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        夕方に広がる青空 / 咲き始めた自坊の桜ん坊の花  マウスを載せれば写真が変わります

 気温の乱高下が続いています。今日は天気が良くなるという予報だったので、晴れ渡った春の陽気になるのかと期待していたら、さにあらず。ようやく晴れ間が出てきたのは夕方。気温は12度近くまであがりましたが、日陰などでは結構ヒンヤリしていました。
 今朝、本堂では月遅れの涅槃会が行われました。泉涌寺、東福寺、本法寺などでも涅槃図が公開され、14・15・16日の3日間だけは、いずれの寺でも拝観できます。
 この涅槃図を目当てに、真如堂にも2月とは比べものにならないほど多くの人が参拝されます。早目に彼岸の墓参に来られる方とも相まって、駐車場は結構満車状態でした。人の多さからも、春の訪れを実感します。


            花火のように咲く山茱萸 / 満開の大馬酔木   マウスを載せれば写真が変わります
 今年は梅の開花が1〜2週間ほど遅れているという話をよく聞きます。
 京都地方気象台の生物季節観測によると、今年の梅の開花は3月3日で、平年よりも11日遅め、去年よりも4日早かったようです。
 ちなみに、うぐいすの初鳴は気象台では観測されていませんが、平年は3月1日。境内では、10日ほど前から鳴いています。
 2月には大雪に見舞われた地方もありましたが、北日本から西日本の月平均気温は平年並。1月の平均気温も西日本は高かったので、冬の寒さが厳しかったとは言えないはずなのに・・・。
 本堂裏の山茱萸の開花は、ほぼ例年並み。黄色い花色が遠目にも目立つようになってきて、見頃を迎えつつあります。
 本堂北側の馬酔木も、ほぼ咲きそろってきました。同じ白馬酔木でも、房に長短があったり、白さ加減も微妙に違っていたりします。残念ながら、馬酔木が咲いていることに気が付く人は多くありません。3〜4メートルはある木にたくさんの花が付いているのですが、どちらかというと地味です。お越しになったら、ぜひとも見てあげてください。

               控えめな白椿 / 上品な紫のすみれ     マウスを載せると写真が変わります
 椿の花も、1週間前と比べると、少し増えました。
 椿も紅い花は目立ちますが、白い花は控えめすぎるくらい。一度には咲きませんし、咲いても半分が葉に隠れたりしていて、注目を集める機会に恵まれません。白い椿も見てあげてください。
 野っぱらをじっと観察していたら、レンゲ草の花がわずかに咲いているのを見つけました。花色はまだ薄く、花を探すつもりでじっと注視しないと見つかりません。
 レンゲの花を見つけたのがうれしくて、「もう、レンゲが咲いていますよ!」と何人にも話しました。
 スミレの花も、この1週間でかなり開花しました。下萌えの薄い緑色の中に、紫色がくっきりと映えて、何とも上品で美しい光景です。
 これからは、毎日、毎日、こんな‘発見’の連続でしょう。




      か   た   ま   つ   て    薄   き   光   の    菫   か   な         渡辺水巴





             石並べに腐心する老翁 / 「小美術」碑       マウスを載せれば写真が変わります
 最近、真如堂では石を並べたり動かしたりするのが、ちょっとした流行になっています。
 本堂裏の土蔵の周りに紫陽花園を制作中。あと2〜3年したら、紫陽花の株も大きくなって、きっと皆さんに喜んでいただけることと思いますが、その紫陽花畑と道との縁石を並べる作業に、今年80歳を迎える職員さんが、1月頃からずっと熱中しているのです。
 「寒いからやめたほうがいいですよ」「腰を痛めてしまいますよ」と言っても聞く耳持たず。境内の彼方此方から石を運んできては、縁石にしています。今日は休みだというのに出勤して、朝から夕方まで、昼食時以外はずっと石並べをしていました。
 ボクも手伝おうと、朝一番に大きな石を運んで、首の筋を痛めてしまいました。老翁には脱帽ですが、「○○の冷や水」にならないようにしてもらわないと・・・。
 老翁が精を出す紫陽花園の一角に、数十年前からオブジェが置いてありました。誰も注目しないオブジェでしたが、本堂を訪れた人が由縁をご存知だったのを契機に、人目に触れるところに移動することになりました。
 他の工事をしていた石屋さんに頼み込んで、その石を本堂の北側に移動してもらい、職員さんが据え付けました。石碑はまるで以前からそこにあったかのように、すっかり周囲に溶け込みました。
 このオブジェの正面には「小美術」という字が浮き彫りにされています。「小美術」とは「小美術会」のことで、同は1904年(明治37年)1月、工芸図案の地位向上を図って、西川一草亭、浅野古香、津田青楓によって結成されました。新しい図案研究雑誌『小美術』を刊行して掲載作品批評を行い、図案本来の姿の探求を計りますが、青楓が日露戦争に徴兵されることにより6巻で休刊となりました。この石碑は、同会が活動を終える時の記念碑として造築されたものだったのです。
 いろいろな縁が結びついて、石碑は日の目を見ることになり、また新しい見所が境内に増えました。愉快な出来事です。
 さぁ、もうすぐ彼岸。‘何か’と縁を結びに、お出かけになってはいかがですか?




       両   の   手   に    玉   と   石   と   や    老   の   春        高浜虚子