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2004年6月の日記

うらめしいスコール
 朝の涼しいうちに庭作業をしようと思い、機械で草を刈ったり、ちょっと放っておくとすぐに勢いを増してくる笹の始末のために除草剤の散布もしました。

 除草剤は水溶液で、葉っぱにかけると根っこまで枯れるというタイプ。他の植物が植わっている中に紛れ込んで生えてくる笹を選び、薬剤が他にかからないように慎重作業。

 何とか終わって、茂りすぎた枝を切り落とす作業をしていた時、ポツリ と雨粒が落ちてきました。
 多少雲行きは怪しかったのですが、降ってくるとは思っていませんでした。

 「まぁ、こんな程度だったら、除草剤は大丈夫かなぁ」と思っていたら、ポツリの頻度がだんだん増してきました。しかも大粒。

 「やばい……かなり、やばい…」

 切り落とした枝もそのままに、家に中に退避。窓から見ていると、雨脚はどんどん強くなり、見る見る雨煙が立ち昇るほどの勢いに。雨は、開けたあった窓からも吹き込んできました。

 「あーーーーー、ダメだぁ。せっかく除草剤撒いたのに…」

 ショックを受け、今日はもう外の作業はできないだろうとシャワーをして、自室に戻ると、窓の外に青空が見えているではありませんか! 青空はどんどん広がり、すっかり夏色の空へと変わりました。

 一瞬だけの気まぐれなスコールのために、除草剤の散布作業はすっかり無駄。青空を見る気持も複雑。

 もう一度やり直す気にもなれず、午後はひたすら卒塔婆書きに勤しみました。
2004年6月30日(水)  No.308

焼き芋持ってJPS展へ
 朝、車をディーラーに持ち込みました。下回りのゴトゴトという異音は、フロントスタビライザーあたりの部品の不良でした。

 「走る」「曲がる」「止まる」などにかかわる部品は、5年ないし10万キロまでは保証対象とか。夕方に部品が手配できるというので、いったん帰りました。


 日本写真家協会の展覧会(JPS展)が、今日から市立美術館で始まります。

 受付におられるであろう、チケットをいただいたNさんへの手土産に何かと思い、例の焼き芋を思いつきました。


 まだ10時。「じいちゃん、やってるかなぁ」と思いながら店の前に着きました。しっかりやっていて、焼き芋の匂いが漂っていました。

 店頭から中を覗くと、店主は流し台の前で、オレンジにかぶりついておられました。

 店頭には、玉ねぎや生姜の他に、グレープフルーツやオレンジが並んでいます。「じいちゃんも、ビタミン摂ったほうがいいもんなぁ」と思いつつ、「おはようございます」と声を掛けました。

 今日のボクの格好は、Tシャツに綿パン。僧衣ではありません。大丈夫かなぁ…。

 「お芋を5ついただけますか?」と片手を広げ差しだしてお願いすると、「はぁ、ちょっと待っておくれやっしゃ」とオレンジの汁をタオルで拭いて、「5個ですな?」といつもの確認プロセス。

 「今日は、普通の格好やけど、怒られへんやろか。食べるの、邪魔したしなぁ…3つでは機嫌悪くなりそうだし、5つにしたんだけどなぁ」と、いささか心配でしたが、今日の店主は上機嫌。

 釜の脇に積んであった芋ではなく、窯の中から焼け具合や形を見ながら、5つをクラフト紙の袋に入れ、いつものように少し反動を付けて秤の上に載せられました。「ちょうど1キロですな」と指さし確認。「消費税入れて800円です」。消費税が入っていたんだ…。

 細かいお金がなく千円札を差し出しましたが、釣り銭が100円しかなかったようで、店の奥へゆっくりと進み、缶カンからあと100円を出してきて、「すっんません、おまっとうさんでした」と渡してくださいました。

 「おおきに、ありがとさんでした」と、ボクも応えながら店を後にしました。

 あー、今日は怒られなくてよかった。ボクも覚えてもらったのかなぁ…。

 「じいちゃん、ありがとう」


 受付でNさんにお目にかかり、焼き芋を差し上げると、「例の焼き芋ですね」と言われました。バレバレ。

 JPS展は、写真好きには面白いこと間違いなし。いろいろな傾向の写真があるので、写真によっては当然好き嫌いも出てくるでしょうけれど、見ていて、自分の好きな傾向とかもわかりますし、こんな発想もあるのだといっぱいヒントをもらえます。

 技法やアングルをこねくり回した写真は、ボクにはしんどいなぁ。素直に撮ってあって、こちらも頭を使わずに見ることができる写真がいいなぁ。

 続きに、すぐ近くで開催されているアマチュアカメラマンたちの写真展を覗きました。
 「あー、これはカメラ親爺たちの展覧会か…」と思うと、必死の形相で写真を撮って、傍若無人もお構いなしという様子がすぐに頭に浮かんできました。
 でも、素晴らしい写真もたくさんあり、「こういう発表の場も大切だなぁ」と思いました。


 お盆の卒塔婆書きをして、夕方再びディーラーへ。帰り道、下回りの異音は消えていました。

〜 明日のために用意された夏越大祓の茅の輪 〜
2004年6月29日(火)  No.307

車の御難
 檀家宅の玄関を出て、ふと萩を見たら、アブラムシがいっぱい。「いっぱい虫がついていますよ」と言っていたら、
 「おっさんの車大変ですよ! ちょっと、スプレー持ってきて!」と奥さんに。

 見ると、フロントガラスの左側から屋根をつたって後ろの方まで、小さい蟻がビッシリ! 蟻の行列なんてものではなく、大群。一所懸命に卵を運んだりしているのもいます。
 ご主人がスプレーの殺虫剤で退治して下さいました。蟻さん、ゴメン。

 そういえば、先日、蟻だらけだなぁと思っていたのでした。もみじの甘い蜜や枯れ葉などのカスがシャーシの間に溜まり、雨が降って適度な湿気が与えられ、蟻の巣にはちょうどいい具合だったのでしょう。

 ボクの車では珍しい光景ではありません。たまに、ムカデが出てきたりもします。


 ボランティアからの帰り、ふと車を見ると、運転席だけドアロックがかかっていません。車の中は、別に以上はありません。

 リモコンキーを操作してみると、運転席だけ、ロックも解除もできません。何度やってもダメ。
 ひょっとしてリモコンの電池が弱ったかなと、コンビニで電池を買って交換してもダメ。

 修理……いやだなぁ。

 自坊に帰って、直接キーを差し込んで、ガチャガチャ、ガチャガチャと30回ぐらい開け閉めをした後、もう一度リモコンで操作してみると、バッチリうまくいきました!
 何回か試しましたが、大丈夫。

 これも、梅雨の影響で接触不良にでもなっていたのでしょうか?


