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2007年8月の日記

今日も山に浸る
 いつもなら、山から帰ったら疲れてゴロゴロしているのに、今回はほとんど疲れも感じず、筋肉痛もありません。「どうしたんだろう?」と自分でも不思議なくらい元気です。
 いつもはストイックな気分で歩き、たいてい初日に無理をしてしまうのに、今回は3日目の‘本命’に備えて、ペース配分などをうまくやったからではないかなぁと、また今日も満足感に浸っています。

 天気予報を見ていると、北アルプスは今日も雨。昨日登った人たちはどうしているだろうと心配。2日間コースを共にした人からメールが来て、昨日は悪天のためにコースの変更を余儀なくされたとか。皆、天気に泣かされています。

 友人から、折よくも、玩具菓子『日本名峰コレクション』が送られてきました。ソーダ味の粒ガムは付いていません。きっと友人が食べたのでしょう。

 この模型、すべてをカバーしているわけではありませんし、小さ過ぎてよく見えないという難点はありますが、虫眼鏡で拡大して見ると、自分がどんなところを歩いてきたか、地図を見るよりもより具体的にわかります。
 まだ興奮の余韻が残る今日のボクにとって、実に素晴らしいプレゼントでした。

 昼、テレビを付けたら、「思いっきりテレビ」で穂高が写っていました。「あっ!!」と食い入るように見ていたら、今日は穂高岳山荘を開いた今田重太郎氏の命日であると、その生涯の一端を紹介していました。
 穂高岳山荘には一昨日立ち寄り、カレーとコーヒーをいただきました。氏の名前の付いた「重太郎新道」や愛娘の名の付いた「紀美子平」も以前通ったことがあります。
 よく整備された登山道や拠点となる山小屋には、氏のような人の苦労があることを改めて思い知らされました。

 そんなこんなで、今日はボクから山を忘れさせないでおこうとするお膳立てが出来すぎているようにも思える日でした。

 あー、また山に行きたいなぁ。せめて1泊2日でもいいから。紅葉の白山かな・・・。

 明日から9月。お盆月の特別スケジュールも終わり、また明日から通常‘業務’に戻ります。

〜 今回歩いたところに点線を描いてみました! 〜
2007年8月31日(金)  No.1510

上高地へ 松本グルメの旅?
上高地へ

 朝起きて窓の外を見ると、雨が結構強く降っていて、なかなか止みそうにありませんでした。

 西宮の男性は落胆顔。「だんだんよくなって来るんじゃないですか」と確かな根拠もないことを言いましたが、慰めにはなりません。

今朝の朝食も美味しい!

 5時半、朝食。山で食べる最後の食事です。今回の山行では、食欲がなくなることも、疲れて食べられなくなることも1度もなく、とても美味しくいただけました。最初に無理をせず、ページ配分もうまくいったからでしょう。

 部屋に戻ってパッキング。西宮の男性だけは何もせずに、畳んだ布団にもたれて座っておられました。
 小屋の人に聞いたら、雨の中、奥穂まで行くのは止めたほうがいいと言われたそうです。それほど困難な道ではありませんが、小屋の人も男性の経験が浅いと見抜いてのアドバイスだったのでしょう。

 天気は回復傾向にあり、日程的にも余裕があるとのことだったので、「もうしばらく様子を見られて、天気が回復したら穂高岳山荘まで登って、そこで奥穂に登るかどうか判断されてはいかがですか」とアドバイスをして、ボクと千葉の彼は部屋を後にしました。

 靴を掃こうと、土間にテーブルが並んだ部屋に行くと、6〜7名の人がテレビの気象情報の画面を食い入って見ていました。その中の1人がボクたちを見て、「えっ、行かれるのですか!? 上高地? 奥穂?」と聞いてきました。「上高地です。待っていてもしょうがないので」と言うと、「大丈夫ですか?」と不安そうな顔。大雨でもなく、危険なルートでもないので、ボクからすると待機しているほうが不思議。涸沢あたりは、ハイキングの延長の人と登山の人が交じり合うので、きっと前者なのだろうと思いました。「はぁー、まぁ大丈夫でしょう」と適当に返事をして、小屋の受付の人に「下がります」と告げて、6時20分、千葉の彼と小屋を出ました。

 雨は本降りなので、「パノラマコース」は危険だろうと思って断念。道が小川のようになっていたり、川がごうごうと音を立てて流れていました。
 途中、年輩のご夫婦が、雨のために登山道を横切る形で出来た流れを渡れず躊躇されていたので、大きな石を流れに放り込んで飛び石を作ってあげました。

かすかに見えた屏風岩

 結構早いペースで下っていき、涸沢から橋を渡って川の畔を下る横尾谷を進みました。途中、木々の間から高くそびえる屏風岩が見えた時、千葉の彼が、「あー、やっと見えた!」と叫びました。
 屏風岩はロッククライミングをする人なら憧れる場所。彼は人工的な壁を登るクライマーですが、興味があったのでしょう。来る時は見えなかったそうです。
 ボクはどうでもよかったのですが、彼につられて写真を撮りました。

 道は時として川になったりしていましたが、黙々とひたすら歩きました。川に沿ってなだらかに下りつつ、次第に道が広くなり、やがて横尾の吊り橋を渡って、横尾山荘に着きました。涸沢小屋を出てから、ほぼ1時間でした。

 彼は上高地から東京への直通バスに乗る予定。ボクは京都への直通には間に合わないので、いったん松本へ出て、そこから高速バスかJRで帰る予定。いずれにしろ、バスの時間もよくわからないので、上高地までは早く着きたいと思っていたので、ぶっ飛ばして歩きました。

明神館前にて

 横尾〜徳沢〜明神と、寄るのはトイレだけ。さすがに明神まで来ると、上高地を散歩する人たちが増えてきました。でも、観光客の多くは薄いビニールの合羽程度と傘などの装備なので、時おり横向けに降る雨や避けようのない泥濘に難儀されていて気の毒でした。
 上高地のバスターミナルが近付くに従って、どんどん人は増え、格好もただの観光客になっていきました。河童橋あたりは、雨にもかかわらず、結構な人の数。俗っぽい平地に降りてきてしまったことを残念に思いました。


上高地はトイレだけ

 10時45分、バスターミナル着。南岳小屋で一緒だった単独行の男性と出会い、お互いの労と無事をねぎらいました。

 バスの時刻表を見たら、上高地から松本電鉄に乗り換える新島々へ行くバスの時刻まで30分ほどしかありませんでした。その次のバスは1時間半以上も後。どうしても今度のバスに乗らなければなりません。

 バスの予約券を買って、公衆トイレに飛び込みました。バスに乗った時、隣に座った人に汗臭いと思われたくなかったので、濡れティシューを数枚使って体中を拭き、汗と雨で湿った服を下着以外すべて着替えました。

 急いでバス停に戻ると、乗車を始めるところでした。予約券の番号順に乗客を乗せていきます。ボクは20数番目でした。
 列に並んでいると、千葉の彼が挨拶にやってきてくれました。彼のバスまではまだ1時間半ほどあります。それまで上高地をブラブラしてみるそうです。
 「ありがとうございました。また会いましょう」と挨拶をして、バスに乗り込みました。

 バスはほぼ満席でしたが、ボクの横は空いていました。帝国ホテルのバス停から乗ってこられた人が隣に座られましたが、登山をしているわけでもない格好の彼のほうがよほど臭っていました。

 約1時間、バスに乗っている間に、雨はほとんど上がってきました。もっと早く上がって欲しかったなぁ。

新島々駅とバスターミナル

 新島々の駅に着き、松本への電車が出るまで30分あったので、上高地で詰め込んだだけのリュックの荷物をパッキングし直しました。洗面所で髭を剃ってサッパリ。上高地で時間が取れれば温泉に入って汗を流したいと思っていましたが叶わず。それならば松本でと思っていましたが、もう一度濡れティシュで体を拭いたらサッパリしたので、だんだんその気は失せていきました。

 1時前の松本電鉄に乗って松本へ。各駅停車でゆっくり走る電車の車窓からは、白い蕎麦畑や少し赤くなってきた林檎の実なども見え、信州へ来たんだなぁという気分が味わえました。


いつものお決まりコース

 1時20分頃、松本に着き、まずは京都までの列車のチケットを求めました。14時43分発のワイドビューしなの16号は大阪行なので、それに乗って京都で降りればいいのですが、名古屋の新幹線ホームできしめんを食べたかったので、名古屋で乗り換えることにしました。

 駅を出ると、雨はほとんどあがっていました。駅から徒歩10分ほどのところに温泉に入れるホテルがあることを調べて知っていましたが、やはり止めることにしました。

 松本に来たら、いつも寄るところがあります。山に行く前に1泊する時は駅前の居酒屋(名前は忘れました)、山から降りてきた時は「レストラン・タツミ亭」でステーキを食べ、電車に乗る前に「マサムラ」のシュークリームを買います。

雰囲気のあるタツミ亭の外観

 タツミ亭は創業70年のビーフステーキとイタリアンの店(だそうです)。ボクに山を教えてくれた女性が、大学の山岳部の時によく寄ったお店だそうです。最近の山小屋の食事はすごくよくなりましたが、テント泊で自炊していたり、食事のあまりよくない頃は、山を降りて食べるステーキ、そして生野菜がすこぶる美味しく感じられたものでした。
 その印象が強く、今でも松本に降りて食事をするとしたら、蕎麦よりもタツミ亭のステーキです。

 店にはいると、お客は3人だけ。店の前のメニューに、「チキンカツ・ステーキ セット 1500円」などと書いてあったので、ウエイターに「チキンカツ・ステーキ セット」と言ったら、「えっ、チキンカツかステーキかどっちですか?」と聞かれました。どっちかを選ぶのだそうです。もう一つ事情が飲み込めずにいたら、「メニューにも載っています」というので開けて見たら、ステーキが4千円とか書いてありました。「こんなに高いのは要らないです」と言ったら、「グラムによって値段がいろいろありますので、お選びください」と言われましたので、1500円ぐらいのものを頼みました。もちろん、ビールも。

薄かったステーキ。OGビーフ

 「タツミ亭の注文って、こんなに難しかったかなぁ」と思いつつ、すぐに出てきた冷えたビールの中ジョッキーを仰ぎました。うまい!
 厨房から肉を焼く音が聞こえてきます。やがて出てきたステーキはちょっと薄かったけれど、山で食べたレトルトとは味が違いました。ビール、ステーキ、ライスを3角食べして、やがて終わろうという時、生野菜を頼むのを忘れたことに気が付きました。でも、「今さらもういいかなぁ」と頼みませんでした。それだけ、山小屋の食事で生野菜を食べたということなのかも知れません。

 松電バスターミナルのショッピングセンターに行き、地下の食料品売り場でマサムラを探しました。ここのシュークリームが美味しいことは、僧侶仲間に教えてもらいました。ところが、階段を下りたところにあったと思っていたお店が見つかりません。生鮮食品の売り場なので、階を間違えたのだと思い1階に上がったら、ちゃんとありました。
 カスタードと生クリームのシュークリームを求め、保冷剤を多い目に入れて貰って、駅に向かいました。登山ウエアにリュックを背負って、シュークリームの袋をぶら下げているのはいかにもケッタイな気がします。

 まだ少し時間があったのでターミナルビルに寄り、信州限定のチョコなどを求め、ふと見ると、ここにもマサムラがありました。
 改札前のスタバでコーヒーをテイクアウトして列車に乗りました。ホームはとても蒸し暑く感じられました。

 しなの16号は空いていて、シートを占領することができました。

 疲れている上に、ビールも飲んでいるので、普段ならすぐに眠気に襲われて爆睡します。ところが、今回はまったく眠たくなりません。車窓の風景や乗り降りする人を見ながら、結局、一睡もすることなく名古屋に着いてしまいました。

 名古屋のお目当ては、新幹線ホームのきしめん。山の帰りに名古屋で乗り換える時は、必ずといっていいほど食べていました。
 とりたてて美味しいわけでもありませんし、ホームで食べるきしめんとしては、新幹線よりも高山本線のほうがよほど美味しいと思いますが、食べる機会は新幹線が圧倒的に多いのです。

新幹線ホームのきしめん

 自販機で何も入っていないベーシックなきしめんの食券を買って、カウンターに出すと、ほとんど時間差なく鰹節と葱のかかったきしめんが鉢が差し出されました。汁の色はやや濃いめ。出汁はあまり効いていません。

 「まぁ、こんなもんか・・・儀式やしなぁ」と思いつつ、目の前に積まれた冷凍の麺を見ながら食べました。汗だくです。

 大阪止まりの新幹線の自由席に乗りました。空いていたので、シートを占領。京都まで、またまんじりともしませんでした。


 ほぼ計画通りに歩けた今回の山行。無理をしなかったお陰で体調もよく、食事もすべて美味しくいただけました。槍に登ることは出来ませんでしたが、肩の小屋まで行けば十分。念願の大キレット越えも叶いました。天気がよくなかったことは残念ですが、こればかりは仕方がありません。歩かせてもらえただけでも感謝です。

