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2007年5月の日記

第2次真如堂伏条台杉探検隊、成果半ばで撤退
 ‘伏状台杉リベンジ登山’。40代の女性を加えて、4人の平均年齢はぎりぎり50代に下がりました。

 昨日の雨とは打って変わった晴天・・・それは市内中心部、せいぜい鞍馬まででした。花背にいたると空は一転して鉛色に変わり、そのうち細かい雨が降り出しました。北山の天気は変わりやすく、雨は想定内だったので、予定通り登山を開始しました。

 今日の予定は、まず片波源流域にある京都府自然環境保全地域の伏条台杉を見て、その後、井ノ口山の伏条台杉を見て、グルッと1周するようなルートで元に戻るというもの。詳しい地図などはないので、インターネットの山行記をもとに進むことにしました。
 ただ、伏条台杉を見るだけならば林道を歩けばいいのですが、それでは面白くありません。とにかく‘登山’をしないと。

 雨は時おり上がるかのようにみえましたが、結局、帰るまで降り続きました。それでも、カッパのズボンを着るほどの雨でもなし。日差しがなくて気温も上がらず、体力の消耗も少なかったのはかえって助かりました。

 またもやほとんど道標のない道を、ネットの山行記をもとに手探り状態で進みました。それがなければ決して到達できないような、本当にわかりにくい道でした。

 杉の葉の積み重なった谷を降りきったところで、平均年齢を下げている女性が足首の辺りを見て、「痛い!」と声を上げました。見ると、ヒルが靴下の上から噛みついていました。ヒルがいるのは聞いていましたが、本当に出てきました。すぐにヒルをつまんで取りました。小さいヒルでしたが、決して気持ちのいいものではありません。

 川沿いの古びた林道を上がり、急斜面を登り切ると、台杉が見え始めました。「ワァー!」「こっちも、ウワァー!」と声を上げながら進むと、立派な道標が姿を見せました。京都府自然環境保全地域の自然観察路に入ったようです。やっとここまでたどり着いてホッとしました。

 この辺りは、もともと「御杣御料」という御料林で、産出する木材は皇室で使用されたそうですが、明治維新後に民間に払い下げられ、1999年に「京都府自然環境保全地域」に指定されたそうです。

 自然観察路をしばらく行くと、幹周15メートルほどの、この地域では最大とされている「平安杉」がたたずんでいました。しばらくはそれぞれが、「ウワァーーー」と惚れ惚れと見上げ、写真を撮ったり、触って杉のパワーをもらったりしました。

 台杉の根元なら雨もかかりにくいので、そこに陣取って、それぞれのおかずを交換したりしながら、お昼を食べました。

 観察路を出て、鍋谷山を経て井ノ口山に向かうべく林道を進みましたが、ネットの道案内通りにはいきません。林道工事が進んで、あたりの状態が変わってしまっていたのです。
 林道脇の尾根に登山道があるはず。木に数カ所の赤いテープを見つけ、ボクが偵察隊として藪こぎをして登ろうとしましたが、テープはそこだけで終わり、踏み跡もないので道がわかりません。おまけに低木が雨で濡れているので、びしょ濡れ。女性たちには無理だと判断して、もと来た道を戻ることに決めました。

 岩石に詳しいKさんの「臨時地学教室」を交えながら、林道を行って戻ること2時間余。またもや失敗。井ノ口山の伏条台杉は今回もお預けとなりました。

 ヒルのいる谷をもう一度歩くかと思うとゾッとしますが、仕方ありません。辺りは薄暗くなった上に、Kさんは眼鏡の曇りと膝の痛みで、なかなか歩が進まなくなりました。Kさんを気遣いながら、早く抜けたいヒルの谷を、進んでは待ち、進んでは待ちを繰り返し、ようやく最後の峠に到達。そこで、やはり食いついていたヒルを互いに取り合い、最後の下り。

 車のところにたどり着いたのは6時前でした。休憩を挟みながら8時間。暑くなかったのが救いでした。

 帰ってから調べてみて、ルート選択の反省点がまたいくつも出てきました。「あそこでこうしていれば、みんなを井ノ口山に連れて行ってあげられたのに・・・あんなに長時間歩いてもらわなくてもよかったのに・・・」と思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 梅雨にはいるとヒルの活動がますます活発になるので、しばらくは行きたくありません。それまでに、またルート研究を重ねて、皆さんにストレスのない山行をさせてあげたいと思います。「第3次 真如堂伏条台杉探検隊」の派遣は、秋です。

 目的の半分とはいえ、数百年にわたる風雪に耐えながら巨大な木になった伏条台杉にとり囲まれた景色は圧巻でした。杉の‘精’というよりは‘魂’というものがそこに生きている気がしました。

 反省点は多々ありますが、楽しい山行でした。もう一度行くぞぉ!

〜 大きな「平安杉」/地学教室 〜
2007年5月31日(木)  No.1418

どぶさらいと原稿書き
 ‘伏条台杉リベンジ登山’の予定が雨。昨日から雨は予測していましたが、だんだんひどくなって、雷まで鳴り出しました。雨天の場合は明日に順延することにしていたので、早々に中止を決定しました。

 登山が中止となれば日程が空くはずですが、することがなくて困るということにはなりません。雨の日には雨の日の仕事が待っています。

 新しい僧階へ補任するという正式な通知が昨日来たので、真如堂内の慣例に従って今年の当役に届け出をし、各塔頭へ挨拶の品を持って回りをしました。すべての昇補の時にこのようなことをするのではなく、今回は特別で、ボクにとっては初めてです。土砂降りの雨の中、その重みを感じました。

 今朝になって急に1200字の原稿執筆が舞い込んできました。少し書き始めましたが、なかなか‘モード’が切り替わりません。しかたがないので、早い目の昼食を食べて休憩していたら雨があがってきました。

 明日の登山に備えてすぐ近くのスーパーに行き、ビタミンCの飴、あんパン、ドライフルーツなどを入れていたら、塔頭の奥さんに出会い、「先ほどはどうもご丁寧に」と言われ、買い物かごを片手にちょっと恥ずかしい思いをしました。

 ますます晴れて来たので、原稿など書いていられないと作業着に着替え、腰にノコギリと剪定鋏ぶら下げて、鍬を持って境内に出ました。以前から、境内の雨水溝のどぶさらいをしなければいけないと気になっていたのです。鋤で溝の土砂を上げたり、中に生えた草を抜いたりしましたが、雨後、一気に晴天になったので、蒸し暑くて汗だく。足下は泥だらけ。溝は綺麗になり、期待通りの成果を得ました。

 「今日はここまで! さぁ、原稿を書こう!」と始めましたが、一向に進みません。

 夕食後は雷鳴が轟き、悪天候へ逆戻り。真夏のようなパワフルな雷ではありませんが、それでも今年一番の雷でした。

 結局、原稿は一進一退を繰り返し、わずか1200字が完成しませんでした。明日、山を登りながら考えようっと。

 これといってまとまったことをしたわけではない1日でしたが、なぜか充実した感がしました。どぶさらいのお陰かな。

〜 菩提樹の蕾と午後の青空 〜
2007年5月30日(水)  No.1417

素直に「若沖展」
 どうしようかと迷っていた『若沖展』ですが、「『動植綵絵』が一部屋に集まって見られるのはそうないことでしょう」とのメールに触発され、行ってみることにしました。

 最近、「いい」と教えてくださったことには素直に添うてみることにしました。‘進化’です。

 8時半過ぎ、「さぁ行こう」と念のためホームページで開館時間を確認したら、「開館時間:午前10時〜」となっていました。仕方がないので、1時間、落ち着かないままに他のことをして、9時20分頃バイクで出発。10分余ほどで会場に着きました。

 長蛇の列と思いきや、どんどん人が入って行かれます。何だか開いている感じです。チケット売り場に行き、2人を待って購入。会場へ早足で向かいましたが、入り口までの遠いこと。100メートルほどあるかのように感じました。

 澱むことなく人は入り口に吸い込まれ、すぐに閲覧室へ。掛かっていたのは若沖の絵ではありませんでした。ちょっと肩すかしを食らった感じです。

 一部屋置いて、若沖の掛け軸が展示してありました。そして、水墨画、水墨のふすま絵、障壁画。水墨画の力強いタッチと丸み。単純には比較は出来ませんが、1週間ほど前に見た福田平八郎よりも、若沖のほうが明らかに好きだと感じました。

 少し離れた展示室が今回のメイン、若冲の着色画の最高傑作『動植綵絵』30幅。『釈迦三尊像』を荘厳する目的で描かれたこの絵本来の配置を再現したという展示室に入った瞬間、それらの色鮮やかな色彩とコントラストに圧倒されました。

 係の人が、入り口で立ち止まらずに好きなところから見て欲しいと繰り返して言っていたので、部屋の中は右回りに見ようとする人と、左回りに見ようとする人ができ、絵の前で人が交差していました。
 ボクは中央に立って、空いている絵を見つけては近寄りましたが、空いているといっても、人越しにしか見えませんでした。

