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2007年10月の日記

やられた・・・
 朝、一山の僧侶、職員などが総出で、11月5日〜15日に行われるお十夜法要の準備をしました。

 本堂の中では、鉦を打つ特設の‘舞台’が組み立てられたり、本尊の御手に繋ぐ綱を引っ張ったり。特別公開する刺繍の「観経曼荼羅」も吊しました。

 外では、石屋さんが機械を使って、「回向柱」を立ててくださいました。

 ふとその作業の様子を見ると、境内でいち早く紅葉する「花の木」の色が、また少し変わってきているのが目に入りました。


 外出から帰ると、公安委員会から封書が届いていました。「9月の事故のことかな? お咎めナシと言ってたけど、その通知かな?」などと思いつつ、封を開けてみると、振替用紙が入っていました。「何、これ?」

 同封の書類を読んでみると、どうも駐車違反の反則金を払えということのよう。

 車両のナンバーはボクの原付バイクのもの。違反したとされる日時・場所からすると、檀家宅の横の歩道に駐めたバイクが違反だということのようです。そういえば、よく自転車などに細い針金で付けてある「警告」と書いたような紙がバイクのカゴに付いていたような・・・。

 先月、塔頭の和尚が、白川通を東へ入った檀家宅の前で、やはりバイクの駐車違反で取り締まられました。警察まで行ってクレームを言ったけれど、もちろんダメだったとか。

 家の敷地内に駐めるのは構造上無理な場合が多く、かといって道路に駐めると、塔頭の和尚やボクのように、駐車違反になってしまいます。いま、そういうバイクが取り締まりの係員の標的にされているのだそうです。

 常駐している車や本当に危険で邪魔なところに駐めてある車は取り締まられないのに、家の前や横に駐めたバイクでやられるとは・・・。違反は違反なのですから仕方ありませんが、9千円は痛いなぁ。

 これからはバイクが置けるかどうか、置き場所も考えながらお参りに行かなければいけません。

〜 色付いてきた「花の木」と「回向柱」を立てる作業 〜
2007年10月31日(水)  No.1573

事務作業に溺れる
 朝一番に、昨日、途中まで仕上げていた寺報を完成させました。とても満足できる内容ではありませんが、もう時間がありません。

 早速、軽印刷機のところへ行って、‘ガッチャン ガッチャン’と印刷。お十夜法要の案内、来年の年回表なども印刷して、インクが乾くまでしばらく置いておきました。


 昨日からパソコンに向かってばかりなので、少し体を動かしたいと思い、庭のつくばいのかけひを替えることにしました。青竹が足りなくて、途中までしか替えていなかったのです。

 自坊に生えている青竹では細くて筧には使えません。かといって、竹屋に買いに行くにはわずか過ぎます。先日来、頭の中でシミュレーションしていた‘秘密の方法’で、何とか竹を入手しました。

 替えるのは筧2ヶ所分。必要な竹の太さはほぼ決まっているので、同じ竹から2ヶ所分取るのはなかなか大変でしたが、削ったりして太さを合わせ、何とか完成。青竹に替えただけで、つくばいが締まって見えました。満足!


 事務作業に復帰。

 印刷したものを、折らなければいけません。あまり調子のよくない紙折り機を騙し騙し‘ガッチャン ガッチャン’。タックシールを打ち出して封筒に貼り、封入作業。

 途中で封筒がなくなってしまい、近くの文房具屋に買いに走りましたが、値段はネットの倍。急ぐので仕方なく求め、差出人を印刷機で‘ガッチャン ガッチャン’と刷って、急場をしのぎました。

 最後は、封をして、メール便のシールを貼って、夜8時頃に完了! あー、腰痛い、肩痛い、首痛い、目痛い・・・。

 時々エスケープしましたが、パソコンと事務作業に埋没した昨日・今日でした。

 さて、次はそろそろ迎春準備です。

〜 おっとりした性格のクロ 〜
2007年10月30日(火)  No.1572

原稿が書けない
 今日は植木屋さんが四つ目垣などを作る作業をしてくださっているので、ボクは邪魔をしないように離れていました。


 藤棚の下に駐めてある車に、藤の葉が降り注いで落ちてくるようになりました。紅葉の季節になれば、フロントガラスがもみじの葉で埋まります。

 せっかくの新車ですし、以前、落ち葉や種でエアコンの冷却器が詰まって壊れたこともあったので、そんなことにならないようにネットを張ることにしました。

 出かけたついでにホームセンターに寄ってネットを購入。さて、ネットを張ろうと広げてみると、3ミリ四方だ思って買ったネットの目は3センチ四方。これではほとんど役に立ちません。

 もう一度買いに行くのも面倒なので、とりあえず車の上にに張り、一部には余っていた細かい目のネットを重ね張りしました。これでしばらく様子見です。


 11月15日の「お十夜」の案内に同封する寺報の制作が、先日より、一向に進みません。B5版6ページの小さなスペースがなかなか埋められないのです。でも、もうタイムリミット。何とか今日中に仕上げなければと、午後はひたすら文章書き。

 書けません・・・。甘いものを食べたら頭が働くだろうと、饅頭やクッキー、ケーキなどを食べ、何度もティーorコーヒー・ブレイクをしました。でも、ただ脂肪と化しただけのよう。

 根を詰めると首が不調になるのもわかりつつ、何とかしなければいけません。

 11時過ぎ、何とか形が見えてきたので、今日はこれまで! 精根尽きました。明日仕上げて、即、印刷、発送作業です。

 あー、くたびれた。

〜 車の上のネット 〜
2007年10月29日(月)  No.1571

お接待
 朝、掃除をしていたら、食べかけの柿の実が落ちていました。たわわになっていても、誰も取らないような野生の柿です。

 烏の仕業に違いありませんが、どこから持ってきたのでしょう。真如堂の近くで、この柿がなっているのを見かけません。

 ちょっと突いただけではなく、半分ほど食べてあります。渋柿のはずですが、美味しかったのかな? すぐ側には茸が生えていました。

 「柿に茸、これに栗でも一緒に籠に盛れば、すごい秋らしいなぁ」と思いつつ、そのまま放っておきました。今頃どうなっているでしょう。


 少し早い目ですが、車を1ヶ月点検に出し、頼んでおいたバックカメラを取り付けてもらいました。シフトレバーを「バック」に入れると、カーナビ画面に後ろが映る仕組みです。
 車が二回り大きくなって後方確認がし辛くなったのと、まだ運転自体が怖いので、安全のための投資です。

 前の車も今度の車も同じメーカーですが、あえて違うディーラーで買いました。

 前のディーラーは、客の応対が最悪でした。この前も自賠責保険の解約のことで行ったら、受付カウンターで、男性の担当者がふんぞり返って客と電話をしていました。奧に人がいても、声を掛けないと出てきません。すべてがこういう調子でした。

 今度のディーラーは、入庫しようとするとすぐに誰かが飛んできて、誘導。運転席まで来て来社の用件を聞き、インカムを使って連絡をしてくれます。

 些細なことですが、担当者と話をする時などは、ちゃんとした陶器のカップで飲み物が出て、茶菓子も付いてきます。前のディーラーとは雲泥の差です。
 高級外車の正規ディーラーにもなっているためか、客の応対がきっちり教育されていて、いかに客を心地よく迎えるかを大切に考えていることがわかります。

 同じ車を買うのなら、営業経費などで少々高くなっているとしても、今度のディーラーを選びたいと思います。「お接待」の大切さを感じました。

 バックカメラは思っていたほど役に立たないかも・・・見ていると目が回ります。高い買い物やったかなぁ・・・。

〜 柿と茸 〜
2007年10月28日(日)  No.1570

思わぬ出会い
 友人のお兄さんが個展をされるというので、そのオープニング・パーティーに行ってきました。

 これがまた偶然の偶然。

 今月14日、檀家宅での読経の後、木彫家だったご主人のアトリエを改装して作られた「小門光男木彫記念館」を見学しましたが、ボクが芳名簿に書いた名前を見て、関係者の一人が声を掛けてこられました。それが友人のお兄さん。名前を見て、ボクが弟さんの友人であることがわかったのだそうです。

 そのお兄さんと檀家の娘婿M氏は小学校以来の友達だそうで、記念館のイベントなどを一緒に企画されたりしてきたそうでした。

 弟である大学の美術サークルの1年先輩であった友人とは、もう7〜8年会ってなく、「ぜひ連絡をください」と伝えておいたら、早速その夜に電話があり、また数日後には、お兄さんがその場所で個展をするのでオープニングパーティに来て欲しい、そこで会いたいとメールが来ました。

