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2006年8月の日記

恩師の弔問へ
 山の疲れが出てくるかと思いましたが、筋肉痛も倦怠感もほとんどありません。今回は3日間で15〜16時間しか歩いていない、ゆっくりした山旅だったからでしょうか。

 歩いているときは長く感じましたが、今考えれば、あっという間でした。


 山に行く日に訃報が入った、高校の時の恩師の弔問に大原に行きました。大原はガラガラ。三千院の前でも歩いている人を見かけません。

 三千院から来迎院に向かう途中に先生のご自坊があります。

 先生の奥様のご案内で、普段は宿坊としても使われている客間を通り、ご遺骨の祀ってある祭壇に進み、読経をさせていただきました。

 数年前、脳梗塞でお倒れになって言葉に障害が残ったものの、寮の同窓会には必ず出てきてくださって、身振り手振りを交えて熱く語ってくださったり、一昨年頃にはこの部屋で秘儀を伝授する研修会を開いてくださいました。

 遺影は、宗務総長として第一線で活躍されていた頃のものでしょう。生き生きとした、闊達なお姿が蘇ってきました。


 同窓会は、先生が寮長をされていた8学年に渡る寮生135名で結成されていて、ほとんどは天台宗の僧侶。この会の幹事は、京都在住ということで、ずっとボク。

 この会で、忌明け頃に先生の法要を勤め、‘偲ぶ会’を開くことになりました。ご遺族はもちろん、先輩の都合のいい日程を聞いて、とりあえず日取りを決め、第一報をメーリングリストで流しました。

 しばらくはバタバタするため、この会が終わらないと、先生が亡くなったという実感は湧いてこないかも知れません。

〜 リュックサックから、トイレットペーパーを引っ張り出してきて遊ぶさくら 〜
2006年8月31日(木)  No.1110

立山三山
 朝3時頃から早出の人たちがゴソゴソと動き始めました。「こんなに早く出てもしょうがないじゃんか」と、その人たちの行程も知らないままに思いつつ、また寝込みました。

 出発する人がある度に目が覚めながら、5時頃、もう寝過ぎるほど寝たので、本格的に起床。

 小屋の前の山に登ればご来光が見えると聞いていましたが、ガスっていてほとんど絶望的。それでも時間をもてあましていたので、暇つぶしに登ってみましたが、無駄足でした。

 小屋の前には、横にヘルメットを付けた大きなリュックを担いだ若者達が次々とやってきました。テント泊をしながら、岩場でロッククライミングの訓練をしていた人たちです。「この人もやるの?」というような、か弱そうな男の子もいます。
 薄着なの足を止めると寒く、ブルブル震えながら、風が来ない場所を探してウロウロしていました。

 この小屋の朝食は6時と遅いほう。ジイサンは、「朝ご飯はまだか!」と言わんばかりに、頻繁に時計を見ていました。

 朝食を食べに食堂に行ったのは、6人のパーティーと、ジイサンとボクだけ。他の人たちは、朝ご飯を弁当に替えてもらって、もう出かけて行ったのです。

朝食バイキング
 朝食はバイキングで、野菜や果物を自由に取れたのがうれしかったなぁ。食事を美味しいと感じられるのは、何より元気な証拠。今日も快調だ!

 6時半出発。玄関で、夕べは「室堂に下りようかなぁ」と言っていたジイサンに、「下りるのですか?」と尋ねたら、「いや、登ります。私は自分のペースで行きますから」と、誘ってもいないのに言われました。
 単独行の人は、一緒に登る相手がいないということもあるでしょうが、人と登るのは好まない、自分のペースで登りたいという側面もあります。ボクもそうです。

 ジイサンより先に小屋を出て、小屋の裏側にある別山に登りました。高低差約100メートル、30分ほどの道のりです。ガスっていて、視界は50メートルほどしかありません。

 平坦な別山の頂上で、防寒用にと合羽を出していたら、ジイサンがやってきました。「ここは三角点はないのですね。向こうにもう一つの頂上があるはず。行かないけどね」と、ボクにしゃべっているのか、独り言かわからないことを言って、次の峰を目指して先に進んで行かれました。


今日の花はこれぐらい
トウヤクリンドウ
 ここから先は、ずっと稜線上を行きます。行く先も後もガスでよく見えない中を独り進むのは不安なものです。先に歩いているジイサンの姿をガスの中に見つけると、何だかホッとします。

 45分で真砂岳。真砂へのルートは2本あり、ボクは頂上をパスするルート通って、頂上を通るルートと合流するところに荷物を置いて、空身で頂上を踏もうと思っていました。
 合流地点に着いたらジイサンが休憩していて、「あれっ、頂上は行かなかったのですか?」と聞かれたので、「ここに荷物を置いて行ってきます」と答え、すぐに頂上に向かいました。わずか3分ほどのところです。「私はもういいです」と行っていたジイサンでしたが、すぐに「やっぱり行こう」とボクの後をカワイク駆けてきました。

 2861メートルの真砂岳の頂上は、頂上とは思えないようなずんぐりなだらかな頂上で、ジイサンはまたもや「三角点がない」とぼやいておいででした。三角点が好きだなぁ。


真砂を過ぎたあたり
から臨む富士ノ折立
 内蔵助カールの雪渓を見ながら、道は大きなゴツゴツした岩の急登りに差し掛かります。立山三山の一つ、富士ノ折立(2999m)への登りです。

 前を行くジイサンは実に身軽そう。ボクは体が重い。先に登り着いたジイサンに、「いやぁー、身が軽いですねぇ。普段何かされているのですか?」と聞いたら、「荷物が軽いのですよ。ジョギングとウォーキングをしてますけど」という答えが返ってきました。御年67歳。頑固で偏屈そうだけど、すごい。


大汝頂上で。高度計不調
 続いて、大汝山(3015m)。立山で一番高い山です。ここまで来ると、軽登山の人と会うようになり、何だか急に山が騒がしくなってきました。

大汝から見る雲中の雄山
 雄山(3003m)は、それに輪を掛けたような俗っぽさ。何だか気が抜けてしまいました。

 雄山の頂上は雄山神社の領域で、そこに入るのには受付で500円を支払わなければなりません。支払っていると太鼓の音が鳴り出し、「いま、お祓いが始まりましたから、急いでください」と係の人に言われました。
 走って頂上へ行き、幅2メートルほどの神殿の前に膝をついて座り、とりあえずお祓いを受けました。お祓いを受けるのは生まれて初めて。

 終わった後、神主さんは、「この石が、雄山3003メートルの頂上です」と説明してくれました。「お金を払わないと頂上踏めないのか・・・」と改めて思いました。
 三角点が好きな例のジイサンは、離れたところで休憩をしていて、有料の頂上に登る気配は見せず、気がついたらいつの間に姿が見えなくなっていました。


神主&坊主のツーショット
 折角ですから、神主さんとのツーショットを撮って貰いました。「神主と坊主の3000メートルでのツーショット!」なんて、本邦初? 神主さんは、まさかボクが坊主だとは思ってもいなかったでしょう!

 頂上からは、槍ヶ岳や穂高連峰、水晶岳、針ノ木岳が、少しぼんやりしながらも見えました。他の山並みが見えたのは、今回の山行でも初めて。とてもうれしく感じました。

 雄山から一ノ越への下りでは、登ってくる家族連れやハイキングのグループと頻繁にすれ違い、もうすっかりハイキング道。山の神聖さのようなものは、無に帰しました。
 当初は、一ノ越から浄土山へ登り、室堂山へ行って立山カルデラを俯瞰する予定でしたが、ガスで眺望は望めそうにもなく、冷めてしまった気持を建て直すこともできませんでした。舗装された道を40分ほどてくてくと、ひたすら室堂へ向かいました。


室堂まで戻ってしまった…
 帰りのバスは、23時富山発を予約してありました。室堂ターミナルに着いたのは11時前。雨が本降りになりつつ中で、あと12時間をどうして過ごそうかと考え、バスを替えることにしました。「予約変更不可」とは書いてありましたが、電話をしてみると、「JTBは出来ませんが、楽天ならできます」との返事。すぐに16時半発のバスに変更してもらいました。

 室堂ターミナルの案内窓口のすごく感じの悪い係に聞くと、13時頃の帰りのバスに乗ったのでは富山着は16時17分。何という乗り継ぎの悪さ。それでは、「富山でお寿司を食べる」という今回の山行の目的の一部を達成できません。12時のバスに乗ることが出来れば、富山着は14時半頃。それしかありません。

 バスの時間まであと1時間弱。下山後にみくりが池温泉に入って汗を流そうと考えていましたが、みくりが池温泉までは往復20分。バスに乗るには10分前には室堂に戻れとのこと。ということは、温泉に入っていられるのはわずか20分。とにかく、考えているより歩くしかありません。
 コインロッカーに入れておいた帰り用の普段着と突っ掛けを入れた袋を出し、チンタラ歩く観光客をかき分けて、一目散にみくりが池温泉に急行!

