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2004年4月の日記

落慶法要
 20数年来親交のある僧のお寺の完成法要に参列させていただきました。

 彼とは、比叡山での修行期に一緒だった以来、神戸の地震の救援活動や、日本海での重油流出事故の回収作業などで、意気投合して共に活動した仲でした。

 ダム建設に伴い水没する他寺の本堂を移築・再利用して本堂とし、同じ棟の中に「茶房 鬼佛庵」と称するスペースを設けました。

 「茶房」と聞くと喫茶店のようですが、障害者の方々がお茶を出したりして「働く」と共に、心の拠り所、癒しの場を目指していていこうという、お寺と福祉施設がドッキングしたスペースです。

 ボクは彼のこういう視点がとてつもなく嬉しく、尊敬でき、彼に続きたいと思っています。

 お寺ってなんでしょう?

 確かに崇高な教義をかざし、孤高なる僧の居る場としてのお寺も必要でしょう。でも、そんなものは、そう多くは必要ありません。
 縁側に座って、出して貰ったお茶を飲みながら、四方山話ができるお寺、ボォーっと寝ころばせてくれるお寺、障害のある者もない者も共に働けるお寺、そんないろいろなお寺が地域にあったら、それも嬉しいことじゃないですか。

 でも、お寺の既存の価値観の中では、それはとても面倒で、収入に繋がらないことだと敬遠・拒否さるでしょう。
 そう、お葬式や法要だけをしていればいいという僧もいるでしょう。大半はそうでしょう。でも、それが目的になって、「道」を失ってはいけないでしょう。

 そんな中、彼が長い間あたためていたという今回の構想を具現化したことは、社会全体から見れば遅きに失したことかも知れませんが、お寺社会の中では先駆的な活動だと思います。

 今日、そんなお寺の誕生を目にして、また元気がもらえた気がします。もう少しため込めたら、また一気に動きだそう!

〜お寺の前に掲げられた駒札〜
2004年4月30日(金)  No.246

総コレステロール、下がらず。
 一昨日血液検査をしたら、昨日Drが直々に電話をかけてこられ、「結果が良くないから、今晩にでも薬を貰いに来て下さい」とのこと。

 言われるままに夜診に薬を貰いに行ったら、診察待ちのたくさんの人を尻目にすぐに診察室に呼ばれ、「総コレステロールの値が下がっていません。たぶん体質でしょう。お薬の飲んでもらって、2ヶ月後に検査しましょう」と告知されました。

 あー、1ヶ月前、Drの指導のままに、生まれてこの方の朝のパン食をご飯食に切り換え、満を持しての今回の検査だったのに…。

 「お酒は関係ありません」という言葉をこれ幸いに、断酒はおろか減酒もしていませんが。

 今朝はパン食に戻そうかと思いましたが、この1ヶ月でご飯食が板に付いたのか、そのままご飯をいただきました。

 「体質」と言われてもなぁ。油物や肉はほとんど食べていないし、朝のウォーキングも復活させたし…。

 こうなったら、いろいろ研究して、コレステロールを下げてやるぅ!
2004年4月29日(木)  No.245

西光先生
 今日、ふとしたことから、世話になった先生が先月亡くなっていたことを知りました。
 西光義敞先生。奈良・室生村の浄土真宗のお寺の住職で、龍谷大学の社会福祉の先生。仏教とカウンセリングをライフワークとされていました。

 先生との出会いは、ボクが大学を卒業した頃まで遡るでしょうか。カウンセリングを勉強したいと思って、先生の主宰されている会の勉強会に参加したのが最初。
 以後も、先生とはずっとご縁がありました。

 もともとは仏教改革派の先生。ボクたちが、現代に即した仏教を目指そうと超宗派の青年僧(今はオジサンと化す)の会を作った時、ご指導いただけるのは先生しかないと頼み込み、先生も手弁当で、むしろ我々よりも熱心に、たくさんの智慧を授けてくださいました。
 その会が礎となって、仏教とターミナルケアの全国ネットワークを作った時にも、そのオピニオンリーダーとして、ずっとご指導くださいました。
 そんなことをあげだしたら切りがないくらい、いっぱい一杯、世話になった先生でした。

 心から人を信じ、決して奢らず、信じる道を少しも手抜きをせずに渾身の力を持って実行しようとする、それでいて押しが強いタイプでもない穏やかな、賢治の「雨ニモマケズ」の詩を地で行くような、僧侶として、人間として、ボクが心から尊敬できるBEST3に数えられる方でした。

 定年で教授を辞され、その翌年から非常勤講師として再び教鞭を取りだされた頃、ボクも非常勤で行くようになり、講師控え室で話すうちに、「私も、竹内さんの授業に出て、パソコンを勉強したいんですが、いいですか?」と言われ、そのまま教室にお連れしました。
 学生に紹介すると、学生たちからは大きな拍手が湧き、先生は照れくさそうでした。
 正直、先生は出来のいい「生徒」ではなく、毎時間、一からご指導申し上げないといけませんでした。
 それに、気がつくと居眠りされていることも度々。無理もありません。奈良の室生からでは3時間近くかかったでしょう。それを数十年やってこられたのです。胃ガンの手術をされた後は、尚更辛かったでしょう。
 講義時間の都合上、半年だけ出席され、また翌年も「今年もいいですか」と出席されましたが、そのうち「いやぁ、息子にね、『無理やから止めとけ』と言われてね。『迷惑かける』と」と頭を掻き掻きおっしゃり、とうとう生徒から脱落されました。

 2月、イギリスの著名なセラピストが来日され、先生との対談の会が催された時、主催者からとは別に先生からも、「仏教とカウンセリングにとっても貴重な場ですから、ぜひともお越し下さい」との手紙をいただきながら、忙しさにかまけてそのままになってしまっていました。

