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2007年7月の日記

懸案処理の日
 お盆の棚経を数日後に控え、嵐の前の静けさのような感じです。特別な予定はなく、大方のお盆準備も終えたので、しなければいけない用事はありません。

 朝、塔頭の若手が集まって、本堂で行われる法要の準備ををしました。本堂では7日と10日にお精霊迎えの法要が営まれます。もうすでに棚経に回っている僧もいて、サッと準備を終えました。

 じっとしていられない性分のボクは、何をしようかと考えて、ずっと気になっていた作業用の機械や道具などを入れた屋外ストッカーの整理をすることにりました。整理するのは10年ぶりぐらい、雑然としてきて使いにくいと感じていたのでした。小一時間で終了。

 お次は、これも気になっていた水琴窟の修理。どうも、地中に埋めてある壺に水がたまってない感じが今年になってからしていました。水がたまってないと、水を流しても音がしません。去年修復したコンクリートを割って、中を覗いてみると、予想的中。でも、水漏れ箇所が特定できないので、底一面に薄くセメントを流して様子を見ることにしました。2時間ほど掛かって完了。

 後は、網戸の張り替え、愛猫さくらの行水、園芸機械のキャブレター調整、客間のすだれ掛けなどを細々として、美しい夕焼けを見ながら終了!


 夕食後は、先日、バージョンアップしたデータベースソフトのデーター更新作業。MS-DOS時代から使っている和製データベースソフトの「桐」。8年ぶりにバージョンアップしたら、データーの一部の組み替えなどが必要となりました。マニュアルは別売で1万2千円ほど。以前買いましたが、あまりいい出来ではなかったので今回は求めず、何とか自力で。
 実はこの作業、1週間ほど前からやっていて、毎日、ため息をついていたのでした。今日も、「もうやめようかなぁ」と思いつつ、粘って粘って、ようやく目鼻の付くところまでたどり着きました。

 実はこのソフトは、お寺の檀信徒名簿や護持会の会費、昭和20年以降の過去帳などを管理している肝心要のもの。
 「桐」は外国製のデータベースソフトに押されて、青息吐息。「いつ、つぶれるかなぁ」と不安に思ってネットでいろいろ調べ、「官公庁や学校で使っているところが多いから大丈夫」という感触を得て、バージョンアップ版を購入したのです。これからもお付き合いが続くので、何とかしないわけにはいきません。
 今夜、なんとか目算が着き、後は細かい調整だけ。やれやれ。


 今日は、目立たないけれどいろいろな懸案が片付いた1日でした。

〜 青空に紅白の百日紅。最高に綺麗! 〜
2007年7月31日(火)  No.1479

リリーフ不在
 選挙で自民党は大敗。首相は、「改革への責任を果たすことが私に課せられた使命と決意している」「わたしの新しい国づくりはスタートしたばかり」と述べ、与党の執行部からも「今度の選挙は政権選択選挙ではない」などという発言が続いて、首相は続投へ。今日の会見では、「人心を一新せよというのが国民の声だ」と述べ、やはり続投することに決定。

 あれだけの大敗をしながら、ずいぶんな屁理屈だと、夕べから、今までにも増して首相の顔など見たくもない気分です。

 今の首相、内閣、政権政党に、積極的あるいは消極的に「NO」という国民の意志が示されたのが今回の選挙の結果。首相に「引き続いて責任を果たして欲しい」と考えたた人が多くなかったのは事実。「絵に描いた餅のような‘美しい国’づくりなどいらない」「あなたには任せられないよ」ということだったのではないのでしょうか。一新しなければならない人心の筆頭は、首相自身に他ならないと思います(「人事を一新」の間違いでは?)。

 敗軍の将である首相が、今さらながらに自分の実績をあげつらい、空々しい理由を並べて続投するというのでは、民意が反映された気がせず、選挙に行くことが空しく思えてきまいます。

 与野党共に、大半は狭い政治家の論理で生きる人たち。党利党略や名誉や保身のためではなく、安心して暮らせる国を本気で作ろうとしている人をしっかりと見極め、次なる1票に賭けたいと思います。

〜 お昼に頂戴したお弁当。竹籠が涼やか 〜
2007年7月30日(月)  No.1478

早変わりの1日
 今日は、‘植木屋’と‘坊さん’を行ったり来たり。

 先ず、早朝から‘植木屋’。一昨日・昨日と来てくれた本職の植木屋さんがボクに残していった‘宿題’の剪定作業。樫や紅要黐べにかなめもちなど、剪定に失敗してもまた芽が出てくるものが残されている感じ。本職に弟子入りして、ちゃんと剪定方法を覚えたいなぁ。

 2時間半ほど頑張って汗だくになったので、風呂の残り湯をかぶって僧衣に着替え、11時から法要を勤めるために‘坊さん’に。ひと汗かきました。

 昼食をいただき、20分昼寝をしてから選挙に行き、また‘植木屋’に変身。朝、剪定した枝などの片付けなどをしていたら、遠目に3時の法要の方が来られたのが見えました。まだ2時過ぎなのに、お早いお越しです。

 また、慌てて風呂の残り湯をかぶって僧衣に着替えて‘坊さん’に変身。法要でもひと汗かきました。

 さて、今日最後の‘植木屋’。若干の剪定作業と紫陽花の水やり。紫陽花は萎れて、夕立が恋しそう。晴天が続いてお盆の間も水やりが必要になったら、ちょっと大変です。

 またもや風呂の残り湯をかぶりましたが、1日経った残り湯は何だか気持ち悪いので、最後はシャワーで仕上げ。あ〜、さっぱりしたぁ。残り湯をかぶる度に下着を着替えたので、洗濯物がいっぱい出ました。

 お盆前の剪定作業は、本職の植木屋さんとボクとの‘お手伝い’でほぼ終了。今年は着々とお盆準備が進んでいるような気がします。


 今日の最高気温は33度台と、昨日・一昨日に比べて少し下がりました。夕方以降は涼しい風も吹いて、窓を開けているだけで気持ちよく過ごせました。

 さくらは既に夏バテ気味。ここ数日、便秘気味で、昼間のほとんどの時間はボクの部屋で愛想悪く寝ているだけ。2階にあるボクの部屋は1階よりも暑いのですが、落ち着くのでしょう。床の上でベタァーっと寝ているかと思ったら、パソコンラックの上で寝たり、ボクがちょっかいを出すと暑い箪笥の上に避難したりと、さっぱり元気がありません。

 去年の暑気の二の舞だけは避けたいと、ボクが部屋にいない時も扇風機をかけっぱなしにしたり、樹木の多い窓から少しでも涼しい外気を取り入れたりしていますが、やはり暑いのでしょう。せかっく買ってあげた「ひんやりボード」には近付きもしません。

 お盆の間のさくらの体調が心配です。

〜 パソコンラックの上の写真の現像用バットで寝るさくら 〜
2007年7月29日(日)  No.1477

素人に負けた
 今日も植木屋さんが来てくださっていて、ウロウロしてられないので、午後は以前から頼まれていた某寺のパソコンサポートetcに行きました。

 まずは、写らなくなった境内の監視カメラのモニターの修復。いろいろやってもダメだったので、設置業者に電話していろいろ試しましたが、復旧しません。結局、諦めてケーブルなどをすべて取り外しました。モニター交換なら相当多額の費用がかかるとか。打つ手はないものか・・・。

 プリンターの増設と今まであったプリンタの移設はすんなり。特定のキーを打ったら数字になってしまうノートPCは1キーで解決。バックアップの設定修復などなど、パソコン関係はすべて順調。

 監視カメラのことが気になりつつも自坊に帰ると、植木屋さんは仕事を終えて帰られた後でした。「後は副住職にお任せします」という伝言が残されていました。下手に手入れしたら怒るくせに・・・プレッシャーです。

 しばらくすると、某寺からメールが入りました。高いお金を出してモニターを買い換えるわけにはいかないと、住職がモニターの掃除をしてケーブルを挿し直したら、すんなり写ったのだとか。機械音痴の住職が成し遂げたあり得ない展開に絶句。
 結局、接触不良だっただけ? 本当に不思議。ボクが直して、「してやったり!」という顔をして帰りたかったなぁ〜。何はともあれ、よかった、よかった。

 今日の最高気温は35.6度。でも、昨日よりも涼しい気がしました。午後は鷹峯にいたからかな?

