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2003年10月の日記

カエル君の家
 吉祥院の前にあった小さな池(水たまり?)を埋めることになり、今朝、その作業をしました。

 菖蒲の根がビッシリ張って、その処理に一苦労。その泥が臭くって…。ズボンはドロドロ。顔まで泥がはねて、“ホクロ”がいっぱいできました。

 もともとは、雨水を再利用して植木などにやるために、廃棄したお墓の縁石を使って、水がたまるようにしたもの。ボクが15年ほど前に作りました。

 作る時や補修にずいぶん時間がかかりましたが、埋めるのはあっという間。排水路として一部を確保して、あとはひたすら埋めるのみ。3時間ほどで終わりました。

 作業中、2匹のカエルに出会いました。1匹は池の中にいたので泥と同じような色を、もう1匹は草むらにいたので緑色をしていました。どちらも、今年、この池で生まれた子供のようです。
 追い払ってもなかなか逃げてくれず、生家がなくなるのを泣いているようでした。この子たちが次に棲む家を考えてやらなければなりません。

 「冬の間は、冬眠していてね。また、新しいお家を造ってあげるから。」

 うう、腰が……。
2003年10月31日(金)  No.64

浄瑠璃寺参詣
 今日、京都と奈良の県境近くにある浄瑠璃寺にいきました。

 なかなか自分からお寺巡りをしようとは思わないのですが、知人に“連れられて”機会を得ました。「牛に引かれて…」じゃないけども。

 実は、浄瑠璃寺は以前からお参りしたいと思っていたお寺でもありました。
 かなり前のことですが、テレビで、池にうつる浄瑠璃寺のお堂の夜景を見て、その幽玄さに心をひかれていました。お堂に灯りをともすと、お堂の中の情景が真っ暗な池に映るのです。
 今回は夜ではありませんし、それはテレビ撮影のために特別に設定されたシチュエーションですが、きっとそれを彷彿とさせる光景が見られると期待していました。

 それにしても遠い。奈良にストレートに行く方がよほど近い気がします。狭い道をクネクネ。ようやくお寺に到着。

 小さな阿弥陀堂の中には9体の、お堂に比して大きな藤原朝の阿弥陀如来が座しておられました。
 説明によると、このお堂全体を御厨子に見立てた建築様式で、お堂の中からではなく、外から拝むようになっているとか。
 ありがたい阿弥陀さまの世界。「こんな仏さまを拝んで過ごすだけの一生を過ごすことができればなぁ」と思いました。

 西から阿弥陀堂、池、三重塔(薬師如来)を一直線に配したさほど広くない境内には、コスモスや貴船菊、ホトトギスなどがごく自然に咲いていました。
 整備され過ぎた空間ではなく、草木がほどよく自由に生きているさまが、見る者の心をほっとさせます。
 池の飛び石では何匹もの亀が甲羅を干していました。

 三重塔の前から、池を挟んで阿弥陀堂を拝しました。ここがボクがテレビで見て感動した映像の撮影ポイントです。
 小春日和の昼でしたが、テレビの夜の場面を難なく思い出すことができ、阿弥陀様の世界をイメージすることができました。“連れられて”来てよかったぁ。

 京都の寺にはない、奈良の小さなお寺の雰囲気が参道にも溢れています。ボクは、この感じが大好きです。

 土産物屋さんの商品は、農作物やその加工品が主です。あちこちで見かけた無人の小さな販売所には、鷹の爪や漬物、さつまいも、小芋、かき餅などが、100円程度で、人々を信用して並べられていました。
 辺りには野仏がたくさんあり、もう一度、今度はゆっくり歩いて回りたいと思いました。

 帰りは、山間をぬって走る道を選びました。

 柿がたわわになった木があちらにもこちらにも。とって、干し柿やさわし柿にしたら美味しいですが、そんなに手間なことをする人が少なくなったのでしょうか。
 きっと、かなり冷え込む場所なのでしょう、もみじの紅葉が京都市内よりうんと進んでいました。

 「手打ち蕎麦」という文字に惹かれて入ったお店。店を出るなり、開口一番、「乾麺じゃないの!」。のぼりは、どこかで買ってきたのでしょう。

 雲一つない秋晴れの日の、得難い体験でした。蕎麦の話ではないですよ。
2003年10月30日(木)  No.63

1日中パソコン
 今日は名古屋行きを取りやめて、朝から12〜13時間ほど、ご飯とトイレとお風呂を除いて、ずーーっとパソコンに向き合っていました。

 十夜法要の案内をメンバー(檀家)に郵送する時に同封する『吉祥』という自坊の機関誌を、大急ぎで作らないと、もうお尻に火がついてきているのです。
 いつも、ギリギリになってしまうので、「もっと余裕を持っていいものを作ろう」と、その都度反省するのですが…。
 結局、完成しませんでしたけれど、先が見えてきました。後は、軽印刷機で刷って、紙折り機と手作業で折って、発送。
 土日で郵便局も休みになってしまうから、発送は週明け。ちょっとゆっくり印刷・折りの作業ができます。

 ○○宗の公式HP作成の仕事もちょこっとしました。OPEN予定から、すでに2ヶ月遅れ。今年中には何とかしたいなぁ。

 「今日はようけメールしたなぁ」と思い、送ったメールを数えてビックリ! 短いものも含めて100通以上。1日パソコンに向かっていると、増えちゃいます。

 でも、これだけ根を詰めてやったのに、今日は不思議と肩が凝っていません。なんでだろ〜♪
 『吉祥』の記事に肩こりのことを取り上げたのですが、原稿を書きながら、肩こり体操を試してみたりしていたからかも知れません。効くんだ!

