[一覧] [最新]

2004年8月の日記

EEスイッチ
 夜中に通り過ぎた台風。朝起きてみても、小枝が折れているわけでもなく、幸いなことに、ほとんど影響はありませんでした。


 門の外灯が、最近、昼間でも点きっぱなしになってしまうようになりました。

 原因は察しがついています。明暗によって自動的にスイッチを入ったりする切れたりする小さな機械(EEスイッチ)の故障です。

 電気屋さんに頼むほどのことではないので、自分で交換しようと思い、ネットで型番などを調べて、他の用事の道すがらにある量販店に寄りました。

 売り場を見ても見あたらず、店員さんに「EEスイッチ、ありますか?」と聞いてみても、「へっ?」とポカンとしているだけ。「EEスイッチ」という名前さえ知らない感じ。
 電気の量販店の店員さんって、にわか仕込みのような人が多いのか、本当に何も知らない。

 もう1軒行きましたが、そこにもありません。用事を済ませ、帰りに寄ったホビーショップにもなし。

 ほとんど諦めて、最後に寄った自坊の近くの、営業しているのかどうかわからないような小さな電気店に寄りました。ずっと以前、何回か電線などを買ったおぼえがあるので、ひょっとしたらと少し期待していました。

 店から出て来たのは、小柄なおばあさん。久しぶりだったので、「あー、この人もエライ歳をとったなぁ」と思いながら、「EEスイッチはありますか?」と聞いたら、「3アン(3A)ですか?」との手応え。おおっ!
 おばあさんは、隣室にある古ぼけたスチールのロッカーの中をゴソゴソ探しながら、やっと「これでいいですか?」と小さな箱を差し出しました。

 ネットで調べた型番と少し違うので、「これ、3線ですか?」「はい、たいていこれですよ。露出でしょう?」などと会話の末、納得。

 店の構えからしたら、量販店にないものが有りそうな店ではないし、店の人の風采も、制服を着た量販店の若い人とこの店はおばあさんでは、量販店のほうがパリッとしています。

 大きな違いは、やっぱり年季。そして、製品だけを売る量販店の店員さんに比べ、おばあさんの店は地域で小さい仕事をコツコツとこなし、電気工事もやっていて、店を守るおばあさんもその範疇のことには「プロ」。
 「街の電気屋さん」の底力を感じました。


 今日はもく暗くなったから、交換出来ないなぁ。

〜 これがEEスイッチ 〜
2004年8月31日(火)  No.371

遅々とした台風の歩み
 神戸まで1時間半もあれば行けるところを、十二分以上、十五分ほどの余裕を見て3時間前に出発。思いのほか、道は空いていて、天気も悪くなく、昨日に引き続いて早く着きすぎました。

 もとよりそのつもりで、昨日の反省もあって、今日は酒蔵に寄り道しようと、下調べしておきました。

 「神戸酒心館」は、一昨年にも行ったことがあるところ。まわりにもたくさんの蔵元があります。
 神戸に行かれても、蔵元巡りをされる方は少ないでしょうが、灘のあたりを飲み比べして歩いたら、とても1日では足りないほど。さすが、日本一の酒どころです。

 この酒蔵の街一帯も、震災の時に大きな被害を受けたところ。この近くで、阪神高速の橋脚が635mにわたって転倒しました。
 物資を載せて、あるいは炊き出しをしに、何回も通った道です。

 試飲はもちろん、ゆっくり見学しているほどの時間はないので、即売所でお酒の飴と酒粕の飴を買いました。どう味が違うのかなぁ。


 葬儀、火葬場、初七日が終わって帰る車中のラジオで、台風は山口県に再上陸したと聞きましたが、風雨共にほとんどそれを意識させない程度。

 助かりました。帰りは野となれ山となれと、最悪、車にいつ持つんである寝袋で寝てもいいと思って行ったのですが、まったくの取り越し苦労でした。

 ただ、帰りの名神高速は、速度制限も出ていないのに、みなかなりのスローぺース。走っていたら、いきなりハンドルを取られそうになる突風が吹いてくる時がありました。

 高速道路の規制って、「なんともないのに、何でこんな規制をしているの?」と思わせる時もあるかと思えば、今日のように、運転している人が自己規制するほどの天気なのに規制がかからない時もあります。走っている者の自己責任ということでしょうか。

 結局、帰るまで雨に遭うこともなく、少々の風に吹かれただけで、無事帰ってきました。

 台風のピークは今晩夜中かなぁ。

〜 酒心館の長屋門の杉玉 〜
2004年8月30日(月)  No.370

神戸へ
 神戸でのお通夜に行くため、余裕を持って出かけたら早く着きすぎて、ちょっと寄り道をして六甲アイランドへ。不案内でわけがわからず、倉庫群あたりを走っただけ。

 灘の酒蔵へでも行けばよかったかなぁ。

 葬儀社の人と打ち合わせをしましたが、やはり細かい進行が京都とは違います。大阪と神戸は同じような感じ。

 読経が進み、参列者が途絶えてくると、「お経をやめてください」と言わんばかりに、係の人が言いに来るのは止めて欲しいなぁ。こっちには一通りのやるべきことがあるのだし。こういうことは、京都では経験しないなぁ。ブツブツ。

〜 六甲アイランドの橋と神戸の山 〜
2004年8月29日(日)  No.369

カントリーのライブ
 住職が東京方面に出かけているので、何だかんだと忙しい日になりました。

 夜8時から、お檀家さんで、ホームページにもよく来て下さるBULLさんのカントリーミュージックのライブに行きました。

 ライブハウスのオーナーであり、「テネシーファイブ」のリーダーの永富研二さんは、歯科医。その診療所の2階がライブハウス「ケニーズ」。永富さんは日本カントリー界の草分け的存在。

 カントリーのライブは去年の秋以来。今日の出演は、BULLさんがスティールギターを勤める「ドリフティング・ホーボーズ」と、「テネシーファイブ」。

 「ドリフティング・ホーボーズ」は、いつもながら、ほのぼのとゆったりと楽しめました。

 今回初めて聞いたテネシーファイブ演奏は、実に練れていて、本当に素晴らしかったです。
 特に、27歳のはるかさんのフィドル(バイオリン)はスピード感溢れる演奏で、思わず息を止めて聞き惚れてしまいました。

 カントリーを聞きながらのバーボンは、これまた格別。あー、楽しかったぁ。

〜 永富研二とテネシーファイブのステージ 〜
2004年8月28日(土)  No.368

大日さん
 “大日さん”のお勤めを終えて、集まった子供たちにお話。

 “地蔵盆”と“大日さん”はどう違うのか、大日さんはどんな仏さまかなどを話しているうちに、ボクの前にお茶が出されました。

 それを見て、ある子供が「あー、お坊さんだけ、お茶飲まはるぅ」と言ったものですから、「お坊さんはいまお経をあげて喉が渇いたから、先にお茶をいただきます」と弁明すると、「残したらあかんでぇ」と説教されました。その子は、脇にいたお母さんから、「黙ってなさい!」と叩かれていました。

 それを切っ掛けに、「みんなは食べ物で嫌いなものはありますか?」などとフリートーキング。

 ひとり一人聞いていくと、ピーマン、トマトという子が多い。魚、牛乳という子もいました。

 子どもたちのピーマン嫌いは、古くて新しいテーマ。アンケートなどでも、ピーマン、トマト、ナス、セロリなどがいつもその上位を占めます。独特の味や香りのする野菜が苦手なのですね。

