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2005年12月の日記

行く年来る年
 いよいよ大晦日。

 年越し蕎麦は、毎年、聖護院のお蕎麦屋さんが持ってきてくださいます。

 住職の知人だったその店のご主人が亡くなってもう数年が経ち、「今年はもういただけないだろうなぁ」と思っていても、そのご子息が持ってきてくださいます。

 今年も例年と変わりなく、蕎麦と茶そば、うどんと出汁、辛み大根とわさびのセットを届けてくださいました。

 蕎麦とうどんをいただきながら、楽しい苦労人だったそのご主人を思いました。

 お腹がはち切れそうになりましたが、大晦日はそれからが長〜い、除夜の鐘。

 体の芯まで冷えました。

 
2005年12月31日(土)  No.866

芋がゆ、しくじる
 冷蔵庫には焼き芋に失敗したお芋が2つ、大切に保存してありました。

 せっかくの美味しいお芋を何とか食べようと思い、今日のお昼に芋がゆにしてみました。

 焦げた皮を削ぎ、2〜3センチ角のかなり大きめのサイコロに切って、ご飯と一緒に煮ました。
 どんな味になるのか使ってみたかった即席昆布だしを入れ、仕上げに水溶きの葛を入れました。

 果たしてお味は・・・ 不味ぅーー。ダメだぁーこりゃぁー。

 焼き芋にした時に焦げているので、お粥にしても焦げ臭く、煙の味がします。昆布だしが、芋の甘さとは合わない。
 茶碗1杯は食べましたが、これ以上は降参! 芋がゆはたくさん残ってしまいました。

 でも、もったいなくて、捨てることは出来ません。


 夕方になって、芋がゆの芋と粥を分け、芋は大学芋に、粥は茶粥にすることを思いつきました。

 まずは、芋がゆをザルに開け、水洗いして芋と粥を分けました。

 少量のお湯を張ったフライパンに芋を移し、きっとシナモンが合うだろうとシナモンを振って、砂糖を入れて煮詰めました。でも、お芋が砂糖水を吸ってしまって飴状になってきません。

 ん〜、何だか粉ふき芋みたい。先に飴を作ってから、芋を入れるべきでした。

 味は・・・芋がゆよりマシ。

 お米は夕飯の時に、茶粥にしました。これも・・・芋がゆよりマシ。

 美味しいお芋、最初から天ぷらにでもすればよかったです。トホホ。

〜 特製大学芋 〜
2005年12月30日(金)  No.865

松竹梅
 年末の大掃除はすでに息切れしてしまって、もうやーめた。

 自室は“ゴミ屋敷”のまま新年を迎えます。また、あたたかくなったらやろうっと。・・・あたたかくなってから、やらなければならないことが山積みです。


 年末にどうしてもやらなければいけない“ルーチン”を消化しています。

 今日は、遠方の方のお墓に供える花作り。花屋さんで買って供えればいいのですが、何分、数が多いので。

 正月の供花は、松竹梅に南天などをそえたもの。子供の頃からずっと、年末になると、この作業をやっています。

 「松」は以前は境内の松の木の枝を採ってきていましたが、松枯れで境内にも松が少なくなり、今は花屋さんで求めています。

 「竹」は境内に自生するおかめ笹。「梅」は自坊の梅。そして、彩りを添える南天も自坊内で調達。

 材料を調えて土間に並べ、ボクは簀の子のうえに座布団を敷いて座り、壊れかかった携帯ラジオを聞きながら、松、竹、梅、南天と背の高い順に重ねて束ねる作業をしました。

 終わった時には、手が松脂でベタベタ。洗ってもなかなか取れませんでした。


 こうして、毎日、年末年始の準備をしているわりには、年があらたまる実感が湧いてきません。あと丸2日。

 年末に墓所を掃除しておこうという方が、今日あたりから増えてきました。

〜 萎んだヒヨドリジョウゴの赤い実 〜
2005年12月29日(木)  No.864

餅つき嫌い
 今日は餅つき。腰は痛くなるし、面倒だし・・・餅つきはあまり好きではないのです。

 でも、こういう時になると張り切るのは住職。朝から何だかそわそわしています。

 午後2時頃から始めようと言っていたのが、餅米の蒸し加減の都合で、始まったのは3時過ぎ。

 餅米は1斗、だいたい15キロ。昔ほどお餅を食べなくなったので、つく量も減りました。

 住職は蒸し手にまわり、結局、つき手は大学生の甥とボクの2人。

 かまどの釜の上で蒸してあった蒸籠の米を石臼にあけたのを見たら、量が多くて臼から溢れそう。住職は、1斗の餅米を4つに分けるか5つに分けるか迷った挙げ句、結局4つに分けて蒸したのだそうです。ということは、1臼が2升5合。うちの石臼には多すぎます。

 いまさらどうしようもないので、甥と2人がかりで手早く小づきをして米粒をすりつぶし、次は本番。甥は手かえしをするのは苦手だというので、ボクがその役をしました。

 早く終わらせてしまいたいボクは、まだ少し米粒の感触が残っているうちに、「もうちょっとだけど、もうやめようか」と甥に言いましたが、「もうちょっとつこうや」とたしなめられ、お蔭で完璧な餅に仕上がりました。

 2臼目、3臼目もまずまず順調でしたが、4臼目をつきだしたら、まだ蒸せてない生米の部分がありました。「やっぱり・・・」。
 原因は、蒸し手の住職が充分に蒸せていない蒸籠を持って来たからです。「どうしてそんなに焦るの・・・ったく、もう・・・ブツブツ」。毎年、繰り返す失敗、毎年繰り返す文句です。

 つき終わった頃には、顔に浴びたしぶきが乾いてきて、顔は突っ張り、手もパリパリ。

 餅つきは好きではないですが、つきたてのお餅で作った大根餅やおぜんざいは、柔らかくて美味しかったぁー。

 あと3日ですねぇ。

〜 石臼いっぱいの餅 〜
2005年12月28日(水)  No.863

お香を買っておこう
 時折、雨と雪の間を行ったり来たりする空模様でした。

 バイクで走ったら、足袋の指先が痛くなってきました。これから2月頃まではバイクに乗るのが辛くなってきます。


 帰りに、お香屋さんに寄って、焼香を求めました。

 お香もあまり同じ物ばかりを使っていると、鼻が麻痺するのか、あまり匂わなくなってきてしまいます。そこで、時々、種類を替えてみたりしています。

 それぞれのお香屋さんによって、原料や調合が少しずつ違うため、その香りも変わってきます。今日行ったお香屋さんも、焼香だけで15種類以上を販売していて、当然、香りも値段も違います。

 どういう原料の香りが主になっているのが好みか、甘いか、スゥッとするか、大体の価格などを言って、試しに焚いてみて貰います。でも、あまりたくさん試し焚きをすると、しまいにわからなくなってきてしまいます。今日は4種類ほど試し、どうでもよくなって、決めました。

