、「混んでいない時にゆっくりお参りください」と申し上げました。

 午後になると、人足はピタッと絶えました。不思議なものですねぇ。皆が申し合わせているかのようです。

 昨日作った樒の供花を墓所にあげて回りました。涼しくなったので、早めに供えても日保ちしてくれます。台風の雨が花筒に溜まっているので、水を入れなくて済んで助かりました。

 境内では彼岸花が次々咲き始めていますが、不思議なことに、自坊の前2箇所で、白い彼岸花が咲き始めました。今まで咲いたことのない場所で、しかも‘白’とは・・・。

 彼岸花は種が出来ないので、球根でしか増えません。今年初めて生えたところに球根を植えた覚えはなし。土を移動した時にくっついてきたとしか考えられませんが、その記憶もありません。不思議やなぁ〜。

 1つは人目に付く場所なので、支柱を立てて、‘栽培している’という体を表しておきました。そうでもしないと、すぐに盗られてしまいます。

 よ〜く地面を見ると、先日蒔いたレンゲが発芽し始めて、小さな小さなもやしのようになっていました。うれしいですねぇ。順調に大きく育ってくれますように。

〜 急に出た白い彼岸花 〜
2017年9月19日(火)  No.5190

台風一過
 台風一過の秋晴れ。

 朝一番に、夕べの台風で散乱した小枝や落ち葉を掃除しました。落ち葉などはそれほどの量でもなく、普段より少し多い程度でした。

 お天気がいいので、早目のお彼岸の墓参の方が三々五々お越しになりました。

 法事の大塔婆などを書きながら、お参りの方が来られたら対応。ゆっくりおしゃべりをしてお墓に向かわれ、またしばらくして次の方がお越しになるという感じで、ゆったりした、ちょうどいいペースでした。

 夕方には、樒の枝を採ってきて遠方の方のお墓に供える花を作りました。塔婆の準備もすべて揃って、これでお彼岸の準備はバッチリです!

〜 台風一過の青空 〜
2017年9月18日(月)  No.5189

台風通過
 バイクで月参りへ行き、その後、自坊で納骨の予定。昨日の夜、台風の進路を見ながら、「あかん。どうしようかなぁ・・・」と案じていましたが、朝起きてみると、風も大したことなく、雨はレーダー画面を見ても降る気配ナシ。助かりましたぁ。

 予定通りに月参りも納骨も終わりましが、日曜日なのに墓参の人はほとんどお越しにはなりません。台風で今日はダメだと、最初から予定に入っていないのでしょうね。

 結局、雨が降り出したのは夜7時過ぎてから。風もだんだん強くなって来ましたが、最大瞬間風速でも20m/s弱。雨は夜10時頃に強くなって、左京区でも大原以北で避難勧告が出ましたが、あっという間に風雨共に収まり、「あれっ?」という感じで台風は吹き抜けていきました。

 さぁ、明朝は落ち葉掃除です。それほどでもなさそうです。

〜 立派なきのこ 〜
2017年9月17日(日)  No.5188

レンゲの種蒔き
 今日は、最低気温が19.6度、最高気温が21.4度と、1日の気温差がほとんどない日でした。

 朝から雨。台風の影響かと思っていたら、秋雨前線の雨だとか。

 雨が降ったらレンゲの種蒔きをしようと思っていたので、さっそく古い調理用ボールにレンゲの種をいっぱい入れて、‘花咲か爺さん’が「枯れ木に花を咲かせましょう!」と灰を蒔くがごとく、種蒔きをしました。

 レンゲの種は、来春に蒔いたのでは花が咲きません。秋に蒔いて、一冬越したものが開花するのです。種を蒔くのを忘れないようにと、最近になってから、種を目に付くところに置いておいて、雨を待っていました。

 台風であまりに豪雨になったら、種が少し流されてしまうかも・・・大丈夫でしょう。

 1日中、雨が降ったり止んだりだったので、墓参に来られる人はわずかでしたが、法事の墓回向の時だけ、ちょっと強い雨。道もぬかるんで大変でした。

 歩くのも少し不自由なご高齢の方に、「お墓は次の機会にされて、お寺でお待ちになったら」と勧めたのですが、どうしてもお墓へ行きたいとのこと。降りしきる雨の中での読経が終わった後、その方は歌を奉納したいと墓前で吟じられました。なるほど、そういうお気持ちがあったので、不自由を押してお参りになったわけですね。気持ちの力の大きいことを改めて感じました。

 親戚から松茸をいただいたので、夕食に土瓶蒸しっぽいものを作り、久々に熱燗をいただきました。これが効いて、食後は居眠りばかり。お彼岸の塔婆書きも完了したので、まぁ、いいかなぁ〜

