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2006年10月の日記

水琴窟は直り、ボクは沈む
 朝一に、水琴窟復旧の最終作業。

 従来の排水口を、もう一度使う可能性が出てくるかも知れないことを考慮しつつ、コンクリートで塞ぎました。切り取った壷の最上部も元に戻し、コンクリートとコーキング剤で接着。これですべてOK!


 昼前から、西国三十三所の札所の名誉住職の葬儀に出仕。亡くなった名誉住職は尼僧で、戦後荒れた寺を復興した情熱はすさまじく、また大変厳しい方でした。91歳。

 今日の葬儀はソロパートが多いのに、咳がひどくて困ったなぁ、何とかマシにならないかなぁと、昨日呼吸器科に行き、今日も葬儀前にのど飴を舐めたり、龍角散を口の中に入れたりして備えました。

 いざ式に臨み、声を出そうとしましたが、喉の奥のほうで声の塊があちこちぶつかって、なかなか出てこないという感じ。一声で3回抑揚を付けなければならないような節のところも、2回が続けるのがやっと。仕方なく息を継いで、また声を出すといった感じで、ようようソロパートを抜けました。

 終わっても、呼吸が浅く息が大きく吸えない感じで、もう息絶え絶え。「あんなんじゃ、お布施を半分返さなければいけないなぁ」と思いました。

 閉式して霊柩車を見送り、急いで自坊に帰って、ほとんど立ち食いで茶碗半分のご飯を口に入れ、大津・坂本の会議へ。

 メンバーはお偉いさんばかりで、ボクは一番年下。制作中の宗派関連のホームページのデモをしましたが、年輩の方にわかったかなぁ。年輩の方が多い部会の報告書はいまだに手書き。まずそこからIT化して欲しいなぁ。


 夕方、速乾性のセメントが固まったのを確認して、水を注いでみました。チャポン、チャポンと、よく鳴っています。蹲の小石も元に戻して、これで完全復旧! まったく不安なしに「かふぇ水琴窟」の臨めます。


 水琴窟は直りましたが、ボクは治りません。トホホ。

〜 名誉住職の葬儀を終えた寺 〜
2006年10月31日(火)  No.1172

一転、水琴窟、復活近し!
 朝から、頭の中で水琴窟改修のシミュレーション。すっかり取り憑かれている感じです。
 その改修案がだんだん形になってきました。壷の底にもう1箇所穴を空けて、そこにパイプを通して排水するプランです。

 昼前にはそれを試してみたいという衝動に襲われ、その衝動抑えがたく、昨日、せっかくコーキング剤を使って接着した壷の上部を外し、ポンプで水を抜き、肩を壷の中まで入れて、ディスクグラインダーで壷の底を切りました。

 底のコンクリートは5センチほど厚みがあるはず。ディスクグラインダーの刃では切り取ることはできませんが、四方を切って少し力を加えれば、コンクリートが割れてうまく抜けるという予定でした。

 ところが、肩まで壷の中に入っていると手元が見えず、手探り状態でディスクグラインダーで切っているうちに、コンクリート製の底ではなく、あろうことか、底に近い壷の側面が破砕してしまいました。

 「えらいこっちゃ! ひょっとして、壷全体にヒビが及んでないだろうか・・・」と心配になり、壷の内側に付いたコンクリートの粉を水で洗い流して点検しましたが、割れたのは幸いその一部分だけでした。割れた部分の壷の厚さは1センチもありません。大きな壷にしては予想外の薄さです。

 空いてしまった穴からは、壷の回りに配してある栗石や木の根が見えていました。

 「あ、ここにパイプを突っ込んで排水すればいいじゃん!」と、瓢箪から駒? 一石二鳥?

 さっそく栗石と栗石の間にバールを突っ込んで隙間を空け、そこにパイプを突っ込んで、割れた部分もすべてセメントで塞ぎました。これもすべて手探り。でも、結構きれいにセメントが塗れました。

 元からあったパイプをどうするか? 2つもパイプがあると、そこから音が逃げていくかも知れません。明日、水を張ってみて水位などを確かめた上、古いほうのパイプは、とりあえず仮に詰めることにしました。

 壷の中へ肩まで入れての、手探りの作業ばかり。コーキング剤が作業着や腕にも付いていました。鏡を見れば、頭や顔にもコーキング剤が付き、ディスクグラインダーでコンクリートを切った時の粉も顔や頭のあちこちに付いていました。我ながらすごい形相になっていました。

 改修の結果は、明日、水を貯めてみてわかりますが、きっと大丈夫でしょう。これでまたしばらくは使い続けられるはずです。

 こんなことばっかりやっているので、来月中旬の鳥取での講演準備が進んでいません。あー、パワーポイントで原稿を作らないと。あと2週間だなぁ。

〜 壷の底に2本のパイプ。手前が今日付けたパイプ 〜
2006年10月30日(月)  No.1171

危うし水琴窟
 朝の掃除をしている時、水琴窟の水位を調べてみたら30センチもありました。10センチ以上は水が貯まらないように作ったのに・・・。

 水琴窟は、土の中に壷が埋めてあり、少しの水が常に貯まっています。そこに蹲いの水が落ちることにより、その音が壷の中で反響して壷の小さな穴から漏れ出し、聞こえるような仕組みになっています。その水が貯まりすぎて、反響しにくくなっているのです。

 棒を突っ込んで溜まっている水を探ってみると、水の抵抗とは違う何かを感じました。「根っこだな」と瞬間に思いました。

 根っこが底の穴から入り込んでいて、それが排水を妨げているとしたら、ちょっとやそっとのことでは直りません。

 「やるしかないな」と決断して、ディスクグラインダーで壷の上部を切って開けてみることにしました。
 コンクリートと陶器を切断するときに出る煙のような埃をかぶりながら、壷を割ってしまわないように慎重に作業を進め、手が入るだけの穴を開けました。

 100リットル弱の水をポンプで汲み上げて見ると、細かい根がいっぱいで、排水用のパイプが見えません。予想は的中、回りに植わっている台杉の根でしょう。肩まで手を突っ込んで根を引っ張ると、案外簡単に取れました。

 「これは簡単に直るかも知れないなぁ」という期待とは裏腹に、排水パイプの水がまったく引きません。何かが詰まっているのだろうと思い、突いてみましたところ、木に当たっているような感触です。太い根で蓋をされてしまっているのかも知れません。ノミと金槌、ドリル、いろいろと試してみましたが埒があかず、排水できません。

 こうなったらもうお手上げ。壷を掘り出して根を取り除くか、水が貯まったらポンプで抜くしかありません。水が流れていく隙間さえあれば、また根が入り込んできますから、それを防ぐにはパイプで完全排水するしかありません。そのためには、深さ1メートル長さ10メートルほど掘らないといけません。11月6日には「かふぇ水琴窟」がOPEN。それまでにやるのは不可能です。とりあえずは毎日、客の多い日は数時間おきに、壷の中に貯まった水をポンプアップするしかありません。

 仕方がないので、切った壷の上部をもう一度戻し、コーキングで密着させました。これで、水琴窟としての機能は果たせます。この後どうするか、しばらく考えることにしました。

 気分を変えて、金木犀の剪定作業。繁るだけ繁っているので、剪定のし甲斐があります。剪定した枝が山のようになりました。
 細かい雑草を枯らすために除草剤も撒布。他の蹲いの掃除などもしなければいけませんが、あたりも少し暗くなってきたので、今日の庭師はここまで!

 それにしても困ったなぁ・・・。

 今日も喉は不調。もうこれで2週間。明日は呼吸器科に行こうっと!

〜 壷の上部に開けた穴と壷の中。排水パイプが見えます。モジャモジャしているのは壷中に蔓延っていた根 〜
2006年10月29日(日)  No.1170

夜なべでガッチャンコ
 午前中の檀家回りと法要を終えて、昼過ぎからはひたすら寺報作り。

 とにかく、週明けには送ってしまいたいので、根を詰め詰め、まずは原稿作成。こんなことを今頃やっているのですから、準備不足も甚だしい。
 10月って、あっという間に過ぎてしまった感じで、気がついたらもう月末。
こんなに間近に11月が迫っているとは、実感がありませんでした。

 住職の趣旨が途中で変わる原稿もそのまま。あとは書いたり、寄せたり?、写真を載せたりで、ようやくB5サイズ8ページの寺報が完成!

 さっそく、軽印刷機で、ガッチャンコ、ガッチャンコ。片面を刷り上げた段階で、「あっ、しまった! 難しい漢字にルビを振るのを忘れた!」。今さら取り返しがつきません。「読み方がわからへんがな」と檀家のおばあちゃんにお叱りを受けるのを覚悟で、もう1面をガッチャンコ、ガッチャンコ。
 十夜法要の案内や、来年、年回が回ってくる霊位名の一覧表をガッチャンコ、ガッチャンコ。

 下の部屋ではお茶のお稽古中。「この音、うるさいだろうなぁ」と思いながらも、ガッチャンコ、ガッチャンコ。

 ようやく刷り上がったのが8時半過ぎ。次なる行程は、紙折り作業。刷り上がってB4の寺報をB5に二つ折りしなければなりません。納戸から紙折り機を出してきて、今度はスタ スタ スタ スタ。時々詰まるのを直しながら、スタ スタ スタ スタ。邪魔をしに来るさくらを部屋から追い出して、スタ スタ スタ スタ。

 それが終われば帳合い作業。B52つ折り2枚組の寺報が完成! とまでは行き着きませんでした。とりあえず、十夜の案内に同封する分500部ほどをセットするのがもう精一杯。
 腰は痛い、目はショボショボ、肩はガチガチ。もう今日はや〜めた!

