[一覧] [最新]

2007年6月の日記

夏越の祓
 朝から意外なほどの晴天。

 土曜日なのに、珍しく檀家宅へのお参りも法事もありません。「今日は1日庭師をするぞ!」 腰に剪定鋏と鋸、蚊取り線香をぶら下げて、剪定作業と紫陽花の定植作業をしました。

 剪定作業も達成感がありますが、新たに‘植える’というのは、本当に楽しい作業だなぁと改めて実感しました。

 「来年までにどれだけ大きくなるだろう?」「花は咲くだろうか?」「一斉に咲いたら、さぞかし見事だろうなぁ」などと、定植作業をしながら、いろいろな想像が膨らみます。
 また花泥棒に遭うことも考えないわけでもないですが、「盗られたらまた植えてやる!」と太っ腹です。

 3時頃までに紫陽花20数株を定植。苗置き場が少し空いてきました。花の終わった紫陽花を剪定して確保した新芽を、間髪入れず挿し芽もしました。来年に向けての準備です。

 シャワーを浴びて、登山用品ショップのバーゲンへひとっ走り。店は中高年であふれていました。バーゲンとあらば、どこでも女性はすごい!
 ストレッチパンツとドライTシャツ、ソックスを買って、一目散に店を出ました。

 今日は「夏越の祓」の日。半年間の‘穢れ’を払うというより、反省を込めて、茅の輪くぐりをして帰ろうと神社をハシゴ。2社目で茅の輪を発見して、「8」の字を描くように3度茅の輪を潜りました。
 本来ならば、名前や年齢を書き息を吹きかけて穢れを移した紙の「人形」を神社に納めるのですが、そこまで神道のしきたりに随うのには抵抗があったので、やめておきました。でも、これをやらないと意味がないのかも・・・。

 帰り道の菓子屋の店頭に「みな月」の張り紙。「そうや、『水無月』買うて帰らな!」と店に飛び込みましたが、「白」しかないというので、2切だけ求めました。抹茶や黒糖のも欲しかったのに・・・。ひょっとしたら美味しくないかも・・・。
 帰って仏さまにお供えすること10秒。すぐに下げていただきましたが、やはり悔いの残る‘イマイチ’の水無月でした。

 今年も半年が終わります。あっという間の半年でした。

〜 茅の輪 〜
2007年6月30日(土)  No.1448

野良猫の子
 6時前、「今日の散歩道」の更新が完了。近年稀に見る早さ。どうしてこんなに早いのか、自分でもわかりません。「いまの季節はこんなものかなぁ」という諦めの気持ちがあるからかも知れません。

 更新用の写真を撮っていた時、境内のお堂の横のほうから、猫のか弱く鳴く声が聞こえてきました。声の方向を見ると、野良のシロクロ猫が、屋根を修理した瓦屋さんが放ったままにしていったビニール袋の上で寝ていました。でも、声の主はシロクロ猫ではありません。目を凝らしてみると、シロクロ猫の黒い模様に同化した、真っ黒い子猫が小さく赤い口を開けて鳴いているのでした。

 少し近づくと、子猫はサッと隠れようとします。もう目も充分に見え、自分で自由に動き回れるほど大きくなっていました。
 1匹しか生まれなかったということはないでしょう。数匹生まれて、あとの子猫はカラスやひょっとしたらイタチなどに襲われたのかも知れません。

 職員に聞いたら、職員も今日初めて見たのだとか。別の場所で産んで育て、今日、この場所に移ってきたのかも知れません。それにしても、ちょっと目立ちすぎます。

 しばらくすると、親のシロクロ猫は子猫を放ったまま本堂の前で寝そべり始め、子猫を気遣う様子はまったく見せません。いま、カラスなどに見つけられたら、ひとたまりもないでしょう。

 捕まえようにも逃げるでしょうし、捕まえたところで育てるわけにもいきません。「どうしようもないですねぇ」と職員と話をして、その場を後にしました。

 10数年ほど前まで、境内には7〜8匹の野良犬が徘徊していました。隠れて餌をやる人もいて、子が生まれ、またその子が育っていきました。ボクが子供の頃に飼っていた犬は、皆、捨て犬や野良犬の子でした。

 自坊の縁の下で子を産み、育ててくれる人を探すのに新聞に広告を出したことも、何度かありました。夜に帰ると、本堂のほうから野良犬の群れがワンワン吠えながら走ってきたり、とても恐い思いをしたこともありました。

 放っておけないと、野良犬を捕獲するゲージを保健所から借りて仕掛けても、‘愛犬家’に破壊されること数回。捕獲は諦めました。

 その野良犬の数が、数年の間に一気に減りました。血が濃くなりすぎたのか、病気が流行ったのか・・・。カラスの群れが墓地などで大騒ぎをしていると思ったら、野良犬が弱って動けなくなっていたりしました。

 そして、今では1匹の野良犬もいなくなりました。

 犬が恐いという人はいますが、猫は、嫌いという人はいても恐いとおっしゃる方はおられません。そういう意味ではあまり実害はないのですが・・・。

 いま、境内付近に住まう野良猫は4〜5匹。これがちょうどお互いに生き延びられる数なのか、もっと増えていくのか、複雑な気持ちで見守っています。

〜 野良猫の親子 〜
2007年6月29日(金)  No.1447

歩きたい!
 先日来、何故か無性に歩きたくなっていたので、今日、比良山系の武奈ヶ岳に行きました。

 比良山系は滋賀県の西部、京都府との県境近くに南北25キロにわたって1000メートル級の山が連なっているものです。その最高峰が武奈ガ岳。といっても、標高1214メートル。信州にあったら目もくれてもらえないような高さですが、高山の少ない関西では人気のある山で、ボクにとっても、自坊から1時間ほどあれば行けていろいろなコースが楽しめ、頂上からの眺望の良さ、ちょっぴり高い山の気分を楽しめるなど、大好きな山の筆頭格です。

 三千院の近くのコンビニでお弁当を買って、福井・小浜に抜ける「鯖街道」を北へ。6時半過ぎ、比叡山の支院明王院のある「坊村」から「御殿山コース」を登り始めました。
 まとわりつくような湿気の中、このコースのいきなりの急登はちょっとしんどい。おまけに、慣れた靴と靴下なのに、両足のかかとに靴擦れができてしまいました。

 稜線に出たあたりから、変な鳴き声が聞こえてきました。どうも虫のよう。蝉にしては声が大きく、濁った声。声はだんだん大きくなり、道の両側に迫ってくるように感じました。ボクが進むと近くの声は止み、また背後で大きくなっていくような感じです。ほぼ蝉に間違いはないと確信を持ったものの、正体を確かめようとしても姿が見えません。
 そのうち、木の幹に小さな蝉殻を見つけました。ニイニイ蝉よりも大きく、ツクツクボウシよりもずんぐりしていました。そしてついに、正体見たり! やはり蝉でした。羽根は透明で、胴体は茶色。見たことのない蝉でした。

 ヤマボウシが満開。コアジサイやサツキの花も咲いていて、飽きることはありませんでした。

 御殿山から見た武奈ヶ岳はうっすら霞んでいました。木の生えていない、ずんぐり丸い武奈ヶ岳の頂上には、いつの季節も魅了されます。

 「これでは白山は見えないなぁ・・・」 武奈ヶ岳の頂上から遠望する白山も楽しみの一つなのですが、頂上にたどり着くまでにその楽しみは奪われてしまいました。

 9時過ぎ、頂上着。「頂上に行けば誰かいるだろう」と思っていましたが、一人の人影も見えません。出発してから頂上に着くまで、誰とも会っていません。3年前に比良登山リフト・ロープウェイやロッジ・キャンプ場・スキー場の営業をやめてから、武奈ヶ岳を訪れる人も一気に減りました。静かになって有り難い反面、こんなすばらしい光景を見る人が減ってしまったのは残念です。

 コンビニで買ったお弁当を食べました。小さい蝿がうるさい! 頂上まで来た者だけが味わえる‘ご褒美’の景色はナシ。話す相手もいない、見るべき景色もないということで、5分で食べ終わりました。

 水を500mlしか持ってこなかったのを、登っている途中から悔やみました。後のことを考えると少し残しておかなければならず、思いっきり飲めません。体の水分がかなり汗で出てしまいました。でも、尿意はありますから、脱水の心配はありません。

 靴と靴下を脱いでかかとを見たら、両足とも2センチ大の水泡ができていました。「なんでやろ」 絆創膏を張って応急処置。これからは下りが多いので、靴紐を強めに締めました。

 来た道を帰ろうか、ちょっと大回りして帰ろうか思案しましたが、せっかくなので、来た道と違う、コヤマノ岳〜小川新道〜牛コバ〜坊村というコースを辿ることにしました。 いつもは御殿山コースのピストン登山が多く、小川新道を通るのは数年ぶり。小川新道は通る人も少なくなったため、踏み跡を見失うこと数回。美しいブナの林を抜け、ガレの多い谷道では、濡れて苔むした石に足を取られて何度か尻餅をつきました。
 「ここで足でも痛めて動けなくなったら、誰にも見つけてもらえないかも知れないなぁ」と思い、慎重に。北山で見た伏条台杉に似た木を何本か見ながら、奥の深谷へ。川を渡らなければいけませんが、増水していて簡単にはルートが見いだせませんでした。