 先日来、虫の知らせか、先生はどうしておられるだろうと思っていた矢先の、今日の訃報でした。 

 取り急ぎ、奥様には電話で、ご子息にもメールでお悔やみを申し上げました。
 「『気力で生きられました。最後に気力が切れたという感じですね』とおっしゃいました。父らしい最後だったと思っています」というご子息の返事に、本当にその通りだなぁと思っています。

 ボクが若い頃は大きく見えていた先生が、年を追うに従って、小さくなられたなぁと感じることが増えました。
 それでも、決して中途半端で放っておかれない先生の気力には勝てないと、お目にかかるたびに思いました。
 その気力が、とうとう切れてしまったのですね。

 これから、もしボクが挫けそうになる時があっても、先生の気力を思い出すことができます。
 そんな先生でした。

〜1982年 真如山荘で開かれた真宗カウンセリング研究会のワークショップ〜
2004年4月28日(水)  No.244

 10時頃からお昼頃まで、かなりの風雨でした。

 関空への横断橋では、強風のためにトラックが横転したとか。以前、強風でJRが止まり、あやうく飛行機に乗り遅れるところでしたが、今回も止まったみたい。しょっちゅう止まります。

 雨量も、きっと今年一番。

 雨が強まってきた時、ちょっと点検のつもりで外に出たら、何カ所かで樋が詰まって雨水が溢れていました。
 最初は適当に直していましたが、何カ所もやっているうちに、だんだんずぶ濡れ。傘をさしていては間に合わなくなり、合羽を着て本格作業。

 年に何回かは、樋が詰まります。秋の落ち葉の後、冬を過ぎ春も半ばの頃、夏の夕立の頃。だいたいは落ち葉やもみじの花のカスなどが詰まるのですが、正月明けには、お墓に供えられたお餅をカラスが屋根の上でしくじって転がし、それが詰まってしまうこともあります。

 樋に詰まっている落ち葉などは何とか取れましたが、それが排水管をも詰まらせ、樋の水を飲みきれずに溢れている所もありました。竹や針金で排水管の掃除。中から出て来たもみじの種は発芽していました。

 ちょっと点検のつもりが大仕事に。終わった頃には全身ずぶ濡れ。上から下まで、すべて着替えました。

 着替え終わった頃には雨も小降りに。まぁ、そんなもんですわぁ。

 これでまた緑が濃くなります。

〜生理落果しているサクランボ〜

2004年4月27日(火)  No.243

再び、草刈り
 草がどんどん延び、虫もたくさん発生するようになってきました。草刈り機(刈払機)や冬の間使っていない噴霧器の調整をしておかなければなりません。

 草刈り機はエンジンの掛かり具合も調子よく、買って以来大きな故障はないのですが、背負い式の噴霧器は毎年農機具屋さんの手を煩わせています。

 スターターの紐(リコイル)を引っ張って、エンジンを掛けるようとしましたが、やっぱり……いつもこの作業でへたってしまいます。
 しばらくやってもエンジンがかからないので、お日さまにあてて、エンジンを暖めることにしました。

 その間に草刈り機のヘッドの調整をしたり、混合ガソリンを作ったり。30分ほどして、噴霧器のスターター紐引っ張りました。

 ブゥーン〜 今度は2回目で楽々エンジンが掛かり、エンジン音もスムーズで、調子も悪くありません。

 よし、苔や石畳のところに除草剤を撒こうと、暖機運転をかねてエンジンをかけたまま薬液タンクに薬剤を入れました。

 ん、何だか足が冷たい…わぁ! 足に薬剤が……ズボンの裾も靴下も薬剤の緑色に染まっています。
 急いで、水で洗い流しましたが、靴下を脱いでみると、くるぶし近辺が広範囲に緑色。
 「これでは、いつぞやのミーコの足状態じゃないかぁ」と足が青いミーコの姿が頭に浮かび可笑しかったですが、そんなこと考えている場合じゃない! 石鹸を付けて洗いましたが、なかなか取れず、何だか気持悪〜い。結局、夜、お風呂にはいるまで取れませんでした。

 薬散をした後、草刈り。
 若い草はいとも簡単に刈り払うことが出来ますが、今は多くの草も花を付けています。心が痛みながらも、「あー、ゴメンね」と胸の中で言いながら、約1時間半、草を刈りました。

 体を動かし、気持ちのいい日でした。
2004年4月26日(月)  No.242

こも豆腐
 高山の居酒屋で食べた「こも豆腐」。あっさり、それでいてしっかりと味の染みこんだその味が、旅行から帰っても思い出されます。

 取り寄せるのも大げさだと思い、作ってみることにしました。

 ネットで作り方を検索したら、まず出てきたのは鳥取地方のこも豆腐。豆腐の中にニンジン、シイタケ、フキなどを入れて、菰(こも)で巻いて蒸し、菰を外してから煮込むというもの。

 高山で食べたのは、確かに菰で巻いて水気を絞ったような跡がありましたが、中には何も入っていませんでしたから、少し違います。

 でも、とにかく押しをして豆腐の水気を絞る代わりに、こもや藁で縛ればいいのだろう。そんなものはないから、簾を切って使おうかなぁ…そうだ、巻き寿司の巻き簀がちょうどいいと思い、さっそく巻き簀で豆腐を巻いて何カ所も輪ゴムで縛り、ある程度絞れて豆腐が小さくなったら、また輪ゴムを強くして、結局直径5〜6センチになりました。

 高山で食べたのは四角かったですが、巻き簀では四角くなりません。現地では専用の道具を使っているのでしょうか。

 さて、これを煮込むのですが、巻き簀のままでは鍋に入りません。これが大きな誤算。巻き簀を外したら、豆腐が大きく膨らんでしまう…でも、煮込めないなら仕方ありません。巻き簀を外し、醤油・みりん・出汁をあわせた汁の中で煮込みました。

 高山で食べたこも豆腐には小さな穴がいっぱいあいていましたが、それは豆腐をグツグツと煮込んだためにできたのでしょう。でも、いま強火で煮込めば、豆腐はバラバラになってしまいます。煮くずれては元も子もないので、中火で約1時間煮ました。
 何とか形は保たれていますが、かなり膨らみ、せっかくの巻き簀の筋が消えかかってしまいました。

