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2005年8月の日記

さくらのひとり運動会
 さくらはいつも、ボクの部屋でキャリーケースに入って、扉を閉めた状態で寝ます。
 でも、大きくなったので閉じ込めておくのもかわいそうかなぁと思い、時々自分の好きな場所で寝られるように、自然にしておくことがあります。

 今夜も、眠たく邪魔くさかったこともあって、さくらをケースに入れず自然にしておきました。

 電気を消し、布団に入っていると、あっちでガサガサ、こっちでガサガサと、さくらが何やら活動をしている音が聞こえてきます。

 「そのうち寝るだろう・・・」と構わずにいましたが、ボクが寝返りを打った途端、いきなり足の指に噛みついて来ました。薄暗い中で何かが動いたと思ったのでしょう。あるいは、遊ぼうと誘っているのかも知れません。

 思わず足を引っ込めていると、突然、さくらに何かが乗り移ったような、スイッチでも入ったように、ものすごいスピードで部屋中を走り始めました。

 “さくらのひとり運動会”の始まりです。毎日ではありませんが、さくらの好きなイベントの一つです。

 さくらは、薄暗い中を全力疾走。そのうち、箪笥からテレビへ、テレビからデスクへ、書架へとものすごいジャンプ。それぞれの上に置いてあったものは悉く落とされ、ボクの寝ている上にも何か落ちてきそうな気配です。ボクは布団をかぶって嵐が過ぎ去るのを待っていました。

 上へ下へ、右へ左へと縦横無尽に飛び走ること5分ばかり、ようやく静かになったと思ってさくらを見たら、寝そべってハァハァと荒い呼吸をしていました。

 「こんなことをしていては眠れない」と疲れているさくらを簡単に捕まえ、キャリーケースに入れて扉を閉めました。
 ここに入ると、どんな時でもさくらはおとなしく静かになるのです。

 これでボクもようやく眠れます。

 外にいる猫は、夜になると集まって“集会”を開くとも聞きます。“猫の運動会”にはどういう意味があるのでしょう?

〜 キャリーケースとさくら 〜
2005年8月31日(水)  No.744

白い鈴虫
 8月の主な行事が終わり、しかも普段の月ならある檀家宅へのお参りも8月は基本的には伺わないため、ここ3日ほどはオフ状態。

 わりと強い雨が降る予報だったので、今日は今月1度も“働いていない”ボランティア作業をし、併せて昨日できなかったボランティア事務所のパソコンを修復することにしました。

 パソコン不調の原因も何とかわかって修復でき、ボランティア本来の作業も無事に終わり、強い雨の中を帰ったのは7時半頃でした。


 ふと、鈴虫のケースを見ると、白い羽根の鈴虫を発見! 「おお! 突然変異かぁ!」と興奮しましたが、調べてみると、脱皮直後の鈴虫は羽根が白いのだそうです。ガッカリ・・・。

 昨冬は屋外で越冬させた鈴虫でしたが、無事に孵り、日に日に大きくなって来ました。

 そろそろ鳴きだしてくれそうです。

〜 普通の鈴虫/白い羽根の鈴虫 〜
2005年8月30日(火)  No.743

秋の気配の1日
 夕べは涼しくて、久々に布団をかけてぐっすり寝ました。虫の音も大きくなってきました。


 今朝はさくらの2回目のワクチン。

 1回目のワクチン以降、足を負傷した時と今回を合わせると、1ヶ月に3回の注射をされるハメになったさくら。

 さすがに今回はさくらも何をされるか予想がついたようで、お尻で体温を測られた上に注射をされると、鼻息は荒くなり、今までに見たこともないような怒りようでした。

 前回までは「こんなけがれない子はいませんよ」とおっしゃっていた獣医さんも、「これが普通ですよ」と。
 「普通」と言われると、ちょっと値打ちが下がったような・・・複雑。

 ボクの顔が見えないとすぐ探しに来ると説明すると、生まれてから他のネコを知らず、ネコとしてのモデルを持たないさくらは、「犬的な性格のネコ」なのだそうです。
 なるほど。


 昼ご飯を食べて休憩していたら、ボランティアの事務所から、重要な機器が停止状態とHELPの電話。

 電話でサポートしようかとも思いましたが、余計におかしくなるの懸念が強かったので、駆けつけることにしました。

 そういえば、今月はお盆もあってボランティアに行けず、つい先日、夢か現か、ボランティアの事務所のパソコンが故障する場面が頭に浮かんだばかり・・・現実になってしまいました。

 行ってみるとパソコンも不調。夕方まで修復作業をしましたが、結局今日中に終えることが出来ませんでした。

〜 ボランティアの帰りに見た秋の空 〜
2005年8月29日(月)  No.742

パソコン三昧
 午後からずっ〜とパソコンの前に座って、宗派関連の仕事。

 さくらが何度も様子を見に来て、ボクの座っている後ろで寝ころんだり、イタズラをしたり、仕舞いに退屈して帰っていったり・・・。可愛い子です。

 10時半頃に一応一段落しましたが、狙っていたプリンタのオークションが終わっていたのに気づいてショック。

 インクジェットプリンタのインクが真っ新を入れて使ってもいないのになくなる故障に陥り、サポートに電話すると修理するのに9千円ほどかかるとか。それぐらい出せば機種は違えど新品を買うことも出来るのですが、詰め替え用のインクなどもあるので、同機種をオークションで狙っていたのでした。

 また明日チャレンジしようっと。


 駒大苫小牧への裁定。当然といえば当然ですが、ホッとしました。

 校長さんが出てくるたびに掌を合わすような格好をされたり、丸坊主の人が多いのは何故かなと思っていましたが、学校に青、黄、赤、自、橙の5色の仏旗がはためいてる映像を見て思い出しました。駒澤大学は曹洞宗の学校。

 ん〜、そんなところが隠し事したり、ウソ言っちゃぁーいかんなぁ。

 でも、「苫小牧駒澤大学」というのがあるのは知りませんでした。東京の駒大の附属高校かと思っていました。

 とにもかくにも、ヨカッタ、ヨカッタ。

〜 白粉花。いい香りがします 〜
2005年8月28日(日)  No.741

和歌山ラーメン
 今日は講師を頼まれていた和歌山へ。

 和歌山というと京都からはずいぶん遠いように思っていましたが、和歌山市は和歌山の中でも大阪寄りで、直通の特急ならば1時間半で行くことができました。

 「ただ話をさせて貰いにだけ和歌山まで行っても仕方がないなぁ」と思い、ご当地の名産品をネット検索していると、「和歌山ラーメン」なるものを発見! 和歌山はかなりのラーメン激戦区のようでした。

 なんでも、かつて電車の車庫前などに並んでいた屋台の中華そば屋が、路面電車の廃止に伴って和歌山市内各地に散らばって店を構えるようになったのだとか。
 和歌山ラーメンのとんこつ醤油味は、「札幌ラーメン」や「博多ラーメン」などとは違って、屋台のラーメンに近い味なのだそうです。