 明日は封筒詰め。昼は庭仕事もしなきゃ。法要も2座あるなぁ。

〜 静かな朝日の中のもみじの緑と桜紅葉 〜
2006年10月28日(土)  No.1169

母子再会を目論む
 更新の写真を撮っていたら、ミーコがシロクロ猫に追いかけられて、いつもの石灯籠の火袋に退避するのが見えました。
 猫の世界にも、強弱や雌雄など、いろいろなバランスがあるのでしょう。

 火袋にいるミーコを見て、「そうだ! さくらと対面させよう!」と思いつきました。

 以前、ミーコがうちの庭に尋ねてきた時、さくらはミーコに1度会っているのですが、ガラス越しだったので匂いもわからず、さくらは知らん素振りだったのです。

 「直接会えば、どんな反応をするだろう? 母子とわかるだろうか?」と淡い期待を抱いて自坊に戻り、嫌がるさくらを抱っこして、石灯籠へ取って返しました。

 石灯籠へあと5メートルほどという場所まで来た時、ミーコがこちらを向いて「ニャァー」と鳴きました。

 「おおっ、これはいけるかも!」と思い、1メートルほどの距離にまで近付くと、ミーコはますます「ニャァー ニャァー」と鳴き続けました。さくらも、ミーコのほうを向いて、1声、2声「ニャァー」。

 「劇的な母子再会!」と感動しかけましたが、その後さくらは知らん顔で、よそ見をしてばかり。ミーコは相変わらず鳴いていますが、どうも鳴き方に愛情が籠もっていません。

 仕方がないので、さくらを手に掲げ、「ほれ、さくら、お母さんだよ」と火袋の中のミーコに近づけました。
 その途端、ミーコの形相は一転! 「フゥ!!」と威嚇する息づかいをしながら口を開け、舌は縦にVの字型になって、牙をむくような、ものすごく恐ろしい顔になりました。

 「うわぁー、怖い」と、ボクは思わず仰け反り、すぐにその場を離れました。さくらも怖かっただろうと思って、顔を覗き込みましたが、何も感じている素振りはありませんでした。

 やはり、猫は親子であることを忘れてしまうのですね。いまだにさくらはセーターを食べ続けています。さくらにとっては、セーターの感触が母親なのでしょう。


 夜、冷え込むようになって来たので、最近は毎晩さくらが布団に入ってくるようになりました。
 夜中、ボクが眠っていると、ボクの頭をペロペロ舐めて起こし、「お布団に入れてぇ」と訴えます。ボクを起こすにはスキンヘッドの頭を刺激するのが一番だということを知っているようです。

 お布団を少し持ち上げて「お入り」と言うと、布団の中に潜り込んできて、中で360度回り、ボクの脇の下あたりに顔を埋め、ボクの腕に自分の手を乗せて眠ります。
 しばらすると気がつかないうちに出て行って、また頭をペロペロして、「入れてぇ」と言ってきます。少し暑い時は、掛け布団の上で、ボクに寄りかかるようにして寝ています。

 何度も目が覚めますが、ここまでボクを慕ってくれるのはさくらしかいないと思うと、可愛くてしかたがなくなってしまいますねぇ。

〜 ベンチで食べ物をくれる人を待つミーコ 〜
2006年10月27日(金)  No.1168

東京へ
 今日は東京の大学での講義の日。新幹線〜山手線〜都営三田線を乗り継いで、西巣鴨の大正大学へ。

 大学院の講義で、学生は多くても20人と聞いていたのですが、打ち合わせ中に突然、今、この大学の講師をしている高校の先輩が研究室に入ってきて、自分の授業に出る学生も聴講させて欲しいと申し出、一気に40名ほどになりました。
 教室も「ロ」の字形式から、普通の教室形式に変更。マイクを使っての講義となりました。

 講義に先立って、卒業アルバムに載せるためのゼミの写真の撮るとのことで、遅刻した学生のために撮り直しをしたり、教室移動をしているうちに、授業時間が30分弱も短くなってしまいました。

 今日の特別講義のタイトルは、「病院における仏教活動〜その経緯と将来展望」。いざ授業を始めたものの、90分の原稿を60分で話すのはかなり困難。最後の、ボクが一番言いたかったことが尻切れトンボになってしまいました。

 ボクが一番言いたかったこと、それは特別なことではありません。これから僧侶を目指そうとする若い人たちに、葬儀や死者儀礼に偏らずに、生きている人の役になって欲しいということ。死者儀礼を単なる儀式と捉えずに、遺された家族などのためにという視点をもってやって欲しい。仏教やお寺は社会から必要とされなくなっていく傾向もあるけれど、それを止めるためには、自らの信仰を高める努力を日々怠らず、どうしたら今に生きる人々に役に立てるかという視点を常に持っていて欲しいなどいうことでした。
 ここに書いてもしょうがないなぁ。

 先日買ったMP3プレーヤーで、自分の話っぷりを録音しておこうと思いましたが、操作方法がわからず、断念。マニュアルを見ておくべきでした。

 終わってから、2人の先生と興味を持ってくれた学生3人で喫茶店に行き、質問を受けたり、いろいろな雑談を2時間近くしました。「若いっていいなぁ。これから何でも出来るなぁ」と羨ましく思えました。

 皆さんと別れ、とげ抜き地蔵に向かいました。本当は大学から歩いて行く予定でしたが、すでに4時半を回って少し薄暗くなってきた感じなので、電車に一駅のり、巣鴨へ。
 「おばあちゃんの原宿」とは聞いていましたが、想像よりずっと道幅が広く、距離も長い、すごく大きな商店街でした。

 駅から少し商店街を歩いたところにとげ抜き地蔵があり、その前に置いてあるベンチには、多くのお歳を召した方が座っておられました。
 とげ抜き地蔵の建物は鉄筋で、境内と呼べるような広さはなく、想像よりも規模の小さいお寺でした。東京のお寺が鉄筋なのはしかたがないことですが、やはり風情がありません。線香を供えてお参りしました。

 蕎麦屋のお品書きに「新そば」と書いてあったのに惹かれて店内へ。誰もいない広い店で、ざる蕎麦を注文しました。店員さんに、「ざるでいいのですね?」と念を押されましたが、どうしてでしょう?
 期待したほど、蕎麦の香りはたっていませんでした。

 ほぼ満席の新幹線に乗って、せっかく持っていったMP3で中島みゆきを聞いていたら、悲しくなって涙が出てきました。感情移入しやすいタイプです。30曲ほど聞いて涙も枯れ果てたので、次はサザン。「TSUNAMI]を3回ほど聞いたら京都に着きました。
 着いた途端に携帯はバッテリィー切れ。新しい携帯、どうもおかしいなぁ。

 気になっていたことが片付いてやれやれ。さて、次の仕事が待ってるぞぉ。

〜 夕方の巣鴨の商店街ととげ抜き地蔵(右) 〜
2006年10月26日(木)  No.1167

湖東三山
 日頃、天台宗関係で原稿や講演をお願いしている女性をご案内して、湖東三山の特別御開扉に参拝しました。

 京都から名神高速を調子よく飛ばし、気がついたら下りる予定の八日市インターを通り過ぎていました。今さらどうしようもないので、次の彦根インターで下り、気を取り直そうと、まずは琵琶湖の見えるホテルの最上階でコーヒーをいっぱい。一面に琵琶湖が広がる素晴らしい光景でした。

 あまりゆっくりはしていられません。三山を南から回る予定だったのを北からに変更して、まずは西明寺。
 簡単にお参りできるのかと思いきや、長い長い階段の参道。やっと辿り着いた本堂で参拝したのは、今回特別御開帳されている、栢の木で作った平安朝の薬師如来様でした。
 住職1代につき1回程度しか御開帳されないためか、御本尊は作られた当時に近いような木肌色。栢の木作りといえば、真如堂の御本尊も同じ。昨日の大発見も余韻もあり、「おっ、ひょっとして同じ作者?」と勝手に想像しました。

 駐車場に戻って、車の中でサンドウィッチと饅頭を頂戴。同じく長い石段が続く参道を上り詰めて、金剛輪寺の二天門をくぐりました。参道脇には無数の地蔵尊が並び、それぞれに紅い風車が供えてありました。

 金剛輪寺の三重塔は、今日ご案内している女性のお父上が写経によってお寺を再興されたのに倣って再建されたご縁のあるお寺。地蔵尊や風車も、この広大な境内や伽藍を維持するために、ご住職が考えられたのでしょう。

 御開扉された本尊の聖観音様は、行基作の天平仏とか。滋賀県には京都の寺以上に歴史ある寺院が多く、仏像の素晴らしさ・有り難さも一入です。ただ、境内にあった多くの堂宇の諸仏が本堂に集めてまつられていることが多いようで、本堂の中は少々「混乱」している気もします。

 来訪をお知らせしておいたため、副住職から記念の品を頂戴しました。ちなみの、この寺のご住職は、今の天台宗の「総理大臣」です。

 参拝者には天台宗の寺院の団参も多く、ちょうど姫路のお寺の人たちと行く先々で出会いました。
 参道を下ろうとすると、パタッと人と面と向かいました。「あれぇーー、何でこんなところで」と言うと、「竹内さんも!」と返されました。鞍馬の少し手前のお寺の住職で、奥さんと子供連れでした。京都でも滅多に会わないのに、こんな遠くで会うとは!
 「じゃぁ、また!」といったんは別れましたが、下山したあたりでまた会い、バスで回っているというので、同乗を勧めて次なる寺を目指しました。

 茶店の食べ物に心惹かれますが、ここはぐっと辛抱して、とにかく三山を回るぞぉ!

