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2004年12月の日記

年越し蕎麦
 毎年大晦日になると、住職の長年の友人であるお蕎麦屋さんのおじいさんが、年越し蕎麦の麺や出汁などを一式を持って、不自由な足を引きずりながら届けてくださっていました。

 その方が今年の10月に亡くなり、「今年はお蕎麦が来ないなぁ・・・」と思っていたのですが、思いがけなくご子息が、おじいさんが生きておられる時と同じままに届けて下さいました。

 たくさんいただくので、毎年、大晦日にいただくと共に、元旦の忙しいお昼に立ち食い同様で頂戴します。

 辛み大根と海苔であっさりといただくお蕎麦、今は亡きおじいさん、「今年も美味しく頂戴しました。ありがとうございました」。


 雪景色の大晦日となりました。

 この雪が融けるのと同じく、1年をリセットできるといいのになぁ。インドネシア沖津波なども、なっかったことに出来れば・・・。


 今年1年、皆さんには大変お世話になりました。心から御礼申し上げます。

〜 辛み大根おろしをのせた年越し蕎麦 〜
2004年12月31日(金)  No.494

あんパン
 小田原で有名だというあんパンを頂戴しました。

 あんパンとクリームパンがいっぱい入った箱2つを持った時の第1印象は、「よくこんなに重たいものを小田原から・・・ありがとう」でした。

 直径約8センチ、高さ約5センチ、重さ約150グラムで、小振りな見かけからは想像つかないようなずっしり感。といっても、石ではないのですから・・・。

 食べてみると、あんパンというよりはあんを食べている、あんを覆うためにパン生地でくるんであるという印象です。

 こしあんと粒あんの少しこしあん寄りのあんは、それほど甘くありません。それでも、パン一つを一気に食べるのは、見た目以上に大変です。

 このあんでおしるこを作ったら、何杯出来るでしょう。

 ネットで調べてみたら、このパンを買うためにわざわざ小田原で新幹線を降りたり、小田原土産に蒲鉾は買わなくてもあんパンを買う人もおられる。小田原の公園で食べていたら、地元の人に「それ、守谷のあんパンでしょ?」と声をかけられるとか、すでに伝説の領域に入っている感です。

 とにかく、一つ食べたら、しばらくは何も食べたくなるほどのボリュームでした。クリームパンも同様。


 いろいろなことがあったなぁと思いつつ、しみじみ、かつため息をつきながらいただくあんパンでした。ため息は、あんのボリュームゆえ、念のため。

〜 小粒ながら圧倒的ボリュームのあんパン 〜
2004年12月30日(木)  No.493

「ピカール」から「テガール」へ
 年末恒例の作業の一つ、“仏器磨き”をしました。

 天台・真言などの密教の修法をする宗派は、使う仏具がそれ以外の宗派よりもの数多くあります。

 大半が真鍮製のそれらを綺麗に磨いて、新年を迎える準備を整えます。

 この仏器磨きは結構な重労働です。小さな真鍮製の器などを、金属磨きを浸けた新聞紙で先ず力を入れてゴシゴシ磨き、もう一度仕上げ磨きをします。
 小さな器をしっかり握りながら磨くものですから、握力を使い、終わる頃には手が痛くなることも少なくありません。
 時間的にも、3時間はかかります。

 先日、僧侶仲間から浸け置きタイプの金属磨きは、とても作業が楽だという話を聞きました。
 浸け置くだけで綺麗になるなら、願ってもないことです。


 さっそく、大きな仏具屋さん2軒を回りましたが、いずれもカタログには載せているものの現品がありません。

 一度楽な方法があると聞くと、しんどいやり方をしようとは、なかなか思えません。

 ネットで検索して、愛知県の仏具屋さんに、至急送ってもらうように依頼。翌日の今日届き、すぐに作業にかかりました。


 その薬剤の名前は「テガール」。「手軽」が商品名のルーツであることは、ギャグに精通していない人でもわかります。しかも、販売している会社の名前が、「シャインケミカル商会」。いかにもそれらしい社名です。

 ちなみに、今まで使っていたゴシゴシ磨くタイプの金属磨きは「ピカール」。こっちもベタな名前。業界の傾向でしょうか?


 原液を30倍に薄めた中に、磨きたいものを最大30秒ほど浸け、すぐに水で薬剤を落として、専用布で拭くという手順です。
 確かに早い! 浸けただけでは大して綺麗になりませんが、専用布で拭けば、曇っていた真鍮製の器もピカピカ!

 うたい文句通り、拭いて磨いた時の1/10の時間で作業を終えることが出来ました。楽チン!

 でも、ゴシゴシ磨くのに比べたら、やはりその輝きは少し濁っています。

 浸け置きといっても、要は金属に張った皮膜を希塩酸などで溶かしているのでしょう。希釈液に手を浸けた時に、少しピリピリしましたから・・・。仏器に悪い影響はないのでしょうか?

 製品の説明書きには、名古屋城の金シャチの修復作業の時、金シャチの汚れを落とすのに使われたと書いてありましたが・・・。

 まぁ、何はともあれ、年末の必須作業をまた一つ終えました。

〜 「ボンカレー」のようなパッケージの金属磨き 〜
2004年12月29日(水)  No.492

餅つき
 じゃぁ、久々に居室のすす払いをしようと思い立ち、何年ぶりかの大掃除。埃が出るわ出るわ。

 「よーし、続きに自室も掃除するぞぉー」とやりかけたら、餅つきの時間。3時から餅つきをする予定になっていました。


 おくどさんでお湯を沸かし、お米を蒸籠で蒸したりするのは、住職の“趣味”。午後から、かかりっきりになっていました。

 準備万端出来上がったところで、「さぁ、ついてくれ」と呼ばれたのです。

 最近はあまりお餅も食べないし、暖冬で黴びてきたりするのですが、御本尊に供える鏡餅などはどうしてつかなければいけません。ということで、今年は5臼つくことになりました。

 少なくてよかったぁー。

 1臼目はすごく柔らかく美味しそうにつけました。これは御本尊の鏡餅です。

 2臼目はさっきよりも少し蒸しが浅かったものの、まずまず柔らかくつけました。

 3臼目から、甥が手伝いに来てくれて、ボクはかえし手に回りました。ところが、力自慢の若者がついてもなかなかお米の粒が消えません。ちょっと蒸しが浅いのです。
 長くついていても堅くなるので、そこそこでやめて、もう少し蒸した方がいいと住職に伝え、つき上がった餅で作った大根餅を食べることにしました。

 ところが、外では住職が蒸籠から臼へお米をあけている気配・・・見ると、住職が蒸籠を洗っています。
 「もう少し蒸さんとアカンって」「いや、大丈夫や」と会話したものの、臼にはすでにお米が入っているので仕方なくつき始めました。