〜 親戚からいただいた松茸 〜
2017年9月16日(土)  No.5187

ボクひとりで法事と納骨
 誰一人参列する人もない、法要と納骨をしました。

 故人は7月末に65才で亡くなり、成年後見人がいろいろと手配をして、葬儀などを済ませました。ご遺骨は葬儀後からずっと自坊にお祀りして回向していましたが、今日が四十九日なので、忌明の法要と納骨をしました。

 ただ読経をするのなら日々のお勤めと同じことですが、忌明の法要をひとりでするのは初めてでした。故人には縁者もおられるのですが、参列しないと断られました。

 自坊でのお勤めを終え、ご遺骨と6尺の塔婆や焼香台などを両手にいっぱい持って墓所へ。誰も参列者がいない以外は、普通の納骨と同じです。

 喉頭癌ながら、ほぼ最後まで止めなかったというウイスキーと煙草も供えました。供花も、ご本人が墓参されていた時はいつも樒でしたが、今日は色鮮やかな花を入れてもらいました。しゃべることが出来たなら、照れながら文句を言わたかも知れません。

 生前に託された葬儀や納骨を終えて、ちょっと一段落です。斜に構えて、なかなか素直な言葉を発することの少ない方でしたが、ポツンと「おおきに」と言われているに違いありません。生前に戒名の案をご覧に入れた時も、「よう(よく)、ワシのことをわかってますなぁ」と、言ってもらえました。性根は素直でさみしがり屋のくせに、照れ隠しに斜に構えておられただけだと、思っていました。

 「ご両親やたくさんのご先祖が入っておられるお墓の居心地はいかがですか? また数日後、今度はお彼岸の回向にお墓にお参りしますよ」

〜 今日咲いた今年初の彼岸花 〜
2017年9月15日(金)  No.5186

肩凝り
 今日も月参り以外はひたすらお彼岸の塔婆書き。肩は凝り、歯が浮いてきたような感じです。

 お彼岸は20日からで、お中日が23日ですが、最近は混雑を避けてそれ以外の日にお越しになる人も多くなっています。

 お天気さえ良ければ、この連休はかなりの方がお参りになるはずでしたが、台風が近付いて来ているので、おそらく16・17日は少ないでしょう。18日は天気の回復次第。などと、いろいろシミュレーションしています。

 時間との勝負ですが、もうひと息です!

〜 2階のすだれのところで咲くヘブンリーブルー 〜
2017年9月14日(木)  No.5185

彼岸花、発見!
 今日は快晴! 気温は32度まで上がりましたが、カラッとしていたので、日陰にいると心地よい感じでした。

 来春のためにレンゲの種を蒔きたいのですが、毎年蒔いている場所には蔓日々草が蔓延ってしまっています。蔓日々草は繁殖力がとても旺盛で、半日陰でもよく育って群生しますので、大迷惑です。

 先日来、幾度となく除草剤を撒いているのですが、他の草は枯れてもこれだけはビクともしません。何とかこれを枯らせてから種蒔きをしたいので、朝一番に今までとは違うタイプの除草剤を撒布しました。効いて欲しいなぁ〜。

 今日はお彼岸の塔婆書きに集中。折角のお天気なのに勿体ないですが、この土日あたりから参拝者が一気に増えるので、それまでに大方を書いておきたいのです。

 でも、続けていると、肩は凝るし目はショボショボしてくるしで、時々外に出て気晴らしをしました。

 彼岸花の花茎が上がって来ました! 早いものは明後日頃には咲き出しそうです。秋ですねぇ〜

〜 上がって来た彼岸花の花茎 〜
2017年9月13日(水)  No.5184

比叡山〜坂本
 夜中から強い雨が降り、6時過ぎにはかなり激しくなってきました。でも、雨雲レーダーを見ていると、真っ直ぐこちらに向かってくるかと思っていた真っ赤な雨雲が少し南へ逸れて、7時過ぎには弱い雨になりました。

 南へ逸れた雨雲は、奈良や京都府南部に大雨を降らせ、奈良では100ミリ以上の猛烈な雨となって、電車の運休が相次ぎました。

 今日、ボクは坂本へ行く予定ですが、山越えの道は8月の台風5号で崖が崩れ、いまだに片側交互通行。大雨が降ると恐いのですが、小降りになって助かりました。

 坂本へ行く途中で待ち合わせをして、比叡山延暦寺へ。小用を済ませ、昼食にお蕎麦を食べて坂本へ向かいました。その後は、夕方まで会議。

 今日はそれだけで終わってしまいました。まぁ、雨で外作業は出来ないから、ちょうどよかったです。

〜 よく見えませんが、修復中の根本中堂です 〜
2017年9月12日(火)  No.5183

「のりたま」
 かかりつけ医にいつもの薬を貰いに行ったついでに、喉の不調を訴えてみました。ドクターは喉の奥を覗き、胸などの音を聞いた上で、咽頭炎だと診断して、3日分の薬を処方してくれました。

