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2009年2月の日記

脱ゴミ屋敷、達成!
 大して忙しくもなかったのに、あまり成果の上がらなかった1日でした。何でだろう・・・更新もしたから、まぁ、いいかな。

 先日来の四十肩が悪化して、マウスをクリックするのも痛くなってきました。

 指がつるような感じもあり、キーを叩くとミスタッチばかり。指先から肩まで痛く、気分が悪くなりそうです。しばらくはパソコンを使いたくないのですが、そうもいかず、消炎剤を塗りながら仕事をしました。四十肩&腱鞘炎かな。


 今日、廃棄物の処理業者がゴミを廃棄してくれました。結局、2トントラック2杯分あり、朝から3時前までかかっておられました。

 庭も何年かぶりでスッキリ! 実に晴れ晴れした気分。

 さぁ、庭師さんの出番です! どんな庭を構想してくださっているのか、スケッチが出来てくるのが楽しみです。

〜 枝先が赤みを帯びてふくらんできた花の木 〜
2009年2月28日(土)  No.2060

今日も見積もり
 大涅槃図修復の見積もりに、表具屋さんに来てもらいました。これで4社目です。寺の‘お宝’の修復なので、慎重にも慎重を重ねての業者選び。

 幅4メートル、長さ6メートルもの掛け軸の修理は、出来る業者も限られています。当然、技術的な高さも求められます。

 涅槃図は宝永6年(1709)に作られたもの。今年でちょうど300年になります。その間、小さな修理は施されたかも知れませんが、大修理は初めて。そして、次に修理するのはまた数十年、あるいは百年ほど後のことかも知れません。それだけに、中途半端な修理はできません。

 現時点でのベストな修理をしたいとやっているうちに、4社もの見積もりをとることになったわけです。

 値段や仕様は業者によってまちまち。素人にはどうしたらいいのかわからないことも多いので、行政の文化財担当者の指導も仰いで、修理に着手したいと考えています。

 来月の役員会でゴーサインをいただけば、4月から修理に取りかかり、再来年の2月末までの完成を目指します。

 相当の費用がかかりますが、未指定物件なので補助金はごくわずか。それでも、もう直さざるを得ないところまで痛んできました。

 雨漏りに修復、最近はそんなことで頭がいっぱいです。

〜 涅槃図の痛み具合を調べる表具屋さん 〜
2009年2月27日(金)  No.2059

講師を勤める
 今日は、若いお坊さんのパソコン研修会の講師。参加者はわずか15人ほど。

 車で向かって、途中買い物をしていたらギリギリ。ホテルには駐車場があるのに、宿泊・宴会ではないと駐められないと言われ、近くのコインパーキングを紹介されました。
 ところが、紹介された3ヶ所はすべて満車。自分で見つけたところも満車。しかたなくホテルに戻って、「2時から講師なので」と頼み込んで駐めさせてもらいました。すでに遅刻。

 研修の部屋に入って、パソコンやプロジェクターを繋いでいたらさらに遅くなり、最初はネットも繋がらず、ますます遅延。さんざんな出だしでした。

 演題は「インターネットをお寺に役立てる」。今さらながら、検索エンジンの使い方や便利なサイトなどを見て貰い、最後は自分のめざすお寺像・僧侶像を実現する方法の1つとしてインターネットを活用したらどうかと勧めました。

 ボクの話が要領を得なかったせいか、聴衆の反応もイマイチで、ちょっとがっかり。「パソコン委員会」という会のメンバーだそうですが、彼らが何を聞きたいのか、何のために研修会を開いたのか、熱意も薄い感じでよくわかりませんでした。

 ん〜 覇気がないぞ! 頑張ってよ!

〜 ご機嫌斜めのさくら 〜
2009年2月26日(木)  No.2058

後半で取り戻す
 午前中は昨夜の‘余波’で脂汗を流していました。「しばらくお酒は呑むまい・・・」
 ようやく午後になって、少し快復し、気合いで仕事。

 今年度、行政から補助金をもらって江戸期の建物を修理したのですが、今日はその現状確認の視察。というと、いかめしいお役人が来られるような感じですが、来られたのは若い女性の担当者お一人。現場に案内して、修繕した場所を指さしたり、保存するように言われた古い瓦を見せたり。

 本堂に案内して、来年度に修理する予定の『大涅槃図』の保存状態をお見せしたり、応接間で修理の仕様を説明したり。涅槃図の修理は相当費用がかかりますが、文化財未指定なので、出る補助金はわずか。それでも助かります。

 無事に視察は終わりました。

 夕べの雨で、歴代の貫主の位牌をまつったお堂が、大雨漏り。去年の秋に修理をしたばかりなのに・・・。これも屋根の形状を変えるほどの大修理を施さないと、根本的な解決は望めそうにもありません。ほんまに困りました。

 仕事を終えて、車の定期点検。待っている間に、ディーラーの隣の大型店に行って、ユニクロでズボンを、ABCマートで靴を買いました。エンゲル係数が、久々にググッとあがった実感がしました。

 帰ると、通販で注文した机が届いていました。

 今まで「二月堂」という小振りな机で経木塔婆などを書いていたのですが、過去帳などを載せるスペースがなくて不便でした。本当は一枚板の無垢材の机が欲しかったのですが、どうせ墨が付いたりしてしまってもったいないので、「ローテーブル」というのにしました。

 安い! 送料込みで6230円。おそらく、ずっと使い続けるでしょうから、超お安いです。大きさも今までの机より、長さが20センチ、幅が15センチ大きくなっているので、使い勝手もよさそう。
 ただ、字を書くにはちょっと高そうなので、のこぎりで足を4センチ切りました。これでバッチリ! 字も上達するかな???