 最後は、百済寺。車はぐんぐん坂道を上がっていくので、この寺は本堂近くまで車で行けるのかと思いきや、また同じような階段が続いていました。

 本堂に入って、秘仏の十一面観音を拝し、ご住職の話に耳を傾けました。
 本尊は聖徳太子の御自刻。信長の焼き討ちの時に、御本尊を引きずって山中に逃げた際、かなり損傷し、その後修復したものだとか。御尊顔、体形、装飾、光背などのバランスが少しちぐはぐな印象でした。

 住職の話によると、聖徳太子当時、若狭に辿り着いた百済の文化は、この近江路を通って斑鳩に伝えられたため、このあたりには百済人が住みつき、文化も定着していったのだとか。そう聞いて、湖北あたりの観音信仰や湖東、湖南に素晴らしい寺々が散在している理由がわかった気がしました。

 これで三山すべてを巡拝することができました。同じように階段を登って本堂にたどり着くお寺ばかりだったので、頭の中は、どこがどのお寺の光景だったかグチャグチャ。帰って、もう一度パンフレットと写真を見ながら思い出さないといけません。
 ツアーなどでは、永源寺を一緒に回るものが多いのですが、よほどピッチを上げて回らないと回れない気がしますし、どの寺も、お年寄りにはかなり大変な道のりです。

 再び一緒になった住職親子3人に同乗を勧め、時間があれば坂本の風景をお見せしたかったのですが、すでに5時を過ぎて薄暗くなってきたので断念。まっすぐ京都に向かいました。

 京都に帰って御香屋さんにお連れしようとするも時間切れ。三条京阪で3人とお別れし、「とにかく何かを食べましょう」と蕎麦屋に向かいましたが定休日。やっと銀閣寺の「おめん」で、おうどんにありつけました。
 結果的に、食事も召し上がっていただかないエスコート。本当に申し訳のないことでした。

 次の三山揃っての御開帳はいつでしょう? 50年後? 100年後? まさか3年先とかにはないでしょうね。
 三山ばかりではなく、滋賀県のお寺巡りをまたしてみたいと思う。秋の湖東路でした。

〜 百済寺にて 〜
2006年10月25日(水)  No.1166

超大発見!
 寺報を作るのに、検索サイトでいろいろと調べていたら、真如堂史にかかわる大きな発見がありました。

 真如堂の御本尊は慈覚大師円仁作と伝えられる阿弥陀如来立像ですが、同じ木で作った阿弥陀如来座像があったことが『真如堂縁起絵巻』に記されています。

 慈覚大師が苗鹿明神から寄進を受けた霊木を2つに割ってみると、片方には立像の、もう片方には座像の阿弥陀如来がくっきりと木目に現れた。大師はその片方で阿弥陀如来座像を作って自ら拝み、後に日吉社の念仏堂の本尊とされた。入唐求法の旅から帰った大師は、残りの木で阿弥陀如来立像を造って比叡山の常行堂の本尊とされた。100余年後、如来は聚洛に遷座され真如堂の本尊となられた。

 日吉大社の記録では、西本宮に念仏堂や経蔵・根本多宝塔があった記載があります。今では神社となってしまっていますが、かつては神仏混淆だったは明らか。念仏堂がいつごろまで存在していたかはわかりませんが、今はなく、その本尊の阿弥陀如来座像の行方もわかりませんでした。

 どういう言葉でネット検索をかけたのかは忘れましたが、「近江坂本の日吉神社の念仏堂から移した阿弥陀如来」「洛東真如堂の本尊と同じ木で、慈覚大師円仁の作」という記述を発見! そのお寺は、もとは三井寺の末寺で、今は浄土宗。真如堂から車で15分ぐらいのところにある、ボクも前を通ったことのあるお寺でした。何だかゾクゾクしてきました。

 ぜひとも参拝したいと思いましたが、そのお寺の住職がどんな人か聞こうと、友人の浄土宗の住職に電話して経緯を説明しましたが、その友人はどんな人か知らないとのこと。同じ宗派の、同じ区内のお寺同士なのにどうして知らないのだろうと思いましたが、あまり公の場には出てこられない様子でした。

 こうなったら直接当たるしかないとそのお寺に電話。住職らしき人が出られたので、日吉神社の念仏堂から移した、慈覚大師作の阿弥陀如来が御本尊かどうか尋ねたところ間違いない。真如堂の本尊と同じ木で作った阿弥陀様ということも相違ありませんでした。

 2日ほど先の日程を提示して、ぜひともお参りさせていただきたいと申し出ましたが、住職はずーっと考えている風。「ご都合が悪ければもう少し先でも」と言っても、また考えている風。結局、「掃除が出来ていないので」という理由でもう少し先にということになりました。

 もう一つの収穫は、そのお寺にお十夜法要を始めた平貞国という方の墓所があるという別情報も得ていたので確認すると、墓碑銘はもうわからないけれど平家の墓所があり、その中にあるはずだということがわかりました。

 座像の阿弥陀如来の行方、平貞国の墓所共に、今まで真如堂の中ではわかっていなかったことなので、超大発見です!!

 真如堂の御本尊と「兄弟」のその阿弥陀様を、何とか参拝させていただきたいと、2体が並ばれた姿を想像して、法悦に浸りました。

〜 おばんざい屋さんにて 〜
2006年10月24日(火)  No.1165

ポイントに夢中!
 今日もまたポイントカードを作ってしまいました。

 ほんの短時間立ち寄ったデパ地下で、「お作りしましょうか?」と言われ、いままでレジの度に「ポイントカードはお持ちですか?」「いえ、持っていません」と悔しい思いを繰り返してきたので、「はい、じゃぁ、お願いします」と、即、作ってしまいました。

 「これは、クレジットカード機能も付いていませんので安心です」と説明され、「昨日のはやっぱりまずかったなぁ」と反省。

 最近、ネットショッピングでも、ポイントをためるのにはまってしまっています。
 「ポイント10倍!」とか書いてあると、ついつい見てしまいます。ためてどうするということもないのですが、増えていくことが楽しみで、どうしたらもっと効率的に増えるだろうと、次の買い物を考えてしまいます。
 これも、どうもそういう心理を煽り立てる策略にはまってしまっている気がします。

 ボクって、他に楽しみがないのかな?


 これまでまぁまぁ誠実に生きてきたつもりですが、最近、考えなければいけないことも「年の功」で省略して、今まで生きてきた中で獲得した方法で済ませてしまっていることに気がつきました。

 もちろん、それはある意味合理的で、自分に慣れ親しんだ方法ではありますが、とても視野の狭い安易な結果に終始してしまうこともあり、必ずしもベストではないことも多々あります。「世の中にはこんな考え方をする人もいるんだ」と当惑するような人に出会って対処できないことも、今までにはありました。

 人間関係においても、仕事においても、だらしない中高年になるのは嫌なので、ビビッドな感覚を持ち続け、その時々に応じた柔軟で誠意のある思考や行動をしなければいけないと思います。

 毎朝お勤めをするお経の多くの部分は、懺悔の文句で占められています。毎朝懺悔をし、綺麗な身心で一日を始めることが必要だと、古人は考えたのでしょう。

 ちゃんと身心に染みるようなお勤めをしないといけません。ポイント追いかけているようでは何のこっちゃわかりません。

〜 美しく咲き乱れていたアメジストセージ 〜

2006年10月23日(月)  No.1164

のせられた・・・
 午前中、法要2座。うち1座は、予期せぬ最期を迎えられた、親しかった方の納骨。涙なみだの法要でした。


 午後は、パワーポイントをインストールして、来月の講演の原稿を使い方もわからないままに作り始めました。難しいソフトではありませんが、格好いい見せ方が出来るかどうか・・・一応、ビジュアルな講演にはなりそうです。

 でも、ネットがちゃんと繋がるのか、プロジェクターがちゃんと写るかどうか、不安だなぁ。


 気晴らしにTSUTAYAに行き、帰りにスーツ量販店を覗いてみました。スーツを見るのって、何年ぶりでしょう。

 冬用のスーツを買わないいけないのですが、デパートで買うか、量販店で買うか、どんな色、生地のを買うか、まだまったくの白紙。スーツ購入モードに入るために、ちょっと覗いておこうと思ったのです。

 店に入ったところにあったカジュアルなジャケットに目にとまり、試着したりしていたら、店員さんが寄ってきました。「いかがですか?」と聞かれたので、袖が細くて動きにくい旨言ったら、腕を細く見せるのが今のトレンドだとか。

 「これって、いくつぐらいの人向けです?」と聞いたら、「20、30代・・・40代でしょうか」との答え。「じゃぁ、ボクはダメだなぁー」と言ったら、「えっ、おいくつなんですか? 30代だと思っていましたが」と大げさに驚いた様子。

 悪い気はしませんでした。ボクを見て40代ぐらいだろうと思って、「40代でしょうか」と付け加えたのでしょうが、ボクが「もう50です」と言ったのを聞いて、ミスったと思ったでしょう。40代はあと3ヶ月。

 20・30代向けのものでは着られないなぁと思って、とりあえずセーターを選んでレジへ行こうとすると、2着目が安くなるというので、もう1着選んでレジへ。

 顧客登録を勧められたので、ひょっとしたらスーツを買うかも知れないからと求めに応じると、クレジットカード会員を勧められました。クレジットカードは何枚もあるので要らないというと、スーツが割引になるし、スーツを買ってから解約して貰ってもいいと勧められ、とても感じのいい店員さんだったので、「あっ、そう」とあっさり入会。
 さらに、携帯のメールアドレスも登録して欲しいと勧められ、携帯にメールがたくさん来るのは嫌だと言うと、年に3〜4回程度だからとさらにプッシュされ、また教えちゃいました。ご褒美に靴下を4枚貰いました。

