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2005年6月の日記

お茶ブーム?
 半年が過ぎました。振り返ると、アッという間でした。


 出入りの茶舗の方と話していて、ビックリすることがありました。

 東京のマンションでは、お茶を入れるのに、ティーバックなど以外を規制しているところがあるというのです。茶殻が配水管を詰まらせるから?

 ホテルなども今まではティーバックが置いてありましたが、粉末のお茶に移行しつつあるらしいのです。

 これはゴミ減量や濡れたティーバックを処理する手間を省きたいからでしょうか?

 ここ数年来、ペットボトルのお茶は次々と新しい商品が出て、緑茶のブームなのかと思うほどですが、実は急須やお茶の葉もない家も珍しくなく、ペットボトルの緑茶風飲料のブームというほうが正しいのかも知れません。

 ペットボトルのお茶は、あくまでもペットボトルのお茶。湯加減などをみながら急須で入れたお茶とは、領域を異にするものだと思いますが・・・・ それでも、お茶が浸透すればいいとするのか、いかがなものでしょう。

 「コーヒーなどは早くからインスタントがありますが、緑茶はそういう点では出遅れています」とも言っておられましたが、豆から入れるコーヒーとインスタントコーヒーは、ボクの中では別物です。

 たとえ、インスタント緑茶のおいしい物が出来ても、それはそれ。ペットボトルもまた別物。なんだか空洞化していくような感じがして、茶葉から入れるお茶をもっとPRして欲しいと思いました。

 生ゴミ処理機がもっと普及したら、茶殻の処理にも困らなくなるのでしょうか?

〜 夏越しの大祓・茅の輪くぐり 〜
2005年6月30日(木)  No.680

近江路
 草津の水性植物公園で睡蓮が見頃を迎えているというので、行ってみました。

 京都から行けば琵琶湖の対岸、琵琶湖大橋を越えて少し南へ走った烏丸半島にそれはありました。

 園内には、色とりどりの睡蓮と咲き初めの蓮がたくさん咲いていました。

 晴れていたらなぁ・・・ 今日に限ってあいにくの雨。時々、空と大地の間に稲妻がくっきりと見えます。
 ちょっと小振りになったら外へ出て、降ったら入るを繰り返しました。

 建物内の温室では、熱帯系の睡蓮も咲いていました。
 温室では、初めてインドの沙羅の木の実を見ることもできました。ちょうど、お正月の羽根つきに使う羽根の玉を反対側に付けたような形でした。

 後から調べてみたら、仏教の3大聖樹、沙羅、無憂樹、菩提樹の“本物”もあったとか・・・残念。

 映像ホールで上映されていた蓮についてのビデオも、蓮の理解に大変役立ちました。

 残念だったのは、琵琶湖に入り江一面に咲く蓮の群落がまだほとんど咲いていなかったこと。
 湖面の蓮は、最初の花が咲き始めてからまだ5日目とか。見頃は7月中旬から8月上旬なのだそうです。
 これはぜひとももう一度見たい! きっと壮大な光景でしょう。


 少し離れた西国の札所 長命寺にも初めて参拝。

 808段あるという長い石段はパスして、8合目まで車で登りましたが、残りの石段だけでも息が上がりました。でも、本当は下から歩かないと・・・。

 山寺のような雰囲気を残しながらも、さほど広くない境内には本堂・護摩堂・三重塔・三仏堂・鐘楼などが立ち並び、重厚な趣きです。

 少し晴れ間も出てきて、琵琶湖を見下ろす絶景も見ることができました。

 近江の古刹のこの雰囲気。“枯淡”とでもいえばいいのでしょうか。京都の街中の寺とは全然違う味わいです。
 お寺巡りもいいなぁと思えました。三十三ヶ所の巡礼もいいでしょうね。


 今まで雨乞いをしたいほどの天気だったのに、たまにボクが出かけるとなると、この雷雨。

 でも、雨のお陰で、植物公園の花も長命寺の紫陽花も生き生きしていました。


〜 蓮のうてなに抱かれた花びら/長命寺から望んだ琵琶湖 〜
2005年6月29日(水)  No.679

待望の雨
 夕方から雨。雷をともなって、時折強く降りました。

 なんてうれしい雨でしょう! 待ちかねていた雨です。

 あれだけふれば、地面にまでしみこんで、根まで潤してくれるでしょう。これで草木たちも息をつけます。

 雨が降って涼しく寝るかなぁと思っていたら、全然ダメ。生ぬるい空気が体にまとわりついてくるような感じで、窓を開けても涼しい風など入ってきません。

 寝る時もじっとしていても汗が滲んでくるほどで、扇風機はジトっとした重い空気をかき混ぜるだけ。

 しかも、今夜からさくらを自由に寝させてあげようとケースに入れずにボクの寝ている部屋に連れてきたら、だんだんと張り切りだして部屋中を走り回ったり、遊ぼうと手足に噛みついてきたりして、さっぱり眠れません。

 しかたなしに、あまり好きではないエアコンを付け、さくらがいつも昼間を過ごす部屋に閉じ込め、ようやく寝付けました。

 昨日の夜書いていた原稿が保存されずに消えていたり、今日は踏んだり蹴ったりでした。


 自坊の庭にも蓮が咲き出しました。蓮の花を見ると、気持が清らかになっていく気がします。

〜 蓮とその背景の栴檀葉の菩提樹 〜
2005年6月28日(火)  No.678

またNTT
 またもやNTTでトラブリました。

 昨日、NTT西日本の担当者から、近々開通する光ファイバーを使った電話についての確認の電話があり、光電話用の電話機としてホームテレホンは使えないということを初めて聞かされました。

 まったくの寝耳に水で、そんな説明を受けたこともないし、ホームページ上に書かれてもいないので承伏できないと、昨日は電話を終えました。

 今日は上司と思われる人から電話があり、「ホームページにホームテレホンが使えないことについて何も書いてないことを自分も確認し驚いています。至急改善します」と。
 「申込みの時にオペレーターが、ホームテレホンのことを確認しませんでしたか?」と聞かれましたが、「確認はありません。出来ないとがわかっているなら申し込みません」と説明し、「それはそうですね」と納得してもらいました。

 この光ファイバーを使った電話を導入するために、春からいろいろな準備をしました。
 自宅サーバーを廃止してレンタルに移行、ライブカメラの変更、電話回線2本のISDN化とアナログ化、FAX番号の変更・・・。その上、Bフレッツから光プレミアムに切り換える時のNTTのミス。

