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1/1版
大晦日の晩には除夜の鐘。除夜とは「旧年を除く夜」という意味で、除夜の鐘は鐘を撞くこと、あるいはその音を聞くことによって、1年のうちに作った罪を懺悔し、煩悩を除いて、清らかな心で新しい年を迎えるという行事です。 108回という鐘の数については、煩悩の数だと言われ、いろいろと108を導き出す計算法がありますが、数自体にそれほど根拠があるわけではありません。「たくさんの煩悩」という意味でしょう。 真如堂にも、500人以上の方が鐘を撞きにお越しになります。多くは家族連れですが、若い人たちは友人同士。中でも、外国人が多いのが特徴的で、100人近くに登るのではないでしょうか。
皆さん結構神妙な面持ちで鐘を撞かれ、合掌して、来る年の多幸などを祈願して帰られますが、外国人は丸っきりイベント感覚。12時の時報が聞こえる前にはカウントダウンの歓声が上がっています。 最後に、もう一度僧侶たちが鐘を撞いて、108つすべてが撞き終わるのは1時15分頃。遠くの方からは、大きくて撞くのに時間がかかる知恩院の鐘の音が低くゴ〜ンと聞こえてきました。 ちょっと一眠りしたら、「修正会」が始まります。 真如堂では、1年の最初に出す声でお勤めをするという意味で、法要が始まるまで話をしない習わしになっています。 法要の準備をする間は目配せをして意思の疎通を図ったり、お互いに挨拶をする時も黙礼だけで済ませるなどして、法要に臨みます。 自坊に帰って、仏間でやはりお正月のお勤め。お屠蘇やおせちをいただいていると、そろそろ檀家の方がお正月の墓参に来られます。 京都では、お正月に墓参をするのが一般的。1日中、ひっきりなしに墓参の方が来られ、お昼もゆっくり食べている時間がありません。お正月をゆっくり過ごすなどということは、夢のまた夢です。 大晦日から休みなく続いてきた忙しさも一段落。夜になるとほっこりして、「あー、やっと寝られる」とうれしくなってきます。 ところが、今年は年末から風邪を引き、修正会の後すっかり寝込んでしまって、後ろめたい思いをしながら、初めての「寝正月」を過ごしました。波乱含みの年明けです。 今年も、またその折々の真如堂の様子をこのページでお届けしてまいります。またのお越しをお待ちしております。 正 月 や 冥 途 の 旅 の 一 里 塚 め で た く も あ り め で た く も な し 一休宗純 |