去年の秋から寿命が近いと思っていたもみじの木の若葉が、萎れてきました。
二股に分かれた主幹の片方は冬のうちに切り落とし、もう片方での再生を願っていましたが、枝の半分は芽吹かず、せっかく出てきたもう若葉も、とうとう落ち始めてしまいました。
樹齢60〜70年、いや、もっと古い木でしょうか。ボクが子供の頃から、今とあまり変わらない姿をしていたと思います。
ここまで枯れてはもう仕方がありません。チェーンソーの刃を新しいものと替えて、伐採にかかりました。
まずは、地面から1メートル50センチほどの、残っていた二股の片割れにチェーンソーを入れました。 新しい刃は、幹に吸い込まれるように入っていきます。「もっと抵抗すればいいのに。せっかく長い間生きてきたんだから」と、その従順さが悲しい・・・。
あっという間に切れてしまった直径20センチほどの幹をさらに細かく切り、いよいよ地面スレスレの、直径30センチほどの古びた幹に刃を当てました。
倒したい方向を先ず切り、反対側からまた切って、グラッと来たところでチェーンソーを置いて、最後は体で支えながらゆっくりと地面に倒しました。せめてもの、木への敬意です。
幹の真ん中は空洞になっているだろうと予想していましたが、かろうじて木質が残っていました。ただ、直径30センチほどもある木なのに、生き残って水を吸い上げていたのは、表皮近くのごく一部、幅10センチ、厚さ2センチほどだけでした。 「こんなわずかな部分で何とか命を永らえ、若葉を出していたのか・・・」と、その部分を撫でた後、掌を合わしました。
薪にしやすい長さに細かく切り、さらに真ん中が虚になってドーナツ状と化した部分を2センチほどの厚さに切って、鍋敷きを作りました。また、虚になった部分に土を入れて野の花でも植えるべく、もみじの“植木鉢”を一つ、切り株で花台を一つ作りました。 これで、この木が生きてきたことが形を変えて残ります。
枯れる日を予測して、今冬、この木の側に植えておいた幼木を、切り株のすぐ側に植え替えました。境内で見つけた実生を育てた、まだ直径1センチほどのもみじです。
古木を切り、幼木を植えるまで、わずか1時間余り。今まで張っていた枝がなくなり、その場所には大きな穴が開いたような、空気が薄くなったような気配が漂っていました。
毎日通りかかる散歩の翁に、「あ、切らはったんですか?」と言われ、「もうダメだったんです、去年から枯れかけていて・・・」などと、弁明をしました。「助けてあげられなかったのですか?」と言われているようで、なぜかうしろめたかったのです。
何十年か先、ボクの植えたこの幼木が緑陰を作ってくれるでしょう。「あの木もボクが植えた」「これもそうだ」。そんな木が増えてきました。
〜 真ん中が切り株。その手前に幼木 〜
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2006年5月31日(水)
No.1018
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