 小雨の中、栗餅とアップルケーキを携え、バスに乗って一乗寺にある小門光男木彫記念館へ向かいました。

 お兄さんはもともと掛け軸を描くことを生業とされてきたそうですが、今は退職して無職状態。友人たちから励まされて個展を開かれたそうで、水墨の小品や蓮や鷺を描いた掛け軸が10点ばかり展示してありました。
 水墨は野草などを描いたものが多く、実にやさしく、精緻で、心惹かれる作品でした。猫じゃらしの絵が欲しいと思いましたが、すでに他の人の所蔵品となっていました。

 ボクより20分ほど遅れて友人がやってきて再開。ずいぶん頭が薄くなったとは思いましたが、何年も会っていないような感じはしませんでした。

 至るところに木彫が置いてある会場の一角で始まったオープニング・パーティーには、30人ほどが参加され、立錐の余地もないほど。食べ物が置いてあるテーブルにはなかなか近づけませんでした。

 乾杯の後、お兄さんから会場の写真を撮るように頼まれてウロウロする友人を尻目に、やっと食べ物を一品いただいたら、どこかで見たような顔。ネームプレートを見たら、20年ほど前に交流のあった宗教担当の新聞記者。毎年年賀状のやりとりなどはしていましたが、会うのはそれ以来でした。彼はM氏とは大学の友人だとか。これまたビックリ! 人が移動する度にぶつかるような中、いろいろと話をしました。

 その彼から、また予期せぬ名前が・・・。以前、「メダカの学校」で満州抑留のことをお話しいただいた方の娘婿さんS氏がもうすぐ来られるとか。Sさんも大学の同期だとか。娘さんとはその後も交流があり、昨秋「かふぇ」に来てくださった孫さんには焼き芋を差し上げたこともありましたが、S氏と会うのは初めて。1時間ほどして少々酩酊している頃、S氏が来られ、またいろいろな話をしました。

 友禅の染色作家をしているという友人の従兄弟とは、初対面ながらずっといろいろな話をしました。ご子息は漆芸をされていて、いま、1軒の町屋を借りて染めと漆のコラボを目指しておられるのだとか。プライベートな話題も話しました。

 パーティーに参加されているのは、みな個性的な人ばかり。木彫の間でギターを弾いて歌ったり踊ったりしているグループもあったりして、かなりの賑わい。

 かなりの時間を過ごして次第に人も減ってきた頃、‘お開き’。そのまま放っておいたら朝までやっていたかも知れません。

 友人は最後まで記録写真を撮るのに忙しそうで、十分には話せませんでしたが、実にいろいろな予期せぬ出会いがあった素晴らしいパーティーでした。ありがとう。

 自坊に帰ったら何となく小腹が空いてきたので、何年かぶりでインスタントラーメンを作って食べました。この前から賞味期限が数ヶ月過ぎているのが気になっていて、早く食べようとも思っていたのです。
 美味しくなかった・・・胃がもたれちゃった。体にも良くないし、メタボ加速かも。反省しきり。

〜 「おめでとう! 乾杯!」〜
2007年10月27日(土)  No.1569

雨の降る日はしょうがない
 「今日の散歩道」を更新しようかと思いましたが、先週に引き続いての雨。景色もさほど変わらないので、明日に延期することにしました。明日は晴れて欲しいけれど・・・。

 雨で外の作業も出来ないので、ひたすら事務作業。11月は軽印刷の寺報を出す時期なので、そろそろそれを作り上げなければいけません。ん〜、ネタがない・・・。事故のことでも書こうかと思いましたが、檀家の皆さんにご心配をおかけすると反対されて、ボツ。どないしようかなぁ・・・。

 パソコン作業を続けると、首から腰にかけてが凝って痛くなってきます。以前からそういう傾向はありましたが、事故後は耐久時間が明らかに短くなりました。騙し騙し進めないと仕方がありません。

 外に出たいと願っていましたが、午後からは雷も鳴り出す始末。雨が降って、苔はうれしそうでした。

〜 様々な色が交じった柿の落ち葉 〜
2007年10月26日(金)  No.1568

心安らぐ地道な作業
 ゆっくり庭の掃除をしました。

 まずは、昨日の植木屋さんに倣って‘苔のパッチワーク’作業。昨日、境内の苔を結構取ったので、目立たない場所の適当な苔が少なくなってしまい、集めるのに一苦労。

 苔の間に落ちている小石を一つ一つ拾い集めて取ったり、木賊とくさの枯れた部分を取り除いたりと、極めて地味な作業。でも、この作業が実に落ち着きました。

 ボクはかなり短気で、根気がない質だと自認していて、こんなコツコツした地道な作業は、普段は避けています。また、1本1本草をひくよりは、除草剤で枯らしてしまおうというように、効率を優先します。

 そんなボクが、この作業をしてみると、実に落ち着きました。癒されたといっても過言ではないでしょう。地道にやるより方法がないので最初は嫌々でしたが、そのうち楽しくなってきて、何かを考えるということでもなく、石コロ拾い三昧、枯れ木賊取り三昧でした。

 高い木の先にある棕櫚しゅろの葉を取ってきて、見様見真似で腰掛け待合いの柱に‘飾る’棕櫚箒を作ったり、青竹に棕櫚縄を巻いて縦樋を作る作業も、実に楽しかったです。

 縁先に立って眺めた庭は、凜としてきています。「そう、こういう庭に手入れしたかったんだ」と、満足。ゆっくり時間を掛けて手入れすれば、庭は確実にそれに応じてくれるのだと、感じました。

 気分的にムシャクシャしているような時にも、庭に出て地道な作業すればバッチリ! ご希望の方、庭をお貸ししますよ!

〜 苔の間で風化していく斑猫はんみょうの亡骸 〜
2007年10月25日(木)  No.1567

パッチワーク
 昨日中止になった庭の整備に植木屋さんが来てくださいました。

 今日のメインは苔の張り替え。今まで、ボクが何度も杉苔を移植しましたが、定着しませんでした。墓地などは、何もしなくても勝手に杉苔が生えてくるのに、庭に移植するとそのうち枯れてしまうのです。そこで、今回は地苔を移植してもらうことになりました。

 境内の目立たないところから苔を取ってきて、苔を張っていきます。ボクも、他の人に見つからないように苔取り作業に参加。それを植木屋さんが張っていかれました。いろいろなところから苔を集めたので、張った光景はまるでパッチワークのよう。うまく着いてくれますように。

 植木屋さんの作業は、もうしばらく続きます。


 今朝、先方の保険屋さんT海上の担当者と初めて会いました。電話では埒があかないので自坊に来てもらったのですが、実際に会っても嘘と言い訳に終始して、誤魔化そうという姿勢がありあり。まったく誠意が感じられませんでした。

 「この人と話を進める気にはなれない」と思ったので、具体的な交渉には入らず、担当者を替えて貰うように伝えました。

 こんなことでイライラしてもつまらないので、気長に、高所から眺めるようなつもりで余裕を持ってやることに方針転換することにしました。


 午後は大津・坂本で会議。「今日は早く終わるだろうなぁ」と期待していたのですが・・・。帰りは暗くなる前に峠道を越えら、ホッとしました。

〜 苔のパッチワーク 〜
2007年10月24日(水)  No.1566

ニアミス
 11月の「かふぇ水琴窟」までに庭を整備してもらおうと、植木屋さんにお願いして、今日来てもらうことになっていました。いつもの植木屋さんではなく、今春、友人の女性が植木屋さんと結婚したので、その応援という意味もあって。

 8時過ぎ、友人から「今から伺います」というメールが入り、「お願いします」と返しましたが・・・。

 パソコンに向かっていると、どうもどこかで「チョッキン、チョッキン」という鋏の音がしてきます。素人の仕業ではなく、明らかにプロの出す鋏の音です。

 墓地の方向から聞こえてくるようなので、自室の窓から首を出して墓地を眺めてビックリ! 直線距離で20メートルほどのところにある墓地の中の松の木に、いつもうちに来てくれる植木屋さん親子がよじ登っているではありませんか! オヤジさんは職人気質で塗り固めたような、ちょっとコワイ植木屋さんです。

 すぐに、「やばい! うちの植木屋さんがお墓の松の木を剪定している!」と、友人にメールをすると、折り返しご主人から電話がかかってきました。

 事情を説明すればいつもの植木屋さんもわかってくれると思ったので、「うちはべつにいいですけど・・・」と言いましたが、「やっぱりやりにくいです・・・」と、今日は作業中止。明日に順延することになりました。よかったぁ。鉢合わせしないに越したことはありません。