 檀家の仏壇でも、ただ煙が出ているだけで、少しもよい香りのしないお線香が供えてある時があります。ただ煙たいだけのお線香を供えても、仏さまも喜ばれないでしょうし、拝んでいる生の人間も清浄な気持になれないだろうに・・・それほど毎日大量に使うものでもないのだから、少し奮発していいお線香をあげられたらいいのにと思うことがあります。

 今日はちょっといいお香を求めました。供えるのが楽しみ。身心が浄められていく心持ちになれますように。


 今年最後のボランティアに行きました。

 事務所は閑散としていましたが、年末年始も不眠不休で、交代で誰かが活動してくれています。ありがとう・・・。

〜 こたつ布団の上で丸くなるさくら 〜
2005年12月27日(火)  No.862

ほんと・・・
 自坊の仏間のすす払いをしました。

 仏間は寒〜い! おまけに風が強くて、天井裏にたまった屋根土が隙間から落ちてきそう。掃除しても意味ないかも・・・。

 照明器具のガラス部分や額のガラスなども外して、水洗いしました。煙のヤニで茶色くなっていて、掃除のやり甲斐がありました。

 あー 何だかさっぱりしました。


 自分の書架も整理しました。

 書架がいっぱいで、最近買った本はダンボールに入れてあったのですが、古い、もう読まなくなった本と入れ替えることにしました。

 ターミナルケアや生命倫理、老人問題などの数十冊の本を書架から出し、まだ捨てようという気にはなれないので、ダンボールに入れて屋外ストッカーに。入れ替わりに、屋外ストッカーに入れてあった、ボクが事務局を勤めている会の機関紙を、廃品回収に出すことにしました。

 書架の空いたスペースには、仏教関係の本を入れました。勉強しないと・・・。

 この本を全部読破し、その内容が頭に残っていれば、今頃ボクはどれだけ博識になっていたでしょう・・・・。

 ただでさえ寝るのが好きなのに、本を読むと、ものの3分もかからないうちに熟睡してしまう今日この頃です。

 同じ本が3冊あったり、どうやって入手したかわからない本があったり、行方不明の本が出て来たりと、なかなか楽しい一時でした。

〜 廊下にはみ出した書架からさらにはみ出した本 〜
2005年12月26日(月)  No.861

初駅伝
 初めて駅伝を見に来ました。

 今まで、交通規制で止められた時にチラッと見たことはありましたが、見に行ったのは初めて。といっても、歩いても10分ほどのところですが。

 高校駅伝は、午前中が女子、午後が男子。11時前、テレビを見ながら、タイミングを見計らって、今出川通まで行きました。

 ところが、今出川に着いても、道路には普通に駐車している車があるし、誰も応援しているような人はいません。

 携帯ラジオの中継を聞いてみると、選手たちは北大路通を西に走っている(帰路)ではありませんか! 

 「あれぇーーー おっかしいなぁ」と知人に電話をしてみると、女子は今出川を走らないとか。

 新聞でコースを確認したのですが、それは午後の男子のコースでした。トホホ。

 「駅伝を見に来てなんかいないよ」という顔をして、ちょっとお店を覗く振りをしてから帰りました。


 お昼ご飯を食べて、ボォーっとしていたら、うたた寝をしてしまいました。ヘリコプターの音で目が覚めてテレビをつけると、男子はすでにスタートして、トップはもう御所の南側まで迫っていました。

 「えらいこっちゃ!」と大急ぎでカメラを持ってバイクに乗り、今出川まで激走! 今度は観客もたくさんいて、警察官が交通整理をしていました。

 信号も横断歩道もないところを警察官の目前で反対側に渡ると、すぐに露払いをするような車がやってきて、数台の車に取り囲まれるようにして、トップの選手が走ってきました。

 走っている数台の白バイは、今朝、ボクが府警本部の前を通った時に、隊列を組んで出てきた人たちでしょう。赤いレザーの制服は女性でしょう。

 ボクの母校、比叡山高校がエントリーしているのですが、ボクの動体視力が弱いのと襷などで校名が見にくいのとで、どの選手がそうなのかさっぱりわかりません。

 ファイダーを覗いたり、裸眼で見たいたりしていたら、後ろから「すみません、これお願いしま〜す!」と、毎日新聞の名前の入った青い小旗を手渡されました。

 旗を持った手でカメラをかまえているうちに、最後尾の車両らしき車がやってきて、あっけなく駅伝の一団は通り過ぎていってしまいました。


 帰ってテレビを見ると、比叡山高校はその時点では17位、最終的には31位でした。残念〜!

 駅伝って、テレビで見た方が余程とよくわかると実感しました。でも、まわりの歓声とか、臨場感はやはり現場ですね。

〜 トップだった世羅高校/大文字山に向かって走る 〜
2005年12月25日(日)  No.860

「お兄ちゃん」と呼ばれて
 今日伺った檀家のおばあちゃんは、いまだにボクのことを「お兄ちゃん」と呼ばれます。

 住職の代わりに久しぶりに伺ったら、「まぁー、お兄ちゃん、元気にしてはりましたか?」と、耳が聞こえにくくなったせいか大きな声でしゃべってくださいました。

 ボクがまだ高校生の時から、ずっとボクは「お兄ちゃん」と呼ばれ続けています。ご自分にも、ボクよりずっと年上の娘さんがおられるのに。

 まぁ、ボクも「お兄ちゃん」と呼ばれて、まんざらでもありません。

 帰りに「握手しましょう」と手を握ったら、両手で握り替えされて、なかなか離して貰えませんでした。


 客間の障子を張り終えたので、もう今年は障子張りはヤメることにしました。

 残っている枚数を数えたら気が遠くなります。「あと16枚は1月末までにやればいいし、残りはもっとあたたかくなってからやろうっと。何もこんなに寒い時にしなくてもいいなぁ」と適当に理由を付けての一時撤退です。

 畳も雑巾掛けをして、一応、その部屋に関しては完成! 何となくさっぱりしました。


 雪が降ってから、カラスがたくさん集まってくるようになりました。どうしてかなぁー。

〜 夕焼けの中のカラス 〜
2005年12月24日(土)  No.859

酒好き
 ボクが晩酌に、日本酒を1升瓶から徳利に入れてお燗をしようとすると、さくらがやってきます。

 そして、注ぎ終わって床に置いた1升瓶の口あたりをペロペロと舐めます。

 さくらはお酒が大好きのようです。

 先日、うっかりとお酒をこぼしてしまった時など、まっしぐらにやって来て、ボクが雑巾で床を拭くのを制するようにして、1舐めでも多く日本酒を飲もうとしました。

 さすがにその時は、飲み終わってしばらくするとトロ〜ンとしてしまって、長い間ピクリともせずに寝ていました。

 この飼い主にしてこのネコあり。


 夜中に何度も雪が屋根から落ちる音がして、その度にさくらが飛んで見に行きました。

 おかげですっかり寝不足です。

〜 1升瓶を舐めるさくら 〜
2005年12月23日(金)  No.858

雪の日
 朝起きた時にはそれほど積もっていなかった雪も、7時頃からまた降り出し、どんどん積もっていきました。

 今日、伺う予定のお檀家から、「どうですか? 無理せんといて遅れやす」と電話をいただき、「一度出かけてみて、ダメだったら、また電話させて貰います」と返事。雪駄を手に持ち、靴を履いて出かけました。