 浴室の前で、風呂上がりのジイサンと会いました。ジイサンは、ボクの顔を見て「あっ」と声を発したので、ボクは帰りの予定を早めたことを説明し、「お気をつけて!」と急いで挨拶をして別れました。ジイサン、ありがとう。

 いかにも温泉らしい、源泉掛け流し加水なしの白濁した温泉にドボンと浸かり、3日分の汗を流しました。「あー、いい湯だなぁ〜」などと言っている時間はありません。‘下界仕様’の普段着に着替え、掛け姿でリュックを背負って傘を差し、せっかく流した汗をもう一度かき直して、バスの時間の10分少々前には室堂ターミナルに戻りました。
 回りを見たら、突っ掛けに半袖姿はボクだけ。いかにも違和感のある姿ですが、ボクにとって、ここは高度は高く気温は低いものの、もうすでに「下界」でした。



駅前のディープな空間
 バス、ケーブル、富山電鉄を乗り継いで、JR富山駅前へ。「とにかく、お寿司!」と、駅前の寿司屋を4軒ほど回りましたが、すべて営業時間前。そうですよね、普通は5時頃開店。

 富山バージョンのキティーのストラップを買った駅のおみやげ屋さんで、「どこかお寿司を食べられるところはありませんか?」と尋ねたら、「一応、この3階にありますが・・・」と言葉を濁されました。
 その「一応」という言葉に含まれた消極的なニュアンスに、もう2軒回ってみましたが、結果は同じ。仕方がないので、駅の3階に行って、「一応」と言われた寿司屋の隣の、にぎり寿司のサンプルがウインドウに並んでいる居酒屋っぽい店に入って、にぎり寿司と飯蛸の煮物、生ビールを注文しました。飯蛸は、ほたるいかと間違って注文しただけです。

 生足の中年女性が向かいの席で熱く文学を語る面倒な雰囲気の中で食べた寿司は、端から期待はしていなかったものの、その限界をはるかに超える惨憺たるものでした。
 せっかく、魚の美味しい富山に来たのに・・・。今回の旅最大の悔いです。


 駅の売店でペットボトルのお茶を買って、バス停に向かいました。まだバスが来ていなかったので、バス停が見えるビルの通路の日陰で待っていたら、側を歩いていた20歳ぐらいの女性が、突然小さなうめき声をあげて倒れました。
 居合わせたのは、ボクと通りがかった女性だけ。一緒にその女性に歩み寄って、「大丈夫ですか?」と声を掛けても反応がありません。
 寿司屋を探す間に何度もその辺りをウロウロしたボクは、近くに交番があるのを知っていたので、「警察に知らせてきますから、見ていていただけますか!?」とその女性に頼み、荷物などを放って交番に走り込んで、すぐに巡査を連れて戻りました。倒れた女性はいまだに反応がありません。

 「後は任せておけばいいなぁ。そろそろバスが来るかな?」と、バス停を気にしていると、巡査が寄ってきて、「すみません。一応、‘第一通報者’ということになりますので、お名前などを教えていただけますか?」と言われました。「じゃぁ、ボクが書きましょうか?」と巡査のメモ帳を受け取り、名前や住所、電話番号を書いて渡すと、携帯電話の番号と職業も聞かれました。また、その女性が倒れた時の詳しい状況なども聞かれました。
 そうこうしているうちに高速バスが来たので、「あっ、ボクあれに乗りますので、いいですか?」と了解を得、リュックを荷物室に放り込んで、バスに乗り込みました。車窓からは、救急車が彼女を搬送していくのが見えました。

 バスの乗客は7人だけ。運転手さんが、「空いていますから、お好きな席に座っていただいていいですよ」と言ってくれたので、乗り心地がいいと教えてもらった真ん中あたりに陣取りました。

 しばらくすると、知らない電話番号からの着信。市外局番から、さっきの巡査だろうと思って電話に出ると、やはりそう。さっきの通報の礼と、女性を病院に搬送し、身元もわかったという経過の報告をしてくれました。意外に丁寧なんだ・・・。

 「ビールも飲んだし、バスの中では爆睡だなぁ」と思っていたのですが、全然眠たくなりません。結局、4時間半、一睡もせずに、京都に辿り着きました。


 剱岳は、スリルを味わい、花を楽しめる山でした。視界はなかったものの、頂上に立つことが出来て、心から満足しました。
 立山は、今回だけでもう充分。小屋で一緒だった人が行きたがらない理由がよくわかりました。

 初日の夜は不調で、すっかり弱気になって計画の断念も考えましたが、2、3日目は体調も万全に戻り、剱にも登れました。
 これを書くのに手間取り、今日はもう9月3日。カレンダーと睨めっこしながら、何とかもう1回、どこかに登れないかと腕組みをしながらうなっています。

 山は素晴らしい。自分との戦いの場でもありますが、どんなにしんどくても一歩一歩足を前に進めて入れば、山には登れます。人生は、なかなかそういう訳にはいきません。山の明快さ、それがボクを呼ぶ一つの理由かも知れない。そう思います。

 ジイサン、ありがとう。
2006年8月30日(水)  No.1109

剱へ
 3時頃から早出の人たちが、動き始めました。「剱だけだったら、そんなに早く出なくてもいいのになぁ。ヘッドランプでは危ないだろうに」と、夢うつつ。

 4時過ぎ、布団の中で恐る恐る体調を確かめ、‘大丈夫。行けそうだ’とわかってから、起き上がってもう一度体の具合を確信しました。大丈夫です。よかったぁ。

 窓の外を見ると、風は強そうなものの、少しだけ星が見えました。途中でどう変化するかはわかりませんが、最初から出発を諦める理由はありません。

 雨具や行動食、朝食替わりに夕べ貰ったおいた弁当など、必要な装備をサブザックに詰め替え、5時一人で出発。

 いったん沢伝いに下って、この冬の豪雪で大きな被害を受けて再建中の剣山荘の脇を通って、剱の頂上を目指します。
 剣山荘脇で3人の男女混合グループと兄妹だという2人に追いつき、以後、頂上までは団子になって進みました。ボクもそのほうが、何かあったときに見つけて貰えるので心強い。


剱沢雪渓に朝日が
 雨は降っていませんが、ガスっていて、これから登ろうとする剱はおろか、その前峰の前剱も一服剱もさっぱり見えません。見えない山に向かってただひたすら歩を進める状態です。

 一服剱を過ぎたあたりの霧の中に、昨日は見ることが出来なかったトリカブトの群生の鮮やかな紫が、ひときわ目を惹きました。また、霧に姿を隠せて安心したのでしょう、雷鳥が4羽、10メートルほど先をヨチヨチ歩いていました。

 道は次第に厳しくなってきました。昨日、山小屋の受付で浮き石や落石が多いと言われたガレ場を進み、武蔵のコル、クサリ場を過ぎると、やがて前剱に着きました。
 2時間弱、コースタイム通り。一人で歩くとついついオバーペースになりがちですが、こうして団子になっていると8分の力しか使いません。これが結果的には、今夜〜明日の元気に繋がりました。

 前剱の上で持参した弁当を半分食べ、カロリーメートやパイナップルを口にしました。
 雨が降ってきましたが、それほど強くはないので頂上を目指します。今まで防寒を兼ねて着ていた合羽の上着に加え、ズボンも着用。

 「バランスを崩さないように」とアドバイスを受けていた鉄製のブリッジを通り、クサリ場などの連続する気の抜けない場所が続きます。


カニのタテバイに
張り付く二人
そして、剱で有名な「カニのタテバイ」と呼ばれる、登り専用の垂直に近い約17m のクサリ場。登山者が多い時はここで渋滞が起きるという名所でもあります。
 ボクの前に登っていく人が、次第にガスの白い中に消えていきます。クサリが雨で滑りやすかったものの無事に通り抜けることができました。

 タテバイを上がりきったところで、一人の男性が靴の修理をされていました。他の方がどうしたのかと尋ねると、靴のソールが剥がれてしまったのだとか。こんなところで大変なことですが、ボクも普段ならリュックに入れているワイヤーなどを今日は小屋に置いてきていて、手助けのしようがありません。男性は、一心に紐で靴底をくくりつけておられました。


剱岳頂上にて
 しばらく行くとやや緩やかな登りに変わり、30分ほどで頂上に着きました。
 やったぁー。剱の頂上だ! 2999メートル。ボクの目線は3000メートルを超えてる!
 でも、晴天ならば目前に広がるはずの北アルプスの峰々や後立山連峰などは一切見えず、ただガスに覆われただけの白い世界。

 3人グループは、「こんなところに長く居てもしょうがない」という感じで、写真を撮ってあげたらすぐに下山。少し遅れて着いた兄妹ペアは、岩陰でお弁当を広げ始めました。

 確かに居ても仕方がないですが、せっかく此処を目指して京都からわざわざ来て、しんどい思いをして登ってきたのに・・・・でも、居ても寒いだけ。小雨は頂上に着く手前頃には上がってくれました。「仕方がないな。下りるか」


カニのヨコバイ
 山頂からの下りに専用のカニのヨコバイ。教えて貰った通りに右足から下りて、左足を出して、左へ左へと横ばいしました。続いて長い梯子、クサリ。


霧粒のついたチングルマの実
 少し下がって来たところでふと見ると、チングルマの実に細かい霧の水滴が着いて、とても綺麗。
 今回、いつでもどんな時でもすぐに写真が撮れるように、ズボンのベルトにデジカメ用(本来は煙草用)のポシェットを装着したのですが、これは大正解でした。


初めて見えた青空と剱頂上
 平蔵のコルを過ぎたあたりだったでしょうか、急にガスが晴れ、剱の頂上が顔を出しました。
 青空に剱の頂上。こんな光景は今回の山旅でも初めて。実に美しい! でも、こんな景色が見えたのはわずか十数秒だけ。また、あっという間に一面ガスに覆われてしまいました。

 タテバイの上で、遅く出発してきた同室の‘ジイサン’が登ってきたのとすれ違いましたが、後から聞いた‘ジイサンの話では、ちょうどこの時頂上にいて、後立山連峰などが見渡せ、40分ほど頂上で滞在していたのだとか。ほんのわずかな違いなのに・・・うらやましい。

 前剱まで下り、死亡事故が多発しているという箇所に差し掛かりました。「落ちたら100メートルほどはあります」と言われた場所はどこだろうと思いながら、慎重に膝のクッションを効かせてガレ場を下りました。



初めて見えたトリカブトと
ガスの中の剱御前/カライ
トソウ
 まだ、クサリ場やガレ場などはあるものの、何とか一段落。ここから先は、たくさん咲いている高山植物を楽しみながらの「花の山旅」。花を見つけては写真を撮り、また歩いては撮りと、なかなか進みません。今年は、雪が多かった影響もあって、花の開花が1ヶ月以上遅れているのも幸いし、たっぷり花を楽しむことができました。

 剱沢小屋から剱へは、来た道を戻るピストン登山。剣山荘から剱沢小屋はすぐ近くに見えるのに、40分ほどもかかります。後ろを振り返っても、剱はガスの中。しかたありません。