〜 蓮は不作? 咲きが悪いと嘆く人多し 〜
2007年7月28日(土)  No.1476

暑い日、熱い夜
 今日から植木屋さんが庭木の手入れに来てくださっています。他の塔頭2軒にもそれぞれ植木屋さんが来ておられ、塔頭は剪定ラッシュ。お盆前の毎年の光景です。

 植木屋さんの回りをウロウロすると怒られそうなので、‘目の届かない’ところで落ち葉掃除や剪定をしました。

 今日は最高気温35.2度、今年初の「猛暑日」。夕方には梅雨の間に植えた紫陽花の葉が萎れてきました。しばらく雨は期待できないので、バケツに水を汲んでは萎れた紫陽花に与え、汲んでは与え。これからはこういう日が続きそうです。キツイなぁ。


 夜、塔頭の若手を引き連れてカントリーのライブに行きました。

 実は、今年から真如堂に勤め始めた人がギターを弾かれ、今日のライブにも出演されることが、先日の虫干会の打ち上げの時にわかりました。もちろん、自坊のお檀家のスチールギター奏者も出演されます。塔頭の僧侶にもギター好きの人がいて、「ライブに行こう!」と一気に話がまとまりました。

 一番年上のボクからギリギリ20代の僧まで5人で、いざライブへ! ボク以外はカントリーのライブに行ったこともなく、ライブハウスがあることも知りません。でも、みな音楽好きで、会場に向かう5人乗りタクシーの車中は異様に盛り上がっていました。

 ライブハウスにはもうすでにたくさんの人が来られていました。ギター奏者の職員にキープしてもらったテーブルに着き、ビールで乾杯! ほどなくライブが始まりました。

 1つ目のバンドは上記のお二人に加え、ドラマーはお檀家のお嫁さんのお父さん。とても親近感が湧きます。2つ目のバンドのリーダーはお坊さんとか。お寺に集まって練習されているのだそうです。3つ目はプレスリーの曲をメインにしたバンドで、ギター奏者の職員は本来ここの一員です。
 それぞれ違った個性のバンドで、喜々としてカントリーダンスを踊る人たちのを見るのも楽しく、あっという間の4時間でした。

 「真っ直ぐ帰れないだろうなぁ」と思っていた通り、ラーメンを食べて帰ろうという話になりました。タクシーに分乗して、ラーメン店が集中する高野方面へ。意中のラーメン店に行列が出来ていたので、まずは鉄板焼きのお店に入ってソバめしなどを食べ、やっぱりラーメンが食べたいと結局ラーメン店へ。

 「うーーー、満腹」 夜中にラーメンを食べるのは何年ぶりでしょう。体にいいわけないですよねぇ。

 音楽も楽しめ、塔頭の僧とも懇親できた、熱〜い夜でした。

〜 坊さんがリーダーを勤める「DART TO THE HEART」のステージ 〜

2007年7月27日(金)  No.1475

デジカメ不調
 「今日の散歩道」の定例更新日である金曜の夜に出かけることになったので、1日繰り上げて、今日、更新をすることにしました。

 梅雨明けしたというものの夏らしい青空はなく、早朝から夕方まで何度も写真を撮りに境内に出ましたがめぼしい風景に出会わず、更新には難儀しました。

 その上、2台あるデジカメのうちのコンパクトなほうが不調。写るには写るのですが、電源スイッチを押してもスイッチが入らなかったり、レンズが収納されないまま電源が落ちたりと、電源回りの接触が悪い感じ。

 去年の6月20日に買い求め、今年の同日、保証期間は終わってしまいました。でも、そこのところ、抜かりはありません!

 毎日使うし、使い方も結構ハード。これでデジカメは5台目ですが、今までの経験から、必ず故障します。そこで、購入時に代金の1割を追加支払いして、販売店の5年間保証に入っておいたのです。今度の不調は「自然故障」のうちでしょうから、保証も効くはず。

 さて、いつ修理に出そうかなぁ。

 エアコン、車、そしてカメラと、故障の多い夏です。

〜 暑さをものともしない木槿の花 〜
2007年7月26日(木)  No.1474

「宝物虫払会」
 今日は毎年恒例の「宝物虫払会」。

 例年、空模様が気になりますが、「雨が降ったら中止になるので楽やのになぁ」という期待もむなしく、今日は雨の心配はなし。

 7時に、僧侶、職員、お手伝いの方々などが集合。蔵から長持ちに入った掛け軸などを運び出し、ほとんど順不同に吊していきます。その数約300点。‘玉’もありますが、‘石’も多く、まさに‘玉石混淆’。

 9時のOPEN前に新聞社の写真斑が取材に来て、観覧者が掛け軸を見ている光景が欲しいというので、お手伝いの方々に掛け軸の前に立っていただき、写してもらいました(夕刊にはその写真が載っていました)。

 9時開場。出足が悪いなぁと思っていたのは最初のうちだけ。三々五々、人がお越しになり、去年の入場者350人に対し、今年は500人ほどになったようです。

 僧侶は説明や案内、監視、職員は受付や朱印、お手伝いの方は監視係とそれぞれ分担して本堂内などの各場所に分かれました。定位置というのはありませんが、「ヘイサラバサラ」など珍宝の説明は毎年決まった人が行います。うちの住職は、長老の定位置である安倍晴明の「結定往生之金印」の印紋を加持して授与する係に、ボクは成り行きで『真如堂縁起絵巻写本』の説明をすることになりました。

 最初は聞かれたことだけに答えていたのですが、そのうち、「説明していただけませんか?」と言われて応じたのを契機に、ほとんど切れ間なく説明を繰り返しました。

 『縁起』の説明をするつもりはなかったので、事前の準備はまったくしていませんでした。
 『縁起』は絵に描いた様々な場面とその詞書きの繰り返しで、上・中・下巻の広げてある場面だけでも結構な数になります。
 最初はおぼろげながら思い出して説明をしていましたが、だんだん調子が出てきて、思い出たことや、付け加えて説明したほうがいいと思えることも湧いてきて、説明はだんだん‘進化’しました。

 安倍晴明の「結定往生之金印」のことを描いた『縁起』の場面を出して説明しながら、その印紋を皆さんにお見せして、「これは、安倍晴明が閻魔さんからもらわれたという印を押したもので、こを持っていると突然死をしないし、亡くなって閻魔さんのところへ連れて行かれた時に見せると、『どうぞお通り』と通してもらえる極楽行きの‘フリーパス’です」と説明すると、聞いていた人は住職が担当しているコーナーに行って加持を受けるという有り難い‘流れ’も出来ました。

長持を蔵の2階に上げる作業

 昼食の時間を除いて説明しっぱなし。ちょっと休んでいると、「あのー、説明していただけないのでしょうか?」と催促されてまた説明。3時前にはくたびれて喉も痛くなり、他の人に代わってもらってお役ご免。夜寝てからも喉の痛みで目が覚めました。

 夏のイベントも終わり、さぁ、これであとは一気にお盆に突入です。

〜 虫干し風景/「結定往生之金印」の加持を待つ人たち 〜
2007年7月25日(水)  No.1473

愛宕念仏寺「大般若転読会法要」
 恒例の愛宕念仏寺の大般若転読会法要。

 近畿地方は平年よりも5日遅く、去年よりも3日早く、梅雨明け。久々の雲一つない青空でした。蒸し暑い日の大般若は酷ですが、今日は割とカラッとしていて助かりました。

 西村公朝前住職が亡くなってもう4年。お寺にお参りされる人の数は、残念ながらずいぶん減りました。

 著書も多数、マスコミへの出演も多かった前住職を個人的に信奉される方も多く、在世中はお参りされる方も多数で、それ故にお寺も立派に復興できました。現住職が同じように人気を集めることは不可能ですが、現住職らしい方法でお参りの方が増えてくれればと願います。


