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2005年10月の日記

冷泉家住宅見学
 京都古文化保存協会の秋の文化財特別拝観で、冷泉家が4日間だけ公開されているいうので、普段は拝観などに興味を示さないボクにしては珍しくも出かけていきました。

 御所の駐車場に車を駐めようとゲートを入ると、警察官が立っていて、「車の頭を御所側に向けてください」と丁寧に指示しました。何で?
 御所の回りにも、中にも、パトカーや警察官がウロウロしています。16日の小泉−ブッシュ会談のための特別警備でしょう。

 冷泉家の前まで行くと、50メートルほどのズラーッと長い行列。最後尾に着くと、係員から「やく30分お待ちいただくことになります」と説明されました。
 拝観するのに30分も待つのは馬鹿らしいと思いましたが、このために来たのですかし、そう機会もないので、待つことに。行列はスムーズに進み、30分はかかりませんでした。

 冷泉家は藤原定家の流れをくむ和歌の宗家で、約200年前に建てられた住宅は現存する唯一の公家屋敷。明治維新の時にほとんどの公家は東京に移ったのですが、留守居役を預かった冷泉家がこの地に留まったため、建物が保存されたとのことでした。

 ボクが通った大学はこの家に隣接していて、その頃は痛みも激しく、煉瓦作りの学舎に迫られて、かなりお気の毒な状態でした。
 お公家さんは、近世、経済的に逼迫しているお家が多く、冷泉家も例外ではないようでしたが、財団法人冷泉家時雨亭文庫を設立されてから、建物の保守保存も行き届いてきたように思います。

 快晴の、少し肌寒い中を15分ばかり待ち、廷内へ。先ず、トイレがありました。

 土間の台所を見た後、式台、使者の間、中の間、上の間などを屋外から見学。建物自体は華美ではなく質素でした。ただ、唐紙を使った襖、その引き手などからは、さすがに格調の高さが香ってくる感じ。右近の橘・左近の桜、門
の上には玄武、なるほど。

 あっという間に出口へ。

 ある拝観者が、「へっ、もうこれで終わり!? これで800円は高いでぇ!」と大きな声を上げ、知り合いとおぼしき人から「そんなもんや」とたしなめられている光景がありました。

 建物の外を順路に従って見るだけですから・・・でも、まぁそんなものでしょう。正直、ボクも少しガッカリでした。

 次は、黒谷の山門の特別公開を行こうっと!

〜 冷泉家の廷内/間近に迫る大学の校舎 〜
2005年10月31日(月)  No.805

携帯電話の新料金
 10時と3時に法要。こういうスケジュールって、間の時間が手持ちぶさたです。

 11月の行事の案内状などを、ガッチャン、ガッチャンと軽印刷、ガタン、ガタンと紙折り機にかけ、後は封筒詰め。
 夜なべでやりましたが、なかなか進んでいません。


 携帯の料金プランが11月から新しくなるとテレビで言っていたので、ネットでシミュレーションをしてみましたが、結局、得なのか損なのか判然としません。

 これだけ携帯電話が普及し、新しい設備投資の費用もさほど必要なくなってきているでしょうに、どうして料金は下がらないのでしょうね。高すぎません?


 桜の紅葉が美しくなってきました。もみじも少し色が変わってきました。でも、あまりにずば抜けて紅くなっているのは、弱っている木です。

 明日から寒くなるそうですから、紅葉が進むでしょう。

〜 平均的なもみじの葉。少し色がくすんできました 〜
2005年10月30日(日)  No.804

散々な日
 久しぶりにスーツを着ようとしましたが、スーッとは着られません。ちょっと太ってしまいました。

 着物のようにフリーサイズであったり、作務衣のようにウエストがゴムのものは、太ったのを即時に感知できないので要注意です。


 ボランティアの公開講演会で、母校の隣の女子大付属の中・高校へ。

 礼拝施設が講演会場なので、まずは聖書台や説教壇、オルガンを移動して、プロジェクターやパソコン、記録用のビデオカメラをセット。

 ところが、普段使ったことがない機械なので、使用方法はチンプンカンプン。おまけに舞台の照明のスイッチがいっぱいあり、スクリーンの昇降、緞帳の開閉などのスイッチもあって、頭は大混乱。

 聴衆が入場してくる中で、牧師や講師まで巻き込んでてんやわんやの末、ようやく講演開始の時間を2分過ぎただけで開始にこぎ着けました。もう汗だく・・・。

 演題「ストレス社会を生き抜くために〜ストレスマネジメントへの誘い」を開催するためのストレスブルな時間でした。


 何とか終わって機材を持ち帰り、今度は僧衣に着替えて、真如堂貫主の米寿の祝賀会。


 帰って、かかってきた電話に対応していたら、いきなり背後で何かが潰れたような音がしました。

 見たら、10年ほど前に花巻の宮沢賢治記念館で買ってきた、賢治が手帳に書いた『雨にも負けず』のレプリカにさくらが襲いかかって壊れていて、さくらはテレビを覗き込んでいました。

 なおも執拗な攻撃体制に入ったので、制止しようとしましたが、間もなく額は粉々。さくらは吊り金具で遊び続けていました。

 熱が出そうな悪夢でした。

 今日はなんだかとっても疲れた日になってしまい、早々に寝ました・・・寝込みました。

〜 崩壊途中の額とテレビ鑑賞中のさくら 〜
2005年10月29日(土)  No.803

更新と修復
 実に気持がいい、秋晴れの朝でした。

 午前中に「今日の散歩道」を更新するための写真を取り終えました。季節が少し動きを早めて、1週間前とは景色も少し違ってきたため、写真も重複しないようになりつつある気配です。

 「よし、今日は早く仕上がるぞ」と期待していたのですが、文章が書けません。心躍るようなトピックスがあるとスラスラ書けるのですが・・・。


 またHELPのかかった共同作業所のパソコンを、とうとう今朝、お持ち帰りしました。

 月曜日までに直してあげればいいので、更新で躍起になっている今日、あえて修理する必要もないのですが、気晴らしに手を出し始めました。

 パソコンの修理はパズルのようなもので、原因と考えられるものを一つ一つ潰していく作業です。


 更新をしながら、次の原因、次の原因と探ってキリがなくなり、文章がますます書けなくなってしまいました。

 最終的に更新が出来たのは夜10時。感覚的な部分を使って文章を書くのには、もう限界でした。

 いつも更新の誤字を見つけて報告してくださる方から、「誤字はありませんでした〜!」とのメールをいただき、これで今日の更新作業は終了!


