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2007年1月の日記

老時計職人
 あたたかい日差しの注ぐ1日でした。例年なら今が一番寒さの厳しい頃なのに、その実感が全然湧いてきません。

 朝、東京からお越しになった方のご依頼で、御祖父様の50回忌を勤めました。参列者はお一人だけ。静かでしんみりとした、清々しいお勤めが出来ました。


 最近、携帯を時計代わりにしていたので、気がつくと腕時計が全部止まっていました。
 30年ほど前の‘自動巻’の時計だけは何とか動くものの、分厚くて重たいので、あまり持ち歩きたくはありません。

 とりあえず、よく使っていたものを3つ選び、以前電池交換をしてもらったことのある時計屋さんに持ち込むことにしました。

 1つは外国製のブランド物で、以前時計屋さんに持ち込んだら、「メーカーに送らないと電池交換はできない」と言われて持ち帰ったもの。もう一つは登山用で、高度計や気圧・気温・方位などが計れるもので、これも以前メーカー送りと言われました。もう一つは国内メーカーのもので、他の2つが電池交換できなくても、これだけは大丈夫だろうと思えました。

 表からはやっているかやってないのかわからないような、間口1間半ほどの朽ちかけのお店の店先に、かろうじて時計屋さんであることがわかる剥げた看板が掛かっていました。

 以前、登山用の時計の電池交換を2〜3軒ほどで断られた後、通りがかりに飛び込んでみたら、すんなりやってくれたお店です。

 店を入って右側には、以前は眼鏡も扱っていたのでしょう、計測機械などが埃をかぶったままになっていました。左側に作業をする2畳ほどのスペースがあり、そこに無精ひげに包まれた70歳は超えているであろうご主人の顔がありました。
 奧には台所のコンロや鍋などが丸見えになって、独り暮らしであることがたやすく想像されました。おそらく調理をしながら店番をしておられるのでしょう。

 先に老女の客があり、主人はその接客中。どうやら老女が時計のベルトの修理を頼んだらしいのですが、主人はその修理代を受け取ろうとしないため、客とのやりとりが続いているようでした。

 「ワシにはこれ以上できひん。でも、これでいいでしょう?」「はい、お代を」「要りません」「でも、ちょっとでも取ってもらわないと」と、客が千円札を出しましたが、主人は受け取ろうとしません。
 ボクが待っているのに気が引けたのか、老女は仕方なしにお金を仕舞い、帰って行きました。

 ボクが「電池交換をお願いします」と3つの時計を差し出すと、主人は眼鏡をずらしてその一々を確かめました。案じていた外国ブランド製は難なくパス。登山用を手にしてちょっとためらった感じだったので、「前にやっていただいたことがあるんですが・・・」と言うと、「カシオなら大丈夫です」と引き受けてくれました。もちろん、国内メーカーのものは大丈夫。

 登山用だけは時間がかかるというので3つとも預けることにして、連絡先をメモを書こうとしましたが、メモ用紙を探すのに一苦労。別の部屋に行って、ようやく小さなエフを持ってきてくれました。

 雑然とした、部品がなくならないのだろうか、ホコリが入らないだろうかと心配になるような作業場。目もかなり近視が強そうな様子。
 でも、ユニットごと替えことしか出来ないような今の多くの技術者とは違い、この老店主はいろいろ応用が利いて、足りない部品でも加工して作ってくれそうな感じ。登山用や外国ブランドの電池交換はメーカーが禁じているのかも知れませんが、このご主人にはそんな縛りは及ばないのでしょう。

 こういうお店、職人さんがどんどん少なくなっています。職人さんに技術や工夫がなくなっていっている気がします。
 このお店も、次に訪ねた時には看板がなくなっているかも知れません。老時計職人さん、頑張ってください。

〜 日向ぼっこするさくら 〜
2007年1月31日(水)  No.1265

外貨両替
 旅行に備えてドルに両替をしようと、銀行へ行きました。

 「外貨両替」などという表示を探しましたが、窓口にはありません。案内係の人に聞くと、キャッシュコーナーのような機械を指さされました。「トラベラーズチェックは?」と重ねて聞くと、やはり同じ機械を案内されました。

 銀行のキャッシュコーナーって大嫌いなのに、それ以上に複雑そうな機械を触るの? 案内係のオジサンは来てくれない・・・しかたがない、自分でやらなきゃ。

 機械の前でしばし立ちすくんで、ドルの換金とトラベラーズチェックの購入に挑戦。でも、途中で機械が動かなくなり、2度ほどやり直しましたがダメ。結局、案内係の女性に来てもらいました。

 キャッシュカードを入れて暗証番号を押し、後はドルの現金を何百ドル換金するかを、$100、$300、$500などから選び、トラベラーズチェックも同様に何百ドル買うか選ぶだけ。暗証番号以後は女性にやってもらいました。よく、高齢者が機械操作をしてもらっていますが、まるでその光景です。

 操作が終わって機械から出てきたのは、大小のドル札を混ぜて注文した金額分にセットした封筒とトラベラーズチェックの入った封筒。

 へぇ〜、まさにお金でお金を買う感覚。何だか奇妙だなぁ。まぁ何とか無事に換金できてやれやれ。

 毎日少しずつ旅行の準備は整ってきましたが、行くのが億劫です。行って、どっぷり浸かってしまえば、今度は帰りたくなくなるかも知れません・・・そんなことはないか。

〜 機械から出てきた封筒詰めのドル札とT/C 〜
2007年1月30日(火)  No.1264

生者必滅
 今日の葬儀は小さなハプニングが重なりました。

 着替えていたら衣の紐が取れ、続いて袈裟を縛る組紐の先に付いていた房が取れ、火葬場では数珠が切れて飛び散りました。

 使い慣れた数珠なら切れる前に気配がするのですが、今日持っていた数珠は、昨日、住職が使っていたよさそうなものを拝借したものでした。

 些細なこととはいえ、3つも重なるなんて、こんなことは初めて。

 人によっては「何か悪いことが起きるんじゃないだろうか・・・」と戦々恐々となるでしょう。あるいは、「悪いことが起きますよ」と脅す人もいるでしょう。でも、ボクは「数珠なんて、いつかは切れて当たり前」ぐらいにしか考えません。


 夕食を終えて、客間の廊下にいるピーコの鳥かごを覗き込んだら、ピーコが床に転がって死んでいました。数日前から調子が悪そうだったので、案じていたのですが・・・。

 ピーコエリザベスを買ってきたのは、3年前の2月。青く美しい羽根に惹かれ、数多くのセキセイインコの中から選んだのでした。

 1年余り経た2年前の4月、さくらを拾いました。さくらは大きくなるにつれてピーコに関心を持つようになり、かごの上に乗ったり、覗き込んだりして、ピーコにかなりストレスを与えるようになりました。

 さくらを叱っても、本能は止めようもありません。仕方なしに、ピーコをさくらが行けない客間の廊下に移しました。来客や行事があるときは浴室に移し、浴室のドアを紐でくくって、さくらが開けられないようにしました。

 でも、結局、さくらの行けない安全な場所は、ほとんど人も行かない場所。「ピーコ!」と相手をしてもらえるのも、日に数度だけでした。「さみしいだろうなぁ。かわいそうだなぁ」と思いながら、今日を迎えてしまいました。

 紙箱の中にティシューでベッドを作ってピーコを寝かせ、まわりを花で飾って、餌なども入れてやりました。今晩は仏間の置き、明日、背戸に埋めてやります。

 葬儀の時のハプニングとピーコの死。「やっぱり!」と関連づけたい方もおられるでしょうが、何の関係もありません。
 形あるものは必ず壊れ、生けるものは必ず死す。ただそれだけだと思います。

〜 取れた紐の房、切れた数珠 〜
2007年1月29日(月)  No.1263

祖母十三回忌
 朝一番に枕経に伺い、帰って祖母の十三回忌を勤め、夜はお通夜に出かけと、落ち着かない1日でした。

 祖母の年忌の後の浄斎の席では、いろいろな昔の話が飛びしました。

 1927年(昭和2年)に起きた北丹後地震は死者2925人、全壊家屋5149戸の被害を出しましたが、祖母の両親もその際に亡くなり、自身も落ちてきた瓦で頭に裂傷を負いました。生涯、そのトラウマは消えることがなかったようです。

 また、田舎町では「小町」と言われた祖母でしたが、60歳前頃に顔面神経麻痺を患い、顔が歪んでしまいました。祖母がそれにどれほどショックを受けたか、ボクの幼い頃の記憶にも残っています。

