4/18版
訪れる人もほとんどない境内はひっそり静まりかえって、鳥の声がよく響き渡っていました。 染井吉野はすでに散っていますが、もみじや桜の新しい葉はまだ完全には開ききってはおらず、「新緑の季節」と言い切るには少し早い気もします。今は桜花から新緑へ移り変わるちょうど境目でしょう。 4月に入ってからは雨が多く、2日に1日は降雨が観測されている計算になります。 出かける予定さえなければ、今頃の雨はとてもありがたく感じられます。やわらかな新しい葉はたくさんの水分を含んでいるでしょう。葉が大きく育っていくためには、たっぷりと雨が降ってくれなければいけません。雨が降ると、新しい葉や芽がまた確実に伸びたような実感がするのです。
「桜の花が散った後、 今の時期に桜の木の下を歩いていると、よく剃り込んだボクの頭は、よく「桜蘂降る」を体感します。蘂はたちまち滑り落ちていきますが、髪に蘂が付いている方を時々見かけることがあります。それほど、どんどん降ってくるという感じです。 「桜蘂降る」と聞くと、赤い桜の萼が枝からどんどん落ちてきて、道にビッシリと敷き詰められる様子がすぐに浮かんできて、桜の花が終わりを告げて新緑へと移っていく、まさに今の時期の光景が想像されます。 桜の花が咲くのは何となく凡庸な気がしますが、花ほどは美しくもなく、ゴミと化すだけの厄介者の花柄が落ちてくるのを「桜蘂降る」といって、そこに季節を感じるなんて、日本人はなんて豊かな感受性を持っているのだろうと思います・・・どうしてボクはこんなに熱く語っているのでしょう。 桜の梢は花軸の色で、もみじの梢はビッシリ付いた小さい花で、それぞれ赤く見えています。今の時期の新緑がスッキリした緑に見えないのは、この花軸や花のせいです。もうしばらくすれば、境内は鮮やかな若葉の色に統一されていくでしょう。 雨 に 色 交 へ て 桜 蘂 降 れ り 宮津昭彦
今年採用された某都市銀行員の新人研修で、同銀行の創業家にゆかりのある真如堂に、社員としてのアイデンティティーを高めるためお越しになりました。 少しの間正座しただけで痺れをきらして立てなくなったり、カメラを向ければピースをしてみたり、顔にもまだまだあどけなさが残っていましたが、境内がまさに新緑に溢れんとするような最もふさわしい時期に、彼らはやってきたと思いました。 さぁ、これからどのような葉を広げ、花を咲かせ、育っていくのでしょうか。
豪華な花ゆえに西洋人に好まれるとか。今日のような雨の日には、ただでさえ重たい花に雨の重さが加わって、枝がしなっているようにも見えました。 鐘楼堂の下から見上げるのも綺麗ですが、お堂の石段を登って、基壇の上から手に取るようにこの豪華な花を楽しんでみてください。リッチな気分に浸れること、請け合いです。 正面参道の左にある本坊に向かう車道を登り切ったところに、関山よりも白っぽい色の八重桜が咲いています。去年、ボクはこの桜が「普賢象」であることを発見しましたが、そのことを知っている人はほとんどいません。 葉化した雌蘂が、普賢菩薩の乗っておられる象の鼻に似ていることから、この名前があります。見方によってはそうも見えますが・・・。 境内の桜は、もうしばらく楽しめます。
花の形が山吹に似ていて、色が白いので「白山吹」といいます。共にバラ科ですが、山吹の花が5弁なのに対して、こちらは4弁。しなやかに風にそよぐような樹形の山吹に対し、こちらは低木といった感。かなり違ってはいますが、ともに美しい春の花には違いありません。 池の横では 本堂の右横では、藤が咲き出しました。この藤は花丈が短いので、しな垂れるようには咲かず、藤棚よりも上で咲いているだけで、あまり楽しめません。山藤の系統なのでしょう。 椿もまだまだ楽しめますし、境内のあちらこちらでは、たくさんのシャガが咲いています。 目を東山に転じると、モコモコと色の違う木々が目立ってきました。 「春山は淡治にして笑うが如く、夏山蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして粧うが如く、冬山惨淡にして眠るが如し。」 間もなく、山も笑う、本格的な新緑の季節の到来です。 ほ ろ 〜 と 土 ま ろ ば せ て 山 笑 ふ 星野立子 |