 30代と言われてすっかり気をよくしたのか、店員さんが上手なのか、何だかズルズルと個人情報を教えてしまいました。ボクって騙されやすいのかなぁ・・。

 スーツ、どこで買おうかなぁ。何色にしようかなぁ。

〜 夕方の薄暗がりの中、もみじ林の中で寝ていたシロクロ 〜
2006年10月22日(日)  No.1163

さくら、勘弁してよー
 物思いに耽る秋、夜も眠れず、ついつい寝不足に・・・ってなわけないか。

 夕べはさくらが夜中に張り切ってくれ、おまけにイタズラ電話も4回ほどかかってきて、寝不足です。

 さくらは、夜中に、よく跳ねるスーパーボールを階段の上から落としてはそれを追いかけて楽しむ遊びを、幾度となく繰り返しました。

 ゴム製の中身の詰まったボールなので、階段を落ちていく時には、コツコツ音がします。
 コーン、コーンというよく弾んでいる時の音や、コツコツコツコツとだんだん消えていくような小刻みな音、そしてさくらが階段を走り落ちる音が、何度も聞こえてきます。
 「これで終わりかなぁ」と思っても、またボールを加えて階段を上り、また落とす。さんざんやってくれました。

 やっと終わったかと思ったら、布団の上に乗ってきて、ボクの股の間にドカッと横たわって寝そべってしまいました。身動きが取れず寝苦しいので、さくらを退けようとすると、手に噛みついてきます。しかたがないので、そろっと片足を抜いて、布団の端で寝ました。

 朝方になると、今度はボールをくわえて、枕元に見せに来ました。

 「勘弁してよぉ! こんな朝から遊べないよ!」

 トイレに入ろうとしたら便器の上で寝ていたり、ボクが入る前に風呂の蓋の上で寝ていたりして、退けようとするとまた噛みついてきます。

 さくらが来て1年半、まったく猫という自覚のない、我が儘この上ないだだっ子猫に育ってしまいました。

 もうしばらくするとセーターの季節。うっかり脱いだままにしておくと、またかじって穴を開けられてしまいます。

 本当に困った子ですが、可愛くてしかたありません。

〜 だらりと遊ぶさくら 〜
2006年10月21日(土)  No.1162

幽霊灯の正体見たり!!
 昨日の夜、車の室内灯が不規則に点く原因を思いつき、「ひょっとしたら・・・」と車のエンジンキーをさしてONの状態にした上で、キーを揺すってみたら・・・点きました! ここが原因だ!

 「でも、修理するとなると、たぶんキー・ユニットの交換という大事になるだろうから、まぁいいや」と、デーラーのメカニックも見つけられなかった‘正体’を見ただけで満足していました。


 今日折しも、不具合を直せなかったことと、フロントの手違いで車検の時のサービスが漏れていたことを謝罪に来たデーラーの支店長に、早速再現実験をして見せてあげました。

 支店長は、「へぇ〜、なるほど」と感心し、修理をするのでもう一度入庫させて欲しいと申し出たので、キー・ユニットの交換までは不要だと断って、日程の約束をしました。
 でも、車検でバラすようなところでもないのに、どうして車検を受けてからおかしくなったのでしょう・・・。


 先日買ったMP3プレーヤーを車の中でも使おうと思い、「FMトランスミッター」なるものを買いました。MP3の音をFM波で飛ばして、カーラジオで受信し、聞くというシロモノです。

 早速、シガーライターと差し替えて使ってみましたが、ちょっと期待はずれ。音がイマイチで、FMとAMの間のような音質でした。まぁ、1000円にしては上等でしょう。

 MP3、買ってはみましたが、やっぱりあまり使いません・・・。耳にイヤホンを入れているのは深いですし、自室にいるときはステレオで聞けばいいのですし・・・東京に行くときに、目一杯使おうっと!

〜 シガーライターにさしたFMトランスミッター 〜
2006年10月20日(金)  No.1161

単純作業も続かない
 今日は文章を書く気にならないので、単純作業をすることにしました。

 毎年、11月に寺報を送る時に、来年の年回該当霊位の一覧表をお送りします。
 去年の一覧表を作った以降、今日までに亡くなった方を加えて、1周忌から50回忌までの年回法要が来年巡ってくるのが180余霊ありました。単純に考えると2日に1霊が命日をお迎えになることになります。

 ずらっと並んだ霊名を見ると、最近亡くなったほとんどの方はお顔が目に浮かんできますし、33回忌頃までは思い出せる方がおられます。

 「もうそんなに長い間、坊主をやっているんだなぁ・・・。もう来年の準備をしているんだなぁ」と思いました。


 ボランティアを4月に辞めた時、そのホームページを別の人に引き継ぎましたが、半年経った今、それは更新されないどころか、正常に閲覧できない状態になってしまっていました。事務所側が担当者として探してきた人が、何もわからないままデタラメにデーターを上書きしてしまったのです。

 多くのページがWEB上から更新するように作ってあったので、サーバー上の更新データーを消されてしまっては、骨組みの部分しか残りません。ボクのところに残っていたデーターは2年前のもので、それ以降を入力し直さなければなりません。

 しかも、事務所に残っているのは印刷されたペーパーがほとんどで、そのまま使える生データーはわずか。結局、印刷されたものをスキャナーで読んで、OCRソフトにかけて文字化し、校正・加工して、サーバーにアップするしかありません。

 単純作業をしようと決めてはいましたが、やっているうちに、「放り出したボクが悪いのかなぁ・・・ボクしか復旧できる人はいないから、しょうがないなぁ・・・それにしても馬鹿馬鹿しい作業だなぁ」と思えてきて、長くはやっていられませんでした。この調子では、年内はかかりそうです。


 鳥取のホテルから、講演会場でネットが使えるようにホテルの設備を整えることになったという連絡が入りました。これでいろいろなことができます。

 「助かります。接続は有線LANですか、無線ですか? 何か準備しなければいけないものがありますか?」と電話をくれた副支配人に尋ねましたが、副支配人は質問を復唱するだけで、責任者に聞いてまた連絡するとのこと。

 あー、またこれで数日返事待ちだぁー。

〜 境内で行われていた害虫防除作業 〜
2006年10月19日(木)  No.1160

物書き三昧の挙げ句、キレる
 東京の大学での臨時授業が来週に迫ってきたので、今日中に原稿に決着を付けてしまおうと、午後から没頭。

 今まで、2日に1回程度は書いていたのですが、日もありましたし、だんだん飽きてきて、書いても5〜6行のダラダラペースでした。

 今日は頭に鉢巻きを巻いた積もりで気持にもネジを巻き、ほぼ脱稿! 全部で原稿用紙35枚分ぐらいになりました。これを90分授業の中でこなすのはちょっと難しいかも知れません。

 授業の対象は仏教学科の大学院の学生で、将来は寺の住職になっていく人が多いと聞いています。
 授業の結論を簡単に言うと、「ただお葬式や法要に明け暮れ、外車を乗り回して、呑みにばかり行くような坊主になるな! 僧侶としての自分の将来像をしっかり定めて、どうして僧侶になろうとしているのか、どんな僧侶になりたいのかを考え、そこを目指した具体的な行動をしていって欲しい」というようなもの。

 「仏教とターミナルケア」というテーマからは大きく外れますが・・・まぁ、いいかな。そこが出発点だとボクは思っているので。


 あと2本原稿を書かなければいけません。1つは11月の初旬には発行する自坊の寺報。もう1本は、11月半ばに鳥取で話す、僧侶向けのパソコンとインターネットの講演用。

 鳥取のホテルの講演会場は、ネットが使えないとか。インターネットのことを話すのにそれではどうしようもないと、ホテル側と直談判するのですが、副支配人という人は「私は詳しいことがわかりませんので」と言うし、詳しい人だと代わった人は「私では判断できません」とおっしゃる始末。

 NTTのフレッツ・スポットになっているぐらいですから、ネットが出来ないわけでもなし。「ケーブルはこちらが用意しますからと言っても、話が通じている気配すら感じられません。

 「明日、もう一度、話がわかって、判断もできる人からかけ直してください」とキレてしまいました。カルシウム不足かなぁ。人間できてないなぁ。

 それが決まるまで、原稿はお預けと、もう1本の寺報にかかり始めました。

〜 咲き出した「十月桜」 〜
2006年10月18日(水)  No.1159

幽霊灯?
 9月末に車検を受けて以来、ルームランプが時々訳もわからずに点くようになりました。

 昼夜の別なく、走行中・停車中関係なく、パッと点いて、7〜8秒するとフェイドアウトするように消えていくのです。

 最初に異変に気がついたのは、白山へ向かうワインディングロードの真っ暗な闇の中でした。真っ暗な中を走っていたら、ルームランプがパッと点いて、しばらくするとジワジワ消えていきました。

 かなり不気味で、ボクは幽霊とか超常現象は信じてはいませんが、「ひょっとしたら、ここは濃い霊気でも漂っているのかな?」と真剣に思いました。でも、すぐに、「単純にスイッチの接触が悪かったのだろう」と思いなおし、オン・オフの操作を2度ほどして、その時はそれで済ませました。

 ところが、それからも乗る度に点灯し、多い時は2度、3度、車を止めて車内にいる時ですら、室内灯が点くのです。何をしたら点く、こうしたら点かないという相関関係はまったくありません。ただ、キーを抜いた後は点かないようですが・・・。

 ドアの開閉時のスイッチの接触が悪いのかと思って見てみましたが、異常なし。大事になる前に見て貰おうと、車検を受けたデーラーに持ち込みました。

 15分ぐらいで済むだろうと思っていたのが、1時間経っても終わりません。その間、何の説明もなし。1時間以上経って、「遅くなりました」と、コーヒーが出てきました。

 それを2口ほど飲んだ時にサービスマンがやって来て、「すみません。異常が見つかりませんでした」の報告。後は、「ひょっとしたら・・・」という推測の話ばかり。結局、何も直していないのですから、また症状が出てくるのでしょう。