 あとは山の中腹を進む長い道。退屈でした。ひたすら歩くしかなく、「来た道を帰ればよかった」と悔やみました。急な下りもあって、結構足に来ました。谷水が至るところに流れていたので、水を我慢することからは解放されました。

 ようやく、「牛コバ」着。「コバ」とは、木こりたちの木材置場(木場)、休憩場・水飲み場ということだそうです。ここからはひたすら林道を歩きました。山登りをしていて何がつまらないかと言えば、林道を歩くことではないでしょうか。砂利道、舗装道の林道を約50分歩き、12時過ぎ、車を駐めた坊村に戻りました。

 結局、全行程で会った人は、坊村にたどり着く直前、チェーンソーで倒木を薪用に切っていた老人ひとりだけでした。

 さぁ、あとのお楽しみは温泉! 15分ほど車を走らせて朽木の温泉へ。脱衣所に入った途端、カルキの匂いに鼻を突かれて失望しましたが、いつものこと。足を充分マッサージしてほぐしました。これをするかしないかで、翌日の筋肉痛は随分違ってきます。

 5分ほど戻って、蕎麦屋へ。いつも行っていた蕎麦屋の横に2年ほど前にできた新しい店に初めて寄りました。
 朽木は国道が拡幅され、オートキャンプ場などの整備も進んで、新しい店がどんどんできています。かと思うと、開店休業状態だったり、つぶれたお店も目に付きます。まだコンスタントに人が来るところまではいかないのでしょう。
 蕎麦屋ののぼりに「おろしそば」と書いてあったので、オススメなのだろうと思い注文。汁は美味しかったですが、麺はイマイチ。行きつけの店もさほど美味しいわけではなく、本当に気に入る蕎麦屋に巡り会うことの難しさを感じます。

 1時間かけて帰宅。いくら水分を摂っても、なかなか‘体の渇き’が収まりませんでした。

〜 武奈ヶ岳頂上(右端) 〜

2007年6月28日(木)  No.1446

露骨な作為
 午後、昨日行きそびれた日本写真家協会展(JPS展)へ、バイクでひとっ走り。

 会員の職業写真家の写真と一般公募の結果選ばれた写真などが、京都市立美術館の一室にズラリと展示してありました。

 一般公募の写真は、いかにも‘写真になる’ような被写体・瞬間をとらえたものが多く、正直なところ、あまりにも‘クサイ’気がして、ゆっくり見たいとは思いませんでした。「もうわかったから、そこまで言わなくてもいいよ」と、写真を撮っている人の‘コテコテ’の作意に疲れてしまう気がしたのです。
 いかに作意に溢れる絵画でも、それはまた‘コテコテ’とは質が違う気がします。

 会員の職業写真家の作品にも‘コテコテ’感のある作品はたくさんありましたが、スッと入ってくるものは一般公募よりも多くありました。

 以前、この展覧会に併せて、写真好きな素人さんたちの作品が別室に展示してあることがありました。彼らの作品の多くはたとえば対象の美しさなどを表現することに力が注がれていて、‘コテコテ’の作意に閉口することはあまりなかったような気がします。

 「この違いは何なのだろう」と考えていると、ふと、「写真かぶれ」という言葉が浮かんできました。写真好きな素人さんは「写真かぶれ」以前。一般公募に出す人は「写真かぶれ」真っ最中。職業写真家は「写真かぶれ」を突き抜けている。そんな感じかなと考えました。

 そんなふうに感じるのは、ボクの‘趣味’や‘感性’の問題。ボクの見方がひねくれているのかも知れません。事実、一般公募を審査した写真家の大先生たちは、これがいいと思って選ばれたのですから。

 「‘コテコテ’は疲れるなぁ・・・」と感じて、会場を後にしました。残念。。。


 帰ってからは、紫陽花の移植作業。去年挿し芽をした苗10株ほどを地に降ろしました。

 通りがかった職員が支柱を立てるのを手伝ってくれましたが、あまり支えにならないような立て方・・・・せっかく手伝ってくれているのだから、まぁ、いいかぁ。

〜 JPS展 〜
2007年6月27日(水)  No.1445

豆を作る
 朝、バイクでお参りに出かけようと門を出てアクセルをふかしたら、いつもホームページに来てくださる女性の顔が飛び込んできました。ビックリしてブレーキを掛けたら、石畳が濡れていて滑り、危うく転けるところでした。

 彼女は、市立美術館の日本写真家協会展と文化博物館のティアラ展の梯子をする前に、菩提樹を見に来てくださったのでした。

 少し立ち話をして、申し訳なくもそのままお参りへ。せっかく来てくださったのに・・・約束の時間が迫っていたので、ゴメンナサイ。

 日本写真家協会展(JPS展)は今日から。午後から行こうと思っていたら、電気屋さんがエアコンを見に来てくださるとのこと。エアコンの冷房が動作しなくなったので点検をお願いしていたのでした。今の機械と同程度のものと交換したら約50万! そんなアホな。4〜5万のエアコンと交換してもらうように依頼しました。

 ボクの住んでいる建物は築14年。エアコンなどもそろそろ壊れ出す頃だとか。客間用のエアコンが壊れたら、いったいいくらかかるのでしょう。考えたくない・・・。

 何となく写真展に行く気がなくなり、あとはひたすら植木屋三昧。高枝切りでの背の高い垣根の剪定作業。手に豆ができました。鐘楼横の紫陽花が植わっている場所の杉や桧の枝の伐採作業。二連梯子を使った高所作業で、これはちょっと恐かった。リクエストの多い「七段花」の挿し木。来年、差し上げる時が楽しみ。

 ちょっと植木屋を頑張りすぎて、筆持つ手が震えるぅ〜。

〜 挿し芽作業を覗き込んでいたクロ 〜
2007年6月26日(火)  No.1444

偽装ばやり
 毎日、テレビや新聞は年金のことばかり。次々と明らかになる社保庁のデタラメなやり方。それがいままで罷り通ってきたのですから、唖然とします。それが社保庁の常識だったのでしょうか。国がやることだから安心? 国がやることは危険?

 苫小牧のひき肉偽装事件。加工メーカーが偽物の肉を納品されてわからずに使っていたというのにも驚きます。ひょっとしたら業界では広く行われていることのなだろうかと疑ってしまいます。食品の成分表示なんて信じられない、何を信じたらいいのかわからなくなってきます。

 今日、給料をもらう人がその明細を見て驚かれたであろう住民税の値上げ。ボクの場合は給料から天引きではないので、すでに今月初め、行政から納付書が直接送られて来ていました。その額、去年の1.8倍。
 「税源移譲」のためといい、所得税との合算額は去年と変わらないという説明ですが、特別減税がなくなった分、税金は増えているはずです。「どうしてなんだ」というやるせない思いを持っている人も多いでしょう。

 いずれの問題も自分に関わることですが、自分ではいかんともし難いことばかり。いきなりの驟雨に襲われたようなもの。傘はないし、傘を差しても濡れるでしょう。せいぜい軒先を借りて雨宿りをすることぐらい。

 ボクは毎日コツコツやるのみ。願わくば、正邪を判別する目に磨きを掛けつつ。

〜 黒谷・紫雲石の蓮もフライング 〜
2007年6月25日(月)  No.1443

よく濡れた日
 1日中雨でした。

 法要2座。墓参の時にはちょっと小降りになっている様子でしたが、袈裟などを濡らしたら大事になるので、衣・袈裟共に‘濡れてもいいもの’に着替えて墓地へ。案の定、途中から雨脚が強くなってかなり濡れてしまいました。用心していてよかったぁ。

 法要の後、2組とも仕出しを取ってお食事。遠い親戚が集まっておられたりして、四方山話に花が咲いている様子でした。

 雨で外の作業はできないので、お盆の経木塔婆書きを始めました。先日、気の早い住職が、ボクの分担分を持ってきたのです。

 「もうお盆の準備かぁ・・・」

 さくらも雨の日はいつにも増して眠たそう。ボクが塔婆を書いているすぐ後ろのソファーに広げてあった風呂敷の上で、1日中ずっと寝ていました。ボクが塔婆に集中しているので、ちょっかいを出される心配もなく、側にいると安心するのでしょう。本当に仕方がない甘えん坊です。

 夜遅くにまた雨が強まり、樋の雨水があふれて壁を洗うので、急遽修理。屋根の上でカラスがスナック菓子を食べたあとのビニール袋が縦樋に詰まっていたのが原因でした。今度は下着までずぶ濡れ。お風呂に入って、今日の‘内職’はもうやーめた。