 小屋が近付いてくると、一心に窓から外を眺めている人が見えました。じっと見られているようで恥ずかしく感じながら小屋に戻ると、どうやら体調が悪くてご主人だけ剱に登ったご婦人。夕食の時、この人も食欲がないようでした。小雨が降ってきたので途中で断念して下山したという人たちもおられました。ひょっとしたら、ボクもこの一員に加わっていたかも知れません。残念な気持が、他人事以上に伝わってきました。

 小屋の食堂でうどんを注文し、朝の弁当の残りを一緒に食べました。食堂の窓からは、一人、また一人と帰ってくる人の姿が見えました。お疲れさまでした。

 剱沢小屋から剱岳への往復、6時間半。下りの「花旅」に時間がかかりました。


 剱沢小屋から、昨日下ってきた道を戻って剱御前小舎に入りました。晩ご飯は自炊、朝食だけ頼んで7400円。

 案内された部屋は10畳ほどの広間で、定員16名。男性の個人客向けの部屋のよう。階下のトイレから、目に染みるような臭気が上がってきます。山岳会の団体がいくつか泊まるようで、とりわけ女性の声が賑やかすぎるほど聞こえてきます。


「布団1人1組以下」と張り紙
 前に1人おられた後にボクが入り、さらにもう一人、そしてかなり遅れてあの‘ジイサン’。これで終わりかと思ったら、別の部屋にいたグループの男性3人が、「こっちの大部屋のほうが空いているから、こっちにしなさいよ!」と女性メンバーに引率されてボクたちの部屋に放り込まれました。この小屋では、1グループ1部屋という方針で部屋割りをしているようですが、勝手にその女性が仕切って、自分たちの部屋から男性を放り出したのです。

 こういう勝手な行動をするグループの人は、小屋のマナーも守らない人が多く、案の定、消灯後もウロウロしたり、翌朝発つ時も3人が3人とも寝具の片付けさえして行きませんでした。

  部屋で、‘ジイサン’ともう一人のやはり剱に登ってきた人と、今日の「反省&情報交換会」。
 ‘ジイサン’とボクとは、明日もまったく同じ立山縦走コース。ただ、ボクは‘ジイサン’より2座余計に回る予定だというと、「それは観光客向けの山でしょう」と‘ジイサン’に腐されてしまいました。
 もう一人は別の山に向かうとか。小屋の受付で、「途中の小屋に泊まらないと無理だと言われてけれど、それは小屋同士の策略ではないかと思うのです。泊まらなくても行けますよね?」と聞かれたものの、‘ジイサン’もボクも剱立山は初めてで、そのコースのことはわかりません。時間的には可能だから行ってみて、ダメだったら泊まるということ結論に落ち着きました。

 たくさん持ってきた食料をそのまま持って帰るのは馬鹿らしいと、今夜は小屋の夕食を断って自炊にしました。メニューはパスタと春雨ワカメスープ、そして今回の山行初のビール。
 昨日はビールを飲もうという気さえ起きませんでしたが、今日はすこぶる快調! 元気、元気! まだあと2〜3時間ほど歩けそうな感じです。


今夜のメインディッシュ
 他のグループの人たちが雑談する休憩室で、一人コンロでパスタを茹でました。鍋に比べてパスタが長いので、あっちの端を浸けてこっちの端を浸けて、少し柔らかくなったら曲げて全体を浸けてとなかなか大変でしたが、全体が均一に茹で上がり、チーズのソースも加えて水分を飛ばし、さていかがかな? 「美味い!」 でも、一人で食べるのはちょっとさみしいなぁ。

 食べ終えて部屋に戻ったら、もう‘ジイサン’は本格的睡眠体制。さっきミーティングをした人も、もう眠っているかの様子。まだ18時なのに・・・。しょうがないなぁ、寝るか・・・。

 しばらくは女性グループが荷造りをしたり、大きな声でしゃべったりとけたたましかったのですが、19時頃には静かになっていきました。

 あー、眠たくない。イヤホンでラジオを聞きながら、知らない間に眠りに就きました。
2006年8月29日(火)  No.1108

剱・立山1日目 − あわや断念
 5時44分発の富山電鉄の始発に乗り、ケーブル、バスと乗り継いで、室堂に着いたのが8時45分。室堂は遠い!

 そんなに朝早いのに、ケーブルやバスはほぼ満員。途中、バスの車窓からは、ブナや杉の原生林、滝、池塘などが見え、ニッコウキスゲがまだ少し残っていました。

 車窓の風景を説明するDVDが上映され、それを現実に自分の目で確かめて、車内にどよめきが起きる。50分間の乗車時間も退屈させない、よくできたシステムでした。


 室堂へ降り立った時は晴れ。快晴の時なら、立山三山(雄山、大汝山、富士ノ折立)などの3000メートル級の山々がそびえ立つのでしょうが、今朝はガスに覆われて山麓しか見ることができませんでした。

 室堂には、すでに団体客などが着いていて、散策を楽しんでおられましたが、そんな雰囲気の中を出来るだけ早く抜けたいと思い、先を急ぎました。


みくりが池
 帰りに入浴する予定のみくりが池温泉を通り、地獄谷、雷鳥平を回って、雷鳥坂を登りました。さすがにここまで来ると、歩いているのは登山者のみ。軽登山者の多い立山方面とは雰囲気も違っています。

 ボクの前に父子の姿が見えていました。だんだん近付いて追い抜きざまに聞くと、その子は6歳とか。「すごいなぁ」と言うと、父親が「いやぁ、空身ですから」と謙遜されました。時々こういうところでビックリするような子供をみます。親が山好きなために気の毒というのか、幸せというのかわかりませんが、ボクがハァハァ息を切らしているのに平気な顔をして登っています。

 しばらくして、乾燥パイナップルとチョコレートで休憩していると、一人の人が追い越していきました。登りで会ったのはこの3人。下ってくる人には10数人会いました。
 地獄谷から上がってくる硫黄の臭気で頭が痛くなりそう。



剱御前小舎前から見た剱
右下に剱沢小屋

 上り詰めたところにあるのが剱御前小舎。いま通ってきた室堂平や立山はまったく見えません。これから向かう剱沢、そして今回のメインである剱岳は、ほんの一瞬だけ見ることができましたが、またすぐにガスに覆われてしまいました。

 小屋で明日の宿泊を予約。天気が良くないという話から、「雨だったら、止められたほうがいいと思います」とアドバイスを受けました。室堂の掲示板に、21日に剱岳で死亡事故があったと書いてありましたから、関係者も慎重なのだろうと感じました。

 回りにいた人がうどんを注文しているのを聞いてボクも何か食べたくなり、ラーメンを注文。韓国麺のような食感のラーメンでした。




ウサギギクとミヤマリンドウ
/ヨツバシオガマ
 後は今夜の宿、剱沢小屋へ降るのみ。この下りは、チングルマの実、ヨツバシオガマ、ウサギギク、アオノツガザクラ、イワギキョウ、ミヤマキンバイ、ミヤマリンドウ、クルマユリなど、実にたくさんの花が咲いているお花畑。それまで天気もイマイチでしょげていましたが、ここに来て初めて、「わぁー、来てよかったなぁー」とじみじみ思いました。

 13時に小屋に着き、受付をして、明日は剱に登る予定だと告げると、「初めてですか?」と聞かれました。そうだと答えると、小屋の責任ある立場の人らしげなその人は、剱の詳細なコースを描いたコピーを手渡し、説明してくれました。

 「ここは浮き石や落石が多いので、石を落とさないよう、また前の人の石に当たらないようにしてください・・・ここはバランスを崩さないように渡って・・・カニの横ばいは右足から下りて、左足を踏み出してください・・・前剱の降り、去年の死亡事故4件はここで起きています。21日の事故もそうです。ここまで下りると気がゆるんだり、足が疲れてきたりするので、充分に気をつけてください・・・登る時にダメだと思ったら引き返してください。雨が降ったら、またの機会にしてください・・・」

 えらいこっちゃなぁー。こんな時、単独行は余計に不安になります。おまけに天気は悪くなる予報ですし・・・。

 6畳ほどの部屋で横になっていると、頭痛、吐き気、寒気がして、確実に体調が悪くなってくるのを感じました。軽い高山病でしょう。ボクはどうも高度順応が悪いのか、よくこのパターンに陥ります。

 しばらくして、年輩の方が一人部屋に入って来られました。明日は剱、明後日は別山から立山三山縦走というルートも同じ。すこぶる元気そうで、おつまみをバリバリ食べながらビールを飲んでおられます。同じ部屋でボクは布団をかぶって横たわっています。
 「あんなジイサンが元気なのに、どうしてボクは・・・あー、情けない」

 17時夕食。ジイサンは時間を待ちかねて食堂に行きました。ボクは、コールがかかるまで寝ていたら、小屋の人が呼びに来てくれました。

 食欲はありません。出来るなら、食べたくない。ご飯を半分に減らしてもらい食べ始めましたが、箸は進みません。肉のステーキ、豆腐、ぜんまい、じゃがいも、サラダ、マカロニ・・・すごくリッチな食事なのに。
 「食べないと歩けない」と無理に押し込みましたが、おかず数品を残してしまいました。

 いったん部屋に戻りましたが、すぐに気分が悪くなり、小走りでトイレへ。やはり、ちょっと無理に食べたのがよくなかったかな。


剱沢小屋から見た剱
 胃薬、頭痛薬を飲み、体操をしているうちに、ジイサンはすっかり寝る体勢。まだ18時。「もう寝ますか? 電気消しますか?」と聞くと、「はい」と布団の中から答えが返ってきました。
 ボクもこれ幸いと布団を敷き、本格的に寝ることにしました。

 夜中、風切り音が聞こえてきました。星は見えません。ジイサンはいびきと寝言を繰り返しながら、羨ましいほどの熟睡体制。「こういう人は強いなぁ」と思いました。

 ジイサンが寝言を反芻する傍らで、ボクはうつらうつらしながら、「どうしよう、ここまで来たのに・・・体調がよくなければ潔く計画を変更したほうがいい・・・事故を起こしては・・・雨が降ってくれれば、雨のせいにして登らないで済むなぁ・・・」と行きつ戻りつ。

