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2005年9月の日記

バカボンの懇親会
 超宗派の僧侶の会“薄伽梵KYOTO”の懇親会。今日は、この前食べに行って美味しかった鶏料理のお店。

 例によって、ワイワイガヤガヤと盛り上がり、とても楽しい一時でした。

 このお店は京都市内でも、繁華街からは離れた北の方にありますが、参加する人もほとんどは北の方のお寺の人で、わざわざ南へ下がって二次会に行くのは止めようということになって、あっさり1次会で解散。

 「もうちょっとしゃべりたいなぁ」という名残惜しさを残して帰るほうがいいですね。


 さくらが、ボクの部屋のドアを自分で開けるようになりました。

 ボクの部屋のドアの取っ手は横に伸びたレバーを回し下げる形式なのですが、さくらはそれに飛びついたらドアが開くということを学習してしまったようです。

 してはいけないということは少しも学習しないくせに、自分の都合のいいことだけは覚えるなんて・・・。

 ボクが部屋にいない時でも、いる時でも、勝手にドアを開けて入って来て、さっさと自分のお気に入りの場所に陣取っています。

 先日のパソコン回りの網はとりあえず有効ですが、最近は回りからがダメなら正面突入と、堂々と前から入って、ディスプレイの横などで寝そべろうとしたりします。

 ますます手強くなってきました。

 そんなさくらも、人間では9歳ぐらいです。

〜 こういう時は可愛いのですが 〜
2005年9月30日(金)  No.774

ボランティアへ
 秋晴れの気持のいいお天気。

 午後からは久しぶりのボランティア。今月はお彼岸などもあって、ボク自身の活動ノルマが達成できませんでした。

 最近、このボランティアの組織の活動現場がギクシャクして、参加する人が減っています。

 ボランティア組織というのはややこしくなることが多いですが、参加する人が、その活動が大切だと思う気持ちより、ややこしいと思う気持ちが上回った時、参加する人が減ってくるような気がします。

 ボクも、もう20年以上関わってきましたが、最近は「ややこしいなぁ・・・この組織は変わりようがないなぁ」と思うことが増えてきました。

 長年やって来てそういうことには慣れているボクでもそうなのですから、“免疫”のない人は余計に負担でしょう。

 今日の空のように、スカッと晴れないかなぁ。

〜 萩も終盤 〜
2005年9月29日(木)  No.773

五條楽園
 人とお会いするのに、車が駐めやすく流行のお店ということをポイントにネットで検索して、五条大橋近くの“カフェ”に行きました。

 住所からイメージした場所は、「五條楽園」の近く。店の駐車場がわからず、駐めたコイン駐車場は、まさしく「← 五條楽園」という看板の真下でした。

 「五條楽園」は、昔、赤線地帯があったところで、いまは暴力団の事務所があって時々防弾チョッキを着た警察官が立っている場所・・・京都の方にはそういうイメージの場所ではないでしょうか。

 車を駐め、店に向かう3分ほどは、その楽園をかすめるように横切ります。
 そのわずかな間に、「お茶屋」という看板があがった店や「歌舞練場」までもがありました。
 レトロなステンドグラスが施された外壁、狭い幅のしっかりとした作りの格子窓、立派な破風の木造建築。それらは、祇園や宮川町の建物より趣が深く、景観保存地区に指定して欲しいと思える町並みでした。

 赤線廃止の時に衰退した遊郭の割に、建物はしっかりしているし、看板も現役。それが今まで不思議でしたし、初めてその中を歩いてみて尚さら不可思議に思えました。


 喫茶店は鴨川河畔に建ち、一面ガラスの窓からは、川で魚を捕る鷺や鴨、五条大橋などが一望できました。

 向かいの川端通を通る時、喫茶店らしい窓が見えると思ったことが今までに何度かありましたが、この店だったのです。

 店の中には、なぜか金魚が飼われていました。


 帰ってから、何気なくネットで調べてみました。

 何と、五條楽園は今も現役で、「お茶屋」の看板のあがったお店には着物の女性がいて、風俗営業をしているというのです。このタイムスリップしたような街では、他の風俗街とは一線を画して、昔らしい雰囲気を残しながら、粛々と風俗業が営まれているのです。
 花街らしく、「五条楽園芸妓置屋組合」も健在。江戸中期から続くお茶屋や遊郭の灯は、形を替えこそすれ、現在に受け継がれていたのでしょう。

 今日行った“efish”というカフェの名称も、“e”はアルファベットの5番目と五条大橋の“五”をかけ、“fish”は五條楽園の遊郭の目印に置かれていた金魚に由来していると知りました。


 「昔よく通った」という経験はありませんが、実になつかしい気持にさせてくれる不思議な空間です。今まで知らなかったディープな京都に出会った感じがしました。

〜 「お茶屋」のステンドグラス/カフェからの眺め 〜
2005年9月28日(水)  No.772

夜間中学
 檀家でのお参りを終え、その家を出て角を曲がったところに置いてあるバイクのところへいって、ヘルメットを取りだしてかぶろうとした時、前から自転車にのった70歳ぐらいの女性が話しかけてきました。

 「すみません、和尚さん。ちょっと聞いてもらいたいことがあるのですが・・・」

 次に行く予定も詰まっていたので、「困ったなぁ」とは思いましたが、その方はボクのバイクの前を斜めに塞ぐように自転車を止めているので動きようがありません。
 だいたい、こういうケースの時は、誰にも聞いて貰えないとか、何か事情のある場合が多いので、用心してしまいます。

 「短い話かなぁ・・・」と思って、「はい、何ですしょう?」と返すと同時に、その方のとうとうとした話が始まりました。

 要約すると次のようなことでした。
 その方はいま夜間中学に通っていて、そこを卒業して定時制高校に行くことを目標としている。
 20人いるクラスの中で、自分一人が爪弾きにされていて、今では学校に行っても勉強が身に付かないほどだ。民族による逆差別なのか、自分自身の性格が悪いのかわからない。挨拶をして貰えなかったり、お弁当の時に嫌がらせをされたり、休んでいる人のところまで私の噂が回っている。
 私は勉強したい。“大東亜戦争”の頃は英語を禁じられていて今も苦手だが、ヘボン式のローマ字を読めるようになった。数学はまぁまぁだ。
 私はどうしたらいいでしょう。

