[一覧] [最新]

2005年1月の日記

お勉強
 今日が期限の来年度の講義概要とスケジュールの書類提出。

 ここ数日の奮闘努力の甲斐あって?1科目は何とか出来ました。

 もう1科目である「経営学」は、いろいろ考えても開講する趣旨がわからず、担当者に問い合わせても返事すら返ってこないので、「趣旨の説明をうけるまで提出できません」と連絡をしました。

 終わったわけではないけれど、やれやれ。

 
 書類を書いている間に、「4月から教えられるの・・・」と段々不安になり、書店に行って数冊の本を買ってきました。

 晩酌もやめて、夜は読書三昧・・・三昧は言い過ぎ。

 いつまで続くやら。海老沢さんじゃないけど、「国定忠治の心境」。
2005年1月31日(月)  No.526

タニウツギの帰り花
 先代の真如堂貫主の7回忌がありました。

 遺影を見ていると、もう丸6年経つのかという思いと、もっと経っているような錯覚とが入り交じります。


 大通りには珍しいタニウツギの生け垣に、帰り花が咲いているのを見つけました。

 タニウツギの花は大好きなので、春になると、少し郊外で咲いているのを見つけ、こっそりいただいて帰ります。

 何度か挿し木をして庭で繁殖させようとしましたが、結局叶っていません。

 こんな街中で咲くとはなぁ・・・だいたい、タニウツギを街中の大通り沿いに植えようなどと、普通は考えないのですが・・・ちょっとかわいそうな気がします。

 街中はあたたかいから、間違って咲いてしまったのかな。
2005年1月30日(日)  No.525

膠着状態
 2日ほど前から始めた学校の講義概要の書類作りですが、さーっぱり進みません。

 パソコンの前に座ってちょっと文章を作ってみたり、メモを持ってコタツで考えたり、まるでクマのよう・・・。

 何時間やっていても、頭の中のモードが切り替わらず、膠着状態のまま。

 何を教えればいいんだろうなぁ・・・。
2005年1月29日(土)  No.524

尾瀬の舞茸
 尾瀬から大きな舞茸が届きました。しみじみ嬉しい贈り物でした。


 尾瀬とは、何とも不思議なご縁を感じます。

 ボクが高校生の時、偶然買い求めた『尾瀬に死す』という本。そこには、尾瀬の自然保護に対する情熱や尾瀬の美しい自然が記されていました。

 その後、自然保護に興味を持っていろいろな本を読んだのも、また今日ボクが山を歩くことに大きな癒しを感じるようになったのも、すべてこの本との出会いが出発点でした。

 そして、本の中で初めて、著者平野長靖氏が大学時代に真如堂に下宿されていたことを知り、住職も氏のことを覚えていました。


 尾瀬の長蔵小屋の3代目である長靖氏は、昭和40年代、尾瀬を通る道を舗装して車道化する計画が持ち上がった時、それに真っ先に反対して環境庁長官にも直訴し、自然保護運動の世論の高まりもあって、自動車道建設を阻止しました。

 残念なことに、1971年に豪雪の三平峠で遭難死。まだまだこれからという36才でした。

 本は長靖氏の遺稿集であり、自然保護のバイブルとして、最近まで小学校の教科書でも紹介されていました。


 10年ほど前、ボクは念願叶って、初めて尾瀬に行きました。

 本で読んだより俗化されているとは思いましたが、何としても訪れたかった“聖地”でした。

 尾瀬に入ってから天候が急変し、大雨で木道は流され、至仏山では遭難者が出ました。
 ボクも冷たい水に膝まで浸かりながら湿原を抜け、ようやく下山したことを思い出します。


 ボクが真如堂の執事をしていた頃、1通の手紙が来て、そこには長靖氏の30回忌を向かえるにあたり、真如堂でコンサートをさせて欲しい旨が記されていました。

 突然のことでビックリしましたが、嬉しいことであり、もちろん大歓迎。2001年の3月、冷え冷えとする本堂で、「尾瀬と平野長靖に捧げる語りと音楽の夕べ」 が催され、たくさんの人が来て下さいました。

 本に書かれていた長靖氏の奥さんや、これから小屋を背負っていく4代目とも初めてお会いしましたが、何だかずっと古くからの知己であるような気がしました。


 先年、その山小屋の不法投棄問題が持ち上がり、廃棄物処理法違反で有罪とする判決が昨年下されました。

 環境庁の“魔女狩り”だという人もあります。ボクも、何か恣意的なものが働いたのだろうと思っています。

 その問題が起きてから、長蔵小屋の機関紙『いわつばめ通信』は途絶え、音信も疎らになってしまいました。

 自然保護の先駆けとして命を賭して関わってこられた長蔵小屋がそんなことで裁かれることになり、奥さんや4代目がどれだけ心を痛められているか、察するに余りありました。


 たまたま東京在住のお檀家と話している中で、その方が山の月刊誌の編集長をされていることがわかり、話が長蔵小屋のことに及んだ時、その檀家が奥さんや4代目と何十年来の懇意であることがわかりました。

 檀家さんも、長蔵小屋と真如堂にそんな関係があったことを初めて知り、お互いのもつ縁にビックリしつつ、小屋とご家族のことを案じました。

 本当に不思議なご縁でした。


 説明が長くなりましたが、そんなことがあっての久しぶりの奥さんからの音信。しかも、美味しい舞茸とともに。
 元気になってこられたのかなぁと、本当に嬉しく思いました。

