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                わずかな晴れ間を狙って          マウスを載せれば写真が変わります

 春と冬を何度も何度も行き来するような1日でした。青空が広がって日の光がさした時は春を感じ、空がかき曇って時雨れ、冷たい風が吹く時は冬に逆戻り。春と冬のせめぎ合いの巻き添えを食らっているようでしたが、軍配は春にあがったような気がします。
 ♪ 春は名のみの 風の寒さや谷の鶯 歌は思えど時にあらずと 声も立てず時にあらずと 声も立てず ♪ ちょうどそんな感じでした。
 京都の鴬の初鳴きは、平年だと3月1日ですが、去年は23日遅れの24日、今年はまだ観測されていないようです。誰がどこで聞いたら、初鳴きとなるのでしょう? 今年、もう、聞いたという人もおられるのですが・・・。
 木の新芽はまだ吹いてきませんが、‘雑草’はもう伸び始めました。その力強さには感服します。境内の様子が変わってくるまでには、もうしばらくかかりそうです。





      啓  蟄  の  と  ぐ  ろ  を  卷  い  て  ゐ  る  風  よ       島田牙城





             本堂南側の有楽椿 / 自坊の胡蝶侘助      マウスを載せれば写真が変わります
 今の境内で見頃なのは馬酔木です。本堂の左横でたくさん咲いています。
 いま、本堂では大涅槃図が特別公開されていて、訪れる人も多いのですが、馬酔木を見に行く人はわずかです。ちょっと地味な花ですから・・・。
 華やかな色で咲いているのは、椿の有楽(太郎冠者)。目立つピンク色です。
 写真の花は、本堂南側の土手に咲いているものですが、太郎冠者は本堂書院の庭にも咲いています。ちょうど1年前の今日、樹齢350年ほどのシャシャンポの後継木として植えた木です。最近は見に行っていませんが、きっとたくさんの花を付けているでしょう。
 自坊では、侘助椿が見頃になってきました。花が小さいので派手な感じではありませんが、紅白の猪口咲で風情のある花です。  「侘助」という名前の由来については、豊臣秀吉の朝鮮出兵で侘助という人が持ち帰ってきたとか、千利休に仕えていた人の名、茶人の笠原侘助が好んだなど、諸説あるようです。
 「有楽」の名も人に由来します。織田信長の実弟である織田有楽斉長益が、茶席の花として愛用したと言われ、江戸では「太郎冠者」の名で呼ばれるようになったそうです。太郎冠者は、もちろん狂言の役。一般に「冠者」は、元服して冠をつけた若者ですが、狂言では広く召使いの意味で扱われます。
 椿には、どうしてこのように人の名前とかが多いのでしょう? それだけ、愛でた人が多かったのでしょうか?
 啓蟄を過ぎ、これから加速度的に春が進んでいきます。油断をしていると、気が付かないうちに、花が咲いていますよ。ご用心!




      落  ち  な  む  を  葉  に  か  か  へ  た  る  椿  か  な     黒柳召波