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2004年2月の日記

雀のお宿
 最近、雀の群れがボクの自室の前の木にたくさん来ます。チッチ、チッチ、チッチ、チッチとしばらくの間にぎやかに啼いて、サッと飛び立っていきます。

 ボクの自室は2階で、すぐ目の前に椿などの分厚く高い垣根が、建物と並行して10メートルほど横たわっています。垣根の向こうには何百基もの墓石が並んでいます。

 木は一段高いところ段差の上に生えていますので、木の先とボクの部屋の窓が、ちょうど同じ高さになります。
 雀たちは、その木の上の方に留まるので、ボクからはその様子がよく見えます。

 窓の外には餌台が設けてあり、仏さまの御供えのお下がりのご飯などをやるものですから、1年を通じて雀がやってきます。でも、普段は今のように大きな群れではやってきません。
 30羽ぐらいはいるでしょうか、それが一斉に来て、口々にさえずるのですから、賑やかなことこの上ありません。

 午後から雨が上がったので、雀の写真を撮ろうと、垣根の向こう側の墓地に行きました。

 いました、いました、椿の木や、ボクの部屋の上の屋根にたくさんの雀がいます。
 ボクの姿を見るなり、10羽単位ぐらいで、墓地の中にある榊の木の方へ飛んでいきました。
 ボクがそっちの方へ近づくと、今度は逆戻りして、屋根に留まったり、建物と反対側の桜の木に留まったりしています。

 雀が動くたびに、チッチ、チッチ、チッチ、チッチが数十重なったさえずりが移動します。
 ちょうど今頃からペアリングと繁殖が始まるようですが、この群れはその兆候でしょうか。毎年のことです。

 部屋に戻ってからも、さえずりはあちこちの方角から移動して聞こえ、そのうちみんなは雀のお宿に帰っていきました。

 雀たち、インフルエンザにご注意!
2004年2月29日(日)  No.185

鳥インフルエンザ禍
 今朝も霜が降りていました。

 お寺の仕事を終えて、夕方から夜までボランティアの事務所で、パソコンサポートと新人研修のお手伝い。

 電気の配線を触ったり、パソコンを分解していたら、「仏教のことだけではなく、こんなことにも詳しいのですか!」と言われました。
 次第に何でも屋になって行っています。


 鳥インフルエンザ問題はますます拡大の一途。
 一部のスーパーでは、わざわざ汚染地域以外の京都産卵を売って、京都産卵を応援するしようというお店もあるとか。風評被害は大変なものでしょう。

 地元マスコミにいる友人から、感染が匿名通報で明らかになるまでに、どうして行政の対応が後手に回ったのか、それは京都の行政が大きく歪んでいると言われ続ける裏事情と同根だという話を聞きました。

 それはさておき、問題の農場では28日、新たに約4万羽の鶏が死に、鶏や卵の移動が禁止される半径30キロ以内にある養鶏場は、京都府60、兵庫県18、大阪府6の計84カ所で、飼育している鶏の総数は約198万羽とか。
 もっと早く対処していれば……大量死の事実があっても鳥や卵を出荷し続けた業者のエゴには憤りしか感じません。
2004年2月28日(土)  No.184

更新日
 朝起きたら、瓦や葉っぱの上のわずかに雪がのっていました。何となく新鮮でした。

 今日は更新日。時間的には余裕があったので、ゆっくり更新ができましたが、ネタ不足はどうしようもありません。
 木の登ってサンシュユの写真を撮ったり、腹這いになってオオイヌノフグリの写真を撮ったりしました。
 アオサギの写真は、千載一遇のシャッターチャンスでした。
 ネタのないところから何とかひねり出そうとするお陰で、いろいろな小さな発見に出会います。そう考えると、ネタのないのも有り難いことです。

 カエル池の金魚は、全員元気です。
 でも、さっそく猫が来ています。
 赤外線のセンサーをつけて、猫などが来るとわかるようにしてあるのですが、警告音が鳴ったので見に行ったら、いましたいました いつもの三毛。
 走って追いかけ、ビックリさせてあげました。

 テレビは、オウムと鳥インフルエンザのニュースばかり。
 あの養鶏業者はどうして通報しなかったんでしょう。自分のところから鳥インフルエンザが出たと知れたら大変だから隠し通そうとしたのでしょうが、大事になってしまいました。
 被害が拡がらないといいですが。

 箱入り娘のピーコ・エリザベスちゃんは、大丈夫。

〜ボツとなったオオイヌノフグリとスミレの2ショット〜

2004年2月27日(金)  No.183

ぼやき
 オークションに出していたスキャナーが、即、売れました。新品でも1万1千円するのが、新品ながら開封品で1万円の値が付き、さっそく発送しました。

 落とした相手も、どうやら坊さんみたい。
 キリスト教団体をバックにした団体への寄贈品を、坊さん同士が売り買い。変なのー。
 そのお金で電話機を買いに。


 最近、窓口などで応対される時に、「○○してもらっていいですかぁ?」と言われる時があります。
 「してもらっていいですかぁ」と本人は丁寧に言っているつもりなのでしょうが、妙に押しつけられている感じがします。今まで、こういう言い方ってなかった気がします。
 「していただけますか」とか「お願いできますか」と言われた方がスッキリします。

 テレビのテロップなどを見ていても、気になって仕方がないことがあります。
 「〜という」という、あるものを〜と称するという意味で使う言葉。たとえば、「日本語という言語」とか「パソコンというものは」などと使う時、「日本語と言う言語」とか「パソコンと言うものは」と書かれていることが実に多い!