 どれだけ時間とお金を使ったでしょう。

 NTTの光ファイバーに関するトラブルは、これで3回目。そのお粗末さには、あきれてしまいます。

 NTTがこの間にかかった費用を弁償し、光プレミアムの使用料を3ヶ月無料にするということになりました。

 でも、できることならもうこの会社には関わりたくない、電話回線も光ファイバーもすべて他の会社に替えたいというのが正直なところです。

 熱帯夜と夜明けと共に起きるようになったさくらとのダブルパンチで寝不足の中、初めカリカリ、中あきらめ、後ガックリの騒動でした。

〜 紫雲石さんの蓮 〜
2005年6月27日(月)  No.677

麗人からいただいたおやつ
 今日お越しにになった方から、「これ、さくらちゃんへのお土産です」と、リボンのついた綺麗な袋を頂戴しました。

 最近はすっかりさくらに人気が集まってしまい、皆さん「さくらちゃん、さくらちゃん」。可愛いばかりではなく、なかなかのワルなのを皆さんご存じない。

 いただいたお土産は、さくらにあげる前にボクがチェック。なになに、さくらのおやつとな。「焼かつおしらす味」「焼かつおかつお節味」「焼かつおほたて味」「焼きささみほたてたらば味」「焼きささみほたて貝柱味」。

 美味しそうなものばかり。お毒味をとも思いましたが、客人の手前、さくらが美味しそうに食べる姿を見ていただくことにしました。

 「焼きささみほたてたらば味」を湯煎してほぐし、これまた先日頂戴したネコまんま皿に入れて、さくらの前に差し出しました。

 さぞやパクパク食べるだろうと思っていたのですが、クンクン匂いを嗅いだだけで、砂をかけるような仕草を何回かして、そこから離れてしまいました。それでも、やはり気になるようで、また戻ってきてはクンクン嗅いでは砂をかける仕草。

 お持ちくださった方は、「さくらちゃん、食べてくれない・・・砂をかけて隠そうとしている」とショックを受けてしまわれました。

 何とか食べてもらわないと義理が悪いと、鮪の削り節を振り掛けてみましたが同じ仕草の繰り返し。

 「あー、いま、さくらは食欲がないのですよ。ドライフードも残していましたし・・・」と、ボクはその場を取り繕うのに必至。

 結局、その場では食べてくれませんでした。スミマセン。

 後でお毒味をしてみましたが、ごくあっさりした味付けでした。それにしても上等のささみを使っています。

 お客人の飼っておられるアメリカンショートヘアーはコンニャクゼリーを食べると聞いたので、後でさくらにも小さな欠片をやってみました。

 最初はペロペロ舐めるだけでしたが、そのうち喜んで食べ、ゼリーの容器の1/3程度を食べてしまいました。

 さすがは女の子。デザート系が大好きなのかな。それにしても、さくらのいただいたおやつ、おいしそうだなぁー。

 今日もさくらネタでした。。。

〜 大好きな袋で遊ぶさくら(麗人撮影)/いただいたおやつ 〜
2005年6月26日(日)  No.676

初めての鵜飼
 宇治川で、初めて鵜飼を見ました。

 まだ明るい6時半頃、屋形船に乗り込み、いざ鵜飼をする早瀬へ、と思いきや、船は本流と隔たった船着き場の延長のような溜まりを、わずかな流れにまかせてフラフラ。

 まさか、ここで!? まさかでした。

 川岸と中洲の間の幅20メートルほどの船だまりの延長のような水路は、両側からよく見え、数十人の人が鵜飼が始まるのをいまか今かと待っておられました。

 「これだったら岸から見ていたって同じじゃないの」の声を、「いや、船からだと間近に見えますから・・・ぜんぜん違いますよ」と打ち消すのに、船頭さんは躍起。
 さて、1800円が高いか安いか・・・。

 少し暗くなってきた7時過ぎ、31才だと乗客の話をこぼれから知った女性の鵜匠が、かがり火を焚いた船から、鵜飼のデモンストレーションと鵜についての説明を行いました。

 今日、出演する鵜匠はこの一人だけらしく、今年最高の船数だという7〜8艘を相手にショーをするには、さみしい限りです。

 向こうのほうでの説明も終わったのかなぁと思っていたら、そのまま本番に移りました。

 水路の真ん中に一列に繋がった7〜8艘の船の左右を、かがり火を焚いた鵜匠の船が6〜7羽の鵜を操って鵜飼を見せながら、2周ほどしました。

 その間、30〜40分ほどですが、自分の船の前にいるのはわずかな時間。写真を撮るのに夢中になっている、鵜飼が見られません。

 写真を撮るといっても、かがり火がだけがアングルの参考になるだけで、ファインダーを覗いていても、鵜も鵜匠も見えません。ストロボのチャージは遅く、いいタイミングを逸してしまいます。

 それでもなんとか写真を撮って、鵜飼も見て、最後は鵜に我々の乗る船のすぐ脇を泳がせて、「どうどおさわりください」のサービス。
 一瞬触れた鵜の背中は固くて、いかにも水をはじきそうでした。

 鵜飼が始まる前の待ち時間から終わるまでの1時間半の時間の流れは船だまりの水に似て実にゆるやかで、日が落ちてからは川面を渡る風も次第に涼しく吹き、初めての鵜飼は現実を遊離した体験でした。

 確かに、船中から見る鵜飼は、川岸から見るのとはひと味違ったかも知れません。

〜 昔ながらの黒い衣裳に腰みの・風折烏帽子姿の鵜匠 〜

2005年6月25日(土)  No.675

ミーコの行く末
 写真を撮っていると、ミーコが鳴きながら職員さんの後を追ってきました。

 今まで、お腹を空かせたミーコを見かねて、餌をあげていた職員さんたちも、事情があって今日からそれができなくなったのだとか。

 そんなことを知らないミーコは、いつものように餌が貰えるものと思って、後をついて回っているのでしょう。

 これからどうやってミーコは生きていくのでしょう。他にも、早朝や暗くなってから犬猫に餌をやりに来る人がいますから、それで生き延びていくのでしょうか?

