4/10版
春とは思えないような抜けるような青空が広がり、「暑いですねぇ」という挨拶が相応しい、初夏の陽気。今日の最高気温は25.9度でした。 満開を過ぎた染井吉野の梢からは、わずかばかりの風の揺らぎでさえもたくさんの白い花びらが吹き出し、文字通り「桜吹雪」となっていました。 ボクが分別のない子供だったら、その吹雪の中に何時間も身を置いたり、逃げる花びらを追って走り回っていたでしょう。大人とはつまらないものです。時々無分別になれる中年女性のグループが羨ましく思えたりするのでした。 19日に開花宣言が出た京都の染井吉野も、寒の戻りでなかなか花を開こうとしませんでしたが、今週に入ってからのあたたかさで一気に満開になりました。満開まで、実に2週間余もかかったのです。
あたたかくなってからは、人出もずいぶん増えました。京都市内も桜を見に来られた人で溢れ、いつもは人影もまばらな境内にもたくさんの方がお越しになりました。 でも、桜が‘花’として美しいのは満開寸前まで。すべての花が開ききってしまうと凜とした姿を失い、少し暑苦しいほどに感じられるようになります。 そこまで来ると、残るは散る時の美しさ。桜吹雪は実に綺麗で爽快。散って地面に積もる花びらも、拾い集めたいほど綺麗でした。 願 わ く は 花 の 下 に て 春 死 な ん そ の き さ ら ぎ の 望 月 の 頃 西行のいう桜は染井吉野ではなく、おそらく山桜。「きさらぎの望月の頃」とは、釈迦入滅の旧暦2月15日の頃。実際に西行は1日遅れの2月16日に亡くなったそうです。 昨日は満月。満月に照らされた桜もまた綺麗でした。 殺 さ な い で く だ さ い 夜 ど お し 桜 散 る 中村安伸
もみじの葉も木によってはかなり大きく広がり、小さく赤い花をいっぱい付けています。 わずか2〜3週間の間に、花は咲き、緑は萌えて、境内の景色は一転しました。 桜の花色、新緑の緑、「花の木」の花の赤、いろいろな色が混じり合って複雑な色模様を見せてくれるのも、今ならでは。 桜の花に間に合わなかった方も、がっかりされることはありません。そんな複雑な色模様を存分にお楽しみください。また、桜が満開の頃よりも、新緑が鮮やかな頃の境内の空気のほうが、新鮮で美味しい気がします。緑のシャワーを満身に浴びてお帰りください。 それでも、どうしても桜が見たいという方、鐘楼堂の回りの八重桜「関山」が咲き始めました。暑苦しいほどに豪華な桜ですが、お楽しみください。
宝永6年(1709)に、三井家の女性たちの寄進によって僧厭求や海北友賢によって制作された大涅槃図。ちょうど300年を迎える今年、修復を加えることになったのです。 旅立つ前に、先ずは‘体重’測定。表具屋さんの職人さんがヘルスメーターに乗って涅槃図を抱えて重さを量り、後から自重を引いて計算。涅槃図は61s、箱は63.5sありました。 その後、涅槃図、箱、それぞれに梱包されて、貫主の先導で門の外に駐められた4トン車まで、表具屋さんや職員総出で行列をして運びました。 テレビ出演も、体重測定も、門外に出るのも、トラックに乗るのも、すべて初めて。 涅槃図は公開時期以外は本堂の内々陣で眠っていて、特に意識することはありませんが、いざこうして境内から出て行くとなると、とてもさみしい気になるのでした。
縦6メートル、幅4メートルの大きな涅槃図は本堂では写真に撮りきれません。そこで、ホールを借りて、舞台のバトンに涅槃図を吊して、撮影することになったのです。 先ずは裏面にある裏書きを撮影。一端降ろして表向きに掛け替えて、表を撮影。8×10の大型カメラで、全員息を殺して、6秒のシャッターを切りました。 煌々と照らし出された涅槃図は、本堂の少し薄暗い中で見るのと違って、余計に傷みが目立ちました。また、本堂では気が付かなかったトンボやコウモリ、フクロウなどが上部に描かれていたり、お釈迦さまのお母さまである摩耶夫人に随行する侍者が薬袋と思われる風呂敷包みを携えていたりと、新鮮な驚きがたくさんありました。 来年の初冬に涅槃図が帰ってくる時には、傷みも修復され、また新たな感動を拝した人に与えてくれるでしょう。長い間ご苦労さまでした。 ゆっくりリフレッシュして貰ってください。 ま だ 哭 い て ゐ る 涅 槃 図 を 巻 き に け り 木村淳一郎 |