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2008年3月の日記

年度末
 「今日も雨かなぁ」と諦めていたら、早朝から日が差し始めました。何だかすごく得した気分です。

 雨の時に見回って気になっていた雨水升の詰まりを直そうと、またもや早朝から土建屋仕事。
 50センチ四方の升には木の根がびっしり蔓延っていて、排水口を塞いでいました。
 「よくもまぁここまで放っておいたものだ」と呆れながら、スコップで根を切って少しずつ引っ張り出すと、手押し車ほぼいっぱいの根っこと泥が取れました。排水口もはっきり顔を出し、後は次の雨を待つばかり。成果を確かめるためにも、雨が待ち遠しい気分です。

 泥だらけになっているところに、友人の奥さんが訪ねて来られました。友人は去年の6月、亡くなりました。彼女と会うのも20年ぶりほど。長い時間、友人を偲んでいろいろなことを話しました。久しぶりにゆったりと時間が過ぎていった気がしました。

 午後は坂本での会議。早く終えて、帰りにホームセンターで買い物をしたいと思っていたのですが、予想外に長引いて暗くなるまでかかり、帰りには雨も降っていたので、断念。

 境内の染井吉野は4分咲き程度なのに、坂本ではまだ1分程度。一山越えただけでずいぶん違うものだと驚きました。

 夜は公式ホームページ作り。境内の諸堂の説明を書くのにあれやこれや調べていたら、ほとんど進みませんでした。4月1日正式公開のつもりだったのですが、未完のままのスタートとなりました。
 まぁ、しょうがないなぁ。

〜  銀閣寺疎水辺の桜(車窓より) 〜
2008年3月31日(月)  No.1725

誤発報
 朝、三十三間堂近くの檀家宅までお参りに行き、とって返して、1時間おきに法事3座。1座は納骨。

 一人での法事なので、出来るだけ大きな声を出してと思って勤めましたが、午後になってドッと疲れが出てきました。

 夕食を食べると眠気が・・・そんな時に1本の電話。「ひょっとして、お葬式?」と思いましたが、違いました。いま、「四大不調」とお聞きしている方がおられ、電話が鳴ると「ひょっとして・・・」と思ってしまうのです。

 電話は、境内のお堂のセキュリティーが発報して、異常があったことを知らせてきたものでした。

 ここ1週間で3回目。夕べも同じような時間に発報しました。

 「また誤報だな」と思いつつも、駆けつけないわけにはいきません。ほろ酔いで気持ちがよかったのに・・・雨の中を傘をさして走っていき、発報しているお堂へ行きましたが、何も変わったことはありません。
 おそらく、蜘蛛などがセンサーの中に入り込んでいるのでしょう。業者に誤発報が多いことを連絡してありますが、まだ点検には来てくれていません。

 駆けつけた時には息絶え絶え。呑んで走るのはきっと体によくありません。これからは歩いて行こうっと。

 せっかくの日曜日でしたが、雨のためか、お花見の方も少な目でした。染井吉野はまだ3〜4分咲きです。

 「お休みなのに、申し訳ございません」と言って墓参に来られる方が時々おられますが、お寺は年中無休。土日は特に忙しいのです。お気兼ねなくどうぞ。

〜  本堂脇の桜(携帯画像) 〜
2008年3月30日(日)  No.1724

説明板増設計画進行中
 境内の木の説明板が好評につき、朝一番に増設。

 昨日、2人に「赤いのは何ですか? 新芽ですか?」と花の木について聞かれたので、夜のうちにその説明文をラミネート加工しておきました。

 朝、6時半頃から、ノコギリやノミ、鉈などを使って、それを貼り付ける看板を作成。早速、杭打ち用のハンマーを持って境内に行き、花の木の横に設置しました。

 昨日設置した「しだれ桜 見頃です」の看板は相当効果を発揮して、枝垂れ桜を見上げる位置は人だらけ。大成功!

 お昼の法事の後の浄斎の席で御酒をいただいた後、事務所で仕事をして、ちょっとイイ気分で境内を歩いていたら、いつも犬の散歩をされている方に花の木の説明板のことを誉められました。見てくれている人もおられるんだと、また嬉しくなります。

 花や木のことなどに興味のない人には何の面白味もない説明ですが、興味のある人はさらなる説明を求めてこられたりします。ボクも素人ですから詳しいことは言えませんが、知っている範囲でお答えしたりすると、その方の木への愛着が深まっていくように感じます。
 愛着のある木が増えてくると、真如堂の境内はますますその方にとって大好きな場所になっていくに違いありません。とても嬉しいことです。

 境内を美しく! 訪れる人にはやさしく親切に! マナーの悪いカメラ親爺には超厳しく! 

 やりたいことをやり遂げるには時間が足りません。"The day is short, and the work is much." 歎いていても何の得にもなりません。毎日コツコツやるのみですね。

〜  夕陽の当たった枝垂れ桜が綺麗でした 〜
2008年3月29日(土)  No.1723

次々と・・・
 「あまりにも不細工」と、以前から気になっていた、拝観コースにあるつくばいの筧を作り替えました。

 職員なりに直したり整備したりしてくれていたのですが、変なところに止水栓がむき出しになっていたり、「和」にはまったくそぐわない蘭や洋風の植木鉢が並べてあったりして、「何とかしなければ・・・」と思っていました。

 自坊で筧の下ごしらえをして、現場に持参。現場ではまず水道管の工事。工具や配管の材料などは、すべて自坊から持参。忘れものを取りに帰ったり、中々すんなりとは進みませんでしたが、なんとか思い通りに完成。なかなかエエ感じ。

 何かをする度に工具などを持っていくので、事務所のデスクの一番大きな引き出しは、工具だらけになってきました。

 自坊と行き来するついでに、去年挿し芽をして育てたタニウツギの苗を境内に移植。「あそこをこうしたいなぁ、あっちはこんな感じのほうがいい」と、やりたいことがいっぱいあって困ってしまいます。

 朝、起き抜けには「しだれ桜 見頃です」という看板を作って境内に置きました。枝垂れ桜は正面参道からは目立ちにくい場所にあるのですが、その甲斐あって、桜のまわりには常に見物する人がいるようになりました。桜も見てもらってうれしかろう・・・。

 そんな作業をしながらも、肩にはカメラをぶら下げ、更新用の写真も撮りました。10時頃には更新も完了。また、やりたいことを思い出して、その準備作業。次から次へと「「あそこをこうしたい」ということが湧いてきて、何だか無限に続いていきそうな気がします。

 苦ではなく、楽しんでやっているのですから、「まぁ、エエかなぁ」という気がします。

〜  猫のように昼寝がしたいなぁ 〜
2008年3月28日(金)  No.1722

映画の聖地
 真如堂に映画の記念碑を建てることになりました。

 今年は、日本映画が生まれて100年という記念すべき年。1908年、日本映画の父と呼ばれる牧野省三監督の映画『本能寺合戦』が公開されたのだそうです。本能寺に見立ててられて撮影の舞台となったのが真如堂でした。真如堂は日本映画の「聖地」なのだそうです。

 その後も、牧野省三氏は時代劇の中でトリックを多用し、忍者映画が大ヒットしたそうです。そのため屋内の映画撮影所が必要になって、京都市内や太秦に次々に撮影所が建設され、日本映画の黄金時代を迎えるようになっていきました。

