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2005年7月の日記

使えないリモコン
 写真は、使えなくなったエアコンのリモコンです。

 自坊の客間や居室などについているエアコンのものですが、8台あったリモコンのうち5台が、10年ほどのうちに次々と使えなくなり、いま使えるのは去年買い足した1台を含む4台だけ。一度も使ったことがないのに、電源すら入らないものが数台あります。

 テレビやビデオのリモコンはこんなに高い頻度で壊れることはありませんが、どうしたことでしょう。エアコンでも普通はこんなに壊れないでしょう。

 エアコンは、今の建物を建てた10年ほど前に、建築会社の会社の勧めで、ガスでお湯をわかして循環させて暖房をする形式のものを導入したものです。

 エアコンにはガス会社のマークが付いていますが、中身は某電機メーカーのOEM製品。東京のガス会社でも同じものを使っているようです。

 去年、リモコンを追加購入したら1万円ほどもしました。リモコンがなければ、エアコンはただの無用な長物。なんだか足下を見られているような値段です。

 こう暑いとエアコンを使うことも増えますが、その度に少ないリモコンをあっちへやりこっちやりでは不便でなりません。

 そこで、とうとう昨日、ネットで探した「エアコン用汎用リモコン」というのを注文しました。
 ほとんどすべてのエアコンに対応し、使えなかったら返品可能ということでした。ちゃんと使えるでしょうか。お値段は1800円ほどでした。

 それにしても、この使えないリモコン、なーんか納得できず、捨てられません。
2005年7月31日(日)  No.713

さくら、初めての注射
 今日、さくらは初めて注射をしました。

 昨日、獣医さんの奥さんに出会ったら、3ヶ月なのでそろそろワクチンをしたほうがいいと言っていただき、早速、今朝行ってきました。

 さくらをキャリーケースに入れスクーターの足下に置いて、さぁ、出発! バイクのエンジンの音や振動などをさくらが恐がるかと思ったのですが、まったく我関せず。何食わぬ顔で足をペロペロしていました。

 2分ほどで獣医さんに着き、奥さんが開口一番、「まぁー さくらちゃん大きくなって! あんなに小さかったのにねぇ」。

 すぐに先生が出てこられて、「大きくなりましたねぇ。ガッシリしているし。いやぁ、あの時は正直もうダメだと思っていたのですよ。鼻筋が通っているし、こういう毛並みだったのですね。白がはっきりしましたねぇ」。

 確かに、3ヶ月前のさくらは生死の境をさまよい、もし病院に来ていなかったらほぼ死んでいたに違いありません。本当によく助けてくださいました。

 ボクがさくらを押さえて、まずは聴診器で音を聞き、それから検温。

 先生は「はい、ちょっと嫌がりますよ」と言って、体温計をさくらのお尻の穴に突っ込まれました。「わぁー、痛そう・・・」と、自分のお尻がキュッと締まるのを覚えました。

 さくらは嫌がって動き、鳴きながら押さえているボクの手を何度も噛む素振りをしましたが、止めて欲しいという意思表示程度で、本気では噛みません。
 検温している時間が長く感じられました。

 獣医さんから、3種混合ワクチン(猫ウイルス性鼻気管支炎、猫カリシウイルス感染症、猫汎白血球減少症)と、白血病のワクチンはまだ安定した効果が得られないのでしない旨の説明を受け、さぁ、いよいよ注射。

 奥さんがバスタオルでさくらを包んで抱え、はい、「ニャン!」の一声と共に注射は終わりました。

 さくらが動き回ろうとするので、キャリーケースに入れ、先生や奥さんとしばし歓談。

 時折、先生がキャリーケースのスモークがかった透明な部分に手を出されると、さくらは遊んでもらっていると思って、手を動かして捕まえようという素振りを見せます。
 すっかり慣れている様子で、人見知りもしません。

 先生に、「この子は本当に何のけがれもないですねぇ。純粋そのまま」と言われると、まんざらでもありませんでした。

 さくらは他の猫を知りませんし、他の猫を見ても自分が同じ姿をしているとは思ってもいないでしょう(鏡で自分の姿を見ても無反応です)。それが猫として幸せなのか、不幸なのかはわかりませんが、今さら、外の猫の世界に出すわけにはいきません。一生、猫のような、人間のような生活をするのでしょう。

 ボクも、他の猫を知りませんから、猫としてさくらはどうなのかはわかりません。皆さんからいただくいろいろなアドバイスを聞いて、見様見真似で育てています。ひょっとしたら、変な育て方をしているのかも知れませんが・・・。

 大文字山の帰りに出会い、連れて帰っても死んでしまうだろうと一度は通り過ぎようとしながら戻り、帽子の中に入れて連れて帰ったさくら。その前に拾ったクロのために買ったミルクやほ乳瓶がなかったら、さくらは獣医さんに行くのを待たずに死んでいたでしょう。
 すべてが因縁の積み重ねです。千載一遇の縁を積み重ねてさくらと出会った、そう思うと、なおさらさくらが愛しく思えるのでした・・・ちょっと大げさかな。

 ワクチンは、1ヶ月後にもう1回打ってもらいます。獣医さんのカルテの名前は、「桜」となっていました。

 「今日は出来れば安静に・・・できませんよね」と言われた通り、帰ってからも、さくらは屋外に逃走を図ること3度。ますます手口が巧妙になってきました。

〜 注射をしてもらうさくら/話を聞きながら手でイタズラをするさくら 〜
2005年7月30日(土)  No.712

カントリーダンス
 今日は、いつになく早く「今日の散歩道」の更新が完了。

 「どうしてこんなに早く出来たの?」と自分でも不思議なぐらいでしたが、ラジオ体操や百日紅の写真など、写真を撮る予定がある程度決めていたからでしょう。

 次回・次々回はお盆の棚経の最中。どうやって更新しましょう・・・。


 更新が早く終わったので、久しぶりにカントリーのライブに行くことが出来ました。

 「ホンキートンク」へ最初に行ったのはもう25年以上も前。学生の頃、授業の合間に行って、隣にある馬場で馬が走るのを見ながら、友人と話をしたりしていました。

 今では京都のカントリー界のメッカのような存在ですが、まさか自分がここでカントリーのライブを聞くなどとは思ってもいませんでした。

 演奏を聞くのも楽しいですが、それにあわせてカントリーダンスを踊る人たち、テンガロンハットをかぶったり思い思いの格好をしている人たちなど、老いも若きもそれぞれが楽しんでおられる姿というのは、一緒にいてもとても楽しくなるものだと、いつも思います。他の音楽にはなかなか見られない雰囲気です。

 ボクには楽器を演奏するのは無理だとしても、カントリーダンスを踊ることができたら、どれだけ楽しいだろうと思います。

 でも・・・あのステップは到底ボクには出来そうなシロモノではありません。チャレンジしてもきっと足がもつれて転けるでしょう。盆踊りでさえあわないのですから。
 でも、やってみたい。見様見真似で人前でやったり、習いに行くのは恥ずかしいので、教則本とかビデオはないかなぁ。

 十分に踊れるようになってから、颯爽と人前で踊って見せたら、「わぁー そんなに上手に踊れたのですね! 今まで隠しておられたのですね!」などと、みんなビックリするだろうなぁ。

 そんなことを考えながら、指をくわえて、皆さんの楽しそうなダンスを見ていました。


 さくらのトイレのことでご心配をいただき、ありがとうございます。さくらは、新しいトイレで順調に用を足しております。
 さくらに成り代わって、皆さまのご厚情に御礼申し上げます。

〜 演奏する人、踊る人、お酒を呑む人、それぞれが楽しい 〜
2005年7月29日(金)  No.711

鰻でお茶漬
 午前中、お檀家のところにお参りに行った後、車の中で着替えて、ファミレスで日替わり定食を食べ、ボランティアに。

 まずは、少し古いパソコンを寄贈していただいたので、かなり古いパソコンと入れ替える作業をしました。

 目くそ鼻くそ? 50歩100歩の違いですが、古いほうは起動スイッチが壊れていて、パーツ屋さんで買ってきたスイッチを本体の外にテープで貼っていたため、とても危険な感じでした。それが解消されるだけでもマシな上に、少し古いパソコンは省スペース型で、見た目にもオシャレ。