 来年からはこんなに休暇が取れるかどうかわかりません。‘定年’があれば自由に山に行けるのにとも思いますが、忙しい中を行くからこそ、感動も大きいのかも知れません。
 山に登れたことに感謝。山道を保守してくださっている方々に感謝。今回の山旅で出会った人皆さん、「ありがとう」。
2007年8月30日(木)  No.1557

念願の大キレット
天候回復


小屋の窓から見た朝焼け
 5時頃、他の人たちがゴソゴソしだした音で目が覚めました。

 大阪の二人が窓の外を見て嬉しそうに歓声を上げている様子。すぐにお天気が良いのだとわかりました。

 ボクも急いで布団から抜け出して廊下の窓から外を眺めると、綺麗な朝焼けが見られました。「やったぁ!」 朝焼けはすぐにガスにかき消されてしまいましたが、雨が降る様子はなさそう。これなら念願の大キレットへ迎えます。

 乾燥室に干していた衣類などをパッキンし直し、いつでも出発できるように準備をしました。乾燥室の前で、単独行の男性が荷造りをしておられたので、何時に出発か尋ねると、「6時頃にしようかと思ってます」とのこと。

‘シャリばて’しないように食べなきゃ

 5時半、昨日と同じ部屋、同じメンバーで朝食を食べました。大阪のお二人は、予定通り、槍から笠ヶ岳を目指すとのこと。群馬のご夫婦は6時半頃に大キレットに向けて出発する予定とのこと。お互い、「ご無事で」と検討を祈りました。

 単独行の男性が6時、群馬のご夫婦が6時半。それではボクは6時過ぎに出発しようと決めました。どん尻に出発したのでは、万一のことがあった時に見つけてもらえないと思ったからです。
 それならば一緒に行けばいいのですが、他の人の領域を侵したくないし、自分も侵されたくないという気持ちが、とりわけ今日は働きました。


大キレットへ

 6時10分、靴の紐を念入りにしめ、寒さ除けのために合羽の上着だけを着て、小屋をあとにしました。

 獅子鼻の手前を右に回り込んで、南岳の南壁を約200メートル、大キレットの最低鞍部まで一気に下っていきます。

今日のメイン、大キレット

 昨日はガスに覆われて見えなかった大キレットの全容と、ガスに覆われた北穂が視界の向こういっぱいに続いていました。「あのエッジを行くのか・・・」と、これから踏むべきコースを初めて見ました。ワクワクしてきました。

 最初のこの下りは、朝一番の体には結構厳しく、また少し濡れていて緊張を強いられる長い岩場でした。

 行く手には、小屋で一緒だった単独行の男性が、そのさらに前には若い2人連れが歩いていました。単独行の男性は身軽そうですが、若い2人は荷物が重たいこともあって、足取りが重たそうでした。

 稜線の道は2本の足だけで歩けるところは少なく、ほとんどは手を使わなければいけませんでしたが、それほど困難を感じませんでした。

長谷川ピークの手前を行く若い2人

 大キレットには「長谷川ピーク」「飛騨泣き」と呼ばれる難所があります。事前に予習した時には、「どうやって越えればいいのだろう」と不安ばかりが先行しましたが、実際に歩いてみると、鎖や金具などがしっかり設置させていて、それほどの難所とは思えませんでした。こういう鎖などは、小屋の人たちなどが山岳事故を減らしたいという思いで整備してくださったのでしょう。とても有り難いことです。

 「長谷川ピーク」は尖った形の岩稜ですが、越えた後の鞍部に「A沢のコル」とペンキ書きされているのを見て、「あっ、あれが長谷川ピークだったのか。じゃあ、次が飛騨泣きだな」とわかる程度。三点支持などの基本に忠実に、集中力を絶やさないように慎重に進めば、それほど危険なところではありませんでした。
 ただ、「足を着ける位置があと10センチずれていたら、100メートルほど滑落したかも・・・」と、ヒヤッとする場面もありました。

 はめていた手袋の指先の何本かは岩と擦れて穴が開いて来ました。今までに何座かを共にした手袋ですが、そろそろお役ご免です。

 南岳南壁を降りた頃は、若い2人、単独行の人、ボクの順番でしたが、この頃には単独行の人が先頭で、若い2人のうちの1人が続き、ボク、そして若いもう1人という順番に入れ替わっていました。後ろの方を見ると、群馬のご夫婦の姿が豆粒よりも小さく見えました。

 ガスに覆われて、視界はほとんどありません。見えないほうが恐くなくて良いという人もいますが、せっかくの行程や回りの山々が見えないのはとても残念。でも、歩けただけでもラッキーだったと思うべきでしょう。

飛騨泣きの鎖場(ネットより借用)

 飛騨泣きの大きな岩をトラバースしていくところに付いてる鎖は異様に太く、女性の手には余るだろうと思えました。鎖と岩に打ち込まれているピン以外に、体を支えるものはありません。踏み外せば決して助からないだろうと思いながらも恐怖心はなく、慎重に進みました。

 ここを越えればあとは北穂への急な登りだけ。その登りも考えていたより短く、まもなく小屋の建物の一部が見えてきました。9時、北穂の小屋着。来た道を振り返りましたが、やはり何も見えませんでした。

 念願の大キレットを越えたという満足感と達成感は予想よりも小さかったですが、何だか自分が一回り大きくなったように感じました。

満足感を増すコーヒー

 小屋でコーヒーを注文し、霧に包まれたテラスで、持参したクッキーを食べながら飲みました。
 先行した3人も休憩をしていましたが、話をすることはありませんでした。他には、男性の2人連れと若いカップル、単独行の男性が1人。男性の2人連れだけが賑やかでした。


北穂〜涸沢

 9時25分、北穂の小屋を後にし、小屋のすぐ上の北穂の頂上を踏みました。広く平らなところに標識が建つ、愛想のない頂上です。

 頂上から涸沢岳に向かう道の大きな岩のところで、30才ぐらいの男性が、誤った道を進もうとしていました。登山道の間違いやすいところなどには「○」「×」などの標識が付いているのですが、彼はそれを見落としていたようです。

 「そっちと違いますよ。こっちですよ」と注意したら、「あっ、そっちですか」と彼は応じ、ボクが合羽の上着を脱いでいる横を通って、先に進みました。

結構険しいなぁ

 北穂高岳から涸沢岳へは、ボクの記憶の中にある道よりもずっと険峻でした。さっき道を教えた男性の少し先を、小屋で一緒だった若い2人連れが行くのが見えました。

 しばらく行くと、またその男性が標識を見落として、脇道へ逸れようとしているのを見つけました。

 「そっちと違いますよ。標識はこっちに付いていますよ」と言うと、彼はキョトンとしていました。間違っていたことにまったく気が付いていない様子です。
 後ろから彼の歩き方を見ていましたが、つま先で歩く感じで一歩一歩がフワフワと軽く、しっかりと地に足が付いていない感じです。「危ないなぁ・・・初心者なのかなぁ」と思っていましたが、明らかに目立っている標識を2度も見落とすなんて、ますます危なっかしい感じです。

 ボクがそう思っているのを察知したのか、鬱陶しいと思ったのか、彼は「スミマセン。先に行ってもらえますか?」と言ってきました。「ええ、いいですよ。ボクはゆっくり行きますから、越してくださればいいですよ」と返して、先に立ちました。

 しばらくすると、若い2人連れの1人がまた遅れていて、追いつき、追い越してしまいました。テント泊の彼らの荷物は大きく、負担も大きいのでしょう。ボク、2人連れの1人、標識を見落とす彼の順で進みました。

 しばらくすると、15人ほどの中年女性のパーティーが鎖場を降りてくるのに出会いました。山は登り優先ですが、それだけ大人数だと、先に行って貰うしかありません。先頭には山岳ガイドのような男性が付いていました。技術的にはまちまちな様子。おそらく、どこかの登山ショップ主催のツアーなのでしょう。

 「わぁー、滑る!」「お尻で滑ちゃおう!」などと言いながら、次々と降りてきます。その間、我々3人は、それぞれのポジションで待機せざるを得ません。最後に、‘山岳ツアコン’のような女性が、顔を引きつらせながら、「本当にスミマセン」と言って降りてきました。

 「よくもまぁこんな女性たちを、こんなところへ連れてきましたねぇ。訓練もしていないのでしょう? 事故ったらどうするのですか!」という表情をボクはしていたと思います。標識を見落とす彼は、後から、ボク以上に激高していました。あまり人のことは言えないと思うけど・・・。

 団塊の世代が次にするべきことを探す一環として山へ来ることケースが増えています。少し山を歩くようになると、「出来れば、北アルプス、槍穂高に行ってみたい」と思うのは当然のことでしょう。低山を歩くような延長で訓練もせずに、「みんなで渡れば怖くない」とでもいうように、やってくる。連れて

シコタンハコベ

イワギキョウ

くるほうも連れてくるほうです。最近、中高年の山岳事故が絶えないのは当たり前だと思いました。

 しんどい時は、景色を楽しむことも、花を愛でる余裕もありませんが、今日も快調。霧に覆われた道を進みながら、小さな花々を楽しむことが出来ました。


11:18:00 涸沢岳山頂

穂高岳山荘と奥穂高岳
 11時18分、涸沢岳頂上。デジカメで標識を写しておけば、タイムスタンプも付きますから、「百聞は一見に如かず」。メモは要りません。

 あいかわらず霧に覆われて、なーんにも見えませんが、奥穂高岳側を見ると、眼下に山荘が見え、奥穂の山頂も見え隠れしていました。

 ここまで来れば、あとは気楽。今日の予定はこの小屋泊まりですが、まだ時間も早いので、もう少し先まで足を伸ばせそうです。


穂高岳山荘〜奥穂高岳

 穂高岳山荘に着くと、年輩の西洋人夫妻がストーブの前で暖を取っていました。トレッキングツアーに参加されたのでしょうか、通訳のような人も側にいました。

 先ずは腹ごしらえ。もちろん、カレー。山に入ってからの3度目のカレーの昼食です。800円。味は・・・3位かな。

 大きい山小屋はだいたい愛想がよくないものですが、この小屋も例外ではありませんでした。「多くの人々に美しい景色を眺めてもらいたいという思いから山小屋を建て、登山しやすいように道を整備した創立者 今田重太郎氏の精神はどこへ?」という感じでした。

第3位かな

 カレーを食べながら外を見ていると、奥穂から降りてきた何とも奇妙な格好の女性が二人、目に入りました。モンゴル人?

 いま流行のスパイダーマンのようなサポートタイツの上に腰巻きをして、上着はフリース、頭にはつばの広い帽子。色の取り合わせが、何となくモンゴルっぽい感じ。

なんとも奇妙な・・・

 「ケッタイな女の子やなぁ。こんなんが流行ってるの? まぁ、さっきのおばさんたちよりはいいけどなぁ・・」と、カレーを食べながら見ていたら、涸沢から降りてきた‘標識を見落とす彼’がいきなりしゃべりかけました。

 「あいつ、ナンパしてるのかなぁ・・・軽いやっちゃなぁ・・・」と見ていたら、女性たちはサッサと涸沢カールのほうへ降りていきました。仕方がないので彼は小屋を素通りして、奥穂へ登る道のほうへ行きました。

 カレーを食べ終わって少し休憩した後、リュックを小屋に置かせてもらって、水など最低限必要な物をサブザックに詰め替え、奥穂へ向かいました。


 小屋から奥穂頂上までは往復1時間の行程。ハシゴや鎖場はありますが、ちょっとしたハイキング気分です。

奥穂頂上の雄志?