 パソコン不調の原因つぶし作業は、これがダメならあれと次々機械的に進めることができるので、なお継続。

 結局、クリーンインストールしても修復できず、本体のハード的な故障だとわかった時には日付が変わっていました。

 部品をいっぱい蓄えたダンボール箱から適当なものを探して装着し、ようやくエラーは修復。
 ソフトのインストール作業などは、さすがに翌日回しにすることにしました。

 これで謎解きが出来て、スッキリ眠れます。

〜 紅白の貴船菊 〜
2005年10月28日(金)  No.802

障子の補修
 さくらに破られた障子の張り替え、補修をしました。

 どうしてこんな上の方まで破れるのだろうと思うぐらい、障子はビリビリ。一見、時代劇に出てくるあばら屋か、家庭内暴力の住まい風です。

 でも、決してさくらのするがままに放って置いたわけではありません。

 さくらは勝手にドアを開けて、あるいは人が出入りする時にすり抜けて侵入し、一人大運動会を催してあちこちをかけずり回り、家具の上などによじ登り、飛び、挙げ句の果てはこういう有り様になるのです。
 障子は梯子代わりです。

 あの、突然火が点いたように走り回る行動には、どういう意味があるのでしょう。とても制止できるものではありません。


 模様替えしたホームセンターの障子紙売り場には、アイロンで張るタイプ、あらかじめ糊が付いているタイプなどいろいろありました。

 ここは強さが一番と、「明るい 3倍強い障子紙」というのを求め、糊を水で溶いて刷毛で枠に付けるというオーソドックスな方法で、全面張り替え、一部補修あわせて7面を直しました。

 でも、いくら障子紙が強くても、さくらの爪にかかっては一溜まりもありません。とにかく、さくらを危うきに近づけないこと。

 最近は特定の部屋のドアには鍵を掛け、とにかく侵入されないように警戒線を張っています。

 「行けない場所」が増えて、さくらにはストレスが溜まっているようで、ちょっとコワイ・・・。

 ボクの部屋はいい遊び場&昼寝場所です。それもかなり困りますが・・・。

 さくら、早く落ち着いてくれ!

〜 被害にあった障子 〜
2005年10月27日(木)  No.801

冬に備える
 1ヶ月以上前にしてもらった血液検査の結果を聞きに行きました。

 二日酔いの後にした検査なので好くない数値も出ているかなぁと思いましたが、「特に何かあれば電話します」と言っていたドクターから何の連絡もなかったので、特別なことはないだろうと思っていました。

 結果は多少数値の高いものもありましたが、特に問題なし。ドクターが検査項目毎にその意味を説明してくれるのですが、「問題ないのなら、もういいですよ」と、まどろっこしく感じられました。

 涼しくなって、バイクなどに乗った後は咳が出るようになったので、ステロイドの吸入薬を貰っておきました。
 これからの季節、ちょっと辛くなるなぁ。


 午後しばらく経ってからボランティア。今月はサボり気味だったので、月曜日に続いて活動しました。
 真面目やなぁ・・・自画自賛。

〜 パソコンラックの書類入れの中でくつろぐさくら 〜
2005年10月26日(水)  No.800

11月の行事案内
 檀家宅へのお参りの帰りに、共同作業所のパソコンサポート。ルーターの調整とプリントサーバーの増設・設定などなど。

 スタッフから、「どうしてもうまいこといかないから、見て」と依頼があったので、時間がかかるのを覚悟して行きましたが、案外すんなり片づきました。我ながら、「ボクはプロ並みやなぁー」と思いました。

 来所するメンバーさんそれぞれの要望やニーズに対応する作業所のスタッフも大変。なかなか落ち着いてパソコンのメンテナンスもできないでしょう。


 午後以降は、来月の行事の案内とお寺の会報、来年の年回表の作成。

 今は目を使う作業をできるだけ避けたいのですが、もう何日間も放ったままになっているので、今日あたりには決着を付けないと・・・。

 会報はページ数を減らして、無理矢理作りました。記事が少な過ぎるなぁ・・・。

 11月までもうあと数日。お盆以後はあっという間です。

〜 綺麗になってきた「花の木」 〜
2005年10月25日(火)  No.799

降って湧いた多忙
 「今日は何にもないから、ゆっくり休めるなぁー」と晴れ晴れした気分。念のためスケジュール帳を見たら、昼前からボランティア、夜は薄伽梵のラジオ番組の収録。一気にブルーに。

 コンビニで高菜のおにぎりを買ってボランティアに行き、正規の活動その他雑務をこなしていったん帰宅。


 先日来、眼精疲労がひどいので、一度眼科に行きました。加齢による視力の衰え、老眼だろうと思っていましたが、緑内障などがないとも限りません。

 機械に顎を載せて何かを検査したり、眼圧の測定、視力検査などを経て、ようやく診察。眼底検査や視神経の検査?、「はい、左、左下、真下、右下・・・」などと目玉を回して、懐中電灯で目の中を覗き込まれる検査、涙の量の測定を経て、再び検査室で細かい字の書かれた本を使っての視力検査。細かい字を見ただけで、端から読む気が失せてしまいました。

 結局、診断は老眼が進んだことと、ドライアイ。老眼鏡はバージョンアップして、左右とも+1.75が適当。「65才まではどんどん進むので、いい眼鏡を買わなくてもいいですよ」とのアドバイス。
 「ちょっと外斜視があります。これは以前からです」とのこと。カニのような目なのかな?
 涙の量が少なくて、眼球が涙で濡れていない部分もあるとのこと。歳を取ると減ってくるのですよね。

 結局、ドライアイの目薬と眼鏡の処方箋を貰って、検査開始から会計まで1時間少しかかりました。


 帰って即、ラジオ収録の準備。今日は12月分の収録をするために、薄伽梵の会員による座談会。

 記録を遡ってみると、薄伽梵の会も、結成して21年にもなるのでした。病院や老人施設での法話や書道教室、いろいろなシンポジウム、コンサート、演劇などの開催、神戸への炊き出し、托鉢、出版と、実にいろいろなことをやってきた会でした。

 メンバーは異口同音に、「こんな会は他にはない。自分にとって、いろいろなことを学んだし、得難い会だ」というような感想を述べました。ボクにとっても、宗派や年齢を超えた僧侶と出会え、様々なことを本音で語り合えるこの会は、大切な宝物だということを再認識しました。

 すべてが終わった9時半頃、ようやく夕食。こんな時間から食べていちゃ、ダイエットなんてほど遠い・・・。

〜 夕暮れの眼科の看板 〜
2005年10月24日(月)  No.798

雨の大安吉日
 姪の結婚式で、福井・敦賀に行きました。

 せっかくの大安吉日ながら、京都から敦賀に向かうに従って天気はどんどん悪くなり、着いた時はどしゃ降りの雨。

 式は、披露宴会場に付属したチャペルでのキリスト教式。キリスト教式は華やかでおしゃれで、出席するたびに「いいなぁー」と思います。

 「 ♪ いつくしみ深き 友なるイエスは・・・」。賛美歌を歌うのもいいですね。ボクも大きな声で歌いました。
 僧衣姿で賛美歌を歌っていたのは奇妙だったかも知れません。

