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2004年5月の日記

カエル、帰る! 亀、居着く?
 右手の人差し指がクリックのしすぎで腱鞘炎になってしまいました。入力は一本指、お箸は持ちにくいと、きわめて不便です。


 今日、刈り込みをしていて、ふと紫陽花の葉を見たら、小さいモリアオガエルが葉の上に乗っかっているのを見つけました。新旧の池とは離れた、水気のないところです。

 ビックリしたのはもちろん、嬉しいというか、この時を待っていたんだよというか、もんどり打って用意してあったタモ網を取りに行き、素早く捕獲。すぐに新しいカエル池に放ちました。

 いままでの経験から、1匹だけでいることはないだろうと、注意深く同じ場所あたりを探したら、難なくもう1匹を発見! これまたすぐに捕まえて、カエル池に放ちました。
 1匹目はまだ2センチほどの子ガエル。2匹目もまだ成カエルではなさそうです。

 この2匹では産卵は望めないものの、「ここにいい池があるよ! こっちへおいで」とこの2匹が鳴いてくれれば、親ガエルたちも集まってくれるかも知れません。

 今後のこの2匹の活躍に期待したいものです。


 昨日の亀ですが、今朝、カエル池を見に行った時にガサガサという音がしました。音が聞こえた先を見ると、枯れ葉の中で亀さんがゴソゴソしていました。溺れてはいなかったようで、一安心。

 しばらくしてまた見に行ったら、さっきの場所から30センチほど離れたところで、どこかいいところがないか探検しようとしているふうでした。

 亀はとてもデリケートな生き物らしく、こちらを視認すると、すぐに警戒モードにはいりました。あまりストレスをかけてはいけないので、観察するのをやめました。


 午後から雨になり、もう一度、カエルと亀の様子を見に行ったら、カエルの姿は見えず。亀さんは、池の水の中から顔を出したところでこちらを見つけ、また水の中に潜りました。

 カエル君たちの定住にはまだまだ不安が残りますが、亀さんは案外この空間を享受しているように思えます。


 ボクは、さしずめ両生類・爬虫類専属のムツゴロウさん気分です。もっとも苦手な分野なのに。

〜カメラ目線のモリアオガエル2号 / 徘徊中の亀くん〜
2004年5月31日(月)  No.277

 先日に続いてつつじの刈り込みをしていたら、外回りから帰ってきた住職に「亀がいる!」と呼ばれました。

 行ってみると、自坊の門前の石畳の上に20センチほどのクサ亀がいました。「ああ、いつもの亀や」 毎年、カエルが産卵していた小池に通ってきていた亀でした。

 亀の生態はよく知りませんが、以前、茶室建てるために地面を掘っていたら、亀の子供が5匹ほど地中から出てきたことがありました。土の中に卵を産んで、そこで孵化するようです。
 これも何かの縁と、一時は茶室の名前を「鶴亀亭」「万亀庵」とか、亀にちなんだものにしようかと、真剣に考えました。

 それはさておき、今は元のところに池もないし、亀も路頭に迷うだろうと、亀を新しいカエル池に移すことにしました。

 亀も爬虫類。細長くはありませんが、正直あまり得意ではありません。特の首のあたりの皮膚感とか模様とかが、やっぱり爬虫類。

 幸い、持ち上げたらすぐに首や手足を引っ込めてくれましたので、そのまま新池に運び、池の金網を持ち上げて、水の中へジャボ〜ン!
 金網があっては亀が出入りできませんので、撤去しておきました。

 すぐに泳ぐのかなぁと思いましたが、首や手足を引っ込めたままジッとしています。警戒しているのかなぁと思い、その場を後にして、また刈り込みを続けました。

 それからしばらくして見に行っても亀はまったく以前のまま。また見に行ってもそのまま。
 「こんなに潜っていては息ができないだろう」と心配になってきました(後から調べてみたら、亀は肺呼吸と皮膚や粘膜でも呼吸して、冬眠の間でも水中で過ごせるそうです)。
 それに、新池は1.5mほどのコンクリート壁の上。亀が移動を図った時には落ちて、甲羅を割ってしまうかも知れません。

 だんだん心配になってまた見に行きましたが、今度は姿が見えません。水から出たような跡はありませんので、水の中で少し移動したのかも知れません。

 「亀、カメン!(Coming!)」と、心の中で叫んでみましたが、出て来ません。

 とりあえず、今日は事を荒立てずにこのままにして、明日の様子を見て、亀を野に放つか、他の池に移すかを考えることにしました。

 クサ亀やイシ亀といった在来種は、愛玩用に輸入されて野生化した他種の亀に追われて減少してそうです。
 なおさら大事にしてやらなければなりません。


 今日は32.6度まで気温が上がったとか。あまりの蒸し暑さに、今年初めてエアコンをつけました。やっと石油ストーブをしまって、扇風機を出しました。
 明日から天気が崩れそう。近畿もそろそろ梅雨入りでしょう。

〜亀は何処?〜
2004年5月30日(日)  No.276

消えた写真
 何とか更新を終えて、カメラのメモリカードを点検したら、数日前に撮った写真がな〜い……自分の写真ならいいのですが、人を案内した時に撮ってさしあげた記念となる大切な写真。

 2枚あるメモリカードを何回も見たけれど、やっぱりな〜い。

 1枚目メモリに入ったものはハードディスクにバックアップしたものの、もう1枚をバックアップする前に、したものと勘違いして消してしまったものと推測されます。
 消してしまった方に、名所でのスナップが20枚ほど入っていました。

 ガ〜〜〜〜〜〜〜〜ン!