 雪が融けたら、また尾瀬に行きたいなぁ・・・長蔵小屋に泊まりたいなぁ・・・。

〜 尾瀬の舞茸に万感こもる 〜
2005年1月28日(金)  No.523

開山忌
 今日は真如堂の開祖戒算上人の953回忌。

 一山総出仕、各塔頭の檀家代表が参列される中、本堂で法要を勤め、本坊の「涅槃の庭」の近くにある墓所に参詣しました。

 開山忌は、毎年寒さが一番厳しい頃。今日もそこそこの冷え込みで、本堂の欅の床を法要で行道する時、足の裏から寒さがジンジンと伝わってくるようでした。


 来年度から行くことになってしまった学校に、授業計画を出す期限が迫ってきました。

 社会人も来る可能性があるらしいのですが、新設コースなので、一体どんな学生が何人ぐらい受講するのか、学校自体も見当がつかないらしいのです。

 まして、ボクに見当がつくわけもなし。

 ぜんぜん対象のイメージが湧かない中で、しかも二つ頼まれている授業のうちの一つは「経営学」。計画なんて立てられるわけなし!

 年間30回の内容についても、事細かに記載してくださいなんて、あり得な〜い! 今までにこんな学校はありませんでした。

 ほとほと、困りました・・・今日はもうや〜めた。


 そういう時に限って、セールスの電話に出てしまいます。

 最近、NTTのセールス電話がよくかかってきます。今年になってから今日で4〜5回目。他社の参入でかなり危機感を持っているのでしょう。

 NTTはセールス電話を番号非通知でかけてくるのですよ! 番号がわかると、2回目以降は拒否されることもあるとわかっているからなのでしょうか?

 自分のところのシステムの悪用のようで、何か変だなぁ・・・。

〜 戒算上人の墓所「開山堂」 〜
2005年1月27日(木)  No.522

もみじのDNA
 何人かの僧侶の方に、「真如堂のもみじの苗を分けてください」と頼まれているので、境内の雑木林のようになっているところに実生で生えていた苗を取ってきて、植木鉢に仮植えしました。

 「真如堂のもみじは綺麗だ。DNAが違う」「うちのほうに生えているもみじとは種類が違う」と言われるのですが、今日、仮植えしたもみじはちゃんと綺麗に紅葉してくれるのでしょうか?

 境内には綺麗に紅葉するもみじもあれば、そうでない木もあります。もちろん、年によっても違います。

 今日の苗は、綺麗なもみじのDNAを受け継いでいるのか、それとも・・・。

 結果は数年、数十年後にしかわかりません。
2005年1月26日(水)  No.521

北海道ボケ
 檀家宅への読経、来客、ボランティアの新人研修、天台宗関係の機関紙の打ち合わせ、新年会と、もうバタバタの1日。

 昨日までののんびり旅行が嘘のようで、体は動いても、気持がついていきません。

 部屋には、旅行の荷物が散乱したまま。

 あー、北海道は楽しかったなぁ。
2005年1月25日(火)  No.520

バースディ旅行 最終日
 いよいよ今日でバースデー旅行も終わりなってしまいました。あっという間でした。


 あまり時間の余裕がないので、朝ゆっくりする間もなく、クマ牧場へ行きました。
 去年は全国各地で熊が出没して大騒動でしたが、クマ牧場の熊たちの、手をあげたり叩いたりしながら餌を請う姿はとても愛くるしく、どう猛さを忘れてしまうくらいでした。

 続いて、登別温泉の各旅館・ホテルの温泉の湯元ともなっている地獄谷へ。時間がなくてゆっくりは見られませんでしたが、白い雪と湯煙の合わさった光景が、とても幻想的でした。

 ここでも、ハングルや中国語ばかりが聞こえ、まるで外国に来ているよう。 クマ牧場で日本語を聞いたのは、熊のショウをしている訓練員と売店の女性だけ。熊の餌を売っている人もハングルでした。


 1時過ぎには新千歳空港に到着。外は吹雪で、夕方にかけて発着できるかどうかわからない可能性が高くなるので、早めの便に乗るようにアナウンスされていました。
 ボクの乗る便は本州からの到着便の折り返しでしたが、その機が遅れ、出発も30分ほど遅れました。
 なかには欠航になったり、到着を諦めて出発地に戻った便もあったようです。

 外は、「こんなに視界がない状態でも飛べるの・・・」という状態。飛行機の羽根に凍結防止剤などを吹き付ける作業などをして、なんとか飛ぶことが出来ました。

 雲の上は、コバルトブルーの空でした。


 観光したのは登別だけでしたが、ゆったりと北の国を満喫した旅行でした。美味しかったなぁ〜、北の海の幸。

 でも、空港で食べたカレー味噌ラーメンは・・・やめときゃよかった。


 至れり尽くせりのバースデー旅行、お世話になりました。ありがとう。

〜 愛嬌たっぷりの熊たち/雪に煙る新千歳空港 〜
2005年1月24日(月)  No.518

バースデー旅行3日目
 友人宅には本当にお世話になりました。美味しいものをたくさん頂戴し、有り難うございました。


 札幌駅に出て、札幌で一番のみならず、首都圏を除いた関東以北では最も背が高いというJRタワーの展望台を目指しました。

 受付には「視界不良」の表示。展望台から見える光景の画像は、ほとんど眺望がきかない様子です。

 この日は吹雪。積雪も119センチで、過去5年で一番雪が積もったとか。

 展望台へ上がるには900円の入場料が要りますが、これでは上がっても何も見えません。

 「やーめた!」


 駅の近くの寿司屋に。これまでの3日間にいろいろなお魚をいただきましたが、お寿司はまだ。やっぱり、お寿司を食べなきゃ!