 半日無駄にしてしまった気がしていましたが、後半で取り戻した感がして、今日も満足。

〜 新旧の机 〜
2009年2月25日(水)  No.2057

歳取ったかにぃー
 今夜は、昨年末のすす払いと今月初めの節分会の足洗。真如堂の僧侶全員で、銀閣寺の「かに道楽」に行きました。

 しょっちゅう前を通る「かに道楽」ですが、行くのは20年ぶりぐらい。そこそこのお値段の「焼きかにコース」を注文。期待していたのですが、大して美味しくありませんでした。ずわいかに・タラバかによりも、越前ガニのほうが美味しいなぁ〜。

 近くでやったら2次会へ行かないだろうと思っていたのですが、結局、皆さん街中へ。ボクも抵抗の挙げ句、結局お付き合いして街中へ。

 気が付いたら、かなり酩酊していました。若い頃のように呑んでいたら、もう体がもちません。養生しないといけないなぁと実感した夜でした・・・何回実感してるんだぁ!!

〜 胡蝶侘び助がたくさん咲いてきました 〜
2009年2月24日(火)  No.2056

雨漏り
 夕べも雨風が強かったので、朝一番に書院の雨漏りを点検に行きました。

 「やっぱり・・・」

 予想通り2ヶ所で雨漏り。つい最近修理して貰ったのですが、瓦屋さんもどこが悪いのか特定できないまま直したので、やはり完全ではなかったようです。

 雨漏り場所を内側から特定するために、投光器片手に天井裏に登りました。天井裏は屋根の土、壁土、ほこりなどが充満している感じで、マスクをしてこなかったことを後悔しました。

 屋根裏の構造材は見るからに貧弱な上に、ずれたり外れたりしている場所もありました。また近いうちに修理をしなければならない予感がして、ため息が出そう・・・。

 雨漏り箇所はすぐにわかったので、次は外側から点検してみることにして、天井裏から這い出し、屋根へ。

 急勾配の屋根はちょっと恐いですが、景色もよくてスカッ!とします。たまたま出会った猫としばらく‘お見合い’をして、雨漏り箇所の真上に到達。でも、「ここだ!」と確信の持てる場所は、やはり見つかりません。

 「ダメだろうなぁ」と思いつつ、あやしい場所にコーキングをして、屋根から降りました。

 その後は、喉はいがらっぽいし、鼻をかめば真っ黒。天井裏の後遺症に悩まされました。

〜 雨漏り箇所 発見!! 〜
2009年2月23日(月)  No.2055

今日も‘脱ゴミ屋敷プロジェクト’
 今日は日曜日なのに法事もありません。

 車いす駅伝が行われるので、それまでに急いで外回りを終え、午後はまた‘脱ゴミ屋敷プロジェクト’。

 いやはや大変、途方に暮れます。きっと2トン車では積みきれないでしょう。

 コンクリートブロックがゴミの下から次々と出てきて、雄に20枚を超えました。よくもこんなに大きな物をいっぱいため込んだものです。

 これを読んでいただいても、状況が想像できないでしょうねぇ。かといって、写真をお見せするような代物ではありません。

 ボチボチながらやっているので、少しは片付いてきました。「ここに棚を作って、植木鉢を並べよう」などという将来展望を持てるようになってきました。

 あと一息・・・二息、三息!

 それにしても、今日の天気予報は大ハズレ。ポカポカして陽気になるどころか、1日中曇天。夕方からは早くも雨。期待したのになぁ、春の陽光。。。
2009年2月22日(日)  No.2054

二霊の納骨
 同じ日に亡くなった方2人の納骨法要がありました。

 お一人は88才。のおばあちゃん。病院から元気に(?)帰った後、自宅で亡くなっていました。

 もう一人は47才の男性。くも膜下出血。出血した部位が悪かったようです。この春、高校を出て就職する男の子を筆頭に、3人の子供と奥さんが残されました。

 障害を抱えた子が納骨をするお墓の前で、「あーあ、お父ちゃんとお別れや。おじいちゃん、おばあちゃんと仲良くしてや」と呟いているのが心に残りました。

 「しっかりと供養が出来ただろうか? ご遺族の方は‘納得’されただろうか?」 今日は特にそんな思いを強く持ちました。

 墓所の2本並んだ梅が、いま満開。同じ白梅なのに、1本は白く、もう1本は少しピンクがかっています。その前に立つ、縁者がなくなった墓石を積んだ無縁塔。

 「この墓地にはいったいどれほどの方が眠っているだろう。どんな生き方をして、どんなふうに亡くなっていったのだろう」 お墓を歩いていると、いつもそんなことを考えます。