〜 手前の縞模様は正座用椅子。さくらはボクの背後でずっとデレ〜ッとしていました 〜
2007年6月24日(日)  No.1442

觀蛍ツアーのご招待
 月参りや中陰参りを終え、「こんな天気のいい日を逃したらもったいない」と、2時過ぎからさつきなどの刈り込み作業をしました。
 今日は久々の真夏日。太陽の日差しは強烈でしたが、カラッとしていたので、作業をするには快適でした・・・でもやっぱり暑かった。

 今日で一連の刈り込み作業は一段落。松などの剪定はお盆前に本職にやってもらうとして、しばらくは紫陽花の‘増産計画’に力を注ぎます。

 今日も職員に、「ここらあたりにズラッと植えてもらえばええんですが」と紫陽花の‘増産’を催促されました。
 赤系統の紫陽花を買って増やそうとホームセンターに寄ってみましたが、もう紫陽花は並んでいませんでした。紫陽花の時期は過ぎたのですね。


 喉が渇いたので夕食にビールを多目に飲んでほんわか気分でいたら、「蛍を見に行きましょう! お迎えにあがります」というメールをいただきました。

 先日、哲学の道では2匹しか見られず、何だか見たような気がしていなかったので、お誘いは渡りに船。いい気分にビールがまわり、ボクはただ車に乗っていればいいだけとは、まったく有り難いお誘いです。

 先ずは「結構いるらしい」という噂の宝ヶ池付近の高野川へ。現場に着いた時、川を覗き込んでいた翁がいたので、「いるんだ!」と期待を持ちましたが、結果的には3匹を確認したのみでした。

 「これでは見た気がしませんねぇ。次、行きましょうか!」と、誘われたボクのほうが乗り気。何しろ、ボクは酔っぱらって乗っていればいいだけですから、楽ちん楽ちん!

 次は松ヶ崎の疎水。住宅街の中を琵琶湖疎水が流れる蛍の定番スポット。さすがに訪れている人も多く、期待が持てます。

 車から降りた途端、蛍を見っけ! おお! 子供の虫取りの中でも蛍が光ってる! 人だらけの幅2メートルほどの小さなから見ると、河岸の両側に茂る草木の間をたくさんの蛍が飛び回っていました。一目20〜30匹ほどでしょうか。

 先日、この近くに住んでおられる方から、「もうピークが過ぎてしまいましたので数は減りましたが、見られるなら一日でもお早く」というメールをいただきました。ピーク時はもっと多かったのかも知れませんが、これでも充分。「見た」という気になりました。

 有り難いお誘いのお礼にコーヒーをご馳走し、自坊まで送ってもらうついでに、もう一度哲学の道へ立ち寄っていただきました。結果は前回と同じく2匹のみ。川岸の草が松ヶ崎のようには茂ってなく、きれい過ぎて蛍も住みにくかろうと思いました。観光地では草をボウボウにしておくわけにもいかないから、しかたないのでしょう。

 去年は「出町ホタルの会」のイベントに参加して、鴨川に蛍を見に行きました。今年の鑑賞会は終わってしまいましたが、最後に鴨川の蛍を見なければ今年の蛍シーズンが締め括れない気分になってきました。

 誰か連れて行ってくださらないかなぁ。

〜 踏まれてつぶれた青い銀杏と朝の光 〜
2007年6月23日(土)  No.1441

憂鬱な更新日
 またやってきた「今日の散歩道」の更新日。

 ほぼ毎朝散歩をしていると、写真のネタになりそうなものがあるかないか、あらかじめわかっています。

 「今日はな〜んもないなぁ」と、朝から憂鬱。

 菩提樹と沙羅、栴檀葉の菩提樹で少しはどうにかなりそうなものの、紫陽花は色褪せてきてしまったし、この雨では来る人も少なくて点景にしづらい・・・何度も境内に写真を撮りに出ましたが、まったくその通り。ズボンはボトボト、カメラも雨粒まみれ。明日は晴れるというので、よほど明日回しにしようかとも思いました。

 やれやれ、あれこれやっているうちに1日も終わっちゃったぁ〜

〜 だんだん白んで色褪せてきた紫陽花 〜
2007年6月22日(金)  No.1440

初 藤森神社
 伏見方面を車で走っていて、「あっ、そうだ!」と思いつきました。紫陽花の名所 藤森神社までわずかな距離。
 いま紫陽花は見頃。こういう時に思い切って行かないと、いつに行けるかわかりません。自坊を向いて走っていた車を方向転換させて、藤森神社を目指しました。

 藤森神社の前を通ったことは何度もありますが、中に入るのは初めて。境内の参道脇には白線が引かれ、臨時の駐車場がしつらえてありました。
 車を駐めようとしたら、赤や青の紫陽花の‘色の塊’が目に飛び込んできて、思わず「すご〜い!」と感嘆の声を上げてしまいました。でも、次の瞬間にはその背景にある民家も目に入ってきて、ちょっと興ざめ。境内のたたずまいも、ちょっとまとまりを欠く気がしました。

 300円を払って紫陽花園へ。赤、青、白など、大変な数の紫陽花が通路に迫ってきました。晴天で花に元気はありませんでしたが、雨だったら紫陽花に触れて濡れてしまうでしょう。
 「あっ、これは『墨田の花火』だ。これは『四季咲き』『城ヶ崎』」などと独り言を言いながら、花の感触を手で確かめました。

 紫陽花はいろいろな種類が規則的に植えられている感じではなく、背も高かったり低かったり、剪定も結構アバウトな感じでした。細長い紫陽花園の長辺の一方向には民家が並び、情趣が損なわれているのは仕方ありません。
 参道脇と本殿の裏側の2ヵ所に分かれた延べ1500坪の紫陽花苑には、3,500株の紫陽花が植わっているそうです。三室戸寺は30種1万株と言います。規模やロケーション、‘質’では三室戸に軍配があがりますが、藤森は場所が狭い分だけ紫陽花が迫ってくる気がしました。

 ボクの育てている紫陽花は、職員が「赤いのを植えてください」と言うほど青ばかり。土壌にかかわらず赤くなる種類の紫陽花を買ってきて増やさなければいけないと思いました。

 やっぱり、あちこち見て歩くのは勉強になります。紫陽花を堪能して、ヒントを得た一時でした。

〜 藤森神社の紫陽花苑 〜
2007年6月21日(木)  No.1439

電動噴霧器を買う
 つつじやさつきの葉がかなり虫に食われるようになりました。桜の葉にも何だか毛虫の気配。先日、毛虫と思われるものにかぶれた二の腕には、まだ皮疹の跡が残っています。
 そろそろ虫退治をしないといけません。

 ところが、今まで使っていた背負いのエンジン式噴霧器はタンクが劣化して液漏れし、もう使い物になりません。修理も無理だとか。手動の噴霧器では高いところまで届きませんし、広さを考えてもとても追いつきません。

 「エンジン式は高価なので、電動式で、せめて4メートルほどの枝にも薬剤が届く噴霧器が欲しい」 一昨年からそう思いつつ踏み切れずにいて、昨年は農薬で背中を濡らしながら、背負いのエンジン式噴霧器を使いました。でも、もう今年はダメ。2ヶ月ほど考えて、ついに電動式の噴霧器を注文しました。

 4メートルほどの梢にも薬剤が届き、除草から高圧噴霧までできるという電動噴霧器。タンク付きやホースリール付きなどいろいろな機種がありましたが、本体のみを買って約2万5千円。長い間考えあぐねて買うほどの金額でもないのですが・・・。

 夕方、入道雲らしきものを気にしながら、早速試用。エンジン式よりも静かで、それによく飛びます。ノズルを調整すれば、噴霧の仕方も変えられます。

 「なんでもっと早く買わなかったんやろ。これ、ええやん」 あっという間に自坊の中と前庭に殺虫剤を噴霧し終えました。満足!