 データーや設定を移すのに2時間少々かかり、それから夕方までは本来のボランティア仕事。

 外から入ってくる人は、「暑い・・・」と顔を歪めておられましたが、幸いボクは暑い盛りに建物の中にいたので、涼しい顔でした。

 土用の丑の日。車で通っていても、商店街などでは店の外にロースターを出して鰻を焼いてアピールしていました。

 テレビで見ていると、この日に備えて、何日も前から鰻を焼き、一時冷凍にしているお店もありました。

 値が高い上に、冷凍をチンしたような鰻をわざわざ今日食べなくてもいいだろう・・・でも、一応、人並みに鰻が欲しい、ということで、夕食は鰻茶漬でした。

 鰻茶漬を食べると、素人が鰻でお茶漬の御馳走をわずかな望みとして、罵倒や軽蔑にも耐えて浄瑠璃修行の軒付けをするという、米朝さんの「軒付け」という落語を思い出すのでした。

〜 鰻茶漬 〜
2005年7月28日(木)  No.710

さくらのトイレ増設
 さくらのトイレ不正使用防止のために敷いた人工芝も効果なく、素振りから尿意・便意をもよおしたと思える時には、慌てて抱きかかえてトイレに連れて行き、お尻を刺激していましたが、こちらもたえず気を張っていなければならず、また気のせいか、ボクがご飯を食べているような時が多く、ほとほと閉口していました。

 今日、ペットショップの前を通った時に、「そうだ! もう一つトイレを買おう!」と思い立ち、衝動買い。かなり大きなダンボールをなんとかバイクの前に置いて膝で押さえ、持って帰りました。

 ネコがトイレで用を足したがらない理由にはいろいろあるようです。トイレが不潔な場合、落ち着かない場所にトイレがある場合、病気の場合・・・トイレの砂などを替えてもダメでしたし、場所も替えてみましたがダメでした。

 もっとご幼少の頃はちゃんとしていたのですが、ある時からしなくなったのです。そのある時に、何があったのか、よくわかりません。

 ひょっとしたらトイレに敷いてある砂が気に入らないのかな? 今敷いてあるのは、木材のチップを固めたようなもの。桧のような匂いがします。

 トイレを複数置いて気に入った場所でできるようにする、砂を替えてみるという両方の目的で、もう一つトイレを買おうと考えていたのです。

 トイレは安いものです。定価3千円近くが、店では2千円弱。付いている葉書を送ると千円のキャッシュバックがあるとか。最初から引いておいてくれればいいのに。

 帰ってセットしている間から、さくらは興味深げ。さっそく中に入って、使用感を試してみたりしていました。

 セットし終わったと思い、ここでしてくれるかなぁ、して欲しいなぁと思っていたら、さくらが尿意をもよおした様子。直視しては恥ずかしがるだろうと横目で見ていると、ちゃんと腰を落として小用を足していました。

 エライ、さくら!  砂の下のシートには、くっきりと証拠が残っていました。その後、今日中には2回、小用をたし、トイレ増設作戦は大成功です。

 ただ、少し問題があることもわかってきました。

 今度のトイレの砂は「専用さらさら消臭サンド」という直径5〜6ミリの顆粒なのですが、トイレに入って出てくる時に、その顆粒が足の肉球に付いてしまい、さくらが出てくる時に必ず3〜4粒ほどコロコロと飛び出してくるのです。

 さくらが1回で用を足してくれればいいのですが、躊躇することも多く、出たり入ったりしているうちに、トイレの回りに幾粒もの顆粒が転がってしまいます。

 さくらもそれが面白いものですから、前足でドリブルして追いかけ回し、ややもすると催したはずの尿意を忘れてしまいそうなのです。

 調べてみると、トイレには足に付いた砂を落として砂の飛散りを防止する「専用砂落とし」というオプションがあるようでした。最初から付けておいてよ!!

 こんな調子でさくらグッズが増えていってはたまりません。

 「大」のほうは、さくらが便秘気味なのか、なかなか出ず、本猫も難儀しているようなので、今のところお尻を刺激して手伝っています。5歳児と思えばしかたありません。

 とにかく、さくらのトイレ問題が解消してくれないと、こちらも気が気じゃありません。

〜 尿意をもよおしてトイレに入ったものの、放尿できずに出てくるさくら 〜

2005年7月27日(水)  No.709

苦沙彌、宇宙へ!?
 台風の影響はほとんどなく、いつもより少し風が強くて、雨がパラパラ降る程度。もう少し雨が欲しかった気がします。


 今日は起きてから寝るまで、ずーーーーーーっとお盆の塔婆書き。肩が凝ってきて、夜には頭が痛くなってきたので、9時過ぎにはやめました。


 スペースシャトル「ディスカバリー」の打ち上げが成功。搭乗された野口聡一さんとボクが似ているというメールを、先日の打ち上げ延期以来、何通かいただきました。

 ん〜 そういわれれば似ているかも。

〜 他人とは思えない野口さん、素晴らしい成果を! 〜
2005年7月26日(火)  No.707

宝物虫干会
 今日は、真如堂の宝物虫干会。毎年7月25日に行われ、もし雨が降ると、その年は中止となります。

 台風が近づいてきている・・・やった! と思いきや、どうやら1日ずれたようです。

 虫干しは、早朝から重たい長持を蔵からだし、掛け軸などを吊るし、1日中番をして、夕方に仕舞って蔵に戻すという作業をするので、中止になったほうが楽なのです。

 本堂には約200点の掛け軸などが無造作に吊されます。あくまでも土用の風を通す「虫干し」で、展示しているわけではないので、決して見やすいとはいえません。
 掛け軸がどういう作品なのかを知るには、吊ってある下に置いてある桐箱の文字によるしかありません。

 平安時代の恵心僧都筆? 弘法大師筆?と近世の駄作が差別なく並んでいて、吊るし方に法則性はありません。

 好きな人には触れる距離で見られ、川原の石中から玉を見つけるような面白さもあって、たまらないでしょう。興味のない人には、雑然と掛け軸がぶら下がっているとしか思えないかも知れません。

 1時間以上も本堂におられるのは、そんな美術好きの方、歴史に興味のある方、俳句をされている方です。

 そういう方にいろいろな質問をされてドギマギすることもありますし、お互い本堂の畳にしゃがみ込んで長話をすることもあります。

 虫干しは、そんなゆったりした時間です。

 お弟子さんを連れてこられた俳句の先生に、虫干会(虫払会、曝涼)は「お風入れ」ともいうと教えてもらいました。

 また、今日にピッタリに句を教えてもらいました。

      か た こ と と か た こ と と お 風 入 れ   高野素十

 土用の風に吹かれて掛け軸が揺れ、軸棒が柱などに当たって、「カタ、カタ」と音を立てる様子が目に見えるような句です。

 ボクは、本堂内の比較的明るい場所に陣取って、校正作業などをしながら、張り番。暑気払いの枇杷湯の接待も時々手伝っていました。

 これも俳句の先生に教えてもらったのですが、真如堂では「枇杷湯」と呼んでいますが、「枇杷葉湯」が一般的とか。

 帰ってから調べてみたら、「枇杷葉湯」は江戸時代には庶民の夏の暑気払に盛んに飲まれていて、てんびん棒を肩に「ご存知本家天満難波橋 朝田枇杷葉湯・・・」と売り歩くさまは、大坂や江戸の風物詩だったとか。

 なるほど! きっとその頃の風習を今に受け継いでいるのだなぁということがわかりました。一つ賢くなりました。

 本当にのんびりゆったりの1日でした。

〜 本堂の至る所に吊された掛け軸と拝観する人 〜
2005年7月25日(月)  No.706

塔婆書きに火が点く!
 恒例の愛宕念仏寺の大般若転読会法要。

 暑い時期に、ますます熱くなる大般若。夏向きの法要ではありません。

 今日は少しは暑さもマシでしたが、終わったら汗だくでした。


 お盆の卒塔婆書きが遅れていて、お尻に火が点いてきました。

 今日、早くも「お盆の法要の時は混むので、早い目にお参りに来ました」というお年寄りが来られました。あまりにも早くお越しになりましたが、今月もあと1週間しかなく、8月に入ったら棚経が始まってしまいます。それまでに何とか書き上げないといけません。

 最近、どんどん近くが見えなくなっているのに、日付が変わる頃まで時間を見つけては筆を持っていると、余計に目が霞んできます。これはヤバイ・・・。

 とにかく、これを書き終えないと、他のことをする気にはなれません。心を込めながら、下手字だけれど、1週間以内に書き上げるぞ!