 いつもの植木屋さんがお墓の松を剪定するなんて、1年に1度あるかないか。その日と別の植木屋さんが来られる日が重なるとは・・・。

〜 十三夜の月の光と三重塔 〜
2007年10月23日(火)  No.1565

萩を刈る
 秋らしいお天気。

 今日は時代祭で京都に来られている観光客も多く、境内の人も「若干多いかなぁ・・・そうでもないか」という感じ。

 午後からは、境内の萩を刈る作業などをしました。

 茂っていた萩を刈ると、その場の風情がコロッと変わりました。見通しもよくなって、境内が広く感じられます。

 本堂の回りの萩は、「もう切ってもいいですかねぇ」と尋ねる職員のためにとっておき、刈った萩は軽トラで集めてもらうまで置いておきました。

 環境問題から焼却炉が使えなくなったため、このような作業で出た‘ゴミ’やこれから山のように出る落葉の処理に困るようになりました。積んで腐らせるにも限度があり、火災などの危険も増してしまいます。「どこに捨てましょう?」「どうしましょう?」と、職員たちにもストレスになります。

 少し色付いてきたもみじを眺めつつ、「そんな季節もそう遠くはないなぁ」と悲喜こもごもの複雑な心境です。

〜 青葛藤あおつづらふじの実 〜
2007年10月22日(月)  No.1564

日吉神社神幸祭
 今日は母親の社中の茶会があって自坊の人手がなく、法事などはお受けしていなかったので、静かな日曜となりました。

 午前中、外回りに行った後、午後は真如堂の地主の神である日吉神社の神幸祭があって、御輿が本堂前に参礼されるので、それを待ちました。

 伝教大師は延暦寺を建立された時に、中国の天台山に祀られていた山王祠に倣い、山麓の日吉の神々を「山王」と呼んで延暦寺の鎮護神・護法神として尊重されました。以後、日吉大社の神霊は「山王権現」「日吉山王」と呼ばれて、天台宗の寺院が諸国に建設されるに伴って各地に分霊され、「日吉神社」「日枝神社」が建てられました。

 真如堂に隣接する日吉神社も、その日吉の神を、真如堂の創建に合わせて勧請したものです。

 午後3時に御神幸があるとのことですが、毎年、時間は前後します。どこかへ出かけるわけにも行かず、植木屋をしているわけにもいかないので、ひたすら部屋の掃除をしました。
 昨日はやめておいた石油ストーブを出したり、部屋中に散乱していたものを片付けたり処分したりして、スッキリしました。いつでも炬燵を出せるようになりました。

 2時45分頃、音が聞こえやすいように大きく開けていた窓から太鼓の音や「ワッショイ!」という声が聞こえてきました。御神輿が来たようです。急いで僧衣に着替え、本堂の前に向かいました。

 祭りの行列の一部はすでに本堂前に着いていて、御輿は正面の石段下で女御輿の到着を待っていました。到着すると、石段に垂れ下がるもみじの枝を避けるために右へ左へ蛇行しながら、前後して上がってきました。
 本堂前に安置される頃には、担ぎ手の人たちは息絶え絶え。男性の担ぎ手の平均年齢は40歳ぐらいでしょうか。20歳そこそこの人もいます。女性は一見して20歳代でした。

太鼓と獅子舞の奉納

 屋外に組まれた祭壇の前で法要を勤め、神主さんや役員の方々が参拝。地元の方々なので、ほとんどの人と知己でした。

 終わって、太鼓の奉納と獅子舞。一時は廃れていたこの祭りも、氏子さんたちの尽力によって見事に復活し、たくさんの子供たちが参加するようになりました。うれしい限りです。

 お天気もよく、晴れやかな神幸祭となりました。


 YMCAの学習障害児プログラムに協力して購入した北海道のとれとれ馬鈴薯を使って、夕食にポテトグラタンを作りました。
 最後にオーブンに入れる前にチーズを振りかけるのを忘れてしまい、ひと味、ふた味足りない、「じゃがいものホワイトソース煮込み」のようになってしまいました。

〜 参礼を終えて参道を戻る神幸祭の行列 〜
2007年10月21日(日)  No.1563

さわやかな秋の日
 朝一番に「今日の散歩道」の更新作業を行い、7時過ぎには何とかアップロードすることができました。一仕事、終わり!

 今日は法事や所用などもありましたが、気分的にはのんびり。爽やかなお天気で、時々境内に出たり、思いつきに剪定をしてみたりと、秋の日を楽しめました。

 今まで出ていた扇風機を、この涼しさに急かされて、ようやく片付けました。代わりにストーブを出しておいてもいいかも知れないと思いつつ、また今度にしました。季節の移ろいの急加速には驚ろかされます。

〜 朝日の中の紅い桜葉 〜
2007年10月20日(土)  No.1562

疲れたぁ〜 怖かったぁ〜
 朝から先方の保険会社T海上と電話で話し合い。10:0の事故なので、ボクの保険会社は支払いがないので関われず、相手側保険会社とボクとの直接交渉になります。

 いろいろ話をしましたが、保険会社はこういう費用を支払いますということは提示せず、こちらが請求した内容にについて検討するという対応に終始しました。

 新車買い換えなどにかかった費用について、どういうものが請求できるかFAXで送って欲しいと頼んだら、送られてきた書類には2つしか書いてありませんでした。ネットで調べて、「この費用は支払ってもらえますね?」と聞いたら、「はい」。「どうしてFAXに書いてないのですか?」と聞いても、のらりくらり。言われなければ頬被りなんだということがはっきりわかりました。

 「今日の散歩道」の更新をしようと思っていたのに、この電話でずいぶん時間とエネルギーをロスしてしまいました。


 午後は、大津・坂本で会議。出席者7名全員はMyパソコンを前にしての会議。とても僧侶の会議とは思えません。5時まで休憩なしに会議をして、疲れました。

 外はまだ雨が降っていました。事故のことを知っている人が「大丈夫ですか? 山越えは怖いでしょう?」と言ってくださいました。確かに、暗く雨に濡れた山中越を帰るのは嫌ですが、三条からだと遠回りになってしまいます。

 仕方なしに、峠道を行きましたが・・・・マジで怖かった。ハンドルにしがみつきながら何とか運転して、京都の街へ降りてきた時には、心底救われた気分でした。

 雨の峠道を通るのは当分御免です。いつになったら、普通に運転できるようになるのでしょう。


 帰って、ようやく更新作業。でも、遅々として進まず、11時頃には断念しました。疲労困憊の1日でした。

〜 参道に落ちていたはぜの実 〜
2007年10月19日(金)  No.1561

聞いてないよぉー
 今日は天台宗を開かれた伝教大師の降誕会法要。伝教大師は神護景雲元年8月18日(767年9月19日)に近江国滋賀郡古市郷(現在の大津市)でお生まれになりました。京都の天台宗寺院ではそれを奉祝する法要を、月遅れの今日行っています。

 今年の会場は真如堂。集合時間に本堂に行くと、担当者に「あっ、今日、法要に出仕してもらえますか? ドタキャンがあったのです」といきなり言われました。予定では、ボクは一般参列者の誘導係。そのつもりで気楽に考えていたのに、あまりに急な変更。

 ビックリしながら、出仕の控え室に行っておそろいの法衣に着替え。法要に出仕しました。

 今日は法要の後に写経もあって、2時間近く座っていなければなりません。最初からそれがわかっているのなら、水分を控えたりするのですが、そんなつもりはありませんので、お茶を飲み、コーヒーを飲んで来てしまいました。

 着替える前にトイレには行っておいたのですが、また、だんだん行きたくなってきてしまいました。そのことに意識が集中するとなお行きたくなるもので、写経もいつ終わるかはわからないので、辛抱しきれずにこそっと抜けてトイレへ。帰ってきたら、終わりのお経が始まるところでした。終わるとわかっていれば、もうちょっと我慢したのに・・・。恥ずかしかったぁ。


 「調査がすべて終わりまして、おっしゃっていた通り、こちら側がセンターラインを超えて衝突したということで、10:0 と決定いたしました」と、事故の相手方の損保会社から、事故の過失割合が決定したという連絡がありました。

 10:0 は自明の事故でしたが、正式な連絡があって、これでまた一つスッキリしました。

 いろいろ調べてみたら、事故によって新しい車を買わざるを得なくなった場合は、それにかかる法定費用や消費税なども請求できるとのことでした。そのことを言ってみたら、最初はキョトンとした感じの応答で、いかにもこちらが言わなければ頬被りするような姿勢。向こうから、「○○はお支払いさせていただきます」と申し出てくることはありません。