 真如堂でも、多くの映画が撮影されました。「目玉の松ちゃん」はよく撮影に来ていたそうですし、ボクも往年の大スターを、子供の頃に何度も見ました。主に、チャンバラや忍者ものが多かった気がします。
 真如堂の北参道を下がったところには、撮影所もあったそうです。

 忍者が屋根の上などを走って瓦を割ったり、車で参道を傷めたりということがあり、次第に撮影を規制するようになって、現在は真如堂で撮る必然性がないと許可しない方針になっています。

 松竹映画の社長の墓所もあり、一昨年亡くなった松竹の会長 永山武臣氏も学生時代に真如堂に下宿しておられ、そのご縁で、その年、正面参道に新しい石灯籠一対を寄進して下さるということもありました。

 真如堂は、いろいろ映画とは深いご縁があるわけです。

 今日は、映画の監督さんや記念碑のデザインをする人などが訪れ、碑を建てる候補地などを検討しました。細かいことはまだこれからですが、10月には除幕。紅葉の頃には多くの方に見ていただき、お寺と映画の不思議な縁を感じてもらえるでしょう。

〜  満開のオオイヌノフグリ。春だぁ! 〜
2008年3月27日(木)  No.1721

懐かしい人たち
 懐かしい人が訪ねてくれました。

 一人は、松坂から来た高校の同窓生。お嬢さんが京都の大学に行くことになり、大学の近くに下宿することになったということで、親子3人で訪ねてくれました。

 何年会っていないのか思い出せないほどですが、顔を見て、「オッサンになったなぁ」と感じました。でも、すぐに「自分もさぞかしオッサンになっているんだろうなぁ」と思いました。

 共に寮生活をした仲なので気兼ねもなく、雑談をしたり境内を案内したりして、楽しい時間を過しました。


 夕方、大学で‘教鞭をとっていた’頃の教え子が、結婚披露宴の案内状を持って、フィアンセと一緒に訪ねてくれました。ほとんど教えることなどしていないボクを披露宴に案内してくれるなんて、うれしい限りです。

 会うのは6〜7年ぶり。童顔だった彼も今は38才になり、ずいぶん‘オッサン’になっていました。「皆、歳を取るんだなぁ」としみじみ思いました。

 同級生の消息情報などを交換し、これまた楽しい一時。桜も咲き出し、「春」がいっぱい溢れているような感じでした。


 最近、さくらはボクの顔を見ると逃げてしまいます。

 今はお互いに別棟で過ごすようになったため、さくらと会うのは、朝のご飯をあげる時とさくらのいる棟にお風呂に入りに行く時だけ程度。一緒に寝ることもなくなってしまいました。

 その上、その少ない時間の中で足の爪を切ろうと、さくらと大格闘。さくらにとっては「ママ」から「嫌なことをするオッサン」に変わってしまったようです。

 辛いなぁ・・・あんなに可愛がったのに・・・。

〜  咲き始めているのですが、写真ではわかりません。「縦皮桜」 〜

2008年3月26日(水)  No.1720

久々の作務
 今日もポカポカ陽気。「こんな日にデスクワークをしているのは勿体ない!」とばかりに、昨日買ってきた資材で、早速、境内美化計画に着手しました。

 今日は、池の周りの有刺鉄線の撤去と竹垣などの設置。池の周りには石柱が取り囲んでいて、その間に鎖が張ってあります。戦後間もない頃に施工されたもので、鎖はゆるくたるんでいて、池の端に近づくのを防ぐ効果は薄くなってしまっていました。

 まずは、昨日買ってきた番線で、鎖をくくってピンと張る作業。

 朝、ボクがそういう作業をすると職員さんに言っておいたら、ボクが取りかかる前に抜け駆けしてやり始めていました。でも・・・悪いけど、大半はやり直し。仕事は早いんだけど、もうちょっと・・・。

 この作業はかなり手に堪えました。夜になって塔婆を書こうとしましたが、筆がしっかり持てない感じ。下手な字がさらに・・・。

 杭を打ち込んで竹を渡したり、今日の首尾はまずまず。でも、杭はもっともっと要りますし、竹も注文しないと、作業は完了しそうにありません。また後日。業者に頼まずに自前で何とかしたい箇所はまだ山ほどあります。外の作業だけに集中できれば、ずいぶん進むのですが。

 今日は久々に外の作業をして、すご〜く気持ちがよかったです。作務、大好き!

 夕暮れに見た椿が、幻想的なほど美しかったです。ご褒美かな? 椿の単純明快でいて奥深いところが大好きです。

〜  夕暮れ時の、参道脇の大椿 〜
2008年3月25日(火)  No.1719

買い出し
 農機具屋にブロアの修理を依頼しに行くついでに、ホームセンターで買い出しをすることにしました。

 春になって訪れる人が増えて来るのに備えて、とにかく境内を綺麗にしておきたい。そのための資材を求めるためです。

 ホームセンターの売り場を回ってみて、ちょっとがっかり。園芸資材などの品揃えは、やはり京都府下や滋賀県などのホームセンターには劣ります。

 とりあえず、焼き杭、番線、ゴミ運搬袋、化成肥料、駐車禁止のコーンなどを、リストを見ながら買いました。

 帰りの車の中はビニールっぽい臭いが充満して、気持ちが悪くなるほど。窓を開けずにはいられませんでした。

 さて、時間の合間を見つけて取りかかろう! 時間があるかなぁ・・・。


 京都地方気象台は、今日、染井吉野の開花を宣言しました。例によって、「どこに咲いているの?」という違和感がある早さで、境内の桜が咲き出すにはあと3〜4日かかります。

 2月は雪などもよく降りましたが、3月に入って暖かな気候が続いたため、急に桜の蕾も大きくなりました。3回目に出された開花予想の「26日」を上回り、平年より1週間早い開花です。何でも、観測史上4番目の早さだとか。

 境内の染井吉野が満開になるのは、4月2〜3日頃。6日の日曜日にはもうかなり散っているかも知れません。

 春はもう少しゆっくり来て欲しいなぁ。

〜  インド禅定林の用向きで行った「承天閣美術館」の床の間に置かれた像の置物 〜
2008年3月24日(月)  No.1718

お墓マップ
 お彼岸最終日。連日、立ったり座ったりなので、足腰もかなり疲労している感じ。思わず、「ヨッコイショ」という言葉が口から出てしまいます。

 夕方、人が少なくなったのを見計らって、‘墓地マップ’の作成に着手しました。

 真如堂の墓地にはたぶん千基以上のお墓があり、自坊関係のお墓も数百基あります。よく墓参に来られる方のお墓の場所はわかるのですが、あまり来られない方や遠方の方のお墓の場所がよくわかりません。

 「お彼岸の回向をしておいてください」と回向料を送ってこられる方のお墓を探すのに一苦労。どうしても見つからない時は、墓地から前住職に電話をして教えて貰う始末。いつまでもそんなことはしていられません。
 そこで、自坊に関係するお墓のマップを作り、データベース化することにしたのです。
 地区ごとに大きく「A」「B」「C」「D」などとブロック分けして、その中の何番という形で略図の上に印をしていきます。

 相当、手間と時間のかかる作業ですが、これをしておけば、例えば「知人のお墓参りをしたい」という方が来られてもすぐに説明してあげられます。

 住職になるについて、しなければならない作業の一つだと以前から考えていましたが、お彼岸の間にその必要性をまた痛感しました。そこで、早速着手したというわけです。

 せっかくやり始めたのですが、10基ほど記録したところで雨が降り始め、あえなく撤収。でも、これからはあたたかくなるので、じっくりとお墓巡りをしたいと思っています。


 朝、枝垂れ桜が咲きかけていました。会う数人に「塔の横の枝垂れが咲いているはずですよ」と教えてあげましたが、自分が見たのは夕方。7〜8輪が開花していました。

 真如堂の枝垂れ桜は、今日、開花宣言です!