 喉は痛くも何ともないのですが、赤くなっているのだそうです。これで軽快するといいなぁ〜。


 帰りにスーパーに寄りました。スーパー、大好きです! ブラブラと店内を見ているうちに、ふりかけの「のりたま」を見つけました。

 「のりたま」、懐かしいなぁ〜。

 「のりたま(丸美屋)」は、ボクが子供の頃に大好きだったテレビアニメ『エイトマン』のスポンサーで、アニメが放送される時にCMが流れていました。また、オマケに『エイトマン』のシールが付いていました。

 『エイトマン』は、1963〜1964年のわずか1年2ヶ月しか放送されなかったようですが、子供の頃のボクにとっては1、2を争うほど大好きなアニメでした。当時のボクにとって、「のりたま」は‘ごちそう’でした。

 ご飯に振りかけてすぐは、玉子味の顆粒がサクサクしていて、次第にそれがしっとりと馴染んできたという感覚を覚えています。海苔や胡麻の味も美味しかったです。でも、ああいうインスタントっぽいものは、あまり買ってはもらえませんでした。

 もちろん、迷わず買って帰って帰りました。普段は夕食には「お米」は食べませんが、今日は特別。さぁ、どうかな? すごく期待しながら食べましたが、子供の時に食べたほどは美味しくありませんでした。

 「のりたま」は、1960年の発売開始以来、減塩にしたり、玉子の製法を変えたりして、8回味付けなどが変わり、全体的にまろやかになっているとのこと。子供の頃は、もっとインパクトがあったように思います。

 さほど美味しいと思えなくなったのは、大人になって、他に美味しいものをたくさん味わってしまったためなのかも知れませんねぇ。

 食後、Youtubeで『エイトマン』の主題歌の場面を見つけ、懐かしい画面を見ながら、声を出して歌いました♪ あ〜、懐かし〜い

 また、食べようっと!
2017年9月11日(月)  No.5182

声が出にくい
 月参り、法事、ご自宅での法事と、結構動き回って読経をしました。

 どうも喉の調子がイマイチです。お盆が終わった頃には、咳などの影響で肋骨が痛くなって、登山を断念しました。今は咳は出ないものの、声がかすれたり、裏返ったりします。たぶん、声帯の問題でしょう。以前、耳鼻咽喉科で、声帯が老化してきていると言われたことがあります。声帯が閉まりきらず、空気が漏れてしまうのでしょうねぇ。もう一度、受診しなきゃ。

 出にくい声を無理に出そうとして、ずいぶん疲れました。読経が終わった後はグタッとなっていましたが、ちょっと休憩したら復調しました!

 さぁ、お彼岸の塔婆を書かなきゃ!

〜 紅くなってきた花水木の実 〜
2017年9月10日(日)  No.5181

ゆったり過ごす
 今日は植木屋もペンキ屋も大工もドカタもせずに、お彼岸の塔婆書き。

 今日も墓参に来られましたが、お盆には来られていない方だったので、思わず「お盆ですか? お彼岸ですか?」とお尋ねしてから塔婆を書きました。

 ところが、今日はいつもにも増して、字が上手く書けません。折角、ぎっしりと戒名を書いて「よし!」と思って見たら、1字抜けていたり・・・やっぱり、体を動かすほうが向いているのかも知れません。

 夕方、ドラッグストアに行ってビタミンのサプリを買い、ついでにチョコレートなどを仕入れました。お徳用の他に、ちょっと高かったのですが和栗のチョコ菓子を買いました。帰ってから、すごくわくわくしながら食べたのですが、がっかり。まったく期待外れの味でした。

 先日来切れていた入浴剤も買い求めました。数種類のハーブの入った、これまた少し高いものを購入。他の入浴剤とは少し違った香りがするのですが、何だか効きそうな気がして好きです。

 ゆっくり入浴して、足の裏に付いたままになっていたペンキも軽石で擦って取り、何だかすっかりリフレッシュ!

 さぁ、秋だ!