 雀や鳩を狩ったりしていますが、狩りの本能は満たせても、食欲を満たすほどではありません。
 自坊の金魚も、網が張ってあるので、もう食べることはできません。

 今まで散々ひどい目に遭わされたボクが、ミーコの心配をする筋ではありませんが、さくらの親だと思うと、これからの生き方を案じる気持も起きてきます。

 今も毎日のように自坊の庭や土塀の上を無断で通っているミーコ。さくらと顔をあわす日もやてくるでしょう。

 猫は小さい時に離れた親兄弟を肉親だと覚ることはないらしいですが、こちらの気が騒ぎます。

 目つきの悪いミーコを可愛いとは思いませんが、「さくらの親」という思いで、しばらく様子を伺ってみようと思います。

〜 後追いをするミーコ 〜
2005年6月24日(金)  No.674

ポストの写真
 最近、ひょんな人から、「さくら、どうしてますか?」などと聞かれることがあります。

 「どうしてこの方がさくらのことをご存じなんだろう・・・さくらのことをお話したかなぁ・・・」と、とうとう認知症が来たかというような錯覚を受けます。

 よく考えてみれば、いやよく考えなくても、ボクがここにさくらのことを書いているのをご覧いただいているようなのですが、それにしても、声をかけてくださるのが「どうしてこの方が?」と思うような方ばかりなのです。

 「閑話」はボクのごく私的なつぶやきで、実に馬鹿なことを書いていますので、「見ましたよ」などと言われると、どんな顔をしていいのか、お礼を言うべきなのか、わからなくなってしまいます。


 午後と夜と別々の会議を終えて帰ると、ポストに写真を挟んだ封筒が入っていたと聞かされました。

 封筒には名前も何も書いてありませんが、写真に写っていたのは手のひらにスッポリ入るほど小さいさくらでした。

 これは自坊で撮った写真ではないし・・・こんな小さい時にさくらの写真が撮れる人は・・・獣医さんしかいないはず。獣医さんの奥さんがくださったのですね。

 「ダメかも知れません」と言いながら預かってくださり、スポイドで1滴のミルクを口に落とし、それがジワジワと口の中にしみこんでいくのを待って、また1滴。
 写真は、そんな状態で緊急入院した翌日か、翌々日に撮られたものでしょう。

 そんな頃を思い出し、「さくら、大きくなったねぇ・・・助けてもらったねぇ」と思うと、目頭が熱くなります。

 今はとにかくお転婆。腰を低くして近づいてきては、いきなり飛びかかってきたり、オシッコがしたいくせに「したくない!」と意地を張って怒ったり、今まで走り回っていたかと思ったら、いきなり眠っていたり・・・時々真剣に腹が立ちますし、早く寝て欲しいと思ったりしますが、寝ているとついつい起こしたくなります。

 猫は嫌いだったのになぁ・・・。

 庭の池の金魚を100匹近く食べたり、砂利にウンチをしたりするミーコの子であろうことはどうしても認めがたいものの・・・かわいいですね。 

〜 ポストに入っていた写真/お気に入りの袋と遊ぶさくら 〜
2005年6月23日(木)  No.673

赤山禅院
 宗派関係の仕事で、修学院にある赤山禅院にお参りしました。

 赤山明神は天台宗の鎮守神の一つで、御所の東北、表鬼門に位置するため、古来より方除けの信仰も厚いお寺。秋には紅葉が美しいことでも知られています。


 赤山明神とは泰山府君のことです。

 泰山は中国・山東省泰安県にあって、古来より天神が降り、死者の霊魂が寄り集う冥府がある霊山とされていました。この山にあって、人間の生死をつかさどり、死者の生前の行為の善悪を裁く神として信仰されたのが泰山府君です。

 どこかで聞いたような話? 中国では太一神(北極星を神格化したもの)、日本では素戔嗚尊、三輪明神、牛頭天王、福禄寿、閻魔大王といった神々と同一の神です。

 安倍晴明は、泰山府君を陰陽道の最高神霊で宇宙の生成、森羅万象を司る神として位置づけました。

 慈覚大師円仁は、入唐した折、赤山法華院に一時身を置き、帰朝後に赤山禅院の建立を思い立ったものの果たせず、弟子の安慧が円仁の遺言に基づいて赤山明神(泰山府君)を勧請して赤山禅院を建立して、天台宗の守護神としました。


 毎日の読経中で必ずといっていいほど出てくる、「圓宗(天台宗)守護 日吉大権現 赤山明神」。
 天台宗にとっては赤山は非常に重要な寺であり、自坊から車で20分もかからないところにあるのに、今まで参詣したことがありませんでした。

 二条城も龍安寺も行ったことはありませんが、それとはわけが違います。情けない・・・。

 考えてみれば、まったく神仏習合なのですが、むしろ神仏を無理矢理分けたのは明治の神仏分離。もともと日本の仏教は、中国や日本の神々、習俗を取り込んで成立しています。無理に分けたがゆえに理解しにくくなっていることがずいぶんあるでしょう。


 山門を入ってからのアプローチが長い割には狭い境内に、拝殿、本殿、地蔵堂、弁天堂、庫裡や受付などが肩を寄せ合うように建っていました。

 曇天も手伝って暗い境内。手ブレしないようにシャッターを切るのに神経を集中し、今日の目的である写真撮影は終わりましたが・・・。

 ボクはあの大切なお寺に初めて行って、何を拝んできたのでしょう・・・これでは徒然草の「仁和寺の法師」並み。

 もう一度行かなければいけません。

 今日の閑話、説明が長いわりに、内容がないよう。

〜 拝殿の「皇城表鬼門」の文字 〜
2005年6月22日(水)  No.672

雨の匂い
 夜になって、久しぶりの雨。

 雨が降り始めた石畳の匂いが好きです。

 焼けていた石が雨で冷やされていく匂いなのか、石の粒子の間に雨の粒子が入り込んで、閉じ込められていた匂いの粒子が追い出されるのか・・・。

 久しぶりの雨なので、余計にうれしいこの匂い。夜の間に、たくさん降ってください!


 今日、檀家のお家で1枚の写真を拝見しました。亡くなった神父さんのご遺体の写真でした。

 そのご家族はもともとはクリスチャンだったのですが、亡くなったご子息との縁でうちの檀家になられ、毎月、月参りにもお伺いしているのでした。

 神父さんはカナダ生まれの79才。檀家の方が以前にお世話になった方で、晩年は諏訪の老人ホームなどの寮長として活躍しておられましたが、京都で行われる誓願式に向かう途中、自ら運転する車の事故で急逝されました。

 葬儀なども終わって3ヶ月経ってから、その教会の信者さんから送られてきたという御写真。

 「どうしたらいいでしょう?」と聞かれましたが、そういう風習は聞いたこともありません。復活に関係するような教義的な意味があるのか、俗習なのか、どういう扱いをすればいいのか、まったく想像もつきません。

