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三が日で一番いいお天気になりました。朝から夕方まで、ずっと晴れ。最高気温は予報ほどは上がらず、10.4度でした。
椿の花期は品種によってもまちまちですが、どうしてこんな寒い時期に花を咲かせる木も多いのだろう? 受粉を助けてくれる虫は、真冬には少ないのに・・・と思って調べてみたら、面白いことがわかりました。 椿は虫媒花ではなく鳥媒花、鳥に受粉を助けてもらう花なのです。そのため、椿の花は構造が丈夫で枝に斜めに付いています。似た花ですが、山茶花は虫媒花なので、できるだけ虫に見つけてもらえるように上向きに咲きます。また、椿の花の雄蘂が筒状になっているのは、鳥がくちばしを差し込んで蜜を吸う時に、くちばしや頭部に花粉が付きやすいようにできているのだそうです。すごいですねぇ、咲く時期も、花の構造も、そこまで考えられているのですねぇ。 鳥といえば、南天や千両、万両の実がそろそろなくなり始める頃です。鳥は実が熟しているかどうかも、よく知っています。冬は鳥の食べるものが少なくなるようにも思いますが、椿の蜜あり、草木の熟した実ありで、案外グルメな季節なのかも知れませんね。 初 空 や 雑 木 の 間 の 雲 一 片 岡本癖三酔
今日は、このお堂にまつられている元三大師のご命日。正月3日に亡くなられために「元三大師」と呼ばれますが、本当のお名前は慈恵大師良源(912-985)。第18代天台座主で、比叡山延暦寺の中興の祖。如意輪観世音菩薩の化身ともいわれ、卓越した法力であらゆる魔を祓い、厄を落とすことで古来より信仰を集めてきました。また、おみくじの創始者とも言われています。 10時からの護摩供は貫主が導師を勤め、護摩木の御祈祷や長寿不動の護符、角大師のお札の御加持も行われました。 元三大師堂の前に建つ石灯籠は、明治40年(1907)、白川村の人たちが、琵琶湖疎水の工事の総責任者である田辺朔郎氏に感謝の意を込めて贈ったもの。灯籠の棹石の裏側にはそのことを物語る文字が彫られています。 白川村は真如堂の少し北。干ばつが続いた時には農作物が収穫できなかった白川村の人々は、疎水のお蔭で豊かな土地に蘇ったと感謝をして、田辺博士の邸宅用に白川村産の石灯籠の寄進を申し出ました。しかし博士は、「水の恩恵は公の力であって、私の力ではない。私邸にそのようなものをいただくわけにはいかない」と固辞され、石灯籠は博士の自宅に近い真如堂に奉納されました。石灯籠は、白川石の採れる白川村の特産品でした。 護摩供では皆さまの除災招福を祈念させていただきました。改めまして、今年がどうか佳き年になりますように・・・。 初 笑 ひ た し な め つ つ も 祖 母 笑 ふ 星野立子
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