〜 紅い芙蓉の最後の花 〜

2017年9月9日(土)  No.5180

草引き
 3日間の雨の後、今日は朝から快晴! 青空の広がる気持ちのいいお天気となりました。

 やっと、お盆の疲れが取れてきたのか、体が軽くなってきた実感があります。お盆が終わって半月以上。「そんなに掛かるようになったのか・・・」と、ちょっとショックです。

 今日は、庫裏の庭の草引き。「庭」といっても、百鉢以上ほどの植木鉢が所狭しと並んでいる、バックヤードのようなものです。お盆の前頃から雑草が大きく成長し始めていたのですが、それどころではありませんでした。また、ビッシリと並んでいる植木鉢の間を縫って草引きをするのは大変なので、手付かずのままでした。

 草引きは大変。鉢を置いている棚の下の草と、鉢の中から生えている雑草の両方を抜かなければなりません。でも、どこが鉢なのかもわかりにくいほど草が生い茂っていて、間違って成育中の草を抜いてしまったり、落として鉢を割ったりと、大変でした。

 鉢の中には、すっかり枯れているものや上は枯れても根は残っているものがありますが、名札の文字が消えていて、何か判らないものも結構ありました。

 3時間ほど掛けて、何とか草引き完了。山のような雑草を‘収穫’しました。すっかり綺麗になって、顕わになった植木鉢群の光景を見て、達成感を味わいました。こういう‘ご褒美’がなきゃねぇ。

〜 快晴の境内 〜
2017年9月8日(金)  No.5179

今日も‘待望’の雨
 今日はいつもならバイクで3軒の月参りに回る日でしたが、雨雲の様子を見ると、確実に雨。出かける寸前にも雨が降ってきたので、仕方なく車にしました。

 3軒とも駐車場はなく、近くのコインパーキングに駐めて少し歩かなければなりません。3軒目は祇園の歓楽街のまっただ中で、コインパーキングからの距離もあります。だから、いつもはバイクなのですが・・・。

 1軒目にたどり着く前に雨は止みました。しばらくは曇天のまま。レーダーに写っていた雲は雨雲ではなかったのかな? 3軒目に向かう途中で少し降り始め、帰路に就く時は本降りになってきていました。せっかく車にしたのですから、しっかり降ってくれなきゃ・・・。

 移動には差し支えがありましたが、有り難い雨でした。

 午後は、ペンキ塗りですっかり遅くなった彼岸の塔婆書きに勤しみました。

〜 玉紫陽花 〜
2017年9月7日(木)  No.5178

ペンキ塗り、全室完了!
 今日は、朝イチからペンキ塗り。月参りは弟子に頼んで、‘何も予定がない日’を作り、気合いを入れて臨みました。

 7時半頃から作業開始。先ずは、床脇の違い棚のある壁からスタート。ここはずいぶん時間が掛かりました。その後は、脚立を上り下りしながら、4面の壁の1、2回塗りと2面の下塗り、1、2回塗り。そして、養生を剥がして、はみ出したペンキの補正など。

 昼食もそこそこに作業を続け、4時過ぎにやっと作業完了! 道具を洗ったり、襖をはめるなどの後片付けなどを終えたら、5時を回っていました。

 蒸し暑くて汗もかきましたし、手にはペンキがいっぱい付いているので、シャワーをしていたら、足の指にチクッと痛みを覚えました。見ると、小さな百足。百足に咬まれるのは、今年初めてです。ちなみに、蜂はまだ。

 お湯の温度を最高にして、咬まれたところを加熱しました。しばらくはチクチクしていましたが、そのうち気にならなくなりました。

 夕飯を終えてから、今日塗り終わった部屋を視察。ペンキも乾いて、まずまずの出来です。

 ペンキ塗りを始めたのは去年の2月頃。漆喰壁は今年の5月に塗り終えましたが、‘ナンチャッテ聚楽壁’の12畳が残っていました。それも今日完成! これで、仏間、客間などはすべて塗り終えました!

 本当に綺麗になって、大満足です。

〜 朝の雨後の花托 〜
2017年9月6日(水)  No.5177

入山法要
 今日は、東山の門跡寺の御門主が交代されて、新しい御門主が入山される法要。天台宗や比叡山、天台宗の各門跡の御門主など、少人数ながら御歴々が参列されました。

 新門主のもとでの初めての法要で、緊張しました。短時間だったのに足が痺れて、終わった時に「立てるかな・・・」と案じましたが、何とか無事に終わりました。大規模な晋山式は10月に行われます。今から緊張します。