 先日、ある大学教授から著書をいただいたのですが、その中にもその例がいっぱい出てきて、仕舞いに読むのが嫌になってしまいました。

 あー、止まらなくなってきた…。

 「一所懸命」が「一生懸命」になったのも納得がいかない! 意味が違うだろうって! 学校の漢字のテストで「一生懸命」と書いたら×をされましたよね。

 ブツブツ…。

 こんなことをぼやき出すということは、歳かなぁ。いや、違いますよね!?
2004年2月26日(木)  No.182

金魚を放つ
 カエル池に「エサ用金魚」50匹を放ちました。ボウフラ除けです。

 「エサ用」というのは、熱帯魚のエサのための生き餌ということなのでしょう。何とも残酷な。
 ボクに買われてよかったねぇ。

 金魚たちは、放たれた後、群をなして小さな池のあちこち探検していました。とてものびのび嬉しそうに見えましたよ。

 水草を買いたかったのですが、もう少しあたたかくならないと店頭に出ないとか。他の水槽に入っていた古びた水草を、とりあえず入れておきました。

 エサ用の金魚はだいたい弱いですから、1割以上は死んでしまいます。明日の朝、みんな元気でいてくれるかなぁ。

 猫や鳥に襲われないように、小池の大部分を金網で覆って、保護しておきました。OK!

〜のびのび泳ぐ金魚たち〜
2004年2月25日(水)  No.181

医者の風邪
 たまには血液検査でもしてもらおうと思って、医者に行きました。あまり好きではないのですが…。

 案外空いていました。混んでいるのも嫌ですが、空いているのも不安。

 食べ物屋さんでもそうですね。店に入って誰も客がいなかったら、「えっ、不味いの? ヤバイかなぁ」と思います。

 1月、飛騨古川の食堂に入った時、猟から帰ってきたばかりのような格好をした主人に、「どうぞ!」と暗闇から振り返りながら言われました。ビックリして、「あー、いやぁ」と直感的に逃げ出したことがありました。

 この医者は、とにかく安い。
 最近は医薬分業で、医者で処方箋料を取られ、調剤薬局でまた取られと、なんだか二重取りされているような感覚を持つことがありますが、この医者は診察をして貰っても、薬を貰っても、「えっ、それだけですか?」と聞きたくなるような値段。

 職員は2人おられるだけ。看護婦さん? 薬剤師さん? どういう職種かわかりませんが、診察や注射はすべて65歳ぐらいのドクターだけ。
 経費削減、扱う薬の薬価も低い? それでいて、清潔なイメージの院内で、対応も親切。
 なかなかいい町医者だと思っています。

 診察室に入ると、ドクターはマスクをしておられました。「あれ、いつもされてないのになぁ…」と思っていたら、ゴホゴホと咳。「お風邪ですか?」とも聞きづらい。

 いつもはよく説明をされるドクターも、今日は寡黙。長居はしてはお気の毒と、とりあえず採血をお願いしました。
 でも、採血の途中で咳をされて注射針がブレたらどうしよう、と不安でした。

 長居は禁物。サッサと診察室を出ましたが、診察室を出る時に「お大事に」と喉まで出ましたが、相手は医者だと思ってやめました。

 待合室で待っていると、「カゼは万病のもと」というポスターが貼ってあり、一人で大ウケしました。
2004年2月24日(火)  No.180

重なる物品寄贈
 外回りの続きにボランティアの事務所に行き、ボランティア作業とパソコンのサポート。

 パソコン4台を相手に、ウイルス対策ソフトのインストールとデーターのバックアップシステムの構築。

 狭い事務所にパソコンが4…5…6…7台。自前で購入したパソコンもありますが、各所から寄贈されたものも数台。

 本当はお金で欲しいのですが、たいていは形の見える物品に、寄贈先のシールを貼って贈ってくれます。

 貰っておいてバチが当たりますが、「どこに置こう…何に使う? 他のものには替えられないの?」というぼやきが何度も繰り返されてきました。

 名も無き団体は物品寄贈さえもままならないのですが、法人格を持っていると、向こうから「あげます」と申し出て来てくださいます。
 法人格を持っている組織は、すでにある程度の財政基盤や組織を持っているので、本当に支援が必要なのは草の根で活動をしている団体。
 一番必要なところへ、必要なものが届かない。日本の海外援助と同じです。