 昼頃まで時おり小雪の舞う、少し寒い日でした。

〜 墓所の白梅 〜
2009年2月21日(土)  No.2053

今年度の工事、お仕舞い!
 夕べの嵐の後が心配で、境内や建物の中を見て回りました。

 外回りは小枝が少し落ちている程度。本堂の裏の回廊や渡り廊下は吹き込んだ雨でびしょ濡れ、書院は2ヶ所で雨漏りがしていました。この雨漏りに関しては、何度も点検修理をしましたが、原因はわからず。対処する術がありません。

 本堂正面では、大工さんが来て、床の小修理。すぐにできるような修理なのに、今まで放置されていました。やっと・・・。

 今年度の改修などはこれで終わり。行政ならば、余ったお金をとにかく使いきろうとする時期でしょうが、こっちは待つに待たれずに行った緊急修理がたくさんあって、予算を大幅に超えてしまいました。決算がコワイ・・・。

 彼岸まであと1ヶ月。自分の晋山式のこと、予決算のこと、人事のこと、頭の中がだんだん込み入ってきました。

〜 綺麗やなぁ、水仙 〜

2009年2月20日(金)  No.2052

春を呼ぶ嵐
 夜になって天気は大荒れ。窓に横殴りの雨が当たる音が聞こえてきます。春を呼ぶ嵐です。

 でも、雨も嫌ではありません。これでまた一段と春に近付いて行くでしょう。「一雨ごとに春に近付いていく」という言い回しを如実に感じます。

 午前中、職員さんと土木作業や樋の補修をしました。雨がどう流れるか、溜まったりしていないか、明るければ雨の中でも見に行きたい気分です。

 横殴りの雨の時は、雨漏りが心配です。あちこち屋根を修理しましたが、こんな雨の日は普段と違うような角度から雨水が浸入して、漏ってくることがあるからです。やっぱり見に行きたい気分です。

 明日の朝は、真っ先に雨後の点検作業が待っています。

 毎日いろんなことをやっても、やりたいことが尽きるどころか、減る気配さえありません。

 「少年老い易く 学成り難し 一寸の光陰軽んずべからず 未だ覚めず地塘春草の夢 階前の梧葉 已に秋声」

 時間ともう一つからだが欲しい・・・。

〜 少し日も長くなりました−18時のライブカメラ映像 〜
2009年2月19日(木)  No.2051

試食
 今日の午後も、ビニールトタンの屋根をつぶしたり、棚を壊したりの‘解体屋’。

 相当スッキリしてきました。大きいものを壊して集積する作業は一段落。あとは細々としたものの種分け。行政のゴミ回収に出すもの、とりあえず取っておくもの、移動させるものなど、成果の見に難い作業です。


 ケーキを食べるのはやめようと思っていましたが、晋山式の引き菓子にどうかと、北海道砂川にある洋菓子店から取り寄せた鯛の形をしたアップルパイとバウムクーヘンが届きました。

 この店のバウムクーヘンは蜂蜜たっぷりで、大好き! そんな店のアップルパイだから、さぞかし美味しいだろうと思って取り寄せたのですが・・・がっかり。引き菓子不採用、即決定です。

 バウムクーヘンは去年の晋山式で使っていますし、紅白饅頭ではありきたり。外国の祝い菓子を調べてみたり、別に祝い菓子でなくてもいいかなぁと、色が綺麗なマカロンを見てみたり。ネットで見ても味はわかりません。

 何かアッ!といわせて、何となく目出度く、しかも美味しいお菓子はないかなぁ。

〜 不採用になった鯛の形のアップルパイ 〜
2009年2月18日(水)  No.2050

脱ゴミ屋敷への奮闘
 来週、廃棄物業者がガタクタを取りに来てくれることになったので、この際、前住職がため込んだ要らないものを、出来るだけ廃棄してしまおうと、時おり雪や霰の降る午後、解体業者のようなことをしました。

 軒下の古い‘洋服箪笥’の中には古い大工道具がいっぱい。檀家の大工さんが亡くなった時に、前住職が譲り受けたものですが、長い間使っていないので、ほとんどは錆が回っていました。

 のこぎりだけでも10本ほどありましたが、いまは目立ても大変高価で、そうまでして使うことはもうありません。しかたなく、すべて捨てました。かんなも台の割れているものは廃棄。使えそうなものは、一応取っておきました。

 袋入りの繊維壁、拾ってきた曲がりくねった針金、樋のパーツ・・・残しておく物、捨てる物を分別し、それらの入っていた‘洋服箪笥’や古材で作った棚はハンマーで打ち壊して、業者に持って帰って貰うところに集めました。

 半日やっても、まだ全体の1/4程度。あとまだ2つの棚の中身を整理分別して棚自体も打ち壊し、それらを覆っていた仮設の屋根を取っ払わなければなりません。

 何だか足元が頼りなく、何回か尻餅をつきました。思わず、酩酊状態の閣僚を連想しました。

 さぁ、明日もまたこの続きです。脱ゴミ屋敷への奮闘は続きます。

〜 朝、急に積もった雪 〜
2009年2月17日(火)  No.2049

会計仕訳
 今日は外回りも法事もなく、午後から出かける予定だったのもドタキャンになり、1日中、事務所に張り付いて、決算に備えた帳簿の確認作業をしました。

 作業をしていて、今年度、あちこち修理をして、どれほど多額のお金を使ったかがより鮮明になってきました。

 だって、やらなきゃしかたがないんですもの。雨が漏れる屋根、崩れかかった軒先、風に揺らぐ襖の切れ目・・・。うん、しょうがないよなぁ。

 それにしても、う〜ん 会計は苦手だぁー

 自坊の会計も、いまはフリーの会計ソフトを使っていますが、4月からは市販ソフトの手軽なものに替えようと思っています。貸方、借方さえよくわからないのだから、複式なんていらないのになぁー。