 ラストオーダーまで10分ほどしかなかったので、迷わず、ボタンエビを注文。にしん、たち、八角、ヤリイカ、カニの内子もいただき、大満足です。


 北海道旅行の最期の締めくくりは温泉。

 札幌からJRに乗って登別温泉へ。駅からバスに乗りましたが、乗客はほとんどなし。「さびれているのかなぁ」と少々不安になりました。

 一人では旅館に泊まれないので、旅館の大浴場を利用できる旅館の系列ホテルに投宿。
 やはり、ホテルも旅館もさほど混んではいません。

 路線バスでも、ホテルや旅館でも、ハングルや中国語を話す人がとても多いと思いましたが、登別温泉を訪れる人の1割は韓国・中国・台湾からの人とか。韓国・中国・台湾でも、温泉を楽しむ風習があるのでしょうか?

 ここは、“純さま”にはうってつけの場所かも・・・。


 お風呂も空いていましたが、一番大きい展望風呂では、お年寄りが泳いでおられました。
 ボクの目の前を平泳ぎしたり、犬かきしたり・・・子供なら「お風呂で泳いではいけないよ」と注意しますが、目上の人にはなかなか言えません。

 他の浴槽に移ったら、そこではやはり同じ年頃の方が、浴槽でタオルを絞っておられました。
 脱衣所では、おばあさんがおじいさんを探しに入ってこられる場面もありました。

 「最近の若い者は・・・」と言いますが、最も公衆道徳を守れないのは子供や若者ではなく、高齢者の方々ではないか、お年寄りが尊敬されなくてもしかたないと思える場面に、常日頃からよく出会います。

 最近のいろいろな事件を見て、「私たちの時はあんなことはなかった」とおっしゃるお年寄りもおられますが、その人たちが教育した子供の子供などの世代が事件を起こしたりしているわけで、「親の因果が子にたたり」というように、そんな祖父母の及ぼしている影響もずいぶん大きいのではないかと思わざるを得ません。


 お風呂は、酸性緑ばん泉、酸性硫化水素泉、食塩泉、重曹泉、芭硝泉泉など、7種類の泉質が楽しめました。

 あっちの湯船、こっちのお湯と、1時間以上ハシゴをして、十分温泉を満喫。

 お風呂上がりのビールで一息ついて、冷酒の呑みながら食事をしていたら、すっかりいい心地になって、バタン・キューでした。

〜 こんな道、ボクは走れません/ボタンエビのお寿司 〜
2005年1月23日(日)  No.519

バースデー旅行2日目
夕べの最終便で新千歳に着き、札幌に入ったのは10時過ぎ。札幌の友人に、美味しいと評判の居酒屋に連れて行って貰いました。

 大将とお運びをする女性の2人だけの小さな店でしたが、見たことがないようなメニューの文字に期待が高まります。

 ホッキ貝、ヤリイカ、ツブ、ウニ、めぬき、そい、水蛸の頭など、冬の味覚満載のお刺身の美味しさに、椅子から落ちそう!

 北海道では「ゴッコ」と呼ばれるホテイウオをぶつ切りにして入れた「ごっこ汁」は初めて。一般には「白子」「雲子」と呼ばれる「タチ」の天ぷらも、あん肝も、京都で食べるのとはまるで鮮度が違うという気がしました。

 昨日、京都駅へ行って貰ったタクシーの運転手さんは高知の海辺育ちだとか。京都の魚は、高くて美味しくないと言っておられました。学校の教え子の静岡の人も、「京都の刺身は気持ち悪くて食べられない」と言っていましたが、納得できる気がしました。


 北海道旅行2日目。

 雪ということもあって、端から観光をする気などなし。泊めていただいた友人宅でのんびり朝寝をして、焼き鮭や筋子、イクラ、ウニなどで朝食。

 頼まれていたパソコンのハードディスクの換装などをして、ボクの切望していたホームセンターへ!

 いや〜ぁ、とにかく広い! こんなホームセンターは見たことがない!
 小さいものならネジから、大きな工作機械や農機具、調理用具でも園芸道具、暖房器具、除雪用具・・・ 何でもある!

 「わぁー、これ欲しい! こんなのまで売っているんだ! ・・・ でもなぁ、持って帰れない・・・」と、感嘆と落胆の言葉の連続。

 「こんなホームセンターがあるだけでも札幌に住む値打ちがある」と思いました。


 続きに、隣接してある大型スーパーの鮮魚売り場に。北海道ならでは海の幸が売っているのを見たかったのですが、「長崎産」「カナダ産」などという北海道以外産地表示のものが大多数で、ちょっとガッカリ。

 ホタテ、北寄、かじかなどを買いました。

 「かじか」は、オコゼのように頭や口が大きくて不格好な魚だそうですが、野菜と一緒に味噌で煮込むと美味しくて、皆が箸を鍋につっこんで食べたがるので「鍋壊し」とも言われているそうです。