 終わって、「やっぱりアカン。次はもうちょっと蒸した方がいい」と、次にボクはぜんざいを食べ始めました。

 すると、また何やら気配が・・・やはり・・・。そのうち、甥と住職でやりはじめましたが、「おじいちゃん、やっぱりこれアカンでぇー」という甥の声が聞こえてきました。

 ボクは、「ほらみぃな。だから、アカンと言ってるやんかぁ。年とるとどうしてあんなに待てないんだろう」とブツブツ言いながら、ぜんざいを食べ、傍観していました。

 毎年そんなことをいいながら、今年の餅つきも無事終了しました。年末のイベントを一つ終えて、やれやれです。


 あとは、ずっと自室の掃除。いやぁ〜、綺麗になりました。そういえば、去年はやってないかも・・・。
2004年12月28日(火)  No.491

バタバタ、のんびり
 外回りの途中、ボランティアの事務所で早変わりをして新人研修。終わって自坊取って返して、昼食を“飲み込んで”、僧衣姿に戻ってまた外回り。なんだかめまぐるしい1日でした。

 夕方、車のタイヤを交換しようと出かけましたが、安売り対象品が売り切れていたのでやめました。さほど急いではいないので。

 でも、その時間がゆとりをもたらしてくれたのか、やることはいっぱいあるのに、その後はのんびり気分で過ごせました。

 それが結果的にはよかったのかどうか・・・。
2004年12月27日(月)  No.490

2人だけの忘年会
 今日は本堂と本坊のすす払い。若手?の僧侶8名と職員5名でとりかかりました。

 まずは、高いところの埃を竹で落とす作業。ずっと上を向いて作業していると、首が辛〜い。

 一通り終わったら、はたき掛け。そして、ブロアで一気に埃を外へ吹き出し、最後は掃除機を掛けて、雑巾掛け。

 以前は夕方までかかったすす払いですが、人数が増えたからか、ササッと済ませたためか、今年はお昼で終わってしまいました。

 掃除が終わった後の本堂の中は、とてもスッキリして見えました。


 予定より早くすす払いが終わって空いた午後、やっと年賀状を書き終えました。


 夕方から、高校の同級生と2人で呑み会。

 彼は高校時代は大津に、大学以降はずっと京都にいて、大学生の頃は「YAMATOYA」よく一緒にで“ダルマ”を呑みました。

 その後は彼は勤め、家庭を持ち、お盆の送り火の時などにボクの自宅に来てくれたことが数回ありましたが、一緒に呑みに行くことはなくなりました。

 一緒に外で呑むのは、おそらく25年ぶりぐらいでしょう。


 3月、彼の実家の、住職であるお父さまが亡くなりましたが、夫婦共に京都で教員をしている彼は、その後を継がない決断をしました。

 葬儀に参列するために訪れた、かつては天然の冷え込みで高野豆腐を作っていたという兵庫県の山間の集落やその中に建つ寺を見た時、「彼が継がないのはしかたないなぁ…」と思いました。

 彼は高校でも優秀な成績で、明晰な理科系の頭を持っていました。

 その彼の能力はこの山間の寺では発揮することはできないだろうし、彼自身を生かせる場はここではない、「お仏飯を食べて育った」恩を返すのは、この寺を継ぐことのみが方法なのではなく、彼がいま居る教育の場を通じてすればいい、そう実感しました。

 もし、ボクがその山間の寺に生まれたらどうしていたでしょう。いまボクが行っている様々な取り組みやネットワークは、京都の寺を使ってこそできることかも知れません。
 彼ほどの能力のないボクなら、田や畑をしながら、そこで終わっていくかも知れません。

 「おっさん、何もしなくていいから、自分たちの法事と葬式だけやってくれればいい」、そんなことを言う檀家も、田舎には多いという話をよく聞きます。

 そんな環境の中で、彼が「飼い殺し」になることは、ボクも望みません。

 彼が継がないことを云々する声も当然あるでしょう。でも、逆に、彼のような優秀な人材に寺に残るという選択させられない今の寺院や教団の現状も批判されるべきでしょう。

 「でもしか坊主」という言葉があります。他で使い物にならないので、「坊主にでもしよう」「坊主しかさせられない」・・・器量が悪くても、頭がよくなくても、信仰をもって坊さんをしているならまだしも、それすらもないような「超でもしか坊主」が幅をきかせ、ただ形だけの儀式に明け暮れる・・・。そんな僧侶ばかりではありませんが、ごく少数だとも言い切れません。

 彼がそんな世界に今さら戻る選択をしないのも、痛いほど理解できることです。もちろん、山間の寺に戻るより、いまの生活の方がずっと楽だということも大きいでしょうが・・・。


 そんなこんなを思いながらもそんなことは一言も言わず、1次会のみでほぼ酩酊まで呑みました。

 いい酒でした。とても嬉しい時間でした。

〜 すす払いをする僧 〜
2004年12月26日(日)  No.489

大掃除はじめ!
 木の葉もほぼ落ち尽くしたので、今日は庭の落ち葉の大掃除をしました。

 もみじ・桜などの落ち葉を相当量回収しましたが、常緑樹の葉に引っかかったものなどもあり、大晦日頃にもう一度サラッと掃除しなければならないでしょう。

 一部の客間も、ブロアを使ってすす払いをしました。

 普段は気がつきませんが、小さな煤のようなものや蜘蛛の巣など、結構たくさんの塵が出ました。

 何となくスッキリしました。


 家具などが置いてない部屋は簡単ですが、居室の方はこんなわけにもいきません。
 居室まで辿り着けるでしょうか?


 ちょっと出かけたついでに、大根が安売りしていたので、沢庵用に買い足しました。とりあえず、今5本の大根が漬けてありますが、時間差を付けてプラス5本を漬けようかと思っています。

 あまり一度にたくさん漬けると、食べるのが追いつかず、以前も追われるように沢庵を食べて胃を壊したことがあります。

 今年は、「もうちょっと欲しいなぁ」という程度にしておきます。


 何だかんだで、結局、年賀状が後回し。早くしなくちゃ。
2004年12月25日(土)  No.488

「認知症」
 360年ぶりに架け替えられ、昨日渡り初めが行われた黒谷の「極楽橋」。

 「1日遅れだけど、今日は渡ってくるぞ!」と意気込んで出かけたのに・・・。

 プロ同様の大型カメラを持った橋の施工会社の社長だという人と話し込んでしまい、ポジションを変えて一緒に写真を撮ったりしているうちに、すっかり渡り忘れて帰ってきてしまいました。