 車はワイパーが凍り付いて動きません。エンジンを掛け、暖房で温まるフロントガラスの氷が解けるまでの間に、窓の雪などを傘で落としました。

 積雪は10センチほど。ノーマルタイヤですが、新雪なので、タイヤのグリップはよく効きます。

 勾配がゆるく、比較的道幅が広い今出川への道を選んで走り出しましたが、案外スムーズに走れます。

 「大通りに出たら雪はないだろう」と思っていましたが、今出川は全面真っ白。走っている車は少なく、反対車線を見たら、まるで牛歩のよう。

 今出川を300メートルほど走って、「これはダメだ。事故ったら大変だ。引き返そう」と、元来た道を引き返し、「申し訳ありません。伺えません」と電話をしました。


 午後になって、仏前へのお供えと年賀状を買いに近くのスーパーへ出かけたところ、丸太町通の中央側の車線は雪もほとんど融けていました。

 ついでに、ホームセンターまで行って、障子紙と入り口付近で見つけた雪かき道具を求めました。

 この雪かき、ずっと欲しかったのです。京都のホームセンターで見かけることはなく、他の地へ行った時に見ては、「いいなぁ」と思っていたのでした。

 もちろん躊躇なく買い求め、帰って早速使ってみましたが、実にうまく簡単に雪かきができ、感動しました。


 雪は1日中断続的に降り続きました。

 ボクはひたすら障子張り。大小20枚の障子を張りました。

 張り出すと、あそこもここもと、どんどん張り替える場所が増えてしまい、あと24枚も張り替えなければならなくなりました。でも、今年中には・・・。


 雪の中を採ってきた柚子をお風呂に浮かべ、極楽極楽。

〜 お気に入りの雪かき道具 〜
2005年12月22日(木)  No.857

大きな失せ物
 数日前から、コートが行方不明。洋服ダンスや車の中まで探しましたが、影も形もありません。

 「この前、コートを着ていったのは・・・・」と記憶をたどり、一緒にいた人たちに、「店を出る時、ボクはコートを着ていたでしょうか?」とメールで尋ねてみても、「さぁー、でも、着ないで帰るはずはないでしょう」というような答え。

 確かに、この寒空にコートを忘れて帰るはずもないけれど・・・。それにあんな大きなものがなくなるはずもないし・・・。

 とにかく今年中にコートの所在を探すべく、後は最後に行ったお店に聞いてみるしかないなぁと思って、もう一度洋服ダンスの中身を出して探してみたら、ありました!

 セーターから靴下まで、さくらの手の届くところに置いておくと、みんなかじられてしまうので、何でもかんでも洋服ダンスに詰め込んでいたのですが、コートはハンガーから外れて落ち、そのセーターなどの下積みになっていました。

 あー、よかった。1枚しかないコートなので。


 今年最後の草刈りをしました。落ち葉掃除、すす払い、障子張り、年賀状書き、郵便物の整理なども手がけ、明るいうちは外作業、暗くなったら中という感じです。

 毎日こんなに頑張れば、ボクの人生も違ってくるかも知れません。
2005年12月21日(水)  No.856

今日は日曜日?
 火曜日なのに、どういう関係か日曜日のような気がしてなりません。

 普通の会社なら日曜日は休みですが、お寺の場合は日曜や休日のほうが忙しく、何も用事がないから日曜日のように思うというのとは違います。

 郵便局に行こうとして、「あっ、今日は閉まっているなぁ」と思ったり、何かをしようとして相手が休みだと思って断念しかかったことが何回かありました。

 休みなのは、相手ではなく、ボクの頭の中でした。


 NTTのホームページで、「ひかり電話」でもホームテレホンが基本的に使用可能だと、以前と主張が変わっているのを見つけました。

 NTTには何度も嫌な思いをしているので、もう関わりたくないと思っていましたが、「ひかり電話」が使えるのならと電話をしてみました。

 受付窓口の電話で、ホームテレホンだと告げても、繋がらない可能性もあると言われただけ。ただ、普通の電話から切り換える費用が、ホームページを一見して計算した額より高く、隠れ料金のようなものがありました。

 担当から改めて電話をするということで待っていたら、数日経った今日、京都のNTTから電話がありました。

 女性の担当者は、「私どもは、ホームテレホンは今まで1件も受け付けたことがありません。100%使えません」。

 またか・・・。

 NTTのホームページでは基本的に可能だと書いてあることや、電話機メーカーに確認したところ、保証は出来ないけれど使えない要素はないだろうと言われていることなどを説明しても、「100%使えません」の一点張り。「100%って、どこから出てくるのですか?」と聞いても、「私どもでは取り扱ったことがありません」。もし動作しなくても、こちらで考えるからと言っても、ダメ〜。

 ぜんぜんラチがあかないので、もう少し詳しい人に電話をして貰うように依頼しましたが、さっぱりかかってきませんでした。

 動作確認をするためにかけた電話機メーカの対応はごく丁寧で、窓口係への教育も行き届いていたのに比べて、その差は歴然。

 どうにかして、NTTと縁切りにしたいなぁ。

〜 セーターを踏み踏みしながら吸うさくら 〜
2005年12月20日(火)  No.855

美味礼賛
 全国各地から、大寒波、大雪のたよりが聞こえてきます。京都市の市街地は多少雪がちらついただけで、新たな積雪はありませんでした。

 こんな日はおでん! ボクにとっては、今年最後のミニ忘年会です。

 おでんといえば・・・ 真っ先にボクの頭に浮かぶのは、南座を下がったところにあるお店。一度も行ったことはないのですが、以前から行きたいと思っていたお店の筆頭格です。

 6時開店の5分ほど前に店の前に行くと、すでにサラリーマンらしき人が4人並んでいました。ボクたちが並ぶと、すぐに後ろに続く人が現れました。

 6時ちょうどに暖簾が出て、入った店内は小上がりもテーブル席もない、L字型のカウンター席13〜14のみ。

 カウンターの奥から並んでいた順につめ、順番におしぼりが出て、飲み物を聞かれました。

 カウンターの中には黄金色に澄み通ったダシの中に、おでんの具がいろいろと入っていて、壁に勘亭流のような漢字のメニューの木札がしっかりとした額の中に入っていました。ん〜、なんと読むんだろう? なんのことだろう?