〜  咲き出した枝垂れ桜 〜
2008年3月23日(日)  No.1717

表札をあげる
 土曜日でお彼岸の墓参の方も多く、急いで月参りに行って、後はお昼も‘寸断’されつつ食べるほどの忙しさでした。

 2時を過ぎた頃から少し人が減ってきたので、表札の作成にかかりました。

 1ヶ月以上前、改築に来てくれていた大工さんに表札を作ってもらいました。自分で作ろうとしたのですが、適当な木切れがなくてうまく出来ず、あまり不格好なのはいけないだろうと思って依頼しました。大工さんは桧の立派なものを作って来てくださいました。

 すぐに自分で字を書いてみたのですが、どうも気に入りません。削ってまた書き直そうと、それ以来、キッチンのテレビの上に置いたままになっていました。

 先日、お彼岸の中日のお供養作りを手伝って下さった方が、それを見て、「まだ表札付けてないの!」と言っておられたらしく、ボクもそろそろ掲げた方がいいかなぁと思い、墓参客の間を縫って、表面をかんなで削って電動サンダーをかけ、新たに字を書き始めました。

 書いてはみましたが、やっぱり気に入りません。下書きの時はうまく書けるのですが、本番になると筆が進みません。もとから下手な上に、慎重になりすぎて筆に勢いがないので、どうしようもない字になってしまいました。

 日向に干して墨を乾かし、もう一度サンダーで削って書き直し。やっぱり気に入りません。ガスレンジに火を付けて、表札を炙って乾かしていたら、ちょっと焦げてしまいました。再度、サンダー。やっぱり気に入らない・・・。この作業を4回ほど繰り返しました。

 せっかく大工さんが作ってくださった立派な表札の板も、横から見ると、真っ平らではなくなってしまっていました。角は少し焦げているし、裏側は傷だらけ。

 「何だか板が薄っぺらになってきたなぁ・・・。もうエエ加減にしておかないと・・・」と、意を決して書き、いよいよ門に付けに行きました。

 誰かに見つかって表札のことを話題にされるのが嫌だったので、回りを見回してこっそり付けました。

 少し下がって眺めてみましたが・・・字のバランスが悪くて、やっぱりダメ! 急いで取り外し、またサンダー。

 さらに2回ほど、書いては削りを繰り返し、最後は上の1字だけ削って書き直して、もう限界。これ以上やると、もう一つ大工に作ってきてもらわなければならなくなります。 「プリンタで印字した紙を板に貼り付けようかなぁ」とも思いましたが・・・。

 「今日はこれぐらいにしておいてやろう!」と選択の余地無く門に取り付け、改めて見ることはせずに、さっさと中に入りました。

 表札「その一」は完成!? もうちょっと字が上手くなったら、また書き直すこととします。

 綺麗な表札は目立っていけません。古色を付けてカモフラージュしようかなぁ・・・

〜  苦心の末の表札 〜
2008年3月22日(土)  No.1716

更新日来る
 昨日の疲れで、体のあちこちが筋肉痛のような感じ。腰も痛いし、ウイークポイントの首も痛い。おまけに眠たくて、日向にいると居眠りしてしまいそう。

 自坊、事務所、外回りを反復する合間に、「今日の散歩道」の写真を撮りました。

 「ちょうどいいシャッタチャンス!」と狙いを定めていたら、「こんにちは」と声を掛けられたり、「ホームページですか?」と尋ねられたり。

 最近は‘変装’している暇がなく、知っている人に出会った時に、あまり変な格好をしているわけにもいかないので、1日の大半を法衣で過ごすことが多くなりました。ですから、写真を撮っていてもすぐにボクであることが露見してしまいます。

 おまけに、そんな格好で寝転ぶわけにもいかず、たいていは立ったままやせいぜいしゃがんで写真を撮ることが多く、寝転んだり、面白いアングルでカメラをかまえることもできません。

 第一、ボクが写真を撮ることを楽しめていません。

 「こんなことでは、皆さんに見ていただくページは作れないなぁ。申し訳ないなぁ」と思うこと頻り。

 昨日の片付けなどをしていたので、更新作業に取りかかったのは7時前でした。「諦めモードの時は早く出来上がる」の法則通り、何とか11時前に完成。ホッとしました。

 書かなければいけない手紙が何通も溜まっています。キーボードは苦ではありませんが、ペンを持つのはとても億劫。「明日は書こう」と思いつつ、もう何日も経ってしまいました。
 明日は書こう!

〜  自坊前の水仙 〜
2008年3月21日(金)  No.1715

彼岸お中日
 夜中に、何度もトタン板のバタバタいう音で目が覚めました。外は雨と強風。
 「あれはどこのトタンやろ?」と思いつつ、また眠りにつき、また眠りを妨げられて、「あー、直さんとあかんなぁ」と夢うつつで考えながら、また眠りに。そんなことを何回も繰り返した気がします。

 朝になっても強い雨が降っていました。今日はお彼岸のお中日。足下も悪いので、参拝者も少ないかも知れません。

 法要や会場の準備やお供養でお出しするちらし寿司作りの手伝い、境内の整理のためにお願いしたシルバー人材センターの人たちへの仕事内容の説明などに、朝から駆けずり回りました。

 檀家総代の人たちやお手伝いをして下さる方たち20人ほども三々五々来られて、準備万端。ただ、雨だけは一向に止む気配はありませんでした。

 法要の後、皆さんにお話しすることを考えなければいけないと思っていましたが、そんなことをしている時間もなく、法要の定刻。
 いままでは2人でお勤めしていましたが、今回からはひとり。木魚や鐘などの鳴り物もひとりでは使えず、ちょっとひっそりした感じ。でも、その分、参列していただいた方も静かでした。

 法要を終えて、住職就任のご挨拶を何とかさせていただき、続いて前住職(貫主)から檀家の方々への退任の挨拶。その間にボクは着替えに行ったので、何をお話させていただいたのかよく聞いていませんでしたが、今までよりもずいぶん短めに話して、終わるなり帰って行きました。ちょっと肩に力が入っているのかな・・・。

 お中日に来られる人が減った上に、この天気。でも、終わる頃には建物内に入りきれず、玄関や外に立って聞いて下さっている人もおられました。

 すべてが終わって、皆さんにお供養を出させていただきました。お寿司、お浸し、お吸い物を150人ほどの方に食べていただきました。

 参拝に来られる方が絶えず、ボクはずっとその応対。お昼ご飯も、一口食べては誰かが来られるという状態で、食べきるのに1時間ほどかかりました。

 来客対応をしながら片付けをして、本坊からの電話に気が付いたらもう4時。片付けは延々と切りがなく、くたびれて体の節々が痛いので、9時過ぎでやめました。

 あぁ〜、疲れたぁー。でも、大きな年中行事を一つこなして、やれやれと安堵しました。総代方やお手伝いに来てくださった方々には、‘大感謝’です。これでちょっとは住職らしくなったかな?