 4種類のファイル復元ソフトを使って、あれやこれやと復元を図ってみました。
 でも、消した後に別の写真を撮ってデーターの書き込みをしてしまっているため、消したデーターのファイル名・サイズ・日付などは確認できるものの、「復元できません」という表示。

 ガ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン! ダメだぁ………………

 消してしまったことを先方に連絡してお詫びし、今夜はもう気分が持ち直せそうにないと、早々に寝ました。
2004年5月29日(土)  No.275

室生の「小寺」へ
 ようやく、3月に亡くなった恩師のお参りに行くことができました。

 奈良県室生。京都から車で3時間弱、三重県との県境に近い、幾重にも山が続く室生村。

 村まで行き着きはしたものの、先生のお寺のある谷がなかなかわからず、車が離合できないような道をあっちへ行ったりこっちへ来たり。
 ようやく、目的の集落に行き着き、谷間を見渡したら、お寺らしい甍が森の向こうに見えました。「こういう集落に何軒ものお寺はないだろう。あそこに違いない」と、細くて急な道を進み、田を隔てた寺の前に出ました。
 寺の名前を標すものは何もありませんでしたが、「ここしかないだろう…」と、両手にお供え物を持ち、30メートルほど離れた寺へ向かいました。

 「浄土真宗の僧侶で、室生の山の中の、小寺の住職です」と自分を紹介する時に時々おっしゃった「小寺」にしては、立派な本堂。その脇に庫裏があり、表札を確かめて声をかけると、奥様が出て来られました。

 仏前で阿弥陀経を読経。天台と浄土真宗では同じ阿弥陀経でも読み方がまったく違いますが、後ろに座っておられた奥様も、ボクがどこを読んでいるかはだいたいわかるはず。そのせいもあって? 読経は時々声がつまりました。

 50年前、奥様が嫁いでこられた時には45軒あったこの集落も、今は35軒。集落の全戸が檀家。この寺は集落のお寺です。
 先生は、若い頃にはこの山村の寺から脱出したいと望まれたそうです。真宗教団を改革したいと活動された先生にとって、この閉塞的な状況との葛藤はさぞ大きかったでしょう。

 都会育ちの奥様も、ここに来て、慣れない畑仕事をしなければならなかったとか。近くにまったく店舗などなく、先生が亡くなった後、ご自分での移動手段を持たない独り暮らしをなられた奥様にとって、巡回してくる生協が今は大助かりだとか。

 帰りに、先生が『歎異抄』の講話をされているDVDと、生の萱でちまきのように包んだお餅をいただきました。
 この山寺と奥様から発せられた「DVD」という言葉があまりにもそぐわない印象でした。お餅は、萱のまま茹でればよいとのことでした。


 帰りに、一つ谷違いの室生寺に参拝。一度は行きたいと思っていたお寺で、写真でよく見る五重塔に感激しました。
 木津、加茂、そしてこの室生、こういうお寺の雰囲気は大好きです。

 帰路は別の道を選び、柳生から信楽を抜け、宇治を経て帰りました。
 山にはウツギの白い花や桐の紫の花が見え、山間の暮らしぶりもほのぼのとしたもので、行きの単調な道とは大違い。
 でも、相当時間がかかりました。

〜左端の竹藪の向こうにわずかに見えるの「小寺」の屋根/ちまき〜
2004年5月28日(金)  No.274

美術館のミーコ
 市立美術館で開催されている「行動展」に行ってきました。

 檀家に木彫をされている方がおられ、毎年、チケットをいただきますが、この展覧会はとても面白く、いつも楽しみにしています。

 「自主的かつ独自な在野美術家集団 行動美術協会」と趣意書に書かれていますが、きっと生活面では自由ではないでしょう。特に、彫刻などをやっている人は、とても食べてはいけません。

 でも、そんな在野集団だからこそ、何かに縛られたり、変に芸術家ぶったりすることなく、自由に筆やノミをふるえるのでしょう。「エセ芸術家」の臭いは、実に嫌味なものです。

 会場には、とにかくいろいろな作品がありました。絵は抽象あり、具象あり、マチエールも様々。つまらないものもありますが、引き込まれるものもあります。

 彫刻には、2畳分ほどの大きさの黒足袋が広げてあって、お題は『しびれた』。フェンスの中に閉じ込められた箱にキリギリスがとまっていて、その鳴き声がテープで流れてきている作品もありました。


 そんな作品が展示されている広い部屋を進んでいくと、部屋の真ん中に鯵の開きが立っていました。

 「なんだぁ、こりゃ?????」といぶかしげに見ながら、次の部屋の入り口を見ると、逆光の中に、な、な、なんと、ミーコがいるではありませんか! 

 「ミーコ、お前こんなとこまで…」 よく見ると、ミーコではなく、木製のシロでした(「シロ」という名はボクが付けました)。

 なーるほど、鯵の開きをシロが狙っているという作品なのかぁ。その名も『鯵と猫』、そのまんま。題に凝らないところが、またいい、いいのかなぁ…。


 あー、面白かった。こういう展覧会に来ると、心に遊びが取り戻せます。何だかリッチになった気分で、ボランティアに向かいました。

〜『鯵と猫』 鯵の開きを入り口のところから猫がうかがっています〜
2004年5月27日(木)  No.273

パーパド
 新芽の成長もそろそろ止まってきました。

 今日も快晴。カラッとしていて、植木作業にはもってこいの天気です。

 さぁて、刈り込みをしよう!

