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2006年5月の日記

もみじの精
 去年の秋から寿命が近いと思っていたもみじの木の若葉が、萎れてきました。

 二股に分かれた主幹の片方は冬のうちに切り落とし、もう片方での再生を願っていましたが、枝の半分は芽吹かず、せっかく出てきたもう若葉も、とうとう落ち始めてしまいました。

 樹齢60〜70年、いや、もっと古い木でしょうか。ボクが子供の頃から、今とあまり変わらない姿をしていたと思います。

 ここまで枯れてはもう仕方がありません。チェーンソーの刃を新しいものと替えて、伐採にかかりました。

 まずは、地面から1メートル50センチほどの、残っていた二股の片割れにチェーンソーを入れました。
 新しい刃は、幹に吸い込まれるように入っていきます。「もっと抵抗すればいいのに。せっかく長い間生きてきたんだから」と、その従順さが悲しい・・・。

 あっという間に切れてしまった直径20センチほどの幹をさらに細かく切り、いよいよ地面スレスレの、直径30センチほどの古びた幹に刃を当てました。

 倒したい方向を先ず切り、反対側からまた切って、グラッと来たところでチェーンソーを置いて、最後は体で支えながらゆっくりと地面に倒しました。せめてもの、木への敬意です。

 幹の真ん中は空洞になっているだろうと予想していましたが、かろうじて木質が残っていました。ただ、直径30センチほどもある木なのに、生き残って水を吸い上げていたのは、表皮近くのごく一部、幅10センチ、厚さ2センチほどだけでした。
 「こんなわずかな部分で何とか命を永らえ、若葉を出していたのか・・・」と、その部分を撫でた後、掌を合わしました。

 薪にしやすい長さに細かく切り、さらに真ん中が虚になってドーナツ状と化した部分を2センチほどの厚さに切って、鍋敷きを作りました。また、虚になった部分に土を入れて野の花でも植えるべく、もみじの“植木鉢”を一つ、切り株で花台を一つ作りました。
 これで、この木が生きてきたことが形を変えて残ります。

 枯れる日を予測して、今冬、この木の側に植えておいた幼木を、切り株のすぐ側に植え替えました。境内で見つけた実生を育てた、まだ直径1センチほどのもみじです。

 古木を切り、幼木を植えるまで、わずか1時間余り。今まで張っていた枝がなくなり、その場所には大きな穴が開いたような、空気が薄くなったような気配が漂っていました。

 毎日通りかかる散歩の翁に、「あ、切らはったんですか?」と言われ、「もうダメだったんです、去年から枯れかけていて・・・」などと、弁明をしました。「助けてあげられなかったのですか?」と言われているようで、なぜかうしろめたかったのです。

 何十年か先、ボクの植えたこの幼木が緑陰を作ってくれるでしょう。「あの木もボクが植えた」「これもそうだ」。そんな木が増えてきました。

〜 真ん中が切り株。その手前に幼木 〜
2006年5月31日(水)  No.1018

ビフィズス菌に期待
 「大絵巻展」の招待券が回ってきましたので、行きました。

 博物館のゲートをくぐると、会場の前にテントの屋根が続いていて、その下には行列が続いていました。その末尾について待つこと20分、ようやく中に入りましたが、『源氏物語絵巻』『鳥獣戯画』を見るための行列が入り口から続き、それらの前に行くまでに30分ほどかかるとか。

 自由に観覧したい人は列に並ばないようにという係員の誘導にしたがい、まだ混雑がマシなところを見て回りました。でも、ほとんどの方は、並んでおられました。

 中程の部屋に『源氏物語絵巻』『鳥獣戯画』などが展示してあり、それをチラッと見て、次の部屋に。次の部屋は不思議なほど空いていました。みんな帰ってしまったの?

 『真如堂縁起絵巻』を見て、あとは流してみただけ。入ってから20分弱で出てしまいました。

 それから1時間ほど、平常展示を観賞。『最澄と天台の国宝展』以来ですが、こちらはゆっくり静かに見られて、ようやく“観賞した”という気分に浸りました。ただ、ここでも修学旅行生はうるさかった・・・。


 フレンチ対策に、ビフィズス菌のサプリを飲み始めました。

 「ひょっとして、ボクは腸年齢が高く、腸の中は悪玉菌優勢の状態になっているのではないかな」と思い、昨日、買い求めたのです。

 “胃酸に弱くデリケートなビフィズス菌を腸溶性マイクロカプセルで包み込み、約99%を生きたまま腸まで届けます”というのですから、期待大! (「期待し過ぎたらあかん」「体質はそう簡単に変わらへん」ってか)

 うまくいけば、ボクのほうから「じゃぁ、フレンチ食べに行きましょうか!」と誘えるようになるかも知れません。

〜 地味だけれど、よく見ると可愛いカナメモチの花 〜
2006年5月30日(火)  No.1017

成果ありやなしや
 爽やかなお天気。今日は1日植木屋三昧で、心地よい汗をかきました。

 主につつじの刈り込みをして、「日当を貰ってもいいんじゃない?」と思うほど、目に見えた成果がありました。
 刈り込みや草刈りは、やる前とやった後の見栄えが違います。達成感のある作業です。

 それにくらべて、原稿書きの進まないこと。
 朝一番に電話があり、来週、「布教」というテーマで話す予定の内容を、4年前に別のところで発表したものにして欲しいとか。

 「何でもええと聞いてますよ。今さらそんな・・・・」 

 「布教とメディア」というような内容の話をしようと思って、ほぼ原稿も出来上がっていたのに。4年間の話・・・ そんな古ぼけたことを話せというの?

 そもそも、この依頼。主催者からの詳しい説明は何もなし。ずいぶん前に電話で依頼があり、その後音沙汰がないと思っていたら、人から「今度、しゃべるんやなぁ」と言われてビックリ。先に案内状が回っていて、そこにボクの名前が載っていたのです。

 しょうがない、今は中断している病院での法話などの活動について、過去のことを掘り起こして話すしか仕方がありません。

 刈り込みは進みましたが、そんな話の原稿は一向に進みませんでした。

〜 大つつじもサッパリ刈り込み! 〜
2006年5月29日(月)  No.1016

中抜き繁く
 最近、住職はお経を中抜きすることが、以前にも増して多くなりました。

 お参りの方が少ない年回法要などの場合、参列者の焼香が短時間で終わってしまいますので、読経のも中抜きをして、早く終わらせようとするのです。

 省略するのが狙いではなく、長い法要は嫌がられる、段取りよく法要や墓参を済ませることに主眼を置いているようで、法要後に檀家の方がどうやって移動されるか、タクシーの心配までしています。余計なお世話やというに。

 とにかく、年々イラチになっていきます。

 今日も飛ばしました。「そんなに急いでどうするの。飛ばしたからといって、2分もかからへんやん。ったくもう!!」とブツブツ。

 でも、参列者の焼香が意外に時間がかかったため、結局、いろいろなお経を繰り返して法要を延ばし、普段よりも長くなりました。

 「ほら、みてみいなぁ。飛ばしたってあかんやろな。何でそんなにガサガサ、イラチなんや」と、ボクはしたり顔。

 聞くところによると、先代も短気で、住職は先代のことを「短気だった。ちょっとぐずぐずしていたら怒られた」とたまに語ります。「人のこと言ってられんやろが」と、ボクは思います。

 住職が急ぐ気配を見せるとき、ボクはわざと木魚をゆっくり叩いてみたり、鉦を長目に打ってみたりします。
 お経を唱えるイニシアチブは導師たる住職にありますが、それに緩急をつけたり、時間の長短を差配するのは、木魚・鉦・打ち鳴らしなどの鳴り物を一手に引き受けているボクにあります。シメシメ。

 歳を取ると、みんなあんな風にイラチになっていくのでしょうか。ボクも、次の代に「イラチだ」と言われ、木魚をゆっくり叩かれたり、イケズをされるのでしょうか。

〜 到来物の「夏柑糖」。美味なり。 〜

2006年5月28日(日)  No.1015

フレンチの予感
 4〜5日前から、とあることで難儀していました。

 坊さん仲間の会‘バカボン’の会員総会をしなければいけないのですが、その会場・懇親会場となる場所がなかなか見つからなかったのです。

 出席者は12〜13名。みんな作務衣とかで来るので、個室で気兼ねなくやりたい。禁煙はダメ。あまり高いのも×。もちろん不味いのはブーイング。

 その上に、糖尿病にかかったメンバーがいて、生野菜をたっぷり食べたいという希望。「和食は野菜が必ず調理されているので、洋食がいい。サラダをドレッシングをかけずに食べたい」と。
 終了後、みんなで‘COCON KARASUMA’に行く予定なので、場所は四条烏丸付近に限定。

 つまり、四条烏丸近辺のフレンチかイタリアン。個室があって、禁煙とかではない。堅苦しい雰囲気ではなく、和気藹々と飲み食いできる店。そんな店、簡単にはない!!

