5/25版 





        両側から垂れ迫るもみじ葉      マウスを載せれば写真が変わります
 夜明け頃から降り出した雨は、朝早くには本降りとなり、日暮れまでその勢いが弱まることはありませんでした。
 雨は先週の土曜日以来。昨日も一昨日も30度を前後する真夏のような暑い日でしたので、今日の雨は木々たちにとってはさぞかし癒しの雨となったのではないでしょうか。
 境内はひっそり静まりかえっています。聞こえてくるのは、雨の音だけ。本堂の大屋根の樋から落ちてくる滝のような水の音が、一際大きく聞こえてきます。
 もみじの枝は雨の重みで大きく垂れ下がり、正面参道の石段を進むには、それを避けて右へ左へと蛇行しなければいけません。枝が垂れるのはただ雨が重たいに過ぎませんが、勝手な思いを込めて見ると、たっぷりの雨に喜んだもみじが嬉しくて頭を垂れているようにも思えてきます。
 雨も、人によってはただ厭うべきものかも知れませんが、ボクにとって今日の雨は、多少カメラが濡れようと、ズボンが膝までドボドボになろうと、恵みの雨でした。


    人の歩を早める雨脚 / 滝のように樋から落ちる大屋根の雨   マウスを載せれば写真が変わります
 たまに人が通り過ぎて行かれますが、本堂にあがって参拝される人はなさそうです。
 きっと、今日の拝観者は‘ゼロ’だったろうと職員に聞いてみると、修学旅行生5人が拝観されたとか。こんな雨の日に、観光スポットとしてはマイナーな真如堂を訪れる高校生。「どうして真如堂を選んだのですか?」と、その理由を聞いてみたくなります。子細はわかりかねますが、訪れたお寺の中で一番静かっだったのは、おそらく間違いないでしょう。
 職員に、「夕方にもう一度強く降るらしいですよ」と言ったところ、小一時間して別の職員から、「夕方から強く降るようです」と教られました。参拝者も少なく、雨で外の作業も出来ないので、職員たちは本堂の受付の部屋で‘伝言ゲーム’でもしているのでしょうか。
 朝から夕方まで静かな、雨の1日でした。



        老   鶯   や    音   た   て   て    ま   た   山   の   雨        有働 亨




         雨を集めるがごときもみじ葉      マウスを載せれば写真が変わります
 雨の日には、雨に日にしか見せない境内や建物の姿を観察するのも、お寺を守っていくための大切な作業です。どのように雨水が流れ、どこで澱んでいるか、溝がつまっていないか、土が流されていないかなどは、雨が降り、流れとなったからわかることです。
 台風の時、田んぼを見に行って災害に遭われるお年寄りがよくおられます。「どうしてそんな時に」と思いますが、そんな時こそ見に行きたくなる気持ちはよくわかる気がします。
 今日も更新の写真を撮るかたがた、あちこちを見て回ってチェックしました。
 本堂の大屋根を見ていて、1カ所だけ雨水の落ち方が違うところに気がつきました。よく見ると軒瓦が割れています。放っておいては軒が腐ってくる重大損傷です。すぐに直しにかからないといけません。
 雨水の流れをチェックしながら、素手でゴミを取り除いたり、溝の中に生えて流れを邪魔している草を抜いたりしていたら、危うくカメラを落とすところでした。
 こんな作業は、やり出すと切りがありません。でも、「雨があがったら直そう」と思っていても、すぐに忘れてしまいますし、いますぐに手を打った方が‘効果’が確かめられるので、じっとしていられなくなるのです。
 向こうの方では、やはりじっとしているのが嫌いな職員が、熊手片手に溝のゴミを取り除いていました。我ら‘真如堂すぐやる課’だと実感しました。

  ‘孤島’となったベンチ/ 参道も水没寸前    マウスを載せれば写真が変わります
 勢いよく流れる溝の水を見ていて、子供の頃、枯れ枝などを流して競争させたことを思い出しました。
 静かな流れでは笹舟などを競争させましたが、境内の溝は時に濁流となったり、段差があったりして、笹舟では分解してしまいます。そこで、枯れ枝などを流して競争させ、それを走って追いかけたりしていました。
 枝は段差のところでもみくちゃになって抜け出せなかったり、ゴミに引っかかったり、見失ったりして、満足にゴールに達することは稀でしたが、とても面白い雨の日ならではの遊びでした。
 あの頃の子供は、雨の日になるとゴム長を履いていました。ゴム長を履いている安心感からか少々乱暴な振る舞いをして、結局下着までずぶ濡れになるということも少なくありませんでした。
 今も雨が降ったら境内に出て溝を覗き込み、台風が来たらヘルメットに雨具、ゴム長の完全装備で境内に出たくなるのは、その時の癖が抜けきっていないのかも知れません。もうすでに完全なる‘オッサン’なのに。

       雨の紫陽花 / 晴れの紫陽花(5/24)     マウスを載せれば写真が変わります
 雨の日には、草木もまたいつもと違う‘顔’を見せてくれます。葉はみずみずしく、幹もシャワーを浴びてサッパリしているように見えます。
 中でも、一番嬉しそうなのは紫陽花ではないでしょうか。快晴の日の夕方などには気の毒なほど意気消沈している紫陽花も、今日のような雨の日には実に生き生きしています。「水を得た魚のように」という表現がありますが、「雨を得た紫陽花のように」という言い方も、皆さんの共感を得られるように思います。
 自坊の前庭の早咲きの紫陽花が見頃になってきました。咲いているのは早咲き種4株ほどだけで、さほど大きな株にはならない種類なので目立ちませんが、近づいてみると、その鮮やかな色に魅せられます。
 「アジサイ」の名は、「藍色が集まったもの」を意味する「集真藍」が訛化したもので、『万葉集』には「味狭藍」「安治佐為」の表記で登場します。漢字の「紫陽花」は平安時代の源順が『倭名類聚鈔』の中で、白居易が命名した別の紫の花と間違って使ったのが広まってしまったようです。最初は間違いでも、実にこのふさわしい漢字です。でも、どの字が「ア」で、どれが「ジ」「サイ」なのか、読み仮名を振るには困ります。
 日本にやってきたオランダ人医師シーボルトはこの花を愛し、日本にいる6年の間愛した女性「お滝さん」に因んで、「Otakusa」という学名をつけたことはよく知られています。ボクはお滝さんとは面識ありませんが、紫陽花に魅せられた一人です。
 これからいろいろな紫陽花が咲いていきます。多くは、ボクが花盗人に遭いながら世話をしているものです。手塩に掛けた紫陽花を皆さんが見てくださるのが楽しみです。見頃は6月に入ってから。どうぞお越しください。




     紫   陽   花   の   無   数    そ   れ   よ   り   雨   無   尽        林 翔