 夕方、総門の前に立っていると、お祭りの法被を着た人が一人で歩いてきました。場違いな格好だったので、法被をじっくり見ると、祇園祭の関係者であることがわかりました。

 そういえば、今日は還幸祭。四条御旅所に安置されていた御輿3基が夕刻から寺町通以西の区域を回り、夜遅くに八坂神社に戻ります。御神霊を神輿より本殿に還した後、28日の神輿洗をもって神輿の行事は終わります。

 京都の祭りは厳かでしずしずと行われると思っておられる方が、御輿を担ぐ若衆の姿をご覧になると、さぞかしビックリされるでしょう。

 そんな祭りの若衆(年輩でしたが)が、どうして真如堂の門前に? 「まぁ、何でもええやん」と思いつつ、友人とちょっと一杯! 大般若でたっぷり汗をかいた身に、ビールは染み入りました。

〜 愛宕念仏寺の大般若転読会(撮影N氏) 〜
2007年7月24日(火)  No.1472

「ききょうの里」
 出かけたついでに、京都市の西北隣、亀岡市にある「ききょうの里」に立ち寄りました。

 どこか遠くに行って時間に余裕がある時には、何かを見てくるとか、温泉に入ってくるなど、‘空手’では帰らない最近。「‘何か’ないだろうか?」と探すのも楽しみです。
 亀岡は明智光秀公が「亀山城」を築き、城下町を形成して発展した町。三重県の亀山と似ているので、明治初期に「亀岡」に改称されたのだとか。知りませんでした。
 その光秀公の首塚がまつられている谷性寺は、明智の家紋である桔梗が咲き乱れることから「桔梗寺」と呼ばれ、4年前からその門前に「ききょうの里」が開かれるようになったのだそうです。

 「ききょうの里」は民家が点在する中の休耕田にありました。駐車場には車が6〜7台駐まっていましたが、中へはいると、見ている人はわずかに一人。車はほとんどが関係者のものでした。

 桔梗というと、京都の寺では廬山寺か東福寺天得院。いずれも庭に少しずつ植えられていますが、「ききょうの里」には5万株もの桔梗が植えられていて、一角は高貴な紫色に染まっていました。珍しい八重咲きやピンクの桔梗も見られました。

 ただ、桔梗の背景には必ず民家が見えてしまいます。それも、茅葺きや古い佇まいの家ならいいのですが、新建材で建てたような、桔梗の背景としては似つかわしくない家もあります。トータルな環境はイマイチ。

 桔梗の世話をしていた農家の人が、「これ折れたから持っていってください」と桔梗の一枝を手渡してくれました。「あっ、また折れた。これもどうぞ」。一周回ってきて戻ってきた時には、「白も折れましたから持って帰ってください」と、合計3枝の桔梗を頂戴しました。
 「こんな枝を持っていたら、盗ってきたみたいに思われないかなぁ」と案じつつ受付に戻ると、中にいた女性が、「包んであげましょう」と言って、元のところに水を入れたビニール袋を縛り付け、新聞紙でくるんでくださいました。

 うたい文句の一つ、「もぎ取り野菜園」や「亀岡物産品直売」は、かなりさみしいものでした。これだけ閑散としていては、もぎ取り野菜も新鮮ではなくなってしまうでしょう。

 洗練されない雰囲気が漂う「ききょうの里」でしたが、地元の方々が一所懸命もり立てていこうとされている様子が伝わってきて、とても好感がもてました。
 いくら立派でも、‘やさしくない’施設もあります。真如堂の拝観コースは、見ていただくものが多いわけではないので、とにかく出来うる限り案内させていただこうと、ボクが担当者の時に職員による説明を始めました。「やはり、‘お接待’の気持ちが大切だなぁ」という思いが、ここでもしました。

 桔梗は広い場所一面に咲いているよりは、苔庭などに少しずつ咲いている方が風情があるなぁ・・・それを言っちゃぁ、おしまいよ!

〜 たくさんの桔梗。紫が美しい 〜
2007年7月23日(月)  No.1471

日中友好
 久々に京都の電気屋街、寺町に行きました。四条寺町を下がったあたりに、電気屋が集中しているのですが、最近は廃業する店も多く、次第に景色も変わってきました。

 万一に備えて、毎日パソコンのデーターのバックアップを取っていますが、バックアップ用に使っているハードディスク自体が危なくなって来たので、新しいものを買って交換しようと思ったのです。

 店に行って値段を見ると、やはりネット通販のほうが安く、急いで買う必要もないので、結果的には何も買わずに帰ってきました。

 パソコン・ショップに入った瞬間、何かちょっと雰囲気が違うのを感じました。しばらくすると、聞こえてくる言葉の多くは中国語。しまいには、日本語をしゃべっている人も、中国人に見えてきました。
 パソコンの部品は、台湾、韓国、中国、マレーシアなどのものが大半。どうしてわざわざ日本で買う必要があるのかわかりませんが、手に手にいろんなパーツを持っておられました。

 最近、京都を観光する中国人がずいぶん増え、真如堂にまで団体で来られることもあります。

 日本の文化は中国に負うところが大きく、天台宗も中国・浙江省の天台山から伝えられました。その縁もあって、中国には今まで数度行きましたが、正直なところ、拝金主義、何かをするには賄賂を要求される、約束を守らないというような印象ばかりが残っていきます。ふと立ち寄った小学校の壁新聞は反日教育の文言にあふれていました。残忍な殺人事件は中国人絡みも多く、そして昨今の食の安全や偽造問題。
 文物や歴史など、中国は大好きな国でしたが、現在の中国はどうもいただけません。

 中国が嫌いだという日本人が増えているそうですし、中国人が最も嫌う国も日本。こんなことでは、お互いの溝は深まるばかり。自分の中のそういう印象も改めないといけないと思いますが・・・。30日は土用の丑の日。中国産ウナギは売れるのでしょうか?

〜 シメジ? 本物か偽物か? 〜
2007年7月22日(日)  No.1470

ラジオ出演
 インドの「禅定林」のことでラジオに出て欲しいと電話があったのが木曜日。金曜日には、ラジオ局の担当者が打ち合わせに来られました。
 禅定林のことで筋道たてて話したことがないので、金曜日の夜から今日にかけて、資料を作って改めてお勉強しました。

 今日1時半から、御所の横にある地元局のスタジオで15分間番組を2週分収録。1週目は真如堂の話、2週目は禅定林の話をとのこと。

 「えー、インドの話じゃないの! 真如堂の話はいらないよぉー」

 どうも話の中心は出演者たるボクに当てられていて、禅定林の話はそのボクが関わっている活動という位置づけ。話が違う・・・これではボクが主役扱い。でも、いまさらどうしようもありません。

 収録前の下話で真如堂のことを聞かれ、まずは1週目分を収録。2週目の収録に入る前の下話で禅定林のことを打ち合わせましたが、最後はまたボクのしている活動や将来やりたいと思っていることの話に戻ってしまいました。2週目分の収録本番もその線で・・・あかん。最後は、紅葉期のカフェの話まで。これでは禅定林のために出演したことにならない・・・あかん。

 放送は8月の日曜の早朝。困ったわぁー。

〜 収録中の別のスタジオ 〜
2007年7月21日(土)  No.1469

蓮めぐり
 「今日の散歩道」の更新変更して日程をこじ開けた今日、琵琶湖に蓮を見に行ってきました。

 琵琶湖の東岸にある草津市、琵琶湖に突き出した烏丸半島周辺には約13ヘクタールにも及ぶわが国有数の蓮の群生地があります。隣接する「水生植物公園みずの森」でも蓮や睡蓮、様々な水生植物が見られます。いわば、琵琶湖の蓮の‘メッカ’です。