 こういう式場の場合はニセ牧師も多いそうで、ぎこちない日本語で式を司るような外国人牧師が出てきたら、ちょっとあやしいかも知れません。
 今日の牧師さんは真面目そうで、いい感じの方でした。

 「この人はどんな牧師さんだろう?」と、ボクはよく想像してしまいます。
 仏教の僧侶の場合でも尊敬できる方にはなかなか出会えませんが、牧師も同じ。牧師には、「この人は裏表の顔が違うなぁ」と唖然とさせられることが少なくありません。
 どの宗教でも、“信仰する人”の延長線上に宗教家がいるとは言い切れないのでしょう。

 結婚式の際、新郎が新婦の顔を覆うベールを上げる儀式(場合によっては直後に誓いの接吻)を、「ディスカバリー」というのですね。何だか面白い・・・。

 無事に式も終わり、華燭の典もお開きとなり、花嫁の実家で2次会。舟盛りは出てくるわ、お寿司はあるわで、結婚式場に引けを取らないご馳走。でも、もう入りましぇ〜ん。
 へぇ〜、こういうしきたりがあるのかと思いました。くだけた感じで、いいものです。

 帰りはまたザァザァ降り。

 美味しいご馳走を食べながら、車での往復のために、お祝いの美酒を呑めなかったが心残りでした。


 昨日から始めたスキムミルク・ヨーグルト・ダイエットは、1日の命でした。

〜 チャペルでの成婚式 〜
2005年10月23日(日)  No.797

スキムミルク・ヨーグルト・ダイエット
 午後、自室の模様替えをしました。

 主にパソコンや事務機器の配置を換えたのですが、7〜8年ぶりのことです。

 以前から、パソコンや電話などの配線をスッキリさせたいと思っていたのですが、相当面倒なことがわかっていましたので、手を付けないでいました。

 今日は、目の疲れもあってパソコンで仕事をする気にもなれず、「いっそのこと、模様替えをしちゃえ!」と取りかかりました。

 パソコンデスクの向きを変え、必要なくなったケーブルや線を取り外して、かなり雰囲気が変わりました。

 さくら対策にパソコン回りに張ってあった鳥除けの網は外しました。結局、さくらはどこからでも侵入することがわかったからです。

 何だかすごく使いにくくなってしまいました。慣れていないだけでしょうか?


 先日、スキムミルク・ヨーグルト・ダイエットをして、2週間で5キロ痩せたという話を聞きました。
 スキムミルクにヨーグルトの種を入れてヨーグルトを作り、それを朝ご飯にするだけで痩せ、お昼も夜も普通に食べればいいというものでした。

 早速作ってみることにしました。

 ボクは朝のうちは外回りをするのが日課ですが、そんなものを朝から食べてお腹が痛くなっては困るので、まずは家にいる時に食べてみて、お腹を壊さなければ続けてみることにしました。

 ボクにはヨーグルト作りの強い味方があります。以前、温泉卵を作りたいと、オークションで入手した温泉卵器です。それを使えばヨーグルトを作るのはいとも簡単。
 仕込んで7時間ほどで、ヨーグルトは完成!

 問題は味。決して美味しいとは言えませんが、我慢すれば食べられます。  今日は、市販のプレーンヨーグルトを種に使いましたが、種を替えれば味も変わるでしょう。カスピ海を使ってみてもいいかな。

 お腹は・・・・何となくグルグルいっていて不安です。この分では、朝食べて、お経を読んでいる時にお腹が痛くなる可能性が大です。お経をやめて、「ちょっとトイレを貸してください」というのも格好悪いですし。
 ここが最大の問題です。お昼ご飯に食べるようにしようかなぁ・・・ ダイエット効果は、朝食べるのと昼食べるのとでは違うでしょうか?

 書いているうちに、何だかお腹が痛くなってきました。こりゃーダメかも・・・。

〜 スキムミルク・ヨーグルトの試作品と温泉卵器 〜
2005年10月22日(土)  No.796

今年もこしひかり
 今年も、新潟からこしひかりが届きました。

 「15年ほど前、乳ガンにかかった時に支えてくださった。このお米は、私が元気にしている証拠ですから」と、毎年彼女の実家に手配して送ってくださるのでした。

 お礼の電話をすると、小千谷にある彼女の実家は地震の被害からようやく再建したばかり。順番待ちのような状態で、長くかっかったのだそうです。

 中越地震から23日で1年。仮設住宅に入った人で、退去できたのは3096世帯のうちのわずか1割。住宅再建の遅れなどのため、仮設住宅から出られないまま、2年目を迎えようとしています。

 「うちは壁にヒビが入った程度ですよ」という彼女の実家は、それを考えるとまだましだったなのかも知れません。確かに、まったく再建の目処さえ立たない山古志と比べると。それにしても、私たちの想像を超えた大変さがあったことは確実でしょう。

 さっそく炊いて、そのままおにぎりにして食べました。いろいろな“薬味”が加わって、もちろん美味しかったです。


 目が疲れてパソコンを見るのが辛い中、「今日の散歩道」の更新はちょっとした苦行でした。

〜 加茂川の河原から見た比叡山 〜
2005年10月21日(金)  No.795

新京極
 遠来の客人たちと、新京極を歩きました。

 ずいぶん久しぶりに訪れた新京極は、新しい映画館や書店などができて、少し様変わりしていました。

 子供の頃は、新京極や河原町というと、ずいぶんな繁華街のような気がしました。でも、今夜歩いた新京極からは、どこか垢抜けない、一層けばけばしたという印象を受けました。

 折しも、今は秋の修学旅行シーズン。一見してそれとわかる子どもたちが、グループ行動をしています。金・銀、清水、三十三間堂、二条城、夜は新京極。それが修学旅行の定番でしょうか。
 そんな子どもたちも、京都の土産より、けばけばしいお店に興味がありそうでした。

 通りまでせり出して陳列されている品物の間に、お寺の入り口があったり、お墓が見えたりして、何となく奇妙な感じ。

 以前、高いビルからこの辺りを見回したことがありましたが、賑やかなお店の裏側には、驚くほど広い墓地が点在していました。
 それもそのはず、新京極の一筋東は「裏寺町通」というお寺が林立する通りです。

 古いものと新しいもの、静寂と喧噪、光と闇、聖と邪、そんなものが渾然一体となったティーンエイジャー好みの町、それが新京極でしょうか。

 細い路地を抜けて寺町京極に行き、少しホッとした気がしました。


 意を決してお越しになった遠来の客人には、お楽しみいただけたでしょうか?