 ちょっと前を‘標識を見落とす彼’が歩いていて、ほぼ同時に頂上に着きました。彼の素振りから察して、「写真撮ってあげましょう」と言って撮ってあげ、ついでにボクも撮って貰いました。今回の山行唯一の自分の姿です。

 2人で写真を撮っていたら、昨日から抜きつ抜かれつしていた若い2人が、頂上を越えて前穂高岳の方へ向かって霧の中に消えていくのが見えました。昨日からどういうルートを取るかずいぶん迷っていた2人ですが、地図でも波線でしか書いてない危険な「ジャンダルム」を越えて西穂穂高岳に行くという挑戦は諦めたようです。
 ボクも前穂から上高地に降りるコースは考えたのですが、途中の岳沢ヒュッテが雪で壊れて営業していないので断念しました。テントを持った彼らなら、どうにでもなるでしょう。

 「降りは苦手なのです。先に行ってください」と言われたので、早く降りて小屋でゆっくりしようと思い、後ろも振り返らず降りました。


 再び小屋に着くと、群馬のご夫婦が着いて、お昼を食べておられました。「やぁー、ご無事で! お疲れさまでした」などとお互いをねぎらいながら、ボクはコーヒーを注文して飲みながら、大キレット越えについて感想などを話し合いました。

 そこへ彼も帰ってきて、話に加わりました。彼は「ボルダリング」というフリークライミングの一種をやっているということが自慢のようでした。脚力などはあり、壁をよじ登るのは得意なのでしょう。でも、歩き方はやはり危ないなぁ・・・。

 ご夫婦は、今日はこの小屋に泊まり、明日、新穂高温泉側に降りる予定とのこと。ボクは時間も早いので涸沢まで降りることにしました。夕方から強い雨となったので、結果的にはこの選択は大正解でした。
 「じゃぁ、お気をつけて。またどこかの山で!」「ありがとうございました。写真、メールで送ります」と、昨夕、ボクが撮ったご夫婦の写真をメールで送ることを約束して、小屋を出ました。

 小屋の人に、飛騨側に向けば携帯が入るかも知れないと教えて貰い、やってみましたが「ガスっている日はダメかも知れません」の言葉通りダメ。稜線に立てば携帯は楽々入ると思っていたのは、まったく外れました。携帯が入りやすいと、安易に救助を呼ぶ人が増えるから、わざとあまり入らないようにしてあるのかも知れません。


涸沢へ


涸沢カールと彼
 涸沢への降りは‘標識を見落とす彼’と一緒。前と後ろでいろいろなことを話ながら、進みました。彼は千葉から来ていて、昨日は涸沢ヒュッテに泊まり、南陵を北穂へ登ったところでボクと出会ったのでした。穂高は初めて。普段はそれほど高い山には登っていないようでした。

 涸沢カールはうっすらとガスに覆われていました。秋の花がたくさん咲いていて、写真を撮ったり眺めたり。眼下に小屋が見えているので、気持ちにも余裕がありました。

 頭上の尾根筋あたりから、静けさを破る笛の音や叫び声が突然聞こえてきました。見上げてもどこから聞こえているのかはわかりませんが、何かが起きたことは十分予想できました。
 「さっきの‘オバサン’たちじゃないかなぁ。危なかったもの」などと言いながらしばらく眺めていましたが、何事かはわかりません。少し歩くと、また人の叫び声。こんなことを数回繰り返していたら、へりが飛んでくるのが見えました。「おおっ」と注目しましたが、ただの物資搬送作業。結局、何があったのかはわかりませんでした。

 一気に600メートル降りて、3時45分、涸沢小屋に到着。涸沢にはもう1軒「涸沢ヒュッテ」がありますが、彼は夕べそちらに泊まったので、今日はこっちに。ボクは、小屋は登山者が、ヒュッテはハイカーが多いと聞いたので、こっちに。受付をしたら、結局同じ部屋に入れられてしまいました。


涸沢小屋


小屋の窓から見た涸沢
カールとヒュッテ

 カレーを食べながら外 小屋の受付で、彼と同じ部屋に割り振られました。1泊2食で9千円。麓に近いほど値段が上がるのは、どうも納得がいきません。

 部屋は6畳ほどの畳敷き。布団は6組ほどあったでしょうか。窓からは、涸沢のカールやヒュッテが雨の中に煙って見えていました。50半ば過ぎの男性が先にくつろいでおられました。

 挨拶もそこそこに、まずはリュックの整理。昨日、雨に濡れたため、ウェアーの段取りが少し狂ってしまいました。濡れているもの、これから着る物などを整理し、明日の用意もしました。

 やっと落ち着いて、夕食まで3人で話をしました。

 先にいた男性は、兵庫県の西宮から来られたそうで、夕べは松本に泊まり、今朝、上高地から涸沢に登って来られたそうです。今までは上高地の散策が主だったようですが、それでは飽き足らなくなって涸沢へ。明日は奥穂を目指したいとのこと。山岳の情報には詳しいようですから、登山誌などを読んでおられるのでしょう。でも、実際に登った経験はごく乏しいようでした。

 ‘標識を見落とす彼’も自分のことを語り出しました。千葉の船橋から来たこと。普段は関東の低山を歩いていて、3千メートル級の山は初めてであること。ボルダリングの説明には熱が入っていました。

涸沢小屋の夕食

 5時半、夕食。30人ほどの人が食堂に集まりました。メニューは豚の生姜焼き定食。美味しかったですが、誰もビールを飲もうとは言い出さないので、サッサと食べ終わってしまいました。ここまで来れば、安心して飲めたのに・・・。

 雨は一向に弱くなりません。雨と霧が混じった白い縦の‘波’がカールを移動していくのが見えました。

 部屋に戻って、西宮の男性の明日のルートについて検討。今夜から明日のお昼にかけては雨も強く降るようなので、様子を見て行けそうだったら、とりあえず穂高岳山荘へ行き、無理だったら潔く諦めた方がいいという結論に達しました。

 男性は雨具は持っていても、リュックカバーは持っておらず、装備も充分とは言えません。3千メートル級の山に憧れていると言っても、装備も技術も充分ではなく、おまけに雨天では登ることは断念するのが一番。そう言ってしまえばきつくなるので、やんわりと伝えました。

 いつの間にか皆の口数が少なくなり、8時半頃には自主的に消灯。9時頃には小屋全体も消灯になったようです。

 夜中、雨の音と西宮の男性の‘音’で、数回目が覚めるました。
2007年8月29日(水)  No.1534

荒天の槍ヶ岳〜南岳
雨・風・雷

 4時過ぎより、ゴソゴソ起き出す人の気配がしてくるようになりました。幸い雨は上がっています。

 5時、朝食。「シャリバテ」という言葉があります。しっかりご飯を食べないとバテてしまうということです。今日の行動に備えて、ボクもしっかり腹ごしらえをしました。

 トイレには列が、テレビの前には人だかりが出来ていました。天気は確実に悪くなるそうです。

早朝の槍沢ロッジ

 5時半、一人で小屋を出発し、槍ヶ岳を目指しました。10分ほど歩いたところで、‘お向かいさん’が、しゃがみ込んでカップ入りのヨーグルトを食べていました。「少しでも荷物を減らさないと」とまだ何かを食べる気配だったので、「お先に!」と言って、先に進みました。

 30分ほど歩いてテント場には、5張ほどのテントが並んでいました。さらに進むと、テント場を出発したばかりと思える若い男性が、何かを食べていました。「おはようございます!」と声を掛け、先に進みました。

秋の花が咲く槍沢

 2時間弱歩いて天狗原への分岐近くで休憩をしていると、‘お向かいさん’とテントの男性が一緒に歩いてくるのが遠くに見えました。ゆっくり休んでいるとやがて2人はボクに追いつき、‘お向かいさん’はリュックを降ろして一緒に休憩を、テントの男性はそのまま止まらずに先を目指して歩いて行きました。
 ‘お向かいさん’によると、テントの彼は槍〜北穂〜奥穂まで今日中に行く予定なのだとか。「え、えっーーーー、それ本当ですか!?」とビックリ。ボクの2日分の行程に近い距離を1日で行こうとしているのです。コースタイムにして13時間。「すごい人がいますねぇ。まぁ、テントだからどこでも寝られるけど・・」と、その鉄人ぶりに驚きました。

 自然と一緒に歩くことになってしばらくすると、急にバラバラと雨が降り始めました。雨は一気に本降りになり始めたので、合羽を着るかどうか迷う暇もありません。合羽を着てリュックカバーを掛け、また歩き始めました。

 槍の肩の小屋に泊まっていた人たちが下山するのにすれ違うようになってきました。10名以上の女性のパーティーもあります。
 ガイドが、「丸い石は滑りますから、足を乗せないように」などと教えています。
 それを見て、ボクたちは「こんなところに来てまでそんなことを教えなければいけないような者は登ってはいけないですよ」「今さらビックリしますねぇ」などと、唖然。山の事故が多いのも当然のように思いました。

 雨はどんどん強くなり、強い風も吹いて、時おり雷鳴がとどろくようになってきました。雨風はまだいいとしても、雷はコワ〜イ。

 ‘お向かいさん’が雷鳴が鳴ると同時に、突然しゃがみ込みました。ボクがキョトンとしていると、「あっ、鳴ってからでは遅いんだ」と自分で言って、また歩き始めました。雷から避難したつもりだったんだと、ボクもやっと理解できました。

 ‘お向かいさん’が歩を進めようと片足を上げた時に強い風が吹き、リュックカバーが風で膨らんで帆のようになって、おもわず彼は倒されそうになりました。すぐ後ろにいたボクは彼のリュックを後ろからつかんで転倒しないように支えたので、彼は何とか体勢を立て直すことができました。
 転がってもさほど危ない場所ではありませんでしたが、どこに危険が待っているかわかりません。ボクもかつて八ヶ岳の尾根筋でリュックカバーが風をはらんで飛ばされそうになり、同行者が必死で支えてくれた経験があります。一つ間違ったら尾根から転落していたところでした。

 東鎌尾根からの道と合流し、殺生ヒュッテの横を通って少し登れば、肩の小屋が見えてきました。9時40分、肩の小屋(槍岳山荘)到着。
 登っている間も、小屋の前まで来ても、まだ一度も槍の穂先(頂上)を見ていません。いったいどこの山に登ったんだか・・・。


槍、パス!

 槍ヶ岳山荘に着いたら、結構たくさんの人が土間でたむろしていました。風が強くて槍に登れず、風が収まるまで待っているようでした。

 「寒い」 口々にそういうつぶやきが聞こえます。確かに寒い。合羽を着ていても、袖口などから雨水が入ってきたりしますし、かいた汗も冷えてきます。インナーはずいぶん濡れています。

 宿泊者以外は小屋に上がらせてもらえないので、土間のところで着替えたりしています。ボクも、このままでは風邪を引いてしまうと思って、合羽を脱いでTシャツを新しいものと替え、フリースを着込みました。

 ‘お向かいさん’が「何かあたたかいものを食べましょう」と言ったのですが、食堂は11時から。カップヌードルならお湯を注いでくれるというので、まずはそれで一息。横尾で食べたほうが美味しかった・・・。400円。ボクのオゴリです。

 風が収まったか見に出ましたが、まったくその気配はなし。土間にいた人たちが、今日天気の回復が望めず登頂は無理だと思ったのか、次々と宿泊の手続きをし始めました。

 時間つぶしにコーヒーを飲みました。500円。‘お向かいさん’のオゴリでした。

 ‘お向かいさん’は靴に水が入ってくると行って、ビニール袋とガムテープで靴の修理を始めました。でも、とってもブサイク。彼はここから4時間歩いて双六岳まで行く予定でした。

 そうこうするうちに11時になったのでカレーを注文。味は槍沢ロッジと似通っていますが、具が大きく多目。美味しかったのですが、カップヌードル、コーヒーと立て続けに飲み食いしているので、最後の一口が食べられませんでした。残してゴメンナサ〜イ。

 その間にも、どんどん小屋に到着する人がありましたが、みな宿泊手続きをして、部屋に入っていきました。
 ボクも泊まろうかと一瞬考えましたが、夕べはたっぷり寝たし、こんな時間からヘタるのはもったいないと思い、すぐに‘弱気’は撤回。今回の山行は、この‘弱気’、何かと理由を付けて楽をする自分を克服するのも目的でした。

 もう一度槍に登頂しようと一人で穂先の下まで行きましたが、穂先はまったく見えません。尾根は風が強く、どうせ頂上まで行っても何も見えないし、吹きさらしで危ないので、引き返しました。このまま待っていても埒はあかず、次の行程に影響が出てくるので、今回は登頂は断念することにしました。特に惜しくは思いませんでした。

 小屋に帰ると、‘お向かいさん’は目的地を同じくする人と出発するところ。「お気をつけて。またどこかで」とお互いに挨拶し、彼を見送って、11時半、ボクも小屋を辞しました。2時間ほど粘っていたことになります。


思い切る

 肩の小屋(槍岳山荘)を出て、単身、南へ向かいました。ちょっと歩くと分岐がありました。道に間違いはないかと地図を見ていたら、後ろから人が来ました。彼は、ボクと違う道を飛騨側の槍平に降りるとのこと。やっぱりひとりか・・・。

ガスに覆われた尾根道

 雨は激しく、風も半端ではありません。ガスに覆われて視界の悪い、一度も歩いたことのない道を歩くのはとても不安でした。でも、肩の小屋のスタッフに道の状況などを聞いたりして、それほど危険な道ではないことを確認していたので、歩き出すと共にその不安は消えていきました。

 今回の山行の目玉は、南岳から北穂に抜ける縦走路「大キレット」を行くことでした。山に行くようになってから、いつかは行きたいと思っていた憧れの道でした。

 「大キレットは、南岳と北穂高岳の間にあるV字状に切れ込んだ岩稜帯である。この縦走ルートは、痩せた岩稜が連続し、長谷川ピークや飛騨泣きといった難所が点在する。国内の一般コースとしては最も難易度の高いコースの1つである」などと表現されるコースゆえに、単独行のボクは、今までそこを縦走しようとは思いませんでした。