 すべての絵を見終わった後、もう一度好きな絵に近づいて見てまわり、なかなかその展示室を離れられませんでした。

 群鶏を描いたものなどがとりわけ人気が高いようですが、『動植綵絵』の中でボクが一番好きだと思ったのは『池辺郡虫図』。その名の通り、池の中、回りに住む小さな生き物、おたまじゃくし、蛙、蜻蛉、蝶、いもり、飛蝗、かぶと虫、そしてボクの大嫌いな蛇などを描いた絵です。
 30幅の中でも最も地味な数幅に入るであろう絵ですが、この絵を見ていると、なぜか、栗林慧氏の昆虫写真を見た時と同じような、虫たちの秘密の世界を垣間見ているようなウキウキ感に見舞われました。

 意表を突く感のする『群魚図』などは、若沖が錦で青物商の主人だった時によく見かけた鯛や蛸を描いたのかとも思います。

 廃仏毀釈で存亡の危機にあった相国寺は、知事の斡旋で『動植綵絵』を皇室に献上して金1万円を下賜され、それで寺域を維持できたといいます。相手が宮内庁だったからこそ散逸せず、保存状態もいいのでしょうが、廃仏毀釈は近代日本の大きな汚点だといつも思います。

 帰る頃には、入館まで45分待ち、1時間待ちという状態になっていました。

 「混んでいる」と聞かされると決して見に行こうとはしないボクなので、こんなに混んでいる展覧会は久しぶり。『動植綵絵』の展示室の混乱に疲れました。

 午後は大津・坂本で会議。会議の間はシャンとしていましたが、夕方帰った頃にはまた疲れがぶり返した気がしました。

 素晴らしい絵でした。勧められて素直に見に行き、得をしました。これからは天の邪鬼はやまて、素直なスタイルでいこうかな?

〜 会場へぞろぞろ向かう人たち 〜
2007年5月29日(火)  No.1416

竹の寺
 「竹の美しさに心が癒されました」と、ある方から感動のメールをいただいた西京区の某寺。近くまで行ったついでに思い切って寄ってみました。

 門の前の背の高いもみじの若葉が、黄砂の晴れた空から降り注ぐ日の光を受けてなんとも美しい! その下で、茶色い作務衣をまとい、苔の中から生えている草をひいている老人に挨拶をして門の中へ。拝観受付を見ると、誰もおられません。どうしようかと思う間もなく、先ほどの老人が音もなく小さな小屋の中に現れたので、拝観を申し出ました。

 門から正面の地蔵堂に至る両側は、背の高い孟宗竹に覆われていました。今年出た筍も高さだけは先達の竹に負けないほどに伸びてはいましたが、若緑の色と先端にかぶってる皮が新参者であることを露呈していました。左の竹藪の向こう側には建て売り住宅の裏側が並んでいて、竹の美しさとは対比を為していました。

 両側に迫る竹藪、地蔵堂の前の背の高いもみじの青葉、実に美しい光景でした。ボクにこの寺のことを教えてくださった方に感謝をしました。

 実は、この寺の裏側に檀家があり、その家からもこの寺の竹藪がよく見えていました。10数年前転居されたその檀家の家を探して迷い、寺の山門付近をウロウロしたこともありました。裏側には歴代住職の墓所があり、時間つぶしに見て回ったこともありました。
 しかし、寺に入るのは初めて。勧められなければ決してくることはなかったでしょう。

 本堂の地蔵堂に参詣し、ふと天井を見上げると、格天井の板が合板でした。「お金がないんだなぁ」、即座にそう感じました。
 一番大切な建物であり、目立つ本堂の天井に、明らかに合板とわかる板を張ることは普通は考えられません。禅寺などでは余計に考えられませんし、拝観をしている寺なのですから、まずはあり得ないことです。そうせざるを得ないのは経済的な理由からでしょう。

 書院に行き、静かに座していると、鳥の声があちこちから聞こえてきました。しばらくして、3人連れの女性が来られて、ボクの前に座っておしゃべりを始められましたが、不思議と気にならず、鳥の声だけが耳に入ってきました。

 書院には大した物は展示してなく、障子は破れて色の違う紙で不器用に修繕され、古ぼけた写真や破れかけた屏風、色の変わった張り紙などが風情を損なわせている感がありました。

 「この寺には若い僧はいないのだなぁ。きっと、さっきおられた作務衣の方がご住職なんだろう」

 書院の雰囲気から、そう感じました。

 圧倒的な竹に囲まれた素晴らしいロケーション。少し手を入れるだけで、もっとこの空間が生きてくることは確実です。でも、老いたご住職にはお金を掛けて修復をしようという気は、後継者のいない老い先を考えれば起きてこない。日々暮らしていけるだけの収入さえあればいいのだ。そんな老僧の気持ちが伝わってくるかのように思えました。
 この寺の侘びた雰囲気は、次に入ってくる住職によっては、ギラギラしたものへと変わってしまうかも知れません。それならば、今のままのほうがよほどいいかも知れない・・・。

 すべてはボクの勝手な想像です。お寺の内情を勝手に想像して、膨らませているに違いありません。庭を見ても、建物を見ても、掲示を見ても、そんな余計なことを考えてしまうのです。

 「筍はどうされたんだろう。いっぱい召し上がったんだろうなぁ。人にも差し上げられたんだろうなぁ」 余計なことです。

 門の外で草をひいておられた作務衣のご老人に礼を言って、寺を辞しました。


 ♪ 負けないで もう少し  最後まで走り抜けて
    どんなに離れてても  心はそばにいるわ 追いかけて 遥かな夢を ♪

 そう歌った歌手が亡くなりました。この人の歌に励まされた人も多かったでしょう。

 ボクもこの人の透明感のある声が好きで、去年発売されてミリオンセールとなったベストアルバムをTSUTAYAで借りてコピーしました。また聞かせてもらいます。

 ご冥福をお祈りします。

〜 参道に迫る竹林 〜
2007年5月28日(月)  No.1415

不正な書き込み
 最近、掲示板に不正な書き込みが増えています。

 迷惑メールは、ウイルス対策ソフトが賢くなったお陰で、そのほとんどは自動的に[ごみ箱]に直行。その数は、日に200通以上になります。

 掲示板への不正な書き込みは機械的に書き込まれるものがほとんどで、その大半は外国から行われています。書き込み元を調べてみたら、中国、アメリカ、北アフリカ、北欧などいろいろ。インターネットに繋がってさえいれば、どこからでも書き込めるわけです。

 不正な書き込みに占領されている掲示板もあれば、それが嫌で掲示板を閉鎖してしまうサイトもあります。

 ボクのホームページの場合は、絶えずチェックしていたり、不正な書き込みを消す協力してくださる方もあったりして、1時間以上それらが放置されることはまずありません。でも、非常に面倒で腹立たしいのも事実です。

 IPアドレスで規制をしても、相手はどんどんそれを変えてきますから、何の役にも立ちません。

 そこで、先日来、掲示板のプログラムをいろいろ触ってみました。まず、半角英数文字だけの書き込みをブロックしました。外国からの書き込みはほとんどが半角英数文字だけでだからです。すると敵も然る者、今度は[2バイト文字]と呼ばれる漢字などの全角文字を少し混ぜた書き込みが、その網目をくぐり抜けてきました。その対策に、全角文字を5文字以上入れないと書き込めないようにしたところ、8文字ほど入れてくるようになりました。まったくのイタチごっこです。今日現在は10文字以上入れないと書き込めない設定になっています。

 しかし、中には日本語を使ってアダルトサイトへのアクセスを勧誘する書き込みもあります。上記のような規制は何の役にもなりません。たとえば、「SEX」「エッチ」など、特定の言葉を含んだ書き込みを規制することもできますが、通常の書き込みに使われないとも限らないので、制限すると不自由になることも考えられます。

 日々、淡々と消すしかないというのが現状です。

 2月のインド旅行の「閑話」がやっと書き上がりました。最後は記憶も薄れてきたこともあって、省略の連続。「いまさらもういいじゃないの」と思いましたが、数年来続けている「閑話」に穴が開くのも嫌だったので、とにかく埋めました。

 内容はともかく、「やっと終わったぁ〜〜」

〜 収穫した「ゆすらうめ」。なぜか苦くて美味しくありませんでした 〜
2007年5月27日(日)  No.1414

大文字散歩
 何だか歩きたくなったので、朝、ちょこっと大文字山に登ってきました。

 鹿ヶ谷の登山口までバイクでひとっ走り。「大」の右足を登って火床の中心まで20分弱、三角点まで15分、かつて平家討伐の談合が行われた山荘の谷を下り、再びバイクで戻るまで、1時間余の足慣らしコースでした。

 土曜日で人が多いかと思いましたが、行き交った人は10人足らず。下りににぎやかな女性4人連れと遭遇しましたが、一気に抜き去って距離を置き、また静かな一人歩きを楽しみました。