 夕方から雪がチラチラ。一気に冬に舞い戻りました。

 NHKから、「サンシュユは咲いていますか?」と問い合わせがあったので、「サンシュユなんて、咲き出すのは3月半ばですよ。でも、川端七条の道路沿いの並木はもう咲き出しています。赤い実と黄色い花が綺麗ですよ」と教えてあげました。

 明後日は「雨水」。何だかんだいいながら、やっぱり春に向かっています。

〜 満開の白梅 〜
2009年2月16日(月)  No.2048

さくらの気持ち
 忙しい日どした。

 月参り、法事2座、お昼もほとんど食べずに葬儀。事務所に直帰して、ちょこっと仕事。すぐに初七日。夕食を食べて、法事の準備。

 気持ちはゆったりですが、体はほんまにくたびれたぁ〜。


 夕食後、さくらを今、ボクが住んでいる庫裡のDKに連れてきました。

 去年の2月まで、ボクとさくらは別棟で暮らし、昼夜、多くの時間を共に過ごしていました。いまは、さくらは別棟、ボクは寺の庫裏。別棟に朝食を食べに行った後は、夜に入浴するまでほとんど行くことはありません。寝るのは庫裡。ですから、さくらと過ごす時間は1時間もないでしょう。

 先日来、さくらの生活リズムが崩れているのが気になっていたので、出来るだけ一緒にいる時間を長くしようと、庫裡のDKに連れてきたのです。

 もっとも、さくらは今のボクを「嫌な爪切りをする人」と思っているようで、ボクを見ると警戒し、逃げようとします。一緒にいる時間は、かえってさくらにはストレスかも・・・。

 DKに連れてこられたさくらは、急いで食卓の下に潜り込んで身を縮め、いつもとは不安げでか細い声で「ニャァ〜」と泣きました。いろいろなものの匂いを嗅ぎながら、「ここはどこ? 初めてで不安だよう・・・」という素振り。

 これ以上、ここに居させると余計にさくらにストレスがかかると思って、すぐにまた別棟に連れて戻りました。戻ったさくらは、不安をかき消すかのように、すぐにご飯を食べました。

 いま、さくらが居る場所で、できるだけ触れ合う時間を作ってあげるしかないかなぁ・・・。それも、さくらにはストレスかも・・・。

 ‘ミャウリンガル’を買って、さくらの気持ちを聞いてみたい。

〜 すっかり実のなくなった千両 〜
2009年2月15日(日)  No.2047

不気味な温さ
 朝、ガラスを見たら、びしょ濡れ。雨が吹き込んだにしては、少し様子が違います。触ってみたら、濡れているのは外側のよう。外に出てみると、何だか生暖かい空気が澱んでいました。

 部屋の中よりも外があたたかく、飽和状態の空気がガラスに触れて水分を吐きだしたのでしょう。土間のコンクリートもびしょ濡れでした。

 晴れるかと思いましたが、ほぼ一日どんよりした天気。それでも気温は18.3度まであがりました。

 気象台は、今日になって、近畿地方でも13日に春一番が吹いたと発表しました。昨日、関東、北陸、中国、四国、九州には春一番宣言が出ましたが、これで近畿も追いついた格好です。でも、翌日になって、「昨日吹きました」などというのは格好悪い。

 今日もバイクと車を駆使して外回り、法事、お通夜。そんなペースにも慣れてきて、難なく勤められるようになってきました。

 でも、やっぱり、40肩が痛い。湿布をしても、ストレッチをしても、揉んでも、一向に効きません。筆を持ちにくいのが困ります。

 しょうがないなぁ、加齢現象かな? 負けずに、華麗に振る舞おう! なんのこっちゃ!?

〜 咲き乱れる水仙 〜
2009年2月14日(土)  No.2046

検査結果
 医者に行って、この前、数年ぶりにした血液検査の結果を聞きました。「聞いた」というよりは、問診が面倒なので、「どこも問題ないですから、結果の紙だけください」と受付に電話しておいて、データの紙だけ貰いました。

 受付で、「1つ問題があるので、『春になったら再検査に来てください』と先生がおっしゃっています」と言われつつ、紙を貰いました。

 紙を見ると、「中性脂肪」のところに「↑」マークが付いていました。ちょっと意外。でも、「あー さもありなん」という感じもしました。

 冬の間、朝の散歩をサボって、しっかり脂肪をため込んでいました。おまけに、いただいたケーキなどをよく食べます。もったいなくて残せない。御供えの果物も、腐らせないようにと、できるだけ食べます。

 そうして積もり積もった中性脂肪は、正常値の倍以上。我ながらショックでした。

 「次の検査までに生活を改善して、中性脂肪を減らす努力をしなさい」というのが老ドクターの「春になったら再検査に来てください」という指示の真意でしょう。

 何とかしなきゃなぁー。まずは、甘い物を減らそう! お酒はほどほどだから、いいかな?