 あーーー、デスクワークで部屋に籠もっているのが、もったいない日でした。

〜写真はニシキギの紅葉〜
2003年10月29日(水)  No.62

木漏れ日の中を
 朝、車で、出町柳から鴨川沿いを走り、鷹峯に行きました。

 毎週1回はこの賀茂街道を通りますが、そのたびに沿道のケヤキなどが色づくのを感じてきました。
 いよいよいい感じになってきました。対岸の植物園沿いのしだれ桜も紅葉しています。

 木漏れ日の漏れる黄葉の下を快走していると、自分が車のCMの主人公になったような気がします。

 帰りもそんな思いをしたく、同じ道を走りましたが、光の当たり具合で景色はずいぶん違ってイマイチ。せっかく運転しながら写真を撮ろうとカメラをかまえながら走ったのに。

 一つのことに気を囚われれば他のことを忘れてしまう……金魚の藻を買うのを忘れちゃったぁ。


 お腹の中に小さなハリセンボンが住んでいるみたい。何食べたのだろう…。気力で治すぞ!

〜運転しながら撮った写真〜ワイパーの拭き残しの後も〜
2003年10月28日(火)  No.61

恒例の作業
 今日は、疲労と腰痛と腹痛でダウン。夕方から少し復活して、デスクワークを始めました。

 毎年、11月のお十夜法要の案内をするのに併せて、檀家さんに翌年の年回法要のお知らせを出します。その準備に、今年亡くなった方々のデーターを入力する作業をするのが、今の時期の常となっています。
 この作業をすると、「今年も終盤にさしかかったなぁ」という気分になってきます。

 今年、今日までに亡くなった檀家の方は29人。1月にはまったく葬儀がなかったものの、以後は毎月。1ヶ月半の間に、親子が続いて亡くなられたお宅もありました。そういえば、去年は1週間のうちにご夫婦共がなくなったこともありました。

 1霊1霊、データーを入力していると、亡くなった方々のことをいろいろと思い出します。
 馴染みの深かった方、まったくお会いしたこともなく遠いお寺で葬儀をあげられたからなどいろいろですが、生前に度々お目にかかった方や葬儀の時にご遺族からいろいろなことをお聞きした方のことは、やはり克明に思い出します。

 高齢の方が多かったですね。最高齢102才。29人の方の平均は85才ぐらいでしょうか。いくつになられても亡くなられることは辛いものですが、ご高齢だと、まだ救われます。幼い子供とかが亡くなるのは、本当に辛いことです。

 自分のデーターが入力されるまで、あと何年あるのだろう…誰がそういう作業をするのだろう…いろいろなことを考えました。

 昨日は結婚式、今日は死にまつわる作業。諸行は無常なんだぁ。
2003年10月27日(月)  No.60

結婚式…お幸せに
 今日は結婚式(ボクのではありません)。

 そう、以前、結婚指輪を買うのに同伴した人たちの晴れの日です(ちなみに、指輪はサイズの調整やネーム入れをしてもらって、昨日、二人で取りに行ったそうです)。

 絶好の天気。写真屋さんが、「どうしましょう…この天気では外で記念写真を撮るのが難しいのです。屋内で撮りましょうか」と言うほどでした。

 ここ1週間ほど、様々な準備をしてきましたが、その総決算。夜明けと共に、外を掃いたり、最後の掃除機掛けをしたり。さぁ、本番。

 新郎も汗だく。新郎新婦共に京都在住ではなく、自分たちだけではなく親戚の宿泊の手配や細かい段取りをすべて自前で進めて来られましたので、最後まで自分が動かないと仕方がないのですね。

 11時、ようやく式にこぎ着けました。

 前日、リハーサルをしていましたが、本番となるといろいろなハプニングが…こちらも数年ぶりの結婚式。新郎新婦は初めてですから。
 三三九度も、おぼつかない手つき。まだ注ぎ終わってないのに、飲んじゃったとか。ご本人は緊張の連続で、舞い上がって当然。こっちもまさかのミスの連続。

 式がすんだら、どっと疲れました。

 一同が記念写真を撮りに行っておられる間、こちらは披露宴の準備。襖を外し、予め作った図面通りに座布団とお膳を並べ、マイクのセッティング、BGMなどの確認……。

 新婦と新婦のお父さんが作られた Welcome Board や披露宴のメニュー書きなども、通り一遍ではない、手作りのほのぼのとした席を演出していました。

 ほとほと疲れたのと、急に腰痛が出て、8時前に寝ちゃいました。

 今頃、夜行列車から降りて、寒〜い山形・羽黒山に向かうホットな車中かな。

 心から、お幸せに。
翌朝記
2003年10月26日(日)  No.59

明日は結婚式
 明日は、仏前結婚式&披露宴。その準備で今日は大わらわ。

 法事ならお手のものですが、結婚式は数年に1度。
 カワラケなどの用具を買うところから始まって、式次第を作ったり、三三九度の準備を作ったり。
 また、仕出し屋さんが台所を占領するので、それだけでも大騒動。

 あまりに久しぶりなので、段取りが悪くって。

 でも、嬉しいですね、結婚式をするのって。ご本人もワクワクですし。

 ボクが同伴して買われたマリッジ・リングも、サイズを直したり、ネームを入れたりの加工の後、今朝、無事に受け取られたようです。

 明日は本番。お天気のようでヨカッタぁ。

 今夜は、早く寝ようっと。
2003年10月25日(土)  No.58

もらい物の秋
 庭掃除をしていたら、大きなツツジの木の下に、ムカゴがパラパラ落ちているのに気がつきました。木に巻き付いている蔓を見ると、そう多くはないものの、小さなムカゴがまだいくつか付いていました。
 早速、手の届く範囲は手で直接、届かないところは木を揺すって落とし、拾いました。

 収穫はわずかで、ようやくムカゴの炊き込みご飯を3合ほど炊ける程度。人からいただいたものと混ぜて、ご飯を炊こうっと!

