[一覧] [最新]

2005年11月の日記

創作和食はむずかし
 遠来の客と食事に行きました。

 「京野菜創作料理」と銘打ってあり、完全予約制で、予約の時に客の年齢や食事の目的を聞くというこだわりの店。遠来のお客さんには、京都風の料理がいいだろうと選びました。

 店は、マンションの一室。オートロックを解除するために、マンションの入り口で部屋番号を押してインターホンで連絡を取り、ロックを解除して貰うという変わったお店。

 後から店主に聞くと、開店するに当たり、銀行からお金を貸して貰えなかったので、マンションで始めることになったのだとか。

 店内も、さほど改造していないマンションの一室という雰囲気でした。

 味は・・・。創作和食ですからいろいろと工夫がしてあるのですが・・・。

 創作和食をうたっている店で、いままでに「これはうまい!」と思った店はなかなかありません。
 やはり、長い時間を経て洗練されてきた伝統的なメニューを超えるのは難しいのかなぁと思いました。

 かといって、本当の京料理を食べると、夜は1万円ではききませんし、最近は、東京系“京料理”も増えていて、騙されかねません。

 お料理以上に気になったのは、このお店の給仕の仕方。お料理を座卓に出す時、立ったまま手を伸ばすだけで置いていましたが、せめて膝を畳につくぐらいはしないと・・・。
 これは料理以前の問題だなぁ・・・。

 せっかくお連れしたのに、ちょっとハズレかも・・・。なかなか意中の店はないですねぇ。

〜 オートロックを解除してもらい・・・ 〜
2005年11月30日(水)  No.835

もみじ葉散り初める
 夜来の雨も上がり、今朝はたくさんの葉が落ちていました。

 もみじの葉も落ちだし、いよいよ落ち葉の季節到来です。今年の紅葉は、いいとこなしに終わってしまうのでしょうか。

 窓から、降り注いでくる銀杏の葉に向かって両手を広げ、あたかもタイタニックのクライマックスシーンの女優のようなポーズをする女性の姿が見えました。

 とても喜々としていて嬉しそうで、最初は若い人かと思いましたが、よく見ると50才そこそこでした。


 午後、ボランティアに出かけようとしたら、車の前は人だかり。エンジン音に気が付いて避けてくれる人はわずかだったので、しかたなく小さめにクラクションを鳴らしたら、迷惑そうな顔をされました。

 それでも気が付かず、向こうからぶつかってきそうな人もいて、門を出るまでに一苦労でした。

 夜戻ってきた時には、さすがに人影もなく、ホッとしました。あと1週間の我慢かな。

〜 落ち始めたもみじ葉 〜
2005年11月29日(火)  No.834

絶景だけど・・・
 「かふぇ水琴窟」の後かたづけをして、後はひたすら護符作り。

 ようやく9時半頃になって、完成!! さほど大した作業でもないのに、なかなか集中して出来なかったので、ずいぶんと日にちがかかりました。

 明日から、年始の墓参用の水塔婆書きにかかります。


 いつもさくらが眺めている、ボクの部屋の小さな窓からの景色。絶景ですが、やっぱり、今年は色が冴えてきませんねぇ。

〜 自室北側の窓から見た景色 〜
2005年11月28日(月)  No.833

法要とかふぇの掛け持ち
 法要4座の後、「かふぇ水琴窟」。

 法要に来られる方には、「今日はすごく混みますよ。車だったら早目にお出かけください」とご案内しておいたので、いずれの方々も遅れることなく、スムーズに法要が執り行われました。

 ただ、住職は焦って焦って、まだ定刻20分ほど前で、皆さんが着いて早々お茶を飲んでおられるのに、「もう始める」と言い出したりして、制止するのにこちらもムカムカ。

 お経の読み方も何となく気ぜわしいのが伝わってくるので、こちらもわざとゆっくり目に木魚を叩きました。

 歳を取ると、どうしてああなるのでしょう。ブツブツ。

 仏さま、申し訳ございません。


 法要が始まる前、まだ9時過ぎ頃に「かふぇ」の準備をしていたら、さっそくお客さん。掲示もしてないのに・・・。

 幸い準備は出来ていたので上がっていただき、コーヒーと紅茶をお出しして、道案内などをしていたら、スタッフがやってきてくれました。

 すぐにまた別のお客さんが来られ、スタッフも大急ぎで準備をして、いざ開店!

 ボクは法要に行き、墓所から帰ってくる時に「かふぇ」を覗いて、サポート。メニューの一つの「栗餅」が早々に品切れになり、追加注文したり、水琴窟の具合を見たり。

 正式な僧衣姿でかふぇの中をウロウロしているものですから、お客さんたちも目を丸くされていました。

 2時頃には法要も終わり、ウエイターに専念。

 かふぇはほとんど常に満席状態で、栗餅は品切れで中止。コーヒーフレッシュや飲み物に付けているお菓子もなくなって買いに走ったり、代金を貰うのを忘れていたりと、もうみんなきりきり舞いでした。

 4時に外に張ってあった掲示を外しましたが、しばらくはお客さんが来られ、すべてが終わったのは5時半でした。

 おそらくお客さんは250人ぐらい。売り上げは10万円ちょっと、収益は8万円ぐらいでしょう。
 これを3つの共同作業所で分けると、ほんとに微々たるものにしかなりませんが、イベントとして楽しませてもらって、わずかながら心の病の啓発にもなったので、まぁ、目出度し目出度し。

 境内の人混みとはまた違った、密度の高い空間・時間でした。

〜 地元紙にのった「かふぇ水琴窟」(京都新聞27面地域面) 〜

2005年11月27日(日)  No.832

イタチがいたっち!
 予想通りのすごい人。

 境内に出ると、苔が踏み荒らされたり、木の根があらわになっているのを見て胸が痛んだり、立ち入り禁止の場所に入っていく人を見て腹が立ったりするので、できるだけ出て行きたくありません。

 「どうしてこのお寺はお金をとらないんだろう。これだけ見せて貰って」と何人かの方がしゃべっておられるのが聞こえてきました。

 ボクからしたら、そう言われるのも奇妙な感じ。お寺の境内に入り、本堂にお参りするのにお金を払うことは普通?