〜 初物! 土筆ご飯 〜
2009年2月13日(金)  No.2045

女院忌
 今日は真如堂開創の願主 東三條女院(藤原詮子)の御命日。「女院忌」が真如堂から錦林車庫に下った飛び地境内の元真如堂(換骨堂)で営まれました。


 詮子は円融天皇の後宮に入内して皇子(一条天皇)を生み、一条天皇が即位すると皇太后になって国政に強い発言力を持ちました。その様子には「国母専朝」と非難される(『小右記』)ほど、強引な面もあったようです。また、4つ下の末弟、藤原道長を偏愛し、兄道隆・道兼が亡くなった後は、道長を執政者として強力に推しました。東三条女院がいなければ、道長はあれほど栄華を極めることはできなかったでしょう。

 詮子は円融法皇が崩御された年に落飾され、皇太后宮職を停めると同時に「東三条院」の院号を贈られ、日本初の「女院」となられました。

 真如堂は東三條女院(藤原詮子)と開祖戒算上人の夢のお告げによって、比叡山から阿弥陀如来を下山していただき、女院の離宮に安置したことに始まります。


 女院は長保3年(1001)閏12月22日に崩御されました(『大鏡』)。

 旧暦では、月名と季節がずれないようにするため、約3年弱毎に1年を13か月にしていました。これを「閏月」と呼び、たとえば「閏12月」というのは、正規の12月の後の2回目の“12月”ということです。

 1001年閏12月22日を今の月日に換算すると、翌年の2月7日になります。それなのにどうして今日の日に女院忌を勤めるのでしょう? その理由はわかりませんが、いつの頃からか、2月12日に法要を営むようになりました。


 真如堂の僧衆はぞろぞろと坂道を下って元真如堂に向かい、仏前で法要をした後、お堂の裏側の‘お墓’の前で回向を致しました。

 『大鏡』によると、女院は遷化された後、鳥戸野において荼毘に付され、宇治木幡の宇治陵に葬られたそうですから、元真如堂のお堂の裏にある‘お墓’に遺骨の一部が納められているのか、あるいは供養塔なのかはわかりません。

 例年、この日は冷え込みが厳しいことが多く、雪が積もって長靴を履いて法要に向かったこともありましたが、今日は珍しく好天に恵まれました。

 気持ちのいい女院忌でした。

〜 女院忌に向かう僧衆 〜

2009年2月12日(木)  No.2044

夜のままごと
 庭の整備を始める前に、ガラクタを片付けなければなりません。

 もともとは長く枝の横に這った松や石灯籠があった庭でしたが、次第に前住職の手によって菊畑となり、その残骸の仮設屋根や竹、木っ端などが手付かずの状態で庭の端に山積しています。

 片付けるといっても、業者に処分して貰うより仕方がありません。今日は濡れ縁の下に突っ込んであった廃材やブロックなどを引っ張り出して種分けしました。

 50数年間の‘お宝’は、そう簡単には処理できません。めざせ! 脱ゴミ屋敷!


 ユンボを貰いました。ちょっと気味の悪い猫のチョコに添えてあった手紙には、「本物はあげられないけど、せめてオモチャを」としたためてありました。気持ちがうれしかったです。

 夜、風呂上がりにビールを飲みながら、猫のチョコや宮島のキティー、ユンボで遊びました。我ながら、閑なことをしているなぁと思いつつ・・・。

 キティーを買ってきてくださるお気持ちも有り難い。並んだ猫チョコからは、先日、博物館で見た『賢聖障子絵』を連想しました。

 でも、やっぱり、本物のユンボが欲しい!!

〜 深夜のままごと 〜
2009年2月11日(水)  No.2043

行方不明
 眼鏡が行方不明になりました。

 朝、眼鏡をかけてメールを打ち、それから外回りや法事をして夕方に帰り、仕事をするのにかけようと思ったのですが、見当たりません。

 さんざん探し回ったのですが、どこにもない・・・。いつもデスクの上に置いておくのですが・・・。

 数年前に作った後に老眼が進んで、もうちょっと合わなくなり、細かい字は見づらくなって来てはいたのですが、パソコンの画面を見るにはまだまだ使えます。

 自室以外で掛けることは考えられないので、たぶん棚の上とかに何気なく置いたのでしょうが・・・どこだぁ。

 子供の時以来、視力はずっと2.0でしたので、眼鏡を掛けるということにはいまだに慣れません。出かける時も、持参するのをすぐに忘れてしまいます。でも、眼鏡がないと、細かい字はもうほとんど読めないし、署名などをする時も字が何重にも見えて、よくわかりません。いまや必需品なのです。

 眼鏡がないと不便で困ります。

 と、ここまで書いて、またあちこち探し始めたら・・・ あったぁ!! デスクの上のディスプレイの足の奥の壁際に! 書類の上を滑って奥の方にいってしまったのでしょう。

 あー、よかったぁ。探したよぉ、眼鏡く〜ん!
2009年2月10日(火)  No.2042

数字の夢にうなされそう
 今日は数字に悩まされた日でした。

 税務署に行って、確定申告の用紙を貰いにいきました。確定申告の時期が近いためか、税務署を入ったところにはアルバイトらしい若い男性が待ち構えていました。

 「一般用の給与所得だけの用紙をください」と言っているのに、彼は知ったかぶりしたような質問をして、なかなか用紙をくれません。「2ヶ所からの給与所得だけですから」と憮然として言うと、奧に待機していた署員が駆け寄ってきて、サッと用紙をくれました。

 帰ってザッと計算してみると、なんと追加納税する額の多いこと!