 でも、ひょっとしたらこんなに長く寺を空けられるのは今年が最後かも知れない、体力的にも難しくなってくるだろうという思いがあって、「今年はどこの山に登ろうか」と考えた時に、まっさきに浮かんだのが大キレットでした。
 大キレットをベストな状態で越えるには、今日中に南岳小屋まで行っておきたいと、風雨の中、一人歩を進めたのです。

 ついでに、大キレット越えは山行本来の目標ですが、もう一つ、目標がありました。それは先ほども書きましたが、すぐに言い訳をして困難を避けようとする性格にこの山行では打ち勝ちたいというものでした。天気が悪くて危険、本当に体調がよくないということなら仕方ありませんが、何かと理由を付けて楽をしようとする自分を克服したいと思っていました。その意味で、今日、槍の小屋で泊まることは自分の中では‘言い訳’に近く、多少危険が伴っても予定通り南岳の小屋まで到達したく思っていました。


ガスの尾根道

 雨と風の中、ガスに覆われた尾根道を、大喰岳(3101)〜中岳(3084)〜南岳(3033)へと辿ります。前にも後ろにも歩いている人の気配はありません。視界のきかない真っ白なガスの中を独り歩いていくのは孤独であり、心細いものです。

 岩稜のところどころに咲いている秋の花に心を和ませて貰いながらひた歩きました。残念ながら、今日は雨のために写真を思うように撮ることができません。といっても、ガスのため、撮れるのはごく目前の光景に限られていました。

道案内をしてくれる雷鳥

 中岳の頂上近くで、1羽の雷鳥と出会いました。尾根道をチョコチョコと歩きながら、「こっちだよ」と招いてくれているみたい。10メートルほど道案内をしてくれた雷鳥は、尾根から逸れて岩だらけの斜面に消えていきました。不思議で、とても心和む、素晴らしい出会いでした。

 ボクは山に行くときは、いつも海外旅行用品店などに売っている紙パンツを使います。履き心地はイマイチですが、コンパクトなので、荷物を減らすことができます。
 歩いているうちにその紙パンツがだんだんずり落ちてきました。ちょうどリュックが当たる位置にパンツのゴムの部分があり、歩いているうちに押し下げられてきたのです。お尻が半分出ているようで、気持ち悪いので、リュックを降ろしてパンツを直すことにしました。

 誰も来ないので、合羽のズボンを降ろし、ズボンを降ろし、パンツを直していると、後ろから「こんちわぁー!」という声がしました。思わず声を上げてしまいそうなほどてビックリ!
 振り返ってみると、大きなリュックを背負った人が二人立っていました。「槍まではこんな感じですか?」と聞かれたので、「ええ、こんな感じです。途中、ハシゴがあります」と答えながら、ズボンを直しました。きっと彼らには放尿していたと思われたでしょう。
 槍岳小屋のテント場のことを教えてあげたり、逆に南岳の小屋までもうすぐだと教えて貰ったりして、「お気をつけて!」とわかりました。

 12時20分、中岳を通過。あと1時間ちょっとで小屋にたどり着けるので、雨と霧の中の小さな花を楽しみながら、ゆっくり歩きました。景色が見えないのは仕方ないですが、横殴りの雨でカメラが濡れてしまい、自由に写真が撮れないのも残念でした。

水滴をいっぱいつけたチングルマ

 チングルマの実に霧の粒がいっぱい付いて綺麗。去年、剣に登った時も、やはり雨粒だらけのチングルマを見ました。お天気が崩れやすいこの時期しかスケジュールが取れないのですから、仕方ありません。

 13時40分、南岳着。頂上には新しく立派な道標が立っていました。これだけ整備されているのは北アルプスならでは。頂上のすぐ下には山小屋の赤い屋根が見えました。山小屋の屋根を見た時にはいつもホッとさせられます。


和気あいあいの小屋


乾燥室はいっぱい
 小屋に入ると、土間に置いてあるテーブルの間のストーブを囲んで、7名の男女が談笑していました。

 宿泊の手続きをして部屋に案内して貰い、着替えをした後、濡れた衣服などを乾燥室に干して、ボクもストーブの近くに行きました。

 誰と誰が同行者のなのかよくわかりませんでしたが、しばらく話を聞いていると、若い男性の2人連れ、単独行の60才前の男性、50才過ぎのご夫婦、写真家と思われる50才過ぎのご夫婦という組み合わせのようでした。写真家のような男性がその場を仕切っているかのようでした。

 1時間ほどしたら、男女連れが「わぁー やっと着いた。ほんまに死ぬかとおもたなぁ」とテンション高く飛び込んできました。すぐに大阪の人だとわかりました。
 この風雨の中を、北穂から大キレットを越えてきたとのこと。それも、危険なコースだとの認識もなく、まだ降りるのはもったいないからとこちらに向かってきたということでした。
 二人は着いて早々、ビールで祝杯。「生きてたどり着けたなぁということのお祝いですわ」と興奮冷めやらぬ様子でした。

 話題はもっぱら明日の天気。携帯も通じない小屋にインターネットに常時接続しているパソコンが置いてあるのが何とも不思議。明日の天気もあまりいいとは言えない模様。50才過ぎのご夫婦は、今日の荒天にキレット越えを断念してこの小屋に連泊しておられるとのこと。「明日は何としても晴れて貰わないと・・・」という言葉が切実に聞こえました。

小屋の前から見た常念平

北穂方向を眺める夫妻

 5時前になって、一瞬お天気が回復してきたように見えました。西の笠ヶ岳が少し見えてきたり、常念岳側に青い空が少し顔を覗かせたりしてきました。みんな一斉に登山靴に履き替え、写真家夫婦はカメラと三脚を持って常念平方向に、他のみんなは大キレットを臨む獅子鼻に向かいました。一瞬、北穂が見えましたが、またすぐにガスに覆われてしまいました。「大キレットを目標に今回は来たのです」とおっしゃるご夫婦の北穂を眺める姿が印象的でした。

 小屋に戻ってしばらくしたら夕食の時間になりました。山小屋の夕食はたいてい5時か5時半です。

 写真家らしきご夫婦と若者二人は自炊のようで、小屋の夕食を食べるのは残る5人。食堂では広すぎるからと、談話室が食堂になりました。

南岳小屋の夕食

 ご飯と味噌汁はおかわり自由。おかずも贅沢ではありませんが、美味しくいただけました。連泊になるご夫妻のおかずは、昨日と同じにならないようにメニューがボクたちとは違っていました。小屋のさりげない心遣いを感じました。

 5人でお互いの自己紹介を兼ねながらの食事。他の方々がビールを飲まれるので、今回は山の上でお酒を飲むのは止めておこうと思っていたボクも、飲むことにしました。
 ご夫妻は群馬の山岳会に入っておられ、北アルプスには車でもさほどかからないのだとか。やわらかい物腰の方でした。明日は念願の大キレットへ。
 大阪のお二人は、かなりあちこちの山に行かれている様子。女性は体つきはごく普通の方なのに、四万十川の100キロマラソンの女子の部で優勝したり、この秋には富士山のゼロ合目から頂上を目指すマラソンに出場されるという超健脚。明日は、槍から笠ヶ岳に向かわれる予定。
 皆、山が好きなんだなぁと、話の中でしみじみ感じました。

 テレビで天気予報が流れると、話はピタッと止まり、画面に釘付け。明朝は晴天ではないものの、どうやら曇りのよう。雨でなければ、ご夫婦もボクも大キレットへ向かえます。最終決定は明日の朝ということにして、8時頃にはそれぞれ床に就きました。

 少人数ならではの、楽しく心温まる山小屋の夜でした。

 布団に入ってもなかなか寝付けません。お天気はどうだろう、どうなったら断念するべきか、大丈夫だろうかなどと考えているとますます目がさえてきました。今回の山行は明日が正念場。緊張していたのでしょう。
 考えを止めるために、持参したプレーヤーで音楽を聞くことにしました。最初、サラ・ブライトマンやバロックを聞きましたが、思考は止まりませんでした。「これは日本語の歌詞のほうがいいなぁ。歌詞に集中した方がいい」と、また中島みゆき嬢の出番。決して明るい歌ではありませんが、妙に落ち着きます。「早く寝なきゃ」と思いながらも一向に眠気が迫ってこず、結局CD2枚分ほど聞いて、12時過ぎにようやく眠りに落ちたようでした。
2007年8月28日(火)  No.1507

京都〜上高地 …… 槍沢ロッジ
‘河内のオッサン’との一夜

 11時、京都駅八条口から、大阪発上高地行きの夜行バスに乗車。早朝に上高地に直接着けるこのバスはとても便利なのですが、4列シートの普通のバスで、あまり寝られないのが難点。

 指定された座席「9C」を見ると、50半ばの男性がすでに座っていました。

 「あのー、そこはボクの指定された席なのですが・・・」と言うと、「あっ、そうでっか。こっちのほうがよろしいでっか?」と河内弁丸出しで、自分はこっちのほうがいいという主張。

 「いいもなんにも、指定された席に座れよ!」と思いましたが、「いや、別にどっちでもいいですよ」と、窓側の「9D」に座りました。

 座るやいなや、その男性は時候の挨拶に始まり、今回どういうことでこのバスに乗ったかをしゃべり始めました。話の中でわかったことですが、いかにも‘大阪の商売人’という感じ。

 彼は1週間程前に上高地の奧にある涸沢までのハイキングを計画し、1泊2日で予約を入れたものの、大雨のためキャンセル。1年に1回は上高地に行かないと気が済まないとかで、3日ほど前に今日のバスの予約を取り、明日の12時過ぎ上高地発のバスで帰るのだとか。このバスが上高地に着くのが6時。ということは、上高地の滞在時間は6時間ほど。
 ボクが、「それは大変ですねぇ」「気が済まないですよねぇ」と合いの手を入れるものですから、「片道やと8千円でんにゃけど、往復やと・・・。入浴も付いてまんにゃ」などと、彼は調子に乗って河内弁でしゃべり続けました。

 高速道路に入る頃、車内灯が消えて就寝体制に入ると、すぐに高いびき。おまけに、大股を広げて‘領域侵犯’。時おり大きく吐く息も臭い。ボクは出来るだけ窓側に待避して、ヘッドフォンで耳栓をしつつ、意識を音楽に集中するようにしました。

中津川SAで一息


 眠れません。インドでは寝倒したのに、今夜はまんじりともしません。CD2〜3枚分を聞いて、名神の養老SAで休憩。爆睡中の‘河内のオッサン’の膝を乗り越えて、トイレに。また走り出して、少しウトウトしかけたら、3時前、中津川のSAで休憩。また、‘オッサン越え’。それからは少し寝たのでしょう。気が付いたら山岳路に入っていました。

 上高地の手前の沢渡駐車場に東京からの夜行バスも集合。東京便には3列シートの「グリーンカー」があり、とても羨ましく見えました。低公害バスに乗り換えて、30分で上高地バスターミナルに到着。「釜トンネル」もずいぶん大きくなったと、改めて実感しました。

上高地観光センター前

 乗り換えた低公害バスでも‘河内のオッサン’と隣同士に座り、レストランの6時の開店を待って一緒に朝食もとりました。そうこうしているうちに、登山届を出すのを忘れてしまいました。

 ‘オッサン’に河童橋でシャッターを押して欲しいと頼まれて応じ、‘一夜を共にした’彼と、ようやく分かれました。


明神・徳沢・横尾

 「今日は早めに小屋に入ってゆっくり寝よう」と決めていたので、急ぐ必要はありません。

 河童橋を渡り、明神池に行ってみることにしました。いつもは上高地は山へ行くためのただの通過点。池のほうへ行ってみたことはありませんでした。


森の中を流れる支流
 梓川の東岸は砂地のような道ですが、橋を渡った西岸は森林の中を行く木道の道も多く、人も少なくて、なかなか快適でした。
 お天気も、今思えばこの頃が4日間のうちでも一番よかったかも知れません。焼岳もよく見えました。青空と山を見たのは、この時限りでした。

梓川と焼岳


 約1時間で明神池に到着。池は穂高神社奥宮の境内にあり、池に行くにはその受付で拝観料を払う必要がありました。チラッと覗いてみると、池があるだけのようなので、中には入りませんでした。

穂高神社奥宮

 明神池は、ご神体である明神岳の真下に位置し、穂高の神の御手洗池。奥穂の頂上にある祠はこの神社の嶺宮なのだとか。まずは柏手を打って参拝。

 近くには山小屋や宿がありましたが、河童橋近くのホテルなどとはまるで雰囲気が違い、ひなびた雰囲気が漂っていました。外来入浴もやっているようなので、山から降りてきた時に時間があれば入って帰ろうと思いました。

 橋を渡っていつもの道に戻り、梓川沿いを徳沢、横尾へとへ向かいました。アップダウンの少ない、作業車両も通るほど広い、ほとんど平坦な道です。退屈ですが、この道を2〜3時間歩くことが山に登る前の準備運動になるのだと、いつも言い聞かせながら歩きます。


横尾
 徳沢にはキャンプをしている家族連れなどもいましたが、横尾まで来ると、本格的にハイキングをしようとする人か、山に登る人に限られてきます。
 横尾から左に行くと涸沢から穂高岳へ、真っ直ぐ行くと槍ヶ岳、右へ行くと蝶ヶ岳や常念岳と分かれます。今日のボクは直進コースです。

 横尾山荘の前で、カップヌードルを食べている人がいました。あまりに美味しそうなので、ボクも売店で買ってお湯を入れてもらい、食べました。カップヌードルなんて何年ぶりでしょう。見ていたほどには美味しくなかったですが、先を急がないように自分に言い聞かせるには適切なおやつでした。


リフレッシュ!