 親戚も少し顔ぶれが変わり、変わらない親戚もやはりみな歳をとりました。席を同じくすることが出来なくなった人がいる一方で、物心つかずに同席している子がいるなど、去就もあります。

 時間の流れや人の運命、縁などというものを考えさせられる一時でした。

 お通夜に行かなければいけなかったので、一緒にお酒を酌み交わせなかったのが残念でした。

〜 今日の夕焼け 〜
2007年1月28日(日)  No.1262

開山忌
 今日は真如堂開祖戒算上人の955回忌。

 厳寒期の法要で、本堂の板の間を行道する時などは寒さで足が痛くなることもかつてはありましたが、最近はそれほどでもありません。地球温暖化を足袋の裏からも感じます。

 とはいうものの、やはり本堂は殊のほか寒い。参列された各塔頭の檀家総代さんたちは、携帯カイロを握りしめながら、「早く終わらないかなぁ。寒いなぁ」と思っておられたでしょう。

 この法要の時に着けるのは「長素絹」に「指貫袴」。長素絹は裾が長く、1メートルほど引きずります。指貫袴は「切袴」のように裾が短く切ってなく、引きずらないように内側に紐で吊り上げてあります。いずれも平安時代頃に宮中の衣装を模して作られたものでしょう。

 衣の裾が床を擦る音が雅ですが、こんな非機能的な衣は普段着ていられません。行道をしていても、ちょっとしたところにひっかかったり、後ろの僧に踏まれそうになったりします。長い裾を足でさばいたりしながら、方向転換。着こなすにもちょっとした技術を要します。

 冷える本堂で長素絹を着て行道していると、「あー、開山忌だなぁ」としみじみ実感します。

〜 前を歩くの僧の引き摺られた裾 〜
2007年1月27日(土)  No.1261

またなの、NTT
 また、NTTと喧嘩をしてしまいました。よほど相性が悪いのでしょうか?

 ことの発端は、うちの電話線と光ファイバーのケーブルが隣にある墓地管理所の屋根と擦れていることでした。墓地管理所が立て直されて背が少し高くなったため、今までは問題がなかった引き込み線などが、屋根の棟瓦と擦れるようになってしまったのです。
 工事中は養生のためケーブルを少し引っ張り上げてありましたが、それを取ったら確実に擦れるようになり、放っておけば被覆が剥けてきて断線しかねません。

 昨年の12月20日過ぎにNTTに電話をしたら、翌日担当者から電話がかかってきて、年末年始は混んでいるので、今月の15日に現状を見に行くとの答え。
 15日になって、光ファイバー担当の下請けの業者が来たので、「年末年始は混んでて大変なんでしょう?」と聞くと、「いえ、関係ないですよ」との応対。じゃぁ、なんで早く来ないの?

 現場を見てもらい、その下請け業者と墓地管理人とボクとで、「こっち(墓地管理所)の電話工事をした時、ケーブルが擦れることにどうして気がつかなかったのでしょうねぇ?」と揃って首をかしげました。

 屋根と擦れないようにするには、電柱側をあげるか、うちの引き込み口を変えるかしかありませんが、結論から言って両方とも無理。電柱はいまだに木製で、危険回避のために登れない規定なのだそうです。引き込み口側は電力の引き込みと近く、ボクが「これ以上電力線と近づけると干渉を起こしませんか?」と指摘したら、最初は「いや、大丈夫ですよ」と言っていた業者も、「そうですね、可能性がありますので止めておきます」と方向転換。
 結局、電話線と光ファイバーのケーブルを被覆に入れてガードするしかないということになりました。

 後日、NTTの担当者から電話があり、「現状を報告させていただきます・・・」と見てきたかのように言うので、「私は立ち会って見ていますからわかっています」と話をカットしました。実際に見てもいない者が、書類だけを見ながら説明するなんて・・・。

 改めて工事日を連絡するというので一端切り、翌日、工事日の連絡がありましたが、この間のやりとりで、「どうして、NTTってこんなに無駄な手続きばかりするのだろう。そのために工事が遅れていくじゃないの。経費も時間も無駄」と、つくづく思いました。

 そして昨日、NTTから「お申し込み内容のご案内」という書類が来て、中には「移転お申し込み」と書いてありました。ID番号やパスワードを書いた紙も同封されていました。

 「‘移転’って何? そんなもの頼んでないぞ」と、早速NTTに電話。オペレーターに事情を話したら、「‘移転’というのはおかしいですねぇ。調べてかけ直します」と言われ、かかってきた電話の答えは、「工事はすべて内部手続きとしては‘移転’ということに分類されるようなのです」との回答。

 これまでの数度にわたるNTTとのトラブルの中で、「この会社はその時の担当者の口先だけで言い逃れようとするので、信用できない」という印象を持っていたので、「‘移転’という文言で処理されるのは納得できない。後から費用を請求されたりすると困るので、工事内容を文書で補足して欲しい」と依頼し、担当部署から連絡してもらうように頼みました。

 NTTとのトラブルに慣れたお陰で、この会社がどういうふうに突けばどう動くかがわかるようになってきました。溜飲をさげてもいいのですが、それを「試してみよう」という遊び心も湧いてきてしまいました。

 今日の昼前、担当部署?の女性から電話。言っていることは昨日と同じ「工事はすべて‘移転’に分類される」の一点張り。「内部規定はすぐには変えられないので、‘移転’しか仕方がない」「文書での説明はできない」云々。

 埒があかないので、「もう一度、責任ある人に電話をしてもらってください」と頼み、お昼にかかってきたのが、定年後の嘱託職員のような感じの、朝の女性よりも訳がわかっていない男性。さっきの女性と同じ説明に終始するので、「話がわかる人に電話をしてもらってください」と言うと、自分でもそう思われたのか、すぐに承諾してくれました。

 2時頃にかけてきたのが、去年の12月、そして今年の下見後に電話を掛けてきた人。この人が工事の下見や実際の工事の発注を仕切る窓口みたい。

 ボクは、@電柱から建物までの引き込み線はNTT側の問題で、こちらが工事を発注するのではないはず Aどうして‘移転’になるのか BIDやパスワードを書いたものをなぜ再発行するのか、の3点を問いました。

 担当者は、@引き込み線の工事はNTTサイドのもので、顧客側のものではない A自分が業者に発注するだけでいいものを、間違って顧客側にまで通知してしまい、そのために‘移転’という表現になってしまった B必要はなかった。大事に保管してください、と過ちを認めました。

 その場を収めるためだけの説明のように感じましたが、これ以上話をするのも時間の無駄なので止めておきました。

 NTTの光ファイバーの担当部署は、本当にとことんお粗末。最初の、宅内工事は済んだのに途中のマンホールで繋がっていなかったことに始まり、フレッツ光から光プレミアムに替えたときには顧客管理のコンピューター処理が終わってなくて接続できなかったことなど、書き出せばいっぱいあります。

 民営化されたものの、中身はまるでお役所仕事並の旧態依然。些細なことでもいろいろな部署をたらい回しして、結局責任の所在が不明確。
 しかも、この30日に発売されるWINDOWSの新しいバージョンにはセキュリティーソフトなどが対応できず、アンインストールしないといけないなんて、あまりにもお粗末。

 使わないで済むのなら、もう金輪際関わりたくないのですが・・・。

〜 千両はほとんど鳥に食べられてしまいました 〜
2007年1月26日(金)  No.1260

旅行準備やっぱり進まず
 インド旅行まであと10日ほど。総勢240名ほどの大団体となるようです。

 ボクは先発隊として本隊より2日早く出発して、受け入れ準備などをする予定です。ところが、まだ詳しい旅程表などが来ず、何時のフライトなのかも知りません。

 少しずつ準備を始めようと、気がついたものをトランクの中に放り込んでいましたが、部屋中が雑然としてきてしまったので、とりまとめることにしました。

 山へ行くためのパッキングなら簡単にできるのですが、久しぶりの海外旅行で、インドは20余年ぶりとあって、ぜんぜんイメージがわきません。

 昼は30度、夜は10度以下という気候に対応する衣類を用意するのはもちろん、今回は現地で法要をするので、そのための僧衣類を持参しなければなりません。

 さらに、歴代3代の天台座主から拝領した袈裟や衣を、ボクが現地まで運ばなければなりません。それだけで、トランクのほぼ半分が埋まってしまいます。

 しばらくやっただけで嫌になってしまい、余計に荷物が散乱しただけ。だんだん気が重たくなってきてしまいました。

〜 今日の夕焼け 〜
2007年1月25日(木)  No.1259

Light Rail Transit がわからない
 今日、京都市が導入を検討している次世代型路面電車(LRT)の交通社会実験が、今出川通の北野白梅町−出町柳間で行われました。