 おばあちゃんが調理してくださった「かじか汁」は、絶品でした。


 ちょっとだけ雪かき体験もできました。機械でもやってみたかったなぁ。

〜 ホームセンターには薪ストーブ売り場も/雪かき体験 〜
2005年1月22日(土)  No.516

はかないなぁ
 今日お参りに行ったのは、27才で亡くなった青年のお家。

 5年前の今日、寒い日、突然亡くなりました。体調が悪いと起きてこないので、家族の方が見に行ったら、亡くなって冷たくなっていたそうです。

 彼とは作業所で知り合い、仏教に興味があったようで、いろいろなことを話しました。

 彼もご家族もクリスチャンで、洗礼を受けおられましたが、ボクと知り合ったこともあって、仏式でお葬式をして欲しいと希望され、墓所も真如堂に設けられました。

 早朝、彼のお父さんが突然訪ねて来られ、「亡くなりました」と聞かされた時、「まさか・・・」という思いばかりが先に立ち、言葉を失ったことを今さらながら思い出します。

 ボクがあげた僧侶用の扇子を大事に持っていてくれ、棺の中にそれが入っていました。

 もう5年も経ったのか・・・仏壇には彼が好きだったコーラーや甘いお菓子がいっぱい供えてありました。

 本当にいい青年でした。

 自分より若くて亡くなった人を拝む時、いのちのはかなさを思わされます。


 今夜の最終便で、飛行機のバースデー割引を利用して、北海道旅行に出かけたきま〜す!
2005年1月21日(金)  No.515

会議プラス&
 今日は朝から夕方まで、大津坂本で会議。いつもながら、長〜い会議でした。

 終わって近くで新年会。お料理はまぁまぁでしたが、会議とはまたひと味違う意見なども出て、これぞ日本式コミュニケーションといった感じ。

 さぁ、帰ろうと思ったら二次会。

 「どうせ新幹線に乗りに京都へ行くのだから」と、名古屋や岐阜に帰る人やそのちょっと手前に帰る人と、京都で2次会。

 お二人ともボクより年上なのに、元気だなぁ。

 一見さんお断りのお店でちょっと呑んで、それぞれ家路につきました。

〜 一見さんお断りのお店にて 〜
2005年1月20日(木)  No.514

業界紙の記事
 今週の金曜日は「今日の散歩道」をゆっくり更新している時間がないので、その下準備などをしていました。

 午後は、自坊で明日の会議のための会議。突然、地元紙の記者も加わって、ほとんど雑談になってしまいました。

 その中で、宗教界の業界紙に阪神大震災に関するボクのコメントが載っていると知らされました。

 知らなんだぁ・・・確かに取材は受けたけど、書けたら見せるっていっていたのに・・・どんなふうに書かれているのだろう・・・。

 マスコミは、今のNHK vs 朝日新聞のように、「そんなこと言ってないよ」ということがよくあるので心配です。

 まぁ、誰も読まない業界紙だからいいか・・・。
2005年1月19日(水)  No.513

お葬式
 自坊で檀家のおばあちゃんのお葬式でした。参列は遺族だけが15人ほど。

 10月から入院されていて、年末の仮退院にあわせてお参りに伺い、「またお正月明けに入院しますけど、すぐに帰れます」と言っておられたのになぁ。

 早くにご主人が亡くなり、ご子息も亡くされ、新聞の集金をしながら頑張って来られたのに、ちょっと楽ができるようになってから体をこわされ、逝ってしまわれました。

 棺のそばから離れようとしない曾孫の姿を見て、おばあちゃんは愛されていたんだなぁとしみじみ感じました。
2005年1月18日(火)  No.512

10年
 今日は、阪神淡路大震災から10年目。

 先日来、テレビでも特集番組が続き、今日も地震当時の光景や今朝の現地の表情を伝える番組が放送されていました。

 ボクは、一切見たくありませんでした。

 ポイントポイントを切り取って集めたテレビの番組は、あの時の被災地の状態を本当に伝えているとは思えないし、今、また改めて燃えている神戸の街や、避難所に集まった人々の映像を見る気にはなれませんでした。

 ボクが地震後初めて神戸に行ったのは、地震が起きてから5日後でした。列車や国道の橋脚は落ち、駅はつぶれ、ビルが倒れ、救助犬が埋もれた人を探していました。ものが焦げた臭いや埃の臭いに、街は包まれていました。

 それ以後の半年ほどの間に、炊き出しや物資搬送、避難所訪問、慰霊法要などで20回ほど被災地へ行きました。

 今、新しくなった町並みを見ると、とても複雑な気分です。

 先日の被災者へのアンケートによると、8割が「神戸は復興した」と思っておられるものの、「自分の生活が復興した」とは思っておられる方は6割ということでした。
 失ったものの大きさを考えると、「自分の生活が復興した」と思われる方は、この先どれだけ時間が経っても、これ以上はあまり増えないのではないでしょうか。


 ボクの曽祖父母は、昭和2年、3000人の死者を出した奥丹後地震の被害者でした。祖母も落ちてきた瓦で頭に裂傷を負いました。

 真如堂は、断層によって出来た地形の中にスポッと入っています。
 東参道の東側には10メートル以上の段差がありますが、これは活断層によって作り出されたことが疑われています。真如堂の門前50メートルほどのところに落ち込んだ地形がありますが、これも断層によって作られたものです。
 法然院や銀閣寺のすぐ裏側には、大原の奥から伏見に走る大きな断層があり、吉田山の西側にもその一部が走っています。

 京都には神戸の倍以上の木造家屋があります。地震が起きた時の建物の倒壊や火災は甚大だと言われています。

 神戸の地震も、新潟も、まったく余所のこととは思えません。


 今日は、午後から夜までボランティアに行っていました。ボランティアでバタバタしていて、いろいろなことを思い出さなくてよかったのかも知れません。
2005年1月17日(月)  No.511