 横尾で、涸沢から流れる川と槍沢から流れる川が合流して、「梓川」が生まれます。今日の目的地である槍沢ロッジに向かうには、その後者を脇道を遡って行きます。

 横尾までの地道の車道のような道から解放され、ようやくハイキングコースのような道になってきました。何だかホッとします。

 それほど急ではない道をのんびりと登っていくと、降りてくる何人もの人たちと出会いました。山道で人と会うのは何だか久しぶり。最近は、大文字に登っても、武奈ヶ岳に登っても、人とすれ違うことはあまりありませんでした。静かな山を期待していたのですが・・・。

 天気はどんどん悪くなって、まわりの尾根も見えなくなっていきました。槍が見えるはずの槍見河原からも、眺望の望みはなし。
 「あー、やっぱりなぁ。まぁ、いいや。お天気がよくないのは覚悟の上だし」と、それほど気にはなりませんでした。

トリカブトの花

 それよりも、秋の花がたくさん咲いていることを期待していたのに、今のところトリカブトを少し見ただけで、そのほうがガッカリでした。

 コースタイム通り1時間40分で槍沢ロッジに着きました。小屋の前のベンチでは10数名の人がそれぞれ昼食を食べておられました。

 今夜はここに泊まる予定。でも、まだ11時半。次の小屋まで4時間かかったとしても、たどり着けない行程ではありません。

 ベンチの辺りで、「無理して行っても、明日の行程が中途半端になる。初日は無理をしない。欲張って無理をして、体調を崩したことも今までに何回かあったじゃないか。夕べはほとんど寝ていないのだから、確かに早すぎるけれど、今日は予定通りここに泊まり、気持ちにも体にも余裕をもったほうがいいのじゃないか」などと、結構長い間逡巡しました。

 ボクの先となり後となり登ってきた人の中には先の小屋を目指そうとする人もいます。そんな姿を見ていると、つい「負けたくない」という気持ちが湧いてきてしまいます。でも、戦うべき相手は自分。人と競争するよりも、自分らしい山行をするためにどう自分を律していくか、それが今回の山行のテーマでもあります。

美味しかったカレー

 そう自分に言い聞かせて、小屋の受付に行き、宿泊の旨を告げて宿泊カードに必要事項を記入し、代金を払うついでにカレーライスを注文しました。宿泊代と夕・朝食代で8500円、カレーは800円でした。

 カレーはもちろんレトルトですが、思ったよりも美味しく、しっかり食欲がある自分が嬉しく思えました。


槍沢ロッジでゆっくり

 山小屋の部屋割は、大勢のグループはまとめて同じ部屋に、単独行や2〜3人のグループはそれ用の部屋に順次割り振っていくのが常。ボクは後者向けの部屋の2人目の宿泊者となりました。

 部屋は30平米ほどで真ん中に通路があり、その左右に2段になった棚があ

ロッジの部屋。受付
で番号指定されます

って、それぞれ8人、合計32人が寝るようになっていました。敷き布団の幅は普通よりも狭く、隣とくっついていますので、ゆったりと眠れるというほどはありません。
 「誰も隣に来なければいいけど・・・」と思っていましたが、結局、夕食の頃にはほぼ満床になっていました。

 それでもチェックインした時はガラ空き。とにかく寝ようと思い、次々到着する人の物音にその都度起こされながらも、3時間ほどは眠れました。

 夕方、布団の上で起き上がって地図を見ていたら、真向かいの60歳ほどの男性が、「どこへ行かれるのです?」と声をかけて来られました。それを契機にいろいろな話をしました。
 彼は北アルプスのすべての道を歩き尽くすつもりだそうで、さすがにかなりの経験を積んでおられるようでした。明日は槍ヶ岳を越えて双六岳に行く予定だとか。ボクの行く予定の大キレットはすでに経験済みで、「それほど大したことはないですよ。ジャンダルム(奥穂〜西穂の難所)は面白い」と聞かされました。「大キレットは難所」と思っていたボクは、ちょっとがっかりした反面、安心しました。

 その隣の、この部屋に一番乗りしたボクと同い年ほどの人は、ずっと布団をかぶったまま。風邪を引いたとかで、体調が悪いそうでした。ボクの隣に来た30半ばの人はすこぶる愛想が悪く、大きな音を立てる落ち着きのない人でした。結局、この隣人とは一言も交わしませんでした。

 このロッジの‘売り’はお風呂があること。男女1時間ずつの入浴時間が設けてあり、交代で入ります。入浴は奇数日ののみとか。ドンピシャでした!
 浴室には畳み2畳分ほどのステンレス製の風呂桶が2つあり、ぎゅうぎゅう詰めになりながら、入りました。当然、石鹸などは使えませんが、こんな山中で入浴できるだけでも贅沢です。

ロッジの夕食

 5時、夕食。食堂に来た客を小屋の人がテーブルに割り振っていきました。小屋の人はボクの食券に「1」、つまり単独行だと書かれたのを見て、1人分の空席のあるテーブルにボクを誘導しました。そのテーブルには2つのグループが座っていて、1席だけ空いていたのです。ボクはどこでもかまいません。

 ざっと見渡すと、全員で70〜80人ぐらい。中高年の女性の多いこと。最近の登山ブームで登山ガイド付きのツアーが企画され、女性がたくさん参加しているようです。賑やかだと思っていましたが、こんなに女性が多いとは。

 食事はご馳走とは言えませんが、ご飯もおかわりをしてお腹いっぱい食べました。昼同様、体調のいい自分を自覚し、嬉しく思いました。

 食後は、廊下においてあるテレビのウエザーニュースに多くの人が見入っていました。お天気は下り坂。明日は荒れ模様とか。残念ですが、想定内でした。

 部屋に帰って、また‘お向かいさん’と、あっちの山はどうだった、あそこはいいとかつまらないとか、様々な情報を交換。当然、明日、雨のようだがどうするという話にもなりました。
 そうこうするうちに、7時過ぎでしょうか、布団に入って眠りに就きました。消灯になったのは8時頃かな?

 夜中の2時か3時頃、雨音がしたようですが、川の音だろうかと耳を澄ませているうちに、また寝込んでしまいました。とにかくよく眠れました。

 ゆっくり歩き、のんびり過ごして、たっぷり寝た1日でした。
2007年8月27日(月)  No.1506

「さわやか信州号」に乗って
 今日はお寺の用事は何もない、珍しい日曜日。「早くパッキングすればいいのに」と思いつつ、紫陽花のポットへの植え替えをしたり、ちょっと剪定をしたり。

 昼下がりになって、ようやくリュックに荷物を入れたり出したりし始め、なんとかパッキング完了。

 今夜は夜行の長距離バスであまり寝られないので、とりあえず昼寝をしました。お盆の疲れがまだ抜けきっていない感じで、体調はなんだかイマイチ。寝ようと思えばいくらでも寝られそう。

 「とりあえず上高地まで行って、‘アカン’と思ったら帰ってくればいいや。上高地に行けば、元気になるかも知れんし」と、ちょっと気弱になりながら、夕食を食べ、お風呂に入り、さて、いざ出発!! リュックは軽い!!

 さて、どんな山旅になりますか、どんな閑話を書くことになりますやら。

〜 まだ綺麗に咲いていた隣寺の百日紅 〜
2007年8月26日(日)  No.1505

暑さ戻る
 また暑さが戻ってきて、今日の最高気温は36度。でも、夜は一気に涼しくなり、寝苦しくなくなりました。これも先日の雨のお陰です。ここ数日は水やりからも解放されて、大助かり。

 さくらも無事に暑い盛りを乗り越えました。扇風機を掛けっぱなしにしたことや、さくら自身も1日に何度も居場所を変えたりと‘工夫’をしてくれたのがよかったのでしょう。
 ますます我が儘で、甘えっ子になるばかりですが、この子を見ていると気持ちが安らぎます・・・夜中の‘大運動会’はやめて欲しいですが。


 山のパッキング。手当たり次第出してきた様々な装備などを、とりあえず必要な物とそうでないものに分けました。今回は小屋泊まりなので荷物は少ないのですが、思っていた以上にコンパクトになるので、何か忘れ物をしているような気になります。

 地図を見たりネットで確かめたりして、予習とシミュレーションの夜を過ごしました。

 「世界陸上」が始まりました。あまり興味はありませんが、どうしてこんな暑いときに陸上競技? マラソンなんて拷問としか思えませんが・・・。

〜 何を思う、さくら 〜
2007年8月25日(土)  No.1504

無常やなぁ・・・
 今日は「今日の散歩道」の更新日。でも、ぜんぜん更新日という実感が湧いてきません。ザッと見渡したところ、ネタもなし。

 境内は、溝に葉っぱが詰まっていたり、水が地面を掘った跡など、先日の雨の痕跡が残っていました。でも、木々は一様に元気を取り戻した感じで、緑も綺麗に見えました。本当に有り難い雨だったと、改めて思いました。

 出来上がりに対する要求水準が低い日は案外早く更新が終わる、これは「今日の散歩道」更新の一つの法則です。8時頃には何とか完成しました。


 檀家の歯科医が亡くなったという連絡が入りました。53歳、突然でした。医師の家ではないのに医学部を志し、苦労して入学された後、近年、新たに診療所を建てられたばかりでした。お子さんはまだ小学生。

 明日、納骨をされる方は、56歳で突然亡くなった外科の開業医。亡くなる3日前にはマラソンに出場されていたそうです。

 いろいろ考えていると、山に行くのがだんだん恐くなってきてしまいました。「絶対に無理はしないでおこう」と肝に銘じています。

〜 木槿も少し元気になりました 〜
2007年8月24日(金)  No.1503

山行準備
 今日も時おり雨。15ミリの降雨が観測されました。うれしいなぁ・・。でも、あまりまとめて降って欲しくないです。


 今日は、来週の山行の準備をいろいろ始めました。コースと日程を考えたり、必要な装備を気が付いたものから並べたり、買い物(ユニクロ製長袖ドライTシャツ×2。千円)をしたり・・・遭難救援保険にも入りました。

 山の上はすでに10度を下回っていて、暑い下界との温度差は25度以上。歩いている時は暑くても、止まったら寒くなりますが、下界にいると‘寒い’ということがなかなか想像できません。

 あれやこれや出してきて、今は山のような荷物になっています。ここから必要最小限に絞っていかないといけません。

 天気や体調と相談しつつ、どういう山行になるか、今は期待よりも不安のほうが大きいような気がします。どうやら、来週は天気があまりよくなさそう。エスケープ・ルートを考えておかないと。


 元気を付けようと、夕食に友人と食べたトンカツが胃にもたれてしまいました。

 豚肉を25枚重ねた‘ミルフィーユ’のようなトンカツとの前評判。美味しかったのですが、揚げ油がボクの好みとはちょっと違うかな。あつあつ・つやつやの炊きたてご飯は逸品でした。

 さぁ、体調を万全に持っていこう!

