[一覧] [最新]

2004年1月の日記

鯵にカツを入れる
 ホームページの更新、法要1座を終えて、午後から夜にかけてボランティア。

 今月は作業所見学の引率などを含め、6回、ボランティアに出動しました。

 20年来、このボランティアに関わってきましたが、メンバーの去就も激しく、行くたびに初めて顔を合わせる人もおられます。

 人の「心」を扱う仕事なのですが、運営面ではとても心を大切にしているとは思えないことも場面も多く、20年来、何だかんだと小さなもめ事が絶えません。

 もともと、キリスト教系の人たちが設立した組織で、役員人事的にもその色合いが強いのですが、そちらの世界の人間関係をボランティア組織に影響させるのがそもそもの間違い。
 ボランティア組織の運営のためにはどうすればいいかを純粋に考えていないことが、さまざまなトラブルの原因の一つかなぁ。ずっと、そうなのですが…。

 一所懸命やってくださるボランティアの人たちを見ると、そんな体制が申し訳なく、腹立たしく思えてきます。


 9時過ぎ頃、同乗者と愚痴りながら帰路に就き、別れてからスーパーに寄って刺身を買いました。
 帰って、チビチビ晩酌をしながら食べましたが、気持がすっきしりないのか、刺身が悪いのか、あまり美味しくありませんでした。

 確かに、刺身も悪かった…アジのたたきに鰹節の粉?がかかっているのをネギでカモフラージュしてありました…するのは鰹の味ばかり。

 あの店、カツオいれないようにカツを 入れないとダメ!
2004年1月31日(土)  No.156

女将の通夜
 お通夜に参列。

 亡くなったのは、行きつけの祇園のお茶屋「辻糸」の女将さん。
 「行きつけ」といっても、年に4〜5回、人を案内していくだけですが、自分から呑みに出かけることのないボクにとって、ジャズ喫茶以外唯一の行きつけのお店でした。

 祇園町の、いわゆる「一見さんお断り」のお店。ボクも人の紹介で10数年前から行き始めたお店でした。

 カウンターの中に、和服の女将やおばあちゃんがいて、客のほとんどは年輩。カラオケはあるものの、歌う人はたいてい下手。

 玄関の大きな鞍馬石のところで靴を脱ぎ、スナック風にしつらえたカウンター席に行くか、奥の掘り炬燵の部屋に行くか。奥の部屋には、舞妓さんや芸妓さんを招くことも出来ました。

 靴を脱いで上がるという些細なことに、よそから来られた方は感激され、お茶屋という京情緒の一端を味わって満足して帰っていただける、貴重なお店でした。

 亡くなった女将は、東京・下町の寿司屋の娘さんで、早稲田卒。ご主人がお茶屋の息子ということでこの店を切り盛りされるようになり、数年前にご主人が亡くなって、女将自身も60歳を超えてわずかでした。

 東京の下町から、祇園のお茶屋の女将へ。その苦労は容易に想像できました。
 さすがに江戸っ子、さっぱりして気っ風のいい、話し好きな方でした。

 ゆっくり過ごせる、ボクにとっては唯一の“ハレ”のお店でした。


 帰りの夜道、相変わらずカメラおじさんが舞妓さんを狙っていました。
2004年1月30日(金)  No.155

水道屋さん
 今日は朝から昨日買ってきた配水管の埋設作業。楽勝、楽勝と思っていたら、エライことになってしまいました。

 とりあえず、直径10センチ長さ4メートルの管を埋めて、それからカエル池にもかかれるかなぁと思っていたのですが…。

 わずか50センチほど掘り進んだところで、スコップの先に変な感触。と同時に、シュー! という音。
 あー、やっちゃった…。撒水栓に通じる水道管を割ってしまったのです。

 「こんなところに水道管」と文句は言えません。工事をしたのはボクですから。でも、すっかり忘れていました。

 管は完全に破断していて、どんどん水が出てきます。
 とりあえず元栓を止めて、修理をするためのビニールパイプや継ぎ手などを用意(だいたい一通りそろっているのですよ)。

 「えーと、ビニールパイプ用の接着剤と。あった、あった。ん? 軽いなぁ…」 中を見ると、干からびてまったく使い物になりません。他のを探して中を見ても、同様。
 「しばらく、水道工事してないかなぁ」

 買いに行かないといけませんが、行くとなったら、着替えたりしなければなりません。作業の途中で行くのも面倒なので、管にキャップをして水を止め、石でキャップが動かないように固定して、水詮を開けました。
 まだ、小さくシューっという音がしていますが、気にしない気にしない。

 それからまた1メートルほど掘り進んだら、今度は、ガツッとスコップが撥ね戻されます。石に当たっている音、感触ではありません。

 見れば、今度は櫨の太〜い根っこ。15センチぐらいのが2本。しかも、その2本がくっついて、また1本の大きな根になっています。
 なんちゅうことや…。

 管はそこを通らないわけにはいきません。根っこを切るしかありません。

 チェーンソー(切れないのは実証済み)、電動丸鋸、鉈、のみ、バールなどを総動員。切ったり割ったりしていると、櫨の根のかけらやノコギリ屑などが飛んできて、顔に当たったり、服の中に入り込んだり。
 「うわぁー、かぶれるー」と気が気じゃありません。
 根っこを制圧するのに2時間ぐらいは費やしたでしょうか。

 ようやく4メートル掘る終わったのが3時でした。

 それから着替えてホームセンターに行き、ビニールパイプ用のボンドを買い、帰って着替えて、水道管を補修。配水管も接続。

 ようやく終わったのが5時。カエル池にはまったく手つかず。

 カエルさん、池の完成はまだまだ先です。冬眠から覚めるまでには何とかするからね。
2004年1月29日(木)  No.154

何でも屋
 午前中の外回りと法要を終え、午後からまずパソコンのセットアップ。

 ウィルスメールの飛来が増えてきたのと、kusyami.com を語ってウィルス付きメールを送りつけている人がいるようなので、その対策。
 でも、後者はどうしようもありません。ウィルスに感染しているのを知らずに、自分のアドレス帳に載っている人に機械的にウィルス付きメールを送っていたり、今回のようにアドレス帳に載っている人のアドレスを少し変えて、それを発信者と騙ってウィルス付きメールを送ったり。
 ウィルス対策をしないでインターネットに接続するなんて、恐くってできません。しかも、まわりに迷惑をまき散らすし。

 ライブカメラ用のパソコンの部品も、オークションで入手して、グレードアップしました。
 映像、少〜し綺麗になったはずなのですが…気のせい?