 拾っている途中、近所の人が自分の庭になったザクロを持ってきてくださいました。夜になって食べましたが、種ばかりでほとんど“実”はないけど、甘くて、酸っぱくて、少し苦くて、野生の味ですねぇ。
 ザクロを見ていて、静物画が描きたくなりました(絵なんて描いたことはないくせに)。

 松茸を、梨を、あっ魚沼産コシヒカリの新米も、最近いただきました。栗はまだだなぁ…。サツマイモもまだだ。自分で買いなさいって!

 人からいただいたものばかりの味覚の秋、食欲の秋。なおいっそう旨し。
2003年10月24日(金)  No.57

「町屋」風
 朝からバタバタと動き回って、夜は友人と食事に行きました。

 四条界隈の裏通りを歩くと、町屋を改造した店などがずいぶんと増えていました。

 気鋭のデザイナーが設計し、京の食材を凝った器に盛りつけるという、最近特に若い女性に人気だというお店に入りました。
 店の入り口には飛び石があり、カウンターの背景には簾などが吊されて、なんとなく和風を醸し出しています。
 最近流行している焼酎の品揃えもそこそこ。食べて呑んで。人気があるというのもうなずけます。

 注文したものはどれも大きな器に盛られてきました。「この器、片づけておくところが大変だろう」と心配しながら、箸をすすめましたが…。

 結論からいって、どれを頼んでも味が濃く、創作和風料理というキャッチフレーズですが、オリブーオイルとゴマ油で味ばかりが口に残りました。
 焼酎はグラスにわずかで、酒好きのボクには少々ストレス。

 少し食べて、店を変えました。

 違和感のあるしつらえをした町屋で、ファーストフーズ程度の食事。「京風」も、湯葉や麩、京野菜を使っているというだけで、味付けは京風とはほど遠いもの。増えた町屋のお店なども大半はこのようなものでしょう。今まで、この手のお店で食べて、美味しいと思ったことはありません。

 これからの観光シーズン、こんなものを京料理とか京風と思って食べて欲しくないなぁと思いました。

 通りがかった「おでん1皿100円」と書かれたスタンド酒場は、サラリーマンで溢れていました。あー、美味しそう。

 今夜は星がすごーく綺麗。明日の冷え込むのかな。
2003年10月23日(木)  No.56

時代祭初見
 「今日の日記は何を書こうかなぁ」と考えていて、時代祭に行くことを思いつきました。

 行列が御所を出て平安神宮に到着するのは、2時半頃から順次の予定。3時前にバイクに乗って5分もかからずに平安神宮の近くに到着。

 「わぁー人垣だぁ」。人垣の向こうに、のぼりや槍が動いているのが見えます。近づいてみると、人垣は“薄く”、難なく行列を見ることができました。

 着いたときには、太閤秀吉さんの一行が通り過ぎるところで、その後、信長、楠木正成、大原女、淀君、桂女、静御前 と続きました。

 12時の御所出発以降、地元のテレビ局が中継をしていたので、それを実際に目前で見た感じ。

 実は、時代祭、幼少の頃に見たことがあるのかも知れませんが、記憶になく、今回が初見と言ってもいいボク。
 祇園祭の巡行はバスの中から遙か向こうに見たのが1回、葵祭にはかすったこともありません。
 今回が、京都3大祭り制覇の第1歩です! かな?

 第1印象は、「ダラダラした行列やなぁ」というところでしょうか。
 多くの行列は、市内の旧学区単位で構成される講社が担当し、数カ月も前から各学区の小学校などで隊列や着付けの練習をしているそうですが……ダラぁ〜ダラぁ〜と歩いています。

 一番綺麗だったのは淀君でした。祇園のお茶屋さん組合が協力しているとのことで、芸妓さんでしょうか、化粧もバッチリ! ご年配の薪を頭に載せた大原女、おひつ?を抱えた桂女の一団に挟まれて、いっそう美しく見えました。

 「これで日記ネタはできた」と、10分ほど見て帰りました。結構飽きてしまいますね。
2003年10月22日(水)  No.55

匠の技
 今日もめまぐるしい一日でした。

 その合間をぬって、檀家さんが出展している工芸展へいきました。
 会場は、「嶋臺」という元造り酒屋さん。最近京都では、こういう町屋などを活用したギャラリーやレストラン、居酒屋などが流行っています。

 その檀家さんは、もともとは建具屋さんでしたが、建具の需要が少なくなったこともあって、十数年前から茶道具などを作り始められました。大したもので、木工芸展で、京都府知事賞や京都市長賞などを受賞。

 毎月、そのお宅に伺いますが、ご主人が作業をしておられると、それを眺めるのが大の楽しみ。
 神代杉、黒柿、桑などの木地をいかしながら、煙草盆、風炉先屏風などを、独創的な発想で作っておられます。その木目を見るだけでも面白いのです。
 最近は、水車の古材を使った花入れを作っておられました。
 時々、「おっさん、これはどっちがいいと思わはります?」と尋ねられ、ああでもない、こうでもないとしゃべりこみ、次のお宅へ行くのが遅くなったり…。