〜 ‘肉フィーユ’ともいわれるらしいトンカツ 〜
2007年8月23日(木)  No.1502

ムード先行
 5時過ぎから待望の雨。期待を裏切らず、しっかり降ってくれました。5ミリ以上の降水は23日ぶり。
 でも、市街地では道や歩道が冠水したり、地下駐車場の車に浸水したりと、ちょっと度を過ぎたようです。

 これで木々も一息つけますが、少し手遅れ気味の木もあります。これで少し秋らしくなっていくでしょうか? 明日は「処暑」です。


 その雨の中、会議&会食で、岡崎公園近くに去年オープンしたお店に行きました。

 会議はすんなり終わり、会食。この店は、京都の北の山里で山菜料理などを売り物にしている店の主人がプロデュースしたというもので、「京都の地素材を巧みに使い、和食本来の繊細さに季節を融合した料理」というのが売りのようですが・・・大したことはありませんでした。

 銀閣寺にある系列店では土鍋でご飯を炊いて食べさせたりのしていますが、一口で言ってしまえば、「東京の方は喜ばれるかも知れませんね」という感じかな。‘京都’‘京野菜’などという勿体をつけてそれらしく食べさせられたら、美味しいものだと勘違いしてしまうかも知れません。
 でも、ボクには奇をてらっているだけで、特に美味しいとも思えないし、盛り付けや器の使い方が秀逸かというとそうとも思えない。うちに仕出しをしてくれる料理屋さんのほうが、雑誌などには載らないけれど、よほど美味しいという気がしました。

 観光客がターゲットなのかも知れませんが、もう少し地道な京料理を、いろいろご託を並べずに当たり前に出してくれるお店が流行ってくれればいいのにと、何となく後味が悪い感じです。

 すぐ近くには、よく行列が出来ている洋食屋さんがあります。「どうして並ぶんだろう。並んで食べるほどのものでもないのに」と、その行列を見ると思います。それも、雑誌などの影響です。

 有名な漬物屋さんも並びにありますが、大型バスが来て観光客がどっと降りてこられる他は、まず地元の人は買いません。美味しくないからです。

 そのご近所の方が勧めるのは、漬物屋の隣ぐらいにあるごく普通のうどん屋さん。でも、観光に行った時は‘それらしい’店に入りたいもの。ただのうどん屋さんでは旅行気分は味わえないのかも知れません。ボクも旅行に行けば、同じですから。

 文句言ってないで、何でも美味しくいただかないといけませんね。でも、「京都」がムード先行で空洞化していくのは、どうも納得がいきません。

〜 濃かったり薄かったり、味付けに統一感がなかったなぁ 〜
2007年8月22日(水)  No.1501

足慣らし?
 来週の登山に備えて、ちょっと足慣らしをしておこうと思い、北山・・・比良山・・・と考えた挙げ句、行くのが面倒なので大文字山に行くことにしました。何たる妥協! だって、大文字山ならバイクで3分走れば登山口まで行けるのですもの・・・。

 バイクを駐めて、ストレッチをしてから歩き始めましたが、とにかく蒸し暑い! すぐに汗が滝のように流れてきて、Tシャツの色が変わってしまいました。

 送り火が終わって間もないので、火床の回りは笹が焦げたり焼けて変色したりしていました。これでよく燃え移らなかったものだと思っていたら、燃え移っていたのですね。

 20分で火床の中心に到着。3人ほどの人がおられました。残念ながら今日は曇っていて、眺望がよくありませんでした。

 ポカリを飲んで小休止をして、大文字山の頂上を目指しました。頂上に着いたのは、出発してから45分後ぐらい。

 「今日はどの道を行こうかなぁ・・・大津や山科に降りては帰りが面倒だしなぁ」と、今日はやたらと面倒がるボクです。

 地元の小学校が作った大文字のコース図のコピーを持っていましたが、メインの道が整備された反面、そうでない道を通る人が減ってしまい、マイナーな道への分岐がなかなか見つけられません。

 何となく行けそうな道があったので、蜘蛛の巣を払いながら進んでいくと、こんもりした頂上部に、古墳とも思えるような大きな岩組がありました。人工的なものか、自然のものかわかりませんが、その場だけ異様です。「足利の要塞の跡かな?」などと歴史ロマンを感じながらさらに進んで行くと、道を失いました。

 せっかく探検気分で歩いていたのですが、こういう時は撤退するのが一番。結構下ってたのをまた登って元の分岐に戻りました。

 通ったことのない道を行こうと思っていたので、道標に道の印だけあって行き先表示のない道を選びました。どうせ哲学の道のどこかに出るので、心配はありません。

 しばらく降りていくと建物が見えました。若王子神社のようでした。その手前に柵が巡らしてありました。通せんぼされたのかと思いきや、猪を通せんぼする電気柵。出入り口を開けて通るように指示がしてありました。指示通りにしましたが、感電しそうで何だかコワイ。「足を滑らせて柵に突っ込んだらどうしよう・・・『中年僧侶、猪柵で感電』などと新聞に出るかなぁ」などとつまらないことを考えながら、柵に添って慎重に進みました。

 降りたところには「宗諄女王墓」がありました。「女王様か、すごいなぁ」と思って帰ってから調べてみると、「伏見宮貞敬親王の第9王女として、文化13年(1816)に生まれた。4歳の頃から霊鑑寺に入り、文政6年(1822)に得度して、法名を宗諄とした。その後も霊鑑寺に住持して布教活動に尽くしたことなど、長年の功労により慶応4年に紫衣の着用が許されている。明治24年(1889)、大病がもとで76歳で遷化」とのこと。
 その横には、1966年、ここでピストルで撃たれて殉職した川端署の村田巡査の小さな慰霊碑が建っていました。小学校校区で起きた事件で、ボクの記憶にもありますが、結局お宮入りしました。

 哲学の道を歩き、霊鑑寺の横の急坂をバイクを置いたところまで登りました。帰りも3分。濡れたTシャツに風が当たって、肌寒く感じられました。

 2時間余のハイキングでしたので、アルプスに行って1日8時間ほど歩くことを考えると、あまり足慣らしにはなっていません。でも、この暑さの中無理をしたら、行く前にバテてしまいます。まぁ、こんな程度にしておきましょう。

 また今度は違う道を歩いてみようっと!

〜 「大」の最上部から見た京都市内。市街地の中の手前やや左の森の中に真如堂の本堂が見えます 〜
2007年8月21日(火)  No.1500

久々の庭仕事
 先日来、毛虫の糞が落ちているのが気になっていたので、朝一番に防除作業。続いて、紫陽花を定植する予定の場所に生えている笹を枯らすための除草剤撒き。職員からリクエストのあった、土塀の瓦に生えている草への除草剤散布。それぞれ違った器具と薬剤を使っての散布作業は、準備も散布も片付けもなかなか大変でした。

 汗かきついでに、「よし! 今日はしっかり汗をかこう」と、屋外作業に精を出すことにしました。

 今年挿し芽をした紫陽花が、ちょっと油断した隙に30本ほど枯らしてしまいました。もうしっかり根っこも出てきているので、「こんな暑い盛りに、大丈夫かなぁ」と思いつつも、ポットへの植え替えを始めました。

 「あっ、これは○○さんにいただいたのだ」などと思いながら、白く細い根が出てきているのがとても愛しく思えました。「しっかり根を張ってくれよ!」と念じて、たっぷり冠水。ホースの水は、気をつけないと最初は熱めのシャワー程度の温度でした。

 今日の最高気温は36.4度。近畿で最高でしたが、連日37、38度台が続いて、36度台は5日ぶりなので、何だかホッとします。ちょっと涼しいような気もしてきます。
 どうやら暑さも峠を越えたようです。

〜 夜咲くカラスウリの花に誘われた蛾 〜
2007年8月20日(月)  No.1499

雨恋し
 地蔵盆2日目。今日はお勤めと数珠回しの当番。

 真如堂の中は町内会では2つの組に分かれていて、塔頭からそれぞれその年の組長が出るので、お勤めなどもその役に当たった塔頭の僧侶が勤めます。昨日は1組の組長を勤める僧が、今日は会計監査であるボクが勤めました。

 数珠回しは地蔵盆に不可欠な行事です。

 お参りされた町内の人たちが輪になって内側を向いて座り、念仏を唱えながら、大きな数珠を時計まわりに廻します。親玉が自分の前に廻ってきたときは、持ち上げて拝みます。

 京都以外から転居されてきた方などは、数珠回しはもちろん、地蔵盆さえ初めで、まずはリハーサルをしてから本番に臨みました。

 老若男女相共に拝む、実に和やかな一時でした。

 様々な行事をこなして、3時からは福引き。昔は日用雑貨などの景品が多かったですが、最近はワインや紅茶などといった‘ハイカラ’なものに変わりました。うちは1等賞! 3000円の商品券が当たりました。特等は5000円の商品券でした。

 2日間、賑やかに催された地蔵盆も終わり、一気呵成に片付けて、また元通りの境内に戻りました。


 夕方から黒雲が出て、遠雷の音が聞こえてきました。気象レーダーで見ると、兵庫以西と滋賀県には発達した雲があるものの、京都は雲もありませんでした。遠雷は東山を越えて大津から聞こえてきているのでしょう。

 「ひょっとしたら降るかも知れない」と水やりをせずに待っていると、暗くなってからようやくほんの少しだけ雨が降り、気象データーでは9時台に1ミリの降雨が記録されました。

 「あかん。土の表面が湿った程度やなぁ」と落胆。

 今日の気温は3時を過ぎてからの37.1度が最高でした。もう37度ぐらいでは驚きません。暑いのは我慢しますが、何とか雨を!!

〜 地蔵盆でくつろぐ子供たち 〜
2007年8月19日(日)  No.1498

根気、やる気、信心
 午前中は地蔵盆の準備。午後は葬儀と火葬を待っての初七日。その間を縫っての「今日の散歩道」の更新。

 最高気温も38度。たまっている疲れは抜ける暇がなく、タクシーの中で思わずウトウトしてしまいました。

 地蔵盆の準備をしていたら、今年改修を終えた千体地蔵堂の千体分のお地蔵さまの前掛けを縫ってくださったという方がお参りにみえました。

 小さい地蔵尊は身の丈5寸ほど。前掛けは5センチ四方程度で袋縫いにしていありました。
 最初の1枚目を縫った時は、「とても千枚も縫えないかも知れない」と思われたそうですが、やり遂げてくださって寄進してくださったそうです。

 千枚といえば、気が遠くなるような話。とてもボクには真似が出来ません。千羽鶴でさえ根気が続かないでしょう。

 「お地蔵さんのお陰でできました」と。

 頭でっかちのボクの口からは出ない言葉だなぁと、省みました。

〜 千体の地蔵尊の色鮮やかな前掛け 〜
2007年8月18日(土)  No.1497

ただいま休養中
 今日もお盆疲れからか、意気が上がりません。

 こういう時は少し動いて体をほぐしたほうがいいだろうと、朝の散歩を長めにしましたが、どうもいけません。これといったこともせず、ダラダラ横になったりしていたら、お昼過ぎには少し元気になってきました。

 夜は通夜へ。

 もう一晩寝たら元気を取り戻せそうです。

〜 鷺草は涼やか 〜
2007年8月17日(金)  No.1496

炎暑の送り火
 今日の最高気温は38.6度。京都は今までの最高値を更新しなかったものの、稀に見る暑さ。棚経の残りや枕経へ行きましたが、暑くて目が回りそうでした。

 お盆の疲れが早くも出てきたのか、どうも体がシャンとしません。座っていても眠ってしまいそうです。ここで気を抜いたら余計にしんどくなると思いましたが、どうにも気合いが入りません。やっぱり、今日はダラッとしようっと。

 夜、NHKで大文字の特集をしていました。最新の技術を駆使し、相当な経費を掛けて作るようなので期待していましたが、NHK好みの宗教学者が出てきたり、いかにもヤラセっぽい演出があったりして、「あ〜、やっぱりNHKだなぁ・・・」とがっかり。もう少し各送り火保存会の方の苦労や京都の街と送り火ということに踏み込んだ内容にすれば、番組の厚みはうんと違ったでしょうに。

 「今日の散歩道」のネタにするために、カメラに三脚を付けて墓地に行き、「大文字」の写真を撮りました。他の人に出会うこともない、静かな送り火。今年亡くなった人たちを思いました。自坊に戻り、2階の窓から「左大文字」と「鳥居」を撮影。「鳥居」は10数キロ離れているので、写真に撮ってもよくわからないほどでした。

 屋外ロッカーに何年越しかの花火があるのを思い出し、引っ張り出してきてしました。何年ぶりの花火でしょう。

 厳しかったお盆も終わりました。


   線 香 花 火 の い の ち の 玉 を 落 と し け り      山本満義


〜 隣寺の蓮花も見納め 〜

2007年8月16日(木)  No.1495

棚経、ほぼ終了
 2日から始めたお盆の棚経も、今日でほぼ終了。2週間で約240軒を拝んで回りました。
 2週間の平均最高気温は35度。5日以降はとりわけ暑さが厳しく、11日の37.7度が最高でした。憎きラニーニャ現象です。

 今までは住職と2人で回り、ボクが運転手を勤める日のほうが多かったのですが、住職も老齢なので、来年からはボクが一人ですべてを回ることになるかも知れません。遠方は車で回れますが、市街地はバイクになるでしょうし、スケジュールも全面的に見直さなければなりません。どうしよう・・・そんなことを考えながら回った、今年の棚経でした。

 心配だったさくらの暑気あたり。さくらも暑さが堪えてはいるようで、便通は2日に1回と少ないものの、食欲もあり、今年は何とか乗り切ってくれそうです。これもやれやれです。

