お天気もいいので、久しぶりに大文字山に登りました。
「大」の向かって右‘足’の部分から登ってまもなく「弘法大師堂」のある眺望のいいところへ。快晴の連休とあって、たくさんの人が登っておられました。
賑やかを通り越して騒がしいのですぐに発ち、「大」の字の天辺から大文字山の三角点へ。ここにもたくさんの人がたむろされていました。かつてはほとんど眺望がなかったこの場所も、回りの木が伐採されて、ずいぶん見晴らしがよくなりました。
写真を撮ってまたすぐに出発。「三井寺に降りようかなぁ・・・山科にしようかなぁ・・・」と思いつつ成り行きまかせ。だんだんすれ違う人も少なくなり、そのうち誰とも会わなくなり、鳥の声と落ち葉を踏みしめる自分の足音だけが聞こえる静かな山歩きになりました。
回りには三つ葉ツツジの新緑がいっぱい。まだ少し花が残っている木もありました。あと2週間ほど早ければ、赤紫の‘回廊’だったでしょうに・・・。他で三つ葉ツツジを見る度に、「あー、大文字の裏山は今ごろ綺麗だろうなぁ」と思っていたのですが。
道を勘違いして三井寺方面には行けず、山科・毘沙門堂の裏山に出ました。木々に覆われた道から山の南斜面に出た途端、ムッとした暑さに包まれました。少し急な斜面を降りると、後山階陵の真横に出ました。ここへ降りるのは4回目ぐらいかな?
この辺り、比良山系から湖西・湖南地域には、6・7世紀を盛りとする日本古来の製鉄法「たたら製鉄」の遺跡が分布しているそうです。朝鮮文化との密接な繋がりがあった地域なのでしょうか。
少し歩くと茅葺きの民家が見え、「蕎麦」の暖簾がかかっていました。こんな店は以前ありませんでした。 帰ってから調べてみると、高台寺の近くにある京料理の店が去年の7月から始めたお店。琵琶湖北部の木ノ本町にあった、明治3年に建てられた欅造りの茅葺き民家を移築したものだそうです。 かなり心惹かれながらも、ハイカーの格好では入りにくそうな雰囲気だったのと、おにぎりを持ってきていたので、入りませんでした。
毘沙門堂のトイレに行き、もみじの木の陰でおにぎりを食べました。
ここから京阪電車に乗って帰るのが一番楽ですが、蕎麦屋の近くにあった「← 蹴上・南禅寺」という道標が気になり、通ったことのない道だったので、そこを歩いて戻ることにしました。
途中までは、廃材置き場や、庭園業者の資材置き場のような光景ばかりが続きましたが、やがて車も通れない地道にかわり、どんどん山間に入っていきました。多少のアップダウンが、山裾をぬって歩いていることを感じさせはしましたが、民家などは一切見えず、途中にあった「御陵駅」という道標が、いまどの辺りを歩いているかを感じさせるだけでした。
少しずつまた人とすれ違うようになり、やがて4〜5人がたむろする分岐に出ました。見たことのある場所でした。大文字から尾根づたいに降りてきたところにある「七福思案処」と呼ばれるところで、大文字、南禅寺・蹴上、日向神社、山科方面などからの山道が合一する場所で、どっちに行こうかと思案するところからその名前がついているようです。 ボクも一度は南禅寺に行こうかと思って少し歩きましたが、やっぱり日向神社を通っていこうと戻りました。
「伊勢遙拝所」の近くを通って日向神社に降りるのかと思っていたら、また道を間違ったようで、境内にある「天の岩戸」の前に出てきました。少しかがんで歩かなければいけないほどの高さの、10メートルほどの岩穴をくぐって、反対側へ。内宮・外宮に参拝して神社をあとにし、インクラインに出ました。
ここまで来ると人だらけ。疎水を設計した田辺朔郎博士の銅像に、「いつも町内会でお孫さんにお世話になっています」と挨拶をして、南禅寺境内の水路閣に出ました。すごい賑わい。
人だらけが嫌なのと、アスファルトの道は登山靴では辛いのとで、タクシーに乗りました。「近いから嫌がられるだろうなぁ」とは思っていましたが、明らかに、「時間かけて並んでいたのに、近いところを乗りやがって」という態度。想定内でした。
真如堂は、南禅寺の賑わいが嘘のように静か。堂守さんが、「暑いですなぁ〜」と言いながら、総門前の松の若芽摘みをしていました。
所要時間5時間ぐらい。若葉の中の気持ちいいハイキングでした。
夕方、総門内の駐車場で、タクシーの後部座席のガラスが割られ、中の金品が盗まれるという事件が起きました。人が少ない=人目が少ないのも考えものです。車上荒らしは今年2件目。塔頭の空き巣被害も2件。本当に物騒になりました。
〜 ニョキニョキ、クルクル裏白の新芽 〜
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2007年4月30日(月)
No.1387
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