 もう一つ、車で気になっていることがあります。
 数日前以後、下回りからゴトゴトと異音がするのです。車の下を覗き込んでみてもわかりませんが、何かが弛んでいるか外れているか、摩耗しているかも知れません。

 これは修理屋に持ち込まないとダメです。あ〜、めんどくさぁ〜。


 御難続きの車でした。

 そういえば、ボクの車、今までに2回もリコールがありました。知らせてくれないのも困るけど、リコールが重なるのも面倒です。
2004年6月28日(月)  No.306

夏の京都
 今朝は朝の9時から連続3座の法要。9時に法要というのは滅多にありませんが、参列された方々も、早朝から用意をされたりして大変だったでしょう。

 午後からは外回り。夕方から友人と食事に。

 鴨川は、3メートルおきにカップルが並ぶ夏の光景。

 おばんざいのお店で、満願寺(唐辛子)や賀茂茄子をいただきました。夏の京野菜の代表格。これであと芋茎(ずいき)があればよかったのですが…残念。

 おばんざいではお腹が膨れず、2次会はお好み焼き。先斗町歌舞練場前の老舗。

 元は旅館という広い座敷に、たくさんのテーブルが並ぶレトロな店内。ここの名物は、コンニャク、牛、豚肉、コーンが入った「しぐれ焼き」。店員さんは具の入ったボールを置いていくだけ。自分で焼くのです。
 時間をかけて甘辛く炊いたコンニャクから醤油の味が広がり、ソースなどはつけずにそのままいただきます。
 ちょっと塩辛かったけれど、サッパリして美味しかったです。


 梅雨特有の蒸し暑いお天気でしたが、何となく夏の気分を満喫したような気がしました。

〜 三条大橋から南の鴨川を望む/満願寺 〜
2004年6月27日(日)  No.305

同窓会
 今日は高校の寮の同窓会。全国から22名が集まり、当時の寮長を交えての会となりました。
 学年では8学年にわたり、直接一緒に暮らしたことのない人同士もいるものの、いわゆる「同じ釜の飯」を食べた仲間。当時の思い出話やいろいろな情報交換に、自分の席を離れ、皆あっち行ったり、こっち来たり。

 「お昼休みに走って帰ってきて、ご飯と味噌汁と冷や奴だけとか、納豆だけとかで、ガックリ来たよなぁ」 お昼ご飯は学校から寮に帰って食べていたのでした。 「今度お寺で託老所のようなデイケアをやりたいと思っているんだけど、どうしたらいい?」 元気な前向きな話には触発されます。

 何時間やっていても終わりそうにない宴席。どんどん運ばれるビール、お酒、ワイン、焼酎…。

 最後は、寮歌や寮生活を皮肉った『寮生ブルース』など歌い、元応援団のボクがエールを切って閉会。あーー、記念写真を撮るのを忘れた…。

 精算したら、完全に赤字。みんな呑みすぎだよぉ。


 さて、いよいよ2次会、オカマのショー! 2次会には16名が参加しました。

 お店に入ると中年の女性でいっぱい。ボクたちが入店した後も、次から次へ客が来て、60名ほどの客でギッシリ。「おひとり1マスです」と、愛想のない長いソファーの合成皮革の縫い目1つが1人分の席。なんと窮屈な…太った人に挟まれたら大変。
 1人の「女性」を、「コ」の字型になったテーブルを挟んで16名が取り囲むような感じ。
 確かに、「女性」はきれいで、おどろおどろしい感じではありませんでした。

 いよいよショー。でも、ママをはじめとする数人が、大阪で行われている小林幸子ショーに出演していて、舞台の上はたった3人。
 オカマならではのショート・コントを何本か演じた後、芸者姿やドレスで舞い踊り。踊りはなかなか上手でした。

 でも、3人だけのショーはやっぱい淋しい。「ママが帰ってくるまでショーの開始を遅らせますので、少し遅めに来店して欲しい」と言われたのに、結局、「ママ」は姿を見せず。なんだか肩すかしでした。

 ショーの間、みんなの表情を見ていましたが、中年女性たちは異様な盛り上がり。我々のメンバーは、ニコリともしない人もいれば、大笑いしている人もあり。ボクは…まぁまぁかなぁ。


 少し静かに話をしようと、いつも行くお茶屋さんで3次会。他のところに行ったグループもあり、こちらは8人。
 ボク以外はみな他府県からの参加者なので、せっかくだからと舞妓さんを一人呼んだのですが、この子は浜っ子。ベラベラよくしゃべるは、口は悪いはで、あまり舞妓さんらしからぬ子。静かに話をするどころではありませんでした。

 来年は、蔵王権現が特別御開帳になる吉野山で開催することになりました。

 あー、それにしても大赤字をどうしよう…。

〜 寮歌を歌う参加者 / ゲイバーのショー! 〜
2004年6月26日(土)  No.304

ヘム鉄
 1日雨でした。やっと梅雨らしいお天気。嬉しいわけではありませんが…。

 先日、「ヘム鉄」というサプリを買ってきました。眠気や視力減退には有酸素運動と鉄分補給がいいとテレビでやっているのを見たからです。

 やたらと眠たいのは無呼吸症候群かと疑うほどですが、会議などでイビキをかいて寝ている人を見ると、「上手がいる」と安心します。

 サプリを飲み出して3日目。なんだか効いているような気もしますが、気のせいのような気もします。
 効果は、鉄瓶で涌かしたお湯を飲む程度のものかも知れませんが…。

 ただ困ったことに、鉄のサプリを飲んでいると、お茶やコーヒーなどを一緒に飲むことができません。タンニンの作用で、鉄の吸収が妨げられるからです。

 お茶などの代わりに水を飲んでいたのですが、うちにはペットボトルの水などはなく、飲むのは蛇口から出てくる井戸水。
 でも、雨が続いた後の井戸水って、なんだかきれいじゃないようで、生水のまま飲みたくありません。実際は、雨水が地下水になるまでには相当の時間がかかるのですが…。

 ネットで調べているうちに、何のことはない、麦茶を飲めばいいことがわかりました。麦茶にはタンニンが含まれていないそうです。
 お茶やコーヒーを制限されるのは結構ストレスでしたので、これで一安心。

 でも、たとえば鉄分を多く含む食品を食べた後、緑茶などを飲んでしまったら、せっかくの鉄も吸収されないということ? 食べるのに気をつかうなぁ…

 まぁ、しばらく飲んでみようっと。
2004年6月25日(金)  No.303

パソコンサポート
 お葬式と、荼毘に付した後の繰り上げ初七日の間に、近くのボランティアの事務所に行って、パソコンのサポート。


 いろいろな人が使うパソコンは、不調を抱え込むのを常としています。

 かつてのワープロのような単機能の機械ならいいのですが、ソフトによって操作やキーが違ったり、普段使い慣れていないソフトを使ったりして、それを何人もの人がするとそのうちパソコンは不調になります。

 「どうしてこんなところの設定まで変わっているのかなぁ…」と唖然とすることも度々です。


 合間の作業なので、衣のままやっていたら、会う人会う人にビックリされました。そりゃぁそうですね、衣着た坊さんがパソコンのメンテナンスをやっていたら、普通はビックリします。しかも、キリスト教系の組織の中で…。それもまた楽し。
2004年6月24日(木)  No.302

ゲイ・バーの予約
 ゲイ・バーに電話をしました。電話をするのは初めて。もちろん、行ったことはありません。

 電話をすると、店名を名乗るか細い声。こっ、これは…。目の前に、ホームページで見た「女性」の姿がちらつきます。

 土曜日に高校の寮の同窓会があり、学年が7つも違う人たちが全国津々浦々から集います。
 1次会は京料理、2次会は舞妓さんをと思いましたが、前回もそのパターン。それでは幹事としてゲイがありません。2次会は趣向を凝らして…ゲイ・バー?
 京都にいると、毎回幹事なのです。ネタも尽きます。

 別に京都に来てまでゲイ・バーに行く必要はないのですが…カラオケで次々に歌う分けでもなし、普通のスナックならどこでも行けるし…ショーを見て大笑いするのもいいでしょう!