 この上ない秋晴れで、よかった・・・。

〜 和泉式部のお寺の前で撮った客人たちのツーショット 〜
2005年10月20日(木)  No.794

夢の早送り
 夢を見ていながら、「あ、この部分は細々としているので飛ばして、早く次の場面を見たいなぁ」と思うことがあります。

 飛ばしたい場面がどういう内容だったか忘れてしまいましたが、すごく煩雑な作業をしていたように思います。早くみたいと期待した場面は、自坊から出てどこかへ行くような展開を期待していたのかも知れません。

 次の場面に早送りしようと頭を操作した途端に、その夢は霧散してしまいました。
 そして、そういう夢を見たという記憶だけが残っています。

 そういう操作をしようとしたということは、あまり深い眠りにはないということなのでしょうか? 昼間も、御飯を食べたら眠たくなってしまいます。


 さくらが来て、今日で半年になりました。

 100グラムしかなかった体重も、今日計ってみたら2.8キロ。わさびのチューブしかなかった体長も、今では40センチ近くもあります。よく育ってくれました。

 猫の生後半年は、人間に換算すると9才程度とか。かなりヤンチャ盛りです。

 半年のお祝いに、キャットフードの缶詰をあげました。

〜 食器棚の上のやかんの箱の上で居眠りするさくら 〜
2005年10月19日(水)  No.793

夏目雅子さんの写真集
 夏目雅子さんの本を買いました。

 以前から大好きな女優さんで、特に「瀬戸内少年野球団」の先生役の彼女に憧れていました。

 そんな彼女が27歳で亡くなって、今年でもう早20年にもなります。

 彼女が「海童」という俳号を持ち、金子兜太さんが「こんな奔放で、情熱的な俳句を作る人に私はこれまでであったことがない」と絶賛するような俳句を詠まれたということを知ったのはつい数日前。ファンというにはうかつすぎました。

 さっそくネットで検索して、7回忌に出版された『星花火』という写真集の古本を買い求めました。

 今日はボランティア。その合間のリフレッシュに読もうと、持って出かけました。

 写真集には、写真はもちろん、彼女のほんの短いつぶやきと俳句が載っていました。

 ドキッとするような写真が出てきたら、人に見られないようにサッと次のページをめくりつつ、その短いつぶやきと俳句に見入ってしまいました。

 「なんとなく、っていうのは嫌です。なんとなく流されるんじゃなくて、流されちゃえって流されたいの」

 「私のようなおしゃべりな女の子が同じ部屋にいたら楽しくなるんじゃないかって、私の方から何度か言いました。私、ほとんど押しかけ女房です」

 正直で、飾りっ気がなく、なんて真っ直ぐで可愛い人なんだろう・・・・そう感じながら読んでいると、精神的にしんどい内容のボランティアも、ずいぶん気持が切り換えられて、あっという間に受け持ち時間が終わりました。

   寄 せ 鍋 や  湯 気 か き 集 め  一 人 じ め    雅子

 そんな季節も遠くない気配がしてきました。

〜 買ってヨカッタ 『星花火』 600円也 〜
2005年10月18日(火)  No.792

お馴染みのNTTトラブル
 何気なく銀行の通帳を見たら、「電話」の引き落としが毎月2件ずつ。「あ、電話とネットだな」とわかりましたが、「そういえば、ネット代は3ヶ月無料のはずだったけど・・・」。

 実は、今年5月と6月、ボクは光ファイバーやIP電話絡みのトラブルで、大変迷惑を被りました。原因は、NTT側のユーザー登録漏れ、利用環境の確認漏れでした。
 あまりにも初歩的なミスで、こちら側に実害が出たことにクレームをつけたところ、3ヶ月間利用料を無料にすると、NTT側から申し出がありました。

 そんなことはすっかり忘れていた今日、通帳を見ると、何も無料にはなった形跡はありません。

 「あ、またか・・・」と、度重なるNTTのずさんさに、さもありなんの感じでした。
 実は、トラブルは3年前にもありました。最初に光ファイバーを引いた時、こちら側の工事がすべて終わっても、ネットが開通せず、調べてみるとNTTの地下の線が繋がっていなかったという、これまた信じられないようなことがあったのです。
 それを合わせると、この光ファイバー絡みで4回目のトラブルになります。

 NTTの116センターとやり取りをしたところ、「経過については履歴に残っています。無料にする手続きが遅延していて、ご迷惑をおかけしました」とのこと。「4ヶ月も経っているのに、『遅延している』しているというのはおかしいでしょう? 忘れていたか、する気がなかったかじゃないんですか?」と聞いても、「遅延しています」一点張り。

 ちょっとキレました。結局先方は、遅延していたのではなく、処理を放置していて、こちらが問い合わせなければそのままになってしまうところだったことを認めました。

 聞くと、利用料を相殺して無料にするということは、事務手続き上出来ないらしく、その分を口座に振り込ませて欲しいとのことでした。
 「じゃぁ、最初から出来ないことを約束していたんですか!? それは確信犯ですね」と、もうとことん呆れてしまいました。

 ごね得でもないのですが、結局、利用料を半年間返金してもらうことになりました(どうしてそんなに簡単に無料にしてしまうのか、余計に不信感が募りましたが・・・得するので、それは言いませんでした)。併せて、一連の経過については、文書で明らかにして貰うことにしました。信用できませんので。

 それにしても、どうしてこんなにずさんな処理が何度も繰り返されるのでしょう? 企業体質なのでしょうね。

 少々費用がかかっても電力系の光ファイバーに乗り換えようかと、いま真剣に考えています。

 満月も欠けるぞ!