 この日は、まったく同じ型番が2台あって、開封すらしていないスキャナーをオークションに出品することになり、持ち帰りました。

 システム構築は夜までかかりましたが、4台のパソコン相手に疲れてしまい、8割完成で今日は終わり!
2004年2月23日(月)  No.179

鴬の初啼き
 春のようなお天気も5日目。昨日は最高気温が20℃もあったようです。

 日曜日。法要が2座あったものの、のんびりホンワカとした日でした。陽気のせいかな。


 お昼前、「ホ、ホケギョ」というような声が聞こえました。「おや? なんだ?」と振り返ったら、もう一声「ホケギョ!」

 鴬です! 今春初お目見え。まだ啼き方は上手ではありませんが、まさに鴬。

 この2声で、春の実感がますます高まりました。


 午後から雨の予報がずれ込んで、お昼に少し降ったもののすぐに上がり、夕方から本降り。久しぶりの雨の匂いでした。

 この雨でまた春が近づきますね。


 今日2月22日は、222(にゃん・にゃん・にゃん)で、「猫の日」ですよ。
2004年2月22日(日)  No.178

女性装束師の出離
 今日お勤めしたお葬式は、数えで100歳の方でした。

 時代祭で使われる紫式部や清少納言、小野小町などの時代装束を、正確な時代考証に基づいて仕立て、葵祭や時代祭など京の伝統行事も支えてきた女性装束師。1974年には京都市から「現代の名工」に認定された方でした。

 仕事場兼用のお宅に伺っても、仕立てをする作業をする息子さんたちを厳しく指導しておられ、昨夏まで、今年の都をどりに使われる衣装作りに取り組んでおられました。

 ボクのことは、いくつになっても「坊っちゃん、坊っちゃん」と呼んでくださいました。

 ご主人を早く亡くされながら装束一筋80年。
 赤い頬紅、キリッと描いた眉などと若々しく、カラオケにもつい最近まで通われたバイタリティー溢れる方でした。

 御出棺の時に、「薄い化粧に白装束ではなく、もっと眉とかを描いてあげて、派手な洋服を着せてあげたほうが、おばあちゃんらしかったですねぇ」と、お嫁さんたちと話していました。


 帰って、カエル池の水替えをしていたら、鐘楼から「カ〜ラス、なぜなくの…」という歌声がずっと聞こえてきました。

 見ると、外国人と坊さんのような格好をした2人が、鐘楼で歌っています。外国人の方は楽譜のようなものを開いて歌っておられますが、その割にはかなり下手。

 20分ぐらい、大声で歌い、いつの間にか姿が見えなくなりましたが、何だったのでしょう。

 これからあたたかくなると、境内でお弁当を食べる人、寝転がる人、楽器を演奏する人、いろんな人の姿が見られるようになります。
2004年2月21日(土)  No.177

京都観光
 夕べに続いて、ホームページに来てくださる方々と京都観光?をしました。

 2月とは思えないポカポカ陽気。

 今の京都でホッとなのは、新選組と天神さんの梅かな。

 9時過ぎに北野天満宮に行ったら、何と梅園は10時開園。仕方なしに、垣根の間や上から覗き見しましたが、まだ満開には至ってないようでした。

 続いて、今宮神社にあぶり餅を食べに。向かい同士が本家・元祖争いをする一方のお店に入りましたが、後から調べてみるとどうやら入ったのとは反対側がおおもとだったようです。

 初めてあぶり餅を食べましたが、目の前で焼いて作ってくれて、なかなか風情がありました。

 今宮神社の近所など週に1回程度は通るのに、今日が初めてなんて……わざわざ寄らないものですね。
 天神さんの梅園も、去年行ったのが初めて。

 行ったことのないところがいっぱいあります。拝観社寺は言うに及ばず、二条城、平安神宮なんかにも行ったことありません。
 有り難いことに、今日のように人を案内して行くことができて、すごく新鮮な感じがしました。

 続いて、漬物屋さん、お香屋さん、菓子製造の道具屋さんと一気に回りました。

 道具屋さんは面白かったです。和菓子の焼き印や押し菓子の型、飴用の鋏など、ホームセンターで大工道具を見るのと同等ほどの感激でした。


 自坊に帰って、午後はホームページの更新。

 今日の更新は苦労しました。写真は撮れない、文章ネタもなし。やっと完成したのは夜8時前でした。

〜備長炭で焼くあぶり餅〜
2004年2月20日(金)  No.176

錦散策
 夕方から、いつもホームページにきてくださる方とのミニオフ会になりました。

 デパートの催事場で開かれている「京の味ごちそう展」へ。ちょっと華やかさにかける雰囲気でしたが、生麩や食品、和菓子など、そこそこの数の京の名店が出店していました。

 その後、甘栗屋さんを経て、錦へ。錦のお店はもう半分ぐらい店じまいしていました。

 京野菜のお店に立ち寄り、値段の高さにビックリ。
 最近、京野菜を売り物にした飲食店が、和食のみならず、洋食店にも増えていて、ブームになっています。確かに珍しくておいしいものもありますが、そうでもないものもあり、「京野菜」が上滑りしている感もします。
 京野菜ではないですが、自然薯1本1万円、イチゴ1箱7000円……誰が買うのでしょう。

 錦も「京の台所」とか呼ばれ、京都の人はみな錦に買い物に行くように思っている他府県の方もおられるでしょうが、大方の京都の人の買い物はそれぞれの近所のスーパー。
 何かのついでに錦で買い物、あるいは珍しい物を求めに錦へという人が大半ではないでしょうか?
 それらもデパ地下で足りますしね。

 錦の昔ながらの小売店の並ぶ雰囲気は大好きです。卵焼きのみ、焼き魚のみ、鰹節と昆布だけなどと特化されたお店。専門的な知識も一般店とは比べものになりません。
 見ていても、そんなにお客さんが買っている様子はありません。「成り立っているのかなぁ」と、ちょっと心配になったりもします。

 食事に行ったお店には、お揃いの着物を召した妙齢の女性が10数人。盆踊りでもないし……。日本舞踊のお稽古? 祇園祭の練習?