 ショーは、華麗かつゴージャスで、笑いあり感動あり、観る者を最後まで飽きさせない。京都らしく、着物など「和」のテイストが散りばめられている“おかまの大衆演劇”とのこと。期待が持てます。
 久々に腹がよじれるほど笑ってみたいです。

 お店に日時を伝え、料金システムを尋ねて、大方の人数を伝えて予約しました。

 すっごく緊張しましたぁ。でも、どうして緊張するのでしょう? 変なの…

 電話の数時間後知ったのですが、「ママ」兼オーナーは、ボクの知人の元教師の教え子とか。世間は狭いなぁ。

 どんなところかなぁ、ワクワク、コワゴワ。
2004年6月23日(水)  No.301

過体重?
 お風呂に入って、頭を洗っていたら、指の感触がいつもと違います。穏やかにですが、やっぱり剥けてきました。

 指を立てるような感じで洗ったら、結構たくさんの頭皮が爪の間に入ってきます。どうやら、今日・明日のお風呂で頭皮は入れ替わりそうです。

 「シャンプーを使われるのですか?」と興味半分に聞いてくる人があります。ボクの場合、髪を洗うのではなく、頭皮を洗うことになります。シャンプーは垂れてきていけません。普通の固形石鹸ですべてまかなっています。


 風呂上がりに体脂肪を計ったら、17.4でした。30才以上の男性の適正な体脂肪は17〜23%。いい数字じゃないですか!


 調べてみたら、こんな質疑応答が載っていました。

「Q:見た目が太っている人の体脂肪率が低い場合、どういうことが考えられますか?
 A:いわゆる過体重という状態です。
  相撲などのスポーツでは体重がたいへん多く、太っているように見えますが、
 多くの場合、体脂肪率は20%前後と低いのです。肥満というのは、体内に脂肪が
 過剰に蓄積した状態を指すわけですから、こうした過体重は肥満とはなりません。」


 ボクはいわゆるあんこ型体型。ちょっと太っているように見えるかも知れませんが、肥満ではなくて「過体重」ってこと? 
 過体重って、要するに、太っているということじゃないの、平たく言えば・・・。脂肪太りじゃなくて、水太り?

 えー、標準体重だったら、ガリガリじゃないですか! http://metab.kuhp.kyoto-u.ac.jp/TOOLS/obesity.html
2004年6月22日(火)  No.300

台風来たりて
 思ったほど風雨が強まらず、「あー、強い風だなぁ」と思っているうちに過ぎ去って行った台風でした。雨はあまり降っていません。

 朝、汗だくなって雨戸をはめ(着脱式なので)、簾を外したりしましたが、ちょっと拍子抜けでした。
 もちろん、来ないに越したことはありません。

 それでも、お昼前、鴨川の土手を車で走った時、一瞬ハンドルを取られそうになりました。土手は、まともに風を受けますからね。こんな時にようバイクで走るなぁ。

 新幹線は大変でしたね。7時間ほど不通になったのではないでしょうか。いかに最高の技術でも、回りからの影響は避けられない…コワイものを見た気がします。


 午後に予定していたボランティアの研修も、警報が出ているということで中止の電話連絡を回し、ひたすら塔婆書きをしていました。

 晴れていると、「あー、毛虫退治をしなきゃ」「草刈りをしよう」と思うのですが、こんな天気なら諦めもつきました。

 そのわりにはちっとも進んでいませんが…。
2004年6月21日(月)  No.299

蒸し暑〜い!
 台風の影響か、たまらなく蒸し暑い日。夜も寝苦しくて、何だか寝不足気味。

 2座の法要を終え、遅めのお昼ご飯を食べたら、とたんに眠たくなってきました。

 ちょっとだけ昼寝をするのつもりが、1時間半も寝てしまいました。寝過ぎて、頭はボケボケ。

 夕方に檀家宅へお参りに行きましたが、生ぬるくて気持ちの悪い気温。大粒の雨がバラバラっと落ちてきたかと思ったら、それだけで終わり。真っ黒な雲が出ているかと思ったら、違う方角はうっすら青空。嵐を予感させる天空です。


 一昨年1610円で落札し、来客用に客間に置いてあったパソコンと、先週、諏訪から嫁入りした95年製造のパソコンのいいとこ取りをして、「moozi」1号が完成。残ったパーツでそのうち2号も使えるようにしようっと!


 今晩から、お盆の水塔婆書きを始めました。
2004年6月20日(日)  No.298

デジカメデーター、見つかる!
 1ヶ月前に行方不明になったデジカメのデーター、知人を案内した時に撮った写真のファイルが出てきました!

 なんということはない、ちゃんとパソコンにバックアップを取っていたのでした。

 あの時散々探しても見つからず、うっかり消してしまったと思って、ファイル復活ソフトを買って復元しようとしたものの叶わず、しばらくは「トホホ…」でした。

 それが、新しいデジカメデーターを保存しようとした時に、何のことなくひょこっと出てきたのです。中身に間違いなし。

 ホッとしました。出てきたことにはもちろんですが、自分のデーターの扱い方がぞんざいではなかったことに、胸をなで下ろしました。部屋は散らかっていても、大切なデーターはちゃんと保存できていると安心しました。

 原因は、たぶん付けたフォルダー名の勘違いあるいは思いこみ。そっちはきっとオツムの老化現象。

 あー、ヨカッタぁ。
2004年6月19日(土)  No.297

頭ヒリヒリ
 朝から体が重たい、足が筋肉痛、顔や頭がヒリヒリ。

 久々の山歩きは、普段使わない筋肉を刺激したようです。

 1日歩いただけで筋肉痛になっているぐらいですから、いきなりアルプスに行かなくてよかったのかも知れません。トレーニングをしないといけません。

 頭皮が剥ける時は、2日目頃から突っ張り感が出てきて、すぐに剥げて大きな削り節を頭にまぶしたような状態になっていくのですが、今回はそこまではいかないかも知れません。

 ヒリヒリしてくるのを予想して、帰った日すぐに頭を剃ったので、髪はさほど伸びていませんし、今晩できれば剃ったらいいかなぁという程度。


 今日、エサ用の金魚を20匹買ってきました。

 この前カエル池に放った金魚は順調に育っていたのですが、いつの間にか1匹もいなくなってしまいました。
 亀が食べたのか? 亀が出入りしやすいように金網を外したのをいいことに、またもやミーコが急襲したのか・・・。