 建材屋さんにも行きました。カエル池の材料調達です。
 セメント、水漏れ防止剤、配水管、コンクリート升…ちょうどお店には年輩のご主人しかいなくて、車までボクが運ぶはめに。セメントまみれ。ゴホ、ゴホ。

 このご主人、ボクが以前、ラス網(モルタル壁の下地用の網)を買いに行った時、猫除けに使うと見抜いた御仁。
 自分がその使用法を発見して何人かに教え、そのルートでボクが買いに来たと思ったようで、「どこで聞かれました!?」といきなり質問。
 「いやぁ、網を敷いておけば糞をしないと聞いたので、ラス網なら安いと思って」と説明しましたが、何だか自分の特許を侵害したというような眼差しでした。

 長さ4メートルの配水管を、車のルーフレールに自転車用のゴムロープでくくりつけ、「ボクって水道屋さんに見えるかなぁ」とワクワクしながら運転して帰りました。
2004年1月28日(水)  No.153

コアラちゃん
 今日も、午後から木の上の人。

 ところが、枝を切ろうとした途端、高枝切りが壊れてしまいました。

 さっそく分解して修理しましたが、見ればひ弱な構造で、大きな力に耐えられそうにもありません。
 テレビのCMなどでは、15ミリ程度まで切れると言っていますが、今日切ろうとしたのは10ミリ程度。百日紅の枝はさほど堅くもないのにー。

 いま、うちには壊れた高枝切りが3つほどあります。木の上から落として、鋳物部分が割れてしまったものもありますが、あとは酷使に耐えられなかったものです。

 ホームセンターには、いろいろな園芸器具や電動工具などが売っていますが、やはりプロ用でないと長年の使用には耐えられません。
 でも、高枝切りのプロ用ってないですね。あんなもので作業をしている植木屋さんて見たことがありません。使っているとすれば、シルバー人材センターの「植木屋さん」です。

 何とか補修を繰り返しながら、やっと百日紅の剪定を終えました。

 その間、木の上で電話をしたり、携帯メールしたり。木にしがみついたコアラのようです。

 そんな可愛くないですって!?
2004年1月27日(火)  No.152

穴掘りと木登り
 寒い時には、身体がポカポカ温まる肉体労働が最高! 今日は1日、外の作業をするぞー!


 まずは、昨年、事情があって埋めてしまったカエルの池の代わり作りに取りかかりました。

 場所がなくて、畳1枚ほどの小さな池しか作れませんが、とにかくカエルが戻ってこられる場所を確保してやらなければなりません。
 生い茂っていた笹などを鎌で刈って、穴を掘り始めました。

 最近、身体が鈍っているので、少しやっただけで息が切れます。情けなかぁー。
 「まぁ、今日は徐々に身体を慣らす程度でいいや」と自らを慰め、少し掘って、工程や必要な材料などの目星をつけて、今日のところは終了。2月いっぱいかけて作る予定です。

 刈り取った笹などを運んで焼却処分するのに、すっかり体中が煙り臭くなってしまいました。
 この煙がライブカメラにも写っていたようです。


 午後は、百日紅の剪定作業。本当はこんな一番寒い時は避けるべきなのですが…。

 猿が滑るというぐらいですから、木肌はツルツルしています。おまけに、樹皮がめくれたり、枝が枯れ込んでいたりと、油断大敵。でも、木としては登りやすい樹形です。

 百日紅は、昨年の間に伸びた枝を切り込んでやると、今年新しい枝を延ばし、そこに花芽が付きます。
 強く剪定すると新梢がよく伸びて、花の数は少ないものの大きな花が咲きます。逆にあまり剪定しないと、花の数は多いものの小さな花になってしまいます。
 ということで、思いきった剪定作業をします。

 樹高6〜7メートルほどの木ですが、主幹あたりまでしか登ることはできません。あとはボクの体重を支えきれる枝ではないのです。
 ほとんどの作業は高枝切り頼り。
 近くの枝は高枝切りを縮め、遠くの枝は伸ばし、なおかつ身体を傾けて、腕も目一杯伸ばすという繰り返し。

 お天気は快晴。青空に何基もの飛行機が短い雲を残して行き来していきます。
 「最高やなぁ…」と時々見惚れながら、2時間半ほど。やっと1/3程度できましたが、手の握力がだんだんなくなって来たので、高枝切りを木の上に残して下りました。

 夜、ちょっと急にやりすぎたかなぁと、ちょっぴり反省。でも、楽しかったぁ。
2004年1月26日(月)  No.151

鼻水との格闘
 今日の外回りで伺うお宅は、車を駐車する場所がないので、バイクで行かなければならない所。
 最低気温は−1.8℃の寒い日。そのお宅までは、バイクで約30分かかります。

 赤いヘルメットにマスクという怪しい出で立ちで、いざスタートです。

 着物でバイクに乗ると、たもとから風が入ってきて、背中のほうに回り込んできます。時々、背中を風で膨らませてバイクで走っているお坊さんを見かけますが、実に寒い!
 和装コートのたもとをマジックテープで閉まるように工夫しましたが、それでも風が入ってきます。

 本当に寒い日は、寒さで顔が刺すように痛みますが、今日はそれほどでもありませんでした。

 お宅の前について、ヘルメットとマスクを外し、少し鼻水を拭いて、中へ。挨拶をして早速読経を始めました。

 木魚を叩いてお経を読み始めてしばらくした頃、唇あたりに、したたりを感じました。
 ??? 鼻水? したたりは、上唇から下唇方面を目指しているように思われます。

 右手は木魚を叩いているので、たもとからハンカチやティシューを出すわけにいきません。左手で左のたもとからそれを出すことは可能ですが、後ろで拝んでおられる方には、かなり変な動きに見えるでしょう。

