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2005年4月の日記

薬剤散布
 金木犀の木の下を見たら、黒い小さな粒が落ちていました。柊の新芽も食われていますし、高いもみじの枝には、イラガらしき虫影がシルエットで見えていました。

 「あー、出たなぁー。明日は雨だけど、上がるのを待っていると、どんどん食われてしまうなぁ。展着剤を入れて薬を撒こう!」

 問題は、冬の間眠っていた背負い式のエンジン散布機が動くかどうか。それを考えただけで、散布作業が嫌になります。
 例年、キャブレターを分解したり、スターターの紐を何十回と引いて、やっとスタートできるこの散布機。

 ところが、今日は3回ほど紐を引くだけで、順調にスタートしました。ルンルンです。真夏日の気温が効を奏したのかも知れません。

 エンジンの調子はイマイチながら、めぼしき木々に薬散することができました。

 道具を手押し式の散布機に換え、今度は除草剤の散布。エンジン式では薬剤をまき散らしてしまい、大事なものまで枯らしてしまうので、手押し式でないといけません。

 石畳の間や砂利の中の草に散布しました。遅効性の除草剤なので、忘れた頃に効いてくるでしょう。


 緑は日に日に濃くなっていきます。ちょっと作務をしただけでも汗だく。

 薬剤を散布した後の気持ち悪さもあるので、シャワーをしました。夏なら風呂の残り湯をかぶるのですが、それにはまだちょっと冷たかったです。

 作務の後のシャワーは、今年初めてでした。

〜 藤棚の下のガレージ 〜
2005年4月30日(土)  No.617

観光地の食事
 大型連休が始まりました。

 北九州で働いている知人が福井の実家に帰る道すがら、明太子片手に寄ってくれました。

 ボクが法要をしている間、哲学の道を散策していてもらい、法要が終わったら銀閣寺あたりで昼食をとる約束をしました。

 入ったのは、白川沿いにある手作り洋食のお店。昨日、来客と来た時は閉まっていたのですが、今日は開店することを電話で確認し、12時のOPEN前から店先で待っていました。

 開いたのは12時ちょうど。もちろん、1番乗り。

 ボクは、10種類以上あるメニューの中から、今月の定食の一つ、豚肉と筍の???を、彼女はサーモンの???をいただきました。
 美味しかったです。

 観光地の近くの飲食店は、高くて美味しくないことが多いのですが、このお店は、特に京都っぽいことはないものの、気楽に入れてなかなかの味。
 料金は、サラリーマンが毎日お昼を食べに来る相場の約1.5倍と、安くはありませんが、メインディッシュ、ご飯、味噌汁の他に4品付いての値段ですから、リーズナブルな印象を受けます。

 雑誌などには地元の者が知らないようなお店が載っていることが多く、後から「美味しくなかった」という感想を聞いても、「やはりそうでしたか・・・行ったことがなかったので・・・」としか言えませんが、かなりハズレが多いようです。
 それはそうでしょう、雑誌には掲載料を払って載せて貰っているのですから。


 一緒に自坊に帰ってコーヒーを飲んでいたら、突然、東京の親戚が来ました。

 なんでも、車で東京から九州を目指して行けるところまで行って、9日の朝までに帰る行き当たりばったりの旅行だとか。
 今日は、保津川下りをした足で真如堂に寄り、今から船の出発点である亀岡まで車を取りに行って、西へ向かうのだとか。すごいなぁ。


 世の中は連休かぁ。ボクは、海外に行かないと、確実な連休にはならないなぁ。

〜 お昼の定食 〜
2005年4月29日(金)  No.616

ノートパソコン
 福知山線の列車事故の被害者の捜索救出活動が終わりました。

 ボクの知人に、91年に起きた信楽高原鉄道の事故に遭い、数回顔の整形手術をしたという女性がおられます。
 救出された方の中にもそれ以上に苦しい思いをされている、されていかなければならない方が大勢おられるでしょう。
 けが人が搬送されていく映像を見て、胸が痛みました。

 信楽高原鉄道の事故の時、JRは94年以降、合同法要への出席を拒否し続け、事故から12年経って敗訴が確定した2003年、初めて遺族に謝罪しました。もちろん裁判対策ということもあるのでしょうが、あまりにも当事者としての責任を回避しています。
 今度の事故の説明を聞いていても、その社風は変わっていない気がします。

 JR西日本はダイヤに厳しいという報道がされていますが、反面、私鉄よりよほど乗客に対しは不親切で、ダラダラしている印象を受けます。
 利潤を求めるのは民営並み、意識はお役所並みではないでしょうか。

 お亡くなりになった方のご冥福をお祈り申し上げます。


 リース上がりのノートパソコンを安価で譲り受けました。

 せっかく無線LANを導入したのにノートパソコン自体が壊れてしまっていまい、宝の持ち腐れでしたが、これで生きてきます。

 5年のリースが終わったものなので、多少使い込まれた感じを受けるものの、500MHz程度のCPUを搭載しており、サブ機として使うには十分。

 ハードディスクをフォーマットして、OSを再インストールして、無線カードも使えるようにして、すべて順調。

 これで、会議をしながら、ちょっと調べ物をするということも可能です。ワ〜イ!


 さくらは日に日に成長します。

 今日、片方の目が完全に開きました。見えているのかどうかわかりませんが、ますます可愛い顔になりました。

 ミルクをあげる時に少し待たせると、イライラして、ボクの手を引っ掻いたり、指を吸ったりします。

 一気にミルクを飲んで、すぐにボーッとなって眠りこけます。1日中そんな繰り返しです。
2005年4月28日(木)  No.615

さくら退院 〜 さくら日記
 昼前から夕方まで、大津坂本で会議。

 今日は出席者が少なめ。事務サイドの意思の疎通の悪さに、遠方からわざわざ時間を使って出席するのが馬鹿らしいと思う人が増えたのか?

 何となく薄雲がかかったような会議でしたが、天気は快晴。今日は琵琶湖がきれいに見えました。


 さくらが退院しました!

 少し大きくなったようで、耳も立ってきました。ミルクの飲みっぷりも違います。

 わずか1日か2日のことで、目に見えて成長するなんて・・・いのちってすごいです。

 さぁ、今夜から夜中の授乳が復活します。

 最近の閑話、なんだか「さくら日記」みたいです。
2005年4月27日(水)  No.614

へそくり返上
 お昼頃、にわかに空が曇り、ザァーっと雨が降り出すと共に、ゴロゴロと雷鳴が響きました。
 ほんの30分ほどであがり、一転して快晴に。


 ホームセンターに買い物に行ったついでに、猫用品の売り場を覗いてみました。

 キャットフードやトイレ用品、爪を研ぐ道具などなど、こんなにもあるのかというほどの種類と量に圧倒されました。

 さくらを飼うことについてはまだ決心がついていません。

 野良猫だらけの環境、飼うとしたら家の中でということになり、事情をよくご存じの獣医さんにもそれ以外は考えられないと言われています。
 家の中で飼うならば、おそらくボクの部屋がさくらの居室になるでしょう。