 夜中に少し体調が回復してきたのを実感でき、「よし、これなら行ける。行けるところまで行ってみよう。雨、降らないでくれ」と思えるようになり、やっと胸のつかえもおりて、気持ちよく眠れました。
2006年8月28日(月)  No.1107

富山へ
 朝、近所の町内で催されている「大日さん」のお勤めに伺いました。

 会場となっているマンションの1階の集会室には、大人と子供がほぼ同じくらい、30名ほど集まっておられました。なかなかこれだけ集まる町内はありません。

 お勤めをして、子どもたちに法話?。小学校は明日から、中学校はもうすでに始まっているのだとか。スケジュール的には、子供たちにとって、夏休み最後の楽しみではなくなっているのを実感しました。

 終わってお茶をいただいていると、4年生ぐらいの男の子がコソッと目の前に来て、「ひとつ質問してもいいですか? 霊っているの?」と聞いてきました。テレビを見ていて聞いてみたくなったとのことでした。

 仏教では霊が祟るなどということは本来的は言いませんが、テレビではそういうことばかり吹聴する‘霊能者’がいます。きっとこの子も、そんな番組を見たのでしょう。

 一口に「いない」と言ってもダメだろうと、「どうして聞いてみたくなったの? ボクはどう思うのかなぁ?」と話をしかけていたら、横にいたおばあさんが気をつかってくれたのか、「そんなものいない! 拝んでおいたら大丈夫!」と叱るように言いきりました。
 男の子は、納得できない顔で祭壇の大日さんに手を合わせて、皆のところへ行って遊び始めました。

 なんだかかわいそうで、後味の悪いお勤めになってしまいました。


 帰ってしばらくしたら、高校の時にお世話になった寮の寮長が亡くなったという知らせが入りました。

 1〜2年に1度は、その方が寮長をされていた時の同窓会を開いていますが、すぐにそのメーリングリストで訃報を流し、忌明け頃に同窓会で法要をする方針を伝えました。


 さぁ、いよいよ山に行くぞぉー。

 夕方5時、名神の深草バス停から富山に向けて出発。

 高速のバス停を利用するのは初めてなので、「ゲートでチェックがあるのだろうか?」などといささか不安でしたが、勝手に高速道路に上がって係員もいないバス停で待ってるだけ。「これだったら、ここで待ち合わせできるなぁ・・・。不審者が自由に高速に入り込めて危ないなぁ・・・」とも思いました。

 バスは大阪発富山行き。京都で乗ったのはボクひとり。ネットで予約したときは、性別を考慮してシートを決めると書いてありましたが、ボクの回りは女性ばかり。‘なるほど・・・考慮してくれたんだ・・・’。
 お弁当を買って乗ったのですが、何だか食べにくい雰囲気。意を決して食べ出したら、まもなくPAで途中休憩するというアナウンスが流れ、あわてて食べきりました。

 JRで行けば、京都−富山は3時間弱。バスは4時間半。でも、JRの片道代以下で往復できるし、3列が独立したシートなので、隣の人とふれ合うこともなく、ボクにはとても快適でした。


 コンビニに寄って明日の朝ご飯を求め、10時前に富山駅前のホテルにチェックイン。着てきたTシャツを帰り用に洗濯して、即寝ました。

 まだ、明日から山に登るという実感が湧いてきません。

〜 名神高速深草バス停 〜
2006年8月27日(日)  No.1106

パッキング
 部屋中に散乱している山の荷物を、今日はパッキングしなければなりません。

 衣類、食料、雨具など、必要と思われるものをとりあえず引っ張り出しただけで、必要充分なものが選べていません。

 やっかいなことに、必要・不必要だけではなく、「前に、これを持っていった時はダメだったなぁ」「ずっとこれは持って行っているから、外せないなぁ」などというジンクスのようなものが、荷物の取捨選択に関わってきます。

 「万が一」を考えると、際限なく荷物が増えるので、‘いい加減’にしておかないといけません。

 「これでよし!」と、リュックのチャックをしめてから、「あっ、そうだ。あれを忘れている」と、また中身を全部出して入れ直したり・・・。おそらく、明日の出発までそういうことを繰り返し、途中のお店などでも何かを衝動買いしながら現地に行くことになるでしょう。

 こういうことも楽しみの一つのはずなのに、「ちゃんと登れるだろうか」という不安や、「面倒になってきたなぁ」という気持も湧いてきて、複雑です。

 さくらが登山用の靴下を噛んだり、袋の中に入って遊んだりして、一向に進みません。部屋から追い出して鍵を掛け、ドアを開けてとせがむのを尻目に、ゆっくりパッキングをしました。

〜 部屋に入るのを許され、くつろぐ さくら 〜

2006年8月26日(土)  No.1105

ヘビーな日
 朝の散歩の途中、黒谷の極楽橋の上で、いつも行き違う方々と長い間話し込んでしまいました。

 時間がなくなったので、近道をして帰ろうと黒谷の墓地の中を通っていたら、墓石のところで蛇を見てしまいました。

 ヘビーな1日の始まりでした。

 午後から「今日の散歩道」の更新に取りかかりましたが、写真が撮れません。写真が撮れないと文章が書けず、気は焦りながら、ずるずると作業は長引きました。

 作業をしながらも、朝見た蛇の姿が、瞼から消えません。先日、山の中で出会った蛇は枯れ葉などに隠れていましたが、今度はまとも。あー、気持悪い。

 そのままテンションを上げられず、納得のいくような更新もできずに、あれこれヘビーな気分のまま1日が終わってしまいました。

〜 毎朝、ボクを待っているクロ 〜
2006年8月25日(金)  No.1104

脱、熱帯夜
 8月もお盆が終わると、地蔵盆を除いて、一気に時間が空きますが、連続した休日となるとなかなか作れません。

 今日はお地蔵さんの縁日。1年に1度、境内にある「鎌倉地蔵」「千体地蔵」「万霊堂」などお地蔵さまを祀ってあるお堂や三界萬霊檀にあるたくさんの石のお地蔵さまなどを、真如堂の僧侶全員でお参りしました。

 蝉の声はツクツクボウシが主導権を握りつつある感じで、夏から秋への移り変わりを感じます。

 夕べから今朝にかけて、気温は21.8度まで下がりました。こんなに涼しい夜は1ヶ月ぶり。さくらも寒かったのか、もそもそと布団の中に潜り込んできました。


 午後からは、山の準備のための買い出しに行きました。

 テント泊をやめたので、持ち歩かなければならない食料が少なくて済みます。一人でテント泊をすると、どうしても食事が貧しくなります。今度のコース上の小屋は食事もいいようですし、今の季節だったら1人1畳分のスペースがもらえそうなので、予定変更。
 一人でテント泊する楽しみはまたに譲って、今回は、写真を撮りながら、ゆっくり回ることにしようっと。


 行きつけだった登山ショップの前を通ったら、シャッターに「管理 ○○不動産」という看板が吊してありました。アットホームな店だったのですが・・・。品揃えはいいけれど‘薄情な’大きなアウトドアショップで、乾燥米や靴紐を求めました。

 山用のウエアは高価なので、ユニクロのドライウエアを買おうかと京極の店に行ってみたものの気乗りせず、薬局で体を拭くウエットティシューを、海外旅行用品の店で使い捨ての紙パンツを求めました。紙パンツは汗をかいてもベタつかず、荷物にならないので、お気に入りです。

 こういう作業をしているうちに、だんだん気分が山モードになっていきます。


 夜は涼しかったのに、昼間は相変わらず暑い日でした。

〜 京極って久しぶり 〜
2006年8月24日(木)  No.1103

山を歩いて自信をなくす
 昨日、山行の準備をしている時、「そうだぁ。足や体を慣らしておかないと。新しい靴も慣らさないと」と思いつき、今日、近場の山を歩くことにしました。

 「大文字山はいつも行っているし、武奈ヶ岳は足慣らしにはちょっとしんどいかなぁ」などと考えて、一度も行ったことがない鞍馬のずっと北の八丁平〜峰床山に決定。京都では人気のあるコースです。
 八丁平は関西では珍しい高層湿原で、周囲が八丁あるのが名前の由来とか。峰床山は京都府で2番目に高い山ですが、970mしかありません。

 自坊から約1時間で滋賀県葛川の登山口に到着。林道の入り口に「通行禁止」と書いてあったのを真に受け、入り口付近に車を駐めて、林道をてくてく歩くこと30分。林道を歩くほど馬鹿らしいことはありません。

 林道が終わったところの丸木橋を渡ると登山道が始まります。しばらくは谷川を右に左に進んでいき、やがて植林された杉林を登ります。

 いつも思います。「どうしてこんなしんどいことしているんだろう。引き返そうかなぁ」と。体が慣れていない、歩き出して1時間ほどが、一番しんどい時間です。
 そんな時はいろいろなことを思い浮かべますが、いずれも考えが最後まで行き着くわけでもなく、ただ脈絡なく浮かんでは消えていきます。そのとりとめのなさが、ある意味救いなのかも知れません。

 斜面を切ると、盆地になった八丁平を取り囲む山の尾根に出ました。5分も降りると八丁平。
 八丁平はブナやトチなどの木に覆われ、笹も繁っていて、尾瀬のような湿原とはまったく違います。一見乾いているようにも見えますが、回りの山々から絶えず水が注ぎ込まれて潤っているそうです。

 「京都の自然二百選 八丁平」という標識の下に、「マムシに注意」という看板が置いてありました。これを見てから、草むらでガサガサ音がするたびに、思わず飛び退いてしまいそうになってしまいました。ただのヘビでさえ、おぞましいのに・・・。

 ぐるっと八丁平を回って、湿原を取り囲む尾根伝いに峰床山の頂上に出ました。回りの山より少し高い優越感はありますが、向こうに見える武奈ヶ岳を見ると、この山がとても貧弱に感じられました。白山なども見える武奈に比べると、眺望でもまったく歯が立ちません。
 人気があるコースなので期待をしていましたが、山としての魅力や植生などの面白さも、ボクにはイマイチだなぁ。

 少々がっかりしながら、ベンチに座っておにぎりとワッフルを食べていると、武奈ヶ岳方向から雷鳴が聞こえてきました。「これはやばいかも・・・」と急いで発ち、湿原側に降りて周回道を回り、最初に登りついた場所に戻りました。