 「これではこも豆腐じゃなくて、ただの豆腐煮込みだなぁ…どうしよう…よし、もう一度巻けばいいんだ!」と思いつき、お好み焼きのヘラを両手に持って、豆腐を崩さないように、熱い鍋の中から巻き簀の上に移動。
 「アチチ!」と言いながら、もう一度簀で巻いて、そのまま冷ましました。

 さて、冷めた頃を見計らって、巻き簀を外すと……「おお!」 外観は四角いですが、立派にこも豆腐。大成功です。

 次に、1センチ厚にスライス。「ん〜」 やはり、煮込んだ跡の小さな穴があまりあいていません。色も薄く、味も染みこんでいない感じ。

 いよいよ試食。外観通り、味があまり染みこんでなく、食感も柔らすぎ。でも、高山で食べたこも豆腐の片鱗は見えます。この結果を踏まえてもう一度やれば、次はバッチリ!

 次回制作時の改善事項。
 1.巻き簀は鍋に入る短めのものを用意し、巻いたまま煮込めるようにする。
 2.もっと強火で長い時間煮込む。

 これは健康食だし、お酒のあてにもなるし、なかなかのマイ・ブーム食になりそうです。

〜苦沙彌製こも豆腐〜
2004年4月25日(日)  No.241

太ってますか?
 気温も下がり、風の強い日。服を1枚重ね着しないと寒くって…。

 庭の草引きをしようかと思いましたが、やめました。


 この風が黄砂や霞を吹き飛ばしてくれたのか、空は抜けるように青い!

 でも、まわりには体調を壊している人が結構おられます。この気候では、体調を壊しても当たり前ですよね。


 昨日の新聞で面白い記事を見つけました。

 50代の女性の56・2%、40代女性では52・0%が、平均で47・6%が自分が太っている(肥満だ)と感じているとのこと。男性は40代で53・2%、平均で32・7%。

 本当に太っているのか、あるいはそう感じているだけなのかわかりませんが、そう思うなら食べなきゃいいのに、食べちゃうんですよね。

 ボク自身は、ちょうどいい具合だと思ってますが。お腹の出具合を除いては。


 「水しか飲んでないのに太る」という年輩の方が時々おられますが、お嫁さんなどによると「しっかり、私より食べてられますよ!」

 太っていると思える、食べられる幸せを感じます。


 そんな飽食の時代ですが、食べ物をオモチャにしているようなテレビで番組を見ると腹が立ちますねぇ。そんな番組が多すぎるような気がします。ブツブツ。

〜加茂街道から見た大文字山〜
2004年4月24日(土)  No.240

平穏無事
 掃除が終わった部屋は起き抜けも爽やか。


 午前中は外回り、午後からは「今日の散歩道」の更新など。更新はいつもながら、時間がかかりました。

 遊び疲れも取れてきたみたいで、お酒が美味しいです。


 最近はミーコの襲来もなく、カエル池は平穏。金魚たちも安全に生活しています。

 去年の記録を見ると、モリアオガエルを初めて見たのは5/18。菖蒲の花の咲く頃でした。あと1ヶ月ほどすれば、今年もその姿が見られるでしょうか?

 前のカエル池とはかなり離れているので、今年は無理かなぁ。

〜ニシキギの花〜
2004年4月23日(金)  No.239

部屋の掃除
 暑〜い1日。最高気温は29.7℃、7月上旬の気温になりました。

 歩いていたら、ちょっとクラクラ。いきなり過ぎる暑さです。

 自室にはまだコタツが出たまま。つい先日まで、電気を入れることがあったのですが、今日の気温では見ているのも暑苦しい。片付けることにしました。

 ついでに、部屋の掃除も。部屋の掃除をするのは何時以来かな……少なくとも1ヶ月はしていません。

 コタツの上は、不要な書類やゴミ?の山。部屋も細々したものが散乱していて、もう我慢の限界。セーターももう要らないなぁ。
 こんな状態でも、何がどこにあるかわかってはいるのですが……。

 汗だくになりながら約3時間。部屋はすっかりきれいになりましたが、何日保つかなぁ……。
2004年4月22日(木)  No.238

用務員さん
 今日、外回りをしている時、小学校の前を通りかかったら、用務員さんと思われる人が竹箒で掃除をしていらっしゃいました。

 それを見て、「用務員っていいなぁ」と感じました。

 何がいいのか…掃除をしたり、草引きしたり、ペンキ塗ったり、電球替えたり、大工仕事をしたり…子供に「用務員のおじちゃん」と呼ばれたり。

 今は実際そうではないのかも知れませんが、ボクの小学校の頃の用務員さんのイメージというのはそんな感じ。

 用務員室は学校の中でも特別な領域。そこへいくと、いろいろな工具があったり、大きなヤカンにお湯が沸いていたりして、職員室などとは違ってホッとできる居場所だったような気がします。

 保健室には恐い保健婦さんがいる……小学校1年の時、保健室にいる養護の先生を「おばちゃん」と呼んでえらく叱られたことがありました。
 ボクが成人してからその方と保健所などで会うことがあって、ボクのことを覚えてくれて、ヤンチャだった思い出話をされました。

 用務員さんは、今となっては顔も名前もわかりません。ただ、用務員室の雰囲気を思い出すだけ。用務員さんは、タバコを燻らせいたかなぁ……。

 闇雲に教師然としている若い先生からは、「電球替えておいいてください」と高飛車に頼まれたりする。初老の用務員さんは、すべてをのみ込んだ上で、「はい、わかりました」と応える。

 そんなことを妄想しながら、新緑の道を帰途に着きました。

〜賀茂街道の新緑〜

2004年4月21日(水)  No.237

御忌の鐘の音
 朝の散歩の時、「ゴォ〜ン」という低い鐘の音。知恩院の鐘。

 知恩院では、先日来1週間にわたって、法然上人のご命日の法要が営まれています(本当のご命日は1月らしいです)。

 除夜の時にもすごく存在感のあるのが知恩院の鐘ですが、それ以外の季節の朝や昼に鐘の音が聞こえてくる時は、何か大きな法要が営まれているのです。

 散歩をしながらその鐘の音を聞いた時、「あっ、御忌なんだ」と思いました。新緑の間をすり抜けてくる鐘の音はとてもさわやかでした。


 まだ疲れが抜けません。旅行疲れというよりは、それまでのデスクワークの蓄積疲労かな? でも、蓄積してたっけ?

