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2007年9月の日記

更衣
 朝から法要3座に、檀家さん宅での法要1座。小雨の中、バイクで檀家さん宅へすっ飛んでいって、丁寧に読経して、すっ飛んで帰って(その間に自坊で住職が1座)、お墓で拝んで、法要、墓回向、法要、墓回向。

 雨が強く降っていなかったのでよかったですが、足袋は泥だらけ。お墓へ行くたびに濡れてもいい衣に着替えていたので、昼過ぎまで走り回っていました。

 くたびれて頭痛がしてきたので、遅めの昼食後、昼寝。これで快復。わかりやすい身体です。


 9月も今日で終わり。夏の僧衣は今日までで、明日からは冬衣。明日は他寺の法要への出仕があり、正式な衣を着けるので、まさに‘衣替え’をしなければいけません。

 まずは、僧階が上がって新調した衣のしつけ取り。衣のプリーツの部分など、結構念入りにしつけがしてあったりするので、なかなか面倒。衣・袴・袈裟それぞれ、常用とよそ行き用をたとう紙から出して、細いしつけ糸を取りました。

 夏用は綺麗に畳んでたとう紙に入れ、防虫剤と共に収納。前の僧階用の衣は、降格でもされない限り着ることはないので、クリーニング出して、当分は箪笥の中で眠ることになります。衣は傷んで着られなくなるまで何代か引き継ぐため、「これを次に着るのは誰かなぁ・・・ 何年後だろうなぁ・・・」と、行く末のことを考えました。

 夜までかかって、やっと更衣終了。しばらくは、汗を掻きながら冬衣を着なければならないでしょう。

 明日から10月かぁ・・・。

〜 新調した‘よそ行き用’冬衣3点セット 〜
2007年9月30日(日)  No.1541

くさかった
 今日は昼前から夕方まで、休憩を挟みながら、存分に草刈りをしました。草刈り機を使うのは7月末以来。ちゃんとエンジンがかかるかなぁ・・・ブブブィーン!

 ♪ エンジンの音 轟々と 坊さんはいく 草刈りに〜

 エンジンも体も調子いいなぁ〜 何のストレスもなく体が動くことの嬉しさ! お彼岸が来るというのに草は伸び放題で、ずっと気になっていたのですが、

 ♪ あぁ、どうにも動けない!

 動けませんでした。
 ここ2〜3日ほどで急に復調してきて、今日は草刈り機作業をしてみようという気になりました。草刈り機を使う作業は、結構体力がいるのです。

 久々の草刈り機は気持ちいい! でも、ちょっと調子に乗り過ぎて、彼岸花までうっかり刈ってしまったり、せかっく植えた白山吹まで粉々に・・・トホホ。

 次なる目標は、枯れてしまった樹齢?十年の赤松を伐採作業。さぁ、木に登るぞ!


 新しい車のナンバーが決まりました。上半期9月中の実績を上げたいディーラーから、今月中に登録申請をさせて欲しいと頼まれ、了解したのです。

 ディーラーの担当者から、「あんなことのあった後です。変な番号になることもありますから、希望番号を取られたらどうですか?」と勧められたのですが、「そんなこと気にせえへんから、何でもいいですよ」と断り、出たとこ勝負。

 「9506」

 「こんなん出ましたけど・・・」というほどのものでもない、普通の番号でした。(20年前の占い師のセリフです)。

 何だかちょっとハイな、今日の「閑話」でした。

〜 収穫したムカゴ 〜
2007年9月29日(土)  No.1540

秋深まる
 日が短くなり、夜が長くなってきました。お月さんが見えたり、虫の音の聞こえる夜も、また素晴らしいものです。

 でも、日が短くなると、何だか損をしたような気分になります。朝もなかなか明けてきません。

 まだ、長い時間連続して起きていると首に負担がかかってくるので、長い夜は楽しまずに早い目に床に就きます。そうすると、必ず1時か2時頃に目が覚めてしまい、なかなか寝付かれなくなってしまいます。

 うつらうつらしてきかと思うと、さくらが体の上を横断したり、突然走り回ったり。少し白んでくる頃には、早く缶詰のご馳走を食べさせろと、枕元をニャー ニャー 言いながら行ったり来たり。猫にも「食欲の秋」なのでしょうか。

 結局、早く寝ても、よく寝られているのかどうなのか・・・。

 でも、全体的に体力・気力は回復してきたことを実感します。冷蔵庫を見て、何を買ってくればいいか、今夜はどんなメニューにしようかなども、ピンとくるようになりました。
 天気が安定せず、洗濯物の乾きが悪かったり、絶えず空模様を気にしていなければいけないのは、困ります。


 敦賀の警察から、実況見分をしたいという連絡があり、来月初めにすることになりました。その頃、車が必要な用向きが重なるので、レンタカーを手配しましたが、まだ運転したいという気分ではありません。

 保険会社の事故調査とかもまだ手付かず。この分ではすべてが終わるまでにはまだまだ時間がかかりそうです。早くすっきりさせたいですね。

〜 落ちていた櫨の青い実 〜
2007年9月28日(金)  No.1539

植木屋復活!
 地元のスーパーに行くと、知っている人と出会ったりするので困ります。

 帽子を目深にかぶり、知っている人がいないのを確認して、欲しい物の売り場へ。手にとって、賞味期限などを見ていて、ふと横を見ると知っている人。「お買い物ですか? どうかされたのですか?」などと言われると困ってしまいます。

 今日も、知っている人を見つけては目的外の売り場のほうに避難したり、じっと立ち止まったり。やりにくなぁ・・・。

 2尾150円の特売の秋刀魚を見つけ、すかさずカゴへ! 他にも特売品を見つけては当てもなくカゴに入れていたら、結局買いすぎてしまいました。

 でも、特売の秋刀魚の塩焼きは結構美味しかったですよ! 七輪で焼けばもっと美味しいでしょうねぇ。


 体が「そろそろ動きたいぞぉー」と言うので、久々に剪定鋏を持って植木屋をしました。

 今年はツツジも樫も紅かなめも、徒長する枝が異様に多いのです。ツツジはいま切るべきではありませんが、あまりにも無秩序に伸びてしまったので、来春、花が咲かないことを覚悟で少し剪定しました。

 やっぱり気持ちいいなぁ・・・。最高!!

 もう少し元気になったら、ほぼ枯れてしまった赤松の伐採作業をしようと思っています。

 縁先に吊ってあった簾も撤収しました。もうしばらくしたら網戸も片付けて、秋の設えに変更です。

 元気っていいですねぇ。

〜 通りがかった喫茶店にて 〜
2007年9月27日(木)  No.1538

十六夜
 お彼岸も今日で終わり。少々疲れがたまっていますが、日が経てば快復するでしょう。

 住職が神戸のお葬式に行きましたが、すべてが終わって帰ってくるまでには10時間ぐらいかかるでしょう。住職もお彼岸で疲れていますから、心配です。

 夕方、所用があって出かけたついでにデパ地下に夕食の買い物に行きました。

 いろいろなものが山のようにあって目移りします。スウィーツのコーナーには、栗やさつまいものケーキなどがいっぱい!
 お総菜もいろいろありますが、100グラムがどれほどの量になるのかわからないので躊躇していまします。

 地元のスーパーでは手に売っていないようなものをと思って2〜3品求め、サッと帰りました。

 帰りに、御所の南側をバイクで走っていると、大きなお月さんが目に飛び込んできました。思わずバイクを駐めてデジカメを取りだし、パシャ! でも、東に向かうにつれて、お月さんは東山の中に隠れてしまいました。東山に近い真如堂から月が見えるのは、市内の西の方に比べたらずいぶん遅いのだということを実感しました。