 頭で考えるようになる前、感性で応えてくれる年頃というか、小学校低学年ぐらいまでの子供と話していると、しょぼくれた頭では思いもしないようなことを言ってくれるで、実に面白いですねぇ。

 長々とボクだけお茶を飲んでいると、そのうちまた子供に突っ込まれそう。お茶とビンゴゲームも後に控えていたので、いい加減にしておきました。

 お年寄りだけの地蔵盆、大日さんになってしまった町内もありますが、子供がいて賑やかな町内は、お勤めに伺っても実に楽しいです。

〜 お勤めの後のお話風景。老若男女が交わる場というのも素晴らしい 〜
2004年8月27日(金)  No.367

上賀茂の野菜即売所
 1週間前からネット接続が出来なくなった共同作業所のパソコンの修復をメールで指示しながら進めてきましたが、どうにもならないので、夕方から行ってきました。

 途中、深泥ケ池近くの道で野菜の即売所のようなものを見つけ、いったんは通り過ぎたものの、気になってもう一度戻りました。

 1坪ほどの店には、胡瓜、茄子、トマト、唐辛子、南瓜などの他に、昔ながらという麦茶、すぐきなども置いてありました。

 無人だと思ったので、写真だけ撮って帰ろうと思いましたが、奥の方で店番?店主?とおぼしきおばあさんが、野菜と同化しつつ うたた寝しているのに気付き、声を掛けました。

 トマトを買おうかと思い、「どれが美味しいですか?」と聞いたら、おばあさんは照れくさそうに我に返り、おもむろにトマトをひっくり返して、「これは裏が青いから…甘いけど、食べられないところが多いですしなぁ」と言い、次から次へ手にしながら「これも青い、あっ、これも」と調べてくれました。
 10個以上見ても、ほとんどが青かったり、ひび割れしていて、大きさに関係なく1個80円というのもボクには高い気がして、しまいに買う気が失せてしまいました。

 「じゃぁ、これを貰いましょうかねぇ」と唐辛子の入ったビニール袋を手にしたら、「それは万願寺、こっちは伏見です」と、唐辛子の品種を解説してくれました。

 なかなか会話が楽しいので、買う気もないのに「この鹿ヶ谷(かぼちゃ)は美味しくないですねぇ」と言うと、おばあさんは「ホクホクした感じはないですからねぇ。絵を描いたりするのに買って行かれますよ」と、食べるには向かないと言わんばかり。

 結局、万願寺(唐辛子)を一袋求め、「ちょっと写真いいですかぁ」と撮らせて貰って、作業所に向かいました。


 作業所のPCの故障は、一筋縄ではいかないものでした。直った時の達成感は、難しいパズルを解いた時のようです。

 関係ありませんが、キューブラー・ロス女史、亡くなったのかぁ……

〜 野菜即売所のおばあさんと鹿ヶ谷かぼちゃなど 〜
2004年8月26日(木)  No.366

メニュー変更
 朝から夕方まで、大津・坂本で長〜い会議でした。

 いつも、この会議のお昼はざる蕎麦だったのですが、前回の会議の時、「蕎麦じゃぁ、お腹が空いていかんがな。丼でもなんでもいいから、他のもんにできんかなぁ」と提案があり、今日はそれをうけて幕の内。

 蕎麦は腹持ちが悪いですが、食後あまり眠たくなりません。でも、幕の内は…。
 蕎麦以外を提案された方は、寝息をたててよくおやすみでした。

 今まで食べてきた蕎麦は、創業280年の有名な蕎麦屋さんのものでしたが、いつも延びた感じで、イマイチでした。出前だからかも知れませんが。

 先日、清里へ行くにあたり、蕎麦屋をネットで検索していたら、その中の一軒のページに、「春夏秋冬、その季節ごとに 信州産、北海道産、比叡山産の極上そば粉とつなぎの配合を変えて打つ」とありました。
 比叡山で蕎麦を栽培しているなどということは聞いたこともありませんから、目を丸くしました。
 もちろん、坂本の老舗も、比叡山産の蕎麦粉など使っていません。

〜 天台宗の事務所から見た琵琶湖。手前の横筋はJR湖西線 〜
2004年8月25日(水)  No.365

戸津説法
今日はお地蔵さまの縁日。朝、真如堂の僧侶全員で境内のお地蔵さまの巡拝を済ませ、昨日買ったネギの苗を植えてすぐに、大津に向かいました。

 21日から明日まで、大津坂本の東南寺で、「戸津説法」という行事が行われているのを聴聞するためです。
 戸津説法は、天台座主への登竜門とされていて、もともとは伝教大師最澄が、両親への孝養の一つとして、里人のために、琵琶湖畔の戸津浜にあるこの寺で法華経を説いたのが始まりとされている伝統行事です。

 ご詠歌が流れる中、説法師が登壇して法華経を講じます。

 開け放たれた本堂に風が渡り、ビッシリと聴聞者が座っていても、暑くはありません。
 近代的な設備はマイクだけ。それ以外は数十年、数百年前とさほどはかわらないだろうと思える雰囲気の中、小一時間の説法が終わり、また詠歌の響きと共に説法師が退堂されました。

 こういうのを自然の‘癒し系’というのでしょうか。ゆかしく、有り難く、いつまでも座っていたい雰囲気でした。


 帰って、畑に不器用な畝を作り、昨日買った苗を植え、種を撒きました。

 春の一時は亀の運動場だったこの場所、亀もいつの間にか姿を見せなくなったので、畑に模様替えです。
 粘土質の土は靴底に付き、鍬を重たくさせます。土壌改良が必要だなぁ。

 今年の冬は、水菜や春菊、ネギを買わなくても足りるかも。毎日、鍋ができるぞ! オフ会にも使おうっと!

〜 東南寺の戸津説法風景 〜
2004年8月24日(火)  No.364

買った苗の名前を忘れた
 久々のボランティア。

 行く道すがらの京都御苑の入り口には、防弾チョッキを着たような警官が立ち、侵入を阻止するバリケードが置かれていました。空にはヘリ。今日まで天皇陛下が滞在しておられるようです。

 終わって、帰りに園芸店に寄って、ネギの苗を1束、芽キャベツの苗、水菜と春菊の種を買いました。

 もう1種類、サラダ菜のようなものの苗を買い、帰るまでの車中、その名前を忘れないように反復していたのですが……いまこれを書く段になって、忘れちゃいけないと思っていたことすら忘れていることに気が付きました。

 何だっけ? チ…… チシャではないし……
2004年8月23日(月)  No.363

地蔵盆本番
 町のあちこちで地蔵盆の人垣が見えます。町内によって、賑わっていたり閑散としていたりという差がありありと見え、町の役員さんたちの力量の具合が自ずと見える気がします。

 住職は、いろいろな町内からの依頼を受けて、お地蔵さんのお勤めに自転車で“出張”。ボクは自坊で法要。

 空には、朝からずっとヘリコプターの音。そういえば、昨日から聞こえています。天皇陛下が京都に来られているので、その警備のためのヘリでしょう。

 夕方から雷雨。ヘリはどこへ行ったのかな?