 写真を撮っている時から、「帰りには、ちゃんと忘れないように渡らなきゃ」と自分に念を押していたにもかかわらず・・・。

 年賀状を書いていても字が思い出せないし・・・この症状、ヤバイわぁ。


 クリスマスイブ。あちらこちらから、「送ってもいいのかしら」とためらいがちのクリスマスカード・メールをいただきました。

 ボクも負けじと、「メリー・クリスマス」とカードを送りました。

〜 黒谷の「極楽橋」 〜

2004年12月24日(金)  No.486

あやうく欠番
 24日の日記「認知症」を書いてしばらくしたら、「木曜日の日記は欠番ですか?」というメールをいただきました。

 その時まで、23日の日記が抜けていることさえ気がつきませんでした。本当にヤバイです。


 今から、23日は何をしていたんだろうと考えましたが、なかなか思い出せません。

 午前中は外回りをしていたのですが…。

 送信済みのメールなどを読み返したりして、年賀状を作った延長線上で、ホームページの正月用画面作りにはまりこんでいたことが、ようやくわかりました。

 皆さん、喜んでくださるかなぁ…うけるかなぁ…。

(12/25記)
2004年12月23日(木)  No.487

忘年会
 今日も忘年会。

 あまり師走を感じさせるようなムードのない街中で、南座のまねきと風俗店の呼び込みの情けないサンタクロースだけが、かろうじて普段との違いを感じさせてくれました。

 今日はポルトガル料理。和食や精進が続いていたので、珍しくて、とても美味しくいただけました。

 忘年会も、あと1回です。


 年賀状は着々と進んでいるのですが、ホームページに掲載するものを作っているうちに、すっかりはまり込んでしまいました。

 酔って帰ってからもまたそれにかかってしまい・・・そんなことをしている場合じゃないんですが・・・。

〜 南座の吉例顔見世興行のまねき 〜
2004年12月22日(水)  No.485

冬至
 あ〜、いい気持でしたぁ。ゆず湯、気持ちいいですねぇ。

 墓地と自坊の境界に生えている「花柚子」。普通の柚子より小振りですが、毎年たくさんの実がなります。
 今日だけでも30個ほど採りましたが、まだあと数回ゆず湯が楽しめそう。

 風呂上がりにせっかくの柚子の成分を拭いてしまうのがもったいないような気がして、軽くたたいて水滴を取る程度にしておきました。

 南瓜も食べたし、これで冬至の“イベント”は完了!

 明日からは少しずつ日が長くなると思うと、嬉しい気がします。昔は冬至の日を年の初めとしたこともあるそうですが、それもうなずけます。


 お昼過ぎ、DELLからディスプレイが届きました。届いたことを知った瞬間、「まさか・・・」と耳を疑いました。

 実は、ボランティアの事務所で今夏に購入したDELLのPCの液晶ディスプレイが、先週末に突然何も表示されない真っ暗な画面になりました。
 昨日、ボクもいろいろやってみましたが、ハードの致命的な故障のようでしたので、DELLのサポートに電話しました。

 電話をすると、まず機械の声で、“サービスコード”を電話機の操作で入れるように指示され、その後は、「いったんお切りになると、また最初からお待ちいただくことになります」と脅されながら待たされました。でも、そのうち、案内の声は「しばらくお待ち下さい」から「あと5分間ほどお待ち下さい」、「あと3分ほどお待ち下さい」と変わっていきました。
 ほとんどのサポートセンターは、いつまで待たされるかわからない状態でイライラさせられますが、この案内はとても親切だと感じました。

 やっと順番が回ってきて、“生”のオペレーターが出、ユザー確認などを経て、トラブル状況の聞き取り。それもかなり的確で、すぐに、「故障です。ご迷惑をおかけします。新しいものと交換します」と言って、すぐに交換手続きに入るとのこと。

 「何日ぐらいかかりますか?」と聞いたら、「2〜3日かかります。ご迷惑をおかけします」と言われたのですが、今から思うと、少し長い目に言ったのでしょう。

 その交換品が今日届いたのです。ちょうど24時間しか経っていません。 このサポートには脱帽です。

 どの顧客にどういう構成のパソコンを販売したかをきちっと把握していて、電話が繋がった時には、オペレータはすべてそれを承知の上で対応にあたっています。

 交換が必要と判断された瞬間のオペレータのキー操作一つで、送り状が印字され、交換機種に張りつけられて、すぐ発送される様子が、あたかも目に見えるようです。

 DELLのPCは作りもチャチですし、必須ソフトウェアがインストールされていない機種がベースなのに、CMでは安さばかりをPRして、パソコンに慣れていない人が買ったらずいぶん困るだろうと思います。

 でも、この企業が安さやネットで自由にカスタマイズして購入できる簡便さなどを売りにして成長し続け、IBMをも食ってしまったのも十分理解できると思わせるほどの、サポート体制でした。

 感動したぁー。

〜 小振りな柚子ですが、温まりましたぁ 〜
2004年12月21日(火)  No.484

酔っぱらい対談
 夕方から、超宗派の僧侶の会“薄伽梵KYOTO”の例会で、ラジオ放送の収録。

 今回は、精進料理店のご主人とあって、対談自体もそのお店で行い、続きに忘年会もやってしまおうと急に決定。それが禍して、参加者は8名のみでした。


 今日対談する我々のメンバーは、永観堂の宗派の和尚。料理好きなその人の希望で、一面識もない精進料理店のご主人との対談になりました。

 精進料理店のご主人は、もともとお寺が経営している高校の食堂の調理人をされていて、その高校の先生でもある僧侶に頼まれて、お寺の行事の時のお給仕もし出したのがこのお店の発端とか。

 今は一流の北区の精進料理店も他の精進料理店なども、もともとは八百屋さんが仕事の延長でやっていたものが、近年生業と化したとか。昨日いただいた飛竜頭のお寺の住職に、その作り方を伝授してもらったりもしたようです。

 “精進料理屋”というものがあったのではないのですね。


 編集して30分番組で使えるだけの話を収録するには、だいたい1時間ほどかかります。

 今回もそれ以上の時間がかかりましたが、そのうち、「料理屋さんにいるのに、お茶だけ1時間聞いているのは手持ちぶさただ」と誰かが言い出し、まずはビールを注文。そのうちに酎ハイになり、遅れてきた和尚がワインを持ち込んで、ついにはそれも開封。

 対談している2人そっちのけで、段々本格的な宴会になっていきました。ただ、声や音を立てれば収録に差し障りがあるので、みんなヒソヒソ話。

 今回対談している和尚は、大のお酒好き。最初は、「お酒を酌み交わしながらの対談にしたら」という勧めを固辞していたのですが、皆の宴会ぶりを見て、とうとうしびれを切らして、「こっちもお酒を」と言い出しました。

 お銚子も1本が2本になり、3本、4本と重なって、和尚もご主人もいい血色になってきましたが、だんだん呂律が回らなくなってきました。
 おまけに話の内容も、出汁の取り方、毒茸の見分け方など、マニアックな方向へと進んで行きました。

 仲居さんが運ぼうとしていたお銚子にストップをかけ、このままでは時間がかかるだけなので話の内容に注文をつけ、何とか30分の番組分を収録しました。


 終わった後の精進料理は、彩りも美しく、美味しかったですが、当然食べ始める頃には、皆結構酔っぱらいでした。

〜 収録風景とお料理&レシピ 〜
2004年12月20日(月)  No.483

飛竜頭と源泉徴収
 北区の禅寺の塔頭から、今年も飛竜頭をいただきました。

 毎年暮れになるといただくその寺の自家製飛竜頭は、絶品中の絶品。

 暮れの飛竜頭作りはこのお寺に伝わる習わしなのか、毎年今頃になると、豆腐を200丁をも使って飛竜頭を作られるそうです。一体いくつお作りになるのでしょう?