〜 愛宕念仏寺の羅漢さん 〜
2005年7月24日(日)  No.705

 夜、僧侶仲間で企画しているラジオ番組の収録。

 今日は鷹峯の常照寺の住職と、京都の左官職人として第一線で活躍されている奥田信雄さんの対談。

 別の集まりのために遅れていって、収録部分の話は半分しか聞けなかったですが、終了後いろいろな話も聞かせていただき、興味深い時間でした。

 今は、下地にボードを使い、その上にクロスなどを張る“乾式”の壁がほとんどで、実際に土を塗ることはますます稀になり、竹を組んで下地を作ることなどは、社寺や茶室、数寄屋など以外ではなくなってしまいました。

 しかし、話を聞かせていただき、土やそこに混ぜるもの、鏝などの道具、塗り方の技法など、実に奥深いものであることを再確認しました。

 先日、木曽のお寺に行った時、すべて素晴らしい木曽桧を使った新しい建物を見ました。残念なことに、壁は壁模様の紙を張ったもので、せっかくの部材との釣り合いがまったく取れていないのにがっかりしました。

 土壁を見るとホッとします。少し朽ちてきた壁でも、とても趣があります。そういう壁が特殊なところでしか見られなくなるのは残念です。

 「○○寺の壁は創建当初のものだと言われていますが、土に含まれているものを見ると、まったく後世のものです」「○庵の壁を少し崩してみたら、今まで言われている定説とはまったく違う土で、明らかに移転したからの土です。でも、それを言うと、エライ先生の顔をつぶしますしねぇ(注:○庵は国宝指定)」などというオフレコの話も、興味深いものでした。

 職人さんの話は、嘘偽りや誇張がなく、ボクは大好きです。

〜 投げスサを使った壁 〜
2005年7月23日(土)  No.704

さくらは5歳
 たった2日間見なかっただけですが、旅行から帰って見たさくらは、少し大きくなったように思えました。

 さくらが来て3ヶ月。人間の年齢に換算したら5歳になります。

 いろいろなことに興味があって、それを禁止されると、鳴いたり怒ったりするのは人間の5歳児と同じかも知れません。

 トイレや噛みつきなどの問題はありますが、今ではすっかり“同居人”です。

 旅先でも、ついつい猫の置物とかを見てしまう始末。猫嫌いのボクは何処へ?

 それにしても、さくらは1日中のんきに寝ていられていいなぁ。
2005年7月22日(金)  No.703

木曽路の旅
 宿の外観やチェックイン時の印象から、朝食は頼んでいなかったので、朝イチの温泉に入った後、すぐにチェックアウト。フロントは馬刺しを付け忘れていました。


 近くの「道の駅」に寄ってみましたが、食堂はまだ開いていません。最悪コンビニで済ますことにして、南へ向かう前に、木曽福島の禅寺を拝観。東洋一の広さをもつ枯山水の庭園ということでしたが・・・。


 寝覚ノ床のドライブインに車を止め、おやきとお茶を買って、寝覚ノ床まで降りて食べることにしました。
 降りる途中にお寺があり、入り口で拝観料を取られました。ただ通り抜けるだけなのに・・・。


 途中で、柿其温泉という山奥の秘境の一軒宿に立ち寄って入浴。詰めても2人ほどしか入れない湯船で、お湯は無色透明。天然のラドン温泉だとか。


 今日のメインは、妻籠・馬籠。島崎藤村絡みでも訪れたいと思っていた場所でした。

 妻籠を訪れるのは初めてでした。中山道の面影の残る町並みは、よく保存されていて、江戸時代にタイムスリップしたような気持ちにさせてくれます。

 妻籠宿本陣は島崎藤村の母の生家。拝観受付では、ここは最近再建したばかりなので脇本陣とのセット拝観がいいと勧められました。あまりに値打ちがなさそうな言い方なので、脇本陣のみを拝観。
 係の人が説明してくれるのですが、後から人が来るたびに、また同じ説明をするので嫌になり、ひとりで拝観。
 「木曽路はすべて山の中である『夜明け前』」。峻険な山間の道ばかりで、女子供をここに残していったから妻籠、馬を置いていったから馬籠というのだという説明には納得しました。

 馬籠へ。馬籠に来るのは20年ぶりぐらい。以前の素朴な面影がずいぶん様変わりして、なんだか宿場町風のテーマパークのようで、がっかり。

 藤村記念館を見た後、町並みから少し離れた島崎家の菩提寺に行き、藤村のお墓に参拝。
 大磯で最期を迎えた藤村も、この地に戻って埋葬されたということを初めて知りました。


 今回の3泊4日の旅は、お盆の英気を養う山と温泉の旅でした。中でも、御嶽からは鮮烈な印象を受けました。
 あの山に登拝したいという信仰の力、霊神碑の圧倒的な数。そんなものが、今の自分にあるだろうかと自問する旅でもありました。

 車の旅行は便利だけど、帰りが嫌になります・・・。

〜 妻籠宿/藤村の墓 〜
2005年7月21日(木)  No.702

超盛り沢山の1日

 5時半、小屋の人が朝食だと呼びに来てくれました。食欲はありませんが、何としても食べておかないといけません。

 朝食は、豆や鰹の甘煮、海苔、漬物とご飯、味噌汁。体が温まるようなものはありませんでしたが、何とか押し込んで、出発準備。
 外はまだかなり強い風が吹いているようでしたが、ガスは晴れてきていました。

 小屋を出発して歩いているうちに、天気はどんどん回復し、日射しも厳しくなってきました。
 昨日の寒さがウソのよう。日焼けをするのが嬉しいぐらいで、帽子もかぶらずに陽の光を楽しみました。

 池などを巡り、雪渓を渡って、昨日通った8合目に合流。上をあおぐと、昨日はまったく見えなかった剣ケ峯の頂上のポールや9合目の小屋などがスッキリ見えました。

 「昨日がこんな天気だったらなぁ」と残念でしたが、むしろ今日の天気が儲けもの。今日晴れたことを有り難く思えました。

 今日は昨日と打って変わって、登ってくる人も多く、登拝する白装束の人の姿が多く見られました。
 また、他の山と違って、水や食料、登山者に代わって荷を上げる「強力(ごうりき)」さんの姿をよく見かけました。

 7合目の小屋で御嶽名物?「力餅」を食べ、あとは一気に車を停めた6合目へ。
 昨日閉まっていた6合目の「中ノ湯」も今日は開いていて、そろそろ御嶽の登拝者が増える季節のかなぁと感じました。

 御嶽は、登山をする対象というより、やはり信仰の対象の山。そして、その信仰の強さと営々と繋がっている歴史をまじまじと感じることのできた山行でした。


 車で麓まで降りて、開田高原へ。取るものもとりあえず、蕎麦屋で「すんき蕎麦」を食べました。
 「すんき」とは、カブ菜を乳酸発酵によって漬けた漬け物で、京都のすぐきのようなもの。それを刻んで熱い蕎麦にかけて食べる、木曽独特の食べ方だそうです。
 すんき蕎麦は、蕎麦の香りを楽しむには難有りですが、独特の味で美味しかったです。ただ、相当ボリュームがあったので、別の店でもう1回蕎麦を食べようという試みは、叶わなくなってしまいました。


 村営の立ち寄りの湯に入って汗を流し、今夜の宿探し。山に行く時は、確実な予定が立たないので、行き当たりばったりの旅になることが大半です。

 あらかじめ目星を付けておいた宿に電話をしたら、ネットで見た料金の1.5倍を言われました。

 馬鹿馬鹿しいので、携帯で宿を検索。近くに、1泊2食付きで、温泉、しかも露天風呂付きという宿を探しました。


 行ってみると、かなり老朽化した建物。少し離れたところには建築機械や資材などが置いてあり、停まっている車は電気屋さんなどの車が大半。どうやら、出張などで来て泊まる人が多い宿のよう。