手持ちぶさた
 今日は初釜。母の社中さんの集まりで、ボクには直接は関係ありませんが、ボクの自室の真下で催されているので、ドタバタしないようひっそり。

 住職は三十三間堂で行われている後白河上皇の頭痛平癒にあやかる霊験あらたかな行事「柳のお加持」に出仕。お堂の西側では新成人らが弓の上達を誓う新春恒例の「通し矢」も行われていました。

 住職が1日不在のこの日は、どうしてもこの日にという方以外は法要もありません。

 来客の対応をしなければいけないので出かけるわけにも行かず、部屋でなりをひそめ続けるのも気詰まりだし、庭でガサガサしているわけにもいきません。

 パソコンに向かってみたり、猫対策のクレゾールを撒いてみたり・・・日曜日とは思えぬ手持ちぶさた。


 今日、今年初めて鶯を見ました! まだ啼いたりはしませんが、梢から梢に忍者のように移動していました。

〜 鶯、どこにいるかわかりますか? 〜
2005年1月16日(日)  No.510

結婚式
 今日、仏前結婚式を司りました。

 新郎新婦とボクだけの静かな式でした。

 新婦は、ホームページを見て5年前に1度だけお訪ねくださった方。それ以後、特に頻繁にメールのやりとりがあったわけではありませんでした。

 その方から、昨年の10月に自坊での仏前結婚式が可能かどうかを打診するメールが来て、今日の運びとなりました。

 導師として結婚式を執行するのは、ボクにとっても初めてのことでした。

 ボクの知る限り、自坊では今までに2年に1度ほどの頻度で結婚式を行ってきましたが、2人っきりというのも初めてでした。
 結婚式を日常的に受けている寺社には2人だけの挙式を頼みにくいというのも、ボクに依頼してこられた理由の一つでしょう。

 普通は仲人や数名の助手がいて進行される仏前結婚式ですが、ボクひとりですから、三三九度を注ぐのも含めて、すべて自分で行わなければなりません。

 滞りなく式は終わり、言葉少なに新郎新婦は帰って行かれました。

 どうかお幸せに・・・。
2005年1月15日(土)  No.509

“猫の春”かな?
 最近、猫の声がうるさく、夜遅くでも「ギャ〜ァ ギャ〜ァ」騒がれるので目が覚めてしまいます。

 このうるさい猫の素性を調べてみると、かつて猫や犬をいっぱい飼っておられ、今は空き屋となった境内の建物で産まれたらしいのです。
 子猫の時からうちの庭に来て遊んでいましたが、今ではすっかり大きくなりました。

 兄妹のようなのに、あの声は“猫の春”? それともじゃれ合っているだけ?

 どうやら、鳥の餌台近くの屋外ストッカーの下に潜み、鳩や雀を狙っているようなので、そこに入れないようにバリケードをしました。
 あわせて、数か所にクレゾール石けん液の原液を垂らし、臭いで撃退するようにしました。

 その成果あって、夜中の声は遠くで聞こえるようになり、襲撃待ちをすることもなくなりました。

 それはよかったのですが、外にいても、家の中に入っても、たえずクレゾールの臭いがしているようでたまりません。

 また、ミーコはそんなことはお構いなしに、いつも通りやってきます。あの子の臭覚は麻痺しているのかなぁ。

 早く猫との戦いを卒業したいのですが・・・。



 「ナイショの伝言板」を使い、匿名の嫌がらせメールが来ることがあるということを知りました。

 相手のメールアドレスを知らなくても、またこちらのメールアドレスを明らかにすることなしに、メールが出せるようにと設けた伝言板ですが、そのような形で使われるのはとても辛いことです。
2005年1月14日(金)  No.508

少しよくなったかな
 風邪は少しよくなりました。

 午前中はバイクでルンルン外回り。午後は、土曜日に予定されている自坊でのの結婚式の書き物などをして、おとなしくしていました。


 寝ようと思えばいくらでも寝られるのはボクの特技でしょうか?
2005年1月13日(木)  No.507

頭から風邪
 夕べ、「ちょっと風邪気味かなぁ」と思いつつ頭を剃り、寝る時も「頭が寒いなぁ」とタオルを巻き、セーターを着て靴下を履いて寝たのですが・・・今日のお昼頃から悪寒。

 それから、背中にカイロを張って、ずぅ〜っと寝ていました。

 食欲は減っていないので、「こんなことをしていたら太ってしまうなぁ」と思いつつ、「栄養をつけなきゃ!」といっぱい食べて、ミカンなども食べて、とにかく寝倒しました。

 「シャンプーをしたら風邪をひいた」ということを聞くことがありますが、ボクの場合、それはありません。

 でも、わずか数ミリ伸びている髪を剃っただけでも、体(頭)感温度はかなり違います。

 だから、調子の悪そうな時は頭を剃らないのですが、少し伸びていると無精をしているように自分でも思えてくるものですから、その葛藤の中で夕べは剃ってしまったのです。

 失敗したなぁ・・・。
2005年1月12日(水)  No.506

震災10年目近づく
 1月17日が近づくにつれて、テレビのどのチャンネルでも阪神大震災の特集を放送するようになってきました。

 でも、そういう番組が流れると、ついチャンネルを替えてしまいます。

 あの時の辛くすさまじい光景を今改めて見たくないという思いや、そんな通り一遍の番組で何が伝えられるものかという反発もあります。

 ボクも震災後5日目に初めて現地に入り、以後半年ほどの間に20回ほど、炊き出しや法要などのために被災地を訪問しました。

 神戸は、通常は京都から2時間弱の街。学生の頃には時々遊びに行った街でした。
 その神戸が見るも無惨な光景に変わり、京都からわずか離れただけの場所でテントや避難所暮らしをする人があふれ、「この町内でも3人亡くなった」などという話を日常のように聞きくなどということは、今の日本において信じがたいことでした。