 話をお聞きしたところ、心の病を抱えておられる様子もなく、ご主人も学校へ行くことを応援されている感じでした。

 正直なところ、識字学級のことは知っていましたが、夜間中学のことはほとんど知りませんでした。
 この女性が、その歳を押して学んでおられ、しかも高校を目指しておられるということに、まず驚きました。
 虐められるのは辛いけれど、どうにか学校を続けたいという思いはひしひしと伝わってきます。

 彼女によると、アルバイトかと思われるその学校の教師は、彼女に接し方を変えるようにとアドバイスしたそうです。彼女としては何も間違っていないという自負もあって、そのアドバイスは納得できるものではなかったようです。

 もちろん、ボクにもこうすればいいという解決策は見あたりません。この方にも頑なな部分があるのでしょうが、そのお歳になれば、もう“やり方”を変えることは不可能でしょう。
 「勉強したいという思いを大切に、辛いだろうけれど、自分を信じて学校を続けてください」という主旨のことを申し上げ、次の檀家宅に飛んでいきました。

 急ぐボクの背に、「本当にいい和尚さんに出会えてよかったです。ありがとう」という彼女の言葉が聞こえてきましたが、ボクとしては「何も役に立ちそうなことを言ってあげられなくてすみません。ゆっくりお聞きしたいのですが・・・」と謝りたい気分でした。

 その後、遅れた30分を少しでも取り戻すのにバイクで突っ走らなければなりませんでしたが、彼女と話すのに時間を費やしたことは、何な後悔するものではありませんでした。


 帰って夜間中学のことを調べてみました。以下、抜粋です。(Wikipedia

 元々、中学校における夜間の授業は、第二次世界大戦降伏後の混乱期の中で、生活困窮などの理由から昼間に就労または家事手伝いなどを余儀なくされた学齢者が多くいたことから、それらの人に教育の機会を提供することを目的として中学校で行われたものである。

 夜間の授業は、夕方5時30分ごろから授業が開始され、9時ごろに終わる、4時限の課程である。基本的には、学齢超過者だけが在籍する。

 夜間の授業を受けている人には、日本国籍を有していない人や同和地区の出身者など、ほとんど文字の読み書きができない成年の生徒も多く、そういった学齢超過者は、日本の現在の受け入れ態勢のもとでは小学校に入学することが困難であるため、中学校における夜間の授業は、日本語教室、識字教室、小学校の代替としての役割も果たさざるを得ないといわれている。また、授業時間は、昼間の授業よりも少ないことが多く、授業は、「中学校学習指導要領」(文部科学省告示)を完全に模倣することが難しい。そのため、国語、数学のように、日常生活の基本となる教科が重視され、それ以外の教科や実技教科(保健体育など)に割り当てられる時間数は少ない。生まれて初めて鉛筆を持つ人から、中学校に途中まで在学した人までの幅広い生徒が在籍し、生徒間の学力の差が大きいため、習熟度別授業を行っていることが多い。また、制服はない場合が多い。夜間の授業を受ける場合は、一般的に年間を通して随時入学できる。

 2004年の時点で、夜間の授業を行う学校の数は35校、生徒数は約3000人であるが、夜間の授業に積極的な設置者(教育委員会、学校法人など)が、東京圏、大阪圏に集中しているため、やむなく、中学校の正規の授業として認可を受けていない「自主夜間中学」が日本全国の20校ほどの中学校と有志で運営されている。中学校における夜間の授業は、ほとんど知られていなかったが、1993年に上映されて話題となった山田洋次監督の映画『学校』で有名になった。

〜 朝の秋晴れの空。夕方からは雨でした 〜
2005年9月27日(火)  No.771

鳥除け網をもってさくらを制す
 さくらは相変わらず、ボクが居間にいたら居間に、自室にいたらそこへと、ボクの後を追ってきます。独りではいられない猫なのです。

 ボクの部屋の中でも、さくらが好きな場所が数か所あります。

 一つは、さくら専用にカーペットなどが敷かれた洋服ダンスの上。二つめは塔を眺めることができる窓辺。ここからはカラスなどが飛んでいるのがよく見え、最近一番お気に入りの場所です。三つめは床のカーペットの上。運動場兼昼寝場所。四つめは鳥の餌台の見える窓辺。この窓はパソコンラックの裏側へ続いています。

 一つ目から三つ目にいてくれる時には何の問題もないのですが、困るのは四つ目です。

 さくらは洋服ダンスの上にいようと、塔が見える窓辺にいようと、餌台のあたりで小鳥がさえずり出すと、熟睡から一気に覚睡して、その窓のところへ飛んでいきます。
 当然、せっかく餌を食べにやって来た雀は驚いて逃げてしまいます。

 それだけでは終わらず、その後さくらはその窓からパソコン・ラックへ飛び乗って、配線に絡まったり、ディスプレイの裏から顔を出したり、挙げ句の果てにはラックの最上部に置いてあるマスコットなどの小物をバラバラ落としていきます。

 もちろん途中で見つけたら制止して、どうにかパソコン付近から引き離して部屋から追放し、扉を閉めるのですが、さくらが寝ているからと思って油断してちょっと部屋を離れたりすると、戻った時には小物が散乱していることしばしば。

 これを阻止しようと、パソコンラックの回りにダンボールを張り巡らしたのですが、何だかホームレスのようで、しかも暗くて陰気です。

 そこで、いろいろ考えた挙げ句、今日、鳥除けの網を買ってきて、ダンボールの代わりにパソコンラックの3方に張りました。これで明るさは確保でき、さくらの侵入を最上部に到るまで阻止できるはずです。

 準備万端整って“ゴング”が鳴りました。扉を開けて、さくらは“リング”へ! さくらは、早速、雰囲気が変わったことを察知して、パソコンの裏側に回り込んできました。

 さくらにしたら障害物とは思えほどの細い網なのに、邪魔をされて進めません。
 しばらくの間、手で引っ掻いたり、噛んでみたり、手を突っ込んでみたり試行錯誤していましたが、とうとう諦めて、トボトボと塔が見える窓辺に引き上げていきました。