〜  早くも芽吹き始めたカエデ(携帯画像) 〜
2008年3月20日(木)  No.1714

初‘イベント’
 明日のお彼岸中日にお参り下さった方々にさし上げるお供養のちらし寿司を作る準備をするために、10人ほどの方が手伝いに来て下さいました。

 お寺で食べて帰られるのは170人余り。急いでおられるなどでテイクアウトしていただく分を含めると200人前を越えます。食べられる場合は、お清ましとお浸し・香の物を添えるので、その準備もしなければなりません。

 住職が交代して、お手伝いに来てくださる方の顔ぶれも少し変わりました。これを機会に引退される方もあれば、初めて手伝いに来てくださった方もあります。人の縁に支えられて行事が行えることを痛感します。

 男手の要るような力仕事は昨日ほとんどしておいたので、今日は来客対応や経木塔婆書き。あるいは、遠方などの理由で墓参ができない方のご依頼による墓地での回向などに終われました。

 雨の墓地に行っていたら事務所から呼び出し電話。修繕を依頼していた大工さんが下見に来られたというので、現場を説明。入れ替わりに、15年ほどお会いしていない人が突然、岐阜の高山からお越しになり、お互いの近況を披露したり、本堂を案内したり。事務所へ行ったついでに溜まっていた仕事をこなしていたら、すっかり夕方になってしまい、自坊に帰った時には皆さん既に帰ってしまわれていました。お礼も言えず、申し訳ありません。

 夜なべで明日の準備を完成させて、今夜は少し早く寝られるかなぁ。明日も雨。お参りは少ないかも知れません。

 さぁ、住職となって初めての大きな‘イベント’がやってきます。

〜  何かを狙っているのかな? ミーコ 〜
2008年3月19日(水)  No.1713

奮闘努力
 ここのところの急激なあたたかさに、自坊の桜ん坊が一気に咲き出しました。「もっとジワジワ咲いてくれればいいのに・・・」と、少しもったいない気がします。

 でも、お彼岸のお参りにお越しになる方を花で迎えられるのは嬉しいことです。今日も墓参の方がたくさん来られました。

 最近は、混雑して車も置けないお中日を敬遠して、それ以外の日にお越しになる方が増えています。平日のほうがゆ〜っくりお参りできるので、そのほうがオススメです。

 今までは2人でやっていた彼岸のいろいろな準備も、全部ひとりでやらなければなりません。忍術などで、ボクのクローン人間を2、3人作って手伝わせたい感じです。あれやこれや、走り回っています。

 時間の経つ早さは年齢に比例するなどと言われますが、最近は超特急。「今日はこれで充分だなぁ」と満足して1日を終われることがなかなかありません。それでも、2月の気忙しさを思えば、少しは気分的にも余裕が出てきたでしょうか。

 新米住職、駆け出し執事の奮闘は続きま〜す!


 『雨の名前』という本を求めました。出版されてから、もうずいぶんになるのですが、少し高いので躊躇しているうちに忘れていました。最近、春の雨が花や芽を育てることに思いを馳せているうちにまた買いたくなって、ネットで注文しました。

 −古来からの「雨の名前」をキーワードに、詩と短文・写真で、現代日本人の暮らしのネッコに迫る、カラー版で楽しむ「辞典+歳時記+エッセイ+写真集」−

 写真や文章を見ているうちに、雨の匂いや音、空気までが感じられるようで、「買ってよかったなぁ」と大満足。癒される本です。 時々、ボーッと読もうっと!

〜  一気に咲いてきた桜ん坊の花 〜
2008年3月18日(火)  No.1712

ミニ鯛焼
 外回りのついでに、久々にデパ−トに行きました。日常の世界とはまるで別世界。田舎から出てきたお上りさん状態で、見るものすべてが新鮮でした。

 進物を求めて地下に下りましたが、これまた新鮮。総菜はいっぱいあるし、ケーキ屋さんだけでも何軒もあります。移動する度にいろいろな匂いが交差して、歩いているだけでもお腹が膨れそうでした。

 「余ったらどうするんだろう」 ふと、そういう思いが頭をもたげます。飽食の国、食べ物を粗末にしても何とも思わない人たち。そう思うと、賑やかなマーケットが一気に色褪せていきました。

 そんな中、メチャメチャ可愛い鯛焼を発見! 12個セットで、あんことカスタード、チョコの3種類あるというので、4つずつ入れて貰いました。

 しばらく市中を回って帰宅。夕食後のティータームに、オーブントースターで温めた鯛焼をいただきました。

 チョコレートは、食べようとくわえた途端にお尻が割れて、チョコがベチョッ!と床に落ちてしまいました。味はイマイチ。でも、定番のあんこ入りは美味しかったぁ!

 昨夜は腹痛に七転八倒していたのに・・・。

 鯛焼で一息入れて、彼岸の準備に、夜遅くまであちこちを片付けました。

〜  ミニ鯛焼。わさびは大きさを比較するために 〜
2008年3月17日(月)  No.1711

罰当たり?
 彼岸入りの前日の日曜日。お中日は車が混雑して駐めにくいので、最近は中日に来られる方が減って、その前後の休日の墓参が多くなりました。

 今日も墓参に来られる方も多く、法事もあって、バタバタしていました。

 春の陽気に境内を行き来する人も多くなりました。奈良のお水取りも終わり、彼岸も来たって、いよいよ春本番です。

 お肉をいただいたので、夕食にすき焼きにして頂戴しました。彼岸頃に肉料理というのは、ちょっと気がひけるのですが・・・。

 罰が当たったのか、食べてしばらくしたら、お腹が差し込んできて抱え込むほど痛くなり、何だか吐き気もしてきました。やっぱり、罰かな?

 肉がいけなかったのか、卵がいけなかったのか・・・卵はアンケートに応えたのが当選したらしく、今日送られてきたものでした。頂き物の生椎茸も入れました。もらい物ばかり・・・。

 もともと肉には弱い体質ですが、こんなに苦しい思いをしたのは久しぶり。当分食べたくないと思いました。下さった方、ゴメンナサイ。

 体中の力が抜けて、腑抜けになったような夜でした。

〜  日向ぼっこをするシロクロ猫 〜

2008年3月16日(日)  No.1710

半日春爛漫
 9時から、本堂で月遅れの涅槃会。ご参拝の方がおられたので涅槃図の説明をしようとしましたが、「立て板にトリモチ」状態。職員がする説明の原稿はボクが書いたのですが、実際の説明などもう数年間したことがありませんでした。「予習しておけばよかった」と猛省。

 午前中は、「晴れ」の天気予報に騙されたのかと思いましたが、午後からは文句なしの快晴。ポカポカ陽気となりました。

 タクシーに乗ったら涼しい風が吹いてくるので、運転手さんに聞いたところ、クーラーを入れているのだそうでした。きっと今朝は暖房を入れていたでしょうに・・・。

 陽光の中、春を満喫したい気分でしたが、午後からは葬儀。数え年101才のおばあちゃんでした。

 明治41年生まれ。明治・大正・昭和・平成と生き抜いて来られたのですが、その間、戦争をはじめとする幾多の困難を乗り越えて来られた人生だったでしょう。ほがらかで気さくな方でした。

 火葬が済むまでの間、しばし帰って本堂の様子を見に行きました。

 今日の拝観者は、涅槃図の特別公開期間最高の120余人だったとか。昨日までは多くても30人程度でした。

 都大路は一気に車が増えましたし、少しあたたかくなっただけで、こんなにも人は動きたくなるのだなぁと実感しました。

 ボクも春の野山を駆け巡りた〜い!