 7時半過ぎに自坊を出て、小一時間。夏の間は7時から開園している「水生植物公園みずの森」に到着。先ず先に、そこを突き抜けて蓮の群生地を見に行きました。

 ここに来るのは3〜4回目。蓮の季節は2回目? 3回目? 本当に最近、物忘れがひどくなりました。時期的には少し早いのですが、今まで見た中では一番綺麗に蓮が咲きそろっていました。鉢で栽培されている蓮を見るのとはまた違った壮大な蓮田です。最盛期はどんなに素晴らしいでしょう。
 この広さと開放感は写真にはとても収めるできず、しっかりと目に焼き付けておきました。

 公園に戻って、園内の蓮や睡蓮、温室などを楽しみました。色とりどりの睡蓮も実に美しい。

 『阿弥陀経』の中に、「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」という一文があります。極楽の池に大きな車輪のような蓮が咲いていて、それぞれの花がそれぞれに光を放っている、それぞれにいのちを輝やかせているという意味です。

 睡蓮池はまさしく「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」の世界でした。その光景を見た瞬間、「あっ、あれは蓮ではなくて睡蓮のことなんだ。こういう景色なんだろうなぁ」と思いました。
 温室の熱帯睡蓮のブルーはひときわ綺麗。「青い蓮なんて見たことがないなぁ」と思っていましたが、「青色青光」にも納得しました。

 館内で上映されていた蓮の生態などに関する映画の中で、近くに「近江妙蓮」という天然記念物に指定された蓮を栽培する公園があることを知りました。受付でそこまでの略図をもらって、植物園をあとにしました。

 すぐさま、「世界のあじさいの殿堂 もりやま芦刈園」という看板を発見。「これは行ってみないと!」と行きましたが、受付に人はなく、入園料200円を箱に入れるようになっていました。チラッと中を覗きましたが、やはりほとんどの紫陽花は剪定済み。
 ヨーロッパ(オランダ)から集た西洋紫陽花50品種5千本、日本の紫陽花50品種5千本、計1万本が栽培されているというのですから、ぜひとも来年忘れずに来ようと固く頭に叩き込みました。

 ほどなく「近江妙連公園」に到着。天然記念物の蓮の保護育成のために作られた公園と施設でした。
 「近江妙蓮」は室町時代以降、地元で守り育てられてきた蓮。明治29年以来咲かなくなってしまったのを大賀博士の尽力で60年ぶりに咲くようになり、今では施設のある守山市の「市花」に制定されています。

 「近江妙蓮」は1つの茎に2〜12の花を付け。花弁の数は2〜5千にもなるとか。多数の花弁があるのは、雄蘂や雌蘂がすべて花弁に変化したからだと考えられていて、外側の150枚程以外は散り落ちることなく、そのまま花柄に付いて枯れるそうです。

 残念ながら少し時期が早く、咲いているのはわずかでしたが、実に変わった花で、枯れたまま軸に付いている蓮の花というのも初めて見ました。
 ただ、蓮のもつ清浄さ、簡潔さのようなものはこの花には感じられず、「変わった花」「珍しい花」という印象が残りました。人に話したくなるような蓮でした。

 折しも、今日から3日間と来週の週末の3日間は「ぐるり蓮の旅」というイベントが行われていて、シャトルバスが巡回していました。乗っている人は、ほとんど見かけませんでしたが。

 帰りに、琵琶湖大橋近くの「なぎさ公園」に、向日葵のお花畑を見に行きました。映画の「ひまわり」に出てくるような光景のミニチュア版を想像していたのですが、ひまわりは腰ほどの高さしかなく、色もレモンイエロー。思わず、「えっ、これぇ!?」と声を出してしまいました。
 ここは 守山市が県から借り受け、地元のボランティアが夏は向日葵、冬は寒咲き花菜を育てておられます。ちょっとがっかりですが、そのご苦労を思うと見せていただくだけで有り難く思えました。

 どんより曇った蒸し暑い日でしたが、蓮を満喫した、素晴らしい日でした。

〜 烏丸半島の蓮の群生 / 「近江妙蓮」の3頭花 〜
2007年7月20日(金)  No.1468

予期せぬ出費
 都合で、「今日の散歩道」の更新を今日繰り上げて実施することにしました。

 朝から写真を撮って、法要をして、車の修理にディーラーに行って、帰って写真を撮って文章を書き始め、友人のお父さんの通夜に行って、帰って更新の文章を書いてという1日でした。

 更新作業は、ネタなし、特別な景色なし、まとまった時間なしという割には順調に進みました。

 車の修理はちょっとショック。先日来、ブレーキパッドが減っているような感じがしていたので、とりあえず診断してもらったのですが、結果は前輪の左右ともパッドが錆びていて、それが原因でブレーキディスクが変に摩耗しているとのこと。交換費用は4.6万。

 担当者に、「あまり乗られませんか?」と聞かれました。遠距離は乗りませんがほぼ毎日乗りますし、錆びる原因がよくわかりません。駐めている場所は湿気が多いかも知れませんが、今までの車でこんなことは経験ありません。
 「犬がいるところに置いてあると、オシッコでそうなることがあります」と言われましたが、犬は飼っていませんし・・・蟻は車に巣を作っているようですが。

 現状を見せてもらったところ、パッドの面積の2/5程度しかディスクに当たっていません。これでは効きもよくありませんし、コワイ。お盆も近く、高速にも乗るので、とにかく交換を依頼。部品を取り寄せてもらうことになりました。

 それにしても、どうして・・・。痛い出費です。

〜 お堂で昼寝をするシロクロ 〜
2007年7月19日(木)  No.1467

妥協の産物
 お盆の案内の発送作業を終え、剪定作業をしようと境内に出たら、本堂の横に寺の軽トラックが駐まっていて、その横に穴が掘ってあり、ビニールの配水管が露わになっていました。雨が降る度に参道が水没する場所なので、それを修復しようと思っていることはすぐにわかりました。

 誰もいないので、しばらく紫陽花の剪定作業をしてたら、職員がブロックを両手に携えて戻ってきました。放ってはおけないので、当然手伝うことに。

 職員は結構大ざっぱなタイプ。ボクも普段は大ざっぱですが、こういうことにかけては緻密にしたいタイプ。彼はビニール管に穴を開けてブロックで囲む程度で済まそうと考えていたようですが、ボクが絡んだからにはそうは済まされません。雨水升を作って、蓋を付けることに計画変更。

 自坊からセメントや鏝、網目になった鋳物の蓋、ディスクグラインダーなどを持参して、工事開始。職員が思っていたより、ずっと本格的になってしまいました。

 穴の掘り方、セメントの打ち方など、ボクには納得のいくものではありませんでしたが、きっちりしたい気持ちを抑えて、そこは妥協。

 作業も佳境に入った頃、本堂の扉を閉める音が聞こえてきました。もう4時。就業時間終了。
 「じゃぁ、もう帰ってください。後はやっておきますから」と言わざるを得ません。

 蚊取り線香を焚いても藪蚊が寄ってくる夕方の境内。ひとりでシコシコと作業をして、何とか完成しましたが、妥協した分、納得のいかない仕上がりです。しょうがないなぁ・・・。

 今度雨が降るのが楽しみ!