 やったぁ! 首尾は上々、第1ラウンドはボクの勝ちです。でも、油断は禁物。さくらも次の手を打ってくるでしょう。

 さくらと一緒にいる限り、“ラウンド”はずっと続きそうです。

 それにしても、網目に取り囲まれると、自分が動物になったみたいな気分です。

〜 ダンボールの要塞/鳥除け網と格闘するさくら 〜
2005年9月26日(月)  No.770

尼崎の事故
 今日も彼岸対応。お参りの方は“ボチボチ”(お墓だからではありません)。

 ものすごい風で、墓地に持っていく焼香セットが風に煽られてひっくり返り、引金(チーンと鳴らす金)が防火用水を貯めてある昔の五右衛門風呂の中にはまったり、焼香の火で足袋が焦げて火傷をしたり、さんざんでした。

 これでお彼岸も明日を残すのみ。明日来られるのは、美容院や散髪屋さんかな?


 JR西日本の尼崎脱線事故で亡くなった107人を悼む「慰霊と安全のつどい」が開かれたのをニュースで見ました。

 あの事故の後、「いつもあの電車に乗っていたのです」とか、「知り合いの知り合いが亡くなりました」という話を、何人もの方から聞きました。

 今日の慰霊祭で、JRの社長は「全社員が初心に帰り、安全な鉄道をつくり上げます」と述べていました。でも、あの会社にとって今日の慰霊祭は補償交渉を本格化させたり、ちゃんと取り組んでいると見せかけたりするための“通過儀礼”に過ぎないのではないかと思ってしまいます。

 この会社が信楽列車事故に対してどんな態度を取ってきたか、今回の事故の原因についても何ら説明をしないで今まで来たかという対応を見ていると、JR西日本に今回の事故を教訓にできるはずはないと思わざるを得ません。

 いったん下げた事故現場の制限速度をもう一度上げたりなどといった、“利用者の利便性向上”に名を借りた安全よりも収益を優先させる動きが、遠からず頭をもたげてくるでしょう。

 あの事故で怪我をした人の54%が、後遺症が「残った」「残る可能性がある」と答えています。
 亡くなった本人や遺族はもちろん、怪我をした人やその家族の人生設計や日常生活にどれほど大きな影響を与えているでしょう。

 JR西日本には、そんなことに思いをやるより、“企業を守る”という姿勢ばかりが露骨に見える気がしました。

 人の命を預かる仕事。何とか変わってもらいたいものです。

〜 猫じゃらしで遊ぶさくら 〜
2005年9月25日(日)  No.769

青空
 お中日の墓参が予想より少なかったため、今日・明日は多いだろうと、朝から“手ぐすね引いて”待っていましたが、今日もガラガラ。

 住職とボクが2人でスタンバっている必要がないので、午前中は住職が、午後はボクが墓回向をすることに、成り行きでなりました。

 今日は気持のいいお天気。台風の影響なのか風は少し強いですが、秋らしい青空が広がり、強い日射しさえ我慢すれば、お墓は実に気持のいい場所でした。

 それにしても、墓参の人はどうしてこんなに少ないのでしょう? 分散して、少なく感じるのでしょうか?

〜 墓地の青空 〜
2005年9月24日(土)  No.768

お彼岸のお中日
 お彼岸のお中日。

 曇っていたかと思うと、時折、カッと照ってきて、すこぶる暑い! それでも、最高気温は31度ほどで、お盆と比べればかなり楽でした。


 お中日なのに、今日は参詣者が少し少ないような気がしました。
 いつもの年なら、次から次へと来られる墓参の方に回向が間に合わず、しばらく待っていただくことが常なのですが、今年はそういうこともほとんどありません。

 墓地の管理人も、「今日は少ないですねー」と、ちょっと拍子抜けしたような顔。

 それでも、総門の前には入りきれない車が並び、境内に駐車するまでに少し待たなければいけないとか。

 ボクなども、「お彼岸の間はずっとお墓で回向させていただきますので、お中日は避けた方がよろしいですよ。車は駐められませんし、水を汲むのにも並ばなければなりませんから」とお勧めし、檀家の方も混むお中日を避ける傾向にあるというのも一因です。

 3連休で、明日・明後日に来られる方も多いことや、京都市内の小学校では今日運動会が催されていることなどもあるでしょう。


 お墓参りをされるのにも人それぞれ。洗車ブラシ、歯ブラシ、雑巾などの“お墓参りセット”を持参して、1時間ほど掛けて掃除をされている方、来られたかと思うともう姿が見えない方、いろいろ御供えを持ってこられる方・・・。
 平均すると、男性は早く、女性はお墓での滞在時間が長いということになるでしょう。

 墓地の回りに高い木々にはカラスがとまって、墓参の方が御供えを置いて帰られないか観察しています。そして、タイミングを見計らって、サッと滑空してきて、果物やお餅、お菓子などをくわえて、また回りの木々やお堂の屋根に戻っていきます。

 カラスが残したものや缶ビール・缶ジュースなどは、夕方か明日の朝、“人間”お下がりを貰いに来られるでしょう。


 お参りが少ないといっても、住職と2人で、朝から夕方までお墓に行ったり来たり。帰ってきた時には、お茶を飲んでおにぎりを食べてという繰り返しでした。

 4時頃、わずかな夕立がありました。

〜 夕暮れの頃、墓地の近くで収穫を報告しあうカラスたち 〜

2005年9月23日(金)  No.767

更新作業に疲弊する
 「今日の散歩道」の定例更新日は金曜日ですが、明日はお彼岸のお中日。更新をする時間は取れそうにもありませんので、急遽、今日、更新をしてしまうことにしました。

 午前中、写真を撮りに境内へ。墓参の方も多く、その中には檀家の方も幾組もおられました。

 ボクは汚れた綿パンにTシャツ姿。彼岸の忙しい時に写真を撮っている姿などをお見せするわけにはいかないので、帽子を深くかぶって変装。
 檀家の方と面と向かいそうになると、クルッと180度方向を変えて、あらぬ方向にカメラを向けてみたり、しゃがみ込んでファインダーを覗き込んでいるふりをしたり・・・。