 それにしても、大きな、大きな、お月さんでした。

 買って帰った秋刀魚のお造りはとても脂っこくて、それだけで胸がいっぱいになりました。秋刀魚は焼いた方が美味しいなぁ。

〜 十六夜の大きな月。明日が満月 〜
2007年9月26日(水)  No.1537

神戸へ
 朝、連絡が入って、夕方から神戸までお通夜に伺うことになりました。

 阪急で行こうか、JRで行こうかと迷いましたが、阪急は乗り換えるのが面倒なのと、JR駅前の大型電気店に行ってみたかったのとで、JRにしました。

 駅までのタクシーが意外と時間がかかって電気店を楽しんでいる余裕がなく、カードリーダーを買っただけでした。開店して1ヶ月ほど。店内はたくさんの人で賑わっていました。
 京都の電気店といえば、寺町四条下るにたくさんありましたが、こういう大型店が他の地域に出来るようになってから、寺町は火が消えたかのよう。衰退のスピードがまた進んでしまうのでしょうね。

 僧衣姿でこういう店はウロウロしにくいなぁ・・・。


 「京都」から「神戸」まで新快速。早い! 「神戸」で普通に乗り換えて「新長田」へ。

 ケミカルシューズ産業が盛んな長田は、95年の阪神・淡路大震災で大規模な火災に見舞われた街。焼け跡の中に立つ、鷹取教会の両手を広げたキリスト像は何度もテレビなどに取り上げられました。

 地震後1週間ほどした頃、ボクは救援物資などを積んだトラックを運転してこのあたりも通りました。物の焼けた臭いがまだ強く漂い、瓦礫が散乱していました。

 JRの車窓から見ていても、地震後、まだ復興できないままの空き地などが所々に見受けられました。新長田の界隈も、新しく建った家が並び、新興地かと錯覚するほどでした。

 通夜の式場となったお寺も地震で倒壊した後、再建されたそうで、葬祭場として使いやすいような建て方の、コンクリート造りでした。神戸では、再建されたお寺が葬祭業社の葬儀会場として使われるケースが多いようで、そこにも地震の大きな影響を見るようでした。

 たまに神戸に行くと、震災の時のことなども思い出され、複雑な気持ちになります。


 葬祭業者に、「お布施はいくらぐらいにさせていただけばよろしいでしょう。ご遺族から聞かれているのですが」と相談されました。「お布施でお経が変わるわけではないので、お志で・・・」と言っても、「いやぁー」と言って、神戸の‘相場’とやらを紙に書き出しました。

 誰が‘相場’を決めたのか知りませんが、神戸の‘相場’は、京都の倍、あるいはそれ以上ということは、ボクも聞いています。葬祭業者ももちろん知っていてます。「じゃぁ、半分ぐらいにしておいてください」と言うと、「あとからお寺さんにお叱りを受けることもありますので」と、まだ具体的に金額を言って欲しいとのこと。「少ない」と文句を言うお寺もあるのですね。請求書を出すお寺もあると聞きますが・・・。

 言ってあげれば葬祭業者は楽なのでしょうが、逆に料金や対価のようになってしまうにはボクも抵抗があります。「ご家庭の事情もありますから、お志で。少ないなんて言いませんし、お布施でお経は変わりませんから」と、結局ボクも金額は言いませんでしたが、「でも、遠方から来ていただいていますし、明日も1日お越しいただきますし・・」と葬祭業者はまだブツブツ。

 故人はお寺にも時々来られていましたが、喪主や親族とお会いするのは初めて。疎遠な檀家さんに限って、こういうケースがあります。コミュニケーション不足を感じます。

〜 一点に差し込んだ朝日 〜
2007年9月25日(火)  No.1536

彼岸ピーク過ぎる
 お彼岸の中日(秋分の日)の振り替え休日。

 今日も予想に反して墓参の方は少な目。昨日と比べものにならないほど、墓地は閑散としていました。

 それに加えて、夕方から雨。すっかり人の足は止まり、お越しになった方も「この雨ですから、お墓での回向はもう結構です」と遠慮しておっしゃるので、‘開店休業’状態。
 でも、待機状態は解けないので、衣を着たまま、「Coming Sonn」になっている「僧坊閑話」の8月の空白を少し書きました。あと2日分が、なかなか進みません。


 今日で、事故から3週間目に入ります。この連休で体調が悪くならないかと案じていましたが、逆に少し快復に向かってきたように思います。家人も家事などを手伝えるようになってきました。

 ぼちぼちよくなっている実感があります。

〜 大犬蓼の花 〜
2007年9月24日(月)  No.1535

彼岸中日
 彼岸のお中日。夜半3時半にお参りに来られた方があったようですが、それはまぁ例外。朝6時半頃から夕方5時頃まで、たくさんの方がお参りになりました。

 ピークは10時頃から1時頃まで。墓所で右往左往しながら、墓回向をさせていただきました。

 グッドアイデアだと思った携帯電話での、自坊と墓所との連絡方法でしたが、日射しが強いと携帯の液晶が見にくいのと、たくさんの連絡が次々入ると頭の中で覚えていられなくなり、何度も携帯を見て確認しなければならないことが判明。混んでいる時は、例年通りメモを持った伝令係が走ることにしました。

 4時頃降り始めた夕立で人の足はほぼ止まり、気温もグッと下がりました。

 今年は、土曜・中日(祝日)・振休と続くこともあり、お参りの方は分散気味。お中日の今日も、墓参の方は例年より少なかったようです。

 「大丈夫ですか?」と声を掛けてくださる方が予想外に多く、ホームページを見てくださっている檀家さんが多いことに驚きました。あまりアホなことを書いていられませんねぇ。

〜 朝ご飯をもらいに尻尾を立てて階下に急ぐさくら 〜
2007年9月23日(日)  No.1533

愛犬ハナの供養
 お彼岸中は基本的に月参りの日程を変更させていただくのですが、「今日は何としても伺わねば」と思い、早朝、檀家宅に伺いました。

 今日はおじいさんの命日。でも、拝んで欲しいとお願いされていたのは、7月亡くなったハナ。おばあさんではありません、マルチーズの愛犬です。亡くなった後、ご家族がとても悲しまれているのを知っていたので、「一度、拝ませていただきましょうか?」「ぜひお願いします」と伺ったのです。

 ハナはボクのことを大変気に入ってくれて、ボクが車で行こうとバイクで行こうと、すぐにその音を聞き分けて、チャイムを押す前から家の中から歓待してくれました。伺う前の日に家の人が「明日、ポクポク来てくれはるで」とも言おうものなら、早朝から大騒ぎだったようです。

 お宅に上がって読経を始める前も、ボクの回りをグルグル回って「遊ぼう」と吠え、読経が終わるやいなや、また大急ぎで来て、撫でろと求めるのでした。
 こんなにボクを待ちかねてくれるのは、人・動物を問わず、ハナが一番だったかも知れません。

 仏壇の横にハナの祭壇が設えてあり、遺骨がまつってありました。おじいさんを拝まないわけにいかないので、まずはいつも通り仏壇に向かって読経。続いて、席を替わって、ハナの祭壇の前で読経。ご家族にお焼香をしていただきました。

 お勤めが終わってご家族と思い出話をする時にも、50才半ばの強面のご主人は涙、また涙。「おじいさんの時だって、こんなには悲しくなかったのに・・・」と言われるほど、12年間共に過ごしたハナは、子供同然だったのでしょう。

 遺骨の今後について相談をして、ご家族にとって一倍いいだろうと思われる方法で土に戻すことにしました。

 30年来、僧侶をしていますが、犬の祭壇の前で読経をしたのは初めてでした。何とお経をあげたらいいものかとも思いましたが、人間同様に丁重にお勤めをさせていただきました。それが‘ご遺族’にとって何よりだと思ったからです。

 今後、そのお宅に伺っても、黄色い声を出して歓待してくれる‘ひと’はいません。クリーニング屋さんとボクが好きだったというハナ、やすらかに。


 事故の相手方のお嬢さんから電話がありました。ご自分は入院する必要ななくなったとのことで自宅療養に、助手席のお嬢さんはあと1週間ほどの入院とか。「これぐらいで済んでお互いよかったですね」と不幸中の幸いを喜びました。

〜 白花曼珠沙華と露草 〜
2007年9月22日(土)  No.1532

特製インドカリー
 午前中は某企業グループの慰霊法要。本坊の前には黒塗りの車が所狭しと止まり、約25社の各代表が参列されました。


 帰って夕食用のカレーの仕込み。以前教えていただいたレシピでチキンカレーを作りました。
 カレーパウダーは2月にインドで買ってきたもの。レシピ通りの材料は揃っていませんでしたが、そこは勘でカバー?