 10年が経ちます。ずっと昔のことのようにも思えますし、つい昨日のことのようにも思えます。


 宗教紙の記者が、震災10年の特集をしたいと取材に来ました。10年前、その紙面に掲載された座談会にボクが出ていたそうで、その追取材のようなことでしたが、ボクは座談会に出たことすら忘れていました。

 記者は、災害時の宗教者が行う心のケアについて質問をしてきました。

 ボクは常々、今の僧侶に心のケアが出来る人がどれだけいるだろうと思っています。
 災害が起きるたびに、一部から宗教者の心のケアが必要だという声が上がり、宗教者もそれができるように端から思いこんでいる節がありますが、日常でさえこういうことをしていない人たちに、どうして災害時にそんなことができるものかと思っています。

 神戸の時も、煽られて、“心のケア”をしたいと言った僧侶を、「そんなことをしようと思っても、なんの訓練もしていない者が、ただ僧侶だからというだけでやろうとしたら、相手がいい迷惑だ。淡々と炊き出しに徹しろ」と何度も止めました。

 「またその質問か・・・」とウンザリしましたが、10年前にも現地での僧侶の動きを取材したというその記者は、実体験に照らして、ボクの言ったことを理解してくれました。

 本当は、被災された方々と心の問題まで話ができる僧侶がちゃんといてくれれば・・・そういう僧侶を養成しないと・・・自己規制しなければいけないのは、お粗末でさみしいことです。


 ボクが震災の特集を見たくない理由がもう一つあることがわかりました。
2005年1月11日(火)  No.505

読書
 今日も寒い日になりました。

 快晴なのですが風が強く、体感温度はかなり低め。

 11時頃の境内の気温は3〜4度。風速1メートルで体感温度は1度下がると言われています。今日は3メートルほどの風が吹いていましたから、体感温度は0度ほどだったのでしょうね。

 今日もお墓に氷が張って、墓参の人は花が供えられずに困っておられました。


 知人に頼まれて、夕方から、『平安京のメリークリスマス』という本を、一気に読みました。似たような名前の映画がありました・・・。

 帯のコピーには、「ザビエル来日より七百年もの昔、平安京の片隅で、秘めやかに祝われたクリスマスの一夜があった・・・ 現代の高校生カップルが解き明かす、京都歴史ミステリー」とありました。

 円仁がペルシャ人を里親に持つ中国人のキリスト教徒と唐から帰国したなどという突飛な空想いっぱい、歴史的な人物や文物を出来事を「よくこれだけ・・・」というほど絡み合わせたストーリー。

 歴史的な記述の部分はよく調べられていてとても面白かったですが、それ以外は・・・。

 途中で眠たくもならずに、久しぶりに本を読み切りました。
2005年1月10日(月)  No.504

お買い物
 寒い日でした。

 朝、法要を済ませた続きに墓前回向に行きましたが(京都では年回法要などをお寺で勤めることが多いのです)、花立てや水鉢に氷が張っていて水を注げないので、参拝された方は杓の柄で割っておられました。


 今日は、すご〜く久しぶりに服を買いに行きました。

 オシャレに気をつかうほうではく、何を着ていてもあまり気にならないのですが、着古して、人前に出るにはちょっとみすぼらしい様相になってきました。

 近くのショッピングセンターは連休で賑わっていました。

 無頓着にズボンと靴を買って、地下の食料品売り場に行きました。

 大きいお店は普段見られない食材などがいっぱいあって、いくら時間や“カゴ”があっても足りないくらい。

 服の売り場より、こっちのほうがよほど面白い! 服の売り場の3倍ほどの時間を掛けて食品売り場を見て回りました。

 そういえば買ってきた服をまだ開けてない・・・。

〜 お母さんの買い物に振り回されて疲れて座り込むフランス人の少女 〜
2005年1月9日(日)  No.503

頭半分、まだお正月
 外回りで伺ったお宅の1軒は、町の真ん中のマンションの10階。

 比叡山が白く見えましたが、北山はあまり白くなっていません。珍しい雪の降り方です。
 それにしても、北向きのマンションの10階の通路は、風が強くて寒〜い。


 午後からは、今年初の「メダカの学校」。お正月は、おぜんざいをお出しします。
 うちでついたお餅は水餅になっているので、スーパーで切り餅を買ってきて、オープントースターで焼きました。

 市販のお餅って、あっという間に膨らむのですね。柔らかいけど、腰がありません。おぜんざいには、ちょうどいいかも知れません。

 でも、焼き色が付く前に膨れてしまったので、さらにガスレンジに網を載せて、サッと一炙り。このほうが美味しそうに見えます。


 今日のお話は、十二単衣のこと。平安時代の人の暮らしも垣間見えて、大変面白かったです。


 終わってすぐにボランティアへ。新年早々の会議。結構遅くまでかかりました。


 日程的にはすっかり普段通りですが、頭の半分はまだお正月です。
2005年1月8日(土)  No.502

通常業務へ
 正月関連の行事もほぼ終わり、今日から通常日程。朝はまず檀家宅への読経から。醍醐方面へ行きました。

 午後からは「今日の散歩道」の更新作業。

 お天気を期待していたのに雲の合間に少し晴れるという程度で、なかなか写真が撮れません。、新年の更新なので、重たい雰囲気の冬の曇天の写真より、少しは明るい写真が撮りたかったのです。


 NTTからDMが来ました。加入電話の基本料金やISDNが安くなるとか、電話料金の明細をネットで見られるとかというもの。

 なぁ〜んだ、50円とか100円安くなるだけかぁ。

 いろいろな業者が電話に参入して、NTTも防戦のためにやっているのでしょうが、これでは防戦にならないなぁ。

 ん? マイラインって、そんなものを設定しましたねぇ。うちはどこにしたでしょう?