 しかも、オリーブオイル禍の後遺症に苦しみながらも、フレンチやイタリアンの店を探さなければいけないという窮状。ネットでフレンチの写真を見るだけで、恐怖が蘇ってきます。

 やっと、「ここだ!」という店を見つけたのに、「閉店しました」「6月に閉店します」という店が3軒! 浮き沈みの激しい業界なのですね。

 ようやく、1日1組限定で、8〜20人の貸し切りパーティーができるというビストロの支店を見つけて即電話。感じのいい、いろいろ相談できそうなご主人で、「それなら、本店の2階を貸し切りのようにしていただけば」と決定。メニューも、ご主人おススメの「スペシャルコース」決めました。

 すぐに、メンバーにFAXとメールで連絡。ふぅー、これで数日来、気になっていたことが解決。やれやれ。

 でも、フレンチこわいなぁ。欠席しようかなぁ・・・。

〜 ソファの包装用緩衝材の上で寝返りするさくら 〜
2006年5月27日(土)  No.1014

どんどん増える迷惑メール
 毎日来るわ来るわ屑メール。1日150通は下らないでしょう。日本語・英語・中国語、なんでもあります。

 セキュリティーソフトの迷惑メール・フィルターが、大半は処理してくれますが、敵もさるもの、それをくぐり抜けてくるものもあります。後は別の迷惑メール対策ソフトを使って削除するものの、最終的には手動で消すしかありません。
 いろいろな予防策・善後策を取っても、来るものはしかたありません。結局は、イタチごっこです。

 迷惑メールが嫌だからメールは使わないという方もおられますが、メールのメリット・デメリットを考えると、使わないということはもはや考えられません。事故が怖いから車は運転しないというのと同じようなものです。「はい、ご苦労さま」と、腹も立てず、淡々と消すのみです。

 ただ、たまに大事なメールがフィルターに引っかかって迷惑メール扱いされることもあるので、結局、[削除済み]フォルダーも見なければいけません。まぁ、仕方がありませんね。


 雨の日は、写真を撮るには一苦労。カメラを拭くタオルを腰に下げて、境内をブラブラ。
 樋から落ちる雨音が境内の静寂の中、ひときわ大きく聞こえます。雨の日も大好きです。

〜 雨に濡れるウチワカエデの若葉 〜
2006年5月26日(金)  No.1013

フレンチ、コワイ
 月参りの続きに、例によって鷹峯のお寺のパソサポ。

 新しいパソコンのセットアップ、無線親機のセットなどなど、4時間かけてある程度、環境が整いました。
 あと1回伺えばほぼ完成します。完成した尻から、またトラブル発生だろうなぁ・・・。


 友人たちとフレンチを食べに行きました。

 ‘フレンチ’‘イタリアン’、コワイ響きです。というのも、それを食べると必ずお腹を壊すのです。
 きっと、オリーブオイルが災いしているのです。なんでも、古くからギリシヤではオリーブオイルはヒマシ油と並んで下剤として使われているとか。やっぱり・・・。

 食べながらも、今日は「大丈夫だろうか・・・」という不安が消えることはありませんでした。

 その不安は的中。2次会の途中から少しお腹の様子に変化が現れ、散会後、急にお腹が差し込んできました。急いで、近くにあった地下鉄のトイレに駆け込んで急場を凌ぎましたが、どうもスッキリしません。

 「ここからタクシーで帰ると、途中でまたお腹が痛くなると大変だなぁ」と思い、2、3分ごとにトイレ(駅)がある地下鉄に乗って最寄り駅まで辿り着きました。
 様子を伺いながらタクシーへ。運転手に危うく永観堂に連れて行かれそうになりながら、何とか自坊に帰り着きました。

 帰った安心感からか、何度かトイレに行き、夜1時頃にはようやく一段落しました。


 フレンチやイタリアンを食べる度に、こういう事態を覚悟し、あらゆるケースを想定して善後策を講じておかなければなりません。だから、‘コワイ’のです。

 来月も、フレンチ予定あり。それを考えるだけで、お腹が痛くなってきます。

〜 黒谷に咲いていた花 〜
2006年5月25日(木)  No.1012

森はうつくしい
 植物園に行きました。

 薔薇や芍薬が満開。小学校や幼稚園の遠足などで、園内は結構にぎわっていました。

 花の回りには、柵を乗り越えて写真を撮るカメラ翁が必ずいます。せっかくの花も、ちょっと・・・。

 人のほとんどいない生態林や樹の茂みは静かで、歩くに連れていろいろな匂いが漂ってきて、実に爽快です。ボクは、注目を浴びる満開の花々より、常緑といいながら四季折々の変化を見せてくれる森が好きです。

 お昼になったので、園内の食堂に入りました。6人ほど待ってやっと座り、海老フライカレーを頼みました。もちろんレトルトで、量も少なく、味もイマイチ。競争のないところの食べ物屋さんはダメですねぇ。


 2時頃から例によって植木屋仕事。かなり汗をかいたのでシャワーをし、晩酌をしてちょっと横になったらすっかり寝入ってしまい、起きたら9時。大失敗。

 いつもこういう時って、後悔するのです。「お酒を呑まなかったら、寝てなかったのに・・・いろいろ仕事が出来たのに・・・」って。週に1、2回はそう反省するのですが、いまだに直りません。直す気もないのでしょう。

〜 若葉が美しい大樹 〜
2006年5月24日(水)  No.1011

原稿進まず
 また雨。前日より予想していたので、午後からは原稿作りをしました。

 来月、数十名の僧侶を前に、「布教」というテーマで15分間の短い発表をすることになってしまいました。

 何をしゃべろうかと考えた末、天台宗のそういう場では今まで誰も取り上げたことのないインターネットを使った布教をテーマにすることにしました。

 しかし、インターネットを使ったことがないような人が、おそらく半分以上。老僧がたにはインターネット自体を説明しないとわからないでしょうが、説明したとしても理解していただけできないでしょう。

 「ホームページなど作って、何の役に立つ?」という意見が大勢で、「発信し続けることに意味がある」などと主張しても、「それで檀家が増えるのか? 収入があがるのか?」などと言われるのが落ちでしょう。
 何事につけ、「今現在、お寺が成り立っていれば、何も新しいことをしなくてもいいじゃないか」という雰囲気が支配しています。

 15分なんて、原稿用紙3〜4枚。ほんのとっかかりしか話すことが出来ないような時間ですが、その会での発表はボクともう一人だけ。あとは講演を聞いて、懇親会をして泊まり、近くのお寺に参拝してそれでお仕舞い。
 もう少し本当に勉強になるような企画にできないものかと、落胆します。

 いろいろ考えていると原稿用紙3〜4枚さえ書けず、ギブアップしました。「まだ日があるし・・・」と高をくくっている自分が、直前にあわてふためいているのが目に浮かぶようです。

〜 雨のため、昼でも暗い庭 〜
2006年5月23日(火)  No.1010

蒸し暑い日
 今日はバイクで走るには気持のいい天気。午前中、衣を帆のようにはらませて、快走しました!

 午後は庭師。蒸し暑く、ちょっと動くと汗がダラダラ流れてきます。体の重さを感じました。

 ミニ農園に、水菜と二十日大根の種を蒔きました。昨秋にも蒔いたのですが、結局収穫できるほどのものは出来ず、春になって花が咲き、ようやくそれも終わりかけていました。
 今度は美味しい野菜が収穫できるでしょうか?