 大文字山から如意ヶ岳に至る山並みは、送り火が催されるというだけではなく、様々な歴史の舞台ともなりました。

 応仁の乱の頃は城が築かれたりもしました。「如意ヶ岳」という名前も、平安時代に山中に創建された「如意寺」という三井寺の別院に由来します。如意寺は広大な寺域を有し、西は鹿ヶ谷「楼門の滝」のところに「月輪門」が、東の楼門として三井寺の西に「発心門」、南は山科・藤尾に「藤尾門」が、北は志賀越道の志賀山に接するまでが境内でした。

 最も有名なのは、後白河法王らの近臣らが平家討伐の密談を交わしたことでしょう。今日、久しぶりに下った谷は、その出来事から「談合の谷」と呼ばれていて、密談の行われた僧坊近くの「楼門の滝」の上には「俊寛僧都忠誠之碑」という大きな石碑が建っています。法王と平家、三井寺と比叡山の確執がよみがえってくるような、空間です。

 また、この辺りは地質学的に見ても面白いところだそうです。
 比叡山と大文字山の間は、稜線が大きくへこんでいるのが目立っています。ホルンフェルスという硬い岩で作られた二つの山の頂上は浸食されず、その間にあった花崗岩の部分が風化し浸食されて京都盆地へ大量に流れ込みました。京都市内の北東が高くなっているのは、この扇状地堆積層だからです。

 バイクで出かけようとした時、先日、北山にご一緒したKさんに出会いました。日課の犬の散歩の途中で、ちょうど犬がウンチをしている最中でした。

 Kさんは六百数十回も大文字山に登られたそうで、「一番早かったのは、八神社から火床まで12分でした」と、自慢げでおっしゃっていました。
 Kさんの興味は鉱物採集。山へ登るのもそれが第一の目的だそうで、ホルンフェルスの中には「桜石(菫青石)」と呼ばれる石が出たそうです。

 このように、大文字山はただの里山ではなく、単にハイキングを楽しむことも出来れば、歴史を歩いたり、地学の勉強をするなど、いろいろな意味でとても面白い散歩道です。ボクの大好きな散歩道です。

 ゆっくりと時間をかけて京都を巡る時間のある方で、歩くのを厭われない方には、ぜひ一度登ってみられることをお勧めします。また違った京都が見えてくるでしょう。

 以上、「大文字登山のすすめ」でした。

〜 楼門の滝付近の俊観僧都の碑 〜
2007年5月26日(土)  No.1413

衣を新調
 正式な通知はまだ来ていないのですが、4月21日付で僧侶の階位が上がることになりました。この際、僧階の是非などについてやボクにその値打ちがあるのかという議論は置いておきます。

 僧階が上がるのに伴って、正式な時に着用する僧衣の色が変わることになります。

 天台宗の場合、僧階は大僧正・権大僧正・僧正・権僧正・大僧都・権大僧都・僧都・少僧都・権少僧都・大律師・中律師・律師・権律師の13通りあります(「権」は、「正」に対する「副」という意味です)。それに応じて、衣の色が紫・松襲・萌黄玉虫・赤と変わり、袴や五条袈裟などの色・紋も変わります。

 ボクも今回の決定によって衣の色が変わことになりますので、今日、法衣店に来てもらって、衣一式の注文をしました。

 素絹(衣)・五条(袈裟)・袴で1セットで、衣には夏と冬の別がありますから、それぞれが必要になってきます。
 また、日常的に自坊で着用するものと、他の寺の法要などに出仕する時や正式行事などの時のための、いわゆる「晴れ着」に相当するものも必要でしょう。常用と上用の違いは、主に素材が絹か化繊かです。
 五条は夏・冬の区別しかありませんが、素絹と袴には夏・冬、普段・晴れ着の別があります。つまり、それぞれ4つずつ必要だということです。
 素絹・五条・袴の夏・冬、常・上を合計すると全部で10領。僧衣はユニクロで買うような値段ではありませんから、ものすごい費用になります。

 もしボクが平均寿命まで生きるとしたら、あと約30年は今度誂えるものを着用することになりますから、この際、用意しないわけにもいきません。

 若い頃の「衣の色に何の意味がある。坊さんの値打ちはその行動次第だ」などと血気盛んに思っていた頃なら、僧階に合わせた衣をこんなにすぐに作りはしなかったかも知れません。詳しくは書きませんが、逆の意味でいまは、「そんなに衣の色にこだわらなくてもいいのではないか」と思うようになりました。丸くなったのではなく、‘エネルギーの節約’です。意味不明?

 注文したことを忘れた頃でないと仕立てあがらない悠長な衣屋さんですから、当然、6月の更衣には間に合いません。10月、再び冬衣に替わる少し前には、新調した夏衣を着ることになるでしょう。

 ボクが紫衣を着るようになるとはなぁ・・・思いは複雑です。

〜 法衣屋さんのカタログの五条袈裟 〜
2007年5月25日(金)  No.1412

文化的な午後
 国立近代美術館の「福田平八郎展」を鑑賞。空いていて、ゆっくり堪能することができました。

 ブームの「若沖展」は入館するのに30分以上待たされることもあるとか。混んでいる中で見るストレスは、ボクにとっては素晴らしい絵を見た感動以上のマイナス要素なので、たぶん行かないかな。

 植物園のバラが満開だというので、続きにひとっ走り。

 お寺の用事を除き、出かける気がない時はこういう‘イベント’にはほとんど行かない質。そんなところに行くよりも庭作業をしていたいと思ってしまうのですが、いったん出ると、「ついでに行っちゃおう」とお尻が軽くなることもあります。今日はそんな感じ。
 植物園のバラ園は下調べ通りの満開。約300品種、2000株の色とりどりの花が盛りを迎えていました。

 ただ、暑い! 真夏のような日差しで、帽子の中も蒸れ蒸れ。全部のバラを見ていると倒れそうなので、日陰を求めて移動しました。

 紫陽花園の近くでモリアオガエルの卵塊が見られると、植物園のホームページに書いてあったので、作業をされていた職員さんに場所を聞き案内してもらいましたが、ごく小さい卵塊が一つあるだけでした。

 「大きなふうの木、新緑がきれいだったら、1枚パチリとお願します!」とメールをくださった方がおられたので、木の真下からパチリ! 大きなふうの木の新緑は、すべてをやさしく包み込んでくれるように見えました。

 歩いていると「バナナの木」の匂いがしてきたので、鼻を突き出して前へ後ろへと木を探索。ようやく「唐種招魂」3本発見! 立派な木でした。「ナンジャモンジャ」は、花が終わっていました。

 四季色とりどりの花が咲く花壇も綺麗ですが、いろいろな木が植わっている生態園などには意外な発見がたくさんあって、予期せぬ喜びに出会えます。

 展覧会の感動とバラ園の日差しに疲れたので、今日の植物園探索は‘軽め’に止めておきました。

 充実した午後でした。

〜 ふうの木の新緑 〜
2007年5月24日(木)  No.1411

危険がいっぱい
 夕べの大津の会議の後の懇親会で、楽しくて少し飲み過ぎたのか、今朝、散歩をした時、すごく体が重く感じられました。

 暑〜い午後は、大躑躅の刈り込みと、躑躅を日陰にしてしまう他の木の枝の伐採作業をしました。

 大躑躅は、2つ並べた脚立の間に渡した板の上に乗って、電動の刈り込み機を手の届く限り頭上にかざしての作業。それでも届かないところは、高枝切りで一枝ずつ狙いを定めて切りました。

 大躑躅を日陰にしてしまう枝は、高さが6メートルぐらいあります。2連梯子を目一杯伸ばしての高所作業。

 緊張する作業が続いた後、地面に降りたら、自分の意志とは関係なく、フワッと3歩ほど勝手に歩いてしまいました。少し虚血状態になったのかも知れません。

 「たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩歩まず。啄木は3歩も歩かなかったけれど、ボクは勝手に3歩歩いたなぁ」などと咄嗟に思いましたが、そんな悠長なことをいっている場合ではありません。もし足場の上でふらついていたら、梯子に登っている時だったらと思うと、ゾッとします。

 「暑さのせいかなぁ」と思って、何気なく下を見たら、ズボンのチャックが全開状態。「全開にして冷やしているのになぁ・・・」と、またつまらないことを思いました。

 そんなところの風通しをよくしても何もなりません。作業中、2人の女性が通られました。その時も開いていたかと思うと、ちょっと恥ずかしくはありますが、‘妙齢’を卒業されて久しい方たちだったのが救いでした。

 作業の区切りも付いていたので、今日の植木屋作業はこれでお仕舞いにして、自坊に戻ってレモン酢ドリンクをいっぱい飲みました。

 「よっしゃ! これで疲労回復!」

 夜は、昨日、和菓子屋さんからお借りした小冊子をもとに、「メダカの学校」の資料を作成。ますます和菓子に惹かれました。

 今日、「鮎」菓子をいただきました。もうそんな季節になってきたのですね。

〜 剪定中の大躑躅 〜
2007年5月23日(水)  No.1410

「落とし文」
 来月の「メダカの学校」は、折々の季節の和菓子を紹介していただこうと、市内の和菓子屋さんを講師にお願いしました。

 中京のその店あたりは、表千家系の茶家の一つもあり、辻を曲がれば和菓子屋さんがあるような‘激戦区’。当然、その菓子店も茶道との繋がりも深く、かと言って全然気取りがありません。

