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自坊の新しい庭の杉苔もうっすら疎らに雪化粧しましたが、あっという間に消えてしまいました。「初雪」というには儚すぎました。 写真では快晴のようにも見えますが、それほどではありません。朝の9時過ぎ頃が一番晴れ間が多く、2〜3時頃も多少晴れ間がありましたが、それ以外は時雨れそうになったり、時折晴れたりでした。 わずかでも冬の晴れ間はうれしいですね。日差しがとても有り難く感じられました。
2月の終わり頃までは木々たちも休眠状態。これから一番寒い季節を迎えますが、それも新しい芽吹きへ向けて、じっと力を蓄えるチャンスのような気がします。 力のないもの、老いたものは、春の芽吹きを迎えずに枯れていきます。それがこの寒い時期に峻別されていくのかとも思われます。チャンスであり、乗り越えなければ生き残れない厳しい季節です。 日の光はそんなことを忘れさせてくれるほど、あたたかくすべての木々に降り注いでいました。 穴 あ ら ば 落 ち て 遊 ば ん 冬 日 向 中尾寿美子
種と枯れて白く脱色されたようになっている葉っぱです。 最近、こういう姿をよく見るような気がします。 12月になっても紅くならず、枝に付いたまま茶色く枯れていくもみじの葉。それが次第に色を失って、白っぽくなってきます。 12月頃になると、もみじの木の多くは種を枝から離すのですが、なぜかこうして離そうとしない木もあるのです。そして、こんな姿に・・・。 いつまでも落ち葉掃除が終わらない、掃除人泣かせの木。理由を聞かせてくれれば、納得してやさしい目で見てあげられるかも知れません。 ‘裏写真’は自坊の庭の杉苔の上に積もった疎ら雪です。 整備をした去来の句碑の周りの苔には、野良猫たちが日向ぼっこをするための格好の場所となって、杉苔がペシャンコになってきてしまった場所があります。苔は地面の冷たさを遮断してくれてあたたかいのでしょう。 雪がまばらに積もったのも屋根瓦の上と苔の上。屋根瓦はしっかりと冷え込んで雪を溶かさず、苔は雪そのものの冷たさを奪わないために雪が溶けないのでしょう。苔って不思議です。
花の少ないこの時期に真っ赤に咲いてくれるのはとてもうれしく、まさに‘紅一点’。 「紅一点」という言葉は、中国の詩人王安石の詩に出てくる「万緑叢中紅一点」が語源。緑あふれる中に一つある紅いのは、 やはり赤く目立っていたのは 鳥が好んで食べるほど美味しい実ではないようですが、この前まで木の下に落ちていた赤い実が今日はすっかりなくなっているのを見ると、完熟したら甘いのかも知れません。あるいは、イタチ? アライグマ? が食べたのかな? 大文字山を背景にしたこの景色。とても心落ち着きます。いいなぁー。 何もないようで、ゆっくりじっくり歩いてみると、いろいろ発見する冬枯れの境内です。寒いですが、ぜひどうぞ。 鳥 寄 せ の 口 笛 か す か 枯 峠 佐藤鬼房 |