 チェーンソー、ヘッジトリマー、丸鋸、ブロア・・・屋外ストッカーが機械でいっぱいになり、整理しないと噴霧器が入りません。整理するの、不得意・・・。

〜 ポンプ、ノズル、収納ケースを兼ねた薬剤入れ。単純。 〜
2007年6月20日(水)  No.1438

素直に展覧会 第2弾
 素直に展覧会第2弾。今日は「泉屋博古館」へ。

 「泉屋博古館」はボクの卒業した小学校の約200メートル南。1970年に今の建物ができたそうですから、ボクが小学生の時にはまだなかったことになします。それでも、すぐ近くで始終前を通り、建ってから40年近くも経ているのに、今まで一度も行ったことがありませんでした。この博物館のメインは中国古代の青銅器。正直、あまり興味をそそられなかったのです。

 今回、企画展で「日本の近代陶芸−東西作家の競宴−」というのが催されていて、「青銅器常設展も見れば730円はすばらしい入館料です」とお勧めいただいたのに素直に随って、初入館しました。

 さすがに青銅器は素晴らしい。紀元前16〜3世紀に、祖先の霊を祀った宗廟にそなえ置く器などとして作られた酒器、食器、楽器など、190点ばかりが展示してありました。古代にこんな精緻で斬新なものが作れるのかと驚くばかりでしたが、み〜んな青銅器、み〜んな同じ色。正直なところ、途中でちょっと飽きてしまい、最後の銅鏡の展示室はすっ飛ばして見ました。

 目的の陶磁器展の部屋へ。「えっ、これだけ?」 展示は1室だけで、ごく小さい物を入れても50点弱。ちょっとがっかり。

 目玉は、陶芸家として初めて文化勲章を受賞した板谷波山作の、近代陶芸作品で初めて重文になったという艶消し釉の壺。現代的な感じの、美しい壺でした。
 「東西作家の競宴」と銘打っていますが、ボクは清水六兵衛や永楽善五郎、宮川香山といった西軍に軍配をあげたいと思いました。六兵衛の向付器に山菜の冷製でも盛って冷酒、いやあたたかい葛の何かで燗酒もいいなぁと思いました。

 「青銅器常設展も見れば730円はすばらしい入館料です」 はい、お勧め通りでした。


 昼下がり、もと同じボランティアをしていた‘お局さまご一行’が、菩提樹の花を見に来られました。大きな話し声が門の外から聞こえてきたので、姿は見えずともお越しになったことがわかりました。

 いろいろなことを2時間半、い〜っぱいおしゃべりになって、「あー、スッとした」と言ってお帰りになりました。

 ひたすら圧倒されましたが、楽しい一時であり、今なお訪ねて来てくださることを有り難く感じました。菩提樹のお陰です。

 帰りに、皆さんに「七段花」を嫁がせました。

〜 石畳に散った菩提樹の花 〜
2007年6月19日(火)  No.1437

木は育つ
 今日も紫陽花の植え替え。いまは大小様々な株が、ちゃんと大きく揃うのには5年はかかるでしょう。

 「その頃、ボクはどうしているかなぁ・・・」 木を植える時、必ずそういうことを考えます。

 「この木が立派になるのには30年はかかるなぁ。その頃・・・」。

 紫陽花なら短時間で成長しますが、木は最低でも20年、30年かかります。今から木を植えても、それが立派に成長した姿を見ることはできない歳になってきました。これからは、次世代以降に美しく境内を荘厳してくれることを願って木を植えていくことになります。


 宮崎県の男性が「男性長寿世界一」とギネスに認定されたというニュースが流れていました。111歳。ボクの倍以上。健康でそれだけ生きられれば、いろいろなことができそう。立派に生長した木の姿も見られます。

 「長寿の秘訣は?」と聞かれ、翁は「お酒を飲まないこと」とお答えになったとラジオのニュースで聞きました。「お酒を飲まずに長生きはしてもなぁ・・・」と突っ込みを入れながら、帰ってネットのニュースで見ると表現はまちまち。

 「お酒を飲まないことが一番の元気の秘訣です」と書いてある記事もあれば、「酒を一切やらず、牛乳を毎日飲むこと」、あるいは「焼酎を飲み過ぎないこと」という記事もありました。

 「飲まない」というのと「飲み過ぎない」ではぜんぜん違います。ボクとしては後者の方が受け入れやすいですが、それにしてもこんな単純な記事一つでも表現がまちまち。マスコミなんて随分いい加減なものだと改めて思いました。

〜 植えたばかり、まだ1尺ほどの紫陽花 〜
2007年6月18日(月)  No.1436

虚ろな1日
 法事、所用など、予定が細切れに入っているので、まとまった時間が取りにくい日でした。

 本堂の職員から、「ここ(鐘楼横)にピンクの紫陽花があったら綺麗やろうなぁ。植えてくださいよ」と昨日も今日も言われました。昨日、「同じ紫陽花でもここに植えると青くなってしまのですよ」と説明したのに。

 しょうがないので、去年挿し木して今年ピンクの花を付けている30センチほどの紫陽花を移植しました。小さいので、盗られるのは覚悟の上ですが、一応‘1アクション’では盗れないように支柱に括り付けたりしました。

 昨日の植木屋作業で何かの虫にかぶれたらしく、二の腕に皮疹ができました。チャドクガなどではないので一安心。でも、ここ数日で葉を食い荒らす虫たちの活動が活発になってきました。気をつけなければいけません。

 夜は本を読んではうたた寝するのを繰り返し、何日も掛けてやっと新書本を読み上げました。寝ぼけた頭で読んでいたので、内容はあまり頭に入っていません。もう一度読み返さないとダメなようです。

 まとまりのない、充実感に欠ける1日。何だか損した気分。

〜 満開の菩提樹 〜
2007年6月17日(日)  No.1435

夕焼け
 法事を終えて、梅雨の晴れ間の午後の暑〜い最中に植木屋に変身。梅の実がいっぱい落ちていたので、梅の実を落として収穫することにしました。

 一昨年、大胆に剪定をしたので、去年はほとんど収穫なし。今年も少な目ではありますが、大粒の綺麗な梅がバケツ1杯収穫できました。何年来もの梅干がたまっているので、今年は梅干にするのはやめて、梅ジュースにすることにしました。

 人目に付かないところに咲いている紫陽花を、折角だからと、人目に触れるところへ移植。花の咲いている時期は植え替えには不適極まりないに決まっていますが、花が終われば小さく切り戻すので、枯れてしまうことはありません。しばらくは、皆さんに花を楽しんでいただけるよう、頑張ってもらいましょう。


 本堂前では菩提樹の花がピークを迎えていました。広く匂い立ち、本堂の横を歩いている方が、「何の匂いだろう」と話しておられたので、横から、「菩提樹ですよ。本堂の前でいま満開ですからご覧になってください」と教えてあげました。
 お参りに来られる方は、口々に、「わぁー、初めて見た」「へぇ、これが菩提樹の花なの」と感嘆の声をあげておられました。

 ただ、タクシーで来た修学旅行生だけは無関心。あれはガイド役のドライバーの責任です。少し説明してあげればいいのに、ドライバー自身が知らないのです。
 今までタクシー経験のない人ばかりを集め、見栄えのいい制服を着ただけの道も知らないドライバーを粗製濫造しているタクシー会社があります。
 説明一つで子供たちの印象も違うのにと、かわいそうな気がしました。


 紫式部、山吹、白山吹などを植え替えたり、トマトの脇芽を取ったりしながら、夕方に植木屋を切り上げました。


 今日の夕焼けは素晴らしかったぁ!

 昨日亡くなった友人のトミーは、今ごろ火葬を終えて小さな壺に入っているでしょう。あんなに大きかったのに・・・。

 綺麗な夕焼けが、彼に西方浄土の方向を示してくれているようにも思えました。

〜 自室から見た素晴らしい夕焼け 〜
2007年6月16日(土)  No.1434

友人の死
 朝9時過ぎ、那須に住んでいる友人の命がおそらく今日を限りだという電話が奥さんからかかってきました。3〜4日前に、「もう長くないの。楽に逝けるように拝んであげて」という電話が掛かってきていたのでした。

 彼はこの数日間に自らの葬儀の仕方などを指示し、いまは自分の考えた通りの方法で、末期の時をモーツアルトを聞きながら、奥さんが電話をする傍らのベッドに横たわっているとのこと。
 「話すことはできないけれど声は聞こえるから」と、受話器が彼の耳元に付けられた気配がしました。突然だったのでボクも何も言えず、「トミー、元気かい?」とわけのわからないことを口走ってしまいました。

 彼と出会ったのは、1988年、「キュブラー・ロス博士の生と死、そして超越のためのワークショップ」のスタッフとしてでした。どういう経過でそのスタッフになったのかは覚えていませんが、彼と彼の奥さんもその時の縁で結ばれました。

 我々はそのワークショップを主催していた精神科医の独善的な手法に反対して、他のスタッフ数名と共に袂を分かち、以後はそれぞれの生業などに就いていました。

 「トミー」というのはその時のニックネーム。ボクは「オッチャン」と呼ばれていました。半分はスコットランド人の血が流れている彼は、ボクの倍ほどもある巨漢でしたが、とても神経が細やかで、正邪や真偽を見分ける目を持っていました。

 いま考えてみると、その後今日までの19年間、ボクは彼に何度会ったでしょう? おそらく3度は超えないでしょう。最低年賀状だけ、年に1度電話が掛かってくれば多い方だったかも知れません。
 しかし、それは疎遠になったというより、不必要にベタベタしなくても、お互いに信しっかり頼し合える仲間として認め合っていたということだったと思います。

 10年以上前、東京に住んでいた余命いくばくもない白血病の中学生に、京都の高校から‘入学許可証’を出してもらえないかと依頼してきたのも彼でした。ボクは彼の依頼に「どうして?」などというような疑念を挟むこともなく、すぐに知り合いのシスターに事の顛末を説明し、シスターもボクの説明をまったく疑わず、ただ「わかった」とだけ答えてその手続きを進めてくださいました。信頼し合うということの有り難さを感じた出来事でした。