〜鐘楼回りの八重桜の花びら〜
2004年4月20日(火)  No.236

呆けーっとした一日
 朝、窓を開けて、新緑の鮮やかさにビックリ!

 京都で見る新緑は金曜日以来。わずか2日間ながら見ずに、月曜の朝見たら、ずいぶん緑が生い茂っています。
 ライブカメラで見ても、ぜんぜん違います。

 こんなにも季節の移ろいが早いのですね。


 今日は旅行で遊びすぎた疲れが出て、ボーッとしています。

 お経は間違いませんでしたが、とあるグループの1年間の担当表を作るのに単純な計算ができず、「電卓を貸して!」と言いたくなる始末。電卓以前の問題。

 知人に、「今日はどうかされましたか? 何か変じゃない?」と気づかれてしまいました。


 旅行の写真の整理をしようと思っていましたが、どうも意気があがりません。

 まぁ、自業自得というか、楽しんだお釣りのようなもの。これも旅の余韻と考えればまた楽し。

〜金曜はまだ咲き出したばかりだったツツジも満開に〜
2004年4月19日(月)  No.235

今日も桜
 起き抜けにおにぎり一つ持って、飛騨八景の一つ、高山の北隣 国府町の桜野公園へ。満開の約300本の桜を見ました。

 日曜日とあって、公園内には場所取りのブルーシートがあちこちに敷かれ、その青さが桜の色を損なっている感じがしました。
 また、多くは染井吉野。昨日見た荘川や臥龍の江戸彼岸とは格が違う気もしました。


 バスで高山に戻り、いつもながらの朝市をブラブラ。今まで来た中でも、1、2の賑わい。中高年の団体客が団子になりながら団子を食べていたりして、歩き難くて閉口しました。

 高山の中心街近くにはあまり桜の名所のようなところはなさそうでしたが、桜にはもう満腹状態で、柳の青さが目に新鮮でした。


 JRの車中から臥龍桜に別れを告げ、今度は満開の桜から葉桜に向かって帰途につきました。

 新幹線のホームで、またきしめんの立ち食い。今度はかき揚げ入り。これは鰹節もたっぷりかかっていて美味しかったです。


 こんなに桜に出会えるとは思っていなかった今回の旅。書いて残しておきたいこともまだまだいっぱい。撮った写真を整理して、旅行記を作ろうと思っています。

 目一杯動き回ったので? 呑みすぎて? 疲れましたが、楽しい春の旅行でした。

〜朝市でお餅を売るおばあさん〜

2004年4月18日(日)  No.234

荘川桜と臥龍桜
 今日が今回の旅の本番。

 高山から、荘川桜を見た後、白川郷に入り、五箇山まで行って、ひるがの高原って水芭蕉、宮村で臥龍桜を見て、温泉に入って戻るという全長250キロほどのコース。

 レンタカーはナビゲーション付きながら、今まで使ったことなどなく、またナビのデーターが古いために認識できない道路もあったりして、地図のほうが早くて信頼できました。

 御母衣湖畔を走っているといきなり姿を見せた2本の巨桜、樹齢450年荘川桜。ダムの底に沈む運命にあったこの巨木を移植したそうですが、何しろ樹高約20メートル、幹周り約6メートル。その作業は想像を絶したことでしょう。

 ダムを造って電力を確保するという名の下、古い桜など仕方がないというのが趨勢であったであろう頃に、この桜の移植を願い、その作業に携わった人たちの思いがきっと生きているに違いない……ところが……全然咲いていません。
 まだ早いというのはネットで調べてわかっていましたが、これほどとは……。まだ蕾から花色さえこぼれていません。
 仕方ありません。この桜の大きさと、静かに秘めた力に出会えただけでもよかった。この次は、ぜひ雄姿を見せておくれ。


 白川郷は、昨年にも行ったばかりながら、桜の時期は初めて。桜に、鯉のぼりに茅葺き屋根、その兼ね合いが何ともいい感じ。
 でも、写真を撮ろうとしてもどうしても電線が入ってしまい、せっかくの景色が台無し。世界遺産というぐらいなら、電線対策もしないと、ちょっとお粗末かな。


 五箇山は初めて。白川郷より観光化されていなくて、のんびりして、すごくいい感じでした。
 訪れた重要文化財「村上家」。囲炉裏端にご主人らしき語り部が座っておられて、薬草茶を勧めながら、家の説明、そしてささらや竹で音を出しながら、「こきりこの竹は七寸五分じゃ 長いは袖のカナカイじゃ…」と『こきりこ節』唄って下さいました。


 五箇山では今日・明日とライトアップがあるそうですが、ゆっくりしていると回りきれないので、来た道を戻りました。
 途中の「道の駅」で岩魚寿司を注文。生け簀からすくった岩魚をさばいたばかりの寿司は、あっさりしていながらトロッとしていて、実に美味! 一つ口に入れては歓喜の声を上げながら車を走らせ、荘川からひるがの高原へ。


 ひるがの高原の水芭蕉は少し早かったですが、座禅草も見られ、桜とはまた少し違った感動をしました。


 時間はすでに5時を過ぎ、日も傾いて、少し暗くなってきました。急がないと臥龍桜が見られません。
 荘川まで戻って、高山から南下。桜のある宮村に着いたのは6時を過ぎていました。