 この店のご主人が、たまたまうちの住職に菊の苗をもらいにお越しになっていたご縁から講師をお願いしたところ、翌日に茶会を控えて忙しい中にもかかわらず、快諾してくださいました。

 今日はその打ち合わせ。ボクも今までに何度か菓子を求めに伺ったことがあります。この店の「松露」は絶品。砂糖でくるんだようなその外見にずっと食わず嫌いでいましたが、一口食べた時、口の中で崩れていくような餡の感触に、「どうして今まで食べなかったのだろう」と悔やまれました。以来、菊の苗のことなど知らず、時々進物などにも使わせていただいていました。

 ご主人に会うのは初めて。今まで出てこられたのは若い職人さんでした。

 「職人らしい無口で堅苦しい人なんだろうなぁ」と思っていたら、まったくさにあらず。いかにも、お客さんとのコミュニケーションを大切にやってこられたお店のご主人という感じでした。

 「話を聞きに来られる人のために、お菓子の写真を載せた配布物をこちらで作らせていただきたい」と言うと、茶道系の出版社が出している和菓子の冊子を持ってこられ、月ごとに「あっ、これもいいです。これなんか面白い話があります」と話が尽きない様子。

 饅頭の話になり、ボクが「紅白、どちらに粒餡を使うとか、決まりがあるのですか? 最近、両方とも漉し餡というのがあり、私は粒餡が好きですので、ちょっとがっかりしたのです」と申し上げると、「決まりはありません。両方漉し餡なんて、その菓子屋は手を抜いているのですわ」とスパッと言われました。
 何でも、このお店の場合、粒餡は漉し餡の4倍ほどの材料費がかかるのだとか。また、粒餡は崩れやすいので、饅頭などは二重餡にすることもあるけれど、肝心の漉し餡が少しだけだったり、二重餡の白餡が美味しくなかったりで、感心しないものも多いのだそうです。

 そんな説明を聞いた後、「落とし文」という、粒餡を葉っぱを形取った緑の練切でくるんだ菓子を頂戴しました。虫が葉に卵を産みつけて巻き、切り落として地面に落ちたもののが、巻き手紙に似ていることから付いた名前です。
 餡にこだわっておられるという話を聞かせていただいた後でもあり、餡のみずみずしくふっくらとした食感と練切の違った食感、適度な甘さが実に美味しかったです。

 材料選びや作る過程はもちろん、ネーミングやその背景にある故事来歴、自然の営みに関する知識、果ては後継者難まで、この業界の奥深さを実感させていただきました。

 「1時間しゃべらせていただいたら、サッと帰ります」とおっしゃっておられましたが、実に楽しそうに菓子のことをお話しになる様からは、「興に乗られたら、1時間半でもしゃべっていただけるかなぁ」と大いに期待しました。

 話を聞きに来られるだろう人の数の「松露」を当日お持ちいただくようにお願いし、お商売の邪魔になりそうなので、配布物を作るための小冊子をお借りして帰りました。楽しい時間でした。

〜 「落とし文」〜ネットから拾った他店製の写真 〜
2007年5月22日(火)  No.1409

早めの夏衣
 恒例の東山のお寺の大般若。今月大般若は2座目。三斎月の「正・五・九」は、定例行事も多目です。

 昨日、法要でご一緒する僧侶から、「明日は夏衣にしましょう」と電話がありました。夏衣へのは更衣は六月からですが、例年、今日あたりになると結構暑いのと、大般若の法要は大きな声を出して動きもあって暑くなるので、たいてい「夏衣にしましょう」ということになります。

 冬衣から夏衣に替わると、荷物が1/4程度になり、何か忘れ物をしたような気になります。

 それほど暑くはなりませんでしたが、夏衣にしてよかった夏日でした。


 先日来、本を読もうとしているのですが、なかなか進みません。読んでいるとすぐに眠たくなり、ただ文字を追っているだけになったり、しまいには目をつぶっていたりして、「10分寝てスッキリしよう」と思ってゴロンとすると、「はい、それま〜でえ〜よ」。
 こんなことでは新しい知識が何も入ってきません。抜けていくほうは容赦なしですから、そのうち頭が空っぽになってしまいます。

 ちょっと危機ですねぇ。

〜 法要のあったお寺の池に遊びに来ていた鴨〜携帯にて 〜
2007年5月21日(月)  No.1408

カステラはお腹へ、エゴグラムは心に、染み入る
 法事を終えた午後は、ひたすら躑躅の刈り込みや庭木の剪定作業。汗をかくこともなく、作業をするにはちょうどよい気候でした。

 夕方、寺町のアジアン雑貨の店に行きたくなってバイクを走らせると、寺町通の東側には露店がズラッと並んでいました。下御霊神社の祭礼です。そういえば、木曜日の夜、上御霊神社の近くが交通規制で通れませんでした。上下の御霊神社の祭礼は同じ日に行われるのでしょうか。

 両御霊神社とも、桓武天皇の頃に各地で流行した疫病が御霊の祟りであるとして、それを鎮めるために神泉苑で催された御霊会(863)が創祀とか。祭礼のにぎやかさからは、古のそんなおどろおどろしいことは想像できませんでした。

 アジアン雑貨の店には欲しい物がなく、ふと露店に目をやると、前田のベビーカステラの店の背中が見えました。

 露店というと、子供の頃はアテモンやゲームが楽しみでしたが、大人になってからはこの前田のベビーカステラが楽しみです。焼いた尻から売れていきますから、いつも焼きたてのあたたかいベビーカステラが食べられます。

 さっそく小さいほうの500円の袋を買い、その場で一つ、口に放り込みました。何だかいつもより甘い気がしましたが、口の中にはいつものベビーカステラの食感が広がりました。

 袋をヘルメットホルダーに入れてホームセンターへ。帰る時にヘルメットをかぶろうとしたら、内側の頭皮が当たる部分がカステラの熱であたたかくなっていて、心地よく感じられました。

 自宅に帰って、苦くてこくのあるヨーロピアンブレンド・コーヒーを飲みながら、ベビーカステラをパクパク。「これで最後にしよう」と思いつつ、また手が出てしまいます。柔らかい部分も美味しいですが、型の合わせ目の、薄っぺらい‘耳’の部分も香ばしくて美味しい! ほとんど平らげてしまいました。

 食べ過ぎたのをちょっとだけ反省し、体を動かそうと、ほんの少しだけ植木仕事。


 夜、何気なく久しぶりに心理テストの「エゴグラム」をやってみたら、「AC(Adapted Child)」の項目だけが低いパターンが出ました。つまり、「柔順なイイ子」的な要素が低く、協調性に欠ける、人の話に耳を貸さない傾向があるということです。

 確かにそうかも・・・。最近思っている自分の欠点と合致したこともあって、妙に染みいりました。

 肌寒い夜でした。

〜 袋詰めされる前のベビーカステラ 〜
2007年5月20日(日)  No.1407

一件落着
 「大変ですねぇ」と何人かの方に言われるので、「何がですか?」と聞くと、プリンタの件。

 「他に書くことはないのか?」と思われるでしょうが、事の顛末のご報告。

 昨日、トラブル続きのプリンタのサポートセンターから、衣類などが汚れた被害の補償をしたいというFAXが入りました。汚れたのは幸い黒いズボンだったのと、ユニクロだったので、応えずに放っておきます。

 インク漏れのあった17日の夜に手配したこれまでとは違うメーカーのプリンタ複合機が届いたという連絡が、正午過ぎに入りました。

 手をこまねいて待っていたので、すぐに車を飛ばして鷹峯に。セットアップはあっという間に終わり、プリンタ、スキャナー、コピー、FAXの機能が使えるようになりました。
 今までのトラブルはまるで嘘のよう。これが普通、こうでなくっちゃいけません。

 本当にやれやれの、6日間にわたるプリンタ複合機の顛末でした。

 テレビでは、トラブル続きのプリンタのメーカーの創業者たちが使ったガレージが、「シリコンバレー発祥の地」としてアメリカの史跡に指定されたと報じていました。
 「創業者が泣くぞ!」

〜 緑滴る鷹峯の寺 〜
2007年5月19日(土)  No.1406

紫陽花色づく
 紫陽花のつぼみが日に日に大きくなって、コバルトブルーの早咲きの額紫陽花も少し色づいてきました。紫陽花の季節が来たことをいち早く知らせてくれる花です。