〜  散りばめられた梅の花びら 〜
2008年3月15日(土)  No.1709

雨の一日
 朝から強い雨が断続的に降りました。でも、「多少濡れてもいいかなぁ」と思える、春を呼ぶ雨。濡れることには変わりはないのですが、冬の雨とは気分が違います。

 「今日の散歩道」の更新に費やせる時間はわずかしかなかく、雨で写真も撮りにくかったので、最初から少々諦めムード。その甲斐あって? 10時半頃には一応完成。

 「疲れにはビタミンCを摂らないと」と思って、いただきものの文旦を丸々一つ食べたら、お腹がゴロゴロいい始めました。様子を見ながら床に就きましたが、逆にいつになく熟睡できました。


 NTTがひかり電話の工事に再チャレンジしにきました。「ちゃんとわかる人を寄越してください」と念を押しておいたので、この前と違う人が来ましたが、キューピーちゃんのような顔で、何となく頼り無さげ。でも、こちらの質問にもちゃんと的確に応えてくれ、アッという間に工事は完了。電話もFAXも光回線に切り替わりました。

 やれやれです。何かをしてもらうたびにトラブルNTTに、何かを頼まなければいけないようなことがありませんように・・・。

〜  馬酔木もよく咲いてきました 〜
2008年3月14日(金)  No.1708

無事、円成
 いよいよ本堂での葬儀の日。

 朝一番に本堂前の階段をブロアで掃除しましたが、もみじの細かい種がいっぱい落ちていて、あまり掃除の成果は上がりませんでした。

 寝ずの番をしていたガードマンたちは、夜も明けないうちに散歩をする人たちが何人もいて、それが一番‘こわかった’とのこと。さもありなん。

 お天気は、もう少しお日様に出て欲しい気がしましたが、葬儀社にいわせると、「お葬式日和」なのだそうです。何人もの人から、「自分は晴れ男だ」という話を聞きました。ともかく、これで式の半分は成功したようなものです。

 先日来、自坊、本堂、本坊を行き来するだけで、どれだけ歩いているかわかりません。どこにいるかわからないので、連絡は着物のお腹のあたりに入れてある携帯電話です。便利になりました。

 葬儀・告別式は予定通り開式。時間と参列者の兼ね合いで、急に‘プログラム’を変える必要に迫られて導師などに耳打ちをするなど、少々ハプニングもありましたが、無事に閉式。本当にやれやれです。

 閉式後は原状復帰。2日かかって作った式場を元通りにしなければなりません。葬儀社、花屋さん、大工さん、電気屋さんなどが総力をあげて一気に片付けにかかった甲斐あって、7時前には元通りの本堂、境内になりました。
 最後に、葬儀社の男性職員たちが並んで本堂前を掃きそろえ、すべて完了。

 ただ、違うのは、本堂前の‘印’。昨日穴が空いた消火栓の位置を示すマーカーだけでした。

 大きな‘仕事’が魔事無く円成して、少し‘大きく’なった気がしまます。改めて、故人のご冥福をお祈り申し上げます。

〜 「桜はまだかいな?」と眺めるミーコ 〜

2008年3月13日(木)  No.1707

アクシデント
 本堂での葬儀の最終準備。

 葬儀社の準備も最終段階に入り、こちらも式場の道具を準備したり、七條袈裟を出したりと、準備に追われました。

 忙しい中も準備は順調に進むかに見えましたが、突然、「水道管が割れて水が漏っています」の第一報。業者を呼んで対応しているということなので、しばらくしてからボクも現場に行きました。

 現場では水道屋さんが来て土を掘り返していました。かなり深く掘ってもまだ水道管が見えてきません。「あっ、これは水道管ではなく、消火栓の管をやったんだな」と直感。しばらくして、水道屋さんも水道管でないことに気が付きました。

 すぐに消防設備の業者を呼びましたが、夕方までは行けないとのこと。消防のポンプ室などに見に行くと、漏水を示す警告が出ていました。

 4時前になって業者が到着。しばらく掘り進めていたら、ようやく消火栓の管が見えてきました。管は7〜8年前に更新した新しい樹脂製で、修理をするにはかなり大がかりな工事になります。しばらくして、もう一人の業者の方が到着。あとは任せるしかありません。葬儀社の人たちも協力して、応急処置に必要な部材などを買いに走ったりしてくれました。

 7時前、ようやく応急処置が完了。業者の人はドロドロになって、何度もため息をついておられました。今年定年になられるのだそうですが、戦前からのお付き合いの業者で、信頼できる担当者です。

 今日できることはすべて終わりました。明日は天気もよさそう。

 本堂は設えの関係で完全に閉めることが出来ないため、警備会社が寝ずの番をすることになりました。7時半頃、本堂にセキュリティーを入れて、自坊に帰り着こうとした時、けたたましい警報が境内に響きました。

 僧衣を翻して走って本堂に行くと、葬儀社の人が「スミマセン」と慌てていました。こんな葬儀は滅多にないと見学に来た葬儀社の人が、本堂に足を踏み入れたのです。警備会社には「中に入ると警報が鳴る」と言っておいたのに・・・。

 警報を止め、復旧。ようやくこれで帰れます。

 今日も長〜い、長〜い1日でした。

〜 慌ただしく準備が進む中、ゆっくり日向ぼっこする猫 〜
2008年3月12日(水)  No.1706

本葬準備に奔走
 朝早く、いつも通りの静けさ。散歩の人が与える猫たちの餌をカラスが盗りに来ることについて、職員と対策を考えたりしていました。

 そのうち、明らかに職人さんと思われるような人が次々と集結。ちょっと見ない間に、本堂前はトラックで埋め尽くされていました。13日の人間国宝の方の葬儀の準備に、葬儀社の人たちが準備に来たのです。

 そのうち、責任者が挨拶に来られ、本堂内の飾り付けのために荘厳具などを移動させたいとのこと。「聞いてないよぉ!」と言いたいところ。今日は隣山の「黒谷さん」の法主の晋山式。貫主ともう一人の執事を車で送っていく予定になっていました。

 「20分待ってください」と二人を車で送り、急いで戻ったら、ほとんどのものは既に移動済み。中央にドンと構えていた大壇などを移動し終わったら、準備は一気に進みました。

 あれよあれよという間に、本堂の中は原型をとどめないほどに。床は木を組んでコンパネを張って段差を無くし、壁面は白い布などが飾り付けられていきました。祭壇には菊と椿が活けられ、正面には大きな写真が飾り付けられました。その手際のいいこと。きっちりと準備され、訓練されていることが明らかに伺えます。

