6/1版
今日は6月1日。夏服に更衣する会社や学校も多く、僧衣も今日から夏用です。夏衣は冬衣に比べて嘘のように軽く、何か着け忘れしたかのようにさえ思えてきます。 テレビでは、閣僚たちがクールビズのアピールのために沖縄の「かりゆしウェア」を着ておられましたが、半袖姿はまだ少し寒そうでした。もっとも、‘お寒い’のは気候のせいだけではなさそうですが。 6月といえば梅雨。沖縄と奄美、そして九州南部が今日梅雨入りとなりました。近畿の梅雨入りは平年では6月6日。嫌な梅雨ですが、降るべき時に降ってくれないと困る雨。今年は春以降、西日本を中心に全国的に降水量が少なく、近畿管区気象台のある大阪では3〜5月の間、平年の1/3程度しか雨が降っていません。今後2週間程度もまとまった雨は見込まれないとのことで、水不足が心配されています。
更新の度に同じような写真を撮っている気がしたので、今日は久しぶりに自坊の仏間の大屋根に登ってみました。傾斜もきついので、あまり登りたくありませんが、更新のためならたとえ火の中水の中、屋根の上! 高い屋根の上から眺める境内は、まさに緑一色。「うわぁー、綺麗だなぁ」としばらく見とれてしまいました。 木の下から見上げた緑と上から眺める緑は、また違って見えます。樹の下から見上げる緑は日に透かされてとても綺麗ですが、上から眺める緑はそれにくらべて随分色が濃く見えます。また、上から眺めると、木の種類によって緑色が微妙に違うのはもちろん、同じ種類の木でも色に個体差があることがはっきりわかります。「あの木は元気だなぁ。こっちの木はちょっと様子がおかしいぞ」などと、葉の色を見て観察することもできます。 遠くには比叡山や北山も見え、東は大文字、西は吉田山の向こうに西山、桂や京都盆地が開いている南の方まで見渡すことができ、まさに「絶景かな」でした。 こんなに絶景で、観察もできるのならたびたび屋根に登ればいいのですが、やっぱりコワ〜イ。今年は、紅葉のピークの時にもう1回登るにとどめようと思います。
梅雨頃になるとこの緑もいっそう濃くなり、雨の日などには木の下が暗くなるほど。また、もみじの新しい枝の先が虫たちにかじられて、枯れて垂れ下がることも珍しくありません。そんな‘洗礼’を越え、夏のかんかん照りにも絶えて、秋には境内を錦に包んでくれるもみじ葉。1年中見ていると、生きていくことは植物とて本当に大変なんだと実感します。 それに比べて人間は、いとも簡単に自らいのちを断ってしまいます。生きたくても生きられない、それが自然界の厳しさなのに、叡智を持っているはずの人間が一番愚かにも思えてきます。 六 月 の 樹 々 の 光 に 歩 む か な 石井露月
遠くから聞こえてくるのは、墓所で刈り込み作業をする発電機のエンジン音。‘安全な’境内で、野良猫がのびのびと毛繕いをしていました。 6月は京都に訪れる観光客の少ない月です。少ない順でいうと、2月、1月、12月、6月、7月、9月となります。真冬に少ないのは理解できますが、祇園祭の行われる7月が少ないというのが不思議なくらいです。きっと、祇園祭に集中するだけで、7月のような最も蒸し暑く過ごしにくい頃にお越しになる方は多くないということなのでしょう。まったく妥当な判断だと思います。ボクもその頃は京都を脱出したくなります。 6月には行事などもほとんどなく、花は紫陽花などだけ。蒸し暑く、雨も多く、確かに観光するのに向いているとは思えません。そんな隙間を狙って、修学旅行が5月連休明けから集中します。 総門のところで写真を撮っていたら、小学校の修学旅行中らしき子供たちが貸し切りタクシーでやってきました。運転手が指示をして、総門の前の「真如堂」と彫った石碑が写るように記念写真を撮り、境内を巡ることさえなしにまたすぐ去っていきました。 「あれでは子供たちの記憶に何も留まらないなぁ。何のために修学旅行をしているのだろう。運転手同士で何ヶ所回ったか競争しているのだろうか?」と、せっかくの修学旅行なのにかわいそうに思えました。「教育再生」は何処へやら。
確か去年は花付きがあまりよくなかったように思いますが、今年はいっぱい蕾が付いています。ご期待ください。 参道を歩いていたら、甘い香りが漂ってきました。「ブーン」という群れた虫の羽音も聞こえます。「 目立たないという点では 境内の紫陽花の大半はまだ蕾です。6月に京都にお越しになるなんて、かなりの‘数寄者’かも知れませんが、6月半ばには、菩提樹も沙羅も紫陽花も、一度に楽しんでいただけるかも知れません。厭う人の多い雨ですが、雨の京都もまた情趣深くて素敵です。 6日は「芒種」。京都でも梅雨入りの報が聞かれる頃です。 遠 雷 の 大 き く 一 つ 鴨 足 草 星野立子 |