 選択肢が広がるというのは、ややこしいなぁ。
2005年1月7日(金)  No.501

初歯医者
 松もとれないうちから、歯医者に行きました。

 12月中旬、爪楊枝で奥歯あたりをほじくっていたら、ブリッジが施してある箇所が少し動いたような気がして、それから物を食べるたびにだんだん取れそうになってきていたのでした。

 ボクは元来、歯は丈夫ですが、20ほど前に親知らずを抜いてから、ちょっと調子を崩しました。

 20年ほど前、親知らずが虫歯になり、その時、初めて歯医者の治療を受けました。

 斜めにはえている親知らずなどは「必ず虫歯になる」と言われ、抜歯を勧められて、立て続けに3本を抜きました。

 親知らずを抜く時は、口を開け続けているだけでも大変。かなり力任せに抜こうとしている感じで、「顎が外れそうです」と訴えても、「大丈夫です」と返ってくるだけ。
 もう二度とあの歯科には行きません。

 ただヨカッタのは、薄いピンクの制服を着た新米のナースが、息がかかりそうなほど近くで処置をしてくれたこと。
 ボクも若かったので、ドキドキしましたぁ〜。

 その時の力任せの抜歯で、親知らずの前の大臼歯にダメージが加わったのでしょう。5〜6年に割れているのがわかり、結局抜歯。人工のものを作って、前の歯からブリッジで保たせているのです。

 グラグラしてるブリッジをいったん外して、接着剤を付けて貼り直すだけで、処置は10分ほどで終わりました。

 新年早々、あの、「キィ〜ン」という嫌な音を聞かずに済みました。
2005年1月6日(木)  No.500

クマった
 今日も年頭回礼の運転手。60数軒を回りました。

 車のラジオからは、京都市動物園で開園準備中の飼育員が北極熊に襲われ重傷を負ったというニュースが流れてきました。

 昨日は北で殺人事件、今日は南で事故。両方ごく近いところで起きたこと。

 いろいろ波乱含みの今年の年明けです。熊には年末も正月も関係ありませんが・・・。
2005年1月5日(水)  No.499

殺人事件
 今日から年頭回礼。檀家宅を護符などをもって回ります。

 今日のコースは、寺から1キロ程度以内の近く。といっても、滅多に通らない道もあり、新しい家が建ったり、店が開店していたりに驚きながら回りました。

 脇道から白川通へ入った途端、渋滞で車が動かなくなってしまいました。

 赤色灯を回した警察車両が止まっているのが見えたので、交通事故かと思いましたが、何だか様子が違います。

 歩道に通行を制限するテープが貼られ、警察官が1人たって監視しています。1車線が規制されて歩道が確保され、赤色灯はついていないものの警察の鑑識車両を確信させる大型ワンボックスカーが5〜6台止まっています。
 新聞社の腕章をつけた人たちが、その場を立ち去ろうとしているところでした。

 体を移動させて規制されている歩道の先を見ると、マンションの1階がブルーシートで覆われ、その駐車場に大型ワンボックスカーが後ろ向けで入って行くところでした。

 「これは殺人事件だ・・・。あの車は遺体を搬送する車だ」と思い、知人の地元放送局のアナウンサーに携帯メールで問い合わせると、「北白川のマンションで女性殺人。被害者は49才。室内物色されたあとあり」と返ってきました。

 別の人からは、すでに地元紙のHPの速報で流れていると、さらに詳しいニュースが入ってきました。

 やはり・・・。

 場所は、いつも行く本屋さんや先月買い物をした花屋、夜遅くにタコ焼きを買った店などが並ぶボクの準生活圏。

 物騒な事件が多い世の中ですが、通り慣れた近所で、こそ泥ぐらいならまだしも、殺人事件が起こるとは思ってもいませんでした。

 しかも、深夜のニュースでは、被害に遭われた女性のお母さんも同じ49才で殺されて山中で白骨遺体で発見されたまま、時効になってしまったとのこと。
 母娘ともに殺されて亡くなるとは・・・。

 ・・・・・・・・・・。
2005年1月4日(火)  No.498

にらみ鯛
 三が日最後の日。

 元旦から、食膳にのっている焼いた鯛。

 「にらみ鯛」といって、お正月の膳に乗るものの、三が日の間はにらむだけで箸を付けないという風習があります。京都だけの風習でしょうか?