 何もいないカエル池は、見に行く楽しみもありません。亀は家出して帰って来そうにないので、金魚復活です。

 でも、金網はどうしようかなぁ。金網をしたら、もし亀が帰ってきた時に閉め出されたと思って、拗ねてどこかへ行ってしまうかも知れません。

 金魚か亀か、難しいところです。でも、どうして金魚はいなくなったんでしょうね。

〜カエル池に咲いた河骨(コウホネ)〜
2004年6月18日(金)  No.296

富士山眺望ハイキング
 夜中に何回も時計を見たような気がします。5時半、そろそろ起きなきゃ。

 起き抜けに、昨日は入れなかった展望風呂に行きました。こっちも単純泉。何の展望もない「展望風呂」でした。

 ホテルは朝食付きですが7時からなので、持ってきたおにぎりとインスタントの味噌汁で済ませ、フロントに鍵を置いておくだけのチェックアウト。

 バスに乗って、15分ほどで乙女峠に着きました。乙女峠は富士見三峠の一つとか。それを知って、ここから登ることにしたのですが・・・バスを降りたところから富士山はまったく見えず。御殿場の町もわずかに見えるだけ。シ・・・ョ・・・ッ・・・ク・・・。
 天気は悪くはないのですが、昨日、新幹線の中からもまったく見えませんでしたので、ひょっとしてとは思っていました。でも、これほどとは・・・。

 体の力が抜けてしまったような状態で、山登りを開始。やがて、峠の茶屋に着きました。茶屋横の小さな展望台から目を凝らして見ると、かすかに富士山の頂上が見えました。でも、これじゃぁなぁ・・・。

 納得できないまま、金時山に望みを託し、また山道を進みました。自衛隊の大砲の音が、早朝からボンボン聞こえてきます。御殿場の人たちは、毎日こんな音を聞き続けておられるのでしょうか。たまらないなぁ。
 山道には、ウツギやコアジサイ、シモツケなどが咲いていました。

 金時山の頂上は、噂に高い茶店や「娘」など、とても懐かしい雰囲気の空間でした。71歳の「娘」さんにもお目にかかれました。
 肝心の富士山は、ようやく少し見えました。富士山を見るために来たことを考えると、まったく不十分としかいいようがありませんが、今回はこんなものでしょう。少しでも見られてよかったです。

 笹の尾根道を明神ヶ岳へ。途中、箱根の町並みや大涌谷のゴツゴツした岩が靄の中に見え隠れしました。ハコネウツギやタニウツギ、ヤマボウシなども綺麗でした。

 明神の頂上でお昼。乾燥させたお米を水で戻す「アルファ米」の山菜おこわに草の香りを付けようと、刈ってあった萱を鍋の底に敷き、そこにお米と水を入れてバーナーで加熱。ところがしばらくして、何だか焦げ臭い・・・シマッタ! 水が乏しくケチったのと、火が強すぎたのとで、下の方がすっかり焦げてしまいました。口に入れると、当然焦げ臭い。大失敗。
 梅干しやホテルのお茶菓子に付いていた椎茸の佃煮などを添え、インスタントラーメンをスープ代わりにして何とか食べました。

 時々強い陽射しが照りつける尾根道を外れ、箱根・宮城野へと下山しました。コースターム5時間の道。花の写真を撮ったり、ご飯を食べたりしていたので、降りたのは3時を少し回っていました。

 バスで湯本まで向かい、駅で送迎バスに乗りかえ、すぐ近くの日帰り温泉へ。平日なのに結構混んでいました。
 お湯はカルキ臭かったです。源泉掛け流しではなく、循環式なのでしょう。
 先日のTVで、洗い場のお湯まで循環させている温泉があると知ってビックリ。そんなことを思い出すと、気持ち悪くて入れなくなってしまいます。
 あー、汗を流してスッキリしました。

 登山鉄道で小田原に出、駅前の居酒屋で生ビールを一気飲み。新幹線に飛び乗り、爆睡をして帰りました。

 何だか、顔や頭がヒリヒリ。これはやばいなぁ。一皮剥けそうです。

〜金時山から見た富士山/尾根道から見た金時山/花の上で交尾する虫〜
2004年6月17日(木)  No.295

京都〜東京〜箱根
 今、『バカの壁』『死の壁』などで売れっ子の養老孟司さんの話を聞く会が、東京でありました。
 聴衆はお坊さんたち30名ほど。講師の息が聞こえてきそうな会です。

 養老さんの講演は10年ほど前にも聞いたことがあります。

 話の内容は科学と宗教、自分の思考が実は仏教的な面が多かったというような話でしたが、・・・まぁまぁでした。

 いつも講師の基調講演の後、講師と参加者でディスカッションするこの会も、養老さんが続きに横浜で講演があるとのことで、2時間半ほどで切り上げて、4時から早々と懇親会。ボクはあとの予定があり、散会前に脱出しました。

 東京都のピストンでは勿体ないし、つまらないので、どこかの山に行こうと検討した結果、箱根でハイキングをすることにしました。

 本当は南アルプスに行きたかったのですが、道路崩壊でバスが運休状態とか。八ヶ岳にしようかなぁとか、いろいろ考えましたが、去年足を痛めてから初めて歩くことになるので、無理はやめて箱根にしました。

 どうせ京都まで新幹線チケットを買うので、小田原までも新幹線。「こだま」は満席で立っていきました。小田原からは路線バス。
 予約していたホテルには行けども行けども着かず、乗客はとうとうボクだけ。後で調べてみたら、芦ノ湖湖畔に近いところまで行ったのでした。

 箱根でひとりで泊まれるホテルって、あまりないのですね。朝付きで6千円弱と安〜いけど、着いてみるとそれなりのことはある古いホテルでした。

 8時過ぎに到着。フロントで朝6時半頃チェックアウトしたいと申し出ると、「その時間にはまだフロントがおりません」と言われ、「じゃぁ、今精算します」というと、「準備ができませんので、10時前にもう一度お願いできますか」と言われる始末。
 部屋はツインルームで、おまけに畳2畳ほどの座敷机を置いたスペースも着いていて、かなり広め。

 お風呂は3つあり、今の時間は2つに入ることができました。とにかくお風呂! さっそく、単純泉の男風呂と硫黄泉の家族風呂に。家族風呂はひとりでゆったりはいることができ、白濁した湯と硫黄の臭いが温泉気分を盛り上げてくれました。

