8/16版
境内にもたくさんの方が墓参にお越しになりました。お盆のお墓参りに初めて来られた方、精霊を送りに来られた方などさまざまで、観光の方も意外に多く、境内に人影の絶えることはありませんでした。 今日は35度をわずかに下回る、最近ではやや低めの最高気温でしたが、湿度が高くて、蒸し暑い1日でした。 4時頃には、持ち堪えられなくなった空から大粒の雨が落ち始め、雷鳴もとどろきましたが、6時頃には一転して晴れ間も出てきました。これなら送り火も大丈夫。 雨がひどい時には送り火はどうなるのかと、先日来、いろいろな人に聞いてみましたが、皆さんあやふやな答えでした。どうやら、ここ30数年は雨で中止あるいは順延になったことがなさそう。50年ほどの間に、1度、17日に順延されたことがあるような・・・。8月16日は晴れの特異日なのかも知れません。 晴れてきてほっとしました。
よく見ると、お盆にあげた高野槙の供花などもたくさん捨ててあります。先にお参りした人が供えた花を、後から同じお墓にお参りした人が捨てたのでしょう。燃えるようなお墓の熱気の中では、供花も短命。見る間に干からびていきました。 お盆は1年中で一番墓参の多い時。お彼岸などよりもずっと多いですから、ゴミも大量。墓地の管理人も、お花を売ったりするのが忙しくて、ゴミの処分まで手が回りません。 2枚目の写真は、ゴミではありません。 各地でも実際されていると思いますが、京都市でもお供物を川に流さないようにして、指定された場所に集めるようになっています。各町内のお寺や公園がその場所になっていて、真如堂の門前にも臨時の小さな祠がまつられ、その廻りに山のような供物が持ち寄られているのです。 片やゴミ、片や供物ですが、焼却されるのはどちらも同じ。共にお盆の名残です。 盆 三 日 あ ま り 短 か し 帰 る 刻 角川源義
これまでは、本堂の横の小さな池に行燈型の精霊船を浮かべて扇風機で風を送って‘流し’、‘精霊流し’としていました。 でも、池も漏水のために水かさが少なく、行き場所のない精霊船はただクルクルと回っているだけ。「何かいい方法はないだろうか・・・」と思案した末、今年から本堂前の白砂の広場に行燈を並べることにしました。 最初は参道脇に並べる予定だった紙製の行燈を、貫主の「『大』の形がいいのではないか」という一声で、今日になって急遽計画変更。 午前中は、大きな蝋燭を使って、長い時間、灯をともせるようにするため、電動丸鋸で合板を切って釘を打ち、行燈の蝋燭立てを改造。午後からは、配列のシミュレーション。 送り火の「大」を調べてみると、75の火床によって形取られていることがわかりました。1画目の横棒は19、2画目の左へ伸びる払いは29、3画目は27です。 今年、皆さんから供えていただいた行燈80基をこれに近い形に配分し、本堂前に大きな「大」を書いて、大ざっぱに並べてみました。うまく行きそうな感触を得たので一度撤去し、いつも通り4時過ぎに本堂を閉めて、家の近い職員さんには一度帰宅していただきました。 6時半、再集合。もうすでに参詣の方がパラパラと集まり始めておられました。職員さんと汗だくになりながら、本堂内の準備と行燈の配列に取りかかりました。1人が本堂の階段の上から白砂の上に並べた行燈を見て、「そこはもっとカーブさせて!」などと最終調整。
本堂前の暗闇の中にくっきり浮かび上がった「大」の字。向こうには三重塔や吉田山の陰も見えます。8時には送り火の先頭を切って東山の「大」に灯が点りました。本堂から眺めた正面の西山には「左大文字」が遅れて点火されます。 行燈の「大」は予想以上の出来! 白砂の上に立って、本堂をバックにして眺めてみても、これまたステキ! 行燈を供えてくださった方々も、自分の行燈がどこにあるか探したり、こんな行事があることを知らずに(我々もこうなるとは思っていなかったのですが)お越しになった方も大喜びで、写真を撮ったりされていました。 実に行き当たりばったりでしたが、送り火の原型は、このような万灯会だったとも言われています。精霊をお送りすると共に、現世にある方々にも綺麗な光景をお見せできた気がします。 よーし、来年はグレードアップするぞ! 乞うご期待! 送 り 火 の あ と や 静 か な 闇 が 来 る 徳永山冬子 |