 いくら敬愛する神父さんだったとしても、そういう写真をいただかれたお檀家が戸惑われるのも当然。

 不確かなことは言えないので、京都のカトリック大教会に聞いていただくようにお願いしましたが・・・・・。

〜 雨上がり 〜
2005年6月21日(火)  No.671

お茶
 今日の最高気温は34.2度。

 車からアスファルトの駐車場などに降り立つと、ゆらゆらと登り立つ熱気に体中を包み込まれたような感じがしました。

 会議をしていても眠たくて眠たくて・・・早くも夏バテしそうです。


 中山美穂が日本茶のCMで結婚以来登場するらしいですが、最近、実に様々な緑茶飲料が増えました。

 ボクが実際に使ったかどうか記憶は定かではありませんが、かつて「汽車土瓶」というのがありましたね。ビニール製に取って代わられましたが、あのお茶は何となくビニールの味がしました。

 今はどこでもペットボトルのお茶が買えるようになりました。

 明日発売されるお茶のホームページには、高山寺開祖の明恵上人が同寺に3粒の茶種を植えたのが日本茶の始まりだ、というように記されています。

 お茶の伝来や栽培の期限にはいろいろな説があるようで、栄西禅師が中国より持ち帰ったという説もあれば、伝教大師だという説もあります。

 最初ぶ伝わった「お茶」は、「団茶」といって、緑茶の葉を乾燥させて粉にしたものを練り固めて団子にし、必要に応じてほぐして煮出し、葛や生姜でなどで味付けをしたものだったそうです。当然、庶民の口に入るものではなかったようですが。

 イメージしてみると、なかなか美味しそうで、温まりそうです。お米を入れたら緑茶の茶粥になりそう。


 お茶の不味いのって、ガッカリするというよりは、腹が立ってきます。ペットボトルでも、あれが美味しい、これは不味いと、にわかにお茶博士が百家林立する感がありますが、趣向によるので一概には言えません。

 ヒットした某緑茶の新茶限定バージョンは、水にかなり控えめの色と味が付いているだけで、がっかりしました。専門家のテェイスティングでは、あれがよしとされたのでしょうね。

 専門特化すると、一般の味覚から遠ざかるということがあるかも知れません。

〜 鳥獣戯画のラベル 〜
2005年6月20日(月)  No.670

先輩僧の愚痴
 京都から高速を使って2時間、福井・敦賀で、親族の法要に参列ました。

 まず自宅で法要をして、その後菩提寺の本堂でお勤めをし、墓前回向をするというのがこのあたりの風習みたい。

 京都は、いや京都でもいろいろですが、自坊ではほとんどがお寺で法要をした後、墓前で拝みます。

 葬儀や法要の形をみていると、いろいろと面白いことも多いです。

 菩提寺は曹洞宗。経文には共通しているものも多いのですが、読み方が微妙に違ったりするので、ボクも声を出して唱えましたが、何となく様子を見がてら。ご住職もさぞやりにくかっただろうと思います。

 ご住職は、隣同士になった浄斎の席で、後継ぎがどうもサラリーマン気分で困ること、自分も早く隠居をして、仏教の勉強に耽りたいと、しきりにおっしゃていました。

 「住職がしっかりやっているうちは、副住職が全力を出せないのはしかたがないですよ」と我が身を振り返りながら言いたい気分でもありましたが、仏教の勉強をして自分なりの確信をつかみたいという気分はよくわかります。
 そういうこととは少し離れたところで、今のお寺や僧侶は動いている。本体と方便があるとしたら、方便が肥大しているという言い方もできるでしょうか。

 ボクよりは一回りほど年上と思える先輩僧でもそんな思いを抱いておられるということに、一生勉強というのは当たり前ながら、この先自分もそういう思いを重ねていかなければいけないだろうことに、道のりの遠さを感じました。

〜 網元だったという料理旅館の、ピアノの上に飾ってあったランプ 〜
2005年6月19日(日)  No.669

ホメオスターシス
 さくらがやって来て、明日で丸2ヶ月になります。

 100グラムだった体重は、今日量ってみたら1キロを少し超えていました。産毛さえ生えていなかったお腹も、今はちゃんと毛で覆われています。

 昨日までカラカラに乾いたキャットフードを水でふやかせたもの喜んで食べていたさくらですが、今朝になって突然まったく口をつけなくなりました。

 それでいて、近づいてきては、「ミャァー ミャァー」と何かを訴えながら鳴きます。

 どうもお腹が空いている様子。試しにカラカラに乾いたままのキャットフードを2、3粒与えてみました。すると、ガリッ! ボリッ! と、堅い固まりを歯で砕きながら、あっという間に食べてしまいました。

 やっぱりお腹が空いているのだと、さらにドライフードをあげると、またペロッと食べきりました。

 猫の育て方について書いたページを見ると、ミルクを切ることに苦労したとか、離乳食から普通食になかなか切り換えられないという記事を目にします。

 でも、さくらはミルクの時もある日突然ミルクを飲まなくなって、ドライフードをふやかせたものに替えるようにこちらに迫り、今朝もやはり「ドライに替える!」と突然に自分で決め、否応なしに替えるように迫った感じです。そして、一度替えたら、前のものにはまったく未練を示さず、後戻りをしません。
 どういう性格なのでしょう。 

 今まではふやかせたものを日に4回ほど与えていましたが、あまりに急な方針転換に、どれくらいの量のドライフードをあげればいいのかわかりません。とりあえず様子をみながら追加したりしていますが、困ったことに、これでは水分が摂れません。

 さくらは、水を用意しておいても、今までまったく飲んだことがないのです。
 ふやかせた餌を与えていた時には、そこに水を加えてスープ状を作り、それで水分を摂らせていましたが、ドライフードだけでは脱水状態になってしまいます。

 困った、困ったと悩んでいたら、突然さくらが水を飲み始めました。しかも、一気にかなりたくさん飲みました。

 さくらは、生態バランスを保つ方法をちゃんとわかっていたのですね。案ずるより産むが易し。やれやれです。

 今は日々新しい体験の積み重ね。可愛いですが、相手をしているとかなり疲れます。

 でも、養女に出す話は、すっかりなくなりました。


 今日の最高気温は31.6度。炎暑の日でした。墓前回向をしていたら、頭が焦げるかと思いました。

 少し日が傾いた夕方、木に登って枝打ち作業をして大汗をかきました。

 体の中の汚れたものがどんどん出て行くようでとても気持がよかったですが、ボクも自然と生態バランス機能が働き、脱水症状を避けるためにビールが欲しくなりました。

 ホメオスターシスっていうのでしょうか・・・。

〜 満腹になって毛繕いをするさくら 〜
2005年6月18日(土)  No.668

若貴にウンザリ
 ちょっとピークは過ぎたかも知れませんが、ここしばらくの若貴確執の報道にはウンザリしています。

 テレビをつければ必ず毎日目にすると言っても過言ではありませんし、普通の週刊誌?の広告を見ても「若貴」の文字が躍っています。

 もうどうでもいいじゃないか、家の中の醜い問題をどうしてそこまで取り上げなければいけないのだろうかと、見聞きするのも嫌になります。


 「兄弟は他人のはじまり」とはよく言われることです。

 血を分けた兄弟でも成長して独立すれば、 それぞれの家族を大切にして兄弟の繋がりが薄くなり、 他人のような争いも演じたりするものだということですが、「他人のような争い」ではなく「他人以上の争い」だと思います。