 やはり、並んでいた順に、おでんの注文が取り始められました。

 カウンターの中におられるのは2人。一人はお酒のお燗や注文を伝票に付け、主人らしき人はおでんの注文を聞いてを皿に盛っていく分担のようです。

 20センチほどのお皿の端に刻んだ葱を盛って七味をふりかけ、その横にトロリと溶いた辛子、そして客から聞いた具を入れていきます。極めて手際のいい作業です。

 一人聞いてまた次の人と進んでいる途中、後から入ってきた人がその順番を越えて注文しようとしたら、「すみません、こちらから順番にお聞きしてまいりますので、しばらくお待ちください」と、秩序ある対応。

 お酒のお燗をしている人は、厚手の錫のちろりを何度かお湯から引き上げて、温度を確かめておられます。これも実に手際のよく、お酒の飲み頃を見逃さない姿勢が職人技を感じさせます。
 お湯から引き上げたちろりで、まず最初の1杯目はカウンター越しにお店の方が注いでくださいました。

 おでん鍋と燗をするためのお湯を張った鍋、その余熱でおしぼりを温める場所などが一体となった、幅1メートル、奥行き50セントほどの銅製の鍋が、この店のすべての所業を生み出す“聖地”です。

 ようやくボクに順番が回ってきて、海老芋、豆腐、蛸、湯葉を注文しましたが、蛸と湯葉は注文を聞いてから鍋に入れるので少し時間がかかるとのこと。

 まずは、海老芋と豆腐をいただきましたが、うっすら色が付いているだけにも関わらず、出汁はよく効いていて、しっかり味が付いています。実に美味しい! すばらしい!

 注文が一巡した頃、また最初の人から二巡目の注文を聞き、その後は順不同に、追加したい人が注文していきました。

 ボクは二巡目で、大根(聖護院)、宝袋(巾着)、玉子などを頼み、その後、蕗、ロールキャベツ、竹の子、鴨団子などを追加。どれを食べても実に美味しい!

 加えて、お店の人の対応が実に気持ちよく、美味しく、気持ちよくいただき、ほんのり酔うことができました。

 澄みきった黄金色の出汁。それが今も思い出されます。

 このお店は、明治16年に創業し、100年以上もおでん一筋に歩んでこられたそうで、今の当主は4代目。

 最近流行の“創作和食”“京風料理”などは足元にも及びません。行きつけに出来るお店が一つ増えたと、大満足でした。

 おでんネタだけで、こんなに書いてしまいました。

〜 色は薄いが味はしっかり! 〜
2005年12月19日(月)  No.854

難を転じる
 目が覚めたら、屋根の上が白くなっていました。5センチぐらいは積もっているでしょうか。

 「あ、外の掃除はできないなぁ」と、朝の仕事が一つ減ったことにホッとしました。

 日が差してくるのを待ちかねて、8時半頃、白い境内に出てみたら、すでに足跡だらけ。一団体が通り過ぎたあとのようでした。

 「雪景色撮影会の御一行さんでも来たのかな?」と参道を登っていくと、手水舎の屋根の下でイーゼルを広げてスケッチしている人を見つけました。南極越冬隊のような格好で丸まり、手だけを動かしておられました。

 3〜4人のカメラ翁がウロウロされていましたが、なぜかあまり心惹かれる雪景色ではなかったので、数枚撮って早々に戻りました。


 檀家宅へのお参り、自坊での法事を済ませ、午後は障子紙を切って張り替えの準備をしたりと、何となくダラダラ。意気の上がらない日でした。


 お参り先で、読経を始めた途端にお腹が差し込んできて、一時はどうなるかと思いました。

 お経を止めてトイレを借りようか・・・ いやいや、そんな格好の悪い・・・ もう少し頑張ってみよう・・・ あー、ダメかも・・・

 波状的に襲ってくる差し込みに耐えながら、何とか読経を終えましたが、耐えている時のお経の声はさぞかし変だっただろうなぁと思います。

 自坊から近いお家だったのですが、アクセルをふかすと車がふらつくような雪の残った道を、「ここで事故ったら、あぶない。車もあぶないけど、お腹もあぶない」と、はやる心を押さえながら、無事に帰ってトイレに駆け込みました。

 便座に座った時の安心感って、何にも代え難いですね。

〜 雪をかぶった南天の実 〜
2005年12月18日(日)  No.853

ヒューマンコンサート
 障子張り4枚完了! 残すは3/4!


 夕方から、近くの集会所で行われた小さなコンサートに行きました。

 部落差別や民族差別、障害者差別、識字学級など、人権の大切さを音楽などを通じて啓発しようという企画で、近くの小学校の先生たちの多くが関わっておられました。

 そのコンサートに、小学校の教頭先生からの依頼で、ボクの関わっている共同作業所の沖縄音楽チームを紹介した関係もあり、昨年に引き続いて聞きに行きました。

 作業所チームの演奏は初っぱな。みんな緊張していて、聴衆もまだ雰囲気に馴染んでいないため、少々堅い雰囲気でしたが、賑やかな『繁盛節』では踊ってくださるお年寄りも出て、一気に和やかになりました。

 その後は、小学校や中学校の先生たちのバンドの演奏。ほとんどがオリジナル曲で、内容が人権啓発などのメッセージ性の強いもの。ちょっと長かったかなぁ〜。

 また、別の先生たちによる韓国の打楽器の演奏なども、なかなかの迫力でした。

 この小学校の先生はほぼ総出でこのコンサートに関わっておられるのではないかと思える力の入れよう。先生たちの熱意がとてもよく伝わってきました。

 ただ、“人権問題啓発”一色で、音楽を楽しむというより勉強するというムードが強く、もう少し自然に入っていけるものだったら、より多くの人が参加してくれるだろうにと、ちょっと残念に思えました。