〜 月食で欠ける満月の月。久々に見た、“わかりやすい”天体ショウーでした 〜
2005年10月17日(月)  No.791

ガレージセール
 引声法要の結願を終え、エプロン片手にガレージセールに駆けつけました。

 いつも行っているボランティア団体の主催で、カレー屋さんを出すのが毎年の恒例です。

 カレーといっても、自分で煮込んだりするわけではなく、レトルトを温めて御飯にかけるだけです。収益はあまりあがらなくても、雨が降った時に困らないようにという苦肉の策なのです。

 10人ほどがかりのカレー屋さんで、今日売れたのは40杯ほど。@350円ですから、15000円にもなりません。まぁ、やることに意義があるということで・・・。

 忙しくないカレー屋の合間に、出店しているお店を冷やかしたり、インドの人のライブ演奏を聞いたり、看護学校の協力で血圧測定をしているブースに行ったりしながら、のんびりと過ごしました。

 最近、ガレージセールに出店する人が減っています。あちらこちらで、ガレージセールやフリーマーケットが開かれるようになったこと、100円均一ショップができたこと、より高く売れるオークションに出品する人が増えたことなどが考えられます。

 こんなもの誰が買うのだろうと思うような品物がいつの間にかなくなっているから不思議ですが、さすがに、プリントゴッコは売れ残っていました。

〜 朝のうちは雲が出ていましたが、午後は快晴でした 〜
2005年10月16日(日)  No.790

モデムにも電気は必要
 1日中雨。時折かなり強く降りもしていましたが、こんなに長い時間降り続けるのは久しぶりです。

 引声阿弥陀経会も2日目。声を出してると汗ばんできます。気温はさほど高くなかったのですが、湿気が多かったのでしょう。


 先日、LANの配線などに伺った北区の禅寺の和尚から、「すまんが、インターネットが通じんので、また時間がある時に見てもらえんか」との電話。

 状態を聞こうとも思ったのですが、聞いてもらちがあかないだろうとすぐさま確信し、他の日よりも時間の融通がきく午後、強い雨の中を出かけていきました。

 行き道すがら、あの後、部屋の荷物の整理などをされているうちに電源が抜けたか、モデムの線などが抜けたかなど、単純なことに違いないと考えました。

 予想は的中。モデムのランプが点いていません。モデムの電源アダプタがコンセントにささっていません。さもありなん。

 コンセントにアダプタを差し込んで、作業は完了。着いてからものの30秒かからずに、インターネット接続は復旧しました。お見事!?

 やれやれ、よかった、よかった。

〜 雨の出町河合橋から南を望む。運転席より 〜
2005年10月15日(土)  No.789

さくらに疲れる
 パソコンをさくらから守るために張り巡らした網。パソコンラックの側面と背面には有効でしたが、正面と上面にはまったく効果がありませんでした。

 ボクがパソコンで作業をしていたら、さくらはボクの脇からポンとラックの上にのって、平気でキーボードの上を歩いたり、ディスプレイに登ったりしようとします。

 ラックの上も、今までは見慣れない網を警戒してか、登ろうとしなかったのですが、今日はやたらと登ってきて、網を噛んで遊んだり、挙げ句の果てはそこでくつろいで寝ようとまでします。

 今日、ボクは「今日の散歩道」の更新で長い間パソコンの前に座っていましたが、さくらは一緒にいようとするのか、ボクが何をしているか興味があるのか、前から後ろから、上から、何度もやって来てはちょっかいを出します。

 何度制止しても、強制的に退去させても、何の効果もありません。その執拗さには、本当に疲れます。

 ドアは勝手に開けて入ってくるわ、パソコン回りをうろつくわ、電話の上を歩いてコールしてしまうわ、もうどうしようもありません。

 そのくせ、いまだにトイレでのウンチが自分でできません。

 こちらが気配を察して、さくらのトイレに連れて行き、お尻を刺激してやらないとできないのです。
 もし、それを放っておいたら、勝手口の土間でしてしまうのです。

 こんな癖のまま大きくなったらどうしましょう。

 さくらには、「2、3時間でいいから、放っておいてくれ〜!」と言いたい気分です。

〜 パソコンラックの上で網と戯れるさくら 〜
2005年10月14日(金)  No.788

長素絹
 「越後屋、お主も悪よのう」「いえいえ、お代官さまほどでは」などという、時代劇によく出てくる場面。どうして越後屋さんなのかわかりません。そういえば、水戸黄門も「越後のちりめん問屋」のご隠居さん。どうして、「越後」なのでしょう?

 今日は、三井越後屋の初代当主三井高利氏のご令室の310回忌。毎年、高利氏は5月、ご令室は10月のそれぞれのご命日に、法要が営まれています。

 伊勢国松坂の商人、三井高利氏が創業した三井越後屋は、「現銀掛値なし、切売り」など、当時としては画期的商法でまたたくまに成功。その後、幕府御用商人となり、屈指の豪商となり、明治以後は、三越と三井銀行にわかれました。

 三越の「三」は三井、「越」は越後を意味しますが、なぜ越後かというと、三井家の御先祖が「越後守」を名乗っていたからなのだそうです。

 高利氏の遺言で、その墓所が真如堂に定められて以後、代々の当主が境内に眠っておられます。


 高利氏とその令室の法要の時には、裾を1メートル近く引きずる長い衣を着けます。

 普段は経験しないその長さゆえに、たとえば裾がどこかに引っかかるなどのハプニングがよくありますが、今日はお経を読みながら行道するときに、若い僧が木魚を叩くバチを裾の中に引き摺って歩いていたという、あり得ないことが起きました。

 裾の中からひょこっと出てきたバチを、後ろを歩いていた僧がしかたなく回収し、それを持って行道を続けました。扇子は持って歩きますが、バチを持って歩くなど、前代未聞。

 そんなことが起きるのも、長素絹を着けるお二人の法要ならではなのです。

〜 三越の職員さんたちの戒名が細かく刻まれた「三越総墓」 〜
2005年10月13日(木)  No.787

気になる木
 朝の散歩コース中の黒谷の墓地に、赤い実のなる木があります。

 ナナメノキかな? 秋になって、だんだん赤さが際だつようになってきて、何だか美味しそうに見えます。

 この実を見ると、子供の頃に読んだ仏教マンガを思い出します。

 ある時、旅に疲れた男が木の下で休んでいると、鳥がその木になっている実を美味しそうに食べていました。男は鳥が食べられるのなら人でも食べられるだろうと思い、その木に登って実を食べてみたところ大変美味しく、夢中で食べ出しました。ちょうどその時、旅に疲れた別の男が木の下を通りがかり、木の上で美味しそうに実を食べる男を見て、自分にもその実を取ってくれと頼みました。ところが、木の上の男は分けてやるのが惜しくて、「こんな美味いものがやれるものか」と断ったところ、後から来た男は腹を立て、実を自分のものにしてやると、持っていた斧で木を切り倒してしまいました。倒れた木を見て、2人は来年はもう美味い実を食べられなくなってしまったことを悔いた。
 そんな、欲深さを戒める話でした。

 最近はいくら本を読んでも右から左へ素通りしてしまうのに、子供の頃読んだ仏教マンガの話は、今も自分でも驚くほどよく覚えています。今でもそんな記憶力があれば、ボクももう少し偉くなっていたかも知れません・・・。