 先ずはタマネギを飴色に炒め、ニンニクと生姜の刻んだものを入れて、そこにカレーパウダーを入れます。レシピには小さじ2杯と書いてありましたが、何だか頼りなさそうなのでティースプーンに山盛り3杯入れました。チキンブイヨンは手持ちナシ。傷みかけていた林檎があったので、もったいないと思って、皮を剥いて手の上で適当に切って入れました。

 味見をしてみると、「すっごい本格的な味!」 我ながら「料理の鉄人」かと思いました。


 気をよくして、午後から東山のお寺で「大般若転読会法要」へ。この法要は痛く辛いものでした。

 法要では、左手を高くかざして教本を持ち、下げた右手にパラパラとその頁を落としていくのですが、左手を上に上げる時に胸を反ったような格好になり、その時に痛みが走ります。それを150巻。大きな声も出すので、余計に響きました。

 でも、除災招福、身体健全などの御利益がいただけるでしょう。


 帰ってしばらく横になり、夕方からカレーの仕上げ。

 さて、期待を持って食べてみましたが・・・お米の水加減を間違って、ご飯はベチャベチャ。カレーパウダーが多すぎて、すごく辛い! 逆に、ブイヨンを入れてないからか、味に深みがありません。先日、ハンバーグに生クリームを入れて成功したので、ちょっと振りかけてみましたが、味に大きな影響ナシ。林檎は適当に切った姿がそのまま残っています。擂って入れるべきでした。

 味は、日本の「カレーライス」というよりは、インドカリーに近い味で、次に期待が持てそうです。でも、とりあえず今日のところは「料理の鉄人」は返上です。


 今日は「今日の散歩道」の定例更新日。朝、昼、夕方と少しずつ写真を撮り、何とか更新しようとしましたが、体力的に今日はとても無理でした。おまけに、墓参の檀家さん方がいっぱい歩いておられるので、写真が撮りにくくって・・・。明日、もしかしたら明後日にずれ込むかも知れません。

〜 生クリームを振りかけた特製カリー 〜
2007年9月21日(金)  No.1531

彼岸の入り
 今日からお彼岸。

 自坊ではお彼岸の間中、お墓で回向をさせていただくことにしているので、墓参の方が来られる度に墓地へ行きました。

 「毎年よ 彼岸の入りに暑いのは」 勝手に書き換えては子規先生に怒られそうですが、今日の最高気温は34.3度。笠をかぶって直射日光を避けていても、熱せられた石が並ぶお墓は暑い! 皆さん、汗をぶるぶるかいてお参りになっていました。

 週間天気は晴れマークがズラッと並んでいます。「彼岸中、ずっと暑いのか・・・」 そう思うだけで頭がクラクラしそうです。

 墓参は朝一番の涼しいうちにどうぞ!


 カーナビが届きました。大きくてすごく重たい! こんなものを乗せて走るのかと思うと、燃費が気になります。ディーラーまでバイクに乗せて持って行けないし、持ち込みで、無料で付けて貰うものを「取りに来て」とも言いにくい。タクシーで持っていこうかな・・・。

 納車は10月の連休頃とか。まだ2週間もあります。

〜 お彼岸の夕暮れのお墓 〜
2007年9月20日(木)  No.1530

100年生き抜く
 午前中、檀家宅へお参り。午後、葬儀。夜、お通夜と、忙しい日でした。

 葬儀の方は97才、通夜の方は98才と、共にご長寿でした。

 葬儀を勤めさせていただいたKさんは、いつもニコニコされていた、徳のある方でした。葬儀には孫・曾孫など、実に多くの子孫たちが参列されていました。

 通夜をお勤めさせていただいたNさんは、晩年になってお墓を求めて真如堂の墓地管理所を訪ねて来られ、たまたま8ヵ寺ある塔頭の中の吉祥院とご縁が出来た方でした。社交的で明るく楽しい方で、お寺の世話方などもお願いしました。

 3年前に奥さんに先立たれた後、去年の春のお彼岸に、突然、カレンダーを貼り合わせて歌詞を書いたものとハーモニカを持って来られて、法要の後に参列されている方の前で演奏させて欲しいとおっしゃいました。
 今までも住職の褒賞や勲章の祝賀会などでハーモニカを吹いていただいたこともあり、「Nさん、またお願いしますね」とお顔を見る度にお願いしていたのでした。
 突然で、スケジュール的にもあまり時間が取れませんでしたが、「2曲ほどしか時間がないのですが、いいですか?」とお願いしました。歌詞を書いた紙は何枚もありましたが・・・。

 最初はちょっと調子っぱずれでしたが、「ふるさと」などを、片手でハーモニカ、片手で指揮をしながら熱演され、参列しておられた皆さんの大喝采を浴びられました。その後は体調を崩されることも多くなり、「今度は乗り越えられませんでした」とご子息が残念がられる結果となりました。

 お二人とも明治・大正・昭和・平成と、ほぼ1世紀にわたって生き抜いて来られたわけですが、その間には戦争もありましたし、幾多の艱難辛苦、生命の危機もあったでしょう。それを生き抜いて来られたということは、本当にご自分の力だけではない、多くの偶然や神仏の加護があったからこそだと思います。

 ボクは今回の事故で、生きるというのはこういうことを紙一重でかいくぐって行くのだなぁ、どこで死ぬことになるかは誰にもわからないものだと思いました。
 幼くして亡くなる子、自ら命を絶つ人、不慮の事故でなくなる人も、いままでたくさん見てきましたが、幾多のアクシデントを超えて、たとえ病気を抱えながらも100年生きられるというのは、いったい何なのだろうと思います。


 ボクは3〜4時間動くと、ウルトラマンのカラーターマーが点滅するように、肩から首に掛けてが詰まってくるような状態。ひとりで勤めたお通夜で頑張って声を出したら、てきめんダメージが来ました。寝れば改善するので、できるだけそうするようにしています。

 家人は少し起きてこられるようになり、時々、ボクは家事の監督指導を受けています。
 明日から彼岸。無理をせざるを得ないのでちょっと不安です。

〜 去年の春のお彼岸のN氏 〜

2007年9月19日(水)  No.1529

不慣れな‘バス通勤’
 朝一番に法務局に印鑑証明を上げに行き、続きに銀行へ。何度やっても通帳を受け付けてくれないと思ったら、「京都信用金庫」の通帳をもって「中央信用金庫」に行っていました。

 午前中のお参りは近いのでバイクで、午後は遠いのでバスで行きました。バスでお参りに行くのも初めて。

 50分ほどの‘バス旅’の後、炎天下を10分ほど歩いて檀家宅に着き、読経。帰りのバスの時間を見計らっていたつもりがバス停に着くのが少し遅れ、バスは行ってしまった後の様子。「いつも遅れるのに、なんで今日は時間通りなんや・・・」 次のバスが来るまで30分ほども待ちました。

 やっと目的のバスが来て乗り、「これで小一時間乗れば帰れる」と安堵していたら、3つほど停留所を通過したところで、「次は『京都外大前』。終点です」という車内アナウンス。
 「えーーー 終点!? なんでぇー いま乗ったとこやん!」と思っている間に、終点到着。乗客はボクだけでした。