 遺産相続などの問題に面と向かった時、子供の時の満たされなかった感情や受けた仕打ちへの怨念、不公平感などが芋づる式にどんどん呼び起こされ、対立がエスカレートしていきます。

 檀家の中にも、そういう兄弟、姉妹の確執の渦中にあるお家が少なくありません。

 たいてい親が亡くなった時にそういうことが表面化し、通夜や葬儀が妙な雰囲気に包まれることもあります。

 そして、ほとんどは莫大な財産を争っているわけではなく、親と同居していたさほど大きくない家を売らないと財産分与ができないケースや、最後は着物1枚のようなものに象徴される感情の問題になってきます。

 争う兄弟・姉妹を後ろに拝んでいても、故人のことが気の毒になりますが、それも「親の因果が子に祟り」かも知れないと思うこともあります。

 亡くなって10年を過ぎても争いは収まらず、親の法要を兄弟が別々に3回されたケースもありました。2回別々では、さほど珍しいことではありません。


 饒舌に説明する貴乃花は、すっかり顔の相が変わってしまって、何かに憑かれているのかとさえ思ってしまいます。

 今さら、あの時ああだったなどという話は聞きたくもありませんし、財産がどう分けられようと興味もありません。

 マスコミに煽られてテレビで話す貴乃花を見ると、「捨てる」ことができれば、もっと楽になれるだろうにと気の毒に思えます。

〜 菩提樹。1週間この木の下で座れば少しは身心脱落するかも 〜
2005年6月17日(金)  No.667

さくら、食通をめざす!
 今日、さくらは遠来のお客様に産地直送の「焼かつお」を頂戴しました。

 「しっとりジューシー、旨味たっぷり。新鮮素材で、猫が喜ぶおいしさ」とか。そんなのだったら、ボクも喜びます。

 「保存料、着色料はしようしておりません」。へぇ〜、ヘルシーなんだぁ。

 「緑茶消臭成分配合」。さすがお茶どころ、お魚天国からいただいたものにふさわしい逸品!

 パッケージの裏には、「黒潮にのって来る宗田かつおを新鮮パック。こんがり香ばしい香り、しっとり。ジューシーなカツオで愛猫大喜び」。
 宗田かつおというのは、きっとかつおのブランドに違いありません。それがこんがり香ばしい? ますます食べてみたい!

 パッケージを開けてみると、なーるほど美味しそう!!

 すぐにさくらが飛んできました。

 写真を撮るタイミングをはかろうとさくらを制止しましたが、さくらはおかまいなしで、最初はクンクンと匂いを嗅ぎ、ペロペロと舐めてみてから、ムシャムシャと脇目も触れずに食べだしました。

 逸品は、あっという間に一片の跡形もなくなってしまいました。

 普段は子猫用のドライフーズを水でふやかしてあげていますが、それとは比べようもないほど美味しかったのでしょう。食べ終わった後、いつもにも増してはしゃいでいました。

 こんな美味しいものを知ってしまったら、後が大変です。

 さくらは逸品、ボクは切り落としのようなものばかり食べるはめになったらどうしましょう。
 食卓を狙いに来るかも知れません。

 でも、美味しそうに食べるさくらを見ていると、こちらも我がことのように嬉しくなってきました。

 さくら、ヨカッタね。

〜 さくら、食通への第1歩 〜
2005年6月16日(木)  No.666

ラーメン行脚
 友人のパソコンのセットアップに行ったついでに、蛍を見に行きました。

 先ずは松ヶ崎の疏水分線。北山通と北大路通の大通りにはさまれた静かな住宅街の中を流れる川。

 両側には鬱そうと草が茂っていたり、立葵などの花が咲いているため、川の畔からは川面が見にくく、ほとんどの人は5メートルもない橋の上に集まっておられました。

 両側のもみじの枝が3メートルほど下がった水面目がけて枝垂れ、その間を蛍が飛び交っているのが向こうのほうまで見渡せました。

 蛍たちは同時に瞬きしながら、ゆらりゆらり。幽玄の空間でした。

 哲学の道へ移動途中、何となくラーメンが食べたくなったので、ラーメン屋を求めてあっちの店、こっちの店と回ること4軒。でも、目的の店は定休日、店舗改装中、所在不明。ついていない時はこんなものです。

 しかたがないので、哲学の道の大豊神社付近へ。
 いましたいました、蛍。こっちのほうが数はめっきり少ないですが、川縁に草とかがないので、よく見渡せます。
 蛍はまわりの桜の木などに留まったりしていて、松ヶ崎より高いところにいるものが多かったです。

 これで今年の蛍も見納めでしょう。

 さぁ、帰ろうということになりましたが、どうもラーメンが諦め切れません。「そうだ! あそこにあった!」と行ってみた2店もなぜか真っ暗。今日はどうしたことでしょう。

 こうなったら執念です。どうしても食べないと帰れません。まったく知らない店ですが、少し惹かれる店を見つけ、一か八か暖簾をくぐりました。

 正直いって、もう味はどうでもいいのです。とにかくラーメン状のものであれば・・・。

 店内にはそのラーメンが「銀閣寺ラーメン」「京都ラーメン」などと呼ばれる背脂醤油ラーメンの系統であるという説明がありました。なるほど、鶏ガラベースの醤油味に豚の背脂を載せた濃厚な味。でも、それほどしつこくはありませんでした。

 ラーメンを食べ終わってさぞ満足するかと思いきや、ここまでこだわった自分の馬鹿さ加減、夜遅くから高カロリー食を食べてしまったことへの後悔が募り、ちょっと意気消沈して家路につきました。

 もうやめよう、こんな馬鹿なこと・・・でも、食べたくなることってありますよね・・・。

〜 松ヶ崎の蛍1灯 〜
2005年6月15日(水)  No.665

菩提樹、沙羅、梅の実
 明日からお天気が崩れるという予報だし、今日はせっかくの晴天だから、植木屋の剪定作業をしたいと思っていましたが、こまごまとしたデスクワークや電話が続き、なかなか取りかかれません。