 妙にあたたかい日でした。

〜カクテルに入ったまん丸い氷〜
2004年2月19日(木)  No.175

またかぁ…
 今日は快晴、気温も昨日より4℃アップの14℃。昨日の曇天にやる気を削がれた植木屋さん作業には、もってこいの天気。

 伸びすぎた樫の木や山茶花の枝の剪定作業をしました。

 以前、あたたかくなった頃にやって、毛虫の被害に遭い、1ヶ月くらい完治しなかったので、それを避けるなら冬しかありません。

 樫も山茶花も太い木ではありませんが、5〜6メートルのところまで何とか登って、木の先っぽを飛ばしました。

 でも、ほぼ作業が終わった頃、何だか体がむずがゆい……急いでシャワーをしましたが、少し虫に刺されているようなところはあったものの、結果的には気のせいでした。



 夕刊を見て唖然。

 醍醐で計画されていた「精神障害者生活訓練施設(仮称)」の整備事業が中止。用地を売却する予定だった地権者が、地元民の反対などにあって「売却しない」と伝えてきたためとか。

 またかぁ………。

 心の病に罹った人の施設を作ろうとすると、必ずといっていいほど反対が起きます。ボクが関わっていたNPO法人も、精神障害者の地域生活を支援する施設を計画し、厚生労働省の補助金も付いたのに、結局そういう問題もあってポシャリました。

 今までにどれだけ多くの計画が、地元の反対で断念されたでしょう。精神障害者は、地域から排除しなければいけない「異物」でしょうか。

 事件が起こった時、犯人の「通院歴」が報道されることがあります。そんなことから、精神障害者=犯罪者というイメージが植え付けられていきます。

 統合失調症は100人に1人、鬱病は15人に1人が罹る当たり前の病気です。

 以前は、そういう病気に罹った時、病院に収容するのが一般的でした。そのため、20年、30年入院していたという人も少なくありません。
 そんな人が退院しても、すぐに日常生活をすることができません。
 あるいは、家庭の中にいづらく、誰かに話を聞いて欲しかったり、独り暮らしをして食事や入浴さえもままならない場合もあります。

 社会復帰施設や地域生活を訓練・支援する施設、居住施設は、そんな人のために、ぜひとも必要な施設。
 それが、まるで迷惑施設扱い。「大切なことはわかるが、他のところでやって欲しい」と。

 いつまでこういうことが続くのでしょう……ホント、ショック。
2004年2月18日(水)  No.174

天気予報に裏切られ…
 あたたかくなるという天気予報だったのに、1日中曇りで気温も上がらず。何だか損をした気分です。

 あたたかくなったら植木屋さんをしようと思っていたのですが……午後はお留守番を兼ねてパソコン作業をしていました。

 何だか平凡な1日でした。まぁ、それもいいですね。
2004年2月17日(火)  No.173

何書こう…
 午後からボランティアの研修と“お仕事”。

 “お仕事”は、結構疲れました。


 昨日、カエル池に水を張ったのですが、なんとか漏れていないようです。

 これで、コンクリートのアクが抜けたら、ボウフラ駆除に金魚を飼って、あとはカエルの帰還を待つのみ。

 ♪ 帰って来〜いよぉ〜 ♪
2004年2月16日(月)  No.172

蛍光灯の修理
 法要の合間をぬって、部屋の蛍光灯の修理をしました。

 3部屋の蛍光灯が、点いたと思ったら消えたり、スイッチを入れてから4時間ほど経ってから点いたりと、かなり不調。
 球やグローを替えても一向に直りませんでした。

 「これは、安定器だなぁ」といろいろ調べてみると、インバーター蛍光灯の安定器の寿命は8〜10年。照明器具の買え時も、そのくらいだと書いてあるページもありました。
 ええ! たったそれだけなの! 天上に取り付けた照明器具なんて、そう度々取り替えるものではありません。
 たとえいくらいい照明器具を買っても、10年ほどで取り替えていては、もったいないですよね。

 電気屋さんに照明器具の型番を言って安定器の部品を取り寄せて貰いましたが、結構時間がかかりました。
 電気屋さんも問屋さんに「古い器具ですね」と言われたとか。確かに12年前の器具だけど……。

 電気屋さんは、やっと揃った部品を置いて帰っちゃいました。
 腕、人柄ともに、とても信頼の置ける電気屋さんで、いままでにいろいろ難しい仕事をお願いしても、ちゃんとやってくださる方。
 ボクが自分で何でもするのを知っておられるので、部品だけ置いて帰られたのでした。