 会場には、他の出店者の作品も並び、木のぬくもりと匠の技をたっぷり楽しみました。

 夜、会場前の御池通をもう一度通りましたが、明日の時代祭に備えて、パイプ椅子を並べる作業が、雨の中、進められていました。
 大渋滞でした。
2003年10月21日(火)  No.54

迷子
 檀家の転居先を初めて訪ねました。

 JRのトロッコ嵯峨駅の近く。
 住所をたよりに、あとはネットで調べた付近の地図をプリントして持参しました。カーナビなんてついていませんので。

 大体目鼻は付けていたものの、あまり行かない地域なので、ほとんど土地勘はなし。でも、住所をたよりに探し当てる自信は、結構あったのです。こういうの、何となく探偵ごっこみたいで好きなのです。

 京都は碁盤の目というけれど、嵯峨はややこしい。道は細いし、真っ直ぐには通っていません。おまけに、JRと京福電車が通っているので、踏切やガードを探さないと越えられません。
 今までも、何回か道に間違って右往左往した“難所”でした。

 案の定、迷いました。人に聞いて、そっちへ行ったのに、たちまち目当ての町名から外れてしまい、挙げ句の果てに行き止まり。切り返したり、バックをしながらようよう戻って、別の道を行けば、やっと離合できるような狭い道。

 艱難辛苦を繰り返しましたが……諦めました、悔しいけれど。探偵ごっこは、“時効”。

 檀家さん宅に電話をして道を聞いたら、ほんのわずかに離れたところにいました。
 なおさら悔しい!
2003年10月20日(月)  No.53

晴天のガレージセール
 今日は、ボランティア団体のガレージセール。快晴に恵まれた絶好の屋外行事日和。

 ボクは毎年カレー屋さん。といっても、ご飯を炊いて、温めたパックのカレーをかけるだけ。

 朝9時前に、いろいろな道具を搬入。急いで取って返して、衣に着替え、10時と11時の法要を済ませ、一目散にまた会場に。

 いい天気だから、きっと大変な人だろうと思っていたら、会場の手前にある大きなスーパーも閑散としています。嫌な予感が的中し、到着した会場は、出店者のほうが目立っている感じ。こりゃダメだわー。

 ガレージセールの出店は32組。その数も例年よりかなり少なめ。
 会場を無償提供してくれているNTTがやっているBフレッツの体験イベントも、専用バスやイベント嬢を配して力を入れていますが、体験しているのはガレージセール関係者ばかり。風船やボールすくいコーナーでも、ボクがいる間、ずっと同じ子供が遊んでいるだけでした。

 天気がよすぎて、皆、郊外にでも遊びにいっているのでしょうか? ガレージセールが多く開かれるようになって、集客力が落ちていることもあるでしょう。

 閑古鳥の鳴くカレー屋をそこそこに、となりのブースに出店してくれているYMCAのラーメンを食べ、後はいろいろなお店をひやかしてたり、売り込まれて買ったり……植木やケーキ、食器、マフラー、CD、文房具、福引き……いっぱい買いました。
 自分のところの売り上げを伸ばすために、カレーを食べたり、炊き損じた芯のあるご飯で作ったおにぎりを食べたので、もう、お腹いっぱい。

 結局、7〜8人が4時間ほどかかって開いた1杯350円のカレー屋の売り上げは、1万5千円ほど。収益は……。
 スタッフ同士が、お互いのお店で使ったお金の方がよほど多い! たこの足の食い合いですね。

 お祭り気分で楽しかったです。
2003年10月19日(日)  No.51

芸術の秋
 美術館に行きました。

 檀家の83才の木彫家が所属されている「行動美術」という、「自主的かつ独自な在野美術家集団として、個性的な芸術主張とその発表の自由を尊重する」人たちの展覧会。
 絵と彫刻。まったくの抽象画もあれば、具象的な作品もあり、マチエールもいろいろ。彫刻も、石、木、金属、紙、草? などさまざま。

 写真の手前の作品は石で車輪が作ってあり、奥のは白い木の格子の中に彼岸花のオブジェが1本立っています。
 ルノワールやモネなどの印象派が好きな奥様方からは、「何なの、これ!」と言われそうな作品が満載。

 この展覧会の一番いいところは、人が少なくてゆっくり見られるところ。いやいや、自由な雰囲気ですね。彫刻などを見ていても、作っている人が喜々としてやっているような雰囲気があります。
 絵でも、好きな絵もあれば、こんな絵と思うものもあり、一面的ではない、単一価値ではない雰囲気。
 だから、見る方も、わかったような顔をして見なくていい。腕を組んで考え込まなくてもいい。そんな、自由な雰囲気があるのです。

 芸術の秋、美術館を出たときは、すがすがしい気持ちでした。
2003年10月18日(土)  No.50

美酒の効用
 木こり仕事も昼過ぎに一段落。やっぱり、チェーンソーの目立てはほとんど効果がありませんでした。

 今夜は、超宗派の会お坊さんの会「薄伽梵KYOTO」の月例会。久しぶりに、お酒を酌み交わそうということになり、ちょっとリッチに料亭で。

 集まったのは10人。70歳代から40代半ばまでの7宗派のお坊さん。
 利害関係も、上下関係もなく、それだからお互いに信頼しあえる仲間です。

 お酒を呑みながら、「次はこんな事業をしよう」といつも話がまとまるのですが、一晩経つと、「やっぱりあれは迷案だったな」とみなそれぞれ思うのか、次の例会でそれは話題にも登りません。
 そんな酔夢?酔った勢い?を数回繰り返し、今日もまたか……今日は違いました。来年、京都の「土」から派生する文化をテーマにしたシンポジウムを開くことに決まりました。
 これも明日の朝になったら、「やっぱりダメだぁ」となってしまうのかな? そんな……。