 キョロキョロ、ハラハラと落ち着かない状態ですから、腰を据えて写真を撮ることもできません。
 萩と彼岸花ばかりの、お彼岸仕様の写真ばかりになってしまいました。

 午後、参詣された方のお墓での回向の合間に更新作業をしようと思っていましたが、とんでもない。
 人が途切れたのは1時過ぎのわずかな時間のみ。あとは、墓地と自坊の間を行ったり来たり。

 4時に墓回向を終えましたが疲れて頭は回らず、ようやく調子が出て来たのは夜7時過ぎ。日付が変わった頃、ようやく更新作業が終わりました。

 目はショボショボとしてピントが合わなくなり、もはや限界でした。

〜 まだ咲いてる木槿の花 〜
2005年9月22日(木)  No.766

カッパの研究?
 夜、カッパ研究会の集まりに参加しました。

 カッパ研究会は、第3回世界水フォーラムを契機に集まった“京都の水”について研究する人たちの集まりで、この会の世話人の方に自坊の「メダカの学校」やラジオの対談に出ていただいたのがご縁で、今夜の集まりに声をかけていただきました。

 今日は「弘法水」について研究されている方を講師に招いて、夕食を共にしながらお話を聞かせていただこうという趣旨。

 参加された方々の大半は京都府庁の農林や河川関係に携わる人たちで、あとは大学の教員、湯豆腐屋さんなど。ボクにとってはまったくの異業種交流の場です。

 先ずは乾杯をして、講師のお話を少し聞いた後、あとは質問をしたり、自由に歓談したり、ワイワイガヤガヤ。

 講師の説には納得いかない部分もあり、いくつか質問をしましたが、かなりセーブしながらビールを呑んでいたボクもだんだん酔いがまわってきてしまい、尻切れトンボになってしまいました。

 話し足りない雰囲気で、半分が2次会に参加。ボクもその仲間に入れていただきました。
 2次会は「御土井(豊臣秀吉が京都の周囲に築いた土塁)」を復活させようという話や、聚楽第跡の井戸の話など、様々な話題で盛り上がりました。

 勉強会のつもりで参加したのですが、帰った頃には日付が変わってしまっていました。でも、今日は呑みすぎていないので大丈夫。

 いろいろな話が聞け、楽しく有意義な時間で、ますます“水”に興味が湧いてきました。

〜 集まりの開かれた町屋風の店 〜
2005年9月21日(水)  No.765

エコー検査をする
 二日酔い以来、腹痛が治まりません。今日の午後には塔頭関係の結婚披露宴があって食事を共にしなければならないので、朝一番に医者に行ってきました。

 ボクの診立てでは、右の肋骨の下辺りが痛いところから考えて、胆嚢炎ではないかと思われます。

 ドクターに症状を話し、腹部の触診と“音聞き”の結果、胆嚢に問題はなく、胃の音が不安定だとのこと。念のためエコー検査もしたもらいましたが、腎臓、脾臓、肝臓、胆嚢、前立腺などに異常は見られませんでした。

 ただ、「お酒をよく呑まれますか? 肝臓に脂肪がたまっていますね」と言われました。
 「やっぱり・・・」。エコーをしたらそう言われるだろうということは想定内でした。

 ついでに血液検査もお願いして、3日分の薬を貰って帰りました。病名をつけて貰ったほうが納得できるのですが・・・。


 自坊に帰ると、住職が墓回向でてんてこ舞い。

 今日は彼岸の入り。自坊では彼岸期間中はお墓での回向をすることにしていて、その間は墓参に来られた方のお墓を渡り歩いて読経します。

 彼岸の入りの今日は墓参の方も多く、ボクも帰るなり着替えて、数軒の墓回向をしました。


 午後は披露宴。15年来の長期恋愛が実ったのだそうです。ヨカッタ、ヨカッタ。


 NHKが受診料未払いの人を民事訴訟で提訴するかも知れないとニュースで言っていました。
 ♪ 馬鹿言ってんじゃないよー ♪

〜 お墓に供えられた花 〜
2005年9月20日(火)  No.764

整理がはかどる
 法要を終えて、昼過ぎから、古い手紙や書類の整理をしました。

 ボクは来た郵便物などを一瞥して、すぐに対応するべきものと、そうでないものとに分け、後者は紙袋に中に入れておきます。

 そうして貯まりに貯まったものが紙袋2つになり、その紙袋もはじけて破れそうになってきてしまいました。

 書類もろくすっぽ整理せず、会議などに行く時はその関係の書類を一括して車に載せていきます。そのため、同じ書類が何枚もあったり、不必要な書類がいっぱい混じっていたりします。

 そうして貯まって置いてあるものの山が、最近、さくらが飛び乗ったりして崩れることが増えてきました。

 山の大きさもそろそろ限界に達したので、今日は整理?一掃?することにしたのです。

 今日はとても蒸し暑く、動くと汗が流れてきます。エアコンを付け、まずは郵便物の整理。
 定期的な刊行物などはほとんど開封もしてなく、お礼状を書こうと思って一時的に置いてそのままになってしまったものなども出てきました。心のこもった手紙も出てきて、それは大切に保管。

 書類は、ほとんどは直近のものしか必要ないので、大半は廃棄です。今までは、裏の白い紙はカットしてメモ用紙にリユースしていましたが、それもかなり溜まっているので、今回もチリ紙交換に出すことにしました。

 結果的に、郵便物はほとんど廃棄、書類は廃棄またはリユースです。いかに無駄が多いか、整理をする度に思い知らされます。

 少し部屋がきれいになりました。

 
 夜になって、スコールのような夕立がありました。

〜 ボクの整理の相手に疲れて窓辺で黄昏れるさくら 〜

2005年9月19日(月)  No.763

イタリア料理を食す
 月の出を気にしながら、友人のご子息がシェフ見習いをしているイタリア料理店に行きました。

 ボクは、イタリアンは少々苦手。フレンチも苦手。自分から進んでいくことは、まずありません。
 フレンチ、イタリアンを食べると想像しただけで何だかお腹が痛くなってきて、実際に食べると、決まってお腹を壊します。