 ようやく3時過ぎになって作業服に着替えて頭にタオルを被り、まずはミニ畑のトマトの支柱を立て、紐で誘引して倒れないようにしました。

 夜になって調べてみたら、トマトの脇芽は小さいうちに摘んでおかなければならなかった様子。ボクの育てているトマトは、もうすでに脇芽が主幹と同じぐらい大きくなってしまっています。大失敗。

 それが終わって、住職が梅の実を収穫していたので手伝いましたが、梅の実を一つ一つ拾うのは住職に任せ、ボクは梅の木に登って、剪定作業をしました。

 本来ならば今は梅に強い剪定をする時期ではありませんが、梅の木の下にあるツツジの来年の花付きのためには、枝を透かして日当たりをよくしておかなければなりません。

 ちょっとデタラメに切ったので、枝振りはかなり悪くなりましたが、まぁよしとしましょう。

 それにしても、放っておけば、木はどんどん伸びます。伸びすぎた桜も切らないといけませんが、今は時期がよくないので、今日のところは断念しました。


 本堂前の菩提樹はほぼ満開に、沙羅も咲き出しました。今年は菩提樹が遅いのか、沙羅が早いのか、こんなに同時に見られるのは、境内の両木にしては珍しいのではないでしょうか。

 菩提樹の花も沙羅の花も、梅雨の楽しみです。

〜 香り立つ菩提樹の花 〜
2005年6月14日(火)  No.664

会議三昧
 朝、2軒のお家にお経を唱えに行った続きに、大津・坂本での会議。

 夕方5時までずーっと会議をしていたためか、帰りに車を運転するときに、足が鬱血した感じがしました。

 会議は、積んでは崩しが多く、一周回って元通りということも時にはあって、あまり生産的とは思えません。

 宗派の中でも社会活動をする部門なのに、こんなことでは行く末が案じられます。

 こんな天気がいいのに・・・ 植木屋したかったなぁ・・・。
2005年6月13日(月)  No.663

剪定楽し
 「梅雨入りしたとみられる」という発表翌日の快晴。

 最高気温は28.5度だったようですが、カラッとしていて、蒸し暑さは感じませんでした。

 「今日は絶好の植木屋日和だ!」と、朝、1軒の檀家宅にお参りに行った後は、夕方までずっと剪定作業をしました。

 朝一番は夕べまでの雨粒が葉に残っていましたが、それもすぐに消え、あとは順調に作業が進みました。

 よく茂った樫、灯台躑躅、柊、馬酔木、もちのき・・・などの常緑樹にパッチンパッチンと鋏を入れて・・・「あっ、しまった」ということもしばしば。

 時々、木から離れて姿を見て、「あそこをもう少し」などと見当をつけて、もう一度パッチンパッチン。

 昔の植木屋さんなら、ここで煙管を取りだして、一息入れながら見当をつけるのでしょう。そういう時間も植木屋さんの日当のうちでした。

 大半の剪定を終え、あとはまだ咲いている霧島つつじの花が終わるのを待ってもう一度刈り込み作業です。

 梅雨の晴れ間と、ボクのスケジュールをぬっての作業になります。


 美味しいビールを呑んだ後の夕焼けが、とてもきれいでした。

〜 自室から見た最高のご褒美 〜
2005年6月12日(日)  No.662

さくらのかみ癖
 さくらが来て2ヶ月近く。

 ご飯はドライフードを水で少し軟らかくさせてものになって、とても楽になりました。
 トイレのしつけもほぼうまくいき、自分で進んで行くようになりました。

 やれやれです。

 最近困っているのは、よく噛むことです。さくらはじゃれているつもりなのでしょうが、何かにつけて噛みに来ます。

 遊んであげている時はもちろん、そろそろと身を低くして近づいてきたと思えば手に飛びついて噛んだり、いきなり足にじゃれついてきて噛んだり、獲物を狙うような目と体勢で手足に近づいてきます。

 力を入れて噛むわけではありませんが、歯がとがっているので、時には皮膚に刺さったり出血することもあります。

 普通の子猫なら、今頃は兄弟遊びをしたり、親に甘える中で、噛んだり噛まれたりを繰り返し、その加減を学んでいくのでしょうが、さくらにはそれが出来ません。

 決して怒って噛んでいるわけではなく、甘えたり、愛情表現として噛んでいるのだということはわかっているのですが、噛まれていたいのも事実です。

 犬には噛んで遊ぶオモチャがあるのだから、猫用もあるに違いないと、ペットショップに行ってみました。

 さくらが来る前、クロを拾った時にミルクを買ったお店で、話し出したら止まらないご主人は、僧衣姿のボクの顔を見るなり、「もう大きくなったでしょう?!」と聞いてこられました。

 その時の子猫は亡くなり、その後、また別の子猫を拾って育てていること。その子がもう2ヶ月になったが噛んで仕方がないので、噛んで遊べるようなオモチャが何かないかと説明しました。

 ご主人は奥さんと相談しながら、「リブがいいなぁ」と、ネコの棚の乾したカワハギや鱈などではなく、犬の棚からリブなるものを持ってこられました。何でも仔牛のリブを乾燥させたものだそうです。

 自信を持って「これがいいです」と言われたので買い求め、まだ話そうとするご主人を振り切って帰りました。


 さぞかしさくらは喜んでくれるだろうという期待もむなしく、振り向いてもくれません。少し匂いを嗅いで、あとは知らんぷり。

 手を噛みに来た時に口のあたりに近づけても、手の方がいいと噛み続けます。

 寝ている間に鼻の前に置いておけば、夢の中で欲しくなるかも知れないと思ってやってみましたが、しばらく寝ながら鼻を動かしていたものの、起きたら跨いで行ってしまいました。

 リブには少し乾燥した肉が付いていて、これをしゃぶりながらビールを呑めばかなりいけそうなのになぁー。

  せっかく買ってきたのになぁー。さくらは甘党かなぁー。

〜 美味しそうなリブ 〜
2005年6月11日(土)  No.661

今さらながらISDN
 ボクのプライベートな固定電話が近々光ファーバーの電話に変わる準備として、FAX番号を付け替えるために、寺の電話をISDNにすることにしました。

 申込み・手続きは、すべてNTTとのメールのやり取りだけ。“人の声”が介したのは、今日の「今からISDNに移行する工事をします」という電話だけ。それも電話連絡をして欲しいか不要か、ネット画面での選択制。