 「これは計算間違いだなぁ」と、後でもう一度やり直してみることにして、事務所に行きました。


 事務所では会計事務所の人が待ち構えていて、今年の決算と来期の予算の打ち合わせ。今年度から新たにお願いした会計事務所なので、要領がまだつかめていないよう。勘定科目の設定をいまだにやっています。

 おまけに、会計事務所の勧めで導入した高価な宗教法人用の会計ソフトを、今になって「使いにくいので、他のに交換してはいかがでしょう?」などと言い出す始末。最初から一般用のソフトで十分だと言ったでしょう!!

 長々と打ち合わせをした割には、達成感のない時間でした。一所懸命やって下さっているのですが・・・。


 事務所から帰って、もう一度確定申告の計算。申告用紙でやってみても、国税庁のホームページでやってみても、他の手段でやってみても、結果は一緒。そりゃそうですよね。

 結局、執事の給料の1ヶ月半分を追加納税しなければいけません。デジタル一眼レフが欲しいと思っていたのに・・・幻となりました。

〜 着物姿で一眼レフを駆使していた横浜の女性 〜
2009年2月9日(月)  No.2041

四十肩
 先日来、肘から先が痛く、手を握るのにちょと違和感がありましたが、今日はそれが肘まで伝染してきたような感じ。木魚のバチを握っていても握力が足りず、すっぽ抜けていきそうです。

 何人かの人に、「四十肩です」とメールをしたら、皆、「五十肩でしょう」と返事が返ってきました。そういうところはきっちりチェックしているのですね。

 午後からは土木作業をしました。そんなことをしている時は、ほとんど痛みも感じず、手や腕を動かすのにストレスはありません。どうしてかな?

 今日は本堂の渡り廊下の改段したの抜け道の改修工事。今年度は、事業報告にも載せられないような自前の工事がたくさんあります。お金のないお寺ですから、自分たちでできることはなるべく業者に言わずに自前でやってしまわないと。

 抜け道には今までコンクリートの敷き板が置いてあったのですが、あまりに風情がないので石に変えようと、去年の早い時期から考えていて、材料は早々にホームセンターで買い求めてあったのでした。

 ところが、なかなか作業に取りかからないものですから、いつの間にか職員さんがその材料を奥の方にしまい込んでしまっていました。今日は、先ずそれを運び出すところからしなければなりません。重い石を持つ時には、さすがに手に力が入りません。

 ツルハシやスコップで地面を掘って、砂を入れて高さを調節し、板石を置いていきます。なかなかすんなりとは並んでくれません。

 そんな作業をボクがしている横から、「雨が降ったら滑りますよ」とか(滑らないってば!)、道具が見つからなくて困っていると、「ちゃんと段取りをしてからやらないからですよ」とか(当然ある道具だったの!)、「いろいろ言うと手伝わなあかんから、言わんとこうっと」とか(ひとりでやるってば!!)、入れ替わりボクの作業現場を観察しつつ、一言言って行きます。ほんとにもう!!

 通路に石を敷く作業は2時間ほどで完了。でも、雨でも降って地盤が弛んできたりしたら、「石がグラグラしてますよ」とか言うんだろうなぁ。

 ボクはボクで、「やっぱり、ボクの仕事は完璧やなぁ」と負けずに自画自賛。毎日楽しくやっていま〜す。

 それにしても、四十肩が痛い・・・。

〜 素晴らしい通路! 〜
2009年2月8日(日)  No.2040

庭造り
 今日の「メダカの学校」の講師をお願いした方は、日本庭園の研究家。庭のことを考えることの多い最近、今日の講師のお話をとても楽しみにしていました。

 一度もお目にかかったことのない先生に、「講師をお願いします」とメールを送ったところ、「私のようなものでよければ、喜んでお引き受け致します」とお返事をいただきました。その後ご挨拶に伺うこともなくメールで打ち合わせをして、今日。

 参加された方に、「先生とは以前からのお知り合いですか?」と聞かれ、「いいえ、行き当たりばったり、ダメ元で、メールでお願いしたのです」と答えたところ、「あちこちで講演されたり、何百人もの人を前にお話しされる方ですよ」と呆れられました。

 講演の少し前にお越し下さって、パソコンとプロジェクターを接続。その後少しお話をさせていただきましたが、とても気さくな方でした。

 今日のテーマは「日本庭園の美 - その美しさを紐解く "池泉庭園と枯山水庭園"」。「日本庭園の美」というテーマで3回シリーズでお願いしていて、その第1回目。

 日本の池泉庭園と枯山水庭園、中国やフランスの庭園などついて、とてもわかりやすくお話しくださいました。これから庭を見る目が、少し変わる気がしました。

 「山」と言われた時にイメージする形が、中国人と日本人では違うこと、それが庭園の成り立ちに大きく関わっているというお話は、以前、子供に「山を描きなさい」と言った時、多くの子が幼少の時に見ていた山の景色を描くと聞いた話と重なる思いがしました。

 講演が終わった後、本坊のあまり手の入っていない庭を見ていただきました。

 「他から持ってきた材料ばかりで庭を造ると、緊張した庭になる。もともとそこにあったもので、使えそうなものは石でも気でも使う。木を切るのは命を奪うような気がするので、なるべく切らない」というようなお話や、ご自身も実際の作業に携わられるということを聞いて感銘を受けました。

 今日の先生の祖父様も有名な作庭家ですが、今日の先生はその庭にも勝るような、今ある環境を生かした、‘自然な’庭を造っていただけるのではないかと思い、早速、本坊の庭を作り直すお話を進めさせていただくことになりました。

 とっても楽しみです!