〜 夕方の本堂前 〜
2007年7月18日(水)  No.1466

クロ屋敷間近?
 今日は祇園祭巡行。たまに時雨れる程度でそれほど暑くなく、まずまずの巡行日和ではなかったでしょうか。

 先日の夜、屋外のひさしの下に置いてある細々とした物の間から、子猫のような鳴き声が聞こえてきました。物をかき分けて見ると、小さく黒く動くかたまりが・・・子猫です。色からするとクロの子供? そういえば、2日ほど前、クロが餌を食べに来ない日がありました。

 「困ったなぁ、また野良猫が増えてしまう・・・」とショックを受け、いったん自室に戻って、野良猫の子供の里親になってくれる人や地域猫の去勢をしてくれる団体などをネット検索。京都ではなかなか見つかりませんでした。

 猫好きの友人にメールをすると、「産みたてのお母さんネコは気が立ったてるから気をつけないと。育児放棄とか、自分のネコを殺しちゃうとかするといけないから」と返事がありましたが、どうしたらいいの? このままにしておくわけにもいかないし・・・。

 そうこうしている間に、クロが子猫をくわえて窓際を歩いている姿を家人が見たそうです。子猫を見つけられてしまったので、クロは子猫を移動させたのでしょう。鳴き声の聞こえた場所は静かになっていました。

 「どこへ連れて行ったんだろう? ひょっとして縁の下?」

 今日、縁の下を点検してみましたが、姿が見えません。黒猫ですから、闇に紛れればよくわかりません。それに、野良犬や野良猫の子は、自分で歩けるようになる頃まではほとんど鳴き声をあげません。先日見つけた時に泣いていたのは、住職が親猫が寝ていると思って追い払った直後だったからです。

 あちこち見ましたが、結局、子猫はどこにも見つかりませんでした。

 少し大きくなるとなかなか捕まりません。大きくなられると、また野良猫が増えてしまいます。クロ+クロJr+クロBaby×2で、黒猫が4匹! でも、子猫の間はカラスに狙われたりします。それも残酷です。

 とにかく捕獲して、育ててくれる人を探すなどの策を講じないといけません。でも、声もしない、姿も見えないのでは、打つ手がありません。

 クロとクロJrは、何もなかったかのように、今朝もご飯をねだりにやってきました。「子猫、どこへ連れて行ったん?」と聞けども、ニャンとも答えません。困ったニャン。。。

〜 餌をせがむクロとクロJr 〜
2007年7月17日(火)  No.1465

除草剤、雨に流れる
 今日の法要は午後からだったので、午前中、除草剤の散布を行いました。石畳の間や苔の中は、草払機で刈ったり手で抜くよりも除草剤が有効です。

 途中、本堂の職員から「狐が憑いているという方が来られているのですが、拝んであげてもらえませんか?」と言われました。本堂でバタバタ音がして、跳ねている女性の姿が見えると思っていましたが、その方だったのです。

 そう言われた時にはその女性はすでに参道を下って行かれていたのと、ボクが100%植木屋の格好をしていたので、結局拝みませんでした。

 ‘狐憑き’の方を見るのは久しぶり。過呼吸やてんかん、睡眠不足などが原因の一種のヒステリー症状でしょう。適切な治療をされたほうが、ご本人も苦しくないでしょうに。早く解放されるよう、後ろ姿に祈りました。

 2時間ほど除草剤撒きをして法要。昼食を食べてまた続きをやろうと思っていたら、空が曇ってきました。
 ネットの気象レーダーを見ると、間もなく雨が降り、その後、ずっと雨雲が続いていました。天気予報では雨が降るなんて一言も言わなかったから、除草剤を撒いたのに・・・。

 雨ならばと、紫陽花を5株定植。そうこうしているうちに雨が降り出し、すぐに本降り。
 「あー、除草剤撒いたのに・・・梅雨が明けるまで、除草剤はよそうざい・・・」

 後はお盆関連のデスクワーク。こっちも早く仕上げないといけません。

 夕方にはいったん雨もあがりましたが、以後、降ったり止んだり。不安定なお天気の宵山となりました。宵山らしいかな。


 朝、散歩されている女性から、「あの木はなんですか?」と宿題を出されました。ボクが「インド菩提樹に似ている木があります」と教えてあげたのですが、何という木なのかは知りません。

 コウゾ、カジノキといった、インド菩提樹と同じクワ科の木に違いないでしょう。ん〜、なんだろう。勉強させていただきます。


【追記】お読みくださった方から、この木が「南京ハゼ」であることを教えていただきました。深謝申し上げます。クワ科とぜんぜん違いました。

〜 花を咲かせるクワ科の木 〜
2007年7月16日(月)  No.1464

インド人女性の茶道
 作業所のスタッフから、「インド人にお抹茶を飲ませてもらえませんか?」と頼まれました。

 お父さんの仕事の関係で大阪に来られている娘さんで、日本語も少し理解でき、地域の行事に参加したり、茶道も少しされたことがあるのだとか。スタッフがインドに行った時、そのお宅に泊めていただいたこともあるそうです。

 昼下がり、作業所のスタッフと作業所のサポーター(2人はインド・フリーク)、インド人の「ガイアトリー」さんの女性3人がお越しになり、茶室でお茶の立て方、飲み方などのレクチャーをしました。彼女は、最初、お茶をたてても泡も立ちませんでしたが、2度、3度とするうちに、美味しそうなお茶をたてられるようになりました。その好奇心と吸収欲、物怖じしない姿勢にはすごいものがありました。

 狭くて暗い茶室から出て、客間で日本の仏教などについて質問攻め。この後、祇園祭に行かれるというので、インドの祇園精舎に祀られていた守護神と祇園祭の起こりとは切っても切れない関係になるということを説明しました。
 間にたって通訳するサポーターの女性は大変。「‘怨霊’はどう訳すの?」「‘素戔嗚尊’は日本の‘創造主’」「‘牛頭天王’…‘Cow Head’…‘天王’って?」
 詳しく聞かれてもボクも説明できませ〜ん。ボクが言ったことを彼女はノートに書き留めていましたが、ん〜、正確な説明じゃないんだけどなぁ・・・。

 彼女は経済系の大学院を卒業してMBAを取得し、インドの財閥TATAグループに就職。またもう一度大学に戻って勉強中なのだとか。卒業したら、インドの古典舞踊の学校に行きたいのだとか なぜ古典舞踊?

 お茶をしている時も、その飲み込みの早さと知識欲に驚きましたが、日本について説明している時はなおさら。日本人の頭のいい人とはまた違う頭脳明晰さを、ひしひしと感じました。


 畑のトマトが一度になって割れたり腐ってきたりしたので、トマトを使う料理をと思い、挽肉とトマトのパスタと、いただいた鰹のたたきでカルパッチョを作りました。

 少々小蝿がたかっていたプチ・トマトやミディー・トマトも湯むきをしたり煮込んだら問題ナシ! 
 たくさんのトマトを使ったのに、煮込みすぎて影も形もなくなってしまいましたが、それも予測済み。最後に、プチトマトを入れて仕上げ、形がなくならないうちに出来上がり! カルパッチョも美味しくできました。

 粉チーズとワインが切れていたのが残念でした。


 夜は、お盆の棚経のコース検討に一苦労。今年から兵庫・大阪・滋賀などの遠隔地の回り方を少し変えさせていただこうと思っているのですが、なかなかうまく行きません。きっと時間通りには回れないなぁ・・・。

〜 お茶をたてるガイアトリさん/パスタとカルパッチョ 〜
2007年7月15日(日)  No.1463

台風第4号((マンニィ)接近
 朝10時からの法要後、墓回向に行く頃には雨脚も一段と激しくなっていました。台風が近づいていますので、待っていても止む保証はなし。逆にもっと激しく降るかも知れません。

 「行きましょうか」と墓参を決行! 濡れても差し支えのない衣に着替え、下駄で墓地に向かいました。

 墓地の通路は川のよう。水位は下駄の歯の高さを軽く越え、足の甲ぐらいまで達しました。女性の靴も完全に水没。そうなったら、もう諦めがつきます。みんなジャブジャブ‘川’を遡って墓石までたどり着きました。

 1周忌も今日の3回忌もどしゃ降り。読経後の雨に中、故人は増水した鴨川を見に行くのがお好きだったという話を聞きました。故人にふさわしいお天気だったかも知れません。

 帰りは雨も小降りになり、‘水位’も下がって、「やっぱりもう少し待っていればよかったかなぁ」という気がしました。

 法要の施主は消防署勤務。台風による呼集の順番を後回しにしてもらって、今日お越しになったそうです。

 明日法事をされる方からは、天気にかかわらず‘決行する’旨をを告げる電話が入りました。


 午後は窓の外を気にしながらデスクワーク。お盆の水塔婆も書き終わり、案内と一緒に送る寺報も「面白くない」という評を受けながらも何とかできあがりました。

 今年は順調だぞぉ。

〜 ライブカメラ映像・・・写真が撮れなかったので 〜
2007年7月14日(土)  No.1462

しとしとぴっちゃん
 「今日の散歩道」の更新日。またもや雨。雨の景色も撮り飽きましたし、めぼしいトピックスもなし、歩いている人もいない。濡れるし暗いし写真が撮りにくいというマイナス材料ばかり。