 という事前知識を携えて、和歌山駅に着いたら、歩いて7〜8分の、和歌山ラーメンの火付け役で、新横浜ラーメン博物館にも出店しているという店を目指しました。

 ところが、店を探しながら歩いていると、それらしい場所には遠目にもわかるほどの行列が出来ていました。
 開店前から行列が出来る、土日はなかなか入れないという情報も得ていたので、すんなり諦めて駅に戻り、それでもどんなものでもいいから「和歌山ラーメン」を食べて帰ろうと、駅地下の食堂街の食堂に入りました。

 和歌山ラーメン店の特徴として、「早すし」という鯖の押し寿司がサイドメニューとしてあり、そのお店にもセットメニューでありましたが、あまりたくさん食べると話をしながら眠たくなってもいけないと思い、ラーメン単品を注文。

 出てきたラーメンは・・・汁は少ない、盛りつけは美しくない、誰かが一口付けた後のようなものでした。
 まずは写真を撮り、その後スープを飲みましたが、そこそこ美味しく、次に麺をすすってみると、まさしくなつかしい中華そばの味でした。

 「せっかくのご当地ラーメンも、駅の地下街ではなぁ・・」と悔いを残しながらも、講演の時間までもう間がありません。タクシーに乗って、一路、会場を目指しました。

 車中、「いま、どこにいらっしゃいますか?」という電話がかかりました。主催者は、ちっとも姿を見せない講師に、さぞかし不安だったでしょう。

 会場についてのが10分前。挨拶もそこそこに、持ち時間は何分なのかを聞いて、すぐに話を始めました。

 何か笑いを取らなければと、和歌山ラーメンですったもんだしたためにギリギリに来る羽目になったという話をしましたが、聴衆の他宗派の僧侶40数名ほどには、どうもウケません。

 昼食後の最も眠たい時間帯、ボクなら睡魔との戦いだろうと思いつつ、よく皆さんにはお付き合いいただいたと思いました。

 講演が終わり、帰りの直通列車までに残された時間はわずか。駅まで車に載せてもらい、駅の商店街で食べ損ねた「早すし」を買って、列車に飛び乗りました。

 ビスコをつまみに「その他の雑酒(2)」を呑んで一眠り。京都について時、その車両に乗っていた乗客はボクを含めて2人でした。

 帰ってからの楽しみは「早すし」。京都の鯖寿司のようなものを期待していましたが、これは大きく外れました。まぁ、値段が値段ですから。

 朝出て夕方には帰り着いた、あっという間の和歌山プチ出張でした。

〜 食べ残しのラーメンではありません 〜
2005年8月27日(土)  No.740

携帯電話のバッテリー
 最近、携帯電話のバッテリーの保ちが悪くなってきました。

 今の機械に替えて2年目ですが、バッテリーは1年ほど前に新古品と交換したことがありました。

 新しい機種に替えようかな、FOMAは山では使えないし、movaのままなら今の機種で充分だなぁと思っていました。

 ちょうど、DoCoMoの携帯を2年以上使っている場合は無償でバッテリーを新しいものと交換してくれるサービスがあると聞き、さっそく申し込んだところ、今日、それが送られてきました。

 来年の夏頃には、携帯電話会社を替えても番号が変わらないようになるそうですが、DoCoMoの顧客がAUに流れることは必至で、今回のバッテリー無償交換も顧客を固定する対策の一つだと言われています。

 でも、2年経った携帯のバッテリーって、もうほとんど市場価値はないのでは?

 さっそくバッテリーを交換しましたが、さすが新しいバッテリーは活きがいいような感じです。

 それにしても、携帯料金はもう少し安くならないでしょうか。

 携帯電話を忘れて出かけると不安になってしまう、携帯電話依存症です。

〜 フレッシュ・バッテリー 〜
2005年8月26日(金)  No.739

冷たい水炊き
 「台風が来たらやめにしよう」という約束をしていた呑み会ですが、京都は晴れ間も見える天気となって、躊躇することなく実施とになりました。

 1ヶ月ぶり以上の外食です。

 ボクは幹事役をすることが多いのですが、あまり同じ店に行くことはありません。たいていその都度ネットで探すので、「今日はヒットだった」ということもあれば、「大ハズレだった」ということも多々あります。
 当たり外れは、お店探しに使うグルメサイトの信用性にもよります。

 今日行ったのは鶏料理のお店。茅葺き民家の並ぶ京都府美山町で平飼いで育てた鶏を使っているのだそうです。

 少し辺鄙な場所にありましたが、お客の入りはまずまず。味にも期待がもてました。

 カウンターには、「紫煙、強い香り、携帯電話、子供、お断り」という小さな木製の立て札がいくつか置いてありました。
 丸坊主で、60代半ばと思われる大将は、ちょっと頑固そう。

 鶏肉は適度な歯ごたえがあり、味付けによってどうにでも変化するブロイラーとは違う、“鶏”としての主張が感じられます。
 焼き鳥などは、スーパーの店頭で売っているものとはまったく違います。こういう鶏肉は久しぶりでした。

 キラキラ光る煮凝りの中に盛りつけられた鶏肉の涼やかな“冷たい水炊き”は、上品でポン酢のたれとの相性も絶妙。

 冷たい水炊きが出される時、大将の短いコメントがありました。どうやらご自慢の逸品のようです。

 今日は間違いなく「ヒット」でした。

 帰路には雲間に見え隠れする月がありました。台風が来ていたのはいつのことかと思うような、静かな夜でした。

〜 夏場限定の“冷たい水炊き” 〜
2005年8月25日(木)  No.738

原稿三昧、ひとつあがり!
 土曜日に講師を勤めるための原稿が何とか書けました。というより、書きすぎました。

 「こんなものでいいかなぁ」と書きつづったものの文字数をカウントしてみると、400字詰め原稿用紙で59枚分。

 棒読みするわけではありませんが、普通に読むとしたら59枚×4分で、236分。
 ボクは何分の講演をすればいいのか忘れましたが、長くても120分、たぶん90分。ひょっとしたら60分。

 とすると、講演時間の倍以上、3倍以上の原稿を書いてしまったことになります。

 アドリブで話が逸れたりもするでしょうから、書いた原稿の1/3を話すことができるかどうかでしょう。

 えーい! あとは出たとこ勝負です。

 さて、別の原稿にかからなきゃ。


 お昼に和歌山の駅前あたりで郷土料理を食べて・・・。和歌山といえば、梅、海の幸。へぇ〜、和歌山ラーメンというのがあるのか・・・。

〜 世界一辛いトウガラシといわれる「ハバネロ」。ひとつもなりません 〜
2005年8月24日(水)  No.737

口に麁言なく、手に苔罰せず
 駒大苫小牧の不祥事にはビックリ。高校生たちをはじめ、多くの人がまたこの事件で傷つくかと思うと、本当に気の毒に思います。

 ボクも他人事ではありませんでした。
 ボクは高校生の時、応援団に入っていました。ボクの通っていた滋賀県の高校は、当時、県下では硬式野球の強豪で、甲子園にも度々出場していました。