 去年、挿し芽をした紫陽花が元気に育ち、幾株かは花芽を付けています。そろそろ地に降ろしてあげたいのですが、まだ小さいので盗られるのが目に見えています。

 去年は紫陽花や山吹を根こそぎ盗っていくのが頻発しましたが、同時に境内に家庭ゴミを捨てて帰る人も出没しました。

 家庭ゴミを捨てて帰る人は塔頭の和尚が尾行をして家を突き止め、家族にそんなことをさせないようにと申し入れをした結果、ゴミ捨ては止まりました。それと同時に、苗泥棒も現れなくなりました。
 ゴミを捨てて空になった手で苗を持った帰った? そんな想像も容易です。とすると、もう苗は盗られないかも・・・。

 せっかく育てた苗をみすみす盗られるようなことはしたくないですし、盗って帰ってもどうせなおざりにされて枯れてしまうに決まっています。それはあまりにもかわいそう。
 毎日挿し芽苗に水をやりながら、「どうしようかなぁ」と思案しています。夏が来る前に何とかしてあげないと・・・。困ったなぁ・・・。

 雨が降るのは鬱陶しいですが、紫陽花が生き生きしているのを見ると、「雨が降ってよかったなぁ」と思います。

 年老いた閑人の戯言みたい。

〜 色づいてきた紫陽花 〜
2007年5月18日(金)  No.1405

日本仕様はインク垂れ流し
 鷹峯の某寺に日本仕様のプリンタ複合機が届いたので、セットアップに伺いました。

 「やれやれこれで一段落だなぁ」と思ってセットアップしていたら、「インクがありません。空になったカートリッジを交換して印刷を再開してください」というエラー表示。
 「なんでやねん。いま真っ新のインクを入れたところやんか」と思わずプリンタに突っ込み。黒のカートリッジを外して振ってみると、確かにおっしゃる通り空っぽ。

 「おかしいなぁ・・・」とプリンタ自らがセットアップのためにプリントした紙を見てみると、裏にべっとりと黒いインクが付いていました。

 「あかん。インク漏れや。これはきっとまた交換やな」

 メーカーのサポートセンターに電話したら、「ただいま順番にお繋ぎしております」と繋がるのに1時間以上待たされ、やっと繋がって症状を説明すると、「技術の者からお電話さし上げます」とまた1時間待たされ、やっと出てきた‘技術の者’らしからぬ女性に症状を説明すると、「他にもそのような症状が報告されております。新しいものと交換させていただきます」と、いともあっさりと言われてしまいました。

 中国仕様の次はインク漏れ。パソコンの販売台数が、昨年はDELLを抜いて世界一になったHPですが、もうこんなメーカーのプリンタは使う気になれません。

 その女性の言うことは紋切り型で埒があかないので、‘スーパーバイザー’とやらに代わってもらい、「次に交換した機械だ不良だったら返品・返金します」というのを、「二度あることは三度ある。信用ならねぇ!」と押し切って、返品・返金してもらうことにしました。「次の機械が不良だったら」などという前提で話をするサポートセンターなんてあり得ません。

 返送するのに梱包していたら、手や腕はインクだらけ、ズボンまで汚れ、機械を包んだビニール袋の内側にはインクが溜まっていました。梱包した段ボール箱は、畳などを汚さないよう土間に降ろしました。

 今日の数時間はいったい何だったのでしょう? いや、この数日間は・・・。まったくの徒労でした。こんなメーカーを選んだボクも、何だかばつが悪くって・・・。

 自坊に帰り、すぐに違うメーカーの複合機を手配しました。もう疑心暗鬼になってしまいそうです。

〜 こんな美しい門の中ではプリンタを巡るバトルが繰り広げられていました 〜
2007年5月17日(木)  No.1404

伏状台杉
 境内に散歩に来られる女性に、「北山の伏条台杉を見に連れて行ってください」と以前から頼まれていました。

 鞍馬の奧、花脊・鍋谷山の支稜部には大きな伏条台杉の群生があり、最大規模のものは、樹高20メートル、胸高幹周18メートル余に達します。
 台杉は、根際近くから枝が何本も分岐する杉で、自坊の庭にも人工のものがありますが、ここのは天然で、しかも規模が桁外れです。

 その女性Oさんは、以前、本でその杉の姿を見た印象が忘れられなくて、ぜひとも行きたいと願っておられたのでした。

 他にも何人かに声を掛けられ、一時は6名ほどのツアーになりましたが、ぎっくり腰や体調不良で、結局、今日一緒に行くことになったのは、62歳のOさんと、境内に犬の散歩に来られる72歳の男性Kさん、そしてボクの3人となりました。もし、キャンセルがなかったら、平均年齢は65歳を超えていたでしょう。

 自坊の前に集合してもらって、ボクの車で途中道に迷ったりしながら約1時間半で登山口付近に到着。道標もなく、地元の人に聞いてもよくわからない状態でしたが、ともかく車を置いて歩き始めました。

 あちこちの山を歩き、北山にも明るいというKさんが先頭。半信半疑で進みながら、道の分岐に至りました。地図には分岐はなく、直線の道しか書いてありません。道の様子も見に行ったKさんが、「こっちじゃないです。こっちです」と真っ直ぐ進んだ道が、後から考えると間違いでした。

 そのうち道はなくなり、踏み後も消え、道なき道を進みました。
 急な谷間に至り、少々お疲れの出た2人を置いて偵察に行ったら、斜面の上に林道を見つけました。30度ほども傾斜がありますが、登るしかありません。先に登り切って、立派すぎる千節の新設の林道を偵察に行きましたが、なんの目印も道標もありません。

 林道にいる限りどこかへ通じるという安心感もあり、方向のわからないままもとりあえず登っていくと、林道を造るために切った山肌の上に伏状台杉が何本も見えました。

 切り立った山肌についた小道を上り、1本の伏条台杉のもとへ行きました。幹周りは10メートルほど。少し弱っていて、何種類もの木が宿り木していました。根元には、養蜂家の置いたとみられる蜜蜂の巣箱らしきものがありました。

 とりあえず、本命ではないものの大きな伏条台杉を見つけることが出来たので、ひとまずそこでお弁当。方位や地図、地形を何度見ても、いまだに自分たちがどこにいるのかわかりません。

 また林道に戻って登り始めました。遠くでチェーンソーの音がしていますが、道を聞ける距離ではありません。
 そのうち、林道はピークを過ぎて下り始めました。地図と睨めっこして、ようやくその時点で自分たちがどこにいるか、どの時点で道を間違ったかが、初めてわかりました。

 最初の分岐で、90度違う道を選んでしまい、違う谷に入り込んでしまったのです。めざす伏条台杉の群落とはまるっきり方角違いでした。

 これほど道標のない山は初めてですが、この辺り一帯は私有地で、最近、伏状台杉を見に入る人が多くて荒らされるらしく、わざと道標を設置してないのも知れません。
 ボクたちも入山に際しては山主さんの許可を得ましたが、結局、そっちの山とは違うところをウロウロしていたのです。

 林道は下る一方。道の両側に、大きな伏状台杉が何本も見えましたが、目的地にあるのはもっと巨大な杉だったのでしょう。そこに行くには数時間戻らなければならないので、誰も戻ろうとは言い出しませんでした。

 林道を歩くこと約3キロで国道に出、約6キロの舗装道路をてくてく歩いて、ようやく車のところに戻りました。ちょうど山の回りをグルッと1/3周したようです。

 藤がやっと満開。まだ八重桜の名残や八重の山吹も咲いていました。京都市内よりも2週間ほど季節が遅い感じ。伏状台杉の巨木は見られませんでしたが、新緑を楽しめたハイキングでした。

 帰りに、言い出しっぺのOさんに、「もう一度行きましょう!」と言いましたが、よほどおくたびれになったのでしょう、「少しでも見られましたし、あとはイメージの中で」とお答えになりました。

 最近よく聞かれる「再チャレンジ」という言葉は好きではありませんが、ボクはもう一度杉の巨木に会いに出かけたいと思っています。

〜 伏条台杉とOさん。正面に蜂の巣箱 〜
2007年5月16日(水)  No.1403

初刈り込み
 新芽も少し落ち着いてきたので、今年初めての刈り込み作業をしました。

 せっかく新しく伸びたのを刈り込むのはかわいそうですが、‘放任’するわけにもいきません。電動のヘッジトリマー(庭木バリカン)で、ザァーッと刈り込み。これは実に気持ちのいい作業です。ついつい刈り込みすぎてしまう人がいるのも無理がないかも知れません。

 つつじはまだ少し花が残っているので次回に譲り、主に垣根や綺麗な花を楽しませてくれた山吹などを刈りました。

 これからは刈り込みや薬散など、多くの作業が待っています。

 塔頭の中でも、うちは一番掃除管理区域が広く、植物も好きでいろいろなものを植えています。ですから、こういう作業は他の塔頭の倍や3倍はあるでしょう。でも、季節ごとの手入れも楽しみで、手入れをした花木に花が咲くのもまた人一倍楽しみです。