 そんなことがあっても、また何も連絡のない時間が流れ、数年前には彼らの息子、娘たちが修学旅行で京都に来た時に、「京都に行くなら、‘オッチャン’のところへ行ってこい」と言われて訪ねてくれ、そしてまた何も連絡のない時間が流れていました。

 そして、数日前の「もう長くない」という電話。朝の「今日を限りの命」という知らせ。
 「行かなくても、通じている。トミーなら大丈夫だ。いまは家族だけで過ごさせてあげたい」、そう思い、急の知らせに駆けつける必要は感じませんでした。奥さんがボクに電話をしてこられたのも、「いま、トミーはそういう時間を過ごしているから、オッチャンは京都から祈ってあげて」ということだと思いました。

 「耳は最期まで聞こえるから、モーツアルトは消さないようにしてあげて。彼のことは仏様にお任せすれば大丈夫だから」と奥さんに言って電話を切りました。

 お昼前、出先で訃報を聞きました。61歳。彼が信頼していた東北の菩提寺の和尚が付けた戒名には、真実を見極めた人柄が表れていました。

〜 沙羅の花 〜
2007年6月15日(金)  No.1433

梅雨入り
 金曜日が会議でつぶれるので、「今日の散歩道」の更新を繰り上げ実施しました。

 今日は1日中、雨。予想通り、近畿地方の梅雨入りも発表されました。

 雨の境内は大好きです。訪れる人も少なく、静かで、時間もゆっくり流れる気がします。疲れたように首を傾げていた紫陽花なども生き生きとしてきて、天の恵みを満身に受け止めているようです。

 雨の日の景色はとてもステキですが、それを写真に収めるのは一苦労。暗いし、カメラは濡れるし、なかなか思うような写真が撮れません。点景で入れたい‘人’も、訪れる人が少ないことが仇となって、待てども待てども現れてくれません。

 本堂の職員は手持ちぶさたで、時々、回廊に出て雨の様子を見たり、写真を撮っているボクに話しかけてきたり。やっと待ちに待った人が通りがかったような時に限って話しかけてきたりするので、せっかくのタイミングを逃してしまいます。

 そうこうしているうちに夕方になり、雨の日は犬の散歩に来る人さえ少なく、暗くて写真も撮りにくくなってしまいました。

 功罪相半ばする雨でしたが、更新は8時半頃に終了。今晩こそは本を読もうと思っていたら、またウトウトしまいました。1冊読むのに何日かかっているのでしょう・・・。

〜 ガラス越しに餌をねだるクロ 〜
2007年6月14日(木)  No.1432

梅雨入り前日
 檀家参りと法事を終えた後、ダラダラと出しっぱなしになっていた石油ストーブを、やっと片付けました。かわりに扇風機を出し、明日には予想される梅雨入り対策。

 ホームセンターにすだれを買いに行ったものの、ちょうどいい大きさのものは売り切れ。今朝の折り込み広告に出ていたからでしょう。しばらく並んで駐車場に入ったのに、結局、空手で帰りました。

 帰りに、先日の伏条台杉探索の写真を住所を頼りに届けに行き、該当するマンションの部屋のポストに入れておこうと名前を見たら別人の表示。念のためインターホンを押して確認しましたが、やはり別人。これまた目的を達成できずに帰ってきました。

 草刈り機用のガソリンだけは予定通り求めました。2/3の目的は達成できず。トホホな外出でした。

 夜、共同作業所の運営会議。諸般の事情から、数年間、表だっては作業所に関わって来ませんでしたが、4月から復帰。「障害者自立支援法」施行に伴って障害者の負担が増し、施設運営も難しくなっているのを実感しました。

 帰りに哲学の道へ蛍を見に行きましたが、蛍よりも人のほうがずっと多く、わずかに2匹しか見られませんでした。男性一人で見ているのはボクだけ。変質者と思われないかと危惧し、早々に去りました。

 少し大回りして、もう一度写真を届けに行きました。調べた結果、同じマンションにお住まいで、探索直前に体調を壊して行けなくなった方の部屋番号と混同していたことがわかりました。無事にポストに入れて目的を達成。

 帰って読書。寝ころんで読んでいたので、読んでいる時間よりウトウトしていた時間のほうがずっと長かった気がします。

 何だかとりとめのない1日でしたが、なぜかそこそこ満足のいく日でした。

〜 振り返る日向の猫 〜
2007年6月13日(水)  No.1431

‘旬’
 ホームセンターの花売り場の鉢花を見てみたら、紫陽花はほとんど影を潜め、小さな蓮の水盤が売っていました。まだ花は咲いていませんが、蕾は大きく、1週間もしないうちに咲き出しそうでした。

 境内では紫陽花が本格的に咲き始めたばかり。境内は市街地よりも花の開花は少し遅れますが、市街地でも紫陽花はこれからが盛りです。露地の蓮もやっとシュートが上がってきたばかり。花売り場と自然のズレを実感しました。

 切り花はもっと季節の境目がなくなり、本当はいつ咲く花なのかがわからなくなってしまいました。野菜の‘旬’も曖昧。
 そんな状態なのですから、10月頃から「紅葉はまだですか?」とお越しになる人がいてもおかしくはありません。

 わずかな畑に植えたトマトが大きくなってきました。まだ色づいてはいません。完熟したトマトをもぎって食べて、その‘ぬくたさ’とトマト臭さを味わってみたい思いが湧いてきます。

 人の‘旬’って、何歳ぐらい? 生物的なことは別として、人間は生き方によって自分で‘旬’を操作できる唯一の生き物かも知れません。

〜 黒谷の花菖蒲 〜
2007年6月12日(火)  No.1430

年金不安
 年金不安のニュースが毎日、テレビや新聞などで報道されています。納めていたものが、「記録がありません」と一蹴されるのですから、たまりません。納めたことを証明しろと言われても、何十年も前の掛け金の納付を証明できる人なんて、そういないでしょう。

 ボクも、最初は国民年金、途中で厚生年金、そしてまた国民年金に替わっているうえ、名前も誰もが一律に読んでくれるとは限りません。

 そこで、先日、社保庁のホームページから、納付状況などを照会できるように申し込みました。申し込みが殺到していて、ログインできるまでには2週間以上かかるそうです。
 社保庁は「0120−657830(老後なやみゼロ)」という相談電話を立ち上げ、問い合わせが殺到しているそうですが、考えるに、問い合わせというのはこちらからしなければならないものなのでしょうか? 向こうから、「これで間違いございませんか?」とお伺いをたててくるのが先決のように思うのですが・・・。
 問い合わしても、納付されたと社保庁側が判断している内容がわかるだけで、間違っていてもその場ではどうしようもありません。

 「ボタンの掛け違え」という言葉がありますが、今回の問題は「掛け違え」ではなく、ボタンはあってもホールが開けてなかったほどの極めて初期的なミスの連続だと思います。名前にいろいろな読み方があるのに、ルビを把握していなかった。統合するときに曖昧なまま放置していたなど、考えられないことばかり。よくもまぁ、その都度都度デタラメな処理を重ねたものだと呆れてしまいます。

 転居や転職したからわからなくなったというなら、税金はどうでしょう。「給与支払報告書」が追いかけてきて、最後は年収を合算して申告しなければなりません。税金の徴収はしっかりできるのに、いわば‘預かり金’の年金の管理はきわめてずさん。国としての見識の低さが、まざまざと見えてくる気がします。主権は国民にあるといいながら、一番軽視されてきたのは国民に違いありません。

 与野党が出してきた参議院選の立候補予定者を見ても、どうして女子プロゴルファーの父親が目玉なのでしょう? 娘が女子プロとして自立してしまい、することがなくなったから政治家に? 政党自体が真剣に政治を考えているのだろうかといぶかしく思えてなりません。

 年金不備は、そんな国なのだから起こっても当たり前。そんな国にしたのは、政治家や官僚・公務員なのではなく、誰あろう同時代に生きるわれわれなのだと思うと、今の事態は身から出た錆だと自嘲的に笑えてきます。普段から、あまりに無関心過ぎるのでしょう。


 夜、昨秋、焼き芋製造器を作ってくださったご夫妻とお出かけ。京都らしさを味わっていただきました。

 今年も頑張って焼き芋を焼いて、皆さんに振る舞わせていただきま〜す! 京都で焼き芋を食べた思い出で、皆さんがあたたまってくださいますように。

〜 アップで撮りすぎた舞妓さん 〜
2007年6月11日(月)  No.1429

円頓授戒会
 天台宗の京都ブロック主催の「円頓授戒会」が青蓮院で催されました。

 「円頓戒」とは梵網経に基づいた大乗の戒で、それを戒師から授かる儀式が「授戒会」です。わかりやすくいえば、戒律を守ることを約束をし、「おかみそり」を受けて「法名」をいただく儀式です。

 参加者は戒を受けられる「戒弟」が470余名、僧侶が30名ほどで、会場となった青蓮院の寝殿は超満員状態。朝から夕方までかかる行事のため、青蓮院は拝観休止。夜間の修学旅行などだけは受け付けられるようでした。