 空いている時間を利用しては、当閑話の書き込みをしましたが、かなり貯まっているので、なかなか進みません。
2004年8月22日(日)  No.362

月並みな日常
 「今日の散歩道」の1日遅れの更新をしなければなりません。

 でも、なかなか気が乗らない……今回ほど筋肉痛もなく。日焼けもしていないの山行はなく、さほど疲れも自覚していないのに。

 八ヶ岳では見るものすべてが新鮮だったのに、帰ってくるとすべての景色が“月並み”に見え、写真を撮りたいという衝動に駆られないためでしょうか。

 それほどのギャップがあるからこそ、また行きたいと思うのかも知れません。

 八ヶ岳の山小屋の主人にでもなっていたら、どんなホームページを作っていただろうなどという妄想が見え隠れしながら、苦しみつつどうにかルーチンをこなしました。

〜 金水引の花 〜
2004年8月21日(土)  No.361

嵐の山行予備日〜清里の教会 
 朝、5時に目を覚ましてカーテンを開けると、真正面に富士山! 昨日はまったく見えず、存在すら気がつかなかったのに! おまけに朝焼けの雲がたなびいていて、すーごく綺麗。

 慌てて服を着て、カメラを持って、外へ。まだ少し薄暗い中で、刻々と変わる景色を写真に収めました。

 その続きに、清泉寮の回りの自然歩道を散歩。でも、昨日までの景色の印象が強過ぎて、歩いていても感動が薄いので、小1時間で部屋に戻りました。


 朝食はバイキング。他の客は、何かの研修やこれからハイキングをしようという団体で、個人客はごくわずか。男性ひとりで泊まっている客など、ボク以外にいません。
 「変な人に思われていないだろうか」などと肩身の狭い思いをしながらも、美味しい朝食を食べられる幸せを感じました。特に、生野菜の新鮮さは特筆でした。


 9時頃、チェックアウトして外に出てみると、すでに観光バスが着いていて、あたりにはもう結構たくさんの人の姿が見えます。乳製品を売っている建物のテラスには、ソフトクリームを手にした人がたくさん。

 「9時からソフトクリーム?」と思いつつも、話の種に食べておかないといけないと思い、お腹を心配しつつも買い求めて食べました。

 清泉寮から駅に向かう坂を下り、教会に向かう途中のいろいろな施設を、これも話の種にと思い覗きました。農場やファーム・ショップ、パンとジャムの工房など、この一帯は男ひとりで入るのに抵抗を感じる空間でした。

 朝見えていなかった南八ヶ岳を象徴する赤岳もその姿を見せました。この旅で初めて見た赤岳です。
 天気は快晴。昨日までほとんど日焼けをしていませんが、今日は少し焼けそうです。山へ行って、白いままで帰るのも妙ですから、むしろ焼けて欲しい気がします。

 自然歩道に入り、萩やススキ、アカツメクサなどが咲いている草むらを歩きました。バッタやキリギリスなどがたくさんいます。草笛を作って吹いてみたりしているうちに、教会へ。


 清里聖アンデレ教会。聖公会の教会だったのかぁ。聖路加国際病院なども同じ宗派です。
 清泉寮前などに旗めいている、×形のクロス、アンデレクロスは「祈りと奉仕」の象徴。聖アンデレが、主イエスと同じ形の十字架につけられるのは恐れ多いと言って、自ら進んで×形の十字架に架かられて殉教されたというところに由来するそうです。

 どうしてこの教会へ来たかったか、それは端的に言えば、畳敷きだからです。
 畳敷きの教会は全国でも珍しいそうです、普通の形の教会に慣れているクリスチャンの人に聞いたら、「膝まづくときはどうするのだろう?」と首を傾げておられました。
 本来からいうと異端の形なのでしょうが、日本人にも親しみやすいように形を変えてまでもキリスト教を伝道したいという熱意をそこに感じます。ボクはそれを見たかったのです。

 入り口で靴を脱ぎ、左右に開く引き戸を滑らせると、祭壇まで紅い絨毯が伸び、その両側に7〜8枚ずつの畳が敷かれているのが目に入りました。天井は木組みが露出しています。
 祭壇は石を積んだ石室のような形で、正面に十字架が掲げられ、真ん中に聖卓、向かって右に聖書台、左側に説教壇がありました。
 全体的にとても懐かしい、あたたかい感じで、落ち着いた荘厳さを感じました。素晴らしい礼拝堂です。
 しばらく、一番前の畳に座っていました。今回の旅行の中で、一番静かな時間でした。

 あー、これで満足。山を下りての目的は完遂。


 マーシーの看板や梅宮辰夫のマスコットの立つ駅前のメインストリートを少し徘徊。
 もう一度蕎麦を食べようと、「手打ち蕎麦」の幟に惹かれて入った店で、ボードで話題になった「たぬき」を思いだし、冷やしたぬきを注文。でも、あかんわぁ、かなり違和感があるなぁ。

 帰りの車中で食べようと買ったオニオンガーリック味のポップコーン。車中で製造者を見たら、「京都市右京区 ○○食品」。よりによって、どうして京都産なのー。

 最後の締めくくりは、いつもの通り、名古屋駅新幹線ホームの立ち食いきしめん。汗だくになりながら3分間で食べ、嫌がられつつ新幹線のB席に割り込んで京都へ。


 八ヶ岳はいろいろな顔を見せてくれます。森と湖の美しさ、岩陵の厳しさ、雨、風、霧、温泉……今回の顔は少々偏っていましたが、魅力の尽きない山域です。また近いうちに来るでしょう。

 清里は、家族連れやカップルには楽しい場所でしょう。でも、そこにキリスト教精神の裏付けられた開拓者の信心も忘れることができません。そんな、ただの観光地ではない清里の姿が好きになりました。

〜 朝日の反射する清泉寮正面。晴れていたらバックに赤岳が迫る 
              / 清里聖アンデレ教会(中は撮影禁止) 〜

2004年8月20日(金)  No.360

嵐の山行3日目〜清里へ 
 雨は上がり、お天気は一気に回復していきそうです。

 夕べの不調は嘘のようで、朝食もおかわりして頂きました。

 今日は下りるだけなので、ゆっくり準備して7時に出発。お天気の山頂に後ろ髪をひかれますが、今回は無理をしないほうがいいだろうと自分に言い聞かし下山しました。

 昨日までの霧に包まれた森とはまったく別のような、緑の梢越しに青い空が見え、キラキラと光が差し込んできます。

 カラマツやシラビソの林の中、やがて古びたトロッコの細いレールが道しるべをしてくれました。いつ頃に使われていたレールでしょう。原生林の大きな材木が切り出されていった時代があったのでしょう。

 休憩をしながらゆっくり歩き、11時前にはバス停のある稲子湯に到着。もちろん、宿のフロントに日帰り入浴を申し出ました。

 単純二酸化炭素・硫黄冷鉱泉で、沸かし湯ですが、源泉かけ流し。今流行の水道水や入浴剤ではありません。飲んでみると、炭酸水のような味がしました。


 路線バスに乗ってJR小海線の駅に行き、清里で下車。途中の野辺山駅から、ツアー会社のバッチを付けた団体客がどっと乗り込んできたのには驚きました。標高1375メートルのJR最高地点を体験するため? 野辺山の宇宙電波観測所の見学? ツアーでは来たくないなぁ。


 清里へ来るのはこれで2度目。前回は、突風で八ヶ岳の稜線から落ちかけた後、尾根沿いに清里に歩いて降りました。その時はまったく素通りしただけで、駅前の雰囲気が俗悪だったという記憶しか残っていません。

