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朝、境内を歩いてみると、カエデや杉の花殻、桧の細かな枯れ葉などが水の流れた場所や澱んだところを教えてくれているように集まり、本堂前の白砂も少し流されていました。 夕べは、長く尾を引くような雷鳴がとどろき、風の音がしきりにしていたような気がしていましたが、夢かうつつかわかりませんでした。何人かの人に、「夕べ、雷が鳴っていましたね?」と聞いても、知らないという人がほとんど。境内に残された‘痕跡’を見て、やっと「 嵐を知らない人は、暁を覚えないほど熟睡されていたのでしょう。ボクは窓の近くで啼いている鶯の声に、幸せな気分に浸らせてもらいつつ朝を迎えました。
境内の染井吉野で一番早く咲く総門前の木は、もうすでに満開となりました。他の大半の木はまだ1〜2分咲き程度です。 同じDNAを持っているはずの染井吉野が、環境もさほど違わないのに、これだけ開花状態が違うのはなぜでしょう? 総門前の木は、染井吉野に似て非なる種なのかも知れません。 昨今、境内ですれ違う人と、桜の開花状況の情報交換をよくします。「哲学の道は真如堂よりも開花が遅れています」「鴨川の枝垂れがいいですよ」「御所は見頃です」などという主観で‘膨らんだ’情報が飛び交います。 ‘普通の’染井吉野が満開になるのは来週初め頃? 今年は桜の開花が早いという予報で、確かにそれは当たったかも知れませんが、満開になるのはそれほど早くもないというのが実感です。 テレビやラジオでも桜の開花情報を伝えていますが、「ほんまかいな!」と突っ込みたくなる情報も中にはあります。ボクも一時、開花情報の発信を担当したことがありますが、回答はかなり主観的。ボクが「五分咲き」と回答しようとすると、職員は「6〜7分ではないですかぁ」など言って、なかなか意見が一致しませんでした。他のところもそんな程度かも知れません。 「境内の染井吉野は『ちらほら咲き』で〜す」。 世 の 中 は 三 日 見 ぬ 間 に 桜 か な 大島蓼太
昨日満開になったと思っていたら、今日はもうすでに散り始めています。夕べの嵐で、少し傷み付けられたのでしょうか。 花弁が開くに従って、濃かったピンク色も次第に薄れてきてしまいましたが、染井吉野ほど白々とはしていません。 いつもこのページをご覧くださっている方には、「また始まった」と言われそうですが、ボクは時期が来たら付和雷同したように咲く染井吉野があまり好きではありません。いろいろ珍しい桜もある中で、一番好きな桜は江戸彼岸。染井吉野のように申し合わせたように一斉に咲くのではなく、それぞれの木に主張がありながら押しつけがましくなく、シンプルで孤高。そんなイメージを、ボクは江戸彼岸に持っています。 最近の遺伝子解析などの結果、‘ソメイヨシノ’は伊豆地方固有の野生種‘オオシマザクラ’と、エドヒガンの栽培品種で、上野公園の小松宮銅像付近に原木がある‘コマツオトメ’の交配で生み出された可能性が高いことがわかったそうです。人工的に交配したものか、偶然できたものかは知りませんが、それを江戸時代に染井村(現在の東京都豊島区駒込)の植木屋さんが接ぎ木で増やしたものが、いま全国津々浦々に広がっている数百万本の染井吉野です(異説あり)。 染井吉野は同じDNAを持っていると前述しましたが、染井吉野には種が出来ませんので、繁殖はもっぱら接ぎ木や挿し木によります。つまり、‘クローン’なのです。日本全国の染井吉野のルーツをたどると、みなこの染井村の植木屋さんの木に行き着くはずです。
全国には樹齢数百年という江戸彼岸が点在していますが、厳密にはこれらはみなそれぞれ少しずつ違う性格の桜です。そう考えると、江戸彼岸はそれぞれ‘Only One’。「縦皮桜」や「しだれ桜」が、とても愛しく思えてくるのです。 まして、「縦皮桜」は春日局が父齋藤利三を弔うためにお手植えになったという曰く所以付きの桜。明智光秀の重臣だった齋藤利三は、秀吉軍に捕らわれて粟田口の刑場で首をはねられますが、その首を真如堂塔頭住職の東陽坊長盛と画家の海北友松が境内に葬ります。その供養のためにと植えられたのが「縦皮桜」。それから350年以上経っていますが、長寿の江戸彼岸だからこそ、いまも生きているのです。 一方、染井吉野には「寿命60年説」というのがあります。野生種の桜の寿命が300年なのに比べて、染井吉野は100〜130年とも言われます。繁殖の時に使った接ぎ木の台木の腐りが全体に広がって幹が空洞になり、やがて枯れていきます。 境内にもそんな染井吉野が数本あります。でも、決して見捨てたものではありません。幹に空いた空洞に根のようなものが出ていたら、チャンス! 「不定根」というもので、それが土のところまで届くように養生してやれば、土にたどり着いた途端にどんどん太くなって幹に代わり、一気に桜は蘇っていきます。もう、「染井吉野の寿命は60年」などとは言わせません。 染井吉野は好きではありませんが、その復活術は大したものです。これには大いに声援を送りたいと思いますし、お花見をされる時は、ぜひとも桜の‘努力’にも目を向けてやって欲しいと思います。そうすれば、いっそう花が愛しく思えてくるでしょう。 でも、やっぱり、染井吉野よりも江戸彼岸ですねぇ〜。
「あれっ! 山吹が咲いている!」「シャガがいつの間に・・・」と、自分は花が咲くのにそんなに無関心だっただろうかと反省させられるほどのスピードです。 秋、真如堂の紅葉のトップを切るのは本堂前の「花の木」。「どうして『花の木』というのですか?」とよく聞かれますが、その答えがこれです。紅いのは花の木の花。この紅い花が美しいことからその名が付いたといいます。 雌雄異株ですが、真如堂の花の木にはプロペラのような形をした「翼果」が付きますので、雌株なのでしょう。 朝日に照らされた時、夕焼けの頃のこの花は、また一段と綺麗に見えます。お花見の時、花の木の‘由来’をぜひご観賞ください。 今日はお天気も良くなくて、桜の花の色がうまく写真に撮れませんでした。来週はリベンジです。それまで、「夜半の嵐」が吹き荒れませんように。 背 の び し て 羽 ふ る は せ て う ぐ ひ す の 瀧井孝作 |