 何となく不安なような気もしますが・・・。

 電話があってすぐにこちらも回線を機器につなぎ換え、あっという間に移行は終わりました。

 以前に雷で機器が壊れた時に入手するのに困った経験から、予備の機器をオークションで1000円で入手しておいたが活きました。

 考えてみたら、寺の回線も アナログ → ADSL → アナログ → ISDN と目まぐるしく変わってきました。

 ISDNもいつまである仕組みなのかわかりませんが、地方にあるお寺の中にはADSLや光ファーバーの恩恵も受けられず、いまだにISDNでしか通信できないところもあります。

 そんなところに不用意に大きなデーターを送ろうものなら、「受け取るのに1時間以上かかりましたよ」と言われることもあります。

 ISDNが登場した頃は、すごく早い回線ができたと喜んだものでしたが・・・。

 一度、ブロードバンドの味を占めてしまうと、もうISDNやましてアナログには戻れません。

〜 2台並んだターミナルアダプタ 〜
2005年6月10日(金)  No.660

モリアオガエルの産卵
 モリアオガエルが産卵しました。一昨年以来です。

 以前は自坊の門前の小さな池で産卵していましたが、それを埋めることになり、産卵場所がなくなるのを案じて門内にさらに小さな池を作しました。

 でも、カエルはそこには住みつかず、昔の五右衛門風呂に雨水をためるようにしたところと蓮の鉢に住みつき、今回卵塊を生み付けたのも、水草を植えてある直径50センチほどの火鉢でした。

 もっと環境のいい場所があるのに・・・。

 今、自坊には2グループにわかれて6〜7匹のモリアオガエルがいます。五右衛門風呂の雨水貯めに住んでいる3匹は、いずれも若く、体も小さいもの。蓮の鉢に住んでいるのは成人カエルで、それが卵塊を生み付けたのでしょう。

 最初に生み付けた卵塊は場所もよくありませんが、卵の質もよくなさそうで、孵ることは期待できません。
 あと、1つ2つ産んで、何とか子孫を残して欲しいと願っています。

 爬虫類や両生類は大の苦手。でも、このカエルにだけは愛着があります。触るなどは以ての外ですが。

〜 火鉢に生み付けられた卵塊 〜
2005年6月9日(木)  No.659

インド仏教復興
 インドでの仏教復興と、福祉・教育・医療・生活の支援活動を行っている団体をサポートする日本側の団体の会議(説明がややこしい・・・)。

 ボクはこの団体のホームページを作っている関係で、だんだん入り込んでしまいました。

 インドはお釈迦さまがお生まれになった国ですが、仏教国ではなく、ヒンドゥー教の国です。

 そのインドで仏教を弘めようと活動するのは、カースト制度の問題などもあって大変なようです。

 比叡山で青年期を過ごし、40過ぎになったインド人僧が、インド仏教復興の志を立てて現地で活動を続け、比叡山もそれを応援して、今度、総工費1億円以上をかけて大きな本堂を建てる計画が進んでいます。

 彼が何か大きな行事をすると、数万の人があちらこちらから参列するといいます。人々の大きな期待を背負っているのでしょう。

 お経の中には、「ガンジスの砂の数のように」とか「阿僧祗(10の56乗)」とかいうとてつもなく大きな数がたくさん出てきますが、数万人が集まるというのもごく自然な気がします。

 工事がなかなか進まないのは、インドならでは。でも、そんな国が世界のコンピュータのソフトウェア界を牛耳っているというのも不思議。さすが「0(ゼロ)」を発見した国。日本人とは頭の構造が違うのでしょう。

 お釈迦さまの国で仏教を再興するという皆の夢を載せて、事業は着々と進んでいるのに、意を強くしました。

〜 インドから研修に来ていた青年 〜
2005年6月8日(水)  No.658

破戒僧
 醍醐〜大津・堅田〜嵯峨と、ウロウロ。

 炎天下に停めた車の中はムッとしていましたが、気温は28℃で、建物の中にいると、まだ暑くてたまらないというほどではありませんでした。

 夜は知人と食事。ビールが旨い!!

 何の滞りもなく体に入り、少し乾き気味の細胞が膨らんでいく有り様が頭の中でイメージできるかのようでした。

 でも、よく考えると、ビールは久しぶり。

 いつも呑んでいるのは、ビールの味がして、発泡酒よりも税率の低い「その他の雑酒」。

 まぁ、何でもいいのです、グルメでもあるまいし。この一杯の快感があれば・・・破戒僧だなぁ。
2005年6月7日(火)  No.657

剪定
 今日は30度を超える真夏日になりました。

 8日頃に梅雨入りするというので、生い茂っていた建物回りの木々の枝打ちをしました。

 よくぞここまで茂ったなぁと思うほど、木の成長力は旺盛。昨日のように毛虫がいないかハラハラしながらも、細い木に片手でつかまりながら反対の手を思いっきり伸ばして、できる限り枝を透かしました。

 でも、勢い余って鋸の歯を折ってしまい、作業をいったん中止して、替え刃を求めてホームセンターに。

 さくらの水飲み容器などを探したり、買わなければいけないものがあったのに思い出せなく、一通り売り場を一周したりして、ずいぶん時間がかかってしまいました。

 帰って仕切り直し。

 あー すっきりしたぁ。あと1日かければ出来上がりです。


 今日は、ヘリコプターがずっと頭上でホバーリングしていました。

 近くのマンションのマンホールの中から、昨日から行方不明だったという4才の女の子が遺体で見つかり、数社のヘリがその事件現場を空中から取材していたのでした。

 そのマンションの1階では、夏になると祭壇を設けて町内の地蔵盆が催され、子どもたちが参列する中、毎年ボクがお勤めと話をしていました。

 女の子は蓋が空いていたマンホールに誤って転落し、その後そんなことを知らない住人が危ないからと蓋を閉めた、偶発的な事故のようでした。

 かわいそうに・・・・・

〜 ホームセンターはパラダイス 〜
2005年6月6日(月)  No.656

ゆすらうめ
 夕方、「ゆすらうめ」を収穫しました。

 実生から大きくなった木に、数年前からたくさんの実が付くようになったものです。

 もともと、ボクが子供の頃から15年近く前まで、自坊には2本のゆすらうめが生えていました。

 2メートルにも達しない木に、1センチほどの真っ赤な実がいっぱい付きます。実は柄のないサクランボのような形で、ちょっと酸っぱく、色ほどには甘くなくありません。

 子供の頃は、この木の下に入り込んで、採っては食べ採っては食べしたものです。

 その木も15年ほど前に次々と枯れてしまったのですが、いつの間にか別のところから芽が出て大きくなり、今ではたくさんの実をつけるまでになったのです。

 採りながら食べてみましたが、「こんなに酸っぱかったかなぁ・・・」という感じ。子供の頃には、もう少し甘く感じていたように思えました。

 収穫している間に、枝に大きな毛虫を発見! すっかり採る気が失せてしまい、「ひょっとして触ってしまったかも知れない」と思うと体がむず痒くなり、しばらく気が気ではありませんでした。