 ヘッジトリマーという植木用のバリカンで、つつじや垣根などを「散髪」。見る見るさっぱりしていきます。

 人間の散髪のようです。ボクには髪がほとんどありませんが、それでも剃刀で剃った後はさっぱりしますから、その感覚はわかりますよ。

 植木もそんな感じに見えますが、はたして植木は喜んでいるのか、嫌がっているのか…。延び放題の方がお好みかも知れません。

 数時間の作業をしても、あまり汗はかきませんでした。ずっとこういうお天気だったらいいのになぁ。


 夕方、ホームページの打ち合わせに来られたインドのお坊さんから、「パーパド」という、ひよこ豆をペースト状にして香辛料を加え、直径20センチほど厚さ1ミリほどに伸ばしたもののを束にしていただきました。

 油で揚げればいいということでしたので、早速、やってみました。

 油に入れたら、ボワァーっと膨れたようになり、仕上がりはまさにチップス。パリパリッとして薄焼きの香辛料入りお煎餅のようで美味!

 インドで売っているパーパドの中では一番辛くないものを下さったそうですが、それでもさすがにインド。 

 こりゃぁー麦酒にピッタリ。

 糖質&プリン体カットのしみったれた麦酒ながら、パーパドのお陰で一気にいただきました。

〜ひよこ豆って、どんな豆なのでしょう。ピヨピヨ。生の重ねたパーパド〜
2004年5月26日(水)  No.272

葬儀
 今日も、雲一つない快晴。まるで真夏のような空でした。

 葬儀。

 京都も自宅葬より会館での葬儀を選ぶ方が増えてきていますが、葬儀業者によってはとても嫌な印象を受けることがあります。

 若い女性スタッフを全面に押し出してソフトな印象を与えようとしているのでしょうが、形ばかり。デパートの開店時に女性店員さんがするような、おへそを両手で隠すようなお辞儀の仕方には、すごく違和感があるなぁ。
 いったんそこの会場を使うことになったら、葬儀・火葬の後すぐに初七日をすることを強引に勧め、その会館の食事を食べさせようとしたり、参列者へのお供養の品もその会館指定のものしかダメとか、とにかく稼ごう稼ごうという姿勢がありあり。
 いろいろやっていても、結局根本の「心」がなく、利益優先が誰の目にも明らかなのでしょう。

 僧侶の多くが、「あそこではやりたくない」と言います。

 遺族にとって、会館での葬儀は楽なことも多く、これから京都でもますます増えるのは確実ですが、葬儀もベルトコンベヤーに乗っているがごとく、着々と片付けられてしまのには納得できません。

 人が何十年生きてきた、その最後なのですから、ちゃんと送りたいですね。
2004年5月25日(火)  No.271

ボランティアからお通夜に
 今日は、朝から夕方までボランティア。

 新しいPCなどを買ったので、その設置からセットアップ、ドリルで壁に穴を開けてLANケーブルを配線したり…まぁ、これもボランティアの一環かな。

 新しいPCはDELLの普及機タイプ。発注してから届くのに2週間もかかります。発注を受けてから、中国で生産し、船便で運んで来るみたいです。

 DELLは99800円などとCMで流していますが、あれはアプリケーションのほとんど入っていない機械。でも、パソコン初心者なら、あれでたいていのことはできると思って買ってしまう人もいるのではないでしょうか。

 ずるい会社だと常々思っていますが、安いし、配送料サービス期間だったし、期間限定割引はあるしと、背に腹は替えられず、選びました。
 まぁ、それなりの機械でした。


 衣に着替えて、そのままお通夜に。毎月、ご自宅にお参りさせていただき、つい2週間前にもお目にかかっていた方なので、祭壇の写真を見ながら、いろいろな場面が思い出されました。
2004年5月24日(月)  No.270

東福寺参拝
 来客を駅に送るにはまだ少し時間が早かったので、東福寺に立ち寄ることにしました。
 東福寺に行くのは15年余ぶり。前に来たのは、仏教会の花祭りのイベント。通天橋の前の広場で、子供たちを集めて餅つき大会をし、餅米をふかしたり、きな粉の準備をしたりとか大忙しで、通天橋もチラッと見たかなぁという程度でした。

 日赤の裏のほうに車を止め、境内に向かっていく途中、オガタマの香りがプ〜ンと漂ってきました。

 臥雲橋を渡る時、緑の若葉に覆われた通天橋が見え、その美しさに「わぁー」と声を上げてしまいました。
 拝観料を納め、通天橋に入って、また「わぁー」。サツキや菖蒲の咲く開山堂・普門院の庭園で「わぁー」。

 時間の都合で、それ以上回ることはできませんでしたが、それだけでも堪能しました。
 実に素晴らしい! 去年の京都専門の月刊誌で、東福寺が紅葉の寺NO1に選ばれていたのは充分納得できます。新緑の寺としても上位に入るのは確実でしょう。

 ちなみにNO2は永観堂でしたが、こちらもお参りしたこと無し。小中学校の時、学校から写生などには行ったと思いますし、事務所には何回も伺ったことがあるのですが…。

 やはり、地元にいると、誰かをご案内して(といっても、場所を知っているというだけ)という時がないと、なかなか行く気にはなれません。

 あー、よかったぁ。

〜開山堂の庭園〜
2004年5月23日(日)  No.269

祖廟参拝
 久しぶりに比叡山の浄土院にお参りしました。

 浄土院は、伝教大師最澄の廟所。比叡山中で最も清浄な場所。天台宗の僧なら、ここに行って、厳粛な気持にならない者はいないと言い切れるほどの聖域です。

 人が多く、ざわざわした根本中堂付近とは違い、静まりかえって凛とした雰囲気の浄土院。
 ここに立つだけで、身も心も引き締まります。

 ここにいる僧は「侍眞じしん」と呼ばれ、伝教大師が生きておられるかのように、食事などのお給仕をします。その他の時間は勤行と掃除を行い、掃除は雑草一本・枯葉一枚も残さず、繰り返し繰り返し行います。