 今回も駅前の雰囲気は、どこにでもあるおみやげ屋さんなどが連なった街という感じで、オシャレな感じは受けませんでした。

 駅から歩いて20分ほどのところにある、地元産そば粉を使って手打ちをするという蕎麦屋さんで、ざるの大盛りを注文。不味くはなかったですが、期待していたほどではありませんでした。京都にいると、信州、手打ちというだけで、過度に期待してしまうのがいけないのかも知れませんが。


 駅前から昔の路面電車に似せた外観のバスに乗り、清泉寮へ。

 今回、山を下りてからの一番の目的は、清泉寮の畳敷きのチャペルを訪れること。
 以前、カトリックのシスターに、「清里に畳敷きの教会があるから、機会があったらぜひご覧になったら」と勧められ、その機会を待っていたのです。

 清泉寮に着いたら、その超観光地っぽい雰囲気にビックリ。教会のことばかりで、ソフトクリームが有名だということは知っていたものの、こんなに人の訪れる、いろいろな施設のあるところだとは思ってもいませんでした。ウィークディーの夕方でもすごい人なのですから、祝祭日は推して知るべし…。

 フロントでチェックイン手続きをする時に、「教会はいまお参りできますか?」と尋ねたら、「教会は別の所にございます。歩いて20分ほどのところです」と地図を開いて示してくれました。
 「あーーー、そうなのですかぁーーー(教会へ行くためにここに泊まることにしたのになぁ…)」

 今日行くことを諦めて部屋に向かいました。フロント横のホールでは、どこかのバレイ・スクールの子供たちが、練習をしていました。
 伴奏や手拍子の音など、決して静かではなかったのですが、外の観光一色の喧噪の世界とはまったく違う、落ち着いた雰囲気が漂うのにホッとしました。


 清泉寮の前の夕暮れの牧草地を見ながら、バーベキューハウスで食事。風が強くて寒く、そのうち横殴りの小雨が吹き込んできたので、早々に部屋に戻って、オリンピックを見ながらそのうち寝込んでいました。

〜 きらめく樹林 / 清泉寮のバーベキューハウス 〜
2004年8月19日(木)  No.359

嵐の山行2日目 
 5時半、朝食。コッペパンと目玉焼きとハム、ソーセージ、サラダ。それと缶詰のフルーツ。パンが美味しい!

 雨は少し小降りになったものの、小屋の人は悲観的なコメント。食べながら、今日のコースを考えました。

 部屋に帰って、パッキングをしながらラジオを聞いていると、午後からは晴れ間も出るとのこと。やったぁー! 当初の予定通り、尾根を南に向かって縦走することにしました。

 道は小川のようになっていて、靴はドボドボ。樹林の中を進む時はいいのですが、見晴らしのいい場所に出ると猛烈な風を受けて、直立できないほど。視界は50メートルほどしかありません。
 途中、山小屋を経由して、その前の大きな石塊の道を急登り。登ったところの稜線は猛烈な風。このまま進むか、戻るか…。

 数年前、南八ヶ岳の尾根で突風に吹かれ、思わず一抱えほどの石に抱きついたら、その石もぐらつき、同行していた人に何とか引っ張って貰って滑落せずに済んだことがありました。ボクが八ヶ岳に来る時は、なぜか風が強いような…。

 稜線を進んでも視界はなく、コースを辿るだけになるので、ここは安全策をとって、撤退。残念ですが仕方ありません。すれ違う人もほとんどないので、何かあったら、ハイ それま〜でぇよ! ですから。

 岩塊の道を下り、小屋の前を通り過ぎて、峠を降り、山腹づたいに今日の目的地を目指しました。
 薄暗く霧に覆われた急な斜面には、トリカブトの紫が印象的でした。

 風は尾根に遮られて止み、次第にあたりは明るくなり、降りるに従って、街が見えるようになってきました。一瞬、稲子岳の南壁が見えましたが、この日見た山容はこれだけでした。

 分岐から再び上る道を選び、本沢温泉へと進みました。この辺りまで来ると、ハイキングコース。「ドイツの‘黒い森(シュヴァルツヴァルト)’というのは、こんな感じなのかなぁ」と思いつつ、歩を進めました。

 残る山での楽しみは、日本最高標高にある露天風呂。本沢温泉の山小屋に着き、すぐに10分ほど登った露天風呂に、タオル1本持って出かけました。

 1畳分ほどの広さの木製の浴槽が、山の斜面と河原の出会うような所に設けてありました。
 あたりには誰もいないので、さっそく素っ裸になって、ドボ〜ン! 少しぬるい目の白濁した硫酸塩温泉。もちろん、源泉かけ流しで、浴槽の中程から少し熱い湯が流入してきていました。

 しばらく入っていましたが、雨が強くなってきたので帰ることとし、湯船から出たら、その寒いこと! 気温も低いですが、風と雨で、体感温度はかなり低め。ぶるぶる震えながら服を着て、タオルで頬被りをして慌てて小屋に戻り、そのまま内風呂にドボン!

 内風呂は、硫酸塩・炭酸水素塩温泉で、かすかに白濁していました。こっちのお湯はかなり熱め。仕切り越しの隣の女風呂から、「熱〜い! こんなの入れない!」という声が聞こえてきました。
 確かに熱いですが、こっちのお湯は最高! 露天は少し肌を刺すような感じがしましたが、内風呂は実にしっとりした感じで、疲れも筋肉痛も消してくれそうな感じでした。

 夕食はかなり質素。小屋のスタッフの応対や食事などを見ると、この小屋は温泉があるゆえに泊まり客が絶えないことにあぐらを掻いている気もしました。

 泊まり客は、小学生から60代までの男女15名ほど。明日、山頂を目指す人の他に、ボクと同じく縦走を断念して降りてきたと話していた人もいました。
 夕食を食べていた窓の外に、虹が同じ高さに見え、「明日は天気だね」という願いを込めた言葉が皆の口からこぼれました。

 夕食を終えてもう一風呂。夕食が物足りなかったので、部屋に帰って携帯食を食べながらお酒をいただき、そのうちウトウトと眠ってしまいました。

 夜中、風のと音と共に、腹部に違和感を感じ目が覚めました。吐き気がして、脂汗が出るわ、頭痛がするわ。トイレに行きたいものの、寝ているところは2階、トイレは地下2階相当。少々のことは我慢してと思いつつ、うつらうつらしては体調の悪さに目が覚めしつつ、2時頃になったでしょうか。どうにも我慢が出来なくなり、遠く離れたトイレに駆け込み、嘔吐。湯あたりか、少し呑んだお酒が悪かったのか、お盆の疲れか……。

 部屋に帰って、天気を気にしつつ少しカーテンを開けて覗いた窓の外に、満天の星が見えていたのも夢かうつつか……翌日起きた時の体調を気にしつつ、やがて少し落ち着いて眠りにつきました。

〜 日本最高標高にある露天風呂 / 夕食の時に見えた虹と食堂の蛍光灯 〜

2004年8月18日(水)  No.358

嵐の山行1日目 
 いつもながらのお盆が終わって隙間の出来た間の山行。今年は、トレーニングも出来ていないのであまり無理をせず、北八ヶ岳の森と池を見て、南八ヶ岳のゴツゴツした山稜をかすめ、日本一高い標高にある露天風呂に入って、帰りに清里を楽しむというハイキングコース。