 終わってから仲間と呑んだ泡盛、美味しかったぁー。

〜 コンサートで歌う作業所の沖縄音楽チーム 〜
2005年12月17日(土)  No.852

障子張り、始まったと思えばすぐ終わる
 客間の障子張りを始めました。

 障子16枚分。雪見障子で、上下させる部分がわかれているので、枚数からいうと3尺四方程度のものが32枚になります。

 今日は今年一番の冷え込みとか。客間は火の気もなく、さっぷい、さっぷい。

 「どうせ、またさくらにやられるんだ・・・」 そう思うと、意気が上がりません。

 8枚分の紙を切って用意しましたが、4枚張ってメゲてしまいました。


 落ち葉が減ってきたので、今日が今年最後の焼き芋となりました。

 秋のシーズンの慰労の気持を込めて、本堂の職員さんに焼いてさしあげようとしたのですが、芋がしっかりしていて、かつ大きく、みんなが帰る時間に焼き上がりませんでした。

 夕方になって、明日もう一度追い焼きしようと思い、芋をいったん火から出しました。

 2日にわたる焼き芋。そんなこと今までしたことないのですが、美味しいかなぁ・・・。あげる前に試食しないといけません。


 今日の夕焼けは、落ち着いた風情で、綺麗でした。

〜 自室から見える夕焼け 〜
2005年12月16日(金)  No.851

「滞」かなぁ
 年始墓参の方のための水塔婆書きがようやく終わり、頭の片隅にいつもつかえが一つ取れた気がしています。

 後は、障子の張り替え、仏器磨き、大掃除、年末調整・・・ 自分の年賀状書きもしなければいけません。あと2週間でどこまでできるでしょう。

 正月が来るのはさして嬉しくもありませんが、正月が来ないとできないこと(やる気になれないこと)もありますから、のんべんだらりと過ごすよりはいいかなぁと思います。

 うかうか1年過ぎてしまった気がします。

 先日、1年の世相を表す今年の漢字に「愛」が選ばれましたが、ボク自身を表現すれば「滞」かなぁ。

〜 すっかり葉も落ちた窓の外 〜
2005年12月15日(木)  No.850

「年行事」
 NHKで、『歴史の選択 赤穂浪士 〜討ち入り組 VS 討ち入り不参加組』という番組を放送していました。

 見損ないましたので、どんな内容かわかりませんが、タイトルだけみて、「忠誠を誓えるだけの上司なんて、今はなかなかいないなぁ」と思いました。

 それだけ。


 今日は真如堂一山1年1度の定例会議「年行事」。輪番に当たったお寺で、一山の会計や人事の承認など、様々なことを協議します。

 定例の議題はすんなり進行しましたが、最後に、秋の紅葉シーズンの問題が臨時に提起されました。

 受け入れ態勢がないのにテレビの中継などを受けて入山者を増やしたことへの異議、車公害、近隣にかけてしまっている迷惑、有料拝観制の問題、来るべき本堂の屋根の葺き替えへの備えなど、いろいろな問題が提起されましたが、、時間をかけても終わりそうにないので、また改めて協議することになりました。

 紅葉期の大混雑は、真如堂にはもちろん、近隣にとっても大きな問題です。

 この問題を整理していくには、お寺のあり方をどう考えるかということが根源にあります。単にその場その場でどう対処するかということでは、対応がコロコロ変わってしまうでしょう。
 そういうことを話し合ういい契機になればと思いました。

 終わって懇親会。イタリアかフランスのアルコール50度というお酒にやられてしまいました。

〜 つくばいにできた逆氷柱の赤ちゃん 〜
2005年12月14日(水)  No.849

カシミヤのセーター
 今日も昼前から夜遅くまで、ずっーと塔婆書きをしていました。

 我ながら下手な字ですし、字がコロコロ変わっています。気分にムラがあるのでしょうか?


 さくらが来てからもうすぐ8ヶ月目に入ります。

 拾ってきてすぐにくるんでやり、入院する時も一緒に持っていったカシミヤのセーターが、ボロボロになってきました。袖は半分になり、長けもお臍ぐらい。他にも、あちこちに穴が空いています。
 なくなった部分は、全部さくらが食べたのです。

 猫が洋服や毛布をかんだり、食べたりする行動は、「ウール・サッキング」と呼ばれているのだそうです。

 原因としては、東洋系の猫に多い遺伝的なものと、もう一つは早期に離乳させられたといった環境的な要因。早期の離乳が原因となって、「お乳を吸う」という衝動を満たそうとして、そのような行動をする場合があるのだそうです。

 さくらは、母猫のお乳を吸ったことがあるのでしょうか? 生後すぐ、あるいは長くても1〜2日しか経っていない時に何らかの理由で母猫と離れ、ボクが拾ってきたのですから、おそらく母猫のお乳を吸ったことはないのではないでしょうか? ぬくもりも知らないかも知れません。

 さくらは、1日に何度もセーターをくわえながら、両前足でお乳を押すような仕草をし、しばらくするとしゃがみ込んでチュウチュウとセーターを吸っています。
 その時のさくらの目は恍惚としていて、とても近寄りがたい雰囲気です。

 さくらがセーターをくわえ、食べてしまうのが、母猫が恋しく、お乳を吸いたい衝動によるものだと思うと、可哀相でしかたがありませんが、ボクにはそれを満たしてあげることはできません。

 ボクが塔婆を書いていると、すぐ横や、洋服ダンスの上、パソコンラックの上など、部屋の中を転々としながらボクが姿が見える場所で寝ていようとするさくら。

 さくらには、ボクは母親としてすり込まれているのかも知れません。

〜 さくらに食べられたセーター 〜
2005年12月13日(火)  No.848

会津の新城さん
 今日は本堂の大掃除。“若手”僧7人と、職員7名で、本堂と書院をすす払いしたり、雑巾掛けをしたりしました。

 寒かった・・・。


 喪中欠礼の葉書が毎日送られてきます。

 大掃除から帰ったら、ボクの大好きだった方の子息から、11月3日に84才でお父さまが亡くなったという葉書が来ていました。

 「はぁ・・・・・ 新城さん・・・・・」

 新城さんは、会津若松で150年余にわたって造り酒屋を営んでこられた酒蔵の先代当主。

 ご子息の病死を契機にターミナルケアについて考える会を会津若松で作られ、そのご縁から、私が事務局をしていた会の大会を当地で開催したりして、15年近いお付き合いがありました。

 黒谷の会津墓地で、毎春、会津藩士を供養する「会津祭」が行われることもあり、京都にも度々お越しになりました。

 しばらくご無沙汰だなぁと思っていると、「竹内さん、明日、いるかい? じゃぁ、行くから」と会津弁で電話がかかり、翌日には大きな体と声の新城さんが現れました。
 腰にはタオルを付け、ズボンのチャックは時々開いていて、一見こわそうですが、笑顔のステキな、とても無邪気な方でした。

 米不足で酒造米が確保しにくくなった年には、全国酒造メーカーの組合の役員をされていた関係で、全国を飛び回って苦労されていました。

 ボクが会津若松へ行った帰りに尾瀬に立ち寄った時、山が荒れて、遭難者や死者が出たことがありました。新城さんは、「大丈夫だったか!? 心配していたんだ」と電話を下さったこともありました。