 来た道を帰るのでは面白くないと欲を出して、地図に「あまり使われていない」と点線で書いてあった道を探して、倒木で閉鎖されているのを乗り越えて降りました。

 枯れ葉の積もり具合や倒木が放置されていることなどからも、最近はほとんど誰も通っていないことがわかりますが、それもまた面白いもの。枯れ葉の道を喜々としながら滑るように降りました。

 でも、恐れていたことが・・・道を失ってしました。かろうじて踏み跡があると思って辿った道は獣道。登り始めた直後から、鹿の足跡をたくさん見ましたから、「これは鹿たちが通っている道だなぁ」と思っていたら、斜面の上の方を子鹿が走っていきました。自分たちの道を歩いている生き物に興味を持ったのでしょうか。

 「このまま降りていっては危ないなぁ」と思い、何度か行きつ戻りつして、ようやく元の道まで帰りました。約30分のロスです。

 あとはひたすら降りるのみ。でも、どうも躓いたり、よろけたりします。靴底の厚さがまだ身についていない感じです。それに、予想以上に疲れています。ちょっと自信をなくしました。

 林道の終わりの丸木橋まで戻ってきたら、車が1台駐まっていました。「『進入禁止』と書いてあったじゃないか!」と怒りつつ、「この車の持ち主が降りてきて、下まで乗せてくれないかなぁ」と期待しました。だって、林道を歩くのはつまらないのですから。結局、30分間歩きました。

 今日は5時間弱、11キロを歩きました。出会ったのは、人間2人、小さいヘビ1匹、子鹿1頭、トカゲ多数。ずんぐりしたかなり大きい鳥5羽。静かでした。


 「鯖街道」を車で20分ほど走って、朽木の温泉へ。お湯の魅力はありませんが、とにかくさっぱり! 少し戻って、蕎麦屋へ。客はボクひとり。食べにくいなぁ。窓の外には、安曇川河川敷のオートキャンプ場で遊ぶ家族連れが見えました。さらに戻って、鯖寿司を求めました。
 温泉、蕎麦、鯖寿司は、こっちに来たときのお決まりのコースです。

 「鯖街道」というのは、若狭と京都を結ぶ道ですが、ボクはいま国道になっているのが、かつての街道だと思っていました。でも、「鯖街道」には17のコースがあり、最短は今日登った八丁平を通って鞍馬へ抜けるコースだったそうです。昔の人はすごいなぁ。勉強になったなぁ。

 ともかく、今日の山ぐらいで疲れているようでは困ったものです。体力の衰えが実感できたことや、装備のことを考えられたことなど、今日は充分に意義あるハイキングでした。

 最近、遊んでばっかり。

〜 八丁平のブナ林 〜
2006年8月23日(水)  No.1102

山行準備を始める
 地蔵盆の会計がどうしても合いません。現金が少ないのです。

 支払うときにお札を間違ったのか(そんなはずないと思うのですが)、何かに使ったのを忘れているのか(そんなはずないと思うのですが)、そこから私用の支払を一時的に立て替えさせてもらったのをすっかり忘れているのか(これが一番あり得るかも)、わかりません。

 いろいろ調べているうちに、福引の数が足りなかったのは、ボクの1桁の暗算が間違っていたことに気がつきました。あー、小学校低学年でもできる計算なのに。


 気を取り直して、来週出かける登山の準備をすることにしました。

 山中での2泊は山小屋を利用せず、テント泊まりにするつもりですが、テントを担いでの山行は5年ぶり。5年前、テントを担いで南アルプスを縦走した降りに膝の半月板を痛め、テントの中で脂汗を流していたのを思い出します。

 それから、降りには膝のサポーターをするようになり、本格的な登山からも遠ざかっていました。

 今回は、剣・立山に行く予定。アプローチが短く、小屋の多いところを選びました。
 小屋泊まりもいいですが、テントで気兼ねなく過ごすのも最高。でも、しばらくテント泊を経験していないので忘れていることも多く、いろいろ思い出しながら装備を点検し、風を通して、道具をそろえていきました。おかげで、部屋は山の道具が散乱してしまいました。

 さくらは、登山用のウールのソックスが大好きなのです。高価なものなので、穴を開けられたら大変。それだけは、出しっぱなしにせずに、リュックの中に隠しておきました。

 しばらくは、装備・道具を出したり入れたり、足りない物を買いに行ったりしながら、準備を整え、気持を集中していこうと思っています。

 でも、どうしてそんなにまでして、しんどい思いをしに行くのでしょう。自分でもわかりません。

〜 テントも干さなきゃ 〜
2006年8月22日(火)  No.1101

花のドライブへ
 お盆&地蔵盆後のフリーな時間、今日は、伊吹山のお花畑&米原・醒ヶ井の梅花藻鑑賞ドライブに出かけました。

 京都から名神高速を走るにつれて、お天気はどんどん下り坂。米原を超えた辺りから、「雨 走行注意」の表示が出るようになりました。京都を出るときは快晴で、滋賀県の天気予報も決して悪くなかったのに・・・。
 名神から望む伊吹山も、山麓以外はガスに覆われて、全容を見ることができません。

 高速から降りて一般道を走り、伊吹山ドライブウエイに入るのに少し並びました。
 「えー、混んでるの!?」と思いきや、ゲート係が「山の上の方は霧が出ています」と注意をしているからのようでした。
 山頂を目指して全長17キロのドライブ。確かに上に登るに従って、ガスが出てきて、雲の中に入ったり出たり。平地の景色も見え隠れしていましたが、雨は大したことはなく霧雨程度。果たして山頂は・・・。

 8合目の広い駐車場には、すでにたくさんのバスや自家用車が駐まっていました。

 お天気は急に回復してきて、青空も現れ、下界も見渡せるようになってきました。「やったぁー!」。売店で『お花畑植物ガイド』を求め、オススメの回り方を聞いて、プチ・ハイキングのスタート!

 伊吹山はかつては海底だったそうで、大部分は石灰岩から成っています。なだらかな登山コースには白い石がゴロゴロ転がっていて、少々歩きにくい感じでした。

 しばらく進むうちにお天気はすっかり回復し、強い日射しが照りつけてきました。帽子をかぶり、扇子であおぎつつ、花のガイドで花の名前などを確かめながら、ゆっくりゆっくり山頂を目指しました。
 ミツバフウロ、クサボタン、ヤマハッカ、サラシナショウマ、シシウド、ワレモコウ、シモツケソウ、コオニユリ・・・・・ たくさんの花が咲いていました。

 緑とその間に白く顔を見せる石灰岩の取り合わせも、少し違う世界に来たことを感じさせてくれます。

 頂上付近の伊吹山寺で般若心経をあげ、売店で飲み物を買って、1377mの頂上のベンチでおやつ。頂上には、日本武尊の石像が建っていました。

 帰ってから知ったのですが、日本武尊は東征の途中で伊吹の神と素手で対決し、その化身である猪に大氷雨を降らされて、失神してしまうのだそうです。山を降りた倭建命は、この後訪れる醒ヶ井の「居醒めの清水」で正気を取り戻しますが、完全には回復せず、ついに能煩野(三重県亀山市)で亡くなってしまうのだそうです。
 行く前に知っていたら、さらに感動が大きかったのに・・・。


 花を堪能し、お腹が空いたので、最短コースで車に戻って下山し、脇目も触れずに、目星を付けておいた蕎麦屋へ。20人ほどの行列が出来ていましたが、とにかく順番を待ちました。
 伊吹は日本そば発祥の地だそうで、この店の蕎麦は伊吹山麓で栽培したそばを自家製粉し、天然の湧き水でこねて手打ちしたものだとか。美味しかったぁ。


 15分ほど走って、旧中山道・醒ヶ井宿へ。旧街道には赤い提灯がたくさん吊してあり、とても情趣がありました。

 街道脇を流れる地蔵川には、梅花藻の花がいっぱい咲いていました。

 梅花藻は、キンポウゲ科の水生多年草で、清流でしか育たないのだそうです。清流の中にゆらゆら揺れている藻。水面から顔を出して咲いている1センチほどの白い花は、とてもかわいかったです。
 地元の人に尋ねると、今がちょうど見頃だとか。いい時に来ることができました。

 川に足を入れてみましたが、その冷たさに、長く浸けていることはできません。
 この川は、街道沿いにある地蔵堂の横の「居醒めの清水」が源泉だそうなのです。

 上述した伝承からか、ここにも日本武尊のブロンズ像が建っていました。

 赤い提灯は、23・24日に行われる地蔵盆のためのものだそうで、街のそこかしこに準備してある「功名が辻」「猪突猛進」などという紙や竹で作ったオブジェも、その時に地区ごとで競うコンテストの作品なのだそうです。
 地蔵盆には、山車が出たり、子供歌舞伎などが催されたりと、大変な賑わいになるようです。その時に来てみたいなぁ。

 醒ヶ井は、梅花藻の花と、訪れる人への地域の人たちの‘お接待’の気持溢れる、懐かしさと人情の漂う雰囲気のすばらしい街でした。


 山の花と水辺の花を堪能したドライブから帰り、遠来の高校の友人たちに合流。座っていても寝てしまいそうでした。

〜 伊吹山のお花畑 / 梅花藻 〜
2006年8月21日(月)  No.1100

数珠まわし
 地蔵盆2日目。

 今日は数珠回しから始まって、おやつ、昼食(カレーライス)、スーパーボールすくい、アイスクリーム・とうもろこしのおやつ、野点茶席、福引と盛り沢山。

 数珠回しはボクの担当。数珠回しとは、「南無阿弥陀仏」を称えながら、輪になった人たちの間で数珠を回しながら、無事や健康などを祈念するものです。

 今日は、数珠回しに参加されたのは、子供や大人30人ほど。全員が輪になって、時計回りで数珠を隣に送って、回しました。大きな親玉が自分のところに回ってきたら、少し持ち上げていただき、お願いをします。