 木の上の男が美味しそうに食べる赤い木の実が、この墓地の木の実に似ているように思えるのです。マンガは単色刷なので実の色はわからず、描かれている実はもっと大きなものです。
 それでも、子供の頃に読んだマンガの木の実のイメージがサッと蘇ってきて、何年も前から、実の色付く秋がやってくると、「美味しそうだなぁ」と気になるのでした。

 切り倒して食べてみようとは思いませんが。


 今日は、朝から大津・坂本で、11月に開催する講演会の打ち合わせ。午後からは、講師をお願いする千日回峰行者さんのお寺へ挨拶かたがた打ち合わせに伺い、夕方からは京都駅で司会者と打ち合わせ。

 はぁー 疲れた。

〜 赤い実のなる気になる木 〜
2005年10月12日(水)  No.786

禅寺のLAN工事
 河原町の「丸善」が今日で閉店するというニュースを聞きました。

 丸善といえば、梶井基次郎の『檸檬』。高校時代に読んで惹かれ、古書店で全集を買うまでしましたが、猿に似た風貌の基次郎に、「どうしてこんな顔の人が、あんな感覚的な文章を書けるのだろう」と、いつも不思議でした。顔で文章を書くわけではないのですが・・・

 ボクの中の丸善は、文具、舶来物など高級なものを扱っているとイメージが強く、いつもその売り場を素通りしして、上の階の書籍売り場に行きました。書籍売り場でも、洋書コーナーには縁がありませんでした。

 漱石をうならせた万年筆、賢治の愛用した原稿用紙も、丸善のものだったと聞きます。

 本や文具、そんなものを扱う商売が成り立たなくなった寂しさを覚えます。


 北区の禅寺の和尚から、「いま、暇?」と電話がありました。隠居部屋を2階から1階へいま移しているのだけれど、インターネットやIP電話はどうすればいいだろう(移して欲しい)ということでした。

 しょうがないなぁ ・・・ 午後から伺い、外壁に穴を穿ってLANケーブルを巡らしたりして、暗くなる前にどうにか完成しました。

 ボクが最も信頼する先輩僧のひとりですが、もっともパソコンには不似合いな和尚の一人でもあります。
2005年10月11日(火)  No.785

細かい作業
 今日は体育の日。出町柳駅近辺には、リュックを背負ったハイキング風の中高年も多くおられました。


 檀家宅にお参りに行った帰りに、15年ほど前、ボクが病院訪問などをしていた頃に入院されていて知り合った方のご自宅を、訪ねました。

 ご夫婦での長い間入院を経て、1フロアを行政が借り上げた高齢者向けの住宅で、自分も入退院を繰り返しながら、だんだん寝たきりになっていく奥さんを介護されていた91歳翁。奥さんが亡くなって、もう3年が経ちました。

 久しぶりに伺ったら思いのほかお元気そうで、今は週3回、ヘルパーさんに来て貰って食事を作ってもらい、別途入浴介助もお願いされているとか。入浴介助は男性ヘルパーなのが気に入らないとおっしゃっていました。

 さみしいという思いを縷々お聞きした帰り際、以前から励んでおられるワープロ写経を見せていただきました。
 手が震えて筆が持てないからとワープロで始められたのですが、ワープロに無い字は作ってまでして、法華経やその現代語訳などを写経され、立派な和綴製本が数冊並んでいました。

 「これをやっていると、頭の中が空っぽになって、スゥッーとするんですわ」という言葉の裏に、翁の独りで過ごす時間の長さ、さみしさや不安を察せずにおられませんでした。


 バイクでの帰り、わずかな間の雨にちょうど降られてしまいました。お天気の不安定な日のバイクは、賭のようなものです。


 午後は外の作業は諦めて、秋のアクセス集中シーズンにそなえて、ホームページの補修作業などをしました。

 これもやり出すと止まらず、結局、夜の11時過ぎまでやっていたでしょうか。目はショボショボ、肩は詰まってきます。

 「91歳翁は、本を見ながら、1字1字ワープロで文字を写すという、もっともっと細かくて気の遠くなる作業をしておられるのだなぁ」と、自分の作業に照らして、翁の偉業を改めて思い知らされる思いがしました。

〜 気の遠くなるような長い時間思惟されてこんな頭になった如来様(黒谷墓地にて) 〜
2005年10月10日(月)  No.784

北海道フェアー
 最近の傾向通り、連休は案外お寺も暇気味。今日は法事もありません。

 用事もないし、週間予報で「晴れ」と知って、手ぐすね引いて待っていた快晴の今日。朝一番から、庭仕事とほんの小さな畑の作業にかかりました。

 庭は、昨日・一昨日、ホームセンターで買ってきたバーミキュライトや堆肥を使って、苔が定着しにくい部分の土の保水力を高める土壌改良を施し、そこに杉苔を植え付ける作業。そして、やっとこさJAで買い求めた除草剤を撒いて、苔の間に蔓延った草を枯らす作業です。

 土壌改良はうまくいきましたが、貼り付ける杉苔が足りません。時間を掛けて自然に増えるのを待つことにしました。
 除草剤は、希釈率を高めて、苔に影響が出ないか、テスト散布をしました。夕方には雑草が変色していて、苔は何ともありませんでしたから、成功でしょう。

 畑は、モロヘイヤと万願寺唐辛子を抜いて、二十日大根と水菜の種を蒔きました。

 庭や畑の作業は、心地よい体の疲れとなおさら空っぽになる頭をもたらしてくれて、実に爽快です。

 ボクにはお経あげるより、こういう作業のほうが向いているような気がします。


 新聞に入っていたチラシの「北海道フェアー」の文字に惹かれ、夕方、少し離れた大型スーパーに行きました。

 「ボタンエビはあるかなぁ・・・ツブ貝はどうだろう・・・美味しい鮭は当然あるよなぁ」と期待に胸膨らませて行った食料品売り場の「北海道フェアー」の看板の下に置かれたものは・・・お菓子類ばかり。唖然。

 「まさかこれだけ? きっと海産物などは魚売り場にあるんだ」と諦めきれずに売り場に行ったところ、わずかに秋鮭やいくらを売っているコーナーがありました。でも、それだけ。

 デパートの「大北海道展」のようなイベントを期待していたボクが馬鹿だったのか、スーパーのチラシが誇大だったのか・・・ガッカリ。

 仕方ないので、通常の売り場も回って、北海道産のラベルの付いていた秋刀魚の刺身、秋刀魚、ホッケの開き、塩秋鮭を買って帰り、北海道産の男爵で味噌汁を作って、“大北海道ディナー”にしました。お酒ももちろん北海道産、紫蘇焼酎の「鍛高譚 (たんたかたん)」。まずまずの北海道グルメでした。