 比叡山には、3つの厳しい修行(「地獄」)があると言われます。お勤めに徹する横川の「看経(勤)地獄」。千日回峰行の「回峰地獄」。そして、ここ浄土院の「掃除地獄」です。
 お参りした時も、建物の回廊にぞうきん掛けをした跡がありました。

 なまぐさのボクには、そんな真似など微塵もできませんが、ここに立つだけで、自分が僧である原点がはっきりと指し示されるような気がします。

 やっぱり、時々ここに来ないとダメだなぁ。

 短い時間でしたが、お参りできて本当によかったです。

〜浄土院祖廟〜
2004年5月22日(土)  No.268

台風一過
 白んできた空を見たら、雲間に青空。これで台風も雨ももう心配なし。

 朝の散歩の時は、まだ木々の枝は雨粒だらけ。地面からも水が湧いてきて、ところどころに大きな水たまりがありました。
 急に雨があがったのでしょうね。

 昼から、東山・養源院の大般若転読会。養源院では、「三長斎月」の正月・5月・9月に大般若が修せられます。

 お経をパラパラと繰り、大きな声を出す動きのある法要なので、終わる頃には汗が滲んできました。

 庭の池に鴨のつがいがいました。卵を産んで孵っても、雛はカラスなどに襲われて、ほとんど育たないとか。悲しいけど、それが自然の摂理。人間の世界だって、同じかも知れません。

 来週は晴れの日が多いとか。うれしいなぁー。

〜木漏れ日〜
2004年5月21日(金)  No.267

自宅作業の日
 朝からずーっと雨。台風はどうなるのだろうと思っていましたが、ほとんど影響はなさそうで、一安心。

 幸い、外へ出かける予定がなかったので、自宅作業。

 大雨に備えて、樋などを点検したり、カエル池が溢れてないかと見に行ったり…明日の更新準備をしたり。これといってまとまった仕事をしていないのに、一日が終わってしまいました。


 「水無月」と新茶でホッと一服。もう水無月が出回り出す季節なのですね。「鮎」ももう売っているでしょうか。

 御菓子で季節を感じるというのは、リッチな気分ですね。

〜食べてしまったので写真はありません〜
2004年5月20日(木)  No.266

美味? コンビニ 鶏そぼろ飯
 外回りの続きに、今日もボランティアへ。連休の頃、ずっと行っていないので、そのツケが月の後半に回ってきています。

 時間がないので、コンビニで小さめの鶏そぼろ飯を買い、“チン”してもらって、車を走らせながら食べました。

 さすがに走っている時は食べられないので、信号で停まるたびに一口。また停まって一口。いつもはイライラする赤信号も、今日は嬉し。

 僧衣姿でパクついているので、人に見られたくありません。金閣寺の近くなどは、修学旅行シーズンで大型バスが多く、上から覗かれそう。真横に停車しないようにしたり、サッと隠したりしながら、また一口。

 美味しいのか、美味しくないのか、味なんてわかりません。しかも、こぼしそうで食べにく〜い。

 あまり食べると、睡眠薬を飲んでいるような効果が食後に出てくるので、空腹を押さえる程度のお弁当にしたのですが、信号待ちで食べられるのはだいたい一口だけ。20分少しかかって食べ終わる頃には、目的地に着いていました。

 さて、一仕事するぞぉ! と、まずは喉を潤すためにお茶を一口。おもむろにスケジュール表を見て……そこであわわと座り込んでしまいました。

 うわぁー、時間を間違っていたぁ…。3時間半、早く来すぎ。うっそぉー!

 帰って、もう一度出直すか…往復1時間以上、あまりのショックにそんな気力は残っていませんでした。

 「スミマセン。今日は帰ります」と、降り出した雨の中を帰りました。

 結局、大急ぎで味もわからない鶏そぼろ飯を食べるために往復したようなもの。おにぎりにしておけば食べやすかったか…いやいやそんな問題ではありません。

 最近、ボランティアではついてないなぁ…それにしても…。
2004年5月19日(水)  No.265

飛騨旅行記できたぁ
 4月に行った飛騨旅行の旅行記がやっとできました。

 ちょうど1ヶ月経ってしまい、ところどころ思い出せないところもあります。

 読み返してみると、桜を求めての旅というより、飲み食いの話にばかり力が入っています。これがボクの実体かも知れません。

 今もあの大きな江戸彼岸桜を思い出します。江戸彼岸には、染井吉野とは比べものにならないほどの威厳があります。雪深い土地で、時代を超えて生きてきた末の威厳であり、静かさでしょう。

 写真を修整しながらコツコツ書いてきたので、やっとできて、ホッとしています。

 美味しかったなぁ、岩魚のにぎり寿司。

〜今朝咲いていた箱根ウツギ? 二色ウツギ?〜
2004年5月18日(火)  No.264

ダメだこりゃ
 午後からボランティアの研修。

 あまりに自分の出来が悪いので、落ち込みました。

 時間が経つに従って、落ち込みは度を増し、穴があったら入って蓋をして籠もっていたい気分です。

 あーーー。
2004年5月17日(月)  No.263

カエルいまだ来たらず
 一日中、雨。何だか、最近雨が多くて、梅雨入りしたみたいです。

 雨で喜ぶのがカエル。去年は今頃姿を見せてくれたので、カエル池に見に行きましたが、やはり姿はありませんでした。

 池には黄菖蒲が咲き、アメンボの小さな子供がたくさん泳いでいます。でも、主役は不在。

 全国各地からは、モリアオガエルが産卵したという情報が伝わってきますが…。

 今まで来ていた池がなくなったカエルは、どういう行動をとるのでしょうか? * 一度、今までの池に戻って、どうするか考える。 * 風の便りに、池がなくなったことを知っていて、すでに他の池で産卵している。 * 今年は産卵を諦める。・・・

 同じ池でも、モリアオガエル好みとそうでないのがあるようで、水があったら産むということでもありません。

 モリアオガエル好みの池にするにはどうしたらいいのでしょう? どうやって、カエル君に池が移転したことを知らせればいいのでしょう?