 外では、本堂の正面の階段を覆うようにスロープが作られていきました。これまたすごいスピード。スロープはどんどん延びて、正面の白砂の端まで届きました。

 テントがあちこちに建ち、中には床机やストーブが配置されていきます。今日参列者が来ても大丈夫なほどです。
 書院には緞通が敷かれ、座布団無しでも対応できるようになっていきました。

 ただただ、「すごい」の一言に尽きます。

 働いている人は総勢30人以上。葬儀社の人、大工さん、電気屋さん、竹材店、花屋さん・・・。本当に手際がいい。きっと、準備の会議などをもったに違いありません。

 それだけ手際がよくても、準備は夜8時半頃までかかり、今日のところはひとまず撤収。明日、引き続いて準備が行われます。


 遠方から涅槃図を見に来られる方もあるので、出来るだけ見ていただきたいと、拝観は継続。でも、涅槃図の近くまで足場の木などが伸びてきて、すっきりとは見られません。正面から上がることも出来なくなったので、拝観者には横の職員用の階段から上がっていただきました。
 拝観料は、「花供曽」付きで500円に値下げ。それでも30人ほどの方がお越しになりました。騒がしくて、見難くて、本当に申し訳ありません。


 自坊に帰ったのは9時。それからご飯もそこそこに、ホワイトデー用のクッキー作り。昨日、材料を買っておいてよかったです。生地をこねて整形し、オーブンで焼くこと5回。あまりうまくは出来ていませんが・・・。他のものと一緒にパッキングして、明日、発送すればOK!

 今日はもうヘロヘロ。ようやく1時半に就寝で〜す。

〜 本葬の準備と夕焼け 〜
2008年3月11日(火)  No.1705

公式ホームページ
 バイクでお参りに行って、次のお宅へ行こうとコートを着て玄関を出たら土砂降り。マンションは外の音も聞こえず、雨が降っているのにも気が付きませんでした。

 どうにも動きの取れない雨で、「どうぞ、もう一度お入りになって、ちょっとお待ち下さい」と言われ、中へ。ひとかたお話をして辞そうとした後のこういう時って、なかなか間が持ちません。空が明るくなってきたのを待ちかねて、次のお宅へと向かいました。

 天気は急によくなり、マンションのエントランスには日が差し込んでいました。


 真如堂の公式ホームページの制作を急いでいます。

 真如堂にはボクのホームページの他に、数年前に出来た公式ホームページがあります。「公式」といっても、業者の用意した枠に写真と文字を入れていっただけの定型的なもの。お世辞にも‘親切’とはいえないものでした。

 年度末も近付き、契約更新を断る手前もあって、早く自前のホームページを完成させなければなりません。‘shin-nyo-do.jp’というドメインは既に取得済みで、レンタルサーバーも借りてあります。以前から少しは作っていたのですが、可及的速やかに作成しなければ日がありません。

 事務所のパソコンの環境ではソフトの充実度的にやりづらいので、自坊での作業。

 写真はすべてボクのホームページに使ったもので、一から作ったのは表紙とあとわずか。それでも、‘私的’と‘公式’では、文章の書き方も違いますし、拝観に来られる方にお知らせしなければならない、例えば拝観休止日とかをわかりやすく告知したり、デザイン的にも新しくしたい箇所などもあって、まだまだかかりそうです。

 ボクが初めてホームページを作り始めた頃は、デジカメの性能も悪く、回線速度の遅さに大きな画像は使えなかったり、いろいろ制限も多かったのですが、いまは自由に作ることができます。ものすごいスピードで技術革新が進み続けていることを実感します。

 さぁ、仕上がるまでまだまだ苦心しなければいけません。来たいと思ってみて下さった方に親切なページになりますように。

〜 3分咲きになってきた馬酔木 〜
2008年3月10日(月)  No.1704

ちょっと詰め過ぎ
 一気に春本番になったようなあたたかい日でした。

 自坊の法事や月参りをすべて一人でやるようになってしばらく経ち、少しは慣れてきました。でも、今日はちょっと予定を詰めて入れすぎました。

 月参りは自坊から片道30分以上はかかるところ。行って、拝んで、帰ってきて、すぐに法事。終わって、檀家宅での法事。バイクで5分余のところなので、正装の僧衣のままでコートを着て行きました。拝んでしゃべって、またそのままの格好で帰って、即、次の法事。

 お昼を食べたのは3時前。檀家さんのご希望の時間で予定を組んだのですが、これからはちょっと考えなければいけません。反省。

 花粉が飛んでいるのか、喉がいがらっぽかったです。墓地はポカポカ。お日様の暖かさを全身で享受しました。

〜 木戸にあたる春の夕陽 〜
2008年3月9日(日)  No.1703

ひかり電話
 今日は「ひかり電話」の工事日。「また何かあるに違いない・・・。いや、今度こそもう何もないだろう・・・」

 11時過ぎ、2人の工事係の人がそれぞれ軽ライトバンに乗って来ました。ただ電話のアダプタを付ければ済むだけなのに、のっけから趣旨のわからない質問ばかり。思わず、「そんなこと、関係あるのですか? 付ければいいのでしょう?」と言ったら、「はい」。「これはまたアカンかも・・・」と直感しました。

 NTTから直送してきたアダプタをLANケーブルで繋ぎ、局に切り替えを依頼する電話をして待つことしばし。赤いエラーランプが消えれば完了のはずが・・・ダメ。何度も電源を入れ直したり、ケーブルを挿し直してもダメ。電話で指示を仰いで、機械を取り替えてもダメ。

 「やっぱりアカン。これは繋がらないなぁ」と確信したので、その場を後にして昼食を食べに行きました。

 1時の法事のために別棟の自室で着替えていたら、「今日は無理なので、元に戻して帰る」とのこと。「やっぱりなぁ。でも、冗談じゃない! ネットが繋がらないまま帰るのか!? ちゃんと修復してから帰るように」と家人をして帰るのを止めたら、いきなり断りもなくボクの部屋に「繋がらないパソコンはどこですか?」とドカドカと入って来ました。

 ほとんどキレる寸前でしたが、「今から法事です。パソコンを勝手に触られては困ります。別のパソコンでやってみてください」と、家人に別のパソコンを持ってくるように言って、法事に臨みました。

 法事を終えて墓前回向に行く前に試してみましたがまだ繋がらない様子。帰ってきても繋がっていません。
 着替えていたら、IDとパスワードを教えて欲しいと、またいきなり部屋に入ってきました。まったく常識的には考えられません。

 3時過ぎまでいろいろ試してもダメなので、結局ボクが修復・開通させました。工事の人といっても、機械を繋ぐ以上のことはできないみたいで、ちょっとトラブルとお手上げのようでした。

 ところが、それだけでは済みませんでした。

 夕方、外出から帰ってきたら、「いたずら電話が急に増えた」と家人が訴えていました。「今日はいたずら電話の人が‘活動’したい気分なのかな?」と思っていましたが、それからも3度鳴っては切れる電話ばかり。夕食を食べていたら、また3度鳴って切れました。「切れた後、FAXが鳴る」と言われて、ハッと気が付きました。今日、工事係の人が触った電話の機械のところに飛んで行き、接続を確認したら、何と電話機を繋ぐべきところにFAXが繋いであるじゃないですか! だから、FAXが自動受信して、3度で電話が切れていたのです。完全に原状復帰の時のミスです。