 取り替えはドライバーさえあれば簡単にできました。今は何でもユニットになっていて、線の被覆を剥いたりする作業もまったく不要。

 今まで暗い部屋で我慢したり、別の器具を臨時につけたりしていましたが、これでOK。
 部屋が明るいと、気分もいいですねぇ。

 それにしても、去年から、洗濯機、湯沸かしボイラー、テレビ、そして照明器具と、何だか故障のラッシュです。
 トホホ。。。
〜自室の照明。かなり大きいので、買い換えなんて…〜
2004年2月15日(日)  No.171

「ハルシオン」コンサート
 午後から、フォークデュオ「ハルシオン」のコンサートに行ってきました。

 ハルシオンは、睡眠導入薬の名前。
 このグループは、25歳の時から鬱病に罹っておられる塚本さんと、19歳の時から躁鬱病の下村さん、43歳の2人によって結成され、今日のコンサートも京都の精神障害者の当事者グループが主催したものでした。

 生ギター2本とハーモニカのサウンドは、懐かしいフォーク時代を彷彿とさせました。

 また、オリジナル曲の中で語られるのは、病気の苦しさ、社会の偏見、普通に生きたいなどという心の病を得た人の心の叫びでした。
 曲の合間のおしゃべりも、心に響くものでした。


  それは恥ずかしいことではなく それは人目はばかることでもなく 

  それは忌み嫌われることでもなく されど堕天使のしわざでもなく

  だけど僕の瞳から涙こぼれるから ぼくたちは生きていくんだよ 

  地べた歩き 人のにおいをして

                          「人のにおいをして」より

 「マラソン走っている人に『頑張れ!』と声援を送るけど、もうその人たちは既に頑張っているですよ。今さら『頑張れ!』というのも変ですよね。ホノルル・マラソンなんかでは、『 Good Looking!(カッコイイよ)』と言うそうですが、それがいいんじゃないかと思うんですよ」と語る塚本さん。

 心の病と生きている自分たちの言いたいことを代弁して貰って、何だか元気そうに見えた参加者の人たち。

 コンサート開催にかけて当事者グループを支えてきた作業所のスタッフの、「何だか最近元気が出て来た」という言葉。

 みんな「元気」になれたコンサートでした。

 世間では「恐い者」扱いされることもある精神障害者ですが、ボクはそんな人たちの居場所である作業所に行くと、ホッとします。安心できます。
 「地域の中で当たり前に暮らしたい」という彼ら願いを少しでも支えたい、ボクはそんな「元気」を貰いました。

〜「ハルシオン」の塚本さん(左)と下村さん(中)、右の女性はバックコーラス〜
2004年2月14日(土)  No.170

ナナカマドを植える
 「今日の散歩道」初めての金曜日更新。
 あれこれしながらの土曜日更新に比べて、実にゆったりと更新作業を進めることができました。

 夕方、カエル池の付近に何かを植えようと思い、園芸店へ行きました。
 最初行ったホームセンターの園芸コーナーは、品揃えもイマイチで、苗の管理もあまり行き届いていないようだったので、園芸専門店に向かいました。

 さすがに専門店、種類の多さ、苗の状態も、ホームセンターとは比べものにはなりません。
 
 何か低木をと思っていたのですが、真っ先に手が伸びたのはナナカマド。
 いつも山に行く時に目にする木で、秋の紅葉の美しさが目に焼きついています。また、以前、札幌に行った時に街路樹として街のあちこちに植わっているのも印象的でした。
 今は50センチ足らずの苗ですが、本来は低木どころか、かなり大きくなる質の木。
 でも、やっぱり欲しくなって「お買いあげ!」。
 あと、雲南黄梅という黄色い花が咲く低木、友人の出産祝いにあげる石楠花などを買いました。

 帰って、さっそく植えようと、小池のカバーに置いてあったブルーシートを退けようとすると、水が手にかかりました。
 嫌〜な予感。臭ってみると……やっぱり……猫のオシッコ!! 手を洗ってもなかなか臭いが取れず、袖のあたりまで臭っています。

 上着を2枚着替えてようやく臭いは失せましたが、せっかくのいい気分も台無し。風呂に入るまで、何となく不快でした。

 また、猫に挑戦状を叩きつけられたようで……。
2004年2月13日(金)  No.169

カエル池完成
 朝の外回りが終わってから以後は、夕方までずーっと左官屋さんをしていました。

 カエル池は完成! あとは、セメントが乾いた段階で水を張ってみて、漏れがないか、水のレベルや排水具合などを確認すればOK!
 しばらくしてセメントのアクが抜ければ、ボウフラ除けに金魚を入れます。
 その頃にはカエルも冬眠から覚めるかな。

 別の場所の排水パイプの埋設工事も完了!