 そもそも拝観料って、お賽銭の代わりの志納金を定額化したもので、料金や入場料ではないはずです。博物館に展示してある文化財を観賞してもらってお金を貰うのとは違うはず。

 紅葉をたっぷり楽しんでいただいたり、お寺とのご縁を作っていただくのも、広い意味での布教活動です。
 真如堂には入り口がたくさんあって、拝観料をいただきにくいというのも現実的な理由の一つでしょうが、布教活動の一環として「どなたでもお参りください」という姿勢の表れが、境内に入ったり、本堂にお参りするのに真如堂は拝観料をいただかない理由だろうと、ボクは個人的には思っています。

 美しい紅葉を維持するための費用、痛んだ参道の補修代、細かいことを言えば、長蛇の列が出来るトイレの水代など、人が来られれば来られるほど増える費用もあります。

 「どうしてこのお寺はお金をとらないんだろう」とおっしゃる方が、それじゃぁ、拝観料相当のお賽銭をあげられることなどありませんから、多くの人が来られてもそれほど大きな収入にはなっていないでしょう。

 それでも、「境内に入ったり、本堂にお参りするのに拝観料をいただかない」というのは、事情が許す限り、お寺として当たり前のことだとボクは思っています。
 ボクのような考え方も、いつしか少数派になっていくのかも知れませんが・・・。

 あまりにもたくさんの人に、イライラ、ハラハラしますが、多くの方にご縁を結んでいただきたいと思っています。
 ただし、無茶はしないでいただきたい。特に、写真を撮るのに夢中になっている方。


 今日、自坊の庭の、水琴窟のつくばいに、イタチが水を飲みに来ていました。

 来客が、「あっ、あれ、なんですか!?」と言われて、目線の先を見ると、細くて長く、薄い茶色の四つ足が、回りの様子を伺いながら、つくばいに頭を突っ込んで水を飲もうとしていました。

 うちの庭にイタチが住みついていることは知っていますし、時々、チラッとその姿を見ることはありましたが、こんなにはっきりと、長い間、イタチを見るのは初めてのことでした。

 カメラを持っていた知人に、「あれ、撮ってください!」と頼んで、写真を撮っていただきました。

 イタチの出現で、外の喧噪が塀の中にはまったく伝わってこない、塀の中が違う次元になったような印象を受けました。

 感動したぁ!

〜 つくばいの水を飲むイタチ  Photo by mckeeさん 〜
2005年11月26日(土)  No.831

次期宗務総長決まる
 夕方、電話やらメールがあわただしく行き交いました。天台宗の“総理大臣”である宗務総長選挙の開票結果が判明したのです。

 会派から推薦されなかった現職と組織の圧倒的な推薦を受けた新人、そして志を持って立候補した人の三つ巴。

 選挙が行われるのは30年ぶり。各候補のマニフェストが飛び交いました。

 結果は会派の推薦を受けた新人が当選しました。改革や変化は期待できないという下馬評でしたが、組織力がものをいいました。

 ボクが応援していた人は、通りませんでした。

 これで、事務所の部長たちは総代わり。総長に任命された委員会の委員も交代。ボクが坂本に行く回数も減るでしょう。

 宗派はこれからどうなるでしょう。ピタリと動かないのが一番コワイ気がします。


 「今日の散歩道」の更新。人だらけで、ゆっくり写真を撮ることもできません。

 それにしても、今年の紅葉はよくないです。残念。。

〜 窓から紅葉を楽しむさくら 〜
2005年11月25日(金)  No.830

あっという間のテレビ中継
 今日は特にはスケジュールが入っていなかったので、朝から護符作り。かなり前に始めたのに一向に進んでいなくて、ずっと気になっていました。

 今日はかなり励んだので、結構はかどりました。あと二息!


 午後、気分転換に買い物に。一保堂に行って、「かふぇ水琴窟」で使う番茶を仕入れ、ホームセンターでトイレ修理用のパッキングを買い、スーパーでこれまた「かふぇ」用のお菓子を求めました。

 昨日の「かふぇ」では、コーヒーや紅茶に干菓子を付けていました。作業所のスタッフが、“京都らしさ”を演出するために考えて、去年から付けているのですが、計算すると1つ20〜30円もして、350円のコーヒー・紅茶に付けるには割が合いません。

 ただ、ポスターに「干菓子付き」と書いてあるので変更するわけにもいかず、いろいろ考えた挙げ句、駄菓子の「松露」を買うことにしました。

 「松露」も和菓子屋さんで求めると1つ100円ほどしますが、駄菓子のなら1つ5円程度と馬鹿安! 「干菓子」と言っても、偽りになるわけでもありませんし。

 さて、お客さんの反応はいかに?


 夕方帰ると、今夜のテレ朝のテレビ中継の準備が進められていて、境内はライトで煌々と明るくなっていました。

 さっそく偵察に行ってみると、ライティングや高所からの撮影のための、高さ7〜8メートルはあろうかという鉄の足場が3つほど組まれていたりして、20人ほどのスタッフが、時折怒声が聞こえる中で忙しそうに動き回っていました。

 ライトに照らされた紅葉はとても綺麗に見えましたが、凝視には堪えません。どうせ撮して貰えるなら、もっと出来のよい年がよかったのにと、もみじたちも思っているでしょう。

 10時半頃の本番も、明日の「今日の散歩道」のネタにならないかと、カメラを持って出かけました。
 「携帯電話のスイッチをお切り下さい」というお触れの後、本番。「これだけ準備して、もう終わりなの?」と思うほどあっけない、ごく短い本番でした。

 テレビの中継などの時しか、真如堂でライトアップを見ることはありません。目の保養をさせていただきました。

 窓の外では、12時半を過ぎても、片づけをする音が聞こえています。スタッフの皆さん、お疲れさま。

 さぁ、これでまた人が増えるなぁー。もうとっくにキャパを超えている気がするのですが・・・。

〜 「報道ステーション」本番場面 〜
2005年11月24日(木)  No.829

かふぇ 本番
 今日は、「かふぇ水琴窟」の本番1日目。

 作業所のスタッフが10時半に集合して下準備をし、11時に張り紙を貼って客引きをした途端、ドッとお客さんが入ってこられました。

 今日は、コーヒを豆からひいて入れるので、1手間増えています。あらかじめひいておけばいいのですが、お客さんに音を聞いてもらって、「あ、本格的なんだ」と思って貰うのも大切だろうと、その都度ひくことにしたので、大変。

 スタッフ、ボクの動きが狭い場所でこんがらがって、最初は大騒動。ようやくお昼過ぎ頃には慣れてきました。

 一時は、お客の多さにカップが足りなくなったり、玄関に行列が出来たりで、嬉しい悲鳴。

 トイレがロータンクとパイプの間から漏水して、水浸しになるハプニングも起きました。誰かが、パイプを握って頑張ってしまったのでしょう。いろいろやりましたが、止まりませんでした。

 思いつきで急遽「栗餅」をメニューに加えましたが、あっという間に25個が完売。

 お水を出さない代わりにセルフサービスの番茶を置いたところ、どんどん出て、ポットで6本分ぐらい湧かしました。あまり出ても大変なので、張り紙は控えめにしておいたのですが・・・予想外の盛況でした。

 結局、予定を少し遅れて閉店したのは4時半頃。みんなヘトヘトで、座り込んで饅頭を食べながら、残ったコーヒーを分け合って飲みました。

 今日の来店者数はだいたい150人ぐらいでした。

〜 外から見た「かふぇ水琴窟」 〜
2005年11月23日(水)  No.828

腹ふくるる夜
 寒くなるにつれて、毎晩さくらが布団の中に入ってくるようになりました。

 いまだに猫と寝る違和感は大きいのですが、可愛くて、あたたかく、小さな幸せを感じています。

 でも、じっと寝ていてくれるのならいいのですが、頭のほうから入って足のほうへ出てみたりと夜中でも出入りが頻繁で、時折布団の上に乗ったりして、しょっちゅう起こされてしまいます。