 ここ1ヶ月、これから1ヶ月は日照不足だとか。害虫や病気も心配です。最近、気候の振幅幅が大きいように感じられます。「平年並」の有り難さを感じます。

 早咲きの紫陽花が咲き出しました。まるで梅雨のようなお天気ですから、無理もないのですが、せめてツツジが完全に終わってから咲いて欲しい気がします。理由は上手く説明できませんが・・・。

〜 夕刻の早咲き紫陽花 〜
2006年5月22日(月)  No.1009

しっかりお坊さん
 絶好の五月晴れ。

 人の出も多いようで、東大路通は、修学旅行の大型バスなどの影響もあってでしょう、五条を先頭に南北とも渋滞。博物館前では、駐車場に入ろうとする車が列をなしていました。

 先日来、車の中も湿っていると思い、窓を大きく開けて走ると、薫風ならぬ少し暑い風が入ってきまました。

 今日は寺務が忙しく、自坊、墓所、他の寺、檀家宅を転々としながら読経、衣もいろいろ着替えたり、車に乗ったりバイクに乗り換えたりと、夕刻まで慌ただしく過ごしました。

 珍しく、しっかり‘お坊さん’をした1日でした。

〜 晴れた日は新緑も一段と映えます 〜
2006年5月21日(日)  No.1008

また、もう1台
 午前中はいつ雨が降ってもおかしくないような曇り空。午後は一転してカッと晴れましたが、空のどこかに黒雲が残ったままでした。

 新緑の美しい鴨街道を通って、鷹峯のお寺に修復作業の済んだノートPCを持参し、ファイルサーバーを増設したり、プリンタの設定や他のPCの修復を併せてしました。

 いままでワープロ専用機を使っていた住職が、「メールなどが利用できなくて、いろいろ困ることがあるので、ボクにもノートPCを買って欲しい」と言い出されました。
 「新品を買っても、どうせ使い切れなくて勿体ないから、直ってきたのを使えば」と進言したのですが、「いや、やっぱり新しいのがいい。メールが出来て、文章が打てる機械で、そこそこのを買って欲しい。あ、それからワープロの文章をパソコンで使えるようにしたい」とのこと。

 本当に、本当におやりになりますか?

 帰って、‘そこそこ’のノートPCと無線LAN機器を手配。メールのアドレスもないので、この際とばかりに独自ドメインを取得する手続きをしました。

 準備は万端。後はご本人次第ですよ!

〜 去年買ったオダマキが綺麗に咲きました 〜
2006年5月20日(土)  No.1007

桐の花
 今日から住職は千葉・茂原〜さいたまにプライベート出張。明日は従兄弟の子の結婚式。ボクも行きたかったなぁ。

 その分の仕事が回ってくるだろうと覚悟していましたが、とりあえず今日・明日は大丈夫。今日は雨ということもあり、来客もほとんどなく、ひっそりしていました。

 今日は更新日。先週の更新で“ドライ・ハート”を反省して心持ちを改めた甲斐あって、今日は気分も楽。

 真如堂と道一本隔てて隣り合う黒谷の塔頭に、10日ほど前から桐の花が咲いています。

 奈良旅行に行ったとき、山里などに淡紫の桐の花が咲いているのに何度も出会い、その度に「あっ、桐だ」と声を上げていました。遠目に見る桐の花が好きです。

 更新の合間に、修理から戻ってきた預かり物のノートPCのセットアップをしました。相当手間と時間のかかる作業。
 ノートPCと自分のPCの間を何十回も行き来しながら、更新作業を終えました。

〜 ベルをたくさん付けたような桐の花 〜
2006年5月19日(金)  No.1006

低調な1日
 小旅行の疲れや筋肉痛が出て、今日は低調。ちょっと遊びすぎたかなぁ。でも、充実した旅行でした。

 山の荷物や洗濯物は、まだ車に積んだまま。臭くならないうちに降ろして整理しないととは思うのですが、やる気になれません。

 細かい事務作業などをしたり、放置していた要返信の郵便物などを処理したりしながら、時間が過ぎていきました。

 一昨日・昨日と同じ24時間を過ごしながら、充実度は雲泥の差。「一昨日なら、もう大台ヶ原を1周して、お風呂に入っていたなぁ」などと比較してしまいます。

 一昨日・昨日はむしろ特異な時間で、毎日がそれほどにも充実することは不可能。コツコツと積み重ねる‘平凡な日の連続’にこそ真価が問われると思いつつ、夜になって、「今日は何をしたのかなぁ・・・」と考えると、愕然としてしまいます。

〜 箪笥の上から仕事ぶりを監視するさくら 〜
2006年5月18日(木)  No.1005

明日香、そして斑鳩へ
 朝寝坊して、夕べ買ったパンや温泉玉子などで朝食を済ませ、明日香に着いたのは10時前。すっかり雨です。

 石舞台の近くに行ってみましたが、駐車代を取られる上に、公園に入る料金も要りそうなのでヤメ〜。

 橘寺は高校の後輩が副住職をしているのでエスケープして、岡寺へ。やはり、門前の茶店で駐車料金を取られました。

 昨日もそうですが、奈良はどこへ行っても駐車料金を取られます。地元振興策なのでしょうか? 行く先々で、500円、600円は堪えます。

 岡寺(龍蓋寺)は西国33ヶ所観音霊場の第7番札所。昨日の第8番長谷寺の末寺で、御本尊は、奈良時代末の如意輪観音座像。やはり、その長谷観音さま、東大寺の大仏さまと共に、「日本三大仏」にあげられている、4.85メートルの大きな仏さまです。

 この「日本三○○」とかいうのは、誰が決めるのでしょうか? 岡寺よりも、もっと大きい仏さまはいくらでもおられるのに・・・大きければ有り難いというわけでもありませんが。


 竹藪の中の「酒舟石」を見て、飛鳥寺に向かいました。また、駐車場代を払うのはシャクなので、飛鳥寺研修会館というところに車を置いて、雨の中、300メートルを歩きました。その間、靴は浸水し、靴下は濡れてしまいましたが、寺の前に着いて見たところ、飛鳥寺の駐車場には監視人はいなくて、駐車料金は自主申告。「しまった・・・ まぁ、歩かないと味わえない景色もあったし」と強がり。

 飛鳥大仏の前は、修学旅行生でいっぱい。寺の人が、繰り返し説明をしていました。
 歴史的な存在でもある、目前の飛鳥大仏。物部守屋と蘇我馬子の仏教受け入れ論争は戦にまでなり、やがて馬子が勝って、仏教を受け入れると共に、聖徳太子と国の近代化を断行した。南北およそ300m、東西およそ200mという境内に建つ豊かな色彩に彩られた金堂や五重塔などの飛鳥寺の大伽藍は、そのシンボリックな存在。

 「はい、写真撮られましたか? こっちも撮っておいてくださいよ」と寺の係の人が勧めていました。

 次に来る時は、レンタサイクルで2〜3日かけてくまなく回って、歴史のロマンに浸りたく思いました。


 法隆寺に行く前に、昨日看板を見て行きたくなった「日本三大文殊」の一つ安倍文殊院に、少し回り道をしてお参りすることにしました。
 真如堂の隣の黒谷の文殊塔(三重塔)の前には、此処の文殊と、天橋立の智恩寺、そして安倍の文殊が「日本三大文殊」であると記されていて、一度、この安倍の文殊をお参りしたく思っていました(黒谷ではなく、亀岡文殊堂を入れるのが一般的のようです。誰が決めたんだって!)。
 恥ずかしいことに、ボクは安倍文殊は大阪の阿倍野にあるものと勘違いしていました。

 安倍文殊院は、大化改新の時に左大臣となった安倍倉梯麻呂が安倍一族の氏寺として建立した寺で、安倍晴明が出生した寺でもあると言われています。

 例によって、車を駐めるなり売店から係の女性が出てきて500円。本堂に行くまでに、「本堂内陣拝観受付 お一人700円(お抹茶・お菓子付) 日本三大文殊の中で文殊様とご対面できるのは当寺院だけです。・・・・」と書いた駒札が立っていました。

 お抹茶は靴を脱いで上がった開けっ放しの部屋で飲む様子。どうせ美味しくないでしょうし、そんなところで飲みたくもありません。受付の女性に、お抹茶は要らないから内陣拝観だけはできないのかと尋ねると、「お抹茶はサービスです。内陣拝観は700円です」という木で鼻をくくったような応答。

 外から拝んで早々に発ちました。他にも、いろいろ商売っけたっぷりで、古寺らしい面影を感じない寺でした。


 法隆寺にたどり着く前に、少し迷い道クネクネ。こういう時はカーナビが欲しいと思います。

 法隆寺の手前になると、渋滞が始まりました。「あっ、修学旅行だ。ショック・・・」 案の定、門前の駐車場も修学旅行の観光バスで満車というところもあり、正面を横切ったところの農家がやっているような駐車場に駐めました。