〜 今日のメダカの学校 〜
2009年2月7日(土)  No.2039

予算
 あたたかくて、風の冷たい日でした。

 午前中は市内の南の方をグルッと一回り。午後はデスクワークと特別な団体の案内。夜は更新。こう書いてみると、別に何てことない1日でした。


 来月、役員会があるので、それまでに予算案を立てなければなりません。普通のルーチンの事業の他に、建造物や宝物の修理など、その年に限った事業もあります。あるいは、少ない拝観者をどう増やすかという手立ても考えなければなりません。その優先順位付けが難しいのです。

 今すぐにでも修理したい建物や宝物がたくさんあります。少しでも行政の文化財修復の補助金をもらえるようにも工夫しなければいけません。修理は、‘開けて’みないとわからないことが多く、予算とは大幅に変わってくることも少なくありません。

 真如堂は、境内までこられても、本堂や庭までお入りになる方が多くありません。いかに中まで入って貰うか、「拝観してよかった」と思ってもらえるか、そう思ってくださる方をどうやって増やすか。展示物の充実、庭の整備、職員の応対など、いろいろな要素が加わってきます。
 拝観者増加策は、いまやってすぐに‘効果’が出てくるものではありませんので、気長な取り組みになります。

 それらを俯瞰して優先順位を付け、お金のかかるものについては業者に見積もってもらう。そしてそれを積算していく。そんな作業を急がなくてはいけません。

 「あれがいくら、これがいくら」と、宙を仰いでお金のことを考える日が続きます。不得意な作業ですが、お寺の将来をどう考えるかということにも関わる大切な問題です。

 予算のことを考えるなんて、春も近いということですね!

〜 夕暮れに光る石畳 〜
2009年2月6日(金)  No.2038

うれしい電話
 夜遅くに電話がかかると、「どなたか亡くなったのかな?」とドキッとします。

 夜10時過ぎ頃に電話のベル。出ると、檀家の方。

 「先日、お参りに行って、4日に主人がガンの手術をすると申し上げましたが・・・」と話し始められました。

 内心、「まさか・・・」と思いましたが、話を聞いていると、ご主人の手術は12時間ほどもかかった末になんとか終わり、「今は『痛い、痛い』と言ってます」とのこと。

 「先日、ご住職に手術をすると申し上げたので、とりあえずご報告をと思いまして」と、本当にほっとした様子で話してくださいました。「よかった」ということを、お話になりたかったのでしょう。
 お姑さんは施設で寝たきり。その上にご主人までもが具合が悪いのでは、あまりにも大変。無事に大手術が終わって、本当にやれやれだったのだと思います。

 有り難い報告の電話でした。


 「最近、忙しくて」とボクが言うと、「お葬式が多くていいじゃないですか。儲かって」というような言い方をする人がおられます。以前、ボランティアで一緒だった学校の養護教員の女性がそういう言い方をされたものですから、キレたことがありました。

 人が亡くなっていいなんてことがあるものですか! 冗談で言ったにしても、実に無神経で、人の痛みがわからない人だと思います。そんな人が、援助職に就いているなんて、信じられませんでした。

 ただ、「坊主丸儲け」と、お寺は人が亡くなることによって成り立っていると、一般の方に思わせてしまっている現実もあります。確かに、自坊を含め多くのお寺が‘死者儀礼’によって経済的に成り立っています。

 だからと言って、訃報を聞いて‘よかった’などと思うことがあり得ないのは言うまでもありません。


 そういう‘報告’の電話をしてくださったということに‘関係の近さ’を感じ、今後益々いろいろなことを相談してくださるお寺にしていきたいと、また意を強くしたのでした。

〜 さくらの夜食 〜
2009年2月5日(木)  No.2037

リサイクル
 朝から南へ西へ東へ。

 京都市の西南の向日市から、京都市の東南の端 醍醐へ行くために、去年の6月に開通した全長2.7キロの有料道路を初めて使いました。平成7年に工事を開始したというのですから、そんな短い区間ながら、実に13年もかかったのです。

 ゲートを入って、ガラガラの道を走ったかと思ったら、もう終わり。これで料金は350円。

 多額の建設費がかかっているのはわかりますが、土日祝日の高速料金はどこまで走っても普通車上限1000円の乗り放題とするということが取りざたされている時に、この350円は実に馬鹿らしい料金だと思いました。


 午後、書院の屋根に登って、板壁を修理現場を見て回りました。下から見ていたのではわからない、昔の修復跡などを見てみたかったのです。

 昔の建物は、古い材料を再利用してあることが常ですが、この書院もご多分に漏れず、とことん再利用してありました。あちこちにほぞ穴などが開いていて、以前の建物のどこに使われていたのかがだいたいわかります。