 また、ボクの背中のほうで寝ていたかと思ったら、お腹のほうへ来たりして、おちおちと寝返りも打てません。ちょっとさくらを動かそうとすると、ガブッと噛みついてきたり。ボクも思わず、パシィ! と平手打ち。

 それに、さくらに気兼ねをして、布団の中ではオナラもできません。腹膨るる思いです。

 ただでさえ眠たがり屋のボクですが、最近はとみに昼間でも睡魔に襲われることが増えました。これでは電車は運転できません。

 あたたかくなるまでは、ずっとこういう調子なのでしょうか・・・

〜 さくらは昼寝していられるからいいけれど・・・ 〜
2005年11月22日(火)  No.827

トマトそば
 高校の先輩が奈良・吉野山から出てくるというので、夕方から会う約束をしました。

 「6時半頃には行けると思う」というので、四条界隈で待ち合わせ、ボクもせっかく街に出るのだから少しブラブラしようと早めに出かけました。

 彼は別の会が終わってから来る予定でしたが、それが長引いているらしく、「7時回るかも知れない」というメールが入りました。

 それも織り込み済みだったので、またブラブラを続け、デパ地下などにも足を伸ばし、そろそろ7時かなぁという時、「7時半回るかも。m(_ _)m ごめん」というメールが再び入りました。

 しょうがないので、待ち合わせ予定の店の近辺をウロウロした挙げ句、先に行ってビールでも飲むことにしました。

 結局、先輩が来たのは7時40分頃。9時半前の電車に乗らなければいけないと聞いていたので、会っていられる時間は2時間もありません。

 四方山話をしているところへ、電話があり、しばらくして別の2人が合流。少し間をおいて、入れ替わるように電車の時間の差し迫った先輩は帰りました。せっかく会ったのに、ほとんど話をしていないなぁ・・・。

 そのうちに後から来た1人も帰り、結局残されたのは合流したうちの1人とボク。いつも世話になっている出版社の社長です。それからが長かった・・・。

 蕎麦を食べ、ボクたち以外誰もいないスナックで歌いまくって、ようやくお開き。1時でした。


 この時に入った小さな蕎麦屋の壁には、「トマトそば」というチラシが張ってありました。

 トマトと蕎麦? 酔った勢いもあって、2人ともそれを注文。この店には時々来るという社長も、今まではざるしか食べたことがなかったようです。

 出てきたのは、ちょうどマグロの山かけのマグロをトマトに替え、とろろ芋を少なめにして冷製蕎麦の上にのせたようなもの。

 味は和風ドレッシングをかけた蕎麦という感じで、あっさり。トマトと蕎麦なんてミスマッチかと思っていましたが、それが案外相性もよく、他に野菜を加えてもっとサラダ感覚にしても美味しそうでした。

 店主によると、トマトはオリーブオイルとバルサミコで調理するとのこと。「トマトと蕎麦なんて」と端から食べようとしない人もいる反面、リピーターも多いとか。なるほど・・・。

 この店には、揚げ蕎麦あんかけという、長崎皿うどんの蕎麦バージョンのようなメニューもありました。

 決して気をてらっているわけではなく、地道な日常の中から生み出された逸品のような気がしました。

 それにしても、今日は東京資本の“京風”の店へのブーイングを何人もから聞きました。町屋風の創作和食もかなり評判が悪いよう。

 見かけだけの“京風”ではなく、こんな蕎麦屋のほうが京都らしい気がしました。

〜 トマトそば 〜
2005年11月21日(月)  No.826

人と車に酔いそう
 今日は、今年の紅葉シーズンの1、2位を争う人出でしょう。境内は、とにかくものすごい人でした。

 夕方の境内に写真を撮りに出たら、5時を過ぎて薄暗くなってきたいるのに、まだ団体さんが次々とやってきます。

 本堂はとっくに閉まり、写真を撮るにはあまりにも暗すぎるのに・・・。

 滞在時間15分〜30分で、次の目的地に向かわれるようです。必死に坂を登ってきて、着いたと思ったら暗く、すぐに集合がかかってまた移動。
 ツーアーに参加する苦しみを見たかのようでした。

 所用があって車で出たら、もちろん、渋滞中。交差点の途中で止まってしまい、信号が変わっても二進も三進もいかない車が交通を妨げ、また渋滞を大きくしています。

 相当の用事がない限り、外に出ないのが無難。23日と次の土日も、できるだけ外出しないようにしようっと。

〜 4時過ぎの茶所前 〜
2005年11月20日(日)  No.825

ハバネロ受難
 朝の落ち葉掃除に時間がかかるようになってきました。もみじの落葉はまだですが、カエデ、ハゼ、無患子(むくろじ)などの落葉が盛りです。

 今日は境内も今年一番の人出です・・・たぶん。どこへ行っても、人、また人。このシーズンの宿命です。


 外出から帰ったら、ハバネロが無惨にも折られていました。

 最近、冷え込みが本格化してきたので、今朝、軒下から部屋の中に入れたばかり。犯人はさくらです。

 ハバネロは、メキシコのユカタン半島原産の、世界一辛いと言われているトウガラシ。春に貰った種を撒いたのが大きくなり、やっと実が付いて、その成長を楽しみにしていた矢先でした。

 今までにもさくらに葉をかじられたことがあったので、外に出して避難していたのですが、まさか外出の間に急襲されて真っ二つに折れているとは・・・。しかも、多くの葉がちぎられて歯形が付き、散らばっていました。

 今更さくらを叱っても詮無きこと。黙して散らばった葉を掃除し、実の付いた‘首’を一輪挿しに入れて、‘胴’と一緒にトイレに置きました。さくらから遠ざけるには、一番安全な場所です。

 避妊が終わって抜糸も済み、手術のために剃ったお腹の毛も少し生えてきたさくら。
 避妊したら少し大人しくなると聞いていましたが、素行はなんら変わっていません。

〜 トイレに避難したハバネロの‘胴’と‘首’/初めてなれた実 〜
2005年11月19日(土)  No.824

『たちまち』
 毎朝の落ち葉掃除に時間がかかるようになってきました。

 今朝は、ちょっと広い範囲を掃除したので、1時間半もかかりました。これから落ち葉は増える一方。かといって、まだ焼き芋をする気にはなりません。


 更新を終えて、大学の美術部OBの呑み会に遅れて参加しました。

 2年上の女史が、京都に遊びに来るというので、京都・大阪・神戸の有志7人が集まり、歓迎会。

 関西にいる者はそう久々に会うわけではありませんが、2年上の女史と会うのは25年ぶり以上。ずいぶん時が流れました。

 学生時代の所業の話に花が咲きましたが、さすがにその頃のようにメチャ呑みはしません。

 電車の時間の制約もあって、宴会は節度を保った状態でお開き。最後に、大学の「逍遙歌」を歌い、お互いにエールの交換をし、店の前で記念写真を撮って散会しました。

 帰り際、女史から句集を貰いました。現代俳人の俳句の英訳などでも活躍している彼女の句がたくさん載っていました。
 本のタイトル『たちまち』って、どういう意味で付けられたのでしょう?