 フロントでお風呂の蓋の電動操作方法を教わり、部屋へ。ほとんどの部屋のドアは開けっ放しにされて中が丸見え。ドアは水を入れた大きなペットボトルで閉まらないように押さえてありました。


先ずは食事。食事は炭火バーベキューと聞いていますが、値段が値段なので、ちょっと不安。
 指示された「バーベキューハウス」と名付けられた別棟に行くと、煉瓦の炉が7〜8つ並んでいました。
 すぐに肉と野菜を盛ったトレイが運ばれ、炭を配した炉に火を付けてくれました。
 肉や野菜は結構な量です。串に刺した岩魚も後から加わって、これはすごーい! 
 せっかく木曽に来たので、馬刺しを追加注文しましたが、これもなかなかのもの。
 実に感動ものの食事でした。


 しばらく部屋で休んで、風呂へ。風呂は、バーベキューハウスの先の別棟でした。
 チェックインの時に教えてもらった浴槽の蓋の開閉ボタンって何だろうと思っていましたが、実物を見て納得。浴槽の蓋にワイヤーが付いていて、ボタンを押すとウインチが動いて、内湯は蓋が持ち上がり、露天はスライドして開閉するというものでした。露天にはもう一つボタンがあり、押すとジャグジーのようにしばらく泡がボコボコ出ました。

 湯は、開田高原の日帰り湯と同じような感じ。「当温泉は無類に成分が濃いから 湯の花が 一パイ浮遊沈殿いたします 埃ではないから苦にしないで下さい」と立派な看板が掲げてありましたが、横にある成分表は剥げていて、どんな泉質なのかさっぱり読めませんでした。

 ちょうど他の入浴者がなかったので、蓋の開け閉めをしてみたり、ジャグジーボタンを押したりして、十分堪能させてもらいました。

 宿泊棟の2階とバーベキューハウス・風呂を結ぶ通路の下には水車の付いた池が広がり、ヤマメの釣り堀になっているようでした。餌付き竿が100円、ヤマメ1匹500円、焼き代100円・・・すばらしい。
 庭には、鶏が放し飼いになっていて、山羊の小屋もありました。


 確かに、あまり綺麗な宿ではありません。でも、いろいろなところに手作り風の工夫がいっぱい施してあって、食事も考えられないような内容。これぞ手作りのパラダイスという感じの宿でした。


 夕べの御嶽の震えるような寒さ、快晴の御嶽の眺望、開田の蕎麦と湯、今夜の手作りの宿と、実に盛り沢山の1日でした。

〜 御嶽三ノ池/ワイヤーで開閉する風呂の蓋 〜
2005年7月20日(水)  No.700

頂上へ
 起き抜けに温泉に入り、夕べ買っておいたおにぎり・ゆで卵・インスタントの味噌汁などで朝食をとって、宿を出たのが6時過ぎ。

 19号線から左に折れ、御嶽高原を登っていくと、次第に石の霊神碑が林立し、神像・僧形像などが数多く見られるようになってきました。まさしく聖域の雰囲気が濃く漂っています。

 御嶽は、もともと神代の昔の山岳信仰と修験道が結びつき、その後、厳しい潔斎を行う山麓周辺の道者が集団的に登拝する独自の信仰を産みだしました。江戸時代になって、一般民衆に開放されてから全国的に信者が広がり、登拝団体である講社(教会)が組織作られて、今でも毎年多くの信者が登拝されています。

 山内に霊神碑を建立するのは、死後、霊魂は御嶽に帰るという信仰によります。その数数万とも数十万とも言われています。
 また、神霊や霊魂を憑依させる「御座」と称する神がかりによる病気治療や占いをする行者の存在も、御嶽信仰の特色です。

 6合目に車を停め、御嶽の頂上を目指しました。途中、7合目で、ロープウエイからの道と合流しますが、人と会うことはほとんどありませんでした。

 歩き始めた頃は、梢の間から差していた日の光も次第になくなり、8合目あたりからは時雨れ始めました。
 森林限界の8合目でもガスのために眺望はまったく、今までは木々が遮ってくれていた強風をまともに受けることになりました。

 頂上までは登り一途。ところどころに立つ真鍮像などが、ガスの中に霞んでいました。

 9合目の小屋で休憩して、インスタントラーメンを食べました。小屋の人に、「誰か歩いておられますか?」と尋ねられ、「パラパラですね」と答えると、「パラ・・・・・パラ・・・・ですね。さっき、お二人を見かけましたが。土日以外は少なくて」と小屋の運営難を嘆くかのように話され、自分たちの昼食を作りに奥に入って行かれました。

 小屋を出ると、頂上から降りてきた人に出会いました。「いやぁ、ものすごい。厳しいです」と少し興奮しながら話されたその人は、少し震えておられるようでした。この風では合羽を着ていても、体感温度はかなり低いでしょう。

 9合目から頂上に至る風の抜け道と思える場所で猛烈な風に会い、一度、岩陰まで戻りました。合羽のフードを出して出来るだけ肌が露出しないようにして、再び出発。
 今日はガスだけで雨が降っていない分だけ楽です。これで雨が加われば、雨粒が痛くて仕方ないところでした。

 やがてすぐに頂上に。頂上には御嶽神社頂上奥社本宮が建ち、少し離れたところに、剣ケ峰3067メートルのポールが立っていました。

 参拝し頂上を後にして、今日宿泊予定の二の池の小屋を目指しました。

 途中通りがかった二の池もガスの中。ところが、ほんの数秒だけガスが晴れる時があり、その時一瞬だけエメラルド色の湖面を見ることができました。
 ただ、足下の石コロを見ながら歩いてきた数時間。本当に素晴らしい光景でした。

 二の池の小屋は、明らかに登拝する信者さん向けと思われる造りで、だだっ広いビニール畳敷きの広間に、1間間隔に御嶽神社の掛け軸を祀ってあったり、全国の講の旗が吊してありました。

 床のビニール畳敷きは、時々風でフワァーっと浮き上がってきます。窓はサッシではなく、昔のガラス。強風でガタガタ音を立て、割れないか心配なほどでした。

 ストーブの側でしばらく暖を取り、「個室」と言われる部屋に入りましたが、そこには暖房もなく、寒くていられません。
 持ってきた服をすべて着込み、廊下に積んであった綿入れを着てもまだ寒い。

 ♪ 木曽の御嶽さんは ナンジャラホイ 夏でも寒い ヨイヨイヨイ ♪とまで歌われているのに、下界の暑さにフリースを置いてきたのが大失敗でした。

 毛布の備えがないかと尋ねてみたら、オプションで千円だとか。布団は何枚使ってもらってもいいと言われたものの、重たくて、2枚重ねられるものではないので千円で借り、カイロを張って、夕食の時間を待ちました。

 夕食は、おでんと魚の甘露煮、酢の物とご飯と味噌汁。一昔前の山小屋風でした。
 客は、結局ボクひとりの様子。スタッフは5〜6人。

 この小屋は珍しく風呂付き。先ずは客を案内するのが当たり前ですが、スタッフが先に入って、夕食後、「7時までに入ってください」と言われました。
 信者の宿泊のための小屋なのでサービスは関係ないのかも知れませんが、寝具といい、対応といい、気持ちよく泊まれる小屋ではありませんでした。

 とにかく寒さ対策をしないと眠れません。敷き布団を2枚重ね、その上に綿入れを敷き(シーツはありません)、毛布と掛け布団をかけ、ボク自身も綿入れを着て、7時頃には床に就きました。