 運転手さんに、「これ、銀閣寺に行かないのですか?」と聞いたら、「銀閣寺に行かはるんですか? それは反対向けです」と言われました。ボクは、循環コースを回るバスだから、当然、銀閣寺に行くはず」と思って乗ったのですが、大きな勘違いでした。

 運転手さんが、「前に停まってるバスに乗ったら、近くまで行きますよ」と教えてくれたので、衣の裾がめくれ上がるのもかまわずにダッシュ! 何とか間に合いましたが、そのバスでは自坊最寄りの停留所には行けません。「しょうがないなぁ。近くまでこれに乗って、しんどくなってきたから、あとはタクシーで帰ろう。無理したらあかんしなぁ」と心に決めました。

 そのバスの、自坊に一番近いバス停で降りたところ、バス停の音声案内が「○○系統 『錦林車庫』行きが間もなく来ます」と言っているのが聞こえました。タクシーと決めていたものの、「バスがすぐに来るのなら仕方ないなぁ」とそのバスに乗り、自坊最寄り「錦林車庫」で下車。徒歩約10分で帰着。結局、檀家宅を出てから2時間近くかかってしまいました。

 スローな生活もたまにはいいのですが、こんな調子ではいつも通りの予定がこなせませんし、疲れてしまいます。車がないと本当に不便です。


 正午頃、敦賀警察より、「午後から実地検証をしようと思うのですが、来られませんか?」との電話。相手方が転院して京都に帰ることになったので急遽今日やることになったそうです。こちらも毎日の予定がありますし、20〜30分で行ける距離でもあるまいに、そんな突然言われても行けるわけがありません。

 「まだ痛くて動きにくいですし、この先、お彼岸中はこちらも動けません」と伝えましたが・・・。

〜 バス車窓の眺めを堪能 〜
2007年9月18日(火)  No.1528

主夫業
 午前中の法要を終え、午後はひと休み、ふた休み。

 夕方、スーパーに買い物に行きました。たまに行くと要らないものを買ってきますが、しょっちゅう行くようになると、冷蔵庫の中身を考えながら必要なものを買うので、無駄買いをしないものですね・・・言い切れはしませんが。

 友人からトマトをたくさんいただいたので、今夜はトマトとベーコンのパスタ。それと、一度作ってみたかった肉汁たっぷりのハンバーグ。トマトのパスタは勘のみで美味しくできました。ハンバーグは生パン粉と生クリームを入れて、味に深みがあって香ばしいものが出来ました。自画自賛? ただ、作りすぎました。 

 男の料理は後が大変。野菜の切れ端が飛び散っていたり、シンクの中がいっぱいになっていたり。もちろん、片付けは好きではありません。

 明日は何にしようかなぁ・・・。

 今夜も早目に寝たのですが、すぐに目が覚めてしました。寝返りを打つ時には、つい「うっ」と声が出てしまいます。

 おまけにここ数日イタズラ電話が日に5〜6回かかってきます。いつもは明るいうちだけなのですが、今夜は夜中の1時頃に3回かかってきました。出たら無言。しばらくしてウトウトしていたら、またかかってきてという繰り返し。撃退法を考えるのはもう少し元気になってからにします。

〜 黒谷の蓮池の萩 〜
2007年9月17日(月)  No.1527

ひとつ一つ
 今日も蒸し暑い日でした。最高気温は34度と夏のよう。おまけに湿度が高くて、空気がベタベタまとわりつくような感じでした。

 案の定、夕方にはお決まりのスコール。ここ最近、毎日のこととなりました。


 年回法要を終え、塔婆書きの最終追い込み。彼岸にはまだ早いのですが、この連休に墓参の方が来られることは確実で、一刻も早く完成させる必要があります。
 一気呵成に書き続け、昼過ぎには完成! 50音順に並べて、墓参の方が来られた時に備える体勢ができました。何とかギリギリセーフです。タイムリミット付きの気になっていたことが、一つ片付きました。

 今はちょっと根を詰めると不調になってしまうのも仕方ありません。そういう時は横になるのが一番。30〜40分横たわったら、少し楽になりました。

 友人に頼んでカーナビを見に連れて行ってもらいました。使い方や機種による違いもよくわかりませんでしたが、「こういうものなのか」という感触はつかめました。役に立つかどうか・・・。
 カーショップの価格はネットショップで調べておいた価格よりもなんと4万円高! 帰ってネットショップで注文。来月新製品が出るので、定価の半額でした。これでカーナビ探しは一件落着。

 敦賀から廃車になった車のナンバーが届きました。事故後、ナンバーはひん曲がっていましたが、送られて来たものは真っ直ぐに伸ばされていました。普段、ナンバーを手にすることなどありませんが、意外に大きいものですね。これに廃車にした証明、印鑑証明や委任状などを付けてディーラーに渡せば、廃車手続きも一件落着。連休明けに印鑑証明を上げに行かなきゃ。

 また、事故の記事が載った新聞2紙も同封されていました。記事を見て、初めて先方の人たちの名前や年齢を正確に知りました。記事に書かれた怪我の程度は、やはり違っていました。


 まだ事故に関係する様々な処理は1割程度進んだに過ぎませんが、しなければいけないことを一つ一つ片付けていくと、気持ちも落ち着いていきます。まだ無理のきく身体ではないので、ボチボチやらないと仕方がありませんね。

〜 廃車になった車のナンバー 〜
2007年9月16日(日)  No.1526

「十月桜」咲く
 毎月15日の朝は本堂に出頭してお勤めをすることになっていて、真如堂の僧侶全員が顔をそろえます。
 ボクの事故のことを知っている人もいて、お見舞いを言っていただいたり、状況の説明をしたり、次の車はどうするのだというような話になりました。

 ホームページに書いているから当たり前のことなのですが、事故のことがだんだん知れ渡って、遠方からお見舞いに来てくださる人もおられ、まったく恐縮しています。


 午前中、車を買う契約書を交わし、諸費用などを支払いました。25日から生産ラインにのって、納車は10月初旬。まだ半月はかかります。
 お盆に遠方に出かけた時、道に迷ったこともあって、今度はカーナビを付けることにしました。今まで使ったこともないので、何がいいかもわからず、ディーラーの担当者に2機種ほど教えて貰って、「一度、カーショップに行って、実際に見てみられた方がいいですよ」と勧められました。カーショップは遠いなぁ・・・。


 家人は、咳が出て胸に響いて痛いので、民間の総合病院で再診をしてもらいました。X線やCTを撮り直し、診察の結果、咳は肺の出血によるものだろうとのこと。鎮痛剤などを貰って帰ってきました。某大学病院とは違ってとても親切だったようですが、「ドクターは某大学から来ているのです・・・」と受付で申し訳なさそうに言われたそうです。

 打撲だけのボクですが、夜になってかなり胸が痛み、寝ても体位が簡単には変えられない状態でした。打撲では湿布薬しか出ず、診断書も「2日間の安静を要す」でしたが、どうしてどうして、1週間経っても普通の生活はできそうにありません。

 「今日の散歩道」の写真を撮る時もいろいろな姿勢を取れず、思うようにはいきませんでしたが、何とか9時半頃には完成。安堵しました。

 後から、今日咲いているのを見つけた「十月桜」の写真を使うのを忘れていたことに気が付きました。例年よりも2ヶ月早いのですが、水不足で葉が落ちたことから、桜が咲く時期が来たと勘違いしたのでしょう。
 まだ優美さに欠けている気がしますが、この花を見つけた時は、「あっ・・・咲いてる」と、とても癒されました。

 秋が深まって、次第に咲く花が増えていくのはとても嬉しいことです。

〜 早くも咲き出した「十月桜」 〜
2007年9月15日(土)  No.1525

観念する
 朝起きた時、「今日はあかん(ダメだ)」と思いました。考えてみれば、事故以来、体の痛みの上にいつもとは違う用事がドッと増え、気疲れもあったのに、ほとんど休養していませんでした。そんな疲れなどが少し出てきたのかも知れません。

