12/13版
「やったぁ! 今日は掃除しなくて済むぞ!」 落ち葉の時期の雨は、ボクにとっては何よりもうれしいプレゼントです。 毎朝1〜2時間かかっていた落ち葉掃除も、ようやくピークを過ぎて、短時間で済むようになってきました。でも、枝には枯れて乾ききった葉っぱが、まだたくさんついています。 その落ち葉も次第に減ってきました。雨で掃除が出来ないと喜ぶことも、そのうちなくなっていくでしょう。 落ち葉掃除は嫌いではありません。掃除の成果が歴然とわかり、とても達成感の味わえる作業です。でも、毎朝1〜2時間を費やすのはちょっと大変なのです。 雨は9時過ぎにはあがり、時おり時雨れましたが、昼過ぎからは薄日も差し、夕方にはうっすら青い空が広がっていました。鉛色になったり水色になったり、晴れたり時雨れたり。京都の冬らしい空模様でした。
時おり、観光客らしい方が来られますが、紅葉が終わっていることは承知の上。「綺麗だったでしょうねぇ。来年はぜひ来ようね」などと話しながら散策されていました。 大型ワンBOXタクシーから降りてこられた方は、手に手に一眼レフを持っておられました。「何を撮るつもりだろう?」と見ていたら、まだ色の抜けきっていないもみじの枯葉などを一所懸命写しておられました。往時を知る人から見れば、ただの枯葉に過ぎません。 1人が撮り始めると、その場所に何人もの人が集まってきて、同じアングルの写真を撮るのはアマチュアカメラマンの習性。「もっといい場所、アングルはないだろうか」と、自分の感性を頼りにあちこち探してみてはどうなのかと、いつも思います。絵を描く人のグループに、‘団子状態’の光景を見ることはありません。
枯れて乾いた葉が、もみじの枝にはまだいっぱい付いています。枯葉だらけの枝、種だらけの枝、枯葉と種をいっぱい付けたままの枝。そんな木が、境内のあちこちに見られます。今年ほど枝に枯葉が残っている年は記憶にないほどです。 温暖化が進んで厳しい冷え込みがあまり期待できない今後は、紅葉しきれなかった葉が枝に付いたまま枯れて年末まで残るという光景が恒常化してしまうのかも知れません。 種をいっぱい付ける症状の原因が前年の夏の暑さと小雨だとしたら、来年も同じような症状が出てくるでしょう。困っタネ。
今日は、「ようやく終わったなぁ」という気分に浸れました。木々たちが安堵して発するため息が聞こえてきそうでした。 石畳の上の濡れ落ち葉はよく滑るので、そろりそろりと歩きながら、濡れた葉の感触を楽しみました。晴れている日ならカサコソ音を立てる枯葉も今日は沈黙を守り、「コソッ」とも言いません。葉っぱ同士がくっついて身を寄せ合っているようにも見えます。 雨が上がって薄日も差してきた午後からは、落ち葉が乾いてボリュームを取り戻した感じ。落ち葉は乾くと急にカサコソ言いだし、風の助けさえあればすぐにどこかに飛んでいこうとします。 その瞬間を見逃さなかった職員が、夕方近く、ブロアで一気に落ち葉を集めていました。紅葉期にはピリピリしていた職員にも、ようやく余裕が感じられるようになってきました。 有り難い雨でした。
今年、京都地方気象台の銀杏の「黄葉」が観測されたのは11月28日。平年より7日遅く、昨年と同じだったそうです。 境内の銀杏が黄葉したのもその頃。わずかに残っていた緑の部分が消えて、全体が黄色くなったと思ったら、すぐに散り始めてしまいました。梢に残っている葉は、今日はもうほんのわずかになりました。 境内の落ち葉掃除もここ1週間で大方終わり、あとは少しずつ散ってくる葉を、毎日少しずつ、ゆっくり集めることになるでしょう。そんな作業の終わる頃には今年も終わり。紅葉が終わったら、静けさを充分味わう暇もないままに、あっという間に年の瀬です。 境 内 を ゆ け ば 濡 れ い る 石 畳 今 朝 ま だ 掃 か ぬ 落 葉 つ も れ り 尾山篤二郎
14日には、真如堂の人事案件や塔頭間の重要事項などを協議決定する、年1回の定例会議が開かれます。 会議の後には懇親の席がもたれ、かつては住職たちが一芸ずつ披露する習わしだったようで、先住たちがそれぞれ「鴨緑江」とか「ブンガワンソロ」などという芸を持っていたという話をいまだに聞かされます。どんな芸? いまから50年以上前の話です。 若手?総出の本堂の煤払いも、日は定まっていませんが、毎年行われます。最近は、煤払いの時の雑巾掛けをそれほど冷たいとは感じないようになりました。ボクが鈍感になったのではなく、明らかに温暖化の一現象です。 今年も残すところ半月余り。泣いても笑っても、あと半月か・・・。今年中にやり遂げたいけれど、いまだに手も付けていないこと多し。 賀 状 書 く 喪 中 幾 葉 か へ し 読 み 川畑火川 |