 軽く汗をかいて、お風呂の残り湯をかぶったら、思いのほか冷たかったのでビックリ。暑いといっても、まだ本当の夏には遠いことを肌で感じました。


 今日は葵祭。お天気にも恵まれ、たくさんの人がぞろぞろ歩いていたり、多くの観光バスが行き交っていました。

〜 刈り込んだ生け垣 〜
2007年5月15日(火)  No.1402

日本仕様へ
 昨日、プリンタについてのクレームを入れた通販ショップから電話がかかってきました。

 他にもボクと同じようなトラブルがあったそうで、平身低頭のお詫び。トラブルのあったプリンタはメーカーから直接配送されたそうで、その時に中国仕様のと間違ったのだそうです。「すぐに交換などをさせていただきたいので、メーカーから連絡させます」とのことでした。

 程なくしてメーカーから電話がかかってきて、明日、代わりのプリンタを届けて、今の中国仕様を引き上げさせてもらいたいとのこと。

 ずいぶん素早い対応にビックリ。しかもすんなり交換とは。

 でも、新しい機械をまたセットアップしに行かなければいけません。日本語表示の操作パネルの文字盤だけ交換してくれればいいのに。まぁ、いいか。


 ‘お経の宅配’で市内を北へ南へ西へ。また暑い日が戻ってきました。

〜 胡散臭いオッサン2人で行ったステキなお店(携帯画像) 〜
2007年5月14日(月)  No.1401

中国仕様
 早朝出かけた帰りにガソリンを入れに行ったら、明日頃から6円/L値上げの掲示がしてありました。原油高のあおりを受けたのでしょう。

 ガソリンスタンドも経営が大変とみえて、以前と比べて、その数は大きく減りました。後に出来るのはたいていコンビニ。これも時代の流れなのでしょう。

 ガソリンは上がし、その代替燃料となるバイオエタノールの余波で、果汁飲料、砂糖、マヨネーズなどいろいろなものが値上がりする。何だかおかしな構図になってきました。

 檀家参りや法事を済ませて、鷹峯のお寺のパソコンHELP。手配していた新しいプリンタ複合機が届いたので、そのセットアップなどに伺ったのですが、箱を開けてみると操作パネルは中国語。電源を入れてみると、液晶に表示される文字も中国語。

 単機能プリンタならば特に操作は必要ありませんが、プリンタ、FAX、コピー、スキャナーがついているので操作は複雑。意味のわからない操作ボタンや液晶表示ではさっぱりわかりません。おまけにマニュアルはオンライン。ネット上まで見に行かなければなりません。

 3時間かけていろいろやって、とりあえずプリンタ機能などは使えるようにはなりました。でも、こんな機械ではせっかく複合機を買った意味がありません。

 「自腹を切ってもっとまともな機械に買い換えてあげなければならないかも・・・あーお札が飛んでいく〜。でも、‘中国仕様’などということはどこにも書いてなかったぞ」

 液晶の表示言語はどこかで切り替えられるはずと思い、帰っていろいろ調べた挙げ句、ようやくオンライン・ヘルプの中に発見! さっそく、変更手順をFAXしてあげ、先方でその通りやってもらったところ、日本語表示に替わりました。

 「よかった・・・これで自腹は避けられる・・・」

 でも、操作するボタンの脇についている表示は中国語のまま。これはパネル自体を替えないとなおりません。マニュアルには、その国にあわせてパネルを差し替えるように書いてありましたが、「正誤表」にその手順は不要とわざわざ書いてあります。「不要」と言われても、それでは中国語のままじゃないですか。

 最悪、自分で日本語の表示の紙を作って貼るしかありません。とりあえず、販売店にクレームを、メーカーに善処を依頼しました。

 今まで、他の人に頼まれたものを含めて20台ほどのプリンタを買いましたが、こんなことは初めて。購入時の説明にも、「中国仕様」などとは一切書いてなかったので、販売店にもクレームのメールを入れました。

 何だかドッと疲れて、今夜は早寝。でも、この難題を解決していく快感がたまらないのかも知れません。変な趣味。

〜 ガソリン値上げかぁ 〜
2007年5月13日(日)  No.1400

御土居
 今日の「メダカの学校」は「御土居」の話。

 「御土居」といっても、自ら‘京都通’という方でもご存じない方が多いでしょう。今日、来られていた80才過ぎのお婆さんですら、「御土居っていうけど、北野さんのどこにあるのかわからへんなぁ」とおっしゃる始末。

 御土居は天正19年(1591)、天下統一をなしとげた豊臣秀吉によって、京都をグルッと囲むように作られた土塁(城壁)で、全長約23キロにもなります。御土居の外側には堀が巡らされていて、御土居と堀の幅を合わせると40メートルほどもあったところもあるという大規模なもの。高さも5mほどあり、竹が植えられていたそうです。

 応仁の乱によって荒廃した京都の町は、上京と下京に分断され、室町通1本でその間がつながれていたといいます。上京と下京ともに町衆自らが作った惣講(そうがまえ)で外敵から守られていましたが、天下を統一した秀吉が、その天下人としての威信をかけて、京都の人々の生命と財産を外敵や賀茂川の氾濫から守ることを見せつけた大事業が御土居でもあったようです。

 植えられた竹は御土居の崩壊を守るとともに、貴重な建築資材として、江戸時代には京都の生活に欠かせないものとなっていました。

 この御土居が残っている場所として有名なのは、北野の天神さんの梅園の中。まさかそれが人工的に作られたものだとは思えないほど大規模なものです。また、鷹峯に行く途中には300メートルに渡って残っていますが、フェンスで囲われているため、一部しか見ることはできません。

 今回のお話を聞いて、初めて知ったのは、よく通る今出川以北の鴨川沿いの賀茂街道が、実は堤防を兼ねた御土居だったことです。けやき並木の新緑が美しい賀茂街道がそうだったとは。

 時代の流れの中で、御土居の姿が転々として変わっていく様子は、ある意味はかなくもありました。

 大変興味深いお話でした。


 「メダカの学校」が始まって終わるまで、縁先ではずっと野良猫の‘クロ’が餌を求めて待っていました。どんどん人なつこくなって来て、少々のことでは逃げなくなってきました。

 ‘生徒’の皆さんが帰られて、片付けをしていてもまだ待っているので、根負けして、少しだけおやつをあげました。3年も前なら、石でも投げて追いやっていたところでしょうに・・・。

〜 授業風景/御土居の位置 〜
2007年5月12日(土)  No.1399

賀茂茄子
 檀家の方が、墓参の折に、賀茂茄子の初物を持ってきてくださいました。

 先日、お宅へお参りに伺った時、お仏壇に大きくまん丸いものが供えてありました。何かわからないほどきちんと包装してありましたが、下の方から紫色が見えました。この1月に亡くなったおじいさんの孫が農業をされていることを知っていたので、それがすぐに賀茂茄子だとわかりました。

 でも、仏壇に茄子が供えてあるのは見たことがありませんし、時期的にもまだ少し早い気がして、「このまん丸いのは賀茂茄子です?」と思わず聞いてしまいました。

 仏壇にお供えしてある物のことを話題にすると物欲しげに聞こえるかも知れないので、普段なら決して聞いたりしないのですが、茄子のお供えが珍しく、グレープフルーツほども大きかったので、ビックリ半分聞いてしまいました。

 おばあさんは、「大ちゃんが作った賀茂茄子です。初物やいうて持ってきてくれたんで、おじいさんにお供えしたんですわ」とお答えになりました。

 「大ちゃん」は、食学生の小学生の頃にお寺のサマースクールにも連れて行ってあげた子で、今ではもう30歳過ぎ。今までにもよく「大ちゃんが作った○○です」と、おばあさんから葱やトマトなどをいただいていました。

 「賀茂茄子のことを聞いて失敗したなぁ。請求したみたいに聞こえてないかなぁ」と思いつつ自坊に戻り、2日経ってそのことを忘れた矢先、外出から帰るとテーブルの上に賀茂茄子が置いてありました。

 「しまった・・・」

 おばあさんは人一倍気を回される人。やはりボクの言葉を聞き流してはおられませんでした。
 「『初物の賀茂茄子です』言うて持ってきてくれはった」と聞き、反省しきり。ボクがついポロッと聞いてしまったために・・・申し訳ないことです。

 夕食にいただきましたが、身のしっかり詰まった、みずみずしい賀茂茄子でした。ごちそうさまでした。

 「おじいさん、大ちゃんの作る野菜は最高ですね!」

〜 初物の賀茂茄子の田楽 〜
2007年5月11日(金)  No.1398

イタリアン・フレンチ、制覇?
 最近、イタリアンを食べても、フレンチを食べても、お腹が痛くならなくなりました。インド旅行以来です。

 多くの人がお腹を壊すインドでさえ一度も窮することなく、その後も、イタリアン・フレンチ食べるのを回避できない状態に陥ることもありましたが、大丈夫。バーベキューも難なく乗り越えました。

 オリーブオイルなどへの耐性が出来たかというとそうではなく、たぶん、インド旅行の時にかなり控えめに食べるように努めた傾向が続いているためだと思います。

 今までは出されたものは残せませんでした。お店に食べに行ってもそうでした。少々無理をしてでも食べていました。

 その点、インド旅行中にほとんどの食事がバイキングスタイルであったのは、お腹的にも気持ち的にもずいぶん助かりました。食べるだけ取ってくればいいわけですから、残すことはなく、残すことの‘罪悪感’や‘葛藤’もありませんでしたから。