 そのうち、「今日の散歩道」にも登場していただきましょう。

〜 いただいた『句集たちまち』 〜
2005年11月18日(金)  No.823

珍道中の監視&説明係
 昨日に引き続いて博物館の『最澄と天台の国宝』展の監視&説明係。

 朝、博物館へ向かう東大路は北行きがかなりの混雑。ブッシュ禍が終わったと思ったら、次はいよいよ紅葉期の混雑が本格化してきたようです。

 博物館にも今までの2回よりたくさんの人が訪れました。ただ、団体客が多く、そのような人は集合時間の関係で足早傾向で、質問する人も少な目でした。

 そんな中、陳列中のとある像についての質問が重なりました。

 「十羅刹女」という小さな10体の像でしたが、『法華経』の中に「羅刹」と出てくるという記憶はありましたが、いったいどういう像なのかわかりません。

 博物館の説明は美術的なことが主で、例えば仏像にしても、どういう仏さまなのかという説明は一切ありません。

 売店に行って仏像の辞典を立ち読みしたり、図録を見てもわかりません。今日、ペアを組んでいるボクより年上の尼僧さんも首を振るばかり。

 また同じ質問をされると困るので、知人にメールを出して、ネットで調べてもらい、備えました。
 せっかくの備えにかかわらず、その後、その「十羅刹女」についての質問はありませんでした。

 また、「小さな容器に入っているのは何ですか?」という質問を博物館の監視員に人にされました。
 尼僧さんに聞いてもわからない・・・ 尼僧さんは係員の椅子の下に置いてあった懐中電灯を持って素早くその像の前に行き、展示中のその容器を照射しました。
 あわてて監視員の人が飛んできて苦笑いしながら制止しましたが、尼僧さんは「じゃぁ、どうしてあんなところに懐中電灯が置いてあるの・・・ 別の施設では、説明係の人が懐中電灯で照らしながら説明してくれたのに」と不満顔でした。

 とにかくよくしゃべる尼僧さんで、顔を合わせると話してこられました。今まで一人担当ばかりだったとのことで、今日は嬉しかったのかな?

 何だかすっかり珍道中の3回目でした。

 お昼ご飯の時に、味噌汁を衣にひっくり返してしまい、午後の監視&説明はずいぶん味噌汁臭かったです。

〜 朝の焚き火の煙の中の紅葉 〜
2005年11月17日(木)  No.822

今日も博物館へ
 本堂の設えを十夜バージョンから通常バージョンに戻す作業を終えて、すぐに博物館の『最澄と天台の国宝』展へ。

 日米首脳は、金閣寺散策を終えて、御所の迎賓館で会談を始めている頃。博物館へ向かう途中、平安神宮の辺りも異様な警戒。なんでかな? 誰か来るのかな?


 2回目の博物館での監視&説明係。前回よりは少し慣れた気がします。

 今日も難問奇問。

 聖観音像の前で、70才ぐらいの男性に、「これはお大師さんですか?」と聞かれ、思わずズッコケそうでした。きっと、熱烈なお大師さん(弘法大師)ファンなのでしょう。
 「い、いえ、ここに書いてありますように、観音さんです」。

 写経を失敗した時にはどうするのかという質問や、ボクの寺を訪ねたいから名刺を頂戴と言われたり、宗教談義をする人もあり。

 一番多かったのは、前回同様、金箔を押し直されて金ピカになっておられる鎌倉期の阿弥陀如来について。
 「どうしてあんなふうに金ピカにしたのか?」「台無しではないのか?」「本当に古いものなのか?」云々。

 答えられない質問もいくつかありました。
 絵巻物に、洞窟に入ろうとしている僧侶が描かれていたが、それは即身成仏する場面なのか? どうしてこの仏さまは歪んでいるのか? ・・・そんなこと知らん!!

 実は質問に備えるために、会場に入ってすぐに『仏像鑑賞の手引き』という薄っぺらい本を買って、こっそり読んでいたのですが、それを読んで答えられるような真正面からの質問はありませんでした。

 質問には完璧には答えられない。かといって修行に打ち込んでいるわけでもない。学問に秀でているわけでもない。ボクの軸足はどこにあるのだろうと、少々落ち込みました。


 帰り間際に博物館の係員の女性と少し話をしました。

 彼女たちは、時間毎に持ち場が変わるのですが、それが不思議で聞いてみました。
 すると、シフト表を持ってきてくださって、展示室を30分か1時間おきに変わること、部屋によっては寒い部屋もあること、展覧会場の最初の1・2室目は来場者がガムを食べたり、飴を食べようとするのを止めたりという注意に忙しいことなどを説明してくださいました。

 また、携帯のカメラで写真を撮ろうとする人もいて、特にこの前あった『龍馬の翔けた時代』の時は、マニアックな人が多くてひどかったとか。
 あまり強く注意すれば博物館に投書が来たりするしとか、だんだん愚痴になっていきました。


 明日は3回目の当番。これで最後です。

 今日はお昼に食べたバイキングの海老フライ臭のゲップが出そうで、質問に答えるにも少々距離を置きがちでした。明日は、フライ物を食べるのはやめようっと。


 帰りに見た夕焼けの中の京都タワーが印象的でした。

〜 夕焼けの中の京都タワー 〜

2005年11月16日(水)  No.821

十夜結願
 今日は十夜法要の結願日。

 以前は、この日になるともみじも真っ赤に紅葉し、雪がちらついたり、息が白く見えるようなこともありましたが、最近はさっぱり。

 今日も、衣裳の襟巻きのようなものをつけて境内を練り歩くと、汗をかきそうでした。

 最近は、結願が終わって勤労感謝の頃の大雑踏が終わった頃、もみじの色が澄んできます。人出も日に日に減ってくるので、ようやく落ち着いてくる感じがします。

 5時、境内が闇に包まれ、昼間の喧噪が嘘のようになった頃、御本尊の扉を閉める法要が営まれます。

 導師がお十夜法要のいわれを唱え、鉦を打つ間隔がだんだん狭くなっていった末に、バタンバタン!と大きな音を立てて扉が閉まるのですが・・・・。今年は鉦の手違いで、間隔が段々狭くなっていくプロセスがほとんどないままに扉が閉まってしまいました。

 「御本尊さま、また来年のお十夜にお姿を・・・」という1年に1度のクライマックスなのに・・・。

 何だか気持のやりどころがないというか、未消化というか・・・ピシッと決めて欲しかったなぁ。ブツブツ。

 空にはブッシュ関連のヘリコプターが数機が、ほぼ満ちた月の邪魔をして、静寂を突き破って徘徊していました。

〜 回廊を回る結願法要のお練りの行列 Photo by Yoda
2005年11月15日(火)  No.820

猫と寝る
 今までお気に入りのセーターの上で寝ていたさくらが、最近、夜中になるとボクの布団の中に潜り込んでくるようになりました。

 寝ていて、何だか重たいなぁと気が付いて布団の上を見ると、さくらが寝ています。そして、そのうちに布団の中に潜り込んで来ます。

 布団に入ってきて、ゴロゴロと喉を鳴らしながらくっついてくるので、寝返りも打ちにくて、寝た気がしません。それに、猫ってアンカのように熱くて、さくらが体を寄せてくる部分だけ汗をかいてしまいそうです。

 まさかボクが猫と寝るようになるなんて・・・。今まで、猫と寝ていると聞いただけで、違和感を覚えたのに。


 さくらはセーターを食べます。最初、さくらを拾ってきた時に与えたセーターは、もう袖の先がありません。動物の臭いがするのでしょうか?