 臥龍桜も、樹齢一千年、幹周り7m、枝の端から端まで30mの、傾斜地に植わった実に立派な桜。感動しましたぁ。
 長い間を生き抜いてきた樹に出会うと、何でも黙って聞いてくれるような、許してくれるような気になります。
 出会えてよかったぁ。


 帰りに、近くの温泉に日帰り入浴。
 今日の11時間余の行程の汗と疲れを取り、感動を噛みしめながら、また夜の高山の街へと向かいました。

〜荘川桜と座禅草〜
2004年4月17日(土)  No.233

一路飛騨へ
 「今日の散歩道」の更新を終えて、一路、飛騨へ。

 桜と水芭蕉の写真を撮りたいと、急に思い立って出かけました。

 名古屋駅で立ち食いのきしめんを食べ乗車。
 岐阜市内から美濃、飛騨と進むに従って、桜は時間を額回ししたかのように、葉ばかりから、ほとんど散った状態、そして満開へ。どうやら、桜はドンピシャのようです。

 飛騨高山直前の「飛騨一の宮」の駅近辺で、列車は少しスピードを緩め、窓の外に満開の「臥龍桜」が見えるとの車内放送。夕暮れの中に見た樹齢一千年の桜は、静かながら堂々としていました。


 高山に着いてすぐにカメラを持って、ライトアップされている中橋へ。京都で桜が咲いていても何とも思わないのに、どうして他の地ではこんなに心が小躍りするのでしょう。 赤い欄干と桜のコントラストが美しかったです。


 食事は、ガイドブックなどを見ながらも、直感で選んだ山菜料理の店へ。
 地元の人や常連客も多そうなお店で、地元の人は食べないという朴葉味噌料理などは置いてありません。

 山菜の盛り合わせを注文。これが実に美味! 山が近いこの地ならではの自然の恵みと、この店に出会えた縁に感謝。
 一々の山菜を一口一口楽しみながら熱燗をいただき、いい加減に酔いました。

 これで夜を終えるのも勿体ない…「よし!」と、前に行ったことのある居酒屋へ。

 このお店は、手書きのおしゃれじゃない看板を何枚も掲げていて、以前他のお店で「高山の人ならあんなことはしない」と評されていました。主人は大阪から6〜7年ほど前に高山にやってきたという人。

 客は1人だけ。
 ここではまず、観光客らしく朴葉味噌を注文。ご主人のおすすめの牛すじ土手煮込み、これは美味でした。
 地酒の味の違いを堪能しながら、少し度を過ぎました。


 寝る前に日記を書こうと持参した古いノートPCの電源を入れましたが、途中で止まってしまい起動できません。何度やってもダメ。
 そうこうしているうちに、寝てしまったようでした。

 たった数時間電車に乗っただけで、まるで別の世界にいる不思議さを夢心地に感じていたでしょう。

〜山菜盛り合わせ/アマゴ、蕗の薹、筍、小豆菜、うど、わらび、岩茸〜

2004年4月16日(金)  No.232

好評の筍
 久々のボランティア。
 お葬式で予定をキャンセルしたために次の予定を入れられず、行くのが延び延びになって、20日ぶりぐらい。

 同じボランティアをしている方から、「筍はどうなりましたか?」と聞かれて唖然。
 最近、ボランティア仲間でもこのページをご覧下さっている方が増えてきているようで、何だか恥ずかしくって……。


 筍の佃煮もお裾分けをするなどして少し減ってきました。

 食べていただいた感想。
 「あの歯ごたえは、『怪獣の手』を髣髴とさせます。佃煮にしても、結構な歯ごたえだもの」「いろんな形の筍が楽しくて、美味しかったです」など。

 ボクもほぼ3食ともに食べています。自分で言うのも変ですが、なかなか美味しいですよ。

 筍料理には自信を持ちました。もういくらたくさん送っていただいてもOKです。
2004年4月15日(木)  No.231

失せ物出る
 夕べからの雨が夕方まで残りました。

 新芽を出した草木には恵みの雨。これでまた緑が大きく鮮やかに育ちます。

 柔らかい新芽は、どれも食べられそう…なんて思ってしまいます。


 1月以来行方不明だった古ぼけたノートPCの電源が、やっと見つかりました。今まで何度も確かめたはずの、古いパソコンパーツばかりが入っている押入の段ボールの中から。

 その都度ちゃんと探してきたはずなのに…いろいろ考えた末、「あそこ以外は考えられない」ともう一度探したら、あっさり見つかったのです。

 スーパーのビニール袋に、電線などと一緒に入っていたのを、「これは違う」と端からよく見ていなかったのでしょう。

 どうしても使いたいと、窮した結果の発見。
 ホッとしましたが、やっぱりなぁ…まただよなぁ…という思いもぬぐい去れません。トホホ。
2004年4月14日(水)  No.230

若草の草刈り
 今年初めて、機械を使って草刈りをしました。

 数ヶ月ぶりのエンジンも案外順調にかかり、調子も悪くはありません。

 映画の中でジェイソンが使った溶接の鉄仮面のような形で、メッシュになっている防護面を付け、いざ出陣!