 工事を始めた11時過ぎから、夕食の時に修復するまでの7時間半ほどの間、自坊の電話はほとんど不通状態になってしまっていたことになります。

 こうなると、クレーマーの血が騒ぎます。NTTに電話をしましたが、窓口の女性ではらちがあきません。事情のわかる人に電話をして貰うよう依頼して待ちました。
 電話をしてきたのは、「謝り屋さん」。事情もわからずに謝ってもらっても仕方がないので、別の人に交代! 次にかけてきたのは、工事を担当した会社の営業担当。調子がいいだけで、何にクレームを言っているのかわかっていない様子。はい、お次! やはり工事会社の中間管理職のような人。ようやく状況を把握してくれました。だからどうだというわけではありませんが・・・。

 「ひかり電話」の工事は、NTT側で繋がらない原因と解決策を検討した上で、後日またもう一度が行われるようです。また今日のようなことにならないかと不安ですが、通信費削減のために、繋がってくれるよう期待しています。

 それにしても、NTTとボクはとことん相性が悪いですね。いや、相性というより、やっぱりNTTはおかしいです。

〜 哲学の道で咲きかけていたミツマタの花(携帯画像) 〜
2008年3月8日(土)  No.1702

まだまだ若い!
 急ぎの仕事を片付けるべく、4時過ぎに起きて、お勤めも後回しで、すぐに仕事にとりかかりました。優先順位は、1番 お彼岸の案内 2番 真如堂の事務仕事。

 お彼岸の案内といっても、案内状、寺報、護持会の会費依頼、晋山式の予告などを入れなければなりません。まずは昨日仕上げておいた寺報の印刷。夜も明けぬうちから、輪転機をガチャコン、ガチャコン。

 続いて、お持ち帰りの真如堂の事務仕事を仕上げて、事務所に早朝出勤。他の職員が出勤したのと入れ違いに退出して、月参り3軒。お昼を食べて、お逮夜のお参り。また事務所に戻って、事務仕事。職員が帰る頃、共同作業所のスタッフたちに事務所に来てもらって、昨秋の「カフェ水琴窟」の反省会。

 5時半頃、自坊に帰って、お彼岸の案内に同封する残りの書類を印刷。夕食、また印刷。タックシールを打ち出して、次は発送作業。どうにかすべてを封入しましたが、糊付けするほどの元気はなく、後は明日。ようやく仕事を終えたのは、12時半でした。

 今日は休みなく、20時間働きづめ。さすがに眠たい・・・。でも、夕食後にうたた寝をすることもなく、超精勤に働きました。

 30代の頃は徹夜に近い状態で仕事することも多かったのですが、もっと切迫感があり、強迫的ですらありました。イライラして自らをすり減らしていましたが、最近は「なるようになれ!」と腰を据えて構えているので、焦ることもありません。肩の力がいい塩梅に抜けた気がします。

 来週に入ったら、13日に本堂で行われる葬儀の準備に取りかからなければなりません。今日頑張って、急ぎの仕事に目鼻が付いたので、葬儀の準備に力を注げそう。バランスよく、いい調子で回っている気がして満足です。

 明日の朝は、久々に散歩に行こうかなぁ。さぁ、寝ようっと!

〜 他の方からいただいたミーコの写真 〜
2008年3月7日(金)  No.1701

「一太郎」に「桐」
 ビル・ゲイツが世界一の長者の座から14年ぶりに転落したとか。マイクロソフト嫌いのボクには同社の寡占状態が何とか崩れないかと期待しているのですが・・・。

 前任者の残していった真如堂関係のエクセルやワードのファイルを今年バージョンにリニュアルしようとあれこれやってみるのですが、どうもうまくいきません。

 そもそもマイクロソフト嫌い。日本語ワープロは20年来「一太郎」を使っていて、つい先日もバージョンアップ版を導入したばかり。ワードは使いません。
 エクセルは仕方なく時々使いますが、住所録などは日本製のデータベースソフト「桐」をこれまたMS−DOS時代から愛用。昨年、バージョンアップ版を購入しました。
 「一太郎」や「桐」は、ボクには欠かせないソフトですが、これから就職などをしていく若い人には、「ワードを使った方がいいよ」などと勧めざるを得ません。

 ソフトによってできる作業の得意不得意はありますが、使い慣れたソフトが一番なのはいうまでもありません。パソコンもいつも使っている機械が一番!

 事務所でさんざん「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤してもうまくいかなかったことが、自坊に帰ってからやってみたら、簡単にできてしまいました。無駄な時間を使ってしまいました。


 ホワイトデーが近付いてきたので、そろそろ定番の‘スノーボール’を焼くことを考えなければいけません。ところが、引っ越しのドサクサで、チョコを下さった方のリストが行方不明。ちょこっと困ったなぁ・・・。
2008年3月6日(木)  No.1700

貫主親授式
 今日は貫主(吉祥院前住職)の親授式。天台座主猊下より、辞令を頂戴します。

 貫主夫妻、執事2人、吉祥院の檀家総代5人で車2台に分乗して、まずは坂本の滋賀院門跡に向かいました。素晴らしい好天に恵まれた、晴れ晴れした朝でした。

 親授式は、真如堂クラスの場合は単独で行われるのが通常ですが、年4回定例で行われる親授式に参加する新住職が少ないそうで、「一緒にしてもらえませんか?」という依頼があり、それに応じました。今日の親授式には、鳥取の住職2人、福島の住職も参加されました。

 滋賀院門跡についてしばらく待っている間に、外の天気は一転して吹雪。やはり、坂本は寒い!

 座主猊下の御導師のもと、内仏殿で法楽をした後、梅の間に移動して親授式。式には天台宗務総長をはじめとする宗派の内局、延暦寺執行をはじめととする延暦寺の内局、それぞれ10人ほどが参列されていました。

 正面に座主猊下がお座りになり、宗派要職の者より今般の住職任命者の紹介と経過報告がされた後、座主猊下から辞令が授与され、「お言葉」がありました。

 宗務総長と執行の祝辞の後、新住職それぞれのお礼の言葉。ちょっと冷や冷やしながら聞いていました。

 無事に親授式も終わり、坂本の名物であるお蕎麦をいただいた後、伝教大師の御廟である比叡山の浄土院に、天台宗の公用車で参拝に向かいました。

 ドライブウエイの雪は最初は大したことありませんでしたが、延暦寺近くになると急に増え、西塔駐車場から浄土院へ向かうあたりからはまるで雪国。綺麗ですが、片側は谷。ちょっとコワイ。

 浄土院の前は屋根から落ちた雪が積もっているようで、先頭車に乗っていた人が慌てて雪かきをしていました。ボクは最後尾の3台目に乗っていたので、なかなか門前までたどりつけません。下りて浄土院内の廟所前に着いた時には、法楽がほとんど終わっていました。コートが雪で真っ白になっている人もいます。