 困ったなぁ。


 作業所のPCの修復に、丸一日かかりました。

〜黄菖蒲の咲いてきたカエル池〜
2004年5月16日(日)  No.262

初めての葵祭
 昨日更新した「今日の散歩道」で葵祭のことを書いたものの、いまだかつて見たこともない・・・それではいけないなぁと思い、バイクで下鴨神社まで一っ走り。

 着いたのは到着予定時間の11時40分。当然人だらけ。何とか有料観覧席の後ろに辿り着き、今か今かと待っていました。

 その間、境内の放送やハンドマイクで、しきりに「フラッシュをたかないでください」という注意がされていました。「自動カメラをお使いの方で、フラッシュが点くかどうかわからない方は、カメラの使用を差しひかえて下さい」「馬は非常にデリケートな動物です」と、かなり念入り。

 遅れていた行列がやっと到着。と、同時にあちこちでフラッシュがピカピカ、ピカピカ。どういう気なんでしょう、自分ひとりぐらい大丈夫、まさか光らないだろうということなのでしょうか。

 正直、行列はやっぱり退屈でした。一度見たらいいかなぁって感じ。

 平安朝の衣裳をまとい、葵の枝を烏帽子などに付けているのは、昨日ボクが更新に書いた通りで、これで来年からは自信を持って書けます。

 斎王代の乗った腰輿(およよ)や牛車なども立派で、糺の森の新緑とのマッチングが最高でした。

 でも、退屈ぅ。飽きてきてもう帰ろうかと思っていたら、行列が終わりました。

 観光で来ておられる年の頃は60ほどのご婦人が、携帯電話で、方言混じりに喧嘩をされている大きな声が、静かに行列を観覧している中に響き渡っていました。

 「今、下鴨神社だって。上賀茂なんて言ってないでしょう! 『上』に行くと言っただけ。何聞いてるの! いつもそうなんだから。いまから上賀茂神社にいてどうするの。まだ3時間ほどかかるわよ!」と何度も同じことを繰り返されていました。電話の相手はご主人のようでした。

 祭を見に来て、一番面白かった出来事です。


 帰りに、出町の園芸店で農薬を買い、豆餅の「ふたば」を見たら、何重もの行列で店先が見えません。手際のいい店ではないですから、買うのに30分はかかるでしょう。そこまでして・・・。

 帰ってから、ボードの書き込みを見て、はじめて馬が脱走したことを知りました。フラッシュの説明は、そういうことがあったからなのかと納得。
 会場でそういうことがあったと言えば、怖がってパニックになる可能性もあるでしょうから、そこまでは言わなかったのかも知れません。


 パソコンの修復が進みました。旅先で壊れたノートPCは完全復旧。作業所のPCもようやく安定してきました。
 祭よりこっちの方が面白いわぁ。

〜斎王代に乗った腰輿〜
2004年5月15日(土)  No.261

バカボンの総会
 夜、「バカボン」の会員総会。

 バカボンは、超宗派の僧侶有志で作る会で、一緒に病院法話などを行ってきた仲間。年齢も70歳代から40歳代まで。
 利害関係もなく、純粋にいろいろなことを話し合える貴重な会です。

 「会員総会」とは名ばかり。出席は9名。会員全体でも16名。それでも、議論?百出で、食事をしながらの会議は3時間半ほどにも及びました。

 「いやぁ〜楽しかった」とみんなが帰り際に言ってくれると、事務局としても嬉しいもの。

 でも、呑んで考えた事業計画は、いままで実現した例がナシ。また今回も…。

 半数が2次会に流れ、ボクはその店のカウンターで、年長の僧から昔の遊郭の話を聞きながら、眠たくて朦朧としていました。

 ホント、楽しかった。
2004年5月14日(金)  No.260

見えない琵琶湖
 午後から、大津・坂本で会議。往復の山越えは、雨が結構降っていました。

 いつもこの山越えをする時、峠を大津側に越えた時から見え出す琵琶湖の風景が楽しみなのですが、今日はまったく見えず。でも、今日は中途半端ではなく、こうも見えないと、それもまた一つの風景かなぁと思いました。


 旅行の時に壊れたB5ノートPC。ハードディスクをオークションで手に入れ(1000円!)、ようやく昨日、ある程度まで回復。CD-ROMがないために、フロッピーでWINDOWS95をインストール。22枚もありました。