 おいしい料理と美酒は、智慧を産んでくれたはずです。いつもより、「投資」したのですから。

 大いにしゃべり、笑った、楽しい一時でした。
2003年10月17日(金)  No.49

16日の木曜日
 今日も、一日、木こり。ヘイヘイホォー

 ナタで木を切りながら、自分が池の畔で作業をしていて、ナタが池の中にポチャッと落ちる想像にかられていました。でも、ナタではダメかなぁ。それに、想像は落ちたところまでで、金や銀の斧のところまでは至りませんでした。

 夕方、チェーンソーの刃を買いにホームセンターに行きました。でも、園芸機械の売り場にあったのは、ヘッジトリマー(生け垣を散髪する機械)とかだけで、チェーンソーもその部品も売っていませんでした。
 京都市内のちょっとしたホームセンターには、チェーンソーはなくて当たり前なのかなぁ。この前も、毛虫の薬が小さい瓶のしかなくて、困りました。
 竹ぼうきも欲しかったのですが、それも売ってな〜い。あのホームセンターは、ホームセンターフェチのボクから見ると、「不合格!」

 ホームセンターを見限って、近所の荒物屋さんによって、竹ぼうきを買いました。
 竹ぼうき、200円ぐらいから3000円ぐらいのものまであるのですよ。さすがに200円は使い物にならないらしいのですが、高いのがいいかというと、穂がぎっしりで重かったりするのです。見た目は美しいですよ。工芸品のよう。でも、そんなほうきは勿体なくて使えません。
 結局、700円ほどのを5本買って車に積みましたが、ほうきの竹が頭に刺さらないかと怖かったです。

 帰ってからチェーンソーの刃を目立て。刃が減っているので、あまり効果は期待できません。

 家の中をチェーンソーを持ってウロウロ。木こりはいつのまにか ジェイソンに…。
2003年10月16日(木)  No.48

切れの悪い鋸
 今日は、朝から夕方まで、一日中、植木仕事。
 たくさんの木を切る作業をしているのですが、道具が悪くて四苦八苦。

 作業を進めるに従って、植木鋸の切れ味がだんだん悪くなり、別の鋸を出してきましたが、これがまた余計に切れない。

 「こうなったら!」とチェーンソーで一気に片づけようとしましたが、実はチェーンソーは前から切れ味が悪く、そろそろ刃を替えるか目立てをしないととダメだと思っていました。
 実際に使ってみたら、切れ悪いノコギリを手でひいた方がマシ。刃が、ぜんぜん木に食い込んでいきません。
 切れない刃物は、力も使うし、余計な力が加わって、事故にもつながりやすい。もーうヤーメタ!

 次は、ナタ。時々、柄から刃がすっぽ抜けて飛んでいくことを除けば、これが一番効率がいい。作業もダイナミック!

 明日もこれでやろうっと。でも、チェーンも買いに行かなきゃ。
2003年10月15日(水)  No.47

幻の和風スパ
 今日も、お葬式、檀家宅での読経、授業、ボランティアの会議とめまぐるしい一日でした。

 授業と会議の間に、移動と少しの時間があったので、「先週はラーメンを食べたけど、今日は何にしようかなぁ……細く切った海苔のかかった和風スパがいいなぁ」とあれこれ考えていたら、ボランティアの事務所から電話。

 「SOS! FAXのリボンが切れたから、何とか買ってきて! FAXが来ているの!」

 「………(和風スパ)」

 大回りして電気屋さんに行ったために時間がなくなり、結局、ローソンの梅干し と エノキ茸のおにぎり2個を買って、車で移動しながらパクパク。

 海苔のかかった和風スパは幻に。実現できたのは、海苔だけ。でも、暗くて、海苔かなんかわからないよー。紙食べているみたーい……
2003年10月14日(火)  No.46

お墓
 雨の中、墓所にいきました。
 通路がぬかるみ、足を取られそうでした。

 朝の散歩の時も必ず通る墓所。真如堂から黒谷にかけて、広大な墓地があります。

 いろいろなお墓があります。
 頭の丸い僧侶の墓、戦争でなくなった方の尖った墓、狭い枠の中に、墓石や灯籠・霊標などをぎっしり建てた墓、朽ち果てそうになって針金で補強してある墓…。
 お墓の色・形って、地方によって違うので、他所に出かけたときなどは興味深いです。
 誰も詣らなくなって荒れていくお墓を見るたびに、人って、大きな時間の流れの中では、ほんのわずかな存在なんだなぁと思います。

 100年、お墓を維持するのは大変なこと。つまり、子々孫々と続くということでしょうが、続いてもお墓の存在を「忘れて」しまう場合もあります。
 歴史に残るような著名な人のお墓でも、時を経るに従って次第に忘れ去られ、荒れ果てていきます。