 湯上がりにチューハイを買って呑み、あとはとにかく寝るだけ。

 と、色々な景色が見られた1日でした。興奮したのか? あまり眠れませんでした。
2004年6月16日(水)  No.293

碧い琵琶湖が見たい。
 あーー、暑かったぁ。京都は31.3℃でした。真夏日ですね。

 午後から大津・坂本での会議に出席するために、山中越え。

 碧い琵琶湖の眺めを期待していましたが、ぼんやり霞んでいて、ハズレ! 月に1回程度は坂本に行きますが、きれいな琵琶湖に遇えることは稀です。

 高校の時、坂本の寮で2年間過ごしました。その時見た真っ青な琵琶湖は本当にきれいでした。


 会議は少人数。寝ているわけにもいかず、真剣に議論してきました。

〜眺望のよくない見晴台より〜
2004年6月15日(火)  No.292

今日も焼き芋
 昨日の焼き芋屋さんをネットで調べているうちに、だんだん食べたくなり、今日近くを通るので寄ってみました。

 店に行くと、ご主人は窯のところからようやく奥の椅子に辿り着かれ、今まさに腰掛けようとされているところでした。
 背中から声を掛けましたが気がつかれないので、店の奥まで行き、ご主人の視野に入るよう横に回り込んで、「すみません」と声を掛けました。

 ご主人は、「ああ、おっさん」とニコニコと振り返ってくださいましたが、おそらく常連の坊さんと見間違われたのでしょう。その後、人違いだと気づかれたふうでした。

 「せっかく椅子のところに行かれたのに申し訳ないですが、お芋をいただけますか」と申し上げると、ゆっくり体を180度回転させ、つたい歩きをしながら窯のところへ。

 「5ついただけますか」と片手を差し出しながら言うと(3つでは怒られそうだし)、「5コですな」と後ろにあるクラフト紙の袋に手を伸ばされました。
 あーーー、それは昨日ボクが取ろうとして怒られた高い袋。いいのかなぁ。5つだからいいのかなぁ。衣を着ているからなのかなぁ・・・。
 さらに、ビニールの手提げ袋をも手にされました。

 窯の中の芋はまだ焼けていないのか、窯の脇に積んであった焼き上がったお芋を5つ、クラフト紙の袋に入れ、ここは昨日と同じ、少し反動をつけて秤の上に載せられました。
 見ていて、「ヨイショ」という声が口から出そうでした。

 秤を指さして、「ちょうど1キロ」と言われたような言われなかったような・・・。
 100グラム80円と張り紙してあるから800円のはず。ご主人もそう言われたとは思いますが、よく聞こえなかったので、1000円札を差し出そうとしていると、ご主人はさらにもう一つお芋を袋の中に加えてくださいました。
 「えー、それはサービスですか?」と申し上げても、ニコニコされているだけ。さらにビニール袋の手提げに入れてくださいました。

 財布代わりの前掛けのポケットから釣り銭を落とされたのを、ボクが拾ったりしたので、ご主人は「えらいお待たせしてすみませんなぁ」と言いながら、200円のお釣りを手渡されました。

 「おまけしてもろうておおきに。お元気でやってください」

 昨日のコワイご主人とはまったく違いました。昨日は普通の格好、今日は僧衣姿。その違いでしょうか。おまけまでくださって・・・何だか申し訳ないなぁ・・・ありがたいなぁ・・・

 お芋はホカホカでいい香り。鳴門金時の「里むすめ」という芋のポスターがお店の壁に貼ってありました。鳴門金時なら、美味しいのに違いありません。

 香木屋さんに買い物に行く車中、温かいうちにちょっとだけ試食してみようと食べているうちに、おまけの一つを食べてしまいました。僧衣姿で焼き芋にパク着いている姿を、誰かに見られていなかったかなぁ。

 香木屋さんの鼻のきく店員さんたちに、「この坊さん、焼き芋くさい」と思われなかったかなぁ。

 甘くて、少し塩味がして、美味しいことこの上なかったです。ありがとう。

〜表面は少しかたく、中はホカホカの焼き芋〜
2004年6月14日(月)  No.291

焼き芋一筋
 知人の展覧会への差し入れに何か買おうと寺町通をバイクで走っていると、プ〜ンと焼き芋のいい香りが漂ってきました。

 「あー、これにしよう!」

 寺町二條の焼き芋屋さん。サツマイモの産地を店名に冠した、いかにも焼き芋屋さんらしい名前の店を切り盛りするのは、今年87歳になるおじいさん。

 タッチの差で先を越された方が買われるのを少し離れたところから見ていると、何だか大変そう。
 100グラム80円という量り売り。秤に載せた焼き芋を、釜越しに自分で取ってくれと店主は指示しています。
 ようよう立っておられるというふうで、片手を釜に置き、もう一方の手に芋を裏返す千枚通しを持っておられるので、秤に載せた芋が取れないのです。
 長身の女性は、店主の言葉に驚きながらも体を伸ばしてそれを取り、入れて貰った紙袋では芋がこぼれそうなので、店主の後ろにあるビニール袋を自分で取って、代金を払っていかれました。

 ボクの番。

 店主は耳が遠いようで、指を3本立てて「みっつ」と何回か繰り返したら、「『さん』でも『みっつ』でも一緒やないか」といきなりぼやかれました。(なんにも言ってないのになぁ・・・なんのこっちゃ?)

 店主は、片手で身を支えながら、もう一方の手に持った千枚通しで芋を突き刺して、2方の開いた紙袋に放り込んでいかれました。

 芋が柔らかく、千枚通しに差して持ち上げようとしても、なかなかうまくいきません。3回ほどそれを繰り返し、芋は結構ボコボコになってしまっていますが、お構いなし。

 ようやく芋3切れを紙袋に入れ、袋の口をねじって締め、「せーのっ!」と反動をつけて秤の上に載せられました。(うわぁー・・・)

 「500円。おまけしとくわ」

 代金を払い、そのままでは差し入れに持って行きにくいので、「おじさん、袋ください」と、店主の後ろにあるクラフト紙の茶色い封筒を取ったら、怒られました。

 「それはあかん! ビニールにして。こんな値段でいくらも儲けがないのに、その袋は高いんや。何年この値段でやっているんや・・・」

 「スンマセン、これならいいですか?」とクラフト紙の封筒を返してビニール袋を貰い、「ほんまやねぇ。おおきに、ありがとう」と店を後にしました。


 帰ってから何気なしに調べてみると、そのお店は創業約100年になる焼き芋店。100グラム80円は20年来変わらぬ値段。コツコツと焼き芋一筋でやってこられ、3年前に奥さんを亡くされてからも、ひとりで切り盛りされているそうでした。
 普段はやさしいけれど、ルールを外すと手厳しいとも。

 このお店で買うのは初めてではなかったと思いますが、今日は焼き芋にかける店主の意気に触れたような気がしました。

 店主はこわいけど、いい店に出会いました。また来ようっと。

〜焼き芋三昧の店主〜
2004年6月13日(日)  No.290

梅干し作り
 台風一過とはいかないぐずついたお天気。

 夕べの風で落ちた梅の実は、早朝、住職がひろったものの、少しずつ落ちてくるのを毎日拾うのも大変なので、落として一気に回収してしまうことにしました。

 枝葉には断続的に降る雨粒が付いていて、竹竿で叩くと、水滴と梅の実が一緒に落ちてきて、ずぶ濡れ&時には「おお、危ない」。

 上を向いて梅の実を探しながら叩いていたら、しまいに首が痛くなってきます。

 落としては拾い、落としては拾い。落ちたところには紫陽花などが植わっていて、葉なども雨粒だらけ。それをかき分けたりしながら、拾っていると、またまたずぶ濡れ。

 2本の木でとりあえず大きなバケツ2杯分の梅が収穫できました。

 2本のうち、1本はいい実が採れるのですが、もう1本は実にシミができ、種も大きくてあまり美味しくありません。シミはカビなどが発生する病気のようですが、食べるのには問題ありません。