 正面に向かうと、あっちからもこっちからも、旗を持った修学旅行生が続々とやって来ます。境内は、ワイワイガヤガヤとうるさく、拝観をするにも行列しなければなりません。

 修学旅行生の間を縫ってやっと金堂に入り、金銅釈迦三尊を拝しました。修学旅行生のほとんどは、金堂の中をただの廊下のように通っていくだけで、仏像を見る気配もありません。
 ボクも修学旅行で何を見たかを覚えていないの、‘忘れた’のではなく、‘見ていない’のだということがよくわかった気がしました。旧態依然とした修学旅行、もう少し方法を考える必要があるのではないでしょうか。

 一々のお堂に入るたびに修学旅行生の列の後に傘を差しつつ並ばなければなりません。寺の係の人に何とかならないかと聞いたら、「割り込んで行ってください」ということだったので、以後はこれ幸いと並ぶのを止めました。

 大講堂、五重塔、どこを見ても素晴らしい。惜しむらくは、静かにゆっくり見たかった・・・。

 続いて行った大宝蔵院では、夢違観音像や玉虫厨子、百済観音像などを拝して、腰を抜かしそう。国宝や重文は当たり前、飛鳥・白鳳が軒並みで、平安時代のものが新しく感じられる“異様な”空間でした。
 当然ここも修学旅行生の行列で、走るったり大声を出すわで、ボクのストレスもピーク。ガラスケースから1メートルほどの位置で見ていたら、その前を横切ったので、つい「人の見ている前を通るんじゃない!」と声を荒げてしまいました。

 オプションで「法隆寺秘宝展 春季」にも行きました。ここは静かでゆっくり見られましたが、国宝及び重要文化財だけでも約2300点余もあるのですから、指定外のものまで含めると膨大。そのほんの一部だけが展示されていたのですが、とても一々に時間を掛けて見ている体力・気力がありません。

 最後は夢殿。御本尊の救世観音は明日までの春期特別開扉。暗いので、神秘的な微笑みをたたえておられるという表情まではよくわかりませんでしたが、この御開扉を目当てに法隆寺に来たこともあり、大満足。修学旅行生たちの喧噪も、一瞬ボクには聞こえなくなった気がしました。

 さて、これで今回の旅はすべて終了。山あり、温泉あり、古寺参拝ありの、かなり中身の濃い、移動の多い旅でした。
 やはり、自分の寺ばかりを見ていると、‘井の中の蛙’になるということを痛感しました。拝観者の立場で見ることの大切さも感じました。
 「行ってよかったなぁ・・・」と、その余韻に浸りながら、帰途に着きました。

 考えてみたら、15日の夕方に出発してから帰るまで、店で食事を食べたのは15日のカレーと16日のうどんだけ。後はスーパーなどで買ったものを車や部屋で食べたか、車を走らせながら食べたかのみ。食事的にはきわめて貧相な旅行でした。

 帰ってメールをチェックしたら、メールが300通ほど。ほとんどは屑でした。
 さくらはよそよそしく、なかなか近付いてきてくれませんでした。わずか2泊3日だったのに。

〜 古代ロマンたっぷりの飛鳥大仏 / 修学旅行生で埋まる法隆寺 〜
2006年5月17日(水)  No.1004

ハイキングと室生寺・長谷寺
 5時に一度目が覚めたものの、今日の山行の気楽さから2度寝してしまい、おにぎりときんぴら牛蒡、味噌汁で朝食を摂って出発したのが6時半。幸い、雨はまだ降っていませんでした。

 東大台ハイキングコース、約9キロ(約4時間)。ビジターセンターの横から出発して大台ヶ原を右回りするごく一般的なルートを選びました。

 原生林の間の広くて良く管理された道を、鹿の群れと出会いながらゆっくり進むと、30分ほどで、標高1695メートルの日出ヶ岳山頂に着きました。
 晴れていれば360度のパノラマの景色が見られ、熊野灘、熊野湾。大峰山系、天候の良い日には富士山も確認できるというスポット。何とか大峰山系の頭が少し見えました。

 正木峠〜正木が原〜牛ヶ原と、原生林の倒木とイトザサの大群生の高原を広くしっかりした木道の上を進みます。あまりに整いすぎて頼りない気がしますが、多くの人を受け容れて自然に触れる機会を与え、それでいて自然のダメージを最小限にするには最適な方法なのでしょう。

 大台ヶ原が、木々の減少、コケ類の衰退、ササ類の繁茂と鹿が増殖、人の踏み荒らしなど、複合的な要因によって現在も森林植生の衰退にさらされていることが、ところどころにある看板でよくわかりました。

 次第に植生が変わり、2時間ほどで大台ケ原一番の名所「大蛇ー」に到着。目もくらむ千メートルの大絶壁。山上ヶ岳、弥山、釈迦ヶ岳と連なる大峰山系のパノラマ、山肌に見えるいくつかの滝、手前の岩肌にはイワカガミのような小さなピンクの花が2株咲いていました。

 大蛇ーから周遊ルートに戻る途中、初めて人に出会いました。

 今回、大台ヶ原に来た最大の目的は石楠花。大蛇ーから長い下り坂の森林地帯の両側にシャクナゲの大群生があり、今年は開花が遅れていて、20日頃が見頃だという事前情報を得ていたのですが、残念ながらわずかに咲き始めたばかり。大群生に咲き誇る花を想像しながら歩きました。
 シオカラ吊橋に向かう途中、ミツバツツジやオオカメノキの花が綺麗でした。

 休憩したり、写真を撮りながらゆっくり歩いて約3時間半で、もとの駐車場に戻ってきました。駐車場では、工事関係者が数名いて、重機が騒音をたてていました。また、工事か何かの調査をしようとする気配の人たちとわずかなハイカーがいました。
 大蛇ーあたりから降り出した雨は、次第に本降りとなり、これから出発しようとする人たちは、カッパを着ていました。

 荷物を置いてビジターセンターに行きました。お金がかかっているわりには、展示は貧弱。物産店の店員は、暇つぶしのパソコンのカードゲームに興じていました。

 大台ヶ原は、ドライブウエイも駐車代も無料。物産店にあるものは、どこにでもあるようなものばかり。
 自然の保護が急がなければならないのなら、利用者の意識を高めるためにも、ぜひとも利用料や入山料を取ってはいかがなものでしょう。土産物も、たとえば倒木などで作ったアクセサリなど、もっと大台ヶ原を意識・利用したものを作り、利用者が落としたお金で保護を進めてはどうなのだろうと思いました。


 雨も強くなってきたので、さっさと山を降り、先を急ぎました。今日は、この後、室生寺と長谷寺をお参りする予定。その前に、大して汗もかいていないですが、とりあえず一風呂。
 最近、どこかに行くのに温泉は付きもの。昨日の薬師湯も、大台ヶ原近くで夜遅くまで開いている温泉をようやく探したもの。今日行く入之波温泉・山鳩湯も、定休日でないことを下調べ済み。
 ところが、大迫ダム上の道は、工事のために時間帯によって通行止め。通れる時間まで30分待たなければいけないとのことなので、迂回路を教えて貰い、ダム湖の縁をクネクネと20分ほど走って、ようやく辿り着きました。

 山肌に階段状に建つ建物の、駐車場から降りたフロントで入湯料600円を払い、浴室までさらにもう2階分階段を下ります。

 39.5度、毎分500リットルの炭酸水素塩・塩化物泉が自噴するという正真正銘の源泉掛け流し。「無色透明、甘味で硫化水素臭を有し、数時間後、淡黄褐色に着色する」という湯は、室内の湯船から露天風呂へ、そしてそのままダム湖へと流れていました。浴槽の淵には、湯に大量に含まれるカルシウム等の物質が分厚く付着して原形がわかりませんでした。

 「これぞ秘湯!」と満喫し、フロント横の食堂で鴨うどんを食べて、急いで車に戻って飛ばしました。ダム上の道が1時で通行止めになってしまうのです。熱いうどんを急いで食べた後、必死で車を飛ばしたので、また汗をかいてしまいましたが、何とか1時2分ほど前にダム上の道を通過することができました。ガードマンは、呑気そうにパンを立ち食いしていました。