 飛竜頭の中には、牛蒡や人参、銀杏、胡麻などが入ってて、出汁で炊くとそりゃぁーもう美味しいのなんのって・・・嵯峨野のどこそこの飛竜頭が美味しいなどといいますが、まったく比ではありません。


 なぜその禅寺から毎年飛竜頭をいただくかというと、ボクが所得税の源泉徴収の申告をお手伝いさせていただいているからです。

 飛竜頭をいただいたのを契機に、「あっ、そうだなぁ、そろそろ作業にかかるか」と発起して、午後から申告書の作成に取りかかりました。

 最近は、フリーの年末調整用のExcelシートなどを提供してくれているサイトがあって、作業は楽チンのはずでした。

 そのお寺の申告書はすんなり出来上がり、ついでに自坊のもやってしまおうと始めたまではよかったのですが、自坊のはどうも計算があいません。というより、ボクの申告書の数値だけが変なのです。

 「このソフト、ダメだなぁ。なんでこうなるにゃなぁ、ったくもう」とブツブツ言いつつ原因を探ってみると・・・ダメなのはボク、ソフトが正しかったのでした。

 自分が控除の特例に該当しているのを見落としていて、その分が合わなかったのです。

 調べてみると、去年も一昨年も見落とし、控除漏れしていました。今までは今日使ったのとは違うソフトを使っていたため、そんな特例があるとは気づくことなしに、申告していませんでした。

 あわてて国税局のホームページから「更正の請求書」を入手して記入しましたが、認められるかどうか・・・ダメだったら2年で4万円余の損。トホホ。

 作業半ばで夕食にいただいた“税金絡み”飛竜頭の飛竜頭は、とても微妙な味でした。

 まだ、そのお寺の申告書のミスでなくてよかったのですが・・・。

 計算やこういった書類作成が大の苦手なボクに、どうしてこんな作業が舞い込んでくるのでしょう。


 かつて、京都の仏教会に勤めていた頃は、源泉徴収の指導に京都府下で研修会を開いて回ったり、法規関係の出版社から『何もしていない住職さんへ』などという寺の会計と税務事務の指南書を出したこともありました。

 今から考えても、最もボクらしくないことをしていました。きっと間違った指導をしていたのでしょうねぇ。


 還付されるかなぁ、税金。情けなや、トホホ。

〜 絶品の飛竜頭 〜
2004年12月19日(日)  No.482

シスターへの墓参
 午後から、ボランティアなどで大変お世話になったシスター(修道女)の墓参に行きました。


 シスター石崎は、カトリックの女子中・高の校長を勤め、子供たちや助けを必要としている人を大切にするという思いを常に持ち続けられて、4年前の今日、66才で帰天されました。

 シスターは、厳しく、慈愛に満ち、茶目っ気があって、静かではっきりとした物言いの江戸っ子でした。
 いわゆる“制服”姿のシスターをボクは見たことがありません。いつも質素な普通の服をまとっておられました。


 ボランティアとしての訓練・指導では本当にお世話になりましたが、ボクには忘れ得ぬ出来事があります。

 もう10年以上前になるでしょうか、ボクの知人から電話がかかってきました。

     実は、東京にいる友達の中3になる娘が白血病で、もう長くない。同級生は高校進学が決まっているのに、その子は試験さえ受けることもできない。当然そのことをずいぶん気にしているし、『自分には未来がないの? 死ぬの?』と聞いてくるらしい。

     親は、『娘に告知をしても酷なだけだし、生きられないならば、このまま何とか希望を持った状態で逝かせてやりたい』と言っている。

     何とか“オッチャン(ボクはそう呼ばれていました)”の力で、京都の高校から、入学を許可するという趣旨の証書のようなものを出して貰えないだろうか。
     その娘は京都や奈良が好きらしいし、地元の高校では嘘だということがバレてしまう。

     何とか頼む。

というような内容でした。

 その電話を聞いた時、ボクは、「頼めるのはシスター石崎しかいない」と即座に思いました。
 ただ、時期が京都の私立高校の入試の頃で、学校としてはかなり動きにくいだろうということも、すぐに想像されました。

 すぐに学校に電話をし、依頼された内容をシスターに伝えました。わずかな沈黙のあと、シスターは「わかった。何とかします」と静かに応えて下さいました。

 「えっ、・・・大丈夫なのですか?」と喉まで出かかりましたが、シスターが安請け合いされるはずもありません。
 それを聞いて、ボクの慌ただしく動いていた心は、スゥーッと凪いでいきました。


 後は、直接その娘さんの親からシスターに直接電話をして貰い、少しも滞ることなく手続きは進んだそうです。

 発行された入学許可の証書はもちろん他の合格者のものと同じではなかったでしょうが、そのことは学校の当事者にしかわからないものだったようでした。

 しばらくして、友人から、「シスターが、入学許可の証書と制服を持って娘の病院まで来て下さり、いろいろと高校のことを説明して下さったそうだよ」と電話がありました。

 それを聞いて、ボクはシスターに涙溢れんばかりに感謝したのはもちろん、その娘さんがどれだけ安堵し、心強かっただろうと、胸がいっぱいになりました。

 その後シスターに会った時、ボクはその感謝の気持ちはどれほども言葉にできずに顔を見つめていると、シスターはそれを察してか、「あっ、東京で会議があったから、その時に行ったのよ」と、サラッとおっしゃいました。


 季節が春から夏へ移ろうとする頃、訃報が届きました。

 夏過ぎ、そのご両親と妹さんがお寺を訪ねてくださいました。シスターにもお会いしてきたとのこと。
 ボクは一行を送りがてら境内を案内し、本堂の裏から見える大文字山の麓に建つ、大きな十字架が壁面に付いた建物を、「あれがシスターの学校です」と指さしたことを覚えています。


