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境内の薄暗さを感知して昼間から外灯が付いていましたが、それが意外なほど明るく思えました。境内が暗いことはカメラのシャッターの音からもよくわかりました。 そんな境内には、人っ子一人見えません。お昼頃、平安神宮の前を通りがかりましたが、稀に見る閑散ぶり。祇園祭が本格化する週末前とはとても思えません。平安神宮がそんな状態では、真如堂に人影が見られるわけがありません。 やっと人を見つけたと思えば職員。境内の諸堂に花を供える作業をしているところでした。「明日は‘六阿弥陀’なんですが、この天気じゃねぇ」と、明日の参詣人が少ないことを予測して嘆いていました。
まだまだ盛りではありませんが、7〜8種類の木槿が咲いています。 紫陽花が雨の似合う花としたら、木槿は快晴が似合う花ではないでしょうか? 清々しい木槿の花。次々と、朝咲いて夕方には萎んでしまいます。梅雨明けを待ち遠しく思っているのは、人も木槿も同じかも知れません。折角ですから、晴れた日に咲かせてあげたいと思います。今年の梅雨明けはいつ頃になるのでしょうか? 見 上 ぐ れ ば 雨 一 粒 や 花 木 槿 石田あき子
祇園祭は神道の祭事と思われるでしょうが、本来はそうではありません。 八坂神社の祭神はもともとインドの祇園精舎の守護神である ところが、慶応4年=明治元年(1868)の神仏分離で、祭神は強制的に素盞鳴尊に一本化され、神道化されてしまいました。「八坂神社」という社名も神仏分離令によって改められたもので新しく、それ以前は「感神院祇園社」ないしは単に「祇園社」と呼ばれてきたそうです。
八坂神社は、社伝によると、斉明天皇2年(656)、高句麗より来日した 一方、姫路の広峯神社によると、貞観11年(869)頃、播磨国広峯社の牛頭天王(素戔嗚尊)を、京都の北白川にあった東光寺の鎮守社東天王社(現 岡崎神社)に分祀し、その後、南都の僧円如が祇園感神院(現在の八坂神社)に祀ったもの。京都の八坂神社が発展したことと地の利もあり、今では八坂神社が本社のようだが、本社はあくまでも姫路の広峯神社、京都の八坂神社は分霊なのだというのです。 ボクはどちらに組する者でもありませんが、神社にも本家・分家争いがあり、千年経ってもいまだに続いているとは驚きです。饅頭屋の本家・元祖争いなら、こんなに長引くことはあり得ません。 ネタがないので祇園祭のことを書き始めましたが、「今日の散歩道」からどんどん離れますので、この辺でやめておきます。 祇園祭に行かれる方は、「蘇民将来之子孫也」という護符の付いた厄除けの粽をお求めください。護符の由来や意味はネット検索で! 今年の祇園祭は連休に台風と、大変なことになりそうです。どうかご無事で。
「木に生えるのは食べられるのでしょう?」と職員が言うので、「絶対に食べたらあきませんよ。痛い目にあいますよ」と念を押したところ、6月に辞めた最長老の職員が境内のキノコを採って帰って食べてひどい目に遭ったという話を聞かせてくれました。だから言ってるのに・・・。でも、確かに美味しそうなキノコもたくさんあります。 本堂の裏にはたくさんのカタツムリがいました。まだ生育しきっていない小振りなカタツムリもいっぱい! ナメクジはカタツムリの一種。貝がらを持たないカタツムリをナメクジというのをご存じですか? カタツムリもナメクジも元は海にすんでいた貝の仲間が陸に上がったもので、理由はわかりませんが、カタツムリは殻を残し、ナメクジは殻を捨てたのだそうです。 食物に困った時は、境内のキノコを食べるよりも、カタツムリを食べたほうが安全と、職員に教えた方がいいかも知れません。飽食の時代に、そんなチャレンジをする必要はどこにもありませんが・・・。 どうか、台風にご注意の上、梅雨も明けないのに「海の日」という不相応なネーミングの連休をお楽しみください。 親 と 見 え 子 と 見 ゆ る あ り か た つ ぶ り 炭 太祇 |