 朝7時、青蓮院集合。いろいろな準備をして、ボクは先ず受付係。11時からプログラム開始のところ、9時半頃には気の早い方がお越しになりました。「まだまだ時間がありますので、中を拝観なさっていてください」とご案内しましたが、きっと時間をもてあまされたしょう。

 長い式に先立って、戒弟は先ずお弁当を召し上がりました。出張茶懐石の専門店のお弁当で、ボクも受付を閉めてからいただきましたが、かなり美味しかったです。コンビニ弁当じゃなくてよかったなぁ。

 式が始まり、伝戒大和上の三千院御門主が詳細に説明をされながら進行。御門主は、いつもながらにトーンの高い、張りのある声でした。

 戒弟全員におかみそりと仏舎利をいただく段になって、ボクは急に戒弟の介添え役をすることになりました。伝戒大和上の前に進んでこられた戒弟の方に、和上に近づいて頭を下げていただくように介添えをして、おかみそりを受けやすいようにする役です。
 戒弟は合掌して進んで来られますが、たいていの方はもう一歩前に出ていただかないとおかみそりを受けくい位置で止まってしまわれます。その方々に、「もう一歩前にお進みください」「合掌して、頭を下げてください」などと説明しながら、戒和尚の前に頭を垂れていただきます。

 男・女、背の高い低い、髪の毛がふさふさ、薄いなどそれぞれで、足の不自由な方もおられれば、勢い余って前の机にぶつかるような方もおられました。
 戒和上は儀式用のかみそりを9回頭に当てられますが、男女によって当て方は違いますし、毛の薄い厚いで手加減も違います。それを470余名にされるわけですから、大変な作業です。横で介添えをしていても、おかみそりを当てておられて音が聞こえて来るほど、しっかりと当てておられました。

 介添えのため、ボクも470余名の掌や背中に触れました。掌が熱い人、驚くほど冷たい人、背中から心臓の鼓動が伝わってくる人、頭にかみそりが当たっていることが背中を通じて伝わってくる人など、各人各様。
 「1日にこんなに多くの人に触れる機会は、ボクの生涯でもそんなにあることではないなぁ」と、何だかエネルギーをいただいたような気もしました。

 プログラムが終わったのは4時過ぎ。高齢の方も多く、さぞかしお疲れになったことと思いますが、お帰りになる方から「しんどかった」などという言葉も聞かれず、晴れ晴れとされていたように見受けられました。よかったぁ。

 後片付けなどすべての日程が終わって帰ったのは5時半頃。長〜い1日でした。

〜 正面に伝戒大和上。前には戒弟代表。まわりには式衆や戒弟の皆さん 〜
2007年6月10日(日)  No.1428

焼け焦げたキティー
 今朝も雨雲レーダーを見てバイクで外回りに出発。大ざっぱな天気予報よりも、よほど役に立ちます。

 あと5分で自坊にたどり着けるところまで帰ってきた時、バイクのハンドルを持つ手に雨粒がポツリ。「来たな。でも、もうここまで帰れば大丈夫」と高をくくっていたら、5分の間にずぶ濡れになりました。

 惜しかった・・・。


 昼食をいただいてしばらくしたら、宅配便の気配。「もしかして・・・」。予想は的中。先日、掲示板で話題になったキティーのトースター。「和尚様のお気に入りキティちゃんトースターをお送りしました」と横浜の御仁からメールをいただいていたのでした。

 まさか本当に送ってくださるとは・・・。

 開封してみると、まさしくネットで見たとおり、「ハローキティのポップアップトースター。」 「◆トーストにかわいいキティの焼き目が付きます。◆本体にはキラキラハローキティのワンポイント」というのが売りのトースタでした。

 食事をして間もないので、今は見るだけにして、夕食の時に食パンをいただくことにしました。

 夕食は、特にパンが合うようなメニューでもなし。でも、とりあえず使わせていただいた上でお礼を申し上げることにしました。

 トースターは食パンを2枚並べて同時に焼けるとのことで、中を見ると、キティーの形をした金型が2つ並んでいました。それでヒーターの熱を遮って、キティーの形の部分だけが焼けないようにする構造です。

 5枚切りの食パンの中央にその型が来るようにして、レバーを下げました。ポップアップ式のトースターを使うのは何十年ぶりでしょう、レバーを下げるのは懐かしいを通り越した新鮮な感覚でした。

 すぐに、パンが飛び出してきました。全然焼き色が付いていません。つまみで焼き加減を調整するようになっていたので、もう少し焼けるように回して、もう一度レバーを下げました。

 今度はなかなか上がってきません。ワインを飲もうと準備をしていたら、トースターから煙が出てきました。強制的にレバーを上げようとしましたが、上がりません。そのうち、ポンと上がってきましたが、キティーの回りは真っ黒け。裏はもっと悲惨。

 「こりゃダメだ」と焼き加減のつまみを調節して、再度挑戦。焼いている間に、食パンの焦げをナイフで削り、マーガリンを塗って食べました。

 「パンの中身の水分が飛ばないうちに一気に表面を焼き上げるので、表面は『カリッ』中身は『ふんわり』の美味しいトーストができあがります」と説明には書いてありますが、中までカリッとしていました。ワインとの相性は見かけよりは良いようです。

 見ていると、またトースターから煙り! レバーはやはり強制的には上がりません。隔靴掻痒の思いで煙たつ食パンを見つめていたら、ポンと勢いよく食パンが飛び出してきました。燃えなくてよかった・・・。
 1枚目よりはまだマシな仕上がりでしたが、やはり炭化した部分を削らないと食べることはできません。

 「どうしてこんなことしているのだろう」と思いつつも、またワイン片手に食べました。趣向を変えて、ガーリックバターを塗れば美味しいだろうと思いましたが、明日は法要も控えているので、ニンニク臭をさせているわけにはいきません。断念しました。

 さぁ、うちに残る食パンはあと1枚。しかもヘタの部分で少し反っています。もう食パンもキティーも懲り懲りな気分でしたが、「お陰さまで、綺麗なキティーが焼けました」と報告しなければいけません。

 意を決して最後のチャレンジ。今度は焼き色のつまみをかなり下げました。その甲斐あって今度は煙が出るはありませんでしたが、キティーは幽霊のようにぼんやりしていました。パンが反っていたので、真ん中部分は特に焼き色が薄く、鼻や目がよくわかりません。

 もう焼くパンがありません。正直、ホッとしました。おかずを食べる気にもなれません。夕食はキティーの焼き色が付いた食パン3枚とワイン3杯。最期の晩餐のような心境でした。

 食事を食べたのかおやつを食べたのか判然としない思いで本を読んでいたら、トースターを送って下さった方から電話がありました。

 丁重にお礼を申し上げ、包み隠さず結果をご報告しました。その方の分析では、関東の食パンは6枚切りが主で、関西は5枚切り。きっとトースターは6枚切りにあわせて作ってあるのに、ボクが5枚切りを焼いたのがいけないのだろうということでした。
 そんなことはありません。PR文には、「4〜8枚切りの食パンが2枚同時に焼ける。山形パンにも対応」と書いてあります。

 「そのトースターのメーカーは経営が思わしくないので、壊れそうな部品を取り寄せておいた方がいいですよ」というアドバイスもいただきました。
 御仁はあちこちに電話をしてもこのトースターを入手できず、ネット通販で調べてメールで注文した上に、また電話で確かめる念の入りようで送って下さったそうでした。

 トースターが不似合いな、どちらかといえばおにぎりのような顔の形をされた方なのですが、どんな表情で、「あのー、キティーさんのトースターありませんか?」と何軒も尋ねてくださったのでしょう? 御仁をそこまで激しく揺り動かしたものは何だったのでしょう? 隠れキティラー?