 他の様々なイベントに隠れてしまいがちですが、数珠回しは地蔵盆の核心的な時間といってもいいでしょう。

 このように、地域の人たちが一同に集まって、自分の家のことはもちろん、隣の子供の無事や向こうの家のお年寄りの健康ことなどを祈るということは、今となっては稀なことになりました。コミュニティーにとっても、大切なことに違いありません。

 夕方、すべての公式行事を終えてみんなで一気に片付け、会計も仮集計して、現段階での決算書を作りました。やれやれです。

〜 念仏鉦を叩きながら撮った数珠回し風景 〜
2006年8月20日(日)  No.1099

地蔵盆でお金の計算
 今日・明日は「地蔵盆」。夏休みの終わりも間近い幼い子ども達が、とても楽しみにしている行事です。

 24日がお地蔵様の縁日なので、かつてはその頃に行われていましたが、今は世話をする大人の休日などの関係で、24日前の土日頃に行われることが多くなりました。

 朝、町内にあるお地蔵様を洗い清め、絵の具でお化粧をして新しい前垂れをかけ、お祀りします。提灯や、子ども達が思い思いの絵を描いた大きな行灯を吊るし、会場を飾り付けます。

 今日のスケジュールは、お勤め、ハンバーガーの昼食、あてもん、西瓜のおやつ、輪投げなど。

 町内会は年度初めから地蔵盆について協議を始め、準備を重ねて、子ども達に楽しい時間を提供できるように工夫します。地蔵盆は町内会最大のイベントなのです。

 最近は少子高齢化の様相が地蔵盆にもはっきり出ていて、子供は1〜2人しかいないけれど高齢者はいっぱいという町内も多く、地蔵盆が敬老会の催しのように感じられ町内もあります。
 真如堂のある町内には中学生以下の子供が20人ほどいますが、70歳以上の方のほうがやはり多くて30人ほど。この傾向は、さらに進むのでしょうね。

 今年、ボクには町内の会計が回ってきました。お金の計算は大の苦手。電卓の数字は計算する度に違い、すっかり疑心暗鬼。
 今日は、お供えして下さった方のご芳名の掲示、立て替え払いしてくださった代金の精算や現場での支払などのお金の出入りが頻繁にあります。

 子供が遊ぶ傍らで、大人たちもビールを飲んでワイワイガヤガヤ。ボクもずいぶん頂戴し、酩酊気味の頭で果たして計算が合うだろうかとかなり心配でしたが、夜、表計算ソフトを使って計算した数字と現金とが一発で合い、心底ホッとしました。

 明日も合うかなぁ・・・。

〜 地蔵盆の西瓜のおやつタイム 〜
2006年8月19日(土)  No.1098

復調未だ
 台風の影響で雨が降ってくれるかと心待ちにしていましたが、当てが外れました。

 かろうじてパラッと降った雨は、わずかに1ミリ。これでは草木の助けにはなりません。困りました。


 今日は「今日の散歩道」の定例更新日。季節の動きが少ない境内の写真を何とか撮らなければいけませんが、どうにもこうにも、一向に進みません。

 夕方の、犬の散歩の人たちの‘集会’を撮ろうと狙っていましたが、タイミングが合わずに失敗。


 若い女性2人が道に迷っておられたので、どこに行きたいのか聞くと、お隣の黒谷を目指しているとか。

 「もう5時過ぎていますから、開いていませんよ」と言うと、「え〜〜!」と驚いた様子。

 「当たり前じゃないの。もうこんな時間だよ! ちゃんと調べて来てないの!」と言いたい気持をぐっと抑え、「行くだけでもいいですから」とおっしゃるので、会津墓地から文殊塔を通って本堂前に出る道をお教えしました。

 「お墓の中を通って行くことになります」と説明すると、またもや「え〜〜!」。

 「もう知らん! 好きなように行ってください!」という気持をグッと抑えて、「見晴らしもいいし、大丈夫ですから、お気をつけて」と見送りました。


 まだお盆の消耗から完全復調したとは言えない1日でした。

〜 見慣れないものが大きくなってきました。冬瓜? 〜
2006年8月18日(金)  No.1097

富本憲吉展
 「生誕120年 富本憲吉展」にお誘いいただいて、京都国立近代美術館に行ってきました。

 富本憲吉は、重要無形文化財保持者(人間国宝)や文化勲章を受章した、近代陶芸の巨匠。
 「模様から模様をつくらず」という言葉を生涯の信念とし、写生にもとづく数々の優れた文様を創作し、個人の美意識に基づく作品の制作を初めて成し遂げた先駆者だといわれています。

 会場には、その富本の楽焼・土焼、白磁・染付、色絵・金銀彩やスケッチや絵手紙などがズラリと展示されて、実に圧巻でした。

 後半の作品は、ほとんどが四弁花や羊歯の文様を使った精緻な色絵の作品でしたが、ボクはそれよりももっと初期の、たとえば「染付絵変皿」などのほうが、見ていてホッとしました。

 「こんな皿にバジリコのパスタを盛ったら美味しいだろうなぁ・・・」などと、興味は「食」?

 美しい器で日常を飾りたい、それを普段使いの器にしたい。富本も最初はそう思ったのでしょうが、彼の興味はそれを通り越して文様に行き着き、器はそれを描く素材に変わって行ったような気もしました。

 素晴らしい作品を見た後の緊張と疲れ、その反動として、やわらかい絵付けやフォルムの酒器や器でゆっくり食事をしたくなる。そんな感想の展覧会でした。

〜 美術館から見た大鳥居。鳥居の左に見える黒谷の伽藍の屋根 〜
2006年8月17日(木)  No.1096

一区切り
 今日でお盆も終わり。

 午後からは墓参の人の足もパタッと止まり(夕方6時頃に来た人もありましたが・・・)、境内は静かになりました。

 住職が履いていた下駄の歯の木屑だらけになった車のフロアシートを掃除。汗がしみ込んだ運転席のシートなどを‘ファブリーズ’しました。

 お盆中、毎日車に地図などを持ち込みながら、少しも検討できなかった山行計画にもようやく着手。とりあえず、往復の高速バスの予約をしました。


 夜8時、「五山の送り火」の一番初めに東山の「大」文字が点灯されます。

 例年鳴るはずの鐘楼の鐘の音が一向に聞こえてこないまま、定刻を過ぎてしまったので、慌ててカメラを持ってくぐり戸を抜け、墓地へ。
 昼間下見をしておいたスポットから写真を撮り、火が下火になってくるのを見ながら、「あー、お盆も終わったなぁ・・・」としみじみ実感しました。

 暑さ厳しい、カラカラに乾いたお盆でした。 

〜 暑い盛りの芙蓉の花 〜
2006年8月16日(水)  No.1095

棚経、完結!
 棚経終了! 暑〜い2週間でした。

 毎年、棚経が始まると、「途中で体調を壊さないかなぁ」「住職が倒れないかなぁ」などと心配になりますが、無事に今夕を迎えられて、「何とか終わったなぁ・・・」と安堵しています。

 と共に、「来年はどうしているだろう」とも、すぐに1年先のことに思いが走ります。


 今日は終戦記念日。お檀家の仏壇にも、たくさんの戦死者の位牌があります。そして、その子供だった人の世代も、今や高齢者の仲間入りをしつつあります。

 棚経中の車のラジオから、首相が、終戦記念日に21年ぶりに靖国神社を参拝されたというニュースが流れてきました。

 戦争からこれだけの月日が流れているのに、いまだに靖国の問題は未解決。参拝する・しないという表面的なことばかりが話題になるだけで、真剣に取り組もうとした首相は、今まで誰もいませんでした。

 現首相の参拝は、ボクには‘最後っ屁’のようにしか思えません。参拝を正当化しようといかに強弁をしてみても、来月の任期切れを控えて‘卒業旅行’の日々を過ごす狭間の、深い配慮を欠いた行いにしか、ボクには見えません。
 本当に戦争の犠牲となって亡くなった人を尊崇して供養する気があるのなら、もっと責任ある参拝方法があったのではないか、もっと説明を尽くすべきではなかったのかと、とても残念に思えます。

 そして、次の首相の最有力候補も、この問題については何も発言せず、議論をするつもりもなさそうです。

 日本の‘戦後’は、戦争の記憶が不鮮明になりつつある傍ら、うやむやのまま続いていかざるを得ない気がします。

〜 送り火「妙法」の「法」と京大人文科学研究所 〜
2006年8月15日(火)  No.1094

バイクは最高!
 今日はバイクで棚経。

 いやぁー、バイクは快適。炎天下を走っていても、さほど汗もかきません。

 住職を乗せて車で回っている時の待ち時間は、まるで灼熱地獄のよう。それに比べたら、まるで楽です。

 でも、住職はタクシーに乗って回るのは嫌いですし、道を指示しなくても門付けできるボクの運転から替えようとは思ってもいないでしょう。もう、来年のことが頭によぎります。


 何軒も回るうちに、だんだんお腹が痛くなってきて、「ストッパー」を服用。それ以後、できる限りお茶・ジュースなどをご遠慮申し上げました。

 残すは明日のみ。こんなに雨の降らない、かんかん照りのお盆は、来年は勘弁して欲しいなぁ〜


 さくらの体調は、ほとんど元へ戻りました。でも、普通食まで、もう一日様子をみることにします。

 今朝も、高いところに吊ってあった金魚の餌の袋に、爪痕がついていました。

〜 1年ぶりに境内で蝉取りをする弟親子 〜
2006年8月14日(月)  No.1093

棚経、山を迎える
 棚経も今日が一つの山。朝7時から夕方5時半頃まで、市内をグルグル。お昼は車の中でコンビの弁当。

 さすがに疲れたぁ〜。

 住職も朝はテンポがよかったのですが、夕方になるにつれて、1軒の所要時間が長くなる一方。読んでいるお経は同じなのに、何しているのでしょう?