 朝6時過ぎの新幹線に乗って、JRを乗り継いで、茅野へ。岡谷、諏訪などで、途中下車したいと思いつつ…。
 茅野から約1時間バスに乗って、八ヶ岳の登山口の一つ 渋ノ湯へ着いたのは11時過ぎでした。

 列車の車窓にも時おり雨が吹き付けていましたが、茅野に着いてからはずっと雨。天気予報では、こんなに雨が降るとはいってなかったのになぁ…雨もまたよしと気を取り直し、合羽を着て歩き始めました。

 ダケカンバやシラビソの樹林の中の道は、丸木橋を渡るたびに川の左右になりながら、少しずつ高度を稼いでいきます。大きな石がゴロゴロする、ボクの好きなタイプの道をさらに登り、やがて深い森の中の川のようになった道を進んで、2時間半ほどかかって山小屋に着きました。雨のせいもあって、コースタイムよりかなり遅れ目。

 予定では、この小屋に荷物を置いて、2時間ほど近くの池の景色を楽しんでくるはずでしたが、ますますひどくなる風雨と暗さに断念。小屋に泊まることにしました。

 夕方になっても、他の宿泊客は来ず、結局1棟貸し切り。薪ストーブの前で、体を温めながら、明日のコースを検討。小屋の人は、気の毒そうな顔をしながら、「明日はもっと大荒れになるそうです」と伝えてくれました。こんなはずじゃなかったのになぁ。

 おかわり自由のあたたかいポタージュとご飯、豚肉の生姜焼きをいただき、にごり酒を楽しんで、後はすることもなし。ラジオで天気予報を聞こうとしましたが、オリンピック関連ばかり。

 小屋の屋根には、夜空が見えるように何カ所もガラスがはめ込んでありましたが、見えるのは叩きつけられる雨のみで、かえってガラスを打つ雨音が大きいばかり。嵐の音を聞きながら朝まで過ごしました。

 長〜〜い夜でした。

〜 あたたかい雰囲気のランプ型の電灯。薪の燃える音も癒し系 〜

2004年8月17日(火)  No.357

送り火
 残っていた1軒の棚経を終え、お盆の行事も一通り終わり。来客などの合間を縫って、明日からの山行の準備を始めました。

 久々の3000メートル級の山行。

 テント泊でと考えていましたが、天気も悪そうだし、お盆の疲れも残っているので、小屋泊まりに予定を変更。コースを再確認して、水の補給や食事の計画を立てて、荷造りを始めましたが、段取りが悪く、リュックに荷物を入れては出し、出して入れ…かなり手間取りました。


 夜8時、五山の送り火。

 精霊を送るのはもちろんですが、この火を見ると、「あー、今年のお盆も終わったなぁ」と、しみじみ思います。

 暑いお盆でしたが、それでもやはり立秋を過ぎた暑さは。それまでの暑さとは違う気がします。

 8月は、お盆の期間に1ヶ月の「仕事」を集中させたようなものなので、お盆が終わると、「地蔵盆」を除いて、少し時間の余裕ができます。

 明日からは、手始めにまずお休みをいただくことにさせていただきます。

〜 墓地から拝む大文字 〜
2004年8月16日(月)  No.356

蒸しトウモロコシ
 今日の最高気温は27度。8月にあり得ない気温です。昨日と比べて8度も低い! 車のエアコンをつけることもほとんどありませんでした。

 お盆と日曜日が重なって、ビジネス街はガラガラ。完全に休みという感じ。走るのもスイスイ。

 すーごく楽な棚経日和でした。毎日がこうだといいのですが。

 その棚経も、今日でほぼ終了。夕方に自坊の仏間でお勤めをして、あとは明日の送り火と、棚経の残り。今から思えば、あっという間でした。


 よく御供えしてあるトウモロコシ。子供の頃、これを蒸して食べるといえば、たいていお盆の御供えをしたお下がりでした。当然、干からびていて、蒸しても戻らず、ジューシーさはありません。甘くもなく、今から思えば、そのまま鳥にでもやったほうがよかったかも知れません。

 大きくなって、乗鞍高原の店で買った蒸しトウモロコシ。その美味なることは、大いなる衝撃でした。

 でも、やっぱり明日は、また干からびたトウモロコシを食べるのかなぁ…各家の仏壇の御供えを見ながら、そんなことを思い出しました。

〜 サファリのような駐車場 〜
2004年8月15日(日)  No.355

あとひと息
 今日は時々日が陰って、棚経にはもってこいの天気でした。

 久々に伺うお宅、親族などが集まっている家などもあり、ついつい話し込んで、だんだん予定時間より遅れていってしまいました。

 さぁ、あともう一頑張り!

 去年の今日は雨で大変でしたが、予報では、今年は夕方から天気が崩れてくるとのこと。

 その通り、6時頃から雨が降り始め、時折、雷鳴も聞こえてきました。雨が小降りになった時には、虫の声が大きくなり、なかなか風情があります。


 テレビはオリンピック一色。柔道は、テンポよく結果が出て、見ていてもこちらのエネルギーが途切れません。
 2人の金メダル、よかったですね。
2004年8月14日(土)  No.354

林家ぺー
 棚経もいよいよ佳境に入ってきました。

 久々に伺うお家でゆっくり話していたいところですが、そういうわけにもいきません。
 予定では、1軒の時間は、移動を含めて平均15分。慌ただしく伺って、読経して帰るという感じでしょうか。

 街を回りながら、綺麗に花を咲かせておられる家々を見るのも楽しみですし、今まで気がつかなかった光景に出会うのも新鮮です。

 林家ぺー状態で、カメラを懐に秘めて回っています。


 夜7時頃から始めた「今日の散歩道」の更新作業ですが、案外早く出来ました。やけくそがよかったのかも知れません。

〜 草をはむ猫 〜
2004年8月13日(金)  No.353

モロヘイヤを求める
 夕べはすごく涼しく、窓を開けていると、タオルケットでは寒いくらいでした。でも、こんなに急に涼しくなっては、また逆に目が覚めてしまいます。

 日中、日なたにいると容赦なく太陽が照りつけますが、日陰に入ると、カラッとしているため、かなり過ごしやすかったです。


 太秦の街角のマンションの一角に「大映京都撮影所跡地」の石碑が建っていました。

 京都は、日本映画発祥の地。ここ太秦は、その中心だったところ。

 大映京都撮影所は、黒澤明の『羅生門』や溝口健二の『雨月物語』などが撮影された日本を代表する撮影所でした。1986年、撮影所は閉鎖され、この広大な跡地は、今、マンションや学校になっています。

 このあたりを刀を持った三船敏郎が走り回り、京マチ子が幽玄な姿を見せた……石碑を見ていると、そんな想像に駆られ、何となく白昼夢を見ているようでした。


 住宅街に押し迫られた畑の近くの無人野菜販売所で、4個で1盛りほどの茄子とモロヘイヤ1盛りを求めました。どちらも100円。

 ボクもいただきますが、一昨日から鳴き始めた鈴虫にも、精をつけてやらなければなりません。

 茶筒の料金入れに小銭を入れた後、しばらく販売所に集まる人をウオッチングをしていました。

 チラッと一瞥してその場を去ったかと思ったら、また戻って来て買い求めていく男性。次々と手にとっては「お調べ」した挙げ句、結局何も買わずに去っていく女性。売り場の様子を見に来る農家の人。なかなか面白かったです。