 出来るだけ支払わないで済むようにしようというプロとの交渉は最初から勝負が決まっていますが、こちらも当然の費用の弁済については請求していかなければなりません。これからそのやりとりが始まります。

 面倒ですねぇ。早く片付けてしまいたいです。

〜 本堂脇に立つ伝教大師像 〜
2007年10月18日(木)  No.1560

大文字オフ会
 今日は「大文字登山」のオフ会。天気晴朗、風もなく、暑くもなく寒くもなく、絶好のハイキング日和でした。

 参加してくださったのは、いつもボードに書いてくださる神戸の女性Jさんと、たまたま旅行に来られていた東京の男性Sさん。Sさんは半ば無理矢理お誘いしました。

 銀閣寺道の交差点で待ち合わせをしていましたが、それぞれが単独行動を取ったので、揃ったのはもっと東の公衆便所の前。土産物屋通を抜けて、銀閣寺に突き当たるのを左へ、神社の前を右に折れて山道へと入っていきました。一番道が整備された大文字山の登山道です。

 しばらくは車も通れる川沿いのなだらかな登りですが、小さな橋を渡った途端、道は山の斜面を登っていく急坂となります。Sさんはすぐに「ハァハァ ゼイゼイ」という息づかいとなり、汗だく。Jさんとボクは、どんぐりを拾いながら‘普通に’歩きました。

 道が少し平坦になると「千人塚」。足利義輝と三好・松永軍が戦って亡くなったおびただしい遺骨が出土したのを埋葬したといわれる場所です。Sさんの限界が近いので、少し休憩をして体制立て直し。

 少し急な登りを過ぎると、石段が目の前に現れます。火床はもう間近。途中、軽装のやや高齢者と何人もすれ違いました。ウォーキング目的で毎朝大文字に登る人がたくさんおられます。それほど身近な散歩コースなのですが・・・・Sさんは「ハァハァ ゼイゼイ」。

 火床に着いて一気に眺望が開けた時、お二人は「わぁーー」と歓声をあげられました。二人とも大文字は初めて。ボクは、この景色をお見せしたくて、今回の大文字登山を呼びかけたのです。少々靄ってはいましたが、まずまずの眺望でした。

 少し休憩して、さて、ここからどう行くか? 霊鑑寺や法然院に降りるか、頂上を経て南禅寺・若王子や山科、三井寺に向かうこともできます。最初は火床までの予定でしたが、天気もいいし、時間も早く勿体ないので、とりあえず三角点を目指しました。Sさんは渋々着いてこられました。

 三角点までは20分ほど。少し早いけれど、お昼にすることにしました。お昼はおにぎりと味噌汁ときなこ餅。味噌汁はバーナーでお湯を沸かして温かいものを、きなこ餅は山用の即席パック。
 Jさんとボクはお腹いっぱい食べましたが、Sさんは疲労からか何も口にせず。「何か食べないと」とさんざん勧めましたが、結局一口も食べられませんでした。
 食べている間、中高年のグループが通り過ぎていったり、山科から上がってきた小学生が100人ほど通り過ぎたりと、とても賑やかでした。

 さて、出発。結局、南禅寺のほうへ降りることにしました。道にはたくさんのどんぐりが落ちていて、楽しめました。
 ところが、先頭を歩いていたボクの前に、突然黒くニョロニョロしたものが・・・。「わぁー!」と叫んで後戻り。出ました、蛇です。気絶するかと思いました。
 2人を先に行って貰い、蛇がいなくなったのを確認してから、ようやく進みました。

 鹿ヶ谷への分岐を過ぎ、あとは尾根伝いを行くなだらかな道。下り坂になったらSさんは元気を取り戻しました。また蛇が出てくるかも知れないので、下る時の先頭はSさん、わずかな登りでもボクが替わりました。Jさんはいたって元気で楽しそう。3人の珍道中でした。

 道がいくつにも分かれた「七福思案処」を過ぎて、日向神社へ。境内は例大祭でいつにない賑わいをみせていて、参列の方に神楽の奉納があるので見ていったらどうかと勧められましたが、3人ともあまり興味はなさそう。天の岩戸をくぐって神社をあとにしました。

 疎水に出て、田辺朔郎博士の銅像の横を通り、発電所へ水を導く巨大なパイプを目にしました。Sさんは大感激。今回の京都旅行で一番よかったそうです。どこがいいのか・・・。急な流れの疎水端を通って、南禅寺の鐘楼へ。フェンス越しに南禅院の庭を眺め、水路閣をくぐって境内に。水路閣では、「サスペンスごっこをしましょう! ボクは犯人役をしますので」としつこい言っていたSさんのために、記念写真を撮って差し上げました。

 Jさんが持ってきてくださったサンドウィッチが残っていたので、国際交流会館の前庭のベンチで食べました。Sさんはここでも食べず。
 近代美術館のカフェテラスに行って、西日をまともに受けながらビール乾杯! Sさんはウエイトレスの女性が‘タイプ’だというので、わざわざビールをおかわりしたり、シフォンケーキを頼んだりして粘りました。そのうち嫌われて、他の女性に替わられてしまいました。

 だらだらしていたら、5時前。Sさんは、行きつけの居酒屋に大文字登山の報告をしなければならないとのことで、結局3人揃ってそのお店に行き、おでんなどを食べて、8時前に解散。Jさんは、まだそれから1時間半ほどかけて神戸まで帰られました。

 秋の深まりを感じるにはまだ少し早い今日の大文字登山でしたが、天気もよくて、ちょうどいい足慣らしの距離でもあり、存分に楽しめました。また、それぞれユニークなお二人は初対面にもかかわらず気さくに話されて笑いが絶えず、とても楽しい1日でした。

 楽しい一時をありがとうございました!

〜 「大」の天辺でお茶を飲むSさん。暑いからとリュックは胸に 〜
2007年10月17日(水)  No.1559

どんぐり銀行
 せっせと拾い集めた大砲ドングリ(マテバシイ)が小さな段ボール箱いっぱいになりました。11月の「かふぇ水琴窟」で、希望者に持って帰って貰いますが、それでも余ってしまいます。
 そこで、教えていただいた「どんぐり銀行」に‘預どんぐり’することにしました。

 「どんぐり銀行」とは、拾ったどんぐりを持っていくと、それがお金の代わりになって通帳を作ってくれます。預けたどんぐりは、発芽して育てられ、100D(ドングリ)貯まった人に苗木で払い戻してくれるというもの。
 このようなシステムで自然への興味を深め、どんぐりを集めて緑化促進に努める取り組みはとても面白いと思いました。

 京都の支店は右京区のショッピングモールの中。受付のコンパニオンの女性に、「どんぐり銀行はどこですか?」と聞くのはとても恥ずかしかった・・・。3階を少し探すと、「どんぐり共和国」という看板が目に入りました。トトロやジジイのキャラクターグッズがたくさん並んでいるお店でした。

 レジで、「どんぐりを預けられると聞きましたが・・・」というと、店員の女性はにこっと笑って、「どんぐりの数はわかりますか?」と言われました。そうか・・・いくつ預けたか通帳につけなければいけないから、数えておかなければいけなかったのだ・・・。
 「しばらくお待ちください」と言われ、店員さんがどんぐりを数えたりしている間にお店の中をウロウロ。トトロは大好きなので、欲しいグッズがたくさんありました。

 通帳が出来たので、説明してくださいました。ボクが持っていったどんぐりは365個。「365D」と記帳されました。今月はどんぐりで買い物が出来る期間になっているとかで、エコ・歯ブラシを買いました。これが100ドングリ。ボクの預金高は265Dになりました。

 帰り道、いただいた説明を読むと、○どんぐりは割れていない、虫食いのない健康なものを ○数を数えて持っていく ○ビニール袋に入れていかないで(虫が発生する) と書いてありました。数は数えてないし、短時間ながらビニール袋に入れていってしまいました。ゴメンナサイ。
 クヌギやオダマキは1個10Dに換算されるとか。大砲どんぐりは、大きいけれど特殊なので、ひょっとしたら役に立たないかも・・・ゴメンナサイ。

 こういう取り組みは、ゲーム感覚で参加できて、楽しいですね。また集めて持っていこうっと!