 とにもかくにも、‘大イベント’の一つがほぼ一段落です。


 一段落しないのは花泥棒。今日は、朝5時、夜7・8時の3回、見回りをしました。幸い、被害はナシ。でも、今ごろやられているかも・・・。

 メールで怒りや落胆を共有してくださったり、アイデアを出してくださる方もおられて有り難く、またそれらを参考に新たな対策を練っています。

 「今に見ておれ、花泥棒! これからは捕り物に全力集中するぞぉ!」

〜 車まで運んでいただいたお菓子とお抹茶 〜
2007年8月15日(水)  No.1494

張り番
 朝、掃除をしている時、また紫陽花が盗られているのに気が付きました。今度は自坊の前。昨夕、水やりをした時にはちゃんとありましたから、昨夜から今朝にかけて盗られたのです。

 こうなったら、本格的に対策を考えないと、何も植えられません。去年設置した自作の‘花泥棒撮影システム’は不安定なので、赤外線を照射して夜間でも撮影できるカメラを買うことにしました。花泥棒が一件落着したら、本物の泥棒の監視カメラに転用できますし。

 購入して動作させるまでには少し時間が掛かるので、とりあえず監視に回ることにしました。先日来、明け方にも見回ったりしているのですが、さらに朝な夕なに出来る限り巡回しようと思っています。

 夜、8時過ぎ、頭にタオルを巻き、腰に蚊取り線香をぶら下げて、懐中電灯と携帯、デジカメを持って境内へ。今夜はすご〜く蒸し暑く、じっとしているだけでも汗が出てきます。

 境内の紫陽花を定植した場所3ヶ所を巡回。こんなに真っ暗では、泥棒も懐中電灯が必要でしょうから、明け方に来ているのかも知れません。でも、盗った後の土の乾き具合から見ると、夜のように思えます。せめて時間が特定できれば・・・。

 真っ暗な境内や墓地の中を歩くのは平気ですが、闇の中で誤って蛇でも踏まないだろうかと不安になります。草むらでガサガサと音がするだけで、「うわぁー、蛇かぁ!?」とビクビク。とにかく蛇が一番コワイ。

 他の塔頭の門が開く気配がしたので、慌てて隠れました。別に隠れなくてもいいのですが、我ながら極めて怪しい格好をしていますし、事情を説明するのも面倒なので・・・。郵便物を見に来られただけのようでした。

 待てども待てども、犬の散歩の人さえ来られません。ん〜、これでは・・・。汗をかきながら45分間ほど‘張り番’をしましたが、結局成果ナシ。まぁ、しょうがないでしょう。

 さぁ、明日の朝もまた‘張り番’をしようかなぁ。お盆の忙しい時に、何やってるんだか。

〜 灯りはほとんどない夜の境内 〜

2007年8月14日(火)  No.1493

先が見えてきた!
 今日は朝方曇っていたので、「よぉ〜し、いい調子だぞ!」と喜んでいたのですが、だんだん雲が晴れ、午後にはすっかり青空になってしまいました。

 最高気温は35.7度。昨日と大して変わりません。

 今日の昼食に買ったコンビニのおにぎりは、本当に美味しくありませんでした。「このチェーンは美味しくないかも・・・」とは思ったのですが、選択の余地がなく求めたら、予想通り。とにかく空腹を抑えただけでした。

 あまり水分を摂ってお腹が痛くなっても困るので控え目水分補給していたら、小用に行く回数がすっかり減ってしまいました。脱水気味かな?

 棚経も山を越え、あと2日を残すのみとなりました。ここまで来れば何とかなります。

〜 今年は元気? さくらもガンバレ! 〜
2007年8月13日(月)  No.1492

市内はガラ〜ン
 今日の最高気温は35.9度。でも、風があって体感温度は昨日よりも低く、ずいぶん楽な気がしました。

 高速道路では何十キロという渋滞がでているようですが、市内の道路は空いていていました。日曜日と帰省などで車が減ったのでしょう。他府県ナンバーの車が少々モタモタしていましたが、普段よりもずいぶん走りやすく感じました。

 さすがに今日は、いたるところで坊さんをよく見かけました。1年中で一番坊さんを見かけるシーズンです。普段はどこに潜んでおられるのだろうと思います。

 さぁ、棚経もあと3日。そろそろ月末の山行計画をたてなくちゃ!

〜 空いていた道路と真っ青な空 〜
2007年8月12日(日)  No.1491

京都市内の秘境?
 今日の最高気温は37.7度。こんなに暑さの厳しいお盆は久しぶりです。

 今日も市内各所を巡りました。アスファルトが焼けて、漂う風は熱風。でも、車を放棄して物陰を探して逃げ込むと、乾いた風は案外心地よく、少しばかりの涼を味わうことができました。

 真如堂から車でわずか15分ほどのところの山中のお宅は、前には清流が流れ、裏には山が迫っていて、河床でも設ければ貴船か高雄のよう。

 ふと見ると、家の横に置いてある椎茸のほだ木は網で完全に囲われていました。猿が頻繁に出るのでしょう。その先を見ると、大きくしっかりした檻が置いてありました。以前、山の中で見たことのあるその檻は、熊捕獲用。「えーーーっ! こんなところにまで熊が出るの!? ほんまに!?」と俄には信じられません。でも、紛いもない熊捕獲用檻。

 同じ京都市内なのにこんなにも違うものかと、改めて驚きました。


 いろいろなお宅を伺っていただく飲み物には、「このお家はこれ」というお決まりがあります。

 キリンレモン、カルピス、コーヒーフロート、塩気のある麦茶と、もう30年来お伺いしていても、その飲み物は変わらないことがあるから不思議です。「あの家のあの場所に座っていただくのはキリンレモン」と、容易に思い出せます。

 棚経の時にどういう飲み物を出してくださるか、それもそのお宅にとってはお盆の‘形’の一つになっているかのようです。

 でも、お盆の間はちょっと糖分摂りすぎかも・・・。

 明日も37度とか。明日を越えれば先が見えてきそうです。

〜 市内の秘境? 〜
2007年8月11日(土)  No.1490

盂蘭盆会法要
 9時半から本堂で、真如堂一山の「盂蘭盆施餓鬼法要」がいとなまれました。真如堂の8軒の塔頭の檀家を対象とした法会は、今日のこの施餓鬼だけ。2〜3百人の方々が参列されました。

 法要が終わり、皆さんが墓参を済まされると、境内はついさっきまでの人の波が嘘だったかのように静まりかえり、厳しく照りつける太陽の光が余計にギラついて見えました。

 早朝の散歩の時、また紫陽花が1株盗られているのに気が付きました。いつもの花盗人の‘病気’が出てきたとしか考えようがありません。夜の間に盗られているようなので、夜9時頃に点検に行ってみましたが、今夜のその時点では無事でした。

 去年、境内に家庭ゴミを捨てに来る中年女性がいて、塔頭の住職の一人が跡を付けて犯人を特定し、家人にそのような行為を止めさせるように申し入れました。それ以来、ゴミを捨てに来ることがなくなったと共に、それまで5〜6株盗られていた花泥棒も止まりました。

 おそらく花泥棒はその人ではないだろうかと目星を付けています。このままではどんな木も草も植えられません。‘ハイテク’を使って、犯人を特定する仕掛けを作ろうかなぁ・・・。


 明日の最高気温は37度!? 聞いただけで目が回りそう。

〜 いただいてお供えした冬瓜 〜
2007年8月10日(金)  No.1489

棚経、ブレイク!
 今日は、10日の法要に備えていろいろな準備をするために、棚経はお休み。少々疲れが出てきている時なので、今日、棚経を休めるのはすごく助かります。

 お墓に供える花を作ったり、お檀家を迎える準備をしたりと、細々とした準備作業を進めました。

 今日も最高気温は超35度。太平洋高気圧が張り出すのが遅かったため、今年の暑さは棚経が佳境に入ってきても和らぎそうにありません。曇り空がこんなに待ち遠しいことは他の季節にはないでしょう。

 夕方、お墓に行きましたが、墓石が熱せられていて、「暑い」というよりは「熱い」感じがしました。

 さぁ、後半戦だぁ!

〜 夕方の墓地と強烈な西日 〜
2007年8月9日(木)  No.1488

走ったり220キロ
 よ〜く走りました。

 朝7時過ぎに家を出て、夜7時前に帰ってくるまでの約12時間。自坊を出て、中国縦貫道を通って兵庫県六甲山の裏側近辺で読経、六甲山中で読経、山の海側の神戸や西宮で読経と、6軒のお宅を回って、甲子園球場の近くを通って名神高速で帰ってきました。

 走った距離は220キロ。京都から東に向かったとしたら、愛知・静岡の県境あたりまでの距離になります。

 今までは住職が電車で、ボクが車で行っていたのを、住職に休んでもらうために、今年からボクが全部回るように変更したのです。

 今まで住職が伺っていたお宅では、「住職さんはお元気ですか?」「どこかお悪いのですか?」と聞かれ、まずは理由の説明から。住職も年に1度伺って、話をしたりお酒をいただいたりするのを楽しみにしていたのですが、年齢も年齢ですし、この酷暑の中では心配です。

 例によって、前日にパソコン上でコースを検討しておいたのですが、高速のICが出られなかったり、通行規制があったりして通れなかったりと、地図サイトではわからないことも多く、時間もロスしました。ナビが付いていたらなぁ・・・。でも、家の近辺まで近付くと地図サイトのコピーが威力を発揮しました。

 時間を掛けてお伺いするので、お経も長め。終わってからもいろいろな話をさせていただきました。住職もそれが楽しみだったのでしょうし、檀家の方も楽しみにしてくださっていたようでした。

 走ってはお経をあげ、また結構走ってはお経をあげというのは、ちょうどいいペースで、住職の運転手をして、読経の間、暑い車中で待っているよりはずっと楽でした。

 有馬温泉の中を抜けていく時は、入っている時間がないのが残念でした。六甲山の展望台で止まって景色を見ようかと思いましたが、時間が遅れ気味だったので、断念。夙川あたりの有名なお店でスイーツを買おうかと思いましたが、回り道になるので止め。なかなか来られる場所ではないのに余裕がないのが残念でしたが、これで1回経験して要領もわかったので、来年は景色を見るぐらいの余裕はできるでしょう。

 棚経も折り返し点。これから京都市の中心部に入っていきます。

〜 混雑していた中国道 〜
2007年8月8日(水)  No.1487

やられた・・・
 朝、散歩の時に鐘楼脇の‘紫陽花園’を見に行ったら、ポッカリと穴が空いているではありませんか?

 「やられた・・・」 久々の花泥棒です。

 盗られたのは、今年定植した、挿し芽をして3年ほどを経て少し大きくなった株。貴重なピンク系でした。

 やられるのは覚悟をしていましたが、まさかこんな夏真っ盛りの、植え替えには不向きな時期にやられるとは。
 今、花が付いているわけでもありませんから、花を見るには1年近く育てなければいけません。それを承知で盗っていくのでしょうか? いえ、花が好きというよりは、‘盗る’という行為そのものを楽しんでいるのではないでしょうか。

 挿し芽をしてやっと少し大きくなった苗を定植しても、その尻から盗られているのでは、一向に‘紫陽花園’が完成しません。他の苗を植えても、また盗られるでしょう。犯人はおそらく同じ人物。真剣に戦わないといけないかも知れません。

 腹立たしいというよりは、どうしてこんなに悲しい人がいるのだろうと、その‘盗人’が気の毒になってきます。

 夕方、水をやりに行きましたが、ポッカリ空いた穴を見て、これからどうしたものかと思案に暮れました。

〜 初めて「ウサギ」という生物を見て固まるさくら 〜
2007年8月7日(火)  No.1486

雨乞いがしたい
 今日は35.1度。昨日よりも、晴れている時間が長かったように思えます。

 朝8時半に出発して、帰ったのは6時半前。今日は住職の運転手を勤めていたので、住職がお家の中で拝んでいる間も、ほとんど車に乗りっぱなし。エアコンをかけていても暑く、住宅街の中などでエンジンを止めざるを得ない場合は、車を放棄して日陰に避難。

 頭はクラクラしてくるし、尿意は催さなくなるし、固まった姿勢でいるとエコノミー症候群にもなりそうです。

 ここ3日間、お昼はコンビニ調達の「ワーキングランチ」。お昼を出してくださるというお家もあるのですが、頂戴していると時間も掛かってしまうので、住職は移動の間に、ボクは住職が拝んでいる間に食べています。
 住職は「おにぎりでええから」というので、然るべく。ボクは、4日は冷やしうどん、5日はカレー、今日はチーズ焼きオムライスドリアと、だんだん味の濃いものになってきました。

 今日は嵯峨・嵐山〜桂・大原野〜向日市〜長岡京市と、京都の西を北から南へ。車を放棄している間に、路傍の地蔵尊や発掘跡の表示などの史跡も見られました。平安時代あり、長岡京の遺跡あり、応仁の乱にゆかりのある石仏ありと、さすがに歴史ある都城です。
 自坊に帰って、水やりをして、血行をよくするためにちょっと体操。まだ棚経は始まったばっかりです。

 明日の本堂での法要に備えてお経の練習をしていたら、さくらが一目散に逃げていきました。下手だとでも言うの!?