 そんなふうに考えると、地位とか名誉とは、ほんの些細な、つまらないことだと思えます。
 自分が満足できる生き方、なかなか難しいでしょうけれど、それが最高ですね。

 最後は、ただのカルシウム。撒くなり埋めるなり、遺された人の気の済むようにしてくれればいいかなぁ。

 日記、「お葬式」「お墓」と続きますね。
2003年10月13日(月)  No.45

お葬式
 法要と葬儀と初七日と枕経。行ったきり来たり、めまぐるしい一日でした。

 世は休日。
 火葬場へ向かう車窓から、祭礼の御輿や運動会の色鮮やかな景色、休日を楽しむ人々の姿が見えました。車硝子を隔てて、まったく別の世界のようでした。

 やっと落ちついて、『月刊葬儀』という葬祭業者向けの月刊誌の、急な原稿校正依頼に取りかかりましたが、結構な量があって、終わったのは日付変更直前。もう頭が回らな〜い。

 一日、人の「死」にかかわることばかりでした。
2003年10月12日(日)  No.44

玉虫
 更新のために境内をウロウロし、ドングリはまだ落ちていないかなぁと探していたら、きれいな虫の遺骸を見つけました。

 玉虫です。子供の頃はよく見かけましたが、最近はもう何年も見ていませんでした。

 遺骸は、表側はほとんど無く、羽根や足も取れ、胴体は空洞。裏側だけが残っているような状態でしたが、光の当たり方によって、緑に見えたり赤っぽく見えたり、実にきれいです。玉(宝石)のように美しいということから玉虫とつけられたそうですが、自然の妙技ですね。

 この虫で、仏さまの厨子を作りたいと考えた発想もわかるような気がします。
 お坊さんの衣にも、「萌葱玉虫」という生地?色?があって、縦糸と横糸を違えた織り方で、緑や赤褐色に見えたりするものがあります。

 いまにも壊れそうで、風が吹いたら飛ばされそうな遺骸を、大事に手でくるんで持って帰りました。

 「吉丁虫」といって、おめでたい虫だとか。
 長持に玉虫を入れておくと衣装が増えるという言い伝えもあるようです。

 寒くなってきて、トレーナなどが欲しい季節になってきました。ここ1年ほどは服を買ってなく、何でも作業着にしてしまうので、お出かけ用の服がなくなってきてしまいました。

 半分欠けた玉虫をタンスに入れておいても、服は増えないだろうし…ユニクロに行こうっと。
−写真は玉虫の裏側−
2003年10月11日(土)  No.43

牧師と坊主
 いつも行っているボランティア団体の機関誌の記事を作るため、インタビューを受けました。
 インタビュアーは、牧師さん。お互いしゃべるのはお手のもの? 坊さんと牧師さんの対談のようになりました。
 神父さんではないので、あの詰め襟のような姿ではなく、ボクも僧衣スタイルではありませんでした。そうだったら、またビジュアル的に魅せたかも???

 ボランティア団体の活動を紹介する記事のはずだったのですが、話は宗教や信仰談義がほとんどで、そのうちお酒や趣味の話へとどんどん脱線。
 結局A41枚の記事を作るのに話した時間は1時間半。記事には使えるところがあるかなぁ…。

 記事をまとめる人、ゴメンナサイ。


 夜、枕経へ。
 「おばあちゃん、どうして死んじゃったの」という幼子の言葉に、お経がとまりそうでした。
2003年10月10日(金)  No.42

気持ちのいい雑務
 今日は一日秋晴れ。

 久しぶりに決まった予定がなかったので、今まで放って置いたことをいろいろと。

 外したままになっていた簾、すでに用無しの扇風機、もういいかな木製の網戸…などを片づけ、ちょっと早いけれど入れ替えに石油ストーブを出しました。客間に並んでいた教室形式の机と椅子を片づけて、「メダカの学校」仕様から法要の待合いモードに入れ替えて、廊下を雑巾がけの後、ワックス掛け。外の植栽の植え替え、猫除け網の手直し、金魚鉢の水替え…などなど。
 夕方近くまでかかりました。

 足の不調などでずっと動くのを避け、締切の迫ったデスクワークばかり続けてきた最近。今日の雑務はすご〜く気持がよかったです。

 金木犀の匂いが薄れてきました。モミジの色が少し変わってきました。

 清々しい一日でした。
−写真はヒヨドリジョウゴと白式部−
2003年10月9日(木)  No.41

健忘症
 最近、健忘症が度を増してきました。

 今日も、檀家のお宅へ伺う約束を失念して、電話をもらってから慌てて「出勤」。先方が忘れていたり、勘違いしていたりするケースも多いものの、ボクが忘れてしまうケースが確実に増えています。
 以前は、人の顔と名前を覚えるのも得意だったのに…。
 先日の「メダカの学校」じゃないけれど、色ボケする前に、「ここはどこ? 私は誰?」となってしまうかも…。

 それに、最近、短気だといわれることが多くなりました。
 ボケた上に、短気…最悪。
 
 仙崖(江戸時代の臨済僧)和尚の書かれた次の歌、身につまされます。


    『老人六歌仙』

しわがよる ほくろができる 腰まがる 髭しろくなる 手はふるう 足はよろつく 歯はぬける 耳は聞こえず 目はうすく

身に添うは頭きん えり巻き 杖 眼鏡 たんぽ 温石 しゅびん 孫の手

聞きたがる 死にともながる 淋しがる 心はまがる 欲深くなる くどくなる 気短になる ぐちになる 出しゃばりたがる 世話やきたがる

またしても 同じはなしよ 孫ほめる 達者自慢に人はいやがる


 以前は、ご高齢の方をよく表している歌だなぁと思いましたが、今は自分がこれに近づいている気がします。
 なんとかうまく迎えなきゃ。まだ早いって?
−写真は、今夜の芋名月−
2003年10月8日(水)  No.40