〜 雰囲気のいい観光地の喫茶店。でも、高くて不味い! 〜
2007年10月16日(火)  No.1558

植木屋でうっすら汗をかく
 引声法要を終えて、久々の植木屋仕事。心落ち着く時間です。

 先ずは除草剤散布。自坊の庭に、苔の間の雑草を枯らす除草剤を撒きました。その後、鐘楼堂の回りの笹を枯らすために、除草剤を替えて散布。

 鐘楼堂の回り全部に紫陽花を植えたく、その前に笹を枯らそうと夏から取り組んでいるのですが、今まで2回撒いたのになかなか枯れてくれません。「どうして効かないのかなぁ」と、先日、薬剤のボトルを見たら、「最終有効期限 89.10」となっていました。もう1本のボトルも「最終有効期限 95.10」。古すぎ!

 今日は希釈率をうんと低くして、濃い薬剤を撒きました。これで効かなかったら、新しいのを買おうっと! 労力の無駄です。

 続いて、つくばいの筧を青竹に交換する作業。ちょうどいい青竹がなくて、3つある筧のうちの1つ半しか替えられませんでした。

 次は、つくばいの下の小石を洗う作業。絶えず水気があるので、石はだんだん苔むして来ます。それを一つ一つ金属スポンジなどで擦って綺麗にする、地味で時間のかかる作業です。つくばい1ヶ所をするのに3時間ほどもかかり、軍手は穴だらけになりました。

 筧も青竹に替わり、石も綺麗になったつくばいは、何とも清々しく見えます。来月のカフェまでに庭を綺麗にして、皆さんをお迎えしたいと思っています。もう、2、3頑張りです。

〜 まだ蚊取り線香をつけながら、苔むした小石を洗いました 〜
2007年10月15日(月)  No.1556

多忙な秋の日
 今日は、年中行事の「引声阿弥陀経会」の初日。この法会の時にしか着ない「律衣」という衣を着けて、特別な設えをした本堂でお勤めをしました。

 1年ぶりの特別な節回しなので、それぞれが節を間違えたり、音程が違っていたりと、なかなか揃いません。

 参列してくださった方には申し訳ありませんが、今日はどちらかというと、「練習」という感じ。明日は少し揃うようになり、3日目の16日の結願にはグッとよくなっているはずです・・・たぶん。

 約1時間、そろりそろりと行道をするので、腰が痛くなりました。


 終わってすぐに檀家回りにバイクでひとっ走り!

 読経を終えて、別棟へ。木彫をされていたご主人がかつて使っておられたアトリエを改装して、娘さんたちが中心となり、ディスプレイ&イベントスペースを作られました(小門光男木彫記念館)。
 オープンされたのは去年の8月。以来、ずっと覗かせていただきたいと願っていたのですが時間がなくて叶わず、今日初めて見学させていただきました。

 老木彫家が70余年かかって作られた作品は、実に400点以上。仏壇のある部屋にも数多くの作品が並んでいましたが、記念館には実に多くの作品が並んでいました。

 その中で、今日は呈茶席などを設けたり、ミニ・コンサートを開いたりと、イベントを開いておられました。

 ご家族や集まってこられた人たちがワイワイ楽しみながらやっておられ中、ソファーにドカッと腰を下ろしておられた老木彫家の存在感はさすが。秋の佳きの心あたたまるイベントでした。


 バイクをすっ飛ばして帰り、おにぎりを食べて、今度は車で神戸・長田へ三七日の逮夜のお参りへ。初めての高速道路、初めてのナビとETCで、緊張しました。

 先ずはナビの目的地の設定で一苦労。いつもボクが通るルートとは違う道を案内されましたが、とりあえず今日はナビの出方を見てやろうと思いました。走り出したら、「この先の交差点は事故が多発しています・・・」などとひっきりなしにしゃべって、かけていた音楽も途切れ途切れ。
 高速のゲートへ来てETCレーンに入りましたが、本当にゲートが開くかどうか、すごく不安でした。「開かなかったら、どうしよう・・・後ろにトラックが来ていたら危ないなぁ」などといろいろ思いめぐらせましたが、無事に通過。
 高速を走っている間も黙っていてくれればいいのに、ナビは一々うるさくしゃべってくれました。設定を変えればいいのでしょうね。


 名神高速〜阪神高速と無事に乗り継ぎましたが、スピードが怖くてなりません。車も新しくなって、前の車よりもずっと安定感が増しているのに、怖いのです。特に、横をスピードを出して走り抜けていく車などを見ると、怖くてついアクセルから足を離してしまう感じです。
 この怖さは歩いている時にスピードを出した自転車が向かって来た時や、バイクに乗っていて車が横をすり抜けて行った時にも感じます。ぶつかるようなイメージが湧いて、体がこわばるのを感じます。

 こんな感覚は事故に遭う前には感じたこともありません。事故がトラウマになっているに違いありません。


 お檀家の電話番号で検索した場所に着きましたが、そこにあったのは交番。ウロウロしてもお宅が見つからないので、結局交番で聞きました。

 帰りに、元町の南京町へ。設定が悪いのか、ナビはすごく離れたところへ案内してくれました。ナビも便利そうですが、あまり過信してはいけませんね。

 コインパーキングの側壁が低く出っ張っていたようで、左前のバンパーの下をほんの少し擦っちゃたぁ! ショック・・・。

 南京町は日曜日とあって、とても混雑していました。南京町へ行った目的は、中国製の僧形の鉛筆削りの‘仕入れ’。自坊にお越しになった方にお土産に差し上げているのが、残りわずかになったので買っておきたかったのです。10個買って、目的達成。

 せっかく来たのですから、軽く中華料理を食べました。いつも行く店が混んでいたので、暇そうな店に入ったのが、失敗でした。フカヒレラーメン、炒飯、唐揚げのセットを頼みましたが、麺は伸びているし、ご飯は固い。「せっかく南京町に来たのに・・・」と、ちょっとがっかり。中華ちまきを買って帰りました。

 帰りもナビに悩まされました。高速と併走する一般道でも「料金は500円です」と言ったり、ゲートへの案内が遅すぎて入れなかったり、なかなかうまく使えません。使いこなすには熟練が要りそう。
 高速に乗ってしまったらもうナビは必要ないので切ってしまい、音楽を聞きながら帰りました。回りが暗いと、余計に怖さが増しました。

 なかなかハードな1日でしたが、「無事に帰ってこられたなぁ」と、神妙に感謝に浸りました。

〜 老彫刻家の作品群 −携帯画像 〜
2007年10月14日(日)  No.1555

長素絹
 今日は、三井越後屋(後の三越)を創業した三井家家祖三井高利氏の令室かねさんの312回忌。

 お二人は10男5女の子供をもうけ、その子供たちを立派な商人に育て上げたことが、後の三井家の発展の礎になったといわれています。

 5月6日の高利氏の命日と10月13日のかねさんの命日には「法華懺法」という法要を修しますが、その時は「長素絹」と呼ばれる衣を着けます。

 平安時代などはこの長さが一般的で、単に「素絹」と呼んでいましたが、今では太ももあたりまでの長さが一般的となって、そちら(半素絹)を「素絹」と呼ぶようになったため、わざわざ「長」を付けて「長素絹」と呼んでいます。

 「長素絹」を持っているお寺は全国的にも珍しく、僧衣の研修会などで「真如堂には長素絹がある」と言われたりするものですから、よく尋ねられたりします。

 歩く時も衣と畳が擦れる音がして雅な気配が漂いますが、どこかにひっかかったり、後ろの人がうっかり踏んでしまったりということもあり、普段以上に気をつかう衣です。

 でも、年2回しか着ないので、着ている時は何か特別な感じがして、法要に臨む気持ちも違う気がします。


 夕方、今森光彦氏の「里山」の写真展を見に行きました。風景や自然を対象とした写真は、頭を使わずに感性だけで見られる気がして、とても安らげました。

 「この写真を撮るために、何度通われたのだろう・・・」と想像したり、「こんな出会いをした
時は、ハッとするだろうなぁ」とこちらまで嬉しくなってきたり。

 気分が楽しくなる展覧会でした。

〜 長素絹を着て歩く僧 〜

2007年10月13日(土)  No.1554

更新終えてホッと一息
 ここ数回、バタバタした中での「今日の散歩道」の更新が続いていましたが、今日は久しぶりにゆっくり取り組むことができました。

 でも、季節がまだ中途半端で更新ネタに乏しく、境内に写真を撮りに行っても1〜2枚しか撮れずに帰ってきたりと、決して楽ではありませんでした。

 事故による打撲の痛みはすっかり消えましたが、首筋が凝ったり頭痛がしてくる傾向は消えず、更新作業が長引くと辛くなってくるので、夜7時頃には無理矢理完成させました。


 クラッシュした車を解体したという証明がやっと届きました。これを陸運局に出さないと従量税がかかってくるのですが、すでに10月分は手遅れ。

 サングラス、シニアグラス、CD・・・、古い車と共にクラッシュしたものや、事故後にかかった、目に見えないような出費がたくさんあります。

 家人はまだ自転車にも乗れず、買い物にも行けませんし、ボクも無理がききません。

 相手側のT海上からは、その後何の連絡もありません。早くすべてを終わらせて、気分的にもすっきりしたいです。

〜 更新に採用漏れの写真 〜
2007年10月12日(金)  No.1553

眺望がご馳走
 河原町松原のホテルの上のイタリアンレストランで、遠来の友人とランチを食べました。食事よりも眺望がご馳走のレストランでした。

 店の2方向がガラス張りで、広い面が東山に向かっています。店に入った途端、心の中で、「わぁっ!」と叫びました。

 残念ながら窓際の席は埋まっていましたが、それでも眺望は素晴らしい! 北は比叡山から南は伏見桃山城の先まで遮る物なしに見えます。東山の麓に、真如堂、黒谷の塔、平安神宮の鳥居、祇園格、すっくりお姿を現した霊山観音、八坂の塔、清水寺、三十三間堂の細長い屋根、京都女子大、第二日赤のレッドクロスなどがズラッと並んでいます。