 地面から一気に延びたばかりの柔らかい草たちは、いとも簡単に刈り払うことができます。

 タンポポ、カラスノエンドウ、オオイヌノフグリ、ハコベなど、花を付けている草がいっぱい。

 刈るのはかわいそう。できることなら、このまま大きくしてあげたい……夏草に対するのと違って、草を刈る手も鈍ります。

 刈り終わった場所を見ると、確かに綺麗にはなりましたが、いい気持ちではありませんでした。


 今日も空いている時間は、インドの団体のホームページ作り。まだまだかかります。
2004年4月13日(火)  No.229

千葉の竹の子
 千葉の親戚から、筍が送られてきました。

 「筍」というよりは「竹の子」、今から竹になろうとする恐るべき活力を秘めたものです。

 京都は筍の産地。
 京都では地表に出る前の筍を収穫します。でも、送られてきたものは、充分太陽の光を浴びています。

 黒っぽい上の部分は熊の毛並みを思わせ、下の切り口は鉞(まさかり)で切り倒された大木の様相を呈しています。
 恐るべし、千葉の竹の子。

 筍ご飯、わか竹の吸い物、煮物、そんなものには不似合いなことは言うまでもありません。

 とりあえず、糠を入れて炊かなければいけません。とても鍋などに入るサイズではないので、釜に押し込んで、薪を燃やしてアク抜きをしました。

 筍の佃煮にしたらいいだろうと、皮を剥いて、細かく刻みましたが、鍋一杯あります。刻んでいる間に、えぐい臭いでやられてしまいそうです。

 山椒の実と、買ってきたけど塩辛くて箸が向かない蕗の佃煮を入れて、とにかくグツグツ、グツグツ……。
 混ぜようにも、鍋がいっぱいで、なかなか混ざりません。
 家中、筍の臭いで溢れています。

 もしこれをひとりで食べたら、きっと1年かかります。カロリーはないでしょうが、体をこわしそうです。
 嫁入り先を探しておかないと、安心して煮ていられない気持です。

 でも、きっと美味しい佃煮仕上げてみせます。

〜一升瓶と竹の子〜
2004年4月12日(月)  No.228

美しき新緑
 お天気が続くなぁ…今日も暑いぐらいの日になりました。

 人出は昨日よりは少ないような気がします。

 外出から帰る時、境内の正面を眺めたら、全体が緑に覆われているような印象を受けました。新緑のせいでしょう。こういう感覚は今年初めて。

 朝、散歩で出会った人も、「2日来なかったら、見違えるようです」と驚きの声を発しておられました。

 桜から新緑へと、季節が早足で移って行きつつあります。


 気候がいい時に法要を勤められるのは、案外遠い方が多いような気がします。
 昨日・今日も、千葉・東京・名古屋・大阪・神戸・小郡などの方々がお越しになりました。
 1泊される方もあり、帰りにどこか観光地へ行かれる方もあり……。

 地元の人はかえってこういう観光シーズンを避けられます。人も多くて、移動も大変ですし、あまりいい時候の時に法要をすると親戚などから「遊びに行けなくなる」と言われたりすることもあるとか。

 土日のわりには、ほんわか、少しゆっくりな日でした。

〜境内の新緑〜
2004年4月11日(日)  No.227

夏日
 家の中はさほどでもないですが、外は思わず「暑い!」という声がでるような陽気。最高気温は25.7℃。今年初の夏日です。

 千葉から法要に来られていた方が、「去年はお墓でしきりに鴬が啼いていましたが、今年は啼きませんね」とおっしゃいました。
 そういえば、ここしばらく鴬の声を聞いていません。人が多いから、林の奥にでも行っているのでしょうか?

 境内のあちらこちらで、お弁当を広げている人の姿を見ました。それがあまりに多くて、ミーコも出てきていない様子です。

 桜の花見にはもう遅いですが、外で過ごすには最適ですね。

 と思いつつ、今日からインドの団体のホームページ作りを始めました。「こんないい天気に…」と思いますが、手がけないで考えていては頭の中をグルグルするだけ。作り出して、わからない点などを整理していった方が楽。

 時折、植木の手入れなどをしながら、ほんの1%程度だけ進みました。頭の中も少しスッキリしてきました。

 でも、この調子でやっていたら、肩凝りから頭痛を招くこと必至。朝のウォーキングをしっかりしないと。
2004年4月10日(土)  No.226

またもや、更新進まな〜い。
 今日は、ホームページの定例更新日。

 時間の余裕もあるし、更新ネタも多いはずなので、悠長に構えていました。

 ところが、写真は撮っても撮ってもなかなか気に入るものがありません。撮ってはパソコンで見て、また撮り直しの繰り返し。なんでこんなに時間がかかっているんだろう……桜もあるし、新緑もある。ネタに不自由はないのになぁ……ネタがなくても早い時は2〜3時間で出来上がってしまう時もあるのに……こういう時もありますね。

 仕舞いに目が疲れて霞んできましたが、目薬差し差しようやく完成。あー、まだ見直してないなぁ。

〜ボツ写真・ヒメウズ〜
2004年4月9日(金)  No.225

インド人僧 サンガ師
 インドにある団体の日本向けのホームページを作ることになり、インド人僧のサンガラトナ・マナケさんの来訪を受けました。

 今日は、お釈迦さまの誕生日……関係はありませんが。

 その団体はパンニャ・メッタ(智慧・慈悲)といって、インドの人権を奪われた子供たちの保護、生活保障と教育などを主な活動としています。

 サンガ師はその代表。
 インド中央部デカン高原の北のナグプール生まれ。両親が熱心な仏教徒で、1971年、9歳のときに延暦寺に留学。小・中・高校を経て、百日回峰など修行も積んで85年に帰国されました。

 ボクが大津・坂本の高校の寮に入っている時、小学生だったサンガ師はその寮の前を通って小学校に通っておられました。彫りが深くてクリクリした大きな眼をしている、可愛くて大変やんちゃな子供でした。

 サンガ師の活動はおぼろげながら知っているものの、ホームページを作るとなると、その全容を確実に理解しなければならず、まずはその作業から始めないといけません。

 資料もドッサリ。こりゃぁー、かなりの作業になりそうです。

 老眼鏡も偉力を発揮か!
2004年4月8日(木)  No.224

金沢再訪
 10年ぶりぐらい、2度目の金沢。

 前に訪れた時は、犀川の畔をブラブラして、その近くのお店で食事をしただけで、観光をした覚えもありませんでした。

初めての兼六園。テレビでよく見るのは、雪吊りと池の畔の燈籠。思ったより小さい燈籠でした。

 道路の案内標識の兼六園の文字のところに何かマークが付いているなぁと思っていたら、この燈籠のマークだったのですね。
 燈籠は、琴柱をモチーフにしたものだったなんてことも、初めて知りました。