 秋になってボクがセーターを着るようになり、夜に脱いだのを置いておいたら、朝には大きい穴が4つ5つ空いていました。油断していたら、もう1着やられ、結局2着とも部屋着になってしまいました。お気に入りだったのに。

 以来、脱いだセーターは必ず箪笥に入れることにしています。


 今日から、年始用の護符作りを始めました。

 護符作り、年始の墓参用の水塔婆書きと、これから年末にかけて、肩の凝る作業が続きます。

〜 一気に人が増えてきた境内 〜
2005年11月14日(月)  No.819

洛中は厳戒態勢へ
 ブッシュ大統領が京都に来る日が近づくにつれて、御所近辺の警備がますます厳しくなってきました。

 14日0時からは御所への立ち入りも禁止されます。

 平安神宮の前などにも、車を止めるバリケードのようなものが用意され、どうしてこんなところに? と少し不思議。

 御所の近くなどの他何か所にも、警察官が待機しているバスがドカンと駐まり、ただでさえ混む秋の都大路の交通を疎外しています。

 テロの心配ばかりではなく、反対運動やデモなども計画されているようなので、その対策でしょうか?

 各都道府県から寄せ集められた警察官は、いたって呑気そう。

 ○○県警と書かれた夜行塗料の付いたものを身にまとい、自転車にプラプラ乗りながら、「あっ、こっちの信号が変わる。こっちのほうが早いですわぁ」などとしゃべりながら、何だか楽しそう。緊迫したムードはほとんどありません。


 今、団塊の世代の退職のことが時々テレビなどでも取り上げられます。
 彼らが大学生だった頃、学生運動華やかなりし頃ならば、「打倒!米国帝国主義 ブッシュ大統領来日実力阻止!!」などという、ゲバ字で書いた立て看板が、市内の大学の入り口に並んだことでしょう。

 今、大学の前には立て看板など少なくなり、あるいはなくなり、あってもサークルの行事予告や部員勧誘。すっかり様変わりしました。

 政治や社会について考えることは、徒労で、意味のないことになってしまったのでしょうか?

〜 プラプラする?各県警の警察官 〜

2005年11月13日(日)  No.818

恩師逝く
 延暦寺一山の住職が亡くなり、通夜にお参りするために、大津・坂本へ。

 亡くなったM師は、ボクが比叡山の「行院」で「四度加行」という僧侶の基本・必修の行を受けた時の指導教官でした。

 僧侶の世界には道理を越えた論理?のようものがあって、指導教官をされていた頃のM師はその最たるものでした。

 怒っていても今ひとつ訳がわからない。ある時は息子が学校のテストを隠したと行を受けている者に当たり散らし、大寺の息子に対しては極めて親切でした。

 40名ほどいた行院生の中でも、ボクを含む数人は、何かにつけて理不尽な扱いを受けた口でした。

 行を終えて25年ほど経った今でも、その時の仲間に会うと、「あの時は・・・」という話に花が咲きますが、不思議と誰もM師を恨んでいません。確かに理不尽で、訳がわからない扱いを受けたにもかかわらず、どうしてなのでしょう?

 人間くさくて、率直で、憎めない人だったからでしょう。ボクは好きでした。

 以後、時折、比叡山でお目にかかった時なども、「おお、よう頑張っとるやないか」と励まして下さり、M師に誉められた自分がおかしくもあり、とても嬉しかったことを思い出します。

 学生時代は相撲部で、体力や腕力が自慢だったM師が、ある時足を骨折されて松葉杖姿になられた時は、「似合わないから、早くよくなってください」と陰ながらお見舞い申し上げました。

 そのM師の容態がかなりよくないと聞いたのも最近。9日、ちょうどボクが坂本で講演会の準備をしていた朝、訃報が入りました。67才の早過ぎるご逝去。前立腺がんだったそうです。

 遺影のM師は血色もよく、あの頃を彷彿とさせる“ヤンチャ”そうな御顔でした。

 「坊さんは、一に掃除、二にお経だ」と言われたのを今でも覚えています。体を動かさない若い僧侶が増えてしまいました。


 坂本では、紅葉のライトアップが行われていましたが、まだほとんどの葉は緑のままでした。

〜 坂本・律院前の紅葉? 〜
2005年11月12日(土)  No.817

「かふぇ水琴窟」プレオープン
 朝、2軒のお檀家宅にお参りに伺い、帰って法要。

 その前後に更新用の写真を撮って、午後からは僧坊カフェのプレオープンです。

 3つの共同作業所から4人のスタッフが来て、まずは机を並べたり、コーヒー・紅茶の用意、ポスター描きなどの準備。

 大体の開店用意が整ったところで、スタッフの一人が外にポスターを貼って、客引きに行ったところ、あっという間に10人ほどのお客さんが来店。

 といっても、7人ほどは、近くの病院のデイケアの人たちが立ち寄ってくださったもので、本当のお客さんは3人。

 そんなにすぐにお客さんが来られるとは思ってもいなかったので、コーヒーはまだ入れてなく、大あわて。コーヒーメーカーとペーパードリップで、急遽用意をして、何とか急場をしのぎました。

 メニューは、コーヒーと紅茶のみ。お干菓子付きで350円。お店の正式名称は「かふぇ水琴窟」になりました。

 3時頃から雨が降ってきてしまって客足も遠のきましたが、2時から4時までのプレオープンの間に来てくださったのは18人。まずまずではないでしょうか?

 プレオープンで気づいた問題。コーヒーが不味い(スミマセン)−次回からは豆をひいて本格的にコーヒーを目指します。 もっと京都らしい演出が必要−次回からは庭に床机を出して緋毛氈を敷くなどします。 BGMがミスマッチ−今日は喜多郎や雅楽をかけていましたが、次回は声明にする・・・それも変? 作業手順が悪い−動線を考えて、器具などの置き方を改善する etc

 共同作業所で作ったものを買ってくださる方もおられ、それはとても励みになりました。

 「かふぇ水琴窟」は、明日・明後日はお休みだそうで・・・次はいつ?

 今日は「今日の散歩道」の更新をしなければならないので、ボクは手伝うつもりはなかったのですが、結局、最初から最後まで一緒にやってしまいました。

 更新にかかったのは5時。完成は10時半。疲れたぁー フゥー!

 雨が明日の朝まで降り続きますように。そうしたら落ち葉掃除が出来なくて助かりま〜す  フゥー!