 しかたがありません。
 唇を歪めながら、鼻水が上唇から口の左右に別れて流れながら蒸発し、下に落ちないようにと思ってやってみましたが、お経が読みにくくっていけません。

 後ろに座っている方には、ボクがどんな顔をしてお経を読んでいるか見えていませんが、正面でこちらを向いておられるご本尊には丸わかり。
 きっと、「なんという顔をして、読経をしているんだ! もっと、一心にやりなさい!」と、ご本尊は思っておられたことでしょう。

 鼻水が上唇から落ちる寸前で木魚のパートが終わり、コソッとハンカチで鼻水を拭き、何とか次のパートに移りました。

 あー、やれやれ。

 来月も寒い日だったら、車で行って、少し離れたコイン駐車場に置いておこうっと。
2004年1月25日(日)  No.150

何でもありの1日
 朝から急いで更新作業を終え、法要を1座して早昼。愛宕念仏寺の息災護摩供法要へ。

 この法要は、屋外での採灯護摩。例年、雪などに見舞われ、時には肩に雪が積もってくることもありますが、今日は幸いなことにおだやかな快晴。よかったぁ。
 昨年は、この法要に出仕した後、インフルエンザに罹り、医者に行っても特効薬が品切れ、「ゴメンナサイ」と言われ、しばらくダウンしていたのでした。

 本堂内での法要と屋外での護摩供の約2時間、公朝先生のことを口にする人はほとんどなく、それがかえって皆さんの深い思いを表しているかのようでした。


 終わってボランティアの事務所で、新人トレーニング。2年間研修を積んできた新人を最終評価するための個人審査のようなものを担当しなければなりません。

 最終評価をつけるボクの意見が、新人を正規のボランティアとして認めるかどうか大きく左右するため、これは責任の重い作業。
 自分が人を評価できるのかという煩悶を自らの中で反復しつつ、立場的に携わらなければなりません。また、ダメ出しをするなら、相手がそれに納得し、さらなる研修を進めて行こうとされる意欲を起こしていただけるようにしなければなりません。

 2年間の研修は有料で、その額は安くはありません。それでも、膨大な時間とエネルギー、それまでの自らの生き方を根底から問い直されるようなリスクを払ってででも参加されるエネルギーってなんだろうと考えさせられました。


 帰って食事を始めたのが10時過ぎ。お酒を呑んでポテチン。

 何でもありの1日でした。
2004年1月24日(土)  No.149

なんてことない1日
 昨日の誕生日、実は風邪気味で、大事をとってずっと寝ていました。

 その甲斐あって、今日はほぼ回復。外回りの仕事を終えて、帰りにパソコンのハードディスクを買ってきました。
 前日、ハードディスクがいっぱいだよという警告が出てしまったのです。

 40Gのハードディスクがいっぱいになるなんて、かつては考えられなかったことです。
 とりあえず80Gのハードディスクを買って、乗せ換え。中身をコピーして起動できるまでに、思いのほか時間がかかってしまいました。

 パソコンって、人間より楽です。
 人間はその時の気分などによってムラがありますが、機械は原因と結果がハッキリしています。そんな機械の故障を直すのも、論理的な作業です。

 論理的ではないボクがそういう作業を面白がるのも、これまた面白いことですし、それとはまったく逆の「心」に関わるボランティアに参加しているのはとても不思議。

 そんな作業が終わって、明日の更新の準備。明日は忙しく、更新にかける時間が足りないので、早めにかかりました。
 でも、やっぱり当日じゃないと気が乗りません。夜1時前までやって、降参です。

 書いてみると、なんてことない1日でした。
2004年1月23日(金)  No.148

誕生日
 今日は誕生日。多くの方々から、お祝いのメッセージをいただき、感激でした。

 小学生の頃、死ぬってどういうことだろうと、時々考えました。死んだら身体がなくなることはわかるけど、今こうして考えている心はどうなるのだろう…宇宙に行くのだろうかとか。
 結局、考えることが恐くなって、それ以上深く考えることを避けました。

 でも、祖母は自分より確実に先に逝く。今、食べているこのお菓子も、ひょっとしたら祖母はもう食べられないかも知れない…そんなことを考えて、半分を祖母にあげたりしたこともありました。

 思春期の辛い時は死にたいと考えたこともあるし、太宰のようには嫌だけど、啄木のように27歳ぐらいで終わりにしたいなぁなどとも考えたこともありました。

 誕生日の夜明けの夢の中に、死ぬってどういうことだろう、そういえば小学生の頃によく考えたなぁとという思いが湧いてきました。

 死んだ後どうなるかはいまだもって確信を得ていませんが、いつの頃からか、死ぬ時は温かい白い光に包まれるのだということを実感に近い形で確信するようになり、それは気持ちいい瞬間だろうなぁと思えるようになりました。

 あと何年生きられるでしょう。その間には、いろいろなことがあるでしょう。
 まぁ、完全燃焼をねらってまいりましょう。
2004年1月22日(木)  No.147

養源院 大般若
 今日は、三十三間堂の隣、養源院の大般若転読会の法要。
 1・5・9月の年3回、秀吉も信仰したという大聖歓喜天の御宝前で、大般若経全600巻を転読します。

 「転読」とは、経本を高く掲げて、上(左手)かた下へ(右手)へパラパラとめくる?ことによって読んだことにする読誦法で、 一字一字読むのでなくても、その経典の偉力が伝わり、功徳をたまわるとされています。
 自分で転読しなくても、そこを渡ってくる風に触れても、功徳があるのだといいます。

 転読している間は、1巻1巻「転読文」を大きな声で唱え、パーンと打つように積み重ねていきます。

 「大般若波羅蜜多経巻○○ 大唐三蔵法師玄奘奉請訳
  諸法皆是因縁生 因縁生故無自性 無自性故無去来 無所得故畢竟空
  畢竟空故無所得 無所得故 是名般若波羅密多 南無一切三宝
  無量広大 発阿耨多羅三藐三菩提心
  降伏一切大魔最勝成就」
    《大意 諸法は皆是れ因縁より生ず。因縁生の故に自性なし。自性なきが故に去来なし。去来なきが故に空なり。空なるが故に所得なし。所得なきが故にこれを般若波羅密と名付く。一切の悪い心を取り除き、清浄な人間として完成することを願う。》
 西村公朝さんは、その最後にパーンと打つことで「お経の中の1字1字が本の中から飛び出して、お堂の中にいっぱい充満するんですわ」と、愛宕念仏寺の大般若の時、参詣の人に説法されていました。