 室生寺に着いたのが2時半。室生寺の石楠花は、ほとんど終わっていました。いつ来ても美しい室生寺の境内と伽藍、素晴らしい平安の古仏。

 室生寺の近くには、先日のミニFM局に出演した時に話そうと思っていた先生のお寺があり、出かける前にその遺稿集ともいえる本をアマゾンから買ったばかりでした。

 奥の院への長い階段を登る途中、「室生の小寺の住職で・・・」という先生の決まり文句が、頭の中で繰り返されていました。先生、墓参せずにすみません。


 長谷寺へは初めての参拝。長谷寺信仰の大元であり、真如堂にもこの観音様への信仰に由来する「新長谷寺」があります。
 4時過ぎに門前に着き、「拝観終了の5時が迫っているけれど、充分拝観できるでしょうか?」と民営駐車場のお婆さんに聞いたところ、「閉められることはないので、ゆっくり行ってきたら大丈夫だ」と太鼓判を押され、門をくぐりました。

 山門をくぐって、有名な399段の登廊の石段を登ると、清水の舞台のような本堂がありました。本尊様の御前に進み出て、ビックリ、圧倒されました。
 身の丈3丈3尺6寸(約10メートル)という、楠の霊木で造られている我国最大の木造仏。右手には錫杖と念珠、左手には蓮華を挿した水瓶をお持ちの「長谷型」。
 こんなに素晴らしい仏様がおられたとは・・・。今までの無智不明と、今回お寺巡りをすることにした選択が間違っていなかったことを確信しました。

 まだ少し残っていた牡丹の花を楽しみ、声明の聞こえる境内をあとにしました。


 2日続けて車中泊は厳しいので、携帯電話の宿泊予約サイトを使ってホテルを探しましたが、なかなか見つかりません。駅に寄って観光案内所を探したり、付近の地図を見たりして、ようやく決まったのが7時過ぎ。回りには食べるところもなさそうだったので、スーパーで半額となった刺身や寿司、温泉玉子などを買ってからチェックイン。
 盛り沢山の1日。くたびれて、すぐに寝てしまいました。

〜 大台ヶ原の霧の中の鹿 / 長谷寺の登廊と本堂 〜
2006年5月16日(火)  No.1003

大台ヶ原へ
 葵祭の祭列を河原町丸太町で見物。

 「平安絵巻の優雅で華やかな王朝行列」というよりは、茶髪・ロン毛の検非違使がいたり、海苔を頭に張り付けたような髪型の女官など、総勢500人あまりがダラダラ行列する感じでした。


 夕刻から、車で大台ヶ原と奈良の古寺を巡る旅に出発。まずは、大台ヶ原を目指しました。

 今夜は車中泊のため、途中のホームセンターで電池式のカンテラを購入。また、かねてより一度行ってみたいと思っていたカレー・チェーンの大御所でカツカレーを食べましたが、一度行けばいいかなぁ・・・。スーパーで、今夜の肴と明朝・明昼の食料を調達し、先を急ぎました。

 大台ヶ原に行く前入りたいと思っていた温泉「薬師湯」に、受付締切の9時までに着きたいと思っていたのですが、走れども走れどもなかなか着きません。とにかく遠い。
 次第に車も少なくなって来た真っ暗な山間路。ナビも付いてないために所要時間が正確には予想できず、諦めかけた頃、なんとか辿り着きました。8時半、余裕の到着です。

 吉野川の対岸に温泉の建物を見て、車を駐めようとしたら、2車線の車道の真ん中に車が止まっていて、4〜5人の家族連れが離れて見ていました。いったんはその近くに車を駐めたものの、何やら水のようなものがその車から流れ出て、ボクの駐めたほうに近づきながら広がっているのに気がつきました。
 その液体がガソリンであることにすぐに気付き、少し離れたところに車を駐め直して車外に出ると、ガソリン臭がしていました。
 ランクルのような四駆車の下に直径30センチほどの岩がはまり込み、それがガソリンタンクを破ったようでした。きっと、落石に乗り上げたのでしょう。
 どうしようもないので、橋を渡って温泉に向かいました。

 受付は9時まで、10時閉館の村営温泉はガラ空き。話の様子から、どうやら地元の村の方が多いようでした。やわらかなヌメリ感のあるお湯が、湯船から溢れ流れ出ていました。掛け流し? 

 浴室からは対岸の事故の様子が見えました。最初に、黄色い回転灯を点けた道路公団の車が来て、その後、赤色灯を点けたパトカーがやってきました。レッカー車もやってきて、まずは流れ出ているガソリンの処理をしているようでした。

 風呂から出ると、ロビーのテレビでは、サッカーのワールドカップの選手選考のニュースが流れていました。
 受付の人に、大台ヶ原の駐車場にトイレがあるかなどを確認し、「かなり寒いですよ。エンジンを掛けてお休みになったほうがいいですよ」とのアドバイスを受けました。「自然保護が必要な大台ヶ原で、アイドリングを勧めるのはどんなものだろう」と、折角ながらのアドバイスながら、ちょっと首を傾げました。

 薬師湯から大台ヶ原駐車場までは30数キロ。来た道を戻って、鬱そうとした山間の狭賂に入りました。途中から道は広くなりましたが、ところどころに落石の跡があり、さっき見た事故のことが思い出されました。
 鹿に遭うこと7〜8頭、ウサギ1羽、行き交う車はありませんでした。

 頂上の駐車場には車が4〜5台駐まっていましたが、テレビを見ている気配の1台を除いて、人の気配はありません。夜間利用できるトイレを確認して車を駐め、寝袋とカンテラを準備。
 さっそく宴会。スーパーで求めた焼きイカ、ビール、持参したとっておきの越乃寒梅、キウイを、倒したシート上のダンボール箱のテーブルに置き、入りにくい携帯ラジオを聞きながら、まずは一気にビールを、続いてチビチビと寒梅をいただきました。

 気がつくともう12時を過ぎていました。「起きたら雨だろうなぁ」と覚悟を決めて寝袋に入り、シートの起伏に違和感を憶えながらも、いつの間にか寝入ったようでした。

〜 宴会風景 〜

2006年5月15日(月)  No.1002

世界遺産
 最近、世界遺産の番組がよく放送されていて、機会があれば積極的に見るようにしています。

 自然遺産・文化遺産とその複合遺産とがあり、もちろん自然遺産も素晴らしいですが、文化遺産には人間の計り知れない叡智や情熱、あるいは栄枯盛衰のようなものを感じます。
 戦争や人種差別など人類の犯した罪を証明するような“負の遺産”も、胸に迫り来るものがあります。

 そういうのを見るたびに、「世界中にはまだまだ素晴らしものがあるだろうなぁ。でも、国情などで登録申請するに至らないのだろうなぁ」 と惜しまれると共に、「これと比べたら、日本の世界遺産は・・・」という気持が湧いてきます。

 1975年に世界遺産条約が発効されてから17年も経った1992年、日本は先進国では一番最後に世界遺産条約を批准し、126番目の加盟国となりました。
 以来、93年に法隆寺地域の仏教建造物や姫路城、屋久島、白神山地が登録を認められ、以後、雨後の竹の子のように各所で申請の動きが続いています。

 テレビで各国の素晴らしい世界遺産を見ていると、「どうしてこんなところが世界遺産なの?」と、不思議に思える日本国内の世界遺産やその暫定リストにあげられた場所があります。
 ずっと放ったらかしにしておいたのに、宣伝効果があるとわかると、急に我も我もと申請しだしたのではないかという邪推も起きてきます。

 高松塚の壁画のカビや破損にみる文化庁の驚くべき文化水準の低さ。この事件と、日本が世界遺産条約をなかなか批准しなかったこととは、同根であるような気がしてきます。
 宣伝効果をねらっただけのような申請の動きも、日本の文化意識がいかに低いかを物語っているようにも感じられます。

 京都市、宇治市、大津市に点在する「古都京都の文化財」も世界遺産ですが、少なくとも京都市は、観光のPRには躍起になっていますが、遺産の保全に力を注いでいるとは到底思えません。

 世界遺産のテレビを見るたびに、日本人として、なんだか恥ずかしく思えてきます。

〜 山紫水明の景観を壊す椎の木の繁殖と大文字 〜
2006年5月14日(日)  No.1001

昼寝したい・・・
 夕べの夜更かしの後、今日はゆっくり寝ていたいところですが、とてもそれどころではありません。

 月参りの後、本堂の裏の「三井二木会」の慰霊碑の前で追善法要と引き続く会食、自坊での法要、市外の檀家宅への逮夜参りと、フル活動でした。

 とにかく寝るのが大好きで、寝不足をするとかなりダメージを受けるボク。さすがに今日は堪えました。

 この影響はしばらく続きそうです。明日は昼寝しようっと!