 近くのホテルでの祝宴を終え、3時前に帰宅。少しお酒も入っていましたが、脚立に登って、少しだけ壁の下塗りをしました。明日は丸一日、ペンキ屋三昧の予定です。

 暗くなる頃から、雨が降り始めました。先月半ば以来の待望の雨です。たっぷりとは言い難い程度でしたが、明朝は水やりから開放されます。

 ホースでたっぷり撒いたつもりでも、少しの雨には敵いません。植物も潤い、ボクも「水やりをしなくては・・・」という強迫感から解放される、うれしい、うれしい雨でした。

〜 枯れ始めた蓮の葉に溜まる雨水 〜
2017年9月5日(火)  No.5176

どこか行きたいなぁ〜
 今日も壁塗り。でも、時間が細切れだったので、いつでも中断できるように、養生テープを貼ったり、下地塗りをしたりで、ペンキ塗りはしませんでした。

 ペンキ塗りをすると、使ったローラーなどを一々洗わなければなりません。ちょっとだけというのは、時間も塗料もロス。次にたっぷり時間のある時に、一気にやってしまおうと思います。

 来年のカレンダーや暦の注文伺いが来るようになりました。そうですねぇ、今年もあと4ヶ月ですもの。毎年、お盆が終わると、後はあっという間に過ぎて行きます。年々加速しますから、今年はさらに早く感じるでしょうねぇ。

 北海道の友人から、半月ほど前に撮ったという写真が送られてきました。曇り空だったので、他の写真の青空と合成しちゃいました! このほうがいい!

 いいなぁー 行きたいなぁ〜 肋骨の痛みもほぼ収まってきたので、どこか行きたいなぁ〜

〜 北海道北竜町のひまわりの里ですって 〜
2017年9月4日(月)  No.5175

壁塗り再開
 昨日、壁のペンキ塗りの材料が届いたので、朝から作業にかかりました。

 まずは、下塗り塗料を塗りました。土壁なので、塗料の吸い込みが著しく、また下地が剥がれてきたりしたので、その改善のためです。効果はどうかなぁ。

 法事のため、一時、中断。水性塗料を使っているので、臭いなどはぜんぜん問題ありません。

 法事と墓回向を終えて、ペンキ塗り再開。今度は上塗り1回目。下塗り塗料を塗ったので、1回塗装で何とかならないかと期待していましたが、やっぱりムラが出てダメ。2回目を塗って、今日の部分は完成です。

 結局、下地塗料、上塗り1回目、上塗り2回目と、同じところを3回塗らなければいけません。面倒ですが、当たり前の手順です。

 3時過ぎに終わりましたが、次の場所にかかる気力はナシ。今日はこれでオシマイ!

〜 床脇は未着手 〜
2017年9月3日(日)  No.5174

琵琶湖疏水の話
 今朝も除草剤撒き。

 栽培しているものは水やりをしないとグッタリしているのに、植えてもいないのに生えてくる草は、どうしてこんなに強いのでしょう。

 今日は液が掛かったものなら何でも枯れるはずの除草剤を撒きました。先日も撒いたのですが、薬剤指定の希釈律の一番薄い100倍で撒いたら、雑草はビクともしませんでした。仕方がないので、今日は一番濃い希釈律の30倍で撒き直しです。


 午後はメダカの学校。「明治の大事業〜琵琶湖疏水建設」というタイトルでしたが、その中で、鹿ヶ谷近辺に工業団地を作る計画があったと聞いてビックリ!

 南禅寺の境内に、強引に水路閣を作るような時代ですし、廃仏毀釈の吹き荒れる頃で、国宝級の建物や仏像が多数破壊されたり売却された時代でもありますから、もし実現されていたら大変なことになっていたでしょう。頓挫してよかったです。

 子供の頃から慣れ親しんだ疏水ですが、「へぇ〜、そうだったんだ」というお話をたくさん聞けてよかったです。

〜 総門の外の酔芙蓉 〜
2017年9月2日(土)  No.5173

洗車
 青空の広がる、気持ちのいい日でした。風があって、さわやか! でも、ちょっと強すぎます。

 せっかくのお天気なので、久しぶりに洗車をしました。

 藤棚の下に駐めてある車には、棚の竹に虫が穴を開けた時の粉、カラスなどの鳥の糞、樹液のようなものなどがこびり付いています。洗車機で洗っても取れないので、手洗いが必要です。

 腰に蚊取り線香を付けて、長いホースを使って洗いますが、鳥の糞はなかなか取れません。指の腹や爪の先で擦ったりして一つ一つ取って、ようやく綺麗になりました。

 若い時のようにドライブに行くこともなく、バイクを使うことも多いので、お盆以外はちょこっと乗るだけ。洗車しても、また糞が付いてしまうでしょうねぇ。

 でも、暑い時に水を使うって、とても気持ちいいですねぇ。あー、スッキリした!

〜 緑茂る参道 〜
2017年9月1日(金)  No.5172

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