 ボクは車を乗り換えるまで、この幽霊灯籠のような室内灯を付けた車に乗り続けなければいけないのでしょうか・・・ まぁ、なかなか風情があっていいのですが。

 それにしても、デーラーのサービスの質がすごく下がりました。コスト削減が直接サービス低下に結びついている気がします。

 そのうちタイヤが外れたり、ハンドルが取れたりしないでしょうねぇ・・・。

〜 霊を感知して点く幽霊灯? 〜
2006年10月17日(火)  No.1158

生まれも育ちも真如堂ですが・・・
 毎朝、餌を食べに来る野良猫のクロが、今朝は姿を見せませんでした。

 いつも餌を貰うのを待ちに待って、ボクの顔を見るとピンクの口を見せながらハスキーな声で鳴いて、「早くご飯を頂戴よぉ!」とせがむのに、どうしたのでしょう。
 昨日も、来るには来たのですが、いつものようにせがんだりせず、餌をトレイに入れても見ているだけで食べようとはしませんでした。

 風邪をひいたのか、喧嘩でもしてどこかに傷を負っているのか、どうしたことでしょう。

 日に日に寒くなり、野良猫には厳しい季節が近付いてきました。クロがどこをねぐらとしているのかはわかりませんが、毎日、生きるための試練が待ち受けているに違いありません。

 うちのさくらも参道で拾ってきた野良猫の子供です。もうあと数時間見つけるのが遅かったら、カラスの餌食になるなどして、確実に死んでいたでしょう。
 それが今は、食べるのに困らず、寒くなったら布団に潜り込んできて寝ています。怖い思いをしたことがないので、誰が来ても近付いていきます。

 同じ猫として生まれながら、かたや一生野良猫暮らし。かたや深窓の飼い猫。猫の人生も、生まれながらにして決まっている部分や、いくつもの岐路があるのですね。


 ある女性との会話の中で、生い立ちの話になりました。彼女の子供時代の姿が路地の向こうにイメージされ、後向けのその小さな肩がとても悲しそうで、さみしそうに思える、想像をはるかに越えた話でした。

 その人は今、そんな辛い時期があったなんて思いも付かないほどの、とても純粋で明るく、人に優しく、我が身を犠牲にしてまでも家族を愛おしみ、社会貢献も惜しまない日々を過ごしておられます。

 ボクはその方の純粋さを、今まで何の苦労もなく真っ直ぐに育ってこられた天性のものなのだろうと思っていました。でも、今日の話で、大変な苦労を突き抜けてこられたことを知って、「本当に、よくこんなに真っ直ぐ育ってこられましたね」という言葉しかありませんでした。

 何かうまくいかないと、生まれや育ちのせいにすることってよくあります。誰のせいにもしないで、真っ直ぐ生き抜こうとすることってどれほど大変なことでしょう。誰にでもできることでもありませんし、たった一人でできるものでもないでしょう。わずかな間の人生ですが、そこには数限りない縁と岐路があり、その選択の積み重ねが人の一生を形作っていくのでしょうね。

 「自分を甘やかしてはいけない」と、自分自身の生き方について深い示唆を貰いました。

〜 縁先の、クロが食べ残した餌 〜
2006年10月16日(月)  No.1157

秋の佳き日に
 今日は真如堂の山裾にある日吉神社の祭礼。

 真如堂創建の時に、比叡山の守護神である日吉の神を山王権現としてこの地に勧請したのは日吉神社の草創だったとか。真如堂は応仁の乱で荒廃したり、時の政策によって転々としましたが、この神社はこの地から動かず、吉田家とも相謀って祭事も維持していたそうです。

 2時半頃、御輿が真如堂に参来する予定ですが、御輿が氏子のいる町内を回る都合で毎年時間は不定。窓を開けて、太鼓の音や「ワッショイ!」というかけ声が近付いてくるのを見計らって、ボクも装束を着け、本堂前に向かいました。

 賑やかなので到着したのかなと思ったのは「女御輿」で、本隊はまだ。ピチピチのギャルが担いでいるのかと思いきや、町内会でご一緒の‘妙齢’の女性も混じり、年令幅は広そう。真っ赤な袢纏を着ているので、遠目にはわかりませんでした。

 裃を着た世話役、神主さん、稚児、旗、検非違使?、そして御輿などがバラバラと到着。本堂正面で真如堂の僧衆の読経の中、神主、世話役が焼香をした後、子供による獅子舞や太鼓の奉納がありました。

 平和な秋日和。嬉しそうに走り回る子ども達を見ていると、いじめを苦に自殺する子が後を絶たないのとは対照的な感じを受けます。苦しんでいる子を救ってあげなければいけないのに、大人や教師までもが虐めに荷担するとは・・・。
 子ども達の笑顔が絶えることがないように願います。


 MP3プレーヤーを買いました。FMが聞けて、音声の録音もでき、当然音楽を楽しむことができます。マッチ箱より小さい中に、200曲ぐらいの音楽が収まります。

 「通勤もしないのに、いつ聞くの?」と言われればその通りなのですが・・・。山で天気予報も聞けるし、法要を録音することもできますし・・・。

 イヤホンで聞くと、頭の中で音楽が鳴っている感じがして感動! これでスケボーにでも乗ったら、若者っぽく見えるでしょうか?! 怪我するのが目に見えていますので、しませんが。

〜 揃って帰るギャル?御輿と御輿 〜
2006年10月15日(日)  No.1156

せきの山
 秋の喘息様発作が顔を出しました。ステロイドの吸入をしていますが、咳が止まりません。

 今日から、「引聲阿弥陀経会」。普段のお経を読むだけでも息絶え絶えなのに、引聲は経文の1字1字に長い節がついていて、もう大変。ソロパートは何とか咳き込まずに唱えられて、やれやれ。

 終わって、檀家参りの帰りに、「これが効きます」と勧められた咳止め液を買ってきました。咳止め薬なんて、リン酸コデインとエフェドリンが入っているのはみな同じで、効果は期待してはいないのですが、こうなったら藁をもすがる思いです。

 期待はしていなかったのですが、少し効きました。

 先代も喘息があり、発作が起きると、弟子だった今の住職がエフェドリンの注射を打たされていたと聞きます。それで心臓が弱り、60歳を前に亡くなったとか。
 効く薬は怖い。でも、今は効いて欲しい。そんな矛盾する気持を感じます。

 午後からは、葬儀〜火葬場〜初七日。少々咳き込みながらも、何とか勤めました。

 今日は1日中、咳と戦いながら声を出していた気がします。あ〜、疲れたぁ〜。

〜 晩秋の気配が漂ってきた窓の外を眺める、大きなお尻のさくら 〜
2006年10月14日(土)  No.1155

ごみコンポスト、当選す!
 京都市から大きめの封筒が届きました。封筒には、「京都市役所 環境局事業部リサイクル推進課」と書いてあります。

 「ボクがゴミ回収袋のことで文句を言っているので、その封じ込めにかかろうというのかな?」と一瞬思いましたが、そんな暇なことをするわけがありません。

 おもむろに封筒を開けてみると、「生ごみコンポスト容器購入助成金交付対象者決定通知書」という、市長の公印を押した、いかめしいタイトルの書類が入っていました。

 「あーー、そういえば! えっ、当たったの!?」

 京都市は生ごみ有料化に伴う手数料収入を財源に、生ごみ処理機や生ごみコンポスト容器の購入費の半額を助成する制度を始め、生ごみ処理機、生ごみコンポスト容器、共に購入費の半額(前者 上限35000円、後者 上限4000円)が補助されます。9月末の第1次募集締切を前に、応募者が殺到しているとのことでした。

 ボクがホームページを見て知ったのは応募葉書必着日の前日。‘ノリ’で慌てて葉書を書き、すぐに投函しましたが、応募したことさえすっかり忘れていました。まさか当たるなんて・・・。

 懸賞で当たったことは今まで1回だけ。高校生の時、生カセットテープを貰った経験しかありません。まぁ、応募しないのですから当たりませんが。

 よーし! 何となく、運が向いてきたぞぉ!

 それにしても、腹が立つのは京都市! わずかA4数枚の書類を郵送するのに、まち付きの大きな封筒を使っています。送料も、定形封筒で送れば90円で済むのに、これだと140円かかります。コスト意識ゼロ、どうせ税金人の金。まだ逮捕者が絶えない、懲りない京都市に怒り心頭!

 「何が‘リサイクル推進課’だ! 頭の中まで使い回さずに、取り替えろ!」と市役所に電話しようかと思いましたが、最近は自分を抑えることにしているので、やめました。大人になったなぁー。


 今日の「今日の散歩道」の更新はきつかったぁー。午前中は三井家家祖令室の法要と自坊での檀家の法要。午後、来客や墓参の方の合間に、何とか写真を撮りましたが、あれにしようかこれにしようかと、選べるほどは撮れませんでした。夕方からは通夜に。

 帰ってからの更新作業は、結局2時までかかりました。今までの、‘最長不出来記録’です。メチャクチャ疲れたぁ〜。

〜 当選通知書 〜
2006年10月13日(金)  No.1154

携帯の文字が見えない・・・
 最近、日に日に視力が落ちているのを実感します。携帯電話を新しい機種に替えてしばらく経ちますが、字が小さくて、メールが読めなくて難儀していました。

 車の中でも、常備してある100円ショップのメガネで何とか読もうと携帯を近づけたり離したりしてみるのですが、画数の多い字がみな同じように見えてしまいます。

 「困ったなぁ。字を大きくできないのかなぁ」と思い、マニュアルを見ましたが、細字や極太字には出来ても、大きくすることはできないみたい・・・。

 朝、お参りに行ったお宅の奥さんが、「出来ないはずないですよ。私の友達など画面に何文字も入らないような大きい字で見ていますよ」と言われたので、「やっぱりできるのかなぁ」といろいろやってみたら、「メールの設定」の中に、「大きい文字」「標準」「小さい文字」という項目があるのを発見。迷わず「大きい文字」に設定しました。買ったときの設定は、「小さい文字」になっていたのです。ひどい!
 これでようやく、メールが‘よく’読めます。