 養源院の場合、ご本尊の聖天様の祀られている部屋は、私たち出仕の僧にもまったく見えません。
 導師だけがその部屋で修法をされ、出仕僧はその次の間に居て、導師の気配や声を頼りに法要を勤めます。

 600巻を4人で転読するわけですから、1人150巻を受け持ちます。
 人によって、少しずつペースが違いますから、他の3人の進み具合を見ながらの転読。
 「あ、遅れているなぁ」と思って焦ったら、パラパラがうまくいきません。

 養源院の仏間は締め切られていますが、他のお寺ではサッと風が吹いたり、夏の暑い時など参詣者が扇子などであおいでくださって、経本が風で流されることもあります。

 大きな声で唱えたり、パーンという音がしたり、かなり賑やかな法要です。

 今年最初の養源院の大般若、大寒の名の通り、寒〜い日でした。

〜数年前?の養源院大般若転読会法要〜
2004年1月21日(水)  No.146

温泉卵
 今日、オークションで落札したものが届きました。

 ISDNのターミナルアダプタと温泉卵の器具。

 ターミナルアダプタは、以前、落雷で故障して、交換するまで電話が不通になってしまったので、まさかの時のための予備。
 テストしたらちゃんと動きました。新品では15000円ほどするのが、型落ちの中古で1000円。

 温泉卵の器具は、ヨーグルトも果実酒も作れるというもので、新品・未使用。同じものを持っている上にまた貰ったとかで、出品されたようです。

 さっそく温泉卵に挑戦。なんのことはありません。室温の卵を器具に入れて、熱湯を注いで20分置いておくだけ。
 器具は冷めにくい2重構造になっているのですが、これなら他のものでも代用して作れそうです。

 20分経って、水で冷やし、出汁とみりんと醤油で作ったタレをかけて出来上がり。
 うまい! かたまり加減もバッチリ! これは癖になりそうです。

 そのうち、サンシュユの枝でのヨーグルト作りなどに挑戦してみます。


 ニュースで、オークションを悪用した詐欺のニュースをやっていました。確かに、悪用しようと思えばいくらでも方法があるでしょう。あくまでも参加は自己責任ですから。


 ターミナルアダプタでも、オークションがなければ捨てられていたでしょう。まだまだ利用できるものを、必要な人に回す。そういう意味で、オークションは循環型社会の一つの手段だと思います。

 まだまだ使えるものが捨てられていくのを見るのは嫌ですね。

 雨ざらしになって道ばたに捨てられていたパソコン。拾ってきて、今も現役で動いています。最新のことは出来ませんが、「適材適所」。人もそうじゃないのかなぁ。
2004年1月20日(火)  No.145

盆梅展
 所用で福井まで行った帰りに、滋賀県長浜市の「盆梅展」に立ち寄りました。

 観るのはこれで2回目。
 「ちょっと早かったなぁ」という感じで、まだ蕾のものも多かったです。
 毎年80〜100鉢ほどが出展されるようですが、今年はなんか少ない感じ。あまり咲いてないからかな。

 この盆梅展、50年ほど前に始まったといいますが、梅自体は樹齢約400年といった古木や高さが2メートル以上のものもいっぱいあって、壮観です。

 湖北の長浜近辺では、古木を山野から採ってきて、長い年月丹精込めて盆梅に育てあげるとか。
 季語に「探梅」という季語がありますが、まさに梅を探して山野を行くわけです。いささか意味は違いますが…。

 梅、いいですね。ボクは桜より好きです。寒い中に凛と咲いている感じ。

 梅って中国産なのですね。遣隋使か遣唐使が中国から持ち帰ったらしいです。そういえば、中国の絵などにたくさん描かれています。桜は、あまり見ません。
 最初は白梅が流行し、平安時代になると紅梅がもてはやされたとのこと。当時は「花」といえば梅でしたが、次第に桜にその座を奪われてしまいます。

 枯淡のあじわいというのでしょうか、桜ではこうはいきません。

 「盆梅展」、オススメですよ。
2004年1月19日(月)  No.144

片づけ
 お寺の仕事がない日曜日なんて何ヶ月ぶり。土日はだいたい忙しいのです。

 「よし! 天気もいいし、今日こそ部屋の掃除をしよう」と朝から掃除。

 3年ほど前からため込んでいた郵便物の整理、学校の書類の整理、カバンの中の整理などをしたら、紙の買い物袋に4つ、ゴミのビニール袋に1つ、ゴミが出ました。こんなに要らないものを、後生大事に持っていたんだ…。

 そのゴミの山から、デパートの商品券1万円分を発見! ラッキー!

 夕方近くまでやって、ほぼ完了! でも、まだ机の上は本の山。本って、なかなか捨てられないのですよ。これもいつかやらなきゃなぁ。


 年末に漬けた大根と白菜のぬか漬けを食べてみました。

 ん〜〜、塩辛いだけ。ぬか床の準備が遅かったため、ぬかのうま味がまだ出ていません。
 水にさらして塩抜きをして、醤油の味でごまかして食べました。
 
 去年も最初は塩辛く、食べきってしまう頃に美味しくなってきて、もう1回漬けようかと思ったのです。

 もうちょっと待ってようっと。


 このコーナー、ぜんぜん「僧坊」らしくない閑話。いかんわ。
2004年1月18日(日)  No.143

掃除とオークション
 法要とホームページの更新が終わったら、もうすっかり夕方。雪の予報も外れ、1日中時雨れていました。


 正月前に自室の掃除ができず、そろそろ限界。ほんまに汚い部屋。よし、今日は掃除をしようと発心。

 まずは、いっぱい出ている洋服を片づけようとしましたが…1日に衣〜外出着〜作業着〜普通の服を往復して着替えるので、着かけの服だけでも数着。結局、片づけられないとさっさと諦めてしまいました。