 わずかな時間でしたが、3人ほどが買っていきました。


 モロヘイヤを見ると、飛騨にお住まいの、ある女性を思い出します。

 何かの流れでモロヘイヤのことを話していた時、彼女は言いたくて言いたくて仕方がないというオーラを発しながら独りで喜び始め、「モロ・ヘアー!」と小さく叫んだ後、悦に入って上体を揺らしながら手を叩いて喜びました。

 モロヘイヤが市場に流通し始めた頃でしたが、ボクより少し年上の、その女性の回りで流行っているジョークだったのでしょう。

 どう反応していいのか困りました。


 市内の繁華街は大変な人で、道も結構混んでいました。家族連れ、ガイドブックを持っている人も多く、その反面、ビジネス街は閑散としてきていました。

 世は、お盆休み本番ですね。

〜 撮影所跡地の石碑 と 無人販売所 〜
2004年8月12日(木)  No.352

猫難の相
 今朝、外が明るくなりかけた頃、「ミャー ミャー」という声が聞こえました。気のせいかぁと思っていたのですが、出かける前に車を洗おうと外に出ると、黒い子猫が2匹、自坊の門のあたりで戯れていました。

 少し前から、その子猫たちは庭に出没してはいたのですが、ここ数日は見かけなかったので、どこかへ行ってくれたと安堵していたのでした。

 戯れていた子猫を驚かして追い払おうとしたら、1匹は門の中の植木の茂みに、もう1匹は門の外へ出て止まり、こちらを見て出方を伺っていました。

 とりあえず、門の外へ出た子猫を脅かして追い払い、車を洗って、また門の所へ戻ると、今度は庭の奥の燈籠の下で、2匹仲良く寝ころんでいるではありませんか!

 ここにいるとコワイ目に遭うと学習させて、もう来ないようにしておかないと、居着いてしまっては大変。

 庭の奥の方へ回り込んで、門の方へ向かってもう一度、恫喝しました! でも、また、てんでバラバラに逃げてしまい、こちらが疲れただけで、子猫にとっては何の恐怖体験にはなっていない様子。その証拠に、ほんの数分後、ボクが出かける時には、また燈籠の下で遊んでいます。

 お昼にいったん帰ってきて時も、ちゃんと燈籠の下で涼んでいます。

 これは困りました。でも、今は猫にかかりっきりになってはいられません。


 昨日は店舗兼住宅の家で読経をした帰り、やけに毛深い猫に襲撃され、足を引っ掻かれました。

 家人は店に出ていられるので、ボクが勝手に奥まで入って拝むのですが、読経が終わって奥の住居から表の店舗に戻る時、その猫はいきなり物陰から飛び出してボクを襲ってきたのです。
 足を引っ掻いた後も、その猫はこちらを睨んで威嚇の声を上げ、また飛びかからんばかりの恐ろしい形相でした。
 ボクは、目を合わせていてはまずいと思いながら、背中を見せても卑怯にも飛びかかって来るかもしれないとヒヤヒヤしながら、一目散に逃げました。

 幸い、足袋の上から引っ掻かれたので、ケガはありませんでした。


 今年はミーコに金魚を食べられて以来、どうも猫難の相が出ている気がします。


 あの黒い子猫は、ミーコとクロの子かも知れません。少しもこちらを恐れる様子がありません。遊んで貰っているとでも思っているのでしょうか?

 どうしたものでしょうね。

〜 門の外に逃げた後、こちらを伺い、また戻ろうとしている子猫 〜
2004年8月11日(水)  No.351

棚経最中の電気工事士
 朝、本堂で、盂蘭盆施餓鬼法要。

 午後から、バイクで棚経に出かけたら、その時だけにわか雨。今年は、ほとほと雨にたたられます。

 車に乗り換えて、仁和寺の近くへ棚経。結構疲れていたのですが、帰っても うたた寝してしまうだけかも知れません。それではもったいないので、ボランティアの事務所に行きました。

 いつのまにか、ボランティアの電気&パソコン担当にされてしまったボク。僧衣から服に着替えたものの、履き物を忘れ、足下は白い鼻緒の雪駄のまま。何かけったいな格好です。

 机の下に潜り込んだり、梯子に登ったりしながら、電気工事。3時間以上を費やしました。お盆の最中に、こんなことをしている坊さんはいないでしょう。

 帰って、頂戴した好物の水茄子を有り難く頂戴。酒は伏見の純米大吟醸。この組み合わせは絶妙でした。冷蔵庫が大きくなったので、一升瓶ごと冷やせます。

 棚経でバテないようにと結構食べて、結局、毎年、夏痩せどころか夏太りしてしまいます。トホホ。

 明日から、棚経も市内に入ってきます。いよいよ本番です。

 夕べは蚊に悩まされて、ちょっと寝不足。今夜は爆睡しようっと!

〜 石碑が熱せられて暑〜い墓所 〜
2004年8月10日(火)  No.350

8月のルーチン
 今日ふと考えてみたら、この時期のボクは、25年以上に渡ってまったく変わらない毎日を送っています。
 何日にどのコースで棚経をして、何日は法要をして、墓所に行って…というように。

 今日は、棚経の予備日。遠方で直接墓参できない方の代わりに、お墓に供花をあげたりしました。

 墓石は熱せられていて、墓地全体も熱気に溢れています。花をさすところの水も、一見しただけでお湯に近い状態。
 「お花をあげても、すぐにダメになってしまうなぁ」と思いつつも、仕方がありません。

 今日もパラッと数滴の夕立がありましたが、焼けた墓石をクールダンしてくれるにはほど遠い量でした。

 台風の動きが気になります。ちょうど、ピーク時に京都に近づいて来るのではないかとヒヤヒヤです。
2004年8月9日(月)  No.349

後かたづけ
 朝一番、境内の状況を見て回りました。

 表土が流れ出したり、砂利や石が流されているなどの被害はありましたが、思ったよりひどくなくて安心しました。

 普段の雨が降り続いた時などには、湧き水のような流れをしばらく見かけるのですが、それがありません。あまりにも急な雨で、地面にしみこむ前に地表を流れすぎたのか、土が乾いていたために飽和状態になってないのか、不思議です。

 午前中、流出して参道などに散乱している砂利や石の復旧作業、庭の復旧などをしました。

 今日は、たまたま住職が電車で遠方に棚経に出かけ、ボクは寺の迎盆準備をする日。この日でよかったです。


 門前の、明治頃まで湿地か沼だったという場所に建っているお宅3軒ほどの前を通りかかったら、人だかりがしていました。覗いてみると、建具やカーペットがゴミ回収に出すかのように家の前に出され、家の中では水を撒いて何かを洗っている感じでした。

 床上浸水したのかも知れません。家の前は坂。ここを流れた大量の水が、半地下に近い1階に流れ込んだのでしょう。
 本当に大変ですね。お見舞い申し上げます。


 サッカーのアジア・カップ決勝戦後の中国の様子を、ニュースで見ました。
 競技場外では、中国人ファンらが「日の丸」を焼いたり、日本人サポーターが競技場に足止めされりしていました。

 でも、ボクはそれを見て、あり得ることだと、不思議には思いませんでした。

 6〜7年前になるでしょうか、天台宗の中国の本山に行くために、マイクロバスで寧波から天台県へ向かう途中、山間の小さな小学校でトイレを借りました。

 話はそれますが、「大」用のトイレは、真ん中に通った1本の溝を共用して汚物を流す仕組みで、戸はしゃがんだ状態で体が隠れる程度の部分しかついていませんでした。幸いボクはもよおしていなかったからよかったですが…。