 昨日、作業所から持ち帰ったPCも同時に修復。こっちは部品を買わないとダメみたい。

 部屋はパソコン工房状態。とても坊さんの部屋には見えません。

〜坂本の天台宗務庁から見た琵琶湖? 普段は琵琶湖が目前に広がっています〜
2004年5月13日(木)  No.259

パソコン修理御用達
 あ〜暑かったぁ。こんなに暑くなったり、涼しくなったりしたら、体がついていきません。


 午後からボランティア。

 一仕事終わったと思ったら、「ちょっと…」という声があちらから、こちらから。パソコン修理などの御用です。

 いろいろな人が使うパソコンは、ほぼ定期的に故障します。おまけに、今、8台あって、近日中に1台追加。プリンタも2台。順繰りにどれかがトラブってくれます。

 パソコン好きですからいいのですが、普段使わない機種はなかなか状態が飲み込めず、一苦労。
 でも、人間より論理的でわかりやすいですから…。


 帰りに、約束してあった共同作業所のパソコンの修理に寄って、2時間ほどやっても直らず、結局お持ち帰り。

 でも、今夜はもうヤーメタ。

 夜になっても暑くって、やる気が起きませ〜ん。
2004年5月12日(水)  No.258

植物園
 植物園のバラが見頃というので、カメラを持って行ってきました。

 かなり広いバラ園にはいろいろなバラが植わっていて、いずれも満開。ウィークデイの閉園間近ということもあり、園内は空いていて、写生をする人たちの姿が目立っていました。

 バラの他にもいろいろな花が咲いていましたが、総面積25万平米という広い敷地には自然の森のような場所や池、川などもあり、数限りない木が植わっています。
 そんな木々の下を歩きながら、木に付いている名札などを見て、「へぇ〜」「あっ!」の連続。名前は知っていても見たことがなかった木、境内で見る木ながら自然な姿で大きくなった木、もちろん始めて出会った木など、時間さえあれば1日でも見ていたい気がしました。

 少し前に新聞で満開だと報じられていた「ハンカチの木」は、すっかり盛りを過ぎていましたが、なんとか名残の姿を見ることができました。
 立て札には、「ハンカチの木は、植物界のパンダといわれるほど珍しい」と書いてありました。今は通販で売ってますど…。

 今までに何回か探した「シリブカガシ」とも偶然出会い、手の中で擦り合わせると艶々のになる実も拾いました。

 楽しんで、ゲートをくぐったのは閉園時間の5時でした。


 バスの中で何気なく服装をチェックしたら、ズボンもシャツもユニクロ。ひょっとして…と考えてみると、帽子も靴下もユニクロ。パンツだけが、バーバリーでした。

 「下着にオシャレするのが本当のおしゃれなんだ」とひとり言い訳をしながら、帰りました。

〜ほぼ終わってるハンカチの木の花〜
2004年5月11日(火)  No.257

雷鳴る
 朝から嵐のようになったかと思ったら、一瞬の晴れ間。あー、雨が上がったと思ったら、またザァー。夜には雷。大荒れのお天気でした。

 午後から、インドの団体のホームページの打ち合わせ。かなり長くかかりましたが、これでようやく進みそうな感じ。

  今、インドは夏真っ盛りで、午前8時にはすでに30度を超え、暑くなってくると45度以上にまでなるそうです。パソコンも熱暴走するとか。

 雷鳴響く夜、真夏のインドに思いを馳せながら、ホームページ作りに没頭しました。
2004年5月10日(月)  No.256

革堂行願寺晋山法要
 5月は何かとお目出たい行事の多い月です。4日には青蓮院門跡の晋山式、今日は革堂行願寺の千年慶讃法要と晋山法要でした。

 革堂行願寺は寺町丸太町下ルにある、西国観音霊場の第19番札所。先代の尼僧さんが名誉住職になられ、副住職のやはり尼僧さんが住職に就任されました。

 朝から雨でしたが、一般の参詣の方が少なくて、かえって特別な行事をするには好都合だとのことでした。

 場所を移しての祝宴では、狂言『末廣』が演じられました。お目出たい狂言の代表ともいわれる演目だそう。

 最近、関西のテレビにはやたらと吉本の芸人さんが出られますが、芸に奥行きも幅もなく、騒がしいだけで面白くもなんともありません。
 それと狂言を比べるのは次元が違いすぎますが、軽妙酒脱、人間の醜さまでをおかしく演じてしまう懐の深さ、場所や時間移動の演出、装束への興味など、オチがわかっていても楽しく、心に残ります。

 町の真ん真ん中の観音霊場、日常の暮らしの中に信仰が生きている感じがしみじみしました。ますますのご隆盛を。

〜『末廣』演じる茂山千三郎(右)・丸石やすし両氏〜
2004年5月9日(日)  No.255

ボクの文章が大学入試に?
 今日も暑い日でした。

 もみじの枝があまりにも茂っているので、ちょっと透かそうと木に登ったりしていたら、結構な汗をかきました。
 額紫陽花が咲き出しているのを見つけました。早〜い! まだちゃんと色は着いていませんが、季節はもうそんなところまで行ってるのですね。


 心当たりのない郵便が速達できました。差出人は出版社で、「掲載許諾の願い…至急ご開封の程云々」と書いてあります。表書きも手書きだし、DMでもなさそう。

 中を見ると、掲載許可願いと印税の支払先を連絡して欲しいとのこと。

 添え状には、「『大学入試小論文問題集』の刊行を予定しており、そこに、大学入試に引用出題されました先生の作品の一部を問題文として掲載させていただきたく…」と書いてあります。

 なんのこっちゃ?