〜 「かふぇ水琴窟」プレオープン 〜
2005年11月11日(金)  No.816

会議から通夜へ
 最近、朝の落ち葉掃除が日課になってきました。桜と百日紅の落ち葉が毎朝結構落ちています。
 雨が降ってくれると、しなくてもいいのでホッとするのですが・・・。


 今日も朝から夕方まで、大津・坂本で会議。12月には任期が切れるので、今日が最後となりました。

 この役職には10年近く就いてきましたが、今までで最も仕事をした委員さんたちでした。そう考えると、とってもなごり惜しかったです。


 会議の途中で、親戚が亡くなったとの連絡。宿坊ではお通夜が2つ重なっていて、8時からとか。そんな遅いお通夜は初めてです。

 最近、京都でも主流になってきた葬儀会館に車で行くと、駐車場係の人が、会場に一番近いスペースに駐車の誘導をしました。

 「はっはぁー これはお通夜のお勤めをしに来たのと間違っているなぁー」と思ってので、「拝みに来たのと違って、親戚ですから」と係に告げて、一般の駐車場に駐めました。
 係員は苦笑いしていました。

 亡くなったのは母の従姉妹の伴侶。ごく近い親戚ではありませんが、親しくしていたので、子供の頃はその子とも遊んだ覚えがありました。
 でも、今日喪主となった息子や娘と会うのは10年ぶりくらいでしょうか。ずいぶんオッサン、オバサンになったなぁと思いました。

 呉服の“担ぎ”をして生計をたて、民謡の大好きな故人でした。南無阿弥陀仏。

〜 坂本・慈眼堂の一枝の紅葉 〜

2005年11月10日(木)  No.815

阿闍梨さんの講演
 今日は、これまで準備を進めてきた千日回峰行者叡南俊照師の講演会が、大津・坂本で開催されました。

 予想していた参加者は450人程度。1時半の講演開始に先立って、12時に開場したら、10人ほどの方がサッと入場されました。時間が近づくに従って、人はどんどん増える一方で、その勢いは止まりません。

 「これは入りきれないかも知れない・・・」

 予想通り、開演15分前にはもう満席。あちこちから椅子を運んできても足らず、椅子を並べるスペースさえなくなってしまいました。

 急遽、湯茶接待用に用意していた隣室とのパーテーションを折りたたんで外して部屋を広げ、腰掛け用の長いすなど、もう座れる物は何でも使って、ようやく講演開始の頃にはほぼ全員に座っていただけるようになりました。

 資料も急遽増刷して、他の記念品などと共に袋詰め。資料の残数からみると、結局、参加者は650名ほどだったようです。

 千日回峰をされた阿闍梨さんのお話しには、実体験に裏打ちされた重さがありました。
 残念ながら、ゆっくり聞いていることは出来ませんでした。

 講演が始まって15分ほどした時、会場の中から手を挙げる人があり、スタッフが行ってみると、座っておられたお年寄りが意識を失っておられる状態。
 司会のほうから、「お医者さんはおられませんか?」とコールしたところ、医師と看護婦さんが駆けつけてくださり、具合の悪くなった方を椅子に座らせたまま別室に運んで、救急処置。
 幸い、意識を取り戻されましたが、看護婦さんによると、「最初はブレスがなかった」とのことでした。
 一段落した頃、救急車が着きましたが、移送して貰う必要はないだろうとのことで、そのまま帰って貰いました。

 何とか講演会も終わり、椅子などの片づけを終えて、終了!

 夜は、この講演会を開いたりしてきた委員の任期が12月で切れることから、最後の「おつかれさま会」。
 いろいろな仕事をこなしてきた、素晴らしい仲間たちでした。

 総本部長が秘蔵していたという「森伊蔵」を出してくれました。美味しかったのですが、飲みすぎの記憶もまだ新しいところなので、ほどほどにしておきました。

〜 講演中の阿闍梨さん 〜
2005年11月9日(水)  No.814

展覧会の監視人となる
 京都国立博物館で開催されている「最澄と天台の国宝」の会場係で、朝10時から夕方4時までの間、昼食時間を除いて、「京都の天台」という会場最後のブースに張り付いていました。

 主な仕事は、観覧者の質問に答えることや監視とのこと。

 「いろいろ質問されますよ。結構マニアックな質問もありましたよ」と、先に経験した人から聞いていたので、ちょっとビクビク。観覧者がこちらを目がけて歩いてこられると、初めは「来た!」と身構えてしまいました。

 いろいろな質問がありましたが、マニアックというよりは難問奇問?

 「陳列してある仏さまの魂は抜いてあるの?」「声明のCDはどこで売っていますか?」「毘沙門天はどうして邪鬼を踏んづけているの?」「どういうふうに仏さまを梱包して運んだのですか?(運送業者の方の質問)」「国宝と重要文化財はどこが違う?」「制作年代が鎌倉と書いてあるのに、どうしてあんなに綺麗なの?(金箔を押し直した仏さまについての質問)」「千手観音の持っておられるものはどうしていろいろあるの?」「梵天と帝釈天はどう違うの?」「天台宗と浄土宗はどういう関係?」「千日回峰の阿闍梨さんはおいくつ?」などなど。

 各陳列室にいる博物館の監視員の方が、「最後の部屋にお坊さんがいらっしゃいますから、そちらで質問をなさってください」などと誘導されているとのこと。

 難しい質問も困りますが、どう答えたらいいかわからないような質問をされても・・・。

 質問で気が紛れるとはいうものの、6時間、会場に詰めているのは長い! 一応椅子も用意されていますが、座りっぱなしも辛いので、立ったり座ったり。じっと立っているのもしんどいので、行きつ戻りつ。

 必然的に、観覧者ウオッチングにもなりました。

 観覧者の平均年齢は60才余でしょうか。ウイークデイということもあって、比較的ご高齢の方が多かったように感じました。

 じっくり見て、ようやく次の部屋へ移られるのかと思っていたら、すごろくの「振り出しへ戻る」が出た時のように、またその部屋の最初から見直す方、あっという間に通り過ぎる方、眼鏡を外したりはめたり天眼鏡を覗いたりしている方、多くの方の口が開いていました。

 急に空いていた係員用の椅子に座って、苦しそうに下を向いた人がおられたので、「どうされましたか?」と聞くと、あまりにたくさんの展示品に腰が痛くなったとのこと。普通、そんな椅子に座って休憩しないよなぁ・・・。

 後ろから拝見していた時はどんなに若くて綺麗かと期待していた人が、クルッとこっちを向かれた時の衝撃。あとはご想像にお任せします。

 もともと腰が痛い時に今日の展覧会日勤。せっかく昨日のバカンスで軽快の途をたどるかと期待したのに・・・。

 実に素晴らしい仏さま、膨大な宝の山と同じ屋根の下にいながら、持ち場を離れるわけにもいかず、十分には観覧できませんでした。

 来週は2日間詰めなければなりませんので、その時に小刻みに、心ゆくまで拝ませていただきましょう。

〜 ロダン『考える人』と展覧会の入り口 〜
2005年11月8日(火)  No.813

バカンス
 先日来、目・肩・腰が不調なので、1日でもあまり目を使ったり、肩の凝るようなことをしない時間を持ちたいと思っていましたが、自坊にいると、どうしてもパソコンを触ってしまいますし、正月用の護符作りや年始用の水塔婆書きも始めたくなってしまいますので。

 朝起きたら絶好のお天気。檀家参りにいった足で、ちょっとブラッとしてこようと、紙袋に着替えを放り込んで出かけました。

 山に行くには時間もありません。京都の寺より奈良のお寺のほうが雰囲気が好きですが、奈良はちょっと遠い・・・ということで、一休寺や浄瑠璃寺に行くことにしました。まぁ、行き当たりばったりです。


 新しくできた道に戸惑いながらも、記憶と勘で適当に走っていているうちに、「流れ橋」という文字が目に飛び込んできました。
 「えっ、流れ橋! ヨッシャ!」と右折ラインに入りかけたのを無理から左折して、流れ橋へ。

 この辺りは渡来人系の地名が多かったり、「垣内」という、荘園制末期の土地区画の名残とも思える名前がいまだに残っているような、古代ロマンあふれる土地。
 流れ橋は、木津川の大きな堤防を上って降りたところにかかっていました。

 時代劇などに出てくるこの橋は、想像していたより幅広く、長さも350メートル余の大きなものでした。欄干もなく、ちょっとコワイ。
 天気もよく、のんびりムードは最高潮!