 釈迦やイエスと、あるいは経典や聖書と“通じている”がのごとく、それらの名を語る僧侶や牧師がたくさんいます。多くは、ボクにとって信頼も尊敬も出来ない人たちです。

 シスターは神の名を口にすることなく、神を語っておられた。本当の信仰者の姿を教えていただいた。そんな、普段着の偉大な宗教者だったと思います。


 ボランティア先から帰る方向が同じなので、何度となくボクの車で、シスターを修道院の宿舎にお送りしました。住宅街の中の普通の住宅でした。

 グループの中では普通に話せても、いざ二人っきりになると、何をしゃべったらいいのかと、ボクはカチカチになっていました。
 もっといろいろなことを教えていただいておけばよかった、勿体ないことをしたと、今思うと悔やまれます。


 お墓は「修道女会」の合祀墓で、金閣寺北隣の、別の修道院に接したカトリック墓地の一角にありました。

 ボクは、キリスト教式のお墓のお参りの仕方をよく知りません。お花の他に、こそっとお線香を供えて来ました。

 山の斜面には、季節はずれのミツバツツジが数輪咲いていました。

〜 シスターの眠る墓地 〜
2004年12月18日(土)  No.481

今日も更新日
 今日は「今日の散歩道」の更新日。

 最近、更新に夜までかかってしまいます。

 写真を撮って、選んで補正して、その写真と出来るだけあうような文章を書いて、最後に俳句を選んで、「ハイ 完成!」なのですが・・。

 これからは冬枯れの静かな季節。ボクの大好きな季節なのですが、更新にも「冬の季節」。
 1週間経っても、木々も景色もほとんど動かず、まず写真を撮るのに一苦労します。何か面白いものでも見つかると、更新は順調に進むのですが、見つからない場合は何度も何度も写真を撮りに境内に出かけます。

 でも、そういう時の更新のほうが境内にいるボクの真骨頂が発揮されるかなぁとも思います。

 今年の更新もあと2回。そろそろ「真骨頂の季節」に入っていきます。

〜 落ち葉が掃除されて顔を出した彼岸花の葉−更新掲載漏れの1枚 〜
2004年12月17日(金)  No.480

塗料を塗る
 今日は檀家宅へのお参りもなかったので、午前中はひたすら経木塔婆書き。午後は、茂りすぎた桜の枝打ち、落ち葉掃除、今秋買った縁台の防水塗料塗りなど、夜はまた塔婆書きをしました。


 桜は若いうちはどんどん茂ってきて、そのために背の低いツツジや梅などが陰になり、花付きが悪くなってきてしまいました。

 「桜切る馬鹿」と言い、桜は枝を切るとそこから腐りやすいのですが、このままにしておくわけにもいかず・・・あちらを立てればこちらが立たず。仕方なしに剪定しました。

 その桜は、境内でも1本しかない種類の山桜。こんなことで枯らしてしまうわけにはいきません。
 切り口の保護剤を買ってこなきゃ。


 予想に反して、足が折りたためず、収納に困ってしまった縁台は、ブルーシートで包んで、建物の裏側の軒下に置いておくことにしました。

 それもあって、防水・防虫の保護剤を塗ることにしましたが、刷毛はけがなかなか見つかりません。やっと見つけた刷毛も、ちょっと小さすぎ。

 「まぁ、しかたないかぁ・・・」と思って塗り始めましたが、ふと湧いてきたフレーズが頭から離れなくなってしまいました。
 それは、

    「 世の中はすむと濁るの違ひにて
              刷毛に毛があり 禿はげに毛が無し 」

 という狂歌か落語の一節。昔からなぜかしら好きなのです。

 刷毛を毛を見ながら塗っていると、余計に「刷毛に毛があり 禿に毛が無し」のフレ−ズが頭の中をぐるぐる回ります。
 忘れようと思っても許して貰えず、結局、刷毛を置くまで頭の中でこだましていました。

 今日塗ったのは1台だけ。もう1台あるのですが・・・。

〜 毛がフサフサある刷毛と塗料を塗った縁台 〜
2004年12月16日(木)  No.479

薬の総当たり
 お正月に墓参をされる方々の経木塔婆書きを、去年の参詣者リストを見ながら進めていましたが、なんとか1/2程までこぎ着けました。

 並べてみると、字の乱れがよくわかります。


 もう2ヶ月以上通っている呼吸器科の医院。

 なかなか効果のある薬に当たらず、「これがダメならこっち」というような消去法で、1週間か2週間おきぐらいで薬が替わってきました。

 ドクターもその総当たり戦のような処方に疲れてきたのか、今日、「じゃぁ、ステロイドの吸入をやってみますか・・・」と、切り出しました。

 10月初旬にこの医院を訪れた時に、ボクの方から「ステロイドの吸入はどうでしょう?」と持ちかけたことがありましたが、ドクターはあまり使いたくなかったのか、手を替え品を替え薬の総当たり戦に突入していたのでした。

 ボクとしたら、「だから最初から言ってるじゃないの!」という気分です。

 「この薬でダメなら医者を替えようか」との覚悟で、しばらく続けてみます。

 それにしても、風邪をひいている人が多いのか、待合室は咳をしている人がたくさん。
 そんなところで待っていると、余計に悪化しそうです。

〜 ふと窓の外を見るとこんな夕焼けが・・・ 〜
2004年12月15日(水)  No.478

「年行事」
 今日は「年行事」という年末恒例の真如堂の定例会議。

 貫主以下、ボクも含めて12名の僧侶が集まって、一山のいろいろなことを取り決めたりした後、懇親の宴。

 今日はすんなりと4時間ほどで終わりました。やれやれです。

 年末に向けての定例行事を一つ一つこなしている感じがします。この調子でいくと、除夜まであっというまでしょう。

 まだ、こんなに綺麗な紅葉が残っているのに、時間の過ぎ去るスピードがどんどん加速しているような気がします。

 年賀状も書かないとなぁ・・・。

〜 吉祥院の庭の紅葉 〜
2004年12月14日(火)  No.477

車中のマクド
 朝から、京都市の南の端近くへ読経に行き、その後、大津・坂本で会議。お昼休憩に退席して、京都市の西方にあるボランティアの事務所で新人研修。

 あっちへ行ったり、こっちへ来たり。やっていることも、バラバラ。咳の具合もよくないので、結構消耗しました。

 時間がないので、大津から京都市西方へ移動する間に、昼食を摂らなければいけませんでした。

 いつものごとく、コンビニのおにぎりを買おうと思いましたが、いざとなるとコンビニが見つからず、あっても車を止めにくかったりと、結局目的地近くまで来てしまいました。

 そのうち、「おにぎりより、何か温かいものがいいなぁ」と思い、ふと見つけたマクドナルドのドライブスルーで、ハンバーガーとコーヒーを買い、運転しながら食べました。

 携帯電話は交通違反ですが、ハンバーガーは禁止されていません。でも、運転しながらのハンバーガーって、とても食べにくく、危険です。
 包んである紙で一瞬前が見えなくなったり、手がソースでベタベタになったり、挟んであったレタスが落ちたり・・・。運転しながらハンバーガーを食べるのは禁止した方がいいです。