豪勢な椅子
 今日、椅子を買いました。

 パソコンを使うときに座る椅子が、もう何年使ったでしょう、座面のクッションの中の板が割れてしまって、座るのに勇気と技術を要する状態でした。また、クッションがすっかりヘタッテいて、座布団を敷かないとお尻が痛くて…。

 難物、半端ものの家具屋さんに行って、椅子選び。事務用の椅子でも、2千円台からあるのですね。

 パソコンの椅子には、1日の中のかなり長い時間、お世話になっています。何をするにも、パソコンがなければ始まらない状態。
 「ん〜、これは2,3千円の椅子になんか座ってられない! もっと、豪勢な椅子にしよう!」と選んだのが、1万2千円のちょっとハイグレードな肘掛け付きの椅子。
 長時間、何年も使うと考えた末の1万2千円……豪勢か?

 現品限りだから分解できませんと言われ、車のシートを折りたたんでスペースを作り、大きな椅子を積み込みました。

 突然、ラーメンが食べたくなり、地元では有名なラーメン店のフランチャイズ店に入りましたが、まったく美味しくなく、せっかく何年ぶりかでラーメン屋に行ったのにととても悔やまれました。
 ボランティアの事務所を経由して、帰宅したのは夜10時前。

 パソコンの前に椅子を置いて、肘掛けに肘をかけ、ふんぞり返って座ってみました。重役になった気分です。
 満足して、いざキーボードを叩いてみましたが、ダメっー! 肘が肘掛けにあたって、キーが打ちにくいのです。

 そういう予感はありました…肘掛け、邪魔だろうなぁ…って。でも、肘掛けがあった方がホールド感があるなぁ、疲れたときにはホッとできるなぁと思い、その椅子を選んだのでした。

 慣れたら肘掛けを邪魔だと思わなくなるかも知れないと、しばらくやってみましたが、肩が凝りそう。
 仕方なく、椅子を分解して、肘掛けを外しました。

 ただの椅子じゃん。

 腹筋運動をするときに使うと宣伝している器具、あるいは水牛の角に形が似ている肘掛け。どうしよう…。
−写真は豪勢な椅子の肘掛け−
2003年10月7日(火)  No.39

長崎チャンポン
 今日は、2軒の檀家さんのうちでお経をあげて、お昼にボランティアの事務所入り。

 こういう時の昼ご飯は、たいていコンビニ弁。
 衣姿でコンビニの弁当売り場で、「何にしようかなぁ…」と思案するのには抵抗があるのですが…。今日はセブンイレブン。

 何となくコッテリしたものが食べたい気分で、真っ先に目についたのがオムライス。でも、卵を焼き過ぎな感じなので却下。おにぎりは、移動しながら食事をとるときの必須メニュですが、今日はパス。焼きそばは、ちょっとヘビー。幕の内では若さがない。
 長崎チャンポン、「これだ!」。こんなの、コンビニでは初めてだなぁ。490円、ちょっと高い。

 事務所に着いて、まずは着替え。クリスチャン主体の組織なので、衣姿では挑戦的すぎる気がします。ボクの衣から綿パン姿への早変わりを初めて見る人は、たいてい目を丸めて唖然とされます。

 電子レンジでチンして、フタを開けると、パリパリの麺とトロリとした具が2段になっていました。なるほど、麺の上にトロトロの具をかけて食べたらいいわけね。

 5人ぐらいがテーブルを囲んで食べていましたが、ボクがしばらく食べないでいたら、その中の年輩の女性が、「麺がパリパリの間に食べた方がいいです」と言ってくれました。
 −− ボクは汁を吸って柔らかくなったのが好きなんだけどなぁ。−−

 いつも思うのですが、コンビニ弁の容器って、捨てるのがもったいないです。
2003年10月6日(月)  No.38

サンダーバード
 今日、30数年ぶりに『サンダーバード』を見ました。JRの特急ではありません。今、NHKで再放送している人形劇です。
 イギリスで制作され、1966年頃以降にNHKなどで放送されたSF人形劇の不朽の名作。最近、自動車保険会社のCMにも一場面が使われています。

 春から、『ひょっこりひょうたん島』と一緒に放送しているのは知っていたのですが、小学校の時に見たものを今さらと思って、見たことがありませんでした。
 夕食後、テレビをつけたものの、見たい番組はないなぁと思いつつ教育テレビにあわせた途端に始まった懐かしいオープニングテーマ。それからの25分間はあっという間でした。

 もう40年近くも前の作品で、今のCGを使ったものとは比べようがありませんが、逆にそれが新鮮で、当時からいうと100年後の未来社会の最新鋭メカを人形劇で表現したことに、改めて驚かされました。

 忍者ものが流行ると、背中に棒っ切れを背負って雑木林を走り、スーパーマンごっこでは風呂敷をマントにして土塀から飛び降り、自動車レースがテレビで放送されると、乳母車を解体して作った“スーパーカー”で坂道をぶっ飛ばす……そんなボクにも、サンダーバードの真似はできませんでした。
 なんてたって、空を飛んだり、宇宙に行ったり、はたまた地中や海の中。地球狭しと活躍する<国際救助隊>。別世界でした。カッコよかたなぁー。今日見ても、ウキウキしました。