 ちょうどボクが2年生の時、春の選抜大会に出場することになり、応援団も甲子園での応援に胸を弾ませていました。

 ところが、冬休みに野球部員が不祥事を起こし、出場を辞退。学校から急に呼び出されて事情を聞き、悔し涙を流したことを思い出します。


 ボクも今までに体罰を受けたこと何度かあります。

 高校の時、校内で喫煙していたのが見つかった時、職員室で教師に「歯を食いしばれ!」と言われ、平手打ちをされたことがありました。

 また、高校の寮では、先輩が後輩に対し、「説教」と称して後輩を長時間正座させたり、正座の足の間に箒の柄を挟まれたりすることもありました。
 
 ボクの場合は、今、それらは「有り難かったと」肯定的に考えることができますし、20年ほど経っても教師とも先輩とも関係が続いています。


 体罰を行った側がどういうつもりであれ、受ける側がそれを「教育的指導」ととるか、「暴力」と取るかは、その時の関係などにもよるでしょう。

 ボクは すべての体罰を暴力・虐待と短絡的に考えるのには抵抗があります。しかし、上下関係の中で行われることですから、双方にとって適切な体罰が存在しうるかということにも疑問を感じます。

 指導する側の一方的な思い上がりの中で体罰が行われるならば、それは暴力の範疇になってしまうのかも知れません。


 お釈迦さまは臨終間際、気難しく争い好きな修行僧チャンナに、「“清浄な罰”を与えなさい」と指示されます。他の修行僧がチャンナに対して沈黙を通すことで罰を与え、これによってチャンナは人格が円熟したといわれています。
 沈黙によって、チャンナ自身に内省する時間を与えられたのでしょう。

 伝教大師は遺言の中で、「我生まれてより以来、口に麁言(そごん)なく、手に苔罰(ちばつ)せず。今、我が同法、童子を打たずんば、我がために大恩なり。努力めよ、努力めよ」と書いておられます。
 私は、荒げた言葉を使ったこともなく、むち打つような罰を与えたこともない。弟子たちよ、どうか童子を打つようなことをしてくれるな・・・。

 当時でも、先輩僧が末弟に対して言葉を荒げたり、手を挙げるようなことがあったのかも知れません。それを戒めた言葉なのでしょうか。

 麁言や苔罰で人を育てるのは難しいと実感されていたのかも知れません。


 さくらを育てるのに、大きな声で叱ったり叩いたりするのは、さくらを脅えさせるだけで効果がないと実感しています。言うことを聞くどころか、逆にビクビクして噛みついてきたりするのです。むしろ、やさしく接した方が素直に従ってくれます。

 「猫と人間を一緒にするな!」「なんでも、さくらか!」と言われるかも知れませんが、「好きだよ、大切だよ」というサインを出しながら指導にあたっていたら、今回の事件でも「暴力」とは言われなかったのかも知れないと思います。


 高校生たちの心の傷が浅くてすみますように・・・。

〜 猫草を食べるさくら 〜
2005年8月23日(火)  No.736

延々会議
 朝10時から夕方6時まで、大津・坂本でずっ〜と会議。

 お昼ご飯の蕎麦を食べながらも会議は続き、たった5分ほどの休憩以外、とにかく案件の処理に没頭していました。

 眠たくなっている暇などなく、なかなか充実した時間でしたが、いっぱい宿題を持って帰ってしまいました。

 いいものを作ろうとしようとすればするほど、こちらの仕事は増えます。

 できれば今まで通りで済ませたい、新しい仕事は増やして欲しくない、形だけ整えればいいではないかという考え方の“お役人”とは相容れないことも多いのですが、嫌な顔をされながらもゴリ押しです。

 わぁー 書類の山だぁー
〜 帰り道から見た琵琶湖 〜
2005年8月22日(月)  No.735

多彩なお勤め
 今日は地蔵盆の集中する日。

 住職はあちらこちらの町内から頼まれて、お地蔵さんのお勤め行脚。ボクも、近くお地蔵さんにお参りにいったり、自坊で年回法要をしたり、お葬式をあげたり。
 ウロウロ、いろいろな内容のお勤めをした1日でした。


 タクシーに乗ったら、「今日は地蔵盆で通れない道があるのです」とぼやいていました。

 正規の交通規制で通れないのではなく、町内が子どもたちの安全のために自主的に道路を封鎖しているため、事前の通行止めの予告もなし。

 でも、「お地蔵さんやし・・・」と、仕方なくというより、むしろ当たり前に受け入れる感じ。

 地蔵盆って、みんながやさしくなれるような気がします。


 ボクがお参りに行った町内は、お勤めが済むと、子どもたちは二条駅の近くに新しくできたシネコンに行くのだとか。

 「お地蔵さん、ほっといて行くのかいなぁ」という感じですが、子供の喜ぶ顔にお地蔵さんも微笑んでおられるでしょう。


 さくらが寝ぼけて、洋服ダンスの上から落ちました。「ドスン!」という音がして振り向いたら、目をパチクリしているさくらがいました。

 せっかく治ってきていた足を、また痛そうにかばっています。

 猫なら、もっとちゃんと着地をしなさい!!

〜 発芽した猫の草の先にできた露 〜
2005年8月21日(日)  No.734

地蔵盆
 来週の土曜日、和歌山で講習会の講師を勤めなければいけないので、今日はその原稿書きをしました。

 元来、話をするのは大の苦手。ほとんどの場合お断りするのですが、今回は事情があって仕方なく引き受けました。

 聴衆は、他の宗派の僧侶60名ほどとか。こういうことでもないと、最近はまとまって考えるということがないので、有り難いと思います。


 夕方になって、雷が騒ぎ出しました。境内からは「地蔵盆」に集う子ども達の歓声が聞こえてきます。

 雷鳴と子ども達の声が入り交じって、夏休みの昼下がりの情趣たっぷりです。

 空の気配はもう秋ですね。

〜 参道に掲げられた町内の子ども達の行灯 〜
2005年8月20日(土)  No.733

筋肉痛
 昨日の山行の筋肉痛が出て、階段を降りる姿がロボットのようです。翌日に筋肉痛になるというのは、新陳代謝が活発ということだと自負しています。

 さくらの前足はまだ完治せず、足をかばいながら階段の上り下りをしています。

 一緒に階段を降りようとすると、ぎこちない足取りの1人と1匹が絡まって、やや危険。

 でも、網戸に蛾が留まったりすると勢いよく駆け上がったりしますから、本当に痛いのかどうか・・・。

 今日も獣医さんの奥さんにあって、「うちの子でも、反対の足が痛そうにしたりしますよ」と猫の演技ぶりを聞き、ひょっとしてさくらも芸達者なのかと疑ってみたりしています。

 今日で、さくらが来て4ヶ月になります。最近は体重を量っていませんが、大きくなったように思えます(毎日見ていると、よくわかりません)。

 暑いのには変わりありませんが、雲がどことなく秋っぽくなってきた気がします。

〜 鷺草が咲きました 〜
2005年8月19日(金)  No.732

武奈へ
 北アルプスは断念したものの、少しどこかを歩いてこようと思い、京都と滋賀県の間に横たわる比良山系の最高峰武奈ガ岳に行くことにしました。

 最高峰といっても標高は1214mしかありませんが、頂上近くに至ると森林限界を超えたかのように高い木がなくなって、360度の眺望がひらけます。天気がいいと、伊吹山、鈴鹿、奥美濃の山々、白山、御嶽までが見えるのです。