 年賀状を片づけようかなぁと思いましたが、お年玉が当たっているかどうかも調べなきゃいけないし…とりあえず、旅行の荷物を片づけて……


 先日、ライブカメラ用のビデオをオークションで落札してから、ちょっとはまっています。
 片づけをしながら、時々パソコンの前に座って、何かいいものはないかとオークションサイトを見てしまいました。

 旅行に行ってから欲しくなったのが、温泉卵を作る器具。下呂の帰りに車中で食べた温泉卵が美味しかったので、自分で作りたくなりました。
 見れば、ヨーグルト・果実酒・温泉卵が作れる機械があったので、それに入札。
 サンシュユの枝でヨーグルトを作るという宿題も、これがあれば出来るかな。

 落雷などで壊れた経験のあるISDNのターミナルアダプター。壊れたらすぐに交換できるように予備を持っておこうと、これも入札。

 どちらも千円程度の入札額のものです。他の人がもっと高い値をつけても、競ってまで落札するつもりはないので、あとは放ったらかしです。


 何だかんだしているうちに、掃除はそっちのけ。年を越した自室の掃除は、いつになったらやり遂げることが出来るやら。

 まぁ、あまり真剣にはやろうと思っていないということですね。
2004年1月17日(土)  No.142

作業所見学
 ボランティアの新人養成の一環として、精神障害者の小規模共同作業所に新人を引率してきました。
 14日に続いて2回目。合計3回10人を引率します。

 作業所をご覧になった方は多くはないと思いますが、精神や知的障害の作業所の多くは普通の民家を借りて開かれています。

 今日行った北区の作業所も、住宅街の中の、木造モルタル塗りの小さな2階建て民家。ここで定員25名の方とスタッフ4名が過ごしておられます。

 「精神障害者」というと様々な事件を連想される方も多く、そういう偏見から施設を作ろうとしても反対運動が起こったり、いわれのない差別を受けることが多くあります。
 精神障害の本当の姿を知らないからなのですね、知らないし、様々な事件が起きると、極端な話、精神障害者みんながナイフを持ってわけのわからないようなことをする人たちだと思ってしまったりするのです。まったくの誤解です。

 かつて精神分裂病といわれた統合失調症は100人に1人程度の割合で発症しますし、ウツはもっと多いでしょう。きっと、回りにもおられるはずなのです。精神病は、他の病気と同じ、誰もがかかる、ごく普通の病気なのです。

 スタッフの説明を受けた後、作業を一緒にしました。
 夜店などの金魚すくいで捕った金魚を入れるビニール袋に持ち手となるビニール紐を通す作業。1枚1円です。1時間やっても50枚できるかどうか…。
 不況で内職作業も減り、箱折りなどにしても、工賃1円、2円といったものがほとんどです。

 作業をしてそのお金で生活をすることは不可能ですが、作業所に来ることによって、同じ病気の人たちと気持を分かち合うことができます。家族でさえも、なかなか難しいことです。

 作業所は安心できる「居場所」でもあります。ボク自身にとっても、そこは安心で、居心地のいい空間です。

 今回引率していった人たちは精神障害者の方々と必ず関わるのですが、彼・彼女たちの実像を本当に理解してくれたかどうか、まず第1歩かなぁ。
2004年1月16日(金)  No.141

阪神淡路大震災
 最近、夜6時頃のテレビでは、関西のどの局もが阪神大震災関連の番組を放送しています。でも、それを見るのは複雑な気持ちです。

 震災後、炊き出しや救援物資の搬送、連絡のための会議、ボランティアの送り込みなどで、何度神戸を訪れたでしょう。

 最初に行った時は、まだ救助犬などが出て行方不明者の捜索をしていましたし、土壁の濡れた匂いや焦げた匂いが街を覆っていました。避難所にいる人たちは憔悴しきった顔をされていました。

 いま、街はほとんど復興しました。
 でも、そこに住んでいる人たちがどんな暮らしをされているか、どんな気持で過ごされているか……テレビは震災後の影の部分を映し出していました。

 被災されたたくさんの人たちに出会いましたが、その人たちの中にはいま決して幸せに暮らしておられない方も多いでしょう。

 テレビを見ていると、「どうしておられるだろう…」とその方々のことを思い出され、今も辛い境遇にある人のテレビ映像を見るのが辛くなって、チャンネルを替えてしまいます。

 もう9年? まだ9年? それは様々だったでしょうが、突然の災害で、人の人生ってこんなにも大きく変わってしまうものなのですね。
2004年1月15日(木)  No.140

門松取る
 暗くなって帰ってきたら、門には門松、玄関には注連縄がまだ取ってありません。

 いつもは住職が取るのですが、忘れているのか、大して気にしていないのか…。放っておいては格好が悪いので、寒い中そそくさとかたづけました。

 門松や注連縄を取ると、いつもの、普通の光景に戻りますが、付いている方が何となく雰囲気が引き締まっていいですね。

 お正月もこれで終わり。まぁ、とうにそんな気分ではありませんが、でも、もう1年の1/24が過ぎるのですね。

 冬至を過ぎて、ほんの少し日が長くなってきた気がします。日が短いと損をした気分になります。嬉しいです。


     日 の 暮 の と ろ り と 伸 び し 松 納     甲子雄
2004年1月14日(水)  No.139

最終講義
 今日、龍谷大学の今年最初で最後の授業。来週からは定期試験週間に入り、その後は入試になるため、今年度は終わりです。

 今日は、今年最後というより、10余年の講師が終わりという大きな節目でした。

 今講師をしている「伝道情報論」という科目、数年前に新規開講されてボクがずっと講師を勤め、学科廃止に伴って、今年度いっぱいで終わりになるのです。

 龍谷大学の前には、佛教大学でターミナルケアの専修コースで、病院実習の担当をしていました。
 学生を病院に連れて行って、臨床で患者さんの話を聞かせていただいたり、患者さん向けの行事を企画したり。
 学校当局のポリシーとやる気の無さに辟易し、そういう状況をどうしようもできない学生への申し訳なさを恥じてそこを辞し、たまたま入れ替わりにまったく違う領域の今の講師に就いたのでした。