 今でも気持ち的には残せないのは一緒ですが、出てくる食事は「これを全部食べてください」というのではなく、「この中から欲しいだけ食べてください」ということだと考えるようなりました。自分の皿の中で、疑似‘バイキング’をするわけです。

 そのお陰で少々自信がつき、「じゃぁー、イタ飯にしよう」などと自ら言い出すようになりました。

 自分をよく整えることが心身の健康の原点でもあると、今さらながらに思いますが、友人と呑み出すと崩れてしまいます。まだまだ甘い。

〜 ‘イタ飯’というにはソフトな西洋おじや 〜
2007年5月10日(木)  No.1397

「ひんやりボード」
 最高気温31.7度。今までの平年値では7月19日の最高気温と同じです。

 この暑さにさくらは意気消沈。昨年の8月には熱中症にかかり、お盆の最中、夜通し嘔吐し、3日間ほど獣医さんに通いました。1階のほうが涼しいのに、わざわざ2階の暑いボクの部屋にずっといたのが災いしました。

 今日、ホームセンターに行ったら、ペット用の「ひんやりボード」が売っていました。その上で寝たら、暑さがやわらぐという冷却効果&放熱効果を持つものです。まるで、今日の暑さを見越していたかのようです。

 「去年のような悪夢は繰り返したくない」と思い、さっそく買って帰りました。

 その製品には、動物の足形をデザインした「足形マイナスイオンシール」というのが付いていました。張るだけでマイナスイオンが出て、リラックス効果があると書いてありました。

 「マイナスイオン」 こんなあやしいものはないと、ボクが目の敵にしているものの一つです。エアコンや扇風機、水・・・多くの製品が、ストレス緩和・疲労回復・精神安定・不眠の改善・集中力向上・血液浄化・新陳代謝促進・免疫力亢進・アレルギーの抑制など幾多の効果をうたっています。
 でも、結局は消費者を欺く偽薬効果だと考えられています。

 買ってきた「ひんやりボード」に付いているシールはどう見ても‘ただの’シールなのに、それを張るだけでリラックス効果があるなんて、実にいかがわしい。でも、まぁ、マイナスイオンはさておき、ひんやり効果があればそれで目的は達成されます。

 早速、さくらの前に置いてみましたが、匂いを嗅ぐだけで、その上で寝そべってくれません。何度試してもダメ。寝ぼけに乗じて、無理矢理乗せてみたら、しばらくはボケッと乗ったままでいましたが、すぐに降りて横で寝始めました。

 せっかく買ってきたのに・・・。

 今日の暑さはまだ単発的ですが、日に日に確実に暑くなっていきます。また熱中症にかからないように気をつけてやらなければいけませんが、当の‘本人’がこんなに非協力的では困ったものです。


 ついでに、青いバラの鉢植えを買ってきました。

 世界の育種家の夢といわれている青いバラを、岐阜の女性バラ育種家が20年かけて交配を繰り返し、やっと生まれた、現在最も青に近いバラといわれる「ブルーヘブン」。大空の青を連想させるこのバラには、中部国際空港のイメージフラワーとして「セントレア・スカイローズ」の別名が贈られているのだそうです。‘大空の青’、曇った青空でしょうか。

 接ぎ木した小さな新苗なのに、お高かったです。でも、何だか夢を買ったようで・・・お安いかも知れません。

〜 「ひんやりボード」に寝ぼけて乗るさくら/青いバラ「ブルーヘブン」 〜
2007年5月9日(水)  No.1396

かきつばた
 朝の散歩で、黒谷の蓮池のかきつばたがよく咲いているのを見ました。

 かきつばたといえば、太田神社。神社の前の沢に鮮やかな紫色の花が咲いている光景がすぐに頭に浮かんできます。

 「よし、今日行ってみよう!」と、頭の中で今日のコース取りをしました。

 車の後部座席を倒して、不調の草払い機とブロアを積み、四条烏丸近辺の檀家宅マンションへお参り。ビジネス街には不似合いな荷物。上賀茂の檀家宅の仏壇には、親戚が作ったという特大の賀茂茄子の初物がお供えしてあり、荷物の違和感も薄れた気がしました。

 さらに北へ向かって、行きつけの農機具屋に行き、草払い機とブロアの修理を依頼。農機具屋さんも今は繁忙期なので、預けて帰りました。

 頭の中でしたコース取りの通り、少し回り道をして太田神社へ。途中、焼き餅を買おうと思った神馬堂は閉まっていました。

 太田神社に着くと、垣根の外からも、鮮やかなかきつばたの紫の花が見えました。

 車を路駐して、沢の入り口へ。賽銭箱が置いてあり、「300円」と書いてありました。2、3枚写真を撮って帰るだけですが、かきつばたを育てる人たちへのカンパなので、チャリ〜ン! 「あれっ? 1枚は50円玉だったかも知れない」と思いましたが、まぁいいか。

 かきつばたは1株で3回花を咲かせますが、今咲いているのは1番咲き。新鮮な花の紫と葉の若緑、初夏の光がマッチして、とても清々しい光景でした。人も少なく、大満足。「来てよかったぁ〜」

 地元紙の夕刊の1面には見てきた光景が載っていました。明日からは人も増えるでしょう。ますます、「今日行ってよかったなぁ」と思いました。

 あっ、最後にTSUTAYAで会員の更新をするのを忘れた!

〜 黒谷の蓮池のかきつばた/太田の沢のかきつばた 〜
2007年5月8日(火)  No.1395

Like a Bridge Over Troubled Teeth
 月曜日に法事をされるのは、美容室や散髪屋さんにほぼ決まっています。美容室と散髪屋さんの違いはよくわかりませんが、今日の法事はその業界の方。

 木魚をポクポク叩きながらお経を読んでいると、歯に違和感を感じました。

 そういえば、一昨日、爪楊枝で奥歯の間にはさまったものを取ろうとしていた時、奥歯のブリッジが少し浮いたような気がして、思わず指で押さえつけたのでした。

 「この違和感は・・・ あっ、ヤバイ! 外れそうだ! ブリッジがはずれて喉のほうに行き、飲み込んでしまったら・・・ 便の中から取りだして歯医者に持っていかなければいけないの? そんなものをもう一度付けるのは嫌だなぁ 歯医者さんに何て説明しよう・・・」などと、一瞬の間に想像が頭の中を走り巡りました。

 法要が終わるまで放っておこうとも思いましたが、そのままにはしておけばはずれそうです。読経の最中にはずれたら、口の中を怪我してしまうでしょう。

 思い切って、木魚を叩く手はそのままに、口を開けて反対の手の指先でブリッジを強く押さえ付けました。うまく固定された感じです。

 そのまま何とか無事に法要を終え、墓前の回向までちゃんと勤めることができました。

 幸い、檀家の方には背を向けて読経しているので、檀家の方もまさかオッサン(和尚さん)が法要の最中に口に指を突っ込んでいるとは思ってもおられないでしょう。やれやれ。

 早速、歯医者に電話すると、夕方の予約が取れました。歯医者さんも真如堂にお墓のある、他の塔頭の檀家。

 セメントで簡単に付けてくださいましたが、ブリッジは造って5年目。かぶせている歯が少し変色してきているので、また外れたら、歯を削って作り替えなければいけないかも知れないと言われました。

 法要中にブリッジが外れるのも困りもの。ご飯と一緒に飲み込んでしまったら最悪です。今年中には作り替えることになりそうです。

〜 朝の手水舎のミーコと白黒猫 〜
2007年5月7日(月)  No.1394

再生請負人
 夕べからの雨が時折強く降っていました。

 連休最後の日が雨に見舞われたとがっかりされている方も多いでしょうが、木々は実に嬉しそうに見えます。いまは成長のために一滴の水でも欲しい時でしょう。ボクには今日の雨が甘露の雨に見え、木々たちに「よかったねぇ」と言ってあげたいほどでした。

 本堂では、三井家の礎を作られた三井高利氏の314回忌がいとなまれました。一般の拝観者の影もまったくない本堂には、雨音と読経の声だけが静かに響いていました。

 午後からは市中へお参りに行き、帰りにボクのところに‘ショートステイ’するパソコンをお迎えにスタバへ。僧衣でスタバに行く人も珍しかろうと、何だかウキウキ、ハラハラ。

 帰って、必要充分な処置を施し、明日には退所です。元気になってよかった!