 トイレの世話ができるかなぁ、機械の上でオシッコしないだろうかなどという自信なさ半分、だんだん可愛くなっていくさくらを手放したくないという気持があとの半分を占めています。

 おかしいなぁ、ボクは猫は苦手で、あまり好きじゃなかったのになぁ・・・。


 帰ってから、数年間にわたって牛乳パックに貯めていた虎の子を勘定しました。小銭入れが重たくなった時に、ここに移していたのが、最近になってちょうど満杯になったのです。

 数えたら3万円弱ありました。

 何か美味しいものでも食べに行こうかなぁと思っていましたが、はっきりして目的はなし。さくらの入院も4日目。これで足りるのか足りないのかわかりませんが、使途が自ずと決まりました。

 考えてみれば、以前もこの虎の子は阪神大震災の時の募金や作業所への寄付などに化け、一度も美味しいものを食べに行ったことなどありません。

 足りるか足りないかより、銀行のキャッシュコーナーでうまく入金できるかのほうが心配です。ああいう機械は大の苦手です。

 猫が苦手なのは一転しそうです・・・大好きになっちゃうかも。

〜 牛乳パックのへそくり 〜
2005年4月26日(火)  No.613

‘元気になりまちた’ by さくら
 朝、さくらの入院している獣医さんに電話したら、「何とか乗り切ってくれました」との応答。‘面会’できるとのことなので、さっそく伺いました。

 毛布を掛けられたプラスチックのケージの、数枚のカットされた毛布の中から、さくらは「ミャァーミャァー」といいながら、元気よく這い出してきました。

 一昨日の様子とは打って変わった活発な姿。「あー、助かった・・・」

 獣医さんによると、一昨日はかなり危ない状態だったとか。奥さんも夜中に授乳してくださったとのことで、さくらのお腹はミルクをたくさん飲んでプクッと膨れていました。

 境内と隣接するような場所にあり、墓所も真如堂にある獣医さん夫妻は、近隣の生き物事情をよくご存じ。どの猫がどういうカテゴリーで動いているか、どの猫は避妊手術が施してあるか、どの人が野良猫に餌をやっているかなども知っておられ、いろいろ教えて貰いました。

 獣医さんの前には、猫・犬・ウサギなどが時折置き去りにされているとか。保健所には絶対に持ち込まない主義で、家の中には引き取り手のなかった犬猫をはじめ、鳩やカラスまでいるとか。想像しただけで大変です。

 さくらは、もう少し入院させて貰うことになりました。今まで、どちらかというと猫は苦手だったボク。今日ほど猫を可愛いと思ったことはありませんでした。


 昼前からボランティア。今日は咳がひどく、「稲科の花粉と違う?」「のど飴ありますよ」「お茶飲んできたら」と次々心配していただき、ボクも‘大きなさくら’状態・・・?

 咳をし過ぎてくたびれ、早々に床につきました。

〜 ブレるほど動くさくら 〜
2005年4月25日(月)  No.612

乳房がうずく
 麗らかな快晴。そぞろ歩きするには、もってこいの日でした。

 青空を背景に輝く黄色い竹の葉。「あー、竹の秋だなぁ」と気分も清々しいはずが、どうもイマイチ。

 何をしていても、入院したさくらのことがどこかに引っかかっています。でも、今日は休診日。見舞いにも行けません。

 苦瓜の種でも蒔こうかと思いましたが、説明書を見ると、まだ早そう。あちこちの掃除をしたり、自室の片づけをしたりしながら、「乳房がうずく」ような1日でした。

〜 竹の秋 〜
2005年4月24日(日)  No.611

さくら、入院す
 プリンタやFAXなどがいずれも10年選手となり、消耗品を買うだけの価値がなくなってきたので、思い切ってコピー、プリンター、FAX、スキャナー機能を併せ持つ複合機を買い求めました。

 場所的には大いに節約でき、いままでバラバラだった操作も統合できて、すごく便利そうなのです。

 でも、これに伴って廃棄する機械が山と出ました。ドットプリンタ1台、インクジェットプリンタ1台、レーザープリンタ1台、スキャナ1台、FAX1台、ついでにデスクトップPC1台。他にも、ビデオデッキや掃除機の壊れたものがあります。

 これは廃棄費用だけでも大変です。


 ‘さくら’が来て5日目となりました。寝不足になりながら夜中の授乳などをしていましたが、今朝、ボクが寝込んでしまった間に、自分のオシッコで体が濡れ、さくらの体温が下がってしまいました。

 なんとかあたためて体温は回復したものの、ミルクを飲む時に以前のような力がありません。

 だんだん症状が重くなるので、午後、獣医さんに連絡をとりましたが、留守電。連絡がついて、ようやく6時頃、休診中を開けてもらって診察を受けました。

 獣医さんは見るなり、「うわぁー小さいなぁ。これは・・・カテーテルも入らないしなぁ・・・」と困り顔。奥さんが、とにかくと、1滴ずつミルクを飲ませ始めてくださいました。

 獣医さんの説明によると、生まれて間もないこの時期は、本当に生きるも死ぬも紙一重で、自分たちでも気をつかう時期。環境が変わって3〜5日目はストレスが出る時期で、生後1ヶ月ほどの大きさになっていても注意を要するタイミングなのだそうです。

 「とにかく預かります。でも、あまりよくないと考えてください。何かあったら電話します」と言われ、正直ほとんど諦めていたのを、何とか手を尽くしてくださるとの言葉に、少し救われた気がしました。

 いのちが繋がるということの有り難さを、しみじみ実感しました。

 「さくら、頑張れ!」

〜 要らなくなったOA機器 〜
2005年4月23日(土)  No.610

文化財保護
 夜、超宗派の僧侶の会のラジオ番組収録。

 今日は会員が住職を勤める大徳寺の塔頭にお邪魔して、そこ本堂の修理を担当している若い女性技官の話を収録しました。

 本堂は重要文化財で、5年をかけて建造時の状態に戻す工事を始めて2年目。桟瓦葺きから檜皮葺にしたり、間取りを変えたり、防災対策をしたりという工事も、まだ緒についたばかりの感でした。

 参加したメンバーは文化財行政に一言あるような人が多く、しばらくすると話題はそのことに集中していきました。

 「文化財を修理する大工さんは5時になったらきっちり帰る」から始まって、「文化財指定は受けない」などと言う人もいて、講師は明らかに憮然とした表情に。

 事務局としては困るなぁ・・・。みんな好きなこと言うんだもんなぁー。

 でも、確かに文化財保護は親方日の丸。民間がやれば営利目的になるという意見もありますが、営利目的であればこそ逆に信用を失うようなことはしないでしょう。

 行政でやらなければいけない必然性って、どこにあるのでしょう。公務員の職人さんに、本当に情熱のある仕事ができるのでしょうか?

 確かにそんなふうにも思いますが・・・・・それにしても、みんな言い過ぎ!