 豪快な反面、とてもやさしく、細やかな心配りの方でした。

 お体をこわされてからは京都にもお越しになれず、せめてと、ボクも桜が満開の会津墓地の写真をご子息である社長さんに宛にメールで送ったこともありました。

 ネットで調べてみると、告別式には数千人が参列されたとか。いかに多くの人に敬愛されていた方かがうかがい知れます。

 ボクは新城さんのごく限られた一面しか知りませんが、昭和という時代を獅子のごとく走り抜けた、会津の偉大なる文化人だったようです。

 雪がとける頃、会津若松にお参りしたいと思っています。

 大好きな人が、また一人おられなくなりました。

〜 バケツをひっくり返して濡れた畳 〜
2005年12月12日(月)  No.847

師弟で「ゴホン」
 今月に入ってから、住職が風邪を引き、喉を痛めて、声が出ません。今日も法要が2座あるのに、声はかすれたまま。

 かすれていようが、咳が出ようが、声を出さないわけにはいかないので、何とか出そうとしますが、無理に絞り出すのは全身を使う作業で、かなり辛いものです。

 医者には声を出さない方がいいと言われているようですが、そうもいきません。

 若干はボクに仕事を回していますが、意地のようになって固守している部分もあります。

 「何とかは風邪を引かないといいますが、私はひいてしまいまいした」と、お経をあげた後にオチを言っています。

 ボクも、11月頃からずっとステロイドの吸入をして喉の様子をみながらやってきています。誰の血をひいたのでしょう。


 午後から夜までは、水塔婆書き。

 合間を縫って、気晴らしに、楷樹ともみじの幼木を植えました。もみじは雑木林から実生の苗を取ってきて、植木鉢で養生していたものです。

 「これが大きくなる頃には、ボクはどうしているだろう・・・ 次の世代が見てくれるだろう」などと思いながら、穴を掘りました。

〜 都大路では走る人の姿が目につきました 〜
2005年12月11日(日)  No.846

大好きな季節
 今日は土曜日。

 掃除をしていても、観光や写真を撮りに来られたような人の姿はほとんど見かけなくなりました。

 紅葉が美しい、されど人だらけの季節か、紅葉はほとんど終わったけれど人のいない今か、どちらを選ぶかと言われれば、ボクは間違いなく後者です。

 紅く美しい葉をつけたもみじがまだ数本残り、境内を歩く時は枯れ葉の上をカサコソ音を立てながら歩くこともできます。

 日の差した日に、そんな境内のベンチで焼き芋でも食べたら最高でしょう。寒くないように着込んで寝ころび、顔の上にヒラヒラ舞い落ちてくるのを見ているのも最高に楽しいでしょう。

 うん、今の季節。ボクは大好きです。


 通販で求めた楷樹(カイノキ、ラシンボク)の苗木が届きました。

 人が充分入れるほどの大きなダンボールには、「苗木は長旅で疲れています。どうか充分な水を与えてあげてください」というシールが貼ってあり、木への思いを感じました。

 中国の孔子廟に植えられていて、「学問の木」と呼ばれているとか。秋から黄〜紅葉してとても美しいというので求めましたが、高さが20メートルほどにもなるとか。

 衝動買いしましたが、どこに植えようかなぁ・・・。

〜 こんな美しい木がところどころにある今の真如堂 〜
2005年12月10日(土)  No.845

板長の料理は100点、女将はおまけして20点
 今日は、超宗派の僧侶の会「薄伽梵KYOTO」の忘年会。年齢なども関係なく、気楽にいろいろなことが話し合える仲間たちとの酒宴です。

 今回は少しリッチに懐石料理。

 歌舞伎界の方が定宿とされることが多い、京都でも有名な数奇屋造の老舗旅館で、長い間料理長を勤めておられた人が独立し、3年前に開店したというお店をネットで見つけて予約しました。
 ネットでの評判もよいお店でした。

 評判通り、お料理は美しく、美味しく、心から満足させていただきました。

 ただ・・・

 実は予約の段階でもいろいろと気分の悪いことがあり、正直、お店を替えようかと思ったほどだったのです。

 まず最初に予約した時、大方の人数を伝えたら、女将と思われる人に、「本当にその人数になりますか?」のようなことを聞かれました。
 人数によって、部屋を1つ使うか、2つ使う必要があるか分かれるようで聞いたようですが、その聞き方がきわめてぞんざいでした。

 当日の3日ほど前になって、お店から人数確認の電話があり、折り返してこちらから人数を伝える電話をしました。

 定休日を挟んだ昨日、再びお店から、「人数を知らせてもらってない」という電話がかかったので、こちらはちゃんと電話したことを伝えましたが、その時の女将の対応の腹の立つこと!
 どうして電話で言ったはずの人数が伝わってないか聞くと、電話に出た見習いの人がボクの電話を聞いてメモをしていなかったらしく、昨日は料理学校に行っていて連絡がとれなかったのだそうです。

 お店側でちゃんと調べてから連絡するか、それでもわからなければ「申し訳ありませんが・・・」ともう一度尋ねるのが当たり前だろうと、ボクも文句を言いました。それを、「人数を知らせてもらってない」とぞんざいな口調で言ってくるとは。

 そういうことがあった後、お店に行くのは気が進みませんでしたが、仕方がありません。

 お店に行っても女将から詫びの一言もありませんでしたが、そんなことでせっかくのお料理を不味くしてももったいないので、皆と歓談していただきました。

 が、お料理に反して、接待は2流。女将も仲居さんも着物を着てそれらしく見せていますが、繊細で格調高いお料理の半分の品もありません。
 板長は、老舗旅館並みの接待が出来る人を引き抜いて開店すればよかったのにと思いました。

 お酒好きのメンバーが、お燗が熱すぎると注文を付けると、いろいろと言い訳をするばかり。そのメンバーは気分を害していました。

 カウンターで板長と話をしながらいただくならもう一度来てもいいですが、座敷での宴席はもうする気が起きません。

 お料理が美味しかっただけに、残念なお店でした。

 ということがありましたが、いつもながら楽しい薄伽梵の宴会でした。

〜 冬の京料理の代表格かぶら蒸し 〜
2005年12月9日(金)  No.844

広隆寺参拝
 何人もの人から、「広隆寺はよかった」と聞いていたので、道すがら立ち寄ってみました。

 駐車場に車を駐める時、「国宝第一号の弥勒菩薩半跏思惟像の広隆寺にお参りですか?」などという長目の質問を係員に受けました。
 ここは国宝第一号が自慢だということも聞いていましたが、駐車をする時の枕言葉にまでなっているとは思いませんでした。

 境内の諸堂を回り、その仏像の立派さにまずは感激。

 霊宝殿の拝観受付で、また決まり文句を聞かされるのかと思ったら、ここはすんなり通してくれました。

 宝物殿はいろいろな方からお聞きしていたとおり、圧巻。桐を内張したと思われる広い展示室には、「国宝第一号の弥勒菩薩」はもちろん、十一面千手観音や不空羂索観音、十二神将、吉祥天など、平安時代前後の仏像がずらりを並んでいました。

 さすが、平安遷都以前、高度な治水技術で河川工事などを施して土地を改良し、荒れ地を農耕地に替えて、嵯峨野一帯に絶大な力を及ぼしていた秦氏。その氏寺である広隆寺にこれだけ多くの仏像が現存しているのもうなずけます。

 かつて京都の学生が弥勒菩薩半跏思惟像のあまりの美しさに抱きつき、仏像の小指を折ってしまうという事件がありました。それを修理したのはボクの叔父弟子にあたる西村公朝師でした。

 その修理の時、現在の弥勒菩薩半跏思惟像は、漆が剥落した状態で、もともとは漆のなかに抹香などを入れたもので肉付けされていたことがわかったそうです。
 細い腰にしてはドッシリとした足。そのお姿に肉付けをしたら、どんなお姿の弥勒菩薩になられるでしょう。