 お城と兼六園の間の道の満開の桜が見事でした。

 金沢って、あまり見どころがないのでしょうか、どこへいこうかなぁと考えた挙げ句、近江町市場へ。
 これはすごかったです。京都の錦を「京の台所」などといいますが、金沢の台所は圧倒的で、こっちの方がその名にふさわしい。

 さすがに魚介類が多いですが、商品札を見ていると、オーストラリア産、北海道産、高知産など、必ずしも北陸のとれとれではありません。でも、魚に限っていうと、デパ地下など目じゃありませんね。

 また、毎日でも来たいところが増えました。

 午後から雨の予報でしたが、さいわい雨に遭わずに帰りました。

〜桜と杉苔・兼六園〜
2004年4月7日(水)  No.223

北陸の温泉宿
 プライベートな用件で、福井〜石川に行きました。

 北陸の方が桜は遅いかなぁと思っていましたが、そんなに京都と変わりませんでした。

 泊まった北陸の温泉宿はガラガラ。温泉街には倒産してそのままのホテルもあり、活気はありませんでした。

 北陸だから魚も美味しいだろうと思いきや、宿の食事は量だけはべらぼうに多いものの、刺身は冷凍もの混じりで、時間が経ったら崩れてきそう。少量でいいから、もうちょっと美味しいものを食べたかったなぁ…。

 温泉の他に見るべき名所もなし。宿の工夫も感じられず、おまけに予約確認のメールを出しても、返事があったのは当日の昼。もう出発しているって!

 んー、悪いけど、これではもう一度来たいとは思えないなぁ…。ブツブツ。

 「こんな宿に、これ以上お金を払いたくない!」と、近くの酒屋さんで買った地酒を呑んで、爆睡しました。
2004年4月6日(火)  No.222

朝のお買い物
 月参りの続きに、買い物に行きました。

 まず、先日来、BBSでも話題になっていたパン屋さんへ。お昼の来客に、ギャグ半分でさしあげるための買い物です。

 事前にネットで店主のお薦め品を調べておいてお店に。小さなお店の、入って右側が実はオススメ品なのだという言葉を頼りに、数種のパンを選んでいると、「へぇ〜、おっさんもそんなもん、食べはんのですか?」との店主の声。
 「ん〜。今、パンはドクターストップなんだけどなぁ」と思いつつ、「そりゃそうですよ。ちゃんと何が美味しいのか調べてきてますよ」「どこのお寺さんですか?」などという会話を交わし、一々のパンの食べ方についての説明を受けた後、支払をしようとすると、「ちょっと、おっさん、待ってくださいやぁ」と奥の方へ。そして、20センチほどに重ねた食パンの耳や菓子パンなどをスーパーのビニール袋いっぱい差し出し、「この耳を欲しいと言って来る人もいんですわ」と言いながらくれました。

 近所では有名な店ですが、ボクは訪れるのは初めて。そんな人気店なのに…。面白く、気っ風のいい店主に深謝して店を出ました。


 2軒目は北大路通の団子屋さん。黒みつだんごが美味しいという評判の店。お昼の来客のための買い物ですが、来たのは初めて。
 店を開けたばかりで、商品も陳列されていない中、「まだダメですか?」と聞くと、売ってくれるとのこと。予定通り買い物が進むのに安心。


 3軒目は御所の西にある、いつも行くお香屋さん。これは寺の買い物。事前にメールで取りそろえを依頼してあるので、貰って支払をするだけ。
 お茶をよばれながら世間話をして、これまたお香のオマケを貰って店を出ました。


 4軒目は御池通近くの湯葉屋さん。ここも初めて。
 いかにも京町屋の外観に暖簾。中に入ると、豆乳から立ち上がる湯気の中、竹で湯葉をすくい 上げる作業をしている人が2人。
 製造はしているものの売っている様子がないので、「小売りはしてもらえますか?」と聞くとしているとのこと。
 汲み上げ湯葉を頼んだ待ち間に、主人らしき人が奥さんらしき人と喧嘩っぽい口調で何かを話した後、小鉢に入った試食の汲み上げ湯葉が差し出されました。
 昔ながらの製法で、現役の木桶や石臼などが並び、立ち上がる湯気を見ながら試食するのに、美味くないわけがありません。
 食べていると、またご主人が少し色の濃い半乾きの湯葉を持ってきて、その試食も勧められました。「甘湯葉」というらしく、湯葉を作る時の大豆の煮汁が煮詰まって濃くなってから取れる湯葉だそうです。食べてみると、普通の湯葉より濃厚でした。
 「好き好きがありますけど、節分の豆が好きな人やったら、喜ばはると思いますねん」「あー、美味しいですね。じゃぁ、これももらえますか?」というと、「いやいや、おっさん、これ差し上げますわ」と甘湯葉がたくさん入った紙袋を差し出されました。

 おお! ここでもオマケをもらった! 今日は何だか、オマケ三昧です。

 ご主人は、車のところまで送ってきて、「朝、8時半までに大事なお客さんなどを連れてきてもらったら、一番美味しいのを差し上げます。きれいな女性を3人ほど連れてきてくださいな」と。
 このご主人も、気さくで、湯葉が大好き、女性も、と思わせる方でした。
 甘湯葉を下さったのも、決して、次の商売に結びつけようというふうには感じられませんでした。


 朝の1時間ちょっとの間に、すごくいろいろな体験をし、リッチな気分になりました。

 帰って、お昼の舞妓オフの準備に大わらわ。
 急遽、ライブ中継をすることになり、パソコンを運んだり、屋根にもぼって配線をしたり。皆さんに見ていただける提案をアリガトウ。