〜 修理中の本堂・・・なんだかわからない写真 〜
2005年4月22日(金)  No.609

今春、初草刈り
 今春初めて、草刈りをしました。

 ここ1週間ほどの間、あっという間に草は大きく育ち、花を咲かせているものもあります。

 秋冬以降使っていなかった草払機がすんなり起動するかどうかが、先ず第1関門。

 朝食後にスターターの紐を数回引っ張ってみたものの、エンジンがかからないので、ひとまず陽の当たるようなところに置いて、お経をあげに檀家宅に。
 この紐を引っ張る動作は結構疲れるので、あまりムキになってやると、息が上がるのです。

 読経からからかえり、再度挑戦。今度は10回ほどでエンジンがかかりました。

 本当はあまり草刈りをしたくないのです。

 雑草といっても、春の草は花も咲きますし、よく見るととてもカワイイ花ばかりで、刈り払ってしまうにはしのびない気がします。

 でも、伸びたままにしておくと放置していると思う人もいるかも知れません。誰も、雑草の花を楽しんでいるとは思ってくれません。

 ボクが刈り払っていく先には、たんぽぽ、大犬のふぐり、烏の豌豆、胡瓜草など、たくさんの花が隙間なく一斉に咲いています。それを避けて刈るなどということは不可能で、5株に1株くらいのたんぽぽを残すのがやっと。

 見た目はスッキリしましたが、なんだか身を削るような思いの草刈りでした。夏草なら、こんな思いをせずに済むのですが・・・。

〜 こんな小さい花も・・・ 〜
2005年4月21日(木)  No.608

猫の“母”をする
 昨日拾ってきた子猫の暫定ネームを「さくら」と決め、夕べはさくらの仮住まいとなったダンボール箱を枕元に置いて寝ました。

 夜中に何度も起こされることも覚悟の上でしたが、さくらは賢い子です。朝が白む頃までぐっすり寝てくれました。

 でも、その後は1日中、オシッコをさせることと授乳にかかりっきり。

 子猫は自分で排泄ができません。親猫がいれば、子猫のお尻をなめて排泄させるそうですが、その代わりにボクがさくらのお尻のあたりを綿棒などでさすって刺激してやらなければなりません。
 さくらがオシッコをしてくれるとホッとしますが、時にはボクの服や手にそれがかかることもあります。

 オシッコが済むと、いよいよ授乳です。

 さくらは母猫のオッパイを探す仕草をしているのですが、いざほ乳瓶で授乳しようとすると、四肢をフルに使い、何とか逃げ出そうとします。

 乳首をくわえさせるのに一苦労。さくらが泣いて口を開けた瞬間に、すばやく乳首をさくらの口に入れます。最初はかなり手こずりましたが、回を重ねるたびに、かなり上手くできるようになってきました。

 1回に作るミルクはわずか10CC程度。それとてさくらは一気には飲めず、チビリチビリ飲んでいるうちに、ミルクが冷たくなってしまいます。そうすると、「このミルクは冷めている」と言わんばかりに、さくらはプイッと顔を背け、乳首を吐きだしてしまいます。

 もういらないのかと仮住まいに戻すと、しばらくはおとなしくしていますが、ものの5分ほどすると、またミャァーミャァーと泣きだして、仮住まいの中をガサゴソ這い回ります。

 「はいはい、わかりました。ちょっと待ってね」と、冷めたミルクをもう一度湯煎して飲ませると、ようやくさくらも満足して2時間ほどは寝てくれます。

 今日は檀家へのお参りもなく、雨で外の作業もできなかったので、朝からずっとこの繰り返し。すっかり、さくらの“母”をしていました。

 明日からはどうしましょう・・・。

〜 寝ているとホッとします 〜
2005年4月20日(水)  No.607

好天の休暇
 朝の天気予報では晴天も今日までということなので、足慣らしに大文字山に登ってみることにしました。

 行って帰るだけなら2時間もあればいいだろうと、ポカリと若干のおやつをカメラバッグに入れました。
 大文字山の山頂あたりは三つ葉つつじが綺麗だろうと期待して、カメラと一脚を携えました。

 本堂裏の東参道を下っていくと、海猫のような鳴き声がしていました。目を凝らすと、車道の真ん中に黒い塊が動いています。近づいてみると子猫です。まだ目も開いていませんが、やたらと大きな声を出しています。
 「これは困ったなぁ。また捨て猫か・・・連れて行くことはできないし」と思いましたが、カラスに狙われる場所でもないので、車に轢かれないように道ばたにやって、木の葉のベッドで寝かしておきました。

 霊願寺裏の登山道より大文字山へ。やがて、道は「大」の右足部分を辿り、足が疲れるほど低く小さい階段を登り切ると、「大」の縦横が交わる中心部に出ます。市内が眼下に広がるこの場所には、普段は何人かの人がいるのですが、今日は誰一人おられません。こんなにいい天気なのに。

 自坊を出てから小一時間ほどで、京都市内を一望する絶景を手に入れることができるのですから、大文字山に登るのは至極魅力的です。

 弘法大師堂に掌を合わせ、「大」の字の一番天辺に向かうと、中年の男性が一人長い休憩をとっておられました。ボクがカメラをかまえていると、横を中年の女性が更に上を目指して颯爽と登って行かれました。
 「3K(キツイ・キタナイ・キケン)」の山は、中年以上の独壇場です。

 パノラマ写真を撮って、ボクも大文字山の頂上を目指しました。

 やがて、標高466mの三等三角点がある大文字山の頂上へ。途中で、さっき登っていった女性が降りてこられるのとすれ違いました。頂上往復が日課と見えます。

 以前、この頂上はまったく眺望がきかず、何の楽しみもありませんでしたが、今日久しぶりに来てみると、南側の樹木が切り払われ、山科と京都市内と、それを隔てる東山が一望できるではありませんか!
 すごく得をした気分で、またパノラマ写真を撮りました。

 実は、ここからどう歩を進めるかを決めずに、今日は来ているのでした。こういう無計画な歩き方はあまり誉められたものではありません。

 選択肢はいろいろあります。大きく分けて、1.来た道を戻り、火床から銀閣寺へ降りる 2.平家討伐の「談合の谷」を降りる 3.若王子か南禅寺に降りる 4.比叡平に降りる 5.山科・毘沙門堂に降りる 6.三井寺に降りる など。

 一番楽なのは 1。でも、つまらないなぁ。毘沙門堂に降りても桜は終わってるし、南禅寺に降りても、浄水場のツツジの公開はまだ。「じゃぁ、とりあえず、三井寺方面に向かってみるかなぁ」と、ここでも曖昧な進路決定。

 しばらく行くと、谷が集まった場所に、「雨社大神」という扁額のあがった祠がありました。

 ここには今までにも数回来たことがありますが、帰ってから調べてみると、雨乞いの神で、もともとは平安時代にこの辺りにあった三井寺別院「如意寺」の鎮守社「両神社」の跡地だとか。
 いま、両神社は真如堂ともほど近い岡崎神社の一番奥に遷座されているというから驚き。