 そんなイタリアンでしたが・・・。

 友人の息子さんは、国立大学を出てからイタリア料理のシェフの道を志したと以前から聞いていました。よほどやりたかったのでしょう。

 そんな彼は、カウンターの中で調理している時、時々オーナーシェフの指導?を受けながら笑みを浮かべ、とても嬉しそうに見えました。

 作っている人が嬉しいなら、料理も当然美味しくなります。「あっ、これも頼もう」と追加し、最後はイチジクとマンゴのジェラートで締めました。

 先日の暴飲暴食がたたってお腹がチクチクする状態が続いていて、出かける前は食べられるかどうか心配だったのですが、とても美味しくいただけ、帰ってからも腹痛が起きませんでした。
 イタリアンを食べてお腹が痛くならなかったのは、ひょっとしたら初めての出来事かも知れません。

 帰りには、今日は曇って見られないだろうと思っていた中秋の名月が、塔の先高く上がっていました。

〜 満席の小さいお店 〜
2005年9月18日(日)  No.762

猫じゃらし
 いよいよ毛虫シーズン到来。桜の樹下を通ったら、黒っぽい糞が落ちていました。

 朝一から草刈りをして、法要を済ませ、毛虫退治の薬剤散布。まだ、毛虫は小さいのか、肉眼では所在がわかりません。

 夕方近くなって、無常のにわか雨。せっかく撒いた薬が・・・ 雨が降るなんて言っていませんでしたのに。

 これから毛虫やイラガなどがどんどん発生します。不調の薬剤散布機を買い換えるかどうか・・・。


 知人に猫じゃらしを貰いました。製造元の名前がすごい! 「(有)猫じゃらし産業」。

 ネットで検索してみると、立派なホームページがあって、その内容を見てまた感動。

「発売以来改良を重ね、シンプルだけど機能的な形を実現。 猫が最も好む色彩と形状、狩猟本能を刺激する動きを、誰でも簡単に再現できる。 短毛な先端は、静電気が起きないよう坊主頭タイプに設計。さらに、猫がかじったり、なめたりしても食品基準に合わせてあるため安全です。 先端を支える棒は、弾力性を計算し、その振動は猫が最も喜ぶよう設計。色彩は、現在11色発売されており、全色揃えるのも大変楽しい。お客様より、『色んなおもちゃを使ってみたけど、うちの猫はやっぱり猫じゃらしが一番のお気に入りです』 と日本で最も猫に人気のあるおもちゃです・・・云々」

 たかが猫じゃらし、されど猫じゃらし。

 この会社は、猫じゃらしに掛けています。すばらしい! こんなに熱く猫じゃらしを語れる会社は他にはありません。

 これからはこの会社の猫じゃらしを買おうと、固く心に決めました。

〜 たった390円の猫じゃらしですが・・・ 〜
2005年9月17日(土)  No.761

次から次と仕事が舞い込む
 朝、三井二木会25社の物故者員慰霊法要。


 「今日の散歩道」の更新を夕食前に終えて、その後は天台宗関係のデスクワーク。11月に行われる講演会のポスターとチラシの原稿制作やホームページの原稿作り。

 原稿はそのままデーターで印刷所に出すため、ボクの作業が結果のすべてを決します。
 普段使わないソフトを四苦八苦しながら操作して何とか作りましたが、ちゃんと印刷ができるのかかなり不安です。

 こういう作業をするのには、ボクの5年落ちのパソコンはちょっと非力です。ディスプレイも21インチぐらいは欲しいものです。

 先日、手配した鳥取のお寺のパソコンが昨日届き、通信が出来るように電話で手順をお教えしました。
 注文して代金の振り込んでから10日足らず。オーダーを受けてから中国福建省・厦門の工場で生産され、船便で輸送して発注者に届けられるのに、たったそれだけの時間。しかも安い。すごいなぁ〜。

 今日のように非力さを感じると、ボクも新しいパソコンが欲しくなってきます。
 でも、手をかけた自作マシンには愛着があって、手放せません。


 最近、急ぎの仕事が次から次へと湧いてきて、ネットを楽しんでいる余裕もありません。

〜 作成中のチラシ 〜
2005年9月16日(金)  No.760

放送禁止
 昼前から夜12時頃までかかって、ようやく彼岸の水塔婆を書き上げました。やれやれです。


 最近、サソリやニシキヘビがつかまったというニュースがTVなどを賑わせています。とんでもないですね。

 ヘビの大嫌いなボクは、動物番組なども出来るだけ見ないようにしていますが、ここ数日は普通のTVニュースなどを見ていても、いきなりヘビがアップで写ったりすることがあります。

 サソリの続きに報道されることも多いので、そういう時は決して画面を見ないか、チャンネルを替えるのですが、いきなりヘビから来られると避けようがありません。

 猥褻画像などは規制がありますが、ヘビなどの画像には規制がないのでしょうか?

 もし、ボクが心臓を病んでいたら、いきなりヘビの映像を見せられて死んでしまうこともあるかも知れません。

 冗談抜きで、何とか配慮が欲しいものです。

〜 朝日の中の彼岸花 〜
2005年9月15日(木)  No.759

放蕩が祟る
 今日も午前中から坂本で会議。

 ところが、ボクは夕べの放蕩がたたり、意気消沈。コーヒーも進まず、お昼は一口しか食べられず、口はしどろもどろ。早い話が二日酔いです。

 幸いなことに、今日の会議は3時前に終わり、一目散に帰って横になりました。

 夜になってようやく回復してきましたが、仕事をする気にはなりません。

 目の前に積んであるお彼岸の水塔婆が気になってしかたありませんが、今夜は降参です。

 年甲斐もなく、大馬鹿でした。

〜 日に日に咲いてきた萩 〜
2005年9月14日(水)  No.758

会議から宴会へ
 朝から夕方まで、大津・坂本で会議。

 今日は、天台宗関係団体のホームページの原稿引き渡し。午前中、掲載する写真などを選び、午後は業者さんに来ていただいて説明。

 あまりに張り切って原稿を作り過ぎ、文字原稿だけでA4換算で100枚以上。

 業者の方は、その原稿の多さと予算の少なさにビックリ! 原稿をカットしなければいけなくなるか、業者さんに断られるか・・・さて、どうなることやら。

 明日も会議があり、鳥取、香川、兵庫などから出席されている方は京都に泊まられます。せっかくの機会だから、夜はお酒を酌み交わしながら打ち合わせなどをしようということになりました。