 河原町御池のホテルからも東山が見えますが、その比ではありません。断然、こっちが素晴らしい! こういう角度で京都の町を見るのは初めて。

 ボクが頼んだのは千円のビジネスランチ。オードブルのバイキング、手打ちパスタ、飲み物で、お得感な感じ。味は、まぁそこそこ。

 食べている間も感動が止みませんでした。オススメの絶景レストランです!


 夕方から、駅前のホテルで京都の天台宗のお寺の議会。議員としての初会議でした。終わって、新旧役員の懇親会。今度はフレンチのコース料理。

 ごく久々のイタリアンとフレンチのW攻撃でお腹が不安でしたが、何とかクリアできました。

 やっぱり、居酒屋で秋刀魚の塩焼きを食べているほうが落ち着くなぁ・・・。

〜 切り取った眺望の一部 〜
2007年10月11日(木)  No.1552

作業所
 朝、バイクで走ったら、ちょっと涼しすぎるくらい。昨日、今日でずいぶん季節が進んだ気がします。昼間は暑かったですが・・・。


 夜は共同作業所の会議。リサイクルショップを運営している作業所と内職と製菓で運営している2つの作業所。

 内職の対価を聞いてびっくり。お菓子などに付いている紙の小袋に入った平べったいプラスチックの楊枝をご覧になったことがあるでしょう? 繋がった状態の楊枝をバラバラに外し、紙を折って袋を作って、そこに一つ一つ入れ、50本で1束にして、それで楊枝1本分あたり1円。考えただけでも大変な手間がかかる作業ですが、それでも1円とは・・・。

 内職をしているほうの作業所の時間給は1時間100円ですが、内職を依頼したところからの対価がそれだけしか払われないので、製菓の収入と併せてようやく時間給を出しているのだとか。

 リサイクルショップも、皆さんから無償で物品の提供を受けて、それを販売して利益を得ています。多くの方が物品の提供をしてくださることによって支えられています。

 作業所に通ってくるメンバーには、それぞれ接客が性に合っている人、コツコツと内職をするのが向いている人など、みな個性があります。たとえ時給が高くても接客は嫌だという人もいます。
 お金の多少だけではなく、みんなと会って話せる、自分で働いて少しでも給料がもらえる、家には居場所がない・・・そんな理由で、作業所へやってくるのでしょう。

 もちろん、スタッフの給料も一般の‘相場’から考えると、はるかに低い水準です。働き盛りの男性が一家を支えられるだけの給料は支給できません。

 そういう現実があることはあまり知られていませんし、補助金などでぬくぬくと‘太った’施設やお役人がいることも事実でしょう。

 作業所で一所懸命頑張っているメンバーやスタッフがいる。その姿を見ると、「何か自分にできることはないだろうか」と思うのです。

〜 閉店後のリサイクルショップ。商品は皆さんの寄付 〜
2007年10月10日(水)  No.1551

松を伐る
 今日で事故から1ヶ月。体調もほぼ快復し、ボクの主夫業もぼちぼち終わりを告げようとしています。

 相手の損保会社が依頼した事故のリサーチ会社が来ました。こっちが急かせて、やっと来たという感じです。事故の状況を説明し、あとはアンケート形式で「自己の責任は? あなた側 相手側」というように応えていくだけで、20分ほどで終わりました。

 センターラインを超えて衝突した場合、こちらに過失がなければ「10:0」に決まっているので、早晩そういう結論が出てくるものと思っています。でも、何かにつけて‘出し渋る’でしょうね。
 交渉はまだ始まってもいないので、すべてはこれからです。


 立ち枯れした赤松の木を伐採しました。

 樹高5メートルほど。斜面に立っているので、下から見るともっと高く見えます。

 去年から1本の枝の葉が茶色くなり始め、今年9月になって、木全体が一気に茶色くなってしまいました。

 住職から「あれ、どうするんや?」と聞かれる度に、「ボクが切ります」と言っていたのですが、事故で延び延びになってしまい、ようやく今日、伐採作業。

 まずは木の天辺近くまで登って枝打ち作業。


 松の木は枝が適当に出ていて登りやすいので、子供の頃にはこの木にもよく登りました。歳は取っても、今日もスイスイ登れました。

 子供の頃は住職が剪定をしていたのですが、松の木は新しい枝が出ず、だんだん格好が悪くなるので、ここ15年ほどは植木屋さんに剪定を頼んでいました。

 戦後まもなくの写真を見ると、真如堂の境内は鬱蒼とした松林で、「もみじの名所」とはなった今とはまったく風情が違っています。ボクの子供の頃でも、境内に松がたくさんあって、松ぼっくりがたくさん落ちていました。
 それが松食い虫の被害で、1本、また1本と、どんどん枯れてしまい、古い木はすべたなくなりました。思い返してみても、「あっ、あそこにも松があった、あそこにも・・・」とたくさん枯れていくのを目にしてきました。ここ2〜3年でも、3本は枯れました。いま植わっている松は、樹齢30年ほどにも満たない、改めて植えた松ばかりです。

 境内の手入れをしている植木屋さんが、毎年松の木の根元に‘注射’をしてまわりますが、効果のほどは不明。松の専門家に、‘注射’をすると水揚げが悪くなって、松には悪影響だと聞いたので、自坊の松は‘注射’を断っていました。


 真っ茶色に枯れた葉をかき分けて上まで登り、枝にノコギリを入れました。まだ枯れて間もないのに、いとも簡単にノコギリの刃が入っていきます。樹全体にパワーがなくなっているように感じました。

 どんどん枝を落として木の真ん中あたりまで降りてきて、そこでいったん幹の上半分をチェーンソーで切断。幹がグラグラするまで切れ目を入れて、最後はロープで引っ張って思い通りの方向に倒しました。
 行ったり来たりしながらの1人作業。‘弟子’が欲しいと思いました。

 続けて下半分の枝を切り、最後は根元にチェーンソーを入れました。

 ドサッ! という鈍い音を立てて、幹は狙いを付けたドウダンツツジとツツジの間に倒れました。「完璧なぁ・・・」

 直径27センチ、幹周りは90センチ余。年輪を数えてみると、70ほどでした。年輪には、幅の広いところ、狭いところがあり、自然の変化の中を生き抜いてきたことを如実に物語っていました。

 切った後、年輪を見るととても悲しい気持ちになります。切らなければ仕方がないとはいえ、木の最後の最後を自らの手で終わらせてしまうわけですから・・・。特に、毎日、自坊を出入りする度にその下を通り、自室の窓からも日に何度も目にしていた松。子供の頃は登って遊んだ木なのですから・・・。

 木の根元のほうは、真っ直ぐで末落ちの少ない、1.7メートルほどの丸太です。割って薪にしてしまうには忍びないので、製材所に持ち込んで、板にでもしてもらえないかなぁ・・・松の床なんて、最高だけどなぁ・・・1平米ほどにもならないか・・・。

 下を通っても、窓から見ても、松のあった部分がガラ〜ンとして、空間をもてあましているかのようでした。

〜 切った松の年輪。ボクが登ったのはどのあたりだろう? 〜
2007年10月9日(火)  No.1550

車の便利さを満喫
 「あー、今日はなーんも予定がないなぁ」と気分的にゆったり。雨が降っているので、外の掃除も出来ないし、散歩も中止。

 ホワイトボードにスケジュールを書き込んでいたら、「あっ、忘れてた!」と、今日、月参りがあったのに気が付きました。去年の12月におじいさんが亡くなり、そのご命日に合わせるように月参りの日を変えたのですが、まだそれに馴染めていなくて、ついつい忘れていたのです。あぶないところでした。
 時間的にはまだまだ余裕があったので、ゆっくり準備をして出かけました。