 如意寺は、鎌倉時代には三井寺・長等山から鹿ヶ谷にわたる東西8キロの広大な敷地を有し、境内は4つのグループに分かれて寺院・社殿や僧坊・宿坊が建ち、壮観を誇っていたといいます。
 しかし、建武3年(1336)の新田義貞と足利尊氏の合戦や、室町末期の天文・永禄の乱等で悉く焼失。江戸中頃に、宝鑑寺の尼公が如意寺の湮滅を嘆き、霊鑑寺の南に寺を再興されたものの、明治維新後荒廃し、今はノートルダム女学院のグランドとなっているそうです。
 宝鑑寺の本尊の如意輪観音や大文字山頂裏の池の谷地蔵の石地蔵は如意寺から移されたものと言われているとのこと。
 さすがに、京都は山の中まで歴史が埋もれていると感じました。

 しばらく行くと、標高472メートルの如意ケ岳の山頂。でも、今や山頂は運輸省大阪航空局の大きく平べったい航空無線塔に占拠され、2重のフェンスが張り巡らされていて立入禁止となっています。

 以前は山頂にまさかの構造物を見て引き返したことがありましたが、今日は、「せっかくここまで来たのだから、やはり三井寺に降りよう」という気持に固まっていました。
 万一に備えて財布を持ってきましたから、大津からは電車で帰れますし。

 フェンスを回り込んで、施設の正面に出ると、ナンバープレートの上に、外国の領事館などが付けるようなプレートを付けた車が止まっていて、明らかに運転手とおぼしきスーツを着た男性が車を掃除していました。

 「うーん、やはり怪しげな施設だ・・・」。いやいや、怪しくない。飛行機はこのポイントと信号のやり取りをして進路を確かめています。テロの対象となりやすい施設だから、警備が厳重なのでしょう。

 しばらくは、その施設の取り付け道路を歩き、しばらくしてガードレールに「↓ 三井寺」と書かれた案内?に従って、ガードレールをくぐって、再び林間へ。
 長等山の頂上を経て、やはり山中に突然現れたトンネルの地上施設とおぼしき構造物の近くを通って、分岐点に出ました。

 そこに立っていた看板に唖然。「この道は私道につき、許可なく通り抜けはできません。大津へは小関越道へお回り下さい。○○寺」「−お願い− ここから○○寺に入られる方は、下記志納金を納入してください。大人500円 中・高生300円 小学生200円 団体・・・・」

 「山の中を降りてきたわずかな人にも拝観料を寄こせと言うのか・・・寺が非課税でいられるのは公益性があるからじゃないか!・・・ケチ臭いことを言うな! 1週間前に桜を見に行ったばかりなのに、今日は断固行かないぞ!」と怒り心頭に達しながら、意地でも境内を通らないぞと決めて、遠回りになる小関越道へと進みました。

 小関峠には地蔵尊が祀られ、その向いの道ばたに、どこかの鉄工所が寄贈したステンレス製の山水を飲む仕掛けが設置してありました。

 それを見て、またさっきの看板を思いだし、「一般の方でもこうして峠を通る人に水を飲んでいただく接待をされているのに、何というケチなことを言う寺だ!」と心中でブツブツ言いながら飲んだその水の甘くて美味なること。久々の山行の疲れが消えていくようでした。

 満開の山桜を頭上に眺めながら、アスファルトの道を約2キロ。どことなく歴史を感じさせる集落を抜け、大津日赤の脇を通って、京阪電車の「上栄町」駅に着きました。

 「蹴上で降りて、南禅寺を抜けて帰るかなぁ・・・三条まで行って、昼ご飯にラーメンを食べるかなぁ」と考えているうちに、切符の販売機さえないその駅の駅員さんがホームまで切符を売るに来られました。すぐに決断をしなければなりません。
 「せっかくだから」と三条までの切符を求めると、折良く電車がホームに滑り込んできました。

 三条に着いたのがちょうど12時頃。三条京阪の駅の地上には、一度食べてみたいと思っていた、旭川に本店があるラーメン屋さんがありました。ボクが座った後は、時々待たされる人もあるほどの人気店。
 定番の塩ラーメンを頼むと、出てきたのは豚骨スープの塩ラーメンでした。しつこくなく、少し甘みを感じるスープをほぼ飲み干し、道を挟んだバス停に向かいました。

 歩いて帰ってもいいのですが、ラーメンやフレンチ、イタリアンを食べた後に歩くと決まって腹痛が起きるので、ここは大事を取ってバスに。

 「どこで降りよう・・・錦林車庫・・・でも、猫も気になるし」と逡巡していたら、あまり降りる人のない「真如堂道」で運転手に降車を知らせるスイッチを押す人がいたので、ボクもつられて降りました。

 猫がいた東参道は「真如堂道」から登ります。

 東参道に着き、朝、子猫を置いた枯れ葉のベッドあたりを探しても、黒い子猫は見あたりませんでした。その代わり、同じ大きさの三毛猫の子が横たわっているではありませんか! 「黒の代わりに三毛」と、何だか狐につままれた感じです。
 黒はどこへ行ったのでしょう? 誰かに拾われたか、親猫が連れにきたのか?

 動きのない三毛を触ってみたら、物憂げそうに手足を動かしました。「弱っているなぁ。この子を連れて帰っても、また死んでしまうかも知れない」と思い、一度はそのまま去りかけましたが、やはり気になって戻り、帽子に入れて連れて帰りました。

 帰ってからは休憩する間もなく、子猫の体をあたためたり、クロが遺していったミルクをあげたり、肛門を刺激して排泄させたはいいものの、気が付けばウンチまみれになっていた体を綺麗にしたりと、大騒動。
 でも、この子は何とか育ってくれそうな気がします。

 今日はなんだか盛り沢山の、佳き休暇でした。

〜 「大」の火床から見た京都市内/木立の中の三つ葉つつじ/如意ケ嶽の航空無線塔/豚骨塩ラーメン 〜
2005年4月19日(火)  No.606

ピンクレディー
 「ピンクレディー47歳の挑戦!!」という番組を途中から見ました。

 彼女たちは、2003年6月から2年間の期間限定で再結成して全国コンサートを行っていて、すでに観客30万人を動員しているそうです。

 番組は、コンサートの舞台裏や2人の私生活にも迫っていて、アイドル当時の映像などはなつかしいものでした。

 47才であの激しい振りをこなしながら歌うなんて、ボクだったらバラバラになります。

 また、昔のピンクレディーを再現するというものとはひと味もふた味も違う感じでした。
 アイドル時代は若さでカバーできた部分を、熟練した味で魅せてくれているのでしょう。

 コンサート中のトーク場面では、更年期の話なども飛び出し、あー、彼女たちもそういう年齢に差し掛かったのかと、少々ビックリしました。

 それにしても、彼女たちはすごいなぁ。

 コンサート後のインタビューでも、「元気を貰いました」「仕事場での嫌なことがスカッとしました」などと応えている参加者がいましたが、確かにボクも元気を貰った気がしました。

 ボクも同年代。最近は更年期かなと思うこともしばしば。これからどう生きる、何に一所懸命になれるか、それが最近のボクの命題です。
2005年4月18日(月)  No.605