 「今日の散歩道」の更新はとても出来そうにないので、延期することにしました。

 曼殊院の近くへバイクでお参りに行った後、伏見の墨染へ。墨染はかなり遠く、天気予報では降水確率が40%ほどになっていたので、バイクで行くのはやめて‘おけいはん’に乗ることにしました。
 今まで、近くはバイク、雨の日と遠くは車で30年ほどお参りに回っていたので、電車に乗って行くなんて初めて。「混んでいたら嫌だなぁ」と思っていたら、各駅停車はガラガラ。ゆったりのんびり行けました。また、電車はすごく安心感がありました。

 彼岸前に無理をして体調不良を長引かせることになってもいけませんので、帰って何もしないで寝ていようと思いましたが、細々とした用事などがあってそういうわけにもいかず、夕方近く、ようやく1時間半ほど臥することが出来ました。

 復調にはまだまだ時間がかかると観念しました。

〜 伏見をゆったり流れる琵琶湖疎水 〜
2007年9月14日(金)  No.1524

面倒な書類
 今日の降水確率は午前・午後共に0%。「よしっ! 洗濯物が乾く!」と、天気予報を見るのも主婦感覚。スーパーでの買い物も、思いつきではなく、冷蔵庫をリサーチした結果をちゃんと反映しているように我ながら思います。

 相手方の保険会社から電話が入ったり、書類が届いたりしました。車両と傷害の担当は違い、車両担当者は仕事についても公共交通機関を使って欲しい、渉外担当は使った費用はすべて請求してくださいと、言うこと違います。
 大きな事故なので、事故の状況や責任割合などをはっきりさせるために、
リサーチ会社が入るようです。うちからすれば、まったく落ち度のない、避けようのない事故で、0:100以外は受け入れられませんが、保険会社としてはそうすんなり承知しないのでしょうね。
 前の車の査定額も通知してきました。下取り価格ではなく、市場価格なのですね。

 書類を書くのは非常に煩瑣。双方の保険会社から2人分ずつきているので、量も多いし、まだこれから増えていくでしょう。

 車は、あれこれ考えた結果、結局、今まで乗っていた車にしました。ナンバーが「5」から「3」になって、細い路地などを行くには不便になってしまうかと思いましたが、「最大7人乗れて、大きな荷物や自転車も詰め、車内で寝袋で寝られる車」という条件で行くと、それほど候補がありませんでした。
 値引きもそこそこ。ナビも持ち込みで、最後に「無料で取り付けてくれたら決めますから」と言って、即交渉妥結。でも、納車までまだまだ時間がかかります。

 お風呂に入って胸を見たら、うっすらと黒くシートベルトの跡が付いていました。このお陰で大けがをせずに済んだのでしょう。

 暗くなってから洗濯物を戸入れに行ったら、強い香りが漂ってきました。白粉花です。「わぁー!」とすごく嬉しくなり、ルンルンで洗濯物を竿から外しました。何と単純な。でも、人間って案外そんなものですね。
 夜に香るから「白粉」なのでしょうか?

〜 闇に香る白粉花 〜
2007年9月13日(木)  No.1523

京大病院でキレそうに
 雨が降る度に確実に秋が深まっていくのを感じます。

 朝の散歩の時に大砲ドングリを拾っていたら、「あー、それで一つも落ちてないのですか! おかしいなぁ、もう落ちる頃だと思っていたのですよ」と堂守に言われました。

 大砲ドングリは、一つ残さず拾って帰らないと気が済みません。今日も両手いっぱい拾いました。これで笛を作って、11月の「かふぇ水琴窟」にお越し下さった方にサービスで差し上げるつもりです。

 境内のすすきの穂が全部盗られたと聞かされました。これから月が美しくなってくると、萩も盗られます。野山に生えているのを取るのならまだしも、境内のは「盗る」行為です。紫陽花はあれ以来、無事です。


 家族が京大病院の呼吸器外科を受診するのに付き添いました。敦賀の病院を退院する時に、帰ったら京都の病院で受診するようにと指示があり、紹介状とX線・CTの写真を持っていきました。

 蛇足ですが、先日来、「家族」と書いていたら、何人もの方から、「家族ってどなたですか?」という質問をいただきました。いままでプライベートなことは書いてきませんでしたので今さら書きにくく、今日も「家族」とさせていただきます。

 診察室へ入ると、ドクターから「今日はどういうことで受診をされましたか?」と聞かれたので、事故のことと、予後を京都の病院で診てもらうように指示を受けたと説明しました。でも、そんなこと紹介状に書いてあるはず。
 「どうしてこの病院を?」と重ねて聞かれたので、「以前、頸椎外来を受診したことがあるので」と説明しましたが、ドクターは明らかに「単純な胸骨の骨折ぐらいで、京大のような研究病院を受診するな」という態度。
 「何を診たらいいのです?」とまた馬鹿げたことを聞いてくるので、「紹介状を読めばわかるでしょう!」と言いたかったのですが、「肺の状態の経過を観察して貰うように言われている」と説明。「それじゃぁ、今日はすることがないので2ヶ月後にCTを取りましょう」でお仕舞い。「鎮痛剤で胃が荒れるのですが」と家族が言うと、「じゃぁ、飲まないでおけばいいでしょう」 これだけでも充分腹が立つのですが・・・。

 「警察から転院先の診断書を出すように言われているのでお願いしたい」と依頼したら、「何のための診断書ですか? 理由のわからない診断書は書けません。費用がかかりますよ」と突っかかってきました。「警察から出すように言われています。理由はわかりません」と言っても、同じことを繰り返すばかり。目の前で敦賀の警察に電話をし、ドクターの言い分を伝えましたが、あいにく担当者が不在。代わりの人は「担当者が出して欲しいとお願いしたなら、出していただけますか」というので、それをドクターに伝えました。後で貰った診断書には、「胸骨骨折 上記にて当院外来受診した」とだけ書いてありました。

 まったく木で鼻をくくったようなというか、診療より研究や論文にしか興味がないというのか、興味をそそるような病気しか診る気が起きないのか、ホスピタリティーのない、患者の気持ちを踏みにじるようなドクターでした。大学病院だから勤まっているのでしょう。開業医を訪ねたほうがよほどよかったと悔いました。
 元気なときのボクなら噛みつくのですが、今日はそこまでの勢いはありませんでした。


 今日はちょっと動くとしんどくなります。病院から帰って少し横になると、てきめん効果があって楽になったので、今日もまた車のディーラーに行きました。今日の車が一番いいかも・・・。

 帰ってまた少し横になり、夕食後は塔婆書き。こちらも先が見えてきました。


 敦賀の義兄から、事故のことがNHKのローカルニュースや地元紙に双方の実名入りで出ていて、親戚がお見舞いに来てくれたと電話がありました。事故の翌日は新聞休刊日で出ていないだろうと思っていたのですが・・・。ボクの家族は「肋骨骨折」、ボクは「全身打撲」になっていたそうです。警察発表もええ加減なものです。

〜 いまだに象牙の塔? 〜
2007年9月12日(水)  No.1522

現場復帰
 今朝から現場復帰。まずはいつも通り朝の散歩をして、体のバランスを調整することにしました。歩くのに苦痛は感じませんでした。

 車がないので、少々遠くてもバイクで出かけなければなりませんが、バイクに乗るのが恐い。予期せぬ方向から何かが飛んでくるような気がするのです。
 先方の保険会社からは、「タクシーに乗って領収証を取っておいてください」と言われていますが、檀家のお宅に伺うのにタクシーを乗り付けるわけにもいきませんし、こんなことに乗じているように思われるのも嫌で、よほどでないと乗る気にはなれません。頭を切り替えて乗るようにしたほうがいいのでしょうが・・・。