 そんな講師の仕事も今日で終わり。

 なんといっても、学生たちとの出会い、ふれあいが最高でした。

 今日は、昨日の成人式で帰省から戻らない学生が多く、淋しい最終講義となりました。みんなの顔を見たかったなぁ。

 授業半ばで、「い、今、帯広から帰りです」と駆け込んできた学生が、最後に、「2年前の学生の○○って知っていますか?」と聞いてきました。
 正直、最近、人の名前がなかなか覚えられないのですが、「以前、バイト先で先生に会ったって…」「あーーーーーー」
 一昨年、木屋町でたまたま入ったパブで、卒業した後のその学生に出会い、「先生、これオゴリです」とおつまみの盛り合わせをご馳走になったのでした。
 「それ、兄なんです。先生の授業は面白いからって勧められたのです」
 面白いっていっても、得意の?ギャグを連発しているわけではありませんが、ひとり一人の学生のパソコン卓を回って雑談しながらの授業なので、学生は「フレンドリー」な先生と思ってくれているようです。
 うれしいですね、お兄ちゃんに勧められて、受講を選択してくれたなんて。

 足かけ10余年の講師もこれで最後かぁと思うとウッと来ましたが、冷静を装って、最終講義を終えました。
 さて、成績をつけないと。
2004年1月13日(火)  No.138

「屋台のとおる町」
 高山に来ると行きたいと思う桜山八幡宮の前にある「はちまん洞」という一位一刀彫の小さなお店。

 高山に一刀彫のお店はたくさんありますが、このお店の特徴は工夫を凝らした木工細工とご主人のギャグ。
 客がお店に入ってくると、ご主人のギャグが自動的に始まります。

 木で作った扇子形の箸入れを渡され、「それは何ですか?」と尋ねられて、「扇子」と答えると、「センスがないですね」とまず言われます。「以前これを無理矢理開こうとした人がいまして、そういう人は“ナンセンス”と言うのですね」。
 起きあがりこぼしになっていて、顔面を下に向けると目が飛び出すようになっている「目(芽)が出るダルマ」などなど、ご主人は淡々と駄洒落を続けます。時折、シモネタも飛び出します。

 ボクが度々行くのは、そのギャグが聞きたいからではなくて、駄洒落の勝負に行くわけでも、指導に行くわけでもありません。

 この店の高山の山車をモチーフにした からくりの木工玩具が、ずっと以前から欲しかったのです。

 高山祭に、からくりを多用した屋台が出るのは有名ですが、この玩具にも飛騨の匠の技を使って人を楽しませようとする意気を感じます。

 持ち手の付いたハンドルを回すと、2つの屋台が台の上で縦横に交差しながら動きます。
 箱には「屋台のとおる町」と書いてありました。狭い高山の道を、屋台が通り抜けていく様子が彷彿と沸いてきます(ちょっと大げさかな)。

 山に登る経過地として、あるいは降りた時の通過点として、高山はよく訪れる町ですが、登る時にそんなものを持って行けませんし、降りた時は時間的な余裕がなかったりして、ずっと求めることが出来ないでいました。

 今回、10数年来の宿願がようやく叶いました。すごく嬉しくて、ニンマリ、ニンマリです。


 帰路には、下呂温泉に立ち寄りの湯。下呂に行くのも初めて。そして最後は、定番の名古屋駅新幹線ホームで、立ち食いのきしめん。


 大満足の寒中飛騨旅行でした。

〜写真は「屋台のとおる町」〜
2004年1月12日(月)  No.137

雪の飛騨路
 飛騨には何度も訪れたものの、古川の町へは今まで行ったことがありませんでした。

 NHK朝の連続テレビ小説「さくら」の舞台となった古川。古川は和蝋燭でも知られた町です。

 親鸞聖人の命日前夜1月15日には、市街地中心部の3カ寺を巡拝してその恩を偲ぶ「三寺まいり」が行われ、白壁土蔵などの古い町並みや瀬戸川沿いに、千本ろうそくや2mを越す巨大な雪像ろうそくが燈され、町中が幻想的ムードに包まれるとか。

 道は雪に覆われ、雪かきをする人の姿もチラホラ。そんな道を歩くのは初めて。一部はアイスバーンになっていました。

 リヤカーの荷台を板で囲い、ぞろぞろと子供たちが幾組にも分かれて町内を回っています。
 何が入っているのだろうとその荷台を見たら、お正月の注連縄とかです。どんと焼きがあるようで、それを町内の子供たちが集める風習があるのでしょうか。

 町の家々の前には、雪で作った輪蝋燭の準備が進んでいました。円筒方の雪の胴体部分を削って和蝋燭の形にし、芯の部分に小さな行灯をのせてあったりします。

 雪深い飛騨の町を堪能し、高山に戻って、夜は熱燗。身を切られるように寒い夜でしたが、高山の人たちには「昨日でなくてよかったですね」と言われました。

 金曜日の最低気温は−12℃、土曜日は−9.7℃。今日はさほどではなかったようですが、気温は上がらず、最高気温でも−0.2℃。

 雪かきやアイスバーンの道、厳寒の地に住まれることの大変さを感じました。

〜写真は、飛騨古川の町並みと雪で作った和蝋燭〜
2004年1月11日(日)  No.136

めまぐるしい1日
朝から、檀家宅に3軒うかがい、午後は「メダカの学校」。その合間を縫ってのホームページの更新。終わって、明後日行われる初釜のための部屋の模様替え。
本当にめまぐるしい1日でした。

学校には、HPの常連さんも来てくださり、とても嬉しかったです。

更新をご覧になった方からは、「今日はギャグがないけど、体調が悪いのですか?」というご心配メール。
ボクだって、ギャグ抜きの時間もあるのですよ。でも、やっぱりギャグを期待してくださってる方もおられるのかなぁ……なんだか複雑な気分です。


昨日壊れたボイラーは、交換する機械があったようで、外回りから帰った頃にはほぼ工事が終わっていました。
昨日、すっかり冷めたお風呂に入り、今日は風邪気味。しみじみとそのありがたみを実感しました。
今度のボイラーのリモコン、いちいち丁寧に「お風呂が沸きました」としゃべってくれます。
「はいはい」とそれに反応している自分もおかしいなぁ。