 しばらく前からこの実験を予告する看板が立っていたので、「きっと道が大渋滞するだろうなぁ」と思っていたら、案の定大渋滞だったそうです。ただでさえ渋滞する道の中央部にLRT用の専用走行車線を作り、一般車両が走れるのを1車線にしたのですか無理もありません。

 ボクはこの問題について詳しくは知りませんが、「交通の妨げになるからと市電を廃止したはず。その時の問題が何も解決していないのに、また路面電車を復活させようというのは、何のためなんだろう?」と疑問に思っています。

 LRT導入のメリットとして、◇まちのシンボルとして観光資源となり、まちの活性化にも寄与することが見込まれる ◇電気を動力とするため、都市の空気を汚さない ◇床が低いので路面から水平移動で乗り降りができ、乗り心地もいい ◇建設コストや運営コストが比較的安い などということがあげられています。

 でも、「たったそれだけの理由? まるで絵に描いた餅だなぁ」としか思えませんし、この計画を進めている京都市や研究者たち、国交省などの手前味噌な理屈に聞こえてしまいます。

 LRTに乗るために人が観光客が来るかなぁ? LRTが引き起こす車の渋滞のほうがよほど空気を汚すんじゃないの? バスを改善するのではダメなの? 専用軌道を走らなかったら定時運行なんて無理じゃないの? など、疑問がいっぱい。
 「白梅町と出町柳の間をつなげば、鞍馬寺から天龍寺まで一本で行ける」って、「誰がそんな変は移動のしかたをするの!」と思わず突っ込んでしまいます。「京都市は日本で初めて路面電車が設置された都市」だって? そんなこと理由にはならないよぉ。

 どうして夢のような話ばかりが全面に出てくるのでしょう? 中央分離帯さえ設けられないような京都の狭い道路に、なぜLRTを導入する必要があるのか、ボクにはさっぱりわかりません。

 ボクの頭が固くなってしまって、‘軌道’上のことしか考えられなくなってしまったのかな?

〜 今出川通で行われたLRTの交通社会実験〜京都新聞より 〜
2007年1月24日(水)  No.1258

寒肥入れを放ってホームセンターへ
 境内に残ったままになっている落ち葉掃除が、ようやく少しずつ進んでいます。

 本堂の受付の当番の職員も、「誰も来られないから」と境内に出てきて、1月から新しく入られた職員に作業要領を教えながら、落ち葉の回収をしていました。

 ボクも自坊の前庭の木々の混み合った枝の剪定作業や寒肥を施す作業をしました。

 寒肥って、「本当に効くのかなぁ」と疑心暗鬼になりながら、毎年入れます。即効性の肥料なら効果がすぐに見えますが、遅効性のものは「やったから色がよくなった」という効果がなかなか見えません。特に大きなモミジなどはさっぱりわかりません。

 それでも、「綺麗になってよ」「たくさん花を付けてよ」などと感情移入しながら、作業しました。

 鶏糞や油かすなどが底をついてしまって、作業を中断。剪定をするつもりが、いつの間にか寒肥やりになってしまっていたので、あまり材料を用意していなかったのです。

 インド旅行に持っていきたいポケットのたくさん付いたベストも探したかったので、作業を止めてホームセンターに行きました。

 ホームセンターは、ボクにとってはパラダイス。工具や建材、園芸材料など、見る物見る物、欲しくなってしまいます。

 ベストはここ数日間探していたのですが、冬用だったり、昨日釣り道具屋さんで見つけたものは1万円以上したりして、入手出来ていなかったのです。でも、今日のホームセンターでは、難なく夏用が見つかり落手。建築関係の職人さん用の作業着なのでしょうか、千円余でした。

 肥料もたくさん買い込んで、期待以上の‘釣果’でした。

 それにしても、ホームセンターには、鈴(打ち鳴らし)や数珠、打ち敷き、神棚まで売っているのですねぇ。ビックリだぁー。

 朝いった香木屋さんには1本600円というお線香がありましたが、ここだったら大きい箱入りが買えてしまいます。そんなお線香使って欲しくないなぁ。いかにも安物とか、古くて香りが飛んでしまっているようなお線香では、お経をあげていても鼻についたり、咳き込んだりで、清浄な気持ちになれません。

 ‘グルメ’などと自分たちがいい思いをするその一部でも回して、いいお線香を供えてあげて欲しいなぁ・・・ブツブツ、仏仏。

〜 ホームセンターの仏具売り場 〜
2007年1月23日(火)  No.1257

暗い誕生日
 50歳の誕生日。「人生50年」といわれた時代であれば、もう命終してもおかしくない歳。ヒンズー教で言えば、林住期のまっただ中。林に住んで瞑想生活などを送る人生ステージ。

 あと何年生きられるでしょう? 1年もないかも知れないし、30年あるかも知れません。ただ、折返点はとっくに過ぎていることだけは確かです。

 あっという間の10年でしたが、この10年の自分はあまり生き生きとしていなかった、自分をフルに使い切りながら生きてきたとは思えません。常に新しいことをハングリー求め、完全燃焼していたと自分自身で思えるのは40歳頃まで。その頃と比較すると、不本意な10年だったかも知れません。

 死も考えたことのある10代後半。‘鈍感’になるは嫌だと思い、「ボクは27歳ぐらいで死にたい」と友人に話していた頃もありました。27歳というのは啄木が没した年齢です。

 その歳を超えて少々‘鈍感’になり、僧侶としての生き様を求めてもがきながら必死にかけずり回ったのは40歳までだったのかも知れません。

 それからの10年は、40歳までの奔走が評価されて周囲に認められるようになったものの、何も‘生産’していない、いわば‘遺産で食べている’ような10年だったかも知れません。自分を生かし切っていない10年でした。

 そう考えると、惰眠をむさぼっていた挙げ句に迎えた誕生日のように思えて、嬉しくありません。「何とかしなきゃ」と思っているうちに誕生日が来てしまったという感じです。なんだか暗いなぁ・・・。

 人としても、僧侶としても中途半端きわまりないボク。

 「さぁ、これからどうするんだ!?」という質問を喉元に突きつけられているような気がする誕生日でした。

〜 6歳の頃 〜
2007年1月22日(月)  No.1256

お団
 東山のお寺で「大般若転読会」の法要。

 「三斎月」である正五九(1・5・9月)の21日に、そのお寺の大聖歓喜天尊の宝前で、大般若教600巻をパラパラと転読します。

 歓喜天は、頭が象で体が人間、男女が抱き合っている形。歓喜天は古代インドのシヴァ神の子で、もともと粗暴で邪悪な神でしたが、仏教に帰依して護法神となり、その欲望を鎮めるために、十一面観音が天女の姿に化身して抱擁したため、抱き合っている形をされていると言われています。

 秘仏が多く、ボクもこの法要には25年ほど出ていますが、聖天様も直接拝んだことはいまだに一度もありません。導師を勤める住職が拝まれる部屋と出仕をして転読する我々の部屋は別で、中はまったく見えないのです。

 導師がどういう所作をしているかは音だけが頼り。導師が立てる法具の音を聞いてこちらが読経を始めたり、逆にこちらの気配を伺って導師が法要を進めたり。


 この歓喜天の供物として、「清浄歓喜団」、略して「お団」というものがあり、その変わった形と味が子供の頃から楽しみでした。

 お団は、遣唐使によってもたらされた唐菓子で、千年前の姿のままだといいます。伝来当時は、栗・柿・杏・かんぞう・あまずらなどが中に入っていたそうですが、今は小豆です。
 油で20分ほど揚げてあるので、皮はカリカリとして油分を含み、中の餡はパサパサしています。いかにも中国風です。

 法要を終えてこの菓子をもらってくると、「あー、聖天さんの法要をしたなぁ」という実感が、法要をしている最中より湧いてくるから不思議なものです。

 祇園石段下の菓子屋で精進潔斎して調進した物を売っていますが、自分で買うことはありません。「お団は聖天様のお供物。普通の時には食べない」という感じがして、何気なしには買えない気がするお菓子です。