 帰りは車がスリップして坂の途中で立ち往生。坂の下まで戻って二度三度登り直しても上がれません。プロの運転手に交代して、タイヤが焦げ臭いほど空回りしつつ、フラフラと何とか登り切りましたが、登り切ったところは急カーブ。ハンドルが半分程度しか効いてない感じだったの、恐い思いをしました。曲がりきれなかったら谷へ落ちるところでした。

 こんな雪の浄土院参拝なんて、もう二度とないでしょう。いい思い出になりました。

 少し走っただけで、またチラホラ雪が見える程度になり、そのうち、雪は影を消しました。雪景色は束の間の夢のような光景でした。

 京都に戻って、喫茶店でお茶。坊さん3人にダークス−ツにホワイトタイなどの礼装の人6人。人の注目を浴びていることを感じました。

 親授式も終わって、これで一区切り。少しホッとしました。

〜 天台座主猊下から辞令を授与される貫主/雪の浄土院参拝 〜
2008年3月5日(水)  No.1699

お寺が檀家
 お寺が‘檀家’になっているというケースが何軒かあります。意味がわからないかも知れませんが、真如堂の墓地にお墓を持っているお寺が何軒かあるということです。

 今日は、その‘檀家’の前住職の祥月命日に当たるということで、読経を頼まれました。たいていは‘自前’でされるので、読経に伺うということはないのですが・・・。

 読経をするボクの後ろに座ったのは、現住職と後継者の僧侶2人。天台宗から独立したお寺ですが、お経ややっていることは全部そのまま。もちろん、今日、ボクが読むお経も全部ご存じ。

 ボクも読経?が付いたもので、そういうことお構いなしに読経をしましたが、ひょっとしたら途中で飛ばしてしまった箇所があったかも知れません。

 読経を終えて後ろを振り返ると、ご住職が経本を持って座っておられました。ドキッ!

 「経本を持っておられるのなら、微音ででもお唱えになったらよろしかったのに」とは思いましたが、お寺によって得意不得意なお経が異なり、今日読んだお経はこのお寺では滅多にお唱えにはならないものかも知れません。それで、経本を黙読されていたのでしょう。

 「ひょっとしたら間違ったかな?」と一瞬気になりながらも、読経後は前住職の思い出話などをさせていただきました。
 お寺というのは40〜50年前のことでもつい先日のことのように話されたりする世界。ボクにはほとんど記憶のない吉祥院の先々代のことにまで話は及びました。
2008年3月4日(火)  No.1698

とらやの羊羹
 明後日、貫主が天台座主より住職としての任命を受ける式に出席するので、その進物用の菓子を求めに「とらや」に行きました。

 正確にいうと、座主猊下に謹呈するのは「ふたば」の豆餅。庶民的なものですが、お好みだと聞いたのであえて選びました。とらやの羊羹は、天台宗と比叡山の方々への手土産。

 正式なご挨拶などには、とらやの羊羹というのが京都の定番。「何か粗相をした時、とらやの羊羹を持ってお詫びに行くと許される」などと聞いたこともあります。何がお好みかわからない時も、とらやの羊羹なら文句は言われないでしょう。そういうブランドです。

 とらやが東京の菓子店だと思っておられる方も多いようですが、発祥の地は京都。明治の東京遷都の時、三つあった皇室御用達の菓子匠のうち、「とらや」だけが皇室と共に東京に移り、松屋常盤と川端道喜は京都に残ったと聞いています。
 とらやの工場は御殿場、東京、京都の3ヶ所にあるそうですが、羊羹はすべて御殿場工場で作っているのだとか。ん−、まぁ、いいかな。

 ボクは豆餅のほうが好きですが・・・。

〜 とらやの羊羹 〜
2008年3月3日(月)  No.1697

「兄弟は他人の始まり」
 今日は法事4座。月参りと涅槃図の説明をしてから、法要に臨みました。

 法事やお葬式は、その家族や親族の人間模様がよく見える時でもあります。仲むつまじい家族・親族もあれば、控え室で口論をしている‘組’もありました。

 「兄弟は他人の始まり」というように、トラブっているのはほとんど兄弟(性別に関係なく)です。親の法事を兄弟別々に何度かされるお家もあれば、裁判をされているお家もあります。

 生まれて育つ過程で、「お兄ちゃんはボクよりもいい思いをしてきた」「親は弟には甘かった」などという思いが積み重なったりして膠着化し、時には結婚した相手によって増幅され、親の死去などと共に表面化するなどということが稀ではありません。

 親の法事の時に兄弟喧嘩が始まるのですから、亡くなった人も浄土で安住しているわけにはいかないでしょう。僧侶として意見をいっても、凝り固まった関係はなかなかびくともするものではありません。

 墓前回向はポカポカ陽気。すっかり春になったような気分でした。仲違いする人にも春が訪れますように。
2008年3月2日(日)  No.1696

載っちゃった
 宗派が発行している広報紙が届きました。

 第1面はインド禅定林の記事。大本堂最上部の相輪がまだ設置されてなく、今年も未完成のままですが、1周年法要は賑やかに勤められたようでした。

 恐る恐るページをめくり・・・ボクはこの新聞の見開きに何が載っているかを知っているのです。

 ジャジャァーン! 出ましたボクの記事。

 校正段階で見ているので、どんな紙面かは知っていましたが、正式に刷り上がってきたのを見て、いろいろ複雑な心境です。

 「古き者、新しき時代を創る」 見出しの意味がよくわかりません。ボクは古き者? 「『疲れたらお寺に行こうか』を目指して」 まぁ、これはボクがしゃべったことですが・・・。

 校正段階では写真のキャプションまで読んでいなかったのですが、今日見て、我ながら大いにウケてしまいました。

 曰く、「毎日のハードなスケジュールの合間に山内を散歩する。『優しさと寛大』の人は、『来るものは拒まず』と、日向ぼっこの野良猫にも優しいまなざしを向ける。それが本能的に判るのか猫も逃げない。」

 大笑いです!

 「優しさと寛大」 これはまったく外れています。優しくもなければ寛大でもない。昨日も今日も地元紙の記者にキレて、電話で噛みついてしまいました。自分ではヒステリックな人間だと思っています。優しくするのは、自分の都合。極めて身勝手な優しさです。
 「来るものは拒まず」は当たっているけれど、引きこもって誰にも会いたくない時もあるし・・・。

 「日向ぼっこの野良猫にも優しいまなざしを向ける。それが本能的に判るのか猫も逃げない」

 これを書いた記者は、ボクがかつてどれほど野良猫と敵対し、野良猫を見たら石を投げつけていたということを知りません。猫好きは記者のほうで、野良猫と一緒に写真を撮りたいと言ったのも記者。猫が中心という証拠に、猫はカメラ目線ですが、ボクはどこを向いているのかよくわからないような写真。もうちょっといい顔に撮って欲しかったなぁ・・・。

 ボクのことを持ち上げても何の得にもなりませんし、‘提灯記事’というわけではありませんが、ちょっと誉め過ぎです。

 この新聞は天台宗の寺院はもちろん、一部の檀信徒にも送られていて、発行部数は2万部くらいでしょうか?

 好意的に見る人ばかりではなく、嫌みややっかみを言われるのは必至。あるいは無視か。さぁ、どんな波紋が起きてくるでしょうか。

〜 猫とボクの写真が載った宗派の広報誌 〜
2008年3月1日(土)  No.1695

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