 今度の携帯は、いろいろ機能があるためか、キビキビ動いてくれません。電源を入れてもなかなか立ち上がってこないし、キーを押してからの反応もだらけています。

 おまけに、電池切れが早い! 今朝、電源の表示が3本だったのに、少し電話をしたりした後の午後には1本に。待ち受けだけだったら大丈夫だろうと思いつつt、メールを打とうとしたら、突然大きな「×」がでて、しばらくすると切れてしまいました。
 あわててコンビニで充電機を買って復旧しましたが、電源の減り方に‘ため’がない感じです。

 便利で、ないと困る携帯ですが、まだまだ新しい機種に馴染めそうにありません。


 それよりも、視力の急激な低下は本当に困るし、ショックです。今まで、目だけはよかったので、メガネを持ち歩く習慣などなかったのですが、今ではないと確実に不便で支障が出ます。

 白内障の手術をしたらよく見えるようになると聞きますが、まだそこまでは行っていませんし・・・。
2006年10月12日(木)  No.1153

墓地管理所、取り壊される
 朝一番、気になっていた昨日の偲ぶ会の会計の計算をしました。

 領収書や酔っぱらいながらメモをした支払を計算して現金と合わせると、どうもお金が多いのです。

 「おかしいなぁ…おかしいなぁ…。でも、余ったんだからラッキかな?」と何度か計算して、ハタと気がつきました。「あっ、これって、ボクが立て替えていたお金が返ってきただけじゃないの…」。

 前回の同窓会の赤字が2万円余、今回の偲ぶ会の立て替え払いが2万円余、合計4万5千円ほどボクが立て替えていたのでした。な〜んだ。気がつかなかったら、不明金で会のお金にしているところでした。

 会計も合って、これでスッキリした気分でお参りに出かけられました。


 隣の墓地管理所の取り壊しが進み、夕方暗くなる頃には墓参者用のトイレを残して、すっかり建物がなくなってしまいました。

 今まで建物やトタン塀で仕切られていた墓地と自坊とが、とたんにイケイケになってしまいました。「何か仕切りをしてくれるんだろうなぁ」と思っていましたが、解体屋さんはそのまま帰ってしまい、墓地と自坊の境目がないまま。

 「えらいこっちゃ。このままでは、墓参の人から家の裏側が丸見えやし、いくらでも墓地から入ってこられるやんか!」と、薄暗い中、古いブルーシートを出してきて目隠し&仕切りをし、センサーライトも設置しました。あわせて、土壁の欠片だらけになった通路を水洗い。ずぶ濡れになりました。

 いつまでこういう状態が続くのかなぁ。落ち着かないなぁ。


 WINDOWSの自動更新の月例のセキュリティアップデートがどんどん通知されてきて、タスクトレイの右下が五月蠅くてしかたありませんでした。

〜 ブロック作りのトイレと井戸屋形だけが残った取り壊し跡。向こうに塔、自坊、鐘楼 〜
2006年10月11日(水)  No.1152

偲ぶ会
 今日は準備を進めてきた寮長の追悼法要と偲ぶ会。

 北は山形、南は福岡までの6学年25名が集って、まずは先生のご自坊の仏間で法要。場所を市内のホテルにかえての偲ぶ会。

 京都駅に集合し、車に分乗して大原に向かってもらう段取りが狂ったり、最後の最後まで人数の変動があったり、おまけに大原の先生の自坊は携帯が圏外だったりで、かなりバタバタして汗だくになりました。

 先生が亡くなった後の同窓会の存続が課題の一つでしたが、ぜひとも続けて欲しいという声が多く、来年の1周忌には寮の仏間で追悼法要をすることになりました。万年幹事の出番です。

 ホテルでの追悼法要は23名、2次会19名とだんだん人数が減り、以後は同級生単位などでバラけて、4次会のラーメン屋は5人でした。「止めとこうよ。食べられないよ」といいながら食べるんだもんなぁ・・・ボクもですが。

 気の置けない仲間で、実に楽しい一時でしたが、ボクはちゃんと会計があうかどうかという心配が常に心のどこかにあり、すっかり酔うことはできませんでした。

 幹事って損な感じ・・・。

〜 大原の先生の自坊での法要 〜
2006年10月10日(火)  No.1151

快晴なのになぁ
 秋晴れ! 雲一つない青空です。

 「こんな日に山に登ったら最高だなぁ」と思いつつ、午前中は草刈り。今年最後の草刈りになるでしょうか?

 草刈り機の調子が悪く、いきなりウィーンと高回転で回るかと思ったら、急にスローダウン。
 「キャブレターを一度分解掃除しなければいけないなぁ」と思いましたが、それをすると手がガソリンまみれになって、一日中その臭いが離れなくなります。「せっかく気持がいい天気なのに、それは嫌だなぁ」と思って、不調なまま使いました。


 明日の偲ぶ会の参加者から、メールや電話で細かい連絡がパラパラ入ってきました。
 「お葬式ができて、集合時間に間に合わない」「数珠や袈裟を忘れたけれど、もう取りの戻れないので、一式貸して欲しい」「衣は夏衣?冬衣?」・・・。

 高校の寮長を偲ぶ会で、上下で8学年の差がありますが、そこは「同じ釜の飯を食った仲間」。気心が知れていて、多少のことは「まぁ、いいか」で流してしまっています。でも、明日、大丈夫か心配です。


 時々外に出て、輝く青空を見ながら、午後以降は原稿三昧。‘三昧’でもないなぁ、気が散りっぱなし。
 結局、快晴を満喫するようなことは何もせず、もったいない1日でした。

〜 朝、西の空に出ていた、数日前の名月 〜
2006年10月9日(月)  No.1150

連休の合間
 明後日に迫った恩師を偲ぶ会の法要の段取り、ホテルでの会食の打ち合わせ、宿泊予約などを、「今頃やってるの!」と自分でも呆れるほど後手後手になりながら、何とか終えました。


 住職が、恒例の菊花展の準備を始めました。1ヶ月先でもまだ見頃にならないというのに、ずいぶん早いスタートです。

 いつもは、別の場所で菊を育て、皆さんに見ていただく場所へ運んでくるのですが、80歳近くなってそれも大変になったのでしょう、今年から陳列する場所に近い庭などに菊を並べて栽培するようになりました。お蔭で運ぶ手間は軽減されましたが、もう‘庭’などというものではなく、すっかり‘菊畑’です。

 見る見るうちに準備は進み、ボクの愛車(バイク)も菊のために移動。「こんなに早く準備してどうするんだ」と横目で見ながらも、ボクは手伝いません。いつ体調が悪くなっても大丈夫なように、前倒しで準備しているのでしょう。

 この時期になると、住職は菊最優先で、それ以外のものは‘見えなく’なっていきます。‘触らぬ住職に祟りなし’。


 来客用にとケーキを買いに行った時、‘萌え〜’というような格好をした店員さんが、お釣りを受け取ろうとボクが指しだした手を上下から両手で握りました。

 これって、サービス!?

 いや、店員さんはお釣りを確実に渡そうとされただけなのですが、あまりにも密着したので・・・。ドキッ!! としました。

 友人が、「息子が秋葉の‘萌え〜’に夢中で」と言っていましたが、こんなに近くで‘萌え〜’に触れるなんて・・・。

 ただのオッサンが言うていることみたい。おっさんだから、仕方がないかな。

〜 スーパーに山積みになっていたみかん 〜
2006年10月8日(日)  No.1149

間隙をぬって行った更新に感激?
 「今日の散歩道」の1日遅れの更新。

 定例の金曜日が会議で潰れるので、繰り上げして木曜日にしようと思っていましたが、山の疲れでする気が起きませんでした。「土曜日にしちゃえ!」と安易に日延べを決めたその夜、「土曜日は『メダカの学校』もあって大変ですね」というメールをいただいて、初めてそのことに気がつきました。

 今日は、午前中は外回り、午後1時半には『メダカの学校』。えらいこっちゃ!

 朝早く、お昼、メダカが終わってからと、細切れに写真を撮りに境内に出かけ、なおも写真が足りないので、夜になってから境内や墓地に満月の写真を撮りに行きました。

 日付が変わる前に、何とか更新は完成。やれやれ。


 10日の恩師を偲ぶ会も迫ってきているし、東京の大学での授業のことも気になります。なんだか気ぜわしくなってきました。このまま紅葉シーズンに突入なんて、嫌だなぁ。

〜 まだ頑張って咲いている木槿 〜
2006年10月7日(土)  No.1148

LANがなければ会議にならん
 午後から大津・坂本で会議。5人の出席者それぞれがノートパソコンを前に置いて楕円形のテーブルを囲み、1台のPCの画面を畳ほどの大きな液晶画面に写しながらの会議のはずが・・・。

 おかしい・・・ネットが繋がらない。ネットが使えないと、会議にならない会議なのに。どうもLANの配線がどこかで切れているみたいです。

 結局、他の部署から長いLANケーブルを引っ張ってきて無理やり繋げるようになりましたが、1時間近くロスをしました。

 それにしても丸刈りの坊さんヘアーが5人、パソコンを操作しながら頭を突き合わせて会議をしている光景をご覧になったら、世間の人はさぞかし驚かれるでしょう。
 天台宗の中でも、もっともIT化の進んだ会議でが、それもそのはず、宗派の運営や寺院間のネットワーク作りに、どうITを活用していくかを考える急先鋒なのです。

 そのトラブルもあって、会議は延び延び。自坊に帰ったら7時過ぎ。夕刻、更新用の写真を撮ろうと思ってた目論見はすっかり外れてしまいました。

 流れの速い雲の合間から、中秋の名月がチラチラ見えました。帰ってしばらくすると、山里に住む知人が送ってくれた栗が届きました。今日は栗名月?