京都迎賓館
 今日も快晴。

 ミーコの額ぐらいの畑を耕して種を蒔く準備をし、モロヘイヤの種を苗床に蒔いたり、ちょっと遅いですが紫陽花や白山吹の植え替えをしたりと、プチ庭師気分。

 原付に乗って買い物に行ったついでに、枝垂れ桜が満開の加茂川端をフラフラ。
 花見の名所ほどの混雑もなく、かといって桜、川、遠くに山が見える眺めと開放感は、こちらのほうが数段上。「ここに来れば、どこにも花見に行く気がなくなるなぁ」と思いました。


 今日、京都御所の中に「京都迎賓館」がオープンし、首相や村山内閣以降の首相経験者、衆参両院議長らが出席して、開館披露式典が執り行われました。

 日本庭園や池を配した回廊型の和風建築で、内外装や調度品には漆や竹細工、西陣織など、京の伝統工芸の粋を集め、総工費260億円の巨費を投じて建設されたものです。

 「無駄な施設」と大蔵官僚でさえ取り合わなかったのを、90年、時の有力議員の「ごちゃごちゃ言わんと、交通事故にでも遭ったと思ってつけてやれよ」という電話一本で調査費がついたといいます。

 国としてあるに越したことがない施設でしょうが、東京の迎賓館でさえ年に10回も使わないのに、ここは何回使われるというのでしょう。

 有意義に使われるのならまだしも、年間5億円の管理費を垂れ流しつつ、ほとんど使われることもなく老朽化していくのでしょうか。

 負の遺産とならなければいいですが・・・。

〜 加茂川「半木の道」 〜

2005年4月17日(日)  No.604

初めてのMD
 MDをいただきました。中身は、宮沢賢治の童話の朗読。20年以上も前にカセットテープ版で発売されたものの一部をMDにダビングしてくださったものでした。

 朗読しているのは、米倉斉加年、長岡輝子、宇野重吉など。それだけでも聞いてみたくなる内容でした。


 ところが、ボクはMDの機械を持っていません。MDとMOをよく言い間違えたりもします。

 どうしても聞いてみたいので機械を借りました。初めてMDなるものにさわりました。

 ごく当たり前に動くのだろうと、操作方法の説明を受けませんでしたが、いざスイッチを入れても一向に動く気配がありません。

 ただ、液晶パネルに、“ Hello ”と出るだけ。何度やっても同じす。

 「この機械は“ Hello ”と挨拶ばっかりで、ちっとも動いてくれないじゃないの! もう挨拶は要らないって!」と少々苛立ちながらあちこち触っていたら、なぜか突然動き出しました。


 待ちに待った朗読が始まりました。賢治の童話はもちろん、朗読する人それぞれの個性もあって、実に味のある内容でした。


 MDと一緒にいただいた水彩画には、以前「今日の散歩道」に載せた写真をもとに描かれたというカエル池のカエル君の姿がありました。

 カエル池の水もぬるんできました。そろそろ、カエル君や亀君が姿を見せてくれるでしょうか。

〜 MDと一緒にいただいたカエル君の水彩画 〜
2005年4月16日(土)  No.603

3度目のリコール
 車のリコールの修理に行きました。今の車を買って5年。今回が3回目のリコールです。

 新しい車種なので、パーツがこなれてないということもあるのでしょうが、3回とはちょっと多すぎます。


 30分ほどで作業が終わるというので、何もしないで待っているのも退屈ですし、ブラブラと近くの自転車量販店に行きました。

 数百台はあろうという自転車に圧倒されましたが、同じような自転車でも倍ほど値段が違うのはなぜなのかな?

 ボクが買ったのとはまた違ったタイプ前照灯を発見! 前輪の車軸のところに発電機が内蔵されているようでした。うん、これもいいかも。


 あっという間に店内を見終わってしまったので、桜吹雪の道を抜けて、大型スーパーに行き、以前買い逃したメロンパンのスプレッドなるものを探してみました。

 1ヶ月前、このスーパーでそれを見つけ、気になったものの買わずに帰ったのですが、帰ってからすごく気になり、以後、この店でも、他の店でも探しましたが、見つけることができませんでした。

 今日は・・・・・やはりありませんでした。1ヶ月前は山積みになっていたのに・・・。

 これからは、迷った時には買うことにしようっと!


 そろそろ修理が終わる時間なので、ディーラーに戻り、車を受け取りました。

 しくじって蹴って壊してしまった飲み物のホルダーを交換する費用を調べてもらったら、ただのプラスチックの部品なのに、かなり高いことを言われました。

 「『リコールのお詫びにサービスで直させていただきます』と言えないの」と身勝手に憤り、「こんなもの、ボクの技術で直してやる!」と心の中で叫んで帰ってきました。


 帰ってから、「ボクの腕でこんなもの直してやる!」と修理をしていたら、勢い余って千枚通しで手のひらを一突き。出血はすぐに収まりましたが、夜になってから、注射を失敗された時のように手の平に大きな内出血のあとが拡がってビックリ! 慌てて消毒をしました。

 なんのこれしき。少々のバイ菌ぐらいヘッチャラだぁ〜い!

〜 車に積もった桜の花びら 〜
2005年4月15日(金)  No.602

朝から みのもんた
 最近、朝のテレビに みのもんた さんが司会をされている番組があります。

 言っちゃ悪いですが、朝から みのもんた はキツイ!

 朝から みのもんた を見るのって、たとえて言えば、朝食から揚げ物を食べるような感じ。
 お昼のおもいッきりテレビだけで充分。

 テレビ局も、みの さんを持ってくれば視聴率が稼げると、安易に考えたのでしょうね。

 でも、少なくても一番からあのギラギラした顔を見たり、あのしゃべりを聞きたくはありません。

 関西の同じ時間帯の番組には、吉本の芸人さんたちが出ている、これまたコテコテの番組があります。

 朝は、もう少し爽やかな番組がいいのになぁー。
2005年4月14日(木)  No.601

春眠を鶯に邪魔される
 「春眠暁を覚えず」。寝るのが好きなボクは、願わくば1日中でも寝りたいと常々思っています。

 ところが、最近、朝早くからボクの眠りを邪魔する声があるのです。猫ではありません。鶯です。

 まだまだ夢うつつの朝ぼらけんの頃、ボクが寝ている部屋のすぐ外で、鶯はお決まりの「ホー ホケキョ ケキョケキョケキョケキョ」を連発。
 よく通る声なので、ガラス1枚を隔てていても、大きな声で聞こえてきます。

 頃合いを見計らって、たまに啼いてくれるなら、「あー、鶯だ。春だなぁ」と有り難く思うのですが、こう毎朝「ホケキョ」を連呼され、安眠を妨げられてはたまったものではありません。


 話はかわって、今日、三井寺に行きました。桜は京都よりも少し遅い感じで、充分堪能できました。

 その売店で「うぐいす笛」なるものを発見! 「おお、これで鶯に対抗できるかも!」と即座に思いつきましたが、逡巡して何回か販売棚の前を行き来した末、「うぐいす笛の音に、また別の鶯が寄ってきてはたまらん」と思って、買うのを断念。記念に写真を撮っておきました。