〜 大聖歓喜天尊のお供え物「お団」 〜
2007年1月21日(日)  No.1255

山川草木悉皆成仏
 先日伐採してもらった杉と桜の枝を、植木屋さんが残していきました。

 「そのへんに置いておいてください。また片付けるから」と軽く言ってしまったのが悪かった・・・持って帰って、処分してもらえばよかった・・・。

 以前にもやったことがある処分方法、ヘッジトリマー(刈り込み機)を脚立にくくりつけてスイッチを入れっぱなしにしておき、千歯扱き(昔の農具)で脱穀するように、歯に枝などをあてて細かく切り刻んでいく作業をしました。

 我ながら大発明。これは本当に効率よく枝や葉を細かくしてくれます。しばらくやっただけで、杉の葉が山となっていきます。

 あとはそれをばらまいて、自然に腐っていくのを待つばかり。今年の秋までには腐っていくでしょう。気の長い話です。

 去年できた杉の実とこれから開花に向けて動き出そうとする花序をいっぱい付けた枝がありました。

 精一杯いのちの営みを続けていた木を切ってもらい、またその枝を易々と細かく粉砕している自分。生命の力を満身に背負ったようなこの枝を見て、何と残酷なことをしているのだろうと胸が痛みました。しかたがないのですが・・・。


 もうフロッピーなど使わないだろうと、新しいパソコンにはFDドライブを付かなかったのですが、仕事上、いまだにフロッピーでやりとりをする必要があることに気がつき、ドライブを買ってきて、夕べから取り付け作業。

 簡単に済むはずがうまくいかず、一晩持ち越して、今朝も床に寝ころびながらの作業をして、ようやく認識させることができました。BIOSの設定を忘れてた・・・。

 古いパソコンのパーツがまだまだ使えそうで捨てられなく、段ボール数箱に入れて押し入れにしまってあります。
 「古くなったから」とパソコンを簡単に捨てる人がいますが、もったいないなぁと思ってしまいます。でも、もらってきても、もう置くところがないし・・・。

 「山川草木悉皆成仏」やなぁ・・・何のこっちゃ。

〜 実や花序がいっぱい付いた杉の枝 〜
2007年1月20日(土)  No.1254

障害を持った人は怖い?
 今までに何回も罪を犯し、服役したこともある知的障がい者が、歩道橋の上から3歳の男の子を投げ落とすという衝撃的な事件がありました。

 施設で作ったクッキーなどを歩道橋の上で売っていた持ち場を離れて事件に及んだと報道されています。「ムシャクシャしてやった」「何か悪いことをすれば仕事に戻らなくていいと思った」「グループホームに帰りたくなかった」というのが動機だとか。

 「そんなに危険な障がい者を野放しにした」「施設の管理が悪かった」などという浅薄な批判がテレビでは繰り返されましたが、障害者と犯罪という重い問題を真っ正面から考えた議論ではなかったように思います。

 「これまで生きてきた中で、ここが一番暮らしやすかった……」 獄中で、そう語った障がい者いたというのを聞いたことがあります。

 「毎日たくさんの障害者たちが、福祉とつながることもなく、ネットからこぼれ落ちてしまっている。そして、やっと司法という網に引っかかり、刑務所で保護されているのだ。これが、日本の刑務所の現実、いや、日本の福祉の現実だった」と。

 ハンディーを負った彼らが社会の中で‘普通に’暮らすのは大変であり、‘塀の中’のほうが安心して暮らせるということもあるでしょう。「代用監獄」ならぬ「代用福祉施設」。‘社会’は決してやさしくなく、彼らへの偏見に満ちています。

 そういう彼らを支えているのはほとんどが民間の施設であるにもかかわらず、自立支援法が施行によって、多くの施設が経済的に厳しい状況に追い詰められ、それが施設の人手不足や職員のストレス、そして通所者のストレスにつながっていくこともあると聞きます。
 被害にあった子供には何の落ち度もありませんが、犯人のケアをしていた施設としても、決して手を抜いていたわけではないのだろうと思います。

 障害の問題はとてもデリケートで、マスコミもなかなか本質的な議論をしようとはしません。障がい者が頑張って何かをしているという‘美談’のほうが、よほど差し障りがなく、気楽に報道できるのでしょう。

 障がい者は‘私とは違う人’ではなく、‘自分の、社会の一部’なのだという思いを持たないと、彼らのよりよい生き方を議論することも、犯罪を抑制する方途を模索することも難しいのではないかと思います。

 「累犯障害者」 衝撃的な響きの言葉です。今度の事件で、「障がい者は何をするかわからない、怖い」という思いを持つ人が増えないことを祈ります。

 それにしても、お昼のワイドショーなどに吉本の芸人などが出てきて、無責任な発言をするのには辟易とします。まともな議論をしていては視聴率が稼げないのでしょうか?

〜 吉田山のカフェにて 〜
2007年1月19日(金)  No.1253

旅行準備進まず
 来月4日からのインド渡航がだんだん迫ってきたので、そろそろ準備を始めなければと思い、トランクを出してきて、要ると思われるものをとりあえずまとめていくことにしました。

 今度の旅行は、インドに天台宗のお寺の本堂が建った落慶法要へ参加とオプションの仏跡巡りが目的です。ただし、悠長なインドのこと、どうやら本堂は法要期日までには完成しないらしいのですが。日本から200人以上の僧侶などが参加します。

 基本的には普段着で行けばいいのですが、法要をしにいくわけですから、普通のバッグパッカーのようなわけにはいきません。

 インドはいま乾期で、昼間の気温は30度、夜は10度以下になることもあります。昼間はTシャツ程度でいいのですが、夜は寒さ対策が必要です。

 先日、ユニクロに行きましたが、パンツなどはみんな冬用。どうにか長袖のTシャツだけ買いました。

 今日は、小さなリュックとポケットのいっぱい付いたベストを見に、アウトドアのお店に行ってみました。ところが、アウトドアの店はレストラン付きのパン屋に変わっていていました。登山用品店に行こうかとも思いましたが、値段が張る上に、メンバーズカードを忘れてきてしまい、結局断念。空手で帰りました。

 携帯電話も持参しようと、レンタルを申し込み。はたしてどこまで役に立つやら。記録をつけたり、デジカメのデーターを吸い上げるために、ノートPCも持参しようかなぁ。胃腸の薬などはもちろん必要。

 あとは・・・だんだん面倒になってきて、部屋の中は散乱したままで出かけ、デパートの旅行用品売り場で紙パンツを買って、今日の旅行の準備はひとまずお仕舞い。

 今年初の呑み会。ビジネス街の居酒屋は利口に楽しめますね。

 こんな日は閑話を書くのに苦労します。

〜 夜の風景 〜

2007年1月18日(木)  No.1252

シコシコ、シコシコ
 昨日の夕方からの雨が残り、夕方まですっきりしないお天気でした。

 「メダカの学校」の机や椅子を撤去して、日曜日の初釜向けにセッティング替え。客間の襖や障子は、行事にあわせてはめたり外したりばかりです。

 障子1枚にさくらの爪の跡を数カ所見つけました。襖や障子を収納してあるところにさくらが忍び込んだのでしょう。初釜は母の社中ばかりなので、張り替えるのはやーめた!

 晴耕雨読。雨なので、ホームページの修正をすることにしました。

 ディスプレイを替えて、1440ピクセル幅になって初めて気がついたのですが、ボクのホームページの幅はページによって違っていました。ワイド画面いっぱいに広がるページもあれば、真ん中に一定幅で表示されるページもあります。それを一定にする作業をシコシコとしました。

 ボクがホームページを作り出して、足かけ13年目。学生に面白いコンピューターの授業をしたいと考え、それにはまず自分が習得しなければと思って、まだ環境の整わないインターネットに取り組んだのが最初でした。
 もちろん、今のようにホームページを作るソフトもないし、通信はまだダイヤルアップだったでしょうか。それから考えると、今は夢のような環境です。こんなに超速でインターネットが普及するとは思ってもいませんでした。

 95年の今日は阪神大震災。その時には、パソコン通信を使ってデーターを収集し、支援物資を運んだり、避難所となった学校などへの炊き出しなどチームを派遣しました。97年のナホトカ号の重油流出事故の時は、重油収集に行くバスをしたて、ホームページを使ってボランティアを募って行きました。
 わずか2年。ボクがホームページを開設したのは、ちょうどその間の、インターネットのうねりが大きくなり出した頃でした。

 その頃のディスプレイ幅は640ピクセル。それから1024ピクセルになって、今はワイド画面。もちろん、最初はブラウン管、いまは液晶。もちろん、パソコンの性能は格段にあがっています。
 一番最初に買ったデジカメは30万画素でした。通信速度は、最初2400bps、それから28800bpsまで上がって、ISDNの64Kbps、ADSLの1M?となって、今では光で実測30M程度でしょうか。何倍になったのでしょう?