 まだ十分使えるパソコンを捨てる人がありますが、それではパソコンがかわいそう。ほとんどは使い方の問題。ほとんどメンテナンスもせずに、「パソコンがそろそろ寿命だから買い換えたい」と言われます。新しい機械を買っても、またぞろ同じ結果になるでしょう。
 捨てられそうなパソコンを直してあげて、もう一度持ち主に返したい気がします。

 話は飛躍しますが、マンションなどにお住まいの方には、紫陽花などの鉢物を楽しまれた後、捨てるざる得ないことも多いと思います。生きたまま捨てられるなんて、それもかわいそう。
 「庭に植えますので、どうぞ持ってきてください!」と、大手を広げて受けいえたいです。

 そのうち、家の中はパソコンだらけ、庭はいろいろな草木であふれ、「ゴミ屋敷」ならぬ「ゴミお寺」「ゴミ和尚」などとテレビが取材に来るかも。


 世の中の連休も今日で終わり。まずまずのお天気だったですね。

〜 スタバにて 〜
2007年5月6日(日)  No.1393

汗をかきたい
 早く夏の僧衣に着替えたいと思うほど、蒸し暑い日でした。いつもの土・日のように、月参りと法事。

 境内の人は、昨日までよりもずっと少なくなった気がします。皆さん、Uターンモードに入られたのでしょうか?

 汗が出そうで出なくて何となくスッキリしないので、法事などが終わってから、便利屋に変身。ますます目立ってきた枯れ枝を切ったり、車に当てられてボロボロになってきた「車止」の看板を作り直す大工仕事をしたり。

 わずかな時間でしたが、「あー、いい汗かいたぁー」という感じでした。

 シャワーを浴びてさっぱりして、インド関係の別のホームページ作りに着手。一からホームページを立ち上げるのは久しぶりなので、なかなか勘が戻ってきません。まぁ、しばらく手探りでやっていれば、そのうち定まってくるでしょう。

 やり出すと夢中になる(冷めると素っ気ない)B型。もう寝ようと思いつついろいろやっているうちに、また1時を過ぎてしまいました。

〜 参拝者が石の上に置いた桜んぼ 〜
2007年5月5日(土)  No.1392

みどりの日・・・だそうで
 朝一に出町柳駅前あたりをバイクで走ると、リュックを背負った人がいっぱい。ハイキング、散策、観光などへこれからお出かけなのでしょう。

 夜のニュースを見ていると、山の事故が多発しているとのこと。昨夏行った剣岳は、へりからの映像ではまだ雪だらけ。何人もの人が滑落したようです。連休の間に無理をして登ろうとすると、事故に繋がる危険性も多いのですね。

 ボクもそろそろ夏山に向けて鍛え出さないといけません。今年はどこに登ろうかなぁ。

 今日もなむなむとお寺の仕事。そして、「今日の散歩道」の更新。緑が落ち着き、花が少なくなって、更新ネタに窮する時もそう遠くなさそうです。

〜 卯の花満開 〜
2007年5月4日(金)  No.1391

改憲論議
 連休も後半とか。

 テレビの渋滞のニュースなどを見ていると、「実家に帰る」「孫の顔を見せに」という人がずいぶん多いように感じます。京都市内を車で走ってみると、観光地以外は普段より空いていて、他府県ナンバーの車はそれほど多くない気がします。

 「遊びに行く」という人は、それほど多くないのでしょうか? そうでもないでしょうが・・・。

 連休と言われても、ボクにはあまりピンと来ません。土・日並みに法事があるという感じです。

 かつては連休は法事が1日に何座もあって、かなり忙しかったのですが、最近は連休をつぶして法事をしようという人が減ったのか、それほど多くありません。連休に結婚式や法事をすると、親戚から嫌がられるということもよく聞きます。

 今日の法事は1座だけでした。

 朝、一番に草刈り。今の時期はあっという間に草が伸びます。法事を済ませて、お昼をいただき、苔の中の雑草を除草剤で枯らそうと思っていたら、突然の時雨。雷鳴も聞こえてきました。少しして晴れ間が出たので、「これなら大丈夫かな」と思って外へ出てしばらくしたら、また時雨。諦めて、なかなか穴が埋まらない「僧坊閑話」のインド旅行を書いたりしました。

 今日は憲法記念日。世論調査では60%の人が憲法を変える必要性を認めているとか。

 海外に自衛隊を送るのに無理な憲法解釈をしなければいけない。結局、それが改憲の一番の理由なのでしょうか? 「いまの憲法は、もう古くて時代にそぐわない」「いまの憲法は、アメリカに押しつけられたものだから、日本人にはわかりにくい」というのは、まるで説得力を感じません。

 ストレスなく海外派兵もできるようになれば、‘No’と言えない日本の政治家のこと、ますますアメリカに迎合した政策に傾倒していくでしょう。アメリカの傘の下で守ってもらっているのだから仕方がないというのでしょうか。戦後、アメリカが作ったに等しい憲法だから変えなければといいながら、結局アメリカのお気に召すように変えるというのは何だか矛盾しているように思います。

 改憲論議もまったく盛り上がらないまま、改憲が自分の仕事だと言って議論を切り上げようとする首相には、もう一度しっかり議論をするように「再チャレンジ」して欲しいとものだと思います

 憲法を変えたら、国民は今以上に幸せになれるのか、普段、憲法のことなど考えたことがありませんが、ゴールデンウイークに埋没した「憲法記念日」に不安を感じます。

〜 快晴のなかのすがすがしい新緑 〜
2007年5月3日(木)  No.1390

おがたま
 朝起きて、ボクの住む建物への石段を見たら、びっしりとまだ青い桜んぼが落ちていました。
 昨日、桜んぼの木が黒くなるほどのカラスが集団でやってきて、食い荒らしていったのです。何度も追い払いましたが、近くの木や屋根で待機していて、すぐにまた戻って来ては桜んぼを食い散らかしました。

 もうあと1週間もすれば赤くなって食べられたでしょうに・・・。

 さくらは異様な光景に窓に釘付け。外に出ていたら、きっと襲われていたでしょう。


 唐種招霊からたねおがたまの花が咲いているお知らせを、側のもみじの木に張り出し、木へガイドする紐を張りました。

 大した花ではありませんが珍しく、熟したバナナのような甘い匂いがするときには、人間だって誘われてしまいそうです。

 ただ、たまにしか匂いません。朝匂っていなくても夕方匂ったり、どういう‘法則性’のもとに匂うのか、よくわかりません。

 連休の散策の折に、掲示を見て匂いを嗅いでくださると嬉しいです。匂っても匂わなくても、話題になりそうです。

 ハゼやモクゲンジの名前の掲示もしました。菩提樹の加工のために買ったラミネート加工の機械が大いに役立っています。

〜 掲示とおがたまの木(ピンクの花の右上) 〜
2007年5月2日(水)  No.1389

裸電球、まぶしくて
 「メイ・ストーム」が、1日中吹き荒れました。

 「メイ・ストーム」という言葉を使ってメールをお送りしたら、「オシャレな言い方」などという反応が返ってきました。本当は、朝のテレビで言っていたのを流用しただけです。

 僧衣で歩いていたら、風に傘は飛ばされそうに、裾は捲りあげられそうになりました。小川ローザなら、「オー モーレツ!」と言っていたでしょう・・・古い。

 東山の聖天さんで、恒例の大般若転読の法要。雨のために参列される方も少なめでした。

 終わって、照明器具の専門店に寄って、住職宅のダイニングキッチンの照明を購入。今朝起きたら電気が付かなくなっていたといって、裸電球が柱にくくりつけてありました。その状態で朝食を食べたようです。

 外して調べてみると、スイッチの部分が焦げて黒くなっていました。スイッチだけ取り替えてもいいのですが、もうかなり長い間使ったので交換することにして、新しいのを買うために寄ったのです。

 「100Wぐらいで、インバーターで、直づけ型のものを」と言うのが早いか、目の前に並んでいました。ほとんどがリモコン付き。接点の部分が痛みやすいので、リモコンのほうがいいのだそうです。でも、リモコンだって壊れるし、年寄りには使いにくいし・・・。適当に見繕って買いました。

 次に、夕べ、緊急PCレスキューのかかった鷹峯のお寺へ。プリンタがダメ、ノートがネットに繋がらないということでしたが、プリンタは紙が詰まっていただけ、ノートは無線LANを「無効にする」スイッチが押されていただけで、即、復旧。簡単さぁ! また近いうちに複合機のセッティングに伺う予定。

 自坊に帰って、早速買ってきた照明器具を取り付け。はい、これも10分足らず。

 我ながら、「次々と仕事をこなして、ボクって手際のいい電気屋さんみたいやなぁ」と惚れ惚れ。「植木屋さんもいいけど、電気屋さんにもなりたいです!」なんて、小学生に向かって「将来、何になりたい?」と質問した時の答えのように思いました。

 気をよくして、ボクの家の居間の照明をネットで注文しました。1年ほど前から、スイッチを入れて5分ぐらいしないと明るくならないようになった、正真正銘の‘蛍光灯’です。明るくなるまでじっと待っているのも忍耐が要りましたが、ようやくそんな辛抱からも解放されます。

 お坊さん‘3’、電気屋さん‘7’のような1日でした。

〜 『神田川』を思い出すような裸電球・・・ちょっとよくわかりませんが 〜
2007年5月1日(火)  No.1388

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