〜 雨の夕方の若葉のピンぼけ写真 〜
2006年5月13日(土)  No.1000

ハシゴの末の集会
 大津・坂本で会議。会議に続いて懇親会があるので、今日は電車で向かいました。

 京阪電車の石坂線(石山−坂本)に乗ってくる人は、ご近所の人が多いらしく、挨拶をしたり、「どこいくの?」と尋ねたりと、井戸端会議の様相。降りるときは運転手が切符を回収するなど、まるで“チンチン電車”のようでした。

 4時間の会議を終えて、その後延々8時間にもわたる懇親会。7人のメンバーがひとりも途中離脱することなく、「次、行きましょう!」のかけ声の下にお店を転々。「これが“ハシゴ”っていうんだなぁ」と感動?しました。

 普段は眠たくなって12時までもたないボクは、帰るときにはすっかり限界を超えていました。

 自坊の門に帰り着いたら、黒と白の野良猫がボクに向かって大きな声で鳴きました。よく見ると、門の屋根裏に、1匹、2匹。全部で4匹の猫が集っていました。
 「これが“猫の集会”かぁ。門が集会場所になっていたんだ!」と、ほとんど寝ている頭で、すごい現場?を発見したことに感動しました。

〜 石坂線の電車 〜
2006年5月12日(金)  No.999

ドライ・ハート
 「今日の散歩道」は毎週金曜日が定例の更新日ですが、明日は会議などがあるため、今日繰り上げて行いました。

 本堂の職員さんに、「よく、ホームページを見たとおっしゃる方がありますよ」と言われ、嬉しいやらプレッシャーやら。見られているのを意識してしまいます。

 最近は、どうも更新のノリがよくありません。なぜかと考えたら、感動が薄れてしまっているのです。

 新緑を見ても、毎日見ていますから、「わぁー、すごい綺麗!」という感動が薄い。薄いと、「よし、これを皆さんに見ていただきたい」という原動力に欠けます。逆に「こんなものお見せしてもしかたがないなぁ」と自己規制してしまいます。それがよくないのですね。もっと、“独善的”にやるほうがいいのでしょう。

 結局、今日の更新が出来上がった時の画面には、「1日前の境内です。」と表示されてしまいました。12時間以上かかって、満足できる内容ではありませんが、やっと出来たのです。これではドライアイになります。

 心までドライ・ハートになってしまわないよう、小さな感動を積み重ねて更新作業をしていくほうがいいかなぁと思っています。

〜 うずらの卵のような大山蓮華の蕾 〜
2006年5月11日(木)  No.998

涙が止まらず
 午後から、地元紙の取材。「僧侶は今後どんな活動をめざしたらよいのか」、そんなことボクに聞かれても・・・ボクも教えて欲しいですぅ。

 話をしながら、目尻に涙が溜まってきて、流れそうになっているのを感じました。決して、話に感動したわけでもない最近、よくあるのです。

 そういえば、亡くなった祖母が、たえず涙を拭いていました。涙道が詰まっていて、余分な涙が鼻のほうへ流れなくなったのでしょう。「ひょっとしてボクもそうなの? 年寄りみたいに?」と思ってネットで調べてみました。
 すると、「ドライアイで眼の表面が乾燥した結果、反射性涙液分泌が促進され涙が出ます。寒い日に冷たい風が眼にあたることでよく起きます。ドライアイでは重要な症状の一つです」という記述がありました。

 「そうなのかぁー。またドライアイか・・・。目薬をささなきゃ。」


 夕方、借りたCDを返しに行って、また借りてしまいました。

 数回こういうことが続いて、しばらくするとぜんぜん借りなくなって、そのうち会員期限が切れてしまう・・・今までのパターンです。

〜 生理落果で石畳に落ちたさくらんぼ 〜
2006年5月10日(水)  No.997

1円玉の〜
 月参りがキャンセルになったので、境内の椿の剪定作業をしました。

 でも、電話や来客で何度も自坊に戻ったりして、夕方まで作業したわりには、あまり剪定ははかどりませんでした。

  唐種招霊(からたねおがたま)が咲き出したので、「からたねおがたま(唐種招霊) 咲き出しました」という掲示を近くの木にくくりつけ、わかりやすいように、そこから招霊の木まで、ガイド用のビニール紐を張りました。

 先日来、「招霊は咲きましたか? 今年は遅いですね」と毎朝見に来られる方もおられ、なぜか人気の木となっています。

 掲示をする作業をしていたら、「どの木がそうですか?」と尋ねられたのでお教えすると、「1円玉にデザインされている木ですね」とおっしゃいました。10円玉の平等院は知っていましたが、1円玉の若木がこの木をデザインしたものなんて、初耳。
 「へぇー、そうなんですか。それは知りませんでした。この木ですかぁー」「はい、そうです」と念を押されたものの、こんなマイナーで、特にシンボリックでもないこの木が通貨のデザインに使われるということに納得できず、帰ってネットで調べました。

 造幣局の公式サイトには「若木」としか書いてありませんが、「1円玉の木のデザインは一般公募で選ばれた物で、作者は中村雅美さん。1円玉の木にはモデルは存在しないが、作者の中村雅美さんは旅行先のお寺で「実はこの境内にある木が1円玉のモデルなんですよ」と住職に自慢された事がある」と書いた別のサイトもありました。また、「表のデザインは1954年に一般公募され、2581点の中から中村雅美さんの作品に決定された。実在の植物ではないらしい。裏側の大きな1のデザインは高島登二雄さんです」というサイトも発見。結局、おがたまではないのでしょう。


 夜10時過ぎから、知り合いの僧侶がパーソナリティーを勤める、ミニFM局の生番組に出演。

 「人生でのさまざまな出会いや、現在の活動への影響など、その人の出会いや人生からいろいろと楽しく学ぼうではないかという」コーナーらしく、また、「トークの中と後でリクエスト曲を放送させていただいておりまして、ゲストの方に曲をお持ちいただいております」というディレクターからのメールが、今朝きました。

 「ボクに影響を与えてくださった方は誰かなぁ・・・」と考えながら、何をリクエストしようかと思案。結局、コルトレーンのバラード曲にしようと思いましたが、レコードはあってもCDがなかったので、レンタルCDショップに行き、とっくに期限切れになっていたのを再入会して、『Ballad』を借り、持参しました。

 トークは、聞いていた趣旨とは違い、「苦沙彌」の由来や、最近猫を飼って漱石のオリジナル“苦沙彌先生”に近付いたことなどを話して、あっけなく終了。あれぇー、出会いや人生は・・・ ?

 つくづく、ボクはしゃべりには向いていないと思いました。

〜 咲き出した唐種招霊 〜
2006年5月9日(火)  No.996

正体見たり
 2日にお持ち帰りしたノートパソコン。以来、とにかくあらゆる方法で修復を試みましたが、どうも不安定さが取れませんでした。そこで、今日は買ったときの状態に戻すことを決意して、やってみました。

 ところが、数分するとフリーズするという症状が顕著になり、リカバリさえままなりません。

 「ん〜 これはソフト的な問題ではないなぁ・・・。ひょっとして熱暴走かな?」とひらめきました。
 熱暴走。パソコンの中に埃が溜まって、排熱がうまくいかず、CPUなどの温度が上がって、不安定になったり、止まってしまう・・・ 十中八九それが原因だろうという仮説を立てました。

 それならと、アイスノンをノートPCの下に敷いて冷やし、排熱口のところに掃除機のノズルの先を当てて、強制的にパソコンの中の熱を排出させることにしました。
 すると、いままでの症状がウソのよう。フリーズばかりでなかなか進まなかったリカバリ作業はスルスルと順調に運び、完了! やったぁ! やっぱり熱暴走だったのです。

 「埃が原因だったら、それを取れば直るなぁ・・・」と思って、キーボードを外し、冷却ファンを見てみると、意外や意外、埃などまったく付いてなくて綺麗なもの。
 そこで、ファンが見える状態にして電源を入れてみると、ぜんぜん動きません。熱くなったら動き出すかと思って見てみましたが、やはりダメ。

 「正体見たり枯れ尾花・・・ これだ!」 ようやく原因を突き止めました。

 ダクトが付いた特殊なファンなので、メーカー修理しかありません。修復を自力で完成させることができなかったのは残念ですが、ファンさえ直して貰えば、確実に動作します。

 「やれやれ。長かったなぁ。もう少し早く気がついていればなぁ。リカバリする必要なかったけど、まぁ、ソフト的にも“きれい”になってよかったかな。これで、スッキリ眠れるなぁ」