〜 立派な、とれとれの栗 〜
2006年10月6日(金)  No.1147

後遺症続く
 今日もイマイチ調子は上がらず仕舞。

 白山から一緒に降りてきた人たちも、「次の日は仕事にならないだろうなぁ」と言っていましたが、次の次の日の今日はどうしておられるでしょう。膝痛で我々から遅れた人は、きっとまだ痛みが引いていないでしょう。

 足慣らしなどをして心身共に準備をして登った剣・立山は、何の‘後遺症’もなかったのに、それらをまったくしなかった今回の白山には、しっかり手痛い目に遭わされています。人間の体って、正直なものです。

 今日は幸い雨。晴れていたら、外の掃除や作業などもせずに、じっと自室にいるのが居心地悪かったでしょうが、今日は「雨だからしかたがない」と言い訳ができました。雨もいいなぁ。かといって、デスクワークもはかどりませんでしたが。


 隣の墓地管理所の解体工事も、雨でストップ。屋根を剥がされて露出した梁や柱は、真っ黒に煤けて見えます。

 この解体で行き場所を失ったのか、ボクが登っていた自坊の勝手口に通じる階段の1段上を、小さな蛇が横切りました。気絶するかと思いました。

 こんな‘副産物’もあるのか・・・お宝は出てこないのかなぁ。

〜 解体中に墓地管理所。右には京大病院や京都の市街 〜
2006年10月5日(木)  No.1146

後遺症
 顔と頭が日焼けでヒリヒリ、足は筋肉痛。頭の中はボォー。

 8月に剣・立山に登った後は、まったく筋肉痛もなかったのに、今回はどうしたことでしょう。足慣らしもせずに、いきなり朝から夕方まで歩いたせいでしょうか。

 なーんもやる気になれません。

 でも、まぁそうも言っていられないので、隣家の取り壊しから波及した片づけなどを地味にしました。

 山の荷物の少し整理していたら、登山用のストックがないことに気づきました。車の中を見てもないし、車から自室までのルートを探してみてもありません。

 ショック ・・・。10数年来使ってきた大事な道具で、下りの時に体重を支え足の衝撃をやわらげてくれた‘第3の足’のようなもの。軽くて、丈夫で、何度もボクを助けてくれた道具なのに・・・。

 どこに忘れたのでしょう。下山して車のところまでは持っていたはず。車のキーを出すのにリュックを置いた時、その側に置いたまま車を走らせてしまったとしか考えられません。でも、どうして気がつかなかったのでしょう。そんなにボケけていたのしょうか。

 もし、駐車場の置き忘れてきたとしたら、今頃は他の車に轢かれて壊れてしまっているでしょう。可哀相で、申し訳ないことをしました。ストックの報恩慰霊法要でもしたい気分です。

〜 我がストックはいずこへ・・・ 〜
2006年10月4日(水)  No.1145

紅葉の白山へ
 昨日の夕食後、石川県側の白山麓に向けて出発。琵琶湖の西を北へ、敦賀から北陸道に乗って「福井北」で降り、福井市でしばらく迷った挙げ句、ようやく山麓への脇道に入りました。ネズミのようなものが時々道を横切り、テンかオコジョのようなものもメガ光っていました。

 進むに従って道はどんどん細くなるうえに、ものすごい霧。車のヘッドライトがくっきりと白い筋を作って交わった5メートルほど先しか見えません。ハンドルにしがみつくようにして前を覗き込み、道路端を示す白いラインを頼りにさらに進みました。

 ようやく駐車場に着いたのが11時半頃。5台ほどの車が止まっていましたが、ボクのように車中泊をする人の車なのか、山上で泊まっている人の車なのか、霧に包まれてわかりません。

 すぐにシュラフを用意し、体半分を中に潜り込ませ、大台ヶ原で車中泊したときに買ったランタン型の懐中電灯を点けて、途中のコンビニで買ったあんパン、サラミをあてにワンカップの焼酎を呑みながら、100円ショップで買った老眼鏡をかけて地図を確認をしました。
 すぐに眠りに襲われ、焼酎半分を残してシュラフに潜り込み、寒さや隣に車が着いた気配で何度か目を覚ましながらも、朝を迎えました。


 5時半、なんとなく起床。外を見ると、山支度を済ませた人たちが車から発っていくのが見えました。

 「朝食用に野菜ジュースが欲しかったなぁ」と思いつつポカリで我慢し、夕べと同じあんパンとおにぎりを食べましたが、美味しくはありませんでした。

 身支度を調え、車外へ出て靴を履き、6時、いざ出発! 見上げた空は、確実に好天になることを約束してくれていました。

別当覗から見た別当出
合方面
 自分のリュックに付けた熊除け鈴の音と、いつ来ても聞こえる砂防工事の音を聞きながら、夕べの雨の水が流れるメインルートを登りました。

 少しは紅葉が始まっているかと思っていましたが、山麓ではその気配もあまりありません。前にも後にも人の気配はなく、次第に工事の音は遠くなって、自分の熊鈴の音ばかり聞こえるようになりました。

 8時半、甚之助避難小屋。地図に記されたコースタイム通り・・・ちょっとペースが遅いかな。急ぐ必要もないとベンチに腰を掛け、またあんパンとポカリ。ウイダーinゼリーも少々。


甚之助非難小屋の屋根
と別山に峰々
 下の方から賑やかな声が聞こえたかと思ったら、60過ぎと50過ぎの男性の顔が見えました。挨拶を交わし、ビデオで自分を撮って欲しいというリクエストに応えると、その2人はサッサと上がって行きました。
 どうやらたまたま一緒になっただけのようで、60翁は白山にかなり詳しく、50半ば翁は根掘り葉掘り教えを乞うている雰囲気。50半ば翁はとにかく元気でよくしゃべる。まさか、この人と1日行動を共にすることになるとは・・・。
 この小屋の前からは、明日登る予定の別山が見え、蛇行しながら高度を稼いでいく道や千振尾根の避難小屋の赤い屋根も見えました。「下りが長いなぁ」と思いつつ、まだこの時は行く気満々でした。


三ノ越から見た観光新
道の尾根
 また歩き出し、谷水で顔を洗ったり、頭に巻いたタオルを湿らせたりしながら、急登の上の黒ボコ岩に辿り着くと、翁たちも休憩していました。


弥陀ヶ原の絶景
 弥陀ヶ原の木道に出ると、眼前に広がる緑の笹原、なだらかな御前峰、ポツポツと赤や黄に紅葉した低木。青空との素晴らしい! 山に登ってこんなに広がる青空を見るのは何年ぶりでしょう・・・文句なしにビューティフル!!

 今日はやたらとへリコプーターが山上と下を行き交っていると思っていましたが、その理由がわかりました。木道を延ばす資材を運んでいたのです。木道脇には、延伸工事用の材木や機材、工事現場用のトイレが、ヘリに吊ってこられたネットそのままに点々と置いてありました。

屎尿タンクを運ぶヘリ
 木道から坂を登り、小屋近くまで来ると、小屋のスタッフが立っていました。上にはヘリ。「あっ、ガードマン役をしているんだな」と思い、制止されるのがわかっていたので、それ以上進まず少し離れたところからヘリを見ていました。
 緑色のタンクをぶら下げて行ったり来たりしているとも思っていましたが、スタッフによると、あれはトイレの屎尿タンクで、いまその交換作業をしているとのこと。今月15日で小屋も閉まるので、その準備をしているのでしょう。小屋に近付くに従って、子供の頃「田舎の香水」と呼んでいた臭いがプンプン漂ってきました。


白山神社も9月末で閉鎖
 登り始めてから4時間ちょっと、小屋を通り抜けると、眼前には白山神社の鳥居と社殿、そして御前峰。いやぁー、今日は本当に素晴らしい! 御前峰の這い松の間に生えている低木の紅葉が素晴らしい! 空の青さも素晴らしい!

 ベンチに座って、ウイダーinゼリーとサラミ、黒砂糖のかけらを少々かじりながら、50半ば翁にレクチャーをする60翁の話を聞いていました。
 50半ば翁は今日下山するかどうか迷っていました。60翁はルートが描いてる案内図をストックでなぞりながら、「神社の裏を左に登り、大汝峰へ行ってから、エスケープルートを御前峰に登る方がいい。頂上などを回って1時までにこ

室堂山荘と斜面の紅葉
こに戻ってくれば充分下山できる」と的確な説明をしていました。ボクも脇から、「うんうん、左から上がって・・・踏み跡を目当てに・・・あ、降りることにするのね」と聞いていました。60翁は、真っ直ぐ御前峰に登って下山予定だとか。相当この峰を踏んでいるふうでした。


ちょっとひねた岩桔梗
 60翁たちの姿が小さくなる頃、ボクも「どうせ時間があるから、お池巡りでもしようかなぁ」と、サブザックに水など必要な物を詰め替えて、50半ば翁のとったはずのコースを辿りました。
 でも、見渡しても50半ば翁の姿が見えません。「やっぱり、御前峰に行ったのかなぁ」と思い、人っ子一人見えない道を御前峰の裏側へ回り込み、ほとんど雪に覆われた千蛇ヶ池の横をかすめ、チングルマの実や時期外れのイワキキョウの花などを楽しみながら歩きました。


大汝峰の石標と神社を
囲う石垣
 ゴツゴツした岩を登って大汝峰の頂上(2684M)に着くと、神社の祠を覆う石垣の中から人が出てきました。50半ば翁でした。お互いに、「あーー」と驚き、すっかりガスってきたことを嘆きました。
 少し前までのあの青空はどこへ。遠くにうっすら見えていた北アルプスの峰々がもうすっかり見えなくなってしまいました。その代わり、岐阜県側の山肌の黄や赤に点々とする紅葉がとても綺麗でした。


大汝峰と千蛇ヶ池
 例によって翁は先に発ち、ボクは御前峰の方を向いて、黒砂糖とポカリで大休止。よく考えたら、今日は朝からおにぎりとあんパンぐらいしか食べていません。それでも案外‘シャリバテ’はしていません。