 「国宝第一号の弥勒菩薩」のおられる広隆寺は、バスの団体客が疾風の如く行き交っていく時間以外は、シーンと静まりかえっていました。

 次は千本釈迦堂の宝物館にも行ってみたいなぁ。

〜 広隆寺のトイレ前にて 〜
2005年12月8日(木)  No.843

人波ひく
 朝、大文字山を見ると、「大」の火床がまだ白く雪が残っていました。

 こんなに寒くなっても、枝に残った紅葉がわずかになっても、紅葉を見に来る方が少なくありません。

 例年だったら10日ぐらいまでは何とか楽しめたような気がしますが、今年は一気に散ってしまいつつあります。

 でも、一時のような圧倒的な人波はひいて、冬ざれの雰囲気も漂ってきて、凛とした空気が感じられるようになってきました。

 ようやく落ち着いた日がやってきます。

〜 窓から見る景色にも動きが少なくなり、さくらも退屈 〜

2005年12月7日(水)  No.842

雪起こしの雷鳴
 朝まだ明け切らぬうちに、雪起こしの雷鳴に起こされ、霙が降っていたと思っていたら、そのうち水分をたっぷり含んだ雪に変わりました。

 今日は、午前中に檀家宅へのお参りを済ませた後は、昼前にボランティアの事務所に入ったなり、夜9時半頃までずっと籠もっていました。帰りには修復しきれなかったノートPCをお持ち帰りです。

 朝9時前に出かける時は、路面がシャーベット状の雪に覆われていましたが、帰りには車のフロントガラスが凍り付いて、走り出すまでにしばらくかかりました。
 12月中に、こんなことは滅多とありません。

 帰り道、大通りから真如堂に向かう細い道に点在するマンホールからは、みな、白い湯気があがっていました。

 「この辺りの人は、今、みんな風呂にでも入っているのかなぁ」と思いましたが、それにしては湯気の上がっているマンホールが多すぎます。やっぱり、それだけ寒いのでしょう。

 マンホールから湯気なんて、ニューヨークみたい。

 まだまだ紅葉気分の抜けない中、いきなり寒波に横っ面を張られた感じでした。それもまた風情があります・・・・・やせ我慢かな。

〜 凍ったフロントガラスと朝から一緒にドライブした紅葉 〜
2005年12月6日(火)  No.841

フゥ〜!
 植物園に行った フゥ〜! フウの木の紅葉を見に行った フゥ〜! 大きくて綺麗なフウの木やった フゥ〜!

 失礼しました。

 今日の京都は今冬一番の冷え込み。京都を取り囲む山々はうっすら白く雪が積もり、北の方では氷が張っていました。

 木枯らしが吹きすさぶ中、植物園に行きました。

 少し前にフウの紅葉が見頃だという新聞記事を見て、ぜひとも見たかったのと、カエデ類の種類を見てみたかったからです。

 カエデの一種として、真如堂にはよく知られている「花の木」があります。

 この木は、木曽福島から京都植物園に移植され、その後、昭和4年に三井家が真如堂に寄付したものです。
 京都植物園は、大正初期、三井家からの55万円の寄付を受けて造られたもので、その返礼として三井家がこの木を譲り受け、それが真如堂に植えられたのです。

 その時の「花の木」は手水舎の横と本堂の左前にありますが、近年、三井銀行創業300年の記念樹として植えられたものが塔の本堂寄りに数本あり、「花の木」と彫られた自然石の石碑が建っています。

 前者は言ってみれば由緒正しき「花の木」。後者も「花の木」には違いないのでしょうが、お互いの木は芽吹きの様子や紅葉の仕方や色などが少し違っています。

 これは、雌雄の株による違いなのか、あるいは後から植えられたものが「アメリカハナノキ」など少し違う種類なのか、確かめて見たかったのです。

 残念ながら、植物園のカエデ類はほとんど散っていて、ほとんど参考にすることは出来ませんでした。また来春以降に何度か訪れてみたいと思っています。

 また、手水舎横の「花の木」と同じくらいの樹齢の、ひょっとしたら同時に岐阜県から移植されたとも想像できる株が、枯れかかっていました。とても残念です。


 フウの木の紅葉は、期待したほど澄んだ色ではありませんでした。やはり、フウの紅葉も今年は不調なのでしょうか? 今日の空は鉛色。これが青空だったらと悔やまれました。

 それでも樹齢90年、樹高20メートルほどの、赤や黄色の葉をいっぱい付けて枝を広げたフウは、実に見事で、見とれてしまいました。


 広〜い植物園を一周しても、すれ違った人は、職員らしき人を除けば10人足らず。
 寒くて、トイレを見つけるたびに立ち寄っていましたが、静かで落ち着いた、自然に囲まれた一時でした。


 帰ってから「フウ」を調べてみました。
 「楓乃(の)木」と書いて「フウノキ」と読むこと、また楓のような葉で、名前に「楓」が付くのに、カエデの仲間ではなくマンサク科だということも、今さらながら知りました。

 フウ、モミジバフウ、メグスリノキ、???、たくさんの葉を拾ってきましたが、帰ったら何が何かわからなくなってしまっていましたフゥ〜!

 あー、楽しかったぁ フゥ〜!

〜 枝一杯に紅葉したフウ 〜
2005年12月5日(月)  No.840

揚げ蕎麦あんかけ
 「今日は京都泊まりだから、一緒に呑もう」と、また吉野から出て来た高校の先輩に誘われました。先月のリベンジです。

 日曜日で開いている店も少なく、「どこかないかなぁ」とメールで聞かれても、ボクにもわかりません。
 先月待ち合わせた店にメールで連絡すると、「わかりました! 営業致しますので、お待ちしております」との返事があり、結局その店に行くことに決まりました。

 先輩の所用が終わるのを待っちながらボクは家で夕食を食べ、店で待ち合わせ、ジャズのバラードが流れる中、今夜は腰を落ち着けてゆっくり話が出来ました。
 でも、せっかく開けてくれたお店も、客は結局ボクたち2人だけ。何だか申し訳なかったなぁ・・・。

 帰りに、先輩が「お腹空いたなぁ。何か食べようか」と言うもので、先月のコースを辿って、トマトそばのお店に行きました。

 もちろん、ボクの狙いは「揚げ蕎麦あんかけ」です。

 普段はコースの中に入っているメニューの揚げ蕎麦あんかけを、単品でお願いしたら、ご主人はニコッとして快く受けてくださいました。きっと、ご自慢のメニューなのでしょう。

 先輩はトマトそばに食指を伸ばしかけたものの、外気の寒さに気が失せ、温かい蕎麦を注文。

 出てきた揚げ蕎麦あんかけは、その名の通り、香ばしい色の揚げた蕎麦麺に人参やお揚げ、葱の入ったあんがたっぷりかかっていました。

 美味しそう・・・。

 蕎麦はカリカリして歯ごたえがあり、何と言ってもすごく蕎麦の香ばしさが引き立っています。あんはダシがよく効いていて、味が深い! ダシには、吟味した利尻昆布に目近節、サバ節を使用し、化学調味料は一切使用していないそうです。

 長崎の皿うどんは、しばらくすると麺が柔らかくなっていきましが、この揚げ蕎麦は食べ終わるまでカリカリ感が残っていました。

 うん、満足です。ご馳走様でした。でも、呑んだ後に食べるのはちょっとキツイですね。

 考えてみれば、この店で普通の蕎麦を食べたことがありません。

 一番粉そば粉を、丹波のつくね芋だけで打った生粉打ちそばが、この店の本来の名物とか。今度はそれをいただいてみようかな。来年になりそうです。

 食べ物ネタが多いですねぇ・・・。

〜 河道屋銀華の「揚げ蕎麦あんかけ」 〜
2005年12月4日(日)  No.839

“わらじ医者”登場!
 今日の「メダカの学校」の講師は、“わらじ医者”こと早川一光先生。先生の話を聞きたい人も多かろうと、いつもの倍の席を設けて準備しました。

 「混んでますよ」と連絡しておいたら、先生は講演時間の1時間半も前に奥さん共々お越しになり、持参の弁当を召し上がって、皆が写経をしたりするのをウロウロしながらご覧になっていました。