 何とか食べ終わったのは、目的地の駐車場。ティシューで口の周りを拭き、衣から洋服に着替え終わったら、ジャスト・タイム! 息つく暇もありませんでした。

〜 何年ぶりかで食べたマクド 〜
2004年12月13日(月)  No.476

「YAMATOYA」
 忘年会の2次会に、行きつけのジャズ喫茶に行きました。

 “行きつけ”と言っても、行くのは1年ぶり。高校時代から大学の頃は頻繁に通いましたが、今はだいたい1年1回行く頻度。

 残念ながら、いつも座るカウンターは女性たちに占領されていました。こんなことって初めてですが、どうやら留学生のようでした。

 アンティークな家具と一体になったイギリス製Vitavoxのスピーカー、曲がかかるまでのシャリシャリというアナログプレーヤーならではの音。すべて昔のままです。

 このジャズ喫茶のことを、五木寛之氏が『燃える秋』の中で記されていることを最近知りました。

 「人の多い所へは疲れて行く気がしない。黒谷を少し歩いて、聖護院近辺をのぞいてみた。・・・丸太町通りを歩いて、YAMATOYAに立ち寄る。以前この店のすぐ裏手に住んでいたことがあって、雑誌を抱えてよく出かけたものだ。このYAMATOYAのある横丁の一劃が、私は妙に気に入っている。京都でも好きな場所の一つだろう。焼鳥屋があり、銭湯があり、床屋があり、そしてジャズの店がある。車が入らない通りなので、子供たちがローラースケートをしたり、カン蹴りをしたりして走り回っている。いつも二、三人、おばさんたちが固まって立ち話をしていたりして・不思議ななつかしさを感じさせる場所だ。この通りを歩くと、ほっとして、京都へ来たなあ、と思う。」

 この文章が記されてから20年以上経っているでしょうが、その光景は今も何も変わっていません(焼鳥屋ではなくて中華料理屋のはずですが)。懐かしい雰囲気の、不思議な一角です。

 いつものごとく IWハーパーをお願いすると、何年越しかのボトルが出てきました。

 ラベルには、「苦沙彌」の文字とタコの絵。タコの絵が描かれるようになったのは最近で、ボトルを降ろす時に一緒に同席した人が、なぜか描くようになってしまいました。
 「苦沙彌」は、ボクがこの店にボトルキープをする時の名前として使ったのが最初でした。

 懐かしさに誘われて、お腹の求めを超えて、ピザを食べました。バーボンとピザが、これまた合うのですよねぇ。

 同行の酔っぱらいそっちのけに、ゆったりとノスタルジーに浸った一時でした。
2004年12月12日(日)  No.475

伝わった心
 今年最後の焼き芋オフを終え、地域の集会所で開かれた「ヒューマンコンサート 〜 伝えたい 心から心へ 〜」に行きました。

 数日前、地域の小学校の教頭先生から、自筆の案内と軽印刷されたパンフレット(歌集)が届きました。

 そこには、

 「コンサートは3つの柱で構成しています。識字学級(同和問題)、心の病、聴覚障害について、歌や話を通して考えていく機会にしたいと思っています。…… 本コンサートを機会に、小学校の子ども達や地域の方々が心の病・精神障害について深く理解できる第1歩となればと思っております」

と記されていました。

 とても嬉しかったです。


 ボクの関わってきた心の病を持つ人たちの共同作業所は、ボクの母校でもあるこの小学校の学区内にあります。

 最近は、小学校の子ども達が障害者とふれ合うという趣旨の実習の一環に使っていただいたりすることもあり、そんな学校の取り組みを大変有り難く感じていました。

 心の病を持つ人たちは、「怖い」「何を考えているかわからない」と疎まれやすく、時には差別を受けることもありますが、先入観の少ない子ども達が、実際にそのような人たちと関わってくれることで、ありのままの姿を理解してくれると確信しています。


 コンサートは、先生たちが結成されたグループの歌の合間に、作業所のメンバーの話・歌、聴覚に障害をもつ人の話が織り交ぜられていました。また、歌はすべてオリジナルで、“高齢者であるのに字が読み書きできない”方の詩も含まれていました。

 現代の日本に、文字の読み書きができない人たちがいるなどということは信じがたいでしょう。
 被差別部落に生まれ育ち、差別による貧困のため学校に通えず、学ぶ機会を奪われた人たちが、今も日本にはおられます。就学年齢をとうに過ぎたその人たちは、識字学級で文字を学んでおられます。

 詩の中には、そんな方やっとの思いでしたためた文章もありました。


 参加者は、小学校の子どもや保護者、識字学級の“生徒”、障害を持つ人たちなど約100名。

 小学生には少し難しいとも思える内容のオリジナル曲も多いのに、騒いだりすることもなく、一緒に手話をしながら歌ったり、話を聞いたりした1時間半でした。

 参加して本当によかったなぁ・・・先生たちが心の病を持つ人たちを“紹介する”機会を作って下さり、有り難くてたまらないなぁとしみじみ噛みしめながら、軽快に新しいバイクを飛ばし、寒風に咳き込みながら帰りました。
2004年12月11日(土)  No.474

菊の花の酢のもの
 自坊の菊も終わり、数日前から住職が撤収作業をしています。

 今日、その残っている花弁を酢の物にしていただきました。シャキシャキ感があって、なかなか美味でした。

 キノコを混ぜても美味しいでしょうね。


 落ち葉掃除も3/4あたりまで終わりました。

 ここしばらくの間、焚き火は燻り続けて、次から次へと「夢の跡」の処理をしてくれています。

 この落ち葉がなくなると、さみしくなるような気がします。

〜 菊の花の酢の物 〜
2004年12月10日(金)  No.473

ブロアの買い換え
 落ち葉掃除の協力助っ人「ブロア」−空気の力でゴミを吹き飛ばす機械−が、最近不調でした。

 今まで使ってきた電気式のブロアは、ここしばらく動かなくなることが多く、叩いて動く時もあれば、コンセントが抜けているのかなと見に行こうとしたら動き出したり、動かないと諦めて箒で掃除し出すと5分ほどしてから勝手に動き出すこともあって、落ち葉掃除にかかる前に、「今日はすんなり動くかなぁ」と心配でした。

 電気式ということは、広い範囲で使う時には延長コードを継ぎ足して使わなければならず、それも結構面倒でした。濡れている時は、感電の心配もしました。

 でも、エンジン式に比べて軽いし、音も静か。空気も汚さないので、ボクとしてはお気に入りでした。

 11年間使ってきたその愛機も、残念ながら、そろそろくたびれてきた様子です。

 メンテナンスをしてまだ使うつもりですが、エンジン式も買うことにして、例によってネットの通販で、青森の販売店より購入。定価の6割でした。

 今日、それが届きました。

 やっぱり、重たい! 排気ガスが臭い! アクセルを握っていないと回転が落ちる! など、電気式のほうがよかったと思わせる点も多いですが、電源コードから解放されて自由に動けるのはありがたいです。