 13年の間には、ホームページが原因で某筋からお叱りを受け、3年間、公式行事に出られなくなった時期がありました。ボクとしては何ら間違っていないという信念をもっていますが、寺院社会の趨勢にはじき飛ばされました。

 そんなことを思い出しながら、シコシコ、シコシコ。

 すっかりボクのホームページも古くなりました。少し整理して、リニュアルしなければいけません。
 でもまぁ、お伝えしたい思いは変わっていないので、大きくは変わらないかな・・・そんなことを考えながら、またシコシコ、シコシコ。

 あー、今のパソコンは待たされることがなくて快適だなぁー。

〜 杉の木がなくなって見通しがよくなった庭 〜
2007年1月17日(水)  No.1251

杉の木逝く
 去年、高くて伐採を断念した杉の木を、植木屋さんに伐採してもらいました。

 3人の植木屋さんは、どう見たって平均年齢65歳以上。体型もずんぐりで、どうみても身軽そうにはありません。

 一番‘あんこ型’の人が、2連梯子をするすると登り、枝打ちをしながら木の天辺向かって登っていきました。

 「さすがやなぁ。今度ボクがやる時はああいう具合にしたらええんかぁ」と感心しながら学習し、自室に戻りました。


 程なくすると、消防車のサイレンが聞こえ、カンカンという鐘の音まで聞こえ、それがすぐ近くで止まりました。

 「近くや!」と慌てて飛び出すと、木の上の植木屋さんが「門の前の神社みたいなところから煙が上がってます!」と教えてくれたので、一目散に走りました。

 煙が上がっているのは真如堂の塔頭の1軒。すでに消防隊が中に入り、火元を確認していました。窓や軒裏から煙が出ているものの火は見えませんでした。

 消化器ですでに鎮火し、天井の一部が焦げた程度で済んだようですが、消防隊長とおぼしき人からは「天井を破って確認しろ!」という指示が飛んでいました。

 昨年亡くなったご住職の霊前に供えた線香の火が出火元の様子。大事に至らなくて本当によかったです。

 慌てて飛び出したので、自営消防団のヘルメットをかぶるのを忘れてました。


 自坊の前に戻ると、植木屋さんは、幹を上の方から1.5メートルほどずつ小刻みに切って落とす作業を繰り返していました。

 「へぇ〜、あんな丁寧にやるんか。ボクやったら、せいぜい真ん中で切るだけで倒してしまうのになぁ」と、自分の手荒さを反省。

 ちょうどやってきた植木屋の大将に、「丁寧にやるんやねぇ」と言うと、「うん、土塀やらあるしねえ」の答え。

 この大将、とある県庁所在地の市会議長をしている‘お偉いさん’なのに、お十夜の時などは家族揃って本堂前でみたらし団子屋の奉仕をしてくださいます。いつも作業着なのに、一度、テレビでスーツ姿を見た時にはビックリしました。

 4〜5度、小刻みに切った後、いよいよ根元から伐採。ちょうどその時は自室に戻っていましたが、「ドッス〜ン!」という低い音で倒れたことを知りました。

 切った杉の木は、いずれの時にか製材して修復などに使う部材として活用するために、本堂の回廊付近に移送しました。また寺のために役立ってくれるでしょう。

 もう1本の杉の木の天辺を飛ばしてもらい、桜の木の剪定も依頼しました。
 桜は切らないに超したことはありませんが、あまりに茂って回り中の木が圧迫されてきてしまったので、「他の木のほうが大事やから、桜は枯れてもいいから思いきって切ってください」とお願いしました。

 ‘あんこ型’の職人さんから申し訳なさそうに、「すんません。土塀の瓦が1枚割れてしまいました。大将に言うておきましたし」と言われました。見に行くと、まだ新しい土塀の瓦が割れていました。

 「プロでも、あんなに用心深くやっていても、こんなドジを踏むことがあるんやなぁ・・・」と、また妙に感心しました。

 さぁ、植木屋さん3人で1日がかりで、高所危険手当や廃棄費用もついて、いったいいくらになるのかなぁ。コワイ。

 「台風などで木が倒れてきたら大変だなぁ」と気になっていたことが、これで片付きました。

〜 枝を伐採しながら登る植木屋さん(左の木) 〜
2007年1月16日(火)  No.1250

さくらに気をつかう
 百日紅の剪定をしました。百日紅は少し切り戻してやった方が、大きな花が咲くのです。

 枝先の方までは登れないので、木の上に高枝切りを持って上がって、一枝一枝剪定していく作業。
 先端のほうは、片手で体を支え、もう片方の伸ばした手に3メートルほどの高枝切りを持っての剪定。これは結構堪えました。

 それでも、今夏また綺麗に咲いてくれるかと思うと、筋肉痛も厭わずに楽しんで出来ました。

 力を入れすぎたようで高枝切りが壊れ、作業は中断。携帯用の剪定鋸も年末に折れたので、進めようがありません。

 断念して、久しぶりにホームセンターに行って、鋸などを調達。ついでにいろいろと買いたい物が目に付いてしまい、結局3回に分けてレジを通らなければいけないほどの大荷物。お金も足らなくなってカードで支払いました。


 宗派が進めている、大正時代頃に発刊された教典集を電子化する事業から与えられていた宿題が滞っていて催促を受けていたので、夜はひたすらコツコツとパソコン作業。画像で送られてきた頁を、ソフトを使ってテキストデーター化する仕事です。

 比較的単純作業なので、先日借りてきたフォークソングのCDをヘッドフォンで聞きながら進めました。

 とにかく‘くっつき虫’のさくらは、パソコンデスクの上の書類入れに陣取ってうたた寝。側にいると安心するのでしょう。

 知っている歌がかかると、ついつい調子にのって鼻歌が出てきてしまいます。ヘッドフォンをしていると、結構大きな声で歌っているのかも知れません。

 ふと見ると、さくらが起き上がって、眠たそうな、迷惑そうな顔でこっちを見ています。この子は、ボクがお経の練習をする時でも、ビックリしたような、迷惑そうな目で、ボクを見つめるのです。

 お昼のTVニュースで歌会始のことが伝えられ、天皇陛下と皇后様の歌が古式に則って詠じられた時は、テレビの前できちんと座って、その声に聞き入っていました。

 長く伸ばした声に興味がわくのか、怖いのか? 不思議なのか? 恋猫の声や、猫の喧嘩の声には何も反応しないくせに。

 仕方がないので、声は出さず、首だけ振ってノリノリになりつつ、深夜まで作業をしました。これで課題達成!

〜 パソコンデスクの上で寝るさくら 〜
2007年1月15日(月)  No.1249

まだ正月だったのか・・・
 朝7時から本堂で慈覚大師の忌日法要。真如堂のご本尊を刻まれたとされる慈覚大師円仁師が、貞観6年(864年)の今日、71歳で遷化されたのを期して、その威徳をしのんでお勤めが修せられました。

 終わって檀家宅へ月参り。自坊へ帰って、法要2座とお墓での回向。夕刻近くに檀家宅での仏壇開眼法要と、忙しい1日でした。

 夕方、檀家宅からの帰ってきた時に、門松や注連飾りを外しました。

 1日放ったらかされていたさくらは、さみしかったのでしょう、うっかりしまい忘れたセーターを‘食べ’、洗濯した後のタオルなどあちこちに持って行っては散らかしていました。

 孤独には耐えることが苦手な猫です。

 元旦からまだ2週間しか経っていないなんて嘘のよう。1ヶ月は優に経っている気がしてなりません。

〜 自坊に祀った慈覚大師尊像 〜
2007年1月14日(日)  No.1248

僧侶の寿命
 真如堂塔頭前住職の奥様の葬儀。通夜同様に、塔頭の住職はもちろん、奥さん方も総動員。

 今は現役を退いておられる前住職が、出棺に際して、‘さすが’と思わせるようなご挨拶をなさいました。

 考えてみると、真如堂では住職方よりも奥さんが先に亡くなるケースが大半です。近いケースで見ると、住職が先に亡くなったケースが1であるのに対し、奥さんが先に逝かれたのは4。その差は歴然としています。