 ところが打ち合わせをするつもりなどどこへ行ってしまったのでしょう。1次会、2次会、3次会、強者は4次会へ。ボクは3次会でダウンしてしまいました。

 楽しい時間でしたが・・・・。

〜 2次会の芸妓はん 〜
2005年9月13日(火)  No.757

時間が欲しい・・・
 檀家宅にお参りに伺った後、午前中から夕方までボランティア。

 不調の報告があったパソコンの修復や研修、活動など、あっという間の1日でした。思ったほど作業が進まず、悔いが残ります。

 帰ってからはずっとお彼岸の経木塔婆書き。考えてみたら、彼岸の入りまでに塔婆を書いていられる時間はさほどありません。ますますえらいことになってきました。


 昨日の“付け文”はちゃんと意中の人に届き、ボクの留守中に取りに本を来られたそうです。ヨカッタ。

〜 満開のオオモクゲンジ(本堂の西南) 〜
2005年9月12日(月)  No.756

お墓に付け文?
 先月の「メダカの学校」の折、毎月欠かさず参加してくださる年輩の女性の方から、20年ほど前に出版された琵琶湖疏水について書かれた本を求めたいとお聞きました。

 疏水の設計者田邊朔郎氏が真如堂門前に住んでおられたこともあり、その本には真如堂に関する記述も少しあるので、「ボクも欲しいので一緒に買っておきます」とお約束をし手配したその本が、昨日届きました。

 「メダカの学校」に来てくださる方は、檀家の方、ご近所の方、遠く方きてくださる方、新聞を見て来られる方など、様々です。
 そのうち、こちらが住所などを知っているのは半分程度。お名前は写経の紙を見ればわかりますが、それ以上はお尋ねすることありませんのでわかりません。

 その方のご住所も知りませんでしたが、自宅は私の通っていた中学の近くだというお話をお聞きしていたので、早速お届けしようと、今日出かけたついでに探してみました。

 その辺りは、ボクが中学だった頃には畑が広がっていたので、家も難なく見つかるだろうと思っていたのが大きな誤算。1軒1軒表札を見て回っても探す苗字は見つからず、人に聞こうにも誰ひとり歩いている人はなく、結局見つかりませんでした。
 所用を済ませて、「ひょっとしたら・・・」とのひらめきを頼りにもう一度探しましたが、やはりダメ。

 残された手がかりはお墓しかありません。

 その方とは、ボクが朝の散歩をしている時などにもお会いしたことが何度かあり、お墓の場所もだいたいわかっていました。
 さらに、その方は、亡きご主人のお墓参りを毎朝5時に欠かさずに行くということもお聞きしていましたので、一番早い連絡方法はお墓に“伝言”をお願いすることです。

 手紙に、「本が届いたので取りに来ていただきたい、本そのものをここに置いておくとカラスがイタズラするだろうから出来ない」という旨したため、雨に濡れてもいいようにビニール袋に入れて、夕方、黒谷の墓地に向かいました。

 お墓は割とすぐに見つかりました。だいたいの場所をお聞きしていた上に、以前、その近くの高みで吟詠しておられるそのご婦人を見かけたことがあるからです。

 お墓には真新しい樒が供えてあり、今朝もそのご婦人がお参りされたことを物語っていました。

 墓前にビニール袋入りの手紙を起き、石で重しをして、掌を合わせました。

 どうしてそのご婦人は琵琶湖疏水の本が欲しかったか。それはご主人の遺物の中に、疏水についていろいろ調べたメモがあり、解けなかった疑問について、ぜひとも彼女が代わって調べたいと思われたからでした。
 その本に答えが書いてあることは、ボクが調べてお教えしたのです。

 そのご婦人は、ボクにその本のことを聞いた後すぐに図書館に行ってその本をご覧になったそうで、疑問はすでに解けていました。でも、その本にはさらに興味深いことがいろいろ書かれていたので、ぜひとも手元に置いておきたいと思われたそうです。

 明日の朝、ご婦人はこの手紙をご覧になるでしょう。これで本をお渡しすることができます。

 次にお目にかかったらご住所を聞いておこうとも思いますが、お墓に“付け文”を託すのも悪くない気がします。

〜 墓前の付け文 〜
2005年9月11日(日)  No.755

塔婆書き三昧?
 今日は外回りがキャンセルになり、法要が1座あるのみ。

 あとの時間は、たまっているデスクワークをいくつかやっつけ、彼岸の水塔婆書きに専念。

 早くも今日、お彼岸の墓参に来られる方もおられ、お尻に火が点いた格好です。住職も、「間に合わない・・・」と必死。
 この前お盆が終わったばかりなのに・・・。

 さくらはボクが筆を持っているのに興味があるのか、ボクの前でじっと見ていたかと思えば、突然机の上に乗ってきて、前足で筆に触ってきました。もちろん、その塔婆は筆が流れてボツ。

 この作業が済むまで、さくらには“出入り禁止の刑”を科すことになりました。

 夕方、かなり強い雨が降ったのか、小さな石コロが道に散乱していました。塔婆書き三昧で聞こえなかったのか、はたまた居眠りしていたのか?
2005年9月10日(土)  No.754