 一休寺に行くのは久しぶり。方丈の廊下に座り込んで、大声を出してしゃべっている初老の女性2人に閉口。境内のもみじは、京都市内より早く色付いている感じでした。


 また適当に走っていたら、蟹満寺の看板を見つけたので行ってみました。蟹満寺は白鳳時代の秦氏ゆかりの寺。本堂には、大きな金銅仏の釈迦如来坐像がまつられていました。拝観はそれだけ。「これで400円?」と、拝観料を対価として考えると割高ですが、お賽銭と考えればまぁ納得。


 いよいよ浄瑠璃寺を目指したのですが、今度は本当に迷ってしまいました。何しろ、車にナビはなし。持っている地図は1992年発行に加えて、老眼鏡不携帯。開発著しい場所なので、なんの役にも立ちませんでした。


 農道を行って戻ったりした挙げ句、ようやく浄瑠璃寺へ。やはり、境内のもみじは京都市内より色付いていました。

 拝観受付近くのトイレの手洗いのところで、高名なご住職がコツコツと植木の手入れをされていました。何となく感動。

 本堂の中では、思いがけなく、吉祥天が特別公開されていました。「やったぁ!」 ふくよかな頬の見目麗しきお姿でした。

 授物売り場で、土門拳の写真による浄瑠璃寺のカレンダーを買い求めました。今の季節ならではで、土門ファンのボクとしては予期せぬ嬉しいことでした。

 浄瑠璃寺はいつ訪ねても満足できるお寺です。


 帰りに、笠置町の立ち寄りの湯へ。普段は烏の行水のボクですが、5つある浴槽をつぎ方次へとゆっくり浸かり、ずいぶん長く入っていました。ぬめり感のあるお湯が気持ちよかったです。


 心地よい疲れに、帰路は少し眠気を憶えましたが、最近にない、充実してゆったりした1日に大満足でした。

〜 木津川にかかる流れ橋/一休寺の本堂を望む 〜
2005年11月7日(月)  No.812

宗務総長選
 本田美奈子さんのファンではなかったのですが、彼女が今日38才の若さで亡くなってしまったことに、彼女自身の無念さを思って少し沈みました。

 テレビで、彼女がミュージカルをやるためにものすごい努力をしている場面を見て、それまで、「どうせ昔のアイドルが少し歳を取って、格好付けて“ミュージカルでも・・”と言っているのだろう」と思っていたのが吹っ飛びました。

 度重なる抗ガン剤の使用、苦しい闘病生活、臍帯血移植をしても助からなかった無常さ。いのちって、本当に儚い・・・。


 35才でプロ棋士。将棋のアマチュア強豪で、プロ入りに王手をかけていた人が、見事に勝って、試験に合格。これは、何だか元気を貰えるニュースでしたね。


 全然話は変わりますが、天台宗ではいま「宗務総長」という、国でいえば総理大臣に当たるポストの選挙が行われ、三つ巴の選挙戦が繰り広げられています。

 今までは関東と関西の会派が申し合わせて交代で宗務総長を選出していましたので、投票で決するなどということは実に30年ぶりだそうです。

 ボクはそういうことには政治的な動きにはまったく関心がないのですが、日頃会議などで一緒になることが多い先輩僧で、ボクの尊敬する人がその選挙に立候補されたため、選挙運動に少し首を突っ込むことになりました。

 他の候補者が、現職であったり、会派や知事会に似た組織の後ろ盾を得て出馬するのに対し、その人は“知事”のような肩書きだけで出馬。いささかドンキホーテ的な面もあるのですが、「いま、天台宗を変えなければ」というその人の日頃からの意気込みには大いに賛同するところがあり、ボクも元来浪花節的なことが好きなので、何とかその人に頑張って欲しいと応援しています。

 今までは無風で、何の争点もなかった総長選が、急遽三つ巴ということで、各候補者ともマニュフェストを郵送してきたりして、面白くなってきました。

 マニュフェストを見ても、現職や会派などに押されて出馬した人のものには、新鮮さも、「この人なら変えてくれる」という期待感もありません。やはり、ボクの推す人が一番!

 ただ、旗幟を鮮明にしたことによって、ボクの推している人が当選しない限り、ボクは今の宗務総長から任命されている役職などから報復人事で外されるでしょう。まぁ、そんな役職など、こっちから願い下げです。

 そろそろ変えなければ、もうどうしようもないところまで、宗教界も来ているのに、今もって旧態依然としたことをしているようではお先真っ暗ですもの・・・と思っています。

〜 桜散る自坊前の石畳 〜
2005年11月6日(日)  No.811

お十夜開闢法要
 今日から、「お十夜」。15日までの10日間、本堂では講の人たちが集まって、鉦を叩いて、お念仏を唱えます。

 鉦を叩く人たちも1年ぶりなので、本堂の内々陣でお勤めをしながら聞いていても、なかなか調子が合ってきません。

 足が痛い、腰が痛いと言いながら、10日間の長丁場を、お勤めくださいます。

 昼間の喧噪も夜にはすっかり静まって、人のいない境内に鉦の音が響き渡ります。

 この鉦の音を聞く頃には初冬の気配が漂ってくるはずなのですが、“帽子”と呼ばれる襟巻きを今日から着用したのに暑く、少し汗ばんできて、絹製の帽子に汗染みが付かないか心配でした。

 お十夜、ボクの一番好きな法要です。

〜 法要が終わった本堂 〜
2005年11月5日(土)  No.810

スケジュール帳購入
 来年の予定が入ってくるようになってきたので、来年のスケジュール帳を買いました。

 もうそういう季節になったんだなぁということを、改めて実感しました。


 スケジュール帳にいろいろ予定を書き込んでも、自分の頭に入っているつもりでそれを見ないでドタキャンをしてしまうことが、今年も幾度となくありました。

 今日も、檀家宅へのお参りがあったのをすっかり失念していました。

 ちゃんと、月間スケジュールを書くホワイトボードに書き込んで、毎日数え切れないほどその前を通っているのに・・・。また頭の中で今日のスケジュールを処理してしまって、確認しなかったのが失敗の元でした。