 今年は、冷蔵庫、洗濯機、ガスコンロの屋内器具に始まって、バイク、ブロアなど買い換え目白押しの1年でした。

 トホホ。

〜 新旧のブロア 〜
2004年12月9日(木)  No.472

成道会
 落ち葉がたまって、燃やすのが追いつかなくなってきました。

 銀杏の葉は燃えにくいので、もみじと混ぜてうまく燃やさないといけませんが、そうそう回転よく燃えてくれません。

 あわせて、片づけるために切り取られた菊も、山となっています。

 今、自坊の前は、「鳥辺山の煙立ちも去らで…」ならぬ、「吉祥院の焼き芋焚き火の煙立ちも去らで…」状態です。


 今日はお釈迦さまがお悟りになった「成道会」の日です。

 お釈迦さまは29才で出家され、6年間の苦行の後、苦行では悟りは得られないと考えて、川で身を清め、村娘のスジャータの乳粥の供養を受けて体調を整えられてから、菩提樹のもとで瞑想に入られました(乳製品の「スジャータ」の名はここから命名されています)。

 そして、瞑想を始めて数日後、夜明けの明星の出る時、悟りを開かれました。35才の時でした。

 ボクももう20年前ほどに、沐浴をされた川や悟りを開かれた菩提樹を見たことがありますが、今日のような聖日にはいまだにその光景を思い出します。

〜 枯れ葉と菊の焚き火 〜
2004年12月8日(水)  No.471

2つの出来事
 携帯電話を忘れて出かけてしまいました。

 どうしても電話しなければならないところがあるので、公衆電話を探して電話しました。

 最近は携帯が電話帳代わりになっているので、携帯を忘れては番号さえわかりません。
 でも、たまたま電話をかけたいところへ品物を送った宅急便の送り状を持っていたので、それを見てかけることができました。

 あいにくお留守のようで、留守番電話になったので、伝言を入れておきました。

 お昼に帰って携帯電話を見たら、伝言が1件入っていました。

 聞いてみたら・・・・・・・・・・・・ボクの声でした・・・・・・。


 今日も朝一番に枯れ葉掃除をして焚き火。とにかく落ち葉を処分をしないと増える一方なので、焚き火はここしばらくの日課です。

 お昼に帰った時には、一度に燃やせずに側に置いておいた落ち葉を焚き火にかけました。

 雨さえ降らなければ、毎日こんな調子です。

 2時間ほど経ってまた焚き火を見に行った時には、ほとんどの落ち葉が燃えて灰になり、真ん中の部分だけが焼けずにそのまま残っていました。

 いつもの光景です。

 でも、その焼け残った真ん中の落ち葉の上に、何かが・・・「あれっーー ボクのキーホルダーでは・・・ え、えっ、えっ、えーーーーーー!」

 どうやら、お昼に帰って新しい落ち葉を加えた時に、懐から落ちて焚き火の真ん中に落ちたようでした。

 まさに間一髪! 火は、刻一刻とキーホルダーに迫っていました。

 もし、落ちた場所が真ん中でなかったら、キーホルダーは今頃灰燼に帰しているところ。車のリモコンキーも焼失しているところでした。


 なんだか、この2つの出来事で、すっかり自信をなくした1日でした。

 トホホ・・・
2004年12月7日(火)  No.470

特にネタナシ
 午前中はお檀家宅への月参り。

 そのままコンビニで、サラダ巻きとお茶を買って、運転の合間にパクツキながら、ボランティアへ行って、夕方まで、活動。

 とまぁ、こんなところです。


 今日は面白いネタはナシです。

 このページを読んでくださっている方も結構いてくださって、ボクもだんだんウケルことを書かなくてはいけないような強迫観念にとらわれつつあります。

 でも、真面目な日記のページですので、そこんとこ、よろしくお願い致します。
2004年12月6日(月)  No.469

クリスマスコンサート
 バイクはスカイブルーの新品になったのに、ヘルメットは薄汚れた赤。「これではオシャレじゃない!」と、新しいバイクを転がして、近くのホームセンターに買いに行きました。
 ホームセンターというのがすでにオシャレじゃないかも……。

 売り場には30個ほどのヘルメットが並んでいましたが、ボクの選択条件は次の2点。
 1.色は、青もしくはスカイブルー(もちろん、バイクとのカラーコーディネイト)
 2.風防付き(夏は虫除け、冬は寒さ予防、小雨時の雨粒除け)

 この条件に当てはまるものは、わずか30個のうちの3つしかありませんでした。

 1つは何となくオッサン臭いので、端からヤメ(ボクは充分オッサン臭いけど…)。

 「洗える」とうたったものを、試着してみました。
 うーん、なかなかいい感じ。でも、脱ごうと思ったら、内装の布が頭にくっついまま張り付いています。なんだこりゃぁー。

 内装を外して洗えるようになっているようですが、水色のその外せる部分が、ヘルメットに付いていかずに、ボクの少しだけ伸びた頭髪に刺さって、頭にくっついたままになるのです。何だか、何かカツラでもかぶったような格好です。
 もう一度やり直しましたが、結果は同じ。

 衣姿で、頭に変な布を乗せた姿は誰にもお見せできません。脱ぐたびにこれが再現されるようでは、お檀家が嘆かれること必定です。
 デザインは一番気に入っていたのですが、却下!

 最後に残ったのは、両横は白で、真ん中に水色の縦ストライプが入ったデザイン。青レンジャーのようで、まぁまぁオシャレ……かなぁ。

 風防に少し難有りでしたが、消去法でではこれしか残っていませんので、求めることにしました。

 バイクのところへ戻って買ったばかりのヘルメットを箱から出し、値札などを剥がして早速かぶって帰りました。

 うーーん、いい感じ。カラーコーディネイト、格好よく見えているかなぁ……。


 夕方からは、ボランティア主催のチャリティー・クリスマスコンサート。

 会場は、ボクが大学生の時に入学式が行われたチャペル。

 グリークラブが賛美歌やカレッジソングを歌う中、怒号やアジテーションの言葉が飛び交った30年前の入学式。入るのはそれ以来の約30年ぶりでしたが、今日の平和な雰囲気は、まるで別の場所のような感じがしました。

 演奏は、ハープとサックス。サックスの澄んだ音色がステキでした。

 帰りがけ、チャペルの外には、派手ではないものの綺麗にデコレーションされたツリーが立っているのに気付きました。

 「今のこの時間もボランティア活動を頑張ってくれている人がいるんだなぁ……クリスマスも正月も関係なく、悩み苦しんでいる人がいるんだなぁ」と、何故かしみじみ思いました。
バイクとヘルメット / チャペル前のツリー
2004年12月5日(日)  No.468