 採ってきた梅の実をとりあえず何回か洗って泥やゴミを取り、しばらく干して水気を取りました。

 夜になって乾いたのを見計らって、漬け込み作業。梅干しとシロップ漬けを作ることにしました。

 住職は毎日梅の実を拾っていましたが、人に差し上げたり、住職流の漬け方で梅干しを作っています。ボクはボクで梅干し作り。うちには2通りの梅干しがあるということです。
 住職の作る梅干しは、ごく大雑把。実に残っている成り口(ヘタ)などお構いなし。当然、作業も早いのですが…。塩もオーソドックスに実の重みの20%。ボクはいつも8%の減塩漬けです。

 下ごしらえ。竹串で成り口を取り、爪楊枝を3本ほど持って、梅の実一つ一つを突いて穴を1個につき20ほどの小さな穴を開けていきます。こうしたほうが早く水が上がってカビにくく、出来上がりの実もフンワカやわらかいように思います。

 梅の実の山を前に、これは気が遠くなる作業です。たまに成り口がどこかへ飛んでいったり、梅の汁が顔にかかったり、目に入ったりします。

 1瓶分下ごしらえをしては漬け込み。カビ予防に実に焼酎をふりかけて混ぜ、その水分を利用して実に塩をからめます。
 20%で漬けるならこんなことをしなくても大丈夫なのですが、8%ではよほど気をつけないとカビてきます。さらに、きれいな梅ばかりではなく、落ちて傷が付いたものや完熟した実、青梅などが混じっているから、余計にカビやすいのです。

 焼酎がなかったので泡盛で代用。混ぜていると酔ってきそう。

 こういう作業を繰り返し、梅干し8キロ、シロップ漬け4キロを作り、容器が足りなくなっってしまったので、今夜はこれでおしまい! 正直、容器が足りなくなってホッとしました。

 さて、明日も残りの梅の漬け込み。それに水の上がり具合やカビの監視などをしていかなければなりません。
 美味しくできるといいなぁ。


 今日、鈴虫が孵っているのを見つけました。まだゴミのように小さいのですが、ヒゲだけは立派でした。

〜今日収穫した梅15キロほど〜
2004年6月12日(土)  No.289

出直し
 今日読経に伺う檀家の家は、交番が近くにあって車が路上駐車がしにくいところ。バイクで行かないといけないのに、窓の外は雨。

 車に乗って行ったら、お経を読んでいる間中、「大丈夫かなぁ」と気になって仕方ありません。無理してでも、バイクで行ったほうが落ち着いて読経できます。

 どうしようかなぁと思いながら、時折外を眺めていたら、少し雨も小降りになってきました。
 「よ〜し、バイクで行こう!」

 バイクで10分ぐらい。着いた時には和装コートの前が少し濡れていました。

 コートを脱いで、チャイムを押したまさにその時、「あっ……」と気が付きました。「ひょっとして、今日は11日………」。
 そのお家に行くのは、毎月12日なのです。

 入り口にガラス戸越しに独り暮らしのご婦人の姿が写ったので、「すみません、吉祥院です。間違えましたぁ」と申し上げたら、「ああ、どうぞぉ」と戸が開きました。服のボタンを留めながら、慌てて出て来ていただいたようでした。

 「すみません。間違えました。チャイムを押しながら、間違ったのに気が付きました。また明日寄せていただきます」
 「いや、うちはかまいませんから、どうぞ」
 「いえ、また明日。ほんまに鈍なことで…」
 「いえ、どうぞどうぞ」
 というやりとりの後、今日伺うお家が待っておられるといけないのでと説明し、這々ほうほうていでバイクに飛び乗り、小雨の中をいったん帰りました。

 本当に今日行く予定のお家は車を置くことができ、少し遠いので、バイクから車に乗り換えて再出発。

 結局、小雨に濡れただけのバイクでの往復でした。

 夕べのお酒がまだ少し残っていたのか、天然ボケか、加齢による現象か…いずれにしろ、明日、どんな顔して再訪すればいいでしょう……。
2004年6月11日(金)  No.288

齢を重ねてますます意気揚々
 夕方から、ホームページを作っているインドのお寺の、本堂を建てるための会議がありました。

 現地視察に行かれた設計士さんから、インドの様子を聞き、またインドへ行ってみたいと思いました。

 ボクがインドに行ったのは、もう20年ほども前。設計士さんの話によると、20年前と比べ、デリーなどの都市にコンビニや車が増えたものの、田舎はほとんど変わっていないとか。

 建築現場には機械などほとんどなく、すべて手作業。コンクリートミキサー車ですら、訪印した時に1台も見なかったとか。コンクリートは、すべて手でこね、両手天ぷら鍋のような形のものに入れて、頭の上に載せて運ぶとか。
 40年前の日本の建築現場を思いだしてくださいということでした。


 会議終了後の懇親会、60、70代の宗派の要職にある方々は、どうしてあんなに元気なんでしょう。すごいパワー。2次会、3次会と重ねて、ますます意気揚々。

 いやぁ〜、すごい。その溌剌とした生き方は、とても刺激的でした。
2004年6月10日(木)  No.287

刈り込み作業
 梅雨の晴れ間。

 指の腱鞘炎は完治していませんが、こんな天気を逃したら勿体ない。それに、そろそろツツジを刈り込まないと、来年の花付きが悪くなってしまいます。
 ということで、午後から、自坊の庭の剪定作業作業をしました。

 湿気があって、蒸し暑く、少し動いただけで汗びっしょり。でも、汗をかくのって、気持がいいですね。

 刈り込みは大部分を電動バリカンで、細かい部分などは植木バサミでします。

 ベニカナメを植木バサミでチョッキンチョッキン。少し離れたところから眺めて、またチョッキンチョッキンとやっていたら、変な枝を発見しました。

 「うまいこと化けているなぁ…ピンと体を伸ばして、一所懸命枝のふりしている…すごいなぁ」
 他のところを剪定して、また見てみると、少し寄りかかる枝を代えて、またピンと背筋?を伸ばしています。
 その健気さというか、一所懸命さに、邪魔をしてはいけないを思い、その木の剪定をやめました。

 ツツジには葉を食べる虫がたくさん付いていました。でも、殺虫剤を散布すると、ひょっとして木々の影に隠れているカエルに影響が出るかも知れません。困ったなぁ。

 4時間弱の庭師仕事、結構疲れました。

〜一心に枝に化けている尺取り虫〜
2004年6月9日(水)  No.286

亀の池
 一日中、梅雨らしいお天気でした。

 少し腱鞘炎もよくなってきたので、晴れたら、サツキの刈り込みをしようと思っていたのですが、これだけ降っていれば諦めがつきます。
 仕方なく、デスクワーク。

 今日はパソコンがよくトラブル日なのか、数カ所から「HELP!」の電話。手元にないパソコンで、しかも環境も違うので、想像力を働かせないと状況がつかめません。
 1件は解決まで4時間ほどかかったものの、何とか修復できました。