それにしても、見積書「346,000円」。あーーーーー。
2004年1月10日(土)  No.135

ボイラ……
 夜8時頃、お湯が出ないことに気がつきました。いろいろやってみましたが、お風呂も沸きません。
 さっきまで出ていたのに、突然。都市ガスのボイラーが、ウンともスンとも言わないのです。

 このボイラーで、お風呂を沸かす他、台所や洗面所、客用の簡易流しなどへの給湯、エアコン2台、浴室乾燥機を稼働しています。エアコンや乾燥機は、ボイラーで沸かしたお湯で空気を温め、送風するようになっているのです。

 「もう連絡がつかないだろうなぁ」とほとんど諦めながらも、契約しているメンテナンス会社に連絡すると、「伺います」と。今、係員が長岡京市にいるから、こちらに着くのは9時半頃になる。リモコンパネルの表示からみて、簡単に直る故障ではないでしょうとのことでした。

 「来てくれるんだ…ありがたい」

 9時過ぎに係の方が来て下さいました。

 結論として、ボイラーの交換。
 12年間使っているし、一部を交換しても、他の部品も劣化していることが考えられるので、また故障を繰り返すことが考えられる。
 家庭用の最大機種なので、費用は30数万円。
 明日、在庫を確認するが、すぐに交換できるかどうかは、今わからない。

 えぇ! 30数万?! ウワォー!

 「とりあえず、今晩のお風呂だけは入れるようにします」と、無理矢理沸かすので火災の心配もあると、付きっきりでお湯をはってくださいました。
 追い炊きや注ぎ湯はできません。

 しばらくしてからお風呂に入りましたが、どんどん冷めていくし、浸かれば浸かるほど寒い!

 普段は意識しませんが、こんな冬の寒い日、お湯の有り難さをしみじみ感じました。

 あー、さすがにボイラーは直せない……トホホ。
2004年1月9日(金)  No.134

雪中アンテナ工事
 朝から雪降り。新聞を取りに行っただけで、結構濡れるほどでした。

 雪がやんで陽がさしてきたので、「これなら大丈夫」と思って、工事に取りかかったのですが……。

 工事は、アンテナ線が長いために信号が弱り、テレビ画面が砂っぽくなってしまうので、ブースターという信号の増幅器を取り付け、ついでにアンテナ線も新しくしようというものです。
 年末にテレビが映らなくなって買い換えました。それまではテレビ自体の写りが悪くて砂っぽいことはわからなかったのですが、新しいテレビでは、特に高性能なテレビではないのですが、目立ってしまったのです。

 古いアンテナ線をはずして、屋根に登って機器を取り付けようとしている矢先に、また雪が降り出しました。時折、青空が見えるものの、結構降っています。

 でも、このままではテレビはまったく映りません。何とかやってしまわないと。

 さすがに寒かったです。

 手がかじかんで、ペンチやドライバーがうまく使えません。ネジを落としたり、目に雪が入ったり……。

 午後からは雪もやみ、屋根も乾いて登ることができるようになり、結局4時間ほどかかって完成しました。

 映りはバッチリ!

 背中にカイロを貼っていましたが、体の芯まで冷えてしまって、夕方までもとに戻りませんでした。

 今日の最高気温は、今冬最低でした。ホント、何もこんな日にしなくてもよかったのに。
 思い立ったらやらずにいられない性格が禍しています。
2004年1月8日(木)  No.133

マァー ヨイ ヨイ
 檀家宅へ拝みに伺った帰り、所用があって祇園甲部歌舞練場の前を通ったら、殺気だった年輩の男性数十人の人だかり。

 「なんだ、こりゃ!」

 よく見ると、皆、カメラ親爺さんたち。もしや…。

 予感は的中。カメラ親爺さんたちの狙いは、芸舞妓さんたち。
 今日は芸舞妓さんたちが、今年1年の技芸向上を誓う始業式。祇園甲部歌舞練場には、黒紋付き姿の芸舞妓さん約100人が集まったとか。

 カメラ親爺さんたちは、平素から夜陰に乗じて芸舞妓さんたちを狙っているのですが、今日は昼間だし、芸舞妓さんたちも大挙していますから、写真を撮るにはまたとない好機。

 撮られるのも芸舞妓さんたちの仕事のうちと言ってしまえばそれまでですが、紅葉の時に先陣争いをするカメラ親爺さんたちから推察して、今日も傍若無人で失礼な行動を取っているのは間違いありません。

 これぞまさしく「パパラッチ」。舞妓さんたちがかわいそう。


 晩酌の酔い冷めやらぬ中、沖縄民謡を大きな音でかけて、「サァー ユイ ユイ」などと合いの手を入れながら、ようやく年末調整関係の書類を仕上げました。

 多少間違っていても、「マァー ヨイ ヨイ」。
2004年1月7日(水)  No.132

終わり!
 今日は今年一番の寒さ。今日は小寒ですもの、その名にかけても少しは寒くないとね。


 年頭回礼も、まとめて回るのは今日で終わり。今日は、東山区、下京区、中京区、右京区方面。

 例年、室町などの呉服問屋街を通ると、礼服を着て年頭の挨拶回りをする人を見かけますが、昨日が御用始めというところが多く、今日はほとんど見かけませんでした。


 年末に漬けた大根。まだ漬かってないのはわかっていましたが、待ちきれず、夕食に1本食べました。少〜し漬物の味がするけれど、まぁ、萎びた大根サラダかな。

 それに大根辛い。もう少し漬かれば、それも消えるかなぁ。


 どうも最近、自宅サーバーがよく落ちます。これで3〜4日連続してかな。困ってしうまうなぁ。今日、根幹部分のプログラムを入れ替えました。これでしばらく試し運転です。
2004年1月6日(火)  No.131

余裕なし
 今日も年頭回礼。

 寺の近くから始まって、左京区、北区、上京区あたりの60軒を回りました。

 例年は住職と回っているのが、今年は一人で回っているため、車の運転とご挨拶をしなければなりません。家の前に車を止められないお宅もあって、離れたところに止めて、お宅まで行って…としていると、例年より時間がかかります。