 可愛い舞妓さん、遠路遙々駆けつけてくださった皆さん、ありがとうございました。

〜舞妓さんとの記念写真〜
2004年4月5日(月)  No.221

「B型でしょ!」と言われても…
 ボクはB型です。自分では、それについて特に意識したこともありません。でも、他の人は、殊の外、それを意識されるようなのです。

 今日お会いした方々とも、血液型に話が及びました。

 「やっぱりB型でしょ!」「B型は苦手!」と言われますが、なんのことやら。ボクはごく普通の人だと思っているのですが…。

 「典型的なB型ですね」とも、よく言われます。しかも、それは決してほめ言葉ではなさそう。
 何がそう言わせているのでしょう。

 以前、B型について研究したという>ホームページを紹介して下さった人がありました。お節介な!!
 それによると、B型の特徴は次のようなものだそうです。ちなみに、書いた人もB型。
  1.全ての物事は一瞬にして好き・嫌い・どーでもいいに分類される。
  2.おだてに弱いがお世辞はムカつく。 (ビミョー)
  3.変なこだわりがあってどうしても譲れない事がある。
  4.熱しやすく冷めにくいが突然終了する。
  5.突飛な行動をしている自分が好きだ.。
  6.団体行動に馴染まない。
  7.強制されると自動的に反発モードに入る。
  8.孤高を楽しむ反面、一人だと寂しい。
  9.最初は寡黙だが慣れると毒舌が始まる。
  10.世間が自分からずれている時が度々ある。
  11.人から相談されるが人に相談しない。
  12.凹むこともあるが自分を信じている。
  13.変人と言われると嬉しくなったりする。

 何と、全部ピッタリ当たっています。
 やはり、B型の類型があり、ボクには「B型でしょ!」と言わせるだけの行動・思考パターンがあるのでしょうか?

 そのページは、「つまりB型とは」と題し、「誇り高き変人」とまとめています。

 んーー、納得できるような、出来ないような、複雑な心境ですが、「変態」でなくてよかったかなぁと思います。

 みんなで異口同音に、「B型でしょ!」と言わなくてもいいよなぁ…これでも傷つきやすいんだから。

〜南座と小望月〜

2004年4月4日(日)  No.220

花見の大渋滞
 夕刻から四条へ出かける予定があり、昼頃から、道が渋滞しているとの情報が入っていたので、どうやって行くかを思案していました。

 バスと地下鉄を乗り継ぐのが一番確実だろうと思い、今出川か丸太町のどっちを走るバスにするか考えた末、今出川は銀閣寺で混むだろうと丸太町を選び、岡崎のバス停に向かいました。

 平安神宮や動物園・美術館に通じる道に車が入りきれず、岡崎付近の丸太町は大渋滞。「やっぱりなぁ」とバス停に向かったものの、バス停の位置が変わっていて、戻っているうちにバスが来て発車してしまいました。

 土日でバスの本数も少なかろう、見れば丸太町の西行きはずっと渋滞の列。この際、運動も兼ねて歩くことにしました。

 すぐに、乗れなかったバスを追い越し、東大路に。東大路は大渋滞。さらに西に進んで、岡崎から2つ目のバス停で、ちょうどバスに追いつかれましたが、バスは渋滞に阻まれて動けません。それを尻目に、川端通、鴨川あたりまでは抜きつ抜かれつ、河原町通の信号からはバスに先行されてしまいました。

 烏丸通から地下鉄に乗って、四条のデパ地下へ。デパ地下も大変な人でした。

 秋の紅葉シーズンの混雑は長い期間にわたりますが、桜の頃の混雑は、たぶん今日・明日がピーク。
 これさえ過ぎればと思うと、気が楽です。


 その後、遠来の「仲良し」との食事は、とても楽しかったです。
 創作和食のお店で、このジャンルは当たり外れも大きいですが、今日のお店は美味しかったです。
 ちょっと飲み過ぎちゃった…。
2004年4月3日(土)  No.219

マイ・ブーム
 冬に漬けた大根と白菜を完食した後、ぬか床を整えて、いろいろなものを試し漬けしています。

 胡瓜は当たり前ですが、目下、にんじん、セロリ、新ごぼう、山芋とやって、今水茄子とウドがぬか床の中。

 にんじんは、甘しょっぱくて変な感じ。セロリは合格! ごぼうはまずまずですが、ぬか床からの出し時が微妙。山芋は泥臭さが抜けません。

 とにかく試行錯誤中で、どの野菜をどれくらいの時間漬ければいいのかがわかりません。もちろん、やってみないと、これはダメ、これは意外にいける! というもわかりません。

 ちょうど朝食をご飯食に替えているので、漬物を食べるのには好都合。でも、今度はちょっと塩分の摂りすぎでは?

 土塀の外は観桜の人が行ったり来たり。必要以外は出たくありません。漬物桶の具合を見ては、カエル池の視察をする。それがここ数日の日課となっています。
2004年4月2日(金)  No.218

掲示板更新
 夜中の零時に掲示板プログラムの入れ替え作業。

 すべての準備は出来ていたので、あとはファイルをアップするだけのはずだったのですが、何カ所かの不具合があったり、デザインの小変更をしたりしているうちに、あっという間に1時半。

 寝ながらも、夢うつつに「あそこはああしたほうがいいなぁ」などと考えていて、眠りが超浅。
 朝イチから修正作業をして、結局1日かかりました。

 一番皆さんに使っていただくページなので、使いやすくないといけませんね。


 境内には散策する人も結構多く、少し歩くと汗ばむほど。

 そんな人を見ていると、多くの人は忙しいそう。ベンチに座ってゆっくりお花見でもすればいいのになぁ…さっき来られたかと思ったら、地図を広げて次の目的地までの行き方を探っている様子。

 「ここは見ていって欲しいなぁ」というところも素通り。ボクが一々案内するわけにもいかないですし。

 こんな日は、あちこち行かずに、弁当とお茶を持ってノンビリ徒歩で。観光の人はそんな悠長なことはしてられないか…。


 昨日、62通来たウイルスメールも、今日は10通。一段落かな。

〜戊辰戦争などで亡くなった会津藩士が眠る 黒谷・会津墓地〜
2004年4月1日(木)  No.217

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