 気晴らしにカエル池を見に行ったら、杜若の根元に亀の背中が見えました。この亀、すっかりこの池が気に入ったのか、天気のいい日は草むらで過ごし、その他は池に浸かっています。
 今日は物憂い、起きているのか寝ているのかわからないような目で、水の中からこちらを見ていましたが、向こうも慣れてきたのか、ただ眠たかったのか、逃げる様子もなくウトウトしていました。

 カエルはいったいどこへ行ってしまったのでしょう。姿も声もありません。池はカエル池から亀の池と化しつつあります。

〜水の中で物憂い目つきの亀〜
2004年6月8日(火)  No.285

三室戸寺の紫陽花
 醍醐の檀家にお参りしたついでに、紫陽花が満開の三室戸寺に行ってみることにしました。

 衣を着て他のお寺に行くのは何となく窮屈なので、随心院の駐車場で洋服に着替え、車で15分ほど。
 三室戸寺の近くは、平日というのにさすがに賑わっていました。

 このお寺にお参りするのは3回目ぐらい。1度は蓮の頃、もう一度は紫陽花の頃のライトアップでしたが、境内の様子などの記憶は途切れ途切れ。

 「みむろどう」という大きな石碑や急な石段のある雰囲気に、まず感動しました。本堂はさほど大きくはありませんが、いかにも西国の札所の雰囲気いっぱいでした。

 1万本の紫陽花が植わっているという5千坪の庭は、カンカン照りの中、紫陽花の草っぽい匂いがいっぱい。紫陽花は、ちょうどよい頃でした。
 ただ、種類的にはあまり珍しいものはなく、残念。


 庭を出たら、数張りのテントがあって、お茶や茶だんごを売っていました。先日来のボードで茶だんごが話題になっていたので買って帰ろうと覗きましたが、あまり知らないお店のものだったのでやめて、宇治橋畔のお店へ行って買いました。

 茶だんごって、結構当たり外れがあります。今まで買ってガッカリしたのは、新幹線コンコースで売っていた真空パックの茶だんご。ベタベタして、お茶の味もせず、「こんなもの、お土産として売るなぁ!」と言いたくなります。


 お土産として売られているものは、玉石混合です。どちらかというと、「石」のほうが多いかも知れません。
 この団子屋さんも、「品物のおいしさを保てる範囲が商いの範囲」と、デパートなどには出店しないとか。

 今まで、商いが大きくなったために、味が落ちたお店がいっぱい知っています。特に漬物屋さんにはそういうのが多いですね。
 千枚漬で有名な某大手の漬物。「あの店の漬物が欲しい」と遠縁のお年寄りが所望され、困ったことがあります。かつては美味しかったのでしょうが、今は京都の人でその店の漬物をわざわざ買う人はいないかも知れません。


 買って帰った茶だんご、抹茶をもう一振り加えて食べたいなぁ。
2004年6月7日(月)  No.284

梅雨入り
 大阪管区気象台は6日午前、近畿地方が梅雨入りしたとみられる、と発表しました。昨年より4日早く、平年並みの梅雨入りだそうです。

 先週まではずっと快晴。今日は朝から雨。今週1週間は雨模様の日が多いとはいうものの、梅雨入り宣言にはちょっと早いんじゃないのかなぁ。
 朝の10時頃には梅雨入りを発表して、もう少し様子を見た方がいいんじゃないの…。
 と思っていたら、お昼前には雨も止み、午後からは青空もチラホラ。ほらぁ〜、だから言ったじゃないの…。
 例年、梅雨入りした模様と発表した後の数日はいいお天気のことが多いような気がします。

 最近、天気予報もあまり当たらないし…これって、気象衛星をアメリカに依存しているからでしょうか?

 昨年、気象衛星の打ち上げ失敗で新しい手持ちの衛星をもたないまま、ひまわり5号は寿命を迎え、アメリカのゴーズ9号バトンタッチ。その画像は、ひまわりと比較してノイズが多く、一見して画質が悪いことがわかるほどだそうですが。


 今日は風もあり、蒸し暑いながら、じっとしていると何だか涼しいくらい。おかしいなぁ、蒸し暑いんだけど、体の芯は寒いような…風邪ひいたのかな。

 人差し指の腱鞘炎は少し回復。物に当たって飛び上がったり、服を着る時に恐る恐るというほどではなくなりました。
 ご心配をおかけしました。
2004年6月6日(日)  No.283

井戸巡り
 今日の「メダカの学校」の講演は、カッパ研究会の鈴木さん。題は「水の都・京都の水〜3つの特性〜」について。

 昔は水を制した者が権力を手に入れたという話は面白かったですし、平安京を南北に貫く川や運河たくさんあって、それが浄水と下水の働きをしていたこと、右京の排水が悪いのが衰退した理由とか、勉強になりました。

 終わってから、参加していた人の家の井戸を見せて貰いに、他の参加者の方と一緒に伺いました。

 ご近所でよく知っている方でも、井戸の中を見せて貰うなんて初めて。さらに、そこお宅の井戸の水面は、地表から50センチほども下がっていないところにあって、ビックリ! 真如堂の丘の中腹にあたるような場所のお宅ですが、境内では井戸の水面まで10m近くあるのに…。

 さらに、近くの千年前に真如堂が開かれたところにあるお寺に。『真如堂縁起絵巻』には、「醍醐味のある水の出る井戸が建物の裏にあたるように本堂を建て、日々の仏さまのお給仕に使いなさい。本堂はそれ以降火災に遭うことはなかった。それはこの霊水のお陰で、真如堂を信仰する人は火災の難を避けられる…」と記されてある井戸があるはずなのです。
 庵主さんにお願いしてその井戸を見せてもらいました。「これが縁起に記されている井戸かぁ!」と大感激でした。 生まれてこの方○○年、ボクはその井戸を見たことがなかったのです。

 そこからは鈴木さんと2人で、黒谷へ。黒谷には「明星水」という名水があるとか。

 真如堂の墓地の奥にある井戸で味見。子供の頃から「あの井戸の水は飲めない」と聞かされているボクは遠慮。鈴木さんによると、金気があるそうでした。

 紫雲石さんの副住職にたまたまお目にかかり、明星水の在処を教えて貰いましたが、もう門が閉まっているだろうとのこと。ガッカリ。
 どちらにしろ通り道なので、そちらを目指しました。

 途中で、2ヶ所の井戸を視察。この井戸の水位も高い。「この水は飲めません」と書かれている水を鈴木さんは試飲。チャレンジャーだなぁ。

 幸運なことに明星水のある栄摂院さんの門は開いていました。「門が開いている時は自由に本堂の奥まで入れるけれど、井戸が見られるかどうかはわかりませんよ」と紫雲石さんから聞いていたので、半ば諦め気分で奥へ進むと、東屋の下に直径2メートルほどの低い石組みがあり、竹の被いがしてありました。
 これか? 夕日で字の読みにくい石碑を見ると、確かに「明星水」と彫られていました。
 井戸というよりは湧き水。地表から30センチほどのところに水面がありました。
 明星が天降って菩薩が現れたことから名付けられ、皇族公家の茶の湯に使われたという由緒の水ですが、竹の枯れ葉などが浮いていて、鈴木さんも試飲は断念。