 「今年はお越しにならないのかと思っていました」と言われること数回。エ〜ン。

 お昼は、コンビニのサンドウィッチとホット・カフェオーレを走りながら。でも、サンドに入っている卵焼きのまずいこと。

 7時間、回り詰め。今日は、景色を楽しんでいる余裕はありませんでした。
2004年1月5日(月)  No.130

年頭回礼
 今日から、檀家さんの家々を護符を持って年始の回礼。回るのは市内中心部の170軒ほどで、4日間ほどかけて。

 今日は3が日より寒くなって、時雨れてきそうな空でしたが、街中には結構色々な花が咲いていて、「花を楽しみながら、気持に余裕を持って回ろう」と自分に言い聞かせながら車を走らせました。

 こういう風習はだんだんなくなっていきますが、今でも禅寺の若い雲水が、訪ねる家の住所か略図などを書いた紙でしょうか、何度も確かめながら歩いている姿を見かけます。 バスと徒歩で回っていてはとてもラチがあきませんが、僧堂にいる雲水を使った人海戦術でしょうか?

 お盆のように何日の何時に伺うと連絡してないため、お留守の家もあり、そんな場合はポストに護符などを入れて帰ります。
 中には、投函物が家の土間に落ちる構造のポストもあり、護符が地面に落ちてしまうのにはちょっと困りますが…。


 夜は、今年初めてのお通夜でした。


 帰ってからは、年末調整後の提出書類の作成。

 お寺は、お布施をそのままお坊さんの生活費に使うと考えておられる方も多いと思いますが、さにあらず!
 お布施などはいったん法人会計に入れて、そこから経費や人件費を支出します。お坊さんも給料制になっているのですよ。

 こういう提出書類の作成・計算って、ホントに苦手です。

〜満開のロウバイ見っけ!〜
2004年1月4日(日)  No.129

三が日
 今日は来客対応をしながら、定例の更新と、加持の済んだ護符の発送作業。

 来客は、午前中は昨日より多いような感じでしたが、午後しばらくするとピタッと止まりました。

 帰省モードや明後日からの仕事を控えて、自宅でゆっくりモードに入られる方が多いのでしょう。

 でも、来られる時は、1〜3軒重なることが多々あります。お正月は家族連れ、一族郎党連れの方が多いですから、1軒で10人を超える時もあります。
 来られない時は、まったく来られないのですが、なぜか不思議と。


 「今日の散歩道」の更新には苦労しました。一昨日更新したばかりですからねぇ。最終的に更新作業が終わったのは、夜9時。
 目がメガ疲れました。


 さて、明日からは護符を持って檀家の方々の家に回礼に回ります。
2004年1月3日(土)  No.128

くたびれたぁ
 朝から、腰と肩〜腕が痛く、足裏用のカイロをそれぞれの部位に貼りましたが、どうも調子があがりません。
「えらいこっちゃ」と思っていましたが、今日の人出は昨日の1/4程度で、助かりました。
 昨日出かけて、今日はゆっくりという人も多いのでしょうか、例年の傾向です。

 今日は、いろいろ「内職」をしながらの来客対応。

 明日、お加持をする護符の発送準備。遠方の檀信徒やネットで申し込んでいただいた方など約400軒の宛名ラベルとメール便のシール貼り等々。

 10日までに納付する昨年後期分の源泉徴収税の計算もしましたが、3度電卓を入れたら、3度とも答えが違う有り様。
 こういうのは大の苦手なのです。でも、以前は、京都府下のお寺に源泉事務の指導に回ったり、『何もしていない住職さんへ』という寺院向けの源泉事務のマニュアル本を執筆したこともありました。とんでもないことをしていました。

 夜、いつもなら西村公朝師が年頭の挨拶に来て下さるはず。今年はそれも叶いません。 公朝師は、お越しになって師匠にあたる祖父の位牌を拝まれ、その後、我が家自家製の巾着を食べられるのが常でした。
 半切りした油揚げの中に、銀杏、キクラゲ、筍、頭芋、にんじん、蓮根、海老、筍、わらび、かしわなどをいっぱい詰めて干瓢でしばった大きな巾着を、美味しそうに、お腹がいっぱいでも「巾着をもらえますか」と求めて食べられました。

 年中行事の時に、今は亡き人を思い出すことって多いですね。

 年末からのくたびれが出たのか、ただの呑み疲れか、今夜はお酒も抜き。まぁ、たまには休肝日もいいでしょう。
2004年1月2日(金)  No.127

元旦
 1年最初のお勤めが終わり、お屠蘇とお雑煮をいただいて、小休止。

 10時頃から、檀家の方々が三々五々お越しになりました。

 今日来られた方は約300人。子供には市販のお菓子を、大人の方には和菓子とお抹茶を差し上げているので、それだけでもう大変。
 玄関は座りきれない人であふれかえり、ゆっくり召し上がっていただくこともなかなか出来ません。

 来られる方を予想して、墓前にあげる塔婆はおおかた書いてあるのですが、抜けていたり、いろいろなご希望があったりして、書き足さなければいけないケースも多々。お寺の護持会の年会費の納入などもあり、もう目が回るようなありさまです。

 お越しになって年頭のご挨拶を交わしながらも、お名前を思い出せない場合もあります。家の在処、間取りまでわかっていても、名前がどうしても出てこない……お布施の表書きのお名前を横目で見て、「あーー」。

 お昼ご飯は、夕べの年越し蕎麦を立ち食い状態。たまに、たてすぎた抹茶を飲んだり、蜜柑を半分食べたところで来客があったてそのままになっていたり。

 ようやく3時半頃、人並みが途絶えました。

 もう、腰はガタガタ、手が思うようにならず抹茶は泡も立たない状態。

 夕食に濁り酒をいただいたあと、お風呂の湯船でしばらく眠ってしまいました。

 長〜い元旦の1日でした。
2004年1月1日(木)  No.126

No. PASS
 OR AND
スペースで区切って複数指定可能
[日記一覧]
shiromuku(fs2)DIARY version 1.25