 残念ながら、前日の天気予報では、午前中は小雨。朝、起きた段階では曇っていました。

 少し寝坊したために、登山口に着いたのは7時半になってしまっていました。

 武奈ヶ岳には、琵琶湖側、京都側それぞれにいくつものルートがありますが、今日は京都側の朽木栃生から登り、イクワタ峠〜釣瓶岳〜武奈ヶ岳と稜線を歩いて、御殿山から坊村に降りるコース。武奈ヶ岳に今までに10数回登っていますが、このコースは2回目です。

 坊村に降りて、車を置いた朽木栃生までは路線バスを利用して戻る予定ですが、このバスが1日3本しかなく、2時前のバスに乗り損ねたら夕方まで便がありません。国道を歩いたら1時間以上かかりますので、どうしてもそのバスに乗らなければなりません。

 歩き始めてすぐ、近くの民家の飼い犬と思われる、でも首輪をしていない犬が吠えながら追いかけてきました。とっさに「逃げたらダメだ」と思い、立ちすくんでいると、こっちの様子を見ながら近づいてきました。それほどどう猛ではないと思い、手を出すと、体全体を揺すりながら舐めてきました。
 「これは大丈夫だなぁ」と思い、背を向けて歩き出しましたが、犬は付いてきます。また手を舐めさせて、「もうお帰り」と言うのですが、今度は飛びついてじゃれようとします。
 仕方なしにしばらく遊んでやって、「もうお帰り」と来た方向を指さすのですが、一向に帰ってくれず、そのうちに犬が先導するようになりました。そして、いつの間にかどこかへ消えていきました。

 植林された杉林の中はサウナの中のように蒸し暑く、滝のような汗が流れてきます。汗を拭こうと、お尻のポケットに入れたハンカチを取りだしましたが、すでに汗でボトボトになっていました。

 今年の5月、この辺りの山中で、敬愛する知人が亡くなりました。京都市内より冷え込む山間の地で、5月といえどもまだ霜が降りる気候の中、疲労凍死でした。
 20数年前、上高野の蓮華寺で初めてその方と出会ったこと、亡くなる20日ほど前に会って交わした言葉などを思い出しながら、ひたすら登り続けました。

 稜線に出ると、時々涼しい風が吹いてきて、救われた感がしました。琵琶湖側も、京都側も、ガスがかかっていて、ほとんど見通しがききません。今日は、頂上からの眺望は望めそうにありません。

 登りながら、「なんでこんなしんどいことしているんだろう」「今からだっら、戻れるなぁ」と思ったり、飛行機の音を雷と聞き違えて、「雷だ! 引き返そうか・・・」などと、挫折する口実を探しました。

 極めつけは、行く手を蛇に阻まれた時でした。
 急な上り坂を一歩一歩踏みしめながら歩いている時、ふと見ると蛇がこちらに向かってまさに進んで来ようとしていました。
 「ギャァー!!」と声を出したかどうかは定かではありませんが、1メートルほど飛んで後退し、敵の正体を確かめるために、泣く泣く蛇を直視しました。お腹のほうが赤っぽく、背中のほうが黒っぽくて、横でそれが入り乱れている模様でした(こうして思い出して書くだけで卒倒しそうです)。
 蛇の頭はまだこちらを向いています。そのまま進んでこられると、大変なことになります! 落ちていた石をつかみ投げましたが、1投目は遠く外れました。2投目で近くに落ちて蛇は道から逸れるように動き出し、3投目で確実に森の中に向かって移動し始めました。
 戻ってこないことを確かめながら、一目散にその急登を駆け抜けました。
 「もう嫌だ・・・」と思いましたが、戻るにはまたそこを通らなければならず、戻るより頂上のほうが近くなってきてたので、進むことにしました。
 でも、それ以後降りるまで、木の根っこは蛇に見えるし、草むらでガサガサと音がすればビクッとするし、蛇に気持の一部を支配された感がして、悔しい思いをしました。

 山の数か所に、「レスキューポイント ここは イクワタ峠3 です。病気はケガで動けなくなった場合、この標識の内容を携帯電話で119番に通報してください。大津市消防局」というような看板を見かけました。比良山系も手軽に登れる山ゆえに、事故の多い場所です。
 それを見て、昨夜やっていた長野の山岳レスキューの番組を思い出しました。番組では、1日に7〜8回もヘリで救助に向かう様子が写っていました。40歳過ぎの救助隊の人は、自分より若い人を救助したことはないと語っていました。
 今、山では中高年の登山ブーム。行き交う人は、ほぼみな中高年です。
 自分の体力を過信していたり、ツアーで参加して行程を把握してなかったり、スケジュール的に無理をしたり、技術的に無理な山に登ったり・・・。そういうことが事故に繋がり、またタクシーでも呼ぶようなつもりで安易にレスキューに頼ってしまう。そんなことが、レスキュー隊の出動を増やしているのでしょう。
 「本当だったら、ボクも今頃は槍ヶ岳の頂上に立っていたかも知れないなぁ」と思いつつ、断念をしたのは我ながら英断だったと自賛していました。


 やがて頂上へ。頂上にはボクとほぼ同時に着いたご夫婦がおられました。

 歩き始めてから頂上まで、誰ひとりと会うことはありませんでしたが、このご夫婦とは、実は登る前に立ち寄った大原のコンビニですでに出会っていました。出で立ちから、「きっと山に行く人だろうなぁ」とは思っていましたが、同じ山の頂上で出会うとは。そんな予感もしなくはなかったのですが・・・。

 数年前まで、武奈ヶ岳へは、琵琶湖側にあったリフトとロープウェイを使えば1時間ほどで登れました。そういう手軽さもあって、頂上はいつも賑わっていました。
 今日の頂上は3人だけ。今日初めて頂上を踏んだのもこの3人でしょう。実に静かで、爽やかです。
 これで眺望がきけば申し分ないのですが、まぁ、雨の予報だったのが、時折青空が見えるだけでも儲けものです。

 ご夫婦は頂上から少し北へ向かって降りた場所へ陣取って、コンビニで買ったおにぎりを、ボクは東側に陣取って、晴れていたら見えるであろう琵琶湖を想像しながら、お互いが見えない位置で干渉することなく、昼食を始めました。

 ボクの今日のメニューは、「きのこソースとペンネ」とカフェラテ。ペンネは山用の即席パスタで、水を加えて10分ほど煮込むだけです。
 即席でも、食事造りは山の大きな楽しみの一つです。焦がさないように時々かき混ぜながら、ガスの切れ間から何か見えないか首を伸ばして見ましたが、まったくダメでした。

 ペンネの味には失望。「これだったら、(どちらにしようかと迷った挙げ句置いてきた)ガーリックリゾットのほうがよかったなぁ」とちょっと後悔しました。カフェラテの甘さは疲れた体には有り難かったです。

 ほぼ同時にお昼を終え、頂上付近で、お互いの行程について話をしました。
 ご夫婦もボクも降りる場所は同じ。ボクは降りてから路線バスで車を置いたところまで戻ると説明すると、自分たちは降りた後に温泉に向かうためにそこを通るから、乗っていけばいいと言っていただきました。

 「うちの奥さんは歩くのが遅いので、30分遅れで来てください」と言って先に発たれたそのご夫婦を、ボクは頂上で見送りました。

 頂上まで、地図上のコースタイムでは4時間少々でした。バスの時間から、その時間と降りる時間を逆算して登り始めたのですが、頂上まで3時間で着いてしまったので、バスの時間にはずいぶん余裕できてしまっていました。乗せていただけるなら、ボクも同じく行く予定をしていた温泉に早く着けます。