 自棄になっていたのか、勢い余ったのか、魚を買い過ぎました。

 一部は冷凍庫で出番を待つことになってしまいました。エネルギーの無駄。「MOTTAINAI」

〜 スーパー帰りに出会った、夕焼けに照らされた御輿の後ろ姿 〜
2005年10月9日(日)  No.783

墓参の雨
 朝から雨。

 法事の後に墓参に行く頃には、一段と雨脚も激しくなっていたので、檀家のご主人に「しばらく雨が弱くなるまで待っていましょう」と申し上げたのですが、当の八十翁は、「いやぁー どうなるかわかりませんから。同じでしょう」と、結局墓地へ。

 焼香の火が消える寸前、回向が終わる頃には雨も小降りとなりました。

 墓前回向の時の激しい雨は、回向の終わる頃には止んでくる。しばらく待てばたいてい小康状態になる。これは今までボクの経験則です。

 衣や袈裟を干す羽目になりました。


 庭の苔の部分の土壌改良をするためにバーミキュライトをホームセンターに買いに行き、小さな鶏頭の寄せ植えに心を惹かれました。

 鶏頭なんて、ずっと昔に流行った花という印象で、普段は綺麗だとも思いませんが、こういう見せ方もあるのだと感心して、思わず買ってきました。

 さくらに食べられるといけないので、パソコンの網の中で保護しています。

〜 小さな鶏頭の寄せ植え 〜
2005年10月8日(土)  No.782

JAの不思議
 雑草だけ枯らして苔には影響のないパラコート系除草剤が、その恐ろしい中毒症状から発売中止になって以来、苔に蔓延る雑草に困っていました。

 いろいろ調べていたら、その薬を改良した除草剤があって、希釈倍率を工夫すれば苔にも影響がないことがわかりました。

 その後、園芸店やホームセンターなどで調べてみましたが、一般の人が使うものではないのか、危険性があるためか、販売しているお店は1店もありませんでした。

 たまたまネットで見て問い合わせをした農薬専門店に、「お近くのJAで売っていませんか?」とアドバイスを受け、JAに電話をしてみると、「はい、販売しています。シャチハタ以外の印鑑と身分を証明できる免許証などをお持ちください」とのこと。
 今日、さっそく買いに行きました。

 前からJAで農薬を販売していることは知っていたのですが、近くにJAバンクはあっても、資材や薬物を売っているJAはない。そういう店はどこにあるのだろうと思っていました。

 今日行ったJAも、外見はJAバンク。中にはいると金融機関っぽいカウンターがあって、制服を着た女性が3人座っておられました。

 農薬を買うにはすごく場違いな雰囲気。恐る恐る、「除草剤が欲しいのですが」と言うと、「はい、何という除草剤でしょうか?」と、ごく普通の受け答え。

 「やっぱり売っているんだ・・・」

 本当に販売しているとわかっても、銀行の窓口で農薬を買うようで、場違いな感じは何とも拭えません。

 「この女性たちは、お金を計算しつつ、農薬や肥料を売っているのか・・・まぁ、農協なんだから当たり前だけど・・・」

 狐に摘まれたような感じにどっぷり浸かりながら、毒劇物譲渡の手続きを踏んで、除草剤1本を買い求めました。
 1年越しほどでようやく手に入れた除草剤です。

 それにしても、こんな不思議なJAと、今まで縁無く過ごしてきたことを残念に思いました。

〜 カウンターに並んだ海老芋、万願寺。JAのカウンターではありません 〜
2005年10月7日(金)  No.781

今日も会議
 今日は快晴! でも、晴れるのは今日だけとか。

 お檀家2軒の月参りを済ませて帰ろうとしましたが、道が結構混んでいてなかなかすんなりと走れません。2軒目は苔寺の近くだったので、普段でも帰るのには小一時間かかります。
 今日は、平安神宮方面へ向かう車がかなり多く感じられました。観光シーズンが始まってしまったのでしょうか?

 車の中でも走りたいような気分の気が急く中、なんとか帰り着いて、3分? 5分でお昼を食べて、12時から自坊で会議。昨日に引き続いて、天台宗関係のホームページの打ち合わせ。業者さんを交えて、4時過ぎまで、また長〜い会議でした。


 偽造・盗難キャッシュカードによる被害の補償ルールのことがニュースで放送されていましたが、暗証番号をカード上に書き記した場合は「お客さまの責に帰すべき重大な理由」とみなされて、被害は補償されないとか。

 そりゃそうですね。書いてあったら暗証番号の意味をなさないですもの・・・消しておかなきゃ・・・どこ書いておこうかなぁ・・・忘れてしまいそうだなぁ・・・

〜 川端通北行車中の青空 〜
2005年10月6日(木)  No.780

雨の日のドタバタ
 今日も雨。

 9時頃、一瞬雨の上がったのを見て、車を置いておきにくいお檀家への月参りにバイクで行きましたが、帰りは降られてしまいました。

 帰って即、10時、11時と法要。ウイークデイなのに、どうして法要が重なるのでしょう。今日は「大安」ですが、関係ありませんし・・・。

 法要の合間に、ボランティアの事務所から基幹的な役目のパソコンが故障したという電話がありました。

 火の点いた線香を片手に、「[スタート]ボタンから[プログラム]へいって・・・」と説明。手は熱くなってきますし、法要を始めなければいけないので、「ゴメン! また後で!」と電話を切り、ポクポク、チ〜ン。

 雨の中、お墓へ行って読経をし、またボランティアの事務所へ電話をして、「○○をやってみて、それでダメなら◇◇をしてみてください」と伝え、またポクポク、チ〜ン。

 雨のお墓から帰って電話をしても直らず、結局、午後から急行。ものの10分ほどでパソコンは修復できました。
 パソコン触るのは初めてという人も含めていろいろな人が入れ替わり使うパソコンは、御難続き。まったく予期しない操作をしてくれる人がおられるものです。

 夕方5時から自坊で予定していた天台宗関係のホームページの打ち合わせが、先立つ会議の大幅延長のために9時前頃開始と大きくずれ込み、終わったのは10時過ぎ。時間切れ終了で、明日に持ち越しとなりました。

 なんだかドタバタした雨の1日でした。
2005年10月5日(水)  No.779

ずいき祭
 午後、雨の中を車で走っていたら、対向車線の中央側に数人の警察官が歩いているのが見えました。
 さらに見ると、その後ろには白い祭装束の男たちが20人ほどいて、その中に御輿のようなものが見えました。