重陽のむかご御飯
 今日は重陽の節句。

 「菊の節句」と言われても、新暦の9月9日ではまだ暑く、菊は咲かず、まったく雰囲気が出ません。

 毎年、「旧暦の9月9日に菊酒を呑もう」と思いながらも、気が付いたらその日は過ぎ去った後。

 こういった季節の行事で呑むお酒の味は、日頃呑む酒の味とは違い、とても美味しいのですが・・・。

 重陽に栗御飯を食べる風習もあるようですが、栗にもまだ早いので、先日道ばたで収穫したむかごで炊き込み御飯を作りました。

 日当たりのよい場所に出来ていたそのムカゴは、大きくて、柔らかく、初秋の風味をたっぷり味わせてくれました。

 おいしかった! どこかにもっと出来てないかなぁ・・・

〜 むかご御飯 〜
2005年9月9日(金)  No.753

麗し琵琶湖
 台風一過の快晴。

 今日は大津・坂本で会議でしたが、午前中に山を大津側に越える時も、夕方、京都に向かって帰る時も、青く美しい琵琶湖が見渡せました。

 今年も10数回は大津に行っていますが、その中でも最高の琵琶湖でした。


 高校の時は坂本の寮に暮らしていましたが、その屋上から見る日替わりの琵琶湖の景色は、特にこれといった楽しみもない寮生にとって、束の間のパラダイス。
 琵琶湖が綺麗に見える日は、気分が晴れるものでした。


 今も、琵琶湖が綺麗に見えると、とてもうれしく思えます。

〜 天台宗の事務所から見た琵琶湖 〜
2005年9月8日(木)  No.752

ラジオ番組収録
 夜、ミニFM局の番組「 Radio'薄伽梵KYOTO'(レディオ・バカヴァンきょうと)」の収録。

 今年の1月から続けてきましたが、とうとうボクが出なければいけない羽目になってしまいました。

 お願いした対談相手は、「カッパ研究会」世話人の鈴木さん。鈴木さんは、“京の水をこよなく愛する水の語りべ”。
 特に井戸に興味をお持ちで、以前、自坊の「メダカの学校」の講師にお願いした時は、終わった後に真如堂近辺の井戸を散策し、一々飲んで味を確かめておられました。

 元来話が苦手なボクが聞き手を勤めなければいけないということで、午後は「そういう流れにしようかなぁ・・・ 何を聞こうかなぁ・・・」とプラン作り。なかなかうまく組み立てられず、最後は「鈴木さんに任せれば大丈夫だなぁ」と半ば放棄状態。

 平安京増築の時の都市計画に組み込まれた川や水路の話、井戸や名水の話、茶道、京野菜、豆腐・麩・湯葉、お酒の話、水と宗教儀礼の話、琵琶湖疏水の話など、水を語らせたら鈴木さんは熱い!

 30分の番組のために、だいたい1時間ほど収録をしますが、1時間はあっという間に過ぎ、「もう充分番組になります」と言われても、なお話していました。

 以前、鈴木さんのお話を伺ってから、井戸や町並みの中の水路・川を見るボク自身の目が変わりましたが、今回も新たな教えていただいたことがいっぱい。井戸巡りにぜひとも連れて行って欲しいとも思いました。

 ボクのホスト役の拙さも、鈴木さんに十二分にカバーしていただき、きっと面白い番組になるだろうと期待しています。

〜 収録後の部屋。奥にある机で対談 〜
2005年9月7日(水)  No.751

レッドゾーン
 まだ台風の影響は軽微。今夜予定していた会議を明日に変更したものの、かえって明日のほうが心配かも知れません。


 午前中、檀家宅へお参りに伺い、コンビニで和風だしのカレー丼とやらを買ってボランティアの事務所へ。衣から洋服に変身して、午後はパソコンサポートと新人の研修。


 帰りに、ボクの登山の師匠のお見舞いに行きました。

 50半ばの彼女は7月末に脳出血で倒れたのですが、ボクに知らせてきたのは8月末。自分で会話が不自由だと思ったようです。

 会ってみると会話はごく自然。足が少し痺れているようですが、あとは日にち薬。今月半ばには職場に復帰するそうです。本当にヨカッタ。

 検査の様子などを聞いていると、たとえば認知症の長谷川スケールというテストがありますが、ひょっとしたらボクは100点を取れないかも知れません。
 「3時30分の時計の絵を描いて下さい」というテストもあったそうですが、「それは人を馬鹿にしてるね。時計の一番上は“1”でしょう」と言ったあと、顔色を失いました・・・ボクはやっぱり危ないかも。

 メディカル・ソーシャル・ワーカーとしてバリバリ働いている彼女は、明らかに過労が原因でしょう。

 最近、ボクと大して年の違わない人が、脳出血や脳梗塞で倒れるケースが続いています。

 そんな歳になったのかなぁと思います。ボクも頑固で短気だし、ただでさえ認知症っぽいし・・・掛け値なしのレッドゾーンかも知れません。


 夜、鳥取のお寺の低血圧パソコンがクラッシュしたとの報。パソコン手配して欲しいとのことなので、DELLで見繕って注文しました。
 安いなぁ・・・。

〜 台風が少し近づいた街。右は平安神宮の森、正面は東山 〜
2005年9月6日(火)  No.750

エセ建築士
 午前中、納骨があって墓所に行き、ずぶ濡れ。絹の袈裟はヨレヨレになってしまいました。


 午後はボランティの事務所のレイアウト変更のたたき台を作るための会議。延べ面積200平米ほどある2階建ての建物のレイアウトを全面的に見直し、より活動しやすいもの形を模索するための原案です。

 ああでもない、こうでもないを繰り返し、何とか出来上がった平面図を自坊に持って帰って清書。

 「あー、CADで書いてきます」と言ったものの、10数年ぶりに使うCADソフトの使い方はまったくわかりません。2時間ほどやってみましたが、一向にらちがあかないので諦め、手で書いたらものの30分ほどで仕上がりました。
 馬鹿みたい・・・。

 仕事に熱中している時は体調が万全ではないことは忘れていましたが、止めたらぐったり。こういうのを続けると、仕舞いに麻痺し、倒れてしまうのだろうなぁと思いました。

 今夜の締めくくりは、夕べに続いての鈴虫騒動。さくらの届かないような場所に鈴虫を置いたのですが、何の効果もなく、今日は見事にひっくり返されて、ほとんどの土も散乱しました。