 最初は体が小刻みに震え、寒さからか頭痛がして、眠れるか心配でしたが、頭痛薬を飲み、何とか朝までぐっすり眠むることができました。

〜 頂上にて/一瞬見えた二の池 〜
2005年7月19日(火)  No.699

木曽へ
 お盆前の活力源、例年のごとく、山に行くことにしました。

 先週、大文字山でくたびれてる自分の不甲斐なさをまじまじと見さされ、今回は比較的楽に登れる山にしました。

 御嶽山。今まで何度か登ろうと思いましたが、比較的楽に登れてしまうので何だか頼りなく思え、ずっと見送ってきた山でした。

 今回は、その「楽さ」が選択の基準。併せて、信仰の山御嶽にぜひとも登りたいという気持がありました。

 2座の法要を終え、車で出発したのは夕方近く。御嶽山近くの宿には何時に到着できるかわからないため、また朝は早く出発するため、素泊まりの予約をしておきました。

 宿が近づいたので、何かを食べてからチェックインしようと思い、せっかく信州に来たわけですから、例えば蕎麦とか、ご当地名産を食べたいと思ったのですが・・・。「道の駅」の飲食店はすでに営業終了。「讃岐うどん」という看板を見つけましたが、「なんでここまで来て讃岐うどんを食べなきゃいけないんだ!」と文句を言っているうちに、宿の近くまで来てしまいました。

 食べずに寝るわけにもいかず、結局、少し足を伸ばして特急の止まる駅の前の飲食店で鯖の味噌煮込み定食を食べました。トホホ。

 宿は、木曽川端に建つ古ぼけた温泉の一軒宿。内湯の窓からは木曽川が眼下に見え、その対岸には19号線を走る車のライトが見えました。男湯と女湯の間にある混浴の露天風呂(といっても庇の中)は薄暗く、なおさら幻想的な雰囲気でした。

 「他の人たち(他に2組)は皆入浴も済まされていますので」とフロントで聞いていたので、内湯も露天もひとりでゆったり・・・でも、混浴に入る時のワクワクが削がれて、ちょっとガッカリかも。

 お湯は少し赤く、いかにも温泉に入っているという気分に浸らしてくれて、実に素晴らしかったです。

 後日知ったことですが、ちょうどこの宿の向かい側に19号線のバイパスが出来るとのこと。温泉の窓から見た景色は数年後にはまったく変わってしまってしまうのでしょう。この宿はどうなって行くのでしょう。
 残念に思えました。

 木曽の地酒を呑んで、早々に床につきました。

〜 風呂場。闇の中の赤い光は19号線を通る車 〜
2005年7月18日(月)  No.698

ホームステイ
 16〜18日まで、マレーシアの高校生スーシャンちゃんがホームステイをしています。

 修学旅行の一環で、愛知万博などを見た後のホームステイでした。ボクもホームステイを受け入れるのは初めて。ドキドキです。

 公用語はマレー語ですが、マレーシアの人々は大なり小なり英会話が出来るそうで、スーシャンちゃんも英語は上手でした。英語教育の水準の高さを感じました。

 こっちは英語なんて端からわかりませんし、最近、英語を話す人と出会ったこともありません。
 英単語すら思いつかず、電子辞書で調べながら、あとはスーシャンちゃんの洞察力任せ。通じているような、いないような・・・。

 マレーシアは、マレー系、中国人系、ポルトガル人系、インド人系などからなる多民族国家だそうで、スーシャンちゃんは中国系。国教はイスラム教ですが、彼女のおばあちゃんは仏教徒なのだそうです。

 食べ物については、「チャレンジしてみます」と何でも食べてみようという姿勢。生魚でも、肉でも、野菜でも、パクパク。本当によく食べてくれました。

 マレーシアも主食はお米ですが、かなりスパイシーな味付けだそうです。それから比べると日本食は頼りないのではないかと、ちょっと心配。そんな中でも、胡麻ドレッシングは気に入ったみたいでした。

 斎箸(取り箸)を使う習慣はないようなので、日本式マナーを教えようと思いましたが、説明しようにもそんな複雑なことを伝える術がありません。まっいいかぁ。

 2泊3日なんて、あっという間でした。

 スーシャンちゃんはとても素朴で、飾らない女の子でした。また、いつか日本に来てくださいね。

〜 花火をするスーシャンちゃん 〜
2005年7月17日(日)  No.701

宵山を堪能
 祇園祭の宵山に行きました。

 宵山に行くのは10年ぶりぐらい。以前は、ボランティアの事務所が烏丸通にあり、宵々山・宵山にはそのビルの1階に出店を出していたので、毎年行っていました。

 路線バスには浴衣を着た人などもチラホラ。4時半頃、四条に着きましたが、かなりの女性が浴衣姿でした。有名な抹茶アイスのお店には、店外に50メートル以上の列。

 車中で、デジカメのメモリカードを忘れてきたことに気が付いて、寺町で買い求め、四条通を通らず、路地を烏丸通に向かいました。

 烏丸通にはズラッと露天が並び、歩道も人であふれようとしていました。室町通、新町通は人だらけ。

 船鉾、岩戸山、鶏鉾などを見て、四条通に出たら、圧倒的な人。

 6時からの歩行者天国も目前ながら、まだ車道は歩けないため、歩道からは人があふれ危険な状態。バスや車は数珠繋ぎ。警察官はなすすべもありません。

 歩道を歩こうにも、なかなか進まず、人いきれで蒸し暑く、倒れるかと思いました。

 我慢しきれなくなって、地下道の入り口を見つけて駆け込みました。地下道はエアコンも効いていて、人も少し多いぐらいで、ストレスなく歩けました。

 地下に潜ったのでは、鉾も山も見えませんが、もうすでに宵山はどうでもよくなっていました。

 店はどこも混んでいるだろうと覚悟していたのですが、沖縄料理店はガラガラ。どうして宵山に沖縄料理かはまったく意味ありません。

 ゴーヤチャンプル、ラフティー、海ブドウ、ソーキそばなどを食べ、オリオンビールと泡盛を呑んだら、宵山の人での中に行きたい気持はゼロ。
 それでも、せっかく来たのだからと、路地から烏丸通をめざしましたが、人の列が動かず、なんとか四条通に出ましたが、長刀鉾ははるか遠く。まぁ、遠目にでも、提灯に火の入ったのを見たので、これでよしとしようと思い、帰宅しました。

 丸太町まで行くと、宵山なんてウソのよう。車はスイスイ、人は普通に歩いておられました。

 久々の宵山、堪能しました。何を?

〜 泡盛で心地よく酔った宵山 〜
2005年7月16日(土)  No.697

バテバテ大文字
 来週、山に登る計画をしているので、その足慣らし?に、久々に大文字山へ。今日は珍しく銀閣寺側から登りました。

 銀閣寺側からの登山道は、大文字に上る道でも一番整備されていて、勾配もゆるやかなハイキングコース。近くのご年輩の方が、健康のために毎日登られるコースです。

 子供の頃は走ってでも登れた道、今日も軽〜く登れるはずでした。ところが・・・。

 息は上がるし、汗は滝のように流れてくるし、もうバテバテ。足が重い、体が重い、息は絶え絶え。ダメだこりゃ。

 何かの訓練のために登っているとみられる若い人は、中腹でボクを追い抜き、頂上まで行って、また降って来ました。あーーー

 やっとの思いで頂上にたどり着き、弘法大師の祠にお参りして、常連の年輩の方々がたむろするその場をあとにして、「大」の一番上をめざしました。

 途中、知り合いの仏師に出会い、立ち話。結構、知人に会うことも多いのです。

 上まで登って、少し涼み、途中で汲んだ谷水を沸かしてコーヒーを入れ、しばし休憩。これも楽しみの一つです。

 眼下の京都市内は少し霞んでいましたが、ここまで晴れるとは思っていなかったので、大満足です。

 「こんなことで山に行けるかなぁ・・・来週は少し楽な山にしておこうかなぁ・・・」とすっかり気弱になりました。

 帰りは、さっき出会った仏師に教えてもらった法然院へのコースを初めて降りました。
 里山作りの整備が進められているようで、木が適宜伐採されたりしていて、明るい道でした。

 運動不足をしみじみ感じた大文字でした。

〜 「大」の左足部分から上を眺むる 〜
2005年7月15日(金)  No.696

消防訓練
 12日から、京都市の文化財火災予防週間?らしく、今日は自衛消防団の小さな消防訓練が実施されました。

 消防車でも来るのかと思っていたら、来たのは大きめのワンBOXカー1台。予防課の男女各1名が指導に来られました。

 まずは、水を詰めた消火器での初期消火訓練。走りながらレバーを操作して、水を出してしまう職員もいました。説明をちゃんと聞いていなさい!