 暢気に昼寝する野良猫を見つけて被写体確保!「助かったぁ」 木槿の花も助かるなぁ。

 いつもはかなりたくさんの写真を撮って、その中から20〜30枚の写真を選び、さらに10枚ほどを実際に使いますが、今日は撮った写真も少なく、選び出した写真も渋々13枚。その中から10枚を使いました。こんないヒット率の高いことはまずありません。
 諦めた日は早く仕上がる。「今日の散歩道」の法則です。7時半頃にはほぼ仕上がりました。

 お盆に向けての準備にも気が急きますが、蕎麦を食べて冷酒を飲んだら何もする気がなくなってしまいました。お風呂に入って「極楽、極楽」。そのまま早寝してしまいました。

〜 咲き残った紫陽花 〜
2007年7月13日(金)  No.1461

雨の間隙をぬって
 強い雨が降ったり止んだり。ネットの天気予報サイとの雨雲レーダー画面を見計らって檀家宅へバイクでひとっ走り。そのお宅には車を置く場所も、近くにコインパーキングもなし。辺りは駐車違反の取り締まりが厳しい区域。バイクで行くより仕方ありません。

 いつ激しく降り出してもおかしくないような空模様の中、無事にバイクで行き、落ち着いてお経を読んで、また無事に帰ってきました。濡れなかったことは奇跡に近い。
 市内の最北部は記録的な豪雨に見舞われ、崖崩れなども起きていました。レーダ画面で真っ赤に表示されていた地域でしょう。

 帰ってからはお盆用の寺報を作りながら、少し晴れたら外へ出て気晴らし。外へ出た途端に、またザァーッと雨が降り、渋々戻ってデスクワーク。

 さくらはパソコンラックの最上部に置かれた書類ケースに無理矢理入って、パソコンを打つボクを監視しながらうたた寝していました。

〜 横に広い場所を作ったのに入らないさくら。牛乳パックは貯金箱 〜
2007年7月12日(木)  No.1460

年金個人情報提供サービス
 1ヶ月程前に申し込んだ社会保険庁の「年金個人情報提供サービス」へログインするIDとパスワードがやっと届きました。

 早速、ログイン! どれどれ、どうなってるかな?

 ボクは、最初は国民年金、その後3年ほど勤めた間が厚生年金、そしてまた国民年金。その切り替え時点で納付漏れがないか気になっていましたが、それは問題なし。

 ところが、国民年金の「加入月数」と「納付月数」が一致しません。つまり、加入しているのに納付していない月があるということ。さらに調べてみると、大学4回生の時の1年間が未納だということがわかりました。

 いろいろ考えてみると、当時は大学を卒業した後に年金の加入義務が発生したはず。ボクは1年間浪人して大学に入ったので、順当に入った人よりも卒業が1年遅れています。ボク自身は大学に在学中でも、社保庁は納付義務があったのに納めていないと判断しているということなのでしょう。

 そんなこといまさら言われてもなぁ・・・。確か、小泉元首相も同じ理由で未納になっていたのではなかったでしょうか。小沢一郎氏も?

 年金がもらえる見込額を試算してみると、「62〜64歳 年間2万円、65歳以降 年間75万円、80歳までの年金額の合計 1206万円」と出ました。65歳以上でも、月に6万円程度しかもらえないなんて・・・。

 もし坊さんを辞めたら、生活していけません。えらいこちゃなぁ。老後は、日に1人2人しか来ないような山小屋の主人になって、細々と暮らす計画だったのになぁ・・・。それほど当てにはしていませんでしたが、ちょっとショックな数字でした。

 死ぬまで坊さんやるっきゃないか・・・追い出されたらどうしよう・・・。

〜 これだけ納めているの・・・ 〜
2007年7月11日(水)  No.1459

お盆の水塔婆
 農水相の嘘の上に嘘を重ねたような釈明会見、「最後は顔や態度? ボクはパスするだろうか?」と曖昧な年金第三者委員会の示した年金審査基準。保身に終始する頼りない首相。「美しい国、日本。」は遙かに遠く、梅雨空のように鬱陶しい限り。

 朝からずっと雨だったので、外回りの後はひたすらお盆の経木塔婆書き。夜になって、ボクの担った分は完成! 今年はあまり根を詰めず、適当に植木屋をしたりしながらやったので、肩凝りすることもなく、楽チンに仕上がりました。

 住職は自分の担当分をまだ書いていますが、手伝わなくてもいいかな・・・いいや。

 さて、次は檀家の方々に送るお盆の案内と寺報作り。記事のアイデアがな〜んにもありません。困ったなぁ。明日からネジを巻いてやろうっと。

〜 親子で繋がって寝るクロ&クロJr 〜
2007年7月10日(火)  No.1458

彫刻のようなモクゲンジ?
 自坊の前庭にモクゲンジ(栴檀葉の菩提樹)の木があり、もう盛りは過ぎたものの、黄色い花をいっぱい咲かせ、散らしています。

 実は、その10メートルほど横に、もう1本、モクゲンジの木があります。今朝、何気なくその木を見上げると、4メートルほどのその天辺に1房の花が咲いているではありませんか! この木に花が咲くのは初めて。

 この木は、ちょうど10年前の7月初旬、EU主催の「ジャパン・フェスタ」の声明公演に参加した時、ギリシヤのテッサロニキという町で拾った種から育てたものです。

 テッサロニキはギリシヤ第二の街。ビザンティン(東ローマ)帝国時代の教会や城壁が多数残されている、中世ビザンティン時代のギリシャを象徴する街です。
 ボクたちはその遺跡の一つの野外劇場で声明公演を行いました。オフの時間は、古いギリシヤ正教の教会へお参りしたり、市場やスーパー、デパートなどをうろうろし、街角の屋外レストランでパスタを食べワインを飲んだりしました。

 その街角の街路樹の種を、「うちにある木と同じだ」と拾って帰り、発芽させて育てたのがこの木。その木に初めて花が咲いたのです。

 発芽して大きくなるにつれて、「やっぱりモクゲンジに違いない」と疑いませんでしたが、今日咲いた花を見ると、木の天辺に咲いているので細かい部分まではわかりませんが、やっぱりモクゲンジ。「ギリシヤだから、日本とは違った色の花が咲かないかなぁ」と内心期待していたのですが、同じ黄色でした。

 でも、待ちに待った開花に感慨もひとしおです。嬉しいなぁ。

 実はこの前庭には、もう1本、ヨーロッパ伝来の木があります。2本のモクゲンジを結ぶちょうど中間に、ドイツ菩提樹があるのです。

 このドイツ菩提樹・リンデンバウムの木は、日本の高分子化学の先駆者で、合成繊維ビニロンの発明者 桜田一郎(1904-1986)博士が、留学先のドイツ・カイザーヴィルヘルム化学研究所の菩提樹の種を持ち帰られ、京大の農学部で発芽させてもらってご自宅に植えられたもの。博士ご逝去の後、ご自宅の改築に伴って、菩提寺である吉祥院に寄贈、移植されました。

 樹齢50年ほどでしょうか、移植してからでも10年以上経つかと思いますが、残念ながらいまだに1度も花が咲いたことがありません。この木に花が咲くのも、大いに待ちこがれているのですが・・・。

 吉祥院の前庭は、ギリシヤ産やドイツ産など、ヨーロッパ付いています。この際、ヨーロッパ風庭園にしようかな! ・・・怒られそう。

〜 木の天辺に咲いたギリシヤ産モクゲンジの花
/モクゲンジの葉 左・千葉産、右・ギリシヤ産〜
2007年7月9日(月)  No.1457

紫陽花の剪定を始める
 親しかった檀家のおじいさんの1周忌。「もうそんなに経つのかなぁ」と思う気持ちと、「まだ、1年しか経っていないのかなぁ」という気持ちが混ざります。

 突然の、あまりにも受け入れがたい死だったので、ご遺族は「やっと1年経った」というお気持ちではないかと思います。気持ちが癒えるのには、まだまだ時間がかかるでしょう。