 自坊に帰りましたが、妙にお腹が空いていたので、11時にもなっていないというのに1度目の昼食を摂りました。最近、すごく食欲があるのです。ここしばらくの間に、ズボンのウエストに腕が入るほどお腹が引っ込んだのに、この食欲はリバウンドの前兆かも知れません。そう思いながら、12時にはきっちり2度目の昼食。「さっき食べたばかりだから」と、ご飯を軽めによそったのですが、食べた気がしなくて結局おかわりをしました。

 「これはあかん。動かないと・・・」 雨も上がりかけてきたので、ガレージにしている藤棚に、センサー付きのライトを設置する作業をしました。車幅が5センチほど大きくなったので、車を駐める時に注意を要するようになりました。でも、鬱蒼とした藤棚の下は夜はなおさらよく見えず、せっかくの新車を傷つけるようなことがあってはいけないと、余っていたライトを付けたのです。
 点灯テストをしたかったのですが、明るくて点いてくれません。暗くなるまで待たないとしかたありません。

 自室に戻って掃除をしましたが、どうもつまらないので、ユニクロの入った大型店に行くことにしました。

 「ユニクロに行ってきます」とメールをしたら、何人かの人から「カシミヤのセールしていますね」という返事が来ました。どうして皆さんそんなに詳しいのだろう・・・。まったく知りませんでした。
 ユニクロに行くと、確かにカシミヤのセールをしていました。6千〜1万円と、ボクがユニクロに求める価格帯ではないし、またさくらにかじられるのに決まっているので、買いませんでした。

 ズボンを1本買って、裾直しの間に食料品売り場へ。カートを押しながら、あれやこれやと山盛り買いました。大きいスーパーって、商品に選択肢があって、うれしいですねぇ。カートのまま車に戻って、積み込み。

 カーショップ、ケーキ屋、薬局と回って帰ったら、5時半。3時間もウロウロ。こんなにゆっくり買い物をしたのは何年ぶりでしょう。車がある便利さも、しみじみ感じました。

 車を藤棚下のガレージに入れようとしたら、お昼に付けたライトがちゃんと点きました。また明日微調整しようっと!

〜 ユニクロにて 〜
2007年10月8日(月)  No.1549

新車に深謝
 バイクで走っていると、あちらこちらで金木犀の香りが漂ってきて、とても幸せな感じ。
 学校では運動会や学園祭、渋滞していると思ったら御神輿が通っているところだったり、秋たけなわを目一杯感じさせてくれる日でした。

 バタバタ過ごした1日の最後に、新しい車をディーラーまで取りに行きました。納車費用を節約したためです。

 書類などを確認してから、車の取扱説明を受けました。前の車と同じメーカーなので、共通している点も多いのですが、キーレスエントリーやカーナビなどは初めての経験。説明されてもなかなか実感が湧かず、あとは実際に使ってみるのが一番でしょう。

 ディーラーを後にして、少し走ってみました。‘コワイ’という気がしますが、それは事故の後遺症というよりは新車ゆえの緊張が原因のようでした。

 新しい車は、期待していたよりずっといい感じ。静かだけれど加速もよく、ボディーの剛性感は前とは比較になりません。前の車を買ってから8年目。技術の進歩を感じました。

 これでまた一つ、課題を片付けることができました。今度は車の寿命を全うさせてあげたい、最後まで安全に付き合って行きたいと切に望みます。

 考えてみたら、バイクも車も同じ色やなぁ・・・。
 
〜 闇の中の新しい車 〜
2007年10月7日(日)  No.1548

少々グロッキー
 今日は「メダカの学校」。今日の講師は15年来の知り合いの、曹洞宗のお坊さん。真面目で堅実なお人柄そのままの、しっかりしたお話でした。

 「メダカの学校」での法話は、お説教調やおもしろおかしいものより、じっくり落ち着いたもののほうが評判がよい感じがします。お聞きになっている方も慣れていて、誤魔化しはきかないというでしょうか。

 ここ数日忙しい日が続いていて、少々グロッキー気味。1日延期した「今日の散歩道」の更新も、現状報告がやっとでした。

〜 触ると痛い野アザミ 〜
2007年10月6日(土)  No.1547

事情聴取
 怖々レンタカーを運転して、9月9日の事故の実況検分と事情聴取に敦賀まで、家人と二人で行きました。
 北陸地方はあまり天気がよくないという予報だったので、事故の日と同じような天気なら行きたくないと思っていましたが、嘘みたいな青空。助かったぁー。

 「事故現場へ来てください」と言われたのですが、はっきりと場所もわからないし、自分の車で現場に行きたくなかったので、ひとまず警察署に寄って、赤色灯を点滅させたパトカーに乗せてもらって現地に向かいました。

 事故の時にはぶっきらぼうだった警部が、今日は何だか親切。なんでやろ・・・。車中、先方が語ったという事故の様子を聞かせて貰いました。

 先方は海に足を浸したくて、夕方、敦賀に向かったのだとか。車中でカラオケをしていて助手席の友人の手元に気を取られ、ふと見ると下り坂のカーブ。曲がり切れないと思って急ハンドルを切ってコントロール不能になり、横向けになってボクの方に突っ込んできたのだそうです。助手席に乗っていた人が、青い車(ボクの車)とぶつかり、横転して救助されている時までを鮮明に覚えていたそうです。
 2人ともシートベルトはしていなかったので、後部座席まで吹っ飛ばされたのだそうです。高速道路だったら、後ろの窓を突き破って車外に放り出されていただろうと。
 通行してた人からの警察への第一報は「死亡事故」ということだったようです。車の下敷きになっていた人もいたので、そう見えたのでしょう。

 ボクが指を差した写真を事故現場で撮る予定でしたが、往来が激しくて非常に危険ということで、‘確かに現場に行った’という写真を近くで撮るだけになりました。現場で、事故直後の写真を見せて貰いましたが、血の跡も生々しく、正視できるようなものではありませんでした。

 説明によると、お互い、スピードはそれほど出ていなかった模様。ボクは咄嗟にアクセルを放してブレーキを踏んだものの、衝突までの時間が短くて効くまでには至らなかった。路面の傷から衝突場所は特定でき、ボクの車はそこから少し押し戻されているのだそうです。
 車の中から見た通りがかりの路面には、チョークの跡がまだたくさん残っていました。
 署に戻り、「まぁ、二人一緒でもいいんだけどなぁ」と言いながら、別々に事情聴取。

 例の如く供述調書の原案はすでに出来ていて、警部が読むのをボクが「そこはちょっと・・・」「うーん、まぁそういうことかなぁ・・・」などと内容を確認しながら訂正を加えて、了承。署名、捺印。

 一段落した雑談の中で、「免停になるのでしょうか?」と聞いたら、「なります」ときっぱり言われました。「たぶん9点減点。免停60日、罰金50万円ぐらいでしょうか」と言われて、大ショック。
 ボクでそんな処分を受けるなら相手はどうなのだろうと思って、「先方はどうなるのですか?」と聞いたら、警部はキョトンとして、しばらくしてから、「あっ、それは被疑者のほうです。あなたは被害者ですから・・・。あっ、最初に説明するのを忘れていました。あなたの調書は‘被害者’として取らせていただきました。あっ、そうだ、そうだ。それを最初に申し上げなきゃいけなかったんだ。この通り、『被害者供述調書』となっています。そうだ、そうだ。それを説明しておかないと」と、ずいぶん恐縮されました。

 結局、ボクは被害者として、何の科料もないだろうとのことでした。あー、助かったなぁー。

 話のついでに損保保険に話になり、損保会社の対応が悪いという話をしていたら、「保険会社の調査がこっちにも来ますが、『あれは避けられません』と私ははっきり言いますよ。あなたの場合は、止まっていて追突されたようなものです。出会い頭で衝突したのなら、○:○ということですが、そうじゃないですから」と言ってくれました。
 「ただ、警察と損保とは違うのでねぇ。最近、出し渋りが問題になっていますでしょう」 そう、それが問題なのです。

 ともかく、気になっていた警察の事情聴取が終わり、本当にやれやれです。後は相手の損保会社とのバトル。ボク側の損保会社は、ボクには責任がないと、すっかり100:0のつもりで、搭乗者保険のことしか言いません。
 壊れた車の廃車証明がいまだに上がってこないので、無駄に従量税や強制保険を払い続けていることになっているのも気がかりです。