 60翁からレクチャーされた道は、本道から逸れて、踏み跡をたどって御前峰に登るコース。50半ば翁がその道を求めて思案し、止まってはまた歩き出す姿が遠くに見えました。

御前峰に向かって道なき
道を
 しばらくしてボクも続きましたが、確かにわかりづらく、途中で踏み跡も消えてしまいました。御前峰はすぐ目前。それを目指して、植物の生えていないところを選んで歩きましたが、登り着いたところにはロープが張ってありました。つまり、「ここから入ってはいけません」というところを50半ば翁共々歩いてきてしまったわけです。反省しきり。


御前峰頂上(2702M)
 頂上には、50半ば翁と石川県から来たといういかにも自由業らしい男性と鼻の大きい奥さんがいて、賑やかに話していました。ボクも自然にその輪に加わり、霞ながら見えている剣、槍や穂高、乗鞍など北アルプスの山名の当てっこ。その手前の白山麓には、去年?行った荘川桜のある御母衣ダムの湖が見えていました。弥陀ヶ原のほうを見ると、室堂の小屋の大きな屋根、まだらな黄や赤の紅葉が見えていました。

 文句なしに素晴らしい景色です。それぞれ、快晴のお天気とその景色に絶賛の言葉を口にしながら、なかなかその場を離れられません。20代と思われるズボンを重ね履きした福井の女性、大阪弁の軽口の男性と少し遅れて登ってきた奥さんも、口にする言葉はみな同じでした。

 お天気を喜んでいたものの、次第に下の方からガスが上がってくるのが見えました。頂上にいた人もそれを見て、ひとりまたひとりと降りて行きました。

 その人たちも、また小屋の前のベンチでまた一かたまりになりました。ボクを除いた他の人たちは、このまま降りる予定。実はボクも、明日、別山回りで降りるか、このまま降りてしまうか、かなり迷っていました。

 別山に行こうと思ったのは、8月に剣岳に登った時、小屋で同室だった人が金沢の人が、別山の千振尾根の下のほうにあるブナ林は、面積は狭いけれど白神山地より素晴らしいと教えてくれたからでした。その男性は、立山と白山は「室堂」「御前」「大汝」など同じ名前が付いているけれど、これは白山が先で、立山はそれを真似たのだと言っていました。
 50半ば翁も去年別山に登ったそうですが、千振尾根を降りずに、ピストンして白山から下山したので、ブナ林の素晴らしさは知らないのだとか。
 室堂から別山の頂上を踏んで千振尾根を降りるコースは、地図では7時間半。降りたところから車を止めたところまでは、アスファルトの道を1時間50分歩かなければいけません。ボクはこの間をヒッチハイクで乗りきろうと思っていましたが、50半ば翁に車が来るのは期待薄だろうと言われました。アスファルトの道を110分も歩きたくはありません。
 また、白山でさえ人影がまばらなのに、別山は尚更。ブナ林の木には熊の爪痕がたくさん付いているという書き込みを、出発前に何件か見てしまいました。
 加えて、室堂との小屋の相性がよくないのか、ここで泊まると過去3回とも寒くて眠れなかったのです。

 そうこう考えているうちに、今夜小屋泊まりをして、明日別山に向かう気持はすっかり失せてしまい、宿泊をキャンセルして下山することにしました。


弥陀ヶ原を行く一行
 ベンチで一団となっていた人たちが成り行きで一緒に降りることになりました。50半ば翁は京都府北部から来たとのこと。石川の自由業夫妻、福井の20代ズボン重ね履き女性、軽口の大阪夫妻、そしてボクの7名です。


谷から上がってくるガス
 50半ば翁が軽口の大阪夫に「リーダー」と乗せられて先頭に立ち、観光新道を降りることになりました。
 上がってきたガスに覆われ始めて、谷間の景色はほとんど見えなくなってしまっていました。最初のうちはワイワイ賑やかだった一行も、疲れと共に次第に無口になり、途中の避難小屋あたりで石川の自由業夫が膝痛を訴えて奥さんとともに一行から離れました。しばらくすると、先頭の「リーダー」が次第に歩を早め、そのうち視界から消えてしまいました。

 残された4人も、最初はボクとズボン重ね履き女性が先に行き、軽口の大阪夫妻が遅れていましたが、休憩の時に合流して、今度はボクが「サブリーダー」に任命され、リーダー権限でゆっくりと降りることにしました。
 ズボン重ね履き女性は「私はクライマーなんです」と言いつつも、「でも、下りは苦手なんです」と頭痛がかなり辛そうな様子。大阪夫は近くの金剛山に毎日登り、延べ1300回ほどは頂上を踏んでいるとスタンプを見せてくれました。ボクが寺の僧侶だというと、「さっき頂上で後光が差してましたからわかりましたよ」と言われました。「今日のようなウイークデーに登れる人は自営業ですね」と妙に納得しながら、また今日の天気と頂上の景色を思い出しながら、「ヨカッタ、ヨカッタ」と言いながら、長い下りを降りました。

 登山口の別当出合に戻ったのが4時半。ボクは10時間半、ウロウロしていたことになります。リーダーの姿は既になく、石川の自由業夫妻もまだまだ降りてこられないでしょう。
 駐車場に戻ると、ボクの隣に夜中に来た車の主が大阪の夫妻であることがわかりました。花の名前をすごくよく知っている、とても仲の良い夫妻でした。重ね履き女性は車の中でしばらく休憩する気配でした。

 ブレーキを踏みつつ市ノ瀬まで走り、少し広くなった道をまたしばらく行って、白峰にある公営の「
白山天望の湯
」で汗を流し、着替えました。最初は「白峰温泉総湯」に行く予定でしたが、石川自由業妻にこちらのお湯のほうがいいと教えて貰ったのです。ヌルヌルした透明のお湯はよかったですが、カルキ臭いのには幻滅しました。


白峰名物 堅豆腐
 買って帰ろうと決めていた名物の石豆腐(堅豆腐・固豆腐)のがまだ開いているか心配でしたが、開いていていました。国産大豆と天然にがり、白山の清流によって作られたというオススメの品を買いましたが、1丁300g 609円はちょーっと高いんじゃないのかなぁ。味はどうかなぁ?

 朝からろくなものを食べていないのでお腹が空いてしかたありません。味の濃いものを食べたかったのですが、「福井北」から高速に乗るまで、店らしい店がありませんでした。福井の「8番ラーメン」、あるいは回転寿司でもいいなぁと思っていたのですが・・・。

 しかたなく、高速の「南条SA」で、名物のソースカツ丼にラーメンの付いたセットを食べ、やっと人心地つきました。美味しかったぁ。
 食べたら今度は眠気に襲われ、窓を開けたり、ガムを噛んだり、アンメルツを頭の天辺に塗ったりしながら、10時前、自坊に辿り着きました。もう少し近くに白山があればなぁ・・・。

 今年最後の夏山は、何度も書きますが、お天気に恵まれ、すばらしい景色を堪能できた、思い出深いものとなりました。

 ありがとう白山、お世話になりました山の仲間たち。
2006年10月3日(火)  No.1144

くまった
 11月に自坊で開催する共同作業所の‘喫茶店’。今年は4つの心の病を持った人たちの作業所が交代で運営することになり、その打ち合わせをしました。

 去年までは作業所の指導員だけで店員や裏方をして、売り上げは作業所の運営費にしていましたが、今年はスタイルを変えて、 心の病を持った人でも症状的に可能な人にはどんどんスタッフとして参加してもらい、‘就労訓練’をメインにして欲しいと提案しました。

 自主製品作りをメインにしているところ、リサイクルショップをしているところ、喫茶店をしてるところなど、4つの作業所それぞれスタイルも違い、心の病を持ったメンバーの症状もまちまちです。

 今年は収益は二の次にして、席数を減らしてあまりバタバタしないで済むようにし、開店時間もその日の都合でフレキシブルにすることにしました。たとえ1回でも、注文を取りに行けた、コーヒーを出せたということが、少しずつ社会復帰に繋がっていけばと思います。

 実施までにはまだかなりの打ち合わせや準備が必要です。


 今夜から石川県の白山に行く予定。

 「一人歩きの場合は、鈴を身に付けるなどしてクマに注意して下さい」と白山の公式WEBに書いてありました。今回はメインルートではないところへ行く予定なので、「ひとりで歌を歌い続けているわけにもいかないし、やっぱり買っておこうかなぁ」と、登山ショップに行きました。

 日本製、カナダ製 ・・・、形も音色も、いろいろな熊除けベルがありました。日本製は巡礼の鈴のようなものが多く、カナダ製は大きな鈴。COWベルのようものもありました。
 「どれが効くのかなぁ。熊に聞いてみないとわっかんないなぁ・・」 信仰の山、白山の熊には、日本製のほうが効くかなぁとも思いましたが、ここはやはり本場ものを。

 熊にあったらくまるなぁ・・・。

〜 カナダ製の熊除けベル 〜
2006年10月2日(月)  No.1143

冬衣へ
 東山の聖天さんで、毎年恒例の大般若転読会法要があり、出仕。

 今日は更衣。僧衣も今日から冬衣になりました。

 着替えをしている時、7人の僧侶の衣の何れかから、うっすらと防虫剤の匂いが漂ってきました。

 いままで着ていた夏の衣は「沙」でしたが、冬衣は絹の「精好」と呼ばれる緻密で硬い厚地の生地(もちろん、化繊の人も多いけれど)。纏ったとたん、ずっしりと重く感じました。嫌な重さではなく、威儀を正してくれるような重さです。

 大般若は、大きな声を出し、動きもある法要。冬衣の重さは一挙手一投足にも感じます。それに、暑い! 一段落したら、思わず‘ハンカチ坊主’になっていました。

 しばらくすると、この重さも心地よく身体に馴染んでくるのでしょう。

〜 法衣屋さんのカタログの冬用の略袈裟 〜
2006年10月1日(日)  No.1142

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