 故人について語ることの少ない、重たい雰囲気の法事でした。


 睡蓮が1輪だけ咲きました。数年前に勧修寺に行った時、株分け後の睡蓮が‘お持ち帰り用’に置いてあったのをもらって帰り、自坊の昔の五右衛門風呂を利用した雨水桶で栽培しているものです。
 蓮には及びませんが清浄さに満ち、朝から見られるのは嬉しい限りです。

 紫陽花の剪定作業を始めました。花はまだ見らるのですが、来年の花付きをよくするための早い目の剪定作業です。

 よく、「紫陽花が咲かない」とおっしゃる方がおられますが、ほとんどは剪定時期が遅すぎるのが原因。剪定は7月いっぱい。それ以後に剪定をすると花芽が出来なかったり、折角できた花芽を切り落としてしまうことになります。

 色褪せてはいますがまだ綺麗な花を切り落とすのには、ちょっと勇気が要ります。「もったいなぁ」と思いながら、思い切って作業をしました。

〜 風呂桶に咲いた白蓮 〜
2007年7月8日(日)  No.1456

「借景を守る」
 今日は「メダカの学校」。最近、来て下さる方が多く、「満員御礼」状態。有り難いことです。

 今日の講師は、洛北・円通寺さん。タイトルは「借景を守る」。

 円通寺さんとはバカボンの会で親しくお付き合いさせていただいていて、師が借景を守るのにどれだけ大変な思いをされているか、ある程度知っているつもりでしたが、今日お話をお聞きして、「あー、そうだったのか」と思うことがたくさんありました。

 円通寺は、つい最近までカメラ撮影を禁じ、カメラは受付ですべて預けなければいけませんでした。愛想がない、偏屈なお寺だという人もありました。
 カメラを禁止したりしたのは、拝観者が増やさないようにと、先代が始められたこと。人が増えると道路拡幅などの話が起こり、道路が通ると家が建って借景が壊される。それを避けるために、あまり人には来ていただきたくない、カメラを禁じたということでした。

 霊園を作られたのも、借景内に建物が建たないように雑木林を買い上げ、そこに資金調達を兼ねて霊園を分譲されたのだとか。

 そして、近年、地元の区画整理組合によって借景内の区画整理が決まり、新しい道路が通ることが決まってから、師の苦悩と粉骨砕身はいっそう激しくなります。国などに働きかけて京都市を動かし、借景内の竹藪が道路によって寸断されるのを守ったり、20メートル高の建物規制を10メートルに縮小させたり。

 今春、ようやく行政が「京都市眺望景観創生条例」の制定などに動き、円通寺の借景が公に保護される方向で動き出しました。

 師は体を壊してまでも借景庭園の保護に動かれていました。また、師と副住職の実弟の二人で、重機を動かしたり、植木の手入れをしたりと、すべて自分たちで維持されてきた長年の努力は計り知れないものでした。

 今日、抑制の聞いたお話を聞かせていただいて、そのご苦労を理解してくださった方がわずかでも増えたことは、大変よかったと思います。今日お聞きになった方から口コミ、草の根で、景観や借景を守ることの困難さ、大切さが広がっていくことを願います。


 「メダカの学校」の真っ最中、塔頭に空き巣が入りました。今年になってから被害に遭うのは2ヵ寺目。車上荒らしも3台。真如堂は狙われているようです。


 紫陽花の挿し穂を静岡からクール便で送ってくださいました。神戸からは根付きの苗を持ってきてくださいました。一昨日は東京からご持参、水曜日には徳島から郵送してくださいました。

 お陰で、20種類近く紫陽花が増え、挿し芽をしたのは全部で250本ほど。ズラッと挿し穂が並んでいます。

 2ヶ月ほどすると、しっかりと発根した挿し芽苗をポットに移植をしなければなりません。大変ですが、嬉しい限りです。

〜 借景の写真をバックにお話しされる円通寺さん 〜
2007年7月7日(土)  No.1455

蓮の現実的効用
 黒谷の蓮の花を見るのが、朝の散歩の楽しみになってきました。

 「面倒くさいからさぼろうかなぁ」「今日は途中で引き返そうかなぁ」と躊躇しても、「蓮が見たいから、やっぱり行こう」と思い直すと、自然と足が向く気がします。

 まだ蓮は走り。それほど多くの蓮が黒谷に咲いているわけではありませんが、朝、あの清浄な花を見ると、1日が爽やかにスタートできる気がします。

 泥の中から美しい花を咲かせる蓮は、仏教の象徴的な花です。汚辱にまみれた現世。泥があるからこそ蓮の花も咲くわけで、煩悩の中にあってこそ悟りを求める気持ちも湧いてくるというもの。

 まぁ、そんなことを朝から考えているわけではなく、清らかな花を見て気持ちもスーッとさせ、1日過ごす中で嫌なことや腹が立つことでもあれば、朝見た清らかな蓮を思い出して心を静める。そんな効用は大いにあります。ですから、蓮が咲く時期のボクは柔和な顔をしています・・・なーんちゃって。


 今日は「今日の散歩道」の更新日。「‘無’から‘有’を作り出すというのはこういうことやなぁ」と七転八倒しつつ、案外早い目に出来ました。

〜 黒谷の「極楽橋」と蓮 〜
2007年7月6日(金)  No.1454

返り花
 昨日、通夜をお勤めした故人の弔問に、クラブの後輩などが朝から三々五々お越しになりました。

 午後2時から葬儀のところ、1時半を過ぎてから葬祭業者の担当者が「少し早い目に始めていただけませんか?」と打診に来ました。ご家族と近親者だけのつもりが参列者も多く、お別れにも時間がかかる。斎場には4時までに着かなければならないのでというのがその理由でした。

 すぐに最終準備をして、45分から始式。参列者の多くは、礼服を着た体格のいい人たちや白いカッターシャツにベージュのズボンの制服を着た人。前者ははかつてのチームメートなど、後者は後輩たちと、限られた人が参列されているだけに、その関係がある程度読めました。

 お別れの時間が長く取れるよう、早い目に閉式。寄せ書きがされたユニフォーム、インスタントラーメンなどが納棺され、花で満たされた棺の蓋が、「よしこい」というかけ声の後、閉じられました。「よしこい」は大学のアメフト部時代の掛け声で、故人のブログのタイトルにも使われていました。

 昨日、彼のご遺体はご家族によってグラウンドに最後の別れをされ、その後うちにお越しになったことを、閉式後に見たネットの新聞記事で知りました。

 5時半頃、故人は遺骨となって戻ってこられ、回向の後、8時半頃まで、故人を偲ぶご家族や近親者など30人ほどにに囲まれておられたそうです。


 夜は超宗派の僧侶の会「バカボン」の会員総会。気の置けない仲間との久しぶりの歓談は、とても楽しいものでした。



     返 り 花 暮 る ゝ ほ か な し 汝 が 名 呼 ぶ      川口重美


〜 山吹のかえり花 〜
2007年7月5日(木)  No.1453

急な通夜
 時おり強い雨が降る日でした。

 四国の方から紫陽花の挿し穂が届いたので、早速、苗床に挿しました。紫陽花2種類GET! 紫陽花には嬉しい雨でした。


 昼下がり、知り合いのお寺からのご依頼で、急遽、自坊で葬儀をすることになりました。雨の激しい夕方、ご家族と一緒にご遺体が来られました。

 家族とごく近親者だけのお通夜ということなので、住職は「私一人で拝ませていただく」と言っていたのが、急に気が変わったのか、「出仕してんか」と言われて大わらわ。夕食を済ませたばかりで少しだらけていました。

 故人もご家族も、みな初めて逢う人ばかり。詳しい事情は聞いていませんでしたが、皆さんの様子から、亡くなることを覚悟されていたことがうかがえました。

 ご家族に代わって葬儀の手配をされている方によると、故人はアメフトの選手で、大学在学中の96年、アメフトの日本選手権・ライスボウルを制覇されたのだとか。去年の6月に癌の告知と余命を宣告され、今日に至ったのだそうです。34歳。