 まだまだ時間がかかり、嫌な思いもしなければならないでしょう。でも、お互いだんだん快復してきているのが、不幸中の幸いです。「あれだけの事故だったのに、これぐらいで済んでよかった」と心から思います。

〜 よく晴れた日。正面は伊吹山 〜
2007年10月5日(金)  No.1546

法華大会
 兵庫県姫路の書写山円教寺さんにご案内いただき、4年に1度、延暦寺で行われる「法華大会ほっけだいえ」という法要に参列させていただきました。

 法華三部経十巻について論議が行われる「 法華十講」と、今でいうなら口頭試問の「広学豎義」をあわせて「法華大会」といい、4年ぶりの今年は10月1日から6日まで厳修されています。

 広学豎義の試験官は已講いこうを首座にした5名で0、全国から集まった豎者りっしゃと呼ばれる受験生に質問を投げかけます。豎者の答えに対し、教学の最高権威である探題たんだいが合否の判定を下します。この法会は康保4年(967)より朝廷の宣旨をうけて行われるている伝統ある勅会です。
 圓教寺長吏大樹大僧正は、現在、已講の職にあり、ご案内をいただいたわけです。

 難しい言葉ばかりで、何のことかわかりませんよね?

 今日はその法会のお中日で、重要な儀式が執り行われ、宮内庁から勅使がお越しになります。その勅使をなぐさめる意味で「稚児番論議ちごつがいろんぎ」が行われます。大会期間中の一番人気のある行事だそうです。

 10才ぐらいのクリクリ頭の子が2人ペアになり、大人が聞いていても意味がよくわからない文句を暗記してスラスラと節を付けて論議をし合います。「かわいい」ことはもちろんですが、「よくあんな意味のわからないことを覚えられるなぁ」という驚きが第一。ボクにはとても出来ません。そんな問答が4組繰り返され、最後のトリをとる子の文句は滅茶苦茶長い! ただただ、「すごいなぁ」と感心しました。

 稚児論議が終われば、また僧侶による口頭試問の「広学豎義」が再開されます。天台僧としての戒を授けられたならば、必ず成し遂げなければならない経歴で、これを遂業して初めて一人前の天台僧として認められることになります。

 ボクが受けたのは今から25年ほど前。真っ暗なお堂の中を稚児に行燈で案内されて‘試験台’に登り、与えられた質問に対して節の付いた回答を述べた覚えがあります。懐かしいなぁ。でも、一人前になっているのかどうか・・・。

 今ではこの法会もまったくの儀式となっていますが、真剣に口頭試問をして僧侶育成のプロセスとすれば、若い僧侶たちはもっと真剣に勉強するのではないかと思います。いえ、若い僧侶だけではなく、僧侶としてやっていこうとする人全員を対象に、数年おきにでも試験をしたり品格を問うようなシステムがあれば理想だと思います。ボク自身のこととして・・・。


 夕べ借りたレンタカーに乗って、今日は比叡山を往復しました。25日ぶりぐらいで運転する車は、やはりコワイ・・・。どっと疲れました。

〜 稚児論議をする子供たち。向かい側には勅使がお座りになっています 〜
2007年10月4日(木)  No.1545

早川先生
 天台宗の出版担当者に頼まれて、「わらじ医者」こと早川一光先生のアポを取りに電話をしたら、先生に「あんたも来てえなぁ」と言われ、一緒にご自宅に伺うことになりました。

 相変わらずパワフルな先生ですが、担当者がインタビューの冒頭、先生のお父様のことを尋ねると、先生はいつもとは違う真剣な表情でいろいろ話をしてくださいました。
 小児科医として感染病にも詳しかったお父さまは、診療所に具合の悪い子供を連れてきたら他の病気を貰う恐れがあると、「来るな! こっちから行く!」と往診をされたのだとか。

 西陣の織工さんたちがお金を集めて大学病院に「お医者さんに来て欲しい」と頼みに来た時、先生は真っ先に手を挙げられました。「医者の出前」と言われたこともあるそうですが、家に行くのが医療だと、50年にわたってそのスタイルを続けて来られたのでした。

 いつもはギャグが全面に出て、話が見えなくなりそうなのですが、今日のお話はいつもにも増してグッと来ました。でも、後半はやはり駄洒落が多かった・・・。大好きで、尊敬する先生です。


 事故の相手方の損保会社T海上に「明日からレンタカーを借ります」と電話をしたら、またもや事故の責任の割合がまだ決まっていないので、こちらも費用は負担することになるかも知れないという話を持ち出されました。
 ずっとそうやって脅し文句とも取れるようなことを言われながら伸ばし伸ばしにされてきた感が否めず、今日という今日はキレました。

 調査会社に事故を調査させて責任の割合を出すといいながら、3週間以上も何の連絡もないことは、引き延ばし策としか思えないこと。こちらの業務に支障が出るので、すでにレンタカーを手配済みであることなどを、強く伝えました。

 しばらくするとT海上から電話があり、レンタカーはT海上が借りて費用も払うとのこと。また、調査会社からも近日中にお伺いしたいと電話が入りました。

 「出来るんじゃないの! 出来るんだったら、どうして今まで何もしなかったの!」と喉まで出かかりました。

 結局、強く言わないと動かないのですね。T海上には、出来るだけ払わないで済むように頬被りをしておこうという姿勢を感じました。
 今までバスを乗り間違えたりしながら時間を掛けて移動したり、雨の中、バイクで走ったりしていたのは何だったのでしょう? でも、まぁ、もういいや、元気になってきたから。

〜 インタビューに応えてくださる早川先生 〜
2007年10月3日(水)  No.1544

一乗寺界隈
 毛虫にやられたところが、昨日よりも腫れて痒くなってきました。爪を立てて掻きたいほど。憎っくき毛虫!!


 一乗寺にある「惠文社」という書店に行ってみました。何かと話題になるお店だということは知っていましたが、よく前を通るのに寄ったことがありませんでした。

 同店は「本にまつわるあれこれのセレクトショップ」。スタッフがセレクトしたという本は、アート系が多いでしょうか。普通の書店とはかなり違った本が並び、その横には雑貨スペースとギャラリーが併設されていて、とても楽しい空間でした。

 最近、この近くにはラーメン店が林立して「ラーメン銀座」とも呼ばれている地域があります。かつて、惠文社の斜め向いには「京一会館」という、昼は日本名画3本立て、夜はロマンポルノなどを放映していた映画館がありました。

 昔も今も、「一乗寺」は‘濃い’というイメージがボクにはあります。叡電の線路や踏切も雰囲気を盛り上げてくれます。三条、四条界隈や西陣の町屋もいいですが、一乗寺のようなディープな下町にも、また捨てがたい魅力を感じます。

 「今度はゆっくり歩いて来たいなぁ」と思いながら、バイクをすっ飛ばして帰りました。

〜 惠文社のウインドウを覗き込むカップル 〜
2007年10月2日(火)  No.1543

毛虫に仕返しをする
 東山の聖天さんで「大般若転読会法要」。

 冬衣に替わってすぐに、動きのある法要の大般若。暑いのはもちろん、衣自体の重さも比べものにならないほど増して、なかなか出仕した甲斐のある法要でした。


 一昨日の草刈りで、毛虫にやられたか櫨にかぶれてようで、首筋、目の下、手首が赤く腫れました。

 自室の窓の外の椿に茶毒蛾が、柿の木には刺虫がいるのはわかっていましたが、ここしばらくは動けず仕舞いでした。でも、‘やられた’とあらば、このまま放置するわけにもいきません。6月に買った電動噴霧器「霧女神」の出番です!

 「いざ!」と薬品棚を見ましたが、殺虫剤が切れていました。ホームセンターには小瓶の薬剤しか売っていないので、園芸店まで行かなければなりません。買いに行くのも面倒でしたが、今日を逃すとやる日がありません。バイクでひとっ走り! 結構高いものでした。

 曇り空を気にしながらも、準備万端整って、噴霧を実施。バッタバッタと落ちては来ませんが、効いているのかなぁ・・・。噴霧器を手押しの小型に替えて、苔の部分に除草剤を撒きました。

 一連の作業を終えて風呂の残り湯をかぶろうと思いましたが、もう冷たくてかぶれません。あたたかいシャワーにしました。こんなところにも、季節の移ろいを感じます。

〜 まだまだ青い柿の実 〜
2007年10月1日(月)  No.1542

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