 リカバリCD−ROMを取りに行ったついでに、光悦寺に行ってみました。初めてです。建物などの拝観はありませんでしたが、庭の新緑がきれいでした。

 他のお寺に行くと、ヒントになることがいっぱいあります。一番感心したのは、参拝者用のトイレ。不特定多数の人が使うトイレなのに、タイル張りではなく、杉の柾板で腰張りがしてありました。掃除やメンテナンスが大変でしょうが、実に落ち着きがあります。

 「うちもトイレを改装するときは、こんなふうにしたいなぁ」と、気持ちよく使わせていただきました。

〜 光悦寺垣と新緑 〜
2006年5月8日(月)  No.995

法要ラッシュ
 11時の法事が終わって、墓前回向に出ようとしたら、雨が降り出しました。さっきまで何とか持ちこたえていたのに・・・・。

 「11時」は法事の一番多い時間帯。墓地に行くと、他の塔頭の和尚と挨拶をすること2人。離れたところからも、鈴の音が聞こえてきていたので、4人の僧が墓前回向をしていることになります。

 連休中もそういう現象はなかったのですが、今日は顕著。遊びに行く日程を終えて、最後の日に法事をなさる方が多いのかも知れません。

 同じ時に、声が聞こえる距離で、お経を唱え合うのは、少々やりにくいものです。隣は何を唱える僧ぞ。どういうお経を唱えるか、どれくらいの長さなのか、いろいろ気になります。あまり早くにこちらが終わってしまうと、檀徒の方に、ボクがお経を省略をしたかのように思われかねません。
 近くの気配を伺いながら、如法に、ねんごろに墓前回向させていただきました。


 雨は1日降り続き、新しく延びた葉を付けた木々の枝が大きく垂れ下がり、夕方などは、薄暗さもあって、少々不気味なほどでした。
 この雨で、また緑が充実します。

〜 濡れて垂れる若葉 〜
2006年5月7日(日)  No.994

あれやこれやの1日
 午前中は本堂で法要。

 江戸本町に越後屋(のちの三越)を開業し、現金掛値無し、反物の切り売りなどの新商法導入して一躍豪商になった三井高利氏の313回忌。高利氏は、晩年、京都に移り住んで仲買の仕事を専門に扱い、江戸の店を長男高平らに任せるようになったそうで、ちょうど現在の地に再建中だった真如堂をお参りし、ここに葬って欲しいと遺言されたのでした。
 毎年、5月6日にはその年忌法要が営まれています。


 午後は「メダカの学校」。連休中でもあり、皆さん行楽などに行かれて参加者が少ないのではないかと心配しましたが、逆にとても多くて、席が足りないぐらいでした。

 今日の講師の「釘抜きさん」の住職とは親しい仲なので、あとは彼にお任せ。終わってから、来てくださった方数人とコーヒーを飲んで談笑しました。


 夜はお持ち帰りパソコンの修復。デスクトップを前に、ノートを横に置いての、2刀流。さんざんやりましたが、両方ともリカバリするしか仕方がない様子。「いろいろやったのになぁ」と思いつつ、リカバリをする虚しさ・・・。何の達成感もありませんでした。

 さくらは、独り言を言ったり、舌打ちしているボクを、箪笥の上から高みの見物していました。

〜 長くなったさくら 〜
2006年5月6日(土)  No.993

風車タクシー
 最近、市内で時々見かける風車を屋根に付けたタクシーが、境内の駐車場に駐まりました。
 とても目立つ車なので「あれは何だろう?」と思っていましたが、ある時、新聞で風力発電をするための風車だと知りました。

 屋根に付いている風車で発電をして、その電力で携帯電話の充電サービスをするというのが売りだそうですが、それで「エコロタクシー」?
 他にもアイドリングストップ機能付き車輌の全車導入や、自転車搬送用キャリアの全車取り付けによって自転車使用をサポートしたりして、環境への取り組みを会社の理念として掲げているのだとか。20台の車のない小さなタクシー会社で、京都のタクシー9000台からすれば、ごく少数派。4年前に乗務員だけで立ち上げたのだそうです。

 ちょうどこのタクシーが駐まる直前、某大手タクシー会社の1台がエンジンを掛けっぱなしでドアロックをして、客の案内していたのを見つけ、「すぐにエンジンを止めてきてください」と言ったばかりでした。

 「メーターが動かないから」「車に戻ったときにお客が暑いから・寒いから」と、平気でエンジンを掛けっぱなしにして車を離れて案内するタクシー運転手が多いのですが、ボクは見つけ次第必ず止めて貰います。

 「この風車タクシーもかな?」と思っていたら、ちゃんとエンジンを止めて車を離れました。

 さて、この風車は見かけ倒しの広告塔か、それとも本気か、どっちでしょう? 意気込みを勝って欲しいということ?

 それにしても、こんな風車で発電をしてもエコロジーにはならないし、タクシーに乗っている間に携帯の充電をしようといういう人がいるのでしょうか?

〜 屋根に風車を付けたタクシー 〜
2006年5月5日(金)  No.992

比叡山越え
 連休中、寺の予定が何も入っていない唯一の日。天気もいいので、比叡山に登ってみることにしました。

 修学院離宮の南端を登る「雲母坂」。白川砂の中の雲母がその名の由来とか。平安時代より都と比叡山を繋ぐ古道で、僧兵が行き交ったり、法然・親鸞などの鎌倉の祖師たちが通ったり、いまでも千日回峰の阿闍梨が上り下りする他、京都から比叡山へのもっともポピュラーな登山道でもあります。
 真如堂の御本尊も、この雲母坂を下って、洛陽の地に遷座されました。

 離宮の有刺鉄線を左側に見ながら、枯れ葉と白川砂で滑りやすい道を上ります。さすがに休日とあって、道を同じくする人は多く、前後の人の声がよく聞こえてきます。

 有刺鉄線の最上部で、登山道は離宮から離れ、さらに高いところを目指しますが、眺望のよくかったところから鉄線の中を見下ろしてみたら、明らかに植生が違っているのに気がつきました。鉄線の中は赤松などが多く、ボクのいる普通の山肌に生えている木はほとんどが広葉樹でした。
 鉄線の中は離宮の背景にあたり、宮内庁が景観を保持するために松の木を保護しているのでしょう。
 かつて、東山一帯も松が目立つ山でした。それが、松食い虫の被害で大多数の松が枯れ、人が薪などを採らなくなったこともあって椎などが幅をきかせ、すっかり景観が変わってしまいました。離宮の裏山が、最もかつての東山の景観を残しているのかも知れません。

 八瀬から登るケーブルの山上駅に着きました。駅の回りでお弁当を食べる人も多く、山頂を目指すロープウエイに乗り換える人が長蛇の列を作っていました。

 ボクもここで弁当を広げようかと思いましたが、人が多くて騒がしいのと、猿が徘徊して他人の荷物を狙っているのを見て、さらに上を目指すことにしました。

 スキー場の芝生の横を登り、ロープウエイの山頂駅に着きました。頂上の三角点は山頂にある「ガーデンミュージアム」という有料の施設の中にあるらしく、見ることができません。
 ちょうど満開の桜の下のベンチが空いていたので、市内・岩倉近辺の景色を眺めながら、出発前に買ったホカ弁を食べました。猿の心配もなく、美味しかったぁ。

 人も多いので、早々にそこを発ち、延暦寺へ下りました。延暦寺への道は、ゾロゾロと人が続いていました。ボクのようなハイキングの出で立ちの人はわずかで、ほとんどは街着。聖山の趣はありません。

 延暦寺の境内は、桜や石楠花が満開で、すごく得をした気分。ただ、あまりお堂に近付くと知り合いの僧がいるので、阿弥陀堂や大講堂、根本中堂を遙拝。参道で知己の僧に出会いましたが、目深に帽子をかぶってやり過ごしました。

 人だらけの根本中堂付近を通り抜け、大津・坂本へ降りるケーブル駅で缶コーヒーを飲み、石の鳥居をくぐって無動寺を目指します。よく整備された参道に人影はなく、あれほどの人はどこへ行ったのだろうと不思議に思うほど。
 無動寺・弁天堂には3人の僧侶がいましたが、どの僧も未知の人。向こうもただの丸刈りのハイカーと思っていたでしょう。
 千日回峰行者の本拠地である無動寺は、さすがに聖域らしき身も引き締まるような空気が漂っていました。弁天様に手を合わせ、諸堂を遙拝のみで済ませたことへの懺悔をしました。