 ずっとセメントを触っていたので、手がカサカサ。ハンドクリームをつけました。

 そういえばこのハンドクリーム、お店で買って車を運転して帰る途中、塗ってみようとボトルのフタを開けたら、フタの内側についていたクリームがいっぱい手について、ハンドルがクリームだらけ。滑って仕方ないので、ティシューで拭きとったのでした。
 超安かったけど、やっぱり効果が実感できませ〜ん。ダメだ、こりゃ。

〜一応完成のカエル池〜

2004年2月12日(木)  No.168

ピーコ・エリザベス
 夕方、インコを買いに行きました。

 先代ピースケが逝って1週間、主のいない鳥かごはなんとも淋しい感じがしていました。
 ピースケのお墓の花はまだ綺麗な間ですが、そろそろ次の主に入って貰ってもいいだろう……という気になりました。

 いつも行く古い鳥専門店の入口を入ってすぐのところに、セキセイインコ20羽ずつほどが雄雌別々の籠に入れてありました。

 1羽にするか、ペアにするか迷っていたのですが、店の人の話では、仲の善し悪しは一緒にしてみないとわからないとか。
 いままで、つがいで飼ってみたこともありましたが、たいていオスが虐められて、ひどい時はメスにつつかれて、血が出たりしていたこともありました。
 1羽ではさみしいかも知れませんが、虐待されるのもかわいそう……。

 「メスをください」 
 メスの方が穏和で丈夫かなぁと思ったのと、この前までいた「ピースケ」がオスだったので、メスがいいかなぁと思ったのですが、言った尻から今まで虐めるのはメスばっかり、穏和は当たってないかなぁと思いました。

 「どれにします?」
 青、緑、黄色、白と色とりどりですが、白地に青い羽根の混じった、今までに飼ったことのない羽根の色のインコにしました。

 連れて帰って、小さな紙箱から鳥籠に移したら、インコは大騒ぎ。すぐに布をかけて、外が見えないようにして、沈静化に努めました。
 一声啼くまでそのままにしておいて、啼いたのが9時過ぎ。やっと、弱い声でなきました。

 買う時は顔までよく見えなかったのですが、よく見てみると何となく外人っぽい顔をしています。

 名前は、「ピーコ・エリザベス」に決定! 

 まだ、音や人の気配におびえていますが、そのうち慣れて可愛い声で啼いてくれるでしょう。

 ピースケ、君のことも忘れないよ。

〜ピーコ・エリザベスと金魚〜
2004年2月11日(水)  No.167

菜の花畑
 あたたかい陽射し、雲一つない青空。

 お昼前から、滋賀県に菜の花を見に行ってきました。

 大原の奥の「途中越」から滋賀県に入り、琵琶湖大橋を渡ってすぐ。約4千uに約1万3千本の早咲きの菜の花が咲いています。

 写真で見て想像していたほど広くはありませんでしたが、菜の花の「黄」、琵琶湖の「紺」、比良山系に積もった雪の「白」、そして「青」空。そのマッチングが最高!
 車を降りた途端、菜の花の香りがあたりに溢れているのを感じました。

 湖岸の土手にシートを広げて、おにぎりを食べました。まだ2月なのに、ぜんぜん寒くありません。食べて、そのままゴロンと横になりたい気分でした。幸せ……。


 その後、近江八幡の町へ。
 近江八幡は、近江商人の町。豊臣秀次が自由商業都市としての発展させた町は、古い商家などが残り、湖上交通の要衝だった八幡堀、近江兄弟社を設立したヴォーリズによる洋館など、見どころも結構ありました。
 また、「かわらミュージアム 」と呼ばれる特産品の瓦のミュージアムには、先日来、由来を調べている仙人型の瓦に極似したものも展示されていました。

 名物だという丁字麩、こんにゃく、でっちようかんを買い、「これでまたいっぱいやれるなぁ」と考えながら、夕焼けの琵琶湖岸を走って帰路につきました。


 行ったことのない所に行くと、新鮮な発見がいっぱいあります。たまにはそういうことを経験しないと、見識も心も閉塞的になっていきますね。
 リフレッシュできた半日でした。
2004年2月10日(火)  No.166

お葬式と申告
 今日も独り暮らしのおばあさんのお葬式。

 いろいろな手続きに必要な書類がなかなか見つからなかったり、家紋がわからなかったり、親族の人は苦労されたようです。

 遺骨は、納骨までお寺でお預かりすることになりました。


 もし、自分が急逝したら…届け出書類とかは問題ないでしょうが、いろいろなガラクタの整理は大変でしょうし、ホームページをどうやって閉じるか、誰もわからないだろうなぁ…


 すべてが終わった夕方、先日出した一昨年の住職の還付申告が間違っていると連絡があり、税務署へ行って修正申告。

 帰ってから、自分の去年の確定申告書作り。今度は間違いなし!

 お葬式から一転して現実問題。大の苦手なんですよねぇ、こういう計算って。


 お葬式をした日は疲れます。早々に寝ちゃいました。
2004年2月9日(月)  No.165

あたたかい陽射し
 あたたかい陽射しの日曜日。境内を歩く人影も急増。

 「あたたかき光はあれど 野に満つる香りも知らず…」 春はまだまだですが、何となくウキウキ。

 法要に来られた方が、「大阪よりあたたかいですね」とおっしゃっていました。いつもは「京都は寒い!」と言われるのに。

 お寺の仕事を終えてから、金魚の水替えをしたり、亡くなったインコのゲージを洗ったり。陽光は、水を触ろうという気分にさせてくれました。

 今日は京都市長選挙。その候補者の陣営から、「もう投票はお済みですか?」との電話が4回。
 屋外に居て、手が濡れている時に、しつこい電話。もう、大迷惑! せっかくいい気持なのに!
 夜の即日開票で、その候補者は落選しました。