 着の身着たままの20名ほどが参列される中で通夜の読経をしました。いかにもアメフトの選手らしい人たちなどが、その後、パラパラとお参りになりました。

 通夜を終えてから、故人の名前とアメフトをキーワードにネット検索をしたら、故人本人のブログにたどり着き、驚きました。「癌になって余命宣告を受けたこと」を契機に、去年の8月にブログを始められたのです。

 ブログの中で、ボクは初めて生前の彼の姿を見ました。さっき、拝んでいる目前に横たわっておられた彼が、ブログの中では笑い、生き生きと過ごし、今日参列しておられた方たちと過ごしておられました。何というギャップ、死は何と残酷なのでしょう。

 その中には、去年の12月、ご自身の両親と奥さんのご両親共々6人で京都巡りをされた記事があり、TVの『愛の流刑地』のロケが行われた9日には真如堂を訪れておられていました。

 「そういえば、通夜の前に女性が携帯で『去年家族みんなで来たことがあるの』と話しておられたなぁ。あの女性は奥さんだったのか」と、ブログの記事や写真を見つつ、今日お会いした人たちとの続柄などを理解することができました。

 「真如堂(洛東)/ドラマ?の撮影シーンに出くわした。旅の締め括りに相応しい見事な紅葉だった。」「今年は紅葉を目一杯楽しんだ。『人間、明日死ぬと思たら、木の葉の色も違って見えるんや』という監督の言葉を思い出し、そして、うなづきながら・・・」と、彼はその旅の記事を締めくくっておられました。

 まさか自分の葬儀がその真如堂で行われるなどと、彼は想像だにされていなかったでしょう。

 やがて終えざるを得ない自らの命を前提としながら、「生」と「闘病」の軌跡として、彼はブログを書いておられました。「やっぱり夢じゃないんや」と、命終を実感することを迫られる日々だったようです。
 今年の5月初旬からは奥さんが代筆され、月末で止まっていました。

 ブログの主は、いま、仏間で静かに眠っておられます。実に奇妙な感覚です。彼の生きざまにほんの少しにでも触れることができ、明日はそんな彼とご遺族を思って、読経させていただくことができます。

 はちすうてなから、奥さんやご家族、仲間や後輩たちを見守ってあげてください。

〜 黒谷・紫雲石の蓮 〜
2007年7月4日(水)  No.1452

インド菩提樹の苗
 「天竺菩提樹を育てる会」から、申し込んでいたインド菩提樹の苗が届きました。今年は気候の影響で挿し木苗の生育が芳しくなく、例年ならば5月末に発送されるのが今日になったようです。

 実は、去年もこの苗を送ってもらって少し大きく育ったのですが、暖冬に油断して養生を怠った結果、インドに行っている間に霜にやられて枯れてしまいました。

 いただいた苗は、スリランカの聖都、世界遺産にも認定されているアヌラーダプラにある‘母なる菩提樹’、スリー・マハー菩提樹の子孫。
 スリー・マハー菩提樹は、釈尊が悟りを開かれたブッダガヤの菩提樹の分け木を、紀元前3世紀にインドの王女サンガミッタが植樹されたもので、樹齢2300年。その木の種子を日本に持ち帰って発芽させ、10数年間育てた木の新芽を挿し木したものが、今日いただいた苗だというのです。

 ということは、この苗は釈尊が悟りを開かれたブダガヤの菩提樹の正真正銘の子孫! すごいDNA! 今度は枯らせることなく立派に育てないとと、プレッシャーがかかります。

 インド菩提樹は暑い国の植物。霜に見舞われると枯死するので、京都では露地で育てることはできす、冬の間は屋内で保護してやらなければなりません。
 ボクは植物が好きでいろいろなものを育てますが、冬に室内に入れなければいけないようなものは今まで育てたことはありません。今回、そんな面倒な木をまた育てる木になったのは、やはりその由来からして他の木を育てるのとは意義が違う気がするからです。

 真如堂の本堂の前にある菩提樹。堂々とした木で、6月に咲く花は地味ながら壮観であり、秋に熟す実を人々は我先に拾います。でも、「菩提樹」と名付けられているだけで、インドの菩提樹とは「科」すら違う木です。つまり、「菩提樹」という名付けられた縁もゆかりもない木なのです。そう思うと、そこに神聖さを感じることはあまりありません。
 いただいた菩提樹は、釈尊の昔にまでイメージを膨らませて、‘聖樹’として礼拝の対象としてもいいような気さえしてきます。

 「どうしよう。大きくなったら、冬の間に家に入れることができないなぁ」というのは取り越し苦労。まずは大きく立派に育てたいと思います。自分の僧侶としての成長と重ね合わせながら・・・いや、重ねたらあかん。菩提樹がうまく育たなかったら僧侶としてもダメだということになってしまうもの。

 育つかなぁ・・・育てなきゃ。

〜 15センチほどのインド菩提樹の苗 〜

2007年7月3日(火)  No.1451

『天使にラブソングを』で快眠
 いつの頃からでしょうか、毎年、今頃になると、体の数カ所に大きい湿疹がポツリ、ポツリとでき、2〜3週間ほどで治っていきます。

 最初は、高温多湿な季節に乗じて何か虫でも湧いたのかと思い、バルサンを焚きましたが、効きません。1回でダメならもう1回と焚いているうちに、湿疹は治っていきます。

 湿疹は刺し跡などもなく、接触性皮膚炎のよう。刈り込みが忙しくなる時期なので、何かにかぶれたのかとも思いましたが、湿疹ができるのはお腹や背中が主で、肌が露出している部分ではありません。

 ‘これは、季節の変わり目に順応し切れていない体が出す一つのサインなのかな? アトピー?’と、最近思うようになりました。特に体調が悪いわけでもないのですが、何となく体がだるい気もします。じっとしていられない性格も災いしています。


 夜、『天使にラブソングを』を見ました。見るのは何度目でしょう?

 自室のテレビは付いているだけ、すぐに消すことが多いのですが、この映画は音を大きくして、‘かかりっきり’で見ました。

 展開も早くて難しいストーリーもなく、元気のなさ、さみしさ、辛さなども吹っ飛ばしてくれる、文句なしハッピーな映画です。
 宗教と音楽、コミュニティーなどについても、小難しい語り口抜きで示唆を与えてくれます。

 シュープリームスの懐かしい曲も、ゴスペルも素晴らしい!

 見終わって、「あー、楽しかった」と思ったら、最近の夜の日課、お盆の経木塔婆書きをする気が失せてしまいました。

 「このままの楽しい気分で寝ようっと!」と、早々に床に就きました。

〜 子猫(大きくなっていますが)と一緒に来るようになったクロ 〜
2007年7月2日(月)  No.1450

天花粉
 今日も檀務にあぶれ、月参りも法事もありません。

 またもや、「1日庭師をするぞ!」と、例によって腰に剪定鋏と鋸、蚊取り線香をぶら下げ、まずは定植した紫陽花の支柱を立てる作業をしました。

 支柱がない時は頼りなげに見えましたが、ピラミッド型に支柱をしてやると、本当の庭師が手入れをしたように立派に見えます。満足!

 終わって、今度は挿し芽作業。途中、ホームセンターに用土を買いに行って、また再開。先日来、200の挿し芽をしました。作業が終わる夕方にはちょうどいい雨。

 今日は庭師としての達成感のある1日でした。坊さんとしては・・・。

 首筋が汗でヒリヒリします。シャワーをした後、天花粉を探し出して、パタパタと付けました。

 この匂い、懐かしいなぁ〜。幼い日の記憶の中に残っている匂いです。

 目をつぶって思いっきり力を入れてシワを寄せた顔に天花粉をパタパタし、力を抜いて目を開けたら、隈取りのようになって面白かったことを思い出します。

 オッサンに天花粉は似合わないですが、風呂上がり用に新しいのを買っておこうかなぁ。

〜 満開の‘Golden rain tree(モクゲンジ)’ 〜
2007年7月1日(日)  No.1449

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