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京都市の最高気温は32.9度。真夏日でした。 湿度がまだそれほど高くなかったのが救いで、木陰にいると心地よい感じさえしましたが、炎天下の墓地での墓前回向などは苦行でした。 今日は、月に1度の「六阿弥陀巡拝」の功徳日。この日に、真如堂−永観堂−清水寺阿弥陀堂−安祥院(木食寺)−安養寺−誓願寺を巡拝すると、多大な功徳を頂戴することができるといわれています。 ところが、今日はこの暑さ。お参りになる方の大半はご高齢ということもあってか、参詣者はいつもより少な目でした。 梅雨入りして以降、雨が降ったのは3日のみ。降水量も27ミリ。昨夕には待望の雨が降りましたが、雷を伴った「初夕立」でした。そして、今日は真夏日。実にメリハリのあるお天気です。 今日のような強い日差しの日には、緑陰の有り難さをしみじみと感じます。境内のベンチは、お弁当を食べる人、昼寝をする人、おしゃべりをする人など、人の影が絶えませんでした。
遠くから見ると、まだ花が咲いているように見えますが、よく見ると真ん中に小さく丸い実が付いているのがわかります。 15日にテレビのローカル番組でこの花の開花が紹介されて以降、毎日、多くの人が見に来られました。 ただ、毎日刻々と変わる花なのに、放映されたのは撮影された数日後。それからでも既に4日も経っていますので、時すでに遅し。 今日初めて菩提樹の花を見る人は現況がすべて。「菩提樹の花って、褐色で真ん中が丸いんだなぁ」と思って仕舞われないかと案じます。 10日から咲き始めた沙羅の花は、次第に見頃となってきました。最初は木の天辺に咲いていた花も、だんだん下の方へ降りてきて、今日は目の高さの花も咲いていました。 ピークは来週後半頃でしょうか? まだしばらく楽しめますよ。 梅 雨 晴 や 距 離 を 延 し て 万 歩 計 江頭景香
モクゲンジは朝鮮・中国に広く分布し、中国への留学僧によって日本に伝来したと言われます。開花後、ホオズキのような袋果が房状になり、秋になると褐色に熟して、その中に真っ黒く固い実が4〜5個ずつほど入ります。その実で数珠ができるというところから‘菩提樹’の名がありますが、数珠にするには少し小さすぎます。 「モクゲンジ」の名は科名ムクロジの漢名「木患子」の音に由来するといわれています。英名を‘Golden rain tree’といい、その名の通り、木の下にいると黄色い花びらがいっぱい降ってきます。 この木は千葉県の笠森寺(坂東三十三観音の第三十一番)から種を分けていただいたもので、京都では稀にしか見られません。 実はこの木は、その隣の櫨の木と共に、「左京区・区民の誇りの木」に選定されています。前住職がその選定委員になっていた時に推薦してしまったためで、推薦する方もする方ですが、すんなり選定してしまう方もいかがなものでしょう。いかにもお役所仕事です。 「珍しといってもまだ若い木で、『区民の誇り』とするには難があります。選定から外してください」と昨年、行政に申し出ましたが、「1度選定したものを取り消すことは出来ません」といわれ、いまだにホームページにも載っています。 ‘ Golden rain ’が降りしきるにはもうしばらくかかりますが、その中にたたずむと実に気持ちの良いものです。お試しあれ!
先日、鐘楼堂脇の紫陽花をご覧になった方から、「みんなブルーですね。やはり土のせいでしょうか?」と聞かれました。 そういわれてみれば確かにそうです。写真の一番手前に写っている「城ヶ崎」という種類も、場所によってはピンクっぽい花色になります。やはり、土壌が酸性なのでしょう。 明日6月20日は陰暦の5月28日に当たりますが、この日に降る雨を「虎が雨」「曽我の雨」などと呼ぶそうです。 「曾我兄弟の仇討ち」の物語を知っている人は、だんだん少なくなってきたのではないでしょうか? 建久4年5月28日(1193)、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曾我十郎祐成と曾我五郎時致の兄弟は、工藤祐経を討って父親の仇討ちを果たします。兄弟は10人斬りの働きをしますが、兄十郎は討ち死にし、弟五郎も翌日処刑されました。 「虎」とは兄十郎祐成の恋人、虎御前のこと。兄弟が死んだ後、残された虎女は曽我の母のもとを訪ね兄弟を弔い出家します。「虎が雨」は、旧暦5月28日に降る雨に、後世の人びとが虎女の悲しみを重ねたものなのです。 さて、明日は涙雨が降るでしょうか? 天気予報は「晴れ後曇り」です。紫陽花のためにも雨が降って欲しいのですが・・・。 ひ と た び の 虹 の あ と よ り 虎 が 雨 阿波野青畝 |