 今日は、13通のウイルス・メールが到来。先月31日以来、毎日「Mydoom」がやってきます。

 「来る者拒まず」と言いたいところですが、勧誘電話にしろ、ウイルス・メールにしろ、こっちの都合など斟酌しない「侵入者」。

 オチが見つからないので、このあたりで……。
2004年2月8日(日)  No.164

朝の月
 月の明るさを感じながら、寝床から時々月の位置を見計らっていました。
 夜が明けて来るにしたがって、月は西へ。ようやく、山の端に近づいたのが7時前でした。

 急いでカメラを持って本堂の前へ。本堂前には、3人のお年寄りが腰掛けて、月見をされていました。

 春の朧月夜、秋の名月もいいですが、冬の冴え渡る月、夜明けの月もいいですねぇ。感動しました。
 朝から得した気分です。

 それにしても、月が気になって何度も目を覚ましたので、眠たくって眠たくって。

 夜、友人と久しぶりに外でお酒を呑み、ようやくパワーが出て来ました。それって、ただの酔っぱらい?
2004年2月7日(土)  No.163

冷え切った身体
 外回りに続きにボランティアに行き、帰って一息ついていたら、檀家宅から電話。

 親戚が亡くなったので、拝んで欲しいとのこと。

 伺ってみたら、そのお宅の親族で、80歳の独居のおばあちゃんが、浴槽の中で亡くなったまま10日後に発見されたのだとか。ご遺体はすでに棺に納められていました。

 ボクはどんな死に方をするのかなぁ…やっぱり呆けるかなぁなどといろいろ考えさせられました。

 暖房をいれられない、ドライアイスの冷気が漏れてきそうな部屋に長時間いたので、すっかり身体が冷えてしまい、お風呂に入ってもなかなか回復しませんでした。
2004年2月6日(金)  No.162

今日も楽しいミニオフ
 朝から、遠来の客。ピーク時には来客は6人になり、賑やかな時間となりました。

 お互いに初見という組み合わせもあるのに、普段、ボードで「知った仲」なので、スーッと入っていけます。

 バラエティーに富んだ団子、「初霜」という諏訪の伝統菓子、茨城の干し芋などを食べながら、昼過ぎまでワイワイ。

 皆さんはお昼を食べに、ボクはボランティアへと、行き先は別々。
 途中、コンビニで買ったサンドイッチを食べながら、「あー、今頃みんなは美味しいお昼を…」と少々恨めしげ。

 夕方、帰路に。
 風が強く、体感温度はかなり低め。ここしばらくが、今冬一番の寒さでしょうね。

 今夜はコンクリート凍結防止のヒーターを入れなきゃ。


 最近、話題になっている体外受精卵の着床前診断で男女産み分けのニュース。
 こういうことはきっと日本でも初めてではなく、表沙汰にならないところでは何例も行われていることでしょう。
 医師は、希望しない性別の子が生まれて中絶するよりいい選択だ、母体の体的・精神的な負担が少ないからと説明していますが、希望する性の子が生まれなかったら、それは「諦める」べき領域。
 その子が大きくなって希望する子に育たなかったら、親はその子をどう「取り扱う」のでしょう。
 超えてはならない一線をどのレベルで引くか、もちろんそれは大変難しい問題ですし、持っている時術を使わないことは完全にできることではないでしょう。
 医師も親も、何でも自分の意のままにできる、していいのだという、いのちを手中におさめているような大きな勘違いをしているように思えてなりません。
2004年2月5日(木)  No.161

カエルの額ほどの池
 立春を迎えたかと思ったら、テレビはどのチャンネルでも申し合わせたように花粉症の話題を取り上げています。
 他の話題でも似たり寄ったり。もっと各局の特徴って出せないのでしょうか。


 カエルの池作りが、少し進みました。
 以前の小池から比べてもなお小さく、カエルの額ほどの広さですが(実際はもう少し広いです)、まずはこれでカエルたちが移住してくれるかどうか、お試しです。

 夜になってかなり冷え込んできました。明日の朝は、−1℃の予報。

 今日は基礎部分のセメントをうったのですが、もし凍ってしまったら、それがすべてパァーになってしまいます。

 古い電気ヒーターを引っ張り出して、セメントをうったところに据え付け、ブルーシートで覆って、凍結防止策を講じました。

 これで万全!
     翌朝は、水にも氷は張っていませんでした。
     ヒーターは、足の部分に付いている安全スイッチが作動して止まっていました。シートをかけた時に、底がほんの少し浮いたのでしょう。おかしいなぁ…
     寒くなくてよかったぁ
2004年2月4日(水)  No.160

ピースケ逝く
 飼っていたセキセイインコが逝きました。

 もともと、どこかの家で飼われていたのが逃げ、境内でウロウロしているのを虫取りで捕まえて飼い始め、その後、オスならば「ピースケ」、メスならば「ピーコ」と自然と代々名前を引き継ぎながら、世代交代してきました。

 つがいでいても仲の悪いペア、メスに虐められるオスなど、鳥にもいろいろな鳥模様はあります。

 今日逝った「ピースケ」は、知人が飼えなくなったからと貰って欲しいと譲り受け、うちに来て数年。
 昨年の11月頃から元気がなく、ほとんど1日中、自分の羽根に顔を埋めて寝るようになり、止まり木にもとまれなくなっていました。
 老衰でしょう。よく頑張りました。