 ここのご子息とは確か幼稚園の同窓生ですが、こんな立派な井戸があるとは、今日まで つゆ知らず。

 最後に、真如堂の墓地にある、うちがいつも飲料水に使っている井戸を試飲。これは、本堂前の井戸や墓地奥の井戸とは味が違うとのことでした。

 2時間ほどの井戸巡り。近所にこんな所があるのか、こんな切り口があるのかと、実に面白かったです。

〜元真如堂の「醍醐水」/黒谷の「明星水」〜
2004年6月5日(土)  No.282

鐘楼
 更新のための写真を撮りに鐘楼堂の近くに行き、鐘が視野に入った時、先日起きた出来事が思い出されました。


 1日の夜中、高校の2年上級で、1年間寮生活を共にした人が住職を務める群馬の寺が全焼。犬が騒ぐので目を覚ましたら火事。老僧は飛び起き、釣り鐘を連打して、火事を知らせたとか。
 鐘を連打するのは、火災の知らせという決まりがあります。

 鐘を撞く前に119番はされたのだろうか…どんな気持で鐘を撞き続けられたのだろう…燃えさかる自らの寺を見て、本当に辛かっただろうなぁ…などと、いろいろなことを考えました。

 500平米ほどの本堂と庫裏は全焼。50体ほどの仏像も焼失。急を知らせた愛犬も焼死したそうです。幸いにも、怪我人はなかったとか。

 原因は、電気工事の配線ミスによる漏電。

 再建は、工事ミスの補償金や保険金などを再建への足がかりにされるそうですが、私たち同窓生も見舞金を集めることになり、自ずとボクが窓口になりました。

 お寺の再建、考えただけでも大変なことですし、仏像なども元通りにはなりません。お見舞いの言葉も見つかりません。


 鐘楼横の鮮やかな紫陽花を見ながらも、重たい気分でした。
2004年6月4日(金)  No.281

祝宴
 午後から、インドのサンガ師が天台座主からインド禅定林の住職としての辞令をいただかれたりした祝いの宴。

 サンガ師はインドのナグプールで生まれ、9歳で来日し、比叡山で出家得度されました。以来約15年間修行を続けた後、1986年に帰国。デカン高原のナグプールに「インド大乗仏教禅定林」を開いて仏教復興の布教活動を始め、日曜学校も開設して子どもたちへの教育を始めました。また、孤児や家庭に事情のある子どもたちを預かって教育したりと、幅広い活動をなさっています。

 彼が来日して間もない小学生の頃、ボクは比叡山の麓坂本の高校の寮に入っていて、その窓から彼が登下校する姿を見たり、少し話をした記憶があります。

 それから30年ほど、時おり彼の活躍の様子は他聞してはいましたが、「知っている」と公言できるレベルでからはほど遠いものでした。

 つい2ヶ月前、活動を紹介するためにホームページを充実させたいという話を聞きました。今までにもホームページはあったものの、ほとんど更新もされず、記事も古いままでした。

 自分の好きな分野で協力できるならと、一も二もなく、新しいホームページの作成を受諾。
 でも、彼の活動は想像していた以上に多岐にわたり、その一々の説明や経過、現状をまとめるのは容易なことではありません。
 とにかく作り出し、何とか形らしいものはできてきました。

 そんな折、ごく親しい方の祝宴に駆け出しのボクがお招きいただいたのですが、サンガ師の活動やそれを支援する人たちの思いが、よく伝わってきました。
 ある人は、彼がインドで行事をすると、何万人という人がまさに「湧いてくる」のだと、興奮気味に話してくれました。

 祝宴の最後にサンガ師は、「今まではたくさんの人が来てくれることが嬉しかったし、価値があることだと思っていたが、これからは仏道ということに主軸を置いてやっていきたい」という趣旨の謝辞を、目を潤ませながら述べられました。
 ボクも目頭が熱くなりました。

 謝辞後も宴は続き、4時から始まった祝宴が完全にお開きになったのは8時半過ぎ。とても佳い会でした。


 今日6月3日はサンガ師が9歳で初来日された日、サンガ師を支える会が発足した日、その他にもプライベートな意味でも祝い事が重なった日。
 ホームページも、未完ながらこの祝日にあやかってリニュウアルOPENすることにしました。http://www.pmj3.com

 さて、あと一頑張り、二頑張り! でも、指痛〜い。

〜謝辞を述べるサンガ師〜
2004年6月3日(木)  No.280

木魚談義
 腱鞘炎、絶好調。医者に行ったら注射されるとか、手術する人もあると言われ、ますます行く気なし。

 檀家宅で年回法要を勤めに伺うと、普段はお年寄り2人のところが、今日は10人以上の人でいっぱい。

 「手をどうかされたのですか?」と聞かれて「腱鞘炎で」と答え、普段は右側に置く木魚を左側に移しました。
 朝、利き手と違う左手で木魚を叩くシミュレーションをしてみたら何とかなりそうだったので、今日は左手で叩くことにしたのです。

 最初のうちはよかったのですが、だんだん乱調になり、自分でも意識がそっちの方ばかりにいって、読経に気が入りません。

 半分ほど読んだところで、読経を続けながら手を止めて、木魚を右側に置き換え、右手で叩き始めました。痛いですが、握り方を変えたりしながら、何とか最後まで行き着きました。

 法要後の雑談の中で、「やっぱり利き手でないと…」と話したら、ご親戚の方が木魚を置き換えたのは儀式の一環だと思っておられたことがわかり、大笑い。黙っていればよかったかな。
 その方のお寺は真宗。真宗では木魚は使いません。また、浄土宗の方もおられ、「浄土宗はお経の言葉の間に木魚を打つのですよ」とお教えしたりして、しばらく木魚談義で盛り上がりました。


 池の亀クンはすっかり定住したようで、見に行ったら、水面から出していた首を急いで引っ込めました。
 カエル君は何処へ?
2004年6月2日(水)  No.279

腱鞘炎たけなわ
 腱鞘炎がひどくなり、人差し指の根元の手の甲が腫れて、皺がなくなってしまいました。

 たかが1本の指、されど1本の指。連動して、他の指まで凝って、肘や肩まで不調になってきました。

 整形に行っても、どうせ湿布と痛み止めだけ。長い時間待つのも嫌だから、自宅療法。
 檀家のお年寄りから「私こんなに使わないから」といただいた、消炎剤入湿布が山とあるので、それを適宜張り替えていますが、効果があるのかないのか…。

 木魚のバチが握れない、バイクに乗っても振動で痛いと、何から何まで不自由です。

 せっかく天気がいいのに、植木の剪定作業もできません。トホホ・・・。
2004年6月1日(火)  No.278

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