 どこかの大学の先生が、職業別の平気寿命を調査した結果、上位の職業は、1位 宗教家 2位 実業家 3位 政治家 4位 医師だったそうです。いずれも定年がないように思います。死ぬまで現役というのが寿命を長らえさせているのでしょうか。

 それだったら、お寺の奥さんも同様。檀信徒の接待、掃除、いろいろな行事など、からだが動く限りは続けなければなりません。

 それなのに、住職のほうが長生きするというのは、どうしてなのでしょう? ストレスが少ない? そんなこともないでしょう。信仰の力? そうとも言えないと思います。

 今日葬儀をお勤めしたご内儀も、嫁いで以来55年近く、ずっとお寺のために身を尽くして来られました。大変なご努力だったろうと思います。

 極楽の蓮の台の上で安らかにお過ごしください。


 午後は「メダカの学校」。中国3千年の歴史を交えながら、たくさんの人の名前が出てきて、頭の中はゴチャゴチャ。あたらめて中国の奥深さを感じました。

〜 今日もお天気 〜
2007年1月13日(土)  No.1247

猫の艱難辛苦
 「今日の散歩道」にも書いたことですが、発情期の雌猫を巡る戦いに、自然界に生きる厳しさの一端を見た思いがしました。

 朝の散歩では、戦いに敗れ、枯れ葉のベッドで身を横たえる猫を見ました。当然、雌の争奪戦に敗れたのでしょう。この寒空、あの猫は生き延びることができるのか、気がかりです。

 昼、写真を撮りに出た時には、威嚇し合う雄猫同士を見ました。威嚇だけで終わるのか、戦いに発展するのか、最後まで見届けはしませんでしたが、ボクの存在などお構いなしの、すさまじい剣幕でした。

 こうした難関辛苦を乗り越えて勝ち残った強い雄に、雌は子孫繁栄を期して恋をするのでしょう。

 まさに猫の世界も命がけです。

 そうかと思うと、自分以外はみなライバルとも思えるような猫同士が、夜中に何をしゃべるともなく、席を同じくしている光景を見たことがあります。「猫の集会」です。

 必要な時以外は争わない、無駄な戦いはしない。それも自然の摂理なのかも知れません。人間とは大きく違うところです。

 それに比べ、うちのさくらは、猫の猫たる厳しさをまるで知りません。それはあの子の責任というより、育てているボクの責任です。身体能力や習性は猫ですが、暮らし向きはまるで人間です。


 夜、真如堂塔頭の前住職の御内儀の通夜が勤められました。

〜 陽光を浴びるおみくじ 〜

2007年1月12日(金)  No.1246

昭和の僧
 先日亡くなったおじいさんの葬儀と繰り上げ初七日。

 火葬場から葬儀式場にご遺骨が戻られるまで約1時間半。一度自坊に戻っても、20分ほど居たらまたすぐに出かけないといけないので、葬儀式場で待つことにしました。最近はこういうパターンが多くなりました。

 待ち時間を有効に使うため、原稿を書くためのノートパソコンを持ち込んだり、調べ物をしたりと、何某かの‘作業’をあらかじめ用意して臨むますが、今日は本を読もうと思い、インドのガイドブックと去年求めた単行本を持ち込みました。

 インドのガイドブックにはすぐに飽きてしまいました。今回訪れるところは、ほとんど1回行ったことのあるところ。個人旅行でもないので、あまり自由に行動することもできません。狂犬病についての記述などを読んで、それで置いてしまいました。

 単行本は、奈良・薬師寺の名物管長高田好胤師の執筆された原稿や行事の時などの挨拶文などを軸にして、その娘さんがエッセイや逸話を記されたものでした。

 昨年、私はこのお嬢さん?と宗派の仕事の関係からご縁をいただいたのですが、文筆を生業とされているということは知っていても、実際に拝読したことがなかったので、ともかくと思い、本を買わせていただきました。

 高田好胤師は、百万巻の写経の勧進で薬師寺を再興され、修学旅行生などにも積極的にお説法をされて、仏心の種をまき続けられた方です。テレビなどにも、よく写っておられました。

 本からは、師のたえまない努力と不屈の精神が伝わってきました。

 薬師寺といえば、観光客や修学旅行生が絶え間なく訪れ、伽藍の修復など、それほど難しいことではないだろうと思われがちでしょうが、本から伝わってくる師は、自分の生き死にをかけて、この大事業に臨まれていました。

 また、このお嬢さんが、いかに父を慕い、薬師寺を愛していたかも伝わってきました。
 本に引き込まれて、あっという間に待ち時間は終わってしまい、半分ほどしか読めませんでしたが、命がけで寺を守る、仏法を弘めるということについて、大きな示唆を得た気がしました。

 生前中にお目にかかっていれば、いろいろなことを教えていただけたであろうにと、とても残念に思いました。


 夕方に自坊に帰り、夕べ亡くなった塔頭の前住職の御内儀の弔問に伺いました。ボクが子供の頃からとてもお世話になった、綺麗なご婦人でした。

 「ちょっと早すぎました」とおっしゃる前住職は、高田好胤師とは大学の同窓生でした。

 いろいろな意味で、一つの時代が終わっていくような気がしました。それと共に、これから、それほどの情熱を持って仏教を説き、寺を維持発展させていこうとする僧侶が、果たして出てくるだろうかと、我が身のことも考えながら、不安に思いました。

〜 購入後にしてもらったサイン 〜
2007年1月11日(木)  No.1245

お買い得? それとも無駄?
 先日、量販店で求めたスーツの裾上げなどが出来たので取りに行きました。

 スーツを着るのは、月に0〜3回程度しかありませんが、なくても困ります。今持っている冬のスーツは1着のみ。

 「もう1着ぐらいない、着たきり雀だなぁ」と思って、そこそこのものを、カボチャでも買うがごとく「じゃぁ、これお願いします」と選びました。

 すると店員さんが、「あと1000円足していただくと、もう1着買えますが」と言ったのですが、その意味がすぐには飲み込めませんでした。聞き直すと、1着目の値段に1000円を足すだけで2着目が買えるということのよう。

 「いったい原価はいくらなんだろう・・・もともとの価格表示が高いのだろうか・・・それだったら1着目を半額にしてくれればいいのに」などとも思いましたが、「買うきゃないよねぇ」と、少ない選択肢の中からもう1着を選び、「じゃぁ、これにします」とまた易々と決めました。

 支払いの時には誕生日月だからと1割引になり、次回以降使えるポイントが数千点付くなど、狐につままれたかのような‘お得’な買い物でした。いや、かえって不安かも。

 今日そのスーツを取りに行き、カバーから出して吊してはみました。これで冬のスーツは3倍増!

 「滅多にスーツを着ないボクが、3着も持っていても、どこに着ていけばいいんだろう・・・。ホームセンターに着ていくかな? 無理してフレンチでも食べに行くか? インド旅行にスーツは要らないし・・・」と考え込んでしまいました。

 来月初めに迫ったそのインド旅行の旅程表を紛失したので、他の参加者にFAXで送ってもらいました。そろそろ他の予定とのやりくりをしないといけません。

 帰りに、『地球の歩き方』も買ってきました。団体旅行なのでくっついていけばいいのですが、やはり事前に下調べをしておくと、旅行の深みも変わってくるはずです。真剣に準備を始めようっと!