 中性脂肪を減らすため、ここ数年、朝はご飯食にしていましたが、明日からは隔日でキティーの焼き型のトーストにしようと思っています。でも、明日はご飯にします。

 キティーのストラップを送って下さった方もおられ、うっかりと軽率なことを掲示板に書いてしまったことを深く反省させられた1日でした。

〜 再チャレンジのトースト 〜
2007年6月9日(土)  No.1427

初 平安神宮
 檀家宅への月参りから帰り、雨雲のレーダー画面を見ると、もうしばらくすると雨が降ってくる様子。

 急いで僧衣から洋服に着替えて、バイクで平安神宮に向かいました。

 今日は神苑の無料公開とか。昨日、平安神宮の前を通った時、「花菖蒲 見頃」という看板が出ていたので、一度は見たいと思っていたら、今日はたまたま無料公開。「こういう時に行かないと行けないぞ」と思い、‘勢い’で行きました。

 平安神宮に入るのは初めて。以前、春の「紅枝垂れコンサート」とかで神苑の一部に入ったことはありますが、夜で、しかも脇から入っただけでした。

 平安神宮は中学の学区内。バイクなら5分もかかりません。しょっちゅう、その表を、裏を、横を通っています。

 1976年1月6日の夜、拝殿など9棟が過激派の放火により消失した時には、「ドーン、ドーン」という異様な音と焦げ臭さで目が覚め、境内が火事かと思って見回ると、真如堂の三重塔が火災の炎で赤く照らされていました。燃えた檜皮の粕が境内にもたくさん降ってきて、一部はまだ燻っていたので、消して回ったことを思い出します。

 前の砂利のところにバイクを駐め、神苑のほうを見ると、行列が自然発生的にできて、入り口に向かっていました。

 「どうしてみんな今日が無料だと知っているんだろう? 朝刊に載っていたんだろうか?」などと不思議に思いながら中に入りました。普段なら600円かかるようでした。

 行列はゆっくりゆっくりしか動きません。その上、花菖蒲はどこにあるのやら見えません。何となくバイパスらしきルートを通って、ようやく花菖蒲の咲いている池のところに出ました。

 「えっ、これだけなの?」 想像していたよりはずっと花が少な目。睡蓮も咲いていましたが、ちょっと期待はずれ。池の回りは人だらけで、風情はイマイチ。

 丸太町通に面した道を通って、東側の神苑へ。自坊に帰る時に丸太町を通った折には、事故の取り調べが行われていました。ちょうどこの外側です。「へぇ〜、中はこうなっているのか・・・」と思いながら、塀一枚での違いを実感しました。

 中・東の神苑は特に見るものもなし。トコロテン式に進んでいるので、とりあえず前の人にくっついて出口まで進まないと仕方がありません。やっと出口。「あー、やっと解放された!」

 バイクでひとっ走り! 途中のスーパーで豆腐を買っていたら、檀家のおばあさんに出会って、驚いた顔をされました。「平安神宮がタダだったので・・・ちょっとお豆腐を・・・」と、しどろもどろ説明して、またバイクをすっ飛ばして帰りました。

 これで行ったことのないところが1ヶ所減りました。後から思えば、直接神苑に向かったので、参拝をしていませんでした。参拝はまたの機会に。所要時間50分ほどでした。

 帰って昼食を食べていたら、雨がポツリポツリと落ちてきました。

〜 神苑の花菖蒲と睡蓮、そして人 〜
2007年6月8日(金)  No.1426

盛夏に向けての憂鬱
 今日の京都の最高気温は30.1度。真夏日にはなりましたが、湿度が低かったのでしょうか、日陰にいるとそれほど暑いとは思いませんでした。

 ところが、さくらは暑さが堪えたかのように、1日中、フローリングなどの冷たいところを探して転々としながら寝そべっていました。眠たいというよりは、グロッキー気味です。

 去年のお盆、さくらは暑気当たりになり、1晩に20数回嘔吐してダウン。獣医さんで注射を打ってもらいましたが、数日間、調子が戻りませんでした。

 「また、去年みたいにならないかなぁ・・・」と、その時のことを思い出すと戦々恐々。冷却効果&放熱効果のある「ひんやりボード」を買ってきても、その上で寝たことは1度もなし。せめて室温の低い1階で寝ればいいのに、暑い2階のボクの部屋がお気に入り。こちらとしてもなかなか効果的な対策が見つかりません。

 「どうしてやればいいんだろう・・・」と、盛夏に向けて憂鬱です。

 ボクは汗をかいて不調を克服しようと、午後、炎天下で草刈り。期待したほどは汗をかきませんでしたが、体調は回復してきました。

 さくらも汗をかくことができればいいのになぁ・・・。

〜 さくらの足の裏、ピンクの肉球 〜
2007年6月7日(木)  No.1425

更年期かも
 風邪をひいたのか何となく不調。発熱、咳といった症状はないのですが・・・。

 葬儀と月参りを終えて帰宅し、昼食を食べてしばらく横になっていました。いくらでも寝てしまいますが、寝ても症状は改善しません。

 「寝てても変わらへんのやったら、起きて何かしたほうがええなぁ」と思い、さすがに庭師はやめて、先日、伏条台杉を見に行ったときの写真を撮りに行って届けることにしました。

 写真のデータは既にネットで写真屋さんに送ってあり、焼き上がったというメールも来ているので、取りに行くだけ。実に便利です。

 何か手みやげをと思い、ケーキ屋に行ったら定休日。ちょっと遠かったのですが、先日いただいて美味しかった水茄子の漬け物を買ってK氏のご自宅へ。アポ無しだったのでお留守でも仕方がないと思っていましたが、運良くおられました。

 K氏は鉱物や化石などの収集がご趣味で、「ぜひ見に来てください」とお誘いをいただいていたのでした。

 応接間の壁2面に、床から作り直したという特別誂えの棚があり、様々な石や化石などがズラッと並んでいました。その数約2千点。透明なもの、キラキラ光るもの、見るからに貴石と思えるようなものなどがいっぱい。アンモナイトなど、いくつもありました。

 Kさんは次から次へといろいろな石や化石を見せてくださって、話は留まるところを知りません。ボクも石のことはよくわかりませんが、実に貴重なものであることは想像がつきました。
 ボクは山を歩く時には植物に注意が向きますが、Kさんは鉱物に向く。いろいろな歩き方があるものだとも思いました。

 伏条台杉の写真を見ながら、反省会。先日果たせなかった‘大本命’を訪ねる「第3次 真如堂伏条台杉探検隊」を秋に派遣することに決めました。

 長いことお邪魔したので失礼しようとバイクの鍵を探しましたが見つかりません。もしや・・・路上のバイクに付いたままでした。やっぱり、頭がボーッとしています。

 帰って夕食を食べ、頭がボーッとしている以外に特別な症状はないのですが、横になったり、本を読んだり、居眠りしたりしながらゴロゴロ過ごしました。暑いのか涼しいのかわからない、これは自律神経失調症? 更年期かも・・・。

〜 幾重にも鉱物が展示してある棚。ボクの顔も展示中? 〜
2007年6月6日(水)  No.1424

素直に展覧会
 「よかったですよ」という言葉を素直に受けて、『オールドノリタケ展』を見に行きました。

 オールドノリタケは、明治末から第二次世界大戦にかけて「ノリタケ」が作った、華麗な彩色と欧米風にデザインされた焼き物です。アールヌーヴォー、アールデコ様式を取り入れた華やかで美術的価値の高い作品で、ほとんどが輸出陶磁器として海を渡って欧米人を魅了しました。

 ボクは陶磁器は大好きですが、どちらかというと、西洋陶器のように装飾性の高いものよりも侘びた茶陶か雑器が好み。磁器よりも陶器、青花よりも鉄絵が好み。でも、オールドノリタケは、そんな好みを越えて、素晴らしく美しい陶器でした。

 欧米に気に入られようとした努力は、涙ぐましい気さえします。金盛り、エナメル、イッチン盛りなど、ざまざまな技法を駆使し、まるでアールヌーヴォーのガラスのようであったり、彫金や切り金を施してあるようにも見えました。

 ただ、いくら西洋の食器に似せても、アイデンティティーは日本だという感じがしました。逆に、それが西洋人にとってはかえって魅力なのかも知れません。

 ボクに不似合いな華麗な世界。靴音さえ響くような展示室で、大声でお話になるオバサマたちには閉口しました。印象派やこういう華麗な陶器は、オバサマたちの‘大好物’。静かに見たかった・・・。

 ついでに、すぐ近くの「京都市勧業館みやこメッセ」に行き、たまたま地下にある「京都伝統産業ふれあい館」に入ってみました。ここにはビックリ! 京都の伝統工芸それぞれのほんのさわりが「これでもか!」というぐらい展示してありました。

 その数が半端ではありません。京石工芸品、京瓦、造園、庭園用竹工芸、京友禅、型紙、京小紋、京鹿の子絞、京無地染(浸染)、京黒紋付染、旗印染、房・よりひも、京くみひも、手織関連用具、西陣織、京繍、足袋、京袋物、花かんざし、黄楊櫛、銘木・北山丸太、京銘竹、和傘、提灯、張籠、きせる、釣竿、竹工芸、京すだれ、京扇子、京うちわ、京陶人形、京人形、京焼・清水焼、京漆器、京表具・表装、京版画、和本、色紙・短冊、かるた、京唐紙、京印章(印刻)、張り子、水引細工(結納飾り)、工芸菓子、菓子型、日本酒、京刃物(利器工具)、金網細工、金属工芸・七宝、象嵌、截金、数寄屋金具、京指物、真田紐、念珠(珠数)、京仏壇、京仏具、和ろうそく、薫香、能面、調べ、邦楽器弦、京弓、矢、神祇調度・装束・工芸

 「みやこメッセ」には今まで何度も来たことがありましたが、地下にこんな展示があるとはまったく知りませんでした。閲覧は無料。でも、ほとんど見ている人はいませんでした。もったいない。明らかにPR不足です。

