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1年で一番寒い大寒から立春までの間。今日も‘例年’通り、寒い日となりました。
戒算上人のことはほとんどわかりません。比叡山常行堂の慈覚大師作の阿弥陀如来を現在の地あたりにあった藤原詮子の離宮に遷座して真如堂を開かれたこと、戒律をよく守られたこと、91才で遷化されたことなど、『真如堂縁起』の記されていること以外、歴史上には記録がありません。 ずいぶん若くして比叡山の主要な仏様を遷座できたこと、一条天皇の母である藤原詮子との繋がりなどから推察して、藤原家出身であろうとボクは推察しています。 その御廟は、真如堂の東北の隅、「涅槃の庭」の近くあります。今日は、まず厳寒の本堂で法要が行われ、その後、比叡山を背景にしたその御廟にお参りをしました。 受付では今日の法要のスケジュールや配役を記した紙と共に、カイロをお配りしました。境内で一番寒い本堂の中。じっと参列されているのは、この上ない‘修行’だったでしょう。ありがとうございました。 寒 肥 を 彼 の 木 此 れ の 木 と 心 組 み 星野立子
木が休眠中の今、芽吹きの時の‘栄養剤’として、遅効性の肥料を与える、それが寒肥です。 昨日までの数日間、境内のカチカチに締まった粘土質の土を、植木屋さんの若手職人さんが渾身の力を入れて穴を掘り、そこに寒肥と土壌改良材を施して回りました。また、今年は初めての試みとして、高圧ポンプのノズルを、まるで太い注射器の針を刺すかのように地面に差して、液肥などを注入して回りました。 木々の‘高齢化’と訪れる人の踏圧、酸性雨などで弱っている木々が、元気を取り戻してくれるのを願うばかりです。 また、本堂の裏に紫陽花を植える作業も職員さんにお願いして進めてもらっています。 今までは桧や杉の大木が鬱蒼としていた本堂の裏ですが、お堂の屋根に枯葉が積もり、屋根が傷むばかりでした。秋以降、そんな木々の枝打ちをして屋根に積もる枯葉が減ったのと同時に、お堂の周りにわずかながら陽も差し込むようになりました。せっかくの陽の光の恩恵を受けようと、2年ほど前から挿し芽で増やしてきた紫陽花の苗のこの場所への定植を始めたのです。 「紫陽花園」になるには5年以上はかかりますが、梅雨の時期の見どころになってくれればと思っています。お楽しみに! 寒い時期もじっとしてはいられないのですよ。
自坊でも蝋梅の花が咲いていますが、月夜にそばを歩くと、誰かに魅惑されているような気分になってしまいます。アブナイ、アブナイ。 唐の国から来たこともあって唐梅とも呼ばれるようですが、梅とは異なる種の花木です。 花もない境内、「何かないかなぁ… 菫はまだかなぁ」と探していたら、きらっと光る青い玉を見つけました。竜の玉です。 瑠璃色とでもいうのでしょうか、守るために‘髭’に隠されたような玉。子供の頃は、美しいことなど二の次で、この実を豆鉄砲の弾にするために探し回りました。 鉄砲の筒に合うぐらいの玉だと「ポーン!」と威勢のいい音を立てて玉が飛び出しますが、小さいと押し出す程度。逆に大きすぎる玉を無理に入れると筒が避けてしまいました。自然の中に遊びがいっぱいありました。 今はその実を「美しい」といって見ているのですが、もう一度豆鉄砲の玉にして遊びたい衝動も決して小さくはありません。ただ、童心に返って遊んでくれる相手がいません。小児も付き合ってはくれないでしょう。 来週は節分です。寒かろうが、春がやって来ます! ひ と つ ぶ の 瑠 璃 こ ろ げ い づ 龍 の 玉 飴山 實
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