 予定通り、ここから「志賀の大仏」へ降りる道をとりました。
 ハイキングのガイドブックの略図では、ここから途中の目印である夢見が丘はすぐのはず。ところが歩けども歩けどもそこへ着きません。道が山腹を巻くように付いているだけ度、降りている気配もありません。

 道には一定間隔で番号を振った小さな石碑が建っていました。鳥居が建っていたり、かつては茶屋があったような痕跡がありました。おそらく、かつてこの道は弁天堂にお参りする主要なルートだったのでしょう。それが別の道ができてメインルートになったなどの理由で、ほとんど人が通らなくなったのでしょう。道の盛衰を感じました。

 道端のクロモジの枝を拝借して清涼剤代わりにかじっていましたが、それでも一向にらちのあかない道に飽き、路傍でチマキを食べました。

 しばらくして、初老のハイカーが追いついてきて、「長いですねぇー」と一声。道が間違っていないかと不安になっておられたようで、ボクの10年前に発行されたガイドブックをお見せして、間違ってないと“保証”を与えました。その方の持っておられた地図も9年前のシロモノ。さほど道は変わっていないだろうとの暗黙の了解の元、ボクが予定する道を途中でエスケープして、できるだけ早く里へ下りると、先を急いで歩き出されました。

 長い階段を下りたと思ったら、またその分を登る、無駄な動きの多い部分を経て、ドライブウエイにある園地脇に到着。それから後は一気に下りました。税金を無駄に使ったのではないかと思われるいくつもの砂防ダムを通り、山道がほぼ終わった頃、崇福寺という古寺跡に到着しました。

 崇福寺は天智天皇の頃に建てられた寺で、3つの尾根上に分かれて、弥勒堂、金堂、塔、講堂の跡が残っていました。歴史の宝庫、滋賀の予感がします。

 ゆるい坂をしばらく下ると、旧山中越の道標の指す道と合流。アスファルトの道をさらに下ると、建物に寄り沿って立つ大きな石板が見えました。
 「おお! これに違いない!」と小走りに建物側に回ると、大きく柔和なお顔が見え、立派な建物はその拝所でした。

 案内板を見ると、この「志賀の大仏」は13世紀頃に作られた阿弥陀さま。ここは、崇福寺跡から山中町を経て京都の北白川へと至る山中越の旧道。山中越を越える人が旅の安全を祈ったのだとか。
 そう言えば、北白川の旧山中越沿いにも大きな石のお地蔵さまがおられます。「なるほど、そうか! そうだったのか!」と、道がイメージの中で繋がると共に、大きな石仏の関係もつながりました。

 「志賀の大仏」は、かねてからお参りしたかった仏さま。考えていたよりも大きく、また地元の人たちによってしっかり護持されているという印象を受けました。
 ここまで歩いた甲斐がありました。疲れも吹っ飛びそう。

 さらに100メートルほど歩くと、竹藪の前に「百穴古墳群」という道標が立っていました。竹藪の中には説明書きがあり、それによると、ここには6世紀後半のものと思われるドーム状の横穴式石室をもつ円墳が40余もあるとのこと。

 5時頃の竹藪でということもあって少々薄暗かったのですが、ズラッと並んでいる古墳らしき石組みを5つぐらいを見て回りました。崩壊しているものも多かったですが、中には石棺がそのまま顕わになっているものもありってビックリしました。
 石室には2、3人が葬られていたそうで、ミニチュア炊飯セットなども副葬されていたとか。埋葬されていたのは朝鮮半島からの渡来人系の人々だろうとのことでしたが、このあたりは優秀な技術をもった渡来人が多く住んでいた場所だと聞いたことがあるのを思い出しました。

 先日の湖北の観音巡りといい、今日の「志賀の大仏」「百穴古墳群」といい、滋賀県の奥深さをまたまた思い知らされました。これはまだまだほんの一部。恐るべし滋賀県。すっかり滋賀県ファンになりました。

 近所の人に京阪電車までの道を尋ね、しばらく歩きましたが、このあたりはボクがいつも坂本に行くときに通る道。今まで、何も知らずにこんな素晴らしい史跡の前を通り過ぎていたことを悔い、恥じました。

 さて、汗もたっぷりかいたので、水分補給にビール! 三条まで戻って、ビヤホールに駆け込み、せっかく使った脂肪を、また蓄積してしまいました。

〜 延暦寺阿弥陀堂前の枝垂れ桜/志賀の大仏 〜
2006年5月4日(木)  No.991

五月晴れ!
 世は連休に突入していますが、ボクは日頃の休日と同じように法事。

 かつては、連休というと法要が3、4座あったりしましたが、今ではかえって普段の休みより少ないぐらい。連休に法事をすると、どこにも遊びにいけないと親戚などからクレームが付くことがあるからだそうです。

 午前中1座、午後1座の法事をして、あとはお持ち帰りのパソコンの修復をしつつ庭木の剪定をしたしながら、超五月晴れの日を過ごしました。

 連休って、中途半端でいけません。

〜 盛夏のように空と銀杏の新緑 〜
2006年5月3日(水)  No.990

桜とパソコン
 檀家宅へのお参りの続きに、鷹峯のお寺のパソコンサポートに伺いました。

 先日、プリンタが次々と使えなくなる奇怪で深刻な?事態に陥っているとSOSがあったのです。

 伺ってみると、不調は広範囲で、どこから手を付けていいのやら。一つ直していると、「こっちもなんです」とまた増えていく状態。

 修復作業をしている機械を待っている間、庭の桜を拝見。鬱金桜や松月桜がまだ見頃だとのこと。見頃は過ぎていましたが、御衣黄、普賢象、楊貴妃などもあり、盛期を想像すると境内は桜の花に溢れている感じがします。
 今まで何度もお訪ねしていましたが、こんなにいろいろな桜があるとは思ってもいませんでした。ここにさへ さぞな吉野は 花盛り。さすがに、吉野太夫のお寺。

 住職の「今朝、御衣黄にお湯を注いでみたら実によかった」というお勧めに従い、御衣黄と松月の生の花房を入れた桜湯を頂戴しました。
 どちらも桜餅のあの桜の香りがして、御衣黄のほうはほんのりお湯が緑色に染まり、また幽かに甘くて、とても感激をしました。

 パソコンの修復は、5時間以上かけていろいろやりましたが、満足に修復することができませんでした。でも、この桜湯のお蔭でとても気持が潤った気がしました。

 お持ち帰りのノートパソコンと、いただいた日本酒の1升瓶、ワインのフルボトル2本を下げ、お寺を辞しました。

 帰りに、共同作業所に寄って、以前から修復を頼まれていたデスクトップパソコンを“お持ち帰り”。車が揺れるたびに、瓶やプラスチックの音がして賑やか。「こんな荷物を積んでいる坊さんは、他にはいまい・・・」と思いつつ、帰り着きました。

 これが今年最後の桜かな? 今年はつくづく桜とご縁がありました。

〜 御衣黄(左)・松月(右)の桜湯 〜
2006年5月2日(火)  No.989

夏日
 一気に夏日。今日の京都の最高気温は29度。昨日よりも5度アップ。明日の最高気温は19度!? 一気に10度マイナス。これでは体がついていきません。

 お昼前から、東山の尼寺で大般若転読会法要。暑いときには堪える法要でした。
 今日はやけに足がしびれました。これも暑さのせい? 足に乗っかる負荷のため?

 夕刻、ホームセンターに野菜の苗を買いに行きました。唐辛子、茄子、胡瓜、南瓜などいろいろ売っていましたが、とりあえず、毎日収穫できて、収穫しながらその場で食べられる? 生でも良し煮ても良しのトマトを選びました。
 フルーツトマト、ルビートマト、レモン(黄色い)トマト、あと1種類はなんでしたでしょうか・・・ 4種類のトマトの苗を求めました。

 金魚屋に回って小さい金魚50匹を買い、雨水をためている五右衛門風呂の鋳物釜に放ちました。ボウフラ除けです。

 初夏を通り越して一気に夏へ。暑さに体が慣れていないせいか、なんだかクラクラ。さくらも、お腹を床にくっつけて横になってばかりでした。

〜 黒谷・紫雲石の牡丹 〜
2006年5月1日(月)  No.988

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