 やっぱり、1000円のスーツで行こうかなぁ。

〜 新着した2着のスーツ 〜
2007年1月10日(水)  No.1244

 自坊の世話方をしてくださっていたおじいさんが夕べ遅く亡くなったので、今朝、枕経に伺いました。

 お正月にはおじいさんは留守番をして、おばあさん〜曾孫の4代10数名がお参りに来られました。5日にボクがご自宅を年頭回礼に伺った時には、おじいさんはお正月の疲れが出たとのことで、玄関脇の部屋で寝ておられました。

 6日に入院されたとの連絡があり、昨日の夕刻に状態がよくないと電話がかかり、夕べ遅くには訃報に変わりました。

 おばあさん、子、孫、曾孫がひしめく仏壇のある部屋に、おじいさんは横たわっておられました。

 数えで89歳という年齢もあり、最近頓に弱ってこられたということも手伝ってある程度の覚悟が出来ていたのでしょう、集まった親族に悲壮感はありませんでした。

 おじいさんの顔は穏やかで、想像していたよりもずっとふっくらとされていました。

 夕べ、家族が急を知らせる連絡に忙しかった時、おばあさんと二人っきりになったほんの短い間に、スウッと息を引き取られたそうです。
 その前に、病室に見舞いに来た親族たちに「おばあさんのことを頼む」「おばあさんを(孫のところに)連れて行ってやってくれ」などと話しておられたとのこと。

 お正月に、実家に集まってきた子供、孫、曾孫の顔を見て満足され、今際の際に託すことは託し、そして長年連れ添ったおばあさんが側におられる時に息を引き取られた。安らかな顔の理由がわかった気がしました。

 おばあさんに、「喧嘩する相手がいんようになってしまいましたなぁ」と言うと、おばあさんも「私ぁ、喧嘩してんとあかんのですわぁー」と肩を落としておっしゃいました。
 毎月お経をあげに伺った時、ご夫妻はボクの後ろに座って拝んでおられました。お経が終わってお茶をいただく時は、おばあさんがひとりでしゃべり続け、おじいさんは相づちを打つだけ。最近は、おじいさんは座りながら‘船をこぎ’、前にひっくり返るのではないかと思うことがたびたびありました。

 おばあさんは、本人を目の前にしておじさんの不満をたくさんおっしゃっていましたが、おじいさんはそれもおとなしく聞いておられました。おじいさんは、元気だった数年前までは織物の研究をされたり、好きな絵を描いたりして、頑固ながら静かな時間を過ごしておられました。おばあさんも、やはり数年前までは、孫の教育に奔走されていました。
 静と動、おじいさんとおばあさんはそんな感じでバランスを保っておられるように見え、それも夫婦の一つのあり方なのだと思って拝見していました。バランスが保ち合っていた相手がいなくなってしまったおばあさんが心配です。

 「人間、生きてきたようにしか死ねない」とか「死に際を見ると、その人がどんなふうに生きて来たかわかる」などと言いますが、亡くなった後の親族などの様子にそれは如実に顕れてくるとボクは思います。
 横たわるおじいさんを取り囲んでいるおばあさんや子供、孫を見ていると、おじいさんの生き様がまた浮き上がって見えてくる気がしました。

 おじいさん、やすらかに。

〜 墓所で寄り添う猫 〜
2007年1月9日(火)  No.1243

施餓鬼台新調
 今日は成人式。式の行われる岡崎公園近辺の道路は大混雑。

 艶やかな着物を着ている女性がずいぶん目立つのに比べて、男性は「どこにいるの?」という感じ。まったく陰が薄い気がしました。


 今まで、仏前お供えしたご飯などを、2階の自室の外にある台にのせて小鳥に施していました。
 さくらは、そこに集まってくる鳥を見たいがため、窓辺に身を潜ませます。ところが、年末に部屋の模様替えをしてパソコンデスクをその位置に置いたため、さくらはキーボードの上を歩いて窓辺に行ったり、デスクの上から覗いたりするようになりました。

 せっかくパソコンも新しくなったのに、このままではいつさくらに壊されるかわかりません。

 そこで餌台を屋外に移すことにしました。以前も屋外にあったのですが、集まってくる鳥を野良猫が狙ったりすることもあって、老朽化を機に今の窓辺に移したのです。

 今度は支柱を鉄製にして耐久性を向上させ、位置も高くしてそう易々と猫が飛びつけないようにしました。

 鳥がこの餌台を見つけて、安全だと思ってくれるまでには数日かかるでしょう。でも、餌の乏しいこの時期、案外早く来てくれるかも知れません。

 今までは、窓辺に来る雀やヒヨドリが楽しみでしたが、これでそれも叶わなくなってしまいました。ちょっとさみしいです。

 以前移転したのも猫がらみ。今回も。猫に翻弄されてばかりの餌台です。

〜 新調した施餓鬼台(餌台) 〜
2007年1月8日(月)  No.1242

七草
 早朝、七草会法要。どうして七日にお勤めをするのか、七日正月だから? 由来はわかりません。
 7日までを「松の内」として6日にお飾りなどを片付ける地域が多いようですが、京都は15日の小正月まで飾ります。

 本堂へ向かっていくと、本堂や鐘楼堂の背景がぼんやり赤くなっていました。ひるがえって西を見ると、塔の後ろにはお月さんが綺麗に出ていました。

 11人の僧侶が横一列になって読経しますが、真ん中に導師を挟んで左右に分かれ、端と端では10メートルほどあるため、ややもすると左右の調子が合わないことがあります。特に血気盛んな若い僧侶は、座る位置が他の人の声が聞こえにくい外側寄りあることもあって、‘マイペース’でお経を読もうとしてしまいます。まわりの読経の声を聞きながらその調子に合うように、耳で読まないと合いません。

 修正会の時にそういう傾向が著しかったので、上座のほうから、「ゆっくりやれ」という指導が入り、下座も気をつけて耳で読んだので、気持ちよく読経が揃いました。

 法会を終えて外を見ると、横殴りの雪が降っていました。本堂の階段には吹き込んだ雪が舞い、草履には少し雪が乗っていました。

 醍醐の方まで月参りに行きましたが、そちらはちらつく程度。帰ってきて、真如堂への坂道を上ろうとしたら、道がシャーベット状の雪で白くなっていました。北と南ではこんなに違うのかと改めて思いました。

 昼下がり、パソコンが新しくなったのを期に必要になった部品を買いに、四条に向かいました。デパートの周りは駐車しようとする車でごった返し、細い道に入ったら1回の信号で4〜5台ほどしか動かない始末。「15分200円」というお高いコインパーキングが目の前で1台分空いたので車を駐め、サッと買い物。「15分で戻るぞ!」と頑張りましたが、18分かかってしまいました。

 帰ってからは、通販で買ったステレオの小さなリア・スピーカーを付け替え、何年かぶりに4チャンネルの臨場感に浸りながら、買ってきた部品を取り付けました。これで完璧!

 さぁ、お正月の疲れも回復してきたし、そろそろ日常モードに戻りましょう。

 今日は七草。朝から、「七草、七草・・・・・なくて七癖」というフレーズが頭の中を行き交っていました。変なの。

〜 本堂に上がる前の鐘楼堂 〜
2007年1月7日(日)  No.1241

新しいパソコン、本格始動!
 年頭回礼も1時過ぎに終了。遠方の檀家さんやホームページからお申し込みいただいた方の発送作業をしました。

 年賀状を出し渋ったつもりはなかったのですが、いただいたのに出していなかった方が80人にもなってしまい、郵便局ではもう残っていないと言われたので、毎日コンビニに買いに行く始末。今日書いた分で、そろそろお仕舞いかな。遅くなってしまった方、失礼しました。

 4日に届いた新しいパソコンへソフトをインストールしたり、古いパソコンからデーターを移す作業が、何とか一段落してきました。

 古いパソコンには、いろいろな目的に合った小さいフリーソフトが30以上入っていたのですが、中にはもう使わないものもあるので、これから必要になった時にインストールすることにしました。

 ここ2日ほどは新旧2台のパソコンを起動させていましたが、明日からは1台で済みそうです。

 それにしても、新しいパソコンは快適! 早い、画面が綺麗! 申し分がありません。
 中途半端な機械を買ってもすぐに能力不足を感じるようになるのがわかっているので、迷わず現時点では性能の高いパソコンを買いました。

 その甲斐あって、ソフトの起動、インターネットの表示、すべてサクサク動きます。キーボードの感触やマウスの握り具合にはまだ違和感がありますが、それは使っているうちに慣れるでしょう。

 不満を感じていたワイド画面は、パソコンを換えてから扁平感もなくなり、パソコンの性能のおかげで色の表現力もすごい! 
 去年の秋の紅葉の写真を見て、我ながらビックリ! 紅葉の透明感が出ています。今までのディスプレイではわからなかったことです。でも、逆に、人によってこんなに見え方が違うのだということもわかりました。ホームページ作りって難しいなぁ。

 とにもかくにも、満足満足。

〜 でかいけれど、見かけも気に入っています。 〜
2007年1月6日(土)  No.1240

アッシジは関わり合いのないことでござんす
 市内の左京、上京、中京、北区近辺の檀家宅60余軒を、車でお年始に回りました。

 走っては止まって車から降り、護符を持ってご挨拶の連続。走るといっても大通りばかりではなく、切り返しを何度かしなければ曲がれないような路地道があったり、停車することすらはばかられるような細くて交通量の多い道があったりで、なかなか気をつかいます。肩もこります。

 お昼になったので、コンビニでおにぎりと缶コーヒーを買ったついでに、靴底用のカイロを買いました。肩こりから頭痛に発展すると大変なので、カイロを肩に貼って温め、血液の循環をよくしようと考えたのです。