 その小学校の壁に、子供たちの手製と思われる壁新聞があって、そこには「抗日」や「南京大虐殺」という見出しが見えました。
 特に、南京大虐殺の記念日とか、抗日記念日とかでもなく、この小学校を出た子供のほとんどは山間の村で生計を立てて暮らしていくのだろうと思われる、そんな僻地でさえ。
 それを見て、ボクはかなりの衝撃を受けました。

 そうして成長してきている中国の若者、そして直接日本軍にひどい仕打ちをされたという世代の人々。
 一見したところ、親日的にさえ思われる中国人ですが、奥深いところの反日感情は相当なものでしょう。

 今回の中国ナショナリズムを昂揚させるアジア・カップ。そんな日本に負けるわけにはいかないし、負けてもすんなりと納得出来ない人もいるでしょう。もちろん、純粋にそれだけではない人も多いでしょうが。

 スポーツマン精神に則ったら中国サポーターの行動はおかしいと評しても、それはおよそ次元の違うことだと思います。中国サポーターの行動を一蹴する気には、とてもなれません。

 日本チームの戦いぶりは、あの大ブーイングの中でも、実に堂々としていて、本当に素晴らしかったですね。

〜 表土が洗われて地肌がむき出しになった境内 〜
2004年8月8日(日)  No.348

生まれてこの方体験したことのない雨
 いやぁー、とにかくすごい雨と雷でした。

 6時過ぎ、西大路近辺での読経を終えると、檀家の方が「早く帰られた方がいいですよ」と何回も勧められるので、どうしてかなぁと東の空を眺めると真っ暗。
 「今日はバイクじゃないですから、大丈夫ですよ」とその家を発ち、今出川通へ曲がろうとしたら、くっきりと縦の稲妻が北山に走りました。

 北野の天神さんあたりまでは1滴の雨も落ちてこなかったのですが、わずか数分走って千本通あたりまでくると、ポツリポツリと大粒の雨がフロントガラスに落ちてきました。 「あ、降ってきたなぁ」と思った矢先、いきなりのどしゃ降り。

 対向車線を走る車は、みなヘッドライトを点けています。こちら側もみなライトを点け出し、スローダウン。
 車線が見えず、前の車のテールランプが頼り。片側2車線の道路も、隣との距離がつかめないので、1列になって東に向かいました。

 雨はひどくなる一方で、雷は光ったらすぐに鳴る感じ。もちろん、人っ子一人歩いていませんし、車の数も減ってきました。

 ようやく境内に辿り着きましたが、参道は茶色い水の流れる川と化し、あちらこちらから水の流れが集まってきます。

 総門の下に車を止めて、しばらく観察。「す、すごい……」。正面の階段は、小さな滝の連続。「真如堂四十八滝」なんて、呑気なこと言っていられません。

 自坊の前まで戻りましたが、すごい雷で外へ出られず。10分ほど待って、ちょっと雷が収まったかなぁと思ったので、車のドアを開けたら、それだけですでにボトボト。いったん閉めて、もう一度意を決して車から飛び出してダッシュ!

 当然、自坊の付近も川と化していて、門の中も足首あたりまで水がたまっていました。おまけに、ものすごい雷鳴。いつ雷に打たれるかと、こわくてたまりませんでした。

 傘は意味をなさず、自坊に入った時には全身ずぶ濡れ。勝手口も浸水寸前でした。

 脱衣所でボトボトの僧衣を脱ぎ、庭のほうを見に行ったら、なんと水没! 飛び石はまったく見えないし、水琴窟も蹲しか見えず、下駄や「水琴窟」の看板がプカプカ浮いている始末。茶室は完全に床下まで水が回っていました。

 「このままにしておいたら、土壁が落ちてしまう」と危惧し、とにかく排水路を確保しようと、雷の中を恐る恐る庭に出て、砂利の下に隠してある排水口を手探りで見つけ、バールでこじ開けました。
 泥水は茶色い渦を作り、「チュゥーー」と音を立てながら、排水溝にのみ込まれていきました。砂利なども流れていってしまうことは覚悟の上です。

 他の場所も見ましたが、やはり排水が追いつかず、自坊は10センチほどの池の中に取り残された格好になっていました。

 でも、後は雨が止んでくれるのを待つしかありません。

 その間に夕食を食べていると、ISDNのTAが誤動作して、電話がおかしくなっていることがわかりました。その修復に自室に戻ると、ルーターがエラー表示を出していました。
 それらを直している間に、雨は収まり、雷も静まってきました。

 ふと外を見ると全体的に赤っぽく、北の空にはスカイブルーの晴れ間が出ていました。さらにしばらくすると、「ボン! ボン!」と、どこやらで花火大会をしている音。

 さっきまでの大騒動はなんだったの……。

 ニュースを見ると、三条大橋の河川敷が鴨川の増水で水没し、たまたまイベントをしていた人の車が取り残されたり、叡山電鉄が止まったり、マンホールから水が噴き出したりと、本当に大変だっった様子でした。

 生まれてこの方、こんなに雨が降ったのを経験したことがありませんでした。

 新潟・福井・徳島などの水害に遭われた方は、どんなに大変だったでしょう。不安だったでしょう。

 本当にすごい雨でした。


〜 水没した水琴窟。蹲だけが見えています 〜
2004年8月7日(土)  No.347

気合い!
 お盆の棚経で、年に1回だけ伺うお宅、通る道。

 毎月、「月参り」で伺うお宅は約100軒。お盆の時はその2.5倍ほどの家々に伺います。

 でも、1年ぶりに伺うと、家並みが変わったり、目標がなくなったりしていて、すんなりと辿り着けないこともあります。

 間違って路地に入り込んだり、通り過ぎて元へ戻ったりしながら、目標とするお宅へ。
 今はまだ郊外を回っているので、伺う家と家の間に距離がありますが、だんだん市街地になってくると、移動距離はごく短く、1日に伺うお宅の数も増えてきます。

 そうなってくると、さぁ大変。道も細くなって、ハンドルを切り返しながら曲がらなければならない角、一方通行など、少しの移動でも運転が複雑になってきます。

 お盆の本番も、もうすぐそこ。

 気合いを入れなくちゃ。
2004年8月6日(金)  No.346

寝ゴザ様々
 寝ゴザで寝るようになって4日。

 これが効果てきめん! よーく眠れるのです。

 体がほてる、更年期かなぁと危惧していた症状も、寝ゴザにしてから、解消! 結局、布団が暑かったのですね。

 い草の枕は使ってみたものの、高すぎて、初日の途中でギブアップ。翌々日に、ミシン目を切ってほどき、中に入っていたストローのかけらを半分に減らして、また詰め直しました。

 これでOK!