 つまり、ボクの書いた文章が大学の入試の小論文に使われたことがあって、そういうのをまとめた問題集を作りたいので、掲載を許可して欲しいということかぁ。

 入試の問題というのが添付してあって、どうやら今年の北九州市立大学人間関係学科の前期日程の小論文試験に使われたみたい。えーー、聞いてないよぉー。

 問題は、オレゴン州の尊厳死法に対する賛否が英文で半ページ、ボクの文章が1.5ページ。それを読んで、尊厳死法についての設問が3つ。どうやらこれは英語の読解力を試験しているようです。もう1つが、人間の死のあり方についての意見を、2つの文章を読んで800字以内で論述せよというもの。

 でもなぁ、ボクの文章は1988年に書いたもの。オレゴンの尊厳死法も、かなり古いできごと。それを今さらどうして試験に引っ張り出してきたのでしょう。
 まぁ、光栄ではありますが…。

 そういえば、この文章を書いたのは、静岡の聖隷ホスピスに行った後のこと。ホスピスを見学した後、舘山寺温泉の山の上の公営宿舎で研修会を開いたため、見学旅行を企画したボクは参加した仲間の僧侶に、「夜も研修会で、しかも温泉街を見下ろす山の上。これじゃぁ、拷問だよぉ」と叱られました。それほど燃えていたのですねぇ…。

 ボク自身も忘れていた文章がこんな形で発掘できたので、「苦沙彌の雑文集」に入れました。『生命の質と分別』というタイトルです。

 印税、きっと千円ぐらいだなぁ。
2004年5月8日(土)  No.254

杜若とハーブティー
 昨日、友人から「明日私休みなの。太田神社に行こうよ!」とメールで誘われ、「明日はホームページの更新日で、何時に終わるかわからないよ…」と返したものの、再度来たメールの行間から、「終わったら連絡して!」というニュアンスを感じました。

 何とか3時頃には更新を終え、友人に連絡して、太田神社へ。杜若はちょうど満開で、緑の葉と花の紺のコントラストがとても美しかったです。

 4時を過ぎていたので見物客はさほど多くなく、ちょうどいいくらい。

 別に入園料を取るわけでもなく、ほとんどわからないような浄財入れが置いてあるだけで、見物は自由。
 沼に勝手に生えていると思う人もいるでしょうが、どうしてその世話は大変だろうと思います。

 普段はほとんど人影のない神社。どうやって収入を得ているんだろう…維持するも大変だろうなぁ…などと、花半分に、神社の懐具合が気がかりでした。

 がらにもなく、ハーブティーのお店でブラックベリー・ティーを飲み、雑談をして帰りました。甘〜い香りのティーでした。
2004年5月7日(金)  No.253

暑く平和な日
 快晴の暑い1日でした。

 直射日光のもとに止めておいた車の中は熱気に溢れ、中に置いておいた御菓子が帰って開けたらホカホカでした。

 こんなに天気がいいのに、気になっていたボランティア関係の作業を室内でコツコツ。
 あー、今日は野山を歩いたら気持ちいいだろうなぁ。

 傾く陽射しの中、ミーコはおねだりして貰ったご飯を美味しそうに食べていました。

 凡庸ながら平和な日でした。
2004年5月6日(木)  No.252

吉田山探索
 連休最後の日。薄曇りの曇り空ながら、まずまずのお天気。

 「連休、どこにも行かなかったなぁ…」。

 考えてみれば、ボクはあまり連休とかは関係なく、むしろ普段より忙しいはず。それでも、世間が連休だと、なぜかこっちも休日気分。
 今年の連休は、法要も少なく、普段のウィークディと変わらないほどでした。

 運動もかねて、カメラ片手に家を出ました。どこに行こうという計画もなく、歩き出してから、吉田山を越えて鴨川沿いに北へ向かおうかなぁと考えました。

 吉田山に行くのは特に珍しいことでもなく、何か新しい発見はないかなぁと知らない道を進んでいたら、いったん神楽岡通に降りてしまいました。

 「茂庵」の看板をたよりに、また吉田山に向かって登りました。茂庵には知人が関係しているので、以前から知ってはいましたが、行ったことはありません。

 初めての道でした。すぐに、時間が逆戻りしたかのような家々が現れました。
 境内からも、吉田山の東斜面に緑青色の銅板葺の屋根が点在しているのが見え、それが山の緑と相まって、とても瀟洒な風景を作り出しています。子供の頃から、ステキな景色だと思っていました。

 歩いても10分かからず、ほぼ毎日その近くを通っていながら、今まで遠目に見るだけで訪れたのは初めて。

 少しアンティークな近代日本建築が立ち並んだ銅板葺の「長屋」が幾筋か階段状に並んでいます。実に素晴らしく、実際にそこに住まわれて生きた家として使われています。

 「いやぁー、いいとこに来たなぁ」と思いつつ、森の中に茶室などが点在する茂庵の敷地へ。茶室からは大文字山をはじめとする東山の峰々が望めたのでしょう。
 吉田山の中にこんな空間があるとは知りませんでした。

  茂庵は、大正時代に事業に成功した一人の数奇者が、吉田山の山頂に茶室8席、月見台、楼閣など広大な森の茶苑を築きあげた後、数十年封鎖されていたのを、現存する当時の食堂棟をカフェとして復活させたもので、茶席2棟でも月釜などが開かれているそうです。
 広大な茶苑の面影を残すカフェが、鬱蒼とした吉田山の森の中に見えた時は、「うわぁーステキだなぁ」と思いました。歪みのある2階のガラス越しに、本を読む男性の姿が見えました。

 中には入らずさらに森の中を進むと、東屋などを設けた公園があり、大文字山が綺麗に見えました。こんな空間も知りませんでした。

 道は幾筋かに分かれ、通ったことのない方へ歩を進めると、今まで見たことのない大文字と浄土寺の町並み、真如堂と黒谷の棟が並んで見える場所があり、これまたビックリ。ワクワクしました。

 すぐに、さっきとは違う銅板葺の家々の町並みに降りてきました。本当に不思議な雰囲気の溢れる家並みです。

 帰ってから調べてみると茂庵を作った一族が、大正後期から昭和初期にかけて開発した住宅で、当初は借家で、入居者には京大の教官が多かったそうです。木造2階建の和風建築で、屋根が銅板葺なため、「赤銅あかがね御殿」と呼ばれていたとか。近代京都のニュータウンだったわけです。
 