 これが予想以上に効果を発揮。頭痛の一歩手前まで行っていましたが、不思議なほどスウッと解消し、ずいぶん楽になりました。

 朝9時に出て、帰ったのは3時過ぎ。コンビニの駐車場で10分足らず休憩しましたが、あとは走ってはご挨拶、また走ってはご挨拶の連続。少し疲れた程度で帰着しました。
 ところが、カイロを貼った肩がヒリヒリしてきました。もちろん、カイロは下着の上から貼ったのですが、軽い低温やけどを起こしてしまったようです。水泡は出来ていませんが、赤くなっていました。まぁ、肩こりするより、こんな程度のヒリヒリのほうがマシかな。

 以前は、お正月にもたくさんの僧侶と行き違いましたが、それもすっかり少なくなりました。「年頭回礼など面倒くさい」と止めてしまったお寺も多くなってきました。確かに大変ですが、こういう‘コミュニケーション’に手間を惜しむべきではないと、ボクは思っています。

 ボクみたいな考え方をする僧侶は、いなくなりました。思考はもう骨董品の範疇なのかも知れません。
 手間を惜しんで、余った時間で意義のあることでもするのならいいですが、「ボォーっとしているぐらいなら、体を動かせ!」と、若い僧たちには言いたくなります。

 あかん、正月からぼやいてる・・・。

〜 参拝旅行に行った友人が撮りたてを送ってくれたイタリア・アッシジの夕焼け 〜
2007年1月5日(金)  No.1239

2つのパソコン
 今日から、護符などを持って檀家宅への年頭回礼。3日間で200軒弱を回ります。ちょっと大変。

 車で出かける時、宅急便が大きなダンボール箱を2つ持って自坊に向かうのが見えました。新しいパソコンのようです。でも、どうして2つ?

 モニターは先に届いているので、パソコンだけなら箱は1つで済むはず・・・・。

 「ひょっとして、モニター付きの機種だったんだろうか? えー、ということはモニターが2つになっちゃうということ? オークションで1つ売らないといけないなぁ」などと考えながら回礼を終え、2つの箱を自室へ運びました。

 ダンボール箱の横に開いている持ち手の穴から触った感じでは、2つともモニターではなさそう。さっそく開けてみると、なんと両方ともパソコンの本体。黒い本体と白い本体が1つずつ入っていました。

 黒いほうはボクが注文したものに違いありませんが、白いほうは構成されている部品なども違い、明らかに誤って配送されてきたもの。

 すぐに購入したパソコンショップに電話をしましたが、先方はボクの電話で初めて事態に気付いたようで、どういう理由でそんなことになったのか、さっぱり見当が付かない様子でした。着払いで送り返して欲しいということなのですが、面倒。

 電話しなかったら、先方は気がつかなかったかな? 惜しいことを・・・?


 新しいパソコンは、それはもう快適。早い! サクサク動きます。格好もいいし、満足です。使っているうちに今の機械との差が歴然としてくるでしょう。

 でも、古いパソコンから新しいパソコンに、ソフトやデーター、設定などを移すのは気の遠くなるような作業です。

 面倒くさいですが、仕方がありません。家を引っ越す時のように、この際、要らない物は捨ててしまいましょう。ひょっとしたら、何かお宝が出てくるかも知れませんし。

〜 届いた2つのパソコン 〜
2007年1月4日(木)  No.1238

おっさん、墓参を忘れる
 今日、お年始に来られる方は昨日よりもずっと増えました。昨日が雨で出控えた人や、年末からお正月にかけて出かけていた人がお越しになったとかだったのでしょう。
 それでも元旦と比べると雲泥の差でした。


 3日間たくさんの人がお参りになりましたので、お墓もさぞかしたくさんのお花が供えられているだろうと、夕方薄暗くなってから見に行きました。

 たいていのお墓にはお花があがっているのに、ポツリポツリとお花も塔婆もない、寂しいお墓があります。

 遠くて来られないというような特別の理由が思いつかない家のお墓に、誰もお参りされた痕跡が残っていないと、「このお家はお正月どう過ごされたのだろう? 遊びに行かれたのかな?」と思ってしまいます。

 お盆休みやお正月休みは、ただ休みが続くというだけではないと思います。お盆は祖霊を迎え、お正月は年神を迎える、本来はそんな大切な期日であろうと思います。
 年末もお正月も自分の祖先を放ったらかして、自分たちだけ遊びに興じるというのはいかがなものなのでしょう?

 誰も参らない寂しいお墓を見ていると、「子供さんの育て方を間違ったのかも知れませんよ」と、故人に苦言を呈したくなります。

 そんなエラそうなことを言っているボクも、「あっ、そうだ! お参りしてへんわ」と、お墓の巡回をしたついでに先代のお墓にお参り。トイレの窓から見えているお墓なのに・・・。

 こんなことでは、日本も‘美しく’なりません。

〜 夕方の墓所 〜
2007年1月3日(水)  No.1237

雨に人足鈍った正月2日
 お年始は元旦にという人が多いのに加えて、今日は雨。お越しになる人は昨日の2割以下程度で、バタバタした雰囲気はありませんでした。

 ひっきりなしという感じでもないので、ボクは年末調整の書類を書きながら待機。毎年、お正月の待機時間にする作業です。

 電子申告をしてみようと申請し、パスワードなども送られてきたのですが、電子署名に使用する電子証明書というのが必要らしく、ICカードに格納されるその証明書を利用するにはICカードリーダライタを持っていなければ出来ないということがわかりました。年1回の申告のためにそんなものを買っても仕方がないので断念。従前通り、手書きにしました。

 それにしても、国税庁の説明は不親切。電子証明書を持っていて当然という前提で、確定申告のように簡単にはできません。くたびれ損でした。

 大晦日〜元旦の寝不足がまだ響いていて、電卓で計算する度に出てくる数字が違うようなありさま。まぁ、これはいつものことですが。

 こんなボクが、かつては京都府下のお寺に源泉徴収の指導に回り、寺院向けの本も執筆したことがあるというのですから、我ながら呆れます。


 早く寝ようと布団に入ったものの、寝付けないのでテレビをつけたら、山崎ハコが歌っていました。

 山崎ハコといえば、年末に友人からオークションに出してと預かったレコードが数枚あります。改めて聞いてみようとしばらく耳を傾けましたが、昔の記憶にあるような暗さを感じず、ちょっと期待はずれでした。何を期待していたのかな?

 正月だからどこかへ行くということもなく、考えてみれば、人が来るのを待ち応対するという‘受け身’の正月を、ずっと過ごしています。

〜 初さくら。カメラが気に入らなかったようです。 〜
2007年1月2日(火)  No.1236

元旦?
 6時から本堂で修正会。

 5時過ぎには起きましたが、起きたというよりは寝た気がしません。3時頃寝て、1時間ごとに目が覚め、「もうそろそろだなぁ」と思っているうちに目覚まし時計が鳴りました。

 上堂して修正会、拝賀式。自坊での修正会が終わったのが、8時半過ぎ。お節を食べ始めたら、例年のごとく、お年始の方がみえました。

 とにかく食べて、「30分、ゴメン!」と宣言して、ホームページの更新用の写真を撮って編集し、曇天用に書いた文章を快晴にあわせて修整。
 傍らでは、玄関の戸が開いたことを知らせるチャイムが鳴りっぱなし。気が焦る中、とにかく作業をして、更新完了!

 すぐに‘現場’に戻りましたが、それからは怒濤のようでした。

 お越しになった方に和菓子とお抹茶をさし上げ、塔婆をお渡しするのですが、お正月は家族揃ってのお参りが多く、玄関に入りきれない、座れないことがしばしば。

 「まだ12時なのか…」「まだ1時…」「やっと2時かぁ…」と時計を見ながらため息。お昼は‘立ち食い蕎麦’でした。

 4時を過ぎてようやく人足が止まり、こたつに入ったら、座ったまま寝てしまいました。4時半を待って自室に帰って僧衣を脱ぎ、メールなどをチェックし、今朝急いで更新した文章を直しました。

 夕食にお酒を呑んだら、もういけません。睡魔の大群がやってくる感じ。フラフラしながら、何かをして(記憶にありません)、9時半には布団に倒れ込みました。

 大晦日からずっと時間が連続している感じの、長〜い、長〜い1日でした。

〜 元旦の朝 〜
2007年1月1日(月)  No.1235

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