 鶯さん、もうちょっと遅くから啼き始めてくださいな。

〜 三井寺の高台から見た琵琶湖/うぐいす笛 〜
2005年4月13日(水)  No.600

NEC98健在
 ボクはいくつかの小さな会の事務局担当をしていて、会計処理なども自室の会計専用パソコンで処理しています。

 会計専用パソコンというと聞こえがいいですが、実体は93年に発売されたNECのパソコン。

 ある時、人のあまり通らない参道端に廃棄してあったのを拾ってきたものです。
 持ち帰ったのは雨の日で、パソコンはずぶ濡れ。逆さにしたら水が滴りました。
 外側をはずし、庭で1週間ほど念入りに天日干しをした後、恐る恐るスイッチを入れたら、ちゃんと起動しました。

 「しめた!」とOSにNECのMS−DOSインストールし、古いパソコンの会計データーをそこに移して、以来7〜8年、たまにしか動かない会計の処理をしてきました。

 最近になって、「あのPCが壊れたら、会計データーがパァーになる・・・」と不安が募っていたのですが、今日スイッチを入れてみると、どうも情緒不安定。

 「これはいかん! 壊れる前にバックアップを取ろう!」と、急いで会計データーをフロッピーに移しました。

 でも、古いNECの機械で動いていた会計ソフトは、いまの主力に使っているパソコンでは使えません。フロッピーでさえ、NECの機械でフォーマットしたものは、読みとれません。

 それは端から承知の上。うちには拾ってきたパソコンより少し新しい、数台の部品を寄せ集めて再生した、WINDOWSが走るNECのパソコンがあり、今も客間で、来客用のPCとして動いています。
 フロッピーをその機械に入れると、思った通り、難なく読んでくれました。

 そのパソコンから、テキストファイルにした会計データーメールに添付して今の主力パソコンに送り、これでとにかくデーターは保全されました。安心。

 同じ建物の中にあるパソコンのデーターを、インターネットを通してやり取りするというのも、考えようによってはおかしなものですが、読めないフロッピーを読むための“データー・ロンダリング”です。

 これで、またしばらくは拾ってきたパソコンを、“安心して”使えます。

 今でも、使えそうなパソコンが道に捨ててあったりすると、「天寿を全うしていないだろうに・・・工夫すればいくらでも使えるだろうに」とかわいそうに思えます。

 使ったパソコンの遍歴からも、「長い間、事務局を勤めてきたなぁ」と思います。

〜 拾ってきた後、今も“現役”の93年式PC9821Ce 〜
2005年4月12日(火)  No.599

天目釉
 知り合いの僧侶Sさんから、「お茶碗を貰ったけれど、自分が持っていても使うことがないので差し上げます」と、天目茶碗を譲り受けました。

 よく聞くと、そのSさんが、前に「メダカの学校」で平安時代の衣裳の話をしていただいたこともあるTさんと、その陶芸家のところを訪ねた時に、「これ、持って帰ってください」と貰ったものだとか。

 茶碗に付いていたプロフィールを見ると、その陶芸家K氏はかなり名のある方のようで、ボストン美術館、ダラス美術館、故宮美術館、大英博物館などにも作品が収蔵されているとか。
 知り合いの茶道具屋さんに聞いても、値打ちのあるものだと。えらいものを貰ってしまいました。

 後日、Sさんに電話して礼を言うと、「箱書きをしてもらいましょう」と誘われ、今日の伺うことになりましたが、あいにく、数日前になってSさんの都合が悪くなり、結局ボクひとりで山科の清水焼団地にある陶房をお訪ねしました。

 清水焼団地は、陶器市の時の賑わいが嘘のように閑散としていました。

 K氏は大変気さくな方で、箱書きの話に到達するまでに、茶碗がボクのもとに来た経緯の説明なども含めて、40〜50分以上も四方山話をしました。

 やっと、「ところで、今日は箱書きでしたね?」と言われたので、おもむろにいただいた茶碗を納めた桐箱を差し出しました。

 K氏は、中の茶碗を確かめ、「あー、アンドロメダですなぁ」とおっしゃいました。

 「えっ、アンドロメダ!?」

 お聞きすると、K氏が作り出された天目釉の名前だとか。他にも、「天目宙てんもくそら」などと、宇宙を思わせる命名をされている天目釉がありました。

 図録を拝見すると、なるほど、深遠な宇宙の神秘にも通じるような素晴らしい表情の釉薬です。
 でも、古稀というお歳もあって、片仮名のその命名はちょっと意外でした。

 箱書きが終わった頃、「あー、これも持って帰ってください。2つあるから、一つはSさんに差し上げてください」と、側の棚に置いてあった天目茶碗2つを手にとられました。

 ボクは驚き、「箱書きをして貰いに伺ったのに、またいただいて帰っては何をしに来たかわかりませんから」と申し上げたのですが、K氏はさっさと2つそれぞれ紙箱に収め、手提げ袋に入れてくださいました。

 どうなってるの? なんだか狐につままれたような感じです。

 その後、作業場や窯場を案内してくださり、今度はTさん、Sさんと共に作陶体験に伺うお約束をして、帰路につきました。

 1時間半以上、2時間近くも、お邪魔してしまいました。


 K氏は、焼き物を始められた頃に、国宝の油滴天目に出会って魅せられ、以来、各地の鉱石を使って天目釉の開発に打ち込んで来られたようです。そして、今も独自の天目釉を生み出すために、「常に胸を躍らせながら、天目の深みを追い続けて」おられるとのことでした(古稀記念展の図録より)。

 K氏の天目からは、漆黒の中に、広く、深く、コバルトブルーに輝く宇宙をイメージできそうです。

 「常に胸を躍らせながら、天目の深みを追い続ける」。情熱的で、ロマンチックな言葉です。


 今日も素晴らしい方に出会えました。

〜 図録に掲載されていた「天目アンドロメダ茶碗」 〜
2005年4月11日(月)  No.598

示唆に富んだ言葉
 先日、3月のカレンダーをめくって4月にしましたが、何が書いてあるか、見ていませんでした。

 土曜日に「メダカの学校」に参加されたご婦人が、カレンダーに見入っておられたのを今日思いだして見てみると、ユニークな墨絵の上に、

  「 善いことでも まわりをよくみてやりなさい

    本当のことでも 相手のことを考えて言いなさい 」

という言葉が記されていました。

 それを見て、即座に、「ボクにピッタリの言葉やなぁ」と思いました。

 善いこと、本当のことを思うとつい独善的になってまでもやろうとするボク。「本当のこと」をしていないと思える人に、時に攻撃的にさえなるボク。

 「あー、ほんまにその通りやなぁ・・・これを机の前に貼っておかなあかんなぁ」と、大きな示唆を貰った気がしました。

 あとは、この言葉がどこまで身に付くかの問題です。


 嵐のような“観桜週間”が終わりました。

 おいで下さった皆さん、有り難うございました。いいご旅行になったでしょうか? またのお越しをお待ちしています。

〜 夕焼けの高野川堰堤の桜と比叡山 〜
2005年4月10日(日)  No.597

桜花爛漫、千客万来
 絶好のお花見日よりでした。

 部屋の中にいるより、外のほうがずっとあたたかく、外を歩いていると汗をかきました。日焼けもしそう。

 この日和にさそわれて、境内にはお弁当を広げる人もいっぱい。一升瓶を持ち込んでいる人もいて、ちょっと困ります。
 花見の人は、紅葉を愛でに来る人に人に比べて、ゴミを出したり、大騒ぎする人が多くて・・・。