 その後、屋外消火栓を使っての放水訓練。今日は蒸し暑い日でしたので、水を使うのは気持いい!

 女性消防官のノズルの誤操作で、何人かはずぶ濡れ。それもまた気持よさそうでした。

 最近、京都では寺社の火事が増えています。その多くは不審火。もし火災になったらと想像するだけでも恐ろしいことです。

 以前、焼却炉の煙突から飛んだ火が、もみじの木の股にたまった枯れ葉に燃え移って木が燃え、放水して消したことがありました。また、小さな祠が燃え、通行人がバケツの水を掛けてくださったお蔭で、小火ですんだこともありました。

 本当に火災は恐ろしいですが、今日の訓練はそんなことを連想させないようなのんびりしたものでした。

〜 消火器による消化訓練/放水訓練 〜
2005年7月14日(木)  No.695

さくらの雪隠
 最近、さくらが自分のトイレで用を足してくれません。

 何が気に入らないのかわからないのですが、しきりと、もっと小さい時にオシッコをした勝手口の土間で用を足そうとするのです。

 土間に降りていって、前足で砂を掘るような素振りをするので、「あっ、したいんだな!」と気付き、慌ててトイレに連れて行く、そんな繰り返しです。

 こちらが目を離したすきに手遅れになっていることもありますし、トイレに連れて行く途中でお漏らしをすることもあります。

 臭いが付いているからそこに行くのだろうと、ファブリーズをかけたり、クレゾール石けん液を撒いてみたりもしましたが、効果がありません。

 トイレのしつけはうまくいったと思っていたのに、困ったことになりました。

 そこで、今日、土間に人工芝を敷いて、降りにくいようにしてみました。きっと、人工芝の上を歩く感触を嫌がるだろうと思ったからです。

 効果は? 確かに、人工芝の感触を嫌がって、履き物の上を渡るように歩こうとしますが、土間に降りないわけではありません。人を追って行ったり、オモチャが落ちたら取りに行ったり、ごく普通にしています。

 今のところ失敗はしていませんが、時間の問題かも知れません。

 ひとりにしておいたら、部屋中を荒らしまくっていることもありますし、その上、トイレ以外のところで用を足されたら堪ったものではありません。

 さくらは何を考えているのでしょう? トイレに何の不足があるのでしょう? 話し合いができればいいのに・・・。

〜 大好きな荷造りヒモを追いかけて人工芝の上に 〜
2005年7月13日(水)  No.694

高雄山寺
 前を通りかかったご縁で、高雄の神護寺に参詣しました。

 参詣したのは、おそらく初めて。ひょっとしたら、2回目かも? という程度です。

 以前、高山寺に行った時、石水院というところが拝観できただけで、鳥獣人物戯画はもちろん模本、金堂も扉が閉まっていて、少し落胆したことがありました。
 その時は、夕方になってしまって神護寺を拝観することができず、心残りでいました。

 鮎を焼く煙が吹き出してくる茶店の横を通り、雨上がりの濡れた長い石段を、汗を拭き拭き登ると、ようやく仁王門が見えてきました。

 拝観料を納めて門をくぐると、高い山の上とは思えないような砂利を敷き詰めた広い空間が目前に広がりました。しかも、実によく整備されています。

 人の姿はありません。

 五大堂、毘沙門堂の脇を進み、見上げる石段の上に大きな金堂の甍が見えました。
 上がりきったところで、手や口を浄め、中に入ると、受付の僧侶と拝観中のご夫婦の姿が見えました。

 金堂は昭和の作ながら、ご本尊薬師如来は歴然たる平安朝の作風。ずんぐり、堂々として、有り難いお姿でした。

 薄暗い壁面に掲示された暗くて読みづらい説明書きには、「・・・当初『高雄山寺』と呼ばれていましたが、天長元年(824)、河内(大阪府)の神願寺(清麿公創立)の地が、よごれた所でふさわしくないという理由から『高雄山寺』に合併され、『神護国祚真護寺』と称したのが始まりです。これより先、和気一族は、叡山の最澄(伝教大師)や空海(弘法大師)をこの寺に招いて活躍の場としました。その為、時の仏教界に新風を送ることとなり、平安仏教の発祥地となりました。・・・」と書いてありました。

 これを見てボクは、「高雄山寺は神護寺のことだたったのか・・・」と衝撃を受けました。

 今から約1200年前、伝教大師は和気氏の招きによって法会を修し、南都の高僧十名をして天台の法門を講じたのが高雄山寺、つまり今ボクがいる神護寺だったのです。
 また、伝教大師が弘法大師から密教の伝法を授かったのもこの寺でした。

 高雄山寺は天台宗の歴史の中に、よく登場する寺です。恥ずかしながら、以前、高山寺を訪れた時に、「ここが高雄山寺なのかなぁ」と思っていました。「高雄山寺」から1字抜いたら「高山寺」ですから・・・。あまりにも馬鹿でした・・・。

 1200年前、伝教大師も弘法大師も、この寺におられた・・・そう考えるだけで鳥肌の立つ思いでした。

 受付をしている僧侶が、携帯電話でメールをしているのを見て、その思いは少し減じた気がしましたが、思いがけなく、有り難い参詣が出来たことに感激しました。

 神護寺、素晴らしいお寺でした。

〜 毘沙門堂(元金堂)・五大堂、石段の上の金堂 〜
2005年7月12日(火)  No.693

早川一光先生
 今日は、いつも会議で坂本に行っている天台宗の「一隅を照らす運動」主催の公開講座。

 講師は、50年以上も、京都の西陣で在宅医療を進めてこられ、その姿がNHKのドラマになったこともある早川一光先生。

 ボクは、早川先生には、もうかれこれ20年来お世話になっていて、ご自宅に迎えに行った時の開口一番は「な〜んも変わってへんなぁ〜」。奥さんは、「七段花を見るとあなたにいただいたことを思い出すのよ」。

 先生とも奥さんともお目にかかるのは久しぶりでしたが、お二人こそ、何も変わっておられませんでした。

 そんなお二人を乗せ、今日は天台宗の黒塗りの公用車で坂本へ。車中は、なつかしい人の名前が出て来たり、医療と宗教について話し合ったり。

 今日は雨が降ったりやんだり。参加者の出足が気になるところでしたが、会場に着いた時、スタッフが「ロープを外して、後ろの席も入れるようにしましょう」と言っていたのが聞こえ、かなりの人が来られている様子に一安心。

 先生は観客席の後ろをウロウロ。何をされるのだろうと思っていたら、「『ぼけない音頭』で入るから。テープを渡してあるから」と言われ、そんな話を聞いていなかったので大あわて。ミキサー担当がちゃんとテープを預かっていて、司会者の紹介と共にテープスタート!

 客席の後ろから、音頭に併せて観客ひとり一人に握手をしながら登場し、演壇へ。観客からは音頭にあわせた手拍子が自然と起こっていました。

 「さすがやなぁ・・・ 演出、考えてはるわぁー」と先ずは感心。

 その後は、ずーっと笑いの渦。

 「寝てたらあかんぞ」と言って、ドーンと大きな足音をたてたり、観客のバッグを放ってみたり、客席の中に入っていっていきなり肩を叩いてみたり、「わかったら返事せい!」と怒鳴ったり、『ふるさと』や『影を慕いて』を皆に歌わせて指揮をしてみたり、とにかく退屈させないばかりか、笑って涙を流している人や、椅子から落ちている人もおられるほど。

 その合間に、いかに生きるか、いかに病気と付き合うかというようなエッセンスが挟み込んでいかれます。

 「真如堂の竹内さんが蕎麦を食べさせてくれるというから、安い謝礼で来たんや」とか、「坊さんが黒い車に乗って迎えに来た。霊柩車かと思った」とか、ボクのこともすっかりギャグに使われてしまいました。

 このパフォーマンスとお話にはいつも感服します。駄洒落もボクより多少上手かな? とても81才とは思えない、バイタリティーあふれる講演でした。

 終わってからも、著書へのサインはもちろん、座り込んで医療相談のようなことをされたりと、長い間西陣を往診して回られた時の精神が今も先生を動かしている、決して口だけや理念だけに終わらないというお姿を拝見し、ますます先生への尊敬の気持が重なりました。