 30分間、眺望もない頂上で待つことは無理。10分も経たないうちに腰を上げ、カメラ片手に、頂上から降りた広大な西南稜をゆっくり降りました。
 ススキの穂が伸び、撫子やアザミが咲いていましたが、思ったより花が少なく、カメラを向けるものがありません。
 先に稜線を降りて行くご夫婦と一定の距離を保ちながら、ゆっくり降りました。

 下り2時間最後の30分ほどのガレ場の急坂で、休憩するご夫婦にとうとう追いついてしまい、それからは3人で話をしながら降りました。
 ご夫婦は毎週この山に登り、ご主人は全国の山々をほぼ登りつくしたと語る鉄人でした。

 結局、今度の山行で出会ったのは、このご夫婦を入れて5人。出会った猿は十数頭。鹿の足跡1頭分。犬1匹。蛇1匹。秋茜と虻は無数。鶯2羽などなどでした。

 坊村に降りついてご夫婦の車に乗せてもらい、バスで10分、歩いたら1時間はかかるボクの車のところで降ろして貰い、「じゃぁ、また温泉で」といったん別れました。

 温泉までは車で10分ほど。無味無臭のちょっと頼りない露天風呂で、ご主人と小一時間しゃべり、のぼせそうになってきたので、礼を言って先に辞しました。
 いつも、誰とも話すこともない山行がほとんどですが、今回はこのご夫婦にバリエーションを加えていただきました。

 途中、「鯖街道」の名に恥じぬほど鯖寿司屋さんの並ぶ朽木の国道沿いで鯖寿司を求めて帰りました。
 すぐにでも呑みたいビールを夕食時まで何とか辛抱して、鯖寿司を食べながら、放出した体液を補って余りあるほどのビールを呑みました。

 今日は丸一日、楽しく遊びました。

〜 イマイチだったペンネ/頂上下より望む西南稜 〜
2005年8月18日(木)  No.731

さくら、負傷す
 昨日の夕方、さくらが足を痛めました。

 戸の間に自分で挟んだようで、ボクが鳴き声を聞いて振り向いた時にはシュンとしていました。

 しばらくして、前足を痛そうに引き摺っているのに気付き、足に触ってみたりしましたが、痛がりません。今まで同様に悪さはするし、階段を走って上り下りするので、そのうち治るだろうとさほど気にせず、今朝を迎えました。

 でも、その期待は外れ、どうも昨日より痛そう・・・。

 獣医さんに電話をしたら留守電になっていたので、「猫が足を痛めました」と愛想のないメッセージを入れておいたら、しばらくして連絡をいただきました。
 獣医さんは今日までお盆休みなのだそうですが、朝から往診に行っておられて、今帰られたところ。今なら診てくださるとか。

 すぐに、ケースに入れて獣医さんへ!!

 診察の結果、骨や関節に異常なし。「痛そうなので、注射をしましょう」と、お尻に注射を2本。もちろん、さくらは鳴きました。

 獣医さんは、「この子はやさしい子です。人間を信じ切っています」と言ってくださるのですが、ボクは他の猫を知りませんので、とにかくお転婆で、ご主人様の言うことを聞かない子としか思えません。

 明日もう一度診てもらうことにして、家に連れて帰りました。

 注射のせいで、さくらは腰砕け状態。しばらくは寝たり起きたりしながら、ちゃんとイタズラを忘れません。

 まだ痛そうにしているので、見ると不憫です。早く完治しますように・・・。

〜 腰砕けのさくら/ちょっと元気になってきたさくら 〜
2005年8月17日(水)  No.730

刺客
 昨日で棚経が終わり、午前中は墓参の方が来られたものの、午後はそれも途絶えました。

 あとは送り火だけですが、取り立ててすることはありません。少し気がゆるんだのか、早くも疲れが出て来て、眠たくて仕方がありません。


 テレビでは「刺客」という言葉が流行しています。

 知名度のある人が「刺客」となって、今までまったく関係のなかった選挙区から出馬する。そんなケースが、あっちでもこっちでも。誰をどの選挙区にぶつけて敵方を亡ぼすか、ただ政争のための鉄砲玉の感がします。

 投票する側からしたら、選挙区のことを知りもしない、今までなんの関係もない人を選択肢の中に入れざるを得ないのは、何とも納得し難いでしょう。
 陣取りゲームの駒となる「刺客」さんたちは、地元の声を国政の場に届けることなどは思ってもいないかも知れません。

 京都では「刺客」は取り沙汰されていませんが、「この人に一票を投じたい」と思える人も皆無です。

 究極の選択をしなければいけないのでしょうか・・・最近の選挙って、その繰り返し。

〜 墓地から拝む送り火 〜
2005年8月16日(火)  No.729

山行、断念、残念
 中京界隈の市街地を回っていると、「あっ、ここにも」「あれっ、こっちも」と、頻繁に町屋カフェを見かけました。

 昨年までは何だったのでしょう? ちょっと古ぼけた家? こっちはつぶれかけていた家だったかな? 少なくとも、記憶に残るようなものではありませんでしたし、ましてカフェではありませんでした。

 昨今の町屋、町屋レストラン、町屋カフェのブームにのって、最近開店した店に違いありません。

 通りがかりに、ある一軒のカフェのチラッと中が見えましたが、一番窓際の席には外国人が4〜5人座っていました。
 大半は観光客や外国人をターゲットにしているのでしょう。

 町屋カフェには行ったことがありませんが、雑誌などに町屋風の創作和食の店と掲載されているお店には何軒か行ったことがあります。
 結果として、「美味しい」と思ったことは、1回もありません。

 評していうなら、出汁を使わずに塩・薄口醤油だけで京料理風に味付けしたもの、和食のファミリーレストランのようで町屋で食べなくてもいい味、たいていはそういうものでした。

 町屋を再生し、今の時代に活かすのに、飲食店は有効な方法の一つでしょうが、内容がナイヨウなら、続きません。
 町屋カフェに地元の常連客が定着すれば、しめたものなのですが・・・健闘を祈ります。


 棚経も今日で終わり。腰が痛くなってきました。

 棚経の間考えましたが、お盆明けの山行は見送ることにしました。残念〜! お盆の疲れと準備不足がその理由ですが、スパッと諦めきれたわけではありません。
 「気力が充実していないと、滑落事故でも起こしたら大変・・・」と自分に言い聞かせています。

〜 二年坂の張り紙 〜
2005年8月15日(月)  No.728

ソーイングセット
 バイクで出かけようとしたら雨がパラついてきました。

 降水確率60%の予報で、また急にどしゃ降りになったら困ると思い、午前中は無理をしても車で回ることにしました。今日のコースは、車を止めにくい場所も多いので、出来ることならバイクで回りたかったのですが・・・。

 せっかく車に換えたのですから、それなりに雨が降って欲しかったのですが、結果的にはたまにパラッと降るだけ。
 午後からはバイクに乗り換えましたが、降られずに済みました。