 あー、ボクの少年時代……と思った瞬間、頭の中に流れてきたのは、なぜか陽水の「少年時代」でした。
2003年10月5日(日)  No.37

老後
 今日は、「メダカの学校」、写経と講演の会。参加者が少なくてハラハラ。講師は、近くの病院のケアマネージャー。身につまされる話ばっかり。

 そのうち、ボクも尿漏れパンツとやらのお世話になるのだろうか。そういえば、この前、足を痛めたときに、家の中にも手すりが欲しいとどれだけ思ったことか。
 ボクが呆けるとしたら、何呆けになるだろう? 食べた尻から、「何も食べさせてくれない」と言うのか、作務衣をだらしなく着て徘徊するのだろうか、それとも色ボケか……。

 聞いている真横に、例の鈴虫の容器がありました。話が始まって終わるまでの約1時間、メスたちは微動だにせず、固まっていました。
 種の保存を終えた彼女たちの生きる目的は何なのでしょう。いろいろな思いを投影させながら、ボクも固まっていました。
2003年10月4日(土)  No.36

坊さんのお仕事?
 今日は、午後からずっとパソコンに向かっていました。

 某組織(こういう書き方をすると怪しげですが)の公式ホームページを作るために去年から会議を重ね、今年の9月にオープンするはずがどんどん延びて、まだ原稿作成中。
 今日は、お経の声を音声データーにしたり、お寺の名簿をネットで検索できるようにしたり、はたまた文字をスキャナーで読み込んでデータ化したり。
 自分のホームページなら意のままに作れますが、某組織のものとなると、複雑な事情が絡み合って、そうはいきません。
 業者には10日に原稿を仕上げる約束をしたものの、とても間に合いそうにありません。業者の人は、坊さんの組織っていい加減なものだと思っているでしょう。

 今日のようないい天気、草引きでもしたかったなぁ。

 ここのところ毎日、夕焼けがすごく綺麗です。刻々と情景が変わっていきますから、仕事なんかしながらでは、タイミングを失ってしまいます。

 窓を開けたら金木犀の香り。いい季節だなぁー。
2003年10月3日(金)  No.35

鈴虫の里帰り
 6月半ばに鈴虫がいっぱい孵化し、容器の中は小さくてホコリのような鈴虫だらけ。それらは日に日に大きくなって過密状態。容器を2つ3つと買い足ました。

 8月になって鳴き始めた頃、「このまま最盛期を迎えると、結構うるさいだろうなぁ…せっかくだから、誰か貰ってくれる人はないだろうか」と、里親を探しました。
 なかなかないですね、飼ってくれる人。「世話するのが面倒」とか「共食いするのを見るのは嫌」とか……ダンナを食っているような奥さんが言うんだから。きっと、少々くたびれたダンナさんの世話なんて「面倒」とも思っているんだろうなぁ。

 9月半ばになると、だんだん音色がかすれ、日増しに悲惨に。オスの亡骸も見られるようになってきました。
 ここ数日、「あれ、今日は鳴いていたかなぁ」と思うようになり、そろそろ終焉の時を迎える日も遠くないと感じています。
 交尾を終えたオスは急激に弱るものの、羽が破れるまで鳴き続けるらしいです。また、交尾後のお腹に卵を蓄えたメスにタンパク質が不足すると、オスは食べられてしまうのだそうです。オスはメスのタンパク源かぁ…。

 今日、里子に出した鈴虫を迎えに行きました。せめて最期は“生家”で。

 丸々と肥え、色艶もよくなったメスばかりが、広くなった容器の中で、はつらつと過ごしていました。
2003年10月2日(木)  No.34

涙そうそう
 今日から、衣も冬衣。これぞまことの「衣替え」なんちゃって。

 東山のお寺で「大般若転読会法要」があり、出仕。大きな声を出し、動きもある法要なので、結構暑い。でも、行き帰りのバイクはちょっと寒い。まだ体が慣れていないなぁ。

 今日、夏川りみの『涙(なだ)そうそう』の入っているCDを借りました(借りてもらいました)。

 いい歌ですね。歌詞を見ながら聞いていたら、涙が出てきました。
 レコードなら、「すり切れるほど聞く」といいますが、CDでは何というのでしょう。[repeat]にして何度も聞きながら歌っていたら、涙は乾いて疲れてきました。


    古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた
     いつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ
    晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔
     想い出遠くあせても
    おもかげ探して よみがえる日は 涙そうそう

    一番星に祈る それが私のくせになり
     夕暮れに見上げる空 心いっぱいあなた探す
    悲しみにも 喜びにも 想うあの笑顔
     あなたの場所から私が
    見えたら きっといつか 会えると信じ 生きてゆく

    晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔
     想い出遠くあせても
    さみしくて 恋しくて 君への想い 涙そうそう
     会いたくて 会いたくて 君への想い 涙そうそう


 森山良子さんが22才の頃に亡くした一つ上のお兄さんを思って書いたという詞。 夏川りみさんの透明な声。三線の素朴な響き。

 沖縄はいいなぁ…行ったことないけど。

 数年前の真夏、沖縄の重要無形文化財(八重山民謡)でもある大工哲弘さんのコンサートを本堂前で開いた時、自坊での打ち上げで、大工さんたちと大いに盛り上がったことを思い出しました。
 あの時、お気に入りの服の背中にサインをされたっけ……。

 「涙そうそう」とは沖縄の方言で、「涙がとめどなく流れる」「涙ポロポロ」という意味だそうです。
−写真は今日の夕焼け−
2003年10月1日(水)  No.33

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