 お送りする車中、さすがに先生はお疲れになった様子。

 「今日の晩ご飯、何にする?」と奥さんに切り出し、「あなた、こんなところでそんなこと言わなくても」とたしなめられる場面も。ボクが、「先生、お迎えの時にお漬け物をお届けしましたので」と申し上げると、「あー、ほんなら、お茶漬けにしよか」と。

 実に楽しく、愉快で、ご来場の皆さん方にも“笑顔”のお土産をくださった“わらじ医者”早川先生の講演でした。

 無事に、盛会裡に終わって、ホッとひと息です。参加者は500人ほどでした。

〜 講演前、カーテンと同化して潜む早川先生 〜
2005年7月11日(月)  No.692

ところてん
 夜遅くになって、どうもお腹が空いてきてしまいました。

 冷蔵庫を開けて、何かカロリーが少なくてお腹が膨れるものはないかなぁと見回したところ、「そうだ! ところてんだぁ!」と思い出しました。

 先日、お檀家の方が寒天とところてんでダイエットをされているという話を聞いて、ところてんを買ってきたのでした。

 食前に食べればいいと聞いていたのですが、食事を始めてから「あっ、ところてん・・・」と思い出すばかりで、まだ1回も食べていませんでした。

 いよいよ出番がやってきましたよ、ところてん君!

 容器から出して一洗いしたところてんは、キラキラして綺麗でした。

 酢醤油の他に辛子とゴマ・青のりの小袋が付いていましたが、とりあえず酢醤油だけをかけて口へ・・・ 「ウッ」と、思わず酢醤油にむせ込むところでした。

 これはちょっと・・・美味しくない・・・やはり、ところてんは、甘い黒蜜でないと・・・。

 仕方なく全部食べきりましたが、この味ではこれからも食べようという気になれません。あと3つ同じ物が買ってあるのですが、どうしましょう。

 かといって、黒蜜のところてんではダイエット効果なし?


 寒天にトマトを細かく刻んだものとトマトジュースを入れて固めたもので、「体重が、毎日、0.2キロぐらいずつ減りますよ」とも聞いています。

 それは端から食べる気がしません。


 意志薄弱なボクには、ダイエットは無理かも・・・。暑い時のビールは美味しいので、秋になったら始めようかなぁ・・・。
2005年7月10日(日)  No.690

ほうば巻
 雨は夜からという予報でしたのに、9時頃から降り出しました。

 合羽を持ってバイクで出かける準備をしていたのを車に替えて、街中へ。明日から鉾建てが始まると、通れない道も出てきます。今日でヨカッタ。

 帰って、法要2座。仏間での法要を終えて墓地に行くたびにずぶ濡れ。お参りになった方もボトボト。

 「あっ、お水を忘れました・・・まぁ、いいですね、雨で・・・」 確かに、杓で注ぐかのようにたっぷりの雨でした。

 足袋は3回履き替えました。


 木曽の「ほうば巻」を頂戴しました。

 1ヶ月遅れの6月に行われる端午の節句にをちまきや柏餅の代わりに使われるらしく、5月下旬から7月下旬の2ケ月間だけ出回る期間限定品。

 取れたての青い朴葉にあん入り餅を包んで蒸したもので、朴の香りが何ともいえません。

 「あたためたら美味しいです。でも、電子レンジでやるとカスカスになりますから、蒸し器であたためてください」と念を押されていたのに、一つだけラップに包んで「チン!」。

 おっしゃった通り、あんこがカスカスになり、餅は破裂してしまいました。

 それでも美味しかったですよ・・・負け惜しみ?

〜 山のある町内のパーキング/ほうば巻き 〜
2005年7月9日(土)  No.689

今日も更新難航
 「今日の散歩道」に、ヴィバルディを聞きながらズボンを脱いでまで身支度をする方のことを書きましたが、しばらく本堂の前などに座って、境内を往来する人を見ていると、皆さんそれぞれに生きておられるのだなぁという思いになります。

 拝観に来られてそのまますぐに帰られるだけではなく、じっと本堂の階段に座っておられたり、境内のベンチに座っておられたり・・・何を思っておられるのでしょう。

 参詣・墓参はもちろん、毎日の散歩、子供の散歩、犬の散歩、歩こう会、史跡の観察会、幼稚園の外出、デイケア、撮影会、写生会、毎朝パンを買ってきてベンチで食べる人、ジョギングで走り抜ける人、賽銭泥棒、もみじの枝を盗りに来る人・・・・・実にいろいろな人が行き交う境内です。

 犬、猫、イタチ?、鳥なども行き来しています。

 確かに、いろいろな人が自由に往来できるということは、セキュリティー上も、管理上も、問題がないとは言えません。

 でも、門に鉄格子をつけて、視覚的にも来る人を拒むようなお寺は、ちょっともの悲しいですね。


 今日の更新も、変化の乏しい境内の写真を撮るのに、本当に苦労しました。

 そんな時、アクセントを付けてくれたり、季節を語ってくれるのは、人や動物の姿です。

 自然の姿、人の姿などを通じて、今のお寺や境内の様子をお伝えしたいなぁと思っていますが、なかなかうまくいきません。

 今日も時間がかかりました。


 職員からご飯を貰えなくなったミーコですが、散歩の方からしかっり餌を貰って、元気にしています。痩せもしていません。

 今日も出会いましたが、姿、鳴き方ともに、さくらとそっくりでした。あーー

〜 目の前を走り抜けたイタチ? 〜

2005年7月8日(金)  No.688

会議は踊る、されど進まず
 朝一番に醍醐寺の近くまでお参りに行っ後、大津・坂本で会議。終わったのは5時半頃。急いで次の会議のある京都・太秦へ向かいました。

 途中、コンビニで何か食べる物を買おうかと思いましたが、10分ぐらいは時間が取れそうなので、ラーメン屋さんへ急行! 最近、こういうパターンが増えています。


 ボクはラーメン通ではありませんが、今日食べたラーメンを評するとしたら、「スキッとした鶏ガラ醤油味に、背脂でコクを出したスープ。細いストレート麺はもっちり感があり、チャーシューは薄っぺらいものがたっぷり」という感じでしょうか。

 この店は、麺の固さ、ネギの量、スープの濃さ、背脂の多少などを、注文の時に選べます。最近、こういう店が増えているような気がします。

 ボクが「普通で」と言うと、お店の人は厨房に「ラーメン ノーマル」と伝えていました。確かに「ノーマル」ですが、他のはアブノーマル?


 ラーメンの匂いが体から漂っていることを気にしながら、次の会議へ。無理して来た割には出席者が少なくてガッカリでした。


 京都の市内は次第に祇園祭の雰囲気が高まってきていました。祇園祭とは関係のない場所でも、祇園囃子が流れ、菓子屋の店先では浴衣の女性が呼び込みをしていました。

 今日は夕立がありました。祇園祭の頃には、夕立やにわか雨の降る日が増えます。お天気も祇園祭っぽくなってきたのでしょうか。

〜 三条木屋町あたり 〜
2005年7月7日(木)  No.687

黒いトイプードル
 知人宅に、ホームページ作成のアドバイスをするために伺いました。

 玄関を開けて入ろうとしたら、「ちょっと待ってぇ〜」。犬が飛び出すので、押さえ込むまで待ってということでした。

 部屋に入ったら、黒い犬が飛びついてきました。

 クリクリした毛の、ゆるいアフロのパーマをかけたような毛並みで、胸のところが月の輪熊のように白く、足先も白でした。

 トイプードルという種類とか。初めて聞きました。

 生まれて1年というその犬は、ヤンチャ盛りらしく、僧衣を引っ張ったり舐めたり、手に噛みついてきたり・・・まるでさくら状態。

 パソコンのディスプレーのケーブルを噛んでダメにされたり、今までに幾多の艱難辛苦もあったそうでした。

 でも、お座りとか伏せとかをちゃんとするし、怒ればわかる様子。このあたりがさくらとは大違い。

 もともと犬派のボクとしては、「やっぱり犬も可愛いなぁ」と思いました。


 自坊に帰って、勝手口のドアを開けようとしたら、さくらの顔がドアの隙間から見えました。最近、戸やドアの開くのを待ちかまえていて、隙あらば脱走しようとするのです。

 さくらが逃げ出さないように家に入ると、さくらがしきりにボクの臭いを嗅ぎました。
 「犬と遊んでいたのがバレている・・・」。今度はさくらにまとわりつかれ、飛びかかられ、噛みつかれました。