 「あっ、お祭りかな? 何だか普通の町内の神社より大がかりだなぁ・・・」

 急いでデジカメを出して、すれ違いざまの窓越しに1枚「パシャ!」 高く掲げた提灯には「ずいき祭」と漢字で書いてありました(どんな漢字だったか忘れました)。

 「あぁー ずいき祭かぁ」と納得。夕べ、白梅町あたりを車で走った時に、鯛焼きの露天が出ていたので、「食べたいなぁ」と思いつつ、車が停められずにそのまま帰ったことを思い出しました。きっと、このお祭り絡みの夜店だったのでしょうか。

 帰ってから調べてみると、今日は北野天満宮のずいき祭の還幸祭。御旅所を出発した御輿が氏子区域を練り歩いて本社に戻る途中だったようです。
 ずいき祭とは、御神輿の屋根を里芋の茎で葺くことそう呼ばれ、柱などもすべて野菜やゆばなどの乾物でできているとのこと。

 すれ違う数秒の間にその御輿をしっかりと見ることは出来ず、残念ながら写真にも、雨に濡れた人だけしか写っていませんでした。

 秋祭りの季節がやってきたのですね。


 夏の間、綺麗な声を楽しませてくれた鈴虫たちも、気が付けばみな息絶えていました。

 10月にしては異様に暑いですが、秋真っ盛りなのですね。

〜 雨の中のずいき祭還幸祭 〜
2005年10月4日(火)  No.778

町屋での対談収録
 午後のラジオ番組収録。

 今日は、中京にある呉服屋さんのご自宅に伺い、そこで対談をさせていただくことになりました。

 450年前に法衣商を始め、以後、呉服に転身したという老舗染呉服メーカー。往時は年間200億円以上もの売り上げをあげていたものの、2年前に自主整理されて、今は再起を目指しておられました。

 少し早めに着き、ご主人直々に玄関の鍵をあけていただいてあがったお部屋の広いこと。3間合わせて30畳近い部屋の両側は通り庭。その奥には蔵が2つ。3間の真ん中の細長い部屋には仏壇がありました。

 一番広い12.5畳の正方形の部屋の床には、何やら見たことがあるタッチの絵。
 「これはどなたの・・・?」と恐る恐る聞いてみたら、「あっ、これは棟方志功です。父が河井寛次郎と棟方志功の本を出したことがあるもので」とサラリ。
 脇の床棚には、図録で見たような壷。
 「あれは河井寛次郎ですね。あっちの大きな皿もですか?」と聞くと、「あれはバーナードリーチです」。

 ひぇ〜〜〜〜

 ボクは大学の卒論で、確か、柳宗悦のことを書いたような・・・。柳宗悦は、民衆的工芸をとらえて「民芸」という語をつくり、「民藝運動の父」と呼ばれる人物。バーナード・リーチ、河井寛次郎、棟方志功は、富本憲吉、濱田庄司、芹沢けい介らとは、共に「民芸」の巨匠たちです。

 棟方志功はここに3日ほど投宿していたそうです。

 欄間の扁額には「鉄斎」の文字。鉄斎には贋物が多いですが、ここのは当然本物でしょう。あっ、応挙の屏風もありました。

 このお宅で見たお宝を上げだしたら切りがありませんが、それらがごく普通に、いささか雑然と置かれていて、ご主人もごく自然体。京都の伝統ある商家の真髄を見せていただいた気がしました。

 この建物は大正の御大典の時に建てられたもので、御大典の関係者などが泊まったとのことでした。

 対談が終わって、建築の好きなわれわれのメンバーが、やたらと感動。「こういう建て方は、いまはもうあまり残っていませんよ。部材を見ても、柱は四方正の桧。この畳が素晴らしい。この畳は大正時代のもので、目の詰まり方が違う。裏も綺麗でしょう?」と、とうとう畳をあげて裏側をウォッチング。

 帰り際、何気なく立てかけてあった螺鈿で装飾されたお琴の素晴らしいこと・・・その部屋からも小さな庭が見えました。自然の光や色を取り込む京町屋の小憎らしいほどの工夫。

 対談そっちのけで、京都の町衆の文化を堪能させていただきました。


 対談と言えば、今夜10時からボクの対談がオンエアーになっているはずなのですが、出力が弱いようで、まったく電波がとらえられません。なにせ、日本で初めてNPO法人として放送免許を取得したコミュニティ放送局ですから。そのうちネット配信されるでしょう。

〜 京町屋での対談収録風景 〜
2005年10月3日(月)  No.777

冬衣には早すぎる!
 今日も暑い日となりました。

 昨日から冬衣となったので、暑さもひとしお。今年は暑さが長引いているということもあるのでしょうが、10月1日に更衣をするのはちょっと早すぎると、毎年この時期には思います。

 旧暦では、今日は8月晦日。旧暦の10月1日は、今年の場合11月2日。その頃なら冬衣になる有り難さを感じられるでしょうに。


 今日の2時以降にお訪ねくださると約束していた人が、待てども待てどもいらっしゃらない。「2時以降」ですから、3時か4時かはわかりませんが、6時になってもお越しになりません。

 晴れていれば刈り込みなどの作務をしたいところ。運良く?雨も降ってきたので諦められましたが、他の用事をしていてもなんだか落ち着きません。

 連絡もないけど、どうかなさったのかな? おぜんざい用意してあったのになぁ・・・。

〜 『雨にも負けず』の詩がお気に入りのさくら。「額の裏にへそくりはないよ!」 〜
2005年10月2日(日)  No.776

近場探検ツアー
 今日の「メダカの学校」の授業は、「真如堂とその界隈に眠る奇怪な伝説と史跡」。京都の史跡を研究されている方が講師でした。

 いつも通りの準備をして蓋を開けたら、参加者がどんどん増え、席が足りなくなってしまうほどでした。皆さん、タイトルに惹かれたのか、“近場の不思議”には興味がわくのでしょうか?

 打ち合わせの段階から、「話は苦手ですから、少し説明して実際に近くを回りましょう」とおっしゃっていた通り、真如堂とその界隈の“不思議スポット”について説明を聞いた後、2/3ほどの参加者が“近場探検”に参加されました。

 空には雲一つなく、まだ夏の“余力”の残る太陽が降り注いでいます。日頃、足が痛いとおっしゃっている方、まったく初めて参加された方などで、ぞろぞろと約1時間半ほどの“ツアー”を行いました。

 「4〜5人参加されればいいかなぁ」と思っていたのが、嬉しい誤算。坂道や階段の多い道で、平均年齢の決して低くない“御一行様”には大変だったろうと思います。

 近くにもまだまだ多くの“不思議スポット”があります。そういうのを調べてみてホームページにしてみるのも面白いだろうなぁと、思いました。

 それにしても暑かったぁー。

 帰ってから、参加者のお一人と、ビールを飲んでしまいました。

〜 ツアー真っ最中。黒谷「紫雲石」前にて 〜
2005年10月1日(土)  No.775

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