〜 応仁の乱の落人を救ったという琴の橋大日如来 〜
2007年8月6日(月)  No.1485

On Air
 う〜、暑かったぁー。今日の最高気温は35.4度。日射しも強く、車を駐めるときは日陰を求めて、出来るだけ涼しい場所に。それでも、車中は熱気にあふれていました。


 朝、6時25分から、先日収録したラジオの番組が放送されました。聞きたくありませんが、インド関係の資料として、とりあえず録音しておかないといけません。

 埃をかぶった古いミニコンポのカセットの録音スイッチを入れ、外の掃除を終えて戻ったら、テープがまだ途中なのに止まっていました。確かにスイッチは入れたはずなのに・・・。
 巻き戻そうとしましたがまともにできず、やっと少し巻き戻ったので聞いてみると・・・ 「おっ! ちゃんと入ってる! と思ったのも束の間。すぐにスローモーションのようにダラぁーっとした調子になってしまいました。

 ミニコンポのカセットデッキはかなり長い間使っていませんでしたし、ローラーやベルトがダメになっているのかも知れません。テープも古いのを流用したので、伸びているのかも。こりゃぁーダメだ。

 ちょっとだけまともに聞ける部分がありましたが、ベラベラよくしゃべっていました。恥ずかしくて誰にも聞かせたくありません。でも、もう流れちゃった。

 友人のアナウンサーにメールして、来週の分も含めてCDに落として貰うように頼みました。そのままお蔵入り!

〜 棚経に伺ったビリヤード場にて 〜
2007年8月5日(日)  No.1484

暑さにやられたか?
 鞍馬の手前、市原で1軒目の棚経を済ませ、静原に向かう山間道を走っていたら、バックミラーにベンツが迫っているのが写りました。追い抜きたそうにしているけれど、こんな峠道で? ちょっとした直線のところでスピードを落としたら、あっという間に追い抜いていきました。

 山道も終わり静原の集落に入った直線道で、ふと道端を見ると‘ねずみ取り’のレーダーと係員が目に入りました。しばらく行くと、先ほどのベンツがしっかりと引っ掛かっていました。お気の毒だけど、何だか滑稽。

 江文峠を越えて大原に入ると、紫蘇畑が目に入りました。夕べのテレビで、柴漬けを漬け込む作業風景の合間に写っていた景色に他なりません。車を駐めて、‘パシャ!’ 新しい建物が増えてすっかり風情が薄れてしまった大原ですが、‘いかにも’という風景でした。


 昨日・今日拝みに伺ったお宅の‘仏さん’は、驚くほどに事故死、自殺、突然死など、不慮の死を遂げた方ばかりでした。
 かわいい子供を亡くされた親、ご主人や奥さんが突如として帰らぬ人となった伴侶など、そのお気持ちはいかばかりだったでしょう。想像するだけでもいたたまれなくなります。併せて天寿を全うすることの困難さ、有り難さをしみじみ思います。

 人の命の得難きは、大海原に落とした一本の針を探し当てるほど、また須弥山から下ろした糸が麓にある針の穴を通るほどだという喩えがあります。
 その得難き命をいとも簡単に奪い去ってしまう戦争。広島、長崎、そして終戦記念日。お盆がその期日と重なっているのは、ただの偶然ではないようにも思えてきます。

 今日、比叡山では仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教など宗教間の対話をうながす「世界宗教者平和の祈りの集い」が開催されました。そんな祈りとは裏腹に、世界では宗教が原因となった殺戮が絶えることがありません。宗教は時に狂気を招き、倫理を越え、殺人さえも正当化します。

 かたや「命を大切に」と言い、また他方では「信仰のために命を捨てよ」という。宗教とはいったい何なのでしょう。

 いろいろなことを思い巡らせながら、お盆の棚経をしています。

 速度違反から柴漬け、戦争、いのちと、我ながらどういう脈絡なのでしょう。

〜 大原の紫蘇畑 〜
2007年8月4日(土)  No.1483

棚経始め
 今日からお盆の棚経開始。今日はまだプロローグのようなもので、午前中のみ。だんだんと体を慣らして行きます。

 今日は滋賀県の南部方面を回りましたが、せっかく時間をかけて遠くまで行くので、お経も長め。話もつい長くなって、遅れ気味になりました。

 思いがけなく、高校の時に好きだった女の子の家の近くを通り、デートをした瀬田の唐橋も渡りました。なつかしいなぁ〜。でも、そんなことを言っていられるのは、まだ余裕のある今のうちだけでしょう。

 帰ってからは明日のコースのシミュレーション。今年から一部のコースを変えたり、住職が伺っていたところをボクが行くようにしたので、タイムロスが生じないように予習が必要です。
 明日は大原から滋賀県北西部方面。カーナビは付いていないので、インターネットで住所検索をしての地図を表示させ、それをプリントして印を付ける作業をしました。
 これはかなり有効で、今日も「迷わずにお越しになったのですか!? カーナビが付いているのですか?」と驚かれました。

 遠出をする時、いつもなら面白そうなところを探しておいて寄り道をするのですが、お盆のような‘非常時’にそんなこともしていられません。明日はおとなしく帰って来ることにしようと思います。

 それにしても、滋賀県はガソリンが安いなぁ。京都よりも5円/Lほどは安い! 明日、入れて帰ろうっと。

 台風の影響は、少し風が強まった程度。雨を期待して昨日から水やりをしていませんでしたが、今日はほとんど雨も降らず、お湿り程度。大雨が降っている地域の方には申し訳ありませんが、もう少し雨の恵みが欲しかったです。

 明日は水やりをしてから‘出勤’かな?

〜 落ちて踏まれて?破れたモクゲンジの袋果 〜
2007年8月3日(金)  No.1482

検査結果 う〜ん
 痒くてたまらないホルター心電図の電極を早く取って欲しい! 予約した10時半を待ちかねて医院へ。すぐに検査技師の部屋からお呼びがかかりました。

 昨日セッティングをしてくれた若い女性の検査技師さんに、「痒かったです」と話しかけていた矢先、彼女は「え″〜〜」と叫び声をあげました。何事かと思ったら、彼女は記憶装置をボクに見せて、「スイッチが切れている」ということを無言で訴えかけました。
 そんなこと言われても・・・知らん。

 「24時間経っていますよね。昨日来られたのは・・・24時間経っていますね。24時間経つと切れるようになっているのです・・・大丈夫です」と冷静を装うように、「汗をかいたらはがれることもありますし」などと雑談を始めましたが、明らかに動揺している感じ。

 装置を外してもらい、かぶれ用のクリームみたいなのを塗って貰って、また待合室へ。結局、本当に24時間経過したから電源が落ちたのかはわかりません。

 隣と触れ合うような混雑した待合室のソファーで、新聞を大きく広げる邪魔っ気な翁を横目で睨み付けながら、持参した本を読みました。本の選択を間違ってぜんぜん面白くありませんでしたが、我慢しながら読むこと約30分、診察室へ呼ばれました。

 ドクターの机の上には解析を済ませた厚さ1センチほどのホルター心電図のグラフと心エコーの画像が置かれていました。最初は何でもないみたいな言い方でしたが、パッとめくったグラフを見せて、「ここでトントントントンと早くなってます」と説明を始めました。

 異常箇所は検査技師があらかじめチェックしてドクターに渡すのでしょうか? 前の患者が退室してからボクが入るまでに、ドクターにチェックしている時間はなかったはず。
 「ここもそうです」と示されたグラフの時間を見ると、今朝、散歩していた時間。「あっ、それはウォーキングをしていた時間です」と言うと、また最初見せてくれた早くなっているという箇所を説明。その時に何をしていたか咄嗟に思い出せず、記録にも詳しく書いていなかったのですが、後から調べてみると、ちょうど境内へ写真を撮りに行った頃でした。

 「歩き回ったりしていたら、心拍が早くなるのは当たり前ではないのかな?」と、ボクが納得いかない顔をしているのを察知してか、ドクターは紙を出して、「診断名は○○○です。これは間違いありません。○○の可能性もあります」と書きながら説明して、「薬を飲んでみられますか? どうされます?」と聞いてこられました。

 「そんなこと聞かれても、必要があるかないかを判断するのがあなたの仕事でしょう!」と喉まで出かかりましたが、止めておきました。そんなボクの顔を見て、「今回は突発的に出た結果かも知れません。1ヶ月後にもう一度検査してみて、その結果で考えましょう」ということになりました。

 そして、ボクの都合もよく聞かずに次の診察のスケジュールを書き込んだので、それは都合が悪いとこちらから逆指定させてもらいました。普通は予定を聞くよなぁ〜。

 う〜〜〜ん、雰囲気や検査態勢に不満はありませんが、ドクターには・・・。

 結局、ホルター心電図はちゃんと24時間動作していたのでしょうか? また1ヶ月後にやらなければいけないかと思っただけで、胸のあたりが痒くなってきます。


 夜、画業で生計を立てている埼玉在住の弟から3人目の子供が生まれたという知らせがありました。

 弟はボクより2つ下。子供が成人する時には68歳か・・・。

〜 金水引の花。あまり元気ではなさそう 〜
2007年8月2日(木)  No.1481

電線だらけ
 2週間ほど前から、夜明け頃に時々胸が痛むので、思い切って循環器科に行きました。大したことはないはずですが、お盆、そしてお盆明けの山行に不安なく行きたいので。

 先日、境内でお会いしたネット関係のご近所さんが、近所の循環器科で診てもらったところ、最新鋭の機械もあってよかったという話をたまたま聞いたのも受診の弾みになりました。

 バイクで5分、出身中学の横にある「大病院の循環器専門外来をしのぐ設備と診療レベルの高さを誇る」という開業医を訪ねました。新しい医院だけあって中は綺麗で、待合室の壁にはプラズマTV。スタッフはサービス業に準じるような応対。へぇ〜。

 アンケートに応えてしばらくすると、放射線技師から名前を呼ばれました。胸部のレントゲンを撮るそうです。肥大とかを調べるのかな? 終わってしばらくすると、また別のスタッフから呼ばれました。心電図でした。ゆっくり本も読んでいられません。

 ちょっと待っていると、今度は診察室のほうから呼ばれ、ドクターと初お目見え。「あまりよくしゃべる人ではない」と聞いていた通り、必要なこと以外は話さない感じのドクターでした。X線と心電図には異常がなさそう。10年前に市民検診の心電図で引っかかってホルター心電図をした結果、朝方に不整脈が出ていたこと、循環器病の家系であるなどを話し、「年齢的にもリスクが増え来るので、もう少し検査をしましょうか?」と聞かれたので、「はい」と同意しました。

 座る場所もなくなった待合室でしばらく待つと、また別の部屋から呼ばれました。今度は心エコー。電気を消した部屋で、若い女性検査技師に「私にもたれてくださって結構ですよ」と言われて胸をぐりぐりされると・・・思わず寝てしまうところでした。
 引き続いて、ホルター心電図の装着。明日の今ごろまでの24時間、心電図を取り続ける装置です。10年前と比べて、記憶装置はずいぶん小さくなりました。
 エコーとホルター心電図の装着に時間が掛かりすぎたのでしょうか、イケズそうな先輩女性検査技師が不機嫌そうに手伝いに来ました。そんなにツンツンしなくてもいいのになぁ。

 支払いを済ませ、明日の予約をして(有無を言わずにされて)、帰宅。すぐに、昨日途中になっていた水琴窟の修理をしましたところ、汗だくになりました。今日はお風呂もシャワーもダメですし、汗をかくようなことはしないほうがよさそう。電極もはがれてきそうで心配です。「普段通りにしてください」とは言われたものの、午後はデスクワークに専念することにしました。

 ホルター心電図の装着中は、「食事」「トイレ」「歩行」などという行動や自覚症状を記録しなければなりませんが、すぐに書くのを忘れてしまいます。
 電極を固定するために張った絆創膏のところがだんだん痒くなってきて不快。汗をかかないようにエアコンを付けた部屋にいましたが、シャワーぐらいしたいなぁ。でも、新潟の地震の被災地におられる方は、シャワーすら満足にできないのでしょうね。

 ずっとパソコンに向かって、データーの打ち込み作業をしていたら、目や腰が痛くなってきました。社保庁なら、とっくに労使協定違反になっています。

 寝る前に体を清拭して、ちょっとサッパリ。電極や記録装置などを付けたままですが、特に意識することもなく、よく眠れました。ん〜、夕べは胸が痛くならなかったから、心電図には何も出ていないかも知れません。ひょっとしたら、睡眠時無呼吸症候群かな?

 とにもかくにも、カユ〜イ! 明朝10時半までの我慢です。

〜 こんな感じです。ボクではありません 〜
2007年8月1日(水)  No.1480

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