 檀家宅でお経をあげましたが、胸を張ったり大きく息を吸ったりすると痛いので、猫背で読経をしていたかも知れません。声はちゃんと出ているので大丈夫。

 帰りに果物を買って、事故の時にお世話になった、うちから300メートルほどのところにある和菓子屋さんにお礼に伺いました。

 実は、そのお菓子屋さんご夫婦は、事故の時にボクのすぐ後ろを走っておられたのです。事故が起きた時に後ろから駆けつけてくださり、「竹内さん!」と名前を呼んでくださって初めて気が付きました。あまりの偶然に驚きました。
 その後、奥さんはボクの家族の横に付いていてくださり、ご主人は交通整理をしてくださいました。救急車がなかなか来ないので自分の車で「病院まで連れて行ってあげる」と言ってくださったのですが、動かさない方がいいし、かえって時間がかかるかも知れないと、もう少し待ちました。

 ボクたちが救急車で行く時に、「荷物を届けてあげます」とおっしゃってくださり、ガラスだらけの荷物を届けて、事故の状況も報告してくださいました。

 今日伺ったら、その夜は事故の光景が思い出されて眠れなかったとおっしゃっていました。事故に遭われたご親戚のお見舞いの帰りだったそうです。いろいろな偶然が重なるものだと思いました。

 郵便局に行ったら切手が売り切れ。あり得ない・・・。いったん帰って、別の郵便局に行ったついでに車のディーラー2店に寄り、今の車に近いタイプのカタログをとりあえず貰ってきました。実車はありませんでした。また、書店でカー雑誌も買いました。
 車を買い換えるつもりはまったくなかったので、どんな車があるのかもさっぱりわかりません。買おうという気分ではありませんが、車がないとお寺の仕事や個人的な用事にも困りますので仕方ありません。

 昼下がりに帰って食事をして、11月に「メダカの学校」の講師をしてくださる方の来訪を受けて打ち合わせ。ラジオのパーソナリティーなども勤める中国人女性に、現代の中国などについてお話しいただくことになりました。

 朝からずっと動いていたら、さすがにくたびれてきました。肩と首が詰まって頭も痛くなってきたので、「夕寝」。寝るのは最高の治療のようで、少し寝ただけでグッと楽になりました。

 たくさんの方からメールをいただき、多くの書き込みをしていただきましたが、今日はパソコンに向かうのはちょっと辛いので、失礼して明日以降にさせて貰うことにしました。と言いつつ、今日の閑話は長い・・・。

 でも、お彼岸が日一日と近付いてくるので、滞っている塔婆書きが気になります。レトルトカレーに手を加えた夕食を食べて、気持ちを安心させる程度だけ塔婆書きを前進させてようと3時間ほど頑張りましたが、意外に大丈夫。何が楽で、何が辛いのか、手探りです。

 「今日は終了!」と寝ころび、「どの車がいいのかなぁ・・・今までの車と同じにしようかなぁ・・・車ってこんなに高かったかなぁ」などと車のパンフレットを見ましたが、一向に具体的になりません。買う気モードになるまでは、もう少し時間がかかりそうです。

〜 木々の間からやっと見えるオオモクゲンジの花 〜
2007年9月11日(火)  No.1521

帰ってこれた・・・
 朝、入院している家族の様子を見に病院に行きました。痛みでベッドから起き上がれない様子。トイレも車いすで連れて行ってもらったようです。午後、CTの再検査があり、それが済めば退院できるかも知れないということでしたが、帰れるかどうか・・・。

 車をレッカー移動して保管している業者に行きました。双方の車が並んで置いてありましたが、共に大破。レッカー業者には廃車しかしかたがないと言われ、保険会社の調査と警察の検証が済んでから手続きを進めて貰うように依頼し、車に積んであった細々としたものを撤収しました。

 相手の車を運転していた人のお父さんから連絡があり、こちらの病院で面会。お嬢さんは同じ敦賀の別の病院に、同乗されていた女性は峠の反対側の高島市の病院に入院されたと聞きました。共に20歳で、運転者は脳内出血や腰骨の骨折、同乗者は腰骨の骨折。回復に向かっておられるとのこと。ホッとしました。
 一瞬の出来事とはいえ、さぞかし恐かったでしょう、痛かったでしょう。ご両親も心配でたまらなかったことと思います。ボクとしては、あの事故を共に乗り越えた者同士、とにかく早く全快して欲しいという気持ちでいっぱいです。

 夕べは寝返りをしてもいたくて寝不足。今日になって肩や首の凝りも出てきて、体が辛くなってきました。家族のベッドの枠に頭を乗せて少し仮眠をしました。

 午後、家族はCTの検査を受け、退院の許可が出ました。経過を観察する必要があるとのことで、京大病院に転院の手続きを取って貰い、写真類をもらって退院の手続き。
 午前中は歩くこともままなりませんでしたし、午後の検査も車いすで連れて行って貰いましたが、帰る頃には、そろりそろりながら、なんとか歩けるようになりました。よかった・・・。

 朝から、双方の保険会社から事後処理について、長い電話が何度も入りました。入院費用は保険会社が直接払うらしく、受付もそのように処理。診断書代だけを支払い、最後に診察券を貰って退院。もう要らないけど・・・。

 警察に寄って、診断書を提出。若干、事故状況について聞かれましたが、調書や実況見分は後日。また敦賀まで来なければいけません。

 昨日からずっと一緒に行動してくれた義兄宅に寄って荷物の整理をして宅配分で送ってもらうよう依頼して、JRの駅へ。今までは車で行き来していたので、JRで帰るなんて未だかつてしたことがありません。並んで指定が取れないのでグリーン車。椅子が大きすぎて落ち着かな〜い。貧乏にできているなぁ。

 京都駅からは、できるだけ振動が少ないようにと中型のタクシーを待って乗車。7時半、ようやく家にたどり着きました。まずは仏前に報告。

 帰ったら、さくらが大変。2日間さみしい思いをして、夜も初めて独りで寝ざるを得なかったので、かなりのトラウマになったみたいです。噛んだり、引っ掻いたり甘えたり、寝返りを打ってもまだ痛いのに、上に乗ってきたり、横に来て撫でろといったり、ぜんぜん寝た気がしませんでした。

 とにかく、何とか無事に帰ってこられました。本当に長い2日間でした。今後のことを考えると大変ですが、一つ一つ片付けていくより仕方がありません。
 車も買わなければいけませんが、買い換えの予定は全くなかったので、見当さえ付きません。しばらく車には乗りたくありません。

 生きていることは有り難いことだと、しみじみ思います。

〜 壊れた愛車 〜
2007年9月10日(月)  No.1520

「救急の日」
 福井の敦賀に親族の見舞いに行きました。

 往路、平均80キロぐらいで流れる湖西道路で、ボクを路肩から追い抜いていくバイクがありました。3台前の車の先で嫌がらせのような運転をした後視界から消えたので、「先に行ったんだ」と思った矢先、突如、すぐ前を走っていた車の前に飛んできて大きく2〜3回転。おそらく接触したのでしょう。バイクを運転していた人は動きません。背筋がゾッとしました。でも、本当にゾッとするのはそれからでした。

 見舞いを済ませて病院を出たら、ものすごいスコール。やがて雨も上がってきた頃に差し掛かった峠道の国道161号線。ボクが上りのカーブに差し掛かろうとした時、いきなり目の前に車が‘降って’きました。後から考えると、カーブを下ってきた対向車が、カーブを曲がりきったところでスピンして横向けになり、こちらのすぐ前に横から突っ込んできたのです。でも、その時は、目前に車が‘吹っ飛んできた’という感じでした。

 ああいう瞬間は時間がコマ送りで流れますが、それもなく、気が付いたのとぶつかったのはほぼ同時。「死ぬかも知れない」と思いました。大きな衝撃音やガラスが割れて降ってくる音などがして、目を開けると車内は白っぽく見えました。エアバックの火薬の煙?