濡れ落ち葉
 夕方からの雨が次第に強くなり、夜には結構荒れたお天気。外を眺めると、ものすごい勢いで銀杏の葉が降っていました。

 車のフロントガラスはもみじの枯れ葉で覆われ、走るとそれがどんどん飛んでいきます。

 戻って停めて1時間もしたら、また枯れ葉だらけ。

 明日の朝も雨のようなので、落ち葉掃除はできそうもありません。昼からあがっても、濡れ落ち葉の掃除は至難の技。

 明後日にできればいいのですが、明後日は過密スケジュール。

 いつ掃除しようかなぁ…なんて呑気なことは言っていられない状況。しばらくは、落ち葉掃除の時間をスケジュールの中に入れないといけません。

 それにしても、こんなに一気に落ち葉することは珍しいです。

 そういえば、「濡れ落ち葉族」などという言葉がありましたねぇ。

〜 停めて1時間後の車 〜
2004年12月4日(土)  No.467

バイク買い換えました!
 原付バイクを買い換えました!

 今日まで乗っていたのは、平成4年の2月に初年度登録をしたもの。それから12年、途中でメーターが壊れたので何キロ走ったかわかりませんが、よく頑張ってくれました。

 最近はパンク気味なのか、走っていると急にリムのところが腰砕けになって空気が全部抜けてしまい、何回も街の自転車屋さんやスタンドで空気を入れ直さなければならなくなってきました。

 タイヤも一度替えていますが、もう一度替えるには、本体はボロ。シートは破れて、ガムテープで補修してあるし、エンジン音からもくたびれているのがはっきりわかりました。

 そこで、とうとう買い換え。

 本当は真っ赤なのが欲しかったのですが、時と場合によっては支障もあるので、おとなしい色になりました。
 おっ、この色、ホームページの表紙のバイクの色と同じじゃん!

 へぇ〜、最近の原付って、4サイクルエンジンなのですねぇ。

 ちょっと近所を一っ走りしてみました。なるほど、ソフトな走り。音も静か。煙も出ない。

 このバイクにまた12年乗ったら、ボクはいくつになるんでしょう。

〜 新旧の愛車 〜
2004年12月3日(金)  No.466

公朝師一周忌
 西村公朝師の一周忌と供養塔建立の法要がありました。

 公朝師が亡くなったのは、ちょうど1年前の今日。1年経ったのですね。

 法要は、うちの住職が導師、お寺の後を継がれた公朝師の次男とボクとの3人で勤め、いろいろな宗派の僧侶の方や信者さんなど、約100名の方が参列されました。


 法要後の挨拶で、僧籍もあり、彫刻家でもある師の長男さんが、こんな思い出話をされました。

− − − − −

住職が、私にこんなことを言うてたなぁと思い出します。

 あのなぁ、信者さんに『極楽はあるんでしょうか?』と聞かれたんやけど、『そんなん、ワタシは行ったことないから知らんわぁ』と言うたんや。

 それで、ある時、良慶さん(清水寺管長)に『管長さん、極楽ってあるんでしょうか? この前信者さんに聞かれたんですわぁ』と言うたら、良慶さんは『ワタシにもわからんけど、お経にも“ある”と書いてあるし、お釈迦さんや昔の偉い人も“ある”と言うてはるんやから、あるんとちゃうかぁ』と言われたんや、と。

 この前、住職の骨壷を持って歩いていたら、いきなり住職の顔が自分の胸の前に現れて、「あー、ワタシの体やぁ、ワタシの体やぁ」と言いますねん。「そやぁ、あんたの体やで。この寺でずっと眠ってや」と、私も言いました。

− − − − −

 帰り道、なかなか来ないバスを待っておられた参列者のお二人を拾い、地下鉄の駅まで乗せてあげました。

 東京まで帰るという70才ほどの、先生が講師をされていた仏像を造る教室の女生徒さんでした。

 お二人は、夕べ、真如堂の境内の「真如山荘」に泊まっておられたというからビックリ。何という奇遇でしょう。


 車中でも、公朝師にまつわるいろいろな話が出ました。

 公朝師が飛行機に乗れないということは知っていましたが、新幹線でも“のぞみ”がダメだということは初耳でした。

 東京へ行かれる時でも、いつも“こだま”。どうしようもない時でも、ようやく“ひかり”だったそうです。

 ただ怖いのか、早く移動することで何かを失うというようなことを直感的に思われたのか、何か霊感のようなものなのか……とにかく、「あー、先生らしいなぁ」と思えました。

 こんな逸話が、後から後からいっぱい出てくる、亡くなってからもまだ新たに生まれてくる、公朝師でした。

〜 羅漢さんと一緒の公朝師の供養塔(右奥) 〜
2004年12月2日(木)  No.465

とろけるような焼き芋
 今日は溜まっているデスクワークをシコシコ。その合間に、気分転換に落ち葉掃除をして、焚き火で焼き芋。

 昨日も焼き芋、今日も焼き芋。体中が、すっかり煙り臭くなっています。

 今日の“釣果”ならぬ“焼き果”は6本。すべて差し上げたので、自分は少し味見をしただけ。
 ボクは食べるより、うまく焼けるかどうかに賭けているのです。

 昼前から焼き始めた1本は、到来物の鳴門金時。かなり太くて、見るからに美味しそう。

 1時半頃にはちょうどいい具合に焼き上がったので、焚き火から掻き出して後ろに置き、新たな落ち葉を加えて火を整えていたら、ふわぁ〜と煙の急襲を受けて思わず後ずさりしました。

 その時、1歩後ろにさげた足に、馬糞を踏んだような感触が走りました。

 「こんなところに糞はないはず…」と、ほんの 零コンマ何秒か考えた後、嫌な予感に打たれました。そしてほぼ同時に、それは“予感”ではなく、まぎれもない“事実”であると確信せざるを得ないショックがやってきました。

 後ろにさげた足の下を見るまでもありません。

 灰をかぶり、中央部が大きく凹んで破れたアルミ箔の間から、水分をたっぷり含んだ黄色い実が顕わになっていました。

 それはそれは綺麗な濃い黄色で、モクモクと湯気があがっていました。

 すぐに気を取り直して、圧迫されてくぼんだ中央部を両横から寄せて綺麗に形を整え、その後すぐに来られた客人に食べていただきました。

 もちろん、顛末はお話ししましたが、客人は気にされる様子もなく、「わぁー美味しいそう! とろけるみたい〜」と、とても喜んで食べていただきました。

 よかったです。

 「とろけるみたい」……確かに一度はとろけたものですから……。

〜 整形後の当該焼き芋 〜
2004年12月1日(水)  No.464

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