 午前中、車から降りて歩いている時、「なんか、衣の様子が変だなぁ・・・」と思って見たら、衣の前を合わせて留めるための紐がほころびて取れてしまっていました。

 「困ったなぁ。安全ピンはないかなぁ」と車に戻ってダッシュボードの中を探しましたが、ありませんでした。

 しかたがなく、衣を手で押さえながら檀家宅に伺い、そのお宅で針と糸を借りようかなぁとも思いましたが、やめました。

 そのお宅のおばあさんは、内職で衣の縫製をされていて、今日伺った時も縫いかけの衣が置いてありました。

 「『針と糸を貸してください』とお願いすれば、『直してあげます』と言ってくださるに違いない。そうすると、衣を脱がなければいけないし、きっと丁寧に直してくださるから、時間がかかってしまう・・・」と考え直したのでした。

 すぐ近くにある99円ショップに立ち寄って、ソーイングセットを購入し、車の中で取れた紐を付けるために針に糸を通そうとしましたが、針穴がさっぱり見えません。目を細めても、近づけても遠ざけてもさっぱりダメ。

 すぐに諦めて、セットの中にあった安全ピンで即席修繕をして、次のお宅に伺いました。

 これからは車にソーイングセットと虫眼鏡も積んでおこうと思いました。そう思って積んであるもの、携帯トイレ、数珠(切れた時の予備)、袈裟(忘れた時用?)、扇(急な儀礼用)、寝袋(遠方で眠たくなった時用)・・・。

〜 ソーイングセット 〜
2005年8月14日(日)  No.727

お盆、ピークへ
 今日は小雨が降ったり止んだりのお天気。最高気温も30.6度。30度台なんて、素晴らしい!!

 でも、住職もボクも疲れが目立ってきて、まったく無口。今日も朝7時前から夕方5時過ぎまで一緒でしたが、ほとんど会話はありませんでした。

 今日は20人ほどの“おっさん(和尚さんの京都弁)”とすれ違いました。

 歩いておられたり、自転車、バイク、自家用車、貸し切りタクシーと形はそれぞれながら、皆さん、それぞれ必死の形相に見えました。

  ♪ がんばろう 突き上げる空に  
      くろがねの男の こぶしがある もえあがる女の こぶしがある
     闘いはここから 闘いは今から                 ♪

 ちょっとこの歌は違うなぁ・・・。

 いやぁー 今日はほんまに天気に救われました。

〜 風船かずら 〜
2005年8月13日(土)  No.726

山行、躊躇
 昨日起きた北アルプス・白馬岳の大雪渓上部で起きた大規模な土砂崩落事故。生き埋めになっているとみられる女性はまだ発見できないとか。

 あの大雪渓を登るコースは、超人気コース。シーズンには蟻の行列のような登山者の列が続きます。
 上の山小屋は、本当に山の上かと思うようなオシャレなもの。季節によってはお花畑が広がり、コースによっては山上の温泉もあります。

 ボク自身も山好きな人と、「じゃぁ、今度、大雪渓登って、鑓温泉に入りましょうか」などと気楽に話すことがあるコースです。

 亡くなった人、怪我をした人の年齢を聞いて、「あー、やっぱりそれぐらいか」と思いました。山で出会うのは、ほとんどが中高年。3Kの権化たる登山なんか、若い人はしたがりません。

 あの大雪渓は、普段でも小さな落石が頻繁にあります。石の音が雪渓にこだまするのは実に不気味なものですが、今度はどれほどおそろしい音がしたでしょう。


 今回の事故とは関係ありませんが、お盆明けの山行について、ここ数日、ボクはずっと迷っています。

 行きたい山は、槍ヶ岳〜北穂高岳。行くとしたら、16日の夜行バスで上高地に入り、20日中には帰って来なければなりません。

 普段なら迷いませんが、送り火の終わった後すぐバスに乗り、着くと同時に歩き出すことは、ちょっとしんどいなぁと思っているのです。

 以前、16日の夜行列車とバスを乗り継いで登山をしたことがあったのですが、かなり疲れました。いや、疲れた状態で行くのですから、疲れが募ったといったほうがいいでしょう。

 今度考えているコースは、年間何人かが亡くなったり大怪我をするコースなので、余計に考えてしまいます。

 日が近づくに連れて、夜行バスが取れるかどうかも怪しくなってきます。

 どうしようかなぁ・・・。

〜 白馬岳大雪渓。右奥の山の一部が崩落したのでしょうか・・・ 〜
2005年8月12日(金)  No.725

棚経の合間に
 街を回っていると、「おもしろい!」と写真に撮りたくなる光景に、時々出会います。

 カメラはいつも持って歩いているので可能な時は撮りますが、今日は棚経の途中なので、なかなかそんなこともしていられません。

 「また、今度通った時に撮ろう」と思いつつ、いつもそのままになってしまいます。


 この猫、何か怒っているように見えるのですが・・・片方の鼻の穴から鼻水が出たり入ったりしていて、夏風邪でもひいているかのようでした。

 さくらのほうが美人です。

 細い通りから見た、暮れかかる空に電柱と並び立つ京都タワー。どこか哀愁を帯びた光景でした。


 デジカメのお蔭で、DPEの費用を考えずに、どんどんシャッターが切れるようになりました。

 でも、普通の格好であちこち写真を撮っていたら、変質者と間違われるかも知れません。かといって、作務衣でも変だし・・・。
2005年8月11日(木)  No.724

オネショの不安
 今日は、本堂で真如堂塔頭合同の精霊迎えの盂蘭盆大法要。広い本堂も、人でいっぱい。人いきれで蒸し暑かったです。


 最近、朝方になると、小用を足している夢をよく見ます。水分をよく摂っているせいでしょうか。

 気持ちよく小用を足している夢で、終わった頃に目が覚め、「あー 危なかった・・・本当にしていなくてよかった」と、オネショをしていないことを確かめてホッとするのでした。

 数年前、高校の1年先輩と酒を酌み交わしている時、「ボク、この前、オシッコたれたんや」と打ち明けられ、どう応えればいいのかと困ったことを思い出します。

 オシッコをたれて、彼もずいぶんショックだったでしょう。心理的なストレスでもあったのでしょうか。
 今は、我が身のことのようにわかる気がします。

 幸い、今のところボクは夢を見るだけで済んでいますが、気持ちよく放尿する夢を見ていながら、どうしてオネショをしていないのか、むしろ不思議に思うほどです。

 どういうことが引き金で、夢からオネショに移行してしまうのか・・・。

 ボクは、小学校低学年まで夜尿症が治らず、お灸をすえて治療をしたりしました。
 背中にお灸の痕が付いていて、プールで着替える時など、友達に何の傷かと尋ねられ、誤魔化すのに苦労しました。子供の頃のトラウマです。

 そういうこともあって、オネショには神経質にならざるを得ません。もう少し歳を取れば、子供の頃に帰ったかのように、時々オネショをするようになってしまうのでしょうか?