 今年の桜は、いろいろな種類が一度に、しかもあっという間に咲いてしまいました。開花が少し遅れたためでしょう。
 花の色も、少し淡いような気がします。一気に満開になったために、そう見えるのかも知れません。


 遠来の方々もたくさんお訪ねくださいました。北は福島から、千葉・神奈川・愛知・大阪・香川・・・。

 「どこへ行ってもすごい人だろうなぁ。行く気はしないなぁ」と思いつつ、「メダカの学校」もあったので、境内から一歩も出ませんでした。

 みなさん、お疲れさまでした。
2005年4月9日(土)  No.596

マジ軽ライト
 以前、テレビで見た自転車の前照灯が手に入りました。その名も「マジ軽ライト」。

 どこが気になっていたかというと、マジ軽ライトは従来のタイヤとローラーが接触することによって発電するライトと違って、ペダルがまったく重たくならないというのです。

 欲しいと思い、ホームセンターなどを回って見ましたが、置いてありませんでした。

 あれから1年ほど経った今月初め、ネットで「自転車」「前照灯」で検索をしてみたら、ありました、ありました。

 「へぇ〜、マジ軽ライトかぁ。うーん、なかなかいいネーミング」と気に入って、ちょっとお高かったですが、さっそく注文し、今日届きました。

 中に説明書が入っているとのことでしたが、見あたらず。ネット検索をした時に、説明書きのページがあったのを思いだして、それをプリントして、取り付けにかかりました。

 部品は、タイヤのスポークに取り付ける磁石3つとライトだけ。

 前輪に取り付けた3つの磁石板が回転することで、ランプのコイルが反応して発電され、ライトが点くという仕組み。何も接触する部分がないので、ライトを点けてもペダルは重たくなりません。

 回転する磁石板とライトの間隔の調整が少し難しいぐらいで、取り付けは簡単に終わりました。

 手でタイヤを回して点灯試験を行い、あとは暗くなるのを待って試運転。


 夕食後、いざ出陣!

 説明に、「10メートルほど走らないと点灯しない」と書いてありましたが、10メートルではなく20メートルほどは点灯しません。そのかわり、止まってから2〜3秒は点いています。なるほど・・・ちょっと難有り。

 ライトのスイッチがないので、点灯させるための動作は何もなく、昼間でも点けっぱなしになるみたいです。
 ライトの寿命は5千時間以上あるので、1日1時間走行しても13年以上の寿命があるという説明。なるほど・・・。

 走っている時の明るさは、普通の自転車の前照灯並でしょうか。


 満開の桜の咲く薄暗がりの境内を、マジ軽ライトを点けた坊さんが疾走している光景は、妖艶な光景だったかも? ただのギャグっぽい光景?
2005年4月8日(金)  No.595

もみじの“嫁入り”
 1月の末に境内の実生のもみじを鉢に移植しましたが、今日、そのうちの3鉢が鳥取のお寺に“嫁入り”しました。

 なんでも、そのお寺にあるもみじと真如堂のもみじは違うのだとか。境内に普通に生えているのは、ヤマモミジだと思うのですが、場所が変われば自生のもみじも変わるのでしょうか。

 そのお寺の方とはいつも会議でご一緒するのですが、「今日は雪で、なかなか出てこれませんで」とか「今朝急に50センチ積もったのです」というような話をよく聞かされています。

 そんな雪深い里に深窓のもみじが嫁いでいって大丈夫だろうか? 雪で枝が折れたりしないだろうか? などと心配しています。

 残ったもみじも、これから長野県飯田、兵庫県丹波、岡山市などに“嫁入り”する予定です。あえて苦労をしに行くぐらいなら、“破談”になったほうがいいかも知れません。

 何十年か先、嫁入りさせたもみじを巡る旅ができるかも知れませんね。

〜 “嫁入り”待ちのもみじたち 〜
2005年4月7日(木)  No.594

細木数子さん
 京都の最高気温は、25.2度。いきなり夏日です。街中は桜ムード一色。都大路は大渋滞していました。


 今日お参りに伺った独り暮らしのおばあさんが、棚に飾ってあったおじいさんの写真を燃やした方がいいだろうかと言い出されました。

 「ははぁーん、もしや」と聞いてみると、テレビで細木数子さんが仏壇に写真を飾ってはいけないとおっしゃったからだとか。やっぱり。

 昨日の会議でも、細木さんが「仏壇に写真に写真を入れてはいけない」「お墓に家紋は入れると家が滅びる」などと発言したことについて檀家から質問されたとおっしゃっていた人がありました。

 そんなことで、長年飾ってきたおじいさんの写真を燃やそうなどと思わなくていいのに・・・。

 正直なところ、ボクはあの細木さんという人は好きではありません。あの人の出る番組は一切見ません。

 あんなにあちこちのテレビに出て、彼女はテレビ受けするのでしょうか? 芸能人は占いとか宗教にとても弱いので、あんな人の言うことを真に受けるのでしょうか?

 仏壇に写真を入れないほうがいいというのは通説ですが、お墓の家紋のことは地域色やその墓地の方針などもあり、入れてはいけないことに何の根拠もありません。

 彼女自身は、これまで長年にわたって霊感商法的な石材屋とタイアップしてやってきて、訴訟を起こされたりもしていますから、発言の裏にまた何かあるのかなと勘ぐってしまいます。

 よくないことが起きると、「お墓が悪い」などと原因にされることの多いお墓ですが、経験上、そう言われてお墓を改修したり、凝ったお墓を建てる人ほど、人生がうまくいかない人が多いように思います。
 悪いのはお墓ではなく生き方なのですから、そこに気づかないと何も変わりはしません。
 そういう人は、改修したり凝って建てたお墓にも、ほとんどお参りされないのことが大半です。

 心棒がしっかりしていないと、あっちで何か聞いてはフラフラ、こっちで聞いてはフラフラしてしまいますが、細木さんの発言を聞いて右往左往する人も、そうなのではないかと思います。