 あと2日、とにかくあと2日。


 さくらは、まだ本調子ではありません。かわいそうですが、食餌制限継続です。

 よほどダメージが大きかったのですねぇ。

〜 市内のマンション建設現場で行われていた発掘。何が出てくるの? 〜
2006年8月13日(日)  No.1092

さくら、窮して金魚の餌を食べる
 「きっと、さくらはお腹が空いてご飯を待っているだろうなぁ」と、朝一番に普段より少な目のご飯をあげました。でも、予想に反して、さくらは一口食べただけで残してしまいました。

 「おかしいなぁ・・・。食欲がないのかなぁ・・・」と心配になりましたが、部屋の中を見回してみると何だか大荒れ。

 獣医さんに行く時のキャリーケースに入れてあったタオルなどは、引きずり出されてクチャクチャ。きっと、「こんなケースにアタイを入れて、痛いことをするところに連れて行って!」と、腹がたったのでしょう。

 ・・・・・ 開封してないキャットフードの袋が真ん中から破れています。壁に吊ってあった金魚の餌の袋が落ちて、細かい餌が散乱!

 そして、上がり口の土間には、さくらの軟便が! (ご飯間近の方、申し訳ございません)

 ありゃぁー やられたぁー

 夕べ、ボクが爆睡している間に、さくらは食事制限の禁を破ってキャットフードや金魚の餌を食べ、また少しお腹を壊したのです。

 こんなに食べることに執着したさくらを見るのは初めて。飢えると、野生を発揮するのですね。


 夕方、ほんの少し夕立が降りましたが、すぐに乾ききってしまいました。

〜 早朝の公園の少年野球 〜

2006年8月12日(土)  No.1091

棚経中の更新はしんどい
 今日は朝、棚経に出て、途中お昼ご飯を食べにいったん戻り、また6時半頃まで棚経に回りました。

 帰ってすぐ、さくらを獣医さんに連れて行き、またもや注射2本。さくらは夕べからお腹を壊してしまったので、今度は下痢止めの注射です。

 すごく食欲があり、つい食べ過ぎてしまうのかも知れませんが、まだそれをうまく消化するほどには体調が回復していないのでしょう。

 獣医さん通いも3日目となり、さすがにさくらも不機嫌。普段出したことのないような威嚇の声をあげてながら、体中で怒りを表していました。

 今日は、「今日の散歩道」の定例更新日。お昼を食べに帰ったときに、15分程だけ写真を撮りましたが、結局使えるものはなし。昨日撮った写真で更新することにしましたが、昨日の写真もめぼしいものはなし。
 頭はもうろうとしていて、いつもなら冴え渡る?ギャグも、今日は不発。

 更新をし終えてアップしたら、いきなり「1日前の境内です」となってしまいました。

 それからお風呂に入り、久々に風呂上がりのビールを飲んで、ようやく就寝。

 さくらにはあまり食事を与えないように獣医さんに言われていたので、その通り制限したら、さくらは「ご飯が欲しいようぉー。お腹空いたよぉー」と鳴きっぱなし。

 気になりつつも、疲れとビールのお蔭で、即、寝入ってしまいました。ゴメンなぁ、さくら。

〜 空腹にもだえるさくら 〜
2006年8月11日(金)  No.1090

さくら、氷枕をアイス
 朝9時半から本堂で、真如堂塔頭合同の盂蘭盆施餓鬼大法要。お精霊迎えの法要が執り行われました。
 普段は涼しい本堂も、数百人の人いきれで蒸し暑く感じられました。

 世話方さんたちと昼食をとり、午後の棚経に出かけるにも、さくらが気がかりです。

 さくらは、まだボクのデスクの上からほとんど動かず、ご飯も水も上げ膳据え膳状態。
 2階にあるボクの部屋は午後からは特に暑くなるので、さくらを置いて出かけるのは心配です。

 せめて室温を下げないとさくらが消耗すると思い、エアコンをつけて涼しい状態に保ち、ボクは37℃超の熱波が押し寄せる外へ。「♪ 猫は炬燵で丸くなる」というのは聞いたことがありますが、「♪ 猫はエアコンで涼しくなる」ってか?

 ボクも、とにかく暑いの一言に尽きる外から帰って、さくらのお相伴で涼ませていただきました。

 熱があるときに氷枕をすれば気持ちいいのは猫とて同じだろうと思い、保冷剤をタオルに巻いて置いてあげたら、とても気に入ったようで、気持ちよさそうに頭をのせて寝ています。いっぱしの病猫です。

 獣医さんの夜診で診て貰うと、まだ熱があるとのことで、お尻に注射を2本。さくらは威嚇の声をあげているつもりですが、怒る声にも力がありません。
 今日も‘樋口一葉’さん、さようならぁー。明日もまたね!

 9時過ぎになって、久々に自力でボクの部屋から出てご飯を食べ、ボクのお風呂に付き合ってくれました。少し元気が出て来たみたいです。

 明日は朝から夕方まで棚経です。留守中が心配だなぁ。

〜 氷枕で気持ちよさそうに寝るさくら 〜
2006年8月10日(木)  No.1089

さくら伏す
 昨日の夕方、さくらが嘔吐を繰り返すようになりました。何回も吐いてようやく収まり、夜になって食欲が出て来たのかドライフードを食べ、普段通り・・・どこか落ち着かず、一ヶ所にじっとしていません。

 11時頃、ちょっと早いけれど寝ようと横になっていたら、またさくらの嘔吐が始まりました。吐いて喉が渇くので水を飲むとまたそれを吐いてしまうという繰り返しで、3時前頃まで、夕方からトータルすると20回以上になるでしょう。

 猫はよく吐くと聞きますが、今までさくらはほとんど吐いたことがありません。こちらもうろたえて、どうしていいかわかりません。食べた物が悪かったのか、暑気あたりか、夏風邪かといろいろ想像しますが、対処法がわかりません。

 さくらは気持ちが悪くて落ち着かない様子で、1階と2階を行ったり来たり、部屋中をウロウロ。階段、廊下、部屋、ところかまわず吐きそうな声がすると、ティシューと雑巾を持って現場に急ぐという繰り返し。

 水を飲んだらまた吐いてしまうのもわかっていましたが、脱水にならないかと心配で、飲むに任せました。でも、それが消耗を加速してしまったようです。

 ようやく3時前になって落ち着き、寝入ったのもわずかな時間。4時半頃からまた繰り返し、そのまま起きる時間を迎えてしまいました。

 9時、獣医さんが開くのを待って、洗濯用のメッシュの袋に入れて、すぐに連れて行きました。袋に入れていった方が、抑制しやすいし、治療もしやすいからと、獣医さんに教えて貰っていたのです。

 「熱がありますね。2日ほど前から本調子ではなかったでしょう? この暑さで消耗してしまったようですね。急に暑くなりましたから」と、獣医さんは言われました。

 「そうかぁ・・・。こちらも昼間は棚経に出ているし、ダラッとしているのも暑さのせいかと思っていたけど、調子が悪かったんだ・・・。食欲もあったし、ウンチやオシッコも普段通りだったんだけどなぁ・・・」と、もう一つピンときませんでしたが、獣医さんのおっしゃるには、「ここ数日、お寺のペットが多い」とのこと。忙しくなって、ペットに対する目が疎かになっていたのかも知れません。

 袋の上から筋肉注射を2本してもらい、2時間ほどは水も飲ませないようにとの指示を受けて帰りました。

 お昼前、水の解禁を待ちかねていたさくらは、「また吐かないかなぁ」というこちらの心配を他所に、大量の水を飲みました。そして、昨日からの消耗を取り戻すかのように、ボクのデスクの上でとにかく横になり続けました。

 それから夕方まで飲まず食わず。心配なので水を持ってきてあげるといっぱい飲み、ご飯を持ってきてやるとおかわりをしてまで食べました。このまま上げ膳据え膳が癖になったらどうしましょう。

 でも、やはり元気はありません。結局、今日はボクの部屋からほとんど出ず仕舞い。というより、デスクからほとんど降りることがありませんでした。目にも力がなく、あまり声もあげません。かわいそうです。

 今晩はゆっくり寝ようね。さくら、早く元気になってね。

〜 デスクを占領して寝るさくら 〜
2006年8月9日(水)  No.1088

レモン・トマト
 数年前、モリアオガエルの産卵用に‘池(水たまり)’を作るのに併せて2畳分ほどの荒れ地を畑にしました。

 わずかな場所ですが、そこに植えたトマトが食卓をカラフルにしてくれています。

 ミニトマトは毎日収穫できますし、今年初めて作ったフルーツトマトも、まずまずの収穫。イタリアントマトは、収穫なし。やはり、今年初めて作ったレモントマトを、今日初めて収穫しました。

 鮮やかな黄色で、レモンを少し小さくしたような細長い楕円形。切ってみると、ヌルヌルしたゼリーと種の部分が少し少な目。さっぱりとした味で、酸っぱくはありませんでした。

 暑くて食欲が落ちる頃(ボクは落ちませんが)、視覚的にも楽しめるトマトは有り難い野菜です。


 寝る前にトマトジュース+酢を飲み出してから、約1ヶ月半になります。酢ももう2瓶目。

 ボクにはかなりの「深睡眠」効果がありますが、ボクの薦めに応じて試してみた方には、「濃い夢を見た」「効果はなかった」という人もおられます。

 ただ、夜中もこう暑いと、熟睡効果も半減。今日は立秋、日一日と涼しくなってくれることを願います。

〜 畑で出来たトマトたち 〜
2006年8月8日(火)  No.1087

脳の指令が体に届かず
 最高気温が36度を超えた日が4日続きました。頭の芯の温度が高いような感じで、何だかボケーッとしています。

 朝一番に、本堂で真如堂の近くの家々「在所」の施餓鬼法要がありました。

 真如堂の塔頭は8ヵ寺ありますが、「在所」を檀家に持つのは4ヵ寺だけ。法要は、広い本堂で、4ヵ寺5人の僧侶で行われます。

 少ない僧侶で執行するための細かい打ち合わせをして法要に臨んだのですが、いま打ち合わせたばかりのことが所作に反映されず、通常の法要の動作が無意識に出てきてしまいます。どうも、頭と体の線が繋がっていないようです。

 今日は山科近辺を回りましたが、山科というのは日陰の少ない街だなぁと、毎年思います。緑が少ないのかも知れません。写真になるような光景もありません。

 運転をしていても眠たくて仕方がありませんでしたが、いっそう注意して回り終えました。

 いったん帰って、車とバイクにガソリンを入れに2往復ガソリンスタンドに行き、タイヤの空気圧も点検。生涯2回目の洗車もしておきました。これで、また明日からの準備もOK!