 3日間にらんでいるだけで食べないと、鯛はどんどん堅くなります。4日目にいただこうと思っても、箸がたたないこともあります。

 毎年お正月に、にらみ鯛を用意されるお宅もありますが、うちは年男・年女のいる年のお正月にだけ食膳に並びます。

 今年はボクが年男。この鯛はボク用に用意されたものです。

 4日では余計に堅くなるし、夕食もバラバラになるなぁと思って、このにらみ鯛を今夜食べることにしました。

 この堅いまま食べても、せっかくの鯛が美味しくいただけない。何かいい方法はないかなぁとネットで調べた結果、鯛で出汁を取り、それで鍋をして、最後に身をほぐして雑炊にすることにしました。
 そろそろ野菜を食べたいと思っていたので、ちょうどいいです。

 ネットで調べているうちに、最近は自動的に鯛の裏表がこんがり色よく焼ける機械があって、大量に焼く業者は12月になったら鯛を焼き始め、それをダンボールにいれて冷凍保存し、年末になったら解凍して市場やスーパーに卸すのだそうです。
 当然、美味しさは減じ、傷みやすくなるので、それが最近需要が減ってきた原因の一つではないかといわれているそうです。

 えーー、そうなの。なるほどぉー。

 やっぱり、そのまま食べるより、鍋にしちゃおう!

 調理にかかる前にもう一度にらみ、年男のボクが一箸だけつけて、はい! 即 土鍋行き! 昆布だしを張って煮立たせた土鍋で丸ままグツグツ。練炭の火が強すぎたかな、出汁が白獨してしまいました。

 頃合いを見計らって鯛を上げ、骨をを取って身をほぐして置いておき、出汁の中に野菜入れてグツグツ。
 まずは鯛汁鍋の出来上がり! うん、あっさり味でさっぱり美味しいです。

 野菜を食べきって、ほぐした鯛の身とご飯を入れ、火を止めて醤油少々、溶き卵と葱で仕上げ。
 これまた美味しい! 

 こうして、にらみ鯛は3日間を満了することなく、鯛汁鍋と鯛雑炊となって、成仏したのでした。

 ごちそうさま。

〜作って食べるのに夢中で、写真を取り忘れました。写真の鯛は、魚屋さんのHPの立派なものを拝借〜
2005年1月3日(月)  No.497

大寝坊!
 夕べ早く寝たのに、朝なかなか起きられず、気がついたら8時前! えらいこっちゃ!

 急いでお勤めをし、ご飯を食べて、来客スタンバイ体制に入りましたが、来客の気配なし。

 毎年2日は、家でゆっくりされる方が多いのか、元旦とは比較にならないほど参拝者は少なくなります。

 五月雨的に来られる参拝者対応の合間に、年賀状や年賀メールの返事を書いたりする作業が、ずいぶん進みました。


 正月のテレビって、どうしてあんなに面白くないのでしょう。

 駅伝やサッカー、ラクビーはいいとして、バラエティー番組に面白いと思えるものが何もありません。

 和服にギター抱えて「残念ー!」というタレントさんがよく出てきますが、一体あれのどこが面白いのでしょう?

 詞はまったく面白くもなく、ルックスは貧相・・・思わず、大学生の甥に、「これ面白いの?」と尋ねました。

 甥も「面白くない」と言ってくれたので、ボクの面白無さが加齢だけが原因ではないと一安心。

 でも、「面白いの?」と聞くあたり、すでに自信を失っている気がしますが、何だかそんなふうに聞きたくなる番組ばかりの気がします。

 ブツブツ・・・。
2005年1月2日(日)  No.496

元旦
 本堂の修正会から帰って、まず濡れた足袋を履き替えて、自坊の修正会。

 蝋燭や線香を点けて、今まさに始めようとしていたら、早速今年1番の年始参りの人が来られました。

 来られる方は、みな檀家やそのご親戚などで、年始の挨拶と墓参にお越しになります。

 最初に来られた方は、大阪の方。夜通しの初詣などの続きにお越しになったのでしょうか?

 かつて、祇園社のおけら参りの続きに来られて、「門が開いていませんでした」とおっしゃった方がありましたが、夜中の3時頃、除夜の鐘と修正会の短い間ぐらい、せめて寝させてよぉ〜。

 自坊の修正会を終えて、お屠蘇やおせちをゆっくりいただいている間もなく、まずは雪かき。

 最初は衣姿でやっていましたがとても追いつかず、作業着と長靴に着替え、スコップで砂利を運んで水たまりを埋めたりする作業をしました。
 
 今年はこの作業が余分でした。

 その間も檀家の方が五月雨的にお越しになり、11時くらいからは本格化。

 お正月はお越しになった方全員に、和菓子とおうす(抹茶)をお出しします。子供には駄菓子を差し上げますが、おうすを飲みたいという“通”な子にはたててあげます。

 普段と違い、お正月は普段は仕事で来られない人や帰省してきた人も一緒に家族全員で来られる方や親族一同で来られる方も多く、1団体で7〜8人、多いときは10人ほどという場合も珍しくありません。

 和菓子とお抹茶で時間がかかり、その上に1組の人数が多いということで、玄関に人が入りきれないことも度々。

 そういう状態が2時半頃まで続き、その後はまた五月雨状態で夕方まで続きます。
 暗くなってから来られた方に懐中電灯をお貸しすることもあります。

 住職やボクも、お越しになった皆さんといろいろお話しするのが楽しく、それも時間がかかる要因かも知れません。

 何人来られたからわかりませんが、和菓子は250個減っていましたので、座れなくて挨拶だけして帰られた方や子供を合わせると、300人ほどがお見えになったでしょうか。

 長〜い元旦でした。

 夕食をいただいたら一気に眠気に襲われ、意識が混沌とし、早々と寝てしまいました。

〜 お正月の和菓子「花びら餅」。お出ししているのはこれではありません 〜
2005年1月1日(土)  No.495

No. PASS
 OR AND
スペースで区切って複数指定可能
[日記一覧]
shiromuku(fs2)DIARY version 1.25