 いやぁー、寝ゴザ様々ですぅ。

 でも、昼食後はやっぱり眠たぁーい。
2004年8月5日(木)  No.345

コンロと冷蔵庫
 昨日壊れたガスコンロ。今日、なにげなく使ってみたら、難なく点火しました。

 「エーーーー!!」

 嬉しいの半分。残念なの半分。

 昨日、修理に来て貰った時に、新しいのを頼んでしまったので、今さら「もういりません」とは言えない……でも、電話してみました。

 担当者がいなかったので、その旨を伝えておきましたが、ボクの留守中に「うちの‘持ち’になってしまいますので…」と泣きの電話が入ったらしいのです。

 まぁ、12年経っているから、壊れるのも時間の問題。買い換えなきゃ、担当者がかわいそうですね。


 思い切って、冷蔵庫も注文しました。20年経っているのだから、これこそもう買い換えてもいいでしょう。

 何でも冷蔵庫の電気代って、家庭で使う電気代の約2割を占めるとか。最新型の冷蔵庫は、10年前、20年前と比較すると、電気代は約1/3、1/6。20年前のものより、電気代は3〜4万円も安くなるそうです。

 ヒヤヒヤしながら使い続けなければならない理由はありません。

 冷蔵庫選びって、置くスペースの制限もあって、単純に「これがいい!」というわけにはいかないですね。

 ネットで検討して、いつもの電気屋さんに、電話で「○○の◇◇◇のライトグレーを一つ」と、西瓜を注文するかのようにお願いしました。
2004年8月4日(水)  No.344

タコ焼きモード
 ガスコンロが壊れました。システムキッチンに組み込まれたビルトインタイプ。

 買ってきて交換しようかとも思いましたが、ホースで繋ぐだけではなさそう。とりあえずメンテナンス契業者に連絡。1時間ほどで見に来てくれましたが、12年経ったコンロは替え時とのことでした。

 後継機を選ばなければなりません。これが高いものでは20万。安いもので5万ほど。
 何がそんなに違うのかと調べてみたら、ガラストップかどうか、グリルが両面焼きか片面焼きかなど。炊飯キーを押すと、火加減を自動的に調節するという自動炊飯機能とか、わけのわからない機能がほとんどの機種に付いていました。いらないよぉー。

 結局、今のコンロと機能的に変わらない5万円ほどの機種にしました。料理は機械に頼らず、勘で勝負!

 20年ほど使っている冷蔵庫ももう限界。電気屋さんに、「壊れてから注文するより、今のうちに…。新しいのとでは電気代もかなり違いますし」と言われています。去年から買い換えの連続です。


 4時半頃に「夕食」を食べてから、ボランティアのパソコンサポートと会議に出かけました。

 終わって10時頃、帰える道すがら、たこ焼き屋の看板を見たら、無性にタコ焼きが食べたくなってしまいました。

 残念ながらその店はすでに閉店。あと、思いつくタコ焼き屋さんは2軒。どちらに行こうかと迷った挙げ句、今まで食べたことのない北白川のお店に行きました。以前から、前を通った時に、ズラッと並んだ提灯などが気になっていたのです。

 お店に入ったら、客は2組5人。「持ち帰りできますか?」と聞いたら可能とのこと。1パック8個500円を買い求め、5分で自坊へ。

 まず、冷えたビールを用意して、おもむろにタコ焼きのパックを開けました。鰹節がまばらにかかっていて、他は何もなし。ソースは別に添えてありました。しかも、そのパッケージにはお店が名前入っています。
 後から調べたら、京都でもかなり有名なお店で、支店も4店あり、ここが本店。思いついたもう1軒も、ここの支店でした。

 さて、頂戴致します……表面はかりっとしていて歯ごたえがあり、蛸はしっかり大き目。しまった! ソースをかけずに味見すればよかった……ソースはちょっと甘いかなぁ。
 ボクももう少しトロッとしたタコ焼きが好きですが、まぁ、今夜のタコ焼き食べたいモードはこれで一段落です。

〜 長い楊枝がこだわりを感じさせるなぁ 〜
2004年8月3日(火)  No.343

寝ござをGET!
 今日、スーパーに行ったついでに、い草の寝ござと枕を買いました。もう、季節はずれになってきているのか、両方500円。安〜い! 

 これで安眠できたら最高!

 寝ござを片手にスーパーの中をウロウロしていると、何だか‘夜鷹’にでもなったような気分。

 しばらく車の中に入れておいたら、中は い草の匂いが充満していました。

 「まぁ、イイぐさ」なーんちゃって。何たる イイぐさ。

 さぁ、今夜は安眠するぞぉ!

 あんん豆腐を食べたら、なおいいかも。

 ちょっと酔ったかも……体がほてって寝にくい……。
2004年8月2日(月)  No.342

更年期障害かな?
 昨日は、台風の影響で、7月12日以来の真夏日とならなかった日。

 当然、夜も涼しく、湿気を含んだ風でしたが、勢いよく窓から吹き込んできていました。
 それなのに、暑くって眠れない。寝たかと思ったら、目が覚める。何となく、体の中が熱いというか、ほてるというのか。

 そんな夢うつつの状態で、どうしてそんな状態になるのか、理路整然と考えました。

 出た結論は、「ひょっとして、ボクは更年期なのかなぁ?」というものでした。更年期の女性は、ほてるとかのぼせるということをよく訴えられるでしょう?

 夕方になって、ネット上で、男性の更年期についてのセルフチェックのテストをしてみたら、「気になる結果です」と判定され、さらに詳しいテストをしてみたら、「更年期が進んでいます。もし社会生活に支障がある場合には、男性更年期に詳しい病院で診察を受けてみてください」という結果が出ました。

 「えーー!! ボクは‘ほてる’と言っているだけなんだけどなぁ」と、自分で更年期を疑い出した割には、その結果を受け入れるのに抵抗しています。


 何でも、男性ホルモンの減少は35歳くらいから目立つようになり、60歳の男性は、40歳の時と比べて、平均25%ホルモン量が低下しているとか。
 男性ホルモンがガクンと減ってしまうことが問題で、このガクンと減った時期に、仕事や家庭などの過度のストレスに襲われると、男性更年期の症状がより強く表れるらしいのです。
 男性更年期の3大症状としては、 1)不安、不眠、イライラ、疲労、興奮状態、抑うつ状態、背頚部痛、頭痛、のぼせ、動悸、記憶力の減退等などの精神状態 2)性機能障害(ED) 3)頻尿、残尿感などの前立腺疾患を主とした尿路症状など。

 へぇ〜。

 更年期障害が出やすい男性のタイプは、・まじめで几帳面な人・神経質な人・がむしゃらに頑張る人・頭脳労働ばかりで体を動かさない人・せっかちな人・くよくよ考え込む人・生きがいや趣味の少ない人。

 ○まじめで几帳面な人 → ボクもある部分はそうですが、まったくそうでもない部分も多い。B型ですから。
 ○神経質な人 → 同上
 ○がむしゃらに頑張る人 → 同上
 ○頭脳労働ばかりで体を動かさない人 → そうでもないです。
 ○せっかちな人 → その通り!
 ○くよくよ考え込む人  → 思春期はそうでしたが、今はあり得ない!
 ○生きがいや趣味の少ない人 → やりたいことが多すぎて、人生が3倍あればいいと思っているほどだから、当たらない。

 ボクは気質的には、男性更年期障害が出やすいタイプでしょうか? 気質的には、罹りやすいとは思えませんね。

 夏の夜、基礎代謝が落ちていて、発散しきれないエネルギーが出口を求めているのでしょうか? 

 「体がほてるのです」と女性が言えば、更年期障害なんだろうと理解してもらえるでしょうが、ボクなんかは酒の呑み過ぎだろうとしか思われないのが悲しい……別に悲しくもないけど。

 今夜も涼しそう。熟睡したいなぁ。
2004年8月1日(日)  No.341

No. PASS
 OR AND
スペースで区切って複数指定可能
[日記一覧]
shiromuku(fs2)DIARY version 1.25