 何だか夜が不安になってきました。

 水分を摂る量を減らすのは体によくないでしょうから、小用を足す夢を見る前に目を覚まして、トイレに行くようにしないと・・・。


 午後から夕立がありました。昨日修理した樋と排水溝の具合はバッチリでした。

 水の夢を見るのもよくないのですよね。

〜 大法要を終え、墓地に向かう檀信徒の人たち 〜
2005年8月10日(水)  No.723

焼け墓石に水
 昨日の夕立で、樋があふれ、排水溝が詰まったので、起き抜けに屋根に登って点検をしました。

 樋には、スナック菓子のビニールが詰まっていました。屋根の上でカラスが食べたお菓子の包装が詰まったのでしょう。

 排水溝には土管の隙間から根がいっぱい入り込み、そこに枯れ葉が引っかかって詰まっていました。根の一部と枯れ葉は取り除きましたが、これは本格的な補修が必要です。

 ラジオで、「夕立」の解説をしていました。

 「夕立」は、午後から夕方にかけて降り出す雨のことを言い、特に夕方でなければならないということではない。ただ、朝の雨は「夕立」とは言いにくいので、こんな時は「にわか雨」というらしいです。急に夕方のように暗くなって降り出す雨だから「夕立」と呼ぶという説もあるとのこと。

 なるほど。

 せっかく、樋と排水溝を修復し、水の流れ具合を見るのに夕立が欲しかったのですが、南の方でゴロゴロいっているだけで、残念ながら一滴も降りませんでした。

 夕方、遠方の檀家のお墓に花を供えるために墓地に行きました。墓石の花筒の水は熱いぐらい。冷たい水を注いでも、石が焼けているので、これでは正真正銘の「焼け石に水」。花もすぐに枯れてしまいます。

 そろそろ暑さも峠を越したでしょうか?

〜 焼けた石の林立する墓地は、夜でも暑い 〜
2005年8月9日(火)  No.722

今日は夕立あり
 今日も夕立などありそうもない空模様。天気予報でも、夕立の可能性はないようなことを言っておきながら・・・

 2時頃から断続的に激しい雨。しかも、わずか数キロ離れただけで、まったく降ってない模様。

 丸太町通を走っていたら、向こうの方で大きな水しぶきが上がり、歩道にいる人がそれを避けているのが見えました。

 近づくと、御所側の2車線がすっかり冠水し、反対側の歩道は近所の人たちが出て掃除をしておられました。歩道にまで水が来た痕跡が伺えました。ひょっとしたら、家や店舗の中にも入ったのかも知れません。

 30分間に20ミリ降った場所もあったそうです。東山仁王門あたりでは疏水があふれそうになったとか? ほんまかいなぁ・・・。

 おかげで、36度あった気温が26度まで下がりました。

 思えば、自坊の床下まで水が押し寄せ、鴨川の三条河原が水没したのは、去年の8月7日でした。

 降り出したら徹底的に降る、南国のスコールのような夕立が最近多いように思います。


 さくらは、雨が降るのを見るのが好きです。音がするので、気になるのでしょうか?

 雨が好きなんて、乙女チック。

〜 雨に物想う?さくら 〜

2005年8月8日(月)  No.721

道ばたの涼
 まさしくカンカン照というにふさわしいお天気。

 午後から夕立があるかも知れないという予報はまったく外れ、真っ青な空が広がり、入道雲も出てくれません。

 しばらく止めておいた車のハンドルは、郷ひろみの歌のよう・・・アチチ。

 道ばたで、わずか30センチ四方程度の涼しげな空間を見つけ、何だかホッとしました。

 何とかもう少し涼しくなって欲しいなぁ・・・。

〜 道ばたの涼 〜
2005年8月7日(日)  No.720

油掛地蔵尊
 今日は、雷雨と晴天が交互にやってくるようなお天気。カンカン照りの時は少なかったので、かなり楽でした。


 嵯峨の丸太町通、トロッコ列車の「さがあらしやま」駅の近くにある「油掛地蔵」。何度も前を通りながら、一度もお参りしたことがなかったのですが、今日、ようやくお参りすることができました。

 細い道が鋭角に分かれるところに、「油掛地蔵」の覆屋と隣接する集会場がありました。

 「油掛地蔵」とはいうものの、本当は定印を結んだ阿弥陀如来様で、「延慶3年(1310年)庚戌12月8日」の銘があるそうです。実に、700年前に作られた石仏です。

 近寄ると、プーンと油の匂いがして、そのお体は油でベタベタ。前に油の入った容器と杓が置いてあり、油を掛けてお参りできるようになっていました。

 油を掛ける風習は江戸時代の記述にもあるようですが、どうして油を掛けるようになったかは不明。当時は貴重であった油をこの地蔵尊に捧げることで、祈願の意が叶えられることを切望したのでしょうか?

 隣接する5〜6坪ほどの集会場ではいろいろな教室などの催しも開かれるようで、ボクが行った時も、結構、人の出入りがありました。

 参拝する人も絶えず、自転車に乗った人や買い物の途中の人が何気なく立ち寄って拝んで行かれたり、ボクがいる間だけでもひっきりなしでした。

 普段行かないところへ行って、こういう出会いがあるのも、お盆の棚経のお蔭。有り難かったです。

〜 油掛地蔵は、実は阿弥陀さま 〜
2005年8月6日(土)  No.719

サーバーの容量オーバー
 今日から、本格的に棚経回り。伏見、宇治など、京都の南のほうを重点的に回りました。

 今日は回ったといっても、住職の運転手。でも、住職が拝んでいる間、車の中で待っているのはかなり辛いものがあります。

 住宅街などでは、騒音のため、エアコンをつけながらエンジンをかけているわけにはいきません。といって、エアコンを止めて車内にいられるものでもありません。

 車の窓を全開にしておいて放棄し、団扇を持って近くの陰を探して避難する、そんな繰り返しでした。

 ちょっとでも涼しくなって欲しいです。今日は36.9度でした。


 帰って、「今日の散歩道」の更新作業。棚経に出かける前の早朝や帰ってから撮った写真を使って何とか作業を終え、サーバーにアップしたものの、画像が表示されません。

 いろいろ調べてみたら、サーバーの容量オーバーが原因でした。

 近いうちにこの日が来るのはわかっていましたが、こんなに早く満杯になってしまうとは・・・。

 何とか空きスペースを作って、今日の分の画像が表示されるようにしましたが、来週にはまた同様の事態を迎えるのは必至。

 前から下調べしておいた1ギガの新しいサーバーと契約して、とりあえずこの「閑話」を新しいサーバーに移しました。

 忙しい時に限ってこういうことが起きるのが常。まぁ、暑いですから、ボチボチやります。

〜 ビリヤード場の檀家さんで、「瓶は最近なかなかないのですよ」といただいたコーラ 〜
2005年8月5日(金)  No.718

4回目のリコール
 車のディーラーからリコールの連絡がありました。車を買って5年半余。これが4回目のリコールです。

 この4月にリコールで交換した部品に不良があり、最悪の場合、雨水がバッテリィーに入り込み、その影響でブレーキ液が漏れて制動力が低下する恐れがあるとか。

 同じ部品を再交換するわけですが、メーカーとしては大きな出費でしょう。部品を設計した人は、減給? 降格? 左遷?

