10/16版
こんな日はどこかへ出掛けたくなるもの。境内を訪れる人もウィークデイにしては多く、紅葉期に向けて少しずつ人の数が増えていく予感がしました。 曜日などもう関係なくなったであろう年齢の歩こう会の人たち30人ほどが、旗を立てて賑やかにしゃべりながら境内にやって来ました。お弁当食べて、トイレを使って、大声で話をしていましたが、誰一人として本堂にお参りもしません。出入りが自由だと、公園と勘違いする人もいるのです。 これからの季節、そんな人たちも増えて来ます。しかも、たいていは酸いも甘いも噛み分けたような世代の人たち。「最近の若い者は…」などと言えたものではありません。 そんなところから、好期の訪れを感じた今日でした。
桜は少し前に盛んに葉を落としていましたが、その頃はそれほど紅葉せず、逆に紅葉が進んだ今はあまり落葉しません。不思議なものです。 日の光に透かされた赤い葉は殊のほか美しく、境内を歩く時には思わずそんな光景を探してしまいます。 いくら赤や緑が美しくても、光の当たり具合でまったく見え方が違ってきます。素材は同じでも、演出次第です。 写真をご覧ください。一枝だけ赤くなっていますでしょう? これはおそらく枝の中に虫が入っているのです。枝が虫に食われて水分が滞りがちなために、この枝だけ赤くなっているのでしょう。 一枝だけ、あるいはその木だけ、回りとまったく違うほど色付いているのは、木のSOS信号。境内を回って、「きれいに紅葉しているなぁ」と、のんびり眺めているわけにはいきません。 でも、そんなふうに木の経過観察をしながら境内を見て回ると、木の「体長」がよく見えてきて、「ここは切り取ってやらないと」とか「栄養をあげないと」などと、必要な処置がわかってくる気がします。「樹木医」というのはそういう仕事なのでしょうね。 好 き な 道 桜 紅 葉 の 頃 な れ ば 稲畑汀子
唐の開成5年(840) 、真如堂の御本尊をお造りになった慈覚大師円仁様が、中国の五台山で生身の文殊菩薩に値遇して、極楽世界の八功徳水の浪の音に調和するような曲調の引声阿弥陀経を授けられたというもの。 五台山は、中国山西省東北部の五台県にある古来からの霊山で、標高3058メートル。文殊菩薩の聖地として、古くから信仰を集めています。大師はまず竹林寺に入り、15日間滞留して念仏や声明を学ばれました。竹林寺は、法照による念仏と讃歎を交えた五会念仏発祥の寺として知られています。 承和14年(847)10月、帰りの遣唐使船で、大師は引声の一節を失念されます。大師が焼香礼拝し祈請されると、虚空より船帆の上に小身の阿弥陀仏が香煙の中に現れ、忘れてしまった節をもう一度授けてくださいました。 大師はその小身の阿弥陀仏を袈裟に包み取り、真如堂の御本尊を作られる時にその胎内に腹身されたといいます。(『真如堂縁起』) 本堂の中央には「引声塔」という、引声の経巻と観音・勢至、日光・月光四仏をまつった塔をまつり、その回りを長い節を付けたお経を唱えながら回ります。 本堂の脇段には、阿弥陀経および念仏の守護神ともされ、慈覚大師がやはり帰国の船中で感得されたという「 曲調はゆるやかで、参列している人の耳には、「あー」とか「うー」とかなどの母音でしか聞こえないのではないかと思えるほど。1時間余の間に、退屈して帰られるのではないかと思いましたが、10名ほどの参列者は、ほとんど最後まで聴聞されていました。 秋の真如堂の大切な法要が終わりました。
最後に、「真如堂はちょっと遠いのです。うちは下鴨神社の近くですが、この近くではどこにありますか?」とお聞きになりましたが、そこまではわからないと、10分ほどの電話を終えました。 おそらく、お友達などに「真如堂に行ってきたけど、本堂の前に藤袴の‘原木’が飾ってあった」とお聞きになったのでしょう。 本堂前の原種藤袴、いま、満開です。 南天や千両などの実ものが、色付いてきました。まだ鮮やかではありませんが、こんなところからも秋の深まりを感じます。20日は土用。暦の上でも、秋から冬へと移ろっていきます。 紅葉を特集した様々な旅行誌が発行され、必ずといっていいほど真如堂が載っています。でも、慌てないでください。紅葉はまだまだです。境内のもみじの紅葉のピークは、例年11月下旬から12月初旬にかけてです。いま急いでお越しになっても、もみじはほとんど真っ青ですよ! 糸 電 話 古 人 の 秋 に つ な が り ぬ 攝津幸彦 |