 「こんな木まで再利用したのか・・・」と思う例もあって、ビックリ。再利用するのは手間が要ることですが、昔は人件費よりも木の値段のほうが高かったのでしょう。今のように電動工具で簡単に加工できるわけではなく、手で木引をしていた時代ですから、柱1本、垂木1本さえ貴重で、捨てるなんてできなかったのでしょう。

 昔の材料や大工さんの息づかいが聞こえるようで、建物に‘魂’を感じました。

 そろそろ来年の予算を立案しなければなりません。急いで修復しなければいけない建物、建具、掛け軸なども多く、優先順位を付けるのは簡単ではありません。

 屋根の上から、回りの建物を見回し、「あそこも・・・」「こっちが先かな」と、ため息ばかり出ます。

 立春のやわらかい光を、屋根の上で満喫した現場視察でした。

〜 板壁の工事現場 〜
2009年2月4日(水)  No.2036

さて、そろそろ
 今日も「日数心経」。3日は定例の元三大師堂の護摩供もあるので、本堂からは日数心経の木魚の音が、大師堂からは護摩の太鼓の音が聞こえていました。

 雨が次第に本降りになり、境内を訪れる人は少な目でしたが、雨でもお参りをしようという人はただ物見遊山の人とは心がけが違うのか、本堂に上がってお参りする人も多ければ、お賽銭も昨日よりは多かったそうです。

 ボクは例によって、大師堂に行ったり、本堂で般若心経を唱えたりしながら、多くの時間を事務所でのデスクワークに充てていました。

 自坊に帰っても、デスクワーク。そろそろ自分の晋山式の案内状の発送作業にかからなければいけませんが、その前に、前住職の晋山式の後始末を完全に終わらせておこうと、会計を閉める作業をしました。

 今度は檀信徒とごく一部の人だけを招くつもりなので、準備も楽です。イラレで完全版下を作って発注した封筒も出来上がってきました。案内状はコピーでいいだろうということなので、後はすべて自前の作業になります。

 案内状の発送さえしてしまえば、後はゆっくり準備ができます。さぁ、頑張ってやっちゃおうっと。

〜 人気のない節分の午後の本堂前 〜
2009年2月3日(火)  No.2035

節分会日数心経
 今日と明日の節分は、毎年恒例の「日数心経」の法会。1年間の日数分だけ般若心経を読むという、地味な法要です。

 真如堂の僧侶9名でローテーションを組んで30分交代で読経。30分でだいたい15〜20回ぐらい般若心経が読めるので、2日間あれば、365回はクリアできます。

 当番以外の時は、本堂前に建てられたテントの中で、「薬湯」の接待をします。でも、狭いテントの中に僧侶がたくさんいると、一般の方が入って来にくい雰囲気なので、ボクは読経したりテントに入ったり、事務所で仕事をしたりしていました。

 京都で節分といえば、吉田神社、壬生寺、蘆山寺・・・。食べ物、おもちゃ、アテモンなど、千軒近いの露店が軒を列ねた吉田神社の参道は、子供の頃には本当に楽しみでした。

 真如堂の行事も、この‘吉田さん’に来られる人を当て込んで、25年ほど前に始まったものですが、もう一工夫しないと、お参りの人は増えそうにありません。‘吉田さん’に行くために境内を通り抜けて行く多くの人の数%の人がお参りされる、そんな感じの日数心経会です。

 露店目当てに毎年行っていた‘吉田さん’の節分ですが、今年は行きませんでした。露店の食べ物は匂いや見た目ほどには美味しくなく、追儺式のある夕方6時頃はひときわ混むので、行くのが面倒になってしまったのです。

 穏やかで寒くない節分前日でした。

〜 本堂前の特設テント 〜
2009年2月2日(月)  No.2034

尼寺の浄斎
 住職2年目の初日は、月参り、他寺の大般若転読会法要への出仕、自坊の檀家の法事2座、襖の張り替えの納品の立ち会いと打ち合わせと、目まぐるしい1日でした。

 大般若転読会法要を終えた後は浄斎。尼寺らしいお食事で、豪華な食事にも負けない美味しさがあって、ボクはこれをいただくのが楽しみです。

 手前左から、お赤飯、大根とにんじんの紅白なます、筍・椎茸・人参・赤こんにゃく・里芋の煮物、リンゴ。碗物は、ふろふき大根(八丁味噌)、その向こうは胡麻豆腐、四角い皿は、キウイ、山帰来餅、金柑の砂糖煮。写真には写っていませんが、粕汁が付いています。精進で、ほとんどがお手製です。

 薄味ながら‘創作京料理’にありがちな出汁の味もしないようなものではなく、素材のうまみを引き出す味付けです。

 おいしいなぁ〜。これこそご馳走だなぁ〜。

 ゆっくり噛みしめていただきたいのですが、同席の皆さんの食べるスピードは速く、ボクも次の予定があるので、残念ながら急いでいただきました。


 朝は愛宕山が雪化粧。比叡山も上の方だけうっすら白くなっていましたが、それほど寒くはありませんでした。もうすぐ立春。寒くても寒さの質が違ってきました。

 風が強く、バイクで走っているとよろけそうでした。

〜 尼寺の浄斎 〜

2009年2月1日(日)  No.2033

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