 リコールももう手慣れたもので、待ち時間に読もうと、本を持ってディーラーに行きました。

 作業は約50分。待っている間にコーヒーは出てくるし、洗車はしてくれるし、ストップランプが切れていたのを見つけて交換してくれるし・・・本は読めるし、なかなかいい時間でした。

 明日からはお盆の棚経が本格化します。今日、交換しておけば安心です。


 バイクのオイルも交換しに行きました。

 昨秋に買ってから、まだ700キロ弱しか走っていませんが、千キロのオイル交換を前倒ししてやってもらい、ブレーキなども点検してもらいました。

 こちらも、お盆を前に準備万端です。


 今日は最高気温が36.3度。しばらくは35度を超す日が続くとか。エライコッチャなぁ。

 猛暑と冷夏では、体力の消耗が大違いなのですが・・・。

〜 車は乗りつぶす主義なので、ディーラに並んだ新車にも興味なし 〜
2005年8月4日(木)  No.717

棚経のついでに有馬温泉
 お盆の棚経で、六甲山を表から裏へ突き抜けたついでに、車中で僧衣から服に着替え、有馬温泉に立ち寄ってきました。

 有馬温泉といえば、大阪から1時間、神戸からは30分とアクセスがよく、お値段も高めといういう意味では、関東の熱海のような感じでしょうか。

 神戸市営の「金の湯」「銀の湯」という日帰り入浴施設があると聞いていたので、そこを目指しました。

 「金の湯」は含鉄強塩泉の「金泉」と呼ばれる赤褐色の湯を引いたもの、「銀の湯」は無色の炭酸泉「銀泉」を引いたもので、前者は放流式(かけ流し)、後者は循環(補充)式。

 どうせならタオルが鉄さび色に染まる「金の湯」のほうが温泉気分が味わえます。

 有馬には大きなホテルや旅館がたくさんありますが、そのわりには温泉街の中心部は温泉らしい情緒は薄く、店もあまりありません。おそらく、お客は大きなホテルなどへ直行して、そこですべて事足りてしまうのでしょう。

 温泉街から離れたところには「金の湯」「銀の湯」の看板は立っていたのですが、中心部まで行くとまったく案内標識が見あたらなくなってしまいました。ぐるぐる探し回った末、駅に行って案内地図を見て、ようやく場所を確認。

 ん〜、観光地なのに、不親切やなぁ。駐車場もわかりにくいなぁ・・・ブツブツ。

 ようやく辿り着いて、浴室に入ると、お年寄りが風呂桶を枕に素っ裸で横たわっている姿が目に飛び込んできてビックリ。隠すべきところは隠して欲しいなぁ。

 湯船の中は鉄錆色の味噌汁のような感じで、溶けきっていない鉄錆のようなものがモワモワと動き、10センチと見えません。一体どれくらいの深さがあるのか、階段が付いているのか、入るのも恐る恐るでした。

 お湯は少し熱めで、温泉らしい臭いはなく、その代わり塩素臭が鼻について、ちょっとガッカリでした。
 しかも、後から調べると、「冷却のため加水している 加水率は10%〜50%」とか。なーんだ、源泉掛け流しではなかったのかぁー。

 金湯と銀湯に交互に浸かると相乗効果があるらしいのですが、この暑い日にお風呂のハシゴをしたら倒れてしまいます。今日は「金の湯」だけで堪能しました。

 有馬といえば「炭酸せんべい」。湯の成分の含まれている炭酸を用いて作った昔ながらの素朴な味です。土産ものがこれしかないというのも、ちょっとさみしいですが、帰ってからの楽しみに買い求めました。

 温泉、町の雰囲気、お土産など、どれもイマイチの感は否めませんでしたが、棚経のついでに温泉に入れたのは大満足!

 お風呂に入って疲れたのか、帰りの高速は眠たくって、眠たくって・・・。

 帰り着いた京都の最高気温は35.9度だと、ラジオで聞きました。

〜 有馬川親水公園/「金の湯」の外観 〜
2005年8月3日(水)  No.716

カラスウリの花
 先日来、朝、トイレに行って窓から外を見るたびに、「あっ、カラスウリの花が咲いていたんだ!」と萎んだ花を見つけては残念に思っていました。

 カラスウリの花は、夜咲いて朝には萎んでしまいます。毎年、2階のトイレかボクの部屋の窓の前に咲いてくれるのです。

 朝、萎んだ花を見るたびに、「よしっ! 今夜は咲いているのを見るぞ!」と意気込みながらも、毎日夜になるとすっかり忘れてしまっていました。

 昨日の夜は思い出したのですが、残念ながら、咲いている花がありませんでした。

 今日の昼間見たら、今夜咲きそうな蕾が2つ。もうほとんど咲き尽くしてしまっているので、今夜が最後のチャンスかも知れません。
 意を決して、机の前に「カラスウリ」と書いた紙を貼り、万全の体制で臨みました。

 7時頃に見た時はまだ咲いていない感じ。8時頃に懐中電灯で照らしてみましたが、少し膨らんでいる感じだけで、咲いてはいませんでした。

 「明日咲くのかなぁ・・・」と思いつつ、ほとんど忘れかけていた10時過ぎ、机の前の張り紙を見て思いだし、あわてて懐中電灯を持ってトイレに行きました。

 網戸越しに見てもよくわからなかったので、少し網戸を開けて凝視したら、咲いていましたカラスウリの花2輪!

 これが最後の花だからと思い、カメラを準備して、蚊取り線香を持ち込んで、洋式トイレの上に膝をついて、「パシャ!! パシャ!!」。

 かなり見にくい位置に咲いているので、花の正面からは撮れませんでしたが、何とかカラスウリの花とわかる写真になりました。

 クサイ写真になってしまいましたが、カラスウリの花は、ボクの夏には欠かせない花の一つです。

〜 やっと見られたカラスウリの花 〜
2005年8月2日(火)  No.715

早川先生宅へ
 先日の早川一光先生の講演を機関紙の記事にするはずが、なんと、スタッフから録音状態が悪く、よく聞き取れないという報が入りました。

 なんでも、会場に設置してあるマイクから録音したらしく、先生の声が聴衆の笑い声などに掻き消されていて、とても使えないとか。

 「アホぉ!」と怒鳴りたくなる気分です。

 仕方がないので、先生にお願いしてもう一度インタービューをさせていただくことにしました。

 先生は食欲旺盛だと奥さんから聞いていましたが、何がお好みかはわかりませんので、下鴨神社の近くでみたらしを求め持参。

 先生のお宅へ庭から上がり、ダイニング&書斎のような部屋でお話を聞かせていただきました。

 先生は講演の時とは明らかにテンションが違いますし、ギャグはほとんどなし。でも、怪我の功名というか、直接インタビューさせていただいたほうがまとまった記事になりそうでした。

 先生のお話からは、50年ほど臨床に携わり、数多くの人の生きざま、死にざまに関わってきたという自負が感じられました。

 口では偉そうなことを言っていても、行動が伴わない人はたくさんいます。坊さんなどはその典型かも知れません。有言実行の姿勢が、先生が多くの人から慕われる理由の一つでしょう。

 81歳にして、まだ大学に行って研究されたり、様々なことを求め続けられる姿勢に、改めて感服しました。

 帰り際に、「講師代いらんから、またお寺のほうで話させてよ。やろうよ」と言っていただきました。
 秋頃にでもお願いしたいなぁと思っています。

〜 アクションを交えながら話される早川先生 〜
2005年8月1日(月)  No.714

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