 臆病な性格で、ボクが近づくと、鳥かごの反対側にへばりついてしまいます。時々、隣の金魚とにらめっこしていることもありました。

 お菓子の箱を棺にして、亡きがらのまわりを花でいっぱいにして、背戸に埋めました。

 主人公の居なくなった鳥籠はさみしいですね。


 寝る前になって豆撒きを忘れていたことに気づき、そそくさと撒きましたが、電気を消した後に豆を踏んでしまい、布団に入る前に足の裏を払わなければなりませんでした。

〜鰯を売る吉田神社節分の露店〜
2004年2月3日(火)  No.159

イルカを食す
 知り合いが送って下さった海の幸の中に、濃い茶褐色、黒いというのに近い10センチ四方の塊がありました。

 「いるかのたれを送らせていただきました」と事前にメールをいただいていたので、「これが……イ・ル・カ……」と察しがつきました。

 イルカ……いまだかつて食べたことはありません。食べるなんて、想像したこともありません。
 子供の頃、『腕白フリッパー』というイルカが主人公のアメリカのテレビドラマをよく見ましたが、その仲間を食べることになるとは…。

 「干物と同じように、両面を焼いて食べると良いそうです」ということなので、ガスレンジの魚焼きグリルで両面を焼きましたが、もとが黒いので、どれだけ焼けているのかさっぱりわかりません。

 適当に焼いて、皿に盛ろうとしたら、クサ〜イ! どういう臭いといったらいいのでしょう。
 「イルカの切り身を塩水につけ、天日で半日干した珍味」ということですから、ご想像下さい。

 わぁ、これを食べるの……とても食指が伸びませんが、とにかく清水の舞台から飛び降りたつもりでチャレンジです。

 でも、その10センチほどの塊、箸ではどうにも歯が立ちません。
 ナイフとフォークを持ってきて、切ろうと思いましたが、黒くて繊維の方向がわかりません。縦横試してみて、何とか切れました。
 切っている間も臭いが……。

 1センチほどのかけらをとりあえず口に……食感はしっかりした肉。でも、味がしてくるまでの恐怖………。
 これ、何の味? 肉とも少し違うし、魚とはまったく違います。
 後から考えてみたら、濃い〜レバーの味です。

 1/4程度食べましたが、まいりました。降参です。

 一緒に送っていただいたしらす干しの美味など、どこかへ飛んでしまい、コーヒーを飲んだり、チョコレートを食べたりして、口の中に残った味を消そうとしましたが、ぜんぜん消えません。
 胃が重たくて、胃薬の飲みました。胃薬を飲むなんて、半年ぶり以上です。

 以前いただいたおでんの缶詰。これもなおさら恐くなりました。
 スウェーデンに、「シュール・ストレミング」にしんの缶詰があります。「北の最終(最臭?)兵器」と呼ばれて、缶を開けた途端に臭い中身が吹き出したという話を聞きます。
 まさか、そんなことはないでしょうが…。

 「いるかのたれ」、とりあえず初見でしたが、「お酒のつまみに最高で欠かせない」という人もいるようですから、ひょっとしたら日を重ねるに従って病みつきになるかも知れません。なるかなぁ……。

 恐るべし、静岡の食文化。

 ごちそうさまでした。
〜いるかのたれの塊と恐怖の缶詰〜
2004年2月2日(月)  No.158

自動車保険
 今日は、東山の尼寺で大般若転読会。とってかえして、法要。

 よし、ちょっと休憩しようと思っていたら、うたた寝してしまいました。

 せっかく気持ちよく寝ていたのを、甥の急襲にあい、自動車保険の見積を手伝う羽目になってしましました。

 大学生の甥は車を買いたいと思っているらしいのですが、親に反対されているため、うちへ来て、経費がいくらぐらいかかるのか目算を立てたかったようなのです。

 インターネットの自動車保険見積サイトへアクセスする甥に、こたつに寝そべって半分居眠りしながら指示。
 まだ買ってもいない車の保険料の試算は大変みたいで、結局、電話見積に変更。

 ボクも一昨年から、インターネットで自動車保険を契約していますが、今の年間保険料は 36,650円。20等級 でいろいろな特約をつけているので、通常の保険料の4割程度以下しか支払っていません。

 「歳も若くて一番高い年代だから、10万ちょっとじゃないの」と言っていたのが、甥の電話を復唱する声にビックリ。「29万6千……円」

 「え、ええ! 29万!」 思わず起きあがりました。

 年齢が若いのに加え、4WDの大型車は保険料も高いのだとか。もちろん、初契約だから割引はありませんし、せいぜい運転者限定ぐらいでしょう。

 それにしても、そんなに高いのかぁ…

 甥は肩を落としていましたが、「敬(甥の名)、軽なら保険料も軽いだろう」と有効なアドバイスをしておきました。


 今日は、ウィルス「Mydoom」の飛来多し。ウィルス対策ソフトの警告画面に、「マイドー!」とウキウキ。
2004年2月1日(日)  No.157

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