 いままで、どうしてあんな家が建ち並んでいるのだろうと思っていましたが、それがわかったのも大きな収穫でした。

 もう少しこのあたりを探検したかったのですが、お腹が痛くなってきたので戻りました。すぐに戻れる距離です。

 今日はいろいろな発見があり、すごく満足しました。

〜茂庵/浄土寺の町並みと大文字〜
2004年5月5日(水)  No.251

久々のパン食
 今朝は、久々にトーストに紅茶にしました。

 起き抜けに、「今日はパンにしよう!」となぜかしら思いたのです。

 ご飯食なら、ご飯をジャーからよそい、みそ汁を温めて、適当に漬物などで食べればいいですが、パンと紅茶って、1ヶ月ぶりにやってみると結構面倒ですね。

 トースターを予熱して、しばらくしてからパンを入れ、紅茶はポットをしまってあったのでそれを出し、頂き物のハムがあったので、その脂身を取って…。

 医者の指導でパン食からご飯食に替えた時はとてもさみしい思いをしましたが、こうしてやってみるとご飯食のほうが楽。体にもいいなら、その方がいいかも知れません。

 トーストだけで飽きたらず、林檎の入ったパンや、ピザのようなパンまで食べてしまいました。

 結局、食べ過ぎなのかな?
2004年5月4日(火)  No.250

雨降らず
 連休のど真ん中。テレビでは、早くもUターンのために車が大渋滞しているとか。天気予報は雨。

 連休、皆さんが出かけられるので、お寺は暇。かつて、連休は大忙し。様変わりしました。

 時間はあるけど、こんな日に人混みに出かけるのも嫌だなぁ…雨に降られるの嫌だなぁ…と考え、先日の飛騨旅行の記録を書くことにしました。

 書いては飽きて、境内に写真を撮りに行ったりしていましたが、空は曇っているものの一向に雨が降ってきません。
 雨が降らないのもいいのですが、降ると思って消極的な予定を立てたので、降らないと何だか損した気分。

 結局1日降らず。もっと果敢に予定を立てればよかったと、ちょっと後悔。

〜吉祥院門前の大つつじ〜
2004年5月3日(月)  No.249

団子を買う
 外回りの帰りに、何となく みたらしが食べたくなり、下鴨神社近くのみたらし屋さんに寄りました。

 お茶屋さんと作業場兼店舗があり、道筋の関係上、初めて作業場兼店舗のほうへ行きました。

 みたらしを注文すると、「茶店のほうから持ってきます」と、お店の方が自転車でひとっ走り。どうも、こちらは作るのが主のよう。

 店員さんが100mほど離れた下鴨本通の茶店を往復される間に作業場の中を覗いていたら、2つのローラーの間から、串に刺さった団子がポロリ、またポロリと出てきています。
 機械化されているというよりは半手動というような感じでしたが、どうして団子が串に刺さって出てくるのでしょう…。しかも、団子は5つ付いているものの、1つは他の4つより離れています。
 機械の構造に興味が湧いてきたところに店員さんが帰って来られ、もう少し見たかったのですが、お代を払って帰宅。

 一皿御供えをして、さて、いただこう!

 本物の竹の皮の包みを開くと、黒蜜たっぷりの中にみたらしが入っていました。
 みたらしに黒蜜のタレがからまって、なかなか美味し〜い。焼き具合もちょうどいい。

 このお店のみたらしを食べるのは久しぶり。以前に何回も買ったことはあるのですが、団子が水っぽくベタベタで、焼きも浅く、美味しくなくなってきたので、しばらく買っていませんでした。
 今回もあまり期待していなかったのですが、前のベタベタ感は改善され、焼いた香ばしさもあり、ほどよい感じになっていました。

 みたらしと遠来のシナモン・アップルケーキ、静岡の新茶をいただきながら、そのお店の説明書きを見ました。

 下鴨のみたらしは後醍醐天皇が神社の糺の森で休憩された時に献上し、秀吉の北野の大茶会の時にも献上し、店の名前を賜ったとか。団子は、神社の御手洗の湧き水を形取ったもの云々と書かれています。すごく歴史のあるみたらしなんですねぇ。

 みたらしの黒糖、ケーキのシナモン、新茶のそれぞれの味のコラボレーションが最高でした。

〜加茂みたらしとシナモンケーキ〜
2004年5月2日(日)  No.248

連休の1日
 今日はメーデー。
 外回りの行き帰りにこれから参加しようとする人たちや行列に出会いました。

 でも、まったく元気がない感じがします。年々元気を削がれ、動員されたから仕方なく参加している、参加したところで何も変わらないというような雰囲気が伝わってきそうです。

 最近の年金未納問題などを見ていたら、本当に馬鹿馬鹿しくなります。
 与野党両方の議員があの体たらくでは、メーデーに参加したところで、どこに向かって叫べばいいのかわからなくなるでしょう。選挙の投票率が減るのは当たり前です。


 連休、境内にはあまり人影はありません。皆さん、どこへ行かれているのでしょう。

 この連休、法要などはあまりなく、普段の土日よりも暇です。
 結婚式でもそうらしいですが、最近は連休にする人が減ったようです。連休に、特にその真ん中当たり結婚式や法要などを計画すると、「どこへも行けなくなる!」とブーイングに遭うとか。

 休暇を上手に使えるようになったということかなぁ? 個人を重視するようになったということかなぁ。
 いいことばかりじゃない気もします。
2004年5月1日(土)  No.247

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