 「生きてる」と思ったと同時に、助手席を見ると家族が痛みを訴えていました。車の前部は大破。運転席側のガラスは割れてありません。ガソリンが漏れているかも知れないと思ったので、わずかに開く助手席のドアから家族を引っ張り出し、少し離れた道路に寝かせました。

 向こうの車は衝突の衝撃で180度回転し、さらに横転して、ひとりが屋根と道路の間に挟まれていました。事故車と一定の距離を置いて‘固まっていた’車の人たちが応援に駆けつけてくれ、車を起こしてその人を道路に寝かせました。

 携帯を見ると圏外。まず、事故車の両側の車に、とにかく携帯の通じるところまで行って救急車の手配をして欲しいと頼みました。通報や交通整理に協力してくださる方、けが人を介護して下さる方など、本当にたくさんの方々が惜しまずに協力してくださいました。本当に有り難く思いました。

 ひたすら救急車を待ちました。ずいぶん待った気がします。やっと、滋賀県側から2台、福井県側から2台の救急車が着いて処置。警察も着いて、事故の状況を簡単に説明。ボクは家族と一緒に救急車に乗って、敦賀の国立病院へ。二人とも、X線、CTなどを撮ってもらい、家族は胸骨骨折で入院。ボクは胸部打撲で、一緒に入院させてもらえなかったので、義兄宅に泊まりました。

 体にはガラスによる細かい傷があり、ポケットや靴の中など、そこら中からガラス片が出てきました。二人とも外傷はその程度で済みました。

 本当に大変な1日でした。ボクにとって生涯忘れることのできない「救急の日」となりました。
2007年9月9日(日)  No.1519

進化した寺のインフラと昔ながらの和尚
 檀家宅へのお参りのついでに北区の某寺院でPCサポート。先日、新しいノートPCを買って欲しいと頼まれたので、通販で手配して直送して貰い、一応のセットアップは弟子がしたものの、イマイチ使い方がわからないとか。

 WINDOWSもXPからVistaになっているし、Officeもバージョンアップしていてインターフェイスも変わっているので、機械が苦手な和尚にはまだちょっと使いこなせないでしょう。

 弟子に聞けばいいのに気兼ねがあるのか、「すまんが、時間のある時にちょっと来てくれんかなぁ」と、いつもながらボクにお声がかかったのです。

 某寺はこの度景観を考慮して電線類を地下埋設し、電力会社系の光ファイバーも一緒に通して、各塔頭で使えるようにしました。お寺にしては先進的なインフラの整備。それとは裏腹の和尚。そこがまた隔世の感がして魅力なのです。


 午後以降はず〜っとお彼岸の塔婆書き。今日も目がチカチカ。それでも肩凝りしないのは、朝の散歩が効いているのでしょう。散歩はオススメです。


 昨日は夕方に水やりをしたのに、夜中に雨が降って悔しい思いをしましたが、今日は夕方に雷雨があってたっぷり水を与えてくれたので、水やりからは解放されました。ウレシイ!

 また秋が深まるでしょう。

〜 よく狂い咲きをする山吹 〜
2007年9月8日(土)  No.1518

目が霞む
 蒸し暑い日でした。

 更新を終えて、夜8時頃からお彼岸の内職。だんだん目が霞んできたので、11時過ぎにはお仕舞い!

 最近、加速度的に視力が衰えて来たのを実感します。目前の小さな文字は、眼鏡をかけないとほとんど判読できません。

 先日、山に行った時も眼鏡持参。でも、雨の中で出したり入れたり出来ないので、小屋にいる時にじっかり地図を頭に叩き込んでおきました。みんなで頭を突き合わせて地図を見ている時も、コースタイムの文字を読み間違って、「それは上の段ですよ」と突っ込まれたり。目だけは自信があったのに・・・。

 やっぱり山へ行って、遠くの景色を見ているのが、目には一番いいかも・・・なーんちゃって。

 掲示板で、北穂高岳と南岳の間にある大キレットで滑落事故があったと知りました。今年、この場所で亡くなった方は何人になるでしょう? 今年初めて行きましたが、それほどの難所とは思いませんでした。でも、ボクも次に行って油断をしたら、危ないかも知れません。

 「それほどまでにして、どうして山に行くの?」と、よく聞かれますが・・・。

〜 熟してきた菩提樹の実 〜
2007年9月7日(金)  No.1517

立候補
 天台宗の中にも議会というのがあります。全国のブロックである「教区」にもそれぞれ議員がいて、議会を開き、天台宗の運営について協議します。国でいえば、国会議員と国会です。

 各教区には知事に当たる「教区長」という役職があって、また同じように議会があり、議員がいます。今月、その選挙があります。教区長は立候補者が一人だったために早々と決定。昨日・今日が議員などの立候補の受付日でした。

 真如堂も京都教区の中では1つのブロックを構成していて、議員などの定員枠を持っています。回り持ちで今回はボクが議員を勤めさせていただくことになり、立候補届を出しました。立候補なんて、小学校の生徒会長選以来。その時は落選しましたが、今度は当選確実。

 届けを出しに行ったら、選挙そっちのけで、天台宗の僧侶が起こしたゴシップが話題になっていました。「ひょっとしてボクの高校の後輩かも・・・」。今朝のテレビで取り上げられていました。どうにも格好の悪い話です。

 午後、久しぶりに大津・坂本で会議。天台宗のお役所や議会があります。議題は、天台宗の公式ホームページの修正作業。慌てて作ったホームページだけに、今から見ると修正箇所だらけ。全面リニュアルしたい気分ですが、膨大なエネルギーを要します。

 一般の方からすると、公式ホームページは一番手近に天台宗を知ることが出来る場所の一つ。もっともっと充実させないといけないと思いますが、お寺の世界はペーパー偏重で、ホームページは一部の人のためのものという感覚が支配的。資金もマンパワーも、もっともっと欲し〜い!

 ボクのホームページもそろそろリニュアルしたいなぁ・・・1日が48時間だったらなぁ・・・。

〜 隣寺の蓮の実 〜
2007年9月6日(木)  No.1516

機械に走らされる
 朝、散歩に行ったら、大砲どんぐり(マテバシイ)の実が少し落ちていました。「ずいぶん早いなぁ」と思いながら、見つけた実をすべて拾ってポケットに入れました。

 また、「大砲どんぐりを見つけたら、放っては帰れない季節が来たなぁ」と実感しました。いくつになっても止められません、この癖。


 一ヶ月後に再検査をしましょうと言われていた心臓の検査に行きました。前回同様、24時間心電図を付ける予定でしたが、ボクが「暑いからやめましょう」と提案したのをドクターが受け入れ、「じゃぁー、冬にしましょう」ということになり、もう一つ予定していた運動負荷心電図の検査を受けました。

 心臓の回りに電極をいっぱい付けられ、ルームランナーのような機械に乗りました。
 「やられたことはありますか?」「いいえ」「スポーツジムとかでもないですか?」「ないです」というやりとりをして、「それでは動きますよ」とスタート。案外早い! 少し早足程度。3分経ってステージアップ。今度はかなりの早足。何でも、設定された心拍数に達するまでやるそうです。また3分経って「早くなりますよ」とステージアップ。「は、はい」。うわぁー、駆け足だぁ! どうやら目標の心拍数は160のようです。
 「限界の一歩手前で言ってくださいね」「はぁ・・・は、はい」 3分以上走らされました。ドクターの手元の操作盤に「目標達成」と出ているのが見えているのに、まだ止めようとしません。「もうやめますか?」と聞かれ、思わず「目標達成しているじゃないですか!」と言いたくなりました。

 機械から降りて心拍数が下がっていく段階で、 どうやら不整脈が出た様子。ドクターは「やったぁ!」みたいな顔をしていました。
 「動悸がしますか?」と聞かれましたが、こんな息が上がっているのに動悸かどうかなんてわかりません。

 ドクターが退室した後、若い女性の検査技師に「お若いからなかなか上がりませんでしたねぇ。若い人とかわりませんよ。走っておられるの格好よかったですよ」と言われ、ちょっと嬉しかったぁ。でも、息も絶え絶え。
 「これって、お年寄りもこんなことをするのですか?」「いえ、お年寄りは最初ももっともっとゆっくりです」「そ、そうでしょうね。死んでしまわれますよね」

 しばらく待って、院長の診察。「出ましたねぇ。これが原因かも知れません」と、また嬉しそう。不調だといっても、検査で出なければドクターもどうしようもありませんもの。

 「具合はいかがですか?」「快調ですよ」。病名をつけてもらい、「これは若い人にもよく起きる症状です。もし不整脈が起きている感じがしたら、息を止めるか、冷たい水を飲んでください。そうしたら直ります。特に問題はありませんので、3ヶ月経ったらまた診せていただきましょうか」と言われ、診察終了!