 自ら自家用車を運転し、朝6時半からラジオの生本番、その後滋賀県の草津で講演。そして「メダカの学校」へお越しくださった先生も82才。


 先生との出会いは、今からもう20年近く前まで遡ります。

 「人の体を診るのは医者の役目、心を観るのは坊さんの役目だ。医者と坊さんが協力して、人を丸ごとみていこう」というようなことを提唱され、わたしたちが超宗派で作っていた会「薄伽梵KYOTO」がそれに賛同して、病院での法話や臨床訪問を始めたのでした。
 その後その流れは大きくなり、当時は特異で奇異なものと見られたその活動が、今の仏教界では“必要で大切なこと”と認識されるまでになりました。

 一度、ボクは先生が西陣界隈の高齢者の往診に行かれるのに付いていったことがあります。

 「今度、一緒に行こう」と誘われ、略衣のまま病院の先生を訪ねたら、「その格好じゃぁなぁ・・・ これを来てんか」と言われ、白衣を渡されました。

 黒い衣を脱いで白衣になり、その上に先生から渡された白衣を着ました。足元は白い鼻緒の草履。ポケットには数珠。

 我ながら変な格好だなぁとは思いつつ、先生と看護士さんと私で、往診車に乗って、西陣の家々を回りました。

 往診に伺ったご本人や家族は、いつもと違う者が一人一緒にいるだけでも違和感があるのに、その上、白衣を重ね着して雪駄を履いているボクを見て、口には出さないものの、ずいぶん変な顔をされました。

 導尿の処置をする時などは、「竹内さん、ちょっとあっち行っておいて」と言われて席を外したり、ボクも落ち着きません。

 そのうち、あるお家の寝たきりのおばあさんが、ボクに向かって、「あのー 頭は丸いし、なんかおっさん(坊さん)みたいですなぁ」とおっしゃいました。ボクも、「はい、そうですねん」と応えましたが、おばあさんは不思議な顔。仕方なしに、ポケットに忍ばせていた聴診器ならぬ数珠を差し出し、「ほれ、ほんまに坊さんですねん」と言ったら、おばあさんは、「ひぇーー」と悲鳴をあげられました。

 その後、先生と回った家のうちの独居の方をひとりで再訪したりしましたが、ボクが行くとお布施を用意されたりして困ってしまい、そのうちやめました。

 坊さんがお経をあげにではなく、話を聞きに訪問するということは、なかなか難しいことだなぁ。まずは自分の檀家の家から始めるよりないなぁと思いました。


 先生の話は、いつものように面白く、駄洒落を言っては反応を強制するものでした。もちろん、示唆に富むことがたくさんあったことは言うまでもありません。

 「年1回、ここに来るから」と言ってくださり、奥様も「私たちは竹内さんを応援しているのだから」と謝礼も取ってくださいませんでした。
 有り難く、サボってはいられないと、身の引き締まる思いでした。

 今年の「メダカ」もこれでお仕舞い。先生のお蔭で、楽しく、有意義な会になりました。

〜 動き回って話をされる早川先生 〜
2005年12月3日(土)  No.838

仏性ありや
 また年端もいかない少女が殺されてしまいました。こういう事件って、伝染するのでしょうか。

 ニュースを聞くたびに、いたたまれません。

 たとえ捕まって無期懲役になったとしても、10年も経たないうちに出所して、また同じ過ちを繰り返す。同じ犯罪を繰り返す可能性は高いといわれています。

 仏教では、すべての人には仏になる性質が備わっていると説きます。

 ある時、知り合いの僧侶が、「すべての人に仏性があるなんて嘘や。どうしようもない人もおる」と言ったことがあります。

 犬に仏性があるかという公案があるのはさておき、「どうしようもない人がいる」というのは実感でしょう。

 でも、「ある」と思っていないと布教などできない、それが僧侶の基本姿勢だろうと思います。

 今回の犯人たちも、どこかで方向性を正してあげれば、いずれはちゃんとした方向へ進むのでしょうか。

 亡くなった子供たちは、もう帰っては来ませんが・・・。

〜 西多摩伝来のウチワカエデ 〜
2005年12月2日(金)  No.837

今年も懲りないカメラ翁
 紅葉が終わりかけているのに、まだまだたくさんの人が訪れています。

 自坊の前の囲いの中は、今の境内の中で一番綺麗かも知れません。また落ちて敷き詰められた赤や黄の葉も見事とあって、人だかりが出来ています。

 お蔭で、苔はボロボロ。紫陽花は折られる、萩は踏みつけられるで、散々です。

 落ち葉掃除にも最近は1時間以上かかるようになってきました。集めた落ち葉も日々増える一方。

 そんな落ち葉を使って、今日は今季初めての焼き芋をしました。

 使ったお芋は、ホームページにお越しくださるかたから教えて貰った「安納いも」。種子島の安納地区が発祥の地の、古くから伝わるサツマイモで、生産量が大変少なく、今まで種子島の一部の地域でしか流通しなかったそうです。
 JA鹿児島から5キロを取り寄せ、昨日届いたばかりです。

 落ち葉焚きの灰の中で焼くこと約1時間。さっそく、これを楽しみに来られた遠来の客にお出ししました。
 中は濃い黄色〜オレンジ色。しっとり? べっとり?した肉質で、とても甘かったです。こういうタイプのサツマイモは初めて。


 焼き芋を焼く煙が時折、自坊前の紅葉のほうへたなびいていきます。まだ人も少ない頃でしたが、“カメラ翁”はすでに出張っていました。

 煙が幻想的だと喜ぶ人や、迷惑そうな顔をする人など、いろいろ。こちらも毎日燃やして処理をしないと、あっという間に落ち葉が溜まるので、仕方ありません。

 人が少し減ってきたら、通路の真ん中に陣取って通行を妨げたり、立ち入り禁止のところに入ったりと、自分勝手なことをするカメラ翁が、逆に増えてきました。

 あまりに目に余る人には注意をしますが、必死の形相でカメラにかじりついているような人には、注意もなかなか通じません。

 ある立ち入り禁止のところに入っていた人に3回目の注意をしたところ、「ホントにマナーがないんだから」「みんなルールを守っているんだから」と他のギャラリーたちもボクに加勢。その人は、しっぽを巻くように逃げていきました。

 恥をかかせたみたいで申し訳ないですが、きっと全然懲りていないでしょう。

 紅葉の人でも日曜日まで。また静かな境内が戻ってきます。

〜 安納いもの焼き芋 〜
2005年12月1日(木)  No.836

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