 ところどころで流れている木工、染色、刺繍などのビデオに、足が止まり、ボクの大好きな職人の手仕事の世界につい見入ってしまいました。素晴らしく熟練された手際のよさを精緻さ。こんな手仕事が、かたやオールドノリタケを生み出したのでしょう。でも、この方々のほとんどは決して厚遇されているとはいえず、後継者難も深刻。こんな素晴らしい技術が失われていくのかと残念でなりません。

 たまたま入り込んだ伝統産業の世界の‘さわり’、オールドノリタケもよかったですが、こっちも素晴らしかったです。

 今日はもう1ヶ所行く予定でしたが、疲れてしまいました。今日はここまで。気持ちを切り替えて、95歳のおばあちゃんのお通夜へ伺いました。

〜 みやこめっせ『光庭』 〜
2007年6月5日(火)  No.1423

山家会
 今日は伝教大師のご命日。京都の天台宗寺院が集まって、山科・毘沙門堂で「山家会」の法要がいとなまれました。

 普段は住職が参列するのでボクは行かないのですが、今回は法要後の席でインド・禅定林建設の寄付をお願いすることになり、それだけ参加するわけにもいかないので、法要から参列しました。

 法要は僧侶など寺院関係者のみで、一般の方の参列はありません。

 法要のイントロとアウトロに20名ほどのご婦人たちが御詠歌を唱えられたのですが、ボクの斜め後方に座っておられる方が、度々文句を間違えたり、鳴り物が1拍ずれたりしておられました。年輩の方ですが、きっと初心者なのでしょう。

 斜め後方なので、手が視野に入り、ずれるのがあらかじめわかります。「あー、遅〜い」「あ、今や! ちゃうちゃう!」と気になって仕方がありませんでした。

 出仕僧の読経も、声の主による読み癖や音の高低がよ〜くわかり、なかなかきれいに揃わないのが気になってしまいます。

 そんなことばかり考えながらの1時間半の正座は、足が痛くて、ちょ〜っと辛かったです。

 余計なことを気にしたり、足が痛いと言ったり、我ながら実に情けない末弟だと思いました。

 後席でのサンガ師の寄付をお願いする挨拶は素晴らしく、場慣れした簡潔明瞭さと、熱意が感じられるました。少しでも多くの寄付が集まってくれるといいのですが。

〜 毘沙門堂の八方睨みの龍 〜
2007年6月4日(月)  No.1422

威儀を正す
 法事3座。今日の法事はご近所、元ご近所の方ばかり。気楽さもあって、格好も普段着。下駄履き、サンダル履きの感覚でしょう。

 そういえば、最近、法事だからと威儀を正して来るような方はすっかり減りました。かつては、礼服とまではいかなくても、男性ならスーツ、子供なら学校の制服を着てこられたものでした。昔なら、紋付き袴。いまはせいぜいスーツ。納骨などの時には、礼服が多い程度でしょうか。

 穴だらけのジーンズをはいたり、お臍が出るような格好でくるも若者います。ファッションなのはわかりますが、もっとふさわしい格好があるでしょう。親も何とか言えないのでしょうか。

 お正月に晴れ着を着て来られる方もほとんどなくなりました。

 食事から見たら、いつでも何でも食べられて、毎日がお正月のようになり、それはそれで結構なことかも知れませんが、気持ちのけじめ、生活の節目までがなくなって‘ずんべらぼん’になっている気がします。

 教育再生、家庭教育などと声高に言いますが、TPOに応じた気持ちのけじめ、服装のけじめは、それらの基礎をなす大切な要素の一つである気がします。威儀を正した格好をしたことに伴って、気持ちもシャンと改まるということも多いと、ボク自身は経験します。

 何だかえらくぼやいてしまいました。


 『若沖展』、今日が楽日。チケットを買うまでに2時間、中にはいるまでに70分、それからまた待たされて・・・。11時に並び始めた方から、「見終わりました」とメールが来たのは3時半でした。倒れる人も続出で、大変だったそうです。

 若沖をやれば人が集まるとわかったでしょうから、きっとまたありますね。お疲れさまでした。

〜 自室の窓から見た夕焼け 〜
2007年6月3日(日)  No.1421

茶菓子礼賛
 今日のメダカの学校は「京菓子歳時記」。茶道に使う四季折々の和菓子について、二条駿河屋さんのご主人にお話いただきました。

 そのお店には、看板メニューの一つになっている「松露」という菓子があります。いろんなお店の「松露」がありますが、ボクはこの店のものが一番好きです。
 数年前まで、ボクは砂糖で固めたいかにも甘そうなその菓子を食わず嫌いでいました。「おつかいもの」に使うことになって初めて食べてみたところ、口に入れた途端にとろけるようなその食感と粒餡の舌触りに、いっぺんに好きになってしまいました。

 先日、講師をお願いにあがった時に、解説を交えながらいただいた「落とし文」も絶品でした。

 女性好みのお話をと思って和菓子のことをテーマに選んだのですが、店主のお話を聞いたり、資料を作るために下調べしたりしていて、ますますその奥深さに惹かれました。茶道の菓子を作るのには、和歌、漢詩、歴史、故事、植物など、幅広い知識が求められると思いました。

 今日の店主のお話は脱線続き。菓子の銘のいわれを説明されるうちにそうなるのも納得できます。

 「明日のお茶会の菓子を調整しなければいけませんので、1時間でサッと帰らせていただきます」とおっしゃっていたのに、始まって1時間を過ぎても、12ヶ月の菓子のうちの5月頃までようやく説明が済んだ程度。
 気になって、「お時間大丈夫ですか?」と‘巻き’を入れさせていただいて、話は一気に進みましたが、本当はもっともっとお聞きしたい、欲を言えば説明してくださる菓子を一々食べ、お抹茶をいただきながら聞かせていただきたいお話でした。

 実際に仕事をされている職人さんのお話は、納得させられることばかりで、見たこともないものを見てきたようにしゃべるような話とは深みが違います。

 「お菓子が目立っては、せっかく用意された器が見だたなくなってしまいます。食べる時だけ話題になり、また茶器などの話に戻るのがいいのです。菓子が目立ちすぎてはいけません。菓子はお茶を召し上がるための添え物なのですから」というお話も、最近のやたらと派手な菓子が多い中、考えさせられるところがありました。

 ますます和菓子が好きになりました。


 今日ご参加くださった方のところに、去年挿し芽をした紫陽花「七段花」が嫁いでいきまました。玄関先に咲いていた花をご覧になって綺麗だと誉めてくださったので、嬉しくて差し上げたくなったのです。

 「七段花」は、紫陽花の中でも、最もボクが好きな種類の一つです。来年は立派に花を咲かせて、嫁ぎ先の主を喜ばせてあげて欲しいものです。

〜 二条駿河屋「松露」 〜
2007年6月2日(土)  No.1420

小技
 「今日の散歩道」の更新日。

 新緑も落ち着き、これといった花もなくなり、写真を撮ることに苦労をするような季節になってきました。

 こうなったら「人」や動物でなんとかするのが究極の手。ところが、境内には人もあまり行き来していません。

 総門前でカメラをかまえていたら、ちょうど写真になりそうな親子がやってきました。「待ってました!」とパシャ! でも、門の中に邪魔な車が駐まっていて、それが写り込んでしまいました。

 「消すしかないなぁ」

 余計な看板を消したり目立たないようにしたり、暗いところを明るくして、明るいところを暗くしてというようなパソコン上での修正作業が、毎回大なり小なりあります。

 今回の「今日の散歩道」の一番上に使った写真も、親子連れの写真からは車を消し、その裏写真からは「車止」の看板を消しました。

 写真は真実を写すものだという議論がありますが、「真実」とは何かという定義は難しいものです。まったく同じところから同じように写真を撮っても、その写り方は違います。「どっちが真実か?」と問われれば、どっちも‘真実’かも知れません。そこにそういう光景があったということはその瞬間の‘事実’かも知れませんが、それを大風呂敷を広げて‘真実’だなどということは、写真というものを買いかぶっているのではないかとも思います。

 その瞬間の事実を切り取ったものをベースに、事実を大きく逸脱しない範囲で、自分のイメージに合うように加工する。それがかえってボクの中での‘真実’に近いような気がします。「今日の散歩道」に使う写真はそう考えています。

 ボクが皆さんにお見せしたい景色に近づくように、邪魔っ気な車や看板は消し去りました。

 3時から大津で会議のため、一時中断。6時過ぎに帰って夕食を食べて再会。眠たくなって、30分仮眠。今日の更新ができあがった時には、久々に「1日前の境内です」とされてしまいました。

 でも、更新はこれでは終わりません。長年にわたって、緻密な目で校正してくださる方の添削を経て、ようやく完成となります。その方も最近は酔っぱらって早く眠られるよう、校正の完成はたいてい翌日のお昼頃になります。お世話になっています。

〜 修正前/修正後 細かく見ないでください。手荒な修正ですので 〜
2007年6月1日(金)  No.1419

No. PASS
 OR AND
スペースで区切って複数指定可能
[日記一覧]
shiromuku(fs2)DIARY version 1.25