 帰ってネットで調べたら、「正常な心臓の、若い人たちと子どもによく見られます。危険因子には、過量の喫煙、カフェイン、アルコール使用が含まれます」と書いてありました。コーヒーの飲み過ぎかも知れません。

 若さを実感したような検査でした。


 お彼岸が迫ってきました。急いで水塔婆を書かないと間に合いません。えらいこっちゃ!

〜 今朝の収穫 〜
2007年9月5日(水)  No.1515

「かふぇ水琴窟」打ち合わせ
 今年の11月も自坊で「かふぇ水琴窟」を実施することになり、今日、第1回目の打ち合わせをしました。

 心の病をもった人の就労支援と病への理解を深めて貰うために始めた「かふぇ水琴窟」も今年で3年目。今年も、京都市内にある5つの心の病を持った人の共同作業所が参加します。

 去年関わって、すごく自信を付けてくれたメンバー(当事者)や、「今年もぜひ参加させて欲しい」と楽しみにしているメンバーもいます。 去年は23名のメンバーが、延べ229時間働いてくれましたが、今年はさらに増えるでしょう。
 「今年もやるのですか? 伺います!」と言ってくださる方もおられます。秋の恒例行事として育ってきたようで、とても嬉しく思います。

 今年はボランティアの人にも手伝って貰うことにしました。ボランティアが関わるとかえって面倒になるという反対意見もありましたが、活動の広がりなどのために、積極的にお願いすることにしました。

 メンバーには事前研修をしてもらい、より美味しいコーヒー・紅茶をお出しできるようにすること。昨年の「松露」に代わり、作業所で焼いたクッキーを飲み物に付けること。抹茶カステラなどをメニューに加える検討することなど、わずかながらも内容が充実するよう目指します。

 OPENまであと2ヶ月。きっと、あっという間にその日が来てしまうでしょう。

 いろいろな人との出会いもあり、お越しいただいた方を心からお接待させていただければと、今からとても楽しみです。

〜 昨年のかふぇ水琴窟 〜
2007年9月4日(火)  No.1514

紅葉に向けて
 久々の庭仕事。たっぷり雨が降ってくれているので、最近は水やりからもすっかり解放されて楽チンになりました。

 盗られて穴が空いたままになっていたところに、紫陽花の苗を植えました。

 紫陽花泥棒は3株盗って以来なりを潜めています。山吹を盗られた時も、やはり3株ほど続けて盗り、それからしばらく出没しませんでした。「3株にしよう」と泥棒が決めているのか、心身のバランスが崩れて盗りたくなる時期があるのかわかりませんが、もう許しません!

 石畳や苔のところに除草剤を撒きました。雨が降ると、一気に草も伸びます。草も水が欲しかったに違いありません。

 職員がもみじの枯れ枝の剪定をしていたので、それに加勢しました。あちこちで枯れ枝が目立ってきました。渇水に耐えられなかった、弱った枝です。

 ボクも木に登って加勢しましたが、切った穴からものすごい数の蟻が出てきて、衣服に付きました。木に穴を空けるような蟻ですから、顎が発達していて噛まれると痛いのです。気持ち悪いので自坊に帰り、即、衣服を脱いで風呂の残り湯をかぶりました。

 枯れ枝の剪定で、秋の紅葉に向けての準備が始まったなぁという実感が湧いてきました。

 今日の最高気温は32.8度。‘往時’よりはかなり涼しくなりましたが、子供の頃なら盛夏の気温だなぁと、なかなか来ない秋本番が待ち遠しく思えました。

〜 猛毒のあるというチョウセンアサガオ 〜
2007年9月3日(月)  No.1513

次は白山!
 びしょ濡れになっていた雨具やリュック、靴などが乾き、たくさんの洗濯物も綺麗になりました。

 今回は強い雨や寒さで着替えの予定が狂い、地上に降りてから着る服が残っていなくて困りました。幸い帰りの列車は臨席が人が来ず、汗臭さで迷惑を掛けることなく助かりました。

 部屋の一角を占めている道具や衣類を、「仕舞おうか・・・仕舞いたくないなぁ」と逡巡しつつ、まだズラッと並んだまま。「今日にでもまた山に行きたい」 そんな気分で、あっさりと仕舞えないのです。思案している間に、さくらの恰好のおもちゃになってしまっています。

 現実的には、お彼岸が終わるまでは動きが取れませんが、とりあえず実現性があるのは紅葉の加賀・白山かな。まずは、お寺の仕事に精進、精進!

 9月になると、毎年その後は一気呵成に年末まで過ぎていく気がします。今年もあと1/3。気忙しくなってきます。

〜 実一つつかず、目一杯葉を広げるカボチャ 〜
2007年9月2日(日)  No.1512

メダカに疲れる
 今日のメダカの学校のテーマは、「京都の地名〜左京区周辺の山、川・池、古道など」。最近は「京都」をテーマにすることが多いのですが、毎月の講師探しも大変です。今回の講師はネットで検索してお願いしました。

 打ち合わせをして、当日用のレジュメをお送り下さったのですが、なんと1人分がA420枚もありました。内容も論文調。

 箇条書きのレジュメにして、内容的にも平易に、1時間〜1時間半程度で消化できるようなものにしていただきたいとお願いして、レジュメは14枚に減りました。それでも、時間内に消化できないことは明らか。ベテランの参加者の手厳しい対応が予想されます。どうなるんだろう・・・。
 白黒の資料は自坊のコピー機で、カラー資料はコピー屋さんで複写し、合計400枚以上になりました。

 テーマに興味がある方が多いのか、参加者はいつもよりも多目。臨時の席を作ったり、急いで資料をコピーしたりして、もうバタバタ。始まる前にもう一度講師の先生に、一般向けに、1時間〜1時間半でとお願いし、スタート!

 最初の地名は「比叡山」。この説明だけで45分かかりました。今日、用意されている地名は、あと「鞍馬」「今出川」「深泥池」「鯖街道」。とてもこのペースでは終わりません。
 予想通り、参加者からは「専門的すぎる」「難しい」という意見が出て、講師も「まだ難しいですか?」と気をつかいながら話を進められました。

 当然、後半は端折らないと終わりません。それでも1時間半では足らず、帰る方も出始めました。

 質問を受けると、またその答えが長〜い。聞くほう簡単な回答でいいと思っていても、研究されている立場からすると、文献や資料に照らした正確な答えをされたいのでしょう。じっくり聞きたい反面、参加者の皆さんの予定もあるので、冷や汗が出そうでした。

 講師がとても熱心で、地名にかける思いの深いことは誰に目にも明らか。真摯な姿勢はとても好感が持て、もっと時間があればと思いました。

 終わって、参加された数名の方と共に、講師を囲んでコーヒータイム。またいろいろなお話を聞かせていただいて、大変有意義でした。改めて、「地名って面白いなぁ」と思いました。

 講師をお送りしたら、ドッと疲れが出ました。あー、終わったぁー。

〜 秀吉期の相国寺〜出町付近。「真如堂」の表記も見られます 〜
2007年9月1日(土)  No.1511

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