 採って仏前に供え、お下げしてきたものの、子供の頃のようには食べる気はせず・・・果実酒にしても飲まないし・・・。
 5粒ほど食べて、あとは鳥にあげればよかったかも知れませんでした。

〜 かわいい「ゆすらうめ」の実 〜
2005年6月5日(日)  No.655

メダカの学校
 今日は「メダカの学校」。

 6月4日は天台宗を開かれた伝教大師の忌日で法要などもあり、天台宗の僧侶を講師としてきてもらうのが難しいため、4月に続いて住職が講師。題は「伝教大師」。

 他に講師をお願いするといろいろと気を遣いますが、住職ならば接待する必要もありません。

 住職が話をしている間、ボクは裏に引っ込んで、別の仕事をしていました。

 そのうち、どんどん空が暗くなり、雷の音と共に、雨が降り出しました。

 参加しておられる方も、気が気じゃないでしょう。

 話の長い住職の見えるような位置でわざとウロウロして“もう終わってぇ!”とプレッシャーをかけ、何とか定刻に終わりました。

 でも、その頃が一番のどしゃ降り。樋から溢れた雨水が、地面に音を立てて落ちていました。

 「通り雨ですから、少し雨宿りされてはいかがですか」と参加された方に申し上げましたが、終わったとなれば気が急くのは人情。ほとんどの方が帰途に着かれました。

 皆さんが帰られて20分ほどしたら、急に日が差してきました。お気の毒に、ほとんどの方が一番雨脚の強い時に帰られたわけです。

 傘を貸してあげた方が、この晴れ間に、傘を返しに来られました。お聞きしたら東京から旅行に来られている方で、ここを出て本堂の軒下で雨宿りされていたとか。ズボンはくるぶしの上まで濡れていました。

 ここでずっと待っておられればよかったのでしょうが、本堂の軒下の雨宿りもお勧めです。

 これからはこんな日が多くなりますね。雨もまたよし。
2005年6月4日(土)  No.654

さくらとの確執
 さくらは見る見る成長しています。

 運動能力はまさに獣並み。表情も豊かになり、意志もはっきり示します。

 ご飯が欲しい時は足にまとわりつくようにして鳴き、眠たい時に話しかけると怒ったように鳴きます。オシッコをしたい時も、それらしい素振りをします。

 オシッコは、時々失敗します。

 自分で行く時もあれば、こっちが気をつけていて連れて行く時もあります。そして、時々遊びに夢中になっていて、失敗します。

 ボクの部屋で、さくらが一番好きなのは、電線だらけのパソコンデスクの裏側。

 ちょっと目を離すと、すぐに入っていこうとします。

 手で制止したり、入っていく寸前に捕まえたり、今日は手で間に合わないので足の指で捕まえたりもしました。

 さくらにしたら、一番お気に入りの場所に行こうとするのを邪魔されるわけですから、面白くありません。

 さくらも最初はおとなしくつまみ出されるままでしたが、行こうとしては制止され捕まえられるのを繰り返すうちに、段々と怒るようになってきました。

 ボクも何度叱ってもわからないさくらに段々腹が立ってきて粗暴になり、さくらも「ギャァー!!」と野獣のような声で怒ります。

 そのうちボクもマジ切れ! 大きい声で「さくら!!」と怒鳴り、デスクの裏に入り込む寸前に捕まえて放り出しました。

 さすがにさくらも怖かったみたい・・・しばらくはシュンとしていました。

 これからはこういうことも増えてくるでしょう。

 どういうふうに育てていけばいいのか・・・これからはさくらの“自我確立”やしつけに伴うストレスが増えてくるかも知れません。

 元気で走り回り、隙あらば噛みついてくるさくらと付き合っていると、ほとほと疲れます。

 寝てくれるとホッとしますが、今度は逆に手持ちぶさたになって、起こしたくなって、耳元で「さくらぁ」と呼びかけたりしてしまいます。

〜 暇を惜しんで遊び回るさくら 〜
2005年6月3日(金)  No.652

エセ・デザイナー
この前、ポスターとチラシを作ってから、何だかそんな仕事が増えてしまいました。

 まぁ、好きですからいいのですが・・・。

 今日も、午後からマニュアル片手にパソコンに向かって、ほとんど使ったことのないソフトを駆使?して、宗派関連のチラシ作り。

 あっという間に1時間、2時間、3時間・・・が過ぎ、気が付いたら日付が変わっていました。

 でも、「やっぱりこういうセンスはないなぁ」と、我ながら思います。

 こんなに根を詰めたら、明日はきっと肩凝りだなぁ。
2005年6月2日(木)  No.653

20年前の出来事
 昨日の会議でたまたま横に座られた女性が、ボクに「何年ぐらい前から真如堂吉祥院にお住まいですか?」と尋ねて来られました。

 ボクは、「生まれてからずっと住んでいますが・・・」と答えると、その女性は「実は、10数年前に、そちらで犬をいただいたのです」とおっしゃり、ビックリ!!

 話してみると、その女性は、10数年前ではなく20年ほど前、うちの縁の下で生まれた野良犬の子供を、「子犬をもらってください」というリビング紙の投稿コーナーにボクが出した広告を見て、もらってくださったのだとか。

 白い賢い犬だったそうですが、もう既に亡くなったとか。お話ぶりから、その方が愛情たっぷりにその子犬を育ててくださったことがわかりました。

 そういえば、その頃は縁の下で野良犬が子犬を生むことが数回ありましたが、うちでは既に野良犬の子を飼っていたのでそれ以上は飼えず、貰い手を探して張り紙をしたり、新聞に出したり、いろいろ苦慮しました。

 今日になって家人にその話をしていたら、ボクの留守中にその方は子犬を引き取りに来られ、それを知らずに子猫用の首輪を「可愛かったから」と買って帰ったボクはがっかりしていたとか。

 子犬のことも、首輪のことも、すっかり忘れていました。昨日のことも忘れることがあるのに、20年前のことを覚えているわけがありません。

 20年前にうちの縁の下で生まれた犬の消息を、たまたま横に座った方から聞くなんて・・・。

 不可思議な縁でした。

 子猫用の首輪、残っていればよかったのになぁ。

〜 丸くなって寝ているさくらも、ひょとしたら他家に嫁いでいたかも 〜
2005年6月1日(水)  No.650

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