 ボクの記憶力の悪さには定評があるのに、記憶に頼るのがそもそもの大間違いです。

 さて、今日求めたスケジュール帳がちゃんと機能するのかどうか・・・。

〜 なかなか気に入るものが見つからないスケジュール帳 〜
2005年11月4日(金)  No.809

ご結婚おめでとう
 今日は、ホームページにいつも来てくださる女性の結婚披露宴にお招きいただき、大阪まで出かけました。

 そもそも彼女がボクのホームページに来たのは、ボクの知人の浄土真宗のお寺の娘さんのホームページを経由して。そして、今日披露宴をあげられるお相手は、高野山一山のお寺の住職。お寺との縁の深い方です。

 彼女から最初にメールをいただいたのは、3年前の4月。そこには、彼女が3月に高野山に旅行に行ったこと。その時泊まった宿坊の僧侶が、メールを貰った日の夜に国立劇場で催される声明講演に出演されるので、見に行くと書いてありました。
 まさにその僧侶が、今日、伴侶になったわけです。

 ホームページの関係で披露宴にお招きいただくなどということは、初めての経験です。ホームページがご縁で知り合った人たちも出席され、そのテーブルはまるでオフ会のようでした。

 ホームページがご縁でいろいろな方たちが知り合いになったり、今日のような素晴らしい場にお招きいただけるなどというのは、主宰者冥利に尽きるというものです。

 「苦沙彌のインターネット僧坊」も、12月で10年目を迎えます。思えば長く続けてきたものです。

 お二人のお幸せを心からお祈り申し上げます。

〜 ケーキカットにのぞむお二人 〜
2005年11月3日(木)  No.808

さくらの退院
 獣医さんのところへ、さくらを迎えに行きました。

 獣医さんには開口一番、「いやぁー この子は気ままに育ってますね。大事にされすぎでしょう」と呆れられてしまいました。

 獣医さんによると、さくらは手術が終わった後、ずっと鳴いていたそうです。それは痛いからというのではなく、術後の安静のためにネットに入れられて動きを抑制されたことを怒っているからだったそうです。普段、動きをあまり制限されていないことがよくわかったとか。
 だって、制限しようにも言うことを聞く子じゃないし・・・。

 ネットに入ったままのさくらは、とにかく不機嫌。そのまま抱いて帰りましたが、帰るまでギャァギャァ鳴き続け、知らない人には、猫を拐かしたとも思われかねない状態でした。

 帰ってすぐにコタツ布団の上でオシッコをたれ、触ろうとすると怒るし、どことなく脅えている風でもあり、手の付けようがありません。食欲はないし、水も飲みませんが、どうもしてやりようがありません。

 帰って3時間、4時間と時間が経つにつれ、撫でても怒らなくなって、無防備な姿勢も見せるようになりました。ボクの後を追って部屋に来て、丸まって寝ていたりもしましたが、いつものようにはいきません。

 そりゃそうですね。さくらにとっては、生涯最大の手術かも知れませんし、精神的なダメージも相当大きかったのでしょう。

 お腹の縫い目が痛々しいです。


 黒谷の山門の特別公開を見に行きました。うまくいけば、山門の上から夕焼けに染まる京都市内が見えるかと期待して、拝観時間が終わる直前を目がけて行きました。

 子供の頃に登ったことがあるかも知れませんが、記憶には残っていません。山門は、まだ150年ほどの歴史しかない新しいものでした。

 楼上には釈迦三尊と十六羅漢がまつられていて、眺望は、高台に建っていることため、おそらく市内の山門の中でも随一と言ってもいいでしょう。

 残念ながら、だんだんと曇ってきてしまって、拝観終わり間際といえども夕焼けには時間的に早く、目的は達成できませんでした。

 しかし、仏間はしかたないとしても、回廊にも「撮影禁止」の札がかかっているのはどうしてなのでしょう。せっかくの眺望も撮影禁止? 札に気が付くまでに、結構写真を撮ってしまいました。

 冷泉家で「これで800円は高いでぇ!」と文句を言っていた人がこの場にいれば、またきっと同じことを言ったでしょう。

 本堂に移動して、今年になってまつられるようになった「吉備観音」を参拝しました。

 奈良時代の学者吉備真備が、唐より持ち帰った栴檀香木で行基菩薩に頼んで彫って貰ったという、2メートル60センチもある大きな千手観音様は、実に見ごたえのある、有り難いお姿でした。
 例の人がいれば、「これは得をした!」と、きっと大喜びするに違いありません。自由参拝できるのですから。

 本堂の真ん前の境内には、紅白の幕に飾られたテントの中では弁当なども売っていました。売店もオープンし、「有料駐車場1日800円」の看板がカバーを掛けられた状態で立ち、混雑期を待ちかまえているようでした。

 「商売っけ見え見えやなぁ。ちょっとこれではなぁー」という声も聞こえてきていました。

 次はどこの特別拝観に行こうかなぁ。3度目の正直となるかなぁ。

〜 掘りごたつで休むさくら/「撮影禁止」を知らずに…黒谷山門より 〜
2005年11月2日(水)  No.807

さくらの入院
 さくらが避妊手術のために入院しました。

 数日前から、粗暴になり、変な鳴き方をする、食欲にバラツキが出る、朝4時頃に起きるなど、“いつも”と違う行動を見せるようになったさくら。

「発情期を迎えたらうるさいですよ」と、坊さんの猫仲間にも教えられていましたので、それが発情期だということはすぐにわかりました。

 生後6ヶ月半で、さくらも“大人”に近づいたようです。

 獣医の奥さんが、出会うたびに「まだ大丈夫ですか? 発情したらすぐに連れてきてください」と言ってくださっていたので、先ずは電話。

 まわりに野良猫が多数いるような拙宅の環境では、外に出さないことは絶対条件で、それなら避妊もしなくてもいいけれど、いろいろな猫が寄ってきたりするので、しておいた方がよいと、以前からアドバイスされていました。

 早朝から絶食・絶水して、獣医さんへ。

 さくらはすっかり警戒して、連れて行くために入れていったゲージから出てきません。出そうとすると、牙を顕わにして怒ります。
 この獣医さんのお蔭で一命を取り留めたさくらですが、今までお尻に体温計を突っ込まれたり注射されたりで、嫌な思いでばかりが記憶に残っているのでしょう。

 ゲージを逆さまにして、なおもゲージの中で足を突っ張って出まいとするさくらを出し、ネットに入れました。ネットの中のさくらの顔は見えませんでしたが、きっとしょんぼり、不安な顔だったでしょう。

 「午後から手術をして一晩様子を見ますので、明日のお昼に迎えに来てください」とのことだったので、さくらの様子が気にかかりつつも帰りました。

 帰ってからも、戸を開ける時に思わずさくらの気配を伺ってみたり、「さくら」と呼んでみそうになったりして、ここ6ヶ月半一緒に暮らしてきたさくらが一晩だけいないということに慣れません。

 夕方に電話をしたところ、さくらの手術は無事終わり、今は安静にしているとのこと。

 さくらのいない、静かでさみしい夜を過ごしました。

〜 入院直前のさくら 〜
2005年11月1日(火)  No.806

No. PASS
 OR AND
スペースで区切って複数指定可能
[日記一覧]
shiromuku(fs2)DIARY version 1.25