 今日の勝負はボクの完敗です。
2005年9月5日(月)  No.749

夏の疲れ?
 先週末からどうも調子が出ないと思っていましたが、今日の昼下がりから少し不調になり、横になりました。

 窓を開けると風が冷たく感じられるし、かといってタオルケットを掛けると暑くて汗がにじんでくるしという状態で、「これが“冷えのぼせ”という症状かな? 男性にもあるのか・・・」などと考えを巡らしながら休んでいました。

 ところが、午後からはずっとボクの部屋にいたさくらは、どうしたわけか今日はいつもにも増して活発。

 おとなしくしている時は洋服ダンスの上からボクの方を見てうたた寝をしているのですが、小鳥が窓辺に来たら一目散に網戸に突っ込み、烏が群れて宙を舞っていたら窓辺に腰をかがめて低い姿勢で観察し、本棚に垂直に上がって本をバラバラ落とし、その上いつもの運動会を3クールほど。
 静かになったかなぁと思っていたら、ゴキブリを見つけて戦闘態勢。さくらを制止して抱き上げ、反対の手でゴキブリに殺虫剤をかけたら、さくらはその音に驚いて暴れ、ボクの腕からは血がタラぁー。
 ボクがお風呂に入ったら、風呂の戸の前で張り番。部屋に戻るとまた付いてきて運動会。

 まったく休んでいる暇もありません。

 極めつけは、本格的に寝ようとした頃のこと、どうも聞き慣れない音がしていると見に行ったら、さくらが鈴虫のケースをひっくり返し、前足で回していました。
 蓋は開いていなかったのでまだ救われましたが、中はグチャグチャ。よく見ると小さな虫がたくさんいるので気持ち悪く、雨の中外へ出て新しい土を取ってきて交換。
 しばらくすると、鈴虫はちゃんとまた鳴いてくれました。

 「もう我慢できない!!」と思って、さくらをケースに閉じ込め、やっと放心。さくらも今までのことはなかったかのように、静かに眠っていました。

 さくらはボクが横になっているので、遊んでくれているとでも思ったのでしょうか? 人間でいうと、小学2年生。無理もないかも知れません。

 結局、横になっていても一睡もできず、さくら対応に余計に疲れただけでした。

〜 洋服ダンス上の特設休憩所からボクを観察するさくら 〜
2005年9月4日(日)  No.748

低血圧なパソコン
 最近、毎朝、鳥取のお寺とメールのやりとりが日課になっています。

 そのお寺のパソコンは、朝一番の起動の時にフリーズしてしまうそうで、その修復の方法を「じゃぁー、次はこれをやってみてください」とボクがメールで提案して先方の住職に試していただきます。
 翌朝、それがうまくいったかどうか報告していただき、ダメだったらまた次の方法を模索する・・・そんなやりとりが、もうかれこれ1週間ほど続いています。

 いろいろやってみても、試す機会が朝一番しかないのがやっかいです。

 それに、そもそも“朝一番”というのがよくわかりません。冬ならば機械が冷えているのが原因ということも考えられますが・・・。

 先方の住職からは、「誠に残念ですが・・・・・」「今朝もやっぱりダメでした」というのメールの山。

 機種もOSも違うパソコンを、遠隔操作で直すことの難しさ。

 そのうちすっかり壊れてしまわないかと心配です。

〜 金魚の水槽の上で昼寝するさくら。金魚はストレス死しました 〜
2005年9月3日(土)  No.747

カトリーナ
ハリケーン「カトリーナ」で被災した人々への対応を見ていると、アメリカの政治・社会の歪みをまざまざと思い知らされる気がします。

 世界一の軍隊を持っているアメリカが、どうしてすぐにそれを大量動員して迅速な救援をしないのか? まるで、バグダッドのように思える被災地の略奪は、なぜ制圧されないのか?  広大なアストロドームで、プライバシーはあるのだろうか? 400〜500キロほども離れた場所を避難所にするしか方法がないのだろうか? 取り残された市民の圧倒的多数が貧しい黒人なので、救援が急がれないのだろうか?

 アメリカなら、もっと早く、組織的に、適切な救援をするだろうと思っていたのは、大きな誤りでした。

 治安維持に当局の手が回らないのは、治安回復や災害救援の主役となる州兵が、イラク派遣などで不足しているからだとか。また、州兵は週末だけ軍事訓練を受け、地元の警察官や消防士を兼任しているそうで、ルイジアナでは警察官も日に日に出勤しなくなっているとか。

 今回程度の災害については、米連邦政府や州政府など関係当局は少なくとも5年前から想定し、机上演習も2回実施して、車を持たない貧困層や高齢層など計約10万人は、事前勧告しても避難は難しいことがわかっていたといいます。

 それでも予算不足などで抜本的な対策はとられないままだったそうですが、予算不足の大きな一因は、でっち上げの脅威を吹聴して始めたイラク戦争でしょう。

 “世界のアメリカ化”“アメリカひとりがち”のために使われる膨大な費用に埋没させられた災害対策費。

 張りぼての「良きアメリカ」。そんなアメリカに金魚の糞のように付いていく日本。投票したいと思える政党や候補が、どうしても見つかりません。

〜 途上国難民キャンプ並みといわれる収容施設も 〜
2005年9月2日(金)  No.746

本物の京町屋
 午後遅めに三条まで写真展に行き、その後、かねてより「一度お伺いします」と約束していた方のお家へ、バイクでフラフラ探しながら辿り着きました。

 京町屋を特に改造もせず、趣味?が高じて今では立派な古陶器屋さんのようになったお家は、入り口から庭先まで陶器や塗り物などがい〜っぱい! その量に圧倒されました。

 ボクは趣味でこのお家の庭木の剪定をさせていただくつもりで、今日はまず作業にあたっての下見。
 お庭には立派な石燈籠があり、実生から大きくなったモチノキの根がそれを傾けてしまっていました。
 剪定作業は容易ではなさそうです。

 最近は新しい建物に色を塗ったりしてそれらしく見せかけたり、表だけは昔の面影を残して中身は総取っ替えして「京町屋」と大見えを切ったりするのが横行しています。

 昔ながらの町屋を通り抜ける風は涼やか。「“本物”はいいなぁ」とつくづく思いました。

〜 ズラッと古陶器などが並んだ部屋から見る庭 〜
2005年9月1日(木)  No.745

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