 あー、雨乞いがしたい。

〜 自室から見た夕焼け 〜

2006年8月7日(月)  No.1086

38度にぼやく
 朝一番に掃除をしていたら、土のかたまりが参道の何か所かに落ちていました。

 普通そんなことはありませんから、すぐに「またやられた!」と直感し、何か所かを見て回って自坊の前に戻った時、「あっ、やっぱり・・・」と紫陽花が盗られているのを見つけました。

 盗られたのは比較的大きな苗で、持って歩くにはかなり重たいと思います。犯人は男性か?

 棚経の道すがら、苗木泥棒を捕まえる方策をいろいろ考えました。1.苗木にセンサーを付けておいて、抜いて持ち去ろうとしたら警報が鳴るようにする。 2.苗木に近付いた人を自動的に静止画で撮るようにする。

 境内にゴミを捨てていく人は、塔頭の住職が夜に巡回をして、目星を付けたようです。女性のようなので、苗木泥棒とは別人かも知れません。

 このまま苗木の盗難を繰り返されては、何も植えることができません。盗られるままにしておくわけにはいきませんので、お盆が明けたら作戦実行です。


 政局はもっぱら自民党の総裁選ですが、もっとも総裁に近い人が、最近やたらに「再チャレンジ」という政策をアピールしています。

 仮にその人が総裁になっても、現政権の模倣か、現総裁の傀儡政権となってしまうようで、ボクはまったく期待しません。まぁ、誰がなられても期待はしませんが・・・。

 「多様な機会が与えられ、何度でも再挑戦が可能となる仕組みを作っていくこと」が「再チャレンジ」ということのようですが、結局負け組が敗者復活で勝ち組を目指すということであって、「勝ち組指向」の単一価値観の政策に他ならないし、現政権の「格差が広がった」という批判をかわすだけのものなのでしょう。これで格差の再生産の連鎖が止められるとは思えません。

 七光りで挫折も苦労もせずに議員になった2世・3世議員らしい、人を上から眺めたような発想だと思います。

 総裁選のトップを走る人に金魚の糞のように付いていく議員たちも、結局、「どう動いておいたら、後々自分に有利になるか」ということしか眼中にないようで、「政治は三流」と諸外国から揶揄されるのも当然。

 芯のある人物がなかなかいないという点では、政治家も坊さんも同じですねぇ。あー、情けない。

 暑いから、ついぼやいてしまいました。

〜 稲は暑さを嬉しかろう、いいねぇー 〜
2006年8月6日(日)  No.1085

体温より暑く
 今日の最高気温は36.8度。体温以上でした。

 今日は住職を車に乗せて、宇治、伏見方面に棚経。

 僧衣を着ている住職も暑いですが、作務衣で運転手しているボクも暑ぢ〜い。

 住職が拝んでいる間、ボクはたいてい車の中で待っています。「中へ入ってお休みください」と言ってくださるお家も多いのですが、車から離れられないことも多く、それほど長時間でもないので、ほとんどは外で待たせていただきます。

 住宅街などで停車している間は騒音を出さないようにエンジンを止めますが、エアコンの効かない車内など、熱くっていられるものではありません。

 できるだけ日陰を見つけて車を駐め、窓を全開にして、それでも暑いので、車を放棄して、近くの日陰に団扇片手に逃げ込みます。

 お昼前後は太陽が真上にあって影も小さく、涼しいようなところはほとんどありません。次第に頭が朦朧としてきます。

 止まってばかりなので、熱せられた車内の温度が下がってエアコンが効いてくる頃には、もう次のお家に着いてしまいます。


 ボクがコーラを飲むのは、1年に1回、この棚経の時期だけ。普段は炭酸飲料よりビールですから。ボクにとって、コーラは棚経の味です。


 普段暑いと思っていた自室ですが、帰って入ると、何だか別天地。「こんなに涼しいのかぁ・・・」と、妙に感動しました。車の中って、いったい何度あるのでしょう。

 頭が汗疹だらけで、剃り難くかったです。

 思考がストップして、文章になりません・・・・。

〜 ビリヤード屋さんの檀家さんで 〜
2006年8月5日(土)  No.1084

さくらの行水
 今夏最高気温を記録した今日、久々にさくらのシャンプーをしました。

 さくらはシャンプーが大嫌い。今までに、嫌がって暴れてTシャツを破られたり、ひっかき傷を負わされたりしたことがありました。

 今日は、今まで洗面台でやっていたのを浴室に替え、さくらと入って戸を閉めて、いざ決戦!

 もちろん少しは暴れたりもしましたが、案外順調に終えることができました。毎日、ボクとお風呂に入って、場所と水に少し慣れていたのが効を奏したのかも知れません。

 さくらは消耗したのか、その後はいつにも増して爆睡し続けていました。


 庭にビニールのプールでも置いて、ボクも行水でもしたいなぁ。ビーチパラソル立て、サングラスかけて、そこでしばらく寝ているのも気持ちよさそう。

 水に入って頭の芯までクールダウンさせないと、ボーッとして気が遠くなってしまうような日でした。

〜 自分で乾かそうと日向ぼっこ 〜
2006年8月4日(金)  No.1083

西へ東へ
 朝9時前に、有馬温泉の近くの檀家宅に盂蘭盆の棚経に伺い、読経やいろいろな話を小一時間した後、せっかく近くまで来たのだからと温泉街に向かいました。

 有馬温泉は、思ったよりたくさんの人が散策して賑わっていました。若い女性たちも結構多いのですが、神戸観光を兼ねているのでしょう。

 僧衣姿で温泉に行くわけにはいかないので、駐車場に駐めた車中で服に着替え、持参した‘温泉セット’を持って、公衆浴場に向かいました。

 「金の湯」は強塩泉で、鉄分が酸化して赤茶色に濁っているお湯。有馬といえば、まずこの金泉でしょう。

 浴場の中もわりと混んでいて、ハングルが飛び交っています。そういえば、ロビーでもハングルの会話が賑やかでした。韓国人のツアーでしょうか。最近、いろいろな温泉で、ハングルや中国語をよく聞きます。

 赤茶色のお湯はいかにも‘温泉’という風情なのですが、カルキ臭くていけません。去年もやはりそう感じました。
 また、韓国人のツアー客たちが湯船の縁に下半身をあらわにして座っていて、目のやり場に困りました。

 ・・・ イマイチでした。


 コンビニでおにぎりを買い、車中で食べながら来た道を戻り、京都を通り越してさらに東へ。今度は大津・雄琴温泉。といっても、また温泉に入るわけではなく、忌明けのお勤め。

 車中で服から僧衣に着替えて威儀を正し、お勤めをさせていただきました。


 夜遅くなってから、数日前の電話で遠来の高校の先輩から誘われていた祇園のお茶屋に、炭酸煎餅片手に行きました。
 2年前に亡くなった女将の追想集を5月に頂戴したままで気になっていました。

 お店はお嬢さんが継がれ、昔の雰囲気のまま。東京資本に荒らされつつあるという祇園界隈ですが、とりとめのない普段話に、お盆の慌ただしさに入り込みつつある自分を忘れそうでした。


 車から陽炎が沸き立つような暑い日でした。

〜 有馬温泉の路地 〜
2006年8月3日(木)  No.1082

空気清浄機の新しい使い方
 自室で防虫剤のスプレーしたりすると、すぐに空気清浄機が急速運転します。

 煙草も吸わないので、今まで空気清浄機など使ったことなく、「へぇー、本当に動くんだぁ」と新鮮な驚きでした。

 かゆみ止めにキンカンを塗った時も、「ブワァーー」と急速運転。音が結構うるさいので、それ以来、離れて塗るようにしました。

 ある時、いきなり動き出したので、何だろうとよくよく考えてみたら、ボクの放屁でした。

 「そんなものでも反応するのか・・・・」と、妙な感動。

 それから面白くなって、放屁をしたくなるとできるだけ空気清浄機の前でするようにしたのですが、時にはまったく反応しない時があるのです。

 有毒なガスが多く含まれている時は急速運転、さほどでもない時は無反応なのでしょうか?
 ビフィズス菌製剤を飲み出してから、反応することがなくなったような気もします。

 なるほどぉー。こんな形で体調や薬の効果を測定できるとは。空気清浄機の新しい使い方発見です!

 お下品でゴメンチャイ。
 

 それにしても、今日のボクシングのタイトルマッチの判定はクサかった。

〜 さくらの毛には効果なしの空気清浄機 〜
2006年8月2日(水)  No.1081

土用干し
 先日来、梅干しを干してしまいたくて、うずうずしていました。

 今日も‘カァーッと晴れた’とは言いにくいお天気ですが、皮膚感覚的に、「もう、いいだろう」と思える‘空気’になったので、干すことにしました。

 4月、湖北に桜を見に行った帰りに買い求めた、梅干しの土用干し用の平たい竹ざるを用意し、梅酒用の瓶の中から真っ赤に染まった梅干しを一つ一つ箸で摘んで並べました。

 例年は、梅干し用の瓶を使って重石をして漬けるのですが、今年は間違って買った梅酒用の瓶を使いました。それが結果的には大正解!

 漬けてしばらくすると自然に梅酢が上がってきたので、重石をする必要がなく、梅の実が破れるのも少なくてすみました。また、減塩漬けをすると、毎年カビに悩まされるのですが、一度もカビの心配をすることがありませんでした。
 梅酒用の瓶は中蓋もあって密閉性が高いのが幸いしたのではないかと思います。

 一つ一つ並べていると、生唾がどんどん湧いてきます。落語のネタのように、それだけで、おかずもなしに御飯が食べられそうです。

 今日は夕立も来ず、安心して干せました。あと2、3日干せば完成。今年、梅は不作でしたが、梅干しはまずまずの出来です。

〜 鮮やかに発色した梅干し 〜
2006年8月1日(火)  No.1080

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