 やっぱり、犬猫には絶大な人気があります。


 自転車の荷台に、七夕に使うと思われる笹をくくりつけて走っているご婦人が印象的な日でした。

〜 トイプードル(ネットで拾った写真) 〜
2005年7月6日(水)  No.686

純朝さん
 夕方から降り出した雨の中、大阪・吹田での通夜に参列しに行きました。

 亡くなったのは「純朝さん」。「純」は吉祥院の先代竹内純孝から、「朝」は西村公朝師からそれぞれ一字ずつ引き継いだものです。

 西村公朝さんの実弟で、吉祥院先代の弟子になられた純朝さんでしたが、もともと僧侶になるつもりはなく、若い頃、うちにお経を習いに来られている時も、あまり乗り気ではない様子だったとか。

 当然ながら、純朝さんは僧侶の道を歩まず、官吏として勤めきった後、第2の職場で手腕を発揮されていました。

 ボクとは「純」繋がり。寺の世界では「血」より「法脈」を重視します。純朝さんは、師弟関係からいうと叔父にあたりました。

 ボクの肉親であり師弟関係上も叔父であった「行純」師が亡くなった後、純朝さんはボク以外でただ一人「純」を名乗っている人でした。

 これで「純」の法脈は、ボクひとりになってしまいました。

 純朝さん、いずれボクも参ります。霊山の法座で共に聴聞いたしましょう。


 今日の帰り道も、ライトアップされた東寺の塔が綺麗でした。
2005年7月5日(火)  No.685

荒れるさくら
 引き戸を自由に開けて出入りするさくらを阻止するために、戸に金具を取り付けました。

 人は戸を自由に開け閉めして出入りできるけれど、さくらは出来ないような金具というのがポイント。

 ホームセンターでいろいろ見ながら考えた結果、ローラーキャッチを選びました。家具などの扉が自然に開いたりしないように、カチッと止めておくための金具で、本来は引き戸に使う物ではありません。

 帰って、さっそく取り付け。

 さくらは、ボクの足下にきちんと座って、興味深げに見ていました。イッシッシ、これで出られなくなるのも知らないで・・・。

 取り付けはものの3分。さて、効果はいかに!?

 大成功! いままでさくらの小さい片手でも軽く開いていた戸は、ボクでも少し抵抗があるぐらい。さくらが何度やってみても開きません。

 さくらは、うらめしそうに鳴きましたが、ここは心を鬼にして・・・。

 さて、それからが大変でした。

 しばらくはうなだれていたさくらでしたが、一気に反転して凶暴に! 歩いていると、後ろからアキレス腱のあたりに噛みついてくるわ、撫でようとすると手に噛みつくわ。部屋中を走り回って当たり散らすわ・・・。もうメチャクチャ。

 あまりに暴れ回って疲れたのか、しばらくすると眠り、起きてからはもう戸のことは忘れたのか、開けようともしなくなりました。

 立ち直りが早いというのか・・・。

 さくらが1日1日出来ることが増えるのと、こちらがそれを阻止する手だてを打つののせめぎ合いが、当分続きそうです。

〜 戸の前で諦めて座るさくら 〜
2005年7月4日(月)  No.684

お盆準備
 雨がよく降ります。降るとなったら、とことん降る感じです。

 7月になったので、そろそろ来月のお盆の準備に取りかからなければなりません。

 経木塔婆書き、寺報作り、棚経の日程のお知らせなど、だんだん気ぜわしくなってくるのですが、とにかく何かに手を付けないと落ち着きません。

 ということで、今日から経木塔婆書きを始めました。

 経木は住職と手分けして、それぞれ数百枚ずつを書きますが、とにかく、時間があれば書くようにしないと進みません。

 7月は、そんなこんなで、毎年あっという間に過ぎてしまいます。


 ズッキーニが葉ばかり大きく茂って、花は咲けども、実がならなず、なっても腐ってくると思っていたら、人工受粉が必要とのこと。

 蜂が受粉してくれるものの完全ではないので、雄花をとって雌しべに人工受粉するのだそうです。

 ズッキーニに雄花・雌花があることすら知りませんでした。

 今からではもう遅いかもと思うと、心がずっきーに・・・。

 やたら大きい茎や葉を食べる方法はないものでしょうか?

〜 ズッキーニ、モロヘイヤ、トマトが入り乱れる畑 〜
2005年7月3日(日)  No.683

喫茶去
 今日の「メダカの学校」の講師は、祇園辻利の会長 三好通弘さん。演題は「喫茶去」。「どうぞ、お茶を召し上がれ」というような意味です。

 講師がお越しになる前に、まず社員の方がお二人お見えになり、番茶・煎茶・・雁が音・川柳・芽茶・玉露・碾茶・抹茶・団茶などのお茶の葉の展示、建仁寺元管長の益州老師筆の「喫茶去」の額などをディスプレイ、テレビデオのセッティングなどをしてくださりました。

 予想をはるかに超えた大がかりな準備に、こちらもビックリ。

 そのうち、どこかの老師のような格好をされた方とスーツ姿の長身の方がお越しになりました。祇園辻利の会長さんと社長さんでした。

 聞けば、会長ご自身は永源寺管長から得度を受けられ、剃髪されたとか。茶の道から禅へと歩まれたのでしょう。

 一部ビデオを交えてのお話も、お茶の話より栄西禅師が中心? 会長さんが栄西禅師を尊崇し、お茶を愛しておられるのがよくわかりました。

 終了後、参加されたみなさんそれぞれに抹茶カステラと新茶のセットをお土産としていただいた上に、謝礼はご辞退になるし・・・申し訳ないやら、どうしたらいいやら。

 祇園辻利さんも、最近は2階の喫茶に抹茶パフェを食べる人の行列が出来たり、抹茶カステラなどが知られたりしていますが、今日の会長さんのお話はもちろん、社長さんをはじめ社員の方々の一挙手一投足にも、お茶にかける情熱を感じました(お土産をもらったからではないですよ)。

 これからはお茶を見る目が少し変わりそうです。

 本当にありがとうございました。

〜 抹茶カステラ 〜
2005年7月2日(土)  No.682

ホームページ更新難航
 朝から雨が降ったり止んだり。

 ホームページの更新の写真を撮るにも、雨に濡れないように気をつかい、暗くて早いシャッターが切れず、じっとしていると蚊に食われるという始末。

 めぼしい被写体もなかなかなく、どうも盛り上がりに欠けます。


 急な連絡が入り、夕方から西宮(神戸の手前)までお参りに出かけました。

 名神高速は雨が強く降って視界も悪く、タイヤで磨り減ったアスファルトに水がたまってハンドルを取られ気味。ちょっと怖かったです。

 行きは約束の時間があるので、遅れてはいけないという気持で焦りましたが、帰りは悠々。ライトアップされた東寺の五重塔が綺麗でした。


 帰ってから、ホームページの更新の続きにかかり、何とか出来たのは1時半頃。
 満足できる出来ではありませんが、こういう日もありますね。


 一昨日頃から、部屋に閉じ込めておいたさくらが、突然横にいたりして、ビックリすることが度々ありました。

 閉じ込めておいた部屋は引き戸なのですが、軽い力で開きます。さくらは開け方をすっかりマスターしたようです。

 猫は学習しないとか言われることがあります。

 叱った尻からまた同じことをするさくらを見ると、「やっぱり学習しないんだ・・・」と思いますが、こういうことはすぐに憶えます。

 鍵を付けたりしてさくらを制限すると、こちらの行動も制限されかねませんし・・・。

 何か気配すると、「さくらが来たのでは・・・」と思ってしまう最近です。

〜 現行犯! 戸を開けるさくら 〜
2005年7月1日(金)  No.681

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