 おばあさん、おじいさんの写真を燃やさないでくださいね。

〜 助手席の窓を開けて撮った鴨川添いの桜 〜
2005年4月6日(水)  No.593

春の一時
 古い石段を登り、高校時代を過ごした寮の脇を抜け、すぐに「黒衣の宰相」天海僧正の廟所である慈眼堂に着きました。

 高校の時には、通学の行き帰りと共に、昼ご飯を食べに寮まで走り抜けた境内。1日2往復をしたわけです。

 その傍らに、とにかく大きい桓武天皇の供養塔や歴代の天台座主の墓石が並ぶ一角があります。なんだかとても落ち着く空間です。

 一段高くなったところには、室町時代の石仏が13体並んでおられます。

 大学生になって6×6サイズのカメラを買った時、初めて撮影したのがこの石仏でした。
 それぞれに味のあるお顔をされています。

 でも、この石仏にはとても悲しい思いでもあります。

 ボクが寮に住んでいた時、尊敬する僧侶と高校の女性教諭ご夫婦の、ボクと年の変わらないお嬢さんが、この石仏の脇で焼身自殺されました。季節は忘れましたが、朝方の出来事で、サイレンの音で騒然となったような記憶があります。

 本当にショッキングな、辛くて悲しい出来事でした。

 この石仏は、そういうこともすべてご存じで鎮座されている気もしてきます。


 昼食後の休憩タイム、出席した人たちが煙草を吸いながら話しておられる中、今度は朝と反対の方角に散歩に出かけました。

 事務所のすぐ横の滋賀院門跡の説明駒札を何げなく見たら、この建物が、京都岡崎の六勝寺の一つである法勝寺から移築したものであると書いてありました。

 岡崎の辺りを通った時には、あの繁栄を誇った六勝寺が跡形もないのを寂しく思うことが度々ありましたが、ここにこういう形で残っていることを知り、何だか嬉しく感じました。

坂本は石垣の町。その石垣の近くを、比叡山から流れ出した清流が流れ、里坊の庭などに引き込まれていきます。

 清流に落ちた椿が流れの澱んだところに集まっていたり、小さな鳥が石から石へと飛んでいました。

 坂本の染井吉野は京都より数日遅いですが、何という種類の桜でしょう、一輪だけ咲いているのがとても新鮮に思えました。

 春の、こんなにゆっくりした時間を会議の合間にもてたことで、気持がリフレッシュ! この成果が会議に生きたかどうかは ? です。

〜 慈眼堂の石仏と落ち椿 〜
2005年4月5日(火)  No.592

デブになってしもうた・・・
 普段、着物を着たり、ルーズなズボンをはいたりしていて、たまにスーツなどを着ると、自分の体型が変わったことに気づかされます。

 今日、会議があるのでスーツを着ようとしたら、ズボンの前ホックがなかなか閉まりません。

 冬の間に脂肪をため込んでしまったみたいです。

 大きく息を吸って、お腹が引っ込んだタイミングを見計らって、なんとかホックを閉めました。

 でも、車を運転するためにシートに座ると、お腹が苦しくていけません。誰にも見られる心配はないので、再びホックをはずして運転。

 目的地について車を降りる時には再びホックを閉め、会議の席に着いたらまたホックをはずし・・・。

 そろそろ新しいスーツを買おうと思っていましたが、今の体型で買うわけにはいきません。もう少しスリムになってから買うことにいたしましょう。


 車のディーラーから、リコールの通知が来ました。今の車を買って5年半。これが3度目のリコールです。

 あー、めんどくさい。

〜 会議から帰った時の、傾く陽の光の中の椿と塔 〜
2005年4月4日(月)  No.591

kusyami.com のお引っ越し
 先日から進めていた kusyami.com の移転が終了しました。今まで自宅サーバーで運用していたのを、いろいろな事情から、レンタルサーバーに移したのです。譬えてみれば、住むところは変わったけれど、電話番号は変わらないというようなものでしょうか。

 移転に伴って、1000以上の画像ファイルのリネーム作業と、対応するデーターの書き換えは、“想定外”のかなり大変な作業でした。


 夕方から、雷と雨。所用があって出かけるのでタクシーを呼びましたが、なかなか来ません。花見に入洛された方々が、雷雨にあって、一気にタクシーに乗られたのでしょう。

 やっと乗ったタクシーの中からは、少し花見ができました。染井吉野もわずかに咲き出し、鴨川の柳の新しい葉も大きくなってきました。

 錦小路を通りがかったら、歩いている人のほとんどは観光客。四条寺町下るの電気屋街の中の数店舗は、若向けの洋服屋に替わっていました。

 久しぶりに京都ウォッチングをした気分でしたが、たまには街ブラもいいだろうなぁと思いました。今度ゆっくり・・・。

〜 咲き出した木屋町通の桜と柳 〜
2005年4月3日(日)  No.590

51世貫主の17回忌
 先々代の真如堂貫主、第51世貫主の17回忌法要がありました。

 51世が就任されたのは今から約30年前。在任13年でした。

 当時の真如堂は本当に貧しい寺で、職員に給料らしい給料も払えず、高齢の堂守が細々と本堂の番や草引きをしていました。

 もちろん、拝観に訪れる人などなく、文字通りもみじの隠れた名所でした。

 そんな中、51世は「私は学問がないから」とおっしゃって、自ら草引きや、下肥を汲んで植木にやるという作業までされました。

 自らの身をもって寺を護持しようというその姿にボクは強い感銘を受け、そんな貫主のお手伝いをしたいと思って、誰に頼まれたわけでもないのに、境内の整備をしたり、草を刈ったりという作務を自らしました。

 また、年中行事の「引声阿弥陀経会」の時には朗々とした節回しで経を唱えられ、法要の趣旨を述べる「法則」も実に味わいがあったことを思い出します。

 そんな貫主の17回忌ですが、塔頭の若い僧侶は、51世の遷化後に入山しているので、話の中でしかご本人のことを知りません。その数は真如堂の僧侶の1/3にもなり、そう考えると一昔前のことにも思えてしまいます。

 今日の法要で、僧として心から尊敬できる方に出会えてよかったという思いを、改めて噛みしめることができたように感じます。
2005年4月2日(土)  No.589

変装して蘊蓄をたれる
 今日から4月。気も新たなり。

 春の観光シーズンも本格化してきて、桜を目がけた方々もやって来られるようになりました。
 でも、今年の桜はまだまだ。

 開花予想が出る前にホテルなどを予約しないと満室になってしまうので、花の最適期とあわせることはなかなか難しい気がします。

 今週お越しの方は、「残念っ!」。

 いま、椿が本当にきれいです。ハッと息を呑むような美しさが椿にはあります。

 境内で写真を撮っていると、「これなんという花だろう」という囁きがよく聞こえてきます。

 知らない花の名前がわかった時には、すごく嬉しいものだと思います。
 ですから、「これなんという花だろう」と聞こえれば、間髪入れず、「これはサンシュユです」などと教えてあげたくなるのです。
 「えっ、サンシュ?」「いえいえ、最後に『ユ』が要るのです。サンシュユです。秋になると赤い綺麗な実がなって・・・」などと、聞かれもしないのに長々と蘊蓄をたれてしまいます。

 最後に、たいてい「よくご存じですねぇ」と言われので、その時はすかさずかぶっていたニット帽を脱いで、「ボクはここの坊さんですから」と言うと、たいていの人は「えええ!!」とのけぞられます。
 あまりにもみすぼらしい格好で写真を撮っているから、余計でしょう。

